2015年11月26日

もののあわれについて774

御子達は、おぼろけの事ならで、あしくもよくも、かやうに世づき給ふ事は、え心憎からぬ事なり、と古めき心には思ひ侍りしを、いづかたにもよらず、なかぞらには、なかぞらに憂き御宿世なりければ、なにかは、かかるついでに、けぶりにも紛れ給ひなむは、この御身の為の人聞きなどは、ことに口惜しかるまじけれど、さりとても、しかすくよかに、え思ひしづむまじう、悲しう見奉り侍るに、いと嬉しう、浅からぬ御とぶらひの度々になり侍るめるを、ありがたうも、と聞え侍るも、さらばかの御契りありけるにこそは、と、思ふやうにしも見えざりし御心ばへなれど、今はとて、これかれに付けおき給ひける御遺言のあはれなるになむ、うきにも嬉しき世はまじり侍りける」とて、いといたう泣い給ふけはひなり。




内親王方は、並大抵のことでは、良かれ悪しかれ、ご結婚されることは、感心しないと、古い私は、考えておりましたが、どっちつかずに、終わる不運な、お方だったのですから、構わぬ、こういうついでに、お後をお慕いになったとしても、この御身にとっては、外聞など、特に気にしないでもよいでしょう。でも、だからと言って、そうあっさりと、諦めることもできず、悲しく存じ上げておりますが、嬉しいことに、ねんごろなお見舞いを重ねていただきましたそうで、ありがたいことと、お礼を申し上げます。それでは、あのお方との、お約束があったからで、期待通りとは、申せないお方ではありましたが、最期の時に、誰かに、お残しになった御遺言が、身にしみまして、辛い中にも、嬉しいことは、あるものでございました。と、たいそう激しく、泣くのである。

御遺言のあはれなるになむ
遺言が、身に沁みる・・・
感情の最高表現として、あはれ、を使う。




大将も、とみにえためらひ給はず、「あやしう、いとこよなくおよずけ給へりし人の、かかるべうてや、この二三年のこなたなむ、いたうしめりて、物心細げに見え給ひしかば、あまり世のことわりを思ひ知り、物深うなりぬる人の、澄み過ぎて、かかるためし、心うつくしからず、かへりては、あざやかなる方の多く薄らぐものなり、となむ、常に、はかばかしからぬ心に、いさめ聞えしかば、心浅しと思ひ給へりし。よろづよりも、人にさまりて、げにかの思し嘆くらむ御心の内の、かたじけなけれど、いと心苦しうも侍るかな」など、なつかしうこまやかに聞え給ひて、やや程へてぞ出で給ふ。




大将も、すぐに涙を止められず、どうした訳か、実に、落ち着いていらした方が、このようになる運命だったのでしょうか。この二、三年というものは、酷く落ち込み、何か心細い感じに見られました。あまり、人の世の意味が、分り、考え深くなった人は、悟り過ぎて、このようになることで、人情をなくし、かえって、テキパキしたところが、たいてい弱くなるものだと、いつも、馬鹿な私ゆえに、おいさめ申したのですが、考えが浅いと思っていたようです。何よりも、お言葉通り、誰よりも、このことを、嘆いていらっしゃる宮さまの、お心の内が、勿体無いことでこざいます。誠に、お気の毒でございます。などと、優しく、心から、申し上げされて、少しばかり、長居して、お帰りになる。




かの君は、五六年のほどのこのかみなりしかど、なほいと若やかになまめき、あいだれてものし給ひし。これはいとすくよかに重々しく、雄雄しき気配して、顔のみぞ、いと若う清らなること、人にすぐれ給へる。若き人々は、もの悲しさも、少し紛れて、見いだし奉る。御前近き桜のいとおもしろきを、「今年ばかりは」とうちおぼゆるも、いまいましき筋なれば、夕霧「あひ見むことは」と口ずさびて、

夕霧
時しあれば 変はらぬ色に にほひけり 片枝枯れにし 宿の桜も

わざとならず、誦じなして、立ち給ふに、いととう、

御息所
この春は 柳の芽にぞ 玉はぬく 咲き散る花の 行くへ知らねば

と聞え給ふ。いと深き由にはあらねど、今めかしう、かどありとは言はれ給ひし更衣なりけり。げにめやすき程の用意なめり、と見給ふ。




あの方は、五、六歳年上だったが、それでも、酷く若々しく、美しく、人懐っこいところがありました。こちらは、生真面目に落ち着いていて、男性的なところがあり、それでも、顔だけは、大変若く、綺麗なことは、誰よりも、優れていらした。若い女房達は、悲しい気持ちも、少し和らいで、お見送りに申し上げる。庭先の桜が、とても美しく咲いているのを、夕霧は、今年ばかりは、墨色に咲け、と、思われるが、縁起でもないことと、夕霧
「再び、会うのは、命次第」と口にされて、

夕霧
時が来て、変らぬ色に咲きました。片枝は、枯れてしまった、この桜も。

わざとではないように、吟じて、立っていらっしゃると、すぐに、

御息所
今年の春は、柳の芽に、霞の玉が貫くようです。咲いて、すぐ散ってしまった花の行方を、知らないものですから。

と、申し上げる。別に深い情緒があるわけではないが、現代風で、才能があると、言われていた更衣である。なるほど、タイミングのよい、お心構えのお方だと、夕霧は、思う。




致任の大臣にやがて参り給へれば、君達あまたものし給ひけり。大臣「こなたに入らせ給へ」とあれば、おとどの御出居の方に入り給へり。ためらひて対面し給へり。ふりがたう清げなる御かたち、いたう痩せ衰へて、御髭なども、取繕ひ給はねば、しげりて、親の孝よりもけにやつれ給へり。見奉り給ふより、いと忍び難ければ、あまりにおさまらず乱れ落つる涙こそ、はしたなければ、と思へば、せめてぞもて隠し給ふ。おとども、とりわきて御仲よくものし給ひしを、と見給ふに、ただふりにふり落ちて、えとどめ給はず、尽きせぬ御事どもを、聞えかはし給ふ。




ちじの大臣邸に、そこからお伺いになったところ、お子様方が、大勢いらした。
大臣は、こちらへ、お入りあそばせ。と言うので、大臣の客座敷に、お入りになった。悲しみを抑えて、対面された。いつも変らず綺麗なお顔が、すっかりと、痩せ衰えて、お髭なども、お手入れされないので、いっぱいに生えて、親の喪に服した時よりも、やつれていらした。お顔を御覧になると、すぐに、堪えきれずに、だらしなさ過ぎるほどに乱れ落ちる涙を、みっともないと思い、無理に隠される。大臣も、特別仲が良かったものにと、思いになると、涙がはらはらと落ちるばかりで、留めることが出来ない。いつまでも、終わることの無い、悲しみを、お話し合いされるのである。

両者共に、涙に暮れている様である。
柏木と夕霧は、特別に、仲が良かったのである。





posted by 天山 at 07:27| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月27日

もののあわれについて775

一条の宮に詣でたりつるありさまなど聞え給ふ。いとどしう春雨かと見ゆるまで、軒の雫に異ならず、濡らし添へ給ふ。畳紙に、かの「柳の芽にぞ」とありつるを、書い給へるを、奉り給へば、大臣「目も見えずや」と押し絞りつつ見給ふ。うちそみつつぞ見給ふ御様、例は、心強うあざやかに、誇りかなる御気色、名残なく、人わろし。さるは殊なることなかめれど、この「玉はぬく」とある筋の、げに、と思さるるに心乱れて、久しうえためらひ給はず。大臣「君の御母君のかくれ給へりし秋なむ、世に悲しき事のきはには覚え侍りしを、女は限りあいりて、見る人少なう、とあることもかかることも、あらはならねば、悲しびも隠ろへてなむありれね。はかばかしからねど、おほやけも捨て給はず、やうやう人となり、官位につけて、あひ頼む人々おのづから次々に多うなりなどして、驚き口惜しがるも、類にふれてあるべし。かう深き思ひは、その大方の世のおぼえも、官位も思はえず、ただことなる事なかりしみづからの有様のみこそ、たへ難く恋しかりけれ。なにばかりの事にてか、思ひさますべからむ」と空を仰ぎてながめ給ふ。




