2016年02月23日

もののあわれについて792

夕霧

まめ人の名をとりて、さかしがり給ふ大将、この一条の宮の御有様を、なほあらまほしと心にとどめて、おほかたの人目には、昔を忘れぬ用意に見せつつ、いとねんごろにとぶらひ聞え給ふ。下の心には、かくてはやむまじくなむ、月日にそへて思ひ増さり給ひける。御息所も、あはれにありがたき御心ばへにもあるかな、と、今はいよいよもの寂しき御つれづれを、絶えずおとづれ給ふに、慰め給ふ事ども多かり。




堅物との、仇名をとって、いい気でいられる大将は、この一条の宮のご様子を、やはり、いいなと、忘れられず、世間の人目には、昔のよしみを忘れない、心遣いと見せながら、心を込めて、お見舞い申し上げる。その心の中では、このままでは、済まされないと思いつつ、月日が経つに連れて、思いが、募ってゆくのである。
御息所も、実に、珍しい親切なお方だことと、今では、いよいよ心細いお暮らしを、大将不断のご訪問で、紛らわせなさることが、多い。




初めより懸想びても聞え給はざりしに、ひきかへし懸想ばみまめかむもまばゆし。ただ深き心ざしを見え奉りて、うちとけ給ふ折もあらじやは、と思ひつつ、さるべき事につけても、宮の御けはひ有様を見給ふ。みづからなど聞え給ふ事はさらになし。いかならむついでに、思ふ事をまほに聞え知らせて、人の御けはひを見む、と思しわたるに、御息所、もののけにいたうわづらひ給ひて、小野といふわたりに山里持給へるに、渡り給へり。早うより御祈りの師にて、もののけなど払ひ捨てける律師、山籠りして、里に出でじと誓ひたるを、ふもと近くて、請じおろし給ふ故なりけり。御車より始めて、御前など、大将殿よりぞ奉れ給へるを、なかなかまことの昔の近きゆかりの君達は、事わざしげきおのがじしの世の営みに紛れつつ、えしも思ひいで聞え給はず。弁の君、はた、思ふ心なきにしもあらで、けしきばみけるに、ことのほかなる御もてなしなりけるには、しひて、えまでとぶらひ給はずなりにたり。




最初から、色恋の素振りは、お見せにならないのに、打って変わって、恋心を見せ、態度を崩しても、気恥ずかしい。ただ、真心をお見せして、心を許して下さる時もなくはないだろうと、思いつつ、何か事のある時などに、宮の感じや、様子を注意して、ご覧になる。宮ご自身でなど、お声をお聞かせ下さることは、全く無い。どんなきっかけで、胸の内を、まっすぐに、打ち明けて、あちらの態度を見ようと、考え続けているうちに、御息所が、物の怪に酷く悩み、小野というところに山荘を持っていらしたのに、お移りになられた。昔から、祈祷師として、物の怪などを、追い出していた律師が、山籠りして、俗界に出まいと誓っていたのを、麓近くに行き、下山をお頼みするためだった。
お車のことを始めとして、御前駆などは、大将殿から、差し向けられたのに、反対に本当の昔の、近親の若様方は、することの多い、それぞれの生活に気を取られて、宮のお世話を、考えないのである。弁の君は、また、宮に気のないこともなくて、その、素振りを見せたのだが、厳しいご挨拶だったので、おして、参上しての、お世話は、為さりにくくなっていた。




この君は、いとかしこう、さりげなくて、聞えなれ給ひにためり。修法などせさせ給ふと聞きて、僧の布施浄衣などやうの、こまかなるものをさへ奉れ給ふ。なやみ給ふ人はえ聞え給はず。女房「なべての宣旨書は、ものしと思しぬべく、ことごとしき御さまなり」と人々聞ゆれば、宮ぞ御返り聞え給ふ。いとをかしげにて、ただ一くだりなど、おほどかなる書きざま、ことばもなつかしき所かきそへ給へるを、いよいよ見まほしう目とまりて、しげう聞えかよひ給ふ。「なほつひにあるやうあるべき御なからひなめり」と、北の方けしきとり給へれば、わづらはしくて、まうでまほしう思せど、とみにえ出で立ち給はず。




この方は、とても、上手に、そんな、素振りは見せずに、親しくしていらしたらしい。修法など、させ給うと聞いて、僧の布施や浄衣などのような、こまごまとしたものまで届けて、差し上げる。病人は、お礼を申し上げることも出来ない。ありふれた代筆は、けしからぬと思いましょう。重々しいお方です。と、女房たちが、申し上げるので、宮が、お返事をお書きになる。とても綺麗な字で、ほんの一行ほど、おっとりとした、筆つかいで、優しい言葉も、お書きになるので、一層見たく、手紙から目が離せなず、しきりに、御文をやり取りされる。
やはり、結局は、ただでは済みそうにないお二人だ、と、北の方が様子を察して、面倒になって、訪問したいが、急には、お出かけになれない。




八月中の十日ばかりなれば、野辺のけしきもをかしき頃なるに、山里の有様いとゆかしければ、夕霧「なにがし律師のめづらしうおりたなるに、せちに語らふべきことあり。御息所のわづらひ給ふなるとぶらひがてら、まうでむ」と、おほかたにぞ聞えごちて、いで給ふ。御前ことごとしからねど、したしきかぎり五六人ばかり、狩衣にてさぶらふ。ことに深き道ならねど、松が崎の小山の色なども、さるいはほならねど、秋のけしきつきて、都に二となくと尽くしたる家居には、なほあはれも興もまさりてぞ見ゆるや。




八月二十日の頃なので、野原の景色も、美しい時節で、山里の様子が、とても、気になるので、夕霧は、何々の律師が、久しぶりに山から下りたそうだが、是非にも、相談しなければならないことがある。御息所の患うのも、お見舞いがてらに、参ろうと思う。と、よそ事のような、申訳をして、お出かけになる。お供の人数も、大げさにせず、身近に使っている者、五、六人ほどが、狩衣姿で、お供する。
特に、山奥に行くのではないが、松ヶ崎の小山の色なども、それほどの岩山ではないが、秋らしい色になっていて、都では、またとないほど、数寄を凝らした住居より、美しさも、風情も、まさって見えるのだ。

なほあはれも興もまさりて・・・
色々な形容になるが、美しさも、風情も、あはれと言うのである。

あはれ、という、言葉の、風景が広がる。
何度も言うが、心象風景の広がりである。

極端に言えば、美しさも、醜さも、あはれ、という言葉で、表現できるのだ。
その意味は、前後、あるいは、その時の、場の雰囲気によって、決まる。

便利な言葉であるが・・・
それを、日本人は、所作にまで、高さめたのである。
あはれなる所作である。
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2016年02月24日

もののあわれについて793

はかなき小柴垣も、ゆえあるさまにしなして、かりそめなれど、あてはかに住まひなし給へり。寝殿とおぼしき東の放出に、修法の壇ぬりて、北の廂におはすれば、西おもてに宮はおはします。御もののけむつかしとて、とどめ奉り給ひけれど、いかでか離れ奉らむと渡り給へるを、人に移り散るをおぢて、すこし隔ばかりに、あなたには渡し奉り給はず。




簡単な、小柴垣も、趣のあるように作り、一時のことではあるが、品の良い住み方をしていられる。寝殿らしい、建物の東側の放出に、修法の壇を塗りあげて、北の廂に、御息所がいらっしゃる。西座敷には、宮がおいで遊ばす。物の怪が強いからと、お止め申したが、どうして、お傍を離れましょうと、後を追って、お移りされたが、物の怪が人に移るのを恐れて、少しの隔てだけでもと、そちらには、お入れ申し上げない。




まらうどの居給ふべき所のなければ、宮の御方のみすの前に入れ奉りて、上臈だつ人々、御消息聞え伝ふ。御息所「いとかたじけなく、かうまで宣はせ、渡らせ給へるをなむ。もしかひなくなりはて侍りなば、このかしこまりをだに聞えさせでや、と思ひ給ふるをなむ、今しばしかけとどめまほしき心つき侍りぬる」と聞えいだし給へり。夕霧「渡らせ給ひし御送りにも、と思う給へしを、六条の院に承りさしたる事侍りし程にてなむ。日ごろも、そこはかとなく紛るる事侍りて、思ひ給ふる心の程よりは、こよなくおろかに御覧ぜらるる事の、苦しう侍る」など聞え給ふ。




