2016年05月26日

もののあわれについて812

集りて聞えこしらふるに、いとわりなく、あざやかなる御ぞども、人々の奉りかへさするも、われにもあらず、なほいとひたぶるにそぎ捨てまほしう思さるる御髪を、かき出でて見給へば、六尺ばかりにて、少し細りたれど、人に見ゆべき有様にもあらず。さまざまに心憂き身を」と思し続けて、臥し給ひぬ。「時たがひぬ。夜もふけぬべし」と皆騒ぐ。
時雨いと心あわただしう吹きまがひ、よろづに物悲しければ、

女二
のぼりにし 峰の煙に たちまじり 思はぬ方に なびかずもがな

心ひとつには強く思せど、その頃は、御はさみなどやうのものは皆とり隠して人々のまもり聞えければ、「かくもて騒がざらむにだに、何の惜しげある身にてかねをこがましう若々しきやうにはひき忍ばむ。人聞きもうたておずましかべきわざを」と思せば、その本意のごともし給はず。




皆が、寄って、おすかし申すので、とても困りきって、色目鮮やかなお召し物を、色々と人々が、お着せ替えさせるも、正気もない有様で、矢張り、本当に何としても、そぎ捨てたく思いになる、御髪を、掻き出して御覧になると、六尺ばかりあり、少し少なくなったが、人は、おかしいとも思わずにいる。ご自身のお心の中では、随分、衰えたこと。男の人と会えるような様子ではない。色々と、辛いこの身なのに、とお考え続けて、またまた横になってしまった。
時刻に遅れる。夜も更けてしまう。と、皆は、声を上げる。
時雨がとても心慌しく、風に吹かれて乱れ、何事も悲しいので、

女二
母君の昇ってゆかれた、あの峰の煙と一緒になり、願いもしない、方角に吹きやられたくない。

気だけは、強くもたれるが、その頃は、御はさみなどのようなものは、皆、取り隠して、一同が、警戒していたので、こんなに騒ぎまわらずにいても、何の惜しい身と思い、愚かしく、子どもっぽく、こそこそ隠れたりしよう。人が聞いても、実に、かたくななと思うことだろう、と、お考えなので、ご希望のままに、振舞うこともない。




人々は皆急ぎ立ちて、おのおの、櫛、手箱、唐櫃、よろづの物を、はかばかはからぬ袋やうの物なれど、皆さき立てて運びたれば、一人とまり給ふべうもあらで、泣く泣く御車に乗り給ふも、かたはらのみまもられ給て、こち渡り給うし時、御心地の苦しきにも、御髪かきなでつくろひ、おろし奉り給ひしを思しいづるに、目もきりていみじ。御はかしに添へて、経箱を添へたるが、御かたはらも離れねば、

女二
恋しさの 慰め難き 形見にて 涙にくもる 玉の箱かな

黒きもまだあへさせ給はず、かの手ならし給へりし螺鈿の箱なりけり。
誦経にせさせ給ひしを、形見にとどめ給へるなりけり。浦島の子が心地なむ。




女房たちは、皆、急いで、それぞれ、櫛、手箱、唐櫃など、あらゆる物を、つまらない袋のようなものでも、全部あらかじめ運んであるので、一人お残りになることも出来ず、泣く泣く、お車にお乗りになっても、お隣の席にばかり、目が行き、こちらへお出でになった時は、ご気分は悪いならがも、御髪を撫で繕い、車から降ろしてくださったのを、思い出しになると、目もかすみ、たまらい。お守り刀を横にし、経箱を横にしてあったが、お膝元も離れることがないので、

女二
恋しさの、慰め難くなるばかりの形見ゆえ、涙で曇ってしまう、玉の箱です。

黒塗りの箱も、まだ出来上がっていないので、御息所がいつも使っていらした、螺鈿の箱なのである。
お布施の料として、お作らせになったのだが、形見に残しておきなさったのだ。浦島の子の気がするのである。




おはしましつきたれば、殿のうち悲しげもなく、人気多くて、あらぬ様なり。御車寄せており給ふを、さらに古里と覚えず。うとましううたて思さるれば、とみにもおり給はず。いとあやしう若々しき御様かなと、人々も見奉りわづらふ。殿は東の対の南面を、わが御方をかりしつらひて、住みつき顔におはす。




お着きになったところ、御殿の中は、悲しい感じもなく、人気が多く、まるで違った雰囲気である。車を寄せて、降りられるが、まるで今までの住家とも、思われない。気味悪く、ぞっとするので、すぐには、降りられない。おかしな、子どもっぽいことだと、女房たちも、お世話に困っている。殿様は、東の対の南座敷を、ご自分のお部屋として、臨時に準備され、住み着いた雰囲気である。

殿様とは、夕霧である。




三条殿には、人々「にはかにあさましうもなり給ひぬるかな。いつの程にありし事ぞ」と、おどろきけり。「なよらかにをかしばめる事を、好ましからず思す人は、かくゆくりかなる事ぞうち交り給うける。されど年へにける事を、音なくけしきも漏らさで過ぐし給うけるなり」とのみ思ひなして、かく女の御心ゆるい給はぬと思ひよる人もなし。とてもかうても、宮の御為にぞいとほしげなる。




三条の邸では、女房たちが、急なことで、びっくりするではありませんか。いつの間に、できたのか、と、驚いている。女相手に、遊ぶ事が、お好きではない方は、こういうように、急なことがあるものだ。だけれど、何年も前から、あったことを、人に聞かれず、内情を知らさないで、年月を、お過ごしになったのだ、と、解釈して、このように、女が、御許しではないのだと、考え付く人もなかった。
どちらにしても、宮様には、お気の毒なことである。




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2016年05月27日

もののあわれについて813

御まうけなどさま変はりて、物のはじめゆゆしげなれど、もの参らせなど皆しづまりぬるに、渡り給て、少将の君をいみじう責め給ふ。小少将「御こころざしまことに長う思されば、今日明日を過ぐして聞えさせ給へ。なかなか立ち返りて物思し沈みて、なき人のやうにてなむ臥せさせ給ひぬる。こしらへ聞えけるをも、つらしとのみ思されたれば、何事も身のためこそ侍れ。いとわづらはしう聞えさせにくくなむ」といふ。夕霧「いとあやしう、おしはかり聞えさせしには違ひて、いはけなく心えがたき御心にこそありけれ」とて、思ひよれる様、人の御為も、わが為にも、世のもどきあるまじう宣ひ続くれば、小少将「いでや、ただ今は、またいたづら人に見なし奉るべきにやと、あわただしき乱り心地に、よろづ思給へわかれず。あが君、とかくおしたちて、ひたぶるなる御心なつかはせ給ひそ」と手をする。夕霧「いとまだ知らぬ世かな。憎くめざましと、人よりけに思し落すらむ
身こそいみじけれ。いかで人にもことわらせむ」といはむ方もなしと思して宣へば、さすがにいとほしうもあり。小少将「まだ知らぬは、げに世づかぬ御心がまへのけにこそはと、ことわりはげに、いづかたにかは寄る人侍らむとすらむ」と、少しうち笑ひぬ。




