2016年01月15日

玉砕95

25歳で、レイテ湾にて特攻死した、植村真久は、愛児素子に、遺書を残している。

私は、お前が大きくなって、りっぱな花嫁さんになって、しあわせになったのを見届けたいのですが、もしお前が私を見知らぬまま死んでしまっても、決して悲しんではなりません。お前が大きくなって、父に会いたいときは九段へいらっしゃい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮かびますよ。

お母さんもまた、ご自分の全生涯をかけてただ素子の幸福のみを念じて生き抜いてくださるのです。必ず私に万一のことがあっても親なし児などと思ってはなりません。父は常に素子の身辺を護っております。優しくて人に可愛がられる人になってください。
お前が大きくなって私のことを考え始めた時、この便りを読んでもらいなさい。

素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんがいただいて自分の飛行機にお守りにしております。だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。素子が知らずにいると困りますから教えてあげます。

この中で、九段とは、靖国神社のことである。
つまり、お父さんに会いたければ、靖国神社に詣出なさいということだ。

靖国神社に死後、戻るという、感覚である。
故に、靖国神社を他の、宗教団体の建物とは、違うと、理解しなければならない。

英霊は、皆、靖国で会おうと、戦死した。
その英霊の声を無視するのは、冒涜である。

靖国神社は、一宗教施設ではないこと、明々白日である。
追悼慰霊の場であるということ。

問答無用である。

特攻隊員の凄さは、群がる敵機の執拗な攻撃や艦艇から繰り出される猛烈な弾幕をかわしつつ、目指す目標に突入してゆく、たぐい稀なる勇気にあるといわれているが、だが本当の凄さは、迫り来る死の恐怖にじっと耐える強靭な精神力にある。
特攻の本

出撃三時間前に書かれた、20歳で沖縄方面にて、特攻死した、信本廣夫二飛曹の遺文である。

自分が思っている事、今はりさけるばかりに胸中につまっている思ひを、明朝は必ず晴らして見せます。そして新しい春のような気持ちで皆の後を追って行きます。御父様や御母様もその事をよく理解されまして、あっさりと御あきらめ下さい。御両親とも御体に気をつけて最後まで頑張って下さい。時ちゃんも敬ちゃんも御父母様の言われる事をよく聞いて、何が何でもやりぬく事。日本人だから何処に出してもはづかしくない。日本人だから、米や英人にならぬ事。兄に負けぬ様ついて来い。近所の皆んなに宜敷く言って下さい。

では皆さんお元気で、後、出発まで三時間しかありません。後三時間したら他国の人と成るのです。あきらめて下さい。泣かないで下さい。お父さん、お母さん、時ちゃん、敬ちゃん、さようなら。

死の確定している三時間前・・・

あっさりと、諦められるものか。
家族としては、心痛の至りである。

だが、遺書が届いた頃は、この世の人ではないのである。

18歳、南西諸島方面にて、特攻死した、浦上博一。出撃30分前の遺稿である。

母上様、姉上様、いざ沖縄へ出撃です。
一機一艦、必ず轟沈です。
今出発の30分前です。
月の明かりで走り書きしましたから乱筆となりましたが、何卒お許し下さいませ。

以上である。

沖縄戦では、多くの内地の特攻隊員が、出撃した。
沖縄を守るためである。
沖縄戦の悲劇・・・

だが、そこには、内地の多くの若者たちの、壮絶な死がある。

ゆえに、沖縄県民だけが、という勘違いは、誤りである。

出撃、わずか5分前の遺文もある。
18歳で、南西諸島方面にて、特攻死した、麓岩男一。

美しきお月様、きっと体当たりは成功です。
遠き春空の大空より我等の成功を見守って下さい。
我等神雷部隊の勇士は大義のために死す。
神よ我等に神助を与え給え。 死

神機到来す。
父母様よりお先に参ります。私は大義の為に死にます。旭兄様より仇をたのむとの夢の中なつかしい旭兄様の笑顔、きっと仇はうちます。今日の美しきお月様、なにか教えてくれるものがあります。今日夜間参ります。
父母様お元気で今死につきます。

この神雷部隊とは、一式陸攻を母機とする、人間爆弾桜花による、特攻部隊である。

桜花特攻は、母機が離陸した時点で、生還率はゼロになる。
敵の迎撃にあって母機が撃墜されれば、桜花も、母機もろとも墜落する。
また、運良く敵を発見しても、母機から切り離されれば、敵に命中する、しないにかかわらず、頭部に一トンの爆薬をつめた桜花は、敵艦か、海面に接すると、同時に爆破する。

確実に、死ぬのである。

18歳で、大義のために、死ぬという意識。
それには、言葉も出ない。

平和を愛する人は、戦争の悲惨を知る者である。
戦争を知らなければ、本当の平和を希求することは、出来ない。

ただし、戦争がなければ、平和なのか・・・
更に、平和の中で、安穏としてしまうと、人は、ボケる。
危機意識を持たなくなる。

この世は、いつも紛争と、戦争が、入り交じる世界である。
今も、世界の何処かで、紛争、戦争が行われている。


posted by 天山 at 06:45| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月18日

玉砕96

末期の眼という、言葉がある。
つまり、死を目の前にした時に、見るものである。

特攻隊は、その、末期の眼を、若くして得たといえる。

とりあえず、長生きしても、末期の眼を持つ人になるか、どうかは、分からない。
この、末期の眼こそ、実は、人間が身につけなければならない、最高の心境であろうと、私は思う。

回天特攻・多聞隊の一員として、敗戦わずか、四日前に、18歳で、沖縄東方海面において、特攻死した、佐野一の、戦死当日の遺文である。

八月十一日、一七三〇、敵発見、輸送船団なり。我落ち付きて体当たりを敢行せん。
只天皇陛下の万歳を叫んで突入あるのみ、さらば神州の明保のきたれ。
七生報国のはちまきを締め、祈るは轟沈。
父上様、母上様、祖母様へ、休暇の時は何も真実を語らず、只語れるのはうそのみ。何たる不幸ぞ。しかし軍機上致し方なし。黙って訣別の外なし。やがてわかることならん。わが生存中の我儘切にお詫び申す。
父母に先立つは長男として申し訳なけれども大君のためなれば何の父母であり、兄弟なるか。胸中に神州の曙を画き、勇んで敵艦船と大和魂との突撃を試みん。実に爽快なり。

