2015年12月30日

打倒・韓国50

韓国とは、
外交の基本である「同等の立場」が最初から成立していないのです。そんな韓国に対して、日本側が、基本に忠実な外交、もう少し詳しく言えば、基本「だけ」に忠実な外交を仕掛けてみると、どうなるのでしょうか?
シンシアリー

と、言うことで、シンシアリー氏の、発言を書く。

韓国人は、何か特別な例外処置こそが自分への評価だと思っています。自分を例外として扱ってくれないと、基本とされる条件よりもっと良い条件で(追加料金なしに)扱ってくれないと、怒ります。「無私されている」と思ってしまうのです。こういうところは、規則を尊重すると言われている日本の皆さんにとっては、ちょっと理解しにくいことかもしれませんね。チェミョンだの序列意識だの、そういう歪みの副産物です。

私がこんなことまで口を挟むのは、明らかに出すぎたマネだと思いますが、日本は韓国に対して、「距離を置く」外交を行うべきかと思います。即ち、基本的なこと「だけ」を維持しながら、別れの時が来たら、軽い一回の握手でサヨナラできる、貸し借りなしの関係であればいいのです。
シンシアリー

つまり、現在の、安倍政権の、やり方がいいということだと、理解する。
安倍首相は、韓国での、日中韓の首脳会談で、一切、余計なことをしなかった。
朴大統領との、昼食会もせず、淡々として、関係者と焼肉を食べたと言う。

これが、距離を置く関係だ。

韓国国民に対しても、友好のパフォーマンスはなかった。
実に、有意義である。

スワップ協定再開の話が、韓国経済界から、日本の経済界へ、打診されたが・・・
日本政府は、沈黙。
それで、いい。

何もかも、基本的に、マニュアル的に対処すればいいのです。「隣国だから仲良くしなきゃ」「隣国に配慮すべき」という理想論で、日本側が近寄る必要はありません。冷たい話しですが、こんな状況を作ってしまったのは韓国ですから、仕方ありません。
シンシアリー

日本側は、首脳会談を求めた。しかし、韓国大統領は、竹島、慰安婦などの過去の歴史問題が、どうのと、実現しなかった。
ただ、日本は、基本的なことを提案したのみ。

アメリカ及び、ほかの国々からだと、こう見えるでしょう。「日本は極めて基本的なことを提案しただけなのに、韓国はどうして受け入れないの?」日本は言うべき事を言いました。韓国が応じようと応じまいと、日本が損をすることはありません。これが距離を置く外交というものです。「河野談話」のように、日本から積極的に近寄る外交はやってはいけません。絶対、利用されてしまいます。
シンシアリー

と、いうことで・・・
軍艦島などの、世界遺産登録の際も、積極的に韓国に働き掛けて、騙された。
日本を騙しても、何とも思わないのである。
日本は、悪だから・・・

シンシアリー氏とお別れする前に・・・
韓国の面白い、現実を教えてくれる。

韓国は、「日本が韓国側に合わせるべきだ」という考えを、「一部の極右勢力が韓国の言うことを否定しているが、実は日本国民のほとんどは韓国の言葉に同調している」という謎の主張として掲げ、そしてそれを実現しよようとしています。こんなにも日本が悪い日本が悪いと国中が騒いでいながら「日本国民は韓国が好き」とは、何の冗談だ・・・ってことにしか聞えませんが、それでも韓国は同じ主張を続けています。
シンシアリー

2014年1月、朴大統領は「大多数の日本国民は一部政治家とは異なる考えで、両国民は相互の文化を共有しながら、心を分かち合っている」と話した。

2013年1月5日の、毎日経済では、「今、韓国が注視すべきは、日本の右翼勢力ではなく、韓国を大事にしている平凡な日本国民であると専門家たちは話す」としている。

それでは・・・
2013年11月に行なわれた、日米共同調査のよると、韓国を信用していない日本人は、72%である。
中身は、あまり信用していないが、46パーセント、まったく信用していないが、26パーセントである。

そして、ちなみに、私は、全く信用していないのである。

これは何を意味しているのでしょうか? 韓国は日本国民に韓国を好きになって欲しいのでしょうか? ビジネスな側面以外に、それはありません。これは、韓国が自分の嫌がることに対して予防線を張っておいたのです。ズバリ、日本の国民がもっと自分の声を上げることこそが、韓国のもっとも嫌がることでもあるのです。
シンシアリー

と、いうことで・・・
日本人は、どんどん、韓国に対して、言いたいことを言うべきなのだ。

シンシアリー氏が心配するのは、
今の韓国からして、韓国の「反日」の「日」から自由になれる日本人はいるのでしょうか?
と、言う。

自由になれる人はいないのである。
だから、
十年前に比べると、日本の雰囲気は明らかに変ってきました。両国の(というか、ほとんど韓国側が持ち込んだ)歴史問題の各事案について、タブー感が弱まり、強い持論を持った人たちが増えてきました。
しかし、だからこそ、「深く強く」もいいけれど、「広くもっと広く」が必要な時点でもあります。強い持論なしに世論の形成を期待するのは無理でしょうけれど、だからといって、いくつかの強い持論が必ずしも広範囲な世論を巻き起こすことができるとも限りません。世論とは、もっと広い範囲で、大勢の意見が集まらないと、作れないものです。
と、言うことだ。

つまり、私のように、打倒・韓国を皆々、思いついたら、書き付けることであり、声を上げることである。

馬鹿につける薬はない。
馬鹿には、近づかないことだ。そして、距離を置く。
そのうちに、自ら、倒れる。自爆する。

国としても、基本「だけ」に忠実に相手にしていれば、いいのだ。

追加
慰安婦問題に関して、つい先日、韓国側に10億円を出すことで、合意した。
これには、どういう評価をしたらいいのか。

確実に、また、日本は騙されると、私は考える。
まだまだ、日本から、金が得られると、韓国側は考えるだろう。
だから、今度は、強制労働の問題を取り上げるようになる。

本当に、呆れる国、韓国だ。




posted by 天山 at 06:30| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月04日

打倒・韓国51

さて、これから、また、再度、日本統治時代について、書く。
私自身が、興味深く思ったものは、創氏改名について、である。

このことについては、日本人も、韓国人も、事実を知る人は少ないのではないかと、思える。

簡単に言えば、韓国人が、日本名に変えるというものである。
それが、強制されて行われたと、いつもの嘘を韓国人は言う。

ところが、実際を調べると、全く話が違うのである。

創氏改名は、皇民化運動、国民文化運動の一環として、昭和15年、1940年から、五年半に渡って推進されたものである。

勅令第一九号の朝鮮民事令改正により、朝鮮民事令第十一条に記される。
「内地民法の「氏」の規定から、朝鮮の戸籍に氏を新設する。つまり、創氏である。

そして、法令第二十号「朝鮮人の氏名に関する件」により、日本風の名前に変更する、というもの。

およそ、五年間で、全朝鮮戸籍の80%以上が、日本風の氏、全人口の約10%が、日本人名を名乗るに至ったと推定されている。

この、創氏改名運動は、強制的に実施されたものではない。
あくまでも、任意であった。

上記の法令は、法制化されたが、自己届出制であった。
それは、勅令第十九号附則第二項の「氏設定届け」で定められている。
また、第二十号には、裁判所の許可による「氏名変更」制度であることが、記される。