お客の、座るような場所がないので、宮のお部屋の御簾の前に、お入れして、上臈にあたる人々が、ご挨拶をお伝え申し上げる。御息所は、とても、もったいないことに、このようにまで、仰せになり、おいで遊ばしになられたのに。もし、余命が尽きましたら、この御礼さえ、申し上げないままになるのではと、存じますと、もう少し、生き延びたいという気持ちが、出てまいりました。と、御簾の中から、申し上げる。
夕霧は、お移り遊ばした時の、お供をいたそうと思っておりましたが、六条の院の方に、承ったままの用事がありました時でして。このところ、何やかにやと、手のかかることがございまして、思っていた心に比べますと、誠意がないと、思いいただくのが、心苦しく思われます。などと、申し上げる。




宮は、奥の方にいとしのびておはしませど、ことごとしからぬ旅の御しつらひ、浅きやうなる御座のほどにて、人の御けはひおのづからしるし。いとやはらかに、うちみじろきなどし給ふ御衣の音なひ、さばかりななりと、聞き居給へり。心も空におぼえて、あなたの御消息かよふほど、すこし違う隔たるひまに、例の少将の君など、さぶらふ人々に物語などし給ひて、夕霧「かう参り来なれ、承ることの、年ごろといふばかりになりにけるを、こよなうもの遠うもてなさせ給へる恨めしさなむ。かかる御簾の前にて、ひとづての御消息などの、ほのかに聞え伝ふることよ。まだそこならはね。いかに古めかしきさまに、人々ほほえみ給ふらむと、はしたなくなむ。齢つもらず軽らかなりしほどに、ほの好きたるかたに面なれましかば、かううひうひしうもおぼえざらまし。さらに、かばかりすくずくしう、おれて年ふる人は、たぐひあらじかし」と宣ふ。




宮は、奥の方に、ひっそりと、おいで遊ばすが、充分ではない、旅のお部屋の仕切りに、奥深くない、御座の位置なので、内のほうのご様子が、ひとりでにはっきりと伝わる。とても、静かに、身動ぎなどされる、お召の音を、あのあたりと思い、聞いて、出でになる。心も、上の空になり、あちらへご挨拶を伝えている間、少し永く手間取っているうちに、例により、少将の君など、控えている人々に、話などされて、夕霧は、こうして、よくこちらに伺い、御用をたまわること、何年というほどにもなったのに、あまりにも、よそよそしいお扱いを、遊ばすのが、恨めしくて。こんな御簾の前で、人伝のご挨拶などを、ほのかに、お伝え申し上げるとは。まだ経験したことがない。何とも古風な人だと、皆さん、笑っていらっしゃるだろう、決まりが悪くて。齢もゆかず、位も低かった頃に、色めいた振る舞いをしつけていたら、こう、初な恥ずかしさも、味合わなかったろうに、全く、このように生真面目で、愚かに生きてきた者は、二人とあるまい。と、おっしゃる。




げに、いとあなづりにくげなるさまし給へれば、女房「さればよ」と、「なかなかなる御いらへ聞え出でむは、恥ずかしう」などつきじろひて、「かかる御うれへ、聞こし召し知らぬやうなり」と宮に聞ゆれば、女二「みづから聞え給はざめるかたはらいたさに、かはり侍るべきを、いと恐ろしきまでものし給ふめりしを、見あつかひ侍りし程に、いとどあるかなきかのここちになりてむ、え聞えぬ」とあれば、夕霧「こは宮の御消息か」といなほりて、夕霧「心苦しき御なやみを、身にかふばかり嘆き聞えさせ侍るも、何の故にか。かたじけなけれど、物を思し知る御有様など、はればれしきかたにも見奉りなほし給ふまでは、たひらかに過ぐし給はむこそ、たが御ためにもたのもしきことには侍らめ、とおしはかり聞えさするによりなむ。ただあなたざまに思しゆづりて、つもり侍りぬる心ざしをも、知ろしめされぬは、ほいなきここちなむ」と聞え給ふ。「げに」と人々も聞ゆ。




確かに、とても軽くなどは、扱えないご様子でいらっしゃるので、矢張りと、女房は、変なご返事を申し上げるのは、気が引けます。など、つつき合って、これほどのお願いを、お分かりないみたいです、と宮に、申し上げると、女二宮は、ご自身で、申し上げなさらないご無礼に、私が、代わるところですが、とても、怖いほどのご様態でいるようでしたのを、看護しておりましたうちに、私も益々、生きているやら、どうしていいやら、分からない気分になりまして、ご返事、申し上げられません。ということなので、夕霧は、これは、宮のお言葉かと、居住まいを正して、おいたわしいご病気のご判断が、すっきりとなるまでは、母君がお元気でいらっしゃることが、どちらさまのためにも、こころ強いことでございましょうと、ご推察申し上げるからなので。ただ、母君の事ばかりとお考えになり、長年に渡ります、心の程を、お汲み取りくださらないのは、無駄をした気がします。と、申し上げる。本当に、と女房たちも、申し上げる。




日入り方になりゆくに、空のけしきもあはれに霧りわたりて、山の蔭はをぐらきここちするに、ひぐらしの鳴きしきりて、垣ほに生ふるなでしこの、うちなびける色もをかしう見ゆ。前の前栽の花どもは、心にまかせて乱れあひたるに、水の音いと涼しげにて、山おろし心すごく、松のひびき木深く聞えわたされなどして、不断の経よむ時かはりて、鐘うち鳴らすに、立つ声も居かはるも一つにあひて、いと尊く聞ゆ。所がら、よろづのこと心細う見なさるるも、あはれに物思ひつづけらる。いで給はむここちもなし。律師も加持する音して、陀羅尼いと尊く読むなり。




日は、傾きかけて、空の様子も、しんみりと、あはれに霧が立ち込めて、山の蔭は、薄暗い気がして、ひぐらしは、しきりに鳴き、垣根に生えている、なでしこの風になびいている色も、美しく見える。前の、前栽の色々な花は、思いのまま咲き乱れ、鑓水の音は、とても、涼しそうで、山おろしが、凄いように吹き付け、松風の響きは、奥にこもって、いっぱいに聞こえる。不断の経を読む交替の時間になり、鐘を打ち鳴らすと、立つ僧の声も、入れ替わり僧の声も、一つになって、尊く響く。場所が場所だけに、あらゆることが、心細く見えてくる。あはれに、物思いに耽ってしまう。お出になる気持ちもない。律師も、加持する物音がして、陀羅尼を尊く読むのが聞こえる。

この場合の、あはれ、は、状況説明の、あはれ、である。
また、心の動き。
その有様を、あはれ、という。

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2016年02月25日

もののあわれについて794

いと苦しげにし給ふなりとて、人々もそなたにつどひて、おほかたも、かかる旅どころにあまた参らざりけるに、いとど人ずくなにて、宮はながめ給へり。しめやかにて、思ふこともうちいでつべき折かなと、思ひ給へるに、霧のただこの軒のもとまで立ち渡れば、夕霧「まかでむ方も見えずなりゆくは、いかがすべき」とて、

夕霧
山里の あはれをそふる 夕霧に 立ちいでむ空も なき心地して

と、聞え給へば、
女二の宮
山がつの まがきをこめて 立つ霧も 心そらなる 人はとどめず

ほのかに聞ゆる御けはひに、なぐさめつつ、まことにかへるさ忘れはてぬ。




とても、苦しそうにしていられるようだとあり、女房たちも、御息所に集まって、普通は、こんな仮住居に、沢山はお供しなかったのに、いっそう、人少なく、宮は、物思いに沈んでいられる。夕霧は、心の内を打ち明けるのによい折と思っていると、霧が、この軒の所まで立ち込めたので、夕霧は、出てくる方角も、わからなくなったようで、どうしたものでしょう。と、言い、

夕霧
山里の、物寂しさを募らせる、この夕霧の中を、帰ってゆく気持ちには、なれません。

と、申し上げると、


卑しい、山里の垣根を包み込める霧も、ここに、気持ちのない人は、引き止めないのです。

微かに聞こえてくるご様子に、心を慰めながら、本当に、帰るのを、忘れてしまった。




夕霧「中空なるわざかな。家路は見えず、霧のまがきは、立ち止まるべうもあらずやらはせ給ふ。つきなき人はかかる事こそ」などやすらひて、忍びあまりぬる筋もほのめかし聞え給ふるに、年頃もむげに見知り給はぬにはあらねど、知らぬ顔にのみもてなし給へるを、かく言にいでて恨み聞え給ふを、わづらはしうて、いとど御いらへもなければ、いたう嘆きつつ、心のうちに、またかかる折りありなむや、と思ひめぐらし給ふ。「なさけなう、あはつけき者には思はれ奉るとも、いかがはせむ。思ひわたるさまをだに知らせ奉らむ」と思ひて、人を召せば、御司のぞうよりかうぶり得たる、むつまじき人ぞ参れる。しのびやかに召し寄せて、夕霧「この律師に、必ずいふべき事のあるを、護身などに暇なげなめる、ただ今はうち休むらむ。今宵このわたりにとまりて、初夜の時はてむ程に、かの居たるかたにものせむ。これかれ候はせよ。随身などの男どもは、栗裾野の荘近からむ。まぐさなど取りかはせて、ここに人あまた声なせそ。かうやうの旅寝は、軽々しきやうに人もとりなすべし」宣ふ。あるやうあるべし、と心得て、承りて立ちぬ。