一条の宮に、お伺いされた時のことなどを、申し上げる。益々、春雨かと思われるまで、軒の雫にかわらないほど、更に涙を流される。
畳紙に、あの「柳の芽にぞ」とあったのを、お書きになっているのを、差し上げると、大臣は、目も見えません。と無理に、目を押し開けて、御覧になる。泣き顔をして、御覧になるそのお姿は、いつもは、気強くて、はっきりしていて、自信たっぷりのご様子が、今は、跡形もなく、みっともない。
実のところは、特に良い歌でもないが、この「玉がぬく」とあるのが、いかにもと、思われるので、心がおさまらず、長い間、涙を、抑えることが出来ずにいらっしゃる。
大臣は、あなたのお母様がお亡くなりになった、秋が、何もかもはっきりしないものですから、悲しみも、人に知られずにすみました。大した者ではないけれど、主上も、お捨てにならず、次第に一人前になり、官位の関係では、互いに頼りとし合う者も、いつしか多くなりまして、あれの死を、驚き、残念がる者も、色々な関係でいることでしょう。このように、深く嘆きますのは、その世間一般の評判や、官位のことを考えるのでもなく、ただ、これといって、欠点の無かった、柏木の様子が、堪えきれない程、恋しいのです。一体、どうしたら、この悲しみを、和らげることができましょう。と空を仰いで、物思いに耽っていられる。




夕暮れの雲の気色、鈍色に霞て、花の散りたる梢どもをも、今日と、目とどめ給ふ。この御畳紙に、

大臣
木の下の 雫に濡れて 逆さまに 霞の衣 着たる春かな

大将の君
なき人も 思はざりけむ 打捨てて 夕の霞 君着たれとは

弁の君、

恨めしや 霞の衣 たれ着よと 春よりさきに 花の散りけむ

御わざなど、世の常ならず、いかめしうなむありける。大将殿の北の方をばさるものにて、殿は心ことに、誦経などもあはれに深き心ばへを加へ給ふ。




夕暮れの、空の様子は、灰色に霞んで、花が散った木々の梢にも、今日初めて、目をとめた。この御畳紙に、

大臣
子どものために、涙に濡れて、いつもとは逆に、喪服を着て過ごす春。

夕霧
亡くなった人も、思いもしなかったことでしょう。あなたを後に残し、喪服を着ていただこうとは。

弁の君
恨めしいこと。黒染めの衣を着せるつもりで、春が来る前に、散っていった。

ご法要なども、世間並みではなく、立派にされる。大将殿の北の方は、勿論のこと、対象は、特別に、読経なども、手厚く、趣向をこらしてなさるのである。




かの一条の宮にも、常に訪ひ聞え給ふ。卯月ばかりの空は、そこはかとなう心地よげに、一つ色なる四方の梢もをかしう見えわたるを、もの思ふ宿は、よろづの事につけて、静かに心細う、暮らしかね給ふに、例の、渡り給へり。庭もやうやう青みいづる若草見えわたり、ここかしこの砂薄きものの隠れの方にも、蓬も所得顔なり。前栽に心入れて繕ひしも、心にまかせて繁り合ひ、一むらすすきもしげに広ごりて、虫の音添へむ秋、思ひやらるるより、いとものあはれに露けくて、分け入り給ふ。伊予簾かけわたして、鈍色の几帳の衣かへしたる透影、涼しげに見えて、よき童の、細やかににばめるかざみの褄、頭つきなど、ほの見えたる、をかしけれど、なほ目驚かるる色なりかし。




あの、一条の宮にも、いつもお見舞い申し上げる。
四月の頃の空は、どことなく、気持ちよく、一面に、新緑の梢が美しく見渡されるが、悲しみに沈んでいる家は、例に付けて、静かで、心細く、日々を暮らしかねていらっしゃる。いつものように、お出でになった。
庭にも、次第に青い芽を出している、若草が一面に見られ、あちこちの砂が、薄くなった物影に、蓬も、我が物顔に繁っている。前栽に、いつも気をつけて、手入れをされていたのも、今は、勝手に繁って、一むらのすすきが、元気よく広がって、虫の音の聞える秋が、思いやられ、身に迫る悲しみに、涙を催し、露の中をかき分けて、お入りになる。
伊予簾を一面に、かけてあり、鈍色の、几帳ごしに、更衣をした人々の影が、涼しげに見える。結構な女童の、濃い鈍色の、かざみの裾や、頭の形などが、ちらちら見えているのも、美しいが、矢張り、驚く色であった。

いとものあはれに露けくて
前後の文から、様々に推測できる、あはれの風景である。




今日はすの子に居給へれば、しとねさし出でたり。いと軽らかなる御座なりとて、例の御息所おどろかし聞ゆれど、このごろ悩ましとて、寄り臥し給へり。とかく聞こえ紛わはす程、御前の木立ども、思ふ事なげなる気色を見給ふも、いとものあはれなり。




今日は、すの子にお座りになったので、褥を、簾中から差し出した。
まことに、ご身分に相応しくない、御座所です、と、いつものように、女房達が、御息所にお出ましを願うが、このところ、ご気分がすぐれず、休んでいられた。女房達が、あれこれと、お話を申し上げて、間を持たせている間、庭先の木立の、思うがままに、繁っている様子を御覧になると、それも、悲しみの種となるばかりである。

いとものあはれなり
矢張り、前後の文により、あはれの風景が、広がって行く。











posted by 天山 at 06:13| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月15日

もののあわれについて776

柏木と楓との、物よりけに若やかなる色して、枝さしかはしたるを、夕霧「いかなる契にか、木あへる頼もしさよ」など宣ひて、忍びやかにさし寄りて、

夕霧
ことならば ならしの枝に ならさらむ 葉守の神の 許しありきと

御簾の外のへだてある程こそ、恨めしけれ」とて、長押によりい給へり。「なよび姿、はた、いといたうをやぎけるをや」と、これかれつきしろふ。この、御あへしらひ聞ゆる少将の君といふ人して、

女二宮
柏木に 葉守の神は まさずとも 人ならすべき 宿の梢か

うちつけなる御言の葉になむ、浅う思ひ給へなりぬる」と聞ゆれば、「げに」と思すに、少しほほえみ給ひぬ。




柏木と、楓が、他の木よりも、若々しい色をして、枝を差し交わしているのを、夕霧は、どのような前世の縁でか、枝先がつなかっている頼もしさ、などと、おっしゃり、目立たぬように、御簾の傍により、

夕霧
同じことならば、縁ある枝として、親しくさせてください。葉守の神の、許しがあったのですから。

御簾の外に隔てられているのが、恨めしい。と言い、長押に寄りかかっていられる。女房は、砕けたお姿もまた、たいそう美しいこと、と誰彼が、言い合っている。お相手する、少将の君を使い、

女二宮
柏木には、葉守の神は、宿っておりませんが、人を近づけてよい、梢でしょうか。

無遠慮なお言葉で、浅はかなお方だと、考えるようになりました。と、申し上げるので、いかにもと思い、にっこりと笑うのである。




御息所、いざり出で給ふ気配すれば、やをら居直り給ひぬ。御息所「憂き世の中を思ひ給へしづむ月日の積もるけぢめにや、乱り心地も、あやしうはればれしうて、過ぐし侍るを、かく度々に重ねさせ給ふ御訪ひの、いとかたじけなきに、思う給へ起こしてなむ」とて、げに悩ましげなる御気配なり。夕霧「思ほし嘆くは世のことわりなれど、またいとさのみはいかが。よろづのこと、さるべきにこそ侍めれ。さすがに、限りある世になむ」と、慰め聞え給ふ。「この宮こそ、聞きしよりは心の奥見え給へ。あはれ、げにいかに、人笑はれなることを取り添へて思すらむ、と思ふもただならねば、いたう心とどめて、御有様も問ひ聞え給ひけり。いとまほにはえものし給ふまじけれど、いと見苦しう、かたはらいたき程にだにあらずは、などて、見る目により人をも思ひあき、又さるまじきに心をも惑はすべきを、様悪しや。ただ心ばせのみこそ、言ひもてゆかむには、やむごとなかるべけれ」と思ほす。