姓名を奪ったとする、韓国であるが・・・
大嘘である。

当時の朝鮮人社会では、読み書きが満足に出来なかったのである。
行政指導、マスコミの鼓吹により、人々が、左右されるのが、当然だった。

創氏改名をするものと、思い込んだ者もいたはずである。

更には、姓名など無い者、そういう差別的な身分にいた者たちも多い。
そして、女性は、名も無い、社会である。

実際、創氏改名などしなかった村々も、多く存在したことが、知られている。

ここで、黄文雄氏の、説明で台湾と比べてみる。

台湾人は、韓国人以上に改姓名の経験がある。はじめは清の時代で、原住民に対する徹底した創氏改名が行われ、漢姓と租籍(本貫=一族発祥の地名を指し、姓名と組み合わせる)の捏造を強制された。それを受け入れなかった者には、税金10倍と、公用の使役が課せられたのだった。


その次が、日本時代である。
これは、朝鮮人のような、自己申告制ではなく、許可制の改姓名が行われたのである。

そして、最後は、国民党政府時代である。
日本式姓名を、再び、中国式姓名へと戻すことだった。

朝鮮の日帝時代に行なわれた創氏改名は、本来ならば上流階級に与えられた一種の特権だった。朝鮮総督府による自己申告制というのは、つまり、被治者が治者側と同じになれるという恩恵であり、朝鮮人でも、日本人と同じになりたければどうぞ、という寛大な措置だったのだ。


ということで・・・
未だに、日本人も、韓国人も、日本が姓名、名を奪ったと、思い込んでいる者が、多々いるのである。

そういう、何も知らない、調べない、ただ、韓国人の、言い分を聞いている輩である。

だが、台湾は、違ったのである。
黄文雄氏の案内で見る。

台湾では、二年遅れて、改姓名運動が行われた。
朝鮮人は、自己申告すれば、簡単に改名できたが、台湾人は、知事、群守、町長などの許可がなければ、改名出来なかったのである。

更に、改名前の前提条件として、祖父の代から三代にわたり、一族に一人も犯罪者がいない、憲法遵守の家、つまり、家庭潔白を要求された。

その他に、皇民化に協力している、日本語常用家庭、神道崇拝家庭であるなどというものという、条件である。

それが、朝鮮では、一切無いのである。
もし、台湾のようであれば、誰も、創氏改名など、出来なかっただろうと、私は思う。
朝鮮に、まともな者は、一人もいないからである。

台湾における条件の厳しさは、現在のアメリカ市民権であるグリーンカードとは比べ物にならないほどである。そのため、朝鮮では改姓名の申告が80%以上もあったのに対し、台湾では改姓名の許可を得られたのはわずか1パーセント前後でしかなかったという説もあるほどだ。終戦直前には条件がゆるやかになり、許可される率は10~20パーセントにアップしたとの説もあるが、正式な統計がなく、正確なところはわかっていない。ただ、実際のところは、台湾の山岳民族である高砂族の村では、たいていが日本名を持ち、日本語を常用し共通語として使用していた。


日帝の韓人に対する創氏改名への非難や、その史実捏造については、時代背景がまったく考慮されていない場合が多い。そのために、史実が捻じ曲げられてしまうのだ。忘れてはならないのは、当時の欧米植民地下にあったアジア諸国にとって、日本の存在とは、忌み嫌うどころかあこがれの的だったのである。したがって、日本人になりたがっていたアジア人も多く存在していた。朝鮮において80%以上が創氏改名したというのは、その表れであった。


韓国人は、決して認めないで、否定するだろうが・・・
現在も、日本は、アジアの希望と期待を負っているのである。

あの当時、日本は、色付き人間と蔑まれていた欧米と、同等の地位にあったのである。
日露戦争の勝利が、そのようにさせた。
黄氏が、書く通り、時代背景を無視するということは、無謀すぎるのである。
その、無謀を延々としているのが、韓国という国である。


posted by 天山 at 06:39| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月05日

打倒・韓国52

日帝の末端行政当局が、自己の皇民化行政運動の成績を誇示するために、創氏改名を民衆に強制したこともあった。そのため、朝鮮人の反感を買う場合もあった。一例として、創氏しないものは日本内地への渡航許可を与えないといった、屈折した強制があったのもたしかだ。
現在の韓国人は、これをとらえて「日帝の末端の行政機構が強制的に行った」と被害者ぶっているが、それをいつまでも怨んでいたり、朝鮮総督府のせいにしたりするのは間違いだ。
黄 文雄

それは、「一視同仁」という、原則に基づき、制令20号第2条「正当な事由がある場合において、氏名の変更を許す」を規定として、日韓の差別なく、改姓名の制度を、設けたのである。

その目的は、内鮮一体の、国策である。

それに特に反対したのは、両班である。
禽獣の道を、5000年の文化民族に強要するものだ、という、言い分である。

1930年代の朝鮮では、族譜の編纂ブームであり、皆々、競って、一族の先祖の偉人を創り出した。
過去の権威をふるい出して、アイデンティティを求めていた時代である。

今までの、打倒・韓国を読んでいた人は、よく解るはずである。
そのような、民族なのである。
自分は、偉い、のである。

だが、いくら口では先祖や姓氏を大事にすると言っても、実際は男性のことだけであって、女性には社会的地位がなく、姓も名も付属のなかには載せられていなかった。女性というだけで、完全に社会から抹殺されていた。一方で、男性はその血統の継承者として、祖先祭祀の儀式でも重視される。


朝鮮の、女性蔑視は、甚だしい。
朝鮮の女に、名をつけることは、三国時代の昔から、忌み嫌われていた。

両班の婦女子には、中国の真似をして、生家の姓に「氏」をつけて、名はないのである。
常人の婦女子は、姓に「召史」をつけていた。

更に、女性の再婚が法的に認められたのは、日本統治時代以降である。
民法が施行されたからだ。

韓国では、女性が、数千年にもわたり、姓氏を奪われていたのである。
それなのに・・・
男性の姓氏を日帝が、奪ったという。
実に、呆れる様である。

この運動により、80~85%が、創氏改名を行ったが、当然、本来の氏名に拘る人たちもいる。しかし、それらは、懲罰を受けることはなかった。
つまり、強制ではなかったからである。

