2016年04月13日

もののあわれについて802

大輔の乳母、いと苦しと聞きて、物も聞えず。とかく言ひしろひて、この御ふみは引き隠し給ひつれば、せめてもあさり取らで、つれなくおほとのごもりぬれば、駒走りて、「いかで取りてしがな」と、「御息所の御ふみなめり。何事ありつらむ」と目も合はず、思ひ臥し給へり。女君の寝給へるに、よべの御座の下など、さりげなくさぐり給へど、なし。隠し給へらむ程もなければ、いと心やましくて、明けぬれど、とみにも起き給はず。女君は君だちにおどろかされて、いざり出で給ふにぞ、われも今起き給ふやうにて、よろづにうかがひ給へど、え見つけ給はず。女は、かく求めむとも思ひ給へらぬをぞ、「げに懸想なき御ふみなりけり」と心にも入れねば、君だちのあわて遊びあひて、雛つくりひろひすえて遊び給ふ、ふみ読み手習ひなど、さまざまにいとあわただし。小さきちご這ひかかり引きしろへば、取りしふみの事も思ひいで給はず。男はこと事も覚え給はず、かしこにとく聞えむと思すに、よべの御ふみのさまも、え確かに見ずなりにしかば、見ぬさまならむも、散らしてけるとおしはかり給ふべし、など思ひ乱れ給ふ。




大輔の乳母は、辛いことと、聞いていて、何も申し上げることはない。あれこれと言って、このお手紙は、隠して、おしまいになったので、強いて、探し出さず、何食わぬ顔で、お休みになったので、気が気ではなく、何とか、取り返したいと思い、御息所のお手紙らしい。何事かあったのかと、目も合わず、考え考えて、横になっていらっしゃる。
女君が寝られたので、昨夜の御座の下などを、何気ない振りで、お探しになったが、ない。お隠しになるような暇もなく、とても気になって、夜は明けたが、すぐには、起き上がらない。女君は、お子たちに起こされて、にじり出たところに、自分も、今起きたような振りをして、何かと探りになるが、見つけることが出来ない。
女は、このように捜そうと思っていないので、本当に色恋ではない手紙だったのだと、気にもとめないで、お子たちが騒いで、遊びあい、雛を作り手にとって座らせて、遊ばれる。本を読んだり、手習いしたりなど、あれこれと、慌しい。
小さな子が、這い回り、着物を引っ張るので、取った手紙のことも、思い出さない。
男は、夕霧は、他の事は、心に入らず、あちらに早く、手紙を差し上げようと考えるのだが、昨夜のお手紙の内容も、はっきりと、見ることが出来ないままになってしまい、見ていない風の返事をしたりしても、無くしたのだと、思われるだろう、など、思い乱れるのである。




誰も誰も御台まいりなどして、のどかになりぬる昼つかた、思ひわづらひて、夕霧「よべの御ふみは何事かありし。あやしう見せ給はで。けふもとぶらひ聞ゆべし。悩ましうて、六条にもえ参るまじければ、ふみをこそは奉らめ。何事かありけむ」と宣ふが、いとさりげなければ、ふみはをこがましう取りてけり、とすさまじうて、その事をばかけ給はず、雲居雁「一夜のみ山風にあやまり給へるなやましさななりと、をかしきやうにかこち聞え給へかし」と聞え給ふ。夕霧「いで、このひが事な常に宣ひそ。なんのをかしきやうかある。世人になづらへ給ふこそ、なかなか恥づかしけれ。この女房たちも、かつは、あやしきまめざまをかく宣ふと、ほほえむらむものを」と、たはぶれごとに言ひなして、夕霧「そのふみよ。いづら」と宣へど、とみにも引き出で給はぬ程に、なほ物語など聞えて、しばし臥し給へる程に、暮れにけり。




どなたも、食事を召し上がったりして、一息ついた、昼頃、困りきって、夕霧は、昨夜のお手紙は、何が書いてあったのだ。けしからんことに、お見せにならない。今日も、お見舞い申さなければならない。気分が悪くて、六条にも参上できないから、手紙だけは、差し上げよう。何事が書いてあったのか。と、おっしゃるが、とても、何気ない様子で、手紙は、愚かなことに、取ってしまったと、味気なくなり、そのことには触れず、雲居雁は、先夜の、深山風に、調子を悪くなさっての、病気なんですと、風流な書きぶりで、言い訳申し上げなさいませ。と、申し上げる。
夕霧は、いや、そんなことはよくない、冗談は、あまりおっしゃるな。なんの風流なところがあるものか。世間の人と一緒になさるのは、かえって、はた迷惑です。この女房たちも、内心では、不思議なほどの、堅物ぶりを、こんなにおっしゃると、笑っているだろう。と、冗談にしてしまい、夕霧は、あの手紙は、どこなのだ、と、おっしゃるが、すぐにも、取り出さないままに、またお話などして、しばらく、臥しているうちに、日が暮れてしまった。




ひぐらしの声におどろきて、「山の陰いかに霧ぬたがりぬらむ。あさましや。けふこの御返事をだに」と、いとほしうて、ただ知らず顔に硯おしすりて、「いかになしてしにかとりなさむ」と、ながめおはする、おましの奥の、少しあがりたる所を、こころみに引き上げ給へれば、「これにさしはさみ給へるなりけり」と、うれしうもをこがましうも覚ゆるに、うちえみて見給ふに、かう心苦しき事なむありける。駒つぶれて、「一夜の事を、心ありて聞き給うける」と思すに、いとほしう心苦し。




ひぐらしの声に、目が覚めて、小野山の麓では、どんなに霧がかかって、駒もいっぱいなことだろう。しまったことをした。今日、あの御返事だけでも、と、気の毒でたまらず、ただ、素知らぬ振りで、硯をすって、手紙をどうした事にして、取り繕うかと、考え、考え、視線を向けていらした、その御座所の奥の、少し高くなっている所を、ためしに、引き上げたところ、ここにさしはさんでいらしたのだと、嬉しくも、馬鹿らしくも思えて、にっこりして、御覧になると、ああいう、気がかりなことが書いてあるのだった。
ぎょっとして、先夜の出来事を、そういう風に、お聞きになったのだと、考えると、いたわしく、お気の毒である。




「よべだに、いかに思ひ明かし給うけむ。けふも今までふみをだに」と、いはむかたなく覚ゆ。いと苦しげに、言ふかひなく書き紛らはし給へるさまにて、おぼろげに思ひ余りてやはかく書き給うつらむ。つれなくて今宵の明けつらむ、と、いふべきかたのなければ、女君ぞいとつらう心憂き。「すずろにかくあだへ隠して。いでや。わがならはしぞや」とさまざまに、身もつらく、すべて泣きぬべきここちし給ふ。




昨夜でさえ、どれほど心配して、明かされたであろう。今日も、今まで、手紙さえ上げずにと、言いようも無い気がする。とても、苦しそうな、話にもならない、書きぶりをされた様子も、一通りの心配ぐらいで、こんなに、お書きになるものか。返事もなしに、昨夜は、明けたのだと、言いようも無い気がして、女君が、とても辛く、恨めしい。わけもなく、こんなふざけて、隠して。いやいや、自分が、このように躾けたのだ。と、あれこれ、わが身も、情けなく、泣きたい気がするのである。




やがて出で立ち給はむとするを、「心やすく対面もあらざらむものから、人もかく宣ふ。いかならむ。かん日にもありけるを、もしたまさかに思ひ許し給はばあしからむ。なほよからぬ事をこそ」と、うるはしき心に思して、まづこの御返りを聞え給ふ。夕霧「いとめずらしき御ふみを、かたがた嬉しう見給ふるに、この御とがめをなむ、いかに聞し召したる事にか。

秋の野の 草のしげみは 分けしかど 仮寝の枕 むすびやはせし

あきらめ聞えさするもあやなけれど、よべの罪はひたや籠りにや」とあり。宮にはいと多く聞え給て、御厩に、足とき御馬に移し置きて、一夜の大夫をぞ奉れ給ふ。夕霧「よべより六条の院にさぶらひて、ただ今なむまかでつる、と言へ」とて、言ふべきやうささめき教へ給ふ。




そのまま、出かけようとするが、簡単に、宮様に会うことも出来ないだろう。けれど、御息所も、こうおっしゃる。どうしたものだろうか。かん日でもあり、もし、万一宮様を、御許し下さるなら、日が悪いだろう。矢張り、縁起の良いようにと、真面目な性格だから、まず、この御返事を、差し上げになる。

