2015年10月15日

もののあわれについて764

宮は、この暮つ方より、なやましうし給ひけるを、その御気色と見奉り知りたる人々、騒ぎ満ちて、おとどにも聞えたりければ、驚きて渡り給へり。御心の内は、源氏「あな、口惜しや。思ひ交ずる方なくて見奉らましかば、めづらしく嬉しからまし」と思せど、人には気色もらさじ、と思せば、験者など召し、御修法は、いつとはなく不断にせらるれば、僧どもの中に、験あるかぎり皆参りて、加持まいり騒ぐ。




宮は、この日の夕方から、苦しみだしたが、お産だと分り、人々が騒いで、源氏にも申し上げた。源氏は、驚いて、こちらにお出でになったが、心の内では、ああ残念だ。疑わしい点なしに、お産のお世話ができれば、珍しく、嬉しいことだろうに。と思いになるが、他の者には、この気持ちを知られぬようにという思いがあり、験者などを呼んで、修法を、いつまでもひっきりなしにしているので、僧の中でも、しるしのある者は、全部参り、加持を大声でしている。




夜一夜、なやみ明かさせ給ひて、日さし上がる程に生まれ給ひぬ。男君と聞き給ふに、「かく忍びたる事の、あや憎にいちじるき顔つきにて、さしいで給へらむこそ、苦しかるべけれ。女こそ、何となく紛れ、あまたの人の見る者ならねば安けれ」と思すに、また、「かく心苦しき疑ひ交りたるにては、心安き方にものし給ふも、いと良しかし。さてもあやしや。我、世とともに恐ろしと思ひし事の報いなめり。この世にて、かく思ひかけぬ事にむかはりぬれば、後の世の罪も、少し軽みなむや」と思す。




一晩中苦しみて、朝日が差しあがった頃に、お生まれになった。
男君とお聞きになり、このような内緒ごと、困ったことに、はっきりした顔付きで、人前に出ると言うことになると、困ることだ。女であれば、何となく目立たず、大勢の人が会うのではないから、安心なのだが。と、思うが、一方では、このような困った疑いがあると、世話のいらない男の子のほうでも、良いことだ。それにしても、変なことだ。自分が一生を通じて、恐ろしいと思っていたことの報いであろう。この世で、このような思い掛けないことで、報いがあるから、来世での罪も、少しは、軽くなることだろう。

これは、源氏の思いである。




人はた、知らぬ事なれば、「かく心殊なる御腹にて、末に出でおはしたる御おぼえ、いみじかりなむ」と、思ひいとなみ仕うまつる。
御産屋の儀式、いかめしくおどろおどろし。御方々、さまざまにしいで給ふ御産養、世の常の折敷、衝重、高杯などの心ばへも、ことさらに、心々にいどましさ見えつつなむ。




女房のほうは、知らないことなので、このように特別の方を、母君として、晩年にお生まれになったお子への、寵愛は、大変なものだろうと思い、大事にお世話する。
御産屋の儀式は、堂々として、仰々しい。六条院の婦人方が、様々な違ったされ方で、御産養は、形通りの折敷、衝重、高杯などの趣向も、わざわざそれぞれの、競争心が、見えるのだ。




五日の夜、中宮の御方より、子持ちの御前の物、女房の中にも、品々に思ひ当てたるきはぎは、公事にいかめしうさせ給へり。御粥、中食五十具、所々の饗、院の下部、庁の召次所、なにかの隈まで、いかめしくせさせ給へり。宮司、丈夫より始めて、院の殿人上みな参れり。




五日の夜、中宮の御もとから、御産婦の召し上がり物、女房の中にも、身分身分に相当する物を、公式に堂々とされる。御粥、屯食五十人前、あちこちの饗宴は、六条の院の下男や、庁の召次所のような、下々の所まで、堂々となさり、中宮職は、丈夫をはじめとして、院の殿上人も、皆、参上した。




七夜は、内より。それも公様なり。致仕の大臣など、心ことに仕奉り給ふべきに、この頃は何事も思されで、おほぞうの御訪ひのみぞありける。宮達、上達部など、あまた参り給ふ。おほかたの気色も、世に無きまでかしづき聞え給へど、おとどの御心の内に心苦しと思す事ありて、いたうももてはやし聞え給はず。御遊びなどは無かりけり。




七日の夜は、主上から、御産養が、それも、公式に行われた。
致仕の大臣などは、特別にお役を勤めるのだが、このところ、気も転倒されて、一通りのお祝いだけがあった。宮たち、上達部などが、大勢いらした。普通の感じでも、またとなく、大事に差し上げているが、源氏の心の内では、困ると思うことがあり、取り立てて、大事には、されなかった。また、管弦の御遊びも、なかった。




宮は、さばかりひはづなる御様にて、いとむくつけう、ならはぬ事の、恐ろしう思されけるに、御湯なども聞し召さず、身の心憂き事を、かかるにつけても思し入れば、さはれ、このついでにも死なばや、と思す。おとどは、いとよう人目を飾り思せど、まだむつかしげにおはするなどを、とりわきても見奉り給はずなどあれば、老いしらへる人などは、「いでや、おろそかにもおはしますかな。めづらしうさし出で給へる御ありさまの、かばかりゆゆしきまでにおはしますを」と、うつくしみ聞ゆれば、片耳に聞き給ひて、「さのみこそは、思し隔つる事も増さらめ」と、恨めしう、我が身つらくて、尼にもなりなばやの、御心つきぬ。




宮は、あれほど、か弱いお体で、大変恐ろしい、はじめての出産が、怖く思われ、御薬湯なども、お召し上がりにならず、我が身の情けないことを、このようなことにつけても、考え込み、いっそのこと、死んでしまいたいと思うのである。
源氏は、見事に、表を飾りになっているが、まだ生まれたばかりで、気味の悪い、赤子を特別には、お相手しないでいる。年を取った女房などは、まあ、冷たくていらっしゃること。珍しくお生まれになったお子様が、こんなに、怖いほど、美しくいらっしゃるのに。と、可愛がる。宮は、それを小耳にして、こういうことで、他人扱いすることも、今後は、酷くなるだろうと、恨めしく、我が身を辛く感じて、尼になってしまいたいという、気持ちになられるのだ。





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2015年10月16日

もののあわれについて765

夜なども、こなたには大殿籠もらず、昼つ方などぞ、さしのぞき給ふ。源氏「世の中のはかなきを見るままに、ゆくすえ短う、物心細くて、おこなひがちになりにて侍れば、かかる程の、らうがはしき心地するにより、え参りこぬを、いかが、御心地は。さはやかに思しなりにたりや。心苦しうこそ」とて御几帳のそばより、さしのぞき給へり。御髪もたげ給ひて、女三「なほ、え生きたるまじき心地なむし侍るを、かかる人は、罪も重かなり。尼になりて、もしそれにや生きとまると試み、又、なくなるとも、罪を失ふ事もや、となむ思ひ侍る」と、常の御けはひよりは、いとおとなびて、聞え給ふを、源氏「いとうたて。ゆゆしき御事なり。などてか、さまでは思す。かかる事は、さのみこそ、恐しかなれど、さて、ながらへぬわざならばこそあらめ」と聞え給ふ。




夜なども、こちらには、お休みにならず、昼間などに、お顔を出して、源氏は、人の世の常のなさを、見ますと、余命も少なく、何か心細くて、お経ばかりを読んだりとしていますゆえ、こんな時には、落ち着けない気がするために、あまり参りませんが、いかがですか、お気持ちは。爽やかになりましたか。大変でしたね。と、御几帳の端から、覗かれる。女三の宮は、御髪をもたげて、とても、生きていられそうもない、気持ちがします。お産で、死ぬ人は、罪も重いと申します。尼になって、もし、それで生きられるのか、試し、また、死んだとしても、罪を無くすことにもなるからと、存じます。と、いつもより、大人びて、申し上げされるので、源氏は、とんでもない。縁起でもないことです。どうして、そんなことを、お考えになるのです。出産は、実際、恐ろしいことですが、それで、駄目になるならばのこと。と、申し上げる。




御心の内には、「まことに、さも思しよりて宣はば、さやうにて見奉らむは、あはれなりなむかし。かつ見つつも、事にふれて心おかれ給はむが、心苦しう、我ながらも、え思ひなほすまじう、憂き事うち交じぬべきを、おのづからおろかに人の見咎むる事もあらむが、いといとほしう、院などの聞し召さむ事も、わがおこたりにのみこそはならめ。御なやみにことづけて、さもやなし奉りてまし」など思し寄れど、又、いとあたらしうあはれに、かばかり遠き御髪のおひさきをしかやつさむ事も心苦しければ、「なほ、強く思しなれ。けしうはおはせじ。限りと身ゆる人も、たひらかなるためし近ければ、さすがに頼みある世になむ」など聞え給ひて、御湯参り給ふ。いといたう青み痩せて、あさましうはかなげにて、うち臥し給へる御様、おほどき、美しげなれば、いみじき過ありとも、心弱く許しつべき御様かな、と見奉り給ふ。