御息所が、いざって出ておいでになった気配がするので、おもむろに、座りなおされた。御息所は、嫌な世の中を思い、塞ぎこんで、月日を送るせいでしょうか、気分が悪くて、おかしなほどに、ぼんやりと、暮らしております。このように、何度もお見舞いに下さり、恐れ多いことに、元気を出しまして、と、いかにも、辛そうな様子である。
夕霧は、お嘆き遊ばすのは、いかにも、道理でございます。と、申してばかりでは、いかがでございましょう。何もかも、前世からの約束事でございましょう。それにしても、限りある人生です。と、慰められる。そして、この宮は、かねて聞いていたより、奥ゆかしい方と思われる。本当に、どんなにか、外聞の悪さをも、嘆かれるであろうと思うと、心が動くので、心を込めて、ご様子も、お尋ねされた。器量は、十人並みではないけれど、酷く、見苦しくて、見ていられないほどでなければ、どうして、見目かたちで、女を嫌ったり、大それたことに、迷ったりしてよいものか。見苦しいではないか。ただ、気立てだけが、結局、大事なのだ。と思いになる。




夕霧「今はなほ、昔に思ほしなずらへて、うとからずもてなさせ給へ」など、わざと懸想びてはあらねど、ねんごろに気色ばみて聞え給ふ。直衣姿いとあざやかにて、丈立ちものものしう、そぞろかにぞ見え給ひける。女房「かの大殿は、よろづの事、なつかしうなまめきあてに愛敬づき給へる事の、並び無きなり。これは雄々しう花やかに、あな清らと、ふと見え給ふにほひぞ、人に似ぬや」と、うちささめきて、「同じうは、かやうにても出で入り給はましかば」など人々言ふめり。




夕霧は、これからも、是非、亡き人のおつもりで、親しくなさって下さい。などと、特に懸想びてではないが、心を込めて、意味を含めた言い方をされる。直衣姿は、大変鮮やかで、背も堂々と高く、すらりと見える。女房は、お亡くなりの殿様は、何につけても、優しく、美しく、上品で愛敬があることにつけては、二人といない御方でした。こちらは、男らしく、派手で、まあ、綺麗と、すぐに目に付く、お色の艶が、誰とも違います。と、囁く、同じことなら、このようなことでなくても、お出入りしてくださったなら。などと、女房達は、言うのである。




夕霧「右将軍が塚に草初めて青し」とうち口ずさびて、それもいと近き世の事なれば、さまざまに近う違う、心乱るやうなりし世の中に、高きも下れるも、惜しみあたらしがらぬは無きも、むべむべしき方をばさるものにて、あやしう情けをたてたる人にぞものし給ひければ、さしもあるまじき公人、女房などの、年古めきたるどもさへ、恋ひ悲しび聞ゆる。まして、上には、御遊び等の折ごとにも、まづ思しいでてなむ、しのばせ給ひける。「あはれ、衛門の督」と言ふことぐさ、何事につけても言はぬ人なし。六条の院には、ましてあはれと思しいづること、月日に添へて多かり。この若君を、御心一つには、形見と見なし給へど、人の思ひよらぬ事なれば、いとかひなし。秋つ方になれば、この君は、いざりなど。




夕霧は、右将軍の塚には、草はじめて青し、と口ずさんで、その藤原保忠の死も、最近のことだったから、色々につけ近く遠く、人の心を悲しませることがあった、世の中に、身分の高い人も、低い人も、惜しまない者がいないのも、表向きのことは、いうまでもなく、不思議に優しくすることを主にしていらしたから、たいしたことのない役人、女房などで、年取った皆でさえ、恋い慕うと、悲しく思うのである。
まして、主上におかれては、管弦の御遊びなどの折ごとに、まず第一に、思い出しなさり、お忍びあそばした。ああ、衛門の督が、という口癖を、何かにつけて、言わない人はいない。六条の院、源氏も、まして、可哀相だと思い出し、月日のたつに連れて、多いのである。この若君を、お心の中では、形見と御覧になるのだが、誰も気が付かないことなので、何にもならない。
秋ごろになると、この君は、はいはいして、這うのである。

柏木を終わる。

posted by 天山 at 06:46| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月16日

もののあわれについて777

横笛

故権大納言のはかなくうせ給ひにし悲しさを、あかず口惜しきものに、恋ひ忍び給ふ人多かり。六条の院にも、大方につけてだに、世にめやすき人のなくなるをば惜しみ給ふ御心に、ましてこれは、朝夕にしたしく参りなれつつ、人よりも御心とどめ思したりしかば、いかにぞや思しいづる事はありながら、あはれは多く、折々につけて忍び給ふ。御はてにも、誦経など、とりわきせさせ給ふ。よろづも知らず顔に、いははけなき御ありさまを見給ふにも、さすがにいみじくあはれなれば、御心のうちに、また心ざし給うて、こがね百両をなむ別にせさせ給ひける。大臣は心も知らでぞ、かしこまりよろこび聞えさせ給ふ。




亡き、権大納言、柏木の、消え入るように、亡くなった悲しさを、いつまでも、残念なことに思い、恋い忍ぶ方が多い。六条の院、源氏も、特別関係の無い人であってさえ、相応の人の死を、惜しむお方のこと、特に、この柏木は、朝に夕に、身近に上がるのが、いつものことで、誰よりも、可愛がりになっていらしたゆえ、けしからぬことと、胸に浮かぶ事件はあるが、感無量で、何かにつけて、思い出される。
一周忌にと、読経などを、特別にさせたまう。何も分らない顔をしている、赤子のご様子を御覧になり、矢張り、いじらしくてならないので、胸一つに、別の顔を作り、黄金百両を別に、供養させた。
柏木の父、大臣は、訳は知らないが、恐縮して、お礼を申し上げる。




大将の君も、事ども多くし給ひ、とりもちてねんごろに営み給ふ。かの一条の宮をも、この程の御心ざし深くとぶらひ聞え給ふ。はらからの君達よりも、まさりたる御心の程を、いとかくは思ひ聞えざりきと、大臣、上もよろこび聞え給ふ。なきあとにも、世のおぼえ重くものし給ひける程の見ゆるに、いみじうあたらしうのみ、思しこがるること尽きせず。




大将の君も、お布施を沢山され、ご自分も、熱心に供養される。あの一条の宮にも、このところ、特に、お心を込めて、お見舞い申し上げる。命のつながった兄弟の若様方より、熱心にお心配りされるので、これほどまでとは、思わなかったと、父の大臣、また母北の方も、お礼を申し上げる。死後にも、世間の評判の高くしていられることが分るので、ご両親は、大変残念に思い、胸の焦がれる思いが、やまないのである。




山の帝は、二の宮もかく人わらはれなるやうにて、ながめ給ふなり、入道の宮も、この世の人めかしきかたは、かけ離れ給ひぬれば、さまざまにあかず思さるれど、すべてこの世を思し悩まじとしのび給ふ。御おこなひの程にも、「同じ道をこそは勤め給ふらめ」など思しやりて、かかるさまになり給うてのちは、はかなき事につけても、絶えず聞え給ふ。




山の帝、法王陛下は、二の宮もこんな、人に笑われる境遇で、嘆き沈んでいられる。入道の宮も、普通の人らしいことは、一切捨ててしまわれたので、お二方とも、期待はずれと、思いになられるが、一切のこの世の事を、考えまいと、がまんされる。勤行をされる間にも、同じことをしていられよう、など、ご想像になさって、このように、入道になってからは、少しのことでも、いつもお便りを、差し上げる。




