2008年09月11日

ベトナムへ 11

パタヤでのホテルは、日本から予約していた。
インターネット利用の場合は、割引になるということで、一泊だけを、予約したが、思わぬほどに、格安だった。
一泊、700バーツが、400バーツで、泊まれるのである。
約、1300円である。更に、朝食付である。
それならと、ホテルは、そこに決めて、三泊することにした。

ノース・パタヤと、サウス・パタヤの真ん中辺り、中心の少し奥に入った場所である。
そのまま、西に歩くと、ビーチに出る。
ただし、ビーチには、一度だけ、支援物資を担いで行ったのみ。
物売りが、煩いので、一切行かない。

朝は、ホテルの朝食で、十分で、昼、夜の食事を、近くの、食堂でする。
現地の人の、食堂である。

昼は、麺類を食べた。
好きな麺を指差して、ポークと言えば、豚肉が入り、チキンと言えば、鶏肉が入る。本当は、シーフードにしたいが、庶民の店には、無い。
40バーツ程度である。130円程度。

今回は、屋台の果物を、よく買って食べた。
スイカ、パイナップルが、美味しい。
そして、焼きとうきびと、紫芋の焼き芋である。
果物は、10バーツで、焼き芋などは、20バーツ。

衣服のバッグを持って、汗だくになり、喉が渇いて、路地の屋台に行き、スイカと、パイナップルを、食べた。
両隣に、麺類と、お惣菜の屋台があった。
一人の女の子が、お手伝いで、小さなビニール袋に、タレを入れて、ゴムで縛っていた。

そこで、私が、女の子に合う、可愛い服を取り出して、スタッフに、タイ語で、必要ですかと、言わせた。
すると、傍の母親が、声を上げて、喜んだ。
女の子も、それを、持って笑みを浮かべる。
いい光景である。

スタッフが、この辺りに、子供たちは、いますか。
日本から、子供の服を持ってきて、必要な人に、上げていますと、タイ語で言うと、何と、いるという。
どこに。
ここに。

ここ。
そう、ここ。私の子供は、男の子が、四人いますと言う。
つまり、男の子の物が、欲しいと、いうこと。
そこで、私は、四本のズボンを出した。
大きさは、どうか。
丁度いい。コープクンカー、ありがとう、と、何度も言う。

こんな所で、支援するとは・・・

屋台で、物売りする人は、女性が多い。それで、家計を支える。場合によっては、女手一つで、子供を育てている。

母親は、感謝の気持ちを、言葉では足りないようで、手を差し出してきた。
握手をした。すると、女の子も、手を差し出す。
その前に、手を合わせて、お礼を言うのである。

私は、日本人です、と言うと、両側のおばさんたちも、解る解る、ジャパニーズスタイルと、着物を指す。

暫く、立ち話をした。
果物が、甘いとか、名前の知らない果物の、説明を受けたりと。
その大半は、解らない。タイ語である。

ズボンを差し上げた母親は、私に、スイカをもう一つと、勧めてくれたが、もう大丈夫と、断った。
次も、又来ますと言って、歩き始めた。

気温は、それほど高くないが、物を持って歩くと、汗だくになる。

そこは、サウス・パタヤの方面になり、少し町外れになる。
しかし、その小路を歩くと、バーが多い。
こんな場所に、バーがあるよと、スタッフに言うと、そうだそうだ、この辺りだよ、ゲイタウンはと、言う。
よくよく、看板を見ると、良いボーイの店とか、男の何とかという、看板が多い。

つまり、地元のゲイの集う場所なのである。
ボーイズタウンである。
街中の、ゲイバーではない。つまり、男の子たちを、売る店ではなく、地元のゲイの出会いの場所なのである。
街中には、ゲイ・ショーパブもあり、男の子たちが、パンツ一つで、舞台で踊り、指名を受けるのを待っているバーもある。

私も、一度、そこに飲みに出たいと思っていた場所である。
しかし、結局、夜になると、疲れて、一度も、出かけなかった。

だが、昼間は、男の姿より、女の方が多い。
準備のための、掃除などをしているのだろうか。
中には、食事をしている女もいる。

オープンにしているので、椅子の腰掛けようと思えば、腰掛けられそうである。

しかし、その周辺は、夜になると、テーフルと椅子を出して、本格的ゲイスポットになるようである。

パタヤは、ゲイと、レディボーイのことを知らないと、面白くない町である。

さて、余談だが、パタヤでは、世界のレディボーイ大会が、行われる。
今、マスコミに出ている、はるな愛という、レディボーイは、そこに出て、四位になったが、実は、日本人で、特別賞を取ったレディボーイがいる。

私と同じ、北海道出身で、今は、故郷に帰って、ブログで、色々と書いている。
それは、スタッフが、調べていた。
まだ、レディボーイの存在が、知られていない時期の、快挙を成し遂げた、レディボーイであるとのこと。

その、スタッフが、いよいよ、レディボーイの施設への、侵入を果たすために、苦心惨憺して、レディボーイを演じることになったが、どういう訳か、その気になって、パタヤでは、私と同行する以外は、レディボーイとして、通したのである。

やれば、やれるものである。
勿論、顔立ちなどに、ある程度の要素が必要であるが、元から、色白なので、うまく化けることが出来たのである。

しかし、最初は、放任していたが、一度、その化粧に、私は、つい、アンタ、それなら、レディボーイではなく、吉本になってしまうよと、言った。
レディボーイの前に、お笑いだと、言った。
それは、彼の心を、傷つけたらしく、部屋に戻ってすぐに、顔を洗い、化粧を落とした。

悪かったと、思い、私が、化粧の伝授をした。
実は、私は、北海道にいた頃、テレビに十年ほど出ていて、おおよそ、化粧の仕方を知っていた。

出演する前に、スタイリストから、化粧されるのである。
私は、男用の化粧が嫌で、いつも、女性ベースにしてもらっていた。
男用の化粧は、顔が少し黒っぽくなるのである。

それで、女性ベースの化粧法を、少し知っていた。
また、カウンターテナーの藤岡宣男が、出演前に、化粧をしていたのを、見ているので、自然に覚えたのである。

知っているのに、何で早く教えてくれないと、怒りつつ、彼は、私の言うとおりに、化粧をした。
すると、何と、自然な化粧で、美しい女の子の顔になったのである。
成功である。

私の教訓。
いつも、自然に化粧をするように。そして、肌のために、潤いを忘れないこと。
絶えず、顔を気にすること。
そうして、話していると、センセイ、もしかして、本当は、化粧したいんじゃないの、である。

これで、私が美しくなったら、世の中の人は、どうなるの。
子供、産めないだけで、何でも出来る人になるよ、と、大声で、答えた。

力むことはないのだが、疲れが、出始めていたのである。

スタッフは、自信を取り戻し、翌日、レディボーイの福祉施設に、一人で、出掛けた。
そして、半日、戻って来なかった。


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2008年09月12日

ベトナムへ 12

レディボーイの、福祉施設に出掛けた、スタッフが、中々戻らないので、六時前に、電話をした。
すると、今戻るところだという。

五時間ほど、その施設で過ごしていたことになる。
その報告が、楽しみだった。
しかし、私は、簡単に書くことにする。
いずれ、彼が、詳しく書くことになると思う。

タイ政府の支援ではなく、アメリカの民間団体と、タイの民間団体が、支援金を出して、レディボーイのための、レディボーイによる、万相談所だった。

どんな相談にも、のってくれるのが、自分と同じ、レディボーイなのである。
医者の診療もあり、ホルモン投与なども行う。

それで得た情報は、何から何まであったという。
生活のことから、噂話まで、

その、活動は、チェンマイまで、広がっているとのこと。
そして、ゲイ関係の施設とも、連携としているようである。
パタヤには、別に、ゲイの福祉施設もある。

何と、スタッフは、会員になり、会員証まで、持ってきた。

すっかり、レディボーイになっていた。
人生とは、実に面白い。
人は行為によって、成りたいものに、なれるのである。

タイでは、レディボーイで、通したら・・・
そうだね、である。

バンコクに出た時も、レディボーイの恰好で、行ったから、楽しい。
ホテルに、入った時は、女と、認識された。

そこで、面白いことが、起こった。
何度か、出入りしていて、彼が、男用になっていた時、二人で、フロントから鍵を渡して貰った。
その時、フロントの女性が、スタッフに、あなたは、どこへ行くのと、声を掛けた。

