2015年05月11日

もののあわれについて743

女宮の御もとにまうで給はで、大殿へぞ忍びておはしぬる。うちふしたれど目も合はず、見つる夢のさだかにあはれむ事もかたきをさへ思ふに、かの猫のありしさま、いと恋しく思ひいでらる、「さてもいみじきあやまちしつる身かな。世にあらむ事こそまばゆくなりぬれ」と、恐ろしくそら恥づかしきここちして、ありきなどもし給はず、女の御ためはさらにもいはず、わがここちにもいとあるまじき事といふ中にも、むくつけくおぼゆれば、思ひのままにもえ紛れありかず。帝の御めをも取りあやまちて、事の聞えあらむに、かばかり覚えむことゆえは、身のいたづらにならむ、苦しく覚ゆまじ。しかいちじるき罪にはあたらずとも、この院に目をそばめられ奉らむことは、いと恐ろしく恥づかしく覚ゆ。




女宮、つまり、女三の宮の姉、女二の宮のところにも、お出でにならず、父大臣邸に、こっそりお出でになった。横になったが、目も合わず、見た夢が、当るかどうかと、考えると、夢の中の猫の様子が、恋しく思い出される。
それにしても、大変な間違いをしたものだ。この世に、生きていくことが恥ずかしくなった。と、怖くて、何となく顔も上げられない気がして、出歩きもされない。
あちらの御身については、言うまでもなく、自分自身を考えても、けしからぬ事というばかりか、恐ろしいほどの事だから、自由に歩くことも出来ない。帝の后を誘惑して、それが評判になった場合でも、こんなに苦しむならば、この院に、睨まれるのが、恐ろしく恥ずかしく、思われるのである。




限りなき女と聞ゆれど、すこし世づきたる心ばへまじり、うへはゆえあり子めかしきにも、従はぬしたの心そひたるこそ、とあることかかることにうちなびき、心かはし給ふ類もありけれ、これは深き心もおはせねど、ひたおもむきに物おぢし給へる御心に、ただ今しも人の見聞きつけたらむやうに、まばゆく恥づかしく思さるれば、あかき所にだにえいざりいで給はず、「いと口惜しき身なりけり」と、みづから思し知るべし。




身分の高い婦人とは、申しながらも、少しは、訳知りもあり、表面は、教養があり、鷹揚でも、そうばかりではない気持ちもあるから、男の出方次第によって、言うとおりになり、愛し合うという、そういう方もいたが、この方は、深い考えもあるわけではないが、ただ一途に、怖がる性質で、丁度、今誰かが見つけたり、聞きつけたりしたかのように、目も上げられず、顔も合わせられない気持ちになるので、明るい所に出てお出でになることも出来ず、なんと情けない身なのだと、自分ながら、お分かりになる。

女三の宮の、心境である。




なやましげなむとありければ、おとど聞き給ひて、いみじく御心をつくし給ふ御事にうちそへて、また、いかにと驚かせ給ひて、渡り給へり。そこはかと苦しげなる事も見え給はず、いといたく恥ぢらひしめりて、さやかにも見あはせ奉り給はぬを、久しくなりぬる絶えまをうらめしく思すにや、といとほしくて、かの御ここちのさまなど聞え給ひて、源氏「いまはのとぢめにもこそあれ。今更におろかなるさまを見えおかれじとてなむ。いはけなかりし程よりあつかひそめて、見放ちがたければ、かう月ごろよろづを知らぬさまに過ぐし侍るぞ。おのづから、このほど過ぎば、見なほし給ひてむ」など聞え給ふ。かく気色も知り給はぬも、いとほしく心苦しく思されて、宮は、人知れず涙ぐましく思さる。




具合が悪いと、女三の宮が、申し上げたので、源氏は、聞きつけて、紫の上のことで、酷く心配していることの上に、更に、どういうことになるのかと、驚き、起こしになった。
どこが、どう苦しいとといふうに見えず、酷く恥ずかしがって、沈み込んで、顔も見せることをしないのを、長くなった、途絶えを、恨めしく思っているのかと、可愛そうで、あちらの病状などを、申し上げて、源氏は、これが最後かもしれない。今になって、薄情者と、思われたくないと思っている。小さな時から、育ててきて、今更、放っては、おけないから、このように、幾月も、何もかも捨てて、あちらの看病をしている。この時が終われば、お分かりになるでしょう。などと、申し上げる。
このように、何もご存知でないのも、お気の毒にも、心苦しくも思われて、宮は、人知れず、涙を流されるのである。




かんの君はまして、なかなかなるここちのみまさりて、おきふし明かし暮らしわび給ふ。祭の日などは、物見あらそひ行く君達かきつれて来て、言ひそそのかせど、なやましげにもてなして、ながめふし給へり。女宮をば、かしこまりおきたるさまにもてなし聞えて、をさをさうちとけても見え奉り給はず、わが方に離れいて、いとつれづれに心細くながめい給へるに、童の持たる葵を見給ひて、

柏木
くやしくぞ つみをかしける あふひ草 神のゆるせる かざしならぬに

と思ふもいとなかなかなり。世のなか静かならぬ車の音などを、よそのことに聞きて、人やりならぬつれづれに、暮らしがたく覚ゆ。




かんの君、柏木は、それ以上に、逢わないほうがよかったという、気持ちが強くなるばかり。寝ても覚めても、明けても、暮れても、嘆き暮らしているのである。
祭りの当日などは、物見に、先を争う、若殿達が連れ立って誘うが、気分が優れないと言い、物思いに耽って臥せていらっしゃる。女宮を大事にしているふうな態度はしていて、いっこうに、仲良くされず、自分の部屋に引き籠って、する事もなく、心細く、物思いに沈んでいるが、女の童が、持っている葵を御覧になり、

柏木
悔しいことだ。神がお赦しになったものでもないのに、葵を摘んで罪を犯してしまった。

と、思うのも、辛いもの。世間が、静かで、車の音が聞えるのを、人事として、我から招いた、つれづれに、一日を過ごしにくい感がする。

この、女宮は、女二の宮のこと。つまり、柏木の妻のことである。






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2015年05月21日

もののあわれについて744

女宮も、かかるけしきのすさまじげさも、見しられ給へば、何事とは知り給はねど、恥づかしくめざましきに、物思はしくぞ思されける。女房など物見にみな出でて、人少なにのどやかなれば、うちながめて、筝の琴なつかしくひきまさぐりておはするけはひも、さすがにあてになまめかしけれど、「同じくは今ひときはおよばざりける宿世よ」と、なほ覚ゆ。

柏木
もろかづら 落葉を何に 拾ひけむ 名はむつまじき かざしなれども

と書きすさびいたる、いとなめげなるしりうごとなりかし。




女宮、女二の宮は、夫の、つまらなさそうな様子が、つい、良くわかるので、どういう訳か分らないが、顔向けできず、じっとしていられずに、煩悶している。女房など、祭見物に、皆出てしまい、人も少なく、静かなので、物思いに耽り、筝の琴を、やさしく手遊びに弾いているご様子は、さすがに、上品で、美しくはあるが、同じ事なら、もう一つ上の方を、得たかったが、及びかねた運命と、今なお思う。

柏木
もろかずらの、落葉のほうを、どうして拾ったのだろう。名は、嬉しい、かざし「姉妹」だが・・・

と、遊び半分書き付けているとは、失礼な陰口です。

最後は、作者の言葉。
柏木は、女二の宮と、三の宮を比べているのである。




おとどの君は、まれまれ渡り給ひて、えふとも立ちかへり給はず、しづ心なく思さるるに、使者「絶え入り給ひぬ」とて、人まいりたれば、さらに何事も思しわかれず、御心もくれて渡り給ふ。道のほどの心もとなきに、げにかの院は、ほとりの大路まで人立ち騒ぎたり。殿のうち泣きののしるけはひ、いとまがまがし。われにもあらで入り給へれば、女房「日頃はいささかひま見え給へるを、にはかになむかくおはします」とて、候ふかぎりは、われもおくれ奉らじと、まどふさまども限りなし。御修法どもの壇こぼち、僧なども、さるべきかぎりこそまかでね、ほろほろと騒ぐを見給ふに、さらば限りにこそはと思しはつる、あさましきに、何事かはたぐひあらむ。