ご準備なども、普通と違い、新婚としては、縁起が悪いが、お食事を差し上げたりし、一同、落ち着いたところへ、大将がお出でになって、少将の君を、酷く責められる。
小少将は、お心持ちが、本当に長くと思いならば、一両日を過ごしてから、お話なさることにして下さいませ。かえって、お帰りになってから、お悲しみにお沈みで、死んだ人のように、横になっておられます。取り成し申し上げても、酷いと思いになるばかりで、何事も、自分のためでございますと、何とも困って申し上げにくいのです。と、申す。
夕霧は、実に変で、予想とは違い、子どもじみて、解らないお方なのだ。と言い、お考えになった結婚は、あちら様のためにも、自分のためにも、世間の非難はないはずと、おっしゃり続けると、小少将は、いえもう、このところ、宮様まで、亡くなってしまうのではないかと、落ち着かない気持ちで、何かとも、判断がつかないのです。お願いでございます。何かと準備して、きついやり方は、なさらないでください。と、手を合わせて拝む。夕霧は、何とも初めての話だ。憎く嫌な奴と、誰よりも軽蔑していらっしゃるらしい。この当の私が、たまらない。どうぞ、誰かに判断してもらいたい。と、言いようもないと、思うのである。と、矢張り、小少将は気の毒に思い、初めてとのお言葉、まことに、世間を知らないお考えのせいと。道理は、仰せの通り、どちら様も、御もっともと申す者が、ございますことでしょうか。と、少し笑う。

何とも、手間隙のかかる、宮様、女二の宮である。




かく心ごはけれど、今はせかれ給ふべきならねば、やがてこの人をひきたてて、おしはかりに入り給ふ。宮はいと心憂く、なさけなくあはつけき人の心なりけりと、ねたくつらければ、若々しきやうには言ひ騒ぐとも、と思して、ぬりごめに御座ひとつ敷かせ給て、内より鎖して大殿籠りにけり。これもいつまでにかは、かばかりに乱れ立ちにたる人の心どもは、いと悲しう口惜しう思す。男君は、めざましうつらしと思ひ聞え給へど、「かばかりにては、何のもてはなるる事かは」と、のどかに思して、よろづに思ひあかし給ふ。山鳥の心地ぞし給うける。からうじて明け方になりぬ。かくてのみ、ことといへば、ひたおもてなべければ、いで給ふとて、「ただいささかの隙をだに」と、いみじう聞え給へど、いとつれなし。

夕霧
恨みわび 胸あき難き 冬の夜に またさしまさる 関のいはかど

聞えむ方なき御心なりけり」と、泣く泣くいで給ふ。




このように、強情なのだが、今となっては、それに負けていられることではないので、そのまま、小少将を引き立てて、当て推量で、お入りになる。宮様は、嫌でたまらず、思いやりなく、軽々しい人だことと、癪に障り、酷いと思うので、娘らしく、子どもっぽいと、何を言われても、構わないと思い、塗籠に敷物を一つ敷かせて、中から錠を下ろして、お休みになった。
こういうことも、いつまでのことだろうと、これほど、浮き足立っている女房の気持ちは、悲しく、残念だと、思うのである。男君、夕霧は、呆れたひどいと、思うが、これくらいのことで、どうして、諦めるものかと、急がない気持ちで、何やかにやと思い続けて、一夜を明かされた。
山鳥の気持ちがなさったことだ。やっとのことで、夜明け方になった。こういうことでは、する事といえば、にらみ合いになりそうなので、お出になろうとして、せめて、ほんの少しでも、と、しきりに申し上げるが、手応えもない。

夕霧
恨みは、慰めようもなく、辛い思いに、気持ちも晴れず、明けにくい冬の夜。その上、錠までなさる、関所の岩の門です。

申し上げようもない、お方です。と、泣きながら、お出になる。




六条の院にぞおはして、やすらひ給ふ。東の上、「一条の宮渡し奉り給へる事と、かの大殿わたりなどに聞ゆる。いかなる御事にかは」と、いとおほどかに宣ふ。御几帳そへたれど、そばよりほのかにはなほ見え奉り給ふ。夕霧「さやうにも、なほ人の言ひなしつべき事に侍り。故御息所は、いと心強うあるまじき様に言ひ放ち給うしかど、かぎりのさまに御心地の弱りけるに、また見ゆつるべき人のなきや悲しかりけむ、なからむ後の後見にとやうなる事の侍りしかば、もとよりのこころざしも侍りし事にて、かくおも給へなりぬるを、さまざまにいかに人あつかえひ侍らむかし。さしもあるまじきをも、怪しう人こそものいひさがなきものにあれ」と、うち笑ひつつ、夕霧「かの正身なむ、なほ世に経じと深う思ひたちて、尼になりなむと思ひむすぼほれ給ふめれば、なにかは、こなちかなたに聞き憎くも侍べきを、さやうに嫌疑はなれても、またかの遺言は違へじと思ひ給へて、ただかく言ひあつかひ侍るなり。院の渡らせ給へらむにも、事のついで侍らば、かやうにまねび聞えさせ給へ。ありありて心づきなき心遣ふと、思し宣はむをはばかり侍りつれど、げにかやうの筋にてこそ、人のいさめをも、みづからの心にも従はぬやうに侍りけれ」としのびやかに聞え給ふ。




六条の院にいらして、ご休憩になる。
東の上、花散里は、一条の宮へ、お移り申し上げたとのこと。あちらの太政大臣あたりでは、お噂しておりますが、どういうことでしょう。と、ごくおっとりと、おっしゃる。御几帳は、置いてあるが、端から、ちらちらと、今もお顔を見せられる。
夕霧は、そのように、矢張り、世間は、取り沙汰しそうな成り行きです。亡き御息所は、とても、お気が強く、絶対に許さないと、はっきりおっしゃっておりましたが、臨終の頃で、お気持ちが弱られたところに、私以外に、後の世話を任せる人がいないのが、悲しかったのか、死んだ後の世話を、というようなことを、おっしゃりましたものですから。もともと、気持ちもあったことで、その気になりましたのですが、色々と、世間は、どのように取り沙汰するでしょう。何でもないことでも、奇妙に世間はお喋りですから。と、軽く笑って、あのご本人は、もう普通の生活はしまいと、堅く決心して、尼になろうと、煩悶されているようなので、大変です。あちらこちらで、聞きづらい、噂が立つことでしょう。そんな疑いがなくなってからでも、改めて、あの遺言を守ろうと思いまして。ただこのように、お世話しております。六条の院が、おいであそばした時は、よい折がございましたら、このように、私の申したことを、申し上げてください。今頃になって、感心しない料簡を起こしたと、思いになるかもしれません。それが気になります。全く、女の道にかけては、誰の忠告にも従えず、自分の思うままにも、ならないものです。と、声を低くして、申し上げる。


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2016年05月30日

もののあわれについて814

花散里「人のいつはりにやと思ひ侍りつるを、まことにさるやうある御けしきにこそは、みな世の常のことなれど、三条の姫君の思さむ事こそいとほしけれ。のどやかならひ給うて」と聞え給へば、夕霧「らうたげにも宣はせなす姫君かな。いと鬼しう侍るさがなものを」とて、「などてかそれをもおろかにはもてなし侍らむ。かしこけれど、御ありさまどもにても、おしはからせ給へ。なだらかならむのみこそ、人はつひの事には侍めれ。さがなくことがましきも、しばしはなまむつかしう、わづらはしきやうにはばからるる事あれど、それにしも従ひ果つまじきわざなれば、事の乱れ出で来ぬる後、われも人も憎げにあきたしや。なほ南の御殿の御心もちいこそ、さまざまにありがたう、さてはこの御方の御心などこそは、めでたきものには見奉りはて侍りぬれ」など、誉め聞え給へば、笑ひ給ひて、花散里「物のためしに引き出で給ふ程に、身の人わろき覚えこそあらはれぬべう。さてをかしき事は、院の、みづからの御癖をば人知らぬやうに、いささかあだあだしき御心づかひをば、大事とおぼいて、いましめ申し給ふ、後言にも聞え給ふめるこそ、さかしだつ人の、おのがうへ知らぬやうにおぼえ侍れ」と宣へば、夕霧「さなむ。常にこの道をしもいましめ仰せらるる、さるはかしこき御をしへならでも、いとよくをさめて侍る心を」とて、げにをかしと思ひ給へり。




