2016年06月24日

玉砕133

トルーマン米大統領が、原爆実験成功の知らせを聞いたのは、「ポツダム会談」に臨むため、ベルリンの郊外、ポツダムに赴いたときのことである。

トルーマン、チャーチル、スターリンの連合国の三名が臨んだ、ポツダム会談の表向きの議題は、ヨーロッパの戦後処理だった。
当初は、日本に関する相談は、付けたしの域を出ないものだ。

降伏を促す、対日最後通告は、米国の要請により、副次的に出されたものというのが、事実である。

トルーマンの負っていた役割は、スターリンから、期限を切ったソ連対日参戦の確約を取り付けること、そして、ドイツ降伏後、ヨーロッパに対する、露骨な野望を見せる、スターリンと、チャーチルの間に立ち、仲介の役割を演じることである。

だが、原爆の出現により、三者三様の思惑の、バランスが一気に崩れるのである。

トルーマンが、ポツダムに着いた翌日、本国から、原爆実験成功の知らせを受けた。日本を早期に降伏させるために、ソ連の助けを借りるという最初の目的は、大きく揺らぐ。

ソ連に借りを作ることなく、米国単独の力で、日本の息の根を止めることが出来れば、それに越したことは無いのである。
更に、原爆の力を、実際に見ることが出来る。

更に、原爆実験成功の報は、スターリンをも、動かせた。
一刻も早く、対日参戦して、戦争終結後の権利を獲得しなければと、焦ったのである。

これが、後にも続く、冷戦のはじまりである。

つまり、ポツダム宣言は、米英、中国の対日最後通告とは、上記のような慌しさの中で、米国のスケジュールに沿って、提出されたものだ。

ベルリン時間、7月26日、21時30分、トルーマンは、戦時情報局に命じて、ただちにこの内容を、あらゆる手段を尽くし、日本国民に周知させよと、指令した。

まず反応したのは、日本の外務省である。
この「宣言」が、終戦の糸口となることを、読んだものの、天皇制について、具体的に触れられていないのが、廃止するという明確な字句が見当たらないことに、外務省は、光明を見た。

領土問題は、台湾、朝鮮は、当然捨てなければならないと覚悟した。
戦争責任者の処罰は、これも、致し方ないことであった。

政府と、軍は、それが持つ、重大な意味を、すぐに読み取ることが出来なかった。
閣僚の中でも、その重要性を認識したのは、東郷外相であるが、その段階でも、ソ連の仲介を充てにしていたのである。

以下、ポツダム宣言の主たるものを、上げる。
日本軍の武装解除
日本の軍国主義的権威と勢力の抹殺
民主政治の確立
民主的平和的責任政府の樹立まで連合国軍による保障占領
日本領土を四島とその付属諸島に制限
戦争犯罪人の処罰
等が、要旨だった。

三国側は、日本の対応に注視していた。
だが、鈴木首相は、
あの宣言に重大な価値があるとは思わない。政府は黙殺するだけであり、あくまで戦争完遂につとめる
と、記者会見で、述べたのである。

強気の発言をしなければならない、当時の状況であった。

つまり、受諾に向けて努力する決意を固めていたが、軍部の突き上げにより、表面上は、強気の発言となったのである。

だが、この発言が、全世界に伝わった。
更に、黙殺が、無視と訳されて、放送されたのだ。

つまり、連合国側には、拒否すると受け取られたのである。

その首相発言に、驚愕し、立腹しながらも、東郷外相は、原爆を落とされるまで、実りなきソ連との交渉に、躍起となっていた。

中ソ大使佐藤に対して、督促電報を連打している。
その佐藤大使は、現地にあって、外交官として、冷徹な目で、現実を認識していた。

7月30日、佐藤大使の東郷に対する返電中に、
ソ連がいまさら何を好んで日本の肩を持つ必要があろうか。この点あなたのご観察と当方の実際は、はなはだしく食い違っていると考える
という、一節がある。

更に、佐藤が、8月5日、東京着で、
一日も早く日本の平和提唱の決意を通達すれば、さらに条件は緩和される可能性もある。だが、いかに緩和されても、ドイツの例にみるように戦争責任者の処罰はまぬがれぬ。戦争責任者が真に憂国の士ならば、従容として犠牲となるのもやむをえまい
と、打電してきた。

そして、翌日、6日、広島に原爆が投下された。

続いて、佐藤は、8月8日、クレムリンに呼ばれて、モロシフ外相から、8月9日を期して、日本と戦争状態に入ることを宣言する、との通告を受けた。
この現地時間は、日本時間にして、9日午前零時であり、ソ連軍が、旧満州に、なだれ込んだ時間でもある。

その同日、二発目の原爆が、長崎に落とされた。

ソ連の行為は、実に、忘れられないものである。
その軍事行動は、実に、卑劣に満ちたものである。

戦後の権益を保持するために・・・

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2016年06月23日

玉砕132

米軍が沖縄に、上陸した、4月1日の頃・・・

4月5日、重臣会議が開かれ、総辞職した小磯内閣の、次期総理を選考したが、東條大将は、
本土決戦を控えて、国務と統帥一体化のため、次期総理は、陸軍から出したい。
と、力説した。

天皇は、大局を判断し、何とか、速やかに、講和に持ち込みたいと考えていた。

結果、鈴木貫太郎枢密院議長が、推挙された。
だが、純粋な武人で、政治権力と無縁だった鈴木は、とても、国家存亡の大任を担う自信がなかった。
また、77歳の高齢でもあり、辞退するが、
鈴木が辞退する心境はよく解るが、この重大時局に、もう鈴木をおいて他にはいないのだ
との、天皇のお言葉である。

しかし、なお、辞退する鈴木に、
頼むから、まげて承知してもらいたい
との、天皇陛下のお言葉である。

もう、断るわけにはいかなかった。

天皇は、肝胆相照らす鈴木とで、速やかに、終戦に漕ぎ着けたかったのである。

だが、軍部は違った。
強硬に戦争継続を叫び、和平を口にすれば、国賊、敗戦主義者として、投獄されるという、情勢化である。

いかに、天皇といえ、講和の推進は、至難の業だった。

統帥権は、天皇にあるが・・・
軍部は、戦争続行である。
もし、本土決戦ならば、更なる、悲劇が起こるのである。

4月30日、ドイツ、ヒトラー自決。
5月2日、ベルリン陥落。
8日、新総裁デーニッツ、連合軍に、無条件降伏。

東郷茂徳外相は、それを聞いて、それ以前から考えていた、和平工作を急ぐ必要を感じた。
戦争をやめたければ、相手国、米英、重慶に直接申し出れば、いい。
しかし、それでは、無条件降伏は、避けられない。