その、安いゲストハウスのようなホテルは、フロントが、厳しく出入りを、確認している。それが、安心で、私も、そのホテルに泊まるのである。

一緒ですと、スタッフが答えると、フロントの女性は、私に、あの、もう一人の女性はと、尋ねるのである。

えっーーーもう一人の女性・・・

あっ
スタッフが、何と、日本語に訳すと、私は、おかまです。時々、女になったり、男になったりしますと、説明したのである。

唖然とした表情を見て、私は、笑った。
タイでは、当たり前の感覚で、受け入れるが、まさか、日本の、おかまが、という、複雑な表情である。

一件落着したが、後で、あの女性は、食事の時でも、他のスタッフに、ちょっと、泊まっている日本人がさあー、おかまでさー、などと、噂すると、想像した。

ということで、レディボーイの施設侵入は大成功だった。
アジアのトランスジェンダーの問題に、関わるつもりである。

帰国して、数日後に、韓国で、23歳の役者が、テレビで、ゲイであることをカミングアウトすると、すべの仕事が、キャンセルになり、絶望して、自殺したという、ニュースが、入った。
そして、続けて、そのような、自殺が、続いた。

痛ましいことである。
ただ、ゲイであるということでの、差別である。
韓国でも、ゲイは、盛んである。
しかし、根強い差別がある。それは、キリスト教である。
あの、排他的、非寛容の教えである。
これを、書き始めると、止まらなくなるので、別の機会にする。

その夜、初めて、少し高めの、レストランに行き、ステーキを食べることにした。
二人で、1000バーツの食事をした。
勿論、スタッフは、女に化けた。

生きるということは、演じることである。
親を演じ、子を演じ、男を演じ、女を演じ、夫を演じ、妻を演じる。
演じる時は、徹底して、演じることである。
それが、私の教えである。

私の本来は、何も変わらない。
故に、成りたいものに、なればいい。
私は、木村天山を演じている。

ドロボーは、物を盗んで、はじめて、ドロボーになる。
物を盗みたいと考えている時は、ドロボーではない。
行為して、はじめて、ドロボーになるのである。

聖者になりたければ、聖者を演じるとよい。
演じ続けて死ぬと、聖者として、生きたことになる。

成りたいものになれ、とは、私の教えである。

その端的な、生き様が、レディボーイである。
実に、興味がある。

今日の寝る場所を確保し、今日の食べ物を確保するために、人は生きる。辛いときは、夢や理想を思い描いて、脳内物質の、快楽物質を出して、乗り切る。
生きるとは、そういうことである。

そして、その大半は、死ぬまでの、暇潰しなのである。

暇潰しに、命懸けになるほど、面白いことはない。

老死を逃れることは、出来ない。
事実である。
人は、事実のみを、生きる。
真実などは、人の数ほどある。
真実、真理が、一つであるというのは、支配するための、策略である。
宗教を見れば、解る。
主義を見れば、解る。
あれらは、糞でもくらえ、である。

ステーキは、実に、拙かった。
後悔しても、始まらない。
いつも、家では、北海道からの、贈り物である、ステーキを食べているのである。
板を食べているようであった。

コックが出てきて、私を見るので、頷いて、拙いと思念を送るが、コックは、自信を持っている。美味いと、私が言っていると、信じている。
信じる者は、騙される。

1000バーツ、約3300円と、奮発したのにーーーー

帰りは、屋台で、スイカと、パイナップルを買った。
40バーツ、約130円。

あの、固いステーキ肉を、消化するために、体は、どんなにストレスかと、思いつつ、早々に寝ることにした。

明日の一日は、マッサージに賭けることにした。
パタヤは、実は、タイ全国から、マッサージ嬢が集う場所でもある。
下手も、上手も、色気も、タイマッサージのすべてがある。

今回は、最後に、五十過ぎのおばさんに、目の覚める、マッサージのテクニックを見た。
私は、彼女をマッサージの名人と見た。
彼女の胸には、誇り高い、タイマッサージのライセンスの、名札がついていた。

そして、もう一人は、東北部イサーンから出て来たという、23歳のマッサージ嬢である。
その親切と優しさに、私は、心で泣いた。

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2008年09月13日

ベトナムへ 13

タイマッサージは、お寺で、資格を出すのが、正式である。
マッサージをはじめる前に、合掌する。
しかし、それが、今は、あまり見られなくなった。
お寺以外でもマッサージスクールが出来たようである。

三ヶ月、毎日、理論から実技まで、みっちりと、学ぶ。そこで、資格を得て、それぞれ、お勤めしたり、自分で店をはじめたりする。

勿論、お金の無い人は、見よう見まねで、する場合もある。

パタヤは、ありとあらゆる、マッサージ嬢がいる。また、ボーイズマッサージもある。
男だけの、マッサージ店である。
男も女も、受けられるが、ゲイに人気がある。

今回は、すべて、新しい店を探して行った。

ホテル近くにも、数え切れないほど、マッサージの店がある。
最初に出掛けた店は、ホテル並びの店。
タイマッサージ一時間、200バーツ、約660円。

四十代のベテランだった。
強さも、まずまず。
基本通りである。特に、タイマッサージは、下半身、脚と、足裏が中心である。
脚を揉み解すと、体液の流れがよくなり、楽になる。

それと、同じ位に、上半身に、力を入れると、いいと、いつも、思っている。
何も話すことなく、黙って、受けた。
上手の部類に入る。

それから、翌日は、足裏、フットマッサージを受けた。
若い人でも、上手である。

ただ、フットマッサージで、効いたのは、ベトナムで、一度だけ受けた、9ドルのフットマッサージだった。
観光客を相手にする店である。

足裏に、棒で、刺激を与えるもので、タイでも、使用する人もいるが、ベトナムの、それは、非常に強い刺激を与える。
つまり、痛いのである。
私は、その治療法を知っているで、痛みが、後で、楽に変わるので、我慢出来たが、はじめての人は、我慢出来ない痛さである。

勿論、彼女は、強さは、いいかと、聞いた。オッケーと、言って、続けてもらった。

腕を揉み、更に、最後に、背中と、肩をやってくれた。
それがまた、強い。
ベトナム人らしい強さである。

驚いたのは、私の肩の、凝りを、肘で、潰そうとしたことである。
全身を掛けて、肩の凝りを取るという。
これには、感心した。

実に満足して、帰国する前にも、ホーチミンに立ち寄るので、時間があれば、また、来ようと思ったほどだ。

さて、パタヤである。

路地にあるマッサージ店の人々は、人懐っこくて、水ば出すし、終わると、丁度昼時で、食事をはじめている嬢もいた。
そこに、座れといわれ、豚の頭を解体して、茹でたものを、一緒に食べろと言う。

戸惑っていると、一つ、一つと、取って、差し出してくれる。
私は、これが、どの部分かと、気になったが、折角の行為と、恐る恐る食べてみた。

一人の、嬢が、非常に臭い魚の、漬物みたいなものを、もち米につけて、差し出した。
とても、臭いが、食べてみると、美味しい。だが、危険である。一度で、止めた。

更に、もち米を、タレにつけて、差し出してくれた。
辛いその、タレは、タイのいつものもの。
もち米を、タレにつけて、それだけで、食事が終わることもある。

随分と親切である。
明日は、タイマッサージをしに来ると、言って、退散した。

そこの、マッサージ嬢も、多く、イサーンから、働きに出て来ていた。
そこで、働いて、郷里の親に、仕送りをしているのである。

翌日の、朝、開店の十時に、スタッフも連れて、行ったが、まだ、店が開いていない。
休みかと、思ったが、休みだとは、言ってなかったと、並びにある、マッサージ店を、見ると、隣が開いている。その隣は、まだ、開いていない。マッサージ店が、三件並んでいるのである。

隣の嬢たちは、皆、店の前で待機していた。
朝の食事をしている嬢もいる。

店の前に立つと、オーナーが、声を掛けてくる。
それじゃあと、いうことで、スタッフは、フットマッサージを受けることになった。
私は、何にするか、考えた。

タバコをふかした。
そして、皆のいる、店先に座り、嬢たちの、様子を見ていた。
雑誌を見ていた嬢の、隣に座ったので、一緒に、その雑誌を見ることになった。
タイ女性の、モデルたちの、写真が出ている。
隣の嬢が、セクシーと言う。私も、頷く。

どこから来たの。
イサーンから。
そう、私も、ウドンターニ、ノンカーイに行った、よ。
私の町は、その下の方にある。
町の名前を聞いたが、知らない町である。

言葉を交わしているうちに、私は、彼女に、オイルマッサージをしてもらうことにした。
一時間、300バーツが、相場だが、路地にあるためか、250バーツである。

スタッフは、すでに、フットマッサージを始めていた。
私は、オイルなので、中のブースに入る。
腰巻一つで、受けるのが、普通だが、それぞれの店のやり方がある。

彼女は、バスタオルを持って、シャワー室に、案内した。
そこで、シャワーを浴びる。
彼女は、外で、待っていた。
そして、ブースに案内される。
カーテンで、仕切られている、ブースに入る。