18歳の少年である。
また、少年だからなのか、この見事な、心意気である。

何とも痛ましく、悲しいが・・・
彼は、違う。
大君のためなれば・・・
そういう意識を、養っていたということだ。

出撃当日、愛する妹に遺書を残した、19歳、沖縄本島東方海域で特攻死した、高瀬丁(つよし)。

妹よ。
兄は、死場所を得て、武人の本懐と勇んで征く、必ず必ず立派な死に方をする。
妹よ、此の兄死すとも嘆くなかれ、五体はなくとも魂は、いつもお前達のもと悠久の大義に生きている。嘆かず頑張ってくれ、祖国の為に。
妹よ、お前達は帝国海鷲の妹なるぞ、兄の死に方に恥じないよう、何事も頑張ってくれ。父母上をたのんだぞ。兄が残す最後の言葉は、父母に孝、君の忠をつくせ、のみだ。
妹よ、たのむぞ、兄は勇んで征く。妹よ、体を大切に永く永く幸福にしらしてくれ・・・
お前達の面影を偲びつつ征く。

19歳の少年の遺書とは・・・
自殺攻撃である。

そして、それが、大義に明文されている。

その時代の、不可抗力である。
戦争という、不可抗力の時代が来ないことを、切に祈る。
だから、慰霊の行為が大切なのである。

特攻隊の若者が、妹宛に残した遺書は、存外に多いという。
その理由は、男兄弟は、すでに戦地に赴いているか、戦死しているからだ。

そうなると、妹という、存在に未来を託すことになる。
そして、異性としての、存在でもある。
恋人のいない、特攻隊員は、妹に、愛という情緒を持って切実として、遺書を残したと、想像できる。

23歳、南西諸島海域で、特攻死した、重信隆丸少尉は、妹、妙子に出撃前夜、手紙を書いている。

妙子、全く意地悪ばかりして申し訳ない兄だったね、許してくれ。いよいよ明日は晴の肉弾行だ。意地悪してむくれられたのは、今から思えばみんな懐かしい思い出だ。お前も楽しかった思い出として笑ってくれ。兄さんが晴の体当たりをしたと聞いて、何もしんみりするんぢゃないよ。兄さんは笑って征くんだ。
・ ・・
兎に角何も心配することなんか此の世にはないのだ。明るく朗らかに紡績に励み勉強し、立派な人間になってくれ。それが取りも直さず御国への最も本当の御奉公なのだ。兄さんはそれのみを祈りつつ征く。

明るい調子で、書かれているが、何か、透き通る、悲しみを感じる。

何故、今、私は、特攻隊の遺書、遺文、手紙を書くのか・・・
忘れないためにだ。
このような、事態を二度と、起こさぬようにという、祈りである。

戦地、激戦地を慰霊していると、兎に角、このような思い、このような事態になることがないようにと、祈る。
英霊に対し奉り、二度と、このようなことがないようにと、祈る。

一人の人間の死は、多くの人間の心に、打撃を与える。
まして、明確に死ぬという、若者である。
その家族、親族、友人、知人・・・
皆々、激しい情緒に陥る。

戦争というものを、恨む。
しかし、それだけでは済まない人は、軍部や、その上層部、果ては、天皇陛下を恨む。
恨んで解決されるはずもない。

どうしたら、戦争にならないようにすべきかということを、考える。
そして、行動する。

戦争も、国際社会の問題解決の一つであるという、一見、当たり前のことを言う者もいるが・・・
もし、人類が、知恵というものを持てば、それを何とか、防ぐ方法を考えてもいい。

戦争とは、戦う前の、情報戦、経済戦、そして、軍事行動がある。
それは、それぞれの、国益に関わる、重大な問題だ。

戦争回避の、国際法などない。

日本、日本人は、70年間、戦争を経験していない。
そして、更に、平和にボケている。

平和憲法さえあれば、戦争はないと、信じている風情である。
違う。

平和を願うならば、まず、英霊、戦争犠牲者の追悼慰霊が、まず、前提である。
それなくして、戦争反対という運動は、魂が入らない、ただの、妄想である。

posted by 天山 at 07:29| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月19日

玉砕97

回天特攻、菊水隊として、26歳で、ウルシー海峡にて、特攻死した、佐藤章少尉は、出撃に際して、妻、まりゑに手紙を残している。

かねて覚悟し念願していた「海征かば」の名誉の出発の日が来た。日本男子として皇国の運命を背負って立つは当然のことであるが、然しこれで「俺も日本男子」だぞと、自覚の念を強くして非常にうれしい。短い間ではあったが、心からのお世話に相成った。俺にとっては日本一の妻であった。
小生は何処に居ろうとも、君の身辺を守っている。正しい道を正しく直く生き抜いてくれ。
子供も、唯堂々と育て上げてくれ、所謂偉くすることもいらぬ。金持ちにする必要もない。日本の運命を負って地下百尺の捨て石となる男子を育て上げよ。小生も立派に死んでくる。
充分体に気をつけて栄へ行く日本の姿を小生の姿と思いつつ強く正しく直く生き抜いてくれ。

無心である。
ただ、日本のために生きるべく生きた。
そして、子供も同じように、日本の運命を負って生きるようにと・・・

こういう人たちによって、日本という国の根幹が、作られている。
日本人としては、誉れである。

実は、私も驚いていることがある。
特攻隊は、若者というイメージだったが、中には、熟年と言える兵士も存在していたのである。

38歳、沖縄周辺海域で特攻死した、佐藤清大尉である。
出撃に際して、哀切な手紙を残している。

妻に対して、
後事は只々貴方様を信じ、何の言うべき辞もありません。

いつでも覚悟はしている事で、又貴方様にも申し渡してある事、何を今更申し述べる事もありません。ただ申し訳なく思う事は貴方様にも随分苦労をかけ、これからは又貴方様一人に希望から責任を担わして子供の将来を委して逝く事であります。

昌志よ、優子よ、そして未だ見ぬ腹中の子よ、父は神州男子として護国の大義に殉ずるのだ。必ず強敵は撃滅せずにはおきません。お前達はお母さんを中心に、兄妹仲良く助け合い、お父さんの志を心として必ず人に笑われぬ様な日本男子、日本女性になって、強く正しく明るい人に育って下さい。この手紙を書いているうちにも敵機の襲来を見ました。痛憤やるかたなく奮激の極みであります。血は煮え立つ様であります。私と一緒に突っ込んで下さる部下の人々はとても張り切って、既に準備万般整っております。元気な若々しい優秀な人達揃いです。こんな立派な若い神鷹の先頭に立って、敵撃滅の矢面に立ち得た感激を貴方様も昌志も優子も感じとって下さい。

