2015年03月30日

もののあわれについて733

これもかれも、うちとけぬ御けはひどもを聞き給ふに、大将も、いと内ゆかしく覚え給ふ。対の上の、見し折よりも、ねびまさり給へらむ有様ゆかしきに、しづ心もなし。宮をば、今少しのすくせ及ばましかば、わが物にても見奉りてまし、心のいとぬるきぞ悔しきや。院はたびたびさやうにおもむけて、しりうごとにも宣はせけるを、と、ねたく思へど、すこし心安き方に見え給ふ御けはひに、あなづり聞ゆとはなけれど、いとしも心は動かざりけり。この御方をば何ごとも思ひ及ぶべき方なく、気遠くて、年ごろ過ぎぬれば、いかでかただ大方に、心よせあるさまをも見え奉らむとばかりの、口惜しく嘆かしきなりけり。あながちに、あるまじくおほけなきここちなどは、さらにものし給はず、いとよくもてをさめ給へり。




この方も、あの方も、すましている様子を見て、お耳にすると、大将も、とても中を見たくなる。対の上、紫の上が、昔見た時よりも、年とともに美しくなられたであろう、お姿が見たくて、心が落ち着かない。宮を、もう少し縁があれば、我が物として、お世話できたのに、ゆっくりと構えていたのが、悔やまれるのである。
院は、何度も、そういう風に、謎をかけて、蔭でもおおせられていた。と、残念に思う。少し深みが足りないとお見受けしたご様子に、軽蔑するというわけではないが、それほどに、心が動かなかった。
こちらの御方は、何とかなると思える手立ては、何も無く、高嶺の花で、年月が過ぎたこと。何とかして、特別の意味なくして、好意を寄せていることを、お見せしたいと、それが残念で、溜息が出る。無理な、けしからぬ、大それた気持ちなどは、全く、持ってはいない。立派に心を抑えている。

いかでかただ大方に
この、大方は、紫の上のこと。
色恋ではない、気持ちで・・・




夜ふけゆくけはひ冷ややかなり。ふしまちの月はつかさにさし出でたる、源氏「心もとなしや、春のおぼろ月夜よ。秋のあはれはた、かうやうなる物の音に、虫の声より合はせたる、ただならず、こよなく響きそふ心地すかし」と宣へば、大将の君、夕霧「秋の夜のくまなき月には、よろづのものとどこほりなきに、琴笛の音もあきらかにすめる心地はし侍れど、なほことさらに作り合はせたるやうなる空の気色、花の露もいろいろ目うつろひ心ちりて、限りこそ侍れ。春の空のたどたどしき霞のまより、おぼろなる月影に、静かに吹き合はせたるやうには、いかでか。笛の音なども、えんに澄みのぼりて果てずなむ。「女は春をあはれふ」と古き人の言ひおき侍りける、げにさなむ侍りける。なつかしくもののととのほることは、春の夕暮れこそことに侍りけれ」と申し給へば、源氏「いな、この定めよ。いにしへより人の分きかねたる事を、末の世に下れる人の、え明らめははつまじくこそ。物の調べ、曲のものどもはしも、げに律をばつぎのものにしたるは、さもありかし」と宣ひて、源氏「いかに、ただいま有職のおぼえ高きその人かの人、御前などにて、たびたびこころみさせ給ふに、すぐれたるは、数すくなくなりためるを、そのこのかみと思へる上手ども、いくばくえまねび取らぬにやあらむ、このかくほのかなる女たちの御なかに、ひきまぜたらむに、きは離るべくこそ覚えね。年頃かくうもれて過ぐすに、耳などもすこしひがひがしくなりたるにやあらむ。くちをしうなむ。あやしく、その御前の御遊びなどに、ひときざみに選ばるる人々、それかれといかにぞ」と宣へば、




夜が更けてゆく様が、冷え冷えと感じられる。臥し待ちの月が、少し顔を出したのを、源氏は、頼りない、春の朧月夜は。秋の趣は、矢張り、こういう音楽に、虫の声を合わせたのが、何ともいえず、この上なく音の美しさが、増すようだ。とおっしゃると、大将の君は、秋の夜の、雲ひとつない月には、何もかも、くっきりと見えて、琴笛の音も、はっきりと、澄んで聞える感じはしますが、矢張り、わざわざ音楽に合わせて、作るような空の様子、様々な色の花の露に、つい目が移り、気が散って、最高とはいえません。春の空の、ぼんやりと、霞んでいる間から、かすんで見える月の光に、静かに笛を吹き合わせた、そういう具合に、秋はゆきません。笛の音なども、秋は美しく澄み切ることはありません。「女は春をあはれむ」と、昔の人は、言い残していますが、その通りです。
と、申されると、
源氏は、いや、この議論は、昔から、皆判断をしかねたもので、この末の世のわれわれが、結論を出すことは出来ない。音楽の調子や曲などは、律を第二のものとしているのは、お前の言うとおりだろう。などと、おっしゃり、
どうだ。現在は、よく出来ると評判の高い、誰彼は、陛下の御前などで、しばしばやらせて、御覧遊ばして、上手な者は、次第に数が少なくなっているようだが、その一流と思っている、名人たちも、何程にも、会得できないのではないか。このような、何でもない、婦人方の中で、一緒に弾かせたとしても、際立ちそうに思えない。何年も、このように埋もれて、暮らしていて、耳など、少し変になったのだろうか。残念なことだ。妙に、人々の才能や、少し習うという芸事が、よそよりは、やりがいがあり、よくなるところのようだ。その御前の音楽会などに、第一流として、選ばれる人々の誰と比べて、今日の女楽は、どうだ。と、おっしゃると、




大将「それをなむとり申さむと思ひ侍りつれど、あきらかならぬ心のままに、およずけてやは、と思ひ給ふる。のぼりての世を、聞きあはせ侍らねばにや、衛門の督の和琴、兵部卿の宮の御琵琶などをこそ、この頃めづらかなるためしに引きいではべめれ。げにかたはらなきを、今宵うけたまはるものの音どもの、皆ひとしく耳おどろき侍れば、なほかくわざともあらぬ御遊びと、かねて思う給へたゆみける心の騒ぐにや侍らむ。唱歌など、いと仕うまつりにくくなむ。和琴は、かの大臣ばかりこそ、かく折りにつけて、こしらへなびかしたる音など、心にまかせて掻き立て給へるは、いとことにものし給へ、をさをさ際はなれぬものにはべめるを、いとかしこく整ひてこそ侍りつれ」と、めで聞え給ふ。源氏「いとさことごとしき際にはあらぬを、わざとうるはしくも取りなさるるかな」とて、したり顔にほほえみ給ふ。




大将、夕霧は、そのことを、こちらから申し上げようと思いましたが、よく解らぬ者が思ったままを申し上げては、不躾なことにならないかと。結構な時代は、存じませんでしょうか。衛門の督の、和琴や、兵部卿の宮の、御琵琶などを、近頃は、立派なものの例に引くようです。いかにも、またとない演奏ですが、今夜の音楽が、皆、どれもこれも聞いても、驚くばかりです。矢張り、正式ではない音楽会と、前々から油断しておりました心が、驚き、騒ぐのでしょうか。唱歌など、まことに、致しにくいものです。和琴は、あの大臣だけが、このように、四季折々に合わせて、音色を自由に工夫して、思うままに、弾かれますのは、格別なものでございます。なかなか、並外れた弾き手は、ないものでございます。実に、立派に調子が整っておりました。と、誉めて申し上げる。
源氏は、いや、それほど大した弾き手ではないが、わざと、立派なような、言い方をされるものだ、と、得意げに、微笑みされる。

めで聞え給ふ
源氏の言葉に応えて、春と、和琴と、紫の上を、誉めたのである。






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2015年04月13日

もののあわれについて734

源氏「げにけしうはあらぬ弟子どもなりかし。琵琶はしも、ここに口入るべきことまじらぬを、さ言へど、もののけはひ異なるべし。おぼえぬ所にて聞き始めたりしに、めづらしきものの声かな、となむ覚えしかど、その折りよりはまたこよなくまさりにたるをや」と、せめてわれがしこにかこちなし給へば、女房などは少しつきしろふ。




源氏は、いかにも、悪くは無い弟子たちだ。琵琶は、私が口出しするようなことはないのだが、そうは言っても、雰囲気が違うようだ。思いがけない所で、初めて聞いたときは、珍しい琵琶の音だ、と思ったが、そのときより、また格段に上手になった。と、無理に、自分の手柄にするので、女房たちは、少し、つっつきあうのである。




源氏「よろづの事、道々につけて習ひまねばば、才といふもの、いづれもきはなく覚えつつ、わがここちにあくべき限りなく習ひとらむことはいとかたけれど、何かは、そのたどり深き人の今の世にをさをさなければ、かたはしをなだらかにまねび得たらむ人、さるかたかどに心をやりてもありぬべきを、琴なむ、なほわづらはしく、手ふれにくきものはありける。このことは、まことに跡のままに、たづねとりたる昔の人は、天地をなびかし、鬼神の心をやはらげ、よろづの物の音のうちに従ひて、悲しび深きものも、喜びにかはり、いやしく貧しき者も、高き世き世にあらたまり、宝にあづかり、世に許さるるたぐひ多かりけり。