どうするのか。
伏せて寝るようにいわれた。
その通りにすると、バスタオルを外された。全裸である。

足から、オイルが塗られて、はじまった。
だいたい、オイルマッサージは、気持ちがよくなり、寝てしまう。
だが、私の場合は、相手が、疲れている場合など、それらを、受けるので、逆に、マッサージが終わると、どっと疲れることもある。

オイルマッサージは、危険である。
若く、健康でなければ、やられる方が、具合が悪くなる。
年配の人には、タイマッサージを、オイルマッサージは、若い人にが、いい。

だんだと、気持ちよく、うとうとする。
そして、背中が終わると、仰向けになる。
このまま、なのか。
この年になると、恥ずかしくなくなり、そのまま、仰向けになる。

彼女は、何事もなく、始めた。
全裸である。
股間に、タオルを当てない。
薄暗いので、いいのか。

これは、しかし、若い男なら、少し困るだろうと、思う。
だが、マッサージを受けていて、勃起する程度が、良い状態だとのこと。
リラックスし、更に、神経が、亢進することなのである。
交感神経の亢進で、勃起する。
しかし、副交感神経も、働く。
それが、うまくミックスして、快適、快感を生む。

やはり、うとうとした。

彼女は、お客主体で、お客が、タオルを求めると、タオルを掛けるのだと、後で気づく。

ゆったりとした気持ちになり、終了した。
その間、向こうで、フットマッサージを受けている、スタッフと、嬢との、会話が弾んでいる。

彼女は、トントンと、私の肩を叩き、起こした。
そして、再び、シャワー室に、案内する。
そこで、シャワーを浴びていると、何と、中に彼女が入ってきた。

そして、シャボンを取り、私の背中から、足まで、洗ってくれるのである。
はじめての、ことである。
更に、胸まで、洗った。
淡々と行う。
私は、彼女に、水がかからないようにして、浴びたが、彼女は、意に介さず、サービスする。

感動した。

それが、終わると、すっと、シャワー室から、抜けて、待っている。
バスタオルで、体を覆い、ブースに戻り、着替える。
その間、ベッドの端に、腰掛けて待っている。

その、控え目な、対応に、私は、思わず、先にチップを出した。
100バーツ。
チップは、20バーツと、決めていたし、また、出さない時もある。しかし、今回は、彼女の行為に感動して、100バーツにした。
それを受け取ると、合掌して、コープクンカーといい、感謝する。

実に、気分の良いものだった。
路地裏の店、特有のものだろう。

次も、機会があれば、彼女に、オイルマッサージをしてもらいたいと、思った。
そう思うのも、はじめてである。
悪い気を受けなかったのである。
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2008年09月14日

ベトナムへ 14

明日は、バンコクへという前日の、夕方、ホテルの斜め前の、マッサージ店に入った。

いつも、数名の嬢たちが、料金表を掲げて、客引きをしていた。
そこで、一時間のタイマッサージを頼んだ。

五十代の、おばさんが着いた。
マッサージ室は、三階にあった。細長いビル一つが、マッサージ店だった。
誰もいない、だだっ広い部屋に、ベッドが並んである。
窓際のベッドに案内されて、二時間にした方がいいというのである。
二時間なら、350バーツで、得だよと。

もし、下手糞なら、二時間は、苦痛だと思った。これは、賭けである。
まだ、今日は、お客が一人もいないので、押し売りしているのかもしれない。
オッケーというまで、食い下がるので、オッケーと、答えた。

そして、マッサージがはじまった。
足裏から、脚全体にかけての、マッサージは、巧い。
そして、更に、上半身にきた。
いつもと違う。
このおばさんは、手、肘、足、膝と、縦横無尽に使って、私の体を、少しつづ、ずらしつつ、わき腹まで、揉んだ。
わき腹は、余ほどの人でなければ、事故にもなるので、揉まない。

これは、巧い。
最後になった時、太股の、内側を、足で揉んだから、驚いた。
そして、私の体を、少し横にし、背中を膝で、押すように、揉む。
今までにない、マッサージのテクニックを、幾つも見た。

自分の体重を巧く利用するのも、上手である。
見事だった。
プロの仕事である。

そして、終わり、私は、100バーツのチップを渡した。
そして、素晴らしいマッサージですと、英語で言った。
おばさんは、英語がペラペラである。

そして、言うには、タイマッサージは、二時間必要だという。
一時間では、やり切れないとのこと。
これから、タイマッサージを受ける時は、二時間やるようにしてくださいと、言われたのである。

イートさん、番号15。
店の名刺に、サインをして貰う。
パタヤでの、タイマッサージは、このおばさんに決まりである。
フットマッサージは、前回来た時の、ボーイマッサージ店の一人のボーイである。
力が強く、足裏を、ぐいぐいと押す。足裏は、どんなに強くとも、事故は、起きない。
そして、オイルマッサージは、あの、イサーン出身の、嬢である。

パタヤマッサージの顛末を終える。

さて、私は、バンコクに、バスで行こうと考えていた。が、ホテルに、車チャージの、コナーがあるので、料金を尋ねる。
800バーツ、1200バーツ、1500バーツ以上とある。
お勧めは、1200バーツ、約4000円のコースで、高速料金が含まれている。
800バーツは、高速料金が含まれない。車の質も違うと、後で、スタッフに教えられた。

バスは、一等エアコンバスで、一人約200バーツである。しかし、バス停までタクシーに乗り、降りてから、また、タクシーなど利用すると、色々と、お金が掛かるし、いちいち交渉しなければならない。面倒である。
よしと、1200バーツに、決めた。
出発は、一時である。
チェックアウトが、十二時なので、昼を食べて、行くことにした。

ところが、タクシー運転手は、十二時に、待機して待っていた。
それならと、乗り込んだ。
食べ物は、屋台で買った物が、多少あったので、それを、食べることにした。

バンコクまでの、高速道路は、スムーズに進んだが、バンコク市内に入ると、渋滞である。
スクンビットのナナ駅に近づくと、更に渋滞。

三時を過ぎた。
ようやく、運転手が、横道に入り、一気に、ソイ11に入った。
目印の、セブンイレブンがあったので、そこで、降りる。
旅行雑誌で、見た、ゲストハウスに泊まってみたいと、思ったのだ。
しかし、ほぼ満室で、ツインルームは、一泊しか出来ない。
900バーツである。

確かに、民家風で、緑に囲まれている。が、実に、不自然な感じである。周囲の形態と、違和感があり過ぎる。そして、少し高慢な、態度は、人気があるのだろう。
更に、フロントの横に、セックス目的の方は、お断りしますと、書かれてある。

どういうことだろうか。
つまり、売春する者を、連れ込むなということ、なのであろうか。
ラブホテルのように、使用するなと、いうことか。

確かに、欧米人のセックスは、長時間に渡り、更に、音が大きい。造りの粗雑な、部屋は、隣近所に迷惑である。
それにしても、わざわざ、そんなことを、書くとは・・・
それが、楽しみで、きている人もいるはず。

まあ、それぞれの、ハウスの、方針があっていい。
結局、私たちは、いつもの、600バーツという安いゲストハウスに向かった。
スタッフが、連れ込み宿という、ゲストハウスである。
私は、アンタ、連れ込み宿でも、ゲストハウスに替わりないと言った。私は、気に入っている、のだ。

今回は、オーナーさんが、フロントにいた。
オーナーさんは、日本に、十ヶ月過ごしたことがあるという。ただし、日本語は、ちょっと待って、ありがとう、さようなら、しか、出来ないと言う。
とても、親日溢れる、おじさんだった。

二泊することにした。つまり、バンコク滞在は、そこのみである。

部屋に、荷物を置いて、すぐに、食事に出た。
スタッフは、逢う人がいるので、私一人で、いつもの、屋台連合のような、ビルの横にテントを張っている屋台に出掛けた。
そこで、スープライスを頼む。
しかし、最初、それが、通じないのである。
ライスに、ラーメン丼を、ジェスチャーしたが、それなら、あちらの、麺屋だと、言われる。違う、違う。ライスに、と言うと、おじさんは、ご飯を大盛りに丼に盛る。違う違う。ライスに、スープ、スープという。
ようやく、おじさんは、スープライスかと言う。
ライススープと、スープライスは、違うのか・・・