東郷でさえ、この時点では、無条件降伏を避け、いくらかでも、名誉ある講和をと、考えていたのである。

また、ここ、ここに至っても、陸軍の考えを考慮するなら、第三者の仲介なしの、和平交渉は不可能だと、思っていたのだろう。

中立国、ローマ法王庁を通す手段も検討されたが、日本に利する条件講和に関しては、全く、見込みの無いことが解ってきた。

結果、中立条約が生きている、ソ連に仲介を頼む以外に無いと、考えられた。

だが、ソ連は、すでに1943年昭和18年11月の「テヘラン会議」において、スターリンは、ルーズベルト、チャーチルに対して、対日参戦を約束していたのである。

日本と、日本人は、性善説的思考で、物事を考えるということを、指摘しておく。

だから、ソ連の好意的中立と、対日参戦を加味し、その仲介によって、有条件講和による、戦争終結を図るという、基本路線を決定した。

対ソ交渉の第一段階として、東郷外相は、非公式の会談を、駐日ソ連大使ジャコブ・マリクとの間に持つことを考え、その任を、外相、中ソ大使の経験者である、広田弘毅に委託した。

広田が、マリクと会見したのは、昭和20年6月3日である。
「日本政府は、日ソ両国の友好関係を強化し、中立条約の延長を欲している」という、第一段階の提案に対し、マリクは、検討したいので、しばらく時間をとの返答である。

もう、対日参戦が、決まっているのである。
だから、その後の、やり取りは、広田を疲労困憊させた。

しかし、戦争終結を手探りしつつ、政府と統帥部による、最高指導会議は、6月8日、「今後採るべき戦争指導の基本大綱」を決定し、戦争遂行を呼号するのである。

沖縄が、戦場と化していた時である。
そして、ついに、大本営は、6月25日、沖縄戦の終焉を公表した。

第三十二軍司令部のある、沖縄本島の南端、摩文仁の洞窟が、米軍の手に落ちた、6月22日、東京では、最高指導会議の構成員六名が、木戸内大臣の作成した時局収拾案について、天皇から、直接下問を受けた。

木戸の案は、ソ連に特使を送り、戦争終結への道を開くというものだった。

その、ソ連への特使に、近衛文麿を適任者と決めた。
天皇から、近衛に直接沙汰があった。

東郷外相は、近衛特派使節をモスクワに派遣したとき、日本政府の内意を、モロトフ外相に伝え、その受け入れにつき同意を得るよう、訓令した。
しかし、モロトフは、多忙を理由に中ソ大使、佐藤に会わない。
やむなく、佐藤は、外務次官ロゾフスキーに面会し、日本政府の趣旨を伝えた。

この、ソ連の対応を日本人は、忘れてはならない。
すでに、対日参戦を約束していたソ連である。

裏切り・・・
そんなことは、国際社会では、当たり前のことである。
更に、共産主義と、国益重視である。
当然といえば、当然のこと。


posted by 天山 at 05:53| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月22日

玉砕131

4月6日、16時5分、
各隊、予定順序に出港、との旗艦信号旗が、旗艦大和の前しょうに揚がった。

軽巡洋艦矢矧を先頭に、駆逐艦、冬月、涼月、雪風、磯風、浜風、朝霜、初霜、霞が、一列縦隊で出発した。

大和は、殿艦となり、16時45分、動き出した。

明けて7日、上空は暗雲に閉ざされ、洋上はうねりが高い。

午前8時15分、突如雲間を縫って、米機三機が、姿を現した。
この三機は、すぐに飛び去ったが、入れ替わるように、飛行艇二機が出現し、触接を開始した。

威嚇のため、大和が、三式弾三発を放った。だが、執拗に、食い下がる。

以後、艦隊は、迂回航路をやめて、目的の沖縄までの、最短距離を進むことにした。
米機に発見されたからである。

その間に、駆逐艦朝霜から、
ワレ主機械ニ故障
との連絡あり、停止した姿が見えなくなった。
米機に撃沈されたのである。

全員、玉砕である。
一人も、生き残りがいないので、仔細はわからない。

頭上の米偵察機が、刻々と報告する電報が、傍受される。

そして、昼である。
大和から、旗ゆう信号により、
開距離3000メートル
第五戦闘速力トナセ
との、下令である。

レーダーが、おびただしい数の黒点を捉えていた。

その後の、大和の戦いは、省略する。

生存者は、269名てある。
玉砕である。

4月6日の「菊水」一号作戦に参加した陸海軍機の総数は、海軍機391機、陸軍航空部隊は、第六航空軍133機、総数、524機である。

6日、午前10時15分から、12時30分までの間、九州各基地から、次々に発進した。
制空隊のゼロ戦104機は、四波に分かれて、沖縄の制空に任じ、陸軍戦闘機は、奄美大島附近の上空で、往復運動を行う。

その他の、陸海軍機は、すべて特攻隊である。
沖縄の海上に、ひしめく米艦船郡目掛けて、突入した。

この日の、特攻は、渡り鳥の大群のように、後から後から、尽きることなく、防御砲火の爆幕をものともせずに、突っ込んできたと、米側資料が言う。

たいていの特攻機は、撃ち出された近接信管に触れて、目標の上空に達するまでに、空中に飛散した。
だが、米兵に与えた精神的打撃は、深く大きかった。

沖縄を守るために、命を賭けた若者たちである。

大挙して決行された特攻の、効果はあった。

つまり、撃ち落されるのを覚悟の特攻機に対して、米軍の戦闘機は、酷く困難であったのだろう。

陸上の第三十二軍は、米側の悲鳴に近い電報が、打電されるのを、傍受していた。

だが、それも、今は虚しい。
「菊水」一号作戦も、玉砕で終わる。

本来は、4月6日の第一号で、中止にしたかった、宇垣航艦長官は、断続的に、6月22日まで、続けたのである。
それは、沖縄島上で、陸軍が戦闘を続けている。
海軍として、手をこまねいている訳には行かないのであった。