夕霧は、気持ちが落ち着かない。帰り道は見えないし、霧のこめたこのまがきは、立ちどまることも出来ないまでに、追い払われ遊ばす。物慣れない者は、こんな目に遭う。などと、ぐずぐずして、抑えきれない思いを、少し打ち明けられるが、これも、まるで、気づかないわけではないが、知らない顔で、通してきたのに、こうして、言葉に出して、お恨み申し上げると、うるさくなり、いよいよ、お返事もないので、ひどくがっかりしつつ、内心では、二度と、こんな機会があろうか、と思案を巡らす。
酷い人、考えのない人と、思われても、今更、どうしよう。長年思い続けてきた事だけでも、知っていただこう。と思い、供人をお呼びになり、右近衛府の将監から叙爵した、側近の者が参上した。そっと、お傍に呼び寄せて、夕霧は、ここの律師に、どうしても、言っておかねばならない事があるが、護身などで暇もなさそうだ。今頃は、休んでいるだろう。今晩は、この辺りに泊まって、初夜の終わる頃に、律師のいる場所に行こう。誰と誰をおいてゆけ。随身の者共は、栗栖野の荘だ近くだ。馬に、まぐさなどを食わせて、ここは、大勢の声を立てずに。このような所で泊まるのは、ふさわしからぬと誰もが、考えるだろう。とおっしゃる。何か訳があるのだろうと知り、承知して、去った。




さて、夕霧「道いとたどたどしければ、このわたりに宿かり侍る。同じうは、このみすのもとに許されあらなむ。阿闍梨のあるる程まで」など、つれなく宣ふ。例は、かやうに長居して、あざればみたるけしきもも見え給はぬを、うたてもあるかな、と宮おぼせど、ことさらめきて、かるらかにあなたにはひ渡り給はむも、あさましきここちして、ただ音せでおはしますに、とかく聞え寄りて、御消息きこえ伝へにいざり入る人の影につきて、入り給ひぬ。




そうして、夕霧は、帰り道がはっきりしないので、この辺に、宿をお借りします。同じことなら、この御簾の傍をお許し下さい。阿闍梨が控え所に下がる時分までです。などと、何食わない顔で、おっしゃる。いつもは、このように長居して、ふざけたような態度は、見せないのに、困ったことだと、宮は考えるが、わざとらしく、さっさと、あちらへ座をお移しになるのも、具合の悪い気がして、ただ、音を立てずに、お出で遊ばすと、あれこれと言い寄って、お言葉を申し伝えに、奥にいざり入る女房の影に隠れて、御簾の内にお入りになった。




まだ夕暮れの、霧に閉ぢられて、内は暗くなりにたる程なり。あさましうて見返りたるに、宮は、いとむくつけうなり給うて、北の御障子のとにいざりいでさせ給ふを、いとようたどりて、引きとどめ奉りつ。御身は入りはて給へれど、御ぞのすその残りて、障子はあなたよりさすべきかたなかりければ、引きたてさして、見ずのやうにわななきおはす。人々もあきれて、いとわりなくて、あらあらしくはえ引きかなぐるべくはた物し給はねば、女房「いとあさましう。思う給へよらざりける御心の程になむ」と、泣きぬばかりに聞ゆれど、夕霧「かばかりにて候はむが、人よりけに、うとましうめざましう思さるべきにやは、数ならずとも、御耳なれぬる年月も重なりぬらむ」とて、いとのどやかにさまよくもて静めて、思ふ事を聞え知らせ給ふ。




まだ夕暮れなのに、霧に閉じ込められて、家の内は、暗くなっているころ。女房は、びっくりして、振り返ると、宮は、薄気味悪くなり、北側の、襖の外に、いざってお出ましになった。とてもうまく探り当て、お引き止めした。お体は、出てしまわれたが、お召し物の裾が残り、襖は、あちらから止め金のかけようもないので、閉めたまま、水のように、震えている。
女房たちも、呆れて、どうしたらよいのか、考えもつかない。こちらから止め金もあるが、困り切って、手荒く引き離す事のできるご身分のお方でも、ないゆえ、女房は、何とひどいことを。思いもかけないお心です。と、泣くように申し上げるが、夕霧は、この程度、お傍にいるのが、誰にもまして、いやらしい、けしからぬと、お考えになるようなことでしょうか。つまらない私ですが、お耳に慣れての、年月も、随分になりましょう。と、悠々と、焦らず、体裁よく、落ち着いて、心の中をも申し上げる。


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2016年02月26日

もののあわれについて795

聞き入れ給ふべくもあらず、くやしう、かくまで、と思す事のみやるかたなければ、宮はむこと、はたましておぼえ給はず。夕霧「いと心うく若々しき御さまかな。人知れぬ心に余りぬるすきずきしき罪ばかりこそ侍らめ、これよりなれ過ぎたる事は、さらに御心許されでは御覧ぜられじ。いかばかり、ちぢにくだけ侍る思ひにたへぬぞや。さりとも、おのづから御覧じ知るふしも侍らむものを。しひておぼめかしう、けうとうもてなさせ給ふめれば、聞えさせむかたなさに、いかがはせむ。ここちなく憎しと思さるとも、かうながら朽ちぬべきうれへを、さだかに聞え知らせ侍らむとばかりなり。言ひ知らぬ御けしきのつらきものから、いとかたじけなければ」とて、あながちに情け深う用意し給へり。




宮は、聞き入れるはずもなく、嫌だ、こんな事までも、との、お考えがお心を去らず、お口にされる言葉など、まして思い浮かばないのである。
夕霧は、何と情けない小娘みたいな、なさりよう。人には、秘めた胸の内を抑えかねた、好色の罪がありましょうが、これ以上、馴れ馴れしい事は、決して、お許しがなければ、いたしません。どれほど、ちぢに乱れる思いに、耐え兼ねたことか。いくらなんでも、自然とお気づきになさる事も、ございましょう。わざと、知らないふりをして、よそよそしく、お扱い遊ばすようなので、ここまま朽ちて、果てなければならない悲しさを、はっきりと申し上げておこうと、思ったのです。言いようのない態度が、辛いものの、恐れ多いと思うことゆえに。と、努めて思いやり深くと、お気をつけられる。





障子をおさへ給へるは、いと物はかなきかためなれど、引きあけず、夕霧「かばかりのけぢめをと、強ひて思さるらむこそあはれなれ」と、うちわらひて、うたて心のままなるさまにもあらず、人の御ありさまの、なつかしうあてになまめい給へる事、さはいへど、ことに見ゆ。世とともに物を思ひ給ふけにや、やせやせにあえかなる心地して、うちとけ給へるままの御袖のあたりもなよびかに、け近うしみたる匂ひなど、とり集めてらうたげに、やはらかなるここちし給へり。




襖を、抑えられていられるのは、頼りにならない守りだが、引き開けもせず、夕霧は、これだけの隔てはと、強いてお考えなのが、お気の毒と、にっこりして、いやらしい、無理強いしようとの様子でもない。宮のお姿の、上品で、もの柔らかい雰囲気は、なんといっても、格別に思える。ずっと、物思いに沈んでいるせいか、痩せて、か弱い感じで、普段着のままでいられる、お袖のあたりも、しなやかで、親しみやすく、焚きしめた香なども、何もかも、可愛く、なよなよした、感じでいられる。




風いと心細う、ふけゆく夜のけしき、虫の音も、鹿の鳴くねも、滝の音も、ひとつに乱れて艶なる程なれば、ただありのあはつけ人だに、寝覚しぬべき空のけしきを、格子もさながら、入りがたの月の山のは近き程、とどめがたうものあはれなり。夕霧「なほ、かう思し知らぬ御有様こそ、かへりては浅う御心のほど知らるれ。かう世づかぬまで、しれじれしきうしろ安さなども、たぐひあらじとおぼえ侍るを、何事にもかやすきほどの人こそ、かかるをば、しれ者などうち笑ひて、つれなき心も使ふなれ。あまりこよなく思し落としたるに、えなむ静めはつまじき心地し侍る。世の中をむげに思し知らぬにしもあらじを」と、よろづに聞え責められ給ひて、いかが言ふべき、と、わびしう思しめぐらす。