彼ら朝鮮人は、日本を野蛮な国、民族として、見ているが・・・
どちらが、野蛮なのかは、一目瞭然である。

大日本帝国軍人として、最後まで創氏改名をしなかった者もいるのである。

軍隊の場合については、以前に書いたが、朝鮮人の特攻隊がいたことを知れば、どうだろうか。
自ら、志願しての、特攻である。

そういう者までも、現代の韓国人が、強制などという、理屈は、有り得ない。

ここで、明確にしておくべきことは、朝鮮人の中でも、日本民族であることを、誇りにしていた人たちもいるのである。

更に、創氏改名は、朝鮮人の嘆願でもあったということを、付け加える。

朝鮮人の源流は、満州である。
だから、日本により、土地を奪われ、故郷から無理やり話されたというのは、大嘘である。

半島の生活空間が徐々に変化してきたのは高麗朝以後である。・・・
ことに元から明の時代は、高麗から宦官や貢女が半島から大都北京へと謙譲されていた。清の時代になると、胡乱によって朝鮮人は北方へと強制連行され、奴隷や農奴として売られていった。その数は50万とも人口の半分とも言われている。李朝後期になると、貧窮化した農民たちが満州やシベリア沿岸州へと入っていった。


それを知らずに、日本は、大多数の農民から生活基盤を奪ったゆえ、故郷を捨てて、流浪せざるをえなくなった。
満州やシベリアへ流浪させたという、大嘘を言う。
妄想でもある。

韓国人は、歴史に関しては、全く、知らないのである。

創氏改名のきっかけとなったのが、満州へ移住した朝鮮人からの要求であること。嘆願であること。

満州はもともと清国を開いた満州人の祖国であり、清朝時代には漢人(中国人)の入植が禁じられていた。19世紀には入植が解禁されたが、その少し前から満鮮国境にいた朝鮮農民は、じょじょに入植をはじめていた。それがもっとも多かったのは白頭山北方の満州一帯、間島地方である。


入植解禁前に、漢人がすでに、満州に入って、盗伐、盗墾をしていた。朝鮮人は、盗伐者たちに雇われて働き、次第に、定着した。
そこでは、しばしば、漢人と朝鮮人の衝突が起こった。

大きな衝突は、1931年の万宝山事件である。それをきっかけに、韓国人はソウルをはじめ、大都市のシナ人へ、報復虐殺を行った。

そして、日本の統治時代には、満州に約150万の朝鮮人がいた。彼らは、絶えず漢人から圧迫され、搾取され、農奴に近い生活を強いられていた。
やがて、朝鮮人狩りが起こる。

朝鮮人を最も嫌ったのが、張作霖で、満州には、朝鮮人を一人も入れさせないと、息巻いていた。
そして、朝鮮人迫害である。

この歴史背景下にあった朝鮮人にとって、唯一の救いは、当時五強のひとつであった、大日本帝国の臣民になることだった。
唯一、中国人に対抗できる切り札である。
そこで、朝鮮人たちは、進んで、創氏改名を強く、要求したのである。

日本こそが、朝鮮人にとって、併合国家の民族の誇りだった。
そして、それが、中国人、漢人の跋扈に対抗できる、ただひとつの、勢力だったのだ。


posted by 天山 at 07:05| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月06日

打倒・韓国53

1931年の、満州事変以後、関東軍が関東州から、北上してきたことを、最も喜んだのは、朝鮮人たちである。

彼らは、いたるところで、日の丸を掲げ、関東軍を歓迎した。
日本人として集まり、日本国民としての、誇りと、意識を強くもっていた。

何せ、日本国民になれば、漢人にいじめられることもない。
更に、反日ゲリラも、次々に武器を捨てて、日本側へと転向した。

満州の150万人の朝鮮人にとって、創氏改名は、迫害を避ける、唯一の方法であり、藁をもつかむ心情だった。

関東軍の北満への出動は、朝鮮人にとって、積極的な救護保護であり、兵匪、満州軍閥からの、開放だった。

そして、日本国籍を有し、日本帝国の臣民として、その権利と義務を果たすべきだとの議論が起こったのである。

更に、帝国臣民になりたいという声が強くなり、漢人の差別に逆襲するために、創氏改名を強く、要求した。
だが、創氏改名を遂げた、過激な一部の朝鮮人が、漢人への報復のために、跋扈した。

それで、日本人は、日本鬼子、朝鮮人は、二鬼子と呼ばれることになる。

在満朝鮮人の帝国臣民としての法的地位要求に対して、当時の朝鮮総督府外事課長の田中武男は、次のような警告をしている。
「在満朝鮮人が、日本国民たる特権のみをふりかざして驕慢な態度に出、自重を欠き謙譲を失い、不遜暴慢をもって本来の満州国人やその他との間に紛争を引き起こし、ためにその非難忌避の対象となること甚だ多き」


韓国人は一度優越意識にひたると、その自信はどこまでも増長するようだ。ソウル・オリンピック後、冷戦終結と社会主義体制の崩壊もあって、韓国はますます好景気に恵まれた。すると韓国では日本を追い越すといった内容の書籍まで出る始末だった。・・・
「日本の時代はすでに終わった。これからは韓国の時代がやってくる。地球は韓国を中心にまわっている。21世紀は韓国人の世紀だ。韓国民は世界一優秀な民族である」などと、学者やマスコミや民衆が騒ぎはしゃいでいる。


と、いうことで、単純、馬鹿のようである。
その韓国は、現在、経済崩壊間近であり、社会は混乱して、人心が乱れて、大変である。

世界一優秀ではなく、世界一、救われない民族となりそうである。

国家という、体を作ることが出来なかった、李朝時代・・・
そのまま、何も変わらず、なのである。

李朝時代の両班は、当時大国人(シナ人)が世界一聡明な民族で、朝鮮人はそれに次ぐ二番目に聡明な民族だとして、西洋や日本は「洋奴」「倭奴」とバカにして禽獣だと蔑んだ。それが、わずか100年たっただけで、世界一優秀な民族だという自信をつけている。・・・
しかし、はしゃきすぎた韓人は、人種差別、他民族いじめをはじめた。・・・