花散里は、誰かの、ウソなのかと、思っていましたが、本当に、そういうわけのある、ご事情だったのですね。皆、世間にいくらでもあることですが、三条の姫君のご心配が、お気の毒です。無事平穏に慣れていらして、と、申し上げる。
夕霧は、可愛らしいみたいに、おっしゃって下さる、姫君ですね。まるで、鬼みたいでございます。やかましいことを。と、おっしゃり、どうして、それを粗末に扱ったりいたしましょう。恐れ多いことですが、あなた方のことでも、ご推察ください。穏やかなのが、人間としては、結局、良いことでございます。やかましくて、仰々しいのも、しばらくは、煩くて面倒だと、遠慮するこひともありますが、最後まで、言うとおりになっているわけでもなく、ごたごたが起こった後は、お互いに、憎らしくて、嫌ですね。矢張り、南の上のなさり方が、あれこれにつけて、お見事で、それ以上では、あなた様のお気持ちが、結構だと、考えることになりました。などと、誉められると、笑いになって、
花散里は、何かの例にお引きくださるので、我が身の、聞くに堪えない評判が、はっきりしてしまいそうです。それにしても、面白いことは、院は、ご自分の女癖を、誰も知らない様子で、ちょっと女に心を動かされると、大変に思いで、お叱りになったり、蔭でも、お噂なさるのは、利口ぶる人が、自分のことは、知らないでいるという、感じがします。と、おっしゃる。
夕霧は、左様でございます。いつも、女のことでは、お叱りを受けます。実のところ、わざわざ教えいただかなくても、充分に気をつけております、私ですが。と、本当に、おかしいと、思うのである。




御前に参り給へれば、かの事は聞こし召したれど、何かは聞き顔にもと思いて、ただうちまもり給へるに、いとめでたく清らに、この頃こそねびまさり給へる御さかりなめれ。さるさまのすきごとをし給ふとも、人のもどくべきさまもしたまはず、鬼神も罪許しつべく、あざやかにもの清げに、若うさかりににほひを散らし給へり。物思ひ知らぬ若人の程にはたおはせず、かたほなるところなうねび整ほり給へる、ことわりぞかし、女にてなどかめでざらむ、鏡を見てもなどかおごらざらむ、と、わが御子ながらも思す。




夕霧が、源氏の御前に、参ると、この事件は、お耳に遊ばしていらっしゃるが、何も知ったふりをするには、及ばないと思い、ただ顔をじっと、御覧になると、とても立派で、綺麗で、今の年頃が、男盛りであろう。そういうふうな、浮気をされても、誰も悪く言える姿ではあらず、鬼神も、罪を許すに決まっているほど、飛びぬけて、綺麗な感じで、若くて、今を盛りに、溌剌としていられる。分別のつかない若者というのでもないし、何処から何処まで、成長して、完全である。無理もないことだ。女であれば、どうして立派だと、思われないでいられよう。顔を見ても、どうして自信を持たないであろうかと、自分の子ながらも、思うのである。





日たけて殿には渡り給へり。入り給ふより、若君たちすぎすぎうつくしげにて、まつはれ遊び給ふ。女君は帳の内に臥し給へり。入り給へれど目も見合させ給はず。つらきにこそはあめれ、と見給ふもことわりなれど、はばかり顔にももてなし給はず。御ぞを引きやり給へれば、雲居雁「いづことておはしつるぞ。まろは早う死にき。常に鬼と宣へば、同じくはなり果てなむとて」と宣ふ。夕霧「御心こそ鬼よりけにもおはすれ、様は憎げもなければ、えうとみ果つまじ」と何心もなう言ひなし給ふも、心やましうて、雲居雁「めでたきさまになまめい給へらむあたりに、ありあふべき身にもあらねば、いづちもちもうせなむとす。なほかくだにな思しいでそ。あいなく年ごろを経けるだに、くやしきものを」とて、起き上がり給へるさまは、いみじう愛敬づきて、にほひやかにうち赤み給へる顔、いとをかしげなり。




日が高くなってから、邸にお帰りになった。入りになる途端に、若君たちが、次々可愛らしい姿で、まつわりついて、お遊びになる。女君は、御帳台の中で、横になっていらっしゃる。お入りになったが、こちらの顔を、見ようともしない。酷いと思っているのだろうと、御覧になる。それも、無理のないことだが、遠慮する態度ではなく、お召し物を引っ張りなさると、雲居雁は、どこだと、思いになって、お出でになったの。私は、とっくに、死にました。いつも、鬼とおっしゃるから、同じことなら、成りきってしまおうと思い。と、おっしゃる。
夕霧は、お心は、鬼以上でしょう。見たところは、憎らしくもないから、とても、嫌にはなりきれない。と、何とも、思わない言葉にも、癪に障るようで、雲居雁は、結構なお姿で、じゃらじゃらしていらっしゃるお傍に、長くいられるような私ではありません。何処でも構わず、行ってしまおうと思います。私のことを、思い出さないでください。いつの間にやら、何年も過ごしたことさえ、癪でたまらないのに。と、おっしゃり、起き上がる姿は、とても可愛らしくて、生き生きとして、赤みを差している顔つきは、とても美しいのである。



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2016年05月31日

もののあわれについて815

夕霧「かく心をさなげに腹立ちなし給へればにや、目なれて、この鬼こそ今は恐ろしくもあらずなりにたれ。かうがうしき気を添へばや」と、たはぶれに言ひなし給へど、雲居雁「何事言ふぞ。おいらかに死に給ひね。まろも死なむ。見れば憎し、聞けば愛敬なし、見捨てて死なむはうしろめたし」と宣ふに、いとをかしきさまのみまされば、こまやかに笑ひて、夕霧「近くてこそ見給はざらめ、よそにはなにか聞き給はざらむ。さても契り深かなる瀬を知らせむの御心ななり。にはかにうち続くべかなる冥途のいそぎは、さこそは契り聞えしか」と、いとつれなく言ひて、何くれとこしらへ聞え慰めたまへば、いと若やかに心うつくしう、らうたき心はたおはする人なれば、なほざり事とは見給ひながら、おのづからなごみつつものし給ふを、いとあはれと思すものから、心は空にて、「かれもいとわが心をたてて、強うものものしき人のけはひには見え給はねど、もしなほ本意ならぬことにて、尼になども思ひなり給ひなば、をこがましうもあべいかな」と思ふに、しばしはとだえ置くまじう。あわただしきここちして、暮れ行くままに、「今日も御返りだに無きよ」と思して、心にかかりて、いみじうながめをし給ふ。
昨日今日つゆも参らざりけるもの、いささか参りなどしておはす。