風が、物寂しく、ふける夜の様子は、虫の音、鹿の鳴き声、滝の音も、一つに入り乱れて、気もそぞろになる時節なので、薄っぺらい者でさえ、寝覚めするに違いない空の様子で、格子もそのままに、入り方の月の山の端近い頃は、涙を抑えかねる、もののあはれである。夕霧は、やはり、このように、お分かりくださらないご様子こそ、かえって、浅い心と思われます。こう、世間知らずで、馬鹿正直で、心配のいらないところなど、二人といないと、存じますが、何事も、気楽に出来る身分の者は、こんな私を、馬鹿者と、笑い、つれない仕打ちもするのです。あまりに酷く、蔑みになさるので、思いを抑えきれない気がします。男を全くご存知ないでもありますまい。と、言葉を尽して、攻められるが、どう言ったものか、と、宮は、やりきれない思いで、思案される。




世を知りたるかたの心安きやうに、をりをりほのめかすねめざましう、げにたぐひなき身の憂さなりや、と思し続け給ふに、死ぬべくおぼえ給うて、女二「憂きみづからの罪を思ひ知るとても、いとかうあさましきを、いかやうに思ひなすべきにかはあらむ」と、いとほのかに、あはれげに泣い給うて、

女二
われのみや 憂き世を知れる ためしにて 濡れそふ袖の 名をくたすべき

と、宣ふともなきを、わが心につづけて、忍びやかにうちずし給へるもかたはらいたく、いかに言ひつる事ぞ、と思さるるに、夕霧「げにあしう聞えつかし」などほほえみ給へるけしきにて、

夕霧
おほかたは われ濡れぎぬを きせずとも くちにし袖の 名やはかくるる

ひたぶるに思しなりねかし」とて、月明きかたにいざなひ聞ゆるも、あさましと思す。心強うもてなし給へど、はかなう引き寄せ奉りて、夕霧「かばかりたぐひなき心ざしを御覧じ知りて、心安うもてなし給へ。御許しあらではさらにさらに」といとけざやかに聞え給ふ程、明け方近うなりにけり。




夫を持ったことが、近づきやすい理由のように、時々、口にするのも気になり、本当に、二人とない、我が身の不運と、考えこんでいらっしゃると、死んでしまいそうになり、宮は、情けない我が身の過ちを知ったとしても、こんなひどい有様を、どう考えたら、いいのでしょう。と、かすかに、悲しそうに、泣くのである。

女二
私だけが、不運な結婚をした女として、涙の袖を更に濡らし、悪い評判を受けなければならないのでしょう。

と、おっしゃるともなく、口にされるので、大将、夕霧は、心の中で、三十一文字にして、低く口ずさんでいるのも、きまりが悪く、どうして、言ってしまったのか、と思うが、夕霧は、本当に、悪いことを、申しました、などと、微笑んでいらっしゃる様子で、

夕霧
私は、あなたに濡れ衣を着せなくても、立ってしまった、浮名は、消えるものですか。

いっそ、思い切りなさい。と、月の光の明るいほうへお連れしようとするが、もってのほかと思いで、気強いお扱いをされるが、わけなく引き寄せて、夕霧は、これほどの、またとない愛情を、認めてくださって、気を楽になさって下さい。お許しなしでは、決して、決して、これ以上は、と、はっきりとした言い方で、そのうちに、夜明け近くになってしまった。


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2016年03月15日

もののあわれについて796

月くまなう澄み渡りて、霧にも紛れずさし入りたり。浅はかなる廂の軒は、程もなきここちすれば、月の顔に向かひたるやうなる、あやしうはしたなくて、まぎらはし給へるもてなしなど、言はむかたなくなまめき給へり。故君の御事も少し聞え出でて、さまよう、のどやかなる物語りをぞ聞え給ふ。さすがに、なほ、かの過ぎにしかたに思し落すをば、うらめしげに恨み聞え給ふ。




月の光は、陰りもなく澄み切って、霧にも遮られず、部屋に差し込んでいる。浅い作りの廂の軒先は、奥行きがないので、言いようもなく、なまめかしくしていられる。亡き柏木のお話も、少し申し出されて、感じよく、穏やかな話を、申し上げる。それでも、やはり、亡くなった柏木より、低くお考えになっているのを、夕霧は、恨めしく、恨み申し上げる。




御心のうちにも、「かれは、位などもまだ及ばざりける程ながら、たれもたれも御許しありけるに、おのづからもてなされて、見なれ給ひにしを、それだに、いとめざましき心のなりにしさま。ましてかうあるまじき事に、よそに聞くあたりにだにあらず、おほ殿などの聞き思ひ給はむことよ。なべての世のさしりをばさらにも言はず、院にもいかに聞しめし思ほされむ」など、離れぬここかしこの御心を思しめぐらすに、いと口をしう、わが心ひとつにかう強う思ふとも、人の物いひいかならむ。御息所の知り給はざらむも罪えがましう、かく聞き給ひて、心幼くと思し宣はむもわびしければ、女二「明かさでだに出で給へ」と、やらひ聞え給ふよりほかのことなし。




お心の中でも、あの柏木は、位なども、まだ問題にならないほどだったのに、どなたも、どなたも、お許しになったので、自然にそんな気持ちになって、お馴染みになったが、それさえ、酷く薄情な人なってしまった。それどころか、こんな、あってはならない事を。人事として、聞ける間柄でさえないものを、太政大臣などが、お聞きになったら、どう思うことか。
一般の世間の非難は、言うまでもないことで、院におかせられても、どのように、お聞き遊ばすのか、などと、御縁者の、誰彼の心を、色々と考えると、まことに残念で、自分一人が、このように気づよく思っても、世間の噂は、どんなことになろうか。御息所が、ご存知ないのも、罪深い気がして、こうと聞いて、考えのない事をと、思いになり、おっしゃる様子も、それが、辛いので、女二の宮は、せめて、夜を明かさずに、お帰りくださいと、追い出されるより、致し方がないのである。




夕霧「あさましや。事あり顔に分け侍らむ朝露の思はむところよ。なほさらば思し知れよ。かうをこがましきさまを見え奉りて、かしこうすかしやりつ、と思し離れむこそ、その際は心もえ治めあふまじう、知らぬ事々、けしからぬ心使ひもならひ始むべう、思ひ給へらるれ」とて、いとうしろめたくなかなかなれど、ゆくかりにあざれたる事の、まことにならはぬ御ここちなれば、いとほしう、わが御みづからも心劣りやせむ、など思いて、たが御ためにもあらはなるまじき程の霧にたち隠れて、いで給ふ。ここちそらなり。

夕霧
萩原や のきばの露に そばちつつ 八重たつ霧を 分けぞゆくべき

濡れごろもは、なほえ干させ給はじ。かうわりなうやらはせ給ふ御心づからこそは」と聞え給ふ。げに、この御名のたけからず漏りぬべきを、「心のとはむにだに、口清うこたへむ」と思せば、いみじうもて離れ給ふ。

女二
分けゆかむ 草葉の露を かごとにて なほ濡衣を かけむとや思ふ

めづらかなる事かな」と、あはめ給へるさま、いとをかしう恥づかしげなり。年ごろ、人に違へる心ばせ人になりて、さまざまに情けを見え奉る名残なく、うちたゆめ、好き好きしきやうなるが、いとほしう心恥づかしげなれば、おろかならず思ひ返しつつ、かうあながちに従ひ聞えても、のちをこがましくや、と、さまざまに思ひ乱れつついで給ふ。道の露けさも、いとところせし。




夕霧は、驚きます、ただならぬ仲のような顔で、踏み分ける朝露が、どう思うでしょう。でも、そうおっしゃるならば、ご承知ください。このようなバカな姿を、見せ申して、うまく騙して、追い出した、とお考えなさるようなら、その時は、この心も、抑えることが出来ずに、思いもかけない事や、けしからぬ考えも、出てきそうに思われます。と、後が気になり、かえって、心残りだが、出し抜けに手を出すことは、本当に、経験のないことなので、宮にも、お気の毒であり、ご自身も、自己嫌悪にならないかと、考えになって、どちらの御ためにも、目立たないほどの朝露にまぎれて、お出になる。その心は、上の空だ。