御寺のかたはら近き林に、ぬき出でたる筍、そのわたりの山に掘れる野老などの、山里につけてはあはれなれば、奉れ給ふとて、御文こまやかなる端に、
朱雀院「春の野山、霞もたどたどしけれど、心ざし深く掘りいでさせて侍る、しるしばかりになむ」

世をわかれ 入りなむ道は おくるとも おなじところを 君もたづねよ

いと難きわざになむある」と聞え給へるを、涙ぐみて見給ふ程に、大殿の君渡り給へり。例ならず、御前近きらいしどもを「なぞ、あやし」と御覧ずるに、院の御文なりける。見給へば、いとあはれなり。けふかあすかのここちするを、対面の心にかなはぬ事など、こまやかに書かせ給へり。この、おなじところの御ともなひを、ことにをかしき節もなき聖言葉なれど、「げにさぞ思すらむかし。われさへおろかなるさまに見え奉りて、いとどうしろめたき御思ひの添ふべかめるを、いといとほし」と思す。




お寺の傍近くの林に、生えた立派な筍や、その辺の山で掘った所などが、山里ゆえに、感じるところがあるので、女三の宮に、差し上げる。そのお手紙の、お心を込めて書かれた、初めに、朱雀院は、春の野も、山も、霞がかかってはっきりしないが、その中を、熱心に掘り出させたものでございます。おしるしだけです。

この世を捨てて入った、仏道は、私に遅れるとしても、私が願う、極楽、それと同じ所を、あなたも捜してください。

極楽往生は、とても難しいものです。という、お手紙を、涙ぐんで、見ていらっしゃるところへ、源氏がいらした。いつになく、傍近くに、らいしが幾つもあるので、源氏は、何だね。変だな。と、御覧になる。と、院のお手紙だった。
お読みになると、胸の迫る思いがする。余命がもう無い気がするが、思うままに、会えないことなどを、心を込めて、お書きになっていた。この、同じところへ、一緒にとの歌を、格別に立派な点はない、僧侶らしい歌詠みだが、いかにも、そう思っていられるだろう。その上、私までが、大事にしないという様子を見せては、いっそうご心配になられるだろうから、お気の毒だと、思いになる。




御返りつつましげに書き給ひて、御使には、青鈍の綾一かさね賜ふ。書きかへ給へりける紙の、御几帳のそばよりほの見ゆるを、とりて見給へば、御手はいとはかなげにて、

女三
うき世には あらぬところの ゆかしくて そむく山ぢに 思ひこそいれ

源氏「うしろめたげなる御けしきなるに、このあらぬ所もとめ給へる、いとうたて心憂し」と聞え給ふ。




お返事を、恥ずかしそうに書かれて、お使いには、青鈍色の綾絹の一襲わ、お与えになる。書きそんじた紙が、御几帳の端から、ちらりと見えるのを、源氏が手に取り、見られると、御筆跡は、弱々しく、

女三
辛い世の中と違う所に住みたくて、静かな山寺に、入りたいと思います。

源氏は、出家には、向かない様子なのに、この、違う所、をお求めになるのは、何とも、酷く辛いことです。と、申し上げる。

posted by 天山 at 07:10| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月17日

もののあわれについて778

今はまほにも見え奉り給はず、いとうつくしうらうたげなる御額髪、つらつきのをかしさ、ただ児のやうに見え給ひて、いみじうらうたきを、見奉り給ふにつけては、「などかうはなりにし事ぞ」と、罪うぬべく思さるれば、御几帳ばかり隔てて、またいとこよなう気遠くうとうとしうはあらぬ程に、もてなし聞えてぞおはしける。




女三の宮は、今では、まともにお顔を、合わせにならない。いかにも、可愛い可憐な、額髪や、お顔の美しさは、まるで、児のようである。源氏は、とても、いじらしいのを、御覧になり、どうして、このようになってしまったのか、と、罪にもなろうという、お気持ちになるのである。御几帳だけ隔てて、そして、大して、遠くかけ離れて、冷淡ではない程度に、扱い申し上げている。

女三の宮は、天皇の内親王であるから、更に、敬語になる。




若君は乳母のもとに寝給へりける、起きてはひいで給ひて、御袖を引きまつはれ奉り給ふさま、いとうつくし。白きうすものに、唐の小紋の紅梅の御衣の裾、いと長くしどけにげに引きやられて、御身はいとあらはにて、うしろの限りに着なし給へるさまは、例の事なれど、いとらうたげに白くそびやかに、柳を削りて作りたらむやうなり。頭はつゆ草してことさらに色どりたらむここちして、口つきうつくしうにほひ、まみのびらかに、はづかしう薫りたるなどは、なほいとよく思ひいでらるれど、かれはいとかやうに、際離れたる清らはなかりしものを、いかでかからむ、宮にも似奉らず、今より気高くものものしう、さまことに見え給へるけしきなどは、わが御鏡の影にも似げなからず見なされ給ふ。




若君は、乳母の傍で寝ていたが、起きて、這い出していらっしゃり、袖を引っ張り、まとわりついていらっしゃる。その様子が、とても可愛い。白い薄物の上着に、唐綾の小紋の、紅梅襲のお召し物の裾が、長くだらしなく、引き摺られて、お肌が、すっかり見えて、着物が後ろにまとわりついている格好は、幼児の常であるが、とても可愛らしく、白くすんなりと、柳の木を削って、作ったようである。
頭は、つゆ草で、特別に染めたような感じで、口元は可愛く、艶やかで、目元は優しく、見事に、美しい所作などは、矢張り、故人を思い出してしまう。柏木は、このように、際立って、綺麗ではなかったが、母宮にも似ていず、今から、気品があり、立派で、特別に、抜きん出てお見えになる、御様子などは、鏡に映った、ご自分の顔に、似ていないとは、いえない気持ちになられるのである。

源氏が、そう感じでいるのである。
自分に似ているような、気持ちになっている。




わづかにあゆみなどし給ふ程なり。この筍のらいしに、何とも知らず立ちよりて、いとあわただしう取り散らして、食ひかなぐりなどし給へば、源氏「あな乱かはしや。いと不憫なり。かれ取り隠せ。食い物に目とどめ給ふと、物いひさがなき女房もこそ言ひなせ」とて笑ひ給ふ。かき抱き給ひて、源氏「この君のまみのいとけしきあるかな。ちひさき程の児を、あまた見ねばにやあらむ、かばかりの程は、ただいはけなきものとのみ見しを、今よりいとけはいひ異なるこそわづらはしけれ。女宮ものし給ふめるあたりに、かかる人おひいでて、心苦しきこと、誰が為にもありなむかし。あはれ、そのおのおのの老いゆく末までは、見はてむとすらむやは。花の盛りはありなめど」と、うちまもり聞え給ふ。「うたてゆゆしき御事にも」と、人々は聞ゆ。




やっと、よちよちと歩きを始められたところである。この筍の、らいしに、何であるのか分らず、近寄り、ばたばたと取り散らかして、食いかじる様を、源氏は、なんだ、お行儀の悪い。いけないね、筍を片付けなさい。食べ物に目が無くていると、口の悪い女房が言うと、困る。と、笑う。
抱き寄せて、この子の目つきは、何かある。小さな子をあまり、見ないせいか、これくらいの年は、ただあどけないものとばかり思っていたが、この子は、今から、まるで様子が違うのが、心配だ。姫宮のいらっしゃる近くに、こんな若君が生まれてきて、やっかいなことか。どちらのほうにも、起こるだろう。ああ、この人たちが年取ってゆく将来までは、見届けることが、出来るだろうか。命あってのことだ。と、じっと見つめる。
女房たちは、まあ、不吉なこと、と申し上げる。