夕霧は、とても、珍しいお手紙は、何かと嬉しく拝見しましたが、このお叱りは、どのように聞き遊ばすのかと、思います。

秋の野原の、草の茂みを分けて、そちらに伺いましたが、仮初の夜の枕に、草を結んだりいたしましょうか。

弁解申し上げるのも、変ですが、昨夜の罪は、お伺いせずにいたということでしょう。と、ある。
宮へは、こまごまと、申し上げて、お馬屋にある、足の速い馬に、移し鞍を置いて、先夜の、大夫を差し向け、申し上げる。
夕霧は、昨夜から、六条の院に候していて、ただいま、やっと退出しました、と言えと、言って、言うべき事柄を、ひそひそと、教えられる。




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2016年04月14日

もののあわれについて803

かしこには、よべもつれなく見え給ひし御けしきを忍びあへで、のちの聞えをもつつみあへず、恨み聞え給うしを、その御返りだに見えず、けふの暮れはてぬるを、いかばかりの御心にかは、と、もて離れて、あさましう、心もくだけて、よろしかりつる御ここち、またいといたう悩み給ふ。なかなか、正身の御心の内は、このふしを、ことに憂しとも思しおどろくべき事しなければ、ただおぼえぬ人に、うちとけたりし有様を見えし事ばかりこそくちをしけれど、いとしも思ししまぬを、かくいみじう思いたるを、あさましう恥づかしう、あきらめ聞え給ふかたなくて、例よりも物恥ぢし給へるけしき見え給ふを、いと心苦しう、「物をのみ思ほし添ふべかりける」と見奉るも、胸つとふたがりて悲しければ、




あちらでは、宮の親子では、昨夜も、薄情なと、見えた大将のご様子に、堪えきれず、のちのちの外聞をも、はばかりきれず、お恨みの手紙を差し上げたのに、そのお返事さえ来ないで、今日も暮れてしまったのを、どの程度の、お気持ちなのかと、呆れ果てて、驚くほかなく、精根も尽きて、少しましだったご気分が、改めて、酷く苦しみになる。
かえって、ご本人の、お心の内は、この事を、特に辛いとも、心騒がせることもなく、ただ、思わぬ人に、くつろいでいたところを見られた、ということが、残念だと、それほどにも、心にかけていらっしゃらない。
御息所が、こんなに酷く、気にされるのを、思いがけず、恥ずかしいと、言い訳を申し上げようとも言葉なく、いつもより、恥らっている様子が、見えるので、御息所は、お気の毒に思い、ご心配ばかりが重なること、とお顔を見ていると、胸がつまり、悲しいので・・・




御息所「今さらにむつかしき事をば聞えじ、と思へど、なほ御すくせとは言ひながら、思はずに心幼くて、人のもどきを負ひ給ふべき事を、取り返すべき事にはあらねど、今よりはなほ、さる心し給へ。数ならぬ身ながらも、よろづにはぐくみ聞えつるを、今は何事をも思し知り、世の中のとざまかうざまの有様をも、思したどりぬべき程に見奉りおきつることと、そなたざまは後安くこそ見奉りつれ、なほいとはけて、強き御心おきてのなかりけることと、思ひ乱れ侍るに、今しばしの命とどめまほしうなむ。




御息所は、今更、新しく、嫌な事は、申し上げまいと、思いますが、矢張り、御運命とは、いいながら、案外に、考えが甘くて、人の非難を受けることになって。今更、元に戻せることは、出来ないが、今から、矢張り、そのような用心をなさいませ。人並みでもない、この身ながらも、できる限り、お育て申してきましたのに。今では、何事もお分かりで、世の中の、あれこれの事情も、見当がつくくらいになって、くださることと、そういうほうは、安心だと、存じておりましたのに、矢張り、本当に幼くて、しっかりしたお心構えのなかったこと、やきもきしまして、後は少し命を延ばしたい気がします。




ただ人だに、少しよろしくなりぬる女の、人二人と見るためしは、心憂くあはつけきわざなるを、ましてかかる御身には、さばかりおぼろげにて、人の近づき聞ゆべきにもあらぬを、思ひのほかに心にもつかぬ御ありさまと、年ごろも見奉り悩みしかど、さるべき御すくせにこそは、院よりはじめ奉りて思しなびき、この父おとどにも許い給ふべき御けしきありしに、おのれ一人しも心を立ててもいかがは、と思ひ寄り侍りし事なれば、末の世までものしき御ありさまを、わが御あやまちならぬに、大空をかこちて見奉り過ぐすを、いとかう人の為わが為の、よろづに聞きにくかりぬべき事の出でき添ひぬべきが、さても、よその御名をば知らぬ顔にて、世の常の御ありさまにだにあらば、おのづから、ありへむにつけても、慰む事もや、と思ひなし侍るを、こよなう情けなき人の御心にも侍りけるかな」と、つぶつぶと泣き給ふ。




平人でさえ、少しましな身分の女になると、男二人にまで会うことは、感心しない、軽々しい事ですのに、それどころか、こうした御身分では、あのようなことくらいで、誰が、お近づき申すべきではないのに、思いもかけない、面白くも無い、御結婚と、あれ以来、心を痛めておりました。御運命だったのですね。院をはじめとして、皆様、ご賛成になり、あの人の、父大臣にも、縁組を御許しなさろうとの、ご内意があったのに、自分ひとりだけが、我を張るのも、どうかと思い、従いましたことですから、後々までも、恥ずかしい有様を、ご自分の過ちではないので、大空を恨んで、お守りして参りましたが、本当に、こうして、人のためにも、わが為にも、何に付けても、聞き苦しいような事が、この上にも、出てくるのでしょうが、そうなっても、よそでの評判は、知らない振りをして、世間並みのされ方をしていれば、いつしか、日が過ぎてゆくうちに、心の安まることもありましょうという、気持ちになりましたが、この上なく、思いやりのない、あちらのお心でございます。と、ほろほろと、泣くのである。

夕霧に対する誤解から、このような状況に陥る、宮の親子である。
当時の、高い身分の人たちの、様子である。




いとわりなくおしこめて宣ふを、あらがひはるけむ言の葉もなくて、ただうち泣き給へるさま、おほどかにらうたげなり。うちまもりつつ、御息所「あはれ、何事かは人に劣り給へる。いかなる御すくせにて、安からず、物を深く思すべきちぎり深かりけむ」など宣ふままに、いみじう苦しうし給ふ。物の怪なども、かかる弱めに所うるものなりければ、にはかに消え入りて、ただ冷えに冷え入り給ふ。律師も騒ぎたち給うて、願など立て、ののしり給ふ。深きちかひにて、今は命を限りける山籠りを、かくまでおぼろけならず出で立ちて、壇こぼちて帰り入らむ事の、面目なく、仏もつらくおぼえ給ふべき事を、心を起こして祈り申し給ふ。宮の泣きまどひ給ふ事、いとことわりなりかし。




とても辛く、何も言えず、おっしゃることに反対して、弁明する言葉もなくて、ただ泣いている様子は、おっとりしていて、気品がある。それを見つめて、御息所は、あはれ、どこが、人に劣っていらっしゃるのか。どういう、御運命で、心も休まらず、物思いされなければならない因縁が、強いのか。などと、おっしゃるうちに、酷く苦しみになる。物の怪なども、こういう、弱り目に威勢を増すものだから、急に気を失って、ただ、もうずんずん、冷たくなる。
律師も、慌てふためき、願などをかけ、大声でお祈りする。深い願で、今では、命の限りと考えていた山籠りを、こうまで、なみなみの思いでなく、出てきて、壇を壊して、甲斐なく、山へ引き返して入ることが、面目なく、仏も残念に思われることだと、心を込めて、お祈り申し上げる。
宮様の、泣き惑いされることは、全く、無理の無いこと。


posted by 天山 at 06:40| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月15日

もののあわれについて804

かく騒ぐ程に、大将殿より御ふみ取り入れたる、ほのかに聞き給ひて、「今宵もおはすまじきなめり」とうち聞き給ふ。「心憂く世のためしにも引かれ給ふべきなめり。何にわれさへさる言の葉を残しけむ」とさまざま思しいづるに、やがて絶え入り給ひぬ。