大本営は、6月25日、沖縄作戦、「天」号作戦の終焉を公表した。

ここで、悲劇の地上戦に、触れる。

沖縄の県民を戦闘に、巻き込んだことである。

様々な、戦記を読んだが・・・
部分的に、旅日記などで、紹介した。

この世の地獄である。

その事実に関して、様々な、そして、色々な意見がある。
その本質は、戦争というものの、有様である。

米軍は、市民を攻撃しなかった。
しかし、兵士混在している中で、結局、県民も大きな犠牲を強いられたのである。

沖縄南部戦跡を私は、廻った。
一つ一つの、ガマ、洞窟に籠った人々・・・

ひめゆり、白梅隊という、女学生の献身的な、兵士たちへの、看護姿勢は、ただ、涙する。

特攻機は、2393機であり、玉砕である。

結果、沖縄も、玉砕である。
その傷は、今なお深い。

沖縄の 地にて斃れた 人々の 悲しみの魂 今はいずこに
                 天山

沖縄は、日本の慰霊の聖地である。

posted by 天山 at 05:52| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月21日

もののあわれについて820

いとどしく心よからぬ御けしき、あくがれ惑ひ給ふ程、大殿の君は、日ごろ経るままに、おぼし嘆くこと繁し。典侍かかる事を聞くに、われを世とともに許さぬものに宣ふなるに、かくなあづりにくき事も出で来にけるを、と思ひて、文などは時々奉れば、聞えたり。

典侍
数ならば 身にしられまし 世のうさを 人の為にも ぬらす袖かな

なまけやしとは見給へど、物のあはれなる程のつれづれに、かれもいとただにはおぼえじ、とおぼすかたごころぞつきにける。

雲居雁
人の世の 憂きを哀れと 見しかども 身に代へむとは 思はざりしを

とのみあるを、思しけるまま、とあはれに見る。




いっそう、斜めの御機嫌に、大将は、うろうろしていらっしゃる。その一方で、大臣家の御方は、日数が経つにつれて、悲観することは、しばしばである。藤典侍は、この事件を耳にして、自分のことを始終許さぬと、おっしゃっていると聞くが、こんな、放っておくわけにはいかない事件も起こり、と、考えて、手紙などは、時々、差し上げるので、申し上げた。

藤典侍
人並みの者でしたら、私にも、わかりますことでしょう。結婚の苦しみを、私は、わかりませんので、あなたのために、涙を流します。

当て付けのよう、と、思うが、あわれに悲観して、時間を持て余してると、典侍も、平気でいるわけではないだろう、と、思う気持ちも、少し起こる。

雲居雁
他の人の、夫婦仲の辛さを、可哀想と思ったことはありますが、同情しても泣くとは、思いませんでした。

とだけ書いたものを、心に浮かんだままだと、あわれに可哀想に思うのである。







この昔中絶の程には、この内侍のみこそ、人知れぬものに思ひとめ給へりしか。ことあらためて後は、いとたまさかに、つれなくなりまさり給うつつ、さすがに君達はあまたになりにけり。この御腹には、太郎君、三郎君、五郎君、六郎君、中の君、四の君、五の君とおはす。内侍は大きみ、三の君、六の君、二郎君、四郎君とぞおはしける。すべて十二人が中に、かたほなるなく、いとをかしげに、とりどりに生ひ出でたまける。内侍腹の君達しもなむ、容貌をかしう、心ばせかどありて、皆すぐれたりける。三の君、二郎君は東の御殿にぞ、とりわきてかしづき奉り給ふ。院も見なれ給うて、いとらうたくし給ふ。この御中らひのこと、言ひやる方なくとぞ。




昔、二人の仲が、遠ざけられていた時は、この内侍だけを、秘密の愛人としていらしたが、事情が変わってからは、ほんの時々で、冷たくなるばかりだった。それでも、お子様方は、大勢になっておられた。
雲居雁のお生みになったのは、長男、三男、五男、六男、二女、四女、五女と、いらした。
典侍は、長女、三女、六女、次男、四男でいらっしゃる。
全部で、十二人の中で、おかしなのは、一人もいなくい、可愛らしく、それぞれ、大きくおなりになった。
内侍の生んだ、若様方の方が、器量もよく、生まれつきも、才能が見えて、皆、ご立派であった。
三女、次男は、東の御方、花散里で、特別に大事に、お育てになっている。院は、源氏は、いつもよく、御覧になるので、大変な可愛がりようである。
お二方のことは、上手にお話のしようがなく、とのこと・・・

つまり、夕霧は、雲居雁という、妻と、藤典侍という、愛人がいて、今、新たに、女二の宮と、結婚するということである。

話が突然のように、書き起きるので・・・
読者は、不案内になるが、読み続けてゆけば、次第に解る。

これで、夕霧の段を、終わる。

実に長い物語である。

posted by 天山 at 05:58| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月20日

もののあわれについて819

おとどかかる事を聞き給ひて、人わらはれなるやうにおぼし嘆く。致仕大臣「しばしはさても見給はで。おのづから思ふところ、ものせらるらむものを。女のかくひききりなるも、かへりては軽くおぼゆるわざなり。よし、かく言ひそめつとならば、何かは折れてふとしも帰り給ふ。おのづから人のけしき心ばへは見えなむ」と宣はせ、この宮に蔵人の少将の君を、御つかひにて奉り給ふ。

大臣
ちぎりあれや 君を心に とどめおきて あはれと思ふ うらめしと聞く

なほえ思しはなたじ」とある御文を、少将持ておはして、ただ入りに入り給ふ。




致仕の大臣は、この話をお耳になり、物笑いになったと、嘆かれる。
大臣は、しばらくの間は、そのまま様子を見ていられないで、自然考えるところが、おありだろう。女が、このように一本調子なのも、かえって、軽く思われることだ。いいさ。一旦、言い出したからには、何も頭を下げて、すぐに、お帰りになることはない。いずれ、相手の様子や考えが、わかるだろう。と、仰せられて、女二の宮の所に、蔵人の少将の君を、お使いとして、差し上げた。

