2016年02月15日

打倒・韓国60

突然だが、アンケート調査が出たので、紹介する。
慰安婦問題の、日韓合意に関する、調査である。
以下

産経新聞社とFNNの合同世論調査では、日韓両政府が慰安婦問題で「最終的かつ不可逆的な解決」を確認した昨年12月の合意について「評価する」との回答が59.7%に上った。一方で、慰安婦問題が「再び日韓両国間の懸案になると思う」との回答は81.2%に達した。世代別では20〜40代で男性は8割以上、女性は9割以上が問題再燃への懸念を示し、若い世代ほど慰安婦問題をめぐる合意に不信感を抱いている現状が浮かび上がった。
 支持政党別では、日韓合意を「評価する」と回答したのは自民党支持層で67.9%。民主党支持層で53.6%で、公明党支持層では56.9%だった。生活の党と山本太郎となかまたちを除く主要政党の支持層で5割を超えた。安倍晋三首相の歴史観に批判的な共産党の支持層でも50.9%、社民党の支持層では70.0%に達した。世代別では、20代の女性を除く男女の全世代で5割以上が評価。60代以上の男性が72.9%と最も高かった。
 元慰安婦の支援事業のため韓国政府が設立する財団に日本政府が10億円を一括拠出することに関しては、男女の全世代の5割以上が「在ソウル日本大使館前の慰安婦像が撤去されてから拠出すべきだ」と回答。最も高かった40代男性は71.1%に上り、男性はその他の世代でも6割を超えた。女性も57.5%だった50代を除いては、どの世代も60%台だった。
 一方、慰安婦問題が今後も両国間の懸案として再燃することに懸念を示したのは、男女ともに全ての世代で7割以上に上った。最も高かったのは女性20代の95.0%で、女性の30代と40代はともに90.8%だった。男性で最も高かったのは20代の84.1%で、女性の方が問題の再浮上に対する懸念が強い傾向だった。

これを見れば、日本人が、いかに、韓国を信用していないのかということが、分かるというものだ。

これでは、この先も、同じである。
信用出来ない人と、付き合うことは、出来ない。
つまり、付き合うことが出来ない、韓国なのである。

私は、別に悪意を持って、韓国に対処するものではない。
出来れば、両国民が、信頼関係を持ち、友好的に付き合うことが出来れば、いいと、思っている。

しかし、相手が、こうなら、諦めるしかない。
そして、益々、それが、顕著に激しくなってくる様子である。

すでに、ハングル世代が、社会に登場して、つまり、反日教育を受けた、世代であるが、この人達が、社会出て、更に、反日に対する行為行動が、激しくなるだろう。

希望は、見いだせない。

嘘の歴史を教えられてきたこと、さえも、知らない世代である。
教えられたことが、本当のことだと、信じている。
あるいは、洗脳されている。

この洗脳を、日本が、解く必要はない。
自業自得を、待つしか無い。

繰り返される、韓国からの、タカリである。
謝罪をすると、補償が、ついてくる。

承知なし、なので、もう、御免被りたいというのが、日本人の本音だろう。

ただ、ここで、気の毒なのは、在日の人達である。
韓国を信用しない、多くの日本人の社会にあって、彼らは、生活する。
居心地が悪いだろうと、思える。

更に、在日特権を許さないという人達、グループもいる。
確かに、在日特権は、存在する。
日本国民より、厚くされているのである。

その一つ一つを、書き上げている暇はない。

中味を見れば、驚くことも多い。
その歴史的背景などもあるが、やり過ぎという感じもある。
だがそれは、政治家たちに、任せられてある。

国民が、選んだ政治家に、一任したのであるから、彼らが、それを法律にしたならば、それに従う。

在日も二代、三代、四代と重なると、日本人として、生きて欲しいものである。が、
中には、帰化もせず、自国、韓国へも、帰らない。そして、在日特権を受けて、日本で暮らすという人達もいる。

それについては、語らないでおく。



posted by 天山 at 07:09| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月16日

打倒・韓国61

朴テショク氏の案内で、進む。

25年ほど前に、出版された、醜い韓国人、という本である。
韓国人が書いているということを、前提にして、書く。

朴氏が、紹介している、文書がある。
それは、日本が敗戦後、アメリカ占領下にあったとき、連合軍最高司令部の、労働問題顧問として、日本に滞在した、ヘレン・ミアズ女史が、1948年に、「日本・アメリカ人にとっての鏡」と題する、著書である。

この本は、占領下にあった日本では、発売禁止の指定を受けて、訳出することが、許されなかったものである。

何故か・・・
アメリカには、都合が悪いもの。

それでは、その中味を見る。

今日、われわれは日本の近代史が初めから終わりまで「凶暴で貪欲」だったといって非難をあびせている。そして日本人が19世紀以後に築き上げた帝国を破壊することによって、日本を罰している。この措置は合法的な驚くべき新しい発想を必要とする。―――すなわち、ただ日本の犯罪時に、日本の行為が犯罪と見なされなかったばかりではなく、今、断罪役にある裁判官のなかには、当時の行為を扶助した者もいるのに、日本がその行為のために、今、有罪の宣告を受けることは、被告日本にとって当然なむくいである、という考え方がそれだ。

実際、アメリカ、及び、白人は、日本を徹底的に、貶め、断罪するという、意欲に燃えていたのである。
二度と、立ち上がれないように、である。

白人に、逆らうことは、許されないという精神である。
それは、精神であり、根性である。

敗戦後の日本は、その罠にかかったまま、今日まで至るといっても、いい。

さて、
1943年カイロにおいて、大英帝国を代表するチャーチル首相と、アメリカを代表するルーズベルト大統領が、日本が朝鮮国民を「奴隷化」したと宣言した。だが民主国家であるアメリカとイギリスの両政府が、朝鮮の「奴隷化」を発見したのは、日本の真珠湾攻撃とシンガポール攻略の後になってからのことだった。今日、日本を断罪する裁判官となっている三大強国のなかで、ロシアだけが、19世紀の朝鮮における日本の進出に反対したのであった。しかし、ロシアの反対も、日本の行動に対する嫌悪に立脚したものではなく、たんに自分が日本の代わりをしたいという欲望に基づいたものだった。その当時、英米政府は、ロシアの代わりに日本をその場に置くことに、大賛成だったのである。