とても、疲れた。
しかし、次からは、おじさん、私の顔を見ると、スープライスかと、尋くようになる。

何度聞いても、その、スープライスの、タイ語が、覚えられないのである。

食事は、ほとんど、そこでした。
そして、その近くのインド料理の店で、カレーを食べる。
その辺りは、インド、アラブ料理の店が、多い。アラブのテレビ番組を点けている店もある。
黒尽くめの、イスラムの女性の姿が目立つ。
そして、ホテル横の小路は、アフリカ系である。

更に、ナナ駅の付近には、女性、レディボーイの、ゴーゴーバーが、多い。
夕方からは、歩道に、長く、ナイトバザールがはじまるという、混雑さである。

食べ物の、屋台も多く出る。
毎日が、お祭りである。

スタッフは、一人のレディボーイと、逢っていた。
泊まるホテルを教えてくれたのも、そのレディボーイである。
朝から、レディボーイたち、女性たちの、立ちんぼがいる。
その皮膚の色が、多くなった。
黒人の、女性も、白人の女性も、立つようになったのである。
タイ人ばかりではない。

その夜、スタッフは、女装して、私をレディボーイの、ゴーゴーバーに連れた。
ビル全体が、ゴーゴーバーである。
何件もの店が、客引きをしている。

私は、はじめて、ゴーゴーバーに入ることになった。
音楽に合わせて、レディボーイたちが、水着姿で、踊る。
驚くほど、美しい人、可愛らしい人、様々である。
中には、吉本、お笑いという人もいるが、それもまた、楽しい。

しかし、長くは、いられなかった。
音楽と、照明に耐えられない。

私を指名してと、皆々、訴える。
指名をして、店から連れ出すのに、600バーツを払う。そして、後のことは、交渉次第である。

飲み物を運んでくる者も、レディボーイなのであるが、舞台に立てない、ちょっと、面白、レディボーイである。
しかし、必死で生きているのは、伝わる。

オレンジジュースを飲み終えて、清算する。
二人で、160バーツ程度。安い。
すると、子豚顔の、飲み物係りの、レディボーイが、チップ頂戴と言う。
20バーツという、ケチ臭いチップを上げて、退散した。

私のスタッフは、女性に見られたことに、満足していた様子。
そこで、一言。やるなら、徹底して、やるべきだと。
女に、見せるのではなく、女であること。

役者は、それに、見せるのではなく、それに、成るのであり、名優は、それに成るのである。

スタッフは、私に、日舞を教えて欲しいという。しぐさは、学ぶ必要があると、気づいたのだ。
所作は、教育される必要がある。

私は、踊りつつ、ホテルに向かった。
手踊りである。誰も気づかない程度である。

それが、最も楽しかった。
教養というものは、そういうものである。
人に見せるものではなく、私が楽しむもの。それが、教養である。
自己満足の、何物でもない。

蒸した、とうきびと、枝豆を買う。
20バーツ。
屋台のおばさんに、焼いたエビを、勧められたが、100バーツである。それは、高い。私のような、貧乏人には、手が出ないもの。

本当は、食べたいが、我慢する。
その、我慢が快感になる。

酒を飲まずに、早々に寝ることにする。
明日は、チェンマイから来てくださる、小西さんと、会う。

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2008年09月15日

ベトナムへ 15

旅の最終日、チェンマイから来られる、小西さんにお逢いする。
約束の時間は、正午である。
有名ホテルのロビーで落ち合うことになっていた。

ゲストハウスから、歩いて、5分である。

その朝、七時を過ぎたので、屋台連合に行く。
屋台連合とは、私が勝手に名づけているので、その辺りに行って、屋台連合と聞いても、通じない。

皆さんと、顔馴染みになった。
向こうから、コーヒーと、聞いてくる。
コーヒーを頼み、その小路で、絞りたてジュースを作るおばさんから、20バーツのジュースを買う。
何も手を加えない、本当のジュースである。
オレンジの甘さのみ。日本の冬ミカンに似ている、ミカンである。

ジュースを飲み、コーヒーを飲んで、何を食べるか、考える。
スタッフは、少年のようになり、私の前にいる。
不思議なことで、レディボーイを続けていると、素になった時、少年のようになるのが、不思議である。
矢張り、少年は、中性なのである。

ここで、少年の美について、書きたいが、それは、性についてで、書くことにする。

実は、一つ書き忘れたことがある。
衣服支援の子供服が、少し余っていた。

スタッフが、マッサージをしたいというので、私がいつも行く、安いマッサージの嬢を紹介した。
私が連れて行った。そのまま、私は、部屋に戻った。
すると、担当したのは、別の中年の女性だったという。

私の紹介した嬢は、中年の女性に、客を譲ったことになる。
それは、中年の女性には、まだ、客がつかなかったので、嬢が、譲ったと思える。
そういう、優しさがある。
皆、苦労しているから、人の苦労が解る。

その中年の女性と、マッサージをしながら、話していると、彼女には、三人の男の子がいて、別々に暮らしているとのこと。
子供たちは、学校で暮らしているのである。

母子家庭で、皆で、暮らせるだけの、収入がないのである。
タイは、福祉政策が、非常に遅れている。

そこで、スタッフが、子供服を、少し持って来ているが、必要ですかと、尋ねた。
彼女は、必要、必要、欲しいと、言う。

マッサージを終えて、部屋に戻った、スタッフは、急いで、残りの、衣服を集めて、彼女に持って行った。
私は、それを見ていた。

戻ってくると、他の者も、出て来て、皆で、それを見て、良質な物で、自分も着れるものがあるという、女性もいたという。
小柄な女性は、子供用でも、着られる。

バンコクでも、必要な人がいる。
都会だからこそ、必要な人がいる。
貧しいゆえに、都会に出て働くという、感覚は、当たり前である。

これは、口伝えで、私たちの活動が伝えられると、ここでも、必要な人は、多くいるのだろうということに、気づいた。

バンコクには、カンボジア、ラオス、ミャンマーからも、働きに出ている人が多い。
ラオスの少女が、体を売れるようになると、立ちんぼになることも、多々あり。

成人になり、覚悟して、体を売るということに、何の問題もない。
寝る場所の確保と、食べることの、権利は、誰にもある。
何ら、恥じることはない。

人様に、世話にならず、自分で、自分の生活を、賄うのである。

実は、パタヤでも、ベッドメークする、女たちと、色々と話すことが出来た。
出稼ぎの人が多い。
丁度、子供服の下に、女性用の、ナイトガウン、寝巻きに出来る物が、数点入っていた。それを、彼女たちに、差し上げた。
大喜びで、それから、私たちは、実によくしてもらった。

一人のおばさんは、子供がいるというので、子供服を見て、選んで貰った。
その選んだ服を、静かな笑みを浮かべて見ていた。
きっと、子供に着せる時の、様子を思い浮かべているのであろう。

差し上げた時に、その場にいなかった女性がいて、元気な女性が、彼女には、何か無いのかと、言われた。
すべての、衣服を出して、彼女に合うものを、探して、渡した。

その時、支援の形の無形さを、思った。
臨機応変である。
必要な人に、差し上げる。

苦労している人は、優しいのである。人の痛みが解る。
そして、自分一人が良くなればいいとは、思わない。助け合う心で、支えあうのである。

バンコクに行く日の朝、ベッドメークで、廊下に座り、待機していた皆と、出掛けに会った。
次は、いつ来るの。その時も、このホテルに泊まるか。
また、このホテルに泊まるので、逢えるよ。
イサーン出身の女性が、皆の代表になり、待っている、と言う。
次は、いつになるのと、言う。
来年、来る。
来年って、いつ。
年が明けたら、来ると、言うと、納得した。

部屋から出る時は、皆、忙しかったが、一人の女性が、私たちが、部屋から、出る時、荷物まで、持って下に降りてくれた。

清算し、チェックアウトが、スムーズに終わるのを、見届けて、さようならと、言って、また上がって行った。

こうなれば、私たちは、彼女たちの知り合いである。
単なる、客の一人ではない。
次に行く時、更に、衣服を持って行けば、必要な人のいる場所を、教えてくれる。
彼女たちが、橋渡しをしてくれるだろう。

そして、本当に切実に、必要な人の存在も、彼女たちは、知っているはずである。

追悼慰霊から、子供服支援、衣服支援になり、そして、人と人の付き合いになり、情けある付き合いになり、その相手が、日本人である。

私の願いであること、成就せり、である。

前置きが長くなったが、小西さんとは、正午に会って、食事をすることにした。

小西さんについては、以前の旅日記は、何度も書いているので、改めて、説明はしない。

タイ北部の、慰霊地については、ほぼすべてを把握している方である。
皆、小西さんを、頼り、取材や、慰霊に訪れる。
マスコミ関係から、政治家、その関連の方々。
要するに、タイ北部の、慰霊については、スペシャリストである。