文は、現代文に変えている。

妻と、二人の子、そして、まだ生まれぬ子を、思いつつ・・・
断腸の思いであろうと、推測する。

部下の若者たちと一緒に、特攻するのである。
痛ましく、切ない。

やはり、特攻攻撃は、批判され、非難されるものだ。
しかし、特攻隊を、非難する者はいない。

特攻攻撃を美化しない。
ただ、時代と、戦争という、不可抗力に生きた人達。
戦争に突き進んだ、日本という国を、どう受け入れるのか・・・

大義に生きるというが・・・
現代の世の中と、その大義という言葉ほど、乖離している言葉はない。

国を守るために、死ねるだろうか・・・

余談であるが・・・
私が、特攻を目指して、死ぬことも厭わないと言うと、支援活動で一緒のコウタに言われた。
その年では、無理だ。
特攻というのは、若者だから出来る。
つまり、それだけの、鋭敏な感覚と、技量が必要だ。
年老いた者は、特攻には無理だと・・・

確かに・・・
もう、鋭敏な感覚など失った。
機転も利かない。
そうだったのか・・・
何故、若者かというのは、そういうことだったのだ。

22歳、南西諸島方面にて、特攻死した、中西達二中尉は、出撃前、両親に宛てて、手紙を書いている。

明日私は十一時二十分、魚雷と同じ大きさの爆弾をかかえて、後に予備学生出身の田沢少尉と予科練出身の阿部二等飛行兵曹とを乗せて出発します。後日新聞社からかもしくは大本営からか、三人で一緒にとった写真が届くかもしれませんが、そのときは一緒に弔ってやって下さい。・・・
私もあと二十日で大尉に進級するのではありますが、死んで中佐になろうと、少佐になろうと、階級はどうでもよろしい。大義の道にかかわりなく敢えて進級を望みません。
先日多数の同期生と教え子のものが第一陣をうけたまわって、特攻隊として出てゆき大戦果をあげましたが、皆んなニッコリと笑って元気に私に挨拶して出てゆきました。今度は私がニッコリ笑って元気に出てゆく番です。

父上、母上様の莫大なる御恩も、体当たり一事を以ってお報いする覚悟であります。どうかご両親様益々ご自愛されてご多幸ならんことを地下よりお祈りいたします。

散る桜 残る桜も散る桜
散って護国の花と惜しまん

特攻隊員は、誰もが、我が身の死により、祖国防衛の大きな、捨て石となると、覚悟している。

特に、沖縄戦では、特攻により、米機動部隊を、一日沖縄に釘付けすれば、本土決戦の準備が一日増えるという、確信をもって、出陣したといえる。

沖縄戦は、悲劇であった。
しかし、日本の各都市が、空襲を受け、広島、長崎には、原爆が投下された。
そして、沖縄戦では、住民も巻き込んだ悲惨である。
しかし、日本の若者たちは、沖縄の防衛と、戦いのために、命を捨てた。

沖縄は、特攻の聖地でもある。
posted by 天山 at 06:55| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月20日

玉砕98

22歳で、沖縄東方海域において、特攻死した、小泉宏三が、両親に宛てた手紙である。

何も私がやらなくとも特攻隊員は幾らもあるだろうに、と考える人もあるかもしれません。だがそう言う考え方は私の心が許しません。この戦争遂行に一体何万の尊い人命が失われた事でしょう。これら靖国の神々の前にも、そして幾多の困苦を闘いつつ生産に敢闘しつつある人々に対しても、絶対かかる私的な考えは許されません。
俺がやらなくて誰がやるか、各々がこの気持ちでいなかったら日本は絶対に負けると言って決して過言ではありません。
そして国が敗れて何の忠がありましょうか、七生報国の決意を果たすべき時は今、正にこの一期に掛かっているのです。
お父さんお母さん、私を失われる事は悲しいことでしょうが、このような事情を良くお考えになって下さい。
そしてこの決戦の一つのちからに、自分の子がなった栄光に思いを及ぼして下さい。

私は、特攻隊の、遺書、遺文を書き続けているが、それを、理解してくれる人は、多数ではないと、思っている。

国のために、命を捨てる・・・
そんな馬鹿な行為が、出来るものか・・・
日本は、そのような国になったと、私は、思う。

だが、今一度、平和国家、戦争をしない国といっても、戦争が、向こうから近づいて来た時に、どうするのかとも、思う。
戦争放棄しても、戦争の側から、向かってきた場合は、どうする。

只今の世界は、テロ戦争が勃発している。
そして、中国が、その覇権主義を剥きだしてきた。

東シナ海・・・尖閣諸島にも、手を伸ばしている。
あらゆる偽装を念頭に置いて、我が国の、核心的利益だと、言うのである。

侵略行為は、すでに始まっている。
更には、沖縄までも、手を伸ばして、工作員を乗り込ませている。

特攻隊が、必死で守った、沖縄を、中国が侵略して、よいものか。
それを、許してよいものか。

やはり、19歳で、南西諸島方面で、特攻死した、服部寿宗も、自分の戦死について、出撃前夜、母宛に、綴る。

我戦死すと聞かれてもどうか泣かずに立派に死んだと褒めて下さい。少しも力を落とされる様なことのない様に。そして恭宗や節子に力を落とさず励まして、しっかり各々の進む道に邁進させて下さい。
戦地にある父上には呉れ呉れも母上より宜敷くお伝え下さい。私からは別にお便りは出しませんでした。

母上様、父上様、恭宗殿、節子殿。
益々御壮健で何時迄も御幸福にお暮らしになられん事を、寿宗大空の一角よりお祈り致しておりますと同時に、皆様の輝かしい前途を見守っております。では之にてお別れします。
一家の前途に幸あらん事を祈って筆を置きます。永々有難う御座いました。

我が身の死ぬことより、その家族の幸福を祈るという、姿。
家族に対しても、敬語を使う心遣いである。

簡単にいえば、武士道である。

この国には、誇るべき、武士道と、特攻隊精神が存在する。

忘れる事のないように、私は、こうして、書き綴る。

昭和18年12月、およそ十余万人の大学生が、学業半ばにして、徴集された。
学徒出陣である。
このうち、約2000人が、第十四期海軍飛行予備学生となり、402人が、帰らぬ人となった。

その学徒たちの遺書、遺文が、密かに、遺族に届けられたという、ああ同期の桜、という本から抜粋する。

彼らは、神風特攻隊が編成され、その真の闘いに、参加した面々である。

22歳、南西諸島方面で、特攻死した、佐々木八郎。
入隊半年前の日記である。

僕は、戦の庭に出ることも自分に与えられた光栄ある任務であると思っている。現下の日本に生きる青年として、この世界史の創造の機会に参賀できることは光栄の至りであると思う。我々は死に物狂いで、与えられた義務としての経済学を研究して来た。この道を自ら選んだ自分の義務であるからだ。そのうえ体力に恵まれ、活動能力を人並み以上に授かった自分としては、身を国のために捧げ得る幸福なる義務をも有しているのだ。2つながら、崇高な任務であると思う。
戦の性格が反動であるか否かは知らぬ。ただ義務や責任は課せられるものであり、それを果たすことのみが我々の目標なのである。全力を尽くしたいと思う。反動であろうとなかろうと、人として最も美しく崇高な努力の中に死にたいと思う。形にとらわれることを僕は欲しない。後世史家に偉いと呼ばれることも望まない。名も無き民として自分の義務と責任に生き、そして死するのである。

