2015年03月14日

玉砕11

歴史に残る、名文句が登場した。

下士官、兵に告ぐ
今からでも遅くないから、原隊に帰れ
抵抗する者は全部逆賊であるから、射殺する
お前たちの父母兄弟は国賊になるので、皆泣いておるぞ

そして、多数のビラ、更に、ラジオ放送である。

お前たちは上官の命令を正しいものと信じ、絶対服従をして誠心誠意活動してきたのであろうが、既に天皇陛下の御命令によって、お前たちは皆原隊に復帰するよう、勅命が出されたのである。・・・
天皇陛下に叛き奉り、逆賊としての汚名を永久にうけるようなことがあってはならない。
今からでも決して遅くないから、直ちに抵抗をやめて軍旗の下に復帰するようにせよ、そうしたら、今までの罪も許されるのである。・・・

NHK中村アナウンサーの名調子は、鬼神もを泣かしめた、兵士たちは、動揺して、士気が急速に、衰えた。

兵士たちは、ここかしこで、徐々に脱落し、原隊に復帰し始めた。
将校たちも、それを止めない。
野中中尉は、自決し、残り全員は法廷闘争を目指して、投降した。

天皇陛下の怒りにより、未曾有のクーデターも、ついに、一滴の血もみずに、鎮圧されたのである。

この皇道派といわれる陸軍の派閥は、これで、消滅することになる。
そして、統制派が、実権を握る。

その昭和天皇が、敗戦後の自省で、
張作霖事件で田中義一首相への言葉と、2・26事件でとった態度は、多少憲法から外れるところがあった。
との、意見を述べられた。

憲法に対する、天皇陛下の御心・・・
今一度、国民は、よくよく、昭和天皇に添って、考えるべきである。

君臨しても、憲法の下に従うという、その御心である。

只今の陛下も、憲法に従い、粛々と御行為をなさる。
皇室は、何一つ、財産を持たず、ただ、国民のために、存在するという、その意義を、国民は、再考すべきである。

そして、雲の上の人・・・というならば・・・
一般の国民が、天皇陛下のように、生きられ無いということを考えるべきだ。
通常ならば、狂う。
24時間、陛下は、公人であらせられるのだ。

であるから、その存在を、ただ、崇敬するのみである。




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2015年03月16日

玉砕12

天皇陛下の怒りを招いた、軍部、つまり、陸軍である。
しかし、その後も、エリート意識からか、その傲慢さは、消えないのである。

時の後継内閣首班の大命を受けた、広田弘毅外相は、陸相に寺内寿一大将を当てようとしたが、寺内は、
広田氏の時局認識に、軍部は疑念を抱いている。
と、拒絶。

広田は、自由主義傾向が強く、入閣予定者の面々にも、軍の好まぬ人物が数名いることへの、あてつけだった。

広田の譲歩と、予定者の入れ替えで、ようやく内閣は成立した。
天皇は、異例の勅語を、寺内陸相に与えた。
それは、つまり、軍部の専横を強く戒めたものである。
だが、寺内は、それを握り潰して、軍首脳部には、知らせなかった。

ここでも、いかに、軍部が天皇の御心と、乖離があったかということだ。
要するに、武器を扱う権力というものが、いかに、絶大かということ。

軍を統制することが、最も大事なことだと、気づく。

さて、その寺内に、昭和12年1月の衆議院で、代表質問に立った、政友会の議員、浜田国松が、
明治大帝の軍人勅語には、軍人は政治に係わらず・・・とあるが、最近の軍の行動には、目に余るものがある。政治運動をするなら、軍服を脱ぎ、サーベルを捨ててやるべきである。内閣も、軍を正すにこそ、全力を注ぐべきである。
と、質問したのである。

これは、当時としては、大変勇気のあることである。

そのやり取りは、省略するが・・・
議場から割れるような拍手があったが、陸軍は、一歩も引かず、浜田を除名するか、議会を解散するかせよ。さもなくば、陸相を辞職すると、脅した。

だが、議会も、政友会も、屈しない。
陸相は、辞職した。

更に、軍部は、後任も送らないということで、広田内閣は、総辞職したのである。

陸相は、軍部から登用するという規則だった。

次ぎの首相には、宇垣一成である。
退役の陸軍大将だったが、かつて陸相時代に、軍縮に応じて、四個師団を削除したため、軍部の反感を買っていた。
そのため、軍部は、またも、陸相を送らないと、拒否を続けた。