その通りである。
ロシアが出るより、日本が出ることが、理想だと、考えた。
そして、それで、良かったのである。

更に、
1894年7月29日に、韓国におけるわが代表であったシル氏は、次のように書いている。「日本は韓国に対して非常に親切に行動したいと思っているように見える。日本は断乎、中国の統治権の軛を解き放って、弱小な隣国を援け、その独立国としての立場を強化することのみを希望しているように見える。即ち日本は、韓国国民に平和と繁栄と開化をもたらすような諸革命の実行を支援しようとしている。この動機は知識層の韓国官吏の多くを喜ばせているし、また、アメリカでも不賛成なことはなかろうと私は思う・・・」

韓国国民に平和と繁栄と開化をもたらすような諸革命の実行を支援しようとしている
ということで・・・
その通りである。

日本が、裁きを受ける何物もないのである。

続けて、
今日、日本による朝鮮「隷属化」を非難するにあたって、われわれは朝鮮において日本政府は、例外的なぐらいひどい植民地統治をやったという。しかし、病院、学校、朝鮮人の政治への参与(地方行政の場合)、通信、産業の発達、資源の開発など、通常「進歩的」発達の標準として容認されている基準から判断すれば、日本の記録は、通常の植民地母国の標準、いや、はるかにそれに、立ち勝っていた。今日、日本の朝鮮統治を非難する者はその根拠を、日本の主要な目的が朝鮮大衆の福祉よりも、日本自身の国家の安全の確保と経済的財政的福祉にあった、ということに置くのだ。しかし、そのような状態は、すべての西ヨーロッパ植民地母国によって、当然なことと容認されているのである。

西ヨーロッパの植民地政策は、略奪、掠奪、収奪だったのだが・・・
まあ、女史も、白人であるから、弁護したのだろう。

そして、
朝鮮において悪かったことは、日本の統治ではない。植民地制度そのものであった。1894年当時、アメリカ人のシル氏が日本の改革計画に賛同して、「国民に平和と繁栄と啓発をもたらすもの」と評価したとき、おそらく氏はこの人道主義的な言葉をまじめに書いたことだろう。日本人は、朝鮮国民の「指導」の責任が日本にあるとする理由を説明するにあたって、朝鮮のように長年の虐政でひどく痛めつけられた国民には、「独立」などは不可能であるといった。おそらく日本人はそのとき、今日、われわれが同様なことを口にしていると同程度に、真剣なことだったろう。

上記で、驚くべき言葉は、
植民地制度そのものであった、と言う。

女史も、植民地という意識である。
日本は、植民地にしたのではない。
併合であり、合邦国家だった。

しかし、アメリカ人が、このように、日本の統治を評価したことは、事実である。
当然、発売禁止、翻訳禁止になるだろう。

現在の日本の中でも、朝鮮半島を、植民地にしたという人は、いる。
反日左翼、在日関係、その他、諸々・・・

朴氏が、書く、
韓国統治の収支決算では、韓国のなかでも多くの有識者が、「日本は敗戦によって投資した額の三分の一も回収できなかっただろう」とか、「いや、三分の一以上は回収したはすだ」とか「全部回収したはずだ」などと話し合うことが、しばしばある。それなのに公式の席上や、あるいはマスコミのうえではいっさい触れないのが実情である。

日本は、投資、更にたま、投資したのであり、回収などしていない。
出しっ放しである。

それでも、未だに、韓国、韓国人は、日本からの、金が欲しいようで、日韓の政府が約束したことをも、無かったことにしているという、実に、馬鹿げた、有様である。

完全かつ最終的に解決している。

本当のところ、敗戦後に、韓国には、一銭足りとも、支払う必要はなかった。
充分過ぎるほど、日本は、朝鮮で、支出したのである。

posted by 天山 at 06:57| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月17日

打倒・韓国62

韓国は独立回復後に、同じ民族間の不和と、南北間の韓国動乱によって失われた人命のほうが、日本によって奪われた人命よりもはるかに多いのだ。もう半世紀もたった過去の悪かった面だけに執着せずに、過去の歴史を公正に評価して、正しい歴史観をもって明日への新しい道を開くことこそ、わが民族のためになるものと信じる。
朴テヒョク

と、いうこで・・・
半世紀以上経っても、まだまだ、韓国は、目覚めないし、目覚める動機もない。
更に、蒙昧になっている。

日本によって奪われた、人命とは、大東亜戦争、第二次世界大戦に出た、韓国人兵士なども、含まれるのだろう。
当時の韓国は、日本であるから・・・

ところが、韓国は、戦勝国だと、思いたがっている。
明らかに、狂っているのである。

シンシアリー氏も驚いていたが、韓国人は、進んで日本軍の兵士となること、更には、特攻攻撃にまで、参加しているのである。

日本と共に、戦ったのである。
ところが、日本が敗戦すると、我等は、戦勝国だと、言う。

これも、歴史の改竄である。
こうして、何から何まで、歴史を改竄している。

朴テショク氏が、言う、正しい歴史観などというものを、いつまでも、持つことが出来ない。それが、韓国人であり、そういう定めなのだろう。

日本は、今日の韓国の発展の基礎を築いた。独立を回復した後についても、同じことがいえる。朴セイキ大統領が政権を掌握したときに、韓国は外貨がそこをついていた。朴政権はこれで工業立国の道を開くことができないということから、1965年日韓国交正常化を断行した。そのとき締結された「財政及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」によって、日本は韓国へ無償で三億ドルと長期低利の借款として二億ドルを、十年間にわたって供与することが定められた。この資金が韓国のその後の工業発展を可能にする、起用力なバネとなった。
朴テショク

韓国人が、自ら、そのように言うのである。
果たして、日本は、そのようにする、理由があったのか・・・

欧米列強は、植民地支配にした国々に、そのようなことを、したか・・・

日本は、併合国家韓国に対して、敗戦後も、真っ当に、支援を続けたのである。
真っ当にとは、好意である。

現在の韓国であれば、決して、支援などしなかったはず。
日本国民が、許さない。

日本による韓国統治は、総体的にいって韓国に大きな恩恵をもたらした。日本は今日でも韓国にとって、よいモデルを提供してくれている。それに今後の韓国の発展のために、韓国は日本の善意と友情をどうしても必要としている。日本の協力なしに、韓国は立ちゆくことができない。これは事実だ。もし韓国人が「不幸な過去」にこだわり続けるとすれば、その「不幸な時代」が日本統治時代すべてが悪かったというように、歪んだレンズを通して誇張されているだけに、日本国民の信頼と好意を確保することはできまい。