お心の中では、本当に、そのように考えて、おっしゃるなら、そんなことにして、お世話申すとすれば、許す気にもなるだろう。こんな状態を見ながら、何かにつけて、気兼ねされるのが、可哀相だし、自分でも、昔の気持ちに戻ることは出来ず、酷い仕打ちもないではないから、いずれ、冷淡な人と見て、怪しむこともあると、大変可哀相だ。院などが、お耳にされても、自分の落ち度にされるばかりだろう。御病気にかこつけて、尼にして差し上げようか。などと、思いつかれるが、一方、大変惜しくて心も痛み、こんなに御髪も、長く余生も長い宮を、そのようにして、尼にしてしまうことも、お気の毒なので、源氏は、そんなことを言わずに、元気を出してください。たいしたことはないでしょう。駄目だと思った人が、治った例もあるから、やはり、頼みにしている、世の中です。などと、申し上げて、御薬湯を差し上げる。
酷く青白く痩せて、全く元気の無い状態で、ぐったりと、寝ているご様子が、おっとりとして、可愛らしく見えるので、酷い過失があるにしても、心弱くしてしまいそうな、ご様子だと、御覧になる。

いとあたらしうあはれに
大変、改めて、あはれ、に思う。
これは、新しい表現である。




山の帝は、めづらしき御事、平らかなり、と聞し召して、あはれにゆかしう思はすに、かく悩み給ふ由のみあれば、「いかにものし給ふべきにか」と、御おこなひも乱れて、思しけり。




出家された帝は、珍しいご出産が、無事であったと、お耳にされて、しみじみ、お会いになりたくなり、と思うが、このように、ご病気でいられるという、報告ばかりなので、どうしたことか、と、仏道修行にも、乱れて、考えなさる。

あはれにゆかしう思す
現代語にはない、表現である。
文の前後から、とても会いたく思い・・・




さばかり弱り給へる人の、ものを聞し召さで、日ごろ経給へば、いと頼もしげ無くなり給ひて、年ごろ見奉らざりし程よりも、院のいと恋しくおぼえ給ふを、女三「又も見奉らずなりぬるにや」と、いたう泣い給ふ。
かく聞え給ふ様、さるべき人して、伝へ奏させ給ひければ、いと堪え難う悲し、と思して、あるまじき事とは思し召しながら、夜に隠れて出でさせ給へり。




あのように、弱った方が、何もお召し上がりにならず、何日も続くので、すっかり心細い風情になり、ここ何年間お会いにならなかった間よりも、院が、大変恋しく思われるので、女三の宮は、二度とお顔を見ずに終わるのか、と、酷く泣かれるのである。
このように、申し上げされるご様子を、適当な人から、院のお耳にお伝え申し上げたので、院は、堪えきれないほど悲しいと、思いになり、いけないことと、思うが、夜に紛れて、山を出られたのである。





かねてさる御消息も無くて、にはかに、かく渡りおはしまいたれば、あるじの院、驚きかしこまり聞え給ふ。朱雀院「世の中をかへりみすまじう思ひ侍りしかど、尚、惑ひさめ難きものは、この道の闇になむ侍りければ、おこなひも解怠して、もし後れ先立つ道の、道理のままならで別れなば、やがて、この恨みもや、かたみに残らむ、と、あぢきなさに、この世のそしりをば知らで、かくものし侍る」と聞え給ふ。




前々から、このようなことと、お便りもなくて、急に、このように、お出であそばしたので、源氏は、驚いて、恐縮申し上げる。朱雀院は、俗世をかえり見はすまいと、思っていましたが、やはり、煩悩を捨てきれないのは、子を思う道の闇です。勤行もなまけて、もし、年の順で死ぬという、道理のままならなくて、別れたならば、このまま逢わずに終わった恨みが、お互いに残るだろうとの、情けなさに、世間の非難も構わない気になり、このように、やってきたのです。と、申し上げる。
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2015年11月02日

もののあわれについて766

御かたち異にても、なまめかしうなつかしき様に、うち忍びやつれ給ひて、うるはしき御法服ならず、墨染の御姿、あらまほしう清らなるも、うらやましく見奉り給ふ。
例の、まづ涙おとし給ふ。「わづらひ給ふ御様、ことなる御悩みにも侍らず。ただ月ごろ弱り給へる御有様に、はかばかしうものなども参らぬつもりにや、かくものし給ふこそ」など聞え給ふ。




お姿は、僧であるが、美しく、優しい様子で、目立たぬように、粗末にされて、正式の御法服ではなく、ただの墨染めのお姿で、理想的と思われるほど、美しいのも、うらやましく、拝される。
いつものように、まず、涙を落とされる。源氏は、患っていらっしゃるご様子は、特別のお苦しみでも、ございません。ほんの一月あまり、お弱りになっているご様子で、さっぱり、お食事もなさらないせいか、このような様子でございます。など、申し上げる。




源氏「かたはらいたきおましなれども」とて、御帳の前に御褥参りて、入れ奉り給ふ。宮をも、とかう人々つくろひ聞えて、床の下におろし奉る。
御几帳少し押しやらせ給ひて、朱雀院「夜居加持僧などの心地すれど、まだ験つくばかりの行にもあらねば、かたはらいたけれど、ただおぼつかなくおぼえ給ふらむ様を、さながら見給ふべきなり」とて御眼おしのごはせ給ふ。




源氏は、申し訳ない御座所でございますが、と、御帳台の前に、お座布団を差し上げて、お入れ申し上げる。女宮をも、あれこれと、女房達が、身の回りのお世話をして、御帳台の、浜床の下に、下ろして差し上げる。
御几帳を少し押しやり、朱雀院は、夜居の加持僧のような気持ちがしますが、まだ、効験があらわれるほど、修行をしてもいないので、恥ずかしいけれど、ただ、会いたがっておいでの、私の姿を、ありのままに、御覧になるがいい。と、御目を、ぬぐわれる。




宮も、いと弱げに泣い給ひて、女三「生くべうもおぼえ侍らぬを、かくおはしまいたるついでに、尼になさせ給ひてよ」と聞え給ふ。
朱雀「さる御本意あらば、いと尊き事なるを、さすがに、限らぬ命の程にて、行末と置き人は、かへりて、事の乱れあり、世の人に謗らるるやうありぬべき」など宣はせて、おとどの君に、朱雀「かくなむ、進み宣ふを、今は限りの様ならば、片時の程にても、その助けあるべき様にて、となむ思ひ給ふる」と宣へば、源氏「日頃もかくなむ宣へど、邪気などの、人の心たぶろかして、かかるかたにてすすむるやうもはべなるを、とて、聞きも入れ侍らぬなり」と聞え給ふ。朱雀「物怪の教へにても、それに負けぬとて、悪しかるべき事ならばこそ、憚らめ、弱りにたる人の限りとてものし給はむことを聞き過ぐさむは、後の悔、心苦しうや」と宣ふ。




宮も、弱々しくお泣きになって、生きながらえそうにも思われませんので、このように、お出であそばした機会に、尼にしてくださいませ。と、申し上げる。
朱雀院は、そのような、お気持ちがあるならば、大変結構なことだが、病気とはいえ、死ぬと決まったものではない、寿命。若い人が、出家して、かえって、具合の悪いことが起こり、世間の人に、悪く言われるようなことがあることも。などと、仰せられて、ご主人の君、源氏に、このように、望んでおっしゃるのだから、もし、今が、最後の様子ならば、少しの間でも、末世での功徳があるようにしてやりたいと、思います。と、おっしゃる。源氏は、ここ何日も、このようにおっしゃいますが、物の怪などが、人の心を騙して、こういう仕方で、その気にさせることも、ございますそうですから、と、申して、賛成できないのです。と、申し上げる。朱雀は、物の怪の勧めであっても、それに負けたとて、悪いことならば、控えなければならないが、衰弱した人が、最後の状態でおっしゃることを、聞き流しては、後々になって、悔やまれ、困ることもあろうかと。と、仰せられる。