源氏は、たまたまお出でになって、すぐにお帰りになることも出来ず、落ち着かない気持ちで、いるところへ、使者が、息がおなくなりになりました。と、参ったので、全く狼狽して、お心も真っ暗になり、お出ましになる。
道々気が気でなく、いかにも、二条の院は、近くの大路まで、人立ちがして、騒いでいる。御殿の中では、大声で泣く様子で、不吉な予感がする。
無我夢中で、中に入ると、ここのところ、数日間は、少し具合がよろしかったのに、急にこのように、おなりです。と、お付きの女房達が、皆、後を慕って、死にたいと、うろうろしている様は、この上も無い。
幾つもの壇を壊して、僧なども、残るべき人は、残るが、他の者は、帰ろうとしているのを御覧になると、それでは、もう最後だと、思い切る、心の驚き。他に、またとあるだろうか。




源氏「さりとも物怪のするにこそあらめ。いとかくひたぶるにな騒ぎそ」と、しづめ給ひて、いよいよいみじき願どもをたてさせ給ふ。すぐれたる験者どものかぎり召し集めて、験者「かぎりある御命にてこの世つき給ひぬとも、ただ今しばしのどめ給へ。不動尊の御本の誓あり。その日数をだにかけとどけ奉り給へ」と、頭よりまことに黒煙をたてて、いみじき心をおこして加持し奉る。院も、「ただ今一たび目を見合はせ給へ。いとあへなく、かぎりなりつらむ程をだに、え見ずなりにける事の、くやしく悲しきを」と思し惑へるさま、とまり給ふべきにもあらぬを、見奉るここちども、ただおしはかるべし。いみじき御心のうちを、仏も見奉り給ふにや、月ごろさらにあらはれ出でこぬ物怪、ちひさき童に移りて、よばひののしるぼとに、やうやう生きいで給ふに、うれしくもゆゆしくも思し騒がる。




源氏は、それでは、物の怪の仕業だろう。そんなに、むやみに騒ぐな。と、静めて、今まで以上に、大変な願を、次々と、立てられる。効験のある行者たちだけを、集められて、ご寿命が尽きて、この世が終わりになさったとしても、もう暫く、お命を延ばしてください。不動尊の御本願もある。その日数六ヶ月だけでも、生かして上げて、ください、と、頭から、黒い煙を立てて、大変な熱心さで、加持をする。
院、源氏も、ただもう一度、目と目を見合わせて欲しい。全くあっけなく、臨終のところさえ、見ることが出来なかったのが残念で、悲しいのだと、心も静まらない様子で、お命も、危なそうなことを拝する、一同の気持ちを、想像して見てください。大変なご心中を、仏も御覧になったのか、この幾月の間、全く姿を現さなかった物の怪が、小さい女の童に移り、大声で怒鳴るころ、次第に息をし始めたので、嬉しくもあり、恐ろしくもあって、お心も騒ぐのである。




いみじく調ぜられて、物怪「人は皆さりね。院ひとところの御耳に聞えむ。おのれを月ごろ調じわびさせ給ふが、情なくつらければ、同じくは思し知らせむと思ひつれど、さすがに命もたふまじく、身をくだきて思し惑ふを見奉れば、今こそかくいみじき身を受けたれ、いにしへの心の残りてこそ、かくまでも参り来たるなれば、物の心苦しさをえ見すぐさで、つひにあらはれぬること。さらに知られじと思ひつるものを」とて、髪をふりかけて泣くけはひ、ただ昔見給ひし物怪のさまと見えたり。あさましくむくつけしと思ししみにし事の変はらぬもゆゆしければ、この童の手をとらへて、引きすえて、さまあしくもせさせ給はず。源氏「まことにその人か、よからぬ狐などいふなるものの、たふれたるが、なき人の面伏なること言ひいづるもあなるを、確なる名のりせよ。また人の知らざらむ事の、心にしるく思ひいでられぬべからむを言へ。さてなむ、いささかにても信ずべき」と宣へば、ほろほろといたく泣きて、

物怪
わが身こそ あらぬさまなれ それながら そらおぼれする 君はきみなり

いとつらし、つらし」と泣きさけぶものから、さすがにもの恥ぢしたるけはひ変はらず。なかなかいとうとましく心憂ければ、物言はせじと思す。




ひどく調伏されて、物の怪は、他の人は、皆、出て行って、院、お一方のお耳に、お入れ申す。私の事を、幾月も祈り、苦しめるが、情けなく、辛くもあるので、同じことなら、思い知らせて差し上げよう。と、思いはしたが、それでも、お命も危ないほど身を粉にして、うろうろしていらっしゃるのを拝すると、今でこそ、こんなに酷い姿になっているが、昔の気持ちが残っていればこそ、こんな所まで、参上したのだから、お気の毒な様子を知らないふりは、出来ず、とうとう姿を現したのです。決して、知られまいと思っていたのに。と、髪を振り乱して泣く様子は、全く、昔御覧になった、物の怪の姿と見えた。
情けなく、恐ろしいと、深く心に思った、あの様子そのままなのも、不吉で、この女の童の手を、しっかりと捕らえ引き据えて、変な真似は、させない。
源氏は、本当に、その人か。悪い狐などという、気の狂ったものが、死んだ人の名誉を汚すことを言い出すこともあるというが、名を名乗れ。それでなければ、他の誰も知らない事で、私の心に、はっきりと思い出されるようなことを言え。そうすれば、少しは、信じよう、と、おっしゃると、ぽろぽろと酷く涙を流して、

物の怪
私は、こんな変わり果てた姿になっていますが、昔の姿そのままで、知らぬふりをするあなたは、昔のままです。

酷い方、酷い方、と、泣き叫ぶのだが、そのくせ恥ずかしがっている様子は、昔と、変らず、かえって、ぞっとして、情けない気がするので、何も言わせまいとするのである。





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2015年05月22日

もののあわれについて745

物怪「中宮の御事にても、いとうれしくかたじけなし、となむ、天がけりても見奉れど、道ことになりぬれば、子の上までも深く覚えぬにやあらむ、なほみづからつらし、と思ひ聞えし、心のしふなむ止まるものなりける。その中にも、生きての世に、人よりおとして思し捨てしよりも、思ふどちの御物語りのついでに、心よからず、憎かりし有様を、宣ひいでたりしなむ、いとうらめしく。今はただ、なきに思しゆるして、こと人の言ひおとしめむをだに、はぶき隠し給へとこそ思へ、と、うち思ひしばかりに、かくいみじき身のけはひなれば、かく所せきなり。この人を深く憎しと思ひ聞ゆる事はなけれど、守りつよく、いと御あたり遠きここちして、え近づきまいらず。御声をだにほのかになむ聞き侍る。よし、今はこの罪かろむばかりのわざをせさせ給へ。修法読経とののしる事も、身には苦しくわびしきほのほとのみまつはれて、さらに尊きことも聞えねば、いと悲しくなむ。中宮にもこのよしを伝え聞え給へ。ゆめ御宮仕へのほどに、人ときしろひそねむ心つかひ給ふな。斎宮におはしまししころほひの、御罪かるべからむ功徳の事を、必ずせさせ給へ。いとくやしき事になむありける」など、言ひ続くれど、物怪にむかひて物語りし給はむも、かたはらいたければ、封じこめて、上をば、またこと方に忍びて渡し奉り給ふ。




物の怪は、中宮様のことでも、大変嬉しく、ありがたいことだと、宙を飛びながら、拝しておりますが、生死の道を、異にしているので、子供の事までは、深く感じないのでしょうか。やはり、自分自身が、酷い方だと、存じ上げたのも、執念が消えないのです。中でも、生きているうちに、人よりも、軽い扱いをされ、捨てておしまいになったことよりも、お好きな方と、お話の合間に、面白くない嫌なやつだと思っていたと、お口にされたことが、恨めしくてたまりません。もう死んでしまったのだからと、許してくださり、誰かが悪口を言ったときでも、そんなことは無いと、庇っていただきたいと、思っていたのに、そう思った途端、こんな酷い者になっているので、このような大変なことになったのです。この人を憎いと、お恨みすることはないのですが、あなたには、守り神がついていて、とても、御座所近くには、近づけず、お声さえも、かすかに聞くだけです。もう、この上は、私の罪を軽くするほどの、供養を行なってください。修法だ、読経だと、大騒ぎするのも、私には苦しいことで、情けない焔となって、まつわるばかりで、全然、お経の声も聞えませんので、悲しくてたまりません。中宮にも、この事を、お耳に入れてください。決して、お宮仕えする間に、誰かと競争したり、嫉妬したりする気を、起こしてはいけません。斎宮でいらした間の、罪を軽くするほどの、功徳を必ずあそばすように。本当に残念だったと、思います。などと、言い続けるが、物の怪に向って話しをしても、変なことだから、封じ込めて、紫の上を、また別の場所に、密かに、お移し申し上げるのである。