そして、小西さんは、事実を知る人である。
日本軍、日本兵の、事実を知る人で、それを、しっかりと整理して、書かれると思う。
多くの、誤解や、偏見を取り去り、事実を書くのである。

また、遺骨収集も行い、実際に、日本兵が、どのような亡くなり方をしたのかも、見ている。

更に、タイで、日本人として、生きている。
迎合は、しない。
真っ当な日本人として、国際人である。

海外で、日本人としてあることは、そののまま、国際人なのである。
日の丸を背負うことが、国際人の、第一歩である。
自分の国に、誇りを持てない人を、どこの国の人も、信用しない。
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2008年09月16日

ベトナムへ 16

小西さんと、食事を終わり、小西さんが、私たちに、どこか行きたいところは、無いですかと、尋ねた。

私は、首相府の、反政府団体、民主主義市民連合が、集結している場所に、行きたいと言った。
それではと、タクシーに乗り向かった。
外務省からは、危険地区に指定されている。

バリケードの張られている、手前で、タクシーを降りて、歩いた。
入り口が、高くなり、簡易の梯子がかけられてある。
そこを、上って、また、降りる。
降りると、身体検査をされた。
危険物の有無を調べるのだろう。

それを、終えて、すぐに、出店が続いている。
私たちは、一つの出店で、パタパタと、拍手替わりの、手のオモチャを買う。
一つ、25バーツである。
小西さんは、お子さんの、お土産に買った。

私は、その、パタパタを、鳴らして歩いた。
更に、バリケードの中では、演説が、繰り返されていて、時々、歓声が上がり、その、パタパタを、鳴らすので、私も一緒に、鳴らした。

そのうちに、両手を上げて、歩いた。
勿論、和服姿の者は、私の一人のみ。
だが、目立つほどではない。
しかし、目を合わせる人は、皆、私に、笑顔を向ける。

集会の周辺は、すべて、屋台で、埋まっていた。
この、集まりに、便乗しての、商売もあった。
服屋さんから、一般の屋台の食べ物屋である。
端的に言うと、お祭りである。

そして、スピーカーから、演説の声が流れる。
私も、何か演説したい気持ちに、駆られた。
すると、小西さんも、そうだと言う。
何か、意見を述べたくなる気分である。

丁度、舞台では、全国から集った、様々な、市民グループの代表が、一人一人、挨拶していたようである。

無料炊き出しのコーナーには、人が列を作っていた。
和やかな、反政府運動という、イメージである。

だが、私が、帰国した日の、午後、ソムチャイ首相の施政方針演説を阻むために、国会を包囲した、反政府派は、一時、首相や、議員を、閉じ込めることになり、警察が、催涙弾を発砲した。
また、与党の政党本部前の、爆発により、二名が死亡した。
朝からの、負傷者は、400人を、超えたという。

簡単に説明すると、ソムチャイ首相は、対話路線を取るつもりだったが、反政府側は、あくまでも、タクシン元首相系の政権の永久追放なのである。

反政府派との、仲介役として、副首相に就任した、元首相経験者の、チャワリット副首相も、混乱の責任を取って辞任した。

ただ、タイの国会議員は、市民運動に対する、催涙弾などの使用に、反対する者多く、それにより、野党・民主党、上院議員などが、抗議のために、国会に出席せず、演説に対する討論も無かった。

ただし、タクシン元首相の追放の時は、五万人の市民が、集ったが、現在は、一万五千人程度で、縮小している。
また、与党側も、進展しない状態に、手詰まり感があり、硬直状態が続く。

連立政権なので、野党・民主党と、他の政党が、連立すると、政権交代が、出来るので、それで、一件落着するのではと、私は、見ている。

要するに、タクシン元首相が、いかに、国を利用して、金儲けをしたかということである。
そのために、法整備も、整えるという、国を売ると言える、やり方である。

タクシンを支持したのは、最も貧しい、東北部・イサーンと、北部である。
金をばら撒き、票を得たと、聞いたが、それは、貸付たのだという。
100バーツで、利息が、1バーツだというから、驚いた。
数である。
金持ちは、どうしても、金持ちになってゆくのである。

勿論、医療費無料などの、政策もあるが、単に、税金を投入して、自分には、関係ない。だから、南部に行った時に、タクシンが、遊説に来たら、殺すという者、多々いたのである。
南部に対する、政策は、何もなしなのである。
更に、南部が、最も税金を払っているという、カラクリである。

南部のマレーシアに近い、一部では、テロが多発して、独立を求めている。
タイの、イスラム圏である。

さて、私たちは、首相府を取り囲んでいる道を、ぐるりと、周り、元の場所に出た。

何の、危険なことはなかった。
逆に、タイ、バンコクの市民と、良い交流が出来たと思う。
私の姿は、一度見ると、忘れられないのである。
着物で、素足の日本人である。

周辺の道路は、渋滞が続いていた。
ようやく、タクシーを捕まえて乗ったが、中々、先に進まない。

あまりに、長くかかったせいか、タクシー運転手が、料金を、まけてくれた。

タクシーを降りた側の、喫茶店に入り、小西さんと、スタッフの野中と、三人で、話した。
特別の話ではないが、私は、わざわざ、チェンマイから、私たちに逢うために出て来てくれた、小西さんには、本当に感謝した。

朝来て、最終便で、チェンマイに戻るのである。

小西さんは、私が、児童買春について、調べたいと言ったことを、心配してくださり、何事かあれば、必ず連絡くださいと言って下さった。

更に、バンコクの風俗に関しても、案内して下さると言う。
ハッポン通りなどの、有名風俗街である。
ボーイゴーゴーバーには、男も女も、ボーイを買いに来るという。
その値段は、男より、女が買う方が、倍高いというから、驚きである。

ハッポンについては、昔から知っていた。
アジアの女たちを、買い漁った男の手記なども、読んでいた。
売春天国タイという言葉が、出来た時、タイ政府が、その撤回を世界的に、呼びかけたことがある。

しかし、貧しい国からは、売春は、無くならない。
振り返れば、敗戦の日本も、戦後長い間、売春で、皆、食いつないできた。
韓国も、売春で、外貨を稼いだ時期がある。
そして、フィリピンも。

私は、売春も、文化であると、見ている。
誤解を、恐れずに言えば、食って寝る場所を、確保するために、売春も、堂々たる、仕事であり、労働である。

ただし、幼児、児童買春は、別物。
それは、罪である。
幼児、児童は、自分で、選択する力は、無いし、保護される権利がある。

児童買春は、人身売買である。
貧しい所から、子供を買い、そして、売る。
買った者は、子供を物として、扱う。
それこそ、基本的人権の無視である。

こんなことを、許せるはずがない。

だが、問題は、それを、買う者がいるという、現実である。
幼児性愛、児童性愛である。
これらは、治療が必要である。

さて、六時を過ぎたので、私たちは、小西さんと、お別れすることにした。

タクシーを待つ小西さんに、私は、大丈夫ですかと、言った。
言った後で、大丈夫ですかと、言われるのは、私の方だと笑った。
本当に、笑って別れた。
感謝である。

丁度、これを書いていた時、ニュースが入った。
タイの、アヌンポン陸軍司令官が、16日、地元テレビに出演し、国会を包囲した、反政府団体、民主主義市民連合の支持者たちに、警察が、強制排除し、死傷者が出たことに、私が、首相なら、辞任すると、痛烈に首相を非難した。

また、地元メディアも、一斉にソムチャイ首相の責任を追及した。
王室、司法も、反政府団体寄りの姿勢を示す。
クーデターについては、介入を否定したが、さらなる衝突の場合は、行政権の停止もありうる、としている。
つまり、軍が介入する可能性である。
また、クーデターを、反政府団体も、望んでいるようである。

そして、もう一つの、問題がある。
カンボジアとの、世界遺産であるクメール寺院プレアビヒア周辺の、国境問題である。
両国の軍高官が、共同パトロールの実施で、合意したが、タイ政局の混乱が、紛争激化の、きっかけとなった。

タイ政府が、カンボジアによる、寺院の世界遺産に登録申請に、同意したことから、民主主義市民連合が、売国行為と、激しく批判した。

更に、市民連合の支持者が、7月15日に、寺院に侵入したことから、両軍の展開という事態を、引き起こしたのである。

いずれにせよ、政権存亡の危機的状態である。
寺院自体は、国際司法裁判所で、カンボジア領と認定されている。国際的には、タイの内政混乱が、紛争激化の原因と、見られる。