戦前は、文官が陸海軍の大臣になる資格なく、軍人の大将、中将に限られていた。
その少し前に、法改正をして、現役者に限ることにしていたのである。
それまでは、退役の者でもよかった。

陸軍大臣の任命、選考権は、完全に軍の手の中にある。
軍が大臣を送らなければ、組閣は無理である。

唯一の道は、天皇の御力を借りることである。

宇垣は、
陛下のお口から、陸軍大臣を出すように、おっしゃっていただきたい。
と、湯浅倉平内大臣に懇願した。

陸軍が大命を阻止するのは、天皇大権の反抗であるが、そこまでしては、天皇と軍の溝が深まると、湯浅の婉曲な断りに、宇垣は、
陛下の陸軍によって阻止せられることは、痛恨の極みであります。
と、上奏文にしたため、無念さをふるわせて、大命を拝辞した。

矢張り、軍部というものに、問題があった。
それが、敗戦にまで続く、闇である。

そして、中々、決まらない内閣である。
そこで、登場したのが、近衛文麿公爵である。

近衛は、2・26事件の直後に大命を受けたが、健康を理由に、辞退していた。

国民は、近衛に期待した。

近衛家は、連綿として、続いた直系である。
摂政、関白につく資格を持つ、五摂家の筆頭で、臣下最高の家柄を誇る。
皇室との血縁も、深い。

近衛は、46歳、長身で貴公子然として、国民に人気があった。
ここでも、国民の支持である。
国民の支持を母胎にして、何事も、行われる。つまり、民主的である。

昭和12年6月、近衛内閣が成立した。

近衛ならば、軍部の専横も抑えることが出来るという、希望である。
一部国民も、天皇の御心に叶わぬ、軍部に対しての失望もあったといえる。

だが、その近衛首相が、貪欲な軍部の中国進出に対して、引きずられることになる。

幻想は、ひと月も持たなかったのである。

アメリカとの戦争・・・
それは、避けられない、用意周到な作戦が立てられていたが・・・
その戦争の罠に嵌るというのは、矢張り、軍部のあり方だった。

更に、戦争が始まり、人命軽視の思想は、軍部の思想である。
そして、最も、悲劇なことは、軍部は、天皇の存在を、有効に生かして、兵士を洗脳したことである。

それもこれも、天皇は解っていて、すべての責任を負われる覚悟で、マッカーサーと対面した。
マッカーサーの言葉の中に、
天皇の責任といえぬものに対しても、責任を負うという・・・
という天皇に、感激した話がある。

つまり、天皇は、軍部も日本人である。
日本と日本人の、責任は、歴代天皇が、負ってきたものであるという、大御心である。
これを、現在の日本人は、忘れているようだ。

天皇は、国体であらせられる。
そして、国体とは、国民のことである。

天皇に逆らう者も、天皇からは、我が身のものなのである。
矢張り、世界に二人といない、存在と言わねばならないのである。

天皇の、別名は、御一人である。
ごいちにん、と読む。

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2015年04月01日

玉砕13

昭和12年7月7日、北京郊外にある、盧溝橋で、日本軍と中国軍が衝突した。

これは、どちらが、先に発砲したのか・・・
実際は、共産党系の中国兵が入り込み、発砲したという。
要するに、日本軍と中国軍を戦わせるために・・・

一時は、停戦協定も成立したが、陸軍指導部の中には、徹底的に中国軍を叩いて、中国全土を制圧するという意見が強くなった。

中国の東北四省を満州国として成立させた後、全土を植民地化しようとの試みである。

中国全土には、反日、抗日のスローガンが広がり、国民党政府、蒋介石の指導下の南京に首都を置く軍閥と、毛沢東を指導者とする共産党が、対立を解消して、抗日で一体となり、日本軍と戦うことになる。

だが、国民党、共産党は、敵同士である。
後に、共産党は、日本軍と国民党軍を戦わせて、漁夫の利を得る。

当時の陸軍省、参謀本部には、二つの考え方があった。
一つは、中国全土を制圧して、ソ連との戦時体制を組むべきとするもの。
一つは、中国に深入りせず、本来の敵である、ソ連との間に、戦時体制を布くというもの。