源氏は、何事も、様々なその道を稽古すれば、才能というものは、すべてきりがないように思われて、自分の気持ちに満足するまで、習得するのは、大変に難しい。何の、そこまで行った人は、今の世には、めったにいないので、一部でも、無難に学んだ人は、その一面でも、満足して、いいわけだが、琴は、何と言っても、面倒で、手の出しにくいものである。この琴は、誠に伝えられたままに、習得した昔の人は、天地を自由にし、鬼神の心を和らげ、すべての楽の音が、琴の中に従い、悲しみの深いものも、喜びに変り、賎しく貧しい者も、高貴な身となり、宝を得て、世に認められる人々が、多かった。




この国に弾き伝ふるはじめつかたまで、深くこの事を心得たる人は、多くの年を、知らぬ国にすぐし、身をなきにして、このことをのねび取らむと惑ひてだに、しうるは難くなむありける。げにはた、あきらかに、空の月星を動かし、時ならぬ霜雪を降らせ、雲雷を騒がしたるためし、あがりたる世にはありけり。書く限りなきものにて、そのままに習ひとる人のありがたく、世の末なればにや、何処のそのかみのかたはしにかあらむ。




我が国に、弾き伝える当初までは、深くこのことを知る者は、幾年も、見知らぬ国で過ごし、我が身はないものと、覚悟して、この道を習得しようと、さ迷い、為し遂げることは、難しかった。そして、また、確かに、空の月や星を動かし、季節はずれの霜や雪を降らせ、雲や雷を騒がせた例が、上古の代には、あったものだ。このように、きわまりないもので、伝えられた通り、習い取る人は、ほとんどいず、末の世だからか、どこに、その当時の、一部分でもあろうか。




されどなほかの鬼神の耳とどめ、かたぶきそめにけるものなればにや、なまなまに学びて、思ひかなはぬ類ありける後、これをひく人よからず、とかいふ難をつけて、うるさきままに、今はをさをさ伝ぬる人なしとか。いと口惜しきことこそあれ。琴の音をはなれては、何ごとをかものを整へ知るしるべとはせむ。げに、よろづの事おとろふるさまは易くなりゆく世の中に、一人いで離れて、心を立てて、唐土高麗と、この世に惑ひありき、親子を離れぬ事は、世の中にひがめるものになりぬべし。などか、なのめにて、なほこの道をかよはし知るばかりの端をば、知りおかざらむ。調ひとつに手をひきつくさむ事だに、はかりもなきものななり。いはむや、多くの調、わづらはしきごく多かるを、心に入りしさかりには、世にありとあり、ここに伝はりたる譜といふものの限りを、あまねく見合はせて、のちのちは師とすべき人もなくてなむ、好み習ひしかど、なほあがりての人には、あたるべくもあらじをや。ましてこの後といひては、伝はるべき末もなき、いとあはれになむ」と宣へば、大将、「げにいとくちをしく恥づかし」と思す。



されど、あの鬼神が、聞き入り、耳をかたむけた楽器であるせいか、不十分な練習では、思い通りにならないことがあってから、これを弾く人には、災いがあるという、言いがかりがあり、嫌なものだから、今では、めったに、弾き伝える人がいないようだ。実に、残念なことだ。琴の音以外に、どの弦楽器を、音律を整えるようとしようか。いかにも、何もかにもが悪くなってゆく様は、あっけないほどの、今の世だが、その中で、一人だけ、世間から離れて、志を立て、唐、高麗と、現世をうろつきまわって、親子と別れるということは、世のすねた者になるということ。どうして、程ほどで、しかも、この道をだいたい知る程度の、糸口を一応知らないで、おれようか。一つの調べを弾きこなすことすら、底知れず、難しいものだ。いわんや、多くの調べ、厄介な曲が多い。熱中していた頃には、この世に、あらん限りの、日本に伝わる、譜という譜を。ことごとく、全部調べて、とうとう、師匠として、得る者もなくなるまで、喜んで研究したいのだが、それでも、昔の名人には、到底およびもつかない。まして、これから後というと、琴が伝わるほどの子供がいないのが、寂しい。などと、おっしゃるので、大将は、お言葉通り、残念で、顔も上げられないと、思われる。

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2015年04月14日

もののあわれについて735

源氏「この御子たちの御中に、思ふやうに生ひいで給ふ、ものし給はば、その世になむ、そもさまでながらへとまるやうあらば、いくばくならぬ手の限りも、とどめ奉るべき。二の宮、今よりけしきありて見え給ふを」など宣へば、明石の君は、いとおもただしく、涙ぐみて聞きい給へり。




源氏は、この御子たちの中に、思い通りに、成人される方がおいでなら、その方が、大きくなられた時には、まあ、その時まで、生きながらえるものならば、たいしたものではない私の技は、全部、お伝え申そう。二の宮は、今から、そんな感じがありそうだ。などと、おっしゃるので、明石の君は、大変光栄に思い、涙ぐんで、聞いていらっしゃる。




女御の君は、筝の御琴をば上に譲り聞えて、寄り臥し給ひぬれば、あづまをおとどのお前にまいりて、け近き御遊びになりぬ。「かづらき」遊び給ふ。はなやかに面白し。おとど折り返しうたひ給ふ御声、たとへむ方なく愛敬づきてめでたし。月やうやうさしあがるままに、花の色香ももてはやされて、げにいと心にくき程なり。




女御の君は、筝の御琴を、紫の上にお譲りして、ものに寄りかかり横になったので、和琴を源氏に差し上げて、打ち解けた演奏になった。葛城を、合奏される。明るく、愉快である。源氏が、繰り返し歌われるお声は、たとえよえもなく、味わいがある。ご立派だ。月が、次第に上がってゆくにつれて、花の色も、香も、一段と引き立てられて、いかにも、奥ゆかしい限りだ。




筝の琴は、女御の御つま音は、いとらうたげになつかしく、母君の御けはひ加はりて、ゆのねふかく、いみじく澄みて聞えつるを、この御手づかひはまたさまかはりて、ゆるるかにおもしろく、聞く人ただならず、すずろはしきまで愛敬づきて、輪の手など、すべてさらに、いとかどある御ことの音なり。かへり声に、皆調かはりて、りちの掻合ども、なつかしく今めきたるに、琴は、こかの調、あまたの手のなかに、心とどめて必ずひき給ふべき、五六のばちを、いとおもしろくすまして弾き給ふ。さらにかたほならず、いとよくすみて聞ゆ。春秋よろづのものにかよへる調にて、かよはしわたしつつ弾き給ふ。心しらひ、教え聞え給ふさま違へず、いとよくわきまへ給へるを、いとうつくしくおもだだしく思ひ聞え給ふ。




筝の琴は、女御の爪音が、大変可愛らしく、心にしみるようで、母君の弾き具合も入り、ゆの音が深く、とても澄んで聞えた。
紫の上の、弾かれるものは、また別で、様子が違い、ゆったりと趣きがあり、聞く人は、見事に、心が揺らぐほど魅力があり、輪の手など、何から何まで、すべてが、しっかりとした、弾き振りである。
かへり声に、すべての調子が変って、律の掻き合わせは、親しみがあり、現代的な中に、琴は、四個の調べ、沢山の弾き方の中で、注意して弾かなければならない、五六のばちを、見事に、澄んでお弾きになる。少しも、子供っぽくなく、十分に澄んだ音である。
春秋すべてのものに、通じる調子で、次々と、相応しい弾きぶりをされる。気の配り方は、教えられたものと、少しも違わず、大変良く理解していることを、源氏は、実に可愛らしく、名誉なことと、思うのである。




この君達のいとうつくしく吹き立てて、せちに心入れたるを、らうたがり給ひて、源氏「ねぶたくなりにたらむに。こよひの遊びは長くはあらで、はつかなる程にと思ひつるを、とどめがたき物の音どもの、いづれともなきを、聞きわく程の耳敏からぬたどたどしさに、いたく更けにけり。心なきわざなりや」とて、笙の笛吹く君に、土器さし給ひて、御ぞ脱ぎてかづけ給ふ。横笛の君には、こなたより、織物の細長に、袴などことごとしからぬさまに、気色ばかりにて、大将の君には、宮の御方より杯さし出でて、宮の御装束一領かづけ奉り給ふを、おとど、源氏「あやしや。物の師をこそ先づはものめかし給はめ。うれはしきことなり」と宣ふに、宮のおはします御几帳のそばより、御笛を奉る。うち笑ひ給ひて取り給ふ。いみじき高麗笛なり。少し吹き鳴らし給へば、みな立ち出で給ふに、大将たちとまり給ひて、いとめでたく聞ゆれば、いづれもいづれも、みな御手を離れぬものの伝へ伝へ、いと二なくのみあるにてぞ、わが御才の程ありがたく思し知られける。