王室、司法も、反政府寄りであるということは、先が見えるのである。

タイのプーミポン王は、タイの民主化を望んでいるが、矢張り、王様の指導が必要なのであろうか。
それぞれの、民主化というものがあっても、いい。
タイは、王様主導の民主化であって、いいと思うが・・・
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2008年09月17日

ベトナムへ 17

私は、王様のいる国、タイが好きである。
無形の権威というものが、社会には必要である。
現国王は、国民の期待に、若い時から、応えてきた。

自らも、出家し、そして、王位を守り、政治的には、中立を保つ。
しかし、ここ一番という時、国民は、王の指示を仰いだ。

現在も、政府側、反政府側も、国王支持である。
国民の、90パーセント以上が、国王支持である。
その、支持率を、保ち続けてきたということは、並大抵ではない。

クーデターの度に、国王の信任を得るということが、前提になった。
世界広しといえども、そのような、国王は、どこにもいない。

宗教界、仏教の主は、主として、政治は、国民にという、国王の意志と、人柄が、そのようにさせるのであろう。

世界の識者は、政治は、国民の手で、修めるべきであり、国王を、持ち出すことのないようにと、言うが、それぞれの、民主化という形があってよい。
国王、絶対君主という、時代ではない。

アメリカが、イラクにアメリカ型の、民主化を、求めても、成る訳が無い。
その土地、民族性によるものである。

天皇が、祈りの象徴であるように、タイの国王も、祈りの象徴として、ありたいと、願っていることだろう。
国民は、誰もが、私を省みなくても、国王は、私のために、祈っておられる。
これこそ、国家幻想の、大元である。

無形の権威である。

しかし、現実問題、選挙によって、選ばれた政治家が、政治を行うべきである。
そして、選挙によって、政治を、修めるべきである。

いつも、軍が、クーデターを起こして、国王の信任を得て、暫定政権を作り、そして、選挙し、政府を立ち上げというのは、お終いにした方がよい。

タクシンの場合は、王制を廃止し、大統領制を示唆したことも、大きな反感を、国民から買ったのである。
やったことも、悪だが、言動も、悪乗りである。

また、問題は、タクシン政権寄りの、政党が存続し、選挙で、勝っていることである。何故か。そこに、何か、意味がある。利権であろうと、思う。
タクシンは、相当に金持ちであるが、実は、タイ国民は、知っている。

タイ国王は、世界で、一番の金持ちである。
正確な数字は、忘れたが、兎に角、世界一金持ちの、国王である。
中華系タクシンごときに、タイという国を、則られてたまるか、というところだろう。

さて、この問題は、そろそろ、省略して、旅の続きを書く。

小西さんと、別れて、私たちは、一度ホテルに戻り、休んだ。
少し、疲れを感じた。
明日、ベトナムを経由して、帰国するのである。

10日間の旅も終わる。
そして、更に、ベトナムでの、五時間あまりに、追悼慰霊の儀を行うと、決めた。

食事である。
何を食べるか。
私は、屋台連合の、スープライスしか、思い浮かばない。

40バーツ、約130円である。
エビと、イカの入った、シーフードを食べる。

スタッフの野中は、レディボーイに逢うというので、別々に行動することにした。
しかし、私は、屋台連合に行くことを言った。
野中が、先に部屋を出た。
30分ほどして、私も、部屋を出た。

もう、顔馴染みになった、おじさんに、シーフードのスープライスと、言う。
夜の屋台は、混雑している。
地元の人が多いが、欧米人もいる。
一つだけ空いていた、道沿いの椅子に座る。

息子なのだろうか、男の子が、運んできた。
食べ始めると、男の子は、お椀に、何かを持ってきた。
私の食べている、どんぶりに、それを、入れようとするので、制して、その、お椀の中に入っているものの、匂いを嗅いだ。
酢である。
スープライスには、酢を、入れると、はじめて知る。

私は、それを、受け取って、少し入れて食べてみた。
悪くないので、もう少し、足した。
長い間に、出来た食べ物には、良い食べ方がある。
更に、生野菜が出ることもある。
こうして、バランスの良い食事を、思いついてきたのである。

衣食住には、民族の心が、宿る。

食べ終わって、さて、どうしようかと、思った。
最後の夜であるから、少し、歩道に並んだ、夜店を見ることにした。
あるならば、ロウソクを買おうと思った。

亡きカウンターテナーの、藤岡宣男に、燈すロウソクである。
ほとんど、バリ島やタイで、ロウソクや、線香、お香を買う。

歩いていると、スタッフの野中に逢う。
今、レディボーイと、別れてきたという。
それで、一緒に、ロウソクを探した。
10個で、100バーツの、ロウソクを見つけて買った。
それで、夜の歩きは、終わりである。

野中は、レディボーイの子と、食事をしたというので、ホテルに戻ることにした。

その、レディボーイの子は、23歳で、両親が無くなり、祖母と暮らす。
女の体になるために、女装して、体を売る。
前回来た時、野中が、声を掛けて、知り合ったのだ。

ショートは、1000バーツ。平均は、2000バーツである。
野中は、前日に、2000バーツを渡している。
話を聞かせて貰い、そのお礼である。
約、6600円であり、高額である。

彼、いや、彼女は、日本円にして、25万円を目指している。
最低の手術費である。

見た目は、女性である。
美しく、可愛い。

ただ、生活費に、一ヶ月、最低でも、日本円で、15000円必要である。
バスで、二時間ほどもかかる、スクンビットに出て来る。
朝、九時頃から、夜の六時頃まで、道端に立つ。
夜に渡っては、仕事は、しないという。
毎日、お客がいる訳ではない。
早く女の体に、ならなければならないので、この仕事で、稼ぐしかないのである。

その辺一帯は、女も、レディボーイも、立つ激戦区である。
だが、皆、仲間であり、仲良しである。

以前来た時より、人数が増えていた。
女が多い。肌の色の違う女もいる。
そして、驚くことは、白人もいるのである。ハーフなのであろうか。

彼女たちは、実に親切である。
その訳は、普通に接してくれる人だからである。
体を売る人ではない、普通の人として、付き合う、話し掛けるからである。
私は、よく、道を尋ねる。一緒に、着いて来てくれることもある。

部屋に戻ると、野中は、彼女のことを、心配していた。
唇に、明らかに、ヘルペスが出来ている。そして、口が臭うという。
絶対コンドームを使うことだと、言ったという。
そして、約束させたと言う。

実は、コンドームや、ラブオイルも、準備して差し上げることもある。
バリ島にも、それらを持って行った。

チェンマイでは、白人のおばさんが、ボランティアで、売春を仕事にする女、男、レディボーイに、コンドームと、ラブオイルを配っている。
ラブオイルは、傷がつかないように、である。
傷口から、菌が入るからである。

先の、レディボーイの、Kは、まだ仕事を始めたばかりで、その時、コンドームを使っていなかった。そこで、野中が、コンドームを渡した。
そのせいか、日本に帰国しから、野中に毎日、電話が来るようになった。
お金を出して欲しいというものだった。

女になって、あなたと、云々という、電話である。
私たちは、それに対して、はっきりと、させるべきだと、お金は無い、ただ、出来ることは、病気にならないように、必要な物を、渡すことしか、出来ないと、言った。

日本人は、お金を、持っているとの、いつもの先入観である。
だが、彼女、Kも、私たちが、安いホテルに泊まり、屋台で、食事をするのを、見て、了解したはずである。

なんてったって、私のタイでの、恰好は、タイ人が、寝る時の恰好をしているとのこと。
そんなことは、露知らず、タイパンツと、ティーャツで、闊歩しているのである。

知らないことは、恐ろしいことである。

マッサージをする時、私のはいている、タイパンツより、上等なパンツを出されて、唖然とすること、あり。
向こうも、変な日本人と、思っていることだろうと、思う。

私の場合は、丸裸が、一番、上等に見えるかもしれない・・・
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2008年09月18日

ベトナムへ 18

朝、九時半を過ぎたので、早めに空港へ向かうことにする。
一時間半の飛行時間でも、出国するのである。
二時間前までに、行くこと。
更に、何があるか解らないので、早めに向かう。

タクシーの交渉である。
小西さんから、タクシー運転手が、本当にキレると、必ず殺すという話を聞いた。
車内に、銃を隠し置いているという。

あらあら、それでは、喧嘩は出来ない。残念。
ということで、タクシーを捕まえて、合掌して、サワディーカップと、笑顔で、近づき、英語で、スワナプーム、エアポートターミナルと言って見た。
ハウマッチ。
400バーツである。いいじゃない。500バーツと、言われるかと思った。
勿論、高速料金すべて、含めてである。