御歯のおひいづるに、食ひあてむとて、筍をつと握り持ちて、雫もよよと食ひぬらし給へば、源氏「いとねぢけため色ごのみかな」とて、

源氏
うきふしも 忘れずながら くれ竹の こは捨てがたき ものにぞありける

と、いて放ちて宣ひかくれど、うち笑ひて、何とも思ひたらず、いとそそかしう、這ひおり騒ぎ給ふ。




歯のはえかけたところで、噛み付いて当てようととて、筍をじっと握り、よだれを垂らして、かじりられるので、源氏は、変った色好みだ。と、おっしゃり、

源氏
嫌なことも忘れずにいるが、この子は、可愛くて、捨てがたいものだ。

と、抱き上げて、筍を取り上げ、この歌を、読みかけるが、ただ、にっこりとするばかりである。何とも、思わずに、さっさと、膝から這い降りて、動き回る。




月日に添へて、この君のうつくしう、ゆゆしきまでおひまさり給ふに、まことに、この「憂きふし」みな思し忘れぬべし。「この人のいでものし給ふべき契りにて、さる思ひのほかの事もあるにこそはありけめ。のがれ難かなるわざぞかし」と、少しは思し直さる。




月日がたつにつれ、この君が、愛らしく、怖いほどに、美しく成長されるので、本当に、歌に言う、嫌なことを、みなお忘れになってしまうだろう。この子が生まれるための、宿縁で、あの思い掛けない事も、起こったのだ。避けられない事だった。と、少しは、考えも変るのである。

posted by 天山 at 07:02| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月18日

もののあわれについて779

みづからの御宿世も、なほ飽かぬこと多かり。あまたつどへ給へる中にも、この宮こそは、かたほなる思ひまじらず、人の御ありさまも、思ふにあかぬ所なくてものし給ふべきを、かく思はざりしさまにて見奉る事、と思すにつけてなむ、過ぎにし罪ゆるしがたく、なほ口惜しかりける。




ご自分の運命にも、今なお、不満な点が多いのである。大勢集められた、婦人の中でも、この女三の宮こそは、申し分の無い、お人柄も、不満に思われる点もなくていらしたはずなのに、こんな、思いもかけない、尼姿で、お世話申し上げることになるとは、と、思うにつけ、過去の二人の罪を、許しがたく、今も残念に思う。




大将の君は、かの今はのとぢめにとどめし一言を、心ひとつに思ひいでつつ、いかなりし事ぞとは、いと聞えまほしう、御けしきもゆかしきを、ほの心えて思ひ寄らるる事もあれば、なかなかうちいでて聞えむもかたはらいたくて、いかならむついでに、この事の委しき有様もあきらめ、またかの人の思ひ入りたりしさまをも、聞しめさせむ、と思ひわたり給ふ。




大将の君、夕霧は、柏木が臨終の時に、言い残したひと言を、心密かに、思い出しては、どんなことだったのかと、とても、伺いたくて、お顔色も見たいのだが、少しばかり思い当たる節もあるため、かえって、口に出して申し上げるのも、具合が悪く、どのような機会に、この事の真相を明らかにして、また、柏木の思い詰めていた様子を、お耳に入れようと、思い続けていた。




秋の夕のものあはれなるに、一条の宮を思ひやり聞え給ひて、渡り給へり。うちとけしめやかに、御琴どもなど弾き給ふ程なるべし。深くもえ取りやらで、やがてその南の廂に入れ奉り給へり。端つ方なりける人の、いざり入りつる気配どもしるく、衣の音なひも、大方のにほひかうばしく、心にくき程なり。例の、御息所対面し給ひて、昔の物語ども聞え交し給ふ。




秋の夕暮れの、あはれなる日に、一条の宮は、どうしているのかと、思い出し、夕霧は、お出掛けになった。
くつろいで、心静かに、琴などを弾いているところなのであろう。奥へ、片付けるひまもなく、そのままにして、南の廂の間に、ご案内申し上げた。端の方にいた人は、今、いざり入ったばかりの感じで、衣擦れの音も、そのあたりに立ち入る香のにおいも濃く、奥ゆかしい。いつも通り、御息所が、お相手をされる。昔話しを、あれこれとなさり合う。

秋の夕のものあはれなるに
秋の夕暮れの寂しい・・・




わが御殿の、明け暮れ人しげくて、ものさわがしく、幼き君達など、すだきあわて給ふにならひ給ひて、いと静かにものあはれなり。
うち荒れたるここちすれど、あてにけだかく住みなし給ひて、前栽の花ども、虫の音しげき野辺と乱れたる夕ばえを、見渡し給ふ。




ご自分の御殿は、朝晩と、お客が多く、がやがやして、小さなお子たちが、集まり、騒がしくしているのが普通なので、静かで、心静かな、ものあはれを、感じる。
手入れされていない様子だが、品もあり、気位の高い住み方をされていて、お庭の花が、虫の音に、鳴き乱れる野辺のように、咲き乱れて、夕焼けに照らされているのを、見渡しになる。

いと静かにものあはれなり
静かで、心深く感じる・・・




和琴をひき寄せ給へれば、律に調べられて、いとよく弾きならしたる、人香にしみて、なつかしうおぼゆ。「かゆうなるあたりに、思ひのままなるすき心ある人は、しづむることなくて、様あしき気配をも現はし、さるまじき名をも立つるぞかし」など、思ひ続けつつ、掻き鳴らし給ふ。故君の常に弾き給ひし琴なりけり。をかしき手ひとつなど、すこし弾き給ひて、夕霧「あはれ、いとめづらかなる音に掻き鳴らし給ひしはや。この御琴にもこもりてはべらむかし。承りあらはしてしがな」と宣へば、御息所「琴の緒絶えにし後より、昔の御わらは遊びの名残をだに、思ひいで給はずなむなりにて侍める。院のお前にて、女宮たちのとりどりの御琴ども、こころみ聞え給ひしにも、かやう方はおぼめかしからずものし給ふとなむ、定め聞え給ふめりしを、あらぬさまにほれぼれしうなりて、ながめ給ふめれば、世のうきつまにといふやうになむ見給ふる」と聞え給へば、夕霧「いとことわりの御思ひなりや。限りだにある」とうちながめて、琴はおしやり給へれば、御息所「かれ、なほさらば、声に伝はる中の緒は、ことにこそ侍らめ。それをこそ承らむとは聞えつれ」とて、御簾のもと近くおし寄せ給へど、とみにしもうけひき給ふまじきことなれば、しひても聞え給はず。




和琴を引き寄せて、律の調子に整えられて、十分に弾き込んであり、誰かの移り香が染み込んで、心引かれるようである。こういう場所で、慎みのない、好き心のある人は、心を抑えられず、体裁の悪いところを見せて、よくない評判まで立てるのだ。などと、考え続けながら、弾かれる。
亡くなった柏木が、いつも弾いていた琴であった。見事な演奏を少し試みて、夕霧は、ああ、すばらしい音を、聞かせてくださったものだが。このお琴にも、あの音がこもって、おりましょう。お聞かせ願いたい。とおっしゃると、御息所は、主人が亡くなりましてから後は、昔の子供遊びの記憶さえ、思い出さないように、なられました。上皇さまの御前で、女宮たちそれぞれのお琴を、お試しなさったときも、こういう方面は、まんざらではなくていらっしゃると、上皇さまが、判定くだされなさいましたようで、この琴も、悲しい思い出の種と、拝見しております。と、申し上げるので、夕霧は、ご無理もないことでございます。せめて、終わりがあれば。と。外に視線を向けて、琴を御息所の方へ、押しやりになると、御息所は、亡き人の音が、やはり、そういうことなら、この琴に伝わっているかもしれません。聞いて分かるほど、お弾きください。嫌なことばかりに沈む、私の耳も、綺麗に洗いましょう。と、申し上げるので、夕霧は、ご夫婦の間に伝わる、音こそ、と特別でございましょう。それを伺いたいと、お願い申し上げたのです。と、御簾のそば近くに、和琴を押し寄せになるが、急には、お引き受けになりそうもないと、見受けるので、無理強いは、されない。

posted by 天山 at 07:22| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月22日

もののあわれについて780

月さしいでて曇りなき空に、羽うち交す雁がねも、列を離れぬ、うらやましく聞き給ふらむかし。風はだ寒く、ものあはれなるに誘はれて、筝の琴をいとほのかに掻きならし給へるも、おく深き声なるに、いとど心とまりはてて、なかなかに思ほゆれば、琵琶をとり寄せて、いとなつかしき音に、想夫恋を弾き給ふ。夕霧「思ひおよび顔なるは、かたはらいたけれど、こと問はせ給ふべくや」とて、せちに簾のうちをそそのかし聞え給へど、ましてつつましきさしいらへなれば、宮はただ物をのみあはれと思し続けたるに、