大臣
前世からの約束が、あるのだろうか。あなたを忘れず、可哀想と思い、また恨めしいとも、聞きます。

矢張り、お忘れになれまい。と、書いてあるお手紙を、少将が、持っていらして、さっさと、邸にお入りになる。




南面のすのこにわらふださしいでて、人々もの聞えにくし。宮はましてわびしと思す。この君は、中にいとかたちよく、めやすきさまにて、のどやかに見まはして、いにしへを思ひいでたるけしきなり。少将「参りなれにたる心地して、うひうひしからぬに、さも御覧じ許さずやあらむ」などばかりぞかすめ給ふ。




南向きの縁側に、敷物を差し出して、女房たちは、物が申し上げにくい。宮様は、それ以上で、辛いと思いである。この若様は、兄弟中でも、特に器量がよく、難の無い態度で、ゆうゆうと、見回して、昔を思い出している様子である。少将は、いつも、伺わせていただいていた気持ちがいたしまして、久しぶりの感じもしませんが、そう、お認めいただけませんか。などという、程度に当てこすりを言う。




御返いと聞えにくくて、女二「われはさらにえ書くまじ」と宣へば、人々「御こころざしもへだて若々しきやうに、宣旨書はた聞えさすべきにやは」と、集まりて聞えさすれば、先づうち泣きて、「故上おはせましかば、いかに心づきなしと思しながらも、罪を隠い給はまし」と思ひいで給ふに、涙のみづくきにさきだつここちして、書きやり給はず。

女二
何故か 世に数ならぬ 身ひとつを 憂しとも思ひ 悲しともきく 

とのみ思しけるままに、書きもとぢめ給はぬやうにて、おしつつみて出し給うつ。




ご返事は、まことに申し上げにくくて、私は、とても書けそうに無い、と、おっしゃると、女房たちは、お気持ちも通らず、子どものように見えます。代筆で、申し上げてよいことでは、ございません。と、集まり、申し上げるので、何よりも先に、涙がこぼれて、亡きお母様がおいでならば、どんな嫌な子だと、思いになっても、私の罪を隠してくださることでしょう。と、思い出しされると、涙が筆より先に、走る気がして、お書きになれない。

女二
どういうわけで、一人前でもない私を、辛いとも思い、可哀想にとも、お聞きになるのでしょう。

とだけ、お心に浮かぶままに、書きかけのように、お書きになり、さっと包んで、外にお出しになった。




少将は、人々に物語して、「時々さぶらふに、かかる御簾の前は、たづきなき心地と侍るを、今よりはよすがあるここちして、常に参るべし。内外なども許されぬべき、年頃のしるしあらはれはベル心地なむし侍る」など、気色ばみおきて、いで給ひぬ。




少将は、女房たちを相手に、話をして、時々、お伺いしますのに、このように御簾の前では、頼りない気がします。これからは、ご縁がある気持ちで、しょっちゅうお伺いします。御簾の中も、御許しいただけそうな、長年の忠誠の結果が、現れます気がいたします。と、思わせぶりを見せ付けて、お立ちになった。



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2016年06月17日

もののあわれについて818

消息たびたび聞えて、迎へに奉れ給へど、御返だになし。かくかたくなしう軽々しの世やと、ものしうおぼえ給へど、大臣の見聞き給はむところもあれば、暮らしてみづから参り給へり。




夕霧は、何度も何度も、お手紙を差し上げて、迎えのお使いを、差し向けるが、返事さえない。
こんなわからずやで、身分に相応しくない人だったのかと、嫌な気分になるが、父の大臣が、見たり聞いたりすることもあるのでと、暮れるのを待って、ご自身で、お出でになった。




寝殿になむおはするとて、例の渡り給ふ方は、御達のみ候ふ。若君達ぞ、めのとに添ひておはしける。夕霧「今さらに若々しの御まじらひや。かかる人を、ここかしこにおとしおき給ひて、など寝殿の御まじらひは。ふさはしからぬ御心の筋とは、年ごろ見知りたれど、さるべきにや、昔より心に離れがたう思ひ聞えて、今はかくくだくだとき人の数々あはれなることを、かたみに見捨つべきにやはと、頼み聞えける。はかなき一筋に、かうはもてなし給ふべくや」と、いみじうあはめ恨み申し給へば、雲居雁「何事も今はと見あき給ひにける身なれば、今はたなほるべきにもあらぬを、何かはとて。あやしき人々は、思し捨てずはうれしうこそあらめ」と聞え給へり。
夕霧「なだらかの御いらへや。言ひもていけば、たが名か惜しき」とて、強ひて渡り給へともなくて、その夜は一人臥し給へり。




雲居雁が、寝殿にいらっしゃるということで、いつもおいでになる部屋には、女房だけがいる。若様方は、乳母について、おいでになる。
夕霧は、今ごろになって、若々しいご交際をなさることだ。こういう幼子をこちらに、放っておおきで、どうして、寝殿でご交際などされるのだ。自分に似合わないご性質とは、長年の間に、解っているが、こういう運命なのか。昔から、忘れられない方と思い、今となっては、このように、子どもが大勢いて、可愛そうなので、お互いに、見捨てるはずはないと、あてにしていたのだ。つまらないことで、このように、なさってよいものか。と、酷く叱り、恨みなさると、雲居雁は、何もかも、これが最後と、お捨てになった私なのですから、今となっては、帰るはずもありません。無理にはと思いまして。おかしな子ども達は、お忘れくださらなければ、嬉しく思います。と、申し上げる。
夕霧は、おとなしい返事ですね。煎じ詰めれば、お前が惜しいのだ。と言い、無理に帰りなさいとも、おっしゃらない。その夜は、一人でお休みになった。




あやしう中空なる頃かなと思ひつつ、君達を前に臥せ給ひて、かしこにまたいかに思し乱るらむさま、思ひやり聞え、安からぬ心づくしなれば、「いかなる人、かやうなる事をかしうおぼゆらむ」など、物ごりしぬべうおぼえ給ふ。




いやに、中途半端なこの頃だと思いつつ、子どもたちを前に寝かせて、女二宮では、また、どんな風に、煩悶しているだろうかと、それを想像し、いい加減な物思いではないので、どういう人が、恋愛沙汰を、面白く、楽しく思うのだろう。などと、こりごりした気持ちになる。