日本人は、偉かった。
このように、考えることが出来たのである。

当時、学生たちは、様々な情報から、祖国日本が、危急存亡の時にあると、知っていた。そして、それを守るのが、自分たちであることも。

義務と責任・・・
今ほど、この義務、責任の不在な時代は、無いと思える。
権利だけを、主張する、反日左翼などの行為、行動を見れば、一目瞭然である。

さて、佐々木は、昭和18年12月8日、海軍への入隊前日、最後の日記を書く。

悠久の歴史の流れに身を委ねて、僕は僕の真髄を発揮しよう。対人的な個々の感情には、好悪愛憎の些些たる波がつきまとう。すべては大いなるものの力によって決されるのである。
僕は今は遺言を書くまい。ただ今まで恩顧をうけた人々がそれぞれの道を真っ直ぐに歩んで、それぞれの天命を全うされんことを望むのみである。各人が世界史の審判に何の恐るるところなく直面せられんことを望むのみである。幸いに諸兄、健康に、それぞれの道を歩まれることを、そしてそれぞれの人が、佐々木八郎なる人間の与えた印象を、それぞれの人なりに濃く淡くその胸にとどめおかれて、進んでいただきたいと念願するのみである。
これをもって、この日記を閉ずることとする。

佐々木八郎の哲学を、作り上げて、特攻散華したと、私は思う。
衷心から、哀悼の意を捧げる。
posted by 天山 at 07:20| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月21日

玉砕99

南西諸島方面で、特攻死した、22歳、旗生良景は、串良基地に赴任した、昭和20年4月16日から、出撃の4月28日まで、遺書の代わりに日記を書いた。

今日はまだ生きております。
昨日父さんにも母さんにも、兄、姉にも見送って頂き、全く安らかな気持ちで出発できました。T子にもお逢いになった由、本日川村少尉より依託の手紙で知りました。皆なんと感じられたかは知りませんが、心から愛した、たった一人の可愛い女性です。純な人です。私の一部だと思って、いつまでも交際して下さい。葬儀には、ぜひ呼んで下さい。
当地は、前進基地の感が身にひしひしと迫ります。昨日も今日も、グラマン、シコルスキーの銃爆撃下、士気極めて旺盛、爆敵の心いや高く、大艦と引き換えの大事な体を、泥にまみれつつ、いたわっております。

ここは故郷の南端の地、春はようやく更けて、初夏の迫るを覚えさせられます。陽の光和やかに、緑濃き故郷を敵機に蹂躙される無念、やる方なし。この地、父母の在す故郷を、死を持って護らんと、いよいよ決意を固くしております。

国を守るということは、すなわち、故郷を守り、そこに住む、家族を護るという意識だ。
愛国心というより、郷土愛と言ってもいい。

彼は、日記の最初に、今日も生きています、と綴る。

今日も生きています。
陽光麗かに、微風頬を撫でて過ぎ、蝉の声しきり。ここ基地の空は、あくまで平和です。この平和も、銃撃に夢を破られます。父母の在す地、故郷の南端、しかもここは最前線です。体を粉にして、愛する日本を守りぬき、皆を幸福にしてあげるのだと、さらに闘魂を湧き立たせております。
皆に逢えて安心です。心に残るは、T子のことのみ。弱い心、お笑い下さい。しかし死を前にして、T子に対する気持ちの深さを、今更のように驚いています。人間の真心の尊さを、思った下さい。

今日も生きています。
朝からB29の空襲です。滝の落ちるような落下音、それに続く物凄い爆音、機上で勇敢な搭乗員も、地上では這いまわっています。四方に上がる黒煙と火焔、空には雲雀が囀り、地上には蓮華が咲き乱れているのに、無念やる方ない。

そして、4月28日、神風特別攻撃隊八幡神忠隊に、出撃命令が出された。

基地に到着してから、12日目のことである。

最後の日記である。

只今より出発します。何も思い残すことはありません。
お父さま、お母さま、兄さん、姉さん、御幸福に。
軍服をぬいで行きます。真新しいのが行李の中にありますから、それを家に取って、古い方をT子のところへ送って下さい。必ずお願いします。戦死がわかりましたら、一度家へ呼んで、遺書などをお渡しになればよいと思います。
おばあさん、良和ちゃん、和子ちゃん、皆元気に暮らして下さい。
日本は必ず勝ちます。帝国の繁栄のために、死所を得たるを喜んでいます。
心爽やか、大空の如し。こうしているのも、あと暫くです。
さようなら、お元気で。
御一同様。

こういう人達によって、今、現在の日本の平和を、享受している、私達である。
ありがたい。

ここで、考える。
特攻は、最終的に、撃沈させるというより、突入するということの、行為自体に、意義があると、思う。
それを悟った、特攻隊員である。

これは、生命尊重という、価値観をも、超える。
強制ではなく、志願するからである。

だから、敗戦後、このような行為は、皆無になった。
その時代が、産んだ、壮絶な生き方であると、言う。
つまり、もう、二度と、特攻攻撃という行為は、無い。

次に、21歳で、南西諸島方面にて、特攻死した、伊瀬輝男を見る。
入隊翌月の、昭和19年1月25日、配属された佐世保第二海兵団で、家より送られてきた、小包を渡された。

中には、母、姉が、仕上げた千人針の腹巻き、常備薬と、何通かの手紙が入っていた。

まず出て来しは孝治郎の習字なり。
「ガンバレ」
実に雄々しく書きたり。わが手を取りて教えし結果、三重丸張出しの成績ならん。また日の丸の絵、一年生にしては格段の出来栄え。頑張れ孝治郎、勉強するのだぞ。片仮名で綴りし手紙も同封あり。
「アンチャンニアイタイ。シャシントハナシテイル。オモチヤオカシノトキハ、タベナサイ・・・」
等々、一字一字がたまらなく可愛い。その純粋に余を慕い懐かしんでくれるのに、涙がでるのをどうすることもできなかった。