矢張り、単純、馬鹿である。

日本人の、知識人でも、日本の創氏改名を嘆く人がいるが・・・
何も解っていないのだ。

実は、朝鮮は、創氏改名を繰り返してきた歴史がある。
何も、日本統治時代だけではない。

韓国の古代史は、後付で作られたもので、神話とも言えぬし、単なる、妄想の域を出ない。

史実として確認できるのは、新羅軍が、唐軍のちからを借りて、朝鮮半島を統一してからのことである。

最初は、貴族だけが、中国皇帝の賜姓により、中国式の姓をもらうことが、できた。
庶民たちは、名のみである。
もちろん、賤民は、名も無いのである。

朝鮮の創氏改名をみると、最初は、唐の属国となった時期である。
先祖の姓を捨てて、漢名を名乗ったのである。

その次が、フビライハンが、半島を征服した後である。
モンゴル人の元王朝は、100余年に渡り、半島に総管政治を施した。

そこで、高麗の貴族たちは、支配者のご機嫌を取るため、モンゴル姓を、我先に名乗り、モンゴル王族との姻戚関係を競って結んだ。

その後、元が明に滅ぼされると、日和見主義の貴族たちは、簡単に、モンゴル姓を捨てて、再び、漢姓を名乗った。

そして、最後の創氏改名は、日韓併合後の、皇民化運動である。

ただし、中でも、モンゴル支配下の時代が長く、一世紀以上に渡り、モンゴル風の特色ある歴史が、半島に刻まれていた。
こうして、高麗朝末期の朝鮮半島は、モンゴル風一色に染まったのである。

この頃の、つまり高麗史には、従軍慰安婦のお話も多い。
明らかに、従軍慰安婦であり、日本軍における、売春婦の話とは、別物である。

元の時代の高麗で、最も権勢があったのは、高麗人の宦官と、貢女という。
宦官と、貢女が活躍したのは、この時代だけである。

この、モンゴル人統治下のモンゴル化を見れば、李朝時代の小中華化や、日帝時代の皇民化も決して押し付けられたものではなかったことがわかるのではないだろうか。これらは、韓国人にとってひとつの時流であり、彼らはその時流に乗り遅れまいと自ら進んで飛びついたのである。


日本統治時代における、創氏改名について・・・
強制されたというのは、大嘘であるということだ。

あまりに悲しい韓国の、歴史である。
しかし、その本当の姿を書くしか無いのである。

どうやって、捏造しても、その事実は、確実に白日の下に晒される。
哀れ、という他にない。
posted by 天山 at 06:48| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月07日

打倒・韓国54

朝鮮では姓名を持たない者は白丁奴(パクチョンノム)や火賊奴(ファジョクノム)などと呼ばれ、虐待の対象とされていた。朝鮮の婦女子と賤民にやっと堂々と氏名をつけることが許されたのは、日帝時代に入ってからである。日本の戸籍法にもとづいて、戸籍謄本に指名を明記するための義務づけであった。


ということは・・・
氏名を持たなかった、差別された人たちに、氏名を名乗ることを、認めたという、画期的な出来事である。
つまり、日本は、朝鮮人に氏名を与えたのである。

朝鮮社会の差別は、他に類のないものである。
後々に、書き付ける。

韓国人の宗族の血筋を記す族譜は、古いものでも、15世紀の李朝までである。
それ以上は、妄想だ。

大半が、伝聞調になり、開国の檀君直系であるというのは、北朝鮮の将軍様ぐらいだろう。

韓国人が、血筋を大切にするという、理由は簡単である。
支那コンプレックスである。
由緒ある、血統書つきのペットには、人気がある。
韓国人も、宗主国である、主人からの寵愛が欲しかった。

この、中華コンプレックスが、朝鮮を支那以上の、儒教思想の囚われにしたといえる。

さて、韓国社会の、階級社会、閉鎖社会の様は、呆れるほどである。

国王を権力の頂点にして、王族、両班、中人、常人、賤民。
賤民は、更に、奴婢、芸人、巫医、巫女、白丁など、多くの階層により、構成されている。

現在も、李朝時代を思わせるような、差別が存在する。

形式的には、李朝の国王が立法、行政、軍事などのすべての権力を独占していたことになっているが、実際は党争に勝った士林や両班の集団が、国王の名をかりて暴虐な悪政を敷いていた。李朝の国王たちは、500余年、27代にわたって半島に君臨してきたが、世宗らごく少数の国王をのぞいたほとんどが、朋党や外戚に支えられた暗愚の君主であったのだ。


李朝の権力構造は、国王を頂点としてその下に議政府、中央官、地方官という序列であった。ピラミッド型ヒエラルキーを土台とした専制王政は、典型的な中央集権的国家である。日本の伝統的士農工商社会とも違い、東アジア社会ではほかに見られないもっとも頑強な階級社会、差別社会で、両班を中心とするインド的カースト制をもつ儒教社会だ。


韓国人は、男子単系血族を中心に、中国以上に強固な閉鎖集団社会をつくっている。彼らが仲間意識を持つのは、一族、姻戚関係から結ばれる門閥、門閥を土台とする党派が主で、あとは地縁的関係のある同郷人ぐらいなものだ。


大中華社会には、義侠(ヤクザ)集団と、ギルド(職業的集団)により結ばれた「幇会」と呼ばれる組織があった。
その社会を、「江湖社会」と呼ぶ。
江湖社会は、社会基盤を作っていた。
同じ組織の者には、手を貸す、また各地を渡り歩く場合は、組織の人脈を頼る。

これは、韓国とは違う。
血縁、ゆかりある人々としか、仲間意識を持たない小中華、朝鮮と、組織ネットワークに仲間意識を持つ、大中華という、社会性である。

韓国にも、朋党という、党派や、コリアン・マフィアが存在するが、内ゲバによる分裂があまりに多く、組織の体を成していないのである。

この度も、強くない野党が、分裂である。
韓国社会は、「50人による陰謀は、その共同体の49人から漏れる」という、ダレ神父の言うように、実に難しいというか、終わっている。

更に、より強固になった、血族集団を中心に生まれたのが「ウリ」という、仲間意識である。
そして、「ナム」という、他人、赤の他人という、意識である。

朝鮮半島は、1894年の甲午改革により、「四民平等」を宣言した。
この時、戸籍法が改正され、婦女子だけではなく、賤民、奴婢なども、戸籍を持つようになった。それまでは、一人の人間として、認められていないのである。

その後、近代国家として、本格的な社会改革が行われるのは、日本統治時代の、朝鮮総督府から、総督府時代である。

この時は、法律の施行により、万民平等の原則に基づく、階級差別廃止が、断行された。

朝鮮総督府による、門閥廃止、万民平等という、社会改革は、朝鮮史上初めての、階級差別廃止であった。
もし、それがなければ・・・
今、現在も、残っていたかもしれない。
何せ、現代でも、差別意識は、実に激しいのである。

韓国にとっては、実に恥ずかしい歴史であろうが・・・
李朝時代末期には、奴婢の中に、更に、公賤と私賤の区別が生じた。

私賤になるのは、婦女子が大半で、個人が囲う奴隷として、使役された。
彼女たちは、日韓併合に至っても、一人30円で売買されて、その価格は、アメリカの奴隷より、安かった。

婦女子の奴隷は、特定の夫を持たず、主人に属していた。
主人は、一人ではなく、何人かの間を渡り歩く。
子供を産むと、主人の所有物とされ、子供も奴隷として、転売されたのである。