明けぬれば、夕霧「人の見聞かむも若々しきを、かぎりと宣ひはてば、さてこころみむ。かしこなる人々も、らうたげに恋ひ聞ゆめりしを、えり残し給へる、やうあらむとは見ながら、思ひ捨てがたきを、ともかくももてなし侍りなむ」と、おどし聞え給へば、すがすがしき御心にて、「この君達をさへや、知らぬところにいて渡し給はむ」と、あやふし。




夜が明けたので、夕霧は、誰が見聞きしても、若々しいと言おうし、これが最後だとおっしゃりきるなら、一つ、そうしてみよう。あちらの子ども達も、いじらしく恋い慕うようだが、選んで残されたのは、理由があってのことと、思うものの、構わずに、放っておくこともできないから、どういたしましょう、と、脅迫申し上げると、すっぱりとした性格なので、この子どもたちまでも、私の知らない女二宮へ、連れてお出でになるのかと、心配するのである。

夕霧と、雲居雁の、心境のやり取りである。




姫君を夕霧「いざ給へかし。見奉りに、かく参り来る事もはしたなければ、常にも参り来じ。かしこにも人々のらうたきを、同じ所にてだに、見奉らむ」と聞え給ふ。まだいといはけなく、をかしげにておはす。いとあはれと見奉り給ひて、夕霧「母君の御をしへになかなひ給うそ、いと心憂く、思ひとる方なき心あるは、いと悪しきわざなり」と、言ひ知らせ奉り給ふ。




姫君に、夕霧は、さあ、いらっしゃい。お目にかかりに、こうしてやってくるのも、恥ずかしいので、いつもは、参りません。三条でも、子ども達が可愛いゆえ、同じ場所で、せめて、お世話申そう。と、おっしゃる。姫君は、まだとても小さく、可愛らしくいらっしゃる。酷く可愛そうに思い、夕霧は、母上のお言葉に従っては、いけません。情けないことに、物分りがよくないのは、いけないことです。と、よく言い聞かせる。


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2016年06月16日

もののあわれについて817

かうのみしれがましうて、出で入らむもあやしければ、今日はとまりて、心のどかにおはす。かくさへひたぶるなるを、あさましと宮はおぼいて、いよいようとき御けしきのまさるを、をこがましき御心かなと、かつは辛きもののあはれなり。塗籠も、殊にこまかなる物多うもあらで、香の御唐櫃、御厨子などばかりあるは、こなたかなたにかきよせて、け近うしつらひてぞおはしける。内はくらき心地すれど、朝日さし出でたるけはひ漏り来るに、うづもれたる御衣ひきやり。いとうたて乱れたる御髪、かきやりなどして、ほの見奉り給ふ。いとあてに女しう、なまめいたるけはひし給へり。男の御さまは、うるはしだち給へる時よりも、うちとけてものし給ふは、限りもなう清げなり。故君の異なる事なかりしだに、心の限り思ひあがり、御かたちまほにおはせずと、事の折りに思へりしけしきを思しいづれば、ましてかういみじうおとろへにたる有様を、しばしにても見しのびなむや、と思ふも、いみじう恥づかし。とざまかうざまに思ひめぐらしつつ、わが御心をこしらへ給ふ。ただかたはらいたう、ここもかしこも、人の聞き思さむ事の罪、さらむ方なきに、折りさへいと心憂ければ、慰め難きなりけり。




いつも、このような馬鹿な格好で、出入りしても、変な話なので、今日は、泊って、落ち着いて座り込んで、いらっしゃる。
こんなにまでも、強気なのを、呆れる他はないと、宮様は、思う。益々、嫌がるご様子が、強くなるが、そういう宮を、馬鹿らしいお方だと、情けなく思うものの、また可愛そうにも思うである。
塗籠も、別にごたごたした物が、沢山あるわけではなく、香の御唐櫃、御厨子くらいがあるが、あちこちに片付けて、簡単に御座所を作っていらっしゃる。
中は暗い感じがするが、朝日の射し出た光が、何処かから入って来て、かぶっていらっしゃるお召し物を脱がせて、酷いこと乱れた御髪を、撫で繕い、ちらっと、御覧になる。まことに上品で、女らしく、お美しい感じの方である。
男、夕霧の様子は、きちんとしていらっしゃる時よりも、くつろいでいらっしゃるのは、この上なく、綺麗な姿だ。亡くなった殿様は、大したことがなかったのに、いい気にうぬぼれて、ご器量は十人並みではないと、何かに付けて思っていた様子を、思い出されると、それどころか、こんなに酷くやつれてしまった自分を、しばらくの間でも、我慢するだろうか、と思うのも、とても恥ずかしい。
あれこれと、色々考えて、気持ちを整える、女二の宮である。ひたすら、外聞が悪くて、この方、あの方、皆様、お耳にされて、思うであろう、その罪は、逃げようも無い上、この場が辛くて、たまらず、抑え切れないのである。




御手水粥など、例の御座の方に参れり。色ことなる御しつらひも、いまいましきやうなれば、東面は屏風をたてて、母屋の際に香染の御几帳など、ことごとしきやうに見えぬもの、沈の二階などやうのを立てて、心ばへありてしつらひたり。大和守のしわざなりけり。




御洗面やお食事など、いつもの通り、御座所のほうで、差し上げる。色の変わった飾りつけも、不吉なようなので、東座敷には、屏風を立てて、母屋のほうには、香染めの御几帳など立て、特に喪中らしくは見えない物、沈香の二階棚というものを立てて、気をつけて飾りつけがしてある。
これは、大和守がしたことである。




人々も、あざやかならぬ色の、山吹、掻練、濃き衣、青鈍などを着かへさせ、うす色の裳、青朽葉などを、とかく紛らはして、御台はまいる。女所にて、しどけなくよろづの事ならひたる宮のうちに、ありさま心とどめて、わづかなる下人をも言ひととのへ、この人一人のみあつかひ行ふ。書く覚えぬやむごとなきまらうどのおはすると聞きて、もと勤めざりける家司など、うちつけに参りて、政所などいふ方に候ひて営みけり。




女房連中も、華やかではない色の、山吹に、練絹と濃い紫、また、青鈍色などに着替えさせ、薄紫の裳に、青朽葉色などを、何かと目立たぬようにして、お食膳を差し上げた。
女主人の住家で、しまりなく、何もかもなっている御殿の中で、色々なことに気をつけて、わずかに残っている下男に教え、この大和の守一人だけが、お世話するのである。
こんな思いもかけない身分の高いお客がお出でであると聞いて、今までは来なかった家司なども、急に顔を出して、事務所という場所に控えて、仕事をするのである。