もう、すでに、日本国民の信頼と好意を確保することが、出来なくなっている。
そして、後戻りが出来ないのである。
つまり、韓国の自滅である。

ASEANの外相会議で、韓国が、日本非難を繰り広げると、また、始まったと、インドネシアの代表が、それを遮り、言った。
我が国も、日本という隣国があれば、もっと、発展していたはずである、と。

韓国人は自分の過ちを他人のせいにする。という悪い癖がある。これは李朝の酷政のもとに生きることを強いられたために、自分の責任を認めることがあれば、大きな災難に出会ったからである。そこで、自分をつねに正当化して、他を責めることが習性となってしまった。


その通りだろう。
それ以外の、方法を見いだせないのである。

しかし、悲しいことは、その習性を治すことが出来ないという、病理である。
治療不可能なのである。

そのうえ韓国人は思いあがりやすい。韓国の青年たちと話していると、韓国がやがてアジアの中心になると考えている者が多い。韓国人はいたずらに自尊心が強いのだ。だから、人のできることは、自分もできると安易に思いやすい。


この本が、出版されたのは、25年程前である。
当時の青年は、今頃は、50歳前後である。
韓国は、アジアの中心になるどころか、アジアの荷物になっている。

現在の韓国人の、八割が、他国に移住したいと、考えている程、韓国は、最低の国になっている。
更には、アジアから、最も嫌われている、中国と同じ程度、それ以上に、嫌われている。
そのことを、決して認めないだろうが、事実である。

まして、世界的には・・・
韓国のことなど、意に介さない国々、多数。

そして、いずれ、嘘がバレると、つまり、従軍慰安婦問題などでの、大嘘である。

アメリカの公式文書などでは、強制性など、認められていないし、嘘だと、知る人が多々いる。
更に、アメリカが、それを持ち出せば、アメリカも、とんでもない行状が、暴露されるから、静かにしているが・・・
いずれ、アメリカの政治家の中に、明確に、韓国の嘘を言う人達が、現れる。
それが、世界的に広がれば、韓国は、大恥をかき、更には、世界から信用されない国になる。

各地に建てている、慰安婦像なるもの・・・
一体、その後の処置を、どうするのだろうか。

本当に、目覚めないと、韓国は、自滅し、消滅するはずである。
歴史が、それを、教える。

posted by 天山 at 07:54| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月18日

打倒・韓国63

韓国は、謙虚に日本から学ぶべきである。日本を教科書にして、どこが悪いのだろうか?
日本も戦争に敗れると、謙虚にアメリカに弟子入りして、1970年代ごろまではそのような状況が続いていた。もっとも、韓国の民衆はけっして反日ではない。日本を尊敬している。韓国を旅行する日本人はみな、敬意をもって扱われる。もし、韓国政治家や、マスコミがいうように韓国民が日本に対して怒っているのであれば、なぜ日本の流行歌があれだけはやるのだろうか? なぜ、日本製品を信用するのだろうか?・・・


当時は、まだ良かったのであろうと、思う。
しかし、朴氏の、予知は、無残にも、破れた。

韓国の民衆は、反日である。
親日だとしたら、韓国社会では、生きられない。
抹殺される。

マスコミは、日本も韓国も、同じようである。
決して、マスコミは、信用出来ない。
作り上げた情報を、発信する。

政治家は日本へ怒りを向けることによって、自分の欠陥を隠すことができるし、マスコミにとっても日本を攻撃することが好都合だから、正しい視点を欠いたのだ。


それは、日本も同じである。
ただし、政治家の場合は、与野党に関わらず、親韓議員がいる。
売国的とも言っていい、政治家も多数いる。

日韓議員連盟などの、議員たちである。
親韓議員を非難はしない。
真っ当ならば、それでいいが、日本の国益を損ねても、親韓であるという、議員も多々いる。

日韓友好は、成り立たない、韓国の状態である。

更に、朴氏は、
韓国人の多くも日本を攻撃することによって、自分の欠陥から目をそらすことができる。
しかし韓国人が日本に対してだけ怒りを向けるのも、論理的ではない。太平洋戦争前に、ソ連のシベリア沿岸州に三十万人以上の韓国人が住んでいた。ところが、スターリンがこれらの韓国人が日ソ戦争が起こった場合に協力することを恐れて、中央アジアへ強制移住させた。スターリンは妄想にとらわれた暴君だった。カザフ科学アカデミー朝鮮民族センターの調査によると、移住する過程で十二万人が死んだ。だが、政府も、マスコミも、ロシアに対して抗議の声をあげることがまったくなく、友好的である。
と、書く。

何故、日本にだけは、違うのか・・・
この底には、侮蔑があるとの、指摘は、呉善花氏の指摘であるが。

侮蔑する人と、真っ当な、付き合いが出来るものか。
私を、侮蔑する人とは、会うことは、ない。
そして、会う必要もない。

朴氏の、著書の最後に、
韓国もようやく、よい方向へ向かう兆しが見えはじめている。
と、結んでいるが・・・

全く、良い方向どころか、日本には、日韓断交を掲げる団体が出来た程、関係は、悪化している。

その、日韓断交に賛成する人は、年毎に、増えているのだ。

私は、韓国の反日教育が、終わらない限り、無理だと、思っている。
そして、それは、終わらない。
だから、日韓断交は、可能性がある。

その、反日教育の、凄まじさといったら、ない。
中国の、反日教育も同じだが・・・

大嘘の歴史を、事実として、教えている。
何処に、友好の隙があろうか。

全く、絶望的な、日韓関係である。
これが、極端に進むと、本当に、断交してしまうだろう。

逆に、日本は、自虐史観というものを、今も、抱き続けている。

単純に、日本は悪いことをしたという、感情論である。
徐々に、それも、薄れつつあるが・・・

反日左翼、反日在日、その他・・・
どうしても、日本を、悪者にしたい、人達が、日本にはいる。

そして、韓国の反日運動を、煽るのである。

国益を無視して、親韓である、政治家も多くいる。
いずれ、日本国内では、その対立が、先鋭化するだろう。

更に、よく知ること無く、発言する者共、である。
一番悪いのは、無関心な人達・・・

最も、憂いべくは、事実を証言すると、右翼、愛国者などと、言われる。
日本では、愛国者と言われることは、変態なのである。

不思議な国で、日の丸を掲げると、変態だと、思われるという、日本国民の、変態ぶりである。

何せ、公立学校の教師たちが、国旗掲揚、国歌斉唱に対して、思想、信条の自由があり、と、拒絶するという、愚昧である。

呆れる。
世界的常識、世界的礼儀作法を、拒否するという、甚だしさである。
そして、それらが、親韓なのであるから、驚く。

更に、韓国、韓国人に対する、非難の言葉を、ヘイトスピーチというが、韓国の中で繰り広げられる、日本に対する言葉、行為などは、無視される。

韓国では、日の丸を、破り、焼くのである。
あの行為は、国際的にも、非難されるべき行為である。
そのような、国民と、日本が、まともに付き合うことが、出来るのか・・・
出来る訳がない。