女に対するこの感覚は、旧約聖書の、女性蔑視以上のものだろう。
あちらも、女は、動物と同じように、扱っていた。

モーゼの十戒の中にある、汝、誨淫するなかれ、と、盗むな、という、2つは、同じ意味で、相手の所有物を犯すなという、意味である。

それが、女だった。

さて、更に驚くべきは、地域差別である。
兎に角、朝鮮人、韓国人は、差別が好きなようで・・・
あまりに酷いので、ここでは、省略する。
posted by 天山 at 07:53| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月22日

打倒・韓国55

韓国人の、人種差別と、階級差別は、甚だしい。
今、現在でも、それが強く名残として、存在する。

西洋人を、洋奴、ヤンノム、日本人を、和奴、ウエノム、大国人であった、中国人を、垢奴、テンノムと呼んだ。
中国人は、垢だらけで、不潔だったからだろう。
それでも、中華主義である。

韓国はかつての南アフリカのアパルトヘート以上の人種差別国家であり、おそらく韓国人自身もそれは否定できないだろう。ことに、在韓中国系朝鮮人と在日朝鮮人・韓国人に対する差別は、すでに多くの書物で告発されている。
黄 文雄

在米韓国人は、黒人とヒスパニック系人を差別する。

現在の韓国人も、自己本位、自民族の優越意識や、人種差別意識から、一歩も抜けだしていないのである。

東南アジアを旅する私は、実際にその姿、状況を見ている。
実に、傲慢である。

現地の売春婦を買った男は、その優越意識が、顔に出ている。
女をモノのように扱う。

韓国人たちのグループを見ていると、確実に、東南アジアの人々は、韓国を嫌うと、感じる。

実際すでに、法律まで作り、韓国人を排斥する国々もある。

面白い話は、
在韓中国人が「垢奴」と呼ばれて差別されるようになったのは、韓国の事大主義が清国から日本に代わってからである。

というから、笑う。

在韓華僑は、台湾系華僑や華人といわれるが、韓中国交樹立までを正確にたどれば、そのほとんどが中華民国籍華僑、山東人である。かつての満州万宝山事件以降、在韓シナ人は韓国人に虐殺され、その勢力はいちじるしく衰えてしまい、朝鮮戦争中にもひどい殺害を受けた。土地、職業、出入国の制限は、財産と生活、生存権の剥奪と言える。極端に言えば、ナチスのユダヤ人に対する迫害にも劣らぬ行為である。これが、朝鮮半島からの華僑流出の一因となった。


15万人を超えていた、台湾系華僑は、今や、一割もいないという。
現在は、多少増えたが、一時は、二万人まで、激減した。

また、面白い話は、
在日韓国・朝鮮人は、ややもすれば指紋押捺などの問題を針小棒大に取り上げて反日キャンペーンに狂奔する。では、祖国における在韓外国人への指紋押捺の強制、人種差別、人権蹂躙などの犯罪行為は、いったいどう釈明するのか。さらに、残念なのは、韓国知識人たちがあまりにも反日・克日に夢中になっており、漢民族の人種差別への狂奔を自己抑制する理性を失ってしまったことだ。


と、いうことで・・・

呆れる話が、満載である。
どんな民族なのか・・・と、思う。

満州での、中国人からの迫害に、日本軍に助けられ、更に、日本国籍を求めて与えられると、即、中国人の迫害をはじめたという朝鮮人である。

何処か、頭が、ヤラれているのではと、思われる、性質である。

何か、民族的に、欠陥があるのではないかと、考えてしまう。

更に、面白い、というか、台湾には、失礼な話だが・・・

以下、黄文雄氏の文を引用する。
二十一世紀は韓国の世紀などとのぼせあがっているとき、思いもかけず金融が崩壊し、IMFの管理下に入ることになってしまった。その後、日本に過去の謝罪と反省を迫りながら、高圧的な態度で30億ドルの借款を約束させた。さらに、台湾にも100億ドルの借款を打診した。これは国家関係改善であるなどと都合のいいことを言って、下心まるだしの一方的な好意を押し付けた。

台湾には、韓国に対する「借り」はほとんどない。逆に「貸し」があるぐらいだ。1963年、韓国がはじめて経済開発五カ年計画を開始したときも、まっさきに資金援助したのは台湾だった。

だが、1992年の中国・韓国国交樹立にともなう台韓断交直前、韓国は台湾政府の弱みにつけこんで、国際市場で人気がなく売れなかった韓国車を五万台も国民党政府に無理やり買わせるという、ゆすりたかりを働いた。

ここまで、読むと、本当に、韓国は、異常な国だと、思う。
要するに、人間で言えば、自分勝手な国なのだ。

断交後はさらにエスカレートし、アジア・スポーツ大会の主催国争いにおいて、大本が韓国に権利を譲らなければ大会から追放すると恫喝した。国際会議で「台湾は国家ではないから参加させない」と台湾の大学生を閉め出したこともあった。また、中国政府からの指示を受けて、国連やIMFをはじめ、台湾の国際機関への加盟に韓国だけが強硬に反対した。

中国と北朝鮮の蜜月に気をもみ、中国の歓心を買おうとわざと台湾を叩いて忠誠心を示し、火事場泥棒ぶりを発揮したこともあった。ことに台湾史上初の総統直接選挙前夜、中国がミサイルで威嚇攻撃をしてきたときは、韓国の台湾叩きはいっそう激化した。

このように、韓国の小国に対するいじめはかなり徹底している。ことに台湾に対しては、反日感情の域をはるかに超えて、尊厳ある人間としてとても耐えられるものではない。

まだ、話は続くが・・・

これは、実は、台湾に限ったことではない。
現在の、東南アジアに対する態度も、韓国人の個々が、実に不遜な態度を取って、扱うのである。

要するに、見下す。
侮蔑するのである。
見ていて、呆れる程、傲慢さである。
次に、続く・・・
posted by 天山 at 06:53| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月25日

打倒・韓国56

もともと、韓国と台湾の関係はそれほど悪くなかった。かつて韓国人の台湾留学生は1000人を超え、台湾外国人留学生の半数以上を占めていたこともあった。しかし、韓国の台湾叩きがあまりにも冷酷無情なものだったため、いっときは韓国人ジャーナリストが台湾のタクシーで韓国語を話しただけで降ろされたりもした。
台湾人は、この韓国人ののぼせ上がった弱者いじめに対して、目には目を歯には歯をとの姿勢で逆襲に出ている。・・・


韓国は、今も台湾に対しては、なにがしかのいじめをしている。
特に、スポーツの世界などでは、顕著である。

食道楽の台湾でありながら、韓国の台湾叩きの最中に韓国焼き肉店は閑古鳥が鳴き、つぶれてしまう店もあった。これもすべて、韓国人の弱者いじめ、人種差別からくるものだろう。韓国人は、台湾人がもっとも苦悩と苦難を抱えているときに、その弱みに乗じて恫喝してくるのだ。なんとも無情ないじめである。