かくうせ給ひにけりといふこと世の中にみちて、御とぶらひに聞え給ふ人々あるを、いとゆゆしく思す。今日のかへさ見に出で給ひける上達部など、かへり給ふ道に、かく人の申せば、上達部「いといみじき事にもあるかな。生けるかひありつるさいはひ人の、光りうしなふ日にて、雨はそぼふるなりけり」と、うつちけごとし給ふ人もあり。また、上達部「かくたらひぬる人は、必ずえ長からぬことなり。「何を桜に」といふふるごともあるは。かかる人のいとど世にながらへて、世のたのしびをつくさば、かたはらの人くるしからむ。今こそ二品の宮は、もとの御覚えあらはれ給はめ。いとほしげにおされたりつる御おぼえを」などと、うちささめきけり。




このようにねお亡くなりになったということが、世間に知れ渡り、御弔問にお出でになる方々があるのを、縁起でもないと思われる。
今日は、斎院御帰還の行列を見に出た、上達部たちは、帰宅の途中で、こんな事を言うのを、耳にして、大変なことだ。生きがいがあるといえるほど、幸福な人が、光を失う日だから、雨が、しょぼしょぼ降るのだ、と、思いつきを言う者もある。また、こんなに、何もかも揃った人は、きっと、長くは生きられないのだ。「何を桜に」という、昔からの、言い草もある。こういう人が、ますます長生きをして、世の中の楽しみを、全部取ったら、周りの人が、困るだろう。これからは、二品の宮は、本来の御寵愛を、受けるだろう。お気の毒なほど、圧倒されていた方だった。などと、こそこそ、言うのである。




衛門の督、昨日くらしがたかりしを思ひて、今日は御弟ども、左大弁、藤宰相など、奥の方にのせて見給ひけり。かく言ひあへるを聞くにも、胸うちつぶれて、柏木「何かうき世に久しかるべき」と、うち誦じひとりごちて、かの院へみな参り給ふ。たしかならぬ事なればゆゆしくや、とて、ただ大方の御とぶらひに参り給へるに、かく人の泣き騒げば、まことなりけり、と立ちさわぎ給へり。




衛門の督、柏木は、昨日一日過ごしにくかったのを考えて、今日は、弟の方々、左大弁、藤宰相などを、車の尻に乗せて、御覧になった。こう言い合うのを耳にされて、どきりとなり、何がこの世に、散らずにあろう、と、一人口ずさんで、二条の院へ、一同で参上された。
はっきりとしたことではないので、縁起が悪いことになってはと、ほんの普通のお見舞いとして、参上されたが、このように、皆が、泣く声の高さに、本当だったのだと、あわてて、車を降りるのである。




式部卿の宮も渡り給ひて、いといたく思しほれたるさまにてぞ入りたまふ。人の御消息も、え申し伝へ給はず。大将の君、涙を拭ひて立ちいで給へるに、柏木「いかにいかに。ゆゆしきさまに人の申しつれば、信じがたきことにてなむ。ただ久しき御なやみを承りなげきて、参りつる」など宣ふ。夕霧「いと重くなりて、月日へ給へるを、この暁より絶え入り給へりつるを、もののけのしたるなむありける。やうやういきいで給ふやうに聞きなしはべりて、今なむ皆人心しづむめれど、まだいとたのもしげなしや。心苦しき事にこそ」とて、まことにいたく泣き給へる気色なり。目もすこしはれたり。衛門の督、わがあやしき心ならひにや、この君の、いとさしも親しからぬ継母の御ことをいたく心しめ給へるかな、と、目をとどむ。




式部卿、紫の上の父も、起こしになり、酷いことと、悲しみに沈んだご様子で、奥にお入りになる。人の御伝言も、申し伝えることなど、出来ない。
大将の君が、涙を拭い出てお出でになったのに、柏木は、どうだ。どうだ。縁起でもないように、人が申したので、信じられないと思い。ただ長い間、ご病気を嘆いて、参上した。などと、おっしゃる。夕霧は、大変に重くなり、月日を送っていらしたが、この明け方から、息を引き取りになっていらしたが、物の怪の仕業だった。だんだんと、息を吹き返して、いらっしゃるように聞きまして。やっと、誰もが、ほっとしたのだが、まだ、どうも不安で、ならない。本当に、気掛かりなことだ。と言い、酷く泣いている。目も腫れているのである。
衛門の督、柏木は、自分の悪い癖からのゆえか、この君は、そんなに親しくも無い継母のことに、酷く夢中になっているのだと、じっと、見つめる。


posted by 天山 at 06:45| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月25日

もののあわれについて746

かく、これかれ参り給へるよし聞し召して、源氏「おもき病者のにはかにとぢめつるさまなりつるを、女房などは心もえをさめず、乱りがはしくさわぎ侍りけるに、みづからもえのどめず、心あわただしき程にてなむ。ことさらになむ、かくものし給へるよろこびは、聞ゆべき」と、宣へり。かんの君は胸つぶれて、かかる折りのらうらうならずはえ参るまじく、けはひ恥づかしく思ふも、心のうちぞ腹ぎたなかりける。




このように、色々な方が、お見舞いに来ていると、お耳にされて、源氏は、重病人が、急に窒息したようなので、女房などは、冷静さを失い、礼儀を乱して、大声を上げましたので、私自身も、落ち着かなく、慌しい気持ちでいます。いずれ改めて、見舞いくださったお礼は、申し上げましょう。と、おっしゃる。
かんの君、柏木は、どきっとして、このような状態のときではなくては、伺うことが出来ず、この場所は、きまりが悪いと思うものの、心の中が、腹汚いのである。

最後は、作者の言葉。




かく生き出で給ひての後しも、おそろしく思して、またまたいみじき法どもを尽くして、加へおこなはせ給ふ。うつし人にてだに、むくつけかりし人の御けはひの、まして世かはり、あやしきもののさまになり給へらむを思しやるに、いと心うければ、中宮をあつかひ聞え給ふさへぞ、この折りは物うく、言ひもてゆけば、女の身はみな同じ罪深きもといぞかしと、なべての世の中いとはしく、かのまた人も聞かざりし御なかの睦物語に、すこし語りいで給へりしことを、言ひいでたりしに、まことと思しいづるに、いとわづらはしく思さる。




このように、息を吹き返しされた後、かえって、恐ろしく思いになり、改めて、たいそうな、修法のあらん限り、今まで以上に、させる。生きていた時でさえ、気味が悪かった御息所の、ご様子であったのに、まして、亡くなって、見せられたものではない姿になっていると想像すると、大変気味が悪く、中宮さまのお世話をさせていただくのさえ、このところ、気が進まず、せんじ詰めれば、女の身とは、皆一様に、罪深いものということになる。一切、女のことを考えるのが、嫌な気がして、あの、ほかに聞く人もなかった、二人の睦言に、少し話題に上げたことを、死霊が口にした以上は、本当の死霊だったのだと、思い出されると、うっかりしたことは、言えないと、思うのである。




御髪おろしてむ、と、せちに思したれば、忌むことの力もやとて、御いただき、しるしばかりはさみて、五戒ばかり受けさせ奉り給ふ。御戒の師、忌むことのすぐれたるよし、仏に申すにも、あはれに尊きこと交りて、人わるく御かたはらに添ひ居て、涙おしのごひ給ひつつ、仏をもろ心に念じ聞え給ふさま、世にかしこくおはする人も、いとかく御心まどふ事にあたりては、えしづめ給はぬわざなりけり。いかなるわざをして、これを救ひ、かけとどめ奉らむとのみ、よるひる思し嘆くに、ほれぼれしきまで、御顔も少しおもやせ給ひにたり。




紫の上が、御髪をおろそうと、熱心に希望されるものだから、戒を受ければ、元気になるかと思い、頭の頂きを、おしるしに切り、五戒だけを、受けさせる。御戒の師が、戒を守るのは、結構なことだと、仏様に申すのも、あはれで、尊い文句がその中にあり、人前構わず、お傍に添って座り、涙を拭いつつ、念仏を一緒にされるご様子は、またとない、立派な方でも、このように、おろおろされる場合にあうと、抑えることが出来ないようだった。どんな事でもして、この方を救い、この世に引き止め申そうとばかり、夜も昼も、嘆いていらっしゃるので、ぼんやりすることになり、お顔も、少し痩せられた。