ここで、解ることは、敵は、ソ連なのである。
ソ連の脅威に対して、日本は注意していた。

ソ連は、帝政ロシア時代から、侵略が伝統である。
その南下が、大問題なのである。
つまり、日本の生命線がやられるのである。

朝鮮戦争の際に、それをマッカーサーが実感し、日本に自衛隊の創設を要求したことは、有名である。
自存防衛なのである。

更に、ソ連の共産党を主とする、中国共産党が、成立しても、問題である。
そのため、中国で、何とか、阻止しなければならない。

これが、日中事変となる。
中国軍も、一歩も引かないゆえに、陸軍は増援部隊を広島から船出させたほどである。

それでは、天皇は、どのようなお考えだったのか。
これは、第二の満州事変ではないか。
御下問を受けた、参謀総長は、
陸軍では、ソ連は立たないと見ています。
と、応えた。すると、陛下は、
それは陸軍の独断であり、もし万が一、ソ連が立ったら、どうするのか。
と、重ねて問われる。
しかし、納得のいく答えは出ないのである。

その二三日後に、杉山元陸相が、
一ヶ月ほどで、片付けるつもりでおります。
と、応えている。
天皇は、その際、あまり、軍を追い詰めないとした。

しかし、辛亥革命後の中国の戦意は旺盛だった。
事変は、拡大の一途を辿る。

八月には、華中にも及び、陸軍は南京を攻略したが、中国側は、後方の漢口に遷都して、あくまで戦いを呼号した。

早期解決という、日本側の目論見を根底から、狂わせたのである。

さて、この際の南京攻略である。
これが、現在に至る問題となっている。
南京大虐殺と言われるが・・・

本当に、南京大虐殺を行なったのか。
南京には、20万人の市民がいた。
ところが、それが、30万人の虐殺と言われている。

辻褄が合わないのである。
更に、一般市民を虐殺するということは、考えられない。
戦闘は、軍同士である。

私は、様々な文献に目を通したが、南京大虐殺は、有り得なかったという。
一般市民で、日本軍を歓迎した人たちも大勢存在する。
何故か。
中国では、軍とは、匪賊、馬賊の集団であり、略奪強盗など、当たり前の集団で、一般市民には、とても迷惑な存在でしかなかった。

日本軍には、規律があった。
それに反すれば、軍法会議にも、かけられるのである。

勿論、戦争という、非常事態であるから、何らかの殺人めいたことも、有り得ただろう。
しかし、30万人の虐殺は、作り事である。
事実というものを、見つめると、現在言われる行為は、無いという。

南京は、歴史的にも、多くの騒乱の町だった。
大虐殺は、中国の歴史の方である。
数ヶ月にも及ぶ、虐殺が続いた反乱もある。

その行為を、すべて日本のものだと、見るのは、何かの作為がある。
東京裁判での、その罪は、アメリカの原爆の被害で、日本の市民が殺された数になる。
その埋め合わせのように、人数が調整されたという。

東京裁判は、日本を徹底的に叩くものであったし、また、裁判としては、考えられない暴挙である。
戦勝国が、敗戦国を裁くという、茶番である。

現在の中国共産党は、その不思議な数の死者数を、世界に向けて言うのである。
反日プロパガンダである。

最も、日本は、中国に侵攻したことは、事実である。
そして、植民地化するということも、事実である。
それに対しての、言い逃れは出来ない。

では、上海などに、進出して、植民地化していた、アメリカ、イギリス、フランスは、どうか。
彼らも、植民地政策を敷いていて、その権益を守るために、租界という、地域を作っている。
それは、無効か・・・

日本のみが、植民地にしたと言われる筋合いは、無い。
欧米も、植民地にしていたこと、事実である。
更に、彼らは、アジア一帯を、植民地にしていたのである。
それは、時代である。時代性ともいう。