posted by 天山 at 07:16| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月19日

打倒・韓国64

日韓併合条約に署名した、総理大臣、李完用は、現在の韓国では、売国奴の代表にされている。

1905年、李は、第二次日韓協約が結ばれたときに、学部大臣として、外部大臣、内部大臣、農商大臣、軍部大臣の四人と共に、韓国では、「五賊」の一人と言われている。

朴氏が、書く。
李完用はソウルの両班の出身である。私が調査したところでは、高潔な人格者だった。韓国の王羲之(中国の名筆家)といわれるほど書がすばらしかった。独立回復後の韓国ではあれほどまでに悪くいわれてきたのに、不正蓄財を行なったとか、妾の持っていたとか、農民や、民衆を苛めたといった非難が行われたことはない。

李完用は韓国が独立を回復した後に、最大級の売国奴とされてきたために、今日まで伝記が一冊も書かれたことがない。もし伝記を欠いたとしたら、傑出した人物だったことがわかってしまうからである。

と、いうように・・・
韓国では、都合の悪いものは、蓋をする、あるいは、埋めてしまうのである。

真っ当な、歴史的事実も、同様である。

李完用は李朝末期に苦悩したうえで、日本と結び、最終的には日本と合併するほかには国を救う道がないと誠実に感じて、あのような行動をとったにちがいあるまい。李完用も歴史の囚人であったのであり、愛国者だった。


その通りだろう。
日韓併合は、大成功したのである。

ところが・・・

韓国人は、韓国が第二次世界大戦後に独立を回復してから、日本に対して、日本が韓国を略奪したということを許すことができない、という怒りを向けてきた。このような心情は充分に理解できることである。しかし、日本へ向けての非難を裏返ししてみれば、あの時期に日本が韓国を統治しないでいられたはずだ、という前提がなければならない。


韓国は、独自で、独立を勝ち取ることも、更に、近代国家に向かうことも出来なかったはずである。
それは、李朝末期を何度も見てきたが、絶望的である。

朴氏が、書く。
韓国は、日本が統治するまでは、中国の属国であって、独立国ではなかった。
と、明確に、韓国人が、言うのである。

今では、それさえも、屁理屈をつけて、否定する。
要するに、自己を真っ当に、見つめる目を持たないのである。

朴氏は、その前に、こうも書く。
しかし、当時の韓国のほんとうの悲劇は、今日からあの時代まで遡って、歴史に「イフ」を設定することができないことである。あのときの韓国はまったく無力だった。東アジアにおいて真空状態をつくりだしていたのだ。李朝末期は、まるで朽ちた枯れ木だった。南に日本があり、北にはロシアと清という二つの強大な帝国が控えていた。もし、日本が韓国を統治することがなかったとしても、韓国は独立を保ちえなかったことだろう。

それを、現在の韓国人は、考えられない程、頭がやられているのだ。

妄想、想像の歴史観である。
これは、何度も書いている。

当時の、世界は、欧米列強の、時代である。
弱い者は、倒される時代。

だから、日本が、統治しなければ、あっさりと、シロア、中国に、編入されていた。

朝鮮を最初に、独立国として、扱ったのは、日本である。
1875年、朝鮮と称していた韓国に、修好条規を締結した際に、第一条を、朝鮮を「自主の邦」と規定して、独立国として、扱い、それは韓国を、それまでの、中国を中心とした秩序を破るものだった。

この時点で、日本は、朝鮮統治を考えてはいない。

その後、ロシア、ヨーロッパ諸国、アメリカも、1882年以降、次々と、朝鮮と修好通商条約を締結して、進出をはかるようになる。

日本にとっては、欧米諸国が、朝鮮半島に入ることは、日本の安全を脅かすものだった。
そこで、日本は、朝鮮が、他国の支配下に入ることがないように、韓国の近代化を促し、その近代化を助けて、韓国を、しっかりとした独立国として、育てようとしたのである。

日本にとっても、韓国が安定していることが、国益に叶ったのである。

だが、韓国から見れば、日本以外の、欧米列強、シロア、清などの支配下に入るより、日本が関わったことが、最大の、幸運だった。

もし、何処かの国の、植民地になれば、現在の韓国の存在は、なかった。
日本の統治のように、他の国がしただろうか・・・

日本以外の国であれば、植民地とは、略奪、掠奪、収奪の対象とされる。

特に、李朝末期であれば、韓国人は、野蛮そのものであった。
以前にも書いたが、とても、人間の暮らしというものではなかった。

日本統治以前の、ソウルの写真を見ても、それは、一目瞭然である。

暮らしといっても、土人の暮らしである。
糞尿に溢れた、街々・・・
救いようがない程の、庶民の暮らしだった。

何度も書いたので、省略する。

さて、やはり、清国も、日本や欧米諸国が、朝鮮に積極的に進出を図っていることに対し、警戒心を強め、韓国に対する、干渉をはじめたのである。

そこからは、以前に書いた通り、日清戦争へと続く道である。

もし、日本が、救いの手を差し伸べなかったら・・・
朝鮮、韓国は、他国の手に落ちていた。
それ以外の、道は無かったのである。
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2016年03月07日

打倒・韓国65

韓国では、今日でも役人が上から下にいたるまですっかり賄賂漬けになっている。これは韓国社会の大きな恥部であるが、伝統的なものである。
朴テヒョク

25年ほど前に、書かれた本でも、そうようであり、現在もそうである。
そして、それは、また、李朝時代から続いている。

全斗煥政権のときに、政府が音頭をとって「清白吏運動」が推進された。アメリカやヨーロッパ諸国や日本だったら考えられないことである。それほど役人のあいだに、賄賂を受け取ることがゆきわたっていたのだ。