五月などは、まして晴れ晴れしからぬ空の気色に、えさわやぎ給はねど、ありしよりは少しよろしきさまなり。されどなほ絶えず悩みわたり給ふ。もののけの罪すくふべきわざ、日ごとに法華経一部づつ供養ぜさせ給ふ。日ごとになにくれと尊きわざせさせ給ふ。御枕がみ近くても、不断の御読経、声たふとき限りして読ませ給ふ。あらはれそめては、折々悲しげなる事どもを言へど、さらにこの物怪去りはてず、いとどあつき程は息も絶えつつ、いよいよのみ弱り給へば、いはむ方なく思し嘆きたり。なきやうなる御ここちにも、かかる御けしきを心苦しく見奉り給ひて、世の中になくなりなむも、わが身にはさらに口をしきこと残るまじけれど、かく思しまどふめるに、なむしく見なされ奉らむが、いと思ひぐまなかるべければ、思ひ起こして、御湯などいささか祭るけにや、六月になりてぞ、時々御ぐしもたげ給ひける。めづらしく見奉り給ふにも、なほいとゆゆしくて、六条の院にはあからさまにもえ渡り給はず。




五月雨の頃には、はっきりしない空模様で、紫の上は、今まで以上に、すっきりとはしないが、以前よりは、ましである。しかし、矢張り、ずっと苦しみ続けておられる。物の怪の苦しみを救えるような仏事を、毎日毎日、法華経を一部ずつ読経させられ、毎日毎日、供養させるのである。不断の御読経を、声の尊い僧を選んで、読ませられる。
一旦姿を現してからは、時々、悲しげなことを言うのであるが、いっこうに、この物の怪は、去らず、一層暑い時期で、息も絶えつつ、ただますます、弱られるばかりで、いいようもなく、嘆きあそばすのだ。生きているともいえない気持ちながら、このようなご様子を、気の毒に御覧になり、この世から、去っても、自分は、残念だと思うことはあるまいが、こんなにご心配されているのに、死んでしまったら、源氏の嘆きを、考えていないことになるので、無理に元気を出して、薬湯などを、少し召し上がる。
六月になると、時々、お顔を持ち上げるほどになった。源氏は、それを、嬉しく御覧になるにつけて、まだ危なそうで、六条の院には、少しも、お出向きにならない。




姫宮は、あやしかりしことを、思し嘆きしより、やがて例のさまにもおはせず、悩ましくし給へど、おどろおどろしくはあらず。立ちぬる月より、物きこしめさで、いたく青みそこなはれ給ふ。かの人は、わりなく思ひあまる時々は、夢のやうに見奉りけれど、宮、つきせずわりなき事に思したり。院をいみじくおぢ聞え給へる御心に、ありさまも人の程も、ひとしくだにやはある。いたくよしめきなまめきたれば、大方の人目にこそ、なべての人にはまさりてめでらるれ、幼くよりさるたぐひなき御ありさまにならひ給へる御心には、めざましくのみ見給ふ程に、かく悩みわたり給ふは、あはれなる御宿世にぞありける。御乳母たち見奉りとがめて、院の渡らせ給ふ事もいとたまさかなるを、つぶやきうらみ奉る。




姫宮、女三の宮は、思いも掛けなかったあの事を、お嘆きになった時から、そのまま、普通の具合ではいらっしゃらず、苦しそうにされているが、たいしたことではない。先月から、何も召し上がらず、お顔の色は、青くやせ衰えている。
あの人、柏木は、無理にも我慢の出来ないときは、夢のようにお会いするために来るのだが、宮は、どこまでも、無理なことだと、思うのである。院、源氏を、たいそう怖がる目には、柏木の様子も、身分も源氏と等しい並であろうか。大変風流で、優しい人なので、特別な関係の無い人から見ると、そこらの人より、立派だと、誉められもするが、幼いときから、あのような、またとないご様子の源氏に慣れている御心には、見られない気がするが、その柏木のせいで、お苦しみ続けているとは。何とも気の毒な、運であった。御乳母たちは、御懐妊と知り、院が、こちらにいらっしゃることが稀なのを、ぶつぶつと、お恨み申し上げる。

最後は、作者の思い。
だが、とても、複雑な心境を書く。
女三の宮は、妊娠したのだ。
それが、柏木の子とは、乳母たちは、知らない。


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2015年05月26日

もののあわれについて747

かく悩み給ふと聞し召してぞ渡り給ふ。
女君はあつくむつかしとて、御髪すまして、少しさわやかにもてなし給へり。臥しながらうちやり給へりしかば、とみにもかはかねど、つゆばかりうちふくみ迷ふ筋もなくて、いと清らにゆらゆらとして、青みおとろへ給へるしも、色はさをに白くうつくしげに、すきたるやうに見ゆる御はだつきなど、世になくらうたげなり。もぬけたる虫のからなどのやうに、まだいとただよはしげにおはす。




とても、苦しんでいると、お聞きあそばして、お越しあそばす。
女君、紫の上は、暑苦しいということで、髪を洗い、やや清々しくした様子でいらした。横になったまま、髪を投げ出して、すぐには乾かないが、一本も、くせ髪、乱れ髪もなく、たいそうさっぱりとして、たっぷりとあり、青みを帯びて痩せていらっしゃるが、顔色は、澄んで、白く可愛らしく見えて、透き通るほどに見えるお肌つきなどは、またとないほど、美しい。虫の抜け殻などのように、まだ酷く、ふらふらしている感じでいらっしゃる。




年ごろ住み給はで、すこし荒れたりつる院のうち、たとしへなくせばげにさへ見ゆ。きのふけふかくものおぼえ給ふひまにて、心ことにつくろはれたる遣水前栽の、うちつけにここちよげなるを見いだし給ひても、あはれに今までへにけるを思ほす。




長年住まわず、少し荒れた二条の院の中は、喩えようもなく、狭苦しくさえ感じられる。ここ、一両日、このように意識がある時で、特別に気をつけ、手を入れた遣水や、前栽が、急に、さわやかに感じられるのに、視線を走らせると、よくもまあ、今まで、生きてきたと、思われるのである。




池はいと涼しげにて、蓮の花の咲きわたれるに、葉はいと青やかにて、露きらきらと玉のやうに見えわたるを、源氏「かれ見給へ。おのれひとりも涼しげなるかな」と宣ふに、起き上がりて見いだし給へるも、いとめづらしければ、源氏「かくて見奉るこそ夢のここちすれば、いみじく、わが身さへ限りとおぼゆる折々のありしはや」と、涙を浮けて宣へば、みづからもあはれに思して、

紫の上
消えとまる ほどやはふべき たまさかに 蓮のつゆの かかるばかりを

と宣ふ。
源氏
契りおかむ この世ならでも はちす葉に 玉いる露の 心へだつな




池は、大変涼しそうで、蓮の花が一面に咲き誇り、葉は青々として、露は、きらきらと玉のように一面に見える。源氏は、あれを御覧。自分一人涼しそうにしている、とおっしゃるので、体を起こして、外を御覧になるのも、大変嬉しそうで、源氏は、このようなあなたを見るのは、夢のような気がする。とても酷く、自分までも、お終いだと思われたときが、何度もあったのだ、と、涙を浮かべて、おっしゃるので、ご自身も胸が痛むのである。

紫の上
あの露が、消えずに残っている間だけでも、生きられますでしょうか。たまたま蓮の葉に、露が頼るだけの命です。

と、おっしゃる。

源氏
約束しておこう。この世ばかりでなく、あの世でも、蓮の葉に、玉となっている、露のように、少しも心を隔てるな。




いで給ふかたざまはものうけれど、うちにも院にも聞しめさむ所あり。なやみ給ふと聞きても程へぬるを、目に近きに心をまどはしつる程、見奉ることもをさをさなかりつるに、かかる雲間にさへやは絶えこもらむ、と思し立ちて、わたり給ひぬ。




お出掛けされる先は、気が進まないが、主上や朱雀院が、お耳にあそばすこともあり、女三の宮が、ご病気だと聞いてからも、随分になったのに、すぐ傍の人のことを心配していた間、お会いに出ることも、いっこうになかったので、このように、晴れ間にまで、引き籠っていいだろうかと思い立ち、六条の院に、起こしになった。





宮は、御心の鬼に、見え奉らむも恥づかしうつつましく思すに、ものなど聞え給ふ御いらへも聞え給はねば、日ごろのつもりを、さすがにさりげなくてつらしと思しけると心苦しければ、とかくこしらへ聞え給ふ。おとなびたる人召して、御ここちのさまなど問ひ給ふ、女房「例のさまならぬ御ここちになむ」と、わづらひ給ふ御ありさまを聞ゆ。源氏「あやしく、程へてめづらしき御事にも」とばかり宣ひて、御心のうちには、年ごろへぬる人々だにもさることなきを、不定なる御事にもやと思せば、ことにともかくも宣ひあへしらひ給はで、ただうち悩み給へるさまの、いとらうたげなるを、あはれと見奉り給ふ。