こうして、騒いでいる時に、大将殿からの、お手紙を受け取ったと、御息所は、かすかにお耳にされて、今晩も、いらっしゃらないらしい、と、お聞きになる。
情けなくも、世間の話の種に、引かれることになろう。なんのつもりで、自分まで、あんな文句を書き残したのか、と、あれこれ思い出されると、そのまま、息が絶えておしまいになった。




あへなく、いみじと言へばおろかなり。昔より、物の怪には時々わづらひ給ふ、限りと見ゆる折々もあれば、「例のごと取り入れたるなめり」とて、加持まいり騒げど、今はのさましるかりむり。




あっけなく、酷いといっても、言い足りない。昔から、物の怪には、時々煩いになり、最後と見えた時も、何度かあったので、いつものように、物の怪が取り込んだらしいと、加持をして、大声で祈るが、臨終の様子は、明らかだった。




宮は、おくれじと思し入りて、つと添ひ臥し給へり。人々参りて、「今は言ふかひなし。いとかう思すとも、限りある道は、返りおはすべき事にもあらず。したひ聞え給ふとも、いかでか御心にはかなふべき」と、さらなることわりを聞えて、人々「いとゆゆしう。なき御為にも罪深きわざなり。今は去らせ給へ」と、引き動かい奉れど、すくみたるやうにて、ものもおぼえ給はず。修法の壇こぼちて、ほろほろと出づるに、さるべき限り、かたへこそ立ちとまれ、今は限りのさま、いと悲しう心細し。




宮様は、生き残るまいと、思いつめて、じっと、すがりついて、いらした。
女房たちが、傍に参り、もう、しかたありません。こんなにまで、お悲しみになっても、死出の旅路は、帰ってくるわけではありません。お慕い申しても、どうして、お気持ち通りになりましょう。と、当然の道理を申し上げる。また、女房は、本当に不吉で。亡くなった御方のためにも、罪業の深いことです。もう、お離れください。と、引き動かすが、こわばったように、何も、お分かりにならない。
修法の壇を壊して、僧たちが、ばらばらと出てゆくうち、しかるべき者ばかり、一部留まっているが、今は、すべて終わった様子で、実に悲しく、心細い。




所々の御とぶらひ、いつのまにかと見ゆ。大将殿も、限りなく聞き驚き給うて、まづ聞え給へり。六条の院よりも、致仕の大殿よりも、すべていとしげう聞え給ふ。山のみかども聞こし召して、いとあはれに御ふみ書い給へり。宮は、この御せうそこにぞ、御ぐしもたげ給ふ。朱雀院「日ごろ重く悩み給ふと聞きわたりつれど、例もあつしうのみ聞き侍りつるならひに、うちたゆみてなむ。かひなき事をばさるものにして、思ひ嘆い給ふらむ有様おしはかるなむ、あはれに心苦しき。なべての世のことわりに思し慰め給へ」とあり。目も見え給はねど、御返り聞え給ふ。




方々のお悔やみは、いつの間に知れたのかと、思われる。大将殿も、この上なく、聞き驚きになり、とりあえず、お悔やみ申し上げた。六条の院からも、致仕の大殿からも、皆々、次々に、お悔やみ申し上げる。
山の帝も、お聞きあそばして、心を込めて、お手紙を、お書きになった。宮様も、この便りには、お顔を上げられる。
朱雀院は、長らく重く煩っていられると、聞いていたが、いつも病気がちだとばかり聞いていましたので、うっかりして、言ってもかいのない事は、別にして、悲しみ嘆いていられる様子を想像すると、不憫で、心が痛む。すべての人の定めと思い、気を楽になさい、とある。涙で目も見えないが、お返事を申し上げる。




常に、さこそあらめと宣ひける事とて、今日やがてをさめ奉るるとて、御おひの、大和の守にてありけるぞ、よろづにあつかひ聞えける。からだをだにしばし見奉らむとて、宮は惜しみ聞え給ひけれど、さてもかひあるべきならねば、皆急ぎたちて、ゆゆしげなる程にぞ大将おはしたる。




常に、そうしてと、おっしゃっていたことなので、今日、すぐに葬り申し上げるというので、御甥の、大和の守である者が、すべて事を、お運びになるのだった。亡骸だけでも、しばらく拝んでいたいと、宮は、惜しまれたが、そうしても、何にもなるわけではないので、一同、準備にかかって、大変なところに、大将が、いらした。




「今日よりのち、日ついで悪しかりけり」など人聞きには宣ひて、いとも悲しうあはれに、宮の思し嘆くらむ事をおしはかり聞え給うて、「かくしも急ぎ渡り給ふべき事ならず」と人々いさめ聞ゆれど、強ひておはしましぬ。




今日から後は、日が悪いのだ、などと、人前ではおっしゃり、何とも悲しく、哀れに、宮が嘆いているだろうと、ご推察申し上げて、そんなに急いで、いらっしゃるべきことでは、ありませんと、人々が引き止めるが、押し切って、お出であそばした。

これは、夕霧の心境である。


posted by 天山 at 06:04| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月18日

もののあわれについて805

程さへ遠くて、入り給ふ程いと心すごし。ゆゆしげに引き隔てめぐらしたる儀式のかたは隠して、この西面に入れ奉る。大和の守出で来て、泣く泣くかしこまり聞ゆ。妻戸のすのこにおしかかり給うて、女房呼びいでさせ給ふに、ある限り、心もをさまらず、物も覚えぬ程なり。かく渡り給へるにぞ、いささか慰めて、少将の君は参る。物もえ宣ひやらず、涙もろにおはせぬ心強さなれど、所のさま人の気配などを思しやるもいみじうて、常なき世の有様の人の上ならぬもいと悲しきなりけり。ややためらひて、夕霧「よろしうおこたり給ふさまに承りしかば、思う給へたゆみたりし程に、夢もさむる程はべなるを、いとあさましうなむ」と聞え給へり。




道のりも、遠いのだが、邸にお入りになると、まことに、物寂しい。お弔いらしく、引きめぐらしてある式場は、大将に見せず、この西座敷に、お通しもうしあげる。
大和の守が出て来て、泣く泣く、ご挨拶申し上げる。妻戸の前の、すのこに寄りかかりになり、女房を呼び出すが、いる者すべて、気も動転して、何も分からない時である。
大将がお出でなさったので、少し気持ちも安らいで、少将の君は、御前に出る。何一つ、おっしゃることができない。涙もろくない、気丈な方だが、ここの様子や人の有様などをお考えになると、胸にこたえて、無常なこの世の有様が、人事ではないのも、まことに悲しいのだった。少し気持ちを落ち着けて、夕霧は、少しは、持ち直しされたふうと、承ったので、油断いたしていましたうちに。夢でも覚めるには、間があると申すのに、何とも思いがけないことです。と、申し上げる。




「おぼしたりし様、これに多くは御心も乱れにしぞかし」と思すに、さるべきとは言ひながらも、いとつらき人の御契りなれば、いらへをだにし給はず。人々「いかに聞えさせ給ふとか聞え侍るべき。いとかるらかならぬ御様にて、かくふりはへ急ぎ渡らせ給へる御心ばへを、思しわかぬやうならむも、あまりにはべりべし」と口々聞ゆれば、女二「ただおしはかりて。われは言ふべき事も覚えず」とて臥し給へるも、ことわりにて、人々「ただ今はなき人と異ならぬ御有様にてなむ。渡らせ給へるよしは聞えさせ侍りぬ」と聞ゆ。




母君のお心のうちを考えると、大将のことで、多くお心を痛めたのだと、思いになる。こうなる運命と言うものの、何とも辛い、大将との因縁なので、返事さえできない。人々は、どう申し上げよと、仰せ遊ばしたと申しましょうか。本当に、軽くは無いご身分で、こうして、わざわざ急いで、お出であそばしたお心遣いを、お分かりにならないようなことも、あんまりでございます。と、口々に申し上げると、女二の宮は、よろしいように。私は、どう言っていいのか、分からない。と、おっしゃり横になるのも、当然と思う。今のところ、亡き人も、同様のご様子でして、お出であそばしたことは、お耳に入れました。と、申し上げる。




この人々もむせかへる様なれば、夕霧「聞えやるべきかたもなきを今少しみづからも思ひのどめ、また静まり給ひなむに参りこむ。いかにしてかくにはかにと、その御有様なむゆかしき」と宣へば、まほにはあらねど、かの思ほし嘆きし有様を、かたはしづつ聞えて、「かこち聞えさする様になむなり侍りぬべき。今日は、いとど乱りがはしき心地どものまどひに聞えさせたがふる事どもも侍りなむ。さらば、かく思しまどへる御心地も限りあることにて、少し静まらせ給ひなむ程に、聞えさせ承はらむ」とて、われにもあらぬ様なれば、宣ひいづる事も口ふたがりて、夕霧「げにこそ闇にまどへる心地すれ。なほ聞え慰め給ひて、いささかの御返りもあらばなむ」など宣ひ置きて、たちわづらひ給ふもかるがるしう、さすがに人騒がしければ、帰り給ひぬ。