夕霧は、このように幼く怒りになるからか、見慣れてしまって、この鬼は、今では怖くもなくなった。神々しい感じが欲しい。と、冗談を言うが、雲居雁は、なんてことを言うのです。おとなしく死んでしまいなさい。私も死にます。見ると憎いし、声を聞くと、嫌だし、先に死ぬのは、気になるし、と、おっしゃる。
夕霧は、益々、愛らしさが勝る一方、心から笑って、傍で御覧にならないにしても、離れていて、どうしても、噂をお聞きにならずに済むだろうから。それでは、深い約束の、三途の川を知らせようというお気持ちなんですね。すぐ後追いして死ぬはずの、あの世への旅立ちは、そういう約束だったから、と、平気で言って、何やかにやと、辻褄を合わせて、慰めになると、若々しく、心が綺麗で、可愛らしい性質があるので、口先だけのこととは、思い思いになりながらも、いつしか、和らいでいらっしゃるのを、可愛そうにと、思うが、心は、上の空で、あちらも、酷く我を張って、強くきっぱりとしている性質とは、見えないが、万一、矢張り望みと違うことだからと、出家などという気持ちになったら、笑いものになのだろう。と、思うと、当分は、途絶えを置かないようにしょうと、ゆっくりしていられない気持ちがして、日が暮れてゆくにつれ、今日も、お返事さえ来ないと、思いで、気になり、酷く物思いに耽るのである。
女君は、昨日も、今日も、召し上がらなかったお食事を、少しばかり、召し上がっている。




夕霧「昔より、御為に心ざしのおろかならざりしさま、大臣の辛くもてなし給うしに、世の中のしれがましき名をとりしかど、堪へがたきを念じて、ここかしこすすみ気色ばみしあたりを、あまた聞き過ぐしし有様は、女だにさしもあらじとなむ、人ももどきし。いま思ふにも、いかでかはさありけむと、わが心ながら、いなしへだに重かりけりと思ひ知らるるを、今はかく憎み給ふとも、思し捨つまじき人々、いとところせきまで数添ふめれば、御心ひとつにもて離れ給ふべくもあらず。また、よし見給へや。命こそ定めなき世なれ」とて、うち泣き給ふ事もあり。




夕霧は、昔から、あなたへの、私の愛情が、並大抵のものではなかったことは、大臣が酷いお扱いをされたので、世間から、馬鹿な男という評判を受けたけれど、こらえられない所を、我慢して、あちこちから、進んで娘をやろうとの申し出があったのを、幾つも聞き流してきたのは、女でも、あのようなものではないだろうと、誰も、笑ったものだ。今考えても、どうして、あのようであったのかと、自分の事ながら、若い時でも、慎重だったとわかるが、今になって、こんなに、憎むとなったところで、放り出す訳には行かない、子供たちが、そこらじゅう、いっぱいになるほど、増えたのだから、お気持ち一つで、出て行かれることではないはず。それに、よく御覧よ。寿命というものは、不定な人の世なのだ、と、涙を流したりなさる。




女も昔の事を思ひいで給ふに、あはれにもありがたかりし御中の、「さすがに契り深かりけるかな」と思ひいで給ふ。なよびたる御衣ども脱い給うて、心ことなるを取り重ねて、焚き染め給ひ、めでたうつくろひけさうじて出で給ふを、火影に見出して、しのびがたく涙のいでくれば、脱ぎとめ給へる単衣の袖をひきよせ給ひて、

雲居雁
ななる身を 恨むるよりは 松島の あまの衣に たちやかへまし

なほうつし人にては、え過ぐすまじかりけり」と、ひとりごとに宣ふをね立ち止まりて、夕霧「さも心憂き御心かな。

松島の あまのぬれぎぬ なれぬとて ぬぎかへつてふ 名をたためやは

うちいそぎて、いとなほなほしや。




女も、雲居雁も、昔の事を思い出し、あはれにも、またとない二人の間は、何と言っても、約束が深いのだと、思い出すのである。柔らかくなったお召し物を、お脱ぎになって、立派なものを、何枚も着て、香を焚き染め、見事に手入れして整え、お出になるのを、ともし火の光で見送り、こらえきれず、涙が出てくるので、お脱ぎになった、単衣の袖を、引き寄せて、

雲居雁
長い間一緒にいて、捨てられる我が身を恨んだりするよりは、いっそ、尼衣に着替えてしまおうか。

矢張り、今のままでは、生きてゆけそうにもない。と、独り言をおっしゃるのを、立ち止まり、夕霧は、なんて酷いことを、おっしゃるのだ。

長い間、一緒にいたからとて、脱ぎ替えたという、噂は、立たないほうがいいでしょう。

大急ぎなので、ごく単純な歌である。

歌の解釈は、文の前後より、理解する。
その文の、内容に沿って、理解する。

あはれにもありがたかりし御中の・・・
この、あはれ、は、心の状態である。
深くありがたいと、思った・・・

posted by 天山 at 04:53| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月15日

もののあわれについて816

かしこにはなほさし籠り給へるを、人々、「かくてのみやは、若々しうけしからぬ聞えも侍りぬべきを、例の御ありさまにて、あるべき事をこそ聞え給はめ」など、よろづに聞えければ、さもある事とは思しながら、今より後のよその聞えをも、わが御心の過ぎにし方をも、心づきなく、うらめしかりける人のゆかりと思し知りて、その夜も対面し給はず。夕霧「たはぶれにくくめづらかなり」と聞えつくし給ふ。人もいとほしいと見奉る。人々「いささかも人ごこちする折りあらむに、忘れ給はずは、ともかうも聞えむ。この御服の程は、一筋に思ひ乱るることなくてだに過ぐさむとなむ深く思し宣はするを、かくいとあやにくに、知らぬ人なくなりぬるを、なほいみじう辛きものに聞え給ふ」と聞ゆ。夕霧「思ふ心はまた異ざまに後安きものを、思はずなりける世かな」と、うち嘆きて、「例のやうにておはしまさば、物越などにても、思ふ事ばかり聞えて、御心破るべきにもあらず。あまたの年月をも過ぐしつべくなむ」など、つきもせず聞え給へど、女二「なほかかる乱れに添へて、わりなき御心なむいみじう辛き。人の聞き思はむ事もよろづになのめならざりける身の憂さをばさるものにて、ことさらに心憂き御心がまへなれ」と、また言ひ返し怨み給ひつつ、遥かにのみもてなし給へり。




あちらでは、今も鍵をかけて、入ったきりでいらっしゃるので、女房たちが、こんなふうでは、子どもっぽく、変だとの評判も立つでしょう。いつもの、御座所で、お考え申し上げなさいませ。などと、何かと、申し上げる。それは、そうだと思いになるが、今後の世間での評判も、ご自分のお気持ちの、今までのことをも、気に食わず恨めしく思う、大将のせいだと、考えるので、その夜も、お会いにならない。
夕霧は、冗談ではない。変わったお方だ。と、言葉を尽くして、申し上げる。女房も、お気の毒だと、拝見する。
女房たちは、少しなりとも、ご気分が普通のときに、あなた様の気持ちが変わらなければ、なんなりと、申し上げましょう。御喪のうちは、せめて、他の事で、頭を乱されることなく、過ごしたいと、強くおっしゃいます。困ったことに、知らない者は、なくなってしまったのを、矢張り、大変酷い方と、おっしゃっていらっしゃいます。と、申し上げる。
夕霧は、愛している気持ちは、世間と違い、ご安心下さってよいのに、思いもかけないことを、伺うものだ、と、嘆かれる。そして、普通のお体で、いらっしゃるなら、几帳越しでも、自分の気持ちだけは、申し上げて、お心を傷つけるようなことは、しない。何年でも、待ちましょう。などと、言葉を尽くしておっしゃるが、女二の宮は、矢張り、こういう喪中の心の乱れに加えて、酷く辛いと思います。無理をおっしゃるのが、辛いのです。世間の人が耳にして、思うことも、何もかも、一通りではないことですが、そのような我が身の情けは、しばらくおいて、無理な酷い、なさりようです。と、更に、反対もし、恨みにもなって、夕霧に対する、態度に変わりがない。扱いを変えないのである。