女三の宮は、良心に咎められて、お目にかかるのも、恥ずかしく、引っ込み思案になり、源氏が、何かと申し上げる、そのご返事も申し上げないで、何日も逢わずにいたことを、そうだとは、言わないが、情けがないと思っていられるのだと、気の毒なので、何かと、慰めの言葉を申し上げる。年の取ったに女房を呼び出し、お体のご様子などを、お尋ねになると、女房は、普通ではないお体でございます。と、お苦しみになっているご様子を、申し上げる。源氏は、変だな。結婚後随分と経っているから、珍しいことだ。と、おっしゃり、お心の中では、長年連れ添っている人々でも、そう言うことはないのに、当てにならないことでは、ないかと思うので、特に、あれこれとおっしゃらず、お相手されずに、ただご病気の様子が、大変、可愛らしいのを、気の毒に思われる。



posted by 天山 at 05:38| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月27日

もののあわれについて748

からうじて思し立ちて渡り給ひしかば、ふともえ帰り給はで、二三日おはするほど、いかにいかにとうしろめたく思さるれば、御文をのみ書きつくし給ふ。女房「いつのまにつもる御言の葉にかあらむ。いでや安からぬ世をも見るかな」と、若君の御あやまちを知らぬ人は言ふ。侍従ぞ、かかるにつけても胸うちさわぎける。




やっと思い立って、お越しになったのだが、さっさと帰ることも出来ず、二、三日お出でになる間も、紫の上が、気掛かりで、お手紙ばかり、次から次へと書かれる。女房は、いつの間にたまるお言葉なのでしょう。いいえ、心配なお方ですね。と、若君の、間違いを知らぬ人は言う。当の侍従は、このようなことにつけても、胸が騒ぐのだった。




かの人も、かく渡り給へりと聞くに、おほけなく心あやまりして、いみじき事どもを書き続けて、おこせ給へり。対にあからさまに渡り給へる程に、人まなりければ、しのびて見せ奉る。女三の宮「むつかしき物見するこそいと心うけれ。ここちのいとどあしきに」とて臥し給へれば、侍従「なほただこのはしがきのいとほしげに侍るぞや」とてひろげたれば、人の参るに、いと苦しくて、御几帳ひき寄せて去りぬ。いとど胸つぶるるに、院入り給へば、えよくも隠し給はで、御しとねの下にさしはさみ給ひつ。




あの人も、このように六条の院に、お出でになったと聞くと、大胆にも、考え違いをして、宮への恋慕を書き連ねて寄こした。紫の上がいらした、対の屋に少しお出であそばした間に、お傍に誰もいなかったので、小侍従が、こっそり手紙をお見せすると、女三の宮は、困ったものを見せるのは、辛い。気分が悪くなる。と横になったままなので、侍従は、でも、このはじめに書いてあるのでも、お気の毒な気がいたします。と言い、広げたとき、誰かが来るので、困ってしまい、御几帳の宮様の方へ、引き寄せて出て行った。宮は、いっそう、どきりとするのに、院がお入りになったので、上手に隠すことが出来ず、座布団の下に、差し入れた。




ようさりつ方、二条の院へ渡り給はむとて、御いとま聞え給ふ。源氏「ここには、けしうはあらず見え給ふを、まだいとただよはしげなりしを、見すてたるやうに思はるるも、今さらにいとほしくてなむ。ひがひがしく聞えなす人ありとも、ゆめ心おき給ふな。いま見なほし給ひてむ」と語らひ給ふ。例は、なまいはけなきたはぶれごとなども、うちとけ聞え給ふを、いたくしめりて、さやかにも見あはせ奉り給はぬを、ただ世のうらめしき御けしきと心え給ふ。昼の御座にうち臥し給ひて、御物語りなど聞え給ふ程に、暮れにけり。少しおほしのごもり入りにけるに、ひぐらしのはなやかに鳴くにおどろき給ひて、源氏「さらば道たどたどしからぬ程に」とて、御ぞなど奉りなほす。




その夜、二条の院に、お帰りされようと、ご挨拶をなさる。源氏は、あなたは、具合が悪くないようだが、あちらは、まだ酷くふらふらしているようだった。構わずに、出で来たように思われると、今更、可愛そうなので。けしからぬことを、申し上げる者が居ても、決して、お疑いなさらぬように。私の気持ちは、すぐにお分かりになるはずです。と言って聞かせる。いつもなら、子供っぽい冗談など、気楽におっしゃるのに、今日は、酷く沈みこんで、目を合わせることもされないのを、ただ愛情を疑ってのことと、考える。
昼の御座所に、お休みになり、お話などをされている間に、夕暮れになった。少しお休みされたが、ひぐらしが派手に鳴くので、目を覚まされ、源氏は、それじゃあ、道が暗くならない前に、と、おっしゃり、お召し物などを、着直す。




女三の宮「月待ちて ともいふなるものを」と、いと若やかなるさまして宣ふは、憎からずかし。そのまにもとや思すと、心苦しげに思して、立ちとまり給ふ。

女三の宮
夕露に 袖ぬらせとや ひぐらしの なくを聞く聞く 起きてゆくらむ

かたなりなる御心にまかせて言ひいで給へるもらうたげれば、つい居て、源氏「あな苦しや」と、うち嘆き給ふ。

源氏
待つ里も いかが聞くらむ かたがたに 心さわがす ひぐらしのこえ

など思しやすらひて、なほ情なからむも苦しければ、とまり給ひぬ。静心なくさすがにながめられ給ひて、御くだものばかり参りなどして、おほとのごもりぬ。




女三の宮は、月を待って、とも言うそうですのに、と若々しい様子で、おっしゃるのは、可愛らしい。その間でも、と言うのだろうかと思うと、気の毒な感じがして、立ち止まる。

女三の宮
この夕露に、袖をぬらせという、おつもりで、ひぐらしの鳴くのを、お耳にされならが、起きて、行かれるのですか。

子供のような気持ちのまま、おっしゃるのも、いじらしいので、その場に、膝をついて、源氏は、困ったなあ、と、溜息をつく。

源氏
待っている方も、どのように聞くのだろうか。あちらこちらに、私の心を騒がす、ひぐらしの声だ。

などと、お心は定まらず、矢張り、無情に帰るのも、気の毒なので、お泊りになった。けれども、心は、落ち着かず、物思いに沈むばかりで、果物だけを、召し上がりになり、お休みあそばした。

さらば道たどたどしからぬ程に
古今六帖
夕やみは 道たどたどし 月待ちて 帰れわがせこ そのままにも見む

待つ里も・・・
古今集
来めやとは 思ふものから ひぐらしの 鳴く夕ぐれは 立ち待たれつつ

歌にかけて、紫の上が、気掛かりだという。


posted by 天山 at 05:38| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月04日

もののあわれについて749

まだ朝すずみの程に渡り給はむとて、とく起き給ふ。源氏「よべのかはほりを落として。これは風ぬるくこそありけれ」とて、御扇おき給ひて、きのふうたたねし給へりし御座のあたりを、立ちとまりて見給ふに、御しとねの少しまよひたるつまより、あさみどりのうすやうなる文の、押し巻きたるはし見ゆるを、なに心もなく引きいでて御覧ずるに、をとこの手なり。紙の香などいと艶に、ことさらめきたる書きざまなり。ふたかさねにこまごまと書きたるを見給ふに、まぎるべき方なく、その人の手なりけり、と見給ひつ。




朝の、まだ涼しいうちに、お出掛けになろうとして、早く起きられる。源氏は、夕べの扇子を落として。これは、風が涼しくない、と、檜扇を置き、昨日、うたた寝をなさっていた御座所のあたりを、立ち止まって御覧になると、座布団の少し乱れている端から、薄い緑の薄様紙の、手紙の押し巻いている、その端が見えるので、何気なく、引き出して御覧になる。男の手紙である。紙の香りも見事に、いかにも、意味ありげな書き振りだ。二枚にびっしりと、書いてあるのを見て、紛れもなく、あれの筆跡と、御覧になる。




御鏡などあけて参らする人は、見給ふ文にこそはと、心も知らぬに、小侍従見つけて、昨日の文の色と見るに、いといみじく胸つぶつぶと鳴るここちす。御粥など参る方に目も見やらず、「いでさりともそれにはあらじ。いといみじく、さる事はありなむや。隠い給ひてけむ」と思ひなす。




御鏡の蓋を開けて差し上げる女房は、御覧になるはずの手紙なのだろうと、何も考えないが、小侍従が見つけて、昨日の手紙の色だと思うと、大変だと、胸がどきどき鳴る気がする。朝ごはんなど、お給仕するほうには、見向きもせず、いや、いくらなんでも、あの手紙ではないだろう。本当に、大変だ。そんなことが、あるはずがない。お隠しされたことだろうと、思うようにするのである。