夕霧
萩原の、軒先の露に濡れつつ、幾重にも立ち込めた、霧を分けて帰らなければ、ならないのですか。

濡衣は、あなたも、お晴らしになれませんでしょう。こう、無理に追い出し遊ばす、お心のせいです。と、申し上げされる。まことに、宮様の、御浮名は、聞きにくく伝わるに違いないが、我が心の咎めにだけでも、潔白だと考えよう。と、考えて、酷いこと、よそよそしい、なされようである。

女二
ご自分が、踏み分けてゆく、草葉の露に、濡れるのを言いがかりにして、私にまで、濡衣を着せようと思いですか。

聞いたことのない、お話です。と、たしなめられたご様子は、負けたと思う。長年、人とは違った人情家になって、色々、思いやりのあるところを、お見せしていたのとは、違って、油断させ、好きがましい態度なのが、お気の毒であり、気が引けるので、少なからず、反省しつつ、こう無理して、お言葉に従い、後で馬鹿を見ないかと、ああか、こうかと、思案にくれながら、出てお行きになる。その道の、露も、酷いものである。


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2016年03月22日

もののあわれについて797

かやうのありき、ならひ給はぬ心地に、をかしうも心づくしにもおぼえつつ、殿におはせば、女君の、かかる濡れをあやしと咎め給ひぬべければ、六条の院の東のおとどにまうで給ひぬ。まだ朝霧もはれず、ましてかしこにはいかにと思しやる。女房「例ならぬ御ありきありけり」と人々はささめく。しばしうち休み給ひて、御衣脱ぎ替え給ふ。常に、夏冬といと清らにしおき給へれば、香の御唐弼りとうでて奉り給ふ。御粥などまいりて、御前に参り給ふ。




このような、出歩きは、されない方とて、面白いとも、気を使うことだとも感じながら、お屋敷にいらしては、女君が、このような濡れ姿を怪しいと、疑うにきまっていると、六六条の院の、東の御殿に参上された。まだ朝霧も、晴れない。まして、あちらでは、どんなことだろうと、想像された。例にない、忍び歩きだったと、女房たちは、ささやく。しばらくお休みになって、お召し物を脱がれて、替える。いつも、夏物、冬物と、とてもきれいに用意しておられるので、香の御唐櫃から取り出して、差し上げる。お食事など、召し上がって、院の御前にお上がりになる。




かしこに御文奉り給へれど、御覧じも入れず。にはかにあさましかりし有様、めざましうも恥づかしうも思すに、心づきなくて、御息所のもり聞き給はむこともいと恥づかしう、又、かかる事やとかけて知り給はざらむに、ただならぬふしにても見つけ給ひ、人の物言ひ隠れなき世なれば、おのづから聞き合はせて、へだてけるとおぼさむがいと苦しければ、「人々ありしままに聞えもらさむ。憂しと思す。親子の御中と聞ゆるなかにも、つゆ隔てずぞ思ひかはし給へる。よその人はもり聞けども、親に隠す類こそは、昔の物語にもあめれど、さはた思されず。




あちらに、お手紙を差し上げたが、御覧になろうとしない。思いがけず、いやな目にあったもあの出来事を、腹立たしくも、恥ずかしくも思い、不愉快で、御息所がお耳にされても、恥ずかしいし、逆に、こんな出来事があったとは、少しもご存知ないのに、いつもと違うことでも、お見つけなさり、人のうわさの、伝わらないはずはないから、自然に、わかってしまう。隠し立てしたと思われては辛いので、女房たちが、ありのままに、お耳に入れてくれたらよい、困ったことをと思っても、しようがないと、お考えになる。親子の御中と申すことでも、何一つ隠さず、打ち明けあっていらっしゃる。他人は、漏れ聞いても、親には、隠す例ならば、昔の物語にもあるようだが、そんな風には、考えない、身やである。




人々は、「何かは、ほのかに聞き給ひて、事しもあり顔に、とかく思し乱れむ。まだきに心苦し」など言ひ合せて。いかならむと思ふどち、この御息所のゆかしきを、引きもあけさせ給はねば、心もとなくて、女房「なほ、むげに聞えさせ給はざらむもおぼつかなく、若々しきやうにぞ侍らむ」など聞えて、広げたれば、「あやしう、何心もなきさまにて、何心もなきさまにて、人にかばかりなかりにても見ゆるあはつけさの、みづからの過に思ひなせど、思ひやりなかりしあさましさも、慰めがたくなむ。え見ずとをいへ」と、ことのほかにて寄りふさせ給ひぬ。




女房たちは、なんの、お耳になさって、仔細ありげに、何かとご心配されるだろうか。取り越し苦労は、いらぬこと。などと、言い合わせて、黙っている。何が書いてあるのかと思う者たちは、このお手紙が見たいけれど、開ける様子もなく、じれったくて、矢張り、まったくご返事なさらないのも変なことで、子供っぽいことになりましょう。などと、申し上げて、手紙を広げたので、宮は、思いもかけず、うっかりしていて、男の人に、あの程度であっても、見られた至らなさは、わが身の過ちと思いますが、無遠慮なひどい仕打ちは、諦められなくて。拝見できませんと、おっしゃい、と、そっけない態度で、横になり遊ばした。




さるは、にくげもなく、いと心深う書い給うて、
夕霧
魂を つれなき袖に とどめおきて わが心から まどはるるかな

ほかなるものはとか、昔も類ありけりと思う給へなすにも、さらに行くかた知らずのみなむ」など、いと多かめれど、人はえまほにも見ず。例のけしきなるけさの御文にもあらざらめれど、なほえ思ひはるけず。人々は、御けしきもいとほしきを嘆かしう見奉りつつ、「いかなる御事にかはあらむ。何事につけてもありがたう、あはれなる御心ざまは、程へぬれど、かかるかたに頼み聞えては、見劣りやし給はむと思ふも、あやふく」など、むつまじう候ふ限りは、おのがどち思ひ乱る。御息所もかけて知り給はず。




実のところ、大将、夕霧は、憎まれぬよう、とても心をこめて、お書きになり、

魂を、つれないあなたの袖の中に、残したままで、わが心からとはいえ、どうしたらいいのか、わかりません。

思うに任せないものは。とか、昔にも同じような人がいたと思っても、一向に、どうしたものか、わからない有様で、などと、長々と書いてあるが、女房は、全部を見ることはできない。
普通の、後朝らしい、今朝のお手紙ではないらしいが、矢張り、すっきりせず、女房たちは、宮の様子もお気の毒で、心を痛めて、拝しながら、どういう事なのだろう。何事につけて、珍しいほど、思いやりのあるお気持ちは、長年続いているけれど、ご結婚相手として、お頼り申すとは、期待ほどでないかもしれない。と思うのも、不安で、などと、親しくお仕えしている者は、皆、それぞれ心配している。御息所は、少しもご存じないのである。

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2016年03月23日

もののあわれについて798

物の怪に煩ひ給ふ人は、重しと見れど、さはやぎ給ふひまもありてなむ、物おぼえ給ふ。日中の御加持はてて、阿ジャリひとりとどまりて、なほ陀羅尼読み給ふ。よろしうおはしますことと喜びて、律師「大日如来そらごとし給はずは、などてか、かくなにがしが心をいたして仕うまつる御修法に、しるしなきやうはあらむ。悪霊は執念きやうなれど、業障にまとはれたるはかなものなり」と、声はかれていかり給ふ。いと聖だち、すくずくしき律師にて、ゆくりもなく、「そよや、この大将は、いつよりここには参り通ひ給ふぞ」と問ひ申し給ふ。御息所、「さる事も侍らず。故大納言のいとよき中にて、語らひつけ給へる心たがへじと、この年ごろ、さるべき事につけて、いとあやしくなむ語らひものし給ふも。かくふりはへ、わづらふをとぶらひにとて、立ち寄り給へりければ、かたじけなく聞き侍りし」と聞え給ふ。




物の怪に煩っていらっしゃる方は、重症と見えても、気分のすっきりする合間もあり、正気にお戻りになる。日中の御祈祷が終わり、阿ジャリ一人が残り、なお、陀羅尼を読まれる。少しはよくなり遊ばしたと喜んで、律師が、大日如来がうそをおっしゃらなければ、どうして、こんな私が、心を込めて、奉仕する御修法に、験のないわけがあろう。悪霊は、執念深いようだが、業障につきまとわれた、弱いものです。と、声がかれて、荒々しくおっしゃる。