この、韓国人の、人種差別的な態度、行為は、東南アジアでも、目立つものである。
あきらかに、多民族、他国を、侮蔑する態度は、呆れるばかりだ。

このことで私がよく連想するのは、戦後日本の焼け跡で、どさくさに紛れて日本人の土地を強奪したあさましさである。ところが日本人の反応は台湾人と違って、謝罪や反省をするばかりだ。それはそれで韓国の弱者いじめに対抗するひとつの方法なのかもしれない。


上記は、呆れる気持ちを通り越す。
日本帝国は、韓国から、何もかも奪った・・・と、言うが、
自分たちは、どうだろうか。
今も、平然として、日本人から奪った土地を、我が物としているのだ。

こういった韓国人の弱者いじめ、人種差別は、伝統文化に見られるマゾヒズムとサディズムという矛盾だけの両面性の視点からさまざまな研究がなされているが、私はそれは両班文化からくるものと考えている。李朝時代の両班階級と常人や賤民との関係が原点にあって、その後遺症が今日の韓国社会に暗い影を落としているのではないか。
しかも、それは近代化とともに回収されるどころか、逆に韓国人の経済生活が向上するにしたがって、何でも「世界一」という錯覚を生み、それによってさらに差別やいじめは膨張していくものだ。韓国人の反日感情は日帝三十六年の悪事が原因だといわれるが、実際は経済大国となった日本を嫉んでのことである。


そのとおりだろう。
悪いことは、誰かのせいにし、良いことは、我が物だと、胸を張る韓国人に、付ける薬はない。

民族には、誇りが必要だが、韓国のように、世界を知らずに、世界一だとは、笑わせる。
更に、知らないということを、知らないのである。

大中華と小中華の、近代に至る異民族差別や迫害は許されるべきものではない。彼らは、洋夷や倭夷というだけで平気で迫害し虐殺をはかる。大院君時代1863年〜1873年にはフランス人神父が処刑され、8000人以上のカトリック教徒が惨殺された。
百歩譲って、この時代は「衛正斤邪」の思想があったことを考慮したとしても、時代が下るにつれて虐殺や迫害が激化、頻発化しているのは、どういうことだろうか。分断後の韓国と北朝鮮、このふたつの異母兄弟は、反共やら反帝などの名の下において、いったい罪のない民衆を何人殺してきたのか。

日本が過去のできごとを半世紀以上にわたって謝罪や反省する必要があるとすれば、韓国人は何億年も自己反省するべきだ。自国民に対する粛清や虐殺を、「それとこれとは違う」などと言い逃れもいい加減にしてほしい。


知れば知るほど・・・
朝鮮、韓国人というものの、実体が解り、驚くばかりである。

果たして、韓国、韓国人は、未来を創造することが出来るのだろうか。

慰安婦問題でも、捏造の強制連行を世界に向けて言うが、韓国の国内、あるいは、ベトナムでした、慰安婦の強制や、強姦、そして、韓国兵の子供の問題などは、全く意に介さないのである。

まさしく、韓国と、韓国人を表明する行為である。

こういう人を、日本では、恥知らず、と言う。

更に、現在進行中の、フィリピンでの、コピノ問題である。
韓国人の男が、フィリピン女性に子供を産ませて、トンズラするというのである。

その数、一万人以上というから、驚く。
そこで、フィリピン政府は、韓国人男性に対する、厳戒令を敷いた。

この、コピノたちは、下手をすると、ストリートチルドレン化する。

過去に、日本人の男たちも、フィリピンに日系の子供を放置した。
しかし、フィリピンの日本人会などが、立ち上がり、支援活動を続けた。
韓国とは、全く別な対応である。

そして、カンボジアでは、韓国人男性との、結婚を法律で禁止したのである。
それほど、酷いということだ。

この状態を韓国人は、どう考えているのか。
きっと、何も考えていないだろう。
平然としている。

要するに、人間が違うと、考える。
日本でも、常識という言葉があるが、簡単に言うと、常識、人間における必要な常識に欠ける民族だということである。

何処かが、欠落していると思うしかない。
それが、世界一とは、何の話かということになる。

韓国で、世界一なるものなど、何も無い。

日本の文化は、皆、韓国から出たものである・・・
平然として言う根性は、大したものだ。

嘘も、妄想も、一緒くたなのである。
知能の問題もあるだろう。

兎に角、関わらないことが、一番の、民族であると言うしか無い。
posted by 天山 at 06:31| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月26日

打倒・韓国57

日本は、韓国への、戦争責任など、全く負っていない。
つまり、日本は、韓国と戦争はしていないのである。

何故か・・・
当時の、大東亜戦争、第二次世界大戦は、韓国は日本であった。
併合国家であった。

日韓50年戦争などと、韓国人は、言うが、全く根拠がないのである。
妄想、愚説の類である。

もし、日帝50年というものがあれば、日清戦争の発端となった、「東学党の乱」1894年のことだろう。

この当時、李朝を統治していたのが、清である。
この反乱平定のために、無通告出兵をした清国に対して、日清両国ともに、朝鮮に出兵の際は、互いに通告することという、天津条約違反だということで、日本は、清と開戦したのである。

日本軍は、東学党との交戦は、皆無である。
日清戦争前の日本軍は、公使館護衛の二個小隊のみを置いていただけである。

東学党の死者が、30余万人だとすると、最低でも、100万人以上の軍隊が必要になる。また、当時の朝鮮半島の人口が、1000万人未満であった。それほどの死者を出すには、東学党以外の、市民も皆殺しにしなければならない。

この、死者、30万人というのも、朝鮮人特有の、嘘、妄想である。

東学党の乱は、半島史上最大の農民反乱であったことは確かだ。しかし、それは日本に対する反乱ではなく、李朝とその宗主国・清朝に対する蜂起であった。反乱は、日本軍が朝鮮半島に上陸する前に、すでに清軍によって平定されていた。


日本政府はこのとき、居留民保護というよりも清政府の条約違犯を口実にして朝鮮に出兵し、日清戦争となった。・・・
日本の目的はあくまでも清国であった。そして、あれほど本格的な戦争であった日清戦争でさえ、日本軍の死者は8395人であり、東学党の死者30万人とはほど遠い数字である。


結局、朝鮮の様々な乱は、正確なものではない。
また、書物があっても、信用出来ないのである。

読み込むと、矛盾だらけということになる。

さて、日露戦争以後、大韓帝国は、日本の保護国となり、統監府が置かれて、日本の憲兵、警察が、朝鮮半島の隅々に駐在した。
それを、韓国では、極悪非道の弾圧と、虐殺を意のままに行っていたと、嘘を言う。