この若君たちが、可愛らしく笛を高く吹いて、一生懸命に努めるのを、可愛く思い、源氏は、眠たくなっているだろうに。今夜の音楽は、長くは無く、ほんの暫くと思っていたが、やめられない楽の音が、どれもこれも、優れているのを、優劣を決めるほど、耳が良くなく、くずくずして、すっかり夜が更けてしまった。考えの無いこと、と、笙の笛を吹く君に、土器を差して、御衣を脱いで、お授けになる。横笛の君には、こちらから、織物の細長に、袴など仰々しくない程度に、形ばかりにて、大将の君には、宮の御方から、杯を出して、宮の御装束一領を、お授け申し上げるのを、源氏は、変だな。先生にこそ、第一にご褒美を下さるはずだが。情けない話だ。と、おっしゃると、宮がいらっしゃる御几帳の横から、御笛を捧げる。
お笑いになり、お取りになる。素晴らしい高麗笛である。少し吹き鳴らしされると、皆、立って出て行くところだが、大将が立ち止まり、御子が持っていらっしゃる笛を取り、とても結構に高々とお吹きになる。それが大変、見事な音色なので、どなたたちも、皆、源氏の教えを頂き、またとないほど、お上手になった方々ばかりなので、ご自身の御才能の程が、めったにないほどなのだと、お分かりになるのだった。




大将殿は、君達を御車に乗せて、月の澄めるにまかで給ふ。道すがら、筝の琴のかはりていみじかりつる音も、耳につきて恋しく覚え給ふ。わが北の方は、故大宮の教へ聞え給ひしかど、心にもしめ給はざりし程に別れ奉り給ひにしかば、ゆるるかにも弾き取り給はで、男君のお前にては、恥ぢてさらに弾き給はず。何事もただおいらかに、うちおほどきたるさまして、子どもあつかひをいとまなくつぎつぎし給へば、をかしき所もなく覚ゆ。さすがに腹あしくて、もの妬うちしたる、愛敬づきて、うつくしき人ざまにぞものし給ふめる。




大将殿は、若君達を御車に乗せ、月が澄んだ所を、御退出になる。その途中、筝の琴の普通とは違う、素晴らしい音も、耳について忘れられない思いがする。ご自分の、北の方は、亡き大宮が教え申し上げなさったが、面白くならぬうちに、死に別れされたので、ゆっくりと習うことが出来ず、夫君の前では、恥ずかしがって、全然、お弾きにならない。何もかも専ら、おっとりとして、おうような方で、子供の世話を休む暇なく、次々にされるので、風情もない感じがする。それでも、怒ることがあり、焼きもちを焼くと、愛敬があり、可愛らしい人柄で、いらっしゃるようだ。









posted by 天山 at 06:49| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月15日

もののあわれについて736

院は対へ渡り給ひぬ。上は、とまり給ひて、宮に御物語など聞え給ひて、あかつきにぞ渡り給へる。日高うなるまで大殿こもれり。源氏「宮の御琴の音は、いとうるさくなりにけりな。いかが聞き給ひし」と聞え給へれば、紫「はじめつ方、あなたにてほの聞きしは、いかにぞやありしを、いとこよなくなりにけり。いかでかは、かくことごとなく教え給はむには」といらへ聞え給ふ。源氏「さかし。手をとるとる、おぼつかなからぬ物の師なりかし。これかれにも、うるさくわづらはしくて、暇いるわざなれば、教へ奉らぬを、院にも内にも、琴はさりとも習はし聞ゆらむ、と宣ふと聞くがいとほしく、さりともさばかりの事をだに、かく取りわきて御後見にとあづけ給へるしるしには、と、思ひおこしてなむ」など聞え給ふついでにも、源氏「昔よづかぬ程をあつかひ思ひしさま、その世には、暇もありがたくて、心のどかに取りわき教へ聞ゆることなどもなく、近き世にも、なにとなくつぎつぎ紛れつつ過ぐして、聞きあつかはぬ御琴の音の、いでばえしたりしも、面目ありて、大将のいたくかたぶきおどろきたりし気色も、思ふやうに嬉しくこそありしか」など聞え給ふ。




院、源氏は、対へおいでになった。紫の上は、お残りになり、宮にお話などされて、夜明け近くに、お帰りになった。
日が高くなるまで、お休みである。源氏は、宮の御琴の音は、立派なものだった。どうお聞きになったのか、とおっしゃると、紫の上は、初めのころ、あちらで、少しばかり耳にした時には、どんなものかしらと思いましたが、とても上手になられて。それはそうでしょう、こんなに、こればかりをお教えになったのですから。と、お答えになる。
源氏は、そうなんだ。手を取り取り、頼りになる先生なんだ。誰にも彼にも、うるさく面倒で、時間がかかることなので、お教えしなかったが、院も主上も、琴は、いくらなんでもお教え申すだろうと、おっしゃると耳にして、お気の毒で、いくら何でも、そのくらいはせめて、このように特別に、お世話役として、お預け下さったことには、と、思い立って、などと、おっしゃるついでにも、昔、あなたがまだ小さかった頃、世話をしたが、その頃は、暇もなくて、ゆっくりと、特別にお教えすることが出来なく、近頃でも、何となく次々と、取り紛れて日を送り、聞いて上げられなかった、お琴の音が、出来のよかったのも、私には、名誉なことで、大将が、ひどく不審顔で、驚いていた様子も、願い通りで、嬉しいことだった。などと、おっしゃる。




かやうのすぢも、今はまたおとなおとなしく、宮達の御あつかひなど、取りもちてし給ふさまも、いたらぬことなく、すべて何事につけても、もどかしくたどたどしきこと交らず、ありがたき人の御ありさまなれば、「いとかく具しぬる人は、世に久しからぬ例もあなるを」と、ゆゆしきまで思ひ聞え給ふ。さまざまなる人の有様を見集め給ふままに、取り集め足らひたる事は、まことにたぐひあらじとのみ思ひ聞え給へり。今年は三十七にぞなり給ふ。見奉り給ひし年月のことなども、あはれに思し出でたるついでに、源氏「さるべき御祈りなど、常よりも取り分きて、今年はつつしみ給へ。もの騒がしくのみありて、思ひいたらぬこともあらむを、なほ思しめぐらして、大きなることどももし給はば、おのづからせさせてむ。故僧都のものし給はずなりにたるこそ、いと口惜しけれ。大方にてうち頼まむにも、いとかしこかりし人を」など宣ひいづ。




紫の上は、こういうことも、今はまた年輩らしく、孫の宮たちの、お世話なども引き受けていらっしゃる様子も、何一つしくじりもしない。すべて何事につけても、非難されるようなことも、おぼつかない点もなく、またとない人柄ゆえ、全く何から何まで、備えている人は、長生きしない例もあるというが、縁起でもないことまで、心配される。色々な婦人方の人柄を、お知りになっていられるため、何から何まで揃うという点では、実際、またといないと、思っていらっしゃる。今年は、三十七歳におなりになる。
一緒に暮らしていらっしゃる年月の事なども、しみじみとした思い出しなさることの機会に、源氏は、適当なお祈りなど、いつもより、特別にして、今年は、お慎みなさい。何かと忙しいばかりで、気のつかないこともあるだろう。矢張り、色々お考えがあり、しっかりした法事も、幾つかなさるなら、私の方で、させよう。故僧都など亡くなってしまったのが、本当に残念だ。普通に頼むとしても、大変力になる方だったのに。などと、おっしゃるのである。

あはれに思し出でたるついでに
思い出が、あはれ、なのである。
懐かしい、しみじみとした感情。


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2015年04月17日

もののあわれについて737

v源氏「みづからは、幼くより、人に異なる様にて、ことごとしく生ひいでて、今の世の覚え、ありさま、きし方にたぐひ少なくなむありける。されどまた世にすぐれて、悲しきめを見る方も、人にはまさりけりかし。まづは思ふ人にさまざまおくれ、残りとまれる齢の末にも、あかず悲しと思ふこと多く、あぢきなくさるまじきことにつけても、あやしく物思はしく、心にあかず覚ゆること添ひたる身にて過ぎぬれば、それにかへてや、思ひし程よりは今までもながらふるならむ、となむ思ひ知らるる。君の御身には、かの一筋の別れより、あなたこなた、物思ひとて心乱り給ふばかりの事あらじとなむ思ふ。后といひ、ましてそれよりつぎつぎは、やむごとなき人といへど、皆かならず安からぬ物思ひ添ふわざなり。高き交らひにつけても心みだれ、人にあらそふ思ひの絶えぬも安げなきを、親の窓の内ながら過ぐし給へるやうなる、心やすきことはなし。そのかた、人にすぐれたりける宿世とは思し知るや。思ひのほかに、この宮のかく渡りものし給へるこそは、なま苦しかるべけれど、それにつけては、いとど加ふる心ざしのほどを、御みづからの上なれば、思し知らずやあらむ。物の心も深く知り給ふめれば、さりともとなむ思ふ」と聞え給へば、紫「宣ふやうに、ものはかなき身には過ぎにたるよその覚えはあらめど、心に堪へぬもの嘆かしさのみうち添ふや、さはみづからの祈りなりける」とて、残り多げなるけはひ、恥づかしげなり。