さりとてかくのみやは。人の聞き漏らさむこともことわり、と、はしたなう、ここの人目もおぼえ給へば、夕霧「内々の御心づかひは、この宣ふさまにかなひても、しばしは情ばまむ、世づかぬ有様のいとうたてあり。またかかりとて、ひき絶え参らずは、人の御名いかがはいとほしかるべき。ひとへに物をおぼして、幼げなるこそいとほしけれ」など、この人を責め給へば、げにと思ひ、見奉るも今は心苦しう、かたじけなうおぼゆるさまなれば、人かよはし給ふ塗籠の北の口より、入れ奉りてけり。いみじうあさましうつらしと、さぶらふ人をも、げにかかる世の人の心なれば、これよりまさる目をも見せつべかりけり、と、たのもしき人もなくなり果て給ひぬる御身を、かへすがへす悲しう思す。




そうかといって、こんなことでは、いられない。人が聞きつけ、噂になっても、当たり前と、決まり悪く、ここの人前も気になり、夕霧は、内々のなさりようは、こちらの、おっしゃるとおりにしてでも、当分は、我慢しよう。奇妙な様が、実に変だ。それに、こうだからとて、これっきり、参らなければ、宮様のご評判は、どれほどお気の毒なことか。一方的なお考えであり、幼すぎるのが、お気の毒だ。などと、小少将を責めると、それは、もっともだと小少将は思い、お顔を見ても、今では、心苦しく、もったいないとも思われる有様なので、召使を出入りさせ、塗籠の、北の口から、お入れ申し上げた。宮様は、酷く、情けない、むごい、と、仕える人々も、全くこんな世間なのだから、これ以上、酷い目にあわせるに違いないと、頼りにする方もなくなってしまった。その身の上を、かえすがえす、悲しく思うのである。

主語がないせいか、誰の心境かは、文の前後で、解釈する。




男はよろづに思し知るべきことわりを聞え知らせ、言の葉多う、あはれにもをかしうも聞えつくし給へど、つらく心づきなしとのみ思いたり。夕霧「いとかう言はむ方なき者に思ほされける身の程は、類なう恥づかしければ、あるまじき心のつきそめけむも、ここちなく悔しうおぼえ侍れど、とり返すものならぬ中に、何のたけき御名にかはあらむ。いふかひなくくく思し弱れ。思ふにかなはぬ時、身を投ぐる例もはべなるを、ただかかる心ざしを、深き淵になずらへたまて、捨てつる身と思しなせ」と聞え給ふ。単衣の御衣を御髪こめ引きくくみて、たけきこととは音を泣き給ふさまの、心深くいとほしければ、夕霧「いとうたて。いかなればいとかう思すらむ。いみじう思ふ人も、かばかりになりぬれば、おのづからゆるぶけしきもあるを、岩木よりけになびき難きは、契り遠うて、憎しなど思ふやうあなるを、さや思すらむ」と思ひよるに、あまりなれば心憂く、三条の君の思ひ給ふらむ事、古も何心もなうねあひ思ひかはしたりし世の事、年ごろ今はとうらなきさまにうち頼み、とけ給へるさまを思ひいづるも、わが心もて、いとあぢきなう思ひ続けらるれば、あながちにもこしらへ聞え給うはず、嘆き明かし給うつ。




男、夕霧は、色々と、納得されるように、道理をお話し、言葉多く、心を動かすようにも、笑い出してしまいそうにも、言い続けされるが、酷い人、嫌な人と、思いになるばかり。夕霧は、こんなにまでもお話して、嫌な奴と思われた私の身が、またとなく、恥ずかしいので、けしからん考えを起こしたのも、無作法と、後悔はいたしますが、後へ戻れない上に、どれほど、ご評判がなおりましょう。しょうがないと、諦めてください。思い通りにならない時は、入水する話もあるそうですが、ただ、これほどの私の愛情を、深い淵だと、お考えになり、捨てた身だという気になってください。と、申し上げる。
単衣のお着物を、御髪ごとかぶり、ただ、一つの方法としては、声を上げて、泣かれる。そのお姿が、慎み深く、いじらしいので、夕霧は、全く、困った。どうして、こんなにまで、思いなさるのか。強情を張っている人でも、こんなことになってしまえば、自然、弱くなる態度も見せるのに、木や石よりも、いっそう言う事を聞こうとしないのは、前世から縁が無くて、嫌がるのもあるというが、そんなお気持ちですか。という気持ちになると、あまりのことで、情けなく、三条の奥方の、今の気持ち、昔も、気苦労もなく、互いに愛し合う夫婦仲、長い間も、これで安心と信頼し、任せきって、いらっしゃる事を思い出されると、自分の気持ちで、こうなったのだと、つまらない気にもなる。宮の心を、しいてお慰め申すこともされず、溜息しつつ、夜を明かされた。

この場面は、夕霧が、宮と契ったということになる。


posted by 天山 at 06:40| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月16日

もののあわれについて817

かうのみしれがましうて、出で入らむもあやしければ、今日はとまりて、心のどかにおはす。かくさへひたぶるなるを、あさましと宮はおぼいて、いよいようとき御けしきのまさるを、をこがましき御心かなと、かつは辛きもののあはれなり。塗籠も、殊にこまかなる物多うもあらで、香の御唐櫃、御厨子などばかりあるは、こなたかなたにかきよせて、け近うしつらひてぞおはしける。内はくらき心地すれど、朝日さし出でたるけはひ漏り来るに、うづもれたる御衣ひきやり。いとうたて乱れたる御髪、かきやりなどして、ほの見奉り給ふ。いとあてに女しう、なまめいたるけはひし給へり。男の御さまは、うるはしだち給へる時よりも、うちとけてものし給ふは、限りもなう清げなり。故君の異なる事なかりしだに、心の限り思ひあがり、御かたちまほにおはせずと、事の折りに思へりしけしきを思しいづれば、ましてかういみじうおとろへにたる有様を、しばしにても見しのびなむや、と思ふも、いみじう恥づかし。とざまかうざまに思ひめぐらしつつ、わが御心をこしらへ給ふ。ただかたはらいたう、ここもかしこも、人の聞き思さむ事の罪、さらむ方なきに、折りさへいと心憂ければ、慰め難きなりけり。




いつも、このような馬鹿な格好で、出入りしても、変な話なので、今日は、泊って、落ち着いて座り込んで、いらっしゃる。
こんなにまでも、強気なのを、呆れる他はないと、宮様は、思う。益々、嫌がるご様子が、強くなるが、そういう宮を、馬鹿らしいお方だと、情けなく思うものの、また可愛そうにも思うである。
塗籠も、別にごたごたした物が、沢山あるわけではなく、香の御唐櫃、御厨子くらいがあるが、あちこちに片付けて、簡単に御座所を作っていらっしゃる。
中は暗い感じがするが、朝日の射し出た光が、何処かから入って来て、かぶっていらっしゃるお召し物を脱がせて、酷いこと乱れた御髪を、撫で繕い、ちらっと、御覧になる。まことに上品で、女らしく、お美しい感じの方である。
男、夕霧の様子は、きちんとしていらっしゃる時よりも、くつろいでいらっしゃるのは、この上なく、綺麗な姿だ。亡くなった殿様は、大したことがなかったのに、いい気にうぬぼれて、ご器量は十人並みではないと、何かに付けて思っていた様子を、思い出されると、それどころか、こんなに酷くやつれてしまった自分を、しばらくの間でも、我慢するだろうか、と思うのも、とても恥ずかしい。
あれこれと、色々考えて、気持ちを整える、女二の宮である。ひたすら、外聞が悪くて、この方、あの方、皆様、お耳にされて、思うであろう、その罪は、逃げようも無い上、この場が辛くて、たまらず、抑え切れないのである。