夕霧
ことにいでて いはぬもいふに まさるとは 人に恥ぢたる けしきをぞ見る

と聞え給ふに、ただ末つ方をいささか弾き給ふ。


ふかき夜の あはればかりは 聞きわけど ことよりほかに えやは言ひける




月が差して、雲ひとつない空に、羽を打ち交わして飛ぶ、雁も仲間を離れずにいる。その声を、うらやましくお聞きになっていることだろう。風が、肌寒く、物寂しさに、心が動き、宮が筝の琴を、微かにお弾きになる音も、深みのある音なので、ますます熱心になってしまい、かえって、切ない気持ちがして、今度は、琵琶を手元に引き寄せて、やさしい音で、想夫恋を、お弾きになる。
夕霧は、お気持ちを察してのことのようで、気が引けます。この曲は、何かおっしゃってくださるかと思ってです。と、しきりに、御簾の中に向かい、催促されるが、想夫恋とは、いっそう手の出にくいお相手である。宮は、悲しみをかみ締めていらっしゃる。

夕霧
言葉に出して、おっしゃらない。おっしゃる以上の深い思いだとは、あなたの遠慮深いご様子で、わかります。

と、おっしゃると、宮は、ほんの終わりを、少しだけでお弾きになる。


夜更けの趣き深さは、わたくしにも、わかりますが、琴を弾くほか、何を申し上げたらいいのでしょう。

あはればかりは
何と訳しても、あはれの風景が広がる。




あかずをかしきほどに、さるおほどかなる物の音がらに、ふるき人の心しめてひき伝へける、同じ調の物といへど、あはれに心すごきものの、かたはしを掻き鳴らしてやみ給ひぬれば、うらめしきまで覚ゆれど、夕霧「すきずきしさを、さまざまにひきいでてもごらんぜられぬるかな。秋の夜ふかし侍らむも、昔のとがめやとはばかりてなむ、まかで侍りぬべかめる。またことさらに心してなむ候ふべきを、この御琴どもの調かへず侍たせ給はむや。ひきたがふることも侍りぬべき世なれば、うしろめたくこそ」などと、まほにはあらねど、うちにほはしおきて出で給ふ。




もっと聞いていたと思うほどに、その鷹揚な音色によっても、故人が熱心に教えたため、同じ調子のものながら、寂しくも、凄いと感じ入る。ほんの少しだけ掻き鳴らして、おやめになったので、恨めしい気持ちがするが、夕霧は、私の心の動きを、和琴や琵琶を弾いて、お目にかけてしまいました。秋の夜更けまでおりましても、故人に、お叱りを受けるかと、遠慮されます。もう、ご無礼いたすべきようです。日を改めて、失礼のないように、気をつけて、参上いたそうと思いますが、このお琴の調子を変えずに、お待ちください。兎に角、思いもよらないこともありますこの頃です。気がかりでございます。と、はっきりではないが、心の内を、ほのめかして、お出になる。




御息所「こよひの御すきには、人ゆるし聞えつべくなむありける。そこはかとなき古へ語りにのみ紛らはさせ給ひて、玉の緒にせむここちもし侍らぬ、残り多くなむ」とて、御贈り物に笛を添へて奉り給ふ。




御息所は、今夜のお心の動き、誰もお許し、申し上げましょう。捕まえ所のない、昔話ばかりで、ごまかしてしまいました。寿命を延ばすほどにも、聞かせてくださらないのが、残念でございます。と、今宵のお礼の贈り物に、笛を添えて、差し上げなさった。





御息所「これになむ、まことに古きことも伝はるべく聞きおき侍りしを、かかる蓬生にうづもるるもあはれに見給ふるを、御さきにきほはむ声なむ、よそながらもいぶかしう侍る」と聞え給へば、夕霧「につかはしからぬ隋心にこそは侍るべけれ」とて見給ふに、これもげに世とともに身に添へてもてあそびつつ、「みづからもさらにこれが音の限りは、え吹きとほさず。思はむ人にいかで伝へてしがな」と折々聞えごち給ひしを思ひで給ふに、今すこしあはれ多く添ひて、こころみに吹き鳴らす。




御息所は、この笛には、古い由緒もあるように、聞いています。こんな草深い所に埋もれてしまうのでは、可哀想に思います。先払いに負けないほどに、吹いてくださる音を、ここから、聞いてみたいと思います。と、申し上げる。夕霧は、これは、私などには、もったいない随身でございます。と、ご覧になると、この笛も、御息所の言葉通り、故人が、肌身離さず、愛玩し、自分ながら、全くこの笛の、あらん限りは、吹き鳴らしは出来ない。大事にする人に、なんとかして、伝えたいものだ、と、時々、愚痴をこぼされていらっしゃったのを、思い出すと、更に、涙を誘う思いがまして、試みに吹き鳴らすのである。




盤渉調のなからばかり吹きさして、夕霧「昔を忍ぶひとりごとは、さても罪許され侍り、これは眩くなむ」とて、いで給ふに、

御息所
露しげき むぐらの宿に いにしへの 秋にかはらぬ 虫の音かな

と聞えいだし給へり。

夕霧
横笛の しらべはことに かはらぬを 空しくなりし 音こそ尽きせね

いでがてにやすらひ給ふに、夜もいたく更けにけり。




盤渉調の半分ばかりで、吹きやめて、夕霧は、亡き人を思い出す琴の独奏は、下手でも、聞いていただけましたが、この笛は、とてもきわりが悪くて、そう申して、お出になるので、

御息所
私どもが 涙に浸っております、この草の茂る家に、昔に変わらぬ笛の音を聞かせていただけました。

と、御簾の中から、歌詠みをする。

夕霧
横笛の、調子は昔のままに聞こえます。しかし、故人を忍ぶ者の泣き声は、つきません。

出てゆきかねて、躊躇しているうちに、すっかりと、夜が更けてしまった。

posted by 天山 at 06:51| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月08日

もののあわれについて781

殿に帰り給へれば、格子などおろさせて、みな寝給ひにけり。「この宮に心かけ聞え給ひて、かくねんごろがり聞え給ふぞ」など、人の聞え知らせければ、かやうに夜ふかし給ふもなま憎くて、入り給ふをも聞く聞く、寝たるやうにてものし給ふなるべし。




三条の殿にお帰りになると、格子などおろさせて、皆、お休みになっている。
この宮に、ご執心になり、こんなに親切にしていらっしゃるのだ、と、誰かご報告した者がいるので、このように、夜遅くまで、外にいらしたのも、憎らしく、入ってくる物音を耳にしつつも、寝ているふりをしていられる。

それは、夕霧の妻、雲居雁である。




夕霧「いもとわれといるさの山の」と、声はいとをかししうて、ひとりごち歌ひて、「こはなどかく鎖し固めたる。あなうもれや。今宵の月を見ぬ里もありけり」と、うめた給ふ。格子あげさせ給ひて、御簾まきあげなどし給ひて、端近く臥し給へり。「かかる夜の月に、心やすく夢みる人はあるものか。すこし出で給へ。あな心憂」など聞え給へど、心やましううち思ひて、聞きしのび給ふ。