一度、カオサンから乗り込んだタクシーは、500バーツで、すべて含むと言ったが、高速料金のたびに、請求し、更に、チップまで、要求してきた者もいる。
また、逆に、突然、捕まえた、タクシーは、300バーツで、高速を通らず、猛スピードで、走った若者がいた。
スタッフ曰く。きっと、暴走族だったんだ、と。

今回の運転手さんとは、和やかに過ごした。ゆったりとした、タイ語で語り掛ける。そして、今度来る時は、呼んで下さいと、名刺を渡された。

実は、今回の旅は、細かなところで、色々と、人の心の機微に触れ、更に、旅が楽しいものになっていた。
こういう、言い方をする。何かに、守られているようである。

怒り心頭ということが、無いのである。
ベトナムの一件を別にしては。

早めについてみると、まだ、受付が、始まっていない。
私は、このスワナプーム空港が、大好きである。
一階に下りる。
大食堂に行く。
旅行客もいるが、矢張り、職員が多い。

入り口で、100バーツ分のチケットを買う。余ると、現金に戻してくれる。
いたいた、私たち二人は、無愛想な女がいることを、確認。
混雑時は、三人の女が、チケット販売にいる。
その女は、真ん中にいた。
スタッフは、その女が嫌いである。あまりの、無愛想にである。

ニコリともしない。
お金を、受け取ると、投げつけるように、チケットを出す。
とっとと、行けという、雰囲気。
しかし、私は、それが、楽しい。
真ん中の女に、お金を出すように、右の女に、差し出した。
どうだ。

こんなことで、意気がっても、しょうがない。
ところが、楽しいのである。

さて、チャーハンを頼む。
安くて、大盛りである。側にある、野菜は、取り放題である。
野中が、それを大量に取る。自分は、食べないので、野菜だけにするつもりだ。
そして、私は、チキンが食べたくて、チキンを指差した。
店員は、笑顔で、チキンを目の前で、パンパンと、切ってくれる。と、更に、ご飯も、盛り付けた。アッ、それは、いらない。と、思っても、言葉が出ない。
一人前が、出て来た。スープもついた。

これは、食べ切れない分量である。

全部で、80バーツ。約270円。

頑張って食べた。一生懸命に、食べた。

野中は、バリバリと、生野菜を食べている。

食べ終えて、残りのチケットを、返金してもらう。
最初から、現金にすれば、いいのにと、いつも、思う。

搭乗手続き開始の、表示が、点滅している。
四階まで、エレベーターで、上がる。
ベトナム航空に進む。

支援物資が、無いので、実に、楽チンである。
出国手続きも、問題無し。

必ず、立ち寄る、アイスクリームを食べる店に寄る。
腹一杯だが、アイスクリームを注文する。

その時、ワンカップで、150バーツで、ツーカップで、300バーツである。
しかし、二つ分の、分量のカップでは、270バーツである。ということは、それを、注文し、それぞれ、一つを食べると、30バーツが、浮くことに、気づいた。
しかし、注文した後である。
次に来た時に、そうしょうと、話し合った。
話し合うようなことではないが、30バーツ得するということが、大問題なのである。

ところが、私は、立ち上がって、二つ頼んだでしょう。
これは、270バーツだから、二つで、270バーツは、駄目と、日本語で、言った。意味が通じたらしく、女は、憮然として、300バーツと、言う。

ああー
駄目、か。
食べていると、別の女の子が、笑顔で、私に挨拶する。
そうだ、二リットルのペットボトルに手をつけていない。次の手荷物検査では、水は、持って入れないと、彼女に、渡す。
コープクンカー。
もう、帰るの、またね。
日本語である。
しかし、意味が通じる。

その子に、手を振り、手荷物検査に進む。
アメリカの飛行機は、次も、検査がある。搭乗待合室に入る前である。
また、検査―――
テロが、本当に、怖いのである。

ベトナム航空は、国際線であるから、食事が出ることを、忘れていた。
あらら、また、食べることに。

まだ、時間があるので、別の待合室の、喫煙室に行く。
勝手知ったる、のである。
誰もいないはずが、職員が、たむろして、タバコをふかしていた。
皆、若い男たちである。

一人の、より、若い男に声を掛けた。
どこから、来たの。要するに、タイのどこの出身と、尋く。
ところが、英語が駄目である。

自分も、英語が出来ないのに、英語が話せるかと、尋く、私。
少しだけ。

それでは、あなたは、男が好きか、女が好きか。
これも、駄目。
野中に通訳を頼む。
しかし、ね。最初に、そんなこと、尋く、の。
いいから、尋いて。

女が好きだって。
残念。私の好みなのに。
野中が、愕然として、通訳しない。

彼は、ターミナルの、警備である。
しかし、そのように、見えない服装をしている。
きっと、エージェントなのだろう。でも、エージェントっていう、意味が、解らない。

特別警備役で、スーツで、警備をしているのであろう。
アラッ、普通の客も、入って来た。私のような人がいるのである。

広くて、大きい、スワナプーム国際空港は、私の好きな場所である。
この、スワナプームという言葉を、覚えるのに、実に時間がかかったのであるが。
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2008年09月19日

ベトナムへ 19

ベトナムに到着して、即座に、8ドルのタクシーに乗り、メーソン広場に向かった。
そこには、ベトナムの英雄、チャン・フン・ダオの像がある。

およそ、800年前、日本では、鎌倉時代である。
三度にわたり、ベトナムに侵入してきた、元の大軍を破り、救国の雄となった。

タクシーを降りて、すぐに歩き出し、川沿いに向かった。
慰霊に、相応しい場所を探す。
丁度、川に突き出た、船着場のような、場所があり、そこで、追悼慰霊の儀を、行うことにした。

夕暮れ迫る頃である。

まだ、人影まばらである。
バイクに、カップルが、いた。
スタッフが、白人の夫婦が、じっと、こちらを、見ていたというが、私は、気がつかなかった。

すぐに、用意していた、白紙を、枝に取り付けて、御幣を作る。
枝は、公園の、一枝を貰った。
いつも、その地にある、枝を使う。
榊でなければならないということは、一切無い。

今回は、清め祓いのみであり、神呼びをして、霊位を、置かない。
ただ、言霊により、清め祓いをするのみ。
祝詞を唱えて、しばし、黙祷する。

御幣を太陽にかざして、その、気を頂き、四方を清め祓う。

何と清清しいことであろうか。
私の勝手な、思いである。
これが、私のやりたいことである。

何故、それをするのかと、言われれば、それを、やりたいのだとしか、答えられない。

見える世界は、見えない世界に支えられてある。
それ以外の、言葉は、無い。

いずれは、ベトナムの日本人村にも行くことであろう。
そこは、ホイアンという、ベトナム中部、フエの南にある町である。

来遠橋という、1593年に、日本人が作った橋があり、町のシンボルでもある。
橋を、境に、東側に日本人街、西に中国人街がある。

橋の中央には、舟の安全を祈願する、小さな寺がある。

1999年に、世界遺産に指定された。
ホイアンについては、いずれ旅した後で書く。

ちなみに、フエを中心とした、中部では、日本語熱が、高い。
ベトナム政府は、年間、1000億円を援助する日本に対して、学校教育の場で、日本語授業の選択で、応える。

また、ホーチミンの高校でも、日本語は、選択科目にある。

さて、急ぎ、追悼慰霊の儀を、終わり、私たちは、傍のレストランに入った。
まだ、準備の時間であるようだが、快く、受け入れてくれた。
川沿いに面した、オープンカフェに、座り、ベトナムコーヒーを注文する。

ボーイたちが、まだ、仕事前で、休んでいた。
話をしたいが、英語も、通じない。
ただ、ニコニコと、笑いあうだけである。

ベトナム人が、笑う。
私は、その僥倖に、何度も出会った。

着物の、珍しさもあるのか・・・
解らない。
しばし、そこで、休む。

写真を見ると、最初に撮ったものより、慰霊後の方が、明るいのである。
不思議である。
不思議なことは、この世に、数多くある。
不思議は、不思議で、いい。
偶然でも、いい。
詮索する必要は無い。

空港に行くまでは、まだ時間があるので、ベンタイン市場に歩いて向かう。
しかし、夕暮れ時の、ラッシュである。
車と、バイク軍団の中を、道路を横断するのは、勇気がいる。