御心のうち、「限りなう後やすく譲りおきし御事を受け取り給ひて、さしも心ざし深からず、我が思ふやうにはあらぬ御気色を、事に触れつつ、年ごろ聞し召し思しつめけること、色に出でて恨み聞え給ふべきにもあらねば、世の人の思ひ言ふらむ所も口惜しう思しわたるに、かかる折りにもて離れなむも、なにかは、人笑へに、世を恨みたるけしきならで、さもあらざらむ、おほかたの後見には、なほ頼まれぬべき御おきてなるを、ただ預け置き奉りししるしには思ひなして、憎げにそむく様にはあらずとも、御処分に広く面白き宮賜はり給へるを、つくろひて住ませ奉らむ。我がおはします世に、さる方にても後めたからず聞きおき、又かのおとども、さ言ふとも、いとおろかにはよも思ひ放ち給はじ。その心ばへをも見はてむ」と思ほしとりて、朱雀「さらば、かくものしたるついでに、忌む事受け給はむをだに、結縁にせむかし」と宣はす。




朱雀院は、心の内で、この上なく安心して、お任せした姫を、引き受けてくださりつつも、それほど愛情は深くなく、自分の予期に反した態度を、何かの事につけて、世間の評判、噂を、ここ何年も聞いてきたのだから、口に出して、恨み言を言うべきではない。世間の評判、噂も、残念と思い続けていられたのに、こういう時に、出家して、六条院から離れるというのも、別に人聞きの悪いことでもなく、夫婦仲が良く無いと言うことでもない。一通りのお世話役には、今も頼りになれそうだから、それだけを、お預けしたと思うことにして、面当てのようにではなく、形見分けに、広くて、趣のある邸を頂戴されているのを、修理して、宮を住まわせよう。
ご自分の御在世中に、尼としての生活であっても、心配ないと耳にし、またこの邸の主人も、あのように言っても、冷淡に見捨てることはないだろう。その心の底を見届けようと、考えて、それでは、このようにやってきたついでに、戒だけでも、お受けになって、仏縁を結ぶことにしょう。と、仰せになった。




おとどの君、うしと思す方も忘れて、こは、いかなるべきことぞ、と悲しく口惜しければ、え堪へ給はず、内に入りて、源氏「などか、いくばくも侍るまじき身を限り捨てて、かうけ思しなりにける。なほしばし、心をしづめ給ひて、御湯参り、物などをも聞し召せ。尊き事なりとも、御身弱うては、行もし給ひてむや。かつは繕ひ給ひてこそ」と聞え給へど、頭振りて、いとつらう宣ふと思したり。つれなくて、恨めしと思す事もありけるにや、と見奉り給ふに、いとほしうあはれなり。




源氏は、嫌だと思っている、事情のあることも忘れて、これは、どうしたことかと、悲しく残念に思い、堪えきれず、几帳の中に入って、どうして、余命の少ない私を捨てて、こんな気におなりなのですか。やはり、暫く心を静められて、お湯薬を上がり、食べ物でも、召し上がれ。尊い出家ではあっても、お体が悪くては、お勤めも、できましょうか。一つには、御養生をされてからに。と、申し上げるが、頭を振り、大変辛いことを、おっしゃると、思うのである。お顔には出さないが、恨めしいと、思いのこともあり、と御覧になると、愛しく、あはれである。

いとほしうあはれなり
お気の毒であり、心が動くのである。



posted by 天山 at 06:33| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月03日

もののあわれについて767

とかく聞えかへさひ、思しやすらふ程に、夜明け方になりぬ。帰り入らむに、道も昼ははしたなかるべし、と急がせ給ひて、御祈りに候ふ中に、やむごとなう尊き限り召し入れて、御髪おろさせ給ふ。いと盛りに清らなる御髪をそぎ捨てて、忌む事受け給ふ作法、悲しう口惜しければ、おとどはえ忍びあへ給はず、いみじう泣い給ふ。院はた、もとよりとりわきてやむごとなう、人よりもすぐれて見奉らむと思ししを、この世にはかひなきやうにない奉るも、あかず悲しければ、うちしほたれ給ふ。朱雀「かくても、平らかにて、同じうは、念誦をも勤め給へ」と聞え置き給ひて、明け果てぬるに、急ぎて出でさせ給ひぬ。




あれこれと、反対を申して、戸惑ううちに、夜明け方になった。
朱雀院は、山にお帰りになるのに、昼、道を行くのは、世間体も悪いだろうと、急がせて、御祈祷に控えていた中で、身分の高く、徳のあるものばかりを、お呼び入れて、御髪を下ろさせになった。
いまが盛りで、美しいおぐしを、削ぎ捨てて、戒を受けられる儀式が、悲しく、残り多くて、源氏は、我慢が出来ずに、酷く泣く。院もまた、もともと大事にし、他の誰よりも、よくしようと、お世話しようとの思いであったので、この世に、生きているかいのないように、させるのは、いくら考えても、悲しく、涙ぐみされる。
朱雀院は、こんな姿になっても、丈夫にして、同じことなら、念仏読経も、お勤めなさい。と、申し上げ、夜が明けてしまったので、急いで、お立ちあそばした。




宮はなほ弱う消え入るやうにし給ひて、はかばかしうもえ見奉らず、ものなども聞え給はず。おとども、「夢のやうに思ひ給へ乱るる心惑ひに、かう昔おぼえたる御幸のかしこまりをも、え御覧ぜられぬらうがはしさは、ことさらに参り侍りてなむ」と聞え給ふ。御送りに人々参らせ給ふ。朱雀「世の中の今日か明日かにおぼえ侍りし程に、また知る人もなくて漂はむ事の、あはれにさり難うおぼえ侍しかば、御本意にはあらざりけめど、かく聞えつけて、年頃は心安く思ひ給へつるを、もしも生きとまり侍らば、さまことに変はりて、人しげき住まひはつきなかるべきを、さるべき山里などにかけ離れたらむ有様も、又さすがに心細かるべくや。様に従ひて、なほ思し放つまじく」など、聞え給へば、源氏「さらにかくまで仰せらるるなむ。かへりて恥づかしう思ひ給へらるる。乱り心地、とかく乱れて侍りて、何事もえわきまへ侍らず」とて、げにいと耐へ難げに思したり。




宮は、今も弱々しく、息も絶えそうになり、はっきりと父院を拝することもできずに、ご挨拶も、申し上げない。源氏は、夢のように、心が乱れておりますので、このような昔懐かしい、御幸のお礼も、御覧いただけない御無礼は、日を改めて、参上いたします。と、申し上げる。お供に、家臣を差し上げる。
朱雀院は、命も、今日、明日かと思われましたので、他に世話する人もなく、この世に、うろうろするのでは、可哀相で、放っておけないと、思われましたのですが、お気持ちに、添わなかったでしょうか。このようにお願いして、長年、安心していましたのですが、もしも、命をとりとめましたら、尼姿になってでは、賑やかな御殿での生活は、具合が悪いでしょうが、適当な山里などに、離れて住むとしても、これもまた、心細いことでしょう。尼は尼らしく、今後も、お見捨てされないように。などと、申し上げるので、源氏は、わざわざと、このようにまで仰せられて、かえって、恥ずかしく思われます。心は、色々と乱れますが、何事も、判断がつきかねます。と、本当に、堪えきれないご様子。




後夜の御加持に御物怪いで来て、「かうぞあるよ。いとかしこう取り返しつと、一人をば思したりしが、いと妬かりしかば、このわたりにさりげなくてなむ。日ごろ候ひつる。今は帰りなむ」とてうち笑ふ。いとあさましう、さはこの物怪の、ここにも離れざりけるにやあらむ、と思すに、いとはしう悔しう思さる。宮、少し生きいで給ふやうなれど、なほ頼み難げに見え給ふ。候ふ人々もいといふかひなうおぼゆれど、かうても平らかにだにおはしまさばと念じつつ、御修法また延べて、たゆみなく行はせなど、よろづにせさせ給ふ。




後夜の、御加持に、御物の怪が出て来て、「それごらん。見事に取り返したと、あちらの一人を思いだったのが、嫌だから、この辺に、気づかれないようにして、ずっと、控えていたのだ。もう、帰りましょう」と、声を上げて、笑う。驚く他無い。それでは、この物の怪が、ここにも離れないでいたのかと、思うと、可哀相でもあり、後悔もされた。
宮は、少し正気に戻るが、矢張り、頼りなさそうに、見られる。お付きしている女房たちも、お話にならない思いはするが、こんなお姿でも、せめて元気でいらしたならばと、御修法を、更に延期して、熱心に行わせたりするなど、源氏は、万事に計らう。