御手水粥など、例の御座の方に参れり。色ことなる御しつらひも、いまいましきやうなれば、東面は屏風をたてて、母屋の際に香染の御几帳など、ことごとしきやうに見えぬもの、沈の二階などやうのを立てて、心ばへありてしつらひたり。大和守のしわざなりけり。




御洗面やお食事など、いつもの通り、御座所のほうで、差し上げる。色の変わった飾りつけも、不吉なようなので、東座敷には、屏風を立てて、母屋のほうには、香染めの御几帳など立て、特に喪中らしくは見えない物、沈香の二階棚というものを立てて、気をつけて飾りつけがしてある。
これは、大和守がしたことである。




人々も、あざやかならぬ色の、山吹、掻練、濃き衣、青鈍などを着かへさせ、うす色の裳、青朽葉などを、とかく紛らはして、御台はまいる。女所にて、しどけなくよろづの事ならひたる宮のうちに、ありさま心とどめて、わづかなる下人をも言ひととのへ、この人一人のみあつかひ行ふ。書く覚えぬやむごとなきまらうどのおはすると聞きて、もと勤めざりける家司など、うちつけに参りて、政所などいふ方に候ひて営みけり。




女房連中も、華やかではない色の、山吹に、練絹と濃い紫、また、青鈍色などに着替えさせ、薄紫の裳に、青朽葉色などを、何かと目立たぬようにして、お食膳を差し上げた。
女主人の住家で、しまりなく、何もかもなっている御殿の中で、色々なことに気をつけて、わずかに残っている下男に教え、この大和の守一人だけが、お世話するのである。
こんな思いもかけない身分の高いお客がお出でであると聞いて、今までは来なかった家司なども、急に顔を出して、事務所という場所に控えて、仕事をするのである。




かくせめいも見なれ顔につくり給ふ程、三条殿、「かぎりなめり」と、「さしもやはとこそかつは頼みつれ。まめ人の心かはるは名残なくなむと聞きしはまことなりけり」と、世をこころみつるここちして、いかさまにして、このなめげなさを見じと思しければ、大殿へ、方違へむとて渡り給ひにけるを、女御の里におはする程などに、対面し給うて、少しもの思ひはるけどころに思されて、例のやうにも急ぎ渡り給はず。大将殿も聞き給ひて、「さればよ。いと急にものし給ふ本性なり。この大臣もはた、大人おとなしうのどめたるところさすがになく、いとひききりに花やい給へる人々にて、めざまし、見じ、聞かじなど、ひがひがしき事どもし出で給うつべき」と、驚かれ給うて、三条殿に渡り給へれば、君達もかたへはとまり給へれば、姫君たち、さてはいと幼きとをぞ率ておはしける。見つけて喜び睦れ、あるは上を恋ひ奉りて、うれへ泣き給ふを、心苦しとおぼす。




このように、無理やり、前々からの夫婦というお顔をしていらっしゃる頃、三条の奥方、雲居雁は、これが最後だ、と、まさかそんなことはと、信用もしていたが、真面目な人が、狂いはじめると別人になると、聞いていたのは、本当だったと、夫婦というものが、よく解った気がして、何とかして、この屈辱を見まいと、思うので、大臣家に、方違えということで、お出ましになった。が、女御がお里にお出での時でもあり、お目にかかって、少しは、思いが薄らぐことと思い、いつものように、すぐにお帰りにならない。
大将殿も、お聞きになって、思ったとおりだ。せっかちでいらっしゃる性質だ。この父、大臣の方も、ゆったりと落ち着いているところがなく、一本調子で、派手になさる方々だから、癪だ。見るものか、聞くものかなどと、困ったこともやりだすかもしれない。と、びっくりされて、三条邸にお出でになると、若様たちも、一部はお残りで、姫君と、ごく幼い人だけを連れてお出でになったのだ。見つけて、喜んで、じゃれまわる。あるいは、母上のことを恋い慕って、悲しがり、お泣きになるのを、可愛そうに、思いになるのだ。

雲居雁が、実家に戻っていた。
夕霧の、新しい相手に対する、嫉妬でもある。


posted by 天山 at 06:17| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月17日

もののあわれについて818

消息たびたび聞えて、迎へに奉れ給へど、御返だになし。かくかたくなしう軽々しの世やと、ものしうおぼえ給へど、大臣の見聞き給はむところもあれば、暮らしてみづから参り給へり。




夕霧は、何度も何度も、お手紙を差し上げて、迎えのお使いを、差し向けるが、返事さえない。
こんなわからずやで、身分に相応しくない人だったのかと、嫌な気分になるが、父の大臣が、見たり聞いたりすることもあるのでと、暮れるのを待って、ご自身で、お出でになった。




寝殿になむおはするとて、例の渡り給ふ方は、御達のみ候ふ。若君達ぞ、めのとに添ひておはしける。夕霧「今さらに若々しの御まじらひや。かかる人を、ここかしこにおとしおき給ひて、など寝殿の御まじらひは。ふさはしからぬ御心の筋とは、年ごろ見知りたれど、さるべきにや、昔より心に離れがたう思ひ聞えて、今はかくくだくだとき人の数々あはれなることを、かたみに見捨つべきにやはと、頼み聞えける。はかなき一筋に、かうはもてなし給ふべくや」と、いみじうあはめ恨み申し給へば、雲居雁「何事も今はと見あき給ひにける身なれば、今はたなほるべきにもあらぬを、何かはとて。あやしき人々は、思し捨てずはうれしうこそあらめ」と聞え給へり。
夕霧「なだらかの御いらへや。言ひもていけば、たが名か惜しき」とて、強ひて渡り給へともなくて、その夜は一人臥し給へり。




雲居雁が、寝殿にいらっしゃるということで、いつもおいでになる部屋には、女房だけがいる。若様方は、乳母について、おいでになる。
夕霧は、今ごろになって、若々しいご交際をなさることだ。こういう幼子をこちらに、放っておおきで、どうして、寝殿でご交際などされるのだ。自分に似合わないご性質とは、長年の間に、解っているが、こういう運命なのか。昔から、忘れられない方と思い、今となっては、このように、子どもが大勢いて、可愛そうなので、お互いに、見捨てるはずはないと、あてにしていたのだ。つまらないことで、このように、なさってよいものか。と、酷く叱り、恨みなさると、雲居雁は、何もかも、これが最後と、お捨てになった私なのですから、今となっては、帰るはずもありません。無理にはと思いまして。おかしな子ども達は、お忘れくださらなければ、嬉しく思います。と、申し上げる。
夕霧は、おとなしい返事ですね。煎じ詰めれば、お前が惜しいのだ。と言い、無理に帰りなさいとも、おっしゃらない。その夜は、一人でお休みになった。




あやしう中空なる頃かなと思ひつつ、君達を前に臥せ給ひて、かしこにまたいかに思し乱るらむさま、思ひやり聞え、安からぬ心づくしなれば、「いかなる人、かやうなる事をかしうおぼゆらむ」など、物ごりしぬべうおぼえ給ふ。




いやに、中途半端なこの頃だと思いつつ、子どもたちを前に寝かせて、女二宮では、また、どんな風に、煩悶しているだろうかと、それを想像し、いい加減な物思いではないので、どういう人が、恋愛沙汰を、面白く、楽しく思うのだろう。などと、こりごりした気持ちになる。




明けぬれば、夕霧「人の見聞かむも若々しきを、かぎりと宣ひはてば、さてこころみむ。かしこなる人々も、らうたげに恋ひ聞ゆめりしを、えり残し給へる、やうあらむとは見ながら、思ひ捨てがたきを、ともかくももてなし侍りなむ」と、おどし聞え給へば、すがすがしき御心にて、「この君達をさへや、知らぬところにいて渡し給はむ」と、あやふし。