宮はなに心もなく、まだおほとのごもれり。「あないはけな。かかるものを散らし給ひて、われならぬ人も見つけたらましかば」と思すも、心おとりして、「さればよ。いとむげに心にくき所なき御ありさまを、うしろめたしとは見るかし」と思す。




宮様は、無心に、まだお休みである。
何とまあ、子供っぽい。このようなもものを、放っておおきになり、私以外の人が見つけたなら、と思うと、軽蔑され、だからなのだ、まるっきり、なっていないご様子を、気掛かりでたまらないと、思っていたのだと、思いになる。

小侍従の気持ちである。




いで給ひぬれば、人々すこしあかれぬるに、侍従よりて、侍従「きのふの物はいかがせさせ給ひてし。けさ院の御覧じつる文の色こそ似て侍りつれ」と聞ゆれば、あさましと思して、涙のただ出で来に出で来れば、いとほしきものから、いふかひなの恩さまやと見奉る。




宮様が、お出ましになったので、女房たちも、少々退屈していたので、侍従が傍により、昨日の手紙は、どうあそばされましたか。今朝、院が御覧になっていた、手紙の色が、似ていました。と申し上げると、びっくりして、涙が後から後からと、こぼれてくるのを見て、お気の毒だけれど、お話にならない方だと、拝見する。




侍従「いづくにかは置かせ給ひてし。人々の参りしに、事あり顔に近くさぶらはじと、さばかりのいみをだに、心の鬼に去りはべしを、入らせ給ひし程は、すこし程へ侍りにしを、隠させ給ひつらむとなむ思う給へし」と聞ゆれば、女三「いさとよ。見し程に入り給ひしかば、ふともえおきあがらでさしはさみしを、忘れにけり」と宣ふに、いと聞えむ方なし。




侍従は、どこへ、まあ、置き遊ばしましたか。女房たちが、お傍に参ったので、何かありそうに、お近くにいることはすまいと、そのくらいの事さえ、気がとがめて、下がりましたのに、お入りあそばした時まで、少し時間がありましたもの、お隠しになったと思っておりました。と、申し上げると、女三の宮は、いいえ、あの見ていたところに、お入りになったので、すぐに起き上がることが出来ず、はさんでおいたのを、それっきり、忘れてしまった。と、おっしゃるので、何とも、申し上げようがない。




寄りて見れば、いづくのかはあらむ。小侍従「あないみじ。かの君もいといたくおぢはばかりて、けしきにても漏り聞かせ給ふ事あらばと、かしこまり聞え給ひしものを、程だにへず、かかる事のいでまうで来るよ。すべていはけなき御ありさまにて、人にも見えさせ給ひければ、年ごろさばかり忘れがたく、恨み言ひわたり給ひしかど、かくまで思う給へし御ことかは。たが御ためにも、いとほしく侍るべきこと」と、はばかりもなく聞ゆ。心やすく若くおはすれば、なれ聞えたるなめり。




座布団の方に、寄って探すが、どこにあろう。侍従は、まあ、大変。あの方も、酷いこと怖がり、小さくなり、ちょっとでも、お耳に入ると、慎んでいらっしゃったのに。まだ月日が経たないうちに、このようなことが起こってしまうなんて。だいたい、あなた様が、幼いお方で、あの人に、姿をお見せになったので、長い間、あれほど、忘れることが出来ずに、逢わせて欲しいと、私に言い続けていらしたのだけれど、こうまでとは、思いも寄らないことでした。と、遠慮なく、申し上げる。それも、宮が、気楽な方で、子供子供していらっしゃるので、平気になっているのだ。

作者の言葉と、小侍従の心境が、ごちゃまぜになっている。




いらへもし給はで、ただ泣きにのみぞ泣き給ふ。いと悩ましげにて、露ばかりの物もきこしめさねば、女房「かく悩ましくせさせ給ふを、見おき奉り給ひて、今はおこりはて給ひにたる御あつかひに、心を入れ給へること」と、つらく思ひ給ふ。




宮は、お返事もされず、ただ泣きに泣くばかりである。すっかり、気を病んで、何も召し上がらない。女房が、こんなに、お苦しみになっていられるのに、放っておいて、もう、お治りになったお方の、お世話にご熱心でいらっしゃること。と、源氏が、薄情だと、女房たちは、思いを口にする。

女房達は、事の次第を、知らないのである。






posted by 天山 at 06:00| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月05日

もののあわれについて750

おとどは、この文のなほあやしく思さるれば、人見ぬ方にて、うち返しつつ見給ふ。「候ふ人々の中に、かの中納言の手に似たる手して書きたるか」とまで思しよれど、言葉づかひきらきらと、まがふべくもあらぬ事どもあり。年をへて思ひわたりける事の、たまさかにほいかなひて、心やすからぬ筋を書きつくしたる言葉、いと見所ありてあはれなれど、「いとかくさやかには書くべしや。あたら人の、文をこそ思ひやりなく書きけれ。落ち散ることもこそと思ひしかば、昔かやうにこまかなるべき折節にも、ことそぎつつこそ書き紛らはししか。人の深き用意は難きわざなりけり」と、かの人の心をさへ見おとし給ひつ。




源氏は、この手紙が、どうしても、変に思われるので、人の目に触れないところで、何度も何度も、御覧になる。
お仕えしている女房達の誰かが、あの中納言の筆跡に似ている筆で書いたのかと、まで考えても、御覧になるが、言葉遣いは、はっきりと、ごまかしようがない証拠が、幾つもある。長い間、思い続けてきたことが、偶然、思い通りになり、それから後は、心配で、たまらないという風なことを、書き尽くしている言葉は、大変に見所があり、感心するが、こんなにも、はっきりと、書くことが、あるものか。惜しい男が、手紙に相手を困らすような書き振りをしたものだ。落として、人の目に触れることがあっては、と思うのだから、昔、このように、細々と書きたいときでも、簡単に、分らぬように書いたものだ。用心深さというのは、難しいことだ。と、あの男の心まで、軽蔑されるのだった。




「さても、この人をばいかがもてなし聞ゆべき。めづらしきさまの御ここちも、かかる事の紛れにてなりけり。いであな心うや。かく、人づてならず憂きことを知る知る、ありしながら見奉らむよ」と、わが御心ながらもえ思ひ直すまじくおぼゆるを、「なほざりのすさびと、はじめより心をとどめぬ人だに、またことざまの心わくらむと思ふは、心づきなく思ひへだてらるるを、ましてこれは。さまことに、おほけなき人の心にもありけるかな。帝の御めをもあやまつたぐひ、昔もありけれど、それは又いふかたことなり。宮仕へといひて、われも人も同じ君になれつかうまつる程に、おのづから、さるべき方につけても、心をかはしそめ、物の紛れ多かりぬべきわざなり。女御更衣といへど、とある筋かかる方につけて、かたほなる人もあり。心ばせ必ず重からぬうちまじりて、思はずなる事もあれど、おぼろけのさだかなるあやまち見えぬ程は、さてもまじらふやうもあらむに、ふとしもあらはならぬ紛れありぬべし。かくばかり、またなきさまにもてなし聞えて、うちうちの心ざしひく方よりも、いつくしくかたじけなきものに思ひはぐくまむ人をおきて、かかる事はさらにたぐひあらじ」と、つまはじきせられ給ふ。




源氏は、それにしても、この宮を、どのようにしたらよいのか。普通でないお体も、こういうことの、結果だったのだ。何と嫌な話しか。人伝ではなく、嫌な話しを知りながら、今まで通り、お世話をする気になろうか。と、我が心ではあるが、どうしても、元の気持ちに戻すことが出来そうになく、思うが、いい加減な遊びとして、初めから熱心ではない女さえ、別の男に、心を向けているようだと思うときは、嫌な気になり、離れてしまうものだ。それどころか、この宮は、特別な方だ。何と大それた、柏木の考えだろうか。帝の妃を犯した例は、昔もあったが、それはまた、事情が違う。宮仕えといっても、自分も相手も、同じ君に、お仕えしている間に、いつの間にか、勤め向きのことで、好意を持つようになり、その結果、過ちも多くなることもある。女御更衣といっても、何か一つの点について、欠点のある人もいる。性分が、慎重ではない人も中にはいて、思いもかけないこともあるが、並々ではなく、はっきりした間違いが分らない間は、そのままで、付き合ってゆくことも出来るので、すぐには分らない間違いも、起こるだろう。こんなにまで、大事にして差し上げて、本当に愛している、紫の上よりも、立派な勿体無いものとして、大事にしている自分をおいて、こんな事をするのは、全く例がないこと。と、つい、非難してしまうのである。