全くの、嘘であり、虚言である。

この当時、日本軍の朝鮮駐留軍は、はじめ一個師団、後に、二個師団だけで、交代制で、朝鮮に駐在していた。
その役割も、主に、ソ連からの領土防衛であり、反日の義兵や独立運動などでは、出ないのである。

義兵運動の対処は、大半が、警察に任せていた。
日本の朝鮮駐留軍部隊が、はじめてソウルの街頭に出たのは、日本の敗戦後である。
それは、日本居留民を保護するためである。

統監時代から、三・一独立運動に至るまでの、憲兵と、警察の人数は、増加しているが、それも、朝鮮人、日本人と合わせて、7000人ほどである。
それは、単に、朝鮮の人口が、増えたためであり、これだけの人数では、半島の隅々まで、駐在するのは、無理である。

日韓併合当時の朝鮮は、盗賊が跋扈するという、非常に治安の悪い社会であり、数千人の、憲兵、警察は、治安維持だけで、精一杯だったはず。

かりに「半島の隅々」にまで憲兵・警察が駐在していたとしても、せいぜい「ムラ」ひとつあたり憲兵・警察ひとりずつといった計算になる。現在の交番や駐在所とそっくりだ。もし村人の協力がなければ、義兵や反日ゲリラに袋だたきにされていただろう。逆に言えば、憲兵・警察は村の守り神だったということだ。


その通りだろう。
日本統治時代の、朝鮮人は、日本がなにをしてくれているのかを、理解していたのである。
自分たちが、安心して、暮らせる世の中であることが、日本によって、行われたということだ。

こうして、憲兵・警察の数からみても、日帝三十六年の義兵や民族運動は誇大宣伝であり、朝鮮人はかなり順民だったのである。ましてや、民族主義者が言うような全民衆的な抗日運動などあるはずがない。たとえあったとしても、駐留している二個師団だけでは、全民蜂起に勝てるはずもないだろう。


つまり、そういう事も、嘘なのである。
妄想全開である。

実際、殺戮、放火、略奪、暴行などいうものは、反日、抗日による者ではなく、朝鮮人同士の殺し合いによって、数千とか、数万人の死者が出たのである。

自分たちがしたことを、日本が行ったという、話は、朝鮮人、韓国人の、得意技である。

ちなみに、中国の残虐行為も、自分たちが行なったことを、日本軍が、行なったという。
嘘も、百回つけば、本当になる・・・
違う。嘘は、嘘なのである。

秀吉による、朝鮮出兵により、300万人が殺戮された・・・という、嘘を言う。
当時の、人口は、200万人ほどである。

これも、中国の南京事件と同じで、20数万人が、30万人虐殺されたという嘘話と、同じである。

黄文雄氏は、
日本人は誠の民族で、追いつめられた時は嘘をつくより謝ることのほうが多い、しかし韓国人、ことに戦後の韓国人学者は、よく嘘をつき歴史を捏造する。国家を指導する国家元首たるものまでが、平気で嘘をつく。ここが、日韓の最大の違いではないだろうか。
と、言う。

まさに、その通りと言うしかない。
そして、いずれ、その嘘で、自分たちの、首を締めることになるのである。

posted by 天山 at 06:54| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月27日

打倒・韓国58

「日帝」時代は、古代朝鮮の伝説神・檀君の開国以来、朝鮮半島にもっとも社会の安定をもたらし、人権が保護され、生存権が確保された時代であり、朝鮮人がもっとも生命力にあふれ、人口は急増した時代であったのである。これは、通説とはまったく逆の見方だが、ちゃんと根拠はある。


通説・・・とは、逆とは・・・
つまり、韓国では、全く違う説明がされているということだ。
つまり、妄想、嘘の歴史である。

何せ、韓国は、古代文明の最初だと言うから、呆れる。
更に、日本は野蛮で、文化は、すべて朝鮮半島から与えたものと、続く。
日本の伝統文化の、何から何まで、朝鮮が与えたらしい。

加えて、反日教育が盛んである。
それを、子供の時から、教えられる。
と、どうなるのか・・・

韓国から海外に出ない人は、それを、そのまま、信じているということになる。
救いは、海外に留学して、ようやく本当の歴史を知ると、驚愕するのである。

そして、韓国の歴史と、本当の歴史で、混乱する。
中には、韓国の教育が間違っていることに気づき、改めて、歴史を学び直す人達もいる。

1910年に設置された朝鮮総督府について私がもっとも評価していることは、新羅朝以来の朝廷の内訌を止揚したということだ。これは、明治維新後の近代国民国家造りを意識した日本人だからこそ、可能となったことだろう。
総督府は、李朝朝廷に代わって朋党の争いの根源を絶った。さらに、半島内の党争の病巣も根絶あるいは追放し、半島に安定した社会をもたらしたことにより、近代法治社会の土台を作ったのである。


まさに、朝鮮の近代の、朝を作ったのである。
彼ら自身では、何も出来なかった。
ただ、乱れているだけである。

朋党の争いの根源を絶つということは、日本人にしか出来なかったのである。
そのままであれば、半島は、近代化が遅れ、今なお、後進国として、貧しい、そして、乱れた社会にいたのである。

日本の総督府が行なったことは、評価しても、し過ぎることはない。

何せ、反日運動自体が、民族同士の殺し合いだったのである。
同じ民族で、殺しあうというのは、朝鮮の伝統とも、言える。

東学党の壊滅は、日本軍のせいでも清国のせいのでもなく、互いに争い合う歴史を歩んできた朝鮮人の宿命として、東学党員「30〜40万人」が自爆、自滅したのである。


何せ、東学党農民蜂起の時、二代教祖である、崔時亨直轄下の北接派は、はじめ蜂起に反対していた。
そして、湖南の全ホウ準と湖西の、徐章玉という、二人の指導者を、国家の逆賊であり、師門の乱賊であるとして、「討南旗」を掲げて、譴責した。
蜂起してから、早々に、内輪もめが、始まっていたのである。

そして、内紛は、激化し、南北接の指導者が、分裂、党員による、人塚の盗掘、略奪、暴行などが行われた。

内紛・・・
朝鮮半島の、宿命ともいえる。

義兵運動も似たようなものだ。初期の義兵は、儒学の忠孝思想という大義名分を持って、復仇の反日決起をした。しかし、しょせん民衆の基盤が何も無い運動である。反日運動はすぐに平定され、たちまち「火賊」「東匪」「活貧党」などに変身して匪賊化、単純小な農民一揆に走っていった。