源氏は、私は小さなときから、人とは違ったように、仰々しく成人して、現在の評判や暮らしぶりは、昔に例がないくらいだ。しかし、それとは別に、人並み以上に、悲しい目を見ることでも、誰よりも、多かった。第一に、可愛がってくれる人に、それぞれ先立たれ、一人生き残った晩年にも、いくら考えても、悲しくてたまらないという思うことがあり、つまらない、けしかんらぬことにつけても、妙に心配し、不満に思う事が、付きまとう有様が、沢山あって、過ごしてきた。その代わり、昔思ったより、今までも、生きながらえたのだろう。と、考える。あなたの方は、あの時の、別れ以外に、何かのことで、心配して、お苦しみされるほどの事は、あるまいと思う。皇后といっても、ましてそれより下の人たちは、身分の高い方といっても、皆、必ず心の休まることなく、心配事が、ついて回るもの。高いお付き合いをするにつけても、苦しむし、人に張り合う気持ちの絶えないもの、いらいらするだろう。あなたのように、親の手元で暮らしていられるような気楽さはない。その点、誰にも勝る運命だとは、お気づきだろうか。思いかけず、この宮が、こうして、興し入れされたことは、面白くないことだろうが、それにつけては、いっそう、増した愛情の深さを、ご自分のことなので、あるいは、お気づきかもしれない。物事も良く解りのことだろうから、いくらなんでも、お分かりだろうと思う。と、申し上げると、紫の上は、おっしゃいますように、つたない私には、過ぎた事と、よそ目には、思われますでしょう。胸に収めきれない悩みばかりが、付いて回るのは、私の身のお祈りだったのですね。と、まだ言いたいことが残る様子で、こちらの身か縮むのである。




紫「まめやかには、いと行き先少なきここちするを、今年もかく知らず顔にて過ぐすは、いとうしろめたくこそ。さきざきも聞ゆる事、いかで御ゆるしあらば」と聞え給ふ。源氏「それはしも、あるまじきことになむ。さてかけ離れ給ひなむ世に残りては、何のかひかあらむ。ただかく何となくて過ぐる年月なれど、明け暮れのへだてなきうれしさのみこそ、ますことなく覚ゆれ。なほ思ふさま異なる心の程を、見はて給へ」とのみ聞え給ふを、「例の、こと」と心やましくて、涙ぐみ給へるけしきを、いとあはれと見奉り給ひて、よろづに聞え紛はし給ふ。




紫の上は、本当に、もう長くはない気がします。今年も、このまま、知らず過ごすのは、なんとも気掛かりです。前々にもお願いしたこと、何とか、お許しがあれば、と、申し上げる。源氏は、それが、とんでもないことなのだ。そのように、離れてしまったら、後に残る私は、何の生きがいがあるだろう。ただ、このように、何ということもなく、過ぎる年月が、朝に晩に顔を合わせる嬉しさだけで、これ以上のことはないのだと思う。矢張り、私の愛情が、どんなに深いのかを、最後まで、見届けてください。と、ばかりおっしゃるが、紫は、いつもの通り、同じ事を、と、胸が痛んで、涙ぐんでいられるご様子を、可愛そうに思い、話題を探して、話を続けになる。




源氏「多くはあらねど、人の有様の、とりどりに口惜しくはあらぬを見知りゆくままに、まことの心ばせおいらかに落ちいたるこそ、いとかたきわざなりけれとなむ、思ひはてたる。大将の母君を、幼かりし程に見そめて、やむごとなくえさらぬ筋には思ひしを、常に中よからず、へだてあるここちしてやみにしこそ、今思へばいとほしく悔しくもあれ、またわがあやまちにのみもあらざりけり、など、心ひとつになむ思ひいづる。うるはしく重りかにて、そのことの飽かぬかな、と覚ゆる事もなかりき。ただいとあまり乱れたる所なくすくずくしく、少しさかしとや言ふべかりけむと、思ふには頼もしく、見るにはわづらはしかりし人ざまになむ。




源氏は、多くは知らないが、女の人は、それぞれに取りえのるものだと、分ってゆくにつれ、生まれつきの性質が、穏やかで、落ち着いている人は、なかなかいる者ではないと、思うようになった。大将の母君は、小さい時から、連れ添って、しゃんとした、離れぬ本妻だと思ったが、いつものように、うまくゆかず、溝のある気持ちで終わったが、今思うと、かわいそうで、心残りもある。しかし私一人の罪ではなかったのだと、人知れず、思い出す。きちんとして、重々しくて、どこが足りないのかと思う所のなかった。ただ、あまりきちんとしすぎて、そっけなく、少しばかり、賢すぎるというべき人だった。心で考える時には、頼みになり、一緒に暮らすのは、煙たい人柄だった。




中宮の御御息所なむ、さまことに、心深くなまめかしき例には、まず思ひ出でられるど、人見えにくく、苦しかりし様になむありし。恨むべきふしぞ、げに道理と覚ゆるふしを、やがて長く思ひつめて、深く怨ぜられしこそ、いと苦しかりしか。心ゆるびなく恥づかしくて、われも人もうちたゆみ、朝夕のむつびを交さむには、いとつつましき所のありしかば、うちとけては見おとさるる事やなど、あまり繕ひしほどに、やがて隔たりし中ぞかし。いとあるまじき名を立ちて、身のあはあはしくなりぬる嘆きをいみじく思ひしも、われ罪あるここちしてやみにしなぐさめに、中宮をかく、さるべき御契りとはいひながら、取りたてて、世のそしり人の恨みをも知らず、心よせ奉るを、かの世ながらも見なほされぬらむ。今も昔も、なほざりなる心のすさびに、いとほしく悔しきことも多くなむ」と、来し方の人の御上、すこしづつ宣ひ出でて、源氏「内の御方の御後見は、何ばかりの程ならずとあなづりそめて心安きものに思ひしを、なほ心の底見えず、際なく深き所ある人なむ。うはべは人になびき、おいらかに見えながら、うちとけぬけしき下にこもりて、そこはかとなく恥づかしき所こそあれ」と宣へば、紫「こと人は見ねば知らぬを、これは、まほならねど、おのづからけしき見る折々もあるに、いとうちとけにくく、心恥づかしき有様しるきを、いとたとしへなきうらなさを、いかに見給ふらむとつつましけれど、女御はおのづから思し許すらむ、とのみ思ひてなむ」と宣ふ。




中宮の母上の御息所は、並々ならぬ方で、奥深く優雅な人としては、第一に心に浮かんでくるのだが、逢うのは、気詰まりで、息苦しい感じの人だった。恨むのは、全く無理もないと、思われることを、あちらは、長く思い詰めて、深く恨みとされたのが、本当に辛かった。緊張のし通しで、気詰まりで、私もあちらも、ゆっくりとした気持ちで、朝夕と睦まじく逢うには、酷く、気の置けるところがあったので、こちらが、気を許したら、軽蔑されまいかと、体裁を飾りすぎたうちに、そのまま仲が、切れてしまった。大変申し訳ない評判を立てて、ご身分に相応しくない者となった。嘆きを、深く思い込んでいられるのが、お気の毒で、いかにも、人柄を考えても、自分に罪がある気がして、あれっきりになっている罪滅ぼしに、中宮を、このように、前世からの、お約束もあるといいつつ、特別に、お世話して、世間の非難も、人の恨みも構わず、御後援しているから、あの世からではあっても、考え直してくださろう。今も昔も、いい加減な気まぐれから、お気の毒なこと、後悔することも多い。と、過去の婦人方の事を、少しずつおっしゃり、
入内させた女御のお世話役には、何ほどの生まれでもないと、初めは馬鹿にして、気楽な相手と思っていたが、どうして、浅はかではない。際限なく、深みのある人だ。上辺は、素直で、おとなしく見えるが、しっかりしたところがあり、どことなく、気になるところがある。と、おっしゃると、紫の上は、他の方は、逢ったことがありませんので、存じ上げませんが、こちらは、すぐでありませんが、ひとりでに、様子の分る時も何度かあります。気のおける感じがはっきりして、お話ににもならぬ私の、開け放しを、どう思っておらよれるかと、気が引けます。女御は、何も申しませんが、おとがめはないと思います、と、おっしゃる。



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2015年04月20日

もののあわれについて738

「さばかりめざましと、心おき給へりし人を、今はかく許して見えかはしなどし給ふも、女御の御ためのまごころなるあまりぞかし」と思すに、いとありがたければ、源氏「君こそは、さすがにくまなきにはあらぬものから、人により事に従ひ、いとよく二すぢに心づかひはし給ひけれ。さらに、ここら見れど、御ありさまに似たる人はなかりけり。いとけしきこそものし給へ」と、ほほえみて聞え給ふ。




あれほど嫌な人と、疎んじていた人を、今は、このように許して、顔を合わせたりするものだと、女御の事を思う真心なのだ、と思うと、本当に、良く出来た人だと、感心して、源氏は、あなたこそ、それは信じているのではなけれど、人により事によって、とても上手に、心の使い分けをされている。全く、何人かを知るが、あなたのような人は、いなかった。ただ、お顔にお出しになるが、と、微笑みながら、おっしゃる。