勿論、それも、宗主国だった、中国と全く同じである。

李朝末期の実状について、「朝鮮事情・朝鮮教会史序論」から、
王権は、理論的には最高のものだといわれているが、実際は非常に脆いものである。二、三代にわたる有名無実な国王と数回続けられる摂政政治の時代に、大貴族たちは、ほとんどの権力を掌握してしまっている。朝鮮人は、国王について見ざる能わざる人だ、と噂している。
朝鮮人は、現在の社会状況を頭と足が完全にやせ細っている一方、胸と腹だけが極度にふくらんで今にも破裂しそうな、そんな人間の姿で描いている。頭は国王を無力にし、下層貴族は農民たちの血を絞っているのである。

また、同書には、1866年、韓国で殉教した、フランス人神父が、パリの本部に送った書簡を、載せている。

朝鮮の大官たちの心は、金を集めて自分たちの目をたのしませるときだけ、喜びます。このことを心得ている門客は、控訴中のあらゆる人びと、あらゆる罪人、あらゆる下級職の野心家を探しあて、自分の取り分として十分に金を取り、権力にとりなしをしてもらわねばならない主人のためにさらに多額の金を用意させたのちに、彼らの仲介者を買って出て、ひいては保護をも約束します。一度金を払えば、彼の助けによって田舎者でも大博士となれ、両班になれ、また罪人も無罪となり、泥棒が司法官にさえなれます。一言でいって、門客と金さえあれば、取り除くことのできない障害もなく、洗い落とせない汚れもなく、無罪を証明できない罪もなく、首尾よく偽って立派に仕立てあげられない恥辱もありません。

門客とは、高官の舎廊棟に自由に出入りできる、客人のことである。
今日の、ブローカーのようなもの。

朴氏は、今日の韓国の有力な政治家と、その周辺を囲む人々について描いているようではないか! と書く。
25年前の本である。
ところが、今も続いている。

1866年に、殉教した、神父の発言である。
それが、現在までも、続く韓国社会である。

法治国家とは、言い難い社会、韓国。
現在の、裁判所の判決も、そのようである。

勿論、法治国家として、発展を望んだ日本統治時代は、本当に良い社会だった。
日本が去ると、途端に、逆戻りである。

そして、自分たちが、偉いと思う根性である。
何をやっているのか、分からないという、精神病者のようである。

朴氏の、書くことは、恐ろしい程である。
以下、

韓国では、交通事故で捕まっても、その場で鼻薬を効かせれば、見逃してくれる。だから、ドライバーには、運転免許証のあいだに、一万ウォン札を何枚かいつもはさんでいる者が多い。

パトカーは、白く塗られているために、通称「ベクチャ」(白い車)と呼ばれるが、パトカーの警官を二、三年勤めたら家が一軒買えるといわれるほどである。
警察官は庶民から「ライセンスをもった詐欺師」と呼ばれている。もっとも、その庶民も警察官になったら、袖の下を受け取るのだから救いがない。

だが、まだ、恐ろしいことが書かれる。

警官が日常的に賄賂を取るのは、けっして単独犯ではない。警察ぐるみだ。外勤の警官は、警察署へその日のあがりを持って帰って、署長以下全員で分けるのである。これは「上納」と呼ばれている。警察内部の共済制度のようなものである。

このような例を上げれば、キリがないようで・・・

あらゆる場所で、賄賂が必要なのだ。
もう一つだけ、書く。

学校の教師も、賄賂をとることでは例外ではない。幼稚園でも、国民学校―小学校のこと、でも、ふつうは母親が、年に春と秋の二回、子供の担任の先生に「寸志」を包むものだ。

喫茶店や、教員室で封筒に入れた現金を渡す。教員室だったら、先生が机の引出しを少しあけておくから、そこに入れる。先生はよきにつけ、悪しきにつけ、母親を呼び出す。

もっとも封筒が薄すぎた場合には、先生が突然のように威厳を回復して、「ああ、こういうものは貰えないから、あんたが使いなさい」といって、拒まれることになる。当事者の母親の立場になってみたら、相手の良心を麻痺させるだけの、殺虫剤の配合量が足りなかったのである。

恐ろしいことは、
もし、教師に袖の下を包まなかったら、子供が苛められることになる。・・・
子供のほうから親に、先生に金をあげるようにせがむことになる。

韓国の母親たちは、ことさらに教育熱心だ。「チマパラム」(スカートの風)といわれるが、自分の子供にだけよい成績をとらせようとして、金を包むことになる。小学校の教師だって、警察官にけって負けてはいない。小学校の教員を三年も勤めれば、家が建つ、といわれるほどだ。

更に、
現在では、大学の講師や教授になるのにも、裏金を必要とする。相場は、駆け出しの講師でも一億ウォンはかかるといわれる。(日本円では、約千六百万円)
これは、大学の経営者と教授会のメンバーの臨時収入として分けることになっている。

裁判だって、金しだいといわれる。韓国には恥ずかしいことだが、裁判のブローカーがいるのだ。

もう、この辺で、止める。

具合が悪くなる。

posted by 天山 at 07:16| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月08日

打倒・韓国66

ホーマー・ハルバートの、朝鮮亡滅という本から、
裁判は金しだいでどうにでもなり、多額の金を提供するか、裁判官を畏怖させるほどの有力者を後ろ盾にもっていることを見せつけるかしたほうが、かならず有利な判決にありつけることが世間一般の常識になっている。この国では、富と官職とは、実際上は同義語である。

これが、今の韓国の社会でもある。

これが、李朝時代からの伝統である。
そして、そこから、抜け出られていないのが、現状だ。

現在の韓国は、破産の手前である。
財閥企業も、結局は、海外資本に取られて、利益は、海外に流れる。
国民が、豊かになることは、限りなく無いのである。

以前にも書いたが、財閥企業に入社出来なければ、負け組に入り、以後、負け組の生き方を強いられる。

その若者たちが、熱を上げるのが、反日である。
唯一、それだけが、善なのである。
日本は、悪だから・・・

更に、悲劇なのは・・・
韓国人は、弱い者を虐めるのである。

ハルバートの、朝鮮亡滅には、
動物がひどく苦しがっていることが判るときでさえ、一般の朝鮮人はまったく関心を示さない。道路に病気になった猫や犬や、けがをした鳥などがいると、子どもも大人も老人も手に手に棒や石を持って、この哀れな動物をいじめころしてしまう。
と、ある。