その後、日本は、東南アジアの国に侵攻して、西欧列強の植民地を支配した。
その結果、大東亜戦争後、それらの国々は、独立したのである。

良い面も、悪い面も、見ておく必要がある。


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2015年04月02日

玉砕14

軍部の独走を、時の内閣、近衛首相は、どう見ていたのか・・・
打つ手なしである。
軍部を制することが、出来ずにいた。

そして、昭和13年1月、何と、帝国政府は、以後、蒋介石政府を相手にせずと、声明を出すのである。
つまり、和平への道を断ったのである。

驕れるばかりの、軍部、陸軍であり、関東軍だった。

日本の歴史を俯瞰すると、驕れる者、ひさしからず、である。
必ず、その滅亡のときが来る。

天皇の御心にも、適わず、とんだ内閣となった。

さて、ここから、少しばかり寄り道をする。
アメリカを眺めてみたい。

アメリカも、日米戦争に至る道がある。
アメリカ建国は、北米大陸の原住民である、インデアンを虐殺して成った国である。
それは、イギリスから出た、白人たちである。

以後、アメリカ人は、兎に角、征服することが欲望になるのである。
これほど、征服欲旺盛な国はない。

当時は、白人が世界を牛耳ていた。
だから、日露戦争で、有色人種の日本が勝利したことは、論外中の論外な出来事である。

だが、西欧列強は、極東の日本と戦うという意識はなかった。
アメリカだけが、それを容認出来ずにいたのである。

当時の人種差別は、今、思い起こすことが出来ない程に、激しいものだった。
その思想の元は、イギリスである。
そこから出た、アメリカ人・・・

アメリカ建国から、続々と、白人たち、ヨーロッパの人たちも、移り住むようになっていた。
要するに、それは東から大陸に移住する民である。

だから、西へ西へと、侵攻する。
19世紀半ば、ゴールド・ラッシュが起こる。
アメリカ大陸横断鉄道が建設されることになる。

そのとき、チャイニーズ・クリーズという、奴隷的労働者、当時は、契約移民と言われたが、シナ大陸から西海岸に、多数移民するという、事態が起こった。
黒人労働者は、鉄道建設に向かなかったのである。

当時のシナは、アヘン戦争、太平天国の乱などで、シナ大陸から、幾らでも人を集めることが、出来た。

アメリカ人は、シナ人たちも、黒人のように扱うことが出来ると、考えていた。
差別思想である。
ところが、シナ人たちは、違った。予想に反したのである。

西部に流れる白人以上の、知能と、勤勉の習慣を総体として、身に付けて、更に、金を貯めること、増やすことを、知っていた。
だから、彼らは、それにより、土地を買ったり、店を開いたり、ついには、金鉱の採掘権まで、手に入れる成功者が出たのである。

更に、19世紀後半になっても、続々と、白人たちがアメリカに渡って来た。
東ヨーロッパで、ロシアにより住む場所を奪われた人、イギリスに収奪された、アイルランドの人たちなど。

この白人移民たちは、東海岸に住むことは出来ない。
そこには、200年以上も前から、白人たちが居住していた。
そこで、彼らは、西へ、西へと進む。

そこで見たものは、シナ人たちの、生活である。
唖然とした。呆然とした。

有色人種が、生活している。更に、相当な生活水準である。

これが、シナ人殺し、シナ人居住区への襲撃の始まりである。

シナ人排斥運動を始めた者もいる。
一体、どんな権利があってのことか・・・
それは、単なる差別思想である。

現在は、あまり気にしないことだが、当時の差別思想は、全く、とんでもないものだったということだ。
色付き人間は、人間以下で、動物に近いと考えられていたのである。
勿論、それは、彼らの勝手な考え方である。

私が、常々言う、白人の野蛮さは、そこからのものだ。
独善的、排他的・・・白人の作り上げる宗教は、皆々、そのようなものである。

シナ人の村を全滅させれば、その村は、すべて我が物になるという、考え。
インディアンに対するものと、同じである。

結果、1902年明治35年、シナ人排斥は、ワシントンの連邦政府を動かし、シナ人移民を、完全に禁止するという、法律を生み出した。

東から来る白人は許すが、西から来る有色人種は、許さないのである。

私は、現在も、根本的にアメリカ人の心性は、変わりないと考えている。
その後の、アメリカを見れば、一目瞭然である。
建国の浅いアメリカが、世界の警察を名乗るようになるのだ。