この、物の怪は、六条の御息所である。




かの衛門の督は、かかる御事を聞き給ふに、いとど消え入るやうにし給ひて、むげに頼む方少なうなり給ひにたり。女宮のあはれにおぼえ給へば、ここに渡り給はむ事は、今更にかるがるしきやうにもあらむを、上もおとども、かくつと添ひおはすれば、おのづから、とりはづして見奉り給ふやうもあらむに、あぢきなし、と思して、柏木「かの宮に、とかくして今ひとたび参うでむ」と宣ふを、さらに許し聞え給はず。




あちらの、衛門の督、柏木は、このことを耳にされて、いよいよ、息も絶えそうになり、すっかりと回復の望みが薄くなった。
女三の宮が、かわいそうに思われて、こちらにお出でになるのは、いまさらご身分に障るし、母君も父大臣も、このように、付きっ切りでおいでなので、気をつけていても、うっかり、宮のお顔を御覧になるようなこともあると、困ると思い、あちらの御殿に、何とかして、もう一度、伺おうと、おっしゃるが、絶対にお許しにならないのである。




誰にも、この宮の御事を、聞えつけ給ふ。はじめより、母御息所は、をさをさ心ゆき給はざりしを、このおとどのいたちねむごろに聞え給ひて、心ざし深かりしに負け給ひて、院にも、いかがはせむと、思し許しけるを、二品の宮の御事、思ほし乱れけるついでに、朱雀「なかなかこの宮は、行くさき後安く、まめやかなる後見まうけ給へり」と宣はす、と聞き給ひしを、かたじけなう思ひ出づ。柏木「かくて、見捨て奉りぬるなめりと思ふにつけては、さまざまにいとほしけれど、心よりほかなる命なれば、堪へぬ契恨めしうて、思し嘆かれむが、心苦しき事。御心ざしありて、とぶらひものせさせ給へ」と母上にも聞え給ふ。母「いで、あなゆゆし。おくれ奉りては、いくばく世に経べき身とて、かうまで行く先の事をば宣ふ」とて、泣きにのみ給へば、え聞えやり給はず、右大弁の君にぞ、大方の事ども詳しう聞え給ふ。




会う人ごとに、宮のことをお頼みになる。最初から、母の御息所は、いっこうに満足ではなかったが、この大臣が奔走し、熱心にお願いして、誠意が篤いのに負けて、院も、しかたがないと、思われて、お許しになったのだが、二品の宮の、御事をご心配された折に、朱雀院は、かえって、この宮は、将来も安心な、忠実な夫をお持ちになった、と仰せられたとお聞きになったのを、勿体無いことだと、思い出す。
柏木は、こういうことで、宮を後に残すことについては、あれこれと、お気の毒であったが、思うに任せない命であれば、添い遂げられなかった夫婦の仲が、恨めしい。死後、宮が、嘆かれるのは、たまらない気持ちです。どうぞ、忘れず、いつもお見舞いを申し上げてください。と、お母様にも、願いする。母は、まあ、なんという縁起でもないこと。万が一、あなたに先立たれては、どれほど、この世に生き残れる私だと思って、こうまで、後々の事などを、おっしゃるのか。と、ひたすら泣かれるばかりで、十分には、頼むことが出来ないので、右大弁の君に、生活の世話などを、詳しく、申し上げる。

右大弁とは、柏木の弟である。
二品の宮とは、柏木の妻だった宮。









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2015年11月04日

もののあわれについて768

心ばへののどかによくおはしつる君なれば、弟の君達も、まだ末々の若きは、親とのみ頼み聞え給へるに、かう心細う宣ふを、悲しと思はぬ人はなく、殿の内の人も嘆く。朝廷も、惜しみ口惜しがらせ給ふ。かく限りと聞し召して、にはかに権大納言になさせ給へり。喜びに思ひ起こして、今一度も参り給ふやうにもやある、と思し宣はせけれど、さらにえためらひやり給はで、苦しきなかにも、かしこまり申し給ふ。大臣も、かく重き御おぼえを見給ふにつけても、いよいよ悲しうあたらしと思し惑ふ。




人柄が、おうようで、よく出来た方なので、弟の君達の中でも、まだ幼い末の人たちは、まるで、親のように頼りにしていらしたのに、このように、心細くおっしゃるので、悲しいと思わない人はなく、御殿に仕える人も嘆く。
主上も、惜しがり、残念に思う。もう危険だと、お聞きになり、急に、権大納言に任じられた。喜びに元気づけられて、もう一度、参内されることもあろうかと、思いになったが、一向に病気は、よくならず、苦しい中ながら、お礼を申し上げる。
源氏も、このように重い帝のご寵愛を拝するに、ますます悲しく、惜しいと、心が乱れる。




大将の君、常にいと深う思ひ嘆き、とぶらひ聞え給ふ。御喜びにも、まづ参うで給へり。このおはする対のほとり、こなたの御門は、馬車立ちこみ、人騒がしう騒ぎ満ちたり。今年となりては、起き上がる事もをさをさし給はねば、重々しき御様に、乱れながらはえ対面し給はで、思ひつつ弱りぬる事と思ふに、口惜しければ、柏木「なほ、こなたに入らせ給へ。いとらうがはしきさまに侍る罪は、おのづから思し許されなむ」とて、臥し給へる枕上の方に、僧などしばし出だし給ひて、入れ奉り給ふ。




大将の君、夕霧は、いつも大変心配されて、お見舞い申し上げる。
お祝いにも、真っ先に、お出でになった。このお住まいの、対の屋のあたりや、こちらの御門は、馬や車が一杯で、大勢の人が、煩いほどだ。そこらじゅうに、がやがやとしている。今年になり、起き上がることもなくなり、大将の重々しいご様子に対して、乱れた姿では、対面することができずと、思いながら、会えずに、衰弱してしまったらと思うと、残念なので、柏木は、どうぞ、こちらに、お出で下さい。まことに、失礼な格好でおります、罪は、申さずとも、許してくださると思います。と言って、寝ていられる、枕元の所に、僧など、しばらく、外に出して、お入れ申し上げる。




早うより、いささか隔て給ふ事なく、睦びかはし給ふ御仲なれば、別れむことの悲しう恋しかるべき嘆き、親兄弟の御思ひにも劣らず。




幼い頃から、少しも分け隔てなく、仲良くされていた方々であるから、別れては、悲しく、恋しいに決まっている嘆きは、親兄弟の思いに、劣ることはない。




今日は喜びとて、心地よげならましを、と思ふに、いと口惜しうかひ無し。夕霧「などかく、頼もしげ無くはなり給ひける。今日はかかる御喜びに、いささかすくよかにもやとこそ思ひ侍りつれ」とて、几帳のつき引き上げ給へれば、柏木「いと口惜しう、その人にもあらずなりにて侍りや」とて、鳥帽子ばかりおし入れて、少し起き上がらむとし給へど、いと苦しげなり。白き衣どもの、なつかしうなよよかなるをあまた重ねて、衾ひきかけて臥し給へり。おましのあたり物清げに、けはひ香ばしう、心にくくぞ住みなし給うへる。うちとけながら用意ありと見ゆ。重くわづらひたる人は、おのづから髪髭も乱れ、ものむつかしき気配も添ふわざなるを、痩せさらぼひたるしも、いよいよ白うあてなる様して、枕をそば立てて、ものなど聞え給ふ気配、いと弱げに、息も絶えつつ、あはれげなり。




今日は、お祝いで、少しは、体の調子も、よかろうと思っていたが、大変残念で、来た甲斐がない。
夕霧は、どうして、こんなに心細くなったのです。今日は、このような、お祝いゆえ、少しは、元気と思ったのです。と言って、几帳の端を、引き上げなされたので、柏木は、残念なことに、昔の面影もなくなってしまった。と言い、鳥帽子だけを頭にかぶり、少し起き上がろうとされるが、大変苦しそうである。白い着物で、小奇麗に着慣れたものを、何枚も重ねて、その上に、衾をかけて、寝ていらっしゃる。
御座所のあたりは、さっばりとして、いったいに、香が薫り、奥ゆかしい住み方をしている。くつろいで、十分、行き届いている雰囲気である。重病人というものは、いつしか、髪も乱れ、髭をはえて、嫌な感じがするものだが、痩せて衰弱していられるのも、前より、いっそう色白に、上品な感じがして、枕を立てて、話しなどをされる様子は、たいそう弱々しく息も絶え絶えで、見ていて、気の毒なほどである。