この人々も、むせび泣きの様子なので、夕霧は、申し上げようもないが、もう少し、私も気が静まり、また、宮様も落ち着いた頃に、伺いましょう。どうして、このような急なことにと、その時の、ご様子が知りたいが。と、おっしゃると、曖昧であるが、御息所が、嘆いていらしたことを、少し申し上げると、夕霧は、愚痴を申し上げることになることでもありましょう。今日は、ひとしお取り乱した皆々の気持ちのせいで、間違ったことを申し上げる事も、あれこれと、ございましょう。ですから、こんな悲しみに暮れていらっしゃる宮様のお気持ちも、きりがあるはずです。少し落ち着きあそばした頃に、お話を申しあげ、お言葉を賜りましょうと、言い、正気もない様子なので、言いたいことも、口にしにくく、夕霧は、全く、私も闇に惑っている気がする。矢張り、宮様を慰め申し上げくださり、少しのご返事でもあったら。などと、おっしゃり、立ち去りにくそうになるのも、身分に障るし、何と言っても、人目が多いので、お帰りになった。




今宵しもあらじ、と思ひつる事どものしたため、いと程なくきはぎはしきを、いとあへなしと思いて、近き御荘の人々召しおはせて、さるべき事ども仕うまつるべく、おきて定めて出で給ひぬ。事のにはかなれば、そぐやうなりつる事どもいかめしう、人数なども添ひてなむ。大和の守も、「ありがたき殿の御心おきて」など喜び、かしこまり聞ゆ。名残だになくあさましき事と、宮は臥しまろび給へどかひ無し。おやと聞ゆとも、意図かくはならはすまじきものなりけり。見奉る人々も、この御事をまたゆゆしう嘆き聞ゆ。大和の守、残りの事どもしたためて、大和守「かく心細くてはえおはしまさじ。いと御心のひまあらじ」など聞ゆれど、なほ、峰の煙をだにけ近くて思ひ出で聞えむと、この山里に住みはてなむとおぼいたり。御忌に籠れる僧は、東面、そなたの渡殿・下屋などにはかなき隔てしつつ、かすかにいたり。西の廂をやつして、宮はおはします。明け暮るるも思し分かねど、おのづから日ごろ経にければ、九月になりぬ。




今晩では、まさかあるまいと、思っていた葬儀万端の手はずが、短時間に整えられたのを、大将は、何ともあっけなく思いになり、近くの御料地の人々を、お呼びになり、お命じになって、しかるべき用意をして、差し上げるよう指示して、お帰りになった。
急なことで、簡略そうだった葬儀も、厳かに、お供の人数なども増えた。
大和守も、一方ならぬ殿のご配慮、などと喜び、御礼申し上げる。跡形もなくて、酷いことと、宮様は、臥して、まどろんで、悲しみに暮れたが、しかたがない。親子の仲でも、こんなにまで、親しくしてはいけないことだった。お傍の人々も、このご様子を、また縁起でもないと、ご心配申し上げる。
大和の守は、あとの雑用を片付けて、こう心細いことでは、お暮らしになれますまい。とても、心の紛れる時は、あるまい。などと、申し上げるが、矢張り、峰の煙だけでも、近くで見ていて、思い出し申し上げようと、この山里で、一生を終わろうとお考えになった。御忌みに籠っている僧は、東座敷や、そちらの渡殿、下屋などに簡単な隔てをして、ひっそりとしている。
西の廂の間の飾りを取り、宮様は、お住まいである。夜の明けるのも、日の暮れるのも、お分かりにならないが、ひとりでに日数も重なり、九月になった。


posted by 天山 at 05:44| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月03日

もののあわれについて806

山おろしいと激しう、木の葉の隠ろへなくなりて、よろづの事いといみじき程なれば、おほかたの空にもよほされて、干る間もなく思し嘆き、命さへ心にかなはずと、いとはしういみじう思す。候ふ人々も、よろづに物悲しう思ひ惑へり。大将殿は、日々にとぶらい聞え給ふ。寂しげなる念仏の僧など慰むばかり、よろづの物をつかはしとぶらはせ給ひ、宮の御前には、あはれに心深き言の葉を尽くして恨み聞え、かつは、つきもせぬ御とぶらひを聞え給へど、取りてだに御覧ぜず。すずろにあさましき事を弱れる御心地に疑ひなく思ししみて消え失せ給ひにし事を思しいづるに、のちの世の御罪にさへやなるらむと、胸に満つ心地して、この人の御事をだにかけて聞き給ふはねいとどつらく心憂き涙のもよほしに思さる。人々も聞えわづらひぬ。




山おろしが、とても激しく、木の葉の影もなくなり、何もかもが、酷く心に沁みる頃なので、宮は、わが身一つではない秋空に誘われ、涙の乾く間もなく、悲しみにくれて、命さえ、思い通りにならないと、わが身をいとい、辛く思うのである。お傍の人々も、何につけも、物悲しく、おろおろしている。
大将殿は、毎日毎日、お見舞い申し上げされる。心細い念仏の僧などの、喜ぶほど、何くれと、物を持たせて、お見舞いなさり、宮様の、御前には、あはれなる心をこめた言葉の限りを尽くして、お恨みもうしあげると共に、限りもなく、お慰め申し上げるが、手にとって、御覧になることさえなく、思いがけず嫌だった、あのことを、思い出されると、母君の後世の邪魔になってさえいようと、胸もいっぱいになる気がして、この人の、お話をふと耳になさるのは、ひとしお辛く、侘しい涙の種と、思うのである。人々も、お勧めの申しようがない。




一行の御返りをだにもなきを、しばしは心惑ひし給へるなど思しけるに、あまりに程へぬれば、「悲しき事も限りあるを、などかくあまり見知り給はずあるべき。言ふかひなく若々しきやうに」と恨めしう、「こと事のすぢに、花や蝶やとかけばこそあらめ、わが心にあはれと思ひ、もの嘆かしきかたざまの事を、いかにと問ふ人は、睦まじうあはれこそ覚ゆれ。大宮の失せ給へりしをいと悲しと思ひしに、致仕の大臣のさしも思ひ給へらず、ことわりの世の別れに、おほやけおほやけしき作法ばかりの事を孝じ給ひしに、つらく心づきなかりしに、六条の院のなかなか懇に、のちの御事をも営み給うしが、わがかたざまと言ふなかにも、嬉しう見奉りし。その折りに、故衛門の督をば、取り分きて思ひつきにしぞかし。人柄のいたう静まりて、ものをいたう思ひとどめたりし心に、あはれも勝りて人より深かりしが、なつかしう覚えし」など、つれづれと物をのみ思し続けて明かし暮らし給ふ。




一行のご返事さえないので、しばらく気が転倒していらっしゃるのだと、お考えになるが、あまりに時がたったので、悲しいことでも、限りがあるのに、何故こんなに、全然、お分かりにならないはずがあろう。話にもならない、小娘のような態度でいてと、恨めしく、見当違いに、花や蝶やと書いたのなら兎も角のこと。自分でも、悲しい思い、嘆いている筋のことを、どうですかと、尋ねてくれる人は、嬉しく感動するものだ。大宮が亡くなられたことを、とても悲しく、思っていたのに、致仕の大臣が、それほどにも悲しみにならず、当然の死別として、世間向けの儀式的なことばかりを、供養されたので、悲しく、不満に思ったが、六条の院が、かえって、懇ろに、後々の法要まで、営んだことを、自分の身内だということだけではなく、嬉しく拝見したものだ。
その時に、亡き、衛門の督、柏木に、特別好意を持つようになったのだ。人柄がたいそう落ち着いて、物事を、注意深く、心に留めていた性格で、悲しがるのも、ひとしおで、誰よりも、深かったのを、親しみの持てる人だと、思ったのだ、などと、あはれに、物思いに耽ってばかりいて、夜を明かし、日を暮らしになる。