最後に出てきたもの・・・ああそれは、母の手紙であった。母の手紙、実に思いがけないものであった。母から手紙を貰ったことは、勿論一度もない。母が字を書くのを見たこともない。
その母が、余に手紙をくれたのだ。
紙の切れ端にたどたどしく書かれた母の字、我を思いしあまり書きたるものなり。
有難し。
たどたどしく子供の如く天真爛漫なる文字、ああ我が母の字なりけり。
「父母のことは心配せず、任務につとめよ。金ぴら様は船神だから信仰せよ」
涙、泉の如く、胸つまり五体ふるう。この有難き母の愛、雄々しき愛、母上、不孝の子、ここに誓って母上の教えを守ります・・・と幸福に吊床の中にしばし眠らず。

戦場では、息を引き取る際に、お母さん、母さんという、声が響いたと聞く。

天皇陛下万歳・・・とは、あまり聞かない。
勿論、陛下万歳を叫んだ兵士もいる。
しかし、圧倒的に、母を呼ぶ。

敗戦後、岸壁の母、という、歌が、何度もリメイクされて、歌われた。
それは、母と子の、互いの思いの深さを歌う歌詞である。

海山千里というけれど、なんで遠かろ、なんで遠かろ、母と子に・・・
歌詞の一部である。

遠い異国に出ても、母と子の思いは、つながっている。
愛国心、家族愛、肉親の情・・・
戦争は、それら、すべてを、確認したものだった。
posted by 天山 at 06:20| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月08日

玉砕100

南西諸島方面にて、23歳で、特攻死した、林市造。
出撃2日前に、母宛の切々たる手紙を書く。

お母さん、とうとう悲しい便りを出さねばならないときがきました。
 親思ふ 心にまさる 親心 今日のおとづれ 何ときくらむ (吉田松蔭)
この歌がしみじみと思われます。
ほんとうに私は、幸福だったのです。我ままばかりとおしましたね。けれども、あれも私の甘え心だった思って許して下さいね。
晴れて特攻隊員と選ばれて出陣するのは嬉しいですが、お母さんのことを思うと泣けてきます。
母チャンが、私をたのみと必死でそだててくれたことを思うと、何も喜ばせることができずに、安心させることもできずに死んでゆくのが、つらいです。

お母さんは、偉い人ですね。私はいつも、どうしてもお母さんに及ばないのを感じていました。お母さんは、苦しいことも身にひきうけてなされます。私のとてもまねのできないところです。
お母さんの欠点は、子供をあまりかわいがりすぎられるところですが、これをいけないと言うのは無理ですね。私はこれが、すきなのですから。
お母さんだけは、まだ私の兄弟たちは、そして私の友だちは、私を知ってくれるので、私は安心して往けます。

私は、お母さんに祈ってつっこみます。お母さんの祈りは、いつも神様はみそなわして下さいますから。
この手紙、梅野にことづけて渡してもらうのですが、絶対に他人にみせないで下さいね。やっぱり恥ですからね。もうすぐ死ぬということが、何だか人ごとのように感じられます。いつまでもまた、お母さんにあえる気がするのです。逢えないなんて考えると、ほんとうに悲しいですから。

その二日後に、特攻死したのである。
何とも、悲しい手紙である。
しかし、その母は・・・

その悲しみを抱きつつ、息子の思いを祈った。
親思ふ 心にまさる 親心・・・
絶句である。

私は今、特攻の本、を参照している。
その中で、神社新報社の編集したものが載っている。

その、遺稿の前に、書き込みがある。

かの大戦に出征した人々の多くが他界することにより、戦争体験そのものが風化しつつある。それはそれで平和の証であるからよいではないかという考えもある。確かにそれも一理ある。
しかし、憲法では日本が戦争を放棄しようとも、戦争は日本を放棄してくれない。日本では憲法は最高法規であるが、他国にとって日本の憲法などはまったく関心のないもので、ただひとつ意義があるとすれば、日本の憲法が戦争放棄を明文化しているというただ一事である。戦争を放棄しているなら、他国は安心して日本に武力行使ができる。これほど国辱的な憲法を持っている国は他にない。

ともあれ日本人の平和ボケは、戦争体験の風化と共に加速度的に進行している。しかし、日本人のこと平和ボケを厳しく叱り、真の平和とは何かを無言のうちに日本人の魂に激しく訴えかける場所がある。東京・九段の靖国神社である。

と、いうことで、ここからは、遺稿と共に、靖国神社、そして、戦争放棄の憲法を考えつつ進む。

昭和19年10月に、フィリピン・レイテ島周辺で始まった、特攻作戦が、最も、熾烈化したのが、沖縄戦である。
この方面の、航空作戦を、天一号作戦と、呼んだ。

海軍は、西日本の第五航空艦隊が、担当し、第一航空艦隊が、台湾から、支援した。

陸軍は、九州の第六航空軍と、台湾の第八飛行師団が担当し、作戦は、米機動部隊が、沖縄方面に来襲した、昭和20年3月23日に、発動され、やがて、沖縄戦が終了するまで、多数の若者が、特攻、散華した。

23歳で、特攻死した、若麻績隆は、特攻の意義を記す。

本日八分隊の○○名が転勤して行った。
送る送られる、別離の様式は至って清らかである。声をかけるでもなく、手を取り合うでもない。人が去って行くのは己がやがて去るであろう事を示し、人が死するのはやがて己も死ぬるを知る。
極めて当然なことである。
当然なりと自殺するのではない。今日の友の立場は明日の己の事である。
国を思う心に結ばれて同じ隊に生活したものにとっては、ある深い感慨が「淡々」という言葉の中に湧き出づる。
征く友よ、散る友よ、御身等の願うところは武名に非ず、功名に非ず、征けば必ず散り、散った後に、大日本帝国が厳たる勇姿を、硝煙の中から表れ出づる事を願うのみである。

戦時下における別れは、大半が、永別、死別となる。

ここで、極めて、見事な言葉は、武名に非ず、功名に非ずという、淡々とした、心情である。

つまり、冷静なのである。
この年齢にして、このような、心境、心情を抱くことが出来るという・・・
国のために、淡々として、死ぬ。

その彼らが、帰り着く所が、靖国神社なのである。
神社といえば、神道であるが・・・
靖国神社は、神道などという、以前の問題の場所である。

英霊を奉るという、その一点である。
国の施設である。

社とは、やしろ、である。
そこには、遺骨は無い。
その名を奉じているのである。

命と書いて、みこと、と、読む。
英霊は、○○○○の命、と呼ばれる。
つまり、日本の伝統である、死者が、神になるという思想である。

彼らとの、つながりの、窓口が、靖国神社なのである。
そして、全国にある、護国神社もそうである。
そして、慰霊碑である。

死者は、何かを窓口にして、生きる者達と、対座する。

靖国神社とは、そういう施設なのである。
一つの宗教施設ではない。
posted by 天山 at 07:12| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月09日