あはれげなり
そのまま、あはれげ、でいいが・・・
可哀相である。









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2015年11月05日

もののあわれについて769

夕霧「久しうわづらひ給へる程よりは、ことにいたうもそこなはれ給はざりけり。常の御かたちよりも、なかなかまさりてなむ見え給ふ」と宣ふものから、涙おしのごひて、夕霧「後れ先立つ隔て無くとこそ、契り聞えしか、いみじうもあるかな。この御心地の様を、何事にて重り給ふとだに、え聞きわき侍らず。かく親しき程ながら、おぼつかなくのみ」など宣ふに、柏木「心には、重くなるけぢめもおぼえ侍らず。そこ所と苦しき事も無ければ、たちまちに、かうも思ひ給へざりし程に、月日も経で弱り侍りにければ、今はうつし心も失せたるやうになむ。惜しげなき身を、さまざまに引き留めらるる折り願などの力にや、さすがにかかづらふも、なかなか苦しう侍れば、心もてなむ、急ぎ立つ心地し侍る。さるは、この世の別れ、去り難き事は、いと多うなむ。親にも仕うまつりさして、今更に御心どもを悩まし、君に仕うまつる事もなかばの程にて、身をかへりみる方、はたまして、はかばかしからぬ恨みをとどめつる、おほかたの嘆きをばさるものにて、また心の内に思ひ給へ乱るる事の侍るを、かかる今はのきざみにて、なかには漏らすべきと思ひ侍れど、なほしのび難きことを、誰かに憂へ侍らむ。これかれあまたものすれど、さまざまなる事にて、更にかすめ侍らむも、あいなしかし。




夕霧は、長い間、ご病気でいらしたわりには、たいして、衰弱してはいらっしゃらない。いつものお姿よりも、かえって美しく見える。とは、おっしゃるものの、涙を拭い、後れたり、先立ったり、別な時に、死ぬことなどないように、お約束しましたのに、酷いことです。このご病気が、どうして、重くなったのか、それさえも、聞いていません。このように、親しい間柄なのに、言ってくださらない。などと、おっしゃる。
柏木は、私には、重くなる理由も分りません。どこといって、苦しいこともありませんので、急に、このようになるとは、思いもよらないうちに、長くもかからず、衰弱してしまいました。今は、意識もはっきりしない状態で、惜しくはない身ですが、あれこれと、引き留められる祈りや、願の力でしょうか。片付かずにいるのも、かえって苦しいものですから、自分から、進んで、あの世に行ってしまいたい気持ちです。そのくせ、今生の別れに、捨て去りにくいことが、沢山あります。親にも孝行をせず、その上に心配をかけて、主上におかれましては、お仕えすることが中途半端ですし、反省すると、それ以上に、つまらない恨みを残すという、嘆きは、別にして、その他、心ひそかに、考えあぐねることがあります。このような、臨終のときになり、どうして、口に出そうかと思いますが、どうしても、堪えきれないこと。それを、あなたの他、誰に言えましょう。誰彼と、沢山人はおりますが、色々な理由があり、どうせ、ほのめかしても、何にもなりません。

急ぎ立つ心地し侍る
急ぎ、死出の旅に立つ。




六条の院に、いささかなる事のたがひめありて、月ごろ心の内に、かしこまり申す事なむ侍りしを、いと本意なう、世の中心細う思ひなりて、病つきぬ、と、覚えはべしに、召しありて、院の御賀の、楽所の試みの日参りて、御気色を賜はりしに、なほ許されぬ御心ばへある様に、御目尻を見奉り侍りて、いとど、世に長らへむ事も憚り多う覚えなり侍りて、あぢきなう思ひ給へしに、心の騒ぎそめて、かくしづまらずなりぬるになむ。人数には思し入れざりけめて、いはけなうはべし時より、深く頼み申す心の侍りしを、いかなる讒言などのありけるにか、と、これなむ、この世の憂へにて残り侍るべければ、ろなう、かの後の世の妨げにもや、と思ひ給ふるを、事のついで侍らば、御耳とどめて、よろしうあきらめ申させ給へ。なからむ後にも、この勘事許されたらむなむ、御徳に侍るべき」など線ふままに、いと苦しげにのみ見えまされば、いみじうて、心の内に思ひ合はする事どもあれど、さして確かには、えしも推し量らず。




六条の院に、少しばかり、不都合なことがあり、幾月か、密かに恐れ入ることが、ありました。大変、不本意で、世の中が、心細くなり、病気になったと、思われました頃、お召しがあって、院の御賀の、楽所の試楽の日に、参上して、ご機嫌を伺いましたところ、矢張り、許されないお心があるように、そのお目つきを拝見しまして、いっそう、生き長らえることも、憚り多く思うようになりまして、淋しく感じました。その時、胸が騒いで以来、このように静まらなくなったのです。
一人前の者と、思ってくださらなかったのでしょう。幼い頃から、深く頼り申す気持ちがございましたので、どのような、中傷があったのかと、これだけが、この世の恨みとして、死後に残りましょうから、勿論、後世の往生の、妨げにならないかと、何か機会がありましたら、覚えていてください。よろしく、弁解を申し上げてください。私が死にましたら、このお叱りが許されましたならば、あなたの、お陰です。などと、おっしゃる。その間も、とても苦しそうに、なるばかりなので、可哀相で、心の内に思い当たることもあるが、それとは、はっきりと、推測できないのである。

最後の思いは、夕霧である。




夕霧「いかなる御心の鬼にかは、さらにさやうなる御気色も無く、かく重り給へるよしをも、聞き驚き給ふこと、限りなうこそ、口惜しがり申し給ふめりしか。など、かく思すことあるにては、今まで残い給ひつらむ。こなたかなた、あきらめ申すべかりけるものを、今は言ふかひなしや」とて、取り返さまほしう、悲しく思さる。柏木「げに、いささかもひまありつる折、聞え承るべうこそ侍りけれ。されど、いとかう、今日明日としもやは、と、みづからながら知らぬ命の程を、思ひのどめ侍りけるも、はかなくなむ。この事は、さらに御心より漏らし給ふまじ。さるべきついで侍らむ折には、御用意加へ給へとて、聞えおくになむ。一条にものし給ふ宮、事にふれて訪ひ聞え給へ。心苦しきさまにて、院などにも聞しめされ給はむを、つくろひ給へ」など宣ふ。言はまほしき事は多かるべけれど、心地せむ方なくなりにければ、柏木「山でさせ給ひね」と手かき聞こえ給ふ。加持まいる僧ども近う参り、上、おとどなど、おはし集まりて、人々も立ち騒げば、泣く泣くいで給ひぬ。




夕霧は、どんな疑心暗鬼なのでしょう。全くそのようなご様子もなく、このように、重くなられたことを、お耳にされて、驚き、お嘆きになり、限りなく、残念だと、口にもしていらしたように、承知しております。どうして、こんなお考えがあったなら、今まで言わずに、いられたのです。こちらにも、あちらにも、弁解して、差し上げましたのに。今となっては、何もならない。と言って、元に戻せるものならと、悲しく思うのである。
柏木は、お言葉通り、少しでも、病気の良かった時に、申し上げて、ご意見をたまわることでした。でももう、こんなに、今日か明日かになろうとは、自分ながら、分らない寿命です。なのに、のんびりしていましたのも、儚いことです。このことは、決して、誰にも、仰らないで下さい。適当な機会がありました時には、ご意見も加えられて、六条の院に、申し上げていただきたいと、お耳に入れるのです。一条にお出での宮を、何かの折には、お見舞い申し上げてください。お気の毒な様子でいられると、院などのお耳にも、入りましょうが、よろしくお計らいください。などと、おっしゃる。
言いたい事は、沢山あるだろうが、お気持ちが、不安定なので、柏木は、お帰りになってください、と、手招きで申し上げる。加持をして差し上げる僧たちも、近くに参り、母上、父大臣など、集まりになられて、人々も、立ち騒ぐので、夕霧は、泣く泣く、お帰りになった。

気の病に、衰弱する、柏木の姿である。



posted by 天山 at 06:43| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月06日

もののあわれについて770

女御をばさらにも聞えず、この大将の御方なども、いみじう嘆き給ふ。心おきての、あまねく、人のこのかみ心にものし給ひければ、右の大殿の北の方も、この君をのみぞ、むつまじきものに思ひ聞え給ひければ、よろづに思ひ嘆き給ひて、御祈りなど、とりわきてせさせ給ひけれど、やむ薬ならねば、かひなきわざになむありける。女宮にも、つひにえ対面し聞え給はで、泡の消え入るやうにて亡せ給ひぬ。