源氏「宮に、いとよくひき取り給へりしことのよろこび聞えむ」とて、夕つ方渡り給ひぬ。われに心おく人やあらむ、とも思したらず。いといたく若びて、ひとへに御琴に心入れてかはす。源氏「今はいとま許してうち休ませ給へかし。物の師は心ゆかせてこそ。いと苦しかりつる日ごろのしるしありて、うしろやすくなり給ひにけり」とて、御ことどもおしやりて大殿ごもりぬ。




源氏は、宮に、とても上手に、教えた通りに、お弾きになったお祝いを、申し上げよう。と言い、夕方、あちらへお出でになった。
自分に気兼ねしている人がいるとも、考えずに、とても、若々しくして、いちずにお琴に、熱中していらっしゃる。源氏は、もう、お暇を下さり、お休みあそばせ。先生は、満足させておくもの。大変な、何日ものお勉強の甲斐があり、安心出来るほど、上手におなりだ。と、お琴は、押しやり、お休みになった。





対には、例の、おはしまさぬ夜は、宵居し給ひて、人々に物語などよませて聞き給ふ。「かく、世のたとひに言ひ集めたる昔語どもにも、あだなる男、色好み、二心ある人にかかづらひたる女、かやうなることを言ひ集めたるにも、つひによる方ありてこそあめれ。あやしく浮きても過ぐしつる有様かな。げに、宣ひつるやうに、人より異なる宿世もありける身ながら、人の忍びがたく飽かぬ事にする物思ひ離れぬ身にてや止みなむとすらむ。あぢきなくもあるかな」など思ひ続けて、夜ふけて大殿ごもりぬる暁がたより、御胸をなやも給ふ。人々見奉りあつかひて、女房「御消息聞えさせむ」と聞ゆるを、紫「いと便ないこと」と制し給ひて、堪えがたきをおさへて明かし給ひつ。御身もぬるみて、御ここちもいとあしけれど、院もとみに渡り給はぬ程、女房「かくなむ」とも聞えず。




対では、例により、お出であそばない夜は、遅くまで起きていらっしゃり、女房達に、物語など読ませて、聞かれる。
このように、世間で、引く例として、語り集めた昔話の数々の中にも、不誠実な男や、色好み、二心ある人に関係した女、こうした類の話しを、語り集めたものでも、結局は、定まる女がいて、終わるようだ。
なのに、私は、妙に浮いたままで、過ごしてきたこと。全くお言葉通り、人より優れた運命もある、自分ではあるが、誰だって、我慢が出来ずに、不満だと思う悩みがなくならないままで、終わってしまうのだろうか。つまらないことだと、考え続けて、夜が更けて、お休みになった、その明け方から、胸を病んだ。女房達が、看病されて、殿様にお知らせ申しましょうと、言うが、紫の上が、いけません、と抑える。我慢しきれないのを堪えて、夜を明かされた。お体に熱があり、ご気分も大変悪いのだが、院も、すぐにお出でにならない。その間、女房は、こういうことです。とも、申し上げないのである。




女御の御方わり御消息あるに、かくなやましくてなむと聞え給へるに、おどろきてそなたより聞え給へるに、胸つぶれて急ぎ渡り給へるに、いと苦しげにておはす。源氏「いかなる御ここちぞ」とて、さぐり奉り給へば、いとあつくおはすれば、きのふ聞え給ひし御つつしみの筋など思し合はせ給ひて、いと恐ろしく思さる。御粥などこなたに参らせたれど、御御覧じ入れず、日一日そひおはして、よろづに見奉り嘆き給ふ。はかなき御くだものつをだに、いともの憂くし給ひて、起き上がり給ふこと絶えて、日ごろへぬ。いかならむと思しさわぎて、御祈りども数知らずはじめさせ給ふ。僧召して、御加持などせさせ給ふ。そこどころともなく、いみじく苦しくし給ひて、胸は時々おこりつつわづらひ給ふさま、堪えがたく苦しげなり。さまざまの御つつしみ限りなけれど、しるしも見えず。重しと見れど、おのづからおこたるけぢめあらば頼もしきを、いみじく心細く悲しと見奉り給ふに、こと事思されねば、御賀のひびきもしづまりぬ。かの院よりも、かくわづらひ給ふ由聞し召して、御とぶらひいとねんごろに、たびたび聞え給ふ。




女御の御方からの、たよりがあり、このように気分が悪いと、申し上げされたところ、驚いて、そちらからお耳に入れますと、どきりとして、急いで、お帰りになった。紫の上は、大変苦しそうな様子である。源氏は、ご気分は、どのようだ、と手をあてて、御覧になると、酷い熱である。昨日、申し上げた、厄年の事などを思い合わせて、とても恐ろしく思われる。
お食事などを、こちらで差し上げたが、見向きもしない。一日じゅう付き添い、何かと介抱されて、心を痛めている源氏である。
少しの水菓子さえも、嫌がり、起き上がることは、全くなく、何日も経ってしまった。どうなる事かと、ご心配になり、色々な御祈祷を、数限りなく始める。僧を召して、御加持などをさせるのである。
どこが、どういうこともなく、酷く苦しみになり、旨は、時々痛んで、悩みになるご様子は、我慢が出来ぬほど、苦しそうに見える。様々な、御つつしみは、限りないが、効き目がない。重いといっても、いつか快方に向うということがあれば、頼みになるが、何とも心細く、悲しいことだと、見守っていらっしゃる。他の事は、考えられないので、御賀の騒ぎも、静まってしまった。その院からも、このように病気だということを、お耳にされて、お見舞いを非常に丁重に、何度も何度も、申し上げるのである。

御賀とは、朱雀院ことで、その朱雀院からも、お見舞いが、来るのである。
朱雀院は、女三の宮の父である。













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2015年04月30日

もののあわれについて739

同じさまにて、二月もすぎぬ。言ふ限りなく思し嘆きて、こころみに所をかへ給はむとて、二条の院に渡し奉り給ひつ。院の内ゆすり満ちて、思ひ嘆く人多かり。冷泉院も聞し召し嘆く。この人うせ給はば、院も必ず世をそむく御本意とげ給ひてむと、大将の君なども、心わつくして見奉りあつかひ給ふ。御修法などは、大方のをばさるものにして、取り分きて仕うまつらせ給ふ。いささか物思し分くひまには、紫「聞ゆる事をさも心うく」とのみ恨み聞え給へど、限りありて別れはて給はむよりも、目の前にわが心とやつし捨て給はむ御有様を見ては、さらに片時たふまじくのみ、惜しく悲しかるべければ、源氏「昔より、みづからぞかかる本意深きを、とまりてさうざうしく思されむ心苦しさに、ひかれつつ過ぐすを、さかさまにうち捨て給はむとや思す」とのみ、惜しみ聞え給ふに、げにいと頼みがたげに弱りつつ、限りのさまに見え給ふ折々多かるを、「いかさまにせむ」と思し惑ひつつ、宮の御方にも、あからさまに渡り給はず。御琴どももすさまじくて、皆ひきこめられ、院のうちの人々は、皆ある限り二条の院につどひ参りて、この院には火を消ちたるやうにて、ただ女どちおはして、人ひとりの御けはひなりけりと見ゆ。




紫の上は、同じ状態で、二月も過ぎた。言いようもないほど、ご心配で、ためしに場所を替えようと、二条の院に、お連れする。
院の中では、どこもかしこも大騒ぎで、心配する者が多い。冷泉院もお耳にされて、嘆かれる。このお方が亡くなられたら、源氏も、きっと、御出家の希望を遂げられるだろうと、大将の君も、見事に看病される。
御修法などは、普通のことは勿論、特別に命じて、させ給う。少しでも、意識がはっきりする時には、紫の上が、お願いしたことを、あんなに、情けなくも、とばかり、恨まれるが、寿命が尽きて、お別れになってしまうよりも、見ているところで、ご自分の意志で、出家される姿を見ては、ほんの少しの間も堪えられず、惜しく悲しく思うはずなので、源氏は、昔から、私自身、その希望が強いのだが、後に残り、つまらなく思うであろう。それがお気の毒で、心引かれて、日を送っている。逆に、私を捨てようと思うのですか。と、ばかり、お許しにならないが、お言葉通り、命が続きそうもなく弱って、危篤かと、見えることが、何度かあると、どうしようかと、思案にくれる。宮のお部屋へも、少しも出掛けることはない。
数多い琴も、気が乗らず、どれも皆、しまいこんで、院の中にいる人たちは、すべて二条の院に集まり、六条の院は、まるで、火が消えたようで、ほんの女ばかりがいて、六条の院の、華やかさは、お一方のゆえであると、思われる。




女御の君も渡り給ひて、もろともに見奉りあつかひ給ふ。紫「ただにもおはしまさで、物怪などいと恐ろしきを、早く参り給ひね」と、苦しき御ここちにも聞え給ふ。若宮のいとうつくしうておはすを見奉り給ひても、いみじく泣き給ひて、紫「おとなび給はむをえ見奉らずなりなむこと。忘れ給ひなむかし」と宣へば、女御せきあへず悲しと思したり。源氏「ゆゆしく、かくな思しそ。さりともけしうはものし給はじ。心によりなむ、人はともかくもある。おきて広きうつはものには、幸もそれに従ひ、せばき心ある人は、さるべきにて、高き身となりても、ゆたかにゆるべる方は後れ、急なる人は、久しく常ならず、心ぬるくなだらかなる人は、長き例なむ多かりける」など、仏神にもこの御心ばせのありがたく罪かろきさまを申しあきらめさせ給ふ。