かくせめいも見なれ顔につくり給ふ程、三条殿、「かぎりなめり」と、「さしもやはとこそかつは頼みつれ。まめ人の心かはるは名残なくなむと聞きしはまことなりけり」と、世をこころみつるここちして、いかさまにして、このなめげなさを見じと思しければ、大殿へ、方違へむとて渡り給ひにけるを、女御の里におはする程などに、対面し給うて、少しもの思ひはるけどころに思されて、例のやうにも急ぎ渡り給はず。大将殿も聞き給ひて、「さればよ。いと急にものし給ふ本性なり。この大臣もはた、大人おとなしうのどめたるところさすがになく、いとひききりに花やい給へる人々にて、めざまし、見じ、聞かじなど、ひがひがしき事どもし出で給うつべき」と、驚かれ給うて、三条殿に渡り給へれば、君達もかたへはとまり給へれば、姫君たち、さてはいと幼きとをぞ率ておはしける。見つけて喜び睦れ、あるは上を恋ひ奉りて、うれへ泣き給ふを、心苦しとおぼす。




このように、無理やり、前々からの夫婦というお顔をしていらっしゃる頃、三条の奥方、雲居雁は、これが最後だ、と、まさかそんなことはと、信用もしていたが、真面目な人が、狂いはじめると別人になると、聞いていたのは、本当だったと、夫婦というものが、よく解った気がして、何とかして、この屈辱を見まいと、思うので、大臣家に、方違えということで、お出ましになった。が、女御がお里にお出での時でもあり、お目にかかって、少しは、思いが薄らぐことと思い、いつものように、すぐにお帰りにならない。
大将殿も、お聞きになって、思ったとおりだ。せっかちでいらっしゃる性質だ。この父、大臣の方も、ゆったりと落ち着いているところがなく、一本調子で、派手になさる方々だから、癪だ。見るものか、聞くものかなどと、困ったこともやりだすかもしれない。と、びっくりされて、三条邸にお出でになると、若様たちも、一部はお残りで、姫君と、ごく幼い人だけを連れてお出でになったのだ。見つけて、喜んで、じゃれまわる。あるいは、母上のことを恋い慕って、悲しがり、お泣きになるのを、可愛そうに、思いになるのだ。

雲居雁が、実家に戻っていた。
夕霧の、新しい相手に対する、嫉妬でもある。


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2016年06月15日

もののあわれについて816

かしこにはなほさし籠り給へるを、人々、「かくてのみやは、若々しうけしからぬ聞えも侍りぬべきを、例の御ありさまにて、あるべき事をこそ聞え給はめ」など、よろづに聞えければ、さもある事とは思しながら、今より後のよその聞えをも、わが御心の過ぎにし方をも、心づきなく、うらめしかりける人のゆかりと思し知りて、その夜も対面し給はず。夕霧「たはぶれにくくめづらかなり」と聞えつくし給ふ。人もいとほしいと見奉る。人々「いささかも人ごこちする折りあらむに、忘れ給はずは、ともかうも聞えむ。この御服の程は、一筋に思ひ乱るることなくてだに過ぐさむとなむ深く思し宣はするを、かくいとあやにくに、知らぬ人なくなりぬるを、なほいみじう辛きものに聞え給ふ」と聞ゆ。夕霧「思ふ心はまた異ざまに後安きものを、思はずなりける世かな」と、うち嘆きて、「例のやうにておはしまさば、物越などにても、思ふ事ばかり聞えて、御心破るべきにもあらず。あまたの年月をも過ぐしつべくなむ」など、つきもせず聞え給へど、女二「なほかかる乱れに添へて、わりなき御心なむいみじう辛き。人の聞き思はむ事もよろづになのめならざりける身の憂さをばさるものにて、ことさらに心憂き御心がまへなれ」と、また言ひ返し怨み給ひつつ、遥かにのみもてなし給へり。




あちらでは、今も鍵をかけて、入ったきりでいらっしゃるので、女房たちが、こんなふうでは、子どもっぽく、変だとの評判も立つでしょう。いつもの、御座所で、お考え申し上げなさいませ。などと、何かと、申し上げる。それは、そうだと思いになるが、今後の世間での評判も、ご自分のお気持ちの、今までのことをも、気に食わず恨めしく思う、大将のせいだと、考えるので、その夜も、お会いにならない。
夕霧は、冗談ではない。変わったお方だ。と、言葉を尽くして、申し上げる。女房も、お気の毒だと、拝見する。
女房たちは、少しなりとも、ご気分が普通のときに、あなた様の気持ちが変わらなければ、なんなりと、申し上げましょう。御喪のうちは、せめて、他の事で、頭を乱されることなく、過ごしたいと、強くおっしゃいます。困ったことに、知らない者は、なくなってしまったのを、矢張り、大変酷い方と、おっしゃっていらっしゃいます。と、申し上げる。
夕霧は、愛している気持ちは、世間と違い、ご安心下さってよいのに、思いもかけないことを、伺うものだ、と、嘆かれる。そして、普通のお体で、いらっしゃるなら、几帳越しでも、自分の気持ちだけは、申し上げて、お心を傷つけるようなことは、しない。何年でも、待ちましょう。などと、言葉を尽くしておっしゃるが、女二の宮は、矢張り、こういう喪中の心の乱れに加えて、酷く辛いと思います。無理をおっしゃるのが、辛いのです。世間の人が耳にして、思うことも、何もかも、一通りではないことですが、そのような我が身の情けは、しばらくおいて、無理な酷い、なさりようです。と、更に、反対もし、恨みにもなって、夕霧に対する、態度に変わりがない。扱いを変えないのである。




さりとてかくのみやは。人の聞き漏らさむこともことわり、と、はしたなう、ここの人目もおぼえ給へば、夕霧「内々の御心づかひは、この宣ふさまにかなひても、しばしは情ばまむ、世づかぬ有様のいとうたてあり。またかかりとて、ひき絶え参らずは、人の御名いかがはいとほしかるべき。ひとへに物をおぼして、幼げなるこそいとほしけれ」など、この人を責め給へば、げにと思ひ、見奉るも今は心苦しう、かたじけなうおぼゆるさまなれば、人かよはし給ふ塗籠の北の口より、入れ奉りてけり。いみじうあさましうつらしと、さぶらふ人をも、げにかかる世の人の心なれば、これよりまさる目をも見せつべかりけり、と、たのもしき人もなくなり果て給ひぬる御身を、かへすがへす悲しう思す。