女御は、申し上げるに及ばず、この大将の北の方なども、大変お嘆きになる。そのされ方が、誰に対しても、お兄様らしくいらしたので、右大臣の北の方も、この君だけを、頼りになる兄と思っていらした。万事につけて、嘆かれて、お祈りなど、特別にさせたが、思いを消す薬ではないので、何の役にも立たない。
女二の宮も、とうとうお会いになることが出来ずに、泡が消えるように、お亡くなりになった。

女御は、柏木の妹であり、冷泉院の女御である。
大将の北の方とは、夕霧の北の方、雲居の雁。
右大臣の北の方とは、髭黒の北の方、玉葛である。




年ごろ下の心こそ、ねむごろに深くもなかりしか、大方には、いとあらまほしくもてなしかしづき聞えて、けなつかしう、心ばへをかしう、うちとけぬさまにて過ぐい給ひければ、つらき節もことになし。ただ、かく短かりける御身にて、あやしく、なべての世すさまじう思ひ給ひけるなりけり、と思ひいで給ふに、いみじうて、思し入りたるさま、いと心苦し。御息所も、いみじう人笑へに口惜しと、見奉り嘆き給ふ事、限りなし。




長年の間、深く愛していたわけではないが、一応は、文句ないほど、大切に、お扱いだった。優しく、心立てが立派で、わがままも言わずに、辛いと思うことも、特に無かった。
ただ、このように、短命な方であったので、変わったことに、普通の生活を、面白くないと思っていたと、思い出すにつけても、悲しくて、沈み込んでいられる様子は、痛々しい。御息所も、大変、外聞が悪い、残念だと、宮を拝しては、お嘆きになること、限りなし。

女二の宮の心境である。




おとど、北の方などは、まして言はむ方なく、我こそ先立ため、世のことわりなう、つらい事と、こがれ給へど、何のかひなし。尼宮は、おほけなき心もうたてのみ思されて、世に長かれとしも思さざりしを、かくなむと聞き給ふは、さすがにいとあはれなりかし。若宮の御事を、さぞと思ひたりしも、げに、かかるべき契りにてや、思ひのほかに心憂き事もありけむ、と思しよるに、さまざまもの心細うて、うち泣かれ給ひぬ。




父の大臣や、北の方などは、それ以上に、言いようもないほど、自分こそ、先に死にたいと、世間の道理に外れた、辛い事と、慕われたが、何にもならない。尼宮は、大それた心も、嫌なことと思いになるばかりで、生きていて欲しいと、思うことはなかったが、こういうことと、お聞きすると、さすがに、大変に可哀相だと思う。若宮のことを、自分の子だと思っても、なるほど、こうなる前世からの約束事で、思いもかけないことも、あったのだろうと、あれこれと、考えるに付けて、何やら心細く、涙が、ふっと、ごぼれるのである。

尼宮とは、女三の宮のこと。

さすがにいとあはれなりかし
さずかに、とても、あはれ、可哀相なことである。





三月になれば、空の気色もものうららかにて、この君、五十日の程になり給ひて、いと白う美しうほどよりはおよずけて、物語りなどし給ふ。おとど、渡り給ひて、源氏「御心地はさわやかになり給ひにたりや。いでや、いとかひなくも侍るかな。例の御有様にて、かく見なし奉らましかば、いかに嬉しう侍らまし。心憂く、思し捨てけること」と涙ぐみて恨み聞え給ふ。日々に渡り給ひて、今しも、やむごとなく、限りなき様に、もてなし聞え給ふ。




三月になると、空の気色も、うららかで、この君は、五十日ほどになり、たいそう白く、可愛らしく、年の割には、おませで、物を言ったりなさる。
殿様、源氏が起こしになって、ご気分は、すっきりとしましたか。本当に、全く、何もならないことです。普通のご様子で、このように、お祝い申し上げるのでしたら、どんなにか、嬉しいことでしょう。情けない私を捨てて、ご出家されるとは。と、涙ぐんで、お恨みする。
毎日毎日と、お渡りになって、今になって、お生まれに相応しく、丁重に、おもてなし申し上げる。

この君とは、女三の宮の子である。柏木の子。





御五十日に、餅参らせ給はむとて、かたち異なる御様を、人々、いかに、など聞えやすらへど、院渡らせ給ひて、源氏「何か。女に物し給はばこそ、同じ筋にて、忌々しくもあらめ」とて、南面に、小さき御座などよそひて、参らせ給ふ。御乳母、いと花やかに装束きて、御前の物、色々を尽くしたる籠物、檜破子の心ばへどもを、内にも外にも、もとの心を知らぬことなれば、取り散らし、なに心も無きを、いと心苦しう、まばゆきわざなりや、と思す。




五十日の、お祝いに、お餅を差し上げようとされて、母君が、普通ではない姿なので、女房たちは、どうしたものかと、申し上げ、ぐずぐずするが、源氏がお越しあそばして、何の、構うものか。女でいらしたら、同じ事で縁起が良くないこともあろうが、と、仰り、南座敷に、小さな御座所をしつらえて、お餅を差し上げる。御乳母は、派手な着物を着て、御前のもの、色々な色彩を使った、籠物、檜破子の趣向の数々を、御簾の内でも、外でも、本当のことを知らないので、取り散らして、気にもしないのを、源氏は、大変可哀相な、見ていられないことだと、思われる。


posted by 天山 at 07:03| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月23日

もののあわれについて771

宮も起きい給ひて、御髪の末の所狭う広ごりたるを、いと苦しと思して、額など撫でつけておはするに、几帳を引きやりて居給へば、いと恥づかしうてそむき給へるを、いとど小さう細り給ひて、御髪は惜しみ聞えて、長う削ぎたりければ、うしろは殊にけぢめも見え給はぬ程なり。すぎすぎ見ゆる鈍色ども、黄がちなる今様色など着給ひて、まだありつかぬ御傍目、かくてしも美しき子供の心地して、なまめかしうをかしげなり。




女三の宮は、起き上がりになり、御髪の裾がいっぱいに広がるのを、うるさく思いで、額髪などを、撫で付けておいでになると、源氏が、几帳を引き動かして、お座りになるので、大変、恥ずかしそうに、顔をそむけられた。いっそう、小さくなられて、御髪は、源氏が惜しがりになり、長く削いだものだから、後ろ姿は、特に普通と変らないほどである。袖口などが、段々になって鈍色の上に、黄色みのある、紅色の上着をお召しで、まだはっきりしない横顔は、尼姿になって、可愛らしい子どもの気持ちがして、優雅で美しい感じである。




源氏「いで、あな心憂。黒染こそなほいとうたて、目も眩るる色なりけれ。かやうにても、身奉ることは絶ゆまじきぞかし、と思ひなぐさめ侍れど、ふりがたうわりなき心地する涙の人悪さを、いとかう思ひ捨てられ奉る身の咎に思ひなすも、さまざまに胸痛う、口惜しくなむ。取り返すものにもがなや」とうち嘆き給ひて、源氏「今はとて、思し離れば、まことに御心と厭ひ捨て給ひけると、恥づかしう心憂くなむ覚ゆべき。なほ、あはれと思せ」と聞え給へば、女三「かかる様の人は、もののあはれも知らぬものと聞きしを、まして、もとより知らぬことにて、いかがは聞ゆべからむ」と宣へば、源氏「かひなのことや。思し知る方もあらむものを」とばかり、宣ひさして、若君を見奉り給ふ。




源氏は、ああ、なんと情けない。黒染めの衣は、矢張りたまらない。見ていられない色だ。この姿でも、お世話申すことは、変らないと思い、心を静めてはいますが、いつも変らず、切ない思いの涙が、こぼれる、みっともなさを、このようにまで、見捨てられたという、我が身の咎と、諦めるのも、あれこれと、辛く残念なことです。昔に戻したいものだ。と嘆かれて、お別れのご挨拶をして、お寺にお入りになると、本当に、御心から嫌って、お捨てになったのだと、顔も上げられずに、情けない思いがすることでしょう。今後も、私を可哀相だと思ってください。と、申し上げると、女三の宮は、このような姿の人は、可哀相だと、思ってはならないものと聞きました。まして、初めから、持ち合わせていないことですから。どのようにお答えしていいのか。と、おっしゃる。源氏は、情けないことだ。お分かりになる事もありましょう。とだけ言い、若君を御覧になる。

もののあはれも知らぬものと聞きしを
もののあはれを知らぬ・・・
可哀相だと思わないとの、訳になるが・・・
僧になるとは、出家するとは、もののあはれを知らぬものなのか。