路上で不運な犬が首に縄をつけて犬肉店に引っ張られていくとき、子どもの群れがガヤガヤ騒ぎながらそのあとをついていく。子どもたちは、かわいそうな犬が首を絞められ、最期のあがきをするのを見たいという期待に胸をふくらませている。
とのこと。

これが、人間にも、適用される。

弱い、負け組人間は、皆々から、苛められるのである。

韓国社会は、思いやりが皆無である。
それは、朴テヒョク氏も書いている。

韓国では、エリートが、食堂の従業員や、運転手に対して、威張り散らすのは・・・
として、
矢張り、両班からの語りである。

李朝の始祖、李成桂が、軍人であり、クーデターによって、政権を簒奪したために、武と剣を警戒したゆえに発生した、両班という、存在。

両班は文官と武官の文武両班から構成されたから、両班と呼ばれた。
班は、席次とか、地位を意味する。

矢張り、中国に真似た、科挙がある。
科挙は、文武両班の官僚を採用するための、文科と、武科の試験に分かれた。

その他に、中国と摂政するための通訳を登用するための、訳科や、医科、天文、地理などの、陰陽科、技術科、技術官を採用するための、雑科があった。
しかし、文科こそが、科挙の中で、最も格が高く、重要だった。

両班にとって、科挙に合格することが、立身出世の関門だった。科挙こそ、死活を決定するもの。

受験生は古典をひたすら丸暗記して、美辞麗句を書く稽古に耽った。このような学問は、外観を整えることでしかなかったし、まったく実用性がなかった。実世界に何一つ役に立たない学問に打ち込むうちに、人格が歪められて、おかしくなる。儒教や中国の古典の教養を欠いた、働く民衆は野卑な存在でしかなかったから、民衆に対する思いやりなどはいだきようがなかった。


朴氏は、腐った中国の、儒教に侵されたと、嘆く。

それが、今でも、韓国のエリートが民衆に抱く、感情の元だ。

腐臭を発する中国文化が、韓国人の精神と社会生活を救いようがないほどまでに、ねじ曲げてしまったのだ。


これは、気の毒としか、言い様がない。
日本にも、儒教が入ってきた。しかし、日本の場合の儒教は、皇室から、そして、民に降ろされたものであり、一度、フィルターを通して、そして、日本流にアレンジされた。

例えば、イスラムでも、中東のイスラムと、インドネシアのイスラムは、別物とも言えるほど、違う。

儒教の中でも、排他的な朱子学は、江戸時代の政治の主たるものだったが・・・
全く、朝鮮のようには、行かなかった。

道教も、老荘思想とは別物となっていた、日本。
不思議である。

日本は、腐臭のする、中国文化を取り入れたが、腐臭させなかった。
それは、民族の根本が違うとしか、言い様がない。

いいとこ取り・・・
島国日本は、大陸の文化を、たっぷりと、受け入れたが、最初が肝心である。
兎に角、皇室という、フィルターを通したがために、歪なものも、真っ当なものとして、日本流として、咀嚼し、民に広がった。

だから、受け入れないものもあった。
すべてを、そのまま、鵜呑みにしなかったのである。

例えば、宦官や、纏足という習慣、制度である。
男性器を切り取り、官僚を作るなどということは、全く受け付けていない。

科挙という試験も、受け入れなかった。
勿論、多くの人達は、実に良く学んだが・・・
朝鮮のようではなかったのが、救いである。
posted by 天山 at 06:56| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月09日

打倒・韓国67

私は、現在の日本の社会は、実に良い社会だと、思っている。
その一つは、言論の自由である。

韓国を好きだと言っても、嫌いだと言っても、いい。
韓国から渡来した文化を、評価することも、大いに結構だ。

親韓の人も、反韓の人も・・・
それぞれ、言いたいことを言える。

だが、韓国は、どうか・・・
それが、出来ないのである。
親日を口にすると、社会から、抹殺されるという。

反日が正義であり、親日は、悪なのである。

私は、総体的に、韓国を見て、この、打倒・韓国を書いている。
しかし、個人的に、韓国人と付き合うと、きっと、気の合う人も多いだろう。

更に、韓国人でも、冷静に、日韓関係を眺めることの出来る人達もいる。

引用させて貰った、朴氏や、シンシアリー氏、呉氏などなど・・・

私は、日本の社会が、健全であるためには、それぞれが、個人が、考えていることを、聞ける器量が必要だと、思っているし、それを希望する。

韓国、朝鮮人に対する、ヘイトスピーチを、容認していない。
しかし、その人達は、韓国で行われる、反日の言葉は、ヘイトスピーチではないのかと、言う。
それも、一理ある。

日の丸を、引き裂き、火を付けるなどする行為・・・
矢張り、気持ちの良いものではない。

さて、再度、韓国に、腐臭のする中国文化の影響を見る。

朴氏が、紹介する。
ホーマー・ハルバートは、李朝末期の韓国で活躍した。その、朝鮮亡滅、には、新羅が統一国家をようやく形成したときから、強力な中国文化が流入するようになったと、言い、

完成された古い文明の所産が、洪水のように流れこんできたのである。そのため、自らの営みで進歩を切り開いていこうとする励みが、まったく奪い取られてしまった。人民の創意性は、その芽をもぎとられ、彼らは、中国式理想に圧倒されてしまった結果として生じた知的停滞から、いまなお立ち直っていない。しかも、この中国思想が、かならずしも朝鮮人にぴったりくるものではなかったから、いっそうこのことが悔やまれる。それ以来というもの、朝鮮人は、中国文化のすさまじい進出のおかげをこうむるというよりは、それに耐えながらどうやら生き延びてきたといえよう・・・
ハルバート