「帝と聞ゆれど、ただすなほに、おほやけざまの心ばーばかりにて、宮づかへのほどもものすさまじきに、心ざは深きわたくしのねぎごとになびき、おのがじしあはれを尽くし、見過ぐしがたき折のいらへをも言ひそめ、じねんに心かよひそむらむ中らひは、同じけしからぬすぢなれど、よる方ありや。わが身ながらも、さばかりの人に心わけ給ふべくはおぼえぬものを」と、いと心づきなけれど、また「気色に出だすべき事にもあらず」など思し乱るるにつけて、「故院のうへも、かく御心には知ろしめしてや、知らず顔をつくらせ給ひけむ。思へばその世の事こそは、いとおそろしくあるまじきあやまちなりけれ」と近きためしを思すにぞ、恋の山路はえもどくまじき御心まじりける。




源氏は、帝と申し上げても、ただ真っ直ぐ、お勤めだという気持ちだけでは、お仕えしている間も、面白くない。そんな時に、真心のこもる、個人的な願いの文句に引かれて、それぞれに、愛情を傾け尽くし、黙っていられぬ時の、返事も言い始めて、いつしか、心が通じるという仲ならば、同じ非常識の極みであるが、理由はある。我が事ながら、あれくらいの男に、愛を分けてよいとは、思われないが、と、甚だ不愉快であるが、といって、顔色に、出すべきではない、などと、煩悶される。それにしても、亡き上皇様も、このように内心では、ご存知で、知らない風を装っていらしたのかもしれない。考えると、あの事こそは、本当に恐ろしく、あってはならない、間違いだった。と、身近な例を、思うと、恋の山路は、非難できないという、気も、ないではない。




つれなしづくり給へど、もの思し乱るるさまのしるければ、女君、消え残りたるいとほしみに、渡り給ひて、人やりならず心苦しう、思ひやり聞え給ふにや、と思して、紫「ここちはよろしくなりにて侍るを、かの宮の悩ましげにおはすらむに、とく渡り給ひにしこそいとほしけれ」と聞え給へば、源氏「さかし。例ならず見え給ひしかど、ことなるここちにもおはせねば、おのづから心のどかに思ひてなむ、内よりはたびたび御使ひありけり。上もかく思したるなるべし。少しおろかになどもあらむは、こなたかなた思さむことの、いとほしきぞや」とて、うめき給へば、紫「内の聞しめさむよりも、みづから恨めしと思ひ聞え給はむこそ、心苦しからめ。われは思しとがめずとも、よからぬさまに聞えなす人々、必ずあらむと思へば、いと苦しくなむ」など宣へば、源氏「げに、あながちに思ふ人の為には、わづらはしきよすがなけれど、よろづにたどり深きこと、とやかくやと、おほよそ人の思はむ心さへ思ひめぐらさるるを、これはただ、国王の御心やおき給はむとばかりをはばからむは、浅きここちぞしける」と、ほほえみて宣ひ紛らはす。




源氏が、平気なふりをしているが、悩みの様子が明らかなので、女君、紫の上は、余命が長くないと、可愛そうに思い、こちらにお帰りになり、紫の上は、そうされたことで、気がとがめ、宮様を、お気の毒に思っているのではないかと、気分は、だいぶ良くなりました。あちらの宮様が、お加減が悪くてしらっしゃる様子で。すぐに、お帰り下さってください。お気の毒です。と、申し上げるので、源氏は、それなんですよ。普通のお体ではないようですが、ご気分が悪いという様子でもなく、自然に急がない気になって。御所からも、お使者がありました。今日も、お手紙があったとか。院が、特別重くお願いされたので、主上も、こんなに大事にされるのでしょう。少しでも、疎かにすれば、お二方の思し召しが、気になります。と、溜息をつく。
紫の上は、御所の思し召しよりも、宮様ご自身が、恨めしいと思うことのほうが、お気の毒です。ご自分は、悪く思わずとも、あしざまに申し上げる人々がいるでしょうと、思うと、辛く思います。などと、おっしゃるので、源氏は、なるほど、大事に思う人にとっては、やっかいに思う親戚など、ありはしないことで、何やかにやと、詮索することで、ああだ、こうだと、そこいらの女房の考えることまで、推測するが、私は、ただ、国王が、ご機嫌を損ねぬことだけを、気にしているようでは、愛情が、浅いわけですね。と、微笑んで、言い紛らわす。




渡り給はむことは、源氏「もろともに帰りてを、心のどかにあらむ」とのみ聞え給ふを、紫「ここにはしばし心安くて侍らむ。まづ渡り給ひて、人の御心もなぐさみなむほどにを」と、聞えかはし給ふほどに、日ごろへぬ。




あちらにお越しになることについては、源氏は、一緒に帰ってから、ゆっくり行こう、と、おっしゃっばかりなので、紫の上は、私は、もう暫く、気楽にしております。先にお越しになって、あちらの、お心の晴れた頃に、私も、と、話し合いしているうちに、何日かを経た。





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2015年06月08日

もののあわれについて751

姫宮は、かく渡り給はぬ日ごろのふるも、人の御つらさにのみ思すを、今はわが御おこたりうちまぜてかくなりぬると思すに、「院もきこしめしつけて、いかに思い召さむ」と世の中つつましくなむ。




姫宮は、このように、お越しのない日が続くのも、院が薄情だからだと、思うのだが、今は、ご自分の過ちも加わり、こうなったのだと、思うと、父の院も、お耳にされて、どう思うであろうかと、二人の事で、身の縮まる思いである。




かの人もいみじげにのみ言ひわたれども、小侍従もわづらはしく思ひ嘆きて、「かかる事なむありし」と告げてければ、いとあさましく、「いつのほどにさること出で来けむ。かかる事は、ありふれば、おのづから気色にても、もりいづるやうもやと思ひしだに、いとつつましく空に目つきたるやうにおぼえしを、ましてさばかり、だがふべくもあらざりし事どもを見給ひてけむ、はづかしくかたじけなくかたはらいたきに、朝夕すずみもなきころなれど、身もしむるここちして、言はむ方なくおぼゆ。年ごろ、まめごとにもあだごとにも、召しまつはし参りなれつるものを、人よりはこまかに思しとどめたる御けしきの、あはれになつかしきを、あさましくおほけなきものに、心おかれ奉りては、いかでかは目をも見あはせ奉らむ。さりとてかきたえ、ほのめき参らざらむも人目あやしく、かの御心にも思し合はせむ事のいみじさ」など、安からず思ふに、ここちもいと悩ましくて、内へも参らず。さして重き罪にはあたるべきならねど、身のいたづらになりぬるここちすれば、「さればよ」と、かつはわが心も、いとつらくおぼゆ。




あちら、柏木も、熱心な手紙ばかりを、何度もよこすが、小侍従も面倒に思い、困ってしまい、こんな事があったと、知らせたので、酷く驚き、いつの間に、そんなことが起こったのだろう。こういうことは、何度もしているうちに、自然な雰囲気でも、知れてしまうのではないかと、思うだけでも、身が縮まる思いで、空に目がついているような気がした。それどころか、あのようにはっきりした手紙を、御覧になり、顔も向けられず、勿体無く、きまりが悪いので、朝晩と、涼しくも無い頃なのに、風が見にしむ気がして、言いようも無い感じがする。
長い年月、用のあるときも、遊びのときも、お呼びくださり、参上しなれていたのに、他の人よりは、お心にかけて下さっている、ご様子を、ありがたくも、嬉しくも思っていたのに、驚くほど、知らずの奴と、隔てをおかれたりしたら、とても、お顔が拝めない。だからといい、全然参上もせず、少しばかり、顔を出すということもしなければ、これまた、人が変だと思うだろう。あちらでも、さてはと、思うだろう。それが、たまらない。などと、気が気ではない思いがして、気分も悪く、御所へも、参内しない。特に重い罪に処せられるはずではないが、一生を無駄にしてしまった気がするので、矢張りと、一つには、自分の恋も、辛く感じられる。

柏木の心境を綴る。




「いでや、しづやかに心にくきけはひ見え給はぬわたりぞや。まづはかの御簾のはざまも、さるべき事かは。かるがるしと、大将の思ひ給へる気色みえきかし」など、今ぞ思ひあはする。しひてこの事を思ひさまさむと思ふ方にて、あながちに難つけ奉らまほしきにやあらむ。「よきやうとても、あまりひたおもむきに、おほどかにあてなる人は、世の有様も知らず、かつ候ふ人に心おき給ふこともなくて、かくいとほしき御身のためにも、人のためにも、いみじき事にもあるかな」と、かの御事の心苦しさも、え思ひはなたれ給はず。