御乳母達は、やむごとなくめやすき限り、あまた候ふ。召しいでて、仕うまつるべき心掟など宣ふ。源氏「あはれ、残り少なき世に、おひいづべき人にこそ」とて抱き取り給へば、いと心やすくうち笑みて、つぶつぶと肥えて、白う美し。大将などの児生ひ、ほのかに思しいづるには、似給はず。女御の御宮達はた、父帝の御方さまに、王気づきて気高うこそおはしませ、殊にすぐれてめでたうしもおはせず。この君、いとあてなるに添へて、愛敬づき、まみのかをりて笑がちなるなどを、いとあはれと見給ふ。思ひなしにや、なほいとようおぼえたりかし。ただ今ながら、眼居ののどかに、恥づかしき様も、やう離れて、薫のをかしき顔ざまなり。宮は、さしも思し分かず、人はた、さらに知らぬ事なれば、ただ一所の御心の内にのみぞ、「あはれ。はかなかりける人の契かな」と見給ふに、大方の世の定めなさも、思し続けられて、涙のほろほろとこぼれぬるを、今日は言忌すべき日を、と、おしのごい隠し給ふ。源氏「静かに思ひて嘆くにたへたり」とうち誦じ給ふ。五十八を十とり捨てたる御齢なれど、末になりたる心地し給ひて、いと物あはれに思さる。「汝が父に」ともいさめまほしう思しけむかし。




御めのとたちは、身分も高く、見た目も良いものばかり、大勢、仕えている。お呼び出しになり、お世話すべき、心構えなどを、おっしゃる。源氏は、可哀相に。私は、長くはないのに、その後で、成人してゆくとは。と、抱き取りになると、大変人懐っこく、ニコニコとして、丸々と太って、可愛らしい。大将などの、幼立ちを、かすかに思い出すが、似ていない。女御腹の御子たちも、これは、父帝の血筋を引いて、皇族らしく高貴でいらっしゃるが、特に、ご立派と言う訳でもない。この君は、たいそう、上品なうえに、可愛らしく、目つきが美しい。すぐにニコニコするところなどを、実に、可哀相だと御覧になる。気のせいか、矢張り、よく似ている。ほんの今から、眼差しが落ち着いていて、気が引けるほど、美しいのも、人並みはずれている。色艶の見事な、顔付きである。宮は、そんなことには、気づかず、女房たちも、全然知らないことなので、ただ、一方お心の中だけで、可哀相に、儚かった運命の人だった。と、思われると、一般に人生の無常も考えられて、涙が、ほろほろとこぼれたのを、今日は、縁起の悪いことを、慎まなければならない日なのにと、涙を拭いて、隠される。
源氏は、静かに思いて、嘆くにたえたり。と、朗誦される。その時の、白楽天の齢、五十八から、十引いた、御齢であるが、長くない気持ちがあり、大変あはれに思われる。汝の父に、似ることなかれ、と、さぞかし、諌めたくなる思いだったことだろう。





「この事の心知れる人、女房の中にもあらむかし。知らぬこそ妬けれ。をこなりと見るらむ」と安からず思せど、「わが御咎ある事はあへなむ。二つ言はむには女の御ためこそ、いとほしけれ」など思して、色にもいだし給はず。




この事実を知っている者は、女房の中にもいるだろう。それが誰なのか分らないのが、しゃくだ。私のことを、ばか者と思っていることだろう。と、気がかりに思う。が、自分の罪になるのは、我慢ができるが、二人の問題にすれば、女のほうが、可哀相だ。などと、思われる。顔色にも出さずにいる。

源氏の心境である。







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2015年11月24日

もののあわれについて772

いと何心なう物語りして笑ひ給へる目見口つきの美しきも、「心知らざらむ人はいかがあらむ。なほいとよく似通ひたりけり」と見給ふに、「親達の、「子だにあれかし」と泣い給ふらむにも、え見せず、人知れず、はかなき形見ばかりをとどめ置きて、さばかり思ひ上がり、およずけたりし身を、心もて失ひつるよ」と、あはれに惜しければ、めざましと思ふ心もひきかへし、うち泣かれ給ひぬ。




本当に、無邪気に、何かを言う、目つき、口つきが、可愛らしいのも、何もしならない人は、どう思うだろう。矢張り、よく似ている。と、源氏は、御覧になる。両親が、せめて子供だけでも、残していてくれたら、と泣いていられるのに、その両親にも見せてあげられず、誰にも知られず、儚い形見だけを残して、あれほど、気位高い大人だった身を、自分で殺してしまったことだ、と、可哀相に、惜しいので、けしからんという気持ちも、打って変わって、つい、涙がこぼれるのだった。




人々すべり隠れたる程に、宮の御もとに寄り給ひて、源氏「この人をば、いかが見給ふや。かかる人を捨てて背きはて給ひぬべき世にありける。あな心憂」とおどろかし聞え給へば、顔うち赤めておはす。

源氏
誰が世にか 種は蒔きしと 人問はば いかが岩根の 松は答へむ

あはれなり」など忍びて聞え給ふに、御いらへも無うて、ひれふし給へり。ことわりと思せば、しひても聞え給はず。「いかに思すらむ。もの深うなどはおはせねど、いかでかはただには」と推し量り聞え給ふも、いと心苦しうなむ。




女房たちが、静かに席をはずした後、宮のお傍に寄り、源氏は、この子を、どう思うか。こんな人を後にして、出家されてもよいものか。ああ、情けない。と、申し上げると、顔を赤くして、いられる。
源氏
いつの時に、種を蒔いたのだと、聞かれたら、どのように、答えましょう。

可哀相に、などと、小声で申し上げると、ひれ伏してしまった。無理もないと思うので、それ以上は、申し上げない。どういうお気持ちだろう。深く考えるお方ではないが、まさか平気では、と、ご推察されると、気の毒になる。

あはれなり
複雑に込み入った、感情である。




大将の君は、「かの心にあまりてほのめかしいでたりしを、いかなることにかありけむ、少し物おぼえたる様ならましかば、さばかりうち出でそめたりしに、いとよう気色は見てましを、言ふかひ無きとぢめにて、折り悪しう、いぶせくて、あはれにもありしかな」と面影忘れ難うて、兄弟の君達よりも、しひて悲しとおぼえ給ひけり。女宮の、かく世を背き給へる有様、「おどろおどろしき御悩にもあらで、すがやかに思し立ちける程よ。また、さりとも、許し聞え給ふべき事かは。二条の上のさばかり限りにて、泣く泣く申し給ふと聞きしをば、いみじき事に思して、ついにかくかけとどめ奉り給へるものを」など取り集めて思ひくだくに、「なほ昔より絶えず見ゆる心ばへ、え忍ばぬ折々ありきかし。いとようもてしづめたる上べは、人よりけに用意あり、のどかに、何事を、この人の心の内に思ふらむ、と見る人も苦しきまでありしかど、少し弱き所つきて、なよび過ぎたりしけぞかし。いみじうとも、さるまじき事に心を乱りて、かくしも身にかふべき事にやはありける。人の為にもいとほしう、我が身はいたづらにやなすべき。さるべき昔の契と言ひながら、いと軽々しう、あぢきなき事なりかんし」など、心一つに思へど、女君にだに、聞えいで給はず。さるべきついで無くて、院にもまだ、え申し給はざりけり。さるは、かかることをなむかすめしと申しいでて、御気色も見まほしかりけり。




大将の君は、柏木が、思い余って、ちらっと、口にした、事は、一体どういうことなのか。もし、正気の時ならば、あれだけ言い出したことだから、十分に様子を見るところだが、話にもならない、臨終間際で、折り悪く、気が揉めて、可哀相な事だった。と、あの時の顔がちらついて、兄弟の殿方よりも、強く悲しいことだと、思われた。
女宮が、このように、入道された様子、大した御病気でもなく、すっぱりと決心されたとは。また、そうではあっても、お許しになるはずのことか。
二条の上が、あれほど、最期の様で、泣く泣く申し上げたと聞いたが、とんでもないことと、思いになって、とうとう、今のように、お引き留めなさったのに。など、あれこれと、思案をされる。
と、矢張り、昔から、思いが切れずにいた気持ちの、隠しきれない時も、色々あったのだ。大変落ち着いているうわべは、誰よりも、ずっと思慮があり、沈着で、どんな事を、この人は、心の中で、考えていたのかと、会う人も気になるほどだった。少し意思の弱いところがあり、柔らか過ぎたせいだ。どんなに思ったとしても、してはならないことに、心を乱して、あのように、命と引き換えにしてしまうことがあるものか。相手のためにも、済まないことだ。我が身を、粗末にすることではないか。前世からの、約束事とはいえ、何とも、身分に相応しくない、つまらないことだ。などと、心の中では、思うが、女君にさえ、お話にならない。
適当な機会がなく、院にもまだ、申し上げずにいられる。もっとも、このようなことを、少しでも、申したと、申し出て、ご様子も見てみたい気持ちは、あった。