そして、侵攻、侵略を掟のようにして、植民地化するのである。
勿論、日本も、ペリー来航の頃から、狙いをつけていた。

自由、平等などの思想は、白人のみにいえるのである。
色付き人間は、該当しない。

このような、強欲な白人たちが、世界を支配していたということを、再度、考えるべきだ。
現在のイスラム、テロリストの行為も、最初は、白人キリスト教徒が、行なっていたことである。
テロリストの行為を非難することが、白人に出来るのかと、言いたい。
過去の反省をすることなど、一度もないのである。


posted by 天山 at 06:18| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月03日

玉砕15

そして、シナ人に代わり、太平洋を渡って来たのが、日本人の移民である。
その多くは、日清戦争後、1890年頃からである。

その当時は、アメリカ人たちが、フロンティア精神の消滅を感じ始めた頃である。
であるから、日本人に対する、白人の敵意のようなものが、あった。

日本人の移民は、勤勉で、教育レベルも高い。
更に、日露戦争に勝ったのであるから、白人に負けないという信念があった。

西海岸の良好な農地の多くが、日本人の開拓、所有するところとなった。
これに対する、白人たちの怒りと嫉妬は、凄まじいものがあった。
特に、アイルランド人の敵意は、甚だしいものがある。

しかし、シナ人のように、殺すことは、出来ない。
シナ人の場合は、清朝政府は、国民の渡航を禁止していたので、許可なく国を出た者は、清国民にあらずとしていたからである。

だから、いくら殺しても、清国政府から、文句が来ることはなかった。
だが、日本は、政府から強い抗議が来る。
国際問題に発展することもある。

そこで、彼らは、法律を作る。
各州ごとに、次から次と、排日移民法を成立させたのである。

そこで、日本政府は、事態を解決すべく、外交努力を続けた。
ところが、好転の兆しなく、後退するばかりである。
ついには、1908年、明治41年、日米紳士協定が成立し、日本移民は、アメリカに出さないということになった。

日本政府は、約束を守った。
だが、日本移民が禁止されようと、アメリカ人が、日本人を憎む。
そして、日本人の土地を欲したのである。

その間に、第一次世界大戦が起こった。1914年から18年である。
その時は、一旦戦争のために、アメリカの人種問題は、休止状態になった。

この世界大戦が、日米を含む、連合軍の勝利に終わり、翌年、1919年、国際連盟の結成が決まった。
この規約作成の時に、日本は、連盟に参加する国家は、人間の皮膚の色によって、差別を行わない、という内容の条文を規約に盛り込もうと提案した。

ところが、この人種差別廃止は、多くの共感を呼んだが、その主張は、採択されないのである。
何故か・・・
人種差別によって、経済が成り立つ先進国が多く、賛成多数にも関わらず、アメリカの大統領により、全員一致ではないからと、否決されたのである。

ここで、注目すべきは、人種差別によって、その国の経済が成り立っていたと言うことである。
つまり、植民地政策である。
それを正当化するのである。

更に、日本人も、その有色人種の一つであるということが、明確になった。

実に野蛮な思想である。
もし、日米戦争が起きなければ、それが、延々と続いたかもしれない。

さて、アメリカの状況である。
その三年後の、1922年、大正11年、アメリカの最高裁判所は、白人と土着人、およびアフリカ人の子孫だけが、アメリカに帰化できるという、判定をして、すでに帰化申請をして許可されたが、アメリカ市民となっていた、日本人の帰化権を剥奪したのである。

更に翌年、1923年、移民に関する憲法修正が、上院に提出された。
その内容は、日本移民の子供にも、絶対アメリカ国籍を与えないというものである。

ここに、アメリカの闇がある。
自由、平等などと声高らかに言うが、全くの闇である。
更に、人権に関しては、今も、アメリカは、人権尊重の国だと言うが・・・
全くの、ウソである。

それまでの憲法の規定は、アメリカで生まれた者は、無条件でアメリカ国籍を与えるということになっていた。
それを覆して、過去にまでさかのぼり、適用するという、暴論である。

日本移民の一世は、アメリカの土地を取得するために、子供たちの名義で土地を買っていたが、それも、閉ざすというものである。

排日感情の強さ・・・
これが、日本人の反米感情を生む。

1924年5月、帰化に不適当なる外国人に関する移民法にクーリッド大統領は署名した。
これにより、一方的に、紳士協定は、破棄された。

恐るべき愚劣である。
そして、恐るべき、人種差別である。
それが、現在まで続くアメリカである。

日英同盟を結び、対等の関係であったが、アメリカでは、劣等民族の扱いである。

それまで親米的だった日本人も、それ以降、対米感情が悪化し、反米となってしまった。

そして、その日英同盟を潰すという、アメリカである。
1921年、大正10年、ワシントン会議が開かれた。
そこでは、第一次世界大戦の戦勝国、九カ国が集う、国際軍縮会議である。