玉砕101

陸軍特攻隊六十一振武隊の一員として、25歳で、沖縄方面海域にて、特攻散華した、若杉潤二郎の、母宛の遺書である。

母上様
先日は突然帰って驚きのことだったろうと思います。早速お便り差上げようと思いながらさて改まって書くこともなく過ごして来ました。何の親孝行も出来ず心苦しく思います。二十年幸せだったと心から思います。有難う御座いました。
自分も小隊長として可愛い部下三名、十九と二十の若武者を引き連れて突撃して往きます。花はつぼみと言いますが本当に清らかなものです。篠原、田中、山本の三伍長です。この手紙がつく頃は見事戦果をあげてみせます。自分よりこの三人の可愛い部下の為祈ってやって下さい。
くれぐれもお身ご大切に長命を祈って居ります。お元気でお元気でお過ごし下さる様。
では往きます。必ずやりますからご心配なく。
皇国の弥栄祈り 玉と散る
心のうちぞ たのしかりける


上記で、驚くのは、自分よりも、三人の可愛い部下のために、祈って下さいというものだ。
特攻賛美をする者ではないが・・・

特攻と言う行為は、このような美しい心情を作るものなのか・・・
自分のことよりも、部下のために、言って下さいという、心境である。

感動する。

25歳の若者が、この心境に至る行為に、特攻という行為がある。
死を目の前にして、人は、末期の眼を持つ。
この末期の眼が、これほど、美しいとは・・・

正に、神と呼ばれる者に、相応しい。
靖国神社では、英霊という、神として、祀られている。
ただ、その名を、奉持するのである。

名前を奉持するのは、何も、日本の伝統だけではない。
インドネシアの英雄墓地も、それぞれの墓石を建てているが、遺骨はない。
ただ、名前を一つ一つの墓石に記してある。

その中には、元日本兵であり、その後、インドネシアの独立戦争に加担した、日本兵も、英雄として、祀られている。

さて、靖国神社の問題の一つに、宗教という枠がある。
敗戦後、アメリカ占領軍により、国家神道の形を解体された。
それは、それでいい。

その後、宗教法人というものに、神社が入ることになる。

だが、神道自体が、教祖無く、教義も無い。
それは、縄文期からの、伝統である。

日本の伝統的、宗教的、あり方である。

的なのだ。

他の宗教から、一つの宗教施設に、慰霊をする、更に、神社参拝をするという、イメージがある。
全く、それには、意味は無い。

靖国神社は、当時の日本国の、約束を果たす場所だった。
つまり、戦争にて、命を亡くした兵士は、靖国に、神として、祀るという、約束である。

その約束を、ただ、実行しているだけである。

ちなみに、神社は、神社本庁に属するが、靖国神社は単立の施設である。

戦没者を追悼慰霊する、場所として、当時から、国が約束していた施設なのである。
その約束を、淡々と果たす施設である。

一つの宗教施設であるという、考え方が誤っている。

そして、もう一つは、戦犯を合祀しているというものである。
戦犯とは、東京裁判にて、判決が下されたものである。
戦勝国側が、勝手に、戦犯として、裁いたものである。

日本には、戦犯というものは、存在しない。

戦争犯罪人を、祀る施設に、慰霊するのは、誤りだ、などとは、他国の言うことである。それは、日本の伝統を無視した、実に、野蛮な考え方である。

世界の至る所の国は、その国の戦没者に対して、礼を尽くす。
日本も、それと同じように、戦没者に尽くしているのである。

マッカーサーが、靖国神社を取り壊そうとした際に、カトリックの神父に相談している。
そこで、ドイツ出身の、ブルノー・ビッテル神父に言われた。

もし、靖国神社を焼き払っさたとすれば、その行為は米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残るであろう。・・・
いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものたちは、すべて靖国神社にその霊を祭られるようにすることを、進言する。
との、言葉である。

どの国においても、戦没者は、手厚く祀られる。
当然、日本の場合も、同じであり、宗教云々の問題ではないということだ。

白人の、キリスト教であるから、日本の神道については、全く理解が出来ないだろう。
一神教の考え方では、日本の伝統的、宗教的存在を、理解出来るわけがない。

また、更に言えば、宗教という、概念は、キリスト教から出たものである。
江戸時代に、宗教という言葉は、なかった。
あえて、言えば、通訳の際に、宗派という言葉を使った。

宗教学なるものは、キリスト教が一番上で、他の宗教は、キリスト教に発展してくるという、前提で、成り立ったものである。

勿論、今は、違う。
一神教が、悪の源であると、考える人達が増えてきた。

ユダヤ、キリスト、イスラム教という、一神教を見れば、一目瞭然である。
いつも、戦争をしている。
相手の宗教を、絶対に認めない。
実に、非寛容で、排他的である。
更に、異教徒は、殺してもいいのであるから、手が付けられない。

また、更に、それぞれの宗派の対立も、実に野蛮極まりないのである。

日本の宗教的、神道という、伝統行為を、理解出来る訳がない。
神道は、宗教的であるが、宗教ではない。

日本の伝統である。

posted by 天山 at 04:27| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月10日

玉砕102

神風特攻隊第十八金剛隊、23歳で、フィリピン方面で特攻散華した、市川猛は、母宛に遺言を残している。

天の優しい御恵みと思いますが、本日出撃の予定が、天候不良のため明日に延期され、おかげで心のこもる千人針が私の手に入りました。
嬉しくつけて決戦場にまいります。
私は千人針はとてもまにあわないだろうと断念していたのですが、いよいよ出撃の幾時間か前に私の手に入りました。
また好物たくさん、ありがたさで一杯でした。可愛い私の教え子の練習生にもやり、一緒に食べて別れました。
母上様よりの「御守護札」肌身はなさず持って、任務に向かってまいります。では御礼まで。

淡々とした、遺書である。
この行間を埋めるためには、長い文が必要である。

また、特攻隊第一神雷隊の一員として、18歳で、九州沖で、散華した、有末辰三の、両親宛の遺書である。

走り書き、御免下さい。私は今度、幸い攻撃に出陣することになりました。僅か18年の歳月とはいえ、普通の人々とは別な苦労もし、楽しいこともありました。
父母上には、色々と心配のかけ通しでしたが、見事に散る日が来ました。小野川の小池兵曹も散っていきました。私も後を継いで、敵陣に突撃するつもりです。豊橋まで一緒だった上の山の佐藤栄之助も散りました。では長いことかけませんからこれくらいで。
ではさらば、お元気で。
必ずや皇国は、永久に栄えることを確信します。

この、第一神雷攻撃隊とは、米戦闘機の搭乗員から、ワンショット・ライターと、笑いものにされたほど、炎上しやすい、一式陸上攻撃機を母機として、人間爆弾桜花を発進させる、特殊部隊であり、桜花発進に成功しても、鈍足の母機も、ほぼ撃墜されるという、決死部隊である。