律師「いであなかたは。なにがしに隠さるべきにもあらず。けさ、後夜にまうのぼりつるに、かの西の妻戸より、いとうるはしき男の出で給へるを、霧深くて、なにがしはえ見わい奉らざりつるを、この法師ばらなむ。「大将殿の出で給ふなりけり」と、「よべも御車も返して泊り給ひにける」と、口々に申しつける。げにいとかうばしき香の満ちて、頭痛きまでありつれば、げにさなりけり、と思ひ合はせ侍りぬる。常にいとかうばしうものし給ふ君なり。この事、いとせちにもあらぬ事なり。人はいと有職にものし給ふ。なにがしらも、童にものし給うし時より、かの君の御ための事は、修法をなむ故大宮の宣ひつけたりしかば、いかうに然るべきこと、今に承る所なれど、いとやすくなし。本妻強くものし給ふ。さる時にあへる族類にて、いとやむごとなし。若君達は七八人になり給ひぬ。え皇女の君おし給はじ。又、女人のあしき身を受け、長夜の闇に惑ふは、ただかうようの罪によりなむ、さるいみじき報をも受くるものなる。人の御いかり出で来なば、長きほだしとなりなむ。もはらうけひかず」と頭ふりて、ただ言ひに言ひ放てば、御息所「いとあやしき事なり。さらにさるけしきにも見え給はぬ人なり。よろづ心地のまどひにしかば、うち休みて対面せむとてなむ、しばし立ちとまり給へる。と、ここなる御たち言ひしを、さやうにて泊り給へるにやあらむ。おほかた、いとまめやかに、すくよかにものし給ふ人を」と、おぼめい給ひながら、心の内に、「さる事もやありけむ。ただならぬ御けしきは折々見ゆれど、人の御さまのいとかどかどしう、あながちに人のそしりあらむ事ははぶき捨て、うるはしだち給へるに、たはやすく心許されぬ事はあらじと、うちとけたるぞかし。人少なにておはするけしきを見て、はひ入りもやし給へりけむ」と思す。




律師は、いや、おかしい。私に、お隠しになることはない。今朝、後夜の勤めに上がったとき、あの西の妻戸から、とても立派な男が出ていらっしゃるのを、霧が深くて、私は見分けることが出来ませんでしたが、この法師どもが、大将殿が、お出になるのだ。昨夜も、お車も返して、お泊りになった。と、口々に申しました。なるほど、とても香ばしい香りがいっぱいで、頭の痛くなるほどでしたから、本当に、そうなのだと、合点しました。いつも、とても香ばしく焚き染めていらっしゃる方です。このご縁談は、甚だびったりとも、言えない話です。人物は、とても優れていらっしゃる。私どもも、幼い頃から、あの御方のための事は、修法を亡き大宮が、お命じになり、もっぱら役に立つことは、今でも、承っておりますが、はなはだ困ったことです。
本妻は、威勢が強くていらっしやる。ああいう時勢に乗った一族で、実に、たいしたものです。お子たちは、七、八人におなりになった。皇女の君は、太刀打ちできまい。それに、女人という、罪深い身を受けて、長夜の闇に惑うのは、ただこういう罪のせいで、ご承知の報いを受けるものです。あちらのお怒りが生じたら、末永く罪障となるに違いあるまい。まったく、賛成できません。と、頭を振って、ひたすら、言い募る。
御息所は、なんとも変な話です。全く、そんな様子も、見られない方です。ひどく気分が悪かったので、大将は、一休みして、対面しようといい、しばらく留まっていらっしゃる、と、ここの女房たちが言っていました。そういう訳で、お泊りになったのではないでしょうか。いったい、とてもお固くて、真面目一方の方でいらっしゃる。と、分からない振りをしながら、心の中では、そんなことがあったのかもしれない。普通ではないご様子は、時々見えはしたが、お人柄が、とてもしっかりしている。努めて人の非難を受けるようなことは、避けて、きちんとしていらっしゃる。そうたやすく、気の許せないことなど、されないだろう。と、安心していたのだ。人が少ない様子を見て、忍び込みでも、されたのかと、お考えになる。




律師立ちぬるのちに、小少将の君を召して、御息所「かかる事なむ聞きつる。いかなりし事ぞ。などかおのれにはさなむかくなむとは聞かせ給はざりける。さしもあらじと思ひながら」と宣へば、いとほしけれど、初めよりありしやうをくはしく聞ゆ。けさの御ふみのけしき、宮もほのかに宣はせつるやうなど聞え、小少将「年ごろ忍びわたり給ひける心の内を、聞え知らせむとばかりにや侍りけむ。ありがたう用意ありてなむ、明かしもはてで出で給ひぬるを、人はいかに聞え侍るにか」。律師とは思ひも寄らで、しのびて人の聞えけると思ふ。物も宣はで、いと憂くくちをしと思すに、涙ほろほろとこぼれ給ひぬ。見奉るもいとほしう、「何にありのままに聞えつらむ。苦しき御ここちを、いとど思し乱るらむ」とくやしう思ひいたり。




律師の立ち去った後で、小少将をお召しになって、こんなことを聞きました。どうだったのですか。何故、私に、ああだ、こうだと、宮様は、お聞かせくださらないのでしょう。そんなことは、あるまいと、思いますが。と、おっしゃるので、お気の毒だが、最初からの、いきさつを詳しく申し上げる。今朝のお手紙の様子や、宮も少しは、おおせられたことなど、申し上げた。そして小少将は、長年秘めておいでになった、お胸の内を、お耳に入れようという程の事だったのでございましょう。例のないほど、気を使われて、夜明けも待たずに、お出になりました。人には、どんな風に、申し上げましたのか。律師だとは、思いも寄らず、こっそり、女房が申し上げたと思っている。
御息所は、何も、おっしゃらず、嘆かわしくも、残念にも思いになる。と、涙が、ほろほろとこぼれるのである。拝見している小少将も、お気の毒で、何故、ありのままに、申し上げたのかと思う。苦しいご気分なのに、いっそう、お心を痛めたであろう、と、悔やみつつ、控えている。


posted by 天山 at 03:56| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月24日

もののあわれについて799

小少将「障子はさしてなむ」と、よろづによろしきやうに聞えなせど、御息所「とてもかくても、さばかりに何の用意もなく、かるらかに人に見え給ひけむこそ、いといみじけれ。うちうちのみ心清うおはすとも、かくまで言ひつる法師ばら、よからぬ童などは、まさに言ひ残してむや。人にはいかに言ひあらがひ、さもあらぬ事と言ふべきにかあらむ。すべて、心幼き限りしもここに候ひて」ともえ宣ひやらず。いと苦しげなる御ここちに、物を思しおどろきたれば、いといとほしげなり。け高うもてなし聞えむと思ひたるに、世づかはしう、かるがるしき名の立ち給ふべきを、おろかならず思し嘆かる。御息所「かう少し物覚ゆるひまに、渡らせ給ふべう聞え。そなたへ参りくべけれど、動きすべうもあらでなむ。見奉らで久しうなりぬるここちすや」と、涙を浮けて宣ふ。




小少将は、襖は、留め金をして、と、すべて悪くないように、言いつくろうが、御息所は、いずれにせよ、それほどに、何の用心もせず、うかうかと、男にお会いになったということが、とんでもないことです。内々は、潔白であっても、こうまで言った、法師どもや、卑しい童などは、言いたい放題に言いましょう。他人には、どう言い開きをし、そうではないと、いえましょう。皆、考えの足りない者ばかり、ここにお供していて、と、言い訳することも出来ない。とても苦しいご気分の時に、心を痛めて、驚いたので、なんともお気の毒なご様子である。
気品高くお扱い申そうと考えていたのに、並々の女のように、浮いた名が、立つに違いないのを、酷く、お悲しみになる。御息所は、こう、少しはっきりしている時に、おいでなさるように、申し上げてください。そちらへ伺うはずですが、身動き出来そうになくて。お顔を拝見せず、長い間が過ぎたような気がします。と、涙を浮かべておっしゃる。




参りて、小少将「しかなむ聞えさせ給ふ」とばかり聞ゆ。わたり給はむとて、御ひたひ髪の濡れまろがれたる引きつくろひ、ひとへの御ぞほころびたる、着かへなどし給ても、とみにもえ動い給はず。この人々もいかに思ふらむ。またえ知り給はで、のちにいささかも聞き給ふことあらむに、つれなくてありしようと思しあはせむも、いみじう恥かしければ、また臥し給ひぬ。女二「ここちのいみじう悩ましきかな。やがてなほらぬさまにもなりなむ、いとめやすかりぬべくこそ。脚のけののぼりたるここちす」とおしくださせ給ふ。ものをいと苦しうさまざまに思すには、けぞあがりける。