さて、上記、誰の心境なのか。
最初は、夕霧であるが・・・
矢張り、すべて夕霧の思いなのだ。
つまり、話の筋を知らぬと、分からないのである。




女君、なほこの御中のけしきを、「いかなるにかありけむ、御息所とこそ文交はしも細やかにし給ふめりしか」など思ひえ難くて、夕暮れの空を眺め入りて臥し給へるところに、若君して奉れ給へる。はかなき紙の端に、

雲居雁
あはれをも いかに知りてか 慰めむ あるや恋しき なきや悲しき

おぼつかなきこそ心憂けれ」とあれば、ほほえみて、「さきざきもかく思ひ寄りて宣ふ。似げなのなきがよそへや」と思す。いととく事なしびに、

夕霧
いづれとか 分けて眺めむ 消えかへる 露も草葉の 上と見ぬ世を

おほかたにこそ悲しけれ」と書い給へり。雲居雁「なほかく隔て給へること」と、露のあはれをばさし置きて、ただならず嘆きつつおはす。




女君は、矢張り、このお二人の間を、どうだったのか。御息所となら、手紙のやり取りも、ねんごろにしていられるようだったが、などと、判断が、つきにくくて、大将が、夕暮れの空を眺めて、横になっていられるところへ、若君を持たせて、差し上げになった。何でもない紙の端に、

雲居雁
お悲しみを、どう考えて、お慰めしたのか。生きている方が、恋しいのか、亡き人が、悲しいのか。

はっきりしないのが、嫌なのです。と、書いてあるので、微笑んで、前々から、こんな想像をしていらっしゃる。見当違いな故人の話を持ち出して、と、お考えになる。とても早く、気づかぬようで、

夕霧
どちらと決めて、特に悲しもうか。草葉の上の露も、すぐ消えると思う、この世なのだから。

何もかも悲しいのだ。と、お書きになった。雲居雁は、矢張り、こんなに隠していらっしゃる。と、お歌にいう、露、の悲しさは、思わず、並々ならず、嘆いていらっしゃる。


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2016年05月04日

もののあわれについて807

なほ、かくおぼつかなく思し侘びて、また渡り給へり。御忌など過ぐしてのどやかに、と思し静めけれど、さまでもえ忍び給はず。今は、この御なき名の、何かはあながちにもつつまむ。ただ世づきて、つひの思ひかなふべきにこそは、と思したばかりにければ、北の方の御思ひやりを、あながちにもあらがひ聞え給はず。正身は強う思し離るとも、かのひと夜ばかりの御恨み文をとらへどころにかこちて、えしもすすぎ果て給はじ、と頼もしかりけり。




矢張り、大将、夕霧は、このように、お手紙もないのに困り、改めてお越しになった。御忌みなどが明けてから、ゆっくりと、と思いを抑えておられたが、それまで、我慢が出来ないのである。今では、あの、あらぬ浮名を、何の無理に隠すことがあろう。ただ世間の人をまねて、ついに、思いを遂げるまでのこと、と思案を巡らすので、北の方の想像を無理に、打ち消すことも無い。
本人は、まるきり、お気持ちなしでも、あの、一夜ばかりの、とあった母君が、お恨みのお手紙を手がかりに、押し入って、よもや、言い逃れが、おできにならない、と、うまくゆきそうに、思えるのだ。

御忌とは、御息所の四十九日のこと。
夕霧は、ただ世づきて・・・、つまり、世間の男たち並にと、考えている。
女二宮に、迫るつもりである。




九月十余日、野山のけしきは、深く見知らぬ人だにただにやは覚ゆる。山風にたへぬ木々の梢も、峰の葛葉も、心あわただしう争ひ散る紛れに、尊き読経の声かすかに、念仏などの声ばかりして、人の気配いと少なう、木枯らしの吹きはらひたるに、鹿はただまがきのもとにたたずみつつ、山田のひたにも驚かず、色濃き稲どもの中にまじりてうち鳴くも、うれへ顔なり。滝の声は、いとど物思ふ人を驚かし顔に、耳かしがましうとどろき響く。草むらの虫のみぞ、より所なげに鳴き弱りて、枯れたる草の下より竜胆のわれ独りのみ心長うはひ出でて露けく見ゆるなど、みな例の頃の事なれど、折から所からにや、いと堪え難き程のもの悲しさなり。




九月の十日過ぎ、野山の景色は、何事も分からぬ人でも、何とも思わずにいられようか。
山風に堪え切れない木々の梢も、峰の葛葉も、気ぜわしく争い、散る中に、尊い読経の声が、かすかに聞えて、念仏の声ばかりして、人のいる感じはなく、木枯らしが、吹きすさんでいる。鹿は、まがきのすぐ傍に佇んで、山田の鳴子にも驚かず、色の濃くなった稲の中に混じり、鳴いているのも、悲しそうである。滝の水音は、ひとしお、愁いを抱く人を、はっとさせるように、やかましく、とどろきわたっている。草むらの、虫ばかりが、頼りなさそうに、鳴き声が弱り、枯れ果てた草の下から、竜胆が、われ独りだけの、のんびりと這い出して、露っぽく見えるのなどは、皆、いつもの晩秋の姿だが、こういう折か、こういう場所か、とても、堪え切れないほどの、もの悲しさである。




例の妻戸のもとに立ち寄り給て、やがてながめ出だして立ち給へり。なつかしき程の直衣に、色こまやかなる御衣のうちめ、いとけうらに透きて、影弱りたる夕日の、さすがに、なに心もなうさし来たるに、まばゆげに、わざとなく扇をさし隠し給へる手つき、「女こそかうはあらまほしけれ。それだにえあらぬを」と見奉る。物思ひの慰めにしつべく、えましき顔のにほひにて、少将の君を取り分きて召し寄す。すのこの程もなけれど、奥に人や添ひいたらむとうしろめたくて、えこまやかにも語らひ給はず。夕霧「なほ近くてを。な放ち給ひそ。かく山深く分け入る心ざしは、隔て残るべくやは。霧もいと深しや」とて、わざとも見入れぬ様に山のかたを眺めて、「なほなほ」とせちに宣へば、鈍色の几帳を、すだれのつまより少し押しいでて、裾を引きそばめつついたり。




いつものように、妻戸のところに、お立ち寄りになって、そのまま、あたりを眺めて立っていらっしゃる。少し着慣れた直衣に、濃い紅のお召し物の、砧の打ち目が、とても美しく透いて見える。光の弱くなった夕日が、それでも、何気なく差してきたので、まぶしそうに、わざとでもなく、扇で顔を隠していらっしゃる手つき、女は、こうありたいものだ。女でさえ、こうは出来まいと、人々は拝見している。
物思いの時の、慰めにしたいほどの、微笑まれてくるような、お顔の美しさで、少将の君を、名指しで、お呼び寄せになる。すのこは、幅もないが、奥に人が一緒にいるだろうと、気になって、打ち解けた話はなさらない。夕霧は、もっと近くで。逃げないでください。このように、山の奥へやってきた私の気持ちは、他人扱いして、よいものでしょうか。霧も深い、と、わざと見る振りでもなく、山のほうを眺めて、もっと近くと、しきりに、おっしゃるので、鈍色の几帳を簾の端から少し押し出して、着物の裾を、引き寄せて座った。




大和の守の妹なれば、離れ奉らぬうちに、幼くよりおほし立て給うければ、衣の色いと濃くて、つるばみの喪衣ひとかさね、こうち着たり。夕霧「かくつきせぬ御事はさるものにて、聞えむかたなき御心のつらさを思ひ添ふるに、心魂もあくがれはてて、見る人ごとにとがめられ侍れば、息はさらに忍ぶべきかたなし」と、いと多く恨み続け給ふ。かの今はの御文の様も宣ひいでて、いみじう泣き給ふ。