夜が明けたので、夕霧は、誰が見聞きしても、若々しいと言おうし、これが最後だとおっしゃりきるなら、一つ、そうしてみよう。あちらの子ども達も、いじらしく恋い慕うようだが、選んで残されたのは、理由があってのことと、思うものの、構わずに、放っておくこともできないから、どういたしましょう、と、脅迫申し上げると、すっぱりとした性格なので、この子どもたちまでも、私の知らない女二宮へ、連れてお出でになるのかと、心配するのである。

夕霧と、雲居雁の、心境のやり取りである。




姫君を夕霧「いざ給へかし。見奉りに、かく参り来る事もはしたなければ、常にも参り来じ。かしこにも人々のらうたきを、同じ所にてだに、見奉らむ」と聞え給ふ。まだいといはけなく、をかしげにておはす。いとあはれと見奉り給ひて、夕霧「母君の御をしへになかなひ給うそ、いと心憂く、思ひとる方なき心あるは、いと悪しきわざなり」と、言ひ知らせ奉り給ふ。




姫君に、夕霧は、さあ、いらっしゃい。お目にかかりに、こうしてやってくるのも、恥ずかしいので、いつもは、参りません。三条でも、子ども達が可愛いゆえ、同じ場所で、せめて、お世話申そう。と、おっしゃる。姫君は、まだとても小さく、可愛らしくいらっしゃる。酷く可愛そうに思い、夕霧は、母上のお言葉に従っては、いけません。情けないことに、物分りがよくないのは、いけないことです。と、よく言い聞かせる。


posted by 天山 at 05:33| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月20日

もののあわれについて819

おとどかかる事を聞き給ひて、人わらはれなるやうにおぼし嘆く。致仕大臣「しばしはさても見給はで。おのづから思ふところ、ものせらるらむものを。女のかくひききりなるも、かへりては軽くおぼゆるわざなり。よし、かく言ひそめつとならば、何かは折れてふとしも帰り給ふ。おのづから人のけしき心ばへは見えなむ」と宣はせ、この宮に蔵人の少将の君を、御つかひにて奉り給ふ。

大臣
ちぎりあれや 君を心に とどめおきて あはれと思ふ うらめしと聞く

なほえ思しはなたじ」とある御文を、少将持ておはして、ただ入りに入り給ふ。




致仕の大臣は、この話をお耳になり、物笑いになったと、嘆かれる。
大臣は、しばらくの間は、そのまま様子を見ていられないで、自然考えるところが、おありだろう。女が、このように一本調子なのも、かえって、軽く思われることだ。いいさ。一旦、言い出したからには、何も頭を下げて、すぐに、お帰りになることはない。いずれ、相手の様子や考えが、わかるだろう。と、仰せられて、女二の宮の所に、蔵人の少将の君を、お使いとして、差し上げた。

大臣
前世からの約束が、あるのだろうか。あなたを忘れず、可哀想と思い、また恨めしいとも、聞きます。

矢張り、お忘れになれまい。と、書いてあるお手紙を、少将が、持っていらして、さっさと、邸にお入りになる。




南面のすのこにわらふださしいでて、人々もの聞えにくし。宮はましてわびしと思す。この君は、中にいとかたちよく、めやすきさまにて、のどやかに見まはして、いにしへを思ひいでたるけしきなり。少将「参りなれにたる心地して、うひうひしからぬに、さも御覧じ許さずやあらむ」などばかりぞかすめ給ふ。




南向きの縁側に、敷物を差し出して、女房たちは、物が申し上げにくい。宮様は、それ以上で、辛いと思いである。この若様は、兄弟中でも、特に器量がよく、難の無い態度で、ゆうゆうと、見回して、昔を思い出している様子である。少将は、いつも、伺わせていただいていた気持ちがいたしまして、久しぶりの感じもしませんが、そう、お認めいただけませんか。などという、程度に当てこすりを言う。




御返いと聞えにくくて、女二「われはさらにえ書くまじ」と宣へば、人々「御こころざしもへだて若々しきやうに、宣旨書はた聞えさすべきにやは」と、集まりて聞えさすれば、先づうち泣きて、「故上おはせましかば、いかに心づきなしと思しながらも、罪を隠い給はまし」と思ひいで給ふに、涙のみづくきにさきだつここちして、書きやり給はず。

女二
何故か 世に数ならぬ 身ひとつを 憂しとも思ひ 悲しともきく 

とのみ思しけるままに、書きもとぢめ給はぬやうにて、おしつつみて出し給うつ。




ご返事は、まことに申し上げにくくて、私は、とても書けそうに無い、と、おっしゃると、女房たちは、お気持ちも通らず、子どものように見えます。代筆で、申し上げてよいことでは、ございません。と、集まり、申し上げるので、何よりも先に、涙がこぼれて、亡きお母様がおいでならば、どんな嫌な子だと、思いになっても、私の罪を隠してくださることでしょう。と、思い出しされると、涙が筆より先に、走る気がして、お書きになれない。

女二
どういうわけで、一人前でもない私を、辛いとも思い、可哀想にとも、お聞きになるのでしょう。

とだけ、お心に浮かぶままに、書きかけのように、お書きになり、さっと包んで、外にお出しになった。




少将は、人々に物語して、「時々さぶらふに、かかる御簾の前は、たづきなき心地と侍るを、今よりはよすがあるここちして、常に参るべし。内外なども許されぬべき、年頃のしるしあらはれはベル心地なむし侍る」など、気色ばみおきて、いで給ひぬ。




少将は、女房たちを相手に、話をして、時々、お伺いしますのに、このように御簾の前では、頼りない気がします。これからは、ご縁がある気持ちで、しょっちゅうお伺いします。御簾の中も、御許しいただけそうな、長年の忠誠の結果が、現れます気がいたします。と、思わせぶりを見せ付けて、お立ちになった。



posted by 天山 at 06:14| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月21日

もののあわれについて820

いとどしく心よからぬ御けしき、あくがれ惑ひ給ふ程、大殿の君は、日ごろ経るままに、おぼし嘆くこと繁し。典侍かかる事を聞くに、われを世とともに許さぬものに宣ふなるに、かくなあづりにくき事も出で来にけるを、と思ひて、文などは時々奉れば、聞えたり。

典侍
数ならば 身にしられまし 世のうさを 人の為にも ぬらす袖かな

なまけやしとは見給へど、物のあはれなる程のつれづれに、かれもいとただにはおぼえじ、とおぼすかたごころぞつきにける。

雲居雁
人の世の 憂きを哀れと 見しかども 身に代へむとは 思はざりしを

とのみあるを、思しけるまま、とあはれに見る。




いっそう、斜めの御機嫌に、大将は、うろうろしていらっしゃる。その一方で、大臣家の御方は、日数が経つにつれて、悲観することは、しばしばである。藤典侍は、この事件を耳にして、自分のことを始終許さぬと、おっしゃっていると聞くが、こんな、放っておくわけにはいかない事件も起こり、と、考えて、手紙などは、時々、差し上げるので、申し上げた。