夕霧は、いい人と一緒に入るあの山の、と、大変美しい声で、お一人、歌いになる。なんと、どうして、こんなに鍵をかけたのだ。ええもう、鬱陶しい。今夜の月を見ないところもあるのだな、と、不満気に、おっしゃる。女房に、格子を上げさせ、ご自分で、御簾を巻き上げ、端近くに臥すのである。
こんな月の夜なのに、気楽に夢を見る人があるものか。少しは、外へお出ください。なんて嫌な、など、申し上げるが、女君は、面白くないので、聞き流していられる。




君達の、いはけなく寝おびれたる気配など、ここかしこにうちして、女房もさしこみて臥したる、人気にぎははしきに、ありつる所の有様思ひ合はするに、多く変はりたり。




お子たちが、あどけなく寝ぼけている様子など、あちこちでしていて、女房も沢山寝ているのは、とても、賑やかな雰囲気で、先ほどの一条の宮の様子と、考えあわせてみると、全く違っている。




この笛をうち吹き給ひつつ、「いかに名残もながめ給ふらむ。御琴どもは、調変はらず遊び給ふらむかし。御息所も、和琴の上手ぞかし」など、思ひやりて臥し給へり。「いかなれば故君、ただ大方の心ばへは、やむごとなくもてなし聞えながら、いと深き気色なかりけむ」と、それにつけてもいといぶかしう覚ゆ。「見おとりせむ事こそ、いといとほしかるべけれ。おほかたの世につけても、限りなく聞くことは、必ず然ぞあるかし」など思ふに、わが御中の、うち気色ばみたる思ひやりもなくて、むつびそめたる年月の程を数ふるに、あはれに、いとかうおしたちて、おごりならひ給へるも、ことわりに覚え給ひけり。




この笛を、軽く吹かれて、どんなに、私が出た後も、思いにふけっていられるだろう。お琴の合奏は、調べも変えずに、続けていらっしゃるだろう。御息所も、和琴の上手な方だ、などと、思いつつ、横になられる。
どうして、死んだ柏木は、表向きの気配りは、姫宮らしく、北の方らしくて、差し上げながら、深い愛情はなかったのか。と、考えるにつけても、どうも腑に落ちない。器量が良くないということであれば、なんとも、お気の毒だ。だいたい、どこの話でも、素晴らしい評判は、いつもこのようなものだ。などと、考える。
ご自分の夫婦仲が、浮気めいたことをしないかとの、心配もなくて、仲良く暮らし続けている年月を、数えると、感心して、こんなに、我が強くて、いい気になっているのが、常なのも、と、考えられた。

最後は、妻の、雲居雁のことである。
posted by 天山 at 06:39| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月11日

もののあわれについて782

すこし寝入り給へる夢に、かの衛門の督、ただありしさまのうちぎ姿にて、傍にいて、この笛をとりて見る。夢のうちにも、亡き人の、わづらはしう、この声をたづねて来たると思ふに、

柏木
笛竹に ふきよる風の ことならば 末の世ながき ねに伝へなむ

思ふかた異なり侍りき」といふを、問はむと思ふほどに、若君の寝おびれて泣き給ふ御声に、さめ給ひぬ。




少し寝入りされた夢に、亡くなった、柏木が、まるで、あの時の、うちぎ姿のままで、自分の傍に座っていた。枕元の笛を取って、見ている。夢のなかながら、死んだ人が、うるさく、この笛の音を捜し求めて、ここへ来たのだと、思っていると、

柏木
この笛を、どこで吹いても同じなら、将来、いつまでも、子孫に伝えてほしい。

あなたに、上げる気はなかった。と言うので、訳を聞こうとするところで、幼児が寝ぼけて、泣く声に、夢が覚めた。




この君いたく泣き給ひて、つだみなどし給へば、乳母も起きさわぎ、上も御殿油近く取り寄せさせ給うて、耳はさみして、そそくり繕ひて、抱きい給へり。




この赤ん坊は、ひどくお泣きになり、乳を吐いたりされるので、乳母も起きて騒ぎ、北の方も、御殿油を側近くに持ってこさせ、額髪を耳に挟んで、せわしげに世話をして、抱き上げていらっしゃる。




いとよく肥えて、つぶつぶとをかしげなる胸をあけて、乳などくくめ給ふ。児もいとうつくしうおはする君なれば、白くをかしげなるに、御乳はいとかはらかなるを、心をやりて慰め給ふ。男君も寄りおはして、「いかなるぞ」など宣ふ。うちまき散らしなどして、みだりがはしきに、夢のあはれも紛れぬべし。雲居雁「なやましげにこそ見ゆれ。今めかしき御有様の程にあくがれ給うて、夜深き御月めでに、格子もあげられたれば、例の、物怪の入り来たるなめり」など、いと若くをかしき顔してかこち給へば、うち笑ひて、夕霧「あやしの物怪のしるべや。まろ格子あげずは、道なくて、げにえ入り来ざらまし。あまたの人の親になり給ふままに、思ひいたり深く物をこそ宣ひなりにたれ」とて、うち見やり給へるまみの、いと恥づかしげなれば、さすがに物も宣はで、雲居雁「いで、給ひぬ。見苦し」とて、あきらかなる火影を、さすがに恥ぢ給へるさまも憎からず。まことにこの君なづみて、泣きむつかり明かし給ひつ。




大変よく太って、綺麗な胸をあけて、お乳をくわえる。赤ん坊は、とても可愛くて、白くて綺麗だ。お乳はでなくとも、気休めに、あやしていらっしゃる。
夕霧も、傍にお出でになり、どうしたのだ、と、おっしゃる。魔除けの米などを散らかして、騒ぐので、夢の続きも、どこかへ行ってしまった。
雲居雁は、苦しそうです。若い人みたいな格好で、うろつきなさって、夜遅く月をご覧に、格子も上げになるものだから、おきまりで、物の怪が入って来たのでしょう。などと、若く美しい顔をして、苦情をおっしゃる。夕霧は、にっこりとして、変な物の怪の案内人だな。私が格子を上げなかったら、道がなくて、本当に入って来れなかったのでしょう。大勢の子供をお産みになったものだから、お考え深く、立派なことを、おっしゃるようになられた。と、ちらりと、ご覧になる目つきが、身が縮むほど美しいので、それ以上、何もおっしゃらない。雲居雁は、さあ、あちらへいらっしゃいませ。ご覧になる所では、ございません。と、明るいあかりを、さすがに、恥ずかしがっていらっしゃるご様子も、悪くはない。
本当に、赤ん坊は、むずがって、夜通し泣き明かし、夜明かしをしてしまった。




大將の君も、夢思しいづるに、「この笛のわづらはしくもあるかな。人の心とどめて思へりしものの、ゆくべき方にもあらず、女の御伝へはかひなきをや。いかが思ひつらむ。この世にて数に思ひ入れぬ事も、かの、今はのとぢめに、一念のうらめしきも、もしはあはれとも思ふにまつはれてこそは、長き夜の間にも惑ふわざななれ。かかればこそは、何事にも執はとどめじと思ふ世なれ」など思し続けて、愛岩に誦経せさせ給ふ。また、かの心よせの寺にもせさせ給ひて、「この笛をば、わざと人のさる故深きものにて、ひきいで給へりしを、たちまちに仏の道におもむけむも、尊き事とはいひながら、あへなかるべし」と思ひて、六条の院に参り給ひぬ。




大將の君、夕霧も、夢を思い出すと、この笛は、面倒なことだ。死んだ人が、それほど執着を持ち続けていたこれは、私の所に、来るべきものではないのだ。女から、伝えてもらっても、しょうがないもの。どう思っていたのだろう。生きている時、たいして考えなかったことでも、例の臨終の時に、一心に恨めしく思ったり、または、愛情を感ずることがあれば、邪魔されて、長き夜の闇に苦しむという。だからこそ、私は、何事にも、執着は、持つまいと思う。などと、考え続けて、愛岩で、読経をさせるのである。また、別に柏木の帰依していた寺でも、させて、この笛を、わざわざ御息所が、亡き人に特別の、ゆかりあるものとして、下さったのに、それをさっさと、お寺に納めてしまうのも、亡き人への供養になるが、それでは、簡単すぎる。と、思い、六条の院に、参上された。