大和の守の妹なので、血縁の御縁者の上、幼い頃から、御息所がお育てくださり、着物の色を黒くして、つるばみの喪服一そろいに、こうちぎを着ている。夕霧は、こういう尽きないお悲しみは、それはそれとして、申し上げようもない宮様の、お心のつれなさまでを思うと、魂も抜け出して、見る人ごとに、怪しまれるので、今は、全く我慢のしようもないのです。と、沢山の恨み言を言い続ける。あの最後の時の、御息所のお手紙の内容も、お話されて、酷く、泣くのである。


posted by 天山 at 05:46| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月05日

もののあわれについて808

この人も、ましていみじう泣き入りつつ、小少将「その夜の御返りさへ、見え侍らずなりにしを、今は限りの御心に、やがて思し入りて、暗うなりにし程の空の気色に、御心地惑ひにけるを、さる弱目に、例の御物の怪の引き入れ奉るとなむ見給へし。過ぎにし御琴にも、ほとほと御心惑ひぬべかりし折々多く侍りしを、宮の同じ様に沈み給うしを、こしらへ聞えむの御心強さになむ、やうやう物おぼえ給うし。この御嘆きをば、御前には、ただわれかの御気色にて、あきれて暮らさせ給うし」など、とめがたげにうち嘆きつつ、はかばかしうもあらず聞ゆ。夕霧「そよや、そもあまりにおぼめかしう、言ふかひなき御心なり。今は、かたじけなくとも、誰をかはよるべに思ひ聞え給はむ。御山住みも、いと深き峰に、世の中を思し絶えたる雲の中なめれば、聞えかよひ給はむ事かたし。いとかく心憂き御気色聞え知らせ給へ。よろづの事さるべきにこそ、世にありへじと思すとも、従はぬ世なり。まづはかかる御別れの、御心にかなはば、あるべき事かは」など、よろづに多く宣へど、聞ゆべきこともなくて、うち嘆きつついたり。




この人も、なお更、酷く泣き出して、小少将は、あの世の、御返事さえ、拝見せずじまいでしたので、最後の息の下の、お心に、思いふうにばかり思いつめなさり、暗くなった時分の空具合に、具合が悪くなってしまい、そういう弱り目に、計によって、物の怪が取り込み申したのだと、拝見しました。亡くなられた、柏木のことでも、ほとんど、お心も崩れずれそうだった時も、何度もございましたが、宮様が、同じように悲しみに暮れていらしたのを、慰め申そうとのお気持ちから、次第に、気を取り直しました。などと、涙を抑えられず悲しんで、はきはきと、申すことが出来ない。
夕霧は、それだよ。それも、あまりに、弱々しく、張り合いのないお考えだ。今となっては、恐れ多いが、他に、どなたを頼りに思われよう。お山住みも、とても深い山中で、世の中を思い捨てさった、雲の中みたいに、お手紙をやり取りなさるのも、難しい。本当に、こんなつれないお態度を、ご意見申し上げてください。すべて、こうなる運命だった。生きていまいと、思いでも、ままならぬ世なのだ。第一、こうした死別が、お心のままになるなら、あるはずがない。などと、色々と多くをお話しするが、少将は、申し上げる事場もなくて、悲嘆に暮れて、座っている。




鹿のいといたく鳴くを、われ劣らめや、とて、

夕霧
里遠み 小野のしの原 分けて来て われもしかこそ 声も惜しまね

と宣へば、
小少将
藤ごろも 露けき秋の 山びとは 鹿の鳴く音に ねをぞ添へつる

よからねど、折からに、忍びかなる声づかひなどを、よろしう聞きなし給へり。




鹿が、とても酷く鳴くので、自分もあれに、劣るまいと、

夕霧
この山里まで、遠く小野の篠原を分けて来て、私も鹿のように、声を惜しまず泣くのだ。

と、おっしゃると、

小少将
藤衣も、しめりがちな、この秋の山里にいる私は、鹿の鳴き声と共に、泣き声を上げています。

よい歌ではないが、時が時なので、低く口ずさむ声などを、かなりなものだと、お聞きになる。




御消息、とかう聞え給へど、女二「今は、かくあさましき夢の世を、少しも思ひさます折あらばなむ、絶えぬ御とぶらひも聞えやるべき」とのみ、すくよかに言はせ給ふ。いみじう言ふかひなき御心なりけり。と嘆きつつ、帰り給ふ。




ご挨拶を、あれこれと、申し上げされるが、女二宮は、今は、こんな思いがけない夢のような、有様、少しでも、落ち着きを取り戻すことがあれば、たびたびのお見舞いの、お礼も、申し上げましょう。と、だけ、そっけなく言う。ずいぶん、取り付く暇もないお心だと、嘆きつつ、お帰りになる。




道すがらも、あはれなる空を眺めて、十三日の月のいとはなやかにさし出でぬれば、小倉の山もたどるまじうおはするに、一条の宮は道なりけり。いとどうちあばれて、ひつじさるのかたのくづれたるを見入れば、はるばるとおろしこめて、人影も見えず。月のみ、やり水の面をあらはにすみましたるに、大納言ここにて遊びし給うし折々を、思ひいで給ふ。

夕霧
みし人の 影すみはてぬ 池水に ひとり宿もる 秋の夜の月

とひとりごちつつ、殿におはしても、月を見つつ、心はそらにあくがれ給へり。
さも見苦しう、あらざりし御くせかな、と、御たちもにくみあへり。




道すがら、心に染入る空を眺めて、十三日の月が、とても明るく差し昇るので、小暗いというなの、小倉山も、迷うことなく、通り過ぎると、一条の宮は、その途中にあるのだった。以前にまして、荒れた雰囲気で、南西の方の築地の崩れている所から、中を覗くと、一面、格子を閉め切って、人影も見えない。月だけが、鑓水の面を、くっきりと、光らせているので、大納言が、ここに来て、管弦の遊びなどなさった折々を思い出す。

夕霧
あの人が、もう住んでいないこの家の、池水に独り、宿守りをしている、秋の夜の月だ。

と、独り言をいいながら、邸に帰っても、月を眺めて、心を空に漂わせている。

本当に、みっともない。これまでなかった、ご様子だと、女房たちも憎らしく思っている。

posted by 天山 at 05:52| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月06日

もののあわれについて809

上はまめやかに心憂く、雲居雁「あくがれたちぬる御心なめり。もとよりさる方にならひ給へる。六条の院の人々が、ともすればめでたき例にひき出でつつ、心よからずあいだちなきものに思ひ給へる。わりなしや。われも、昔よりしかならひなましかば、人目も慣れて、なかなか過ごしてまし。世のためしにしつべき耳頃ばへと、親兄弟よりはじめ奉り、めやすきあえものにし給へるを、ありありては、末に恥ぢがましき事やあらむ」など、いといたう嘆い給へり。




奥方は、本当に嫌な気がして、うつつを抜かしていらっしゃるようだ、初めから、そういうことに慣れていらっしゃる、六条の院の、ご婦人方を、どうかすると、結構な例に、引いたりして、私を気に食わない、愛想の無い女だと、思っているのは、酷いこと。私だって、昔から、そういう習慣になっていたら、人の見る目も平気で、いっそ、気楽に過ごすことも出来た。世間の模範にしてよいご性質だと、親兄弟をはじめとして、結構な果報者として下さっているのに。挙句の果てに、今頃、世間に顔向け出来ないようなことが、起こるだろうか。など、酷く、嘆かれるのである。




夜も明け方近く、かたみにうち出で給ふことなくて、そむきそむきに嘆き明かして、朝露の晴れ間も待たず、例の文をぞいそぎ書き給ふ。いと心づきなしと思せど、ありしやうにも奪ひ給はず。いとこまやかに書きて、うち置きてうそぶき給ふ。忍び給へど、漏りて聞きつけらる。

夕霧
いつとかは おどろかすべき 明けぬ夜の 夢さめてとか 言ひしひとこと

うへより落つる」とや書い給へらむ。おしつつみて、なごりも、いかでよからむ。など口ずさび給へり。人召してたまひつ。御返事をだに見つけてしがな、なほいかなることぞと、けしき見まほしう思す。




夜明け間近で、互いに口に出すこともなく、背中を向け合って、嘆きのうちに、夜を明かして、朝露が晴れるのを待たず、例により、手紙を急いでお書きになる。
なんて、嫌なと思うが、以前のようにはしない。細々と書いて、下に置き、低く吟じる。声をひそめていらっしゃるが、漏れ聞えて、分かるのである。

夕霧
いつになったら、お尋ねすれば、よろしいのでしょう。夜の夢が覚めてからと、おっしゃったお言葉では・・・

お手紙もないので、とか、お書きになったのでしょうか。さっと、包んで、その後も、どうして良いか、など、口ずさんでいらっしゃる。
人を呼び寄せ、お渡しになる。宮様の、ご返事でも、見たいものだ。矢張り、本当は、どうなのか。と、様子を知りたいと、思うのである。