それを、百も承知で、有末は、淡々とした、遺書を残して、散華した。

そういう、若者たちを、奉じているのが、靖国神社である。

明治維新前後から、祀られている、246万余人の祭神の、九割は、大東亜戦争、第二次世界大戦で、散華した兵士たちの、霊位である。

戦争犠牲者は、320万人の死者。
軍属、兵士たちは、230万人である。

何度も言うが、遺骨はない。
ただ、名前を奉じている。

この、慰霊社に対して・・・
一部の人達は、軍国主義に絡めて、モノを言う。
一体、彼らが、軍国主義者だったのか・・・

当時の日本は、戦争をしていい国だった。
国際社会からも、それを、認められていた。

更に言えば、日本の植民地化云々というお話も、全く当たっていない。
もし、植民地主義というならば、どのようなことを、植民地主義というのかを、定義して欲しい。

東南アジアを日本は、植民地にしたのか・・・
確かに、侵攻せざるを得なかった。
自衛のためである。

そして、結果的に、三年数ヶ月の戦争の期間を過ぎて、すべての植民地が、独立したのである。

簡単にいえば、日本の侵攻により、植民地だった国々が、独立に目覚めて、独立を勝ち取ったのである。

そして、韓国の場合は、手続きを踏んだ、併合であり、台湾の場合は、日清戦争で、譲渡されたものである。

靖国神社に参拝することが、軍国主義に・・・というお話は、あまりにも、妄想で、飛び抜けた、飛躍した話である。

慰霊の社が、靖国神社である。
そして、それは、国家が、約束したものである。
その、約束を反故にしたとは、一度も聞いていない。

日本のマスコミは、世界の常識である、戦没者慰霊を、日本に限っては、軍国主義礼賛のような、バカバカしい報道をする。
更に、中国、韓国に言われると、加熱するのは、どうしてなのか・・・

それは、在日が、マスコミの中に多数存在しているとしか、思えない。
反日左翼、そして、反日日本人の多数が、揃っている。

何せ、国歌斉唱、国旗掲揚まで、子供に教えないという、教育を、放って置くのである。何処の国に、子供に、国旗も、国歌も、教えない国があるのか。

唯一、日本だけが、そういう人達の声を取り上げて、反日行為をさせている。

日本には、言論の自由がある。
しかし、それと、これとは、別物である。

国のために、命を捧げた人達を、慰霊する。当然のことを、他国に言われたというだけで、首相などが、参拝を止めるとは、情けないのである。

他国の抗議、干渉を、何故、日本のマスコミは、勝ちを誇ったように、取り上げるのかとは、反日を持論とする人達であろう。

勿論、その自由も許す国が、日本なのであるが・・・

戦没者の追悼慰霊と、国旗掲揚、国歌斉唱は、付き物である。
私も、多くの戦地に出掛けて、言葉無くして、ただ、国歌斉唱することがある。

祈りの言葉が、虚しくなり、国歌を歌う。
これが、慰霊の心である。

散華した兵士たちは、日の丸と、君が代を掲げて、戦ったのである。
当然、兵士と同じ心、気持ちになる。

そして、日本人としての、矜持がある。

日本が、侵攻して、宗主国を追い出した。そこから、独立の機運が出て、すべての国が、独立を勝ち取った。
日本が、行為したからである。

結論は、日本が、植民地を開放したといえる。
大東亜を開放したのである。
それが、あの戦争の、結果だった。
posted by 天山 at 07:03| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月11日

玉砕103

回天特攻隊菊水隊の一員として、26歳で、カロリン諸島ウルシー海峡にて、散華した、今西太一の、父と妹に宛てた、哀切な遺書がある。

お父様、フミちゃん、太一は本日、回天特別攻撃隊の市ちんとして出撃します。・・・
最後のお別れを充分にして来る様にと家に帰して戴いたとき、実のところはもっともっと苦しいものだろうと予想して居ったのであります。しかしこの攻撃をかけるのが、決して特別のものでなく、日本の今日としては当たり前のことであると信じている私には何等悲壮な感じも起こらず、あの様な楽しい時をもちました。・・・
何も申し上げられなかったこと申訳ないこととも思いますが、これだけはお許し下さい。

お父様、フミちゃんのその淋しい生活を考えると、何も言えなくなります。・・・
フミちゃん、立派な日本の娘になって幸福に暮らして下さい。これ以上に私の望みはありません。お父様のことよろしくお願い致します。・・・
お父様泣いて下さいますな、太一はこんなにも幸福にその死所を得て往ったのでありますから、そしてやかでお母さまと一緒になれる喜びを胸に秘めながら、軍艦旗高く大空に翻るところ、菊水の紋章もあざやかに出撃する私達の心の中、何と申し上げればようでしょう。
回天特別攻撃隊菊水隊、唯今出撃致します。

決して、特別のものではなく・・・
つまり、当たり前のことであると、言う。

今日の、日本は、当然、死んでも悔いのない戦いをしなければならないと。

特攻隊を理解するためには、当時というものを、俯瞰しなければならない。
彼らは、決して、無駄に、死んだのではない。
切実な思いがあり、死ぬという、覚悟で、特攻攻撃をしたのである。

その、御霊が、靖国に祀られる。
日本人であれば、当然、靖国神社に、詣出るだろう。

当然過ぎるほど、当然のことであり、もし、それを拒否する人がいるならば、何か、考え違い、心得違い、あるいは、天邪鬼なのであろう。

戦争には、組みしない。
当時の、軍国主義に反対する。
等々、色々な思いがあろうが、詣出ることに関しては、論外である。

今、現在の日本で、生きて、生活をしている。
この、戦争のない状態を、70年以上も、続けている。
その訳は、彼らの、死にある。

もう、二度と、戦争をしないようにとの、彼らの願いを、全身に受けて、私達は、人生を謳歌している。

彼らは、私達の、近い先祖になる。
その彼らから見た、子孫である私達に、彼らは、自分と同じことをして欲しいと、思うだろうか。
決して、自分たちのようになって、欲しくないと、願いつつ、命を投げ出したことだろう。