小少将は、宮の御前に出て、おいでになるよう、申し上げよと、仰せられます。とだけ、申し上げる。お越しなさろうとして、御額髪の、涙に濡れて固まるのを直し、単衣のお召し物の、ほころびを、着替えなどされて、すぐに動かれない。この人たちも、どう思っているだろう。それに、御息所は、ご存知なくて、後で少しでも、お聞きになったら、そ知らぬ振りをしていたと、思われるだろう。それも、酷く恥ずかしいので、また、臥せてしまった。宮は、気分が酷く悪い。このまま、直ることがなかったら、いい都合なのに。脚の気が、上がってきた気がすると、さすり下ろさせになる。何かを気にして、色々、お考えになる時には、気が上がるのである。




少将「上にこの御事ほのめかし聞えける人こそ侍るべけれ。いかなしり事ぞと、問はせ給ひつれば、ありのままに聞えさせて、御障子のかためばかりをなむ、少しこと添へて、けざやかに聞えさせつる。もしさやうにかすめ聞えさせ給はば、同じさまに聞えさせ給へ」と申す。嘆い給へるけしきは聞えいでず。「さればよ」と、いとわびしくて、物も宣はぬ恩枕より、しづくぞ落つる。この事にのみもあらず、身の思はずになりそめしより、いみじうものをのみ思はせ奉ることと、生けるかひなく思ひ続け給ひて、この人は、かうもてやまで、とかく言ひかかづらひ出でむも、わづらはしう聞き苦しきるべう、よろづに思す。まいて、言ふかひなく、人の言によりて、いかなる名を朽たさまし、など、少し思し慰むるかたはあれど、かばかりになりぬる高き人の、かくまでもすずろに、人に見ゆるやうはあらじかし、と、すくせ憂く思し屈して、夕つかたぞ、御息所「なほ渡らせ給へ」とあれば、中の塗籠の戸あけあはせて渡り給へる。




少将は、上に、あの出来事を申し上げた人がおりましたようです。どうだったのかと、お尋遊ばしたので、ありのまま、申し上げて、お襖の閉めてあったことだけを、少し言葉を加えて、はっきり申し上げました。もしも、そのように、この事を申し上げ遊ばすのでしたら、私と同じように、申し上げてください。と、申し上げる。悲しんでいられる様子は、申し上げない。
宮は、矢張り、そうだったのだと、とても辛く、物もおっしゃらずにいる、枕から、涙の玉がこぼれる。この事だけでもなく、自分が、思いがけない結婚をした時から、酷く心配ばかりをかけてきたことだと、生きている張り合いもなく、思い続けられて、あの人は、このままでは、諦めず、あれこれと言い寄ってくるだろう。それも、うるさく、聞き苦しいだろうと、色々と、お考えになる。まして、不甲斐なく、あの人の言葉に従ったら、どれほど、評判を落とすところだったろう。などと、少し気持ちの慰めるところはあるが、これほどまでに、高い身分の人が、こんなにも、うかつに、男に会うことは、まずなかったろうに、と、わが身の不運が悲しくて、思い沈み、夕方、やっと、御息所から、矢張り、おいでくださいと、仰せがあったので、中の塗籠の戸を、両方が開けて、お越しになった。




苦しき御ここちにも、なのめならずかしこまりかしづき聞え給ふ。常の御作法あやまたず、起き上がり給うて、御息所「いとみだりがはしげに侍れば、渡らせ給ふも心苦しうてなむ。この二日三日ばかり見奉らざりける程の、とし月のここちするも、かつはいとはかなくなむ。のち、必ずしも対面の侍るべきにも侍らざめり。また、めぐり参るともかひや侍るべき。思へば、ただ時のまに隔たりぬべき世の中を、あながちにならひ侍りにけるも、くやしきまでなむ」など泣き給ふ。




御息所は、苦しいご気分ながら、特別にかしこまり、応対申し上げる。いつもの礼儀を省かず、起き上がって、とても、見苦しい有様でございます。こちらへお出で願っても、機が引けます。この二日三日ばかり、お顔を拝見せずにいたぐらいで、年月のたった気がしますのも、心細いことです。後の世で、必ずしも、対面のあるわけでもありません。また、再びこの世に生まれて来ても、その甲斐がありましょうか。考えますと、ほんの一瞬のうちに、別れ別れになる定めの、人の世を、すっかりと、いい気になっておりましたのも、悔しいことと、思います。などと、お泣きになる。


posted by 天山 at 07:02| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月25日

もののあわれについて800

宮も、物のみ悲しうとり集め思さるれば、聞え給ふこともなくて見奉り給ふ。物づつみをいたうし給ふ本性に、きはぎはしう宣ひさはやぐべきにもあらねば、恥づかしとのみ思すに、いといとほしうて、いかなりしなども問ひ聞え給はず。おほとなぶらなど急ぎ参らせて、とかう手づからまかなひなほしなどし給へど、ふれ給ふべくもあらず、ただ、御ここちのよろしう見え給ふぞ、胸少しあけ給ふ。




宮も、もの悲しいことばかり、あれこれ胸に湧いてきて、申し上げる事もなく、御息所のお顔を見ていらっしゃる。口数が、大変少なくていらっしゃるご性格で、はきはき、言い開きできることではないから、恥ずかしいとばかり、思いなので、とても、気の毒で、どうだったとは、お尋ね申し上げない。灯火など、急いでつけさせて、お食事なども、こちらで差し上げる。何も召し上がらないとお聞きになって、あれこれ、手ずから、お料理を並べ直したりなどされるが、お箸をつけそうにもない。ただ、御息所のご気分が、少しよく見えるので、気持ちをいささか、楽にされる。




かしこよりまた御ふみあり。心知らぬ人しも取り入れて、「大将殿より、少将の君にとて御使あり」と言ふぞまたわびしきや。少将恩ふみは取りつ。御息所、「いかなる御ふみにか」と、さすがに問ひ給ふ。人知れず思し弱る心も添ひて、したに持ち聞え給ひけるに、さもあらぬなめりと思ほすも、心騒ぎして、御息所「いで、その御ふみなほ聞え給へ。あいなし。人の御名をよさまに言ひなほす人はかたきものなり。そこに心清う思すとも、しか用いる人は少なくこそあらめ。心うつくしきやうに聞えかよひ給ひて、なほありしままならむこそよからめ。あいなきあまえたるさまなるべし」とて、召し寄す。苦しけれど奉りつ。
夕霧「あさましき御心の程を、見奉りあらはいてこそ、なかなか心安く、ひたぶるこ頃もつき侍りぬべけれ。

せくからに 浅さぞ見えむ 山川の 流れての名を つつみはてずは

と、ことばも多かれど、見もはて給はず。この御ふみも、けざやかなるけしきにもあらで、めざましげにここちよがほに、こよひつれなきを、いといみじと思す。御息所「故かむの君の御心ざまの思はずなりし時、いと憂しと思ひしかど、おほかたのもてなしは、まだ並ぶ人なかりしかば、こなたに力あるここちして慰めしだに、よには心もゆかざりしを、あないみじや。大殿のわたりに思ひ宣はむこと」と思ひしみ給ふ。




あちらから、また、お手紙が来た。丁度、事情を知らぬ者が、受け取って、大将殿から、少将の君にといい、お使いが来ました。と、言うのも、辛いことだ。少将が、お手紙を受け取った。
御息所は、どういうお手紙ですか。と、それでも、お尋ねになる。人知れず、弱気な考えも起こって、大将のお越しを、内心お待ち申していらしたのに、手紙が来たのでは、お越しにならないだろうと考えるのも、胸騒ぎがして、御息所は、さあ、そのお手紙に、ご返事なさい。失礼ですよ。どなたのことであっても、良く弁護する人は、いないものです。あなたは潔白だとお考えでも、そう受け取る人は、少ないでしょう。素直に、手紙のやり取りをなさって、矢張り、今まで通りなのがよいでしょう。返事をしないのは、失礼で、いい気なやり方でしょう。と言い、手紙を見せよと、おっしゃる。少将は、辛いが、差し上げた。

夕霧は、驚くほかにない、お心の内を、はっきり拝見しては、かえってあっさりと、一途な恋心をきざすに、違いありません。

私を、せいて、それであなたの心の浅さは、分かってしまう。山川の流れのように、浮名は、包みきれません。

と、他にも言葉が多いが、終わりまで、御覧にならない。このお手紙も、はっきりとした態度ではなく、癪に障るほど、いい気になって、今宵は、来ないのを、とても情けないと、思うのである。亡き督の君の、お気持ちが思いがけない様子であった時、とても辛いことだと、思ったが、世間向けの扱いは、他に肩を並べる人もなかったので、こちらに、権威がある気がして、心を慰めていたのでさえ、決して、満足はしなかった。ああ、困ったことです。太政大臣のあたりで、どう思い、どうおっしゃることか。と、ご心痛である。