主語が無いのが、夕霧と、雲居雁の、所作と、心境である。




日たけてぞ持て参れる。紫のこまやかなる紙すくよかにて、小少将ぞ例の聞えたる。ただ同じ様に、かひなきよしを書きて、小少将「いとほしさに、かのありつる御文に、手習ひすさび給へるを盗みたる」とて、中にひきやりて入れたり。目には見給うてけりと思すばかりの嬉しさぞ、いと人わろかりける。そこはかとなく書き給へるを、見続け給へれば、

女二
朝夕に なくねをたつる 小野山は 絶えぬ涙や おとなしの滝

とや、取り成すべからむ。ふるごとなど、物思はしげに書きみだり給へる御手なども見所あり。「人の上などにて、かやうのすき心思ひ入らるるは、もどかしううつし心ならぬ事に見聞きしかど、身の事にては、げにいと堪え難かるべきわざなり。怪しや、などかうしも思ふべき心いられぞ」と思ひ返し給へど、えしもかなはず。




日が高くなってから、返事を持参した。
紫の、濃い立派な紙で、小少将が、いつも通り、お返事したものである。全く、いつもと同じで、何にもならなかったとの趣旨を書いて、あまりお気の毒なので、あの頂戴したお手紙に、宮様がお筆を染められたのを、こっそり取りましたのです。とあり、中に引きちぎりいれてある。
御覧になることは、なったのだと、思いで、嬉しいとは、体裁の悪い話である。とりとめもなくお書きになっているのを、文句を続けて、御覧になると、

女二宮
朝に晩に、声を立ててなく、小野山は、流れ続ける私の涙が、音なしの滝となっているのだろうか。

と、でも読み取るべきか。古歌など、嘆きに沈む気持ちで、あれこれと、お書きになっている。その御筆跡なども、見事である。他人のことで、こんな女二の宮に思い込んでいるのは、歯がゆくもあり、正気の沙汰ではないと、見たり、聞いたりしていたが、自分のことだと、本当に、とても我慢できることではない。変な具合だ。何故、こんなにまでして、いらいらしてしまうのか、と反省されるが、思うに任せないのである。

小野山・・・
拾遺集 恋二 題知らず 読み人知らず
恋ひわびぬ ねをだに泣かむ 声たてて いづこなるらむ 音無の滝

少将が、宮の手習いを届けたのである。
少将は、夕霧の手紙を見せても、何にもならないと言うのである。

その、宮の手習いを、夕霧に届ける。

posted by 天山 at 06:41| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月09日

もののあわれについて810

六条の院にもきこしめして、「いとおとなしうよろづを思ひしづめ、人のそしりどころなく、めやすくて過ぐし給ふを、おもただしう、わがいにしへすこしあざればみ、仇なる名をとり給うし面おこにし、嬉しう思しわたるを、いとほしういづかたにも心苦しき事のあるべき事。さばかりの事たどらぬにはあらじ。すくせといふもの逃れわびぬる事なり。ともかくも口入るべき事ならず」と思す。「女のためのみにこそいづかたにもいとほしけれ」と、あいなくきこしめし嘆く。紫の上にも、きし方ゆく先のこと思し出でつつ、かうやうの例を聞くにつけてもなからむのち、うしろめたう思ひ聞ゆるさまを宣へば、御顔うち赤めて、「心憂く、さまでおくらかし給ふべきにや」と思したり。




六条の院、源氏も、お耳にあそばして、源氏は、たいそう落ち着いて何につけても、心騒がず、誰も悪く言うところなく、立派に、毎日を暮らしていらしたのを、誇りに思い、自分が昔、少々浮かれすぎて、発展家と、評判をとった名誉挽回だと、嬉しく思ってきたのだが、可愛そうに、どちらに対しても、具合の悪いことと、なるだろう。他人の間でさえなくて、太政大臣なども、どのように思いになるだろう。それくらいの事が分からないはずはない。運命というものは、うまく逃げられないのだ。あれこれと、自分が口出すべきことではない。と、思いになる。また、女の身として、どちらも可愛そうなことだ。と、せん無くも、このお話をお嘆きになる。
紫の上に向かっても、院は、過去のこと、将来のことを、思い出しになりながら、このような話を聞くにつけ、死んだ後が、心配になる旨をおっしゃると、お顔を赤くして、情けないこと。そんな私を後に、残されるのか、との思いだった。




「女ばかり身をもてなす様も所せう、あはれなるべきものはなし。物のあはれ折りをかしきことをも、見知らぬ様にひき入り、沈みなどすれば、何につけてか、世にふるはえばえしさも、常なき世のつれづれをも慰むべき。そは、大方ものの心を知らず、いふかひなきものにはあらずや。心にのみこめて、無言太子とか、小法師ばらの悲しき事にかる昔のたとひのやうに、あしき事よき事を思ひ知りながらうづもれなむも、いふかひなし。わが心ながらも、よき程にはいかで保つべきぞ」と思しめぐらすも、今はただ女一の宮の御為なり。




源氏は、女ほど、身持ちが窮屈で、可愛そうな者はない。感ずべきことも、面白いことも、分からない振りで、人前に出ず、引っ込んでいたりなどするものだから、一体、何によって、生きている間の喜びも、無常の世の無為をも、紛らわせるのか。そういうことは、一切分からず、お話にならないものとなっていては、それでは、手塩にかけて、育ててくれた親も、残念に思うはずではないか。胸一つに収めて、無言太子とか、つまらない小坊主どもが、悲しい話にする、昔のたとえのように、悪いこと良いことは、きちんと分かりながら、口に出さずにいるのも、お話にならないこと。自分ながら、立派に、どうして、身を持ち続けることが、出来ようか。と、心配されるのも、今は、ただ、一に、女一の宮のためだけなのだ。




大将の君参り給へるついでありて、思う給へらむ気色もゆかしければ、源氏「御息所の忌果てぬらむなむ。昨日今日と思ふ程に、みそとせよりあなたの事になる世にこそあれ。あはれにあぢきなしや。ゆふべの露のかかる程のむさぼりよ。いかでかこの髪剃りて、よろづ背き捨てむと思ふを、さものどやかなるやうにして過ぐすかな。いとわろきわざなりや」と宣ふ。夕霧「まことに惜しげなき人だに、おのがじしは離れがたく思ふ世にこそ侍めれ」など聞えて、夕霧「御息所の四十九日のわざなど、大和の守なにがしの朝臣、一人あつかひ侍る。いとあはれなるわざなりや。はかばかしきよすがなき人は、生ける世の限りにて、かかる世のはてこそ悲しう侍りけれ」と聞え給ふ。源氏「院よりもとぶらはせ給ふらむ。かの御子いかに思ひ嘆き給ふらむ。はやう聞きしよりは、この近き年ごろ事にふれて聞き見るに、この更衣こそ口惜しからずめやすき人のうちなりけれ。おほかたの世につけて惜しきわざなりや。さてもありぬべき人の、かう失せゆくよ。院もいみじうおどろき思したりけり。かの御子こそは、ここにものし給ふ入道の宮よりさしつぎには、らうたし給ひけれ。人様もよくおはすべし」と宣ふ。夕霧「御心はいかがものし給ふらむ。御息所は、こともなかりし人の気配心ばせになむ。親しううちとけ給はざりしかど、はかなき事のついでに、おのづから人の用意はあらはなるものになむ侍る」と聞え給ひて、宮の御事もかけず、いとつれなし。「かばかりのすくよか心に、思ひそめてむこと、いさめむにかなはじ、用いざらむものから、われさかしに言いでむもあいなし」と思して止みぬ。




大将の君が参上された機会に、心の様も知りたいと思い、源氏は、御息所の忌みは、明けただろう。昨日、今日と思ううちに、三十年以上の昔になる、世の中だ。儚く、つまらないものだ。夕方の露が、草葉にかかっているぐらいの、寿命をむさぼっている。何とかして、この髪を剃って、何もかも捨て去って、と思いつつ、いかにも、のんびりした態度で、日を送っている。まことに、良くないことだ。と、おっしゃる。
夕霧は、本当に、惜しくない人でも、それぞれは、去りがたく思う、この世でございます。などと、申し上げて、更に、御息所の四十九日の法要など、大和の何某朝臣が、一人で、お世話いたしますのは、まことに奇妙なことで、ございます。しっかりとした、縁者のいない人は、生きている間だけのことで、死後は、惨めなことでございます。と、申し上げる。
源氏は、上皇様からも、ご弔問されたことであろう。あの内親王は、どんなにお嘆きになってしらっしゃることか。昔聞いていたよりは、ここ一年余り、何かに付けて、見たり聞いたりするが、この更衣は、お付き合いできる感じのよい人の一人であろう。知り合いとしてではなくとも、惜しいことだ。まずまずの人が、こうして死んで行くことだ。上皇様も、酷く驚き遊ばしたのだ。あの内親王は、こちらにいらっしゃる入道の宮の次には、可愛がっていらした。ご様子も立派で、いらっしゃるだろう。と、おっしゃる。
夕霧は、お気立ては、どのようでいらっしゃいますか。御息所は、悪い点のなかった感じの性格でいらっしゃいました。親しくお話し合いくださいませんでしたが、ちょっとしたきっかけで、いつとはなく、たしなみの程は、分かるものでございます。と、申し上げて、女二の宮の事は、口にされず、冷静である。
これほど物に動じない人が、思いつめていることは、忠告しても、役に立つまい。聞きもしないのに、いい気になって、口出ししても、つまらないと、源氏は思い、おやめになった。