女御の君も、越しになって、源氏と一緒に、看病される。
紫の上は、普通のお体ではないのに、物の怪などが怖いことですから、早くお帰りあそばせ、と、苦しい気分の中でも、申し上げる。若宮が、とても可愛くてあるのを、御覧になり、大変泣いて、大人になるのを、拝見できずに、なりましょう。きっと、お忘れになってしまうでしょう。と、おっしゃると、女御は、涙を堪えかねて、悲しく思う。
源氏は、縁起でもない。そんな考えはするものではない。いくらなんでも、悪いことはないはずだ。気持ち次第で、人間は、どうにでもなる。心の広い人は、幸福も付いて回る。了見の狭い人は、運命によって、高い身分になっても、ゆったりと余裕なく、性急な人は、長く持ち続けられず、おっとりして穏やかな人は、寿命も長い例が多い。などと、おっしゃり、仏神にも、この方の性質が、またとないほど立派で、罪の軽いことを、説明されるのである。




御修法のあざりたち、夜居などにても、近く候ふ限りのやむごとなき僧などは、いとかく思し惑へる御けはひを聞くに、いといみじく心苦しければ、心を起こして祈り聞ゆ。少しよろしきさまに見え給ふ時五六日うちまぜつつ、また重りわづらひ給ふこと、いつもとなくて月日を経給へば、なほいかにおはすべきにか、よかるまじき御ここちにや、と思し嘆く。御物怪など言ひて出で来るもなし、なやみ給ふさまそこははかと見えず、ただ日に添えて弱り給ふさまのみ見ゆれば、いともいとも悲しくいみじく思すに、御心のいとまもなげなり。




御修法のあざりたち、夜の間、詰めるのでも、近くにお付きする高僧たちは、皆、このようにうろたえていらっしゃる御様子を聞くと、何とも、お気の毒で、心を奮いおこして、お祈りされる。少しは、進行が止まると見られる日が、五、六日続いては、また、重くなり、悩まれるということが、いつまでも続いて、月日を過ごされるので、一体、どのようになるのか、治らない病なのかと、悲しまれる。御物の怪だといって、出てくるものもなく、苦しまれる様子は、どこがどうともなくて、ただ日が経つに連れて、弱られる一方で、とても悲しく、辛いことだと、思われて、お心が休まる暇もないのである。

これは、源氏の心境である。




まことや、衛門の督は中納言になりにきかし。いと親しく思されて、いと時の人なり。身の覚えまさるにつけても、思ふことのかなはぬ憂れはしさを思ひわびて、この宮の御姉の二の宮をなむ得奉りてける。下らふの更衣腹におはしましければ、心やすき方まじりて思ひ聞え給へり。人柄も、なべての人に思ひならずらふれば、けはひこよなくおはすれど、もとよりしみにし方こそなほ深かりけれ、慰めがたき姨捨にて、人目にとがめらるまじきばかりに、もてなし聞え給へり。




そうだった。衛門の督、柏木は、中納言になったのだ。
今上陛下におかせられては、大変、ご信任あそばされて、酷く栄えている。名声が高まるにつけても、思いがかなわぬ悲しさを嘆いて、この宮の、御姉君の、二の宮に、御降嫁いただいた。身分の低い、更衣がお生みした方で、おいであそばす。軽く思うこともなく、考えた。人柄も、普通の人と比べると、感じが、とても良くて、初めから思い込んでいた方には、矢張り深いものだろう。慰め難き姨捨で、人に見咎められない程度に、扱い申し上げた。

突然、話が変るのである。

女三の宮に、心があるのに・・・
その御姉の二の宮に、御降嫁、つまり、位置の低い方に、嫁がれたのである。

姨捨
古今集 読み人知らず
わが心 なぐさめかねつ 更科や 姨すて山に 照る月を見て



posted by 天山 at 06:35| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月01日

もののあわれについて740

なほかの下の心わすられず。小侍従といふ語らひ人は。宮の御侍従の乳母の女なりけり。その乳母の姉ぞ、かのかんの君の御乳母なりければ、早くよりけぢかく聞き奉りて、まだ宮をさなくおはしましし時より、いと清らになむおはします、帝のかしづき奉り給ふさまなど、聞きおき奉りて、かかる思ひもつきそめたるなりけり。




柏木は、今なお、心の内を忘れられない。
小侍従という相談相手は、宮の御侍従の乳母の娘である。その乳母の姉が、あの、かんの君の御乳母だったので、昔から、親しく様子を伺っていて、まだ宮が幼い時から、大変、美しくいらっしゃるとか、陛下が大事にしている様子を、聞いていたので、こんな、恋心も、ついたのである。

かんの君とは、柏木のことで、衛門の督であり、今、中納言になった。




かくて院も離れおはしますほど、人目少なくしめやかならむを推しはかりて、小侍従を向かへとりつつ、いみじう語らふ。柏木「昔より、書く命もたふまじく思ふことを、かかる親しきよすがありて、御有様を聞き伝へ、たへぬ心のほどをも聞し召させて頼もしきに、さらにそのしるしのなければ、いみじくなむつらき。院の上だに、朱雀「かくあまたにかけかけしくて、人におされ給ふやうにて、ひとり大殿ごもる夜な夜な多く、つれづれにて過ぐし給ふなり」など、人の奏しけるついでにも、少し悔い思したる御けしきにて、朱雀「同じくは、ただ人の心安き後見を定めむには、まめやかに仕うまつるべき人をこそ定むべかりけれ」と宣はせて、朱雀「女二の宮のなかなか後やすく、行く末長きさまにてものし給ふなること」と宣はせけるを伝へ聞きしに、いとほしくも、口惜しくも、いかが思ひ乱るる。げに同じ御筋とはたづね聞えしかど、それはそれとこそ覚ゆるわざなりけれ」と、うちうめき給へば、小侍従「いで、あなおほけな。それをそれとさし置き奉り給ひて、またいかやうに、限りなき御心ならむ」と言へば、うとほほえみて、柏木「さこそありけれ。宮にたかじけなく聞えさせ及びける様は、院にも内にも聞しめしけり。「などてかは、さても候はざらまし」となむ、事のついでには宣はせける。いでや、ただ今すこしの御いたはりあらましかば」など言へば、小侍従「いとかたき御ことなりや。御宿世とかいふ事はべなるをもとにて、かの院のことにいでてねんごろに聞え給ふに、立ち並びさまたげ聞えさせ給ふべき御身の覚えとや思されし。この頃こそ、少しものものしく、御衣の色も深くなり給へれ」と言へば、いふかひなくやりたなる口ごはさに、え言ひはて給はで、柏木「今はよし。すぎにし方をば聞えじや。ただかくありがたきものの暇に、気近くほどにて、この心のうちに思ふことのはし、すこし聞えさせつべくたばかり給へ。おほけなき心はすべて、よし見給へ、いと恐しければ、思ひはなれて侍り」と宣へば、小侍従「これよりおほけなき心は、いかがあらむ。いとむくつけきことをも思しよりけるかな。何しに参りつらむ」と、はちぶく。




このような様子で、源氏もおい出であそばさない頃、見る人もなく、静かだろうと、推察して、柏木が、小侍従を呼び出し、懸命に頼み込む。
柏木は、昔から、こんなに死ぬほど思っていることを、こんな親しい縁者がいて、ご様子を聞き伝え、抑え切れない気持ちを聞いていただけて、頼みにしている。だが、全然、その甲斐がないので、たまらなく辛い。上皇様でも、こんなに大勢婦人がいて、誰かに負けているようで、一人でお休みになる夜が多く、所在なく日を送っていられる、などと、申し上げる人がいたとき、少しは、後悔した顔付きで、同じことなら、臣下の気楽な婿を取るのなら、心を込めて、お仕えするべき者を、婿にするのだった、と、仰せになる。更に、女二の宮は、かえって、心配もなく、将来末永く幸福に、暮らすだろう、と、仰せ下されたと、漏れ聞いて、お気の毒でもあり、残念でもあり、どんなに心が乱れていることか、まあ、同じ姉妹を頂戴したが、それはそれ、別のことに思えることだ、と、溜息をつくと、小侍従は、まあ、身の程知らずなこと。それをそれとお置き申し上げて、別にどのように。酷すぎるでしょう。と、言うと、
柏木は、にっこりとして、その通りなのだ。宮様のことを、恐れながら、お願い申し上げたことは、上皇様におかれても、主上におかせられても、お耳にあそばして、おられる。どうして、許してやって悪かろう、などと言うと、
小侍従は、とても出来る事では、ございません。ご運という事が、ございます。それが元で、六条の院が、口に出して、丁重に申し上げるのに、同じようにお願いして、邪魔をされるほどの、こ威勢と、思いますか。近頃こそ、少しは、貫禄がついて、お召しの物の色も濃くなりましたが。と言うので、こちらを問題にもせず、まくし立てる口達者に、言いたいことも、言い切れず・・・
柏木は、もういい。昔のことは、申さずにおく。ただ、こんな珍しい、人目のないときに、お傍近くで、この心の中に思うことの、少しのほどを、申し上げられる手立てを、考えてください。見に不相応な望みなどは、全然なく、見ていてください。怖いことですから、考えてもいません。などと、おっしゃるので小侍従は、これ以上、不相応な望みなど、考えられますか。本当に、気味の悪い事を、考えています。何で、こちらへ参ったのでしょう。と、口を尖らせて言う。