それは、彼らの、遺書、遺文を見れば、一目瞭然である。

さて、そこで、一つ言う。
日本の特攻隊は、アメリカの民間人を、攻撃目標にしたであろうか。
否である。

日本の戦争に対する、あり方は、国際法に違犯していない。
これを明確にしておく。

米軍は、どうか・・・
日本の各都市に対しての、空襲、そして、原爆投下など、極めて悪質な、国際法遺産である。

東京裁判でも、それを指摘した判事がいたが・・・
却下されている。
この法廷は、日本を裁くものであると。

今では、誰もが、あの茶番の裁判を受け入れる者は、いない。
当時、明確に、日本に戦争犯罪はなしとしたのは、インドの、パール判事のみである。

しかし、裁判が進むにつれて、多くの判事が、疑問を呈した。

これは、裁判の体をなしていないと。

特攻隊は、誰一人も、民間人を標的にしていないのである。
現在の、自爆テロとは、天地の差である。

更に、日本は、敗戦したのである。
その敗戦を、無条件に受け入れた。
負けを、見事に認めたのである。

戦犯と言われる人達は、平和に対する罪、という言葉に、裁かれた。
では、言う。
平和に対する罪とは、戦争を始めたということだろう。

しかし、本当に、日本は、戦争開戦をしたのか・・・
戦争をしたくて、したのか・・・

日本を戦争へと、追い詰めたのは、誰か。
それは、アメリカのルーズベルト大統領であり、イギリスのチャーチルである。
そして、最大の、戦争犯罪人は、ソ連のスターリンである。

これに関しては、別エッセイ、天皇陛下について、また、国を愛して何が悪い、に、多々書いているので、省略する。

日本を軍国主義に、追い詰めたもの・・・
それを知るべきである。
そして、単に、日本の軍国主義が、特攻攻撃のような、世にも稀な攻撃方法を、作ったとは、言わせない。

真珠湾攻撃も、奇襲であり、宣戦布告なしの、卑劣な方法であるとは、言わせない。

ルーズベルトは、明確に、戦争は、起きるのではない。戦争を作り出すのだと、言った。

今、現在は、様々な資料が出されて、誰も、真珠湾攻撃を奇襲だなどとは、言わない。
それは、長年に渡り、アメリカが、戦争を仕掛ける時の、方法だった。

相手に、仕掛けて、アメリカ国民に、納得させるために、戦争機運を盛り上げるために、取った、方法である。

もう、隠すことは、出来ない。
つまり、最低の国、アメリカということだ。

posted by 天山 at 06:40| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月12日

玉砕104

日本を護るために、命を捨てた。
しかし、日本とは、抽象概念である。

現実的に、特攻隊は、肉親、友人、知人を護るためにと言った方が、ピンとくる。

中でも、若い特攻隊員は、母親に存在が、大きい。
その母を、護るために、死ぬという、意識である。

神風特攻隊七生隊の一員として、24歳で、沖縄にて特攻死した、千原達郎の、母に対する思いが綴られた、遺稿がある。

私の飛行服のポケットには、御守袋が入っている。袋は学徒出陣の餞として京大から贈られたものである。
中には皇大神宮のお守りを始め、所々方々のお守りがぎっしり入っている。私は朝、飛行服に着替えて学生舎を出ると、胸のこのお守り袋を手で触りながら、明け切らぬ東の空に向かい、
「母上、お早うございます。立派にお役に立ちますよう、今日もお守りください」
と、口の中でつぶやく。飛行機に乗る前にも、この所作を繰り返すことがある。夜は寝る前に星空に向かい、
「お母さん、おやすみなさい。立派にお役に立ちますよう、明日もお守り下さい」と、心で言う。
いつ頃からかこういう習慣になったか知らないが、何は忘れてもこれだけは忘れたことがない。女々しいとも思い、滑稽だとも思う。しかし、この習慣を止めようとは思わない。
私は母の愛と祈りを片時も忘れたことがない。私と母とはいくら離れていても、このお互いの愛と祈りでぴったり繋がっているのである。

その、母のためなら、命を投げ出すことなど、何事もないのである。

特攻隊の、愛国心を言う前に、私は、特攻隊の、肉親愛を言う。
そして、故郷に対する思いである。
それを、護るためなら、命も惜しくない。

実に、人間として、当然の心情である。

それを、後の人が、大義と言っても、愛国心と言っても、何と言っても、いい。

この、人間の心を持った、人達を、祀る場所が、靖国神社なのである。
そして、そこでは、神、として・・・
その彼らに、頭を垂れること、実に、納得する。

彼らは、その死後、靖国神社に、祀られることを、良しとして、命を投げ出した。
護国の神として・・・

七生報恩
七度生まれても、国のために、命を捧げる。

そのような、国である、日本。
何処の国の兵士も、護るべき国のためにと、命を投げ出している。
そして、国は、彼らに対して、徹底して、慰霊をする。

靖国神社があり、護国神社があり、そして、各家庭には、死者のための、場所がある。
これは、伝統である。

そこに、とても、愚かな人の、偏向した、言葉の世界はない。
戦争賛美、特攻賛美、軍国主義を賛美する。
アホ、馬鹿、間抜けは、言うのである。

誰かのために、何かのために、命を賭けることがない人が、言う。
実に、滑稽である。

広島に原爆投下した、エノラ・ゲイ機に同乗して、空から、成果を観察した、ハロルド・アグニュー博士が、来日して、日本のテレビに出演した。

そして、被爆者たちが、
「罪のない市民まで、これほどの被害を受けました」と言った言葉を受けて、
「戦争はお互い様だ。戦争している国のあいだに罪のない人はいない」
と、答えている。

謝罪の言葉は無い。
当然である。
戦争である。
異常事態の戦争である。

相手を殺さなくては、戦争ではない。
だが、一つ、彼は、誤っている。

一般市民を攻撃対象にするのは、国際法で禁じられている。

原爆だけではない。
日本の各都市を、攻撃した。
一般人たちを、である。
国際法に違犯している。

アメリカ政府は、それを、一度たりとも、謝罪していない。

更に、原爆被害に遭った人達、日本人以外の外国人も、日本が、そのすべての補償をしている。
原爆手帳を持つ、外国人は、いつでも、日本に来て、生活出来るのである。

さて、ただ一つ、博士の言い分で、納得することがある。
戦争をしている国の間に、罪のない人はいない・・・

全くその通りである。
天皇の戦争責任と問う人々・・・
天皇以前に、すべての国民に罪がある。
当然である。

そして、戦争をしている国の人達は、相手の国に、如何に勝つかということを、のみ、考えている。
それは、日本も、アメリカも同じである。

どんなに、当時、戦争を反対しようとも・・・
戦争に至る道を、止めることは出来ない。
戦争とは、そういうものである。

私は言う。
追悼慰霊とは、追って悼むことであり、慰霊とは、亡き人を偲ぶことである。
この時、追悼とは、実に、当時の形相を、今、目の前に見るが如く、見ることなのである。

事実というものを、見つめ続ける行為が、追悼である。
そこに、思想信条の自由はない。
事実のみが、厳然としてある。

posted by 天山 at 06:39| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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