物には、人の心が宿るという、感情が、潜在的に存在する。
それは、万葉の時代からである。

この感情は、現在の日本人にも、存在する。
そして、それは、正しい。

だからこそ、物を大切にする。
そして、その物の恩に報いるために、その物を大切に扱う。
そして、物の有様を、最大限に活かすという心。
これが、日本人の心性である。
それも、もののあはれ、の風景である。
posted by 天山 at 07:11| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月12日

もののあわれについて783

女御の御方におはします程なりけり。三の宮三つばかりにて中にうつくしくおはするを、こなたにぞ又とりわきておはしまさせ給ひける。走りいで給ひて、三宮「大将こそ。宮抱き奉りて、あなたへ率ておはせ」とみづからかしこまりて、いとしどけなげに宣へば、うち笑ひて、夕霧「おはしませ。いかでか御簾の前をば渡り侍らむ。いと軽々ならむ」とてねいだき奉りて居給へれば、三宮「人も見ず。まろ、顔は隠さむ。なほなほ」とて、御袖してさし隠し給へば、いとうつくしうて、率て奉り給ふ。こなたにも、二の宮の若君とひとつに交りて遊び給ふを、うつくしみておはしますなりけり。隅の間の程におろし奉り給ふを、二の宮見つけ給ひて、「まろも大将に抱かれむ」と宣ふを、三の宮「あが大将をや」とて、ひかへ給へり。




源氏は、女御の部屋においで遊ばす時だった。
三の宮が、三歳ばかりで、兄弟の中でも、特に可愛らしくているが、紫の上でも、特別に、お手元に住まわせていた。その宮が走り出て、大将よ、宮をお抱き申し上げて、あちらに連れて行ってください。と、自分に敬語をつけて、聞き苦しい話し方をされるので、笑いつつ、夕霧は、おいで遊ばせ。でも、どうして御簾の前を通れましょうか。まことに無作法ですと、お抱きして、腰を下ろすと、三宮が、誰も見ていないし、私が顔を両手で、隠そう。ぜひぜひ、と、お袖で顔をお隠しになったので、可愛らしくて、お連れ申し上げる。
女御の方でも、二の宮が、若君とご一緒で、遊んでいられるのを、源氏が、可愛がっていた。隅の間に、下し申し上げるのを、二の宮が、見つけて、私も大将に抱かれようと、おっしゃるのを、三の宮が、私の大将だよ、と、つかまえている。




院も御覧じて、源氏「いとみだりがはしき御有様どもかな。おほやけの御近きまもりを、わたくしの随身に領ぜむとあらそひ給ふよ。三の宮こそいとさがなくおはすれ。常に兄にきはひましう給ふ」といさめ聞えあつかひ給ふ。大将も笑ひて、「二の宮は、こよなく兄心に所さり聞え給ふ御心深くなむおはしますめる。御年の程よりは、おそろしきまで見えさせ給ふ」など聞え給ふ。うち笑みて、いづれほねいとうつくしと思ひ聞えさせ給へり。源氏「見苦しく軽々しき公卿の御座なり。あなたにこそ」とて渡り給はむとするに、宮たちまつはれて、さらに離れ給はず。「宮の若君は、宮たちの御列にはあるまじきぞかし」と御心の中に思せど、なかなかその御心ばへを、母宮の、御心の鬼にや思ひよせ給ふらむと、これも心の癖にいとほしう思さるれば、いとらうたきものに思ひかしづき聞え給ふ。




それを、源氏もご覧になり、なんと、行儀の悪い、お二方だろう。陛下の身近な軍人を、自分の家来にしようと、取り合いされるのだな。三の宮が、よろしくなくて、いらっしゃる。いつも、お兄様に負けまいとなさる。と、お叱りになり、仲裁される。大将も、笑って、二の宮は、大変、お兄様らしく、聞き分けのよいご性質の方で、おいであそばすようです。お年の割に、怖いほどご立派に見られます。などと、申し上げる。源氏は、にっこりとして、どちらも、とても可愛らしく思っている。
源氏は、公卿には、見苦しく軽々しいお席だ。あちらへ。と、東の対の方へ、おいでになろうとすると、宮たちが、すがりついて、お離れにならない。宮の、若君は、皇子たちとご一緒にいるべきではない、と、御心の中では、お考えだが、かえって、そういう気持ちを、母宮が、心に咎めて、ひがまれるかもしれないと、これもまた、持って生まれた性格で、大変可哀想になるので、とても、かわいがり、大切にして、差し上げる。




大将は、「この君をまだえよくも見ぬかな」と思して、御簾のひまよりさしいで給へるに、花の枝の枯れて落ちたるを取りて、見せ奉りて招き給へば、走りおはしたり。




大将は、この君を、まだゆっくりと見ていないと、思い、若君が御簾の隙から顔を出したところへ、花の枝の枯れて、落ちているのを手に取り、お見せしてお傍に、お呼びになると、走って、いらした。




二藍の直衣の限りを着て、いみじう白う光りうつくしきこと、皇子舘りもこまかにをかしげにて、つぶつぶと清らなり。なま目とまる心も添ひて見ればにや、眼居など、これは今すこし強うかどある様まさりたれど、まじりのとづめをかしうかをれる気色など、いとよくおぼえ給へり。口つきの、ことさらに花やかなる様して、うち笑みたるなど、わが目のうちつけなるにやあらむ。おとどは必ず思し寄すらむと、いよいよ御気色ゆかし。宮達は、思ひなしこそ気高けれ。世の常のうつくしき児どもと見え給ふに、この君は、いとあてなるものから、さま異にをかしげなるを、見くらべ奉りつつ、「いであはれ。もし疑ふゆえもまことならば、父大臣のさばかり世にいみじく思ひほれ給うて「子と名のりいでくる人だになきこと。形見に見るばかりの名残をだにとどめよかし」と泣きこがれ給ふに、聞かせ奉らざらむ罪得がましさ」など思ふも「いで、いかで然はあるべき事ぞ」となほ心得ず思ひ寄るかたなし。心ばへさへなつかしうあはれにて、むつれ遊び給へば、いとらうたく覚ゆ。




二藍の、直衣だけを着て、大変色白で、つやつやして可愛らしいことは、皇子方よりも、上品で、立派で、まるまると太り、綺麗だ。何か、そう思って見るせいもあるのか、目つきなどは、少しきつく、才走っているのは、衛門の督以上だけれど、目尻の切れが、美しく輝いている様子は、とても似ている。口元が、特に華やかな様子をしていて、にっこりしたところなどは、自分が、ふっと見るだけのせいか、そっくりだ。
源氏は、きっと、気づいているだろうと、思うと、益々、ご心中が知りたいと思う。宮達は、皇子だと、思うからこそ、気高くもあるが、世間普通かの可愛らしい子供と、見えるが、この君は、とても品があり、特別に、美しいのを、皇子方と比較申し上げて見ながら、なんと、可哀想な。もし、自分の疑いが本当なら、故人の父大臣が、あんなにまで、気の抜けたように悲しんでいらっしゃり、子供だと、名乗り出てくる人さえ、いない。せめて、形見として、世話する者でも、残しておいてくれろ、と泣いて焦がれていらっしゃるのに。実の子がいると、教えないのは、罪になりはしないか、などと思うが、いやいや、どうして、そんなことがあり得よう、と、やはり、納得出来ず、推測のしようがない。気立てまで、優しく、おしなしくて、仲良く、お遊びになるので、大変、可愛らしく思われるのである。

夕霧の、柏木の子に対する、思いである。

いであはれ
何とも言えぬ思い、である。
説明し尽くすことが出来ない、心情を言う。



posted by 天山 at 07:12| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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