柏木「いであな聞きにく。あまりにこちたくものをこそ言ひなし給ふべけれ。世はいと定めなきものを、女御、后もあるやうありて、ものし給ふ類なくやは、ましてその御有様よ。思へばいと類なくめでたけれど、内々は心やましきことも多かるらむ。院の、あまたの御中に、また並びなきやうにならはし聞え給ひしに、さしもひとしからぬきはの御方々にたちまじり、めざましげなる事もありぬべくこそ。いとよく聞き侍りや。世の中はいと常なきものを、ひときはに思ひ定めて、はしたなくつききりなる事な宣ひそよ」と宣へば、小侍従「人におとされ給へる御有様とて、めでたき方に改め給ふべきにやは侍らむ。これは、世の常の御有様にも侍らざめり。ただ御後見なくて、ただよはしくおはしまさむよりは、親ざまに、と譲り聞え給ひしかば、かたみにさこそ思ひかはし聞えさせ給ひたれめ。あいなき御おとしめ言になむ」と、はてはては腹立つを、よろづに言ひこしらへて、柏木「まことは、さばかり世になき御有様を、見奉り慣れ給へる御心に、数にもあらずあやしきなれ姿を、うちとけて御覧ぜられむとは、さらに思ひかけぬことなり。ただ一言、ものごしにて聞え知らすばかりは、何ばかりの御身のやつれにかはあらむ。神仏にも思ふこと申すは、罪あるわざかは」と、いこじきちかごとをしつつ宣へば、しばしこそ、いとあるまじきことに言ひかへしけれ、もの深くからぬ若人は人のかく身にかへていみじく思ひ宣ふを、えいなびはてで、小侍従「もしさりぬべきひまあらば、たばかり侍らむ。院のおはしまさぬ夜は、御帳のめぐりに人多く候ひて、おましのほとりに、さるべき人かならず候ひ給へば、いかなるをりをかは隙を見つけ侍るべからむ」と、わびつつ参りぬ。




柏木は、ええもう、聞きづらいことを。酷く強すぎる言い方をするものだ。縁は、分らないもので、女御とか、后という人でも、事情があって、そんなことがある例もなくはないだろう。それ以上に、そちらの待遇だ。考えれば、またとないほどご立派であるが、内々では、ご不満が沢山あろう。上皇様が、大勢のお子様の中で、特に第一にいつも、可愛がっていらしたのに、たいして身分もよくないご婦人方と一緒になり、抑え切れないこともあるに違いない。よく聞いています。世の中は、無常なものなのに、一方にだけ決めてしまい、無茶な言い方をされるものではない。と、おっしゃると
小侍従は、誰かに負かされているご様子だといって、結構な方と、ご再婚されることができましょうか。このご結婚は、世間普通のご結婚ではないそうです。ただ、お世話役なしで、御身が固まらないでいらっしゃるよりは、親代わりに、とお譲り申し上げされたので、お互いに、そういうものと、思いあって、いらっしゃるようです。つまらない悪口をおっしゃる。と、しまいに腹を立てるので、何かと弁解して、
柏木は、本当に、あれほど、またとないお姿を、いつも見慣れているお方に、人数でもないみすぼらしい姿を、繕わず見ていただこうとは、全然、考えもしないことです。ただ、一言、障子越しで、お耳に入れるだけなら、どれほどご迷惑なことでしょう。神様、仏様にも、自分の思う事を、申すのは、罪になることではありますまい。と、大変な誓い言をしながら、おっしゃるので、暫くの間は、とても出来ない話しだと拒んでいたが、思慮の深くない若い子で、この人が、これほど命懸けで、大変な言い方をするので、とても反対しきれず、
小侍従は、もし適当な隙があれば、工夫しましょう。院がおいであそばさない夜は、御帳台の周りに、女房が大勢お付きしていて、宮様のお傍には、ちゃんとした人が、必ずお付きしています。どんな機会、隙を見つけられるでしょう。と、困りつつ、帰っていった。



posted by 天山 at 06:14| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月07日

もののあわれについて741

柏木「いかにいかに」と日々にせめられて困じて、さるべき折りうかがひつけて、消息しおこせたり。よろこびながら、いみじくやつれてのびておはしぬ。まことにわが心にもいとけしからぬことなれば、けぢかくなかなか思ひ乱るることもまさるべきことまで思ひもよらず、ただいとほのかに、御ぞのつまばかりを見奉りし春の夕の、あかず世とともに思ひいでられ給ふ御有様を、少しけぢかくて見奉り、思ふことをも聞え知らせては、ひとくだりの御返りなどもや見せ給ふ、あはれとや思し知る、とぞ思ひける。




柏木は、どうだ、どうだと、毎日毎日責められて、困ってしまい、適当な機会を見つけて、手紙をよこした。
喜びつつ、目立たぬようにして、こっそりと、お出でになった。本当に自分ながら、まことに良くないことだと、思う。お傍に行き、かえって、煩悶が酷くなるはずだと、考えはせず、ただ、ほんの少し、お召し物の端ばかりを拝見した、あの春の夕暮れの、いつまでも、忘れず、思い出されるお姿を、もう少し、お傍で拝見し、心に思う事を、申し上げたら、ほんの一行でも、お返事を下さらないか。可愛そうにと、お考えくださらないかと、思うのである。




四月十余日ばかりの事なり。みそぎ明日とて、斎院に奉り給ふ女房十二人、ことに上臈にはあらぬ、若き人わらはべなど、おのがじしもの縫ひ化粧などしつつ、もの見むと思ひまうくるも、とりどりにいとまなげにて、御前の方しめやかにて、人しげからぬ折りなりけり。近く候ふ按察使の君も時々かよふ源中将せめて呼びいださせければ、おりたるまに、ただこの侍従ばかり、近くは候ふなりけり。よき折りと思ひて、やをら御帳の東面のおましの端にすえつ。さまでもあるべきことなりやは。




四月十何日かのこと。加茂の祭りの禊が明日だとあり、斎院にお供に差し上げる女房十二人、それから特に上臈ではない、若い女房や、童など、各々裁縫をし、化粧をしたりしつつ、見物に出ようと、準備をしているのも、それぞれ忙しそうで、宮の御前の方は、静かで、人が多くない時でした。
近くに控えている、あぜちの君も、時々通う源中将が、無理矢理呼び出させたので、自分の局に下った暇に、ただ、この侍従だけが、お傍近くに控えている。よい時だと思い、そっと、御帳台の東側の御座所の端に座らせた。
そんなにまで、することがあるでしょうか。

最後は、作者の言葉。
その状況を作者が、第三者のように書き付ける。




宮は何心もなく大殿ごもりけるを、近く男のけはひすれば、院のおはすると思したるに、うちかしこまりたる気色見せて、ゆかの下にいだきおろし奉るに、物におそはるるかと、せめて見上げ給へれば、あらぬ人なりけり。あやしく、聞きも知らぬ事どもをぞ聞ゆるや。あさましくむくつけくなりて、人召せど、近くも候はねば、聞きつけて参るもなし。わななき給ふさま、水のやうに汗も流れて、物も覚え給はぬけしき、いとあはれにろうたげなり。




宮は、何心もなく、お休みになったが、近くに男の気配がするので、院がお出でになったと思ったが、畏まった態度で、床の下に抱いて、下ろしたので、何かに襲われるのかと、怖いが、しいて見上げる。と、別人であった。妙な、訳の分らないことを、申し上げるのではないか。驚いて、気味悪くなり、人をお召しになるが、お傍に控えていないので、聞きつけて、参る者もない。震える様子である。水のように汗も流れ、何が何だか、お分かりにならないご様子である。まことに、お気の毒でもあり、可愛い感じである。




柏木「数ならねど、いとかうしも思しめさるべき身とは思う給へられずなむ。昔よりおほけなき心の侍りしを、ひたぶるにこめてやみはべなましかば、心のうちに朽たして過ぎぬべかりけるを、なかなかもらし聞えさせて、院にも聞し召されにしを、こよなくもてはなれても宣はせざりけるに、頼みをかけそめ侍りて、身の数ならぬひときはに、人より深き心ざしをむなしくなし侍りぬる事と、動かし侍りにし心なむ、よろづ今はかひなきことと思う給へかへせど、いかばかりしみ侍りにけるにか、年月にそへて、口惜しくも、つらくも、むくつけくも、あはれにも、いろいろに深く思う給へまさるに、せきかねて、かくおほけなきさまを御覧ぜられぬるも、かつはいと思ひやりなく恥づかしければ、罪重き心もさらに侍るまじ」と言ひもてゆくに、「この人なりけり」と思すに、いとめざましく恐ろしくて、つゆいらへもし給はず。柏木「いとことわりなれど、世に例なきことにも侍らぬを、めづらかに情なき御心ばへならば、いと心うくて、なかなかひたぶるなる心もこそつき侍れ、あはれとだに宣はせば、それを承りてまかでなむ」と、よろづに聞え給ふ。