父おとど母北の方は、涙のいとま無く思し沈みて、はかなく過ぐる日数をも知り給はず、御わざの法服、御装束、なにくれのいそぎをも、君達、御方々、とりどりになむせさせ給ひける。経仏のおきて等も、右大弁の君せさせ給ふ。七日々々の御誦経などを、人の聞えおどろかすにも、父「我に、な聞かせそ。かくいみじと思ひ惑ふに、なかなか道さまたげにもこそ」とて、なきやうに思しほれたり。




父の大臣、母北の方は、涙のかれる暇なく、嘆きに沈んでいて、いつの間にか、過ぎて行く日数も、お分かりではなく、ご法要の法服や、御衣装、その他、何かの用意をも、弟の君達や、ご婦人方が、それぞれに、やられるのだ。
経や、仏像の指図なども、右大弁の君が、おやりになる。
七日七日の、御誦経などを、お耳に入れて、ご注意を促がしても、大臣は、私に、何も聞かせてくれるな。このように、悲しい思いで、途方に暮れている。かえって、往生の邪魔になるだろう。と、死んだ人のように、ぼんやりとしている。






posted by 天山 at 07:47| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月25日

もののあわれについて773

一条の宮には、まして、おぼつかなうて別れ給ひにし恨みさへ添ひて、日ごろ経るままに、広き宮の内、人少なう心細げにて、したしく使ひ慣らし給ひし人は、なほ参り訪ひ聞ゆ。このみ給ひし鷹、馬など、その方のあづかりどもも、皆つくところ無う思ひうじて、かすかに出で入るを見給ふも、事にふれてあはれは尽きぬものになむありける。もて使ひ給ひし御調度ども、常に弾き給ひし琵琶、和琴などの緒も、取り放ちやつされて、音をたてぬも、いとうもれいたきわざなりや。




一条の宮では、それ以上に、対面もせずに、お別れになった、恨みまであり、日が経つにつれ、広々とした、御殿の中は、人が少なく、心細い感じで、親しくお使いになっていた者は、今も参上して、お見舞いを申し上げる。
好きだった、鷹、馬なども、その係りの者らも、皆、主人を亡くし、気抜けして、しょんぼりと、出入りするのを、御覧になり、何かにつけて、哀れは、尽きないものだった。いつもお使いになっていた、お道具、常に弾いていらした、琵琶、和琴など、弦も外したまま、構われず、音を立てないのも、淋しいお話です。




御前の木立、いたうけぶりて、花は時を忘れぬ景色なるを眺めつつ、物悲しく、さぶらふ人々も、鈍色にやつれつつ、さびしうつれづれなる昼つ方、さき花やかに追ふ音して、ここに止まりぬる人あり。「あはれ、故殿の御気配とこそ、うち忘れては、思ひつれ」とて泣くもあり。大将殿のおはしたるなりけり。御消息、聞え入れ給へり。例の弁の君、宰相などのおはしたる、と思しつるを、いと恥づかしげに、清らなるもてなしにて、入り給へり。




お庭の木々が、すっかり芽を吹いて、花だけは、時節を忘れない姿であるのを、眺めつつ、何やら淋しく、お仕えしている、女房達が、喪服をまとって寂しく、する事もない、ある昼頃、先払いを、花やかにする音がして、この門前に止まった人がいる。
ああ、亡くなった殿のお出でかと、うっかり忘れて思いました。と、言って泣く女房もいる。大将殿が、お出でになったのである。ご案内を申し入れになった。
いつもの通り、弁の君か、宰相などがいらしたと思ったのであるが、恥ずかしくなるほど、綺麗なご様子で、お入りになった。




母屋の廂に御座よそひて入れ奉る。おしなべたるやうに、人々のあへしらひ聞えむは、かたじけなき様のし給へれば、御息所ぞ対面し給へる。夕霧「いみじき事を思ひ給へ嘆く心は、さるべき人々にも越えて侍れど、限りあれば、聞えさせやる方なうて、世の常になり侍りにけり。今はの程にも、宣ひ置くこと侍りしかば、おろかならずなむ、誰ものどめ難き世なれど、おくれ先立つ程のけぢめには、思ひ給へ及ばむに従ひて、深き心の程をも御覧ぜられにしがなとなむ。神わざ等の繁き頃ほひ、私の心ざしにまかせて、つくづくと籠りい侍らむも、例ならぬ事なりければ、立ちながらはた、なかなかに飽かず思ひ給へらるべうてなむ、日頃を過ぐし侍りにける。大臣などの心を乱り給ふ様、見聞き侍るにつけても、親子の道の闇をばさるものにて、かかる御仲らひの、深く思ひとどめ給ひけむ程を、推し量り聞えさするに、いと尽きせずなむ」とて、しばしばおし拭ひ、鼻うちかみ給ふ。あざやかに気高きものから、なつかしうなまめいたり。




母屋の廂の間に、御座所をしつらえて、お入れ申し上げる。
普通の方のように、女房たちが、お相手申し上げるには、恐れ多いお姿でいられる。御息所が対面された。
夕霧は、ご不幸を嘆く気持ちは、お身内の方々以上でございますが、決まりがございますから、お訪ねする方法もなく、世間通りになりました。ご臨終の際にも、言い残された事がございましたので、並大抵とは、思っておりません。誰でも、安心していられぬ人生ですが、生き死の境目までは、気のつく限りは、深い心の中をも、御覧頂きたいものと思います。神事などの多いこの頃、自分の気持ちに任せ、勤務を捨てて、家に閉じこもっていまして、例のないことですので、立ち話だけでは、これまた、かえって、飽き足らない気がいたしましょう。それで、今日になってしまいました。父大臣などが、心を収められずにおいでのご様子を、見聞きしますにつけて、親子の情愛は、当然のことですが、ご夫婦の間では、深く心残りがあったと、推し量りもうしあげます。何とも、ご同情に堪えません。と、しばしば、涙を拭いて、鼻をかむ。際立って気高い一方で、親しみが感じられ、優雅である。

なつかしうなまめいたり
大和言葉の、美しさが極まる、言葉である。




御息所も、鼻声になり給ひて、「あはれなる事は、その常なき世のさがにこそは。いみじとても、また類なき事にやは、と、年積もりぬる人は、しひて心強う、さまし侍るを、さらに思し入りたる様の、いとゆゆしきまで、しばしも立ち遅れ給ふまじきやうに見え侍れば、すべていと心憂かりける身の、今まで長らへ侍りて、かく方々に、はかなき世の末のありさまを、見給へ過ぐすべきにやと、いとしづ心なくなむ。おのづから、近き御仲らひにて、聞き及ばせ給ふやうも侍りけむ。はじめつ方より、をさをさ受けひき聞えざりし御事を、大臣の御心心向も心苦しう、院にも、よろしきやうに思し許いたる御気色などのはべしかば、さらば、みづからの心おきての及ばぬなりけりと思ひ給へなしてなむ、見奉りつるを、かく夢のやうなる事を見給ふるに、思ひ給へ合はすれば、みづからの心の程なむ、同じうは、強うもあらがひ聞えましをと、思ひ侍るに、なほいと悔しう、それはかやうにしも思ひより侍らざりきかし。




御息所も、鼻声になり、悲しいことは、その常ない人生の決まりでございましょう。どんなに酷くても、他に例のないことではないと、年のいった私は、しいて、心強く、諦めて、おりますが、まるで、塞ぎこんでいる、宮さまのご様子が、全く心配なほど、すぐにも、後を追いかけなさりそうに、見えますので、何もかも、不運であった私が、今まで、生き長らえまして、このように、あちらこちらの、無常の、世の末の姿を見て、過ごしていることかと、まことに、落ち着かない気持ちです。自然に、親しいお友達ゆえ、お聞き及びのことと、存じますが、初めのころから、このご縁組、まずは、不賛成でございました。ですが、大臣のご意向も、ねんごろに、院におかせられても、悪くないと、お認めされたご様子でしたので、それでは、私の考えが、至らなかったのだと、思いなおし、ご結婚させ申したのですが、このように、夢のようなことを目にして、考え合わせますと、自分の気持ちを、どうせ同じことなら、強く押し通すのだったと、思いますが、今になっては、残念です。それに、こんなことになど、なろうとは、思いもよりませんでした。

いとゆゆしきまで
すぐに死ぬかと思うほどに・・・

posted by 天山 at 07:09| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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