そうかといって、こんなことでは、いられない。人が聞きつけ、噂になっても、当たり前と、決まり悪く、ここの人前も気になり、夕霧は、内々のなさりようは、こちらの、おっしゃるとおりにしてでも、当分は、我慢しよう。奇妙な様が、実に変だ。それに、こうだからとて、これっきり、参らなければ、宮様のご評判は、どれほどお気の毒なことか。一方的なお考えであり、幼すぎるのが、お気の毒だ。などと、小少将を責めると、それは、もっともだと小少将は思い、お顔を見ても、今では、心苦しく、もったいないとも思われる有様なので、召使を出入りさせ、塗籠の、北の口から、お入れ申し上げた。宮様は、酷く、情けない、むごい、と、仕える人々も、全くこんな世間なのだから、これ以上、酷い目にあわせるに違いないと、頼りにする方もなくなってしまった。その身の上を、かえすがえす、悲しく思うのである。

主語がないせいか、誰の心境かは、文の前後で、解釈する。




男はよろづに思し知るべきことわりを聞え知らせ、言の葉多う、あはれにもをかしうも聞えつくし給へど、つらく心づきなしとのみ思いたり。夕霧「いとかう言はむ方なき者に思ほされける身の程は、類なう恥づかしければ、あるまじき心のつきそめけむも、ここちなく悔しうおぼえ侍れど、とり返すものならぬ中に、何のたけき御名にかはあらむ。いふかひなくくく思し弱れ。思ふにかなはぬ時、身を投ぐる例もはべなるを、ただかかる心ざしを、深き淵になずらへたまて、捨てつる身と思しなせ」と聞え給ふ。単衣の御衣を御髪こめ引きくくみて、たけきこととは音を泣き給ふさまの、心深くいとほしければ、夕霧「いとうたて。いかなればいとかう思すらむ。いみじう思ふ人も、かばかりになりぬれば、おのづからゆるぶけしきもあるを、岩木よりけになびき難きは、契り遠うて、憎しなど思ふやうあなるを、さや思すらむ」と思ひよるに、あまりなれば心憂く、三条の君の思ひ給ふらむ事、古も何心もなうねあひ思ひかはしたりし世の事、年ごろ今はとうらなきさまにうち頼み、とけ給へるさまを思ひいづるも、わが心もて、いとあぢきなう思ひ続けらるれば、あながちにもこしらへ聞え給うはず、嘆き明かし給うつ。




男、夕霧は、色々と、納得されるように、道理をお話し、言葉多く、心を動かすようにも、笑い出してしまいそうにも、言い続けされるが、酷い人、嫌な人と、思いになるばかり。夕霧は、こんなにまでもお話して、嫌な奴と思われた私の身が、またとなく、恥ずかしいので、けしからん考えを起こしたのも、無作法と、後悔はいたしますが、後へ戻れない上に、どれほど、ご評判がなおりましょう。しょうがないと、諦めてください。思い通りにならない時は、入水する話もあるそうですが、ただ、これほどの私の愛情を、深い淵だと、お考えになり、捨てた身だという気になってください。と、申し上げる。
単衣のお着物を、御髪ごとかぶり、ただ、一つの方法としては、声を上げて、泣かれる。そのお姿が、慎み深く、いじらしいので、夕霧は、全く、困った。どうして、こんなにまで、思いなさるのか。強情を張っている人でも、こんなことになってしまえば、自然、弱くなる態度も見せるのに、木や石よりも、いっそう言う事を聞こうとしないのは、前世から縁が無くて、嫌がるのもあるというが、そんなお気持ちですか。という気持ちになると、あまりのことで、情けなく、三条の奥方の、今の気持ち、昔も、気苦労もなく、互いに愛し合う夫婦仲、長い間も、これで安心と信頼し、任せきって、いらっしゃる事を思い出されると、自分の気持ちで、こうなったのだと、つまらない気にもなる。宮の心を、しいてお慰め申すこともされず、溜息しつつ、夜を明かされた。

この場面は、夕霧が、宮と契ったということになる。


posted by 天山 at 06:40| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月14日

生きるに意味などない10

言語はなくても生きてゆくのに差し支えはないが、あった方が便利だからというような、ゆとりのある状況でつくられたものではないであろう。つまり、言語は、ある一定の錯誤にある一体の意味を付与することによって、その錯誤を共同化したものであり、いわば共同錯誤である。
しかし、言語の発明はそれほどむずかしいことだったとは思えない。現代の高度に分化し、抽象化された言語を考えれば、むずかしそうに見えるかもしれないが、未開時代の、熟知した環境において単純に生活を営む狭い集団のなかで特定の場面におかれた個人が表現したいことはかぎられており、せいぜい数十個の名詞や動詞があれば充分事が足りたであろう。そして、ご承知のように、単語というものは派生や転用や合成などによって次々と別の新しいものを表現できるようになるから、少数の単語で非常に多くのことをカヴァーすることができる。
岸田 改行、省略は私

言語は、ある一定の錯誤にある一体の意味を付与することによって、その錯誤を共同化したものであり、いわば共同錯誤である。
上記が、重要である。

共同誤差・・・

日常の生活で、使う言葉は、多くは無い。
更に、的確ではない言葉の、数々を使っている。

それでも、通じている。
その程度のことであって、いいのである。
しかし、意味付けという行為になると、それは、とんでもないことになる。

同じ言葉を使っても、意味が全く異なるという、状況に出くわすことが多々ある。
例えば、事実と、真実という、言葉である。

私は、事実があれば、真実という言葉は、必要ないと思っている。

もし、真実というものが、あるならば、それは、人それぞれの真実だろうと、考える。
しかし、人は、事実こそが、人それぞれであり、真実が、正しいことなのだと、考えるようである。