とてもじゃないが、怖すぎる。
ビュンビュンと、その走る中を、横切るのである。
心臓ドキドキ。

ようやく、市場に着いたが、疲れた。
本当に、疲れた。

ところが、市場の中は、お終いである。
皆、本日の、後片付けをしている。勿論、食堂も、である。
あららららら
と、思いきや、市場の横の広場に、屋台である。

見事に変身している。

雨が降ってもいいように、テントが、張られている。
そこを通ると、呼び込みが、激しい。
時々、変な日本語で、呼び止められる。

私は、フォーを食べるつもりである。
海鮮のフォーである。
専門店を、探すが、呼び込みに、止められる。
フォーと言うと、オッケーオッケーと、言うが、スタッフの野中が、ここは、専門店じゃないと言うので、また、先に進む。
そして、フォー専門の店に、入った。

ところで、私は、呼び込みを、無視しているのではない。
必ず、声を掛ける。
日本語である。
いい、男だねーーー
可愛いーーー
皆、意味が解るのか、照れ笑いする。

メニューには、日本語も、載っているから、ありがたい。
写真を示し、注文する。
同じものを、二つ注文し、もう一つ、余計なものを、注文したが、忘れた。
料金は、高めである。

三万ドン以上であるから、米ドルでは、2ドル以上であり、日本円では、約200円以上となる。

そうそう、水を買った。
一万ドンである。
あれっ、高い。5000ドンではなかったのか。
すると、野中が、メーカー物だよ、と言う。
観光客用なのであろう。

致し方ない。
この、みみちさは、日本に戻っても、続く。

ベトナムの感覚で、日本の店の、料金を判断するから、とんでもなく、高く感じる。
立ち食いソバが、最も理想的になる。

そして、8ドルで、乗るタクシーの場所に移動した。
と、その前に、公園を通るのである。
その公園で、女の子三人に、話し掛けられた。

高校生が、二人、一人は、大学生である。
英語が、話したいようで、一生懸命に話しかけてくる。

実は、私と、野中は、着物姿である。
話をして気づくと、私たちの周囲に、人が群がっていた。驚いた。
30人以上はいる。
私たちを、見て微笑んでいる。

これは、一曲歌うか、舞うかと、思ったほどである。
しかし、時間を見ると、駄目。
しょうがない。次のチャンスだと、カーモーン、ありがとうと、言って、その場を離れた。

女の子たちは、スイユアゲンである。
何とも、ベトナムの最後は、皆に、送られた気分であった。

8ドルの、タクシーに乗り込み、空港へ、向かう。
posted by 天山 at 12:44| H20.09 ベトナムへ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月20日

ベトナムへ 20

世界的に見ても、グローバル化が進み、世界が単一市場になると、貧富の差が激しくなる。

私の訪れた、ホーチミンは、急速な勢いにて、外資の導入が行われたことにより、他のベトナムとは、違う。
高級ホテルや、デパートは、欧米、日本と、何も変わらない。

しかし、中部の、農村地帯は、まだ極めて貧しい。
更に、その高原地帯の少数部族は、より深刻な貧しさである。
飢餓寸前の生活を送る人もいるという。

平等という言葉ほど、ベトナムに合う言葉は、無い。
それがあったから、ベトナムは、やってきたのである。

つまり、社会主義の精神が、ベトナム流に解された。
30年以上に渡る戦争である。
その間、庶民は、貧しさは、分かち合うもの、そして、そこから、相互に助け合う、扶助の精神が生まれたのである。

今は、具体的に書くことは出来ないが、ベトナムの人は、一部の人が豊かに成るよりも、全体が平等の方が理想だと、考えている。それは、今もある。
それが、ベトナムを救うのである。

同じ社会主義でも、他の社会主義とは、別物である。
国民レベルにおいて行われる、社会主義である。
支配する者の、社会主義ではない。それは、おおよそ、全体主義に陥る。更に、幹部のための、主義になる。

しかし、問題がある。
矢張り、戦争の後遺症である。
同じ民族が戦った内戦でも、あったということである。
家族でも、南と、北として、戦うこともあったという。

平等思想は、特に北に属する人に共有されるが、南の人とは、別物である。
地域による、政治的、社会的格差というものを、考えなければならない。

簡単に言う。
経済的に貧しい、北の社会主義が、豊かな、南の資本主義を破った戦争であり、北の人が、目にしたのは、サイゴンの、豊かさに溢れ、繁栄した街である。
そこに、北の幹部が大挙して、移住し、公的機関の職務に就いた。
そして、強制的に、社会主義の名の元、南の人を追い出して、自分たちのものにした。それは、勝者である行動である。

更に、悲劇は、社会主義の、最も悪い面である、旧南政府や、軍関係者を、再教育と、称して、強制収容所に入れて、何年間も、強制労働と、思想改造に、従事させたことである。

この行為は、南の人から見ると、占領軍同様に、見えた。
共産党という、占領である。
更に、北と、共に戦った、南ベトナム解放戦線は、戦争中は、その存在を主張したが、前後は、冷遇された。

これは、実に、共産党の悪趣味を見る思いであるが、解放戦線という組織は、実は、共産党の秘密党員で構成された、党の別部隊であったと、宣言したのである。
それは、共産党以外の、愛国主義を基盤にして、解放戦線に参加した南の人の、主体性を、否定したものである。

勝利に導いたのは、共産党であるという、喧伝である。

解放戦線に、参加した人々には、勲章以外、何の特典も、保障もなかった。
それは、勝利を独占する行為であり、その共産党の姿勢に、失望したのである。

更に、共産党は、南の政府関係者、主なる者たちの、子弟には、大学の入学資格を、認めなかった。
この、処置が、中国系の人、南政府関係者の家族たちを、ボートピープルとさせた。

南の人は、北の共産党が、南を征服したのであると、考えるようになるのである。
その、しこり、は、戦後30年を経ても、解消されていない。

しかし、南の政治的敗者である事実がある反面、経済的には、南の方が、急速に発展しているという事実。
その社会も、階層化が進み、利害関係も多様化しているのである。

全体から見ても、南は、北より、益々豊になり、その格差は、四倍から、六倍といわれる。

さて、そこで、ドイモイ政策という、市場経済を導入した、ベトナムは、政治的に、市場経済を主導できる状態ではないと、思われる。

問題は、頭の切り替えである。
共産主義による、共和制では、もはや、先に進まないのは、目に見えている。
民主化である。民主共和国である。

貧しさを分かち合う社会主義から、豊かさを競い合う資本主義への移行は、社会主義では、動きが取れない。

今、ベトナムは、社会主義時代の、生活保障が、廃止され、資本主義社会で、発達した、社会保障は、国家財政不足のために、全く導入されない。

つまり、粗野な資本主義であり、新しい風、新しい考え方を、取り入れなければ、成り立たないのである。

更に、である。
共産党員になる者が、激減しているのである。
特に、若い世代では、極端に少ない。
党員になると、特典、特権が、一杯与えられるというのに、である。

特に、都会の若者には、人気が無い。
当然である。
党の方針に、忠実に従うことを、求められる。
個人的な、自由な発言、思考が、制限される。
更にである、マルクス・レーニン主義、共産党の歴史などを、義務として、強制されて、学ばせられるのである。

研究者ならば、わかるが、すでに、終わった、主義を、学んで、どうするのか。
それは、宗教の教義や、誇大妄想の指導者が、行う方法である。

思考停止にするというのは、最大の悪である。

世界の情報が、手に入る時代、若者は、見抜いている。
キャリアとして、共産党に入ることは、将来的に、マイナスになるだろうと。
それは、終わったものである、という意識からだ。

また、南では、共産党に入ることは、一種の裏切り行為ともなる。
北は、南を、占領した敵だとの、意識であるからだ。

ここでは、これ以上、書くことは、出来ないが、共産党員の特典など書くと、驚くべき、実態が見えるのである。

共産国は、賄賂天国だと、言った。
ベトナムも、然り。

バンコクから、再度、ホーチミンに着いて、市内に出るため、入国することにした。
その時に、税関に出す用紙を提出する。
半券を貰う。
それを、出国の際に、提出する。

今回、スタッフの野中が、出国の際に、それを、見失った。
探していると、係員が、早く来いと、急かす。
賄賂を受け取る、チャンスと、見た。

半券が無い。
10ドルである。
どうでもいいような、半券である。それを、回収する作業に、必ず無くす人もいるとの、想定で、賄賂を得られるのである。

ベトナム、いや、共産国は、この手の、作業が多い。
日本では、お役所仕事とでも、言うか。

実は、その時、私は、スタッフを、怒鳴り散らして、その対応を見たいという、欲求に駆られたが、穏便にという、目標を立てたので、その場を去った。
待合室で、半券が出て来た時も、再度、行って、10ドルを、取り戻そうかとも、思ったが、いやいや、次のチャンスがあると、止めた。
これから、長い付き合いを、しなければならないのである。
posted by 天山 at 12:44| H20.09 ベトナムへ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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