日本では、ウリジナルという、冷やかし言葉で、韓国人の、我らが最初だという、歴史的事実を捏造する様を、表現する。
そして、中国人も、それに同調して、呆れている。

何せ、儒教の始祖、孔子でさえ、韓国人だというのだから・・・

文明は、韓国から始まった・・・

だが、実際は、上記の通りである。

中国は、文明の所産を放出することを通じて、大いに朝鮮を手助けしたとはいえるけれども、朝鮮自体の側からいえば、そうした文明の産物をいっきょにでなく徐々に受け入れ、そして朝鮮ふうにつくり変え、そうしたことを通じて、自らの知性を開発しつつ、文明の単なる物質的福祉に優る何物かを獲得するほうが、はるかによかったに相違ない。
ハルバート

それが、何故、出来なかったのか・・・
あまりにも、中国文明が、凄かったのか。

しかし、現実はそうならなかった。中国式の思考、宗教、風俗、芸術、文学、科学、倫理が朝鮮をおおった。私の考えるところ、その日から朝鮮民族の退化がはじまり、ついには現在のような絶望的な状態に落ち込んだのである。
ハルバート

恐るべき退化現象は、中国思想の導入とともにはじまった。若い新興国は、目の前に置かれた誘惑に抵抗しえなかった。それはちょうど、およそ節制ということを教えてもらったことのない子どもの前に、キャンディを山積みに出してやるようなものだ。中国文化にとびつき貪り食い、結局、食いすぎのために死んだのである。
ハルバート

朴氏は、
キャンディというよりは、毒饅頭というべき毒入りのキャンディだった。ちょうど同じころに、本家の中国も絶望的な状態にまで落ち込んでいたのは、当の中国人も、中国文化を貪り食ったために、食いすぎて死んだということだった。
と、書く。

これを、現在の韓国の人が、どう解釈するのか。
と、いうより、それを知らないのだろう。
教えられないからだ。

陸続きのせいか・・・
海を隔てると、日本のように、貪らないのか。

だが、日本にも、中国文化に、心酔していた人達が、大勢存在する。
そして、憧れた。
更に、中国に出掛けた文人も多い。
ところが・・・
憧れた中国文化は、皆無だった。

それよりも、油断も隙もない、中国人を見て、絶望した。

朝鮮の、事大主義とは、大に付くという、姿勢を言う。
いつも、大、あるいは、強いモノに付いた。

それは、中国文化か・・・
いや、それが、朝鮮人である。
ハルバートが、絶望的と言うが、実際は、最初から絶望的な民族だった。

そのように、解釈するしかない。
現在の、韓国人社会を見ても、絶望的である。
何処にも、救いがないのである。

だが、韓国人の名誉のために、韓国人も持つ、ある心境について、朴氏の、解説で、紹介する。

posted by 天山 at 07:34| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月10日

打倒・韓国68

韓国人の名誉のために、朴氏が、指摘する、韓国人の精神の、理想像を紹介する。

ところが、儒教や中国文化という分厚く、醜い表皮を剥ぎとってみることができれば、韓国には、独自なすばらしい気質や、はつらつとした精神がある。韓国人は本来、気品にあふれた民族なのだ。韓国人は、豊かな人間性を十二分に備えている。


これは、期待する。

韓国独特の観念にモッがある。モッは、韓国だけに固有な言葉であるから、漢字をあてはめることができない。


モッを説明すれば「自然のように」とか、「自然で、無理のない生き方をする」とか、「一つの人生を天意無縫に生きる味がある」ということになろうか。


それは、老荘思想にもあるが・・・

日本語の「風流」とか「粋」とか比べることがあるが、それよりももっと精神的で意味が深い。このようなモッの精神は、韓国美術のなかでも高麗青磁や、李朝白磁によく現れている。自然がおのずから備えている美しさを、そのまま映しだしているのだ。中国の陶磁は、精密をきわめているが、身震いするほど人工的である。


確かに、高麗青磁、李朝白磁は、素晴らしい。
日本の焼き物も、朝鮮からもたらされたものである。

佐賀県の有田焼などは、そのまま、朝鮮からの職人によるものだ。
青磁や、白磁の伝統を継いでいる、焼き物である。

日本の、風流、粋とは、一部分の精神的活動である。

韓国は、陶芸が有名であるにもかかわらず、青磁、白磁のなかにも、花瓶が存在しない。花を切ってきて、屋内に飾るという習慣がないからだ。あるがままの自然を愛するために、日本の生け花のような発想が生まれなかったし、華道のような様式が発達することもなかった。花は、自然のなかで咲いているのが美しい、と考えてきたからである。


モッは人生哲学である。自然の道理にあった生活を尊ぶことである。自然に背くことが、人の心を傷つけることになる。ここから人間として歩むべき道があり、人間として持つべき心構えがあるという徳目が生まれる。


これ、韓国人の、面目である。
それは、理解する。
そして、共感する。

日本には、もののあはれ、という、心象風景が、あらゆる文化的なものに、流れている。

韓国の、モッを体現することは、難しいが、理解することは、出来る。

その、モツ、と老荘思想の、無為自然、そして、日本の、もののあはれ、というもの、それぞれの民族の、あり得べき、姿なのだろう。

どの、民族のものが、優れているという、問題ではない。

それぞれの、共感度が問題だ。

韓国では、人格のなかにモッのある人が、人として理想像とされてきた。そのような人を「モッチェンイ」と呼ぶが、「モッチェンイ」は、表面的には両班として礼儀正しく振舞うが、内面は自由な心を持ち、和やかで、無理をしない、人に迷惑をかけることなく、しっかりとした人生観を持っている人だということになる。


是非、現代の韓国人も、それを目指して欲しいものだ。

現在は、全くそんなものは、見えない。

今日、モッという言葉は、「モッチダ」(すばらしい)というときに使われているものの、外観について表現する言葉となってしまっている。李朝後期から、そのように意味が歪められて用いられるようになった。


現在では、ピエール・カンダンの靴を履いたり、ディオールのワイシャツを着たり、高価な香水をつけているのが、「モッタ」ということになっている。「モッチャンイ」というと、「おしゃれな人」という意味に変わってしまい、韓国社会は、あらゆるものが金額によって評価されるようになってしまった。


とても、残念なことだ。
言葉の意味合いが、変われば、その、モッという精神も無い。

言葉は、民族の精神の命である。

礼儀正しく振る舞って、心は自由である、という、モッという精神。
残念なことだが、反日行為をする、韓国人には、皆無と言える。

李朝時代の韓国は、官吏が上から下まで賄賂漬けになっていた。これも本場の中国であって、中国の悪臭に染まったものだった。韓国には、清廉潔白な官吏を意味する清白吏(チョンペクリ)という言葉がある。李朝時代を通じて、清白吏に対する憧れが強かった。しかし、憧れが強かったという事実は、清白吏がいかに稀であったかを、物語っているものである。