ここで言う、火賊とは、韓国人特有の、殺人、掠奪、放火をはたらく、強盗集団のことである。
直情的な、匪賊であった。

匪賊に成り下がった義兵は、軍資金を民衆から過渡に奪い、散発的な狙撃をしていた。
これは、総督府から見ても、民衆から見ても、匪賊以外の、何者でもない。

生活で精一杯の民衆が、支援するわけもなく、義兵たちは、農村を襲う。
当然、住民たちから、嫌われ、はじかれる。
そして、山間へ逃げ込み、ゲリラと化す。
義兵たちは、匪賊と化してゆくのである。

農村では、彼らの集解はから身を守るために、警察と手を組み、討伐団をつくることもあった。

だから・・・
韓国人には、法治が必要なのである。が、今も、法治国家に遠い。
そして、益々、社会が、歪になってゆく。
今、現在も、そうなのである。

韓国に、誇れるものがあるか・・・
何一つ無いのである。

それで、嘘をつく。
特に、日本に関しては、嘘の付き放題である。
日本は、悪の国だからである。
そのように、子供たちに教える。

そうして、成長した韓国人青年は、反日感情を爆発させて、行動する。
その多くの国に対する不満を、反日活動に振り向けるのである。

1900年以後に出現してきた「活貧党」も、日本商人を襲ったり、商品を掠奪したり、果ては通商禁止を叫んで義賊化していった。東学党から義兵運動に至るまで、時代背景は多少違っていても、その思想は「衛正斥邪」に基づいていた。排外的・反侵略的な大義はあったのだ。そのなかで、反日が共通していたというだけのことで、反日運動そのものではない。さらに、その大義の根底には華夷思想が根付いているため、反民族主義運動と言ってもいいだろう。


反民族主義運動・・・
そういうと、今の韓国人は、信じられ無いだろう。
何せ、今は、民族主義一辺倒である。
しかし、裏を返せば、華夷思想なのである。

今も、残る、事大主義である。
結局、中華から、逃れられない運命なのか・・・
気の毒だ。

posted by 天山 at 06:38| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月29日

打倒・韓国59

乱れ乱れていた、朝鮮の、法治と人権を実現したのも、日本の統治であった。

儒家思想の核は倫理である。これは、ひとつの社会規範とされ、人は仁や義や礼を重んじるべきだと説いている。宗教信仰のように内発的・自律的に発生するものではなく、あくまで「仁たれ、忠たれ、孝たれ」と規定するもので、外的強制によるところが儒教倫理の特色なのだ。


日本では、孔子の論語などは、大変、ありがたがって、読まれていたが・・・
文としては、評価するものがある。
しかし、孔子の思想は、平面的であり、それほど、重大に捉えるものではない。

何せ、見える世界だけのことであり、見えない世界のことには、触れない。
見える世界は、見えない世界に、支えられてあることを、知らないのである。

従って、儒教国家においては法治よりも人治、「朕」すなわち法であり、仏教国家と違って刑罰が厳しく、厳刑峻罰の国になるのは避けられないことなのだ。その儒教国家である「大中華」も「小中華」も、当然ながら人治国家で、刑罰は厳しい。


そして、
最高の仁義道徳を持つ有徳者が国家を治める儒教社会は、法治社会とはあまりに原理が違うため、一般的に法的規則が極めて困難である。だから、「朕」すなわち、「法」の人治社会では、法とは人を裁くもので、朕は例外とされる。孔子の事大、「刑、太夫に及ばす」と言われたように、刑とは民衆を罰するものであり、統治者には及ばない。それが儒教国家である。


現在の国際社会では、通用しない。

朝鮮社会は、李朝末期などは、特に、司法などなく、乱れていた。
賄賂が横行し、罪人は拷問され、無理やり自白させられた。

更に、監獄は不足して、設備が古い。
それなのに、罪人が多く連行される。

罪人が増えれば、費用がかかるため、死刑である。
死刑執行は、晒し者にされ、山中の杉、クヌギの樹に吊るして、処刑する。

日本の朝鮮統治について、最も批判的だった、スコットランド系カナダ人の、有名な著述家、マッケンジが、「朝鮮の悲劇」に書く。

監獄は呪詛のまとであり、拷問は自由に行われ、周期的な監獄掃除に際しては一時に数十名の囚人を絞首してしまい、裁判は売買された。

アーソン・グレイブスの「悲劇の朝鮮」でも、
朝鮮はきわめて盗賊の多い国家で、城塞の外で夜を過ごすことは大変危険だった。ソウルの外廊には人命をハエの命ほどにも思わぬ山賊やならず者で溢れていた。

ホーマー・ハルバートの「朝鮮滅亡」では、
金次第でどうにでもなり、多額の金を提供するか、裁判官を畏怖させるほどの有力者を後ろ盾にもっていることを見せつけるしかしたほうが、かならず有利な判決にありつけることは、世間一般の常識。

どうであろうか・・・
それが、今の、韓国人の祖先達である。

そして現在、韓国はいまだに世界有数のワイロ国家として有名だ。儒教国家とワイロとは、切っても切れない関係なのである。


と、いうことで・・・
言葉がない。

儒教国家といえば、中国である。
政府高官のお金は、すべて賄賂である。
公務員も、賄賂である。
そして、中国を見限り、海外に出る。
愛国心などというものは、無い。

さて、朝鮮総督府は、李朝末期から残っているこういった前近代的刑罰を徹底的に排除しようとした。土地制度と租税制度の改正、財政破綻や官僚腐敗などの病巣を取り除くために、階級制度による身分差別の撤廃、行使奴婢の廃止と、女性再婚の自由と保証、苔刑の廃止、一族まで類の及ぶ罪人連座法の廃止など、過去の陋習に徹底的にメスを入れたのである。そして、法治社会の確率、個人の独立、人権の尊重など近代的法治国家の概念を植え付けようとした。


これを、朝鮮総督府の、武断政治、という。

その御蔭で、戦後分断後の韓国は、朴セイキの、開発独裁を経ても、近代化の基礎を再建することが出来た。

一体、韓国人は、その歴史を、どのように見ているのか・・・
見ていないのである。
更に、それだけの、知識を持てないのである。

特に、ハングル世代になると、アウトである。
全く、別の、いや妄想の歴史を、教えられる。

ハングルしか、読めないからである。
漢字を全廃してしまった、ツケである。

海外に出た、若者だけが、全部ではないが、少しばかり、事実を知ることになる。そして、驚愕し、慌てる。
中には、真剣に学び、日本統治時代が、いかに素晴らしいかを知る。

日本は、併合したのである。
植民地にしたのではない。
しかし、仮に、植民地化したとしても、どこに、そんな植民地統治があるのか・・・

白人達の、植民地となった国、土地は、どうだったか・・・
略奪、剥奪、掠奪である。

酷いのは、民族絶滅である。要するに、虐殺である。
人種差別の激しい、白人主義は、どんなことを行なったか・・・
そして、一度でも、謝罪したか・・・
今も、平然として、人種差別をしているのである。
posted by 天山 at 06:37| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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