自滅する国だが、その自滅を早めるように、打倒・韓国を書くことにする。
韓国の反日活動は、何一つとっても、一つも本当のこと、事実が無いのである。
すべては、妄想の域である。
韓国には、真っ当な歴史と言うものが、無いのである。
子供の頃から、反日を教えるという、愚劣を繰り返している国。
呆れるというか・・・
救われない国である。
何より、日本に植民地にされた、という馬鹿な発言は、歴史を知らない者の言うことだ。
日本は、植民地にしたのではない。
併合したのである。
そしてそれは、正しい手続きによって、為されたものである。
その証拠は、日本は、韓国から何も奪わなかった。
奪わないどころか、与えて、与えて、与え過ぎたのである。
突然だが、韓国人が書いた、醜い韓国人という本から、日本帝国支配の状況を見る事にする。
作者は、朴・テヒョク氏である。
私は1935年、昭和10年に、小学二年生だった。私は、京畿道平沢群のあるムラで生まれて育った。韓国は日本統治下にあり、その後、尋常小学校と呼ばれていた小学校が、国民学校に改められた。
名が改められたのは、戦争に向っていた時期である。
大東亜戦争、第二次世界大戦が始まるのである。
朴氏の子供時代の話が続く。
しかし、李朝時代からの暗い、おぞましい因習が村を支配していた。
ここで、躓く。
李朝時代のおぞましい因習である。
村は、李朝時代からの韓国社会の特権階級であってきた両班(ヤンバン)たちが住んでいる区域と、中人(チゥンイン)が住む区域と、常人(サンイン)かたまって住んでいる区域に分かれていた。
そこは、線を引くように、分れていたわけではない。
常人は、ほとんどが小作人で、両班の多くが地主だった。両班の家は、二百軒ほどあっただろう。
両班、中人、常人という階級の区分けは、李朝時代のものだった。さらに、その下には、賤民と呼ばれた奴婢(ノビ)がいた。
日本統治時代に入ってから、このような階級の区別は廃止されだが、現実の生活では、まだこのような差別が行われていた。
常人は、常奴(サムノン)という蔑称で呼ばれていた。奴は日本語の「野郎」といった意味である。
引用と、私の解説が交じるが・・・
何を言いたいのかが、問題であるから、続ける。
ほとんどの両班は、常人に対して横暴で絶対的な支配者だった。
結論を言えば、この両班という、存在が韓国社会の、大きなガンだったということだ。
それが、無意識的に、現在の韓国社会を支配する。
李朝時代には、男尊女卑が徹底していたので、常人の女の子は、名前をつけられた者もあったが、父母が無知だったので、生まれ月を名前とした者も多かった。
もし両班の子どもが、老いた常人に対して過って敬語を使ったとしたら、親に叱られた。常人の老人が七十歳であろうが、八十歳であろうが、両班の子どもであれば、目下の対する言葉を用いねばならなかった。
常人は、両班をつねに恐れて生きていた。もう日本統治時代に入って二十数年もたってい
たから、都市部では、古い階級による頑迷な差別が弱まっていたが、農村では、まだ差別が残っていた。常人はみな、両班に対して戦々兢々としていた。常人は両班と出会ったら、顔をあげて歩くことができなかった。そこで、いつも腰を屈めて、頭を下げて地面を見ながらうつむいて歩いた。
それでも、日本統治時代になってから、村の人々の生活は、大きく改善されていた。私は、父や母から日本人がやってくる以前の李朝末期の村の暗い生活について聞かされたものだった。父や母だけではなく、親戚の者たちがしばしばこんな話しをしてくれた。
常人が両班の家の前の道で、うっかり唾や痰を吐いてしまったり、収穫が少なくて、地主の両班に規定どおりの年貢を収めることができなかったりすると、両班の家の前庭に引き立てられた。それから罰としてムシロに巻かれて、地面の上に転がされたうえで、両班の雇い人たちによって棒でしたたかに打ち据えられた。
その拷問に似た状態が、まだエスカレートしていたようである。
暗い時代・・・
それを書き付けても、意味が無いと思うので、省略する。
日本統治時代になってからは、日本の警察は厳しく、このような私刑を禁じた。
私的リンチを禁じたのである。
この、警察という組織も、日本が韓国にて作り出しものである。
つまり、日本統治時代になり、司法権が、両班の手から、日本の警察に移ったのである。
それは、李朝時代は、両班は常人に対して、生殺与奪権まで、持っていたということである。
ただし、日本人たちは、韓国を治めるに当り、両班を優遇することもあった。
地域社会に持って来た、伝統的な力を利用したのである。
時に、両班が、横暴な振る舞いをすることがあっても、村の日本人巡査や、韓国人巡査は、見て見ぬ振りをしたこともあるという。
ここで、韓国人巡査という存在である。
韓国人を巡査として、採用していたという事実である。
日本人による、日本人たちのための、統治ではなかったのである。