腐臭のする、中国文化に染まってしまった、朝鮮の悲劇である。

それでは、韓国人の精神とは、何か・・・
実は、もはや、何処にもそれらが、見当たらないのである。

そんな素晴らしい精神を有していた、韓国の人々・・・
早く目覚めて、民族の誇りと、その精神を、取り戻して欲しい。

民族の誇りを、取り戻すことによって、韓国は、新たに生まれ変わることが出来る。
そのような、指導者が、韓国には、必要である。

政治家ではない。
韓国から、思想家が出なければならない。
posted by 天山 at 06:54| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月11日

打倒・韓国69

韓国と、韓国人を理解するためには、韓国での儒教の、在り方を知らなければならないようだ。

朴氏が、
儒教は、韓国人に悲劇をもたらした。儒教も「メイド・イン・チャイナ」である。儒教は孔子を開祖にしていることから、西洋では孔子教「コンフューシャニズム」と呼ばれている。この儒教が怪物となって暴れまわり、韓国人を苦しめることになった。
と、言う。

日本の江戸時代も、儒教を持って幕府が、政治を行なったが・・・
朴氏が書く儒教は、それとは、全く違うものである。

韓国では、大学教授が学生に対してだけではなく、周囲に対して権威を繕うのは、儒教の伝統の影響をこうむっているからである。儒教といえば、徳川幕府は、儒教の教えを用いて国を治めた。しかし、日本の儒教は、韓国や中国の儒教と比べれば、生っちょろいものである。・・・


確かに、そのようである。

儒教は、韓国人の性格を捻じ曲げてしまった。儒教は、瓶の上に載った巨大な漬物石のように、韓国人の精神を押し潰してしまった。


儒教が、中国で起こり、国教のようになったのは、紀元前136年のことであり、それから、20世紀、清が滅びるまで、続いた。
現在の、共産党一党独裁政権が続く理由も、理解出来るのである。

朝鮮に儒教が、入ってきたのは、14世紀末の、武力によって、高麗王朝を倒して、王位に就き、新王朝を創建してからである。
つまり、李朝朝鮮である。

太祖と呼ばれる李成桂は、首都を開城から現在のソウルである漢陽に遷都して、名称も漢城に改めた。また、儒教を国教として定めて崇儒斥仏を建国の理念とした。儒教という精霊を壺から取り出したのだった。


韓国では、それまで、仏教が力を持っていた。
新羅、百済、高句麗の三国時代から、高麗朝に至るまで。
高麗時代は、仏教の全盛期である。
儒教も取り入れられたが、仏教と、共存していたのである。

高麗朝までの儒教は、李朝における儒教とは、全く異なっていた。

李成桂が、政権を取ると、そのクーデターを支持した、高麗の若手官僚たちが、儒教を信奉していたゆえに、儒教を国教としたのである。

李朝は、儒教を韓国の民族性に合わせて、換骨奪胎することがなかった。


それが、悲劇の始まりである。

儒教は、個人が自らを磨くことによって完成することを目指したので、宗教を軽蔑した。仏教の輪廻の教えは、根拠がなく、天国や地獄は、人々の利己心や恐怖心から生まれた空想の産物であるとみなした。


結果、仏教は、壊滅的状態になって行った。

李朝朝鮮は、儒教によってがんじがらめに縛りあげられた。韓国は李朝500年にわたって、儒教によって支配された。儒教は倫理説であるが、為政者のためにつくられた教えである。もとの中国でも、国家に忠実な御用学であった。


朴氏によれば、孔子の教えは、
目上の者によく服従し、古来から伝わってきた作法を、プログラムされたロボットのように守れば、天下社会の秩序が保たれるというものである。既存の秩序を守らなければならないという教学なのだから、支配者にとっては、都合がきわめてよかった。儒教は、他の教えや批判的な思考や、新しい考え方とか、人々の好奇心をいっさい封じ込めてしまった。そのために、儒教のもとでは、進歩がいっさいなかった。
と、いうことだ。

思想というものは、恐ろしいものである。
今では、この儒教の教えが、韓国人の、民族性まで、歪にし、更に、精神的に非常に不安定にさせていると、考える。

儒教は、共産主義にほんとうに似ている。これまでの共産主義国家を想像してみてほしい。共産主義を国教にして民衆を支配した国家は、みな国が本来備えているべき活力を失っている。自由がないからだ。共産主義も権力者のための御用学になってしまった。共産主義国では、旧ソ連から中国、旧ドイツ、北朝鮮、ベトナムにいたるまで、党幹部の並びかたの順番といったつまらないことが重視されたように、権威主義的な上下関係をことさらに強調してきた。


つまり、儒教は、別な形での、共産主義なのである。
厳密に考えると、そういうことになる。
それが、韓国人の精神を破壊した、ということである。

共産主義も、儒教と同じように神仏の存在を否定し、世俗的な権威を至上の権威とした。共産主義は、儒教と同じように独善的で、他の思想をすべて排斥して、批判や、新しい発想をいだくことを許さなかったから、人に備わっているもっとも大きな力である考える力を麻痺させてしまった。


韓国人は、考える力を、麻痺させたままに、今に至るとなる。
李朝時代の、500年間の、儒教が、今も存続しているのだ。

孔子は、家庭に加えて一族を重視した。孝は、儒教においてもっとも基本的な徳目である。親に孝行したり、先祖に感謝するのはよいことだが、親や、先祖の恩を途方もなく膨らませたために、人々は親や、先祖の恩という過大な債務によって押し潰されてしまった。
韓国語の「アボジ」(父)という言葉は、日本語の「父」や、英語の「ファーザー」よりもはるかに権威があって、重々しいものだ。


それが、現在まで続く。
確かに、良いことではあるが・・・
それが、極端になると、どうなるのか。

韓国社会の、停滞を招いている。

ただし、現在は、その、孝行も、廃れた。
親を捨てる韓国人たち・・・

そうすると、どうなるのか・・・
破滅である。
そして、もう、自制が効かない、社会になる。

こうして見ると、韓国の、病理が見えてくる。
悲しいことだ。

posted by 天山 at 08:06| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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