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2016年05月25日

もののあわれについて811

かくて御法事に、よろづとりもちてせさせ給ふ。事の聞え、おのずからかくれなければ、大殿などにも聞き給ひて、「さやはあるべき」など、女方の心浅きやうに、思しなすぞわりなきや。かの日は昔の御心あれば、君達もまでとぶらひ給ふ。誦経など、殿よりもいかめしうせきせ給ふ。これかれもさまざま劣らずし給へれば、時の人のかやうのわざに劣らずなむありける。




かくて、御法事には、何もかにも引き受けて、おやり遊ばす。
その評判は、自然に知れることなので、太政大臣の家でもお耳にされて、そんなことで、よかろうか、などと、女の側の考えが浅いように、お考えになるのは、困ったことだ。その当日は、柏木生前の気持ちが残っているので、子息たちも、ご弔問にお出でになる。
読経なども、太政大臣家からも、大変なことをなさった。誰彼も、色々負けず劣らずになさるので、時めく人の法事には、負けないほどであった。




宮はかくて住み果てなむと思し立つ事ありけれど、院に人のもらし奏しければ、朱雀院「いとあるまじき事なり。げにあまたとざまこうざまに身をもてなし給ふべき事にもあらねど、後見なき人なむ、なかなかさるさまにて、あるまじき名を立ち、罪得がましきとき、この世のちの世、中空にもどかしき咎負ふわざなる。ここにかく世を捨てたるに、三の宮の同じごと身をやつし給へる。末なきやうに人の思ひ言ふも、捨てたる身には思ひ悩むべきにはあらねど、必ずさしもやうのことと、あらそひ給はむもうたてあるべし。世の憂きにつけて厭ふは、なかなか人悪きわざなり。心と思ひとるかたありて、今すこし思ひしづめ、心すましてこそ、ともかうも」と、たびたび聞え給うけり。この浮きたる御名をぞきこしめしたるべき。さやうの事の思はずなるにつけて憂し給へると、言はれ給はむことを思すなりけり。さりとてまたあらはれてものし給はむもあはあはしう、心づきなき事と思しながら、はづかしと思さむもいとほしきを、何かはわれさへ聞きあつかはむと思してなむ、この筋はかけても聞え給はざりける。




女二の宮は、このまま、一生を送ろうとご決心されたが、上皇様に、ある方が、そっと申し上げたところ、朱雀院は、まことに、よろしくないことだ。いかにも、一人以上の男に、あれこれと、身を任せても良いことではないが、世話をする人がいない女は、かえって、出家した形で、許しがたい浮名を流し、罪を作る時は、現世も来世も、どっちつかずで、非難される失敗を犯すものだ。私がこうして、出家をしているのに、女三の宮も、同じように、出家されたのでは、子孫がなくなるように、世間が思い、言いもするのは、世を捨てたこの身には、気にすることでもないのだが、必ずしも、同じように、競争のように、出家するのも、感心できないだろう。世の中が、嫌になったからとて、出家するのは、かえって、外聞の悪いこと。自分自身、考えるところがあり、少し気を落ち着け、冷静になってからなら、どうなりとも、と、何度も、何度も、申し上げた。
今度の浮名を、お耳に遊ばしてのことだろう。大将との事が、思うようにゆかないので、気を腐らせたのだと、評判されることを、ご心配になってのことだ。だからといい、また二人が、世間の前でも、はっきりとした間になることも、浅はかな、感心しないことと、思いになる。あわす顔もないと思いになっては、可愛そうで、どうして、私までもだが、知った顔で、口出ししょうと、お考えになり、この事については、全然、口出しにならないのだった。




大将も、「とかく言ひなしつるも、今はあいなし、かの御心に許し給はむ事はかたげなめり。御息所の心知りなりけりと、人には知らせむ、いかがはせむ、なき人に少し浅き咎はおはせて、いつありそめし事ぞともなく紛らはしてむ。さらがへりて懸想だち、涙をつくしかかづらはむも、いとうひうひしかるべし」と思ひえ給うて、一条に渡り給ふべき日、その日ばかりと定めて、大和の守召して、あるべき作法宣ひ、宮の内はらひしつらひ、さこそ言へども、女どちは草しげう住みなし給へりしを、磨きたるやうにしつらひなして、御心遣ひなど、あるべき作法めでたう、壁代、御屏風、御几帳、御座などまで思し寄りつつ、大和の守に宣ひて、かの家に急ぎ仕うまつらせ給ふ。




大将は、あれこれと、言いなだめてきたが、もう駄目だ。あのお心では、聞き入れされることは、難しい。御息所の黙認だったのだと、人には思わせておこう。せん無いことだ。亡き人に、思慮が少し浅いとの罪をかぶせて、いつからの事だともなく、ごまかしてしまおう。今更、改めて口説きなおし、涙を尽くしてつきまとうのも、初心なやり方といわれる。と、思い至り、一条の御殿にお移りされる日、何日と決めて、大和の守を呼びつけて、しかるべきやり方を仰せられ、御殿の中を掃除して整え、何といっても、女同士では、草の茂るに任せて住んでいらっしゃるのを、磨き上げたように手を入れて、お心配りなどや、しかるべきやり方も立派にして、壁代、御屏風、御几帳、御座などまで、お気をつけてなさり、大和の守にお命じになり、その家で、急いでお作り、申させる。




その日、われおはし居て、御車御前など奉れ給ふ。宮は、さらに渡らじと思し宣ふを、人々いみじう聞え、大和の守も、「さらに承らじ。心細く悲しき御有様を見奉り嘆き、この程の宮仕へは、堪ふるに従ひて仕うまつりぬ。今は国の事も侍り。まかり下だりぬべし。宮の内の事も見給へ譲るべき人も侍らず。いとたいだいしう、いかにと見給ふるを、かくよろづに思し営むを、げに、このかたにとりて思給ふるには、必ずしもおはしますまじき御有様なれど、さこそは、いにしへも御心にかなはぬためし多く侍れ。ひと所やは世のもどきをも負はせ給ふべき。いと幼くおはします事なり。たけう思すとも、女の御心ひとつに、わが御身を取りしたため、かへり見給ふべきやうかあらむ。なほ人のあがめかしづき給へらむに助けられてこそ。深き御心のかしこき御おきても、それにかかるべきものなり。君たちの聞え知らせ奉り給はぬなり。かうは、さるまじき事をも、御心どもに仕うまつりそめ給うて」と言ひ続けて、左近、少将を責む。




その日は、自分でお出かけになって、座り込み、お車前駆など、差し上げる。
宮は、絶対に移るまいとお考えで、お口にされるが、人々が強くお勧め申し、大和の守も、絶対に、承服つかまつりません。心細く、悲しいご様子を拝見して、心配になり、ここの所のお世話は、できる範囲でいたしました。今は、任国の仕事もございますので、下向いたします。お屋敷のことも、お任せできる人もございません。無責任なことで、どうしたものかと、存じておりますが、こうして、大将が、すべてご配慮なさることを、確かに、結婚のお話として、考えますと、必ずあちらへお出であそばす方が、よいともできないご様子ですが、そういう風に、お心のままにならなかった例が、昔も多くございました。こちら様だけが、世間の非難をお受けなさるということでしょうか。実に、子どものようなお考えです。気強くお考えでも、女お一方のお心で、ご自身の始末をつけ、お気を配りなさる、手立てが、できましょうか。矢張り、男が大事に大事になさいますのに助けられてこそです。一方では、してはならないことも、ご自身の判断で、お取り計らい申しなさって、と、言い続けて、左近や、少将を責めるのである。


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