だが、どちらも、人それぞれなのである。

歴史的事実も、その解釈、歴史観により、異なる。
実際、正しいという言葉も、人それぞれである。

一番の良い例は、宗教を見ればよい。
神というならば、皆、同じ神というと、違う。

更には、一神教と、多神教である。
これも、様々である。

だから、誤差という意味が理解できる。
神という言葉は、誤差などというものではない。
全く、別物である。

しかし、岸田氏が書くように、誤差がありつつも、まだ、数少ない言語の場合は、救いがある。

今は、言葉の意味を、辞書で引いて理解する。
これが、勉強である。
そして、更に、その言葉の組み合わせで、学問が成り立つ。

頭が悪い私が、学問を学んでも、頭の良い人が、学問を学んでも同じ程度ではない。
明らかに、頭の悪い私が、理解したと思い込んで、解釈すると、誤る。

だが、本当に、誤りなのかと、考える。

単なる、受け取り方の問題であるかもしれない。
つまり、頭の悪い私の理解も、頭の良い人の理解も、それはそれで、正しい。

大きな誤差であるが・・・

更に、人間は、戦い、戦争をし続けてきた。
つまり、それは、話し合いが出来ないから、暴力ということになったのである。

共通の言語でも、話し合いが出来ないと、暴力になることもある。
悲劇である。

日本語に、心得違い、という言葉がある。
どうしても、心得違いが起こってしまう人がいる。
あるいは、よこしま、邪である。

それは、どうしようもないことである。
この、どうしようもないこと、を、どう乗り越えてゆくのか・・・

岸田氏の言う、誤差の問題よりも、深刻である。

暗黙の約束が集団においてできあがったとき、言語が成立した。
岸田

言語以前の時代、単なる、発声、叫び声が、次第に、言語として、受け入れられる経緯がある。
巫女・・・

私は、性行為の時の、叫び声に、最初の言語の芽が出たと、考えたことがある。

巫女の、叫び声も、そうである。
意味が無かった。

無意味な、発声、叫び声である。

ところで、今も、言葉を覚える前の、赤ん坊は、発生と、叫び声である。
言葉を覚えた、大人も、それと大して、変わらないかもしれないが・・・


posted by 天山 at 06:29| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月13日

生きるに意味などない9

人類の文化は、ずれてしまったイメージと現実との隔たりを何とかして縮めようとした努力の集積であると考えられる。その努力には二つの方向がある。一つは、現実をできるかぎりイメージに近づけようとする方向、もう一つはその逆で、イメージをできるかぎり現実に近づけようとする方向である。いずれにせよ、イメージと現実との隔たりを何とかしなければ、誤った地図に頼る登山家と同じように、人類は道に迷ってしまうであろう。
岸田

と、いうことで・・・
それは、我という、イメージにも言えるのである。

我という、意識と、そのイメージを、現実に合わせるのか、現実を、イメージに近づけるのか。

いずれにせよ、危うい行為である。

何とか、どちらかに方向を寄せて、間に合わせる程度のことしか、出来ないのが、事実である。

そんな中で、生きる意味・・・など、考えられるはずがない。

それ以前に、我という意識との、折り合いである。

そして、その我という意識が、幻想、妄想だとしたら・・・
終わっている。
終わっている意識の中を、生きる人間というもの。

辛うじて、生きている存在が、人間である。
勿論、何も考えることなく、無為自然で生きられれば、それでも、いい。

限りなく動物に近い存在として・・・

本能とその対象とが密着している動物の場合には、本能の表現形式、刺激と反応のパターンは一致している。
しかし、本能が対象から切り離されて欲望に変質し、まずイメージに向かうようになった人間の場合には、刺激と反応とのこの自然な結びつきは失われてしまった。
同じ対象に関して各個人が抱くイメージはおのおの独特の歪みを背負っており、無限に多種多様である。
そして、イメージを介さなければ対象へ向かうことができない欲望の表現形式も一定したものではなくなり、潜在的にはどのような形式も可能となった。
岸田 改行、省略は私

離婚の相談にのると、必ず、価値観の違いという問題が出てくる。
本当のところは、互いに、あるいは、一方が飽きているという状態なのだが・・・

問題を複雑にするために、価値観の違い、である。

価値観などというもの自体が、ウソなのだが・・・
価値観を持つことなど、大半の人は出来ないのである。

それは、単なる、好みの問題程度のこと。

それこそ、教育により、価値観らしきものを、得たと勘違いしているだけである。

同じ対象に関して各個人が抱くイメージはおのおの独特の歪みを背負っており、無限に多種多様である・・・
全く、その通りである。

人間は、同じ思いというものを、持つことが出来ないのである。
例えば、共感という心的状態は、単なる勘違いなのである。
勿論、それを商売にしている人たちがいるから、あまり言わないでおくが。

病人が、医者にかかって、治療なることをしているが・・・
大半が、勘違いである。
医者は、患者を、検査により、辛うじて、知ったと思って、投薬を決めているだけである。全く、違った病気でも、暗示効果によって、治るということも、多々ある。

この共感能力について、日本語では、もののあはれ、という、心象風景を言う言葉がある。とても、いい言葉である。
つまり、最初から、分からないということが、前提にある。

あはれ、の風景は、それぞれが違うという、前提である。

人間は、互いに、解る、ということの出来ない生き物である。
つまり、動物なのである。
しかし、大脳化ゆえに・・・

とんでもない、大事を抱えてしまった。

言語を発明する以前の人類(まだ人類と言えないかもしれないが)がどのような表現形式をもっていたかは知らないが、特定の本能、特定の行動には特定の発声が伴っていたであろう。この結びつきがこわれてしまい、発声は、それ自体、無意味な錯誤となった。このままでは人類は、第一に現実に適応できず、第二に他の個人とのコミュニケーションができない。この窮状を打開するために、苦しまぎれに言語が発明されたのであろう。
岸田

まことに、恐ろしい分析である。

実は、私は、発生のみか、言語でも、無意味な誤差となったと、思っている。

生きるに、意味があると、思わざるを得ない、人間の悲しい性である。

西洋文化は、語り尽くすという、文化である。
だから、トコトン彼らは、言語を駆使して、語り続ける。
実に、虚しい行為である。

しかし、頭脳を鍛えるために、語れないことでも、語ることだと、思い込む。
賢い馬鹿の多くが、それである。

そして、その行為こそが、人間の証明のように、思う。
勘違いである。

本当は、語らずとも、いいのである。
語れば語るほど、よく解らなくなるということを、知らない。
あるいは、狂う。


posted by 天山 at 06:44| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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