当時の、男女の関係は、複雑で、難しい様子である。
というより、貴族社会のことである。




なほ、いかが宣ふと、けしきをだに見むと、ここちのかき乱りくるるやうにし給ふ目おししぼりて、あやしき鳥のあとのやうに書き給ふ。御息所「頼もしげなくなりにて侍るとぶらひに、渡り給へる折りにて、そそのかし聞ゆれど、いとはればれしからぬさまにものし給ふめれば、見給へわづらひてなむ、

をみなへし しをるる野べを いづことて 一夜ばかりの 宿を借りけむ

と、ただ書きさして、おしひねりて出だし給ひて、臥し給ひぬるままに、いといたく苦しがり給ふ。御物の怪のたゆめけるにやと、人々言ひ騒ぐ。例の験ある限り、いと騒がしうののしる。宮をば、「なほ渡らせ給ひね」と人々聞ゆれど、御身の憂きままに、おくれ聞えじと思せば、つと添ひ給へり。




矢張り、どうおっしゃるのかと、せめて、様子を探ってみようと、心は乱れ、涙で真っ暗におなりの目を、押し開けて、変な鳥の足跡のような字で、お書きになる。
御息所は、もちそうもない私を、見舞いに、宮様が起こしになっていた折で、お返事をお勧め申したのですが、とても、気分の優れない様子でいらっしゃるので、見かねまして、

女郎花の、思い萎れている、この野辺を、どういうところと、思い、ただ一夜の宿を、お借りになったのでしょう。

と、ほんの書きさしたまま、捻り文にして、お出しになって、横になられ、とても酷く、苦しがる。物の怪が油断させていたのかと、女房たちが、騒ぐ。例によって、効験のある僧たちが、とてもやかましく、大声で祈る。
宮様には、矢張り、あちらにお移りあそばせ、と女房たちが、申し上げるが、ご自身が辛く思われるままに、母君に、遅れ申すまいと考えているので、じっと、付きっ切りでいらっしゃる。


posted by 天山 at 05:33| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月12日

もののあわれについて801

大将殿は、この昼つかた、三条殿におはしける。今宵たち返りまで給はむに、事しもあり顔に、まだきに聞き苦しかるべし。など、ねんじ給ひて、いとなかなか、年ごろの心もとなさよりも、千重にもの思ひかさねて嘆き給ふ。北の方は、かかる御ありきのけしきほの聞きて、心やましと聞きい給へるに、知らぬやうにて、君だちもてあそび紛らはしつつ、わが昼の御座に臥し給へり。よひ過ぐる程にぞ、この御返りもて参れるを、かく例にもあらぬ鳥のあとのやうなれば、とみにも見とき給はで、御とぶら近う取り寄せて、見給ふ。




大将殿、夕霧は、この日の昼ごろ、三条殿に、いらっしゃった。
今晩、再び、小野へうかがっては、まるで何かあったようで、今のうちから、外聞が悪いだろうと、心を抑えて、なんと、かえって、これまでの焦りよりも、千倍にも恋しさを募らせて、嘆いていた。
北の方、雲居雁は、こうした出歩きの様子を耳にして、嫌なことと、聞いていらしたが、知らない振りで、若君たちをお世話して、気を紛らわせて、ご自分の昼の御座所で横になっていられる。
宵過ぎる頃、あのご返事を持って参ったが、こんなに、いつもと違い、鳥の足跡のような字なので、すぐには、判別できず、大殿油を近く引き寄せて、御覧になる。




女君、もの隔てたるやうなれど、いととく見つけ給うて、はひ寄りて、御うしろより取り給うつ。夕霧「あさましう、こはいかにし給ふぞ。あなけしからず。六条の東の上の御ふみなり。けさ、かぜおこりて悩ましげにし給へるを、院の御前に侍りて出でつる程、またもまうでずなりぬれば、いとほしさに、今のまいかにと聞えたりつるなり。見給へよ。懸想びたるふみのさまか。さてもなほなほしの御さまや。年月に添へて、いたうあなづり給ふこそうれたけれ。思はむ所をむげに恥ぢ給はぬよ」と、うちめきて、惜しみ顔にもひこじろひ給はねば、さすがに、ふとも見で、も給へり。




女君は、ものを隔てていたようだが、すばやく見つけて、這いより、後から、手紙を取り上げた。夕霧は、酷いことを。これは、何と言うことをされるのか。全く、けしからん。六条の東の上の、お手紙だ。今朝、風邪が酷くて、苦しそうにされていたが、院の御前に伺いして下がった時、重ねて伺わないままになってしまったので、お気の毒で、ただいまは、いかがですかと、申し上げたのだ。御覧なさい。色恋めいた手紙の様子ですか。それにしても、品の無いやり方です。年月の経つと共に、酷く馬鹿にされるのが、心外だ。私が、どう思うかなど、全然、気にしないのですね。と、嘆息して、惜しそうに、取返そうともしないので、取りになったが、すぐには見ずに、もっていらっしゃる。




雲居雁「とし月に添ふるあなづらはしさは、御心ならひなべかめり」とばかり、かくうるはしだち給へるに憚りて、若やかにをかしきさまして宣へば、うち笑ひて、夕霧「そはともかくもあらむ。世の常の事なり。またあらじかし。よろしうなりぬる男の、かくまがふかたなく、一つ所を守らへて、ものおぢしたる鳥のせうやうの物のやうなるは。いかに人笑ふらむ。さるかたくなしき者に守られ給ふは、御ためにもたけからずや。あまたが中に、なほ、きはまさりことなるけぢめ見えためこそ、よそのおぼえも心にくく、わがここちもなほふりがたく、をかしき事もあはれなる筋も絶えざらめ。かく翁のにがし守りけむやうに、おれまどひたれば、いとぞ口をしき。いづこのはえかあらむ」と、さすがに、このふみのけしきなくをこづり取らむの心にて、あざむき申し給へば、いとにほひやかにうち笑ひて、雲居雁「物のはえばえしさ作りいで給ふ程、ふりぬる人苦しや。いと今めかしくなりかはれる御けしきのすさまじさも、見ならはずになりける事なれば、いとなむ苦しき。かねてよりならはし給はで」と、かこち給ふも憎くもあらず。




雲居雁は、年月につれて、馬鹿にするというのは、あなたの癖です。とだけ、こう平然としていられるのに、気後れして、若々しく、可愛い態度でおっしゃるので、笑い出し、夕霧は、それは、そうかもしれない。世間にざらの事だ。しかし、二人といないだろう。そこそこの、地位になった男で、気を散らすこともなく、一所を守り続けて、びくびくしている雄鷹のような者は。どんなに人が、笑っているだろう。こんな堅苦しい者に、付きまとわれているのは、あなたのためにも、ぱっとしない。たくさんの女の中で、矢張り、際立って格別の扱いに見えるのこそ、他人の見た目も、ゆかしく、自分の気持ちも、矢張り新鮮で、興をそそることも、あはれな思いも、絶えないだろう。こう翁が、何かを守っていた話のように、ぼけてしまって、とても、残念だ。なんの見栄えがするものか。と、それでも、この手紙を、さりげなく騙し取ろうと思って、申しなさると、とても華やかに笑い、雲居雁は、見栄えのあることをなさろうとするから、年とった女は、辛いものです。すっかり若返って、いられるご様子が、面白くないのも、これまで、経験したことの無いことなので、とても辛いのです。前から慣れさせる事もされないで。と、不満をおっしゃる様子も、憎くはない。




夕霧「にはかにと思すばかりには、何事か見ゆらむ。いとうたてある御心のくまかな。よからず物聞え知らする人ぞあるべき。あやしう、もとよりまろをば許さぬぞかし。なほ、かの緑の袖のなごり、あなづらはしきにことつけて、もてなし奉らむと思ふやうあるにや、いろいろ聞きにくき事どもほのめくめり。あいなき人の御ためにも、いとほしう」など宣へど、つひにあるべき事とおぼせば、ことにあらがはず。




夕霧は、にわかにと、お考えになるほどの、どんな、そぶりが、見えるのか。とても困ったお心の隔てだ。けしからぬ、告げ口する人が、あるらしいな。変に、昔から、私に気を許さなかったからか。矢張り、あの緑の袖の名残で、軽蔑しやすいのを、いいことにして、炊きつけようというつもりがあるのか。何かと、聞きにくい事を、ほのめかしているらしい。言われる訳のない、宮の御ためにも、お気の毒だ。などと、おっしゃるが、結局は、そうなることと、お考えなので、特に、言い争いは、しない。


posted by 天山 at 07:11| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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