柏木は、人並みではない私が、それほどまでに、軽蔑される身分だとは、考えられません。昔から、身分不相応の思いがございましたが、無理矢理に抑えて、申し上げずに終わりましたら、自分の心の中に、埋もれさせて、終わっていたでしょう。ですが、少々申し上げて、上皇様におかせられても、お耳にあそばしましたが、まるで問題にならぬ、とは仰せにならなかったことに、力を得まして、数にも入らぬ身分の一段と低さに、誰よりも、深くお慕いしている気持ちを、無にしてしまったと、残念に思ったことは、何もかも、今になっては、役に立たないと、思い返しますが、それでも、どれほど深く染み付きましたことか、年月が経つにつれて、残念にも、酷いとも、恐ろしいとも、懐かしいとも、あれこれと、物思いが強くなりますので、抑えきれず、このように、身の程を知らぬところを、お目にかけましたのも、考えのないことと、恥ずかしいので、これ以上の罪は絶対に重ねまいと、と言い続けるので、女三の宮は、あの人だと、お分かりになると、呆れて怖くて、何の返事もされない。
柏木は、ご無理もないことです。この世に例がないのでもないことですから、またとないほど、無情なご性質であるならば、嫌な気持ちになって、かえって、無理をする気も起こりましょう。可愛そうと、一言おっしゃってくだされば、そのお言葉を賜って、退出しましょう。と、何かと、申し上げる。





よその思ひやりはいつくしく、ものなれて見え奉らむも恥づかしくおしはかられ給ふに、ただかばかり思ひつめたるかたはし聞え知らせて、なかなかかけかけしき事はなくてやみなむと思ひしかど、やはやはとのみ見え給ふ御けはひの、あてにいみじく覚ゆることぞ、人に似させ給はざりける。さかしく思ひしづむる心もうけて、いづちもいづちもいて隠し奉りて、わが身も世にふるさまならず、あと絶えてみなばや、とまで思ひ乱れぬ。




よそながらの、想像では、威厳があり、身近に寄ることなど、とても出来ないと思われる御方なので、ただこれほど、思い詰めている、そのほんの少しでも、申し上げて、気がとがめるようなことは、しないで置こうと、思っていたが、何とそれほど、気高く卑下を感じさせるような方ではなく、優しい可愛らしく、ただ物柔らかに感じられるご様子が、上品で素晴らしいところは、人並み外れていられる。しゃんと思いを抑える心もなくなって、
何処へなりともお連れして、お隠し申し、自分も、この世を捨てて、姿を隠してしまいたいとまで、心が乱れたのである。

posted by 天山 at 05:48| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月08日

もののあわれについて742

ただいささかまどろむともなき夢に、この手ならしし猫の、いとらうたげにうち鳴きて来たるを、この宮に奉らむとて、わがいて来たるとおぼしきを、何しに奉りつらむと思ふほどに、おどろきて、いかに見えつるならむと思ふ。




ほんの少し、うとうとしたとも言えない夢に、自分が可愛がっていた、あの猫が、まことに可愛らしい声で、鳴きながらやって来たのを、この宮に差し上げようと思い、自分が連れてきたらしいのだが、何のために差し上げるのだろうと思うところで、目が覚めて、どうして、あんな夢を見たのだろうと、思う。




宮は、いとあさましく、うつつとも覚え給はぬに、胸ふたがりて思しおぼほるるを、柏木「なほかくのがれぬ御宿世の、浅からざりけると思ほしなせ。みづからの心ながらも、うつし心にはあらずなむ覚え侍る」かのおぼえなかりし御簾のつまを、猫の綱ひきたりし夕のことも、聞えいでたり。「げにさはたありけむよ」と口惜しく、契り心うき御身なりけり。院にも今はいかでかは見え奉らむ、と悲しく心細くて、いと幼げに泣き給ふを、いとかたじけなくあはれと見奉りて、人の御涙をさへのごふ袖は、いとど露けさのみまさる。




宮は、驚ききり、現実とも思われないので、胸が一杯になり、途方に暮れている。
柏木は、やはり、このように、逃げられない御運命、浅くは無かったのだと、思ってください。私自身も、正気ではないと思われます。と、あの昔の考えられもしない御簾の端を、猫の綱が引いた夕方の事を申し上げた。
本当に、そんなことも、あったのかと、残念で・・・
前世からの約束の、拙い御方ではあった。院にも、こうなっては、どうしてお顔が合わせられようと、悲しく、心細くて、まるで子どものように、泣かれるのを、大変もったいなく、胸が締め付けられる思いで、拝し、宮の御涙を拭く袖は、いっそう、露が増えるばかりである。




明けゆくけしきなるに、いでむ方なくなかなかなり。柏木「いかがはし侍るべき。いみじく憎ませ給へば、また聞えさせむこともありがたきを、ただひと言御声を聞かせ給へ」と、よろづに聞えなやますも、うるさくわびしくて、物のさらに言はれ給はねば、柏木「はてはてはむくつけくこそなり侍りぬれ。またかかるやうはあらじ」と、いとうしいと思ひ聞えて、柏木「さらば不用なめり。身をいたづらにやはなしはてぬ。いと捨てがたきによりてこそ、かくまでも侍れ。今宵に限り侍りなむもいみじくなむ。つゆにても御心ゆるし給ふさまならば、それに代へつるにても捨て侍りなまし」とて、かき抱きて出づるに、はてはいかにしつるぞと、あきれて思さる。すみの間の屏風をひき広げて、戸を押しあけたれば、渡殿の南の戸の、よべ入りしがまだあきながらあるに、まだ明けぐれのほどなるべし。ほのかに見奉らむの心あれば、格子をやをら引きあげて、柏木「かういとつらき御心に、うつし心もうせ侍りぬ。すこし思ひのどめよと思されば、あはれとだに宣はせよ」とおどし聞ゆるを、「いとめづらかなり」と思して、ものも言はむとし給へど、わななかれて、いと若々しき御さまなり。




夜が明けて行くようだが、出て行く方向もなく、むしろ来なかった方が、よかったと思う。
柏木は、どう致しましょう。酷いことを、お悩みになっていらっしゃるので、もう一度、お話申し上げることも、難しいことでしょう。せめて、一言、お声を聞かせてください。と、何かと困ることを申し上げるが、煩わしく、迷惑で、何もおっしゃらない。
柏木は、とうとう気味が悪くさえなります。他にこのような方法がありましょうか。と、酷い仕打ちと思い、それでは、もう生きても、何もならない。いっそ、死んでしまいましょう。死にたくなかったからこそ、ここまで参ったのです。今夜きりの命と思うと、辛く思います。ほんの少しでも、許して下さるお気持ちがあれば、その代わりに私の命を、捨てましょう。と言い、抱いて外へ出るので、これから、どうするつもりなのかと、分らなくなるのである。
隅の間の、屏風を広げて、その向こうの戸を開けると、渡殿の南の戸の、昨夜入って来たのが、開いたままで、まだ夜明けの暗い時刻なのだろう。少しでも、お顔を見ようという気があるので、格子をそっと引き上げて、
柏木は、こんなに酷い、無情なお方なので、正気も無くなってしまいました。少しは、短気を出すと思いなら、せめて、可愛そうとだけでも、おっしゃって下さい。と、脅し申すのを、とんでもないことと思い、何か言おうとされるが、震えてしまい、本当に、子供ぽい御様子である。




ただ明けに明けゆくに、いと心あわただしくて、柏木「あはれなる夢語りも聞えさすべきを、かく憎ませ給へばこそ。さりとも今おぼしあはする事も侍りなむ」とて、のどかならず立ちいづる明けぐれ、秋の空よりも心づくしなり。

柏木
おきて行く 空も知られぬ あけぐれに いづくの露の かかる袖なり

とひきでてうれへ聞ゆれば、いでなむとするに少し慰め給ひて、

女三の宮
あけぐれの 空にうき身は 消えななむ 夢なりけりと 見てもやむべく

とはかなげに宣ふ声の、若くをかしげなるを、聞きさすやうにて出でぬる、魂は、まことに身をはなれてとまりぬるここちす。




夜は、どんどんと明けて行くので、気ぜわしく、柏木は、驚きになるような、夢の話しも、申し上げたいのですが、こんなにお恨みになっているのでは。それでも、すぐに、思い当たる事もありましょう。と、気ぜわしく出て行く明けぐれは、秋の空よりも、物思いを誘う。

柏木
起きて、帰って行く、行く手もわからない。この暗闇に、どこの露が、袖にかかっているのでしょう。

と、袖を引っ張り出して、嘆いて見せるので、出て行くのだと、少しほっとされて、

女三の宮
あけぐれの空に、この身は消えてしまいたい。夢だったと思うことを・・・

と、力弱くおっしゃるお声が、子供のように美しいのを、聞きかけのようにして、出てしまった男の魂が、体を離れて、後に残った感じである。


posted by 天山 at 05:44| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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