藤典侍
人並みの者でしたら、私にも、わかりますことでしょう。結婚の苦しみを、私は、わかりませんので、あなたのために、涙を流します。

当て付けのよう、と、思うが、あわれに悲観して、時間を持て余してると、典侍も、平気でいるわけではないだろう、と、思う気持ちも、少し起こる。

雲居雁
他の人の、夫婦仲の辛さを、可哀想と思ったことはありますが、同情しても泣くとは、思いませんでした。

とだけ書いたものを、心に浮かんだままだと、あわれに可哀想に思うのである。







この昔中絶の程には、この内侍のみこそ、人知れぬものに思ひとめ給へりしか。ことあらためて後は、いとたまさかに、つれなくなりまさり給うつつ、さすがに君達はあまたになりにけり。この御腹には、太郎君、三郎君、五郎君、六郎君、中の君、四の君、五の君とおはす。内侍は大きみ、三の君、六の君、二郎君、四郎君とぞおはしける。すべて十二人が中に、かたほなるなく、いとをかしげに、とりどりに生ひ出でたまける。内侍腹の君達しもなむ、容貌をかしう、心ばせかどありて、皆すぐれたりける。三の君、二郎君は東の御殿にぞ、とりわきてかしづき奉り給ふ。院も見なれ給うて、いとらうたくし給ふ。この御中らひのこと、言ひやる方なくとぞ。




昔、二人の仲が、遠ざけられていた時は、この内侍だけを、秘密の愛人としていらしたが、事情が変わってからは、ほんの時々で、冷たくなるばかりだった。それでも、お子様方は、大勢になっておられた。
雲居雁のお生みになったのは、長男、三男、五男、六男、二女、四女、五女と、いらした。
典侍は、長女、三女、六女、次男、四男でいらっしゃる。
全部で、十二人の中で、おかしなのは、一人もいなくい、可愛らしく、それぞれ、大きくおなりになった。
内侍の生んだ、若様方の方が、器量もよく、生まれつきも、才能が見えて、皆、ご立派であった。
三女、次男は、東の御方、花散里で、特別に大事に、お育てになっている。院は、源氏は、いつもよく、御覧になるので、大変な可愛がりようである。
お二方のことは、上手にお話のしようがなく、とのこと・・・

つまり、夕霧は、雲居雁という、妻と、藤典侍という、愛人がいて、今、新たに、女二の宮と、結婚するということである。

話が突然のように、書き起きるので・・・
読者は、不案内になるが、読み続けてゆけば、次第に解る。

これで、夕霧の段を、終わる。

実に長い物語である。

posted by 天山 at 05:58| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月07日

もののあわれについて821

御法 みのり

紫の上いたうわづらひ給ひし御心地ののち、いとあつくなり給ひて、そこはかとなく悩みわたり給ふこと久しくなりぬ。いとおどろおどろしうはあらねど、年月かさなれば、たのもしげなく、いとどあえかになりまさり給へるを、院の思ほし嘆くこと限りなし。しばしにてもおくれ聞え給はむことをば、いみじかるべく思し、みづからの御心地には、この世にあかぬことなく、うしろめたきほだしにまじらぬ御身なれば、あながちにかけとどめまほしき御命とも思ほされぬを、年頃の御契かけ離れ、思ひ嘆かせ奉らむことのみぞ、人知れぬ御心の中にも、ものあはれに思されける。のちの世のためにと、尊き事どもを多くさせ給ひつつ、いかでなほ、本意あるさまになりて、しばしもかかづらはむ命のほどは、行ひを紛れなくと、たゆみなく思し宣へど、さらに許し聞え給はず。




紫の上は、大変な病気をなさってからは、酷く、病弱におなりになって、どこということもなく、優れないご容態が、ずっと続けている。特に、重症ということではないが、長い年月になるので、望みなさそうに、益々弱々しくなられているので、院、源氏のご心痛は、この上もない。
暫くの間でも、後に残ることを、堪え難く思いであり、ご自身は、この世の栄華を見尽くした気になる、御子たちさえない身の上ゆえ、しいて、この世に生き続けたい寿命とも、思わないのである。だが、長年のお約束を違えて、お嘆きをおかけ申すことになるのだけが、人知れぬ胸の内にも、お悲しみを誘うのである。
後の世のためと、仏事を、様々にお営みになりながらも、何とかして、矢張り出家の本意を遂げたいと、少しでも続く命の限りは、勤行一途に暮らしたいと、始終お考えであり、仰せもなさるが、院は、どうしても、お許しにならないのである。




さるは、わが御心にも、しか思しそめたる筋なれば、かくねんごろに思ひ給へるついでに催されて、同じ道にも入りなむと思せど、ひとたび家を出で給ひなば、かりにもこの世をかへりみむとは思し掟てず。のちの世には、同じはちすの座をも分けむと、契りかはし聞え給ひて、たのみをかけ給ふ御中なれど、ここながらつとめ給はむほどは、同じ山なりとも峰を隔てて、あひ見奉らぬ住みかにかけ離れなむ事をのみ思しまうけたるに、かくいとたのもしげなきさまに悩みあつい給へば、いと心苦しき御ありさまを、今はと往き離れむきざみには捨てがたく、なかなか山水の住みか濁りぬべく、思しとどこほるほどに、ただうちあさえたる、思ひのまま道心おこす人々には、こよなう後れ給ひぬべかめり。




それというのも、院ご自身の、お心にも出家は、ご決心されていることなので、こう熱心にいられるのを機会に、同じ修行の道に入ろうとも、思いになるのだが、一旦、家を出て、仏門に入る以上、仮にも、この世に思いを残すことがあってはならないと、かねての覚悟なのである。
あの世では、一つの蓮の座を分かとうと、お約束なさり、それを頼みにしていらっしゃる、御仲ではあるが、この世での、修行の間は、同じ山にお入りになるにせよ、峰を隔てて、顔も見られぬ住まいに、別々に、住むものと考えるので、かように、頼りないご様子で、病の床に、臥していられると、この気の毒なお姿を、いよいよ、世を逃れて、家を出ようという場合には、捨てにくくて、かえって、清い山水の住まいが、濁るであろうと、ためらっておいでのうちに、ほんの浅い考えで、思うままに、道心を起こす人々に比べて、随分と立ち遅れてしまうことである。




御許しなくて、心ひとつに思し立たむも、さま悪しく本意なきやうなれば、この事によりてぞ、女君は恨めしく思ひ聞え給ひける。わが御身をも、罪軽かまじきにや、と、うしろめたく思されけり。




御許しなく、ご一存で、思い立ちになるのも、体裁が悪く、不本意のようでもあるので、この一事により、女君は、源氏を恨めしく思うのである。そして、ご自分をも、罪障が軽くないのではないかと、気がかりに、思うのである。




年ごろわたくしの御殿にて、書かせ奉り給ひける法花経千部、いそぎて供養じ給ふ。わが御殿と思す二条の院にてぞし給ひける。七僧の法服などしなじな賜はす。物の色縫目りはじめて、清らなること限りなし。おほかた何事も、いといかめしきわざどもをせられたり。ことごとしきさまにも聞え給はざりければ、くはしき事どもも知らせ給はざりけるに、女の御おきてにてはいたり深く、仏の道にさへ通ひ給ひける御心のほどなどを、院はいとかぎりなしと見奉り給ひて、ただおほかたの御しつらひ、何かの事ばかりをなむ、営ませ給ひける。




長年の、発願で、お書かせになった、法花経千部を、急いで供養される。
ご自分の御殿と思う、二条の院で、なさった。七僧の法服など、それぞれに相応しく、お与えになる。その色合い、仕立て方をはじめとして、美しいことは、言いようもない。誰が見ても、万事たいそう厳かに仏事をされたのである。
大げさなようには、申し上げならなかったので、院、源氏は、詳しいことは、ご存知ではなかったが、女の指図としては、行き届いており、仏道にさえ通じていられる、お心のほどを、源氏は、どこまでも、出来たお方と、感じになり、ほんの少しの、飾りつけや、何かのことだけを、お世話なさった。





posted by 天山 at 05:23| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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