そう言えば、落ち着いた心の深さというものが、無い方だ。第一、あの御簾の隙間だって、あろうことか、身分に相応しくないと、大将は、思っていた。などと、今になって、気が付く。無理に、自分の恋心の思いを、覚まそうとするあまり、無理矢理、あちらを悪く言いたいのでしょうか。
良いことだからといい、あまり、一途におっとりして、上品な人は、世間の事も知らなく、一つには、お付きの女房に気をつけることも無く、このように、お気の毒なご自分のためにも、相手のためにも、大変なことになるのだ。と、あの方が、お気の毒だという気持ちも、捨て切れないでいる。

柏木の思いと、作者の感想が、交じる文である。
柏木も、女三の宮のことに、少し気づいたのだ。




宮はいとらうたげにて、悩みわたり給ふさまの、なほいと心苦しく、かく思ひはなち給ふにつけては、あやにくに、うきに紛れぬ恋しさの苦しく思さるれば、渡り給ひて見奉り給ふにつけても、胸いたくいとほしく思さる。御祈りなど、さまざまにせさせ給ふ。大方の事はありしに変はらず、なかなかいたはしく、やむごとなくもてなし聞ゆるさまを増し給ふ。けぢかくうちかたらひ聞え給ふさまは、いとこよなく御心へだたりて、かたはらいたければ、人目ばかりを目やすくもてなして、思し乱るるに、この御心のうちしもぞ苦しかりける。さる事みきともあらはし聞え給はぬに、みづからいとわりなくおぼしたるさまも、心をさなし。いとかくおはするけぞかし。よきやうといひながら、あまり心もとなくおくれたる、たのもしげなきわざなり、と思すに、世の中なべてうしろめたく、女御のあやまりやはらかにおびれ給へるこそ、かやうに心かけ聞えむ人は、まして心みだれなむかし。女はかうはるけ所なくなよびたるを、人もあなづらはしきにや、さるまじきにふと目とまり、心強からぬあやまちはし出づるなりけり、と思す。




宮は、可愛らしく、引き続き、気分が優れない様子で、矢張り、気の毒で、こんなに捨てるとなると、かえって、嫌だという気持ちでは、消えない、恋しい思いが辛くてたまらず、お出かけになって、お会いするときも、胸がつまり、気の毒に思う。
御安産の御祈り、その他あれこれと、させる。一通りの事は、今までと変らず、かえって、いたわりを見せて、大事にお扱い申し上げることを、強める。お二人で、お話をされるときは、全然、気持ちが離れてしまい、具合が悪いので、人前だけは、体裁をつくり、源氏の煩悶は、続いているゆえ、宮のお心の中が、たまらないのだ。
あの手紙を見たことを、打ち明けることはないのに、自分勝手に、酷く、悩むのも、子供っぽいことだ。こんなでいらっしゃるから、鷹揚なのがよいといっても、男女の間は、どれも心配になり、女御は、度を過ぎて、やさしくのんびりしているから、こんな思いを起こす男がいたら、柏木以上に、無我夢中になるだろう。女が、これほどに、話しにならないほど内気なら、相手も馬鹿にして、ひかれてはならない女に心惹かれて、気強くないがために、過ちを犯すのだと、源氏は、思うのである。

源氏の複雑な心境である。
女三の宮は、妊娠して、いるのである。


posted by 天山 at 05:16| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月09日

もののあわれについて752

「右の大臣の北の方の、とりたてたる後見もなく、幼くよりものはかなき世にさすらふるやうにて生ひいで給ひけれど、かどかどしく労ありて、われも大方には親めきしかど、憎き心の添はぬにしもあらざりしを、なだらかにつれなくくもてなして過ぐし、この大臣の、さる無心の女房に心合はせて入り来たりけむにも、けざやかにもてはなれたるさまを人にも見え知られ、ことさらに許されたる有様にしなして、わが心と、罪あるにはなさずなりにし」など、「今おもへばいかにかどある事なりけり。ちぎり深き中なりければ、長くかくてたもたむ事は、とてもかくても同じごとあらましものから、心もてありしこととも、世人も思ひいでば、少しかるがるしき思ひ加はりなまし。いといたくもてなしてしわざなり」と思し出づ。




右大臣の北の方、つまり、玉葛が、特に世話役もなく、小さい時から、心細い生活をして、大人になったのに、才気があり、やり方が上手で、自分も表向きは、親みたいにしていたが、困った気持ちも、なくはなかったのを、やんわりと、問題にせず、受け流し、この右大臣が、あんな無分別な女房と、心を合わせて、入って来た時も、はっきりと、何も無かったと、誰にも分らせて、改めて、許されたこととして、自分の仕向け方で、不義密通ではないことにした。などと、今になって思えば、何と上手な、やり方だったことか。前世からの約束の深い二人になったのだから、長く夫婦で暮らして行くことは、どちらにしても、確かだったが、自分の心で、したのだと、世間の人も思っていたら、少しは、身分に相応しくないという、感じも、交じるだろう。まことに、上手にしたものだと、思い出しになる。

源氏の、心境である。
右大臣とは、髭黒大将だった。
玉葛を妻にした、髭黒の、やり方を、源氏は思いだしている。




二条の内侍のかんの君をば、なほたえず思ひいで聞え給へど、かくうしろめたき筋のこと、うきものに思し知りて、かの御心よわさも少しかるく思ひなされ給ひけり。つひに御本意のごとし給ひてけりと聞き給ひては、いとあはれにくちをしく御心うごきて、まづとぶらひ聞え給ふ。今なむとだににほはし給はざりけるつらさを、あさからず聞え給ふ。




源氏は、二条の尚侍の君、朧月夜を、いつも変らず、思い出していらっしゃるが、こんなに目も離せないことでは、やりきれないと、身にしみて、朧月夜の、お心の弱さも、少々軽蔑されるようになった。とうとう、ご希望通り、出家されたと、お聞きになって、まことに、あはれに惜しい気がして、とりあえず、お手紙を差し上げた。予定も知らせず、辛いことを、色々と申し上げる。




源氏
あまの世を よそに聞かめや 須磨の浦に もしほたれしも 誰ならなくに

さまざまなる世の定めなさを、心に思ひつめて、今まで後れ聞えぬる口惜しさを、思し捨てつとも、さりがたき御回向のうちには、まづこそはと、あはれになむ」など、多く聞え給へり。




源氏
あなたの、尼におなりなのを、よそ事とは、思いません。須磨の浦で、涙に濡れたのは、他の誰のせいでもありません。

人生の無常を、あれこれと考えて、今日まで、出家せず、先を越されて残念ですが、私の事は、捨てられたが、御回向の中には、まず、第一に私を入れて下さろうと思うと、涙が出ます。などと、細々と、書いている。




とく思し立ちにし事なれど、この御さまたげにかかづらひて、人にはしかあらはし給はぬことなれど、心のうちあはれに、昔よりつらき御契りを、さすがに浅くしも思し知られぬなど、かたがたに思しいでられる。御かへり、今はかくしも通ふまじき御ふみのとぢめと思せば、あはれにて、心とどめて書き給ふ、墨つきなどいとをかし。
朧月夜「常なき世とは身ひとつのみ知り侍りにしを、おくれぬと宣はせたるになむ、げに、

あま船に いかがは思ひ おくれけむ あかしの浦に いさりせし君

えかうには、あまねきかどにてもいかがは」とあり。濃きあをにびの紙にて、しきみにさし給へる。例の事なれど、いたくすぐしたる筆づかひ、なほふりがたくをかしげなり。




早くから、考えていたことであるが、源氏の反対に、押されて、誰にも、そんなことは、おっしゃらないが、胸の中は、涙で、昔からの、辛い約束事を、それでも、浅いことと、考えられない。などと、思い出される。
ご返事は、今はもう、こんなやり取りもしてはならない、最後の、お手紙と思うので、気をつけて、書かれる。その書き振りの見事さ。

朧月夜
無常の人生と、私は、分りましたが、先を越されたとの、お言葉、本当に、

あま船に、どうして、お乗り遅れされたのでしょう。明石の浦で、いさりをなさった、あなたが。

回向は、一切衆生のためです。勿論、お入れします。と、ある。
濃い、青鈍色の紙で、しきみに、差しているのは、決まり通りだが、今は、まるきり、絶えてしまった、女の事とて、お見せ申し上げる。

玉葛、そして、朧月夜と、突然のように、出てくる話。
これが、源氏物語である。



posted by 天山 at 06:48| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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