海軍の軍縮に関する問題である。
そこでも、日本側が不利になるもの。
そして、日英同盟を廃止するという、アメリカの圧力である。

それは、当事者の意に反するものだった。
実際、日英同盟は、日本にとって、アングロサクソン支配体制での世界では、好都合の同名である。
何せ、五大国の、英、米、仏、伊、日の中で、日本だけが、有色人種国家である。
もし、日英同盟が廃止されると、諸外国は、露骨に排日感情を噴出させるだろう。

また、それは、日露戦争の勝因の一つであり、ロシアの南下を牽制する目的で、イギリスが日本に協力的だった。
日英同盟は、日本にとって、官民挙げて、支持していたのである。

イギリスもまた、それにより、十分に恩恵を受けていた。
極東に武力を置くことなく、極東貿易の利益を満喫できたのである。

posted by 天山 at 07:11| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月07日

玉砕17

結局、張鼓峰事件は、小規模な衝突を繰り返したが、天皇の意向により、無抵抗に近い撤退をした。そのために、追撃のソ連軍により、かなりの損害を出した。

そして、停戦協定にこぎつけたのは、発端より、一ヵ月後のことである。

だが・・・
一年も立たぬうちに、再び、ソ連との紛争が勃発する。
満州と外蒙古が国境を接する、ノモハンに、ソ連の後押しを受けた、外蒙古軍が、突然、侵入してきたのだ。

国境といっても、標識がない、地帯である。
満州国が独立した際に、ハルハ河を国境と定めたが、外蒙古は、満州側に食い込んだ、ラインを引いた。

ソ連の狙いは、威力偵察、更に、日本軍への牽制である。
軍中央では、ソ連の策に、警戒したが、関東軍は、ここでも猪突したのである。

ソ連、外蒙古軍の補給線は、長い山岳地帯である。
それは、至難のことと、目に物見せると、関東軍は、奮い立った。

関東軍の気持ちは、理解出来る。
当時、現場にいれば、ソ連の脅威は、確実である。
しかし、天皇は、戦争を極力抑えての、行為をもって、対処したかったのである。

結局、戦いは、関東軍と、ソ連軍の死闘になった。
双方共に、航空機、戦車、重火器を投入してりの、本格的激戦である。

だが、ソ連軍は、関東軍を遥かに凌いだ。
関東軍は貧弱な輸送力を持っていたのみ。
地上戦は、圧倒的な機甲部隊と、火砲陣で、関東軍は、歩兵部隊が主力である。

将兵たちは、ハルハ河畔に散華したのである。
これが、世に言う、ノモハン事件である。

その大敗振りに、天皇の逆鱗もなく・・・
関東軍司令官は将来を戒め、謹慎ぐらいは止むを得ざるべし
との、お言葉である。
一緒の、諦めに似たお言葉である。

ここで、陸軍と、海軍の差について言う。
海軍は、伝統的に、対米重視であり、南進策をとっていた。
陸軍の、対ソ連重視、北進策は、国を危うくするものとして、対立してきたのである。

大東亜戦争でも、海軍は、乗り気ではなかった。
しかし・・・それは、後々に書く。

ここで、再度、天皇陛下と、陸軍の関係を見ると、陸軍は、陛下が、知らず知らずに、諦めて、陸軍の方法に、馴らされる状況を望んでいたといえる。

更に、畏れおおくも、陸軍は、陛下を利用して、兵士たちを教育したということだ。

ちなみに、ノモハン事件の日本の被害は、戦死者、行方不明者、約二万人で、戦傷病者も約、二万人である。

ここで、陸軍が何故、天皇陛下と、時の政府に対して、勝手な行動を取ったのかという問題の、種が、憲法にあるということを言う。
明治憲法である。

その第一章、天皇の項目の、第十一条では、
天皇は陸海軍を統帥す
とあるのだ。

これは、行政府、立法府とは関係が無いということである。
極めて、重大な問題だった。しかし、明治初期は、元老制度があり、問題はなかった。
つまり、元老たちの意見は、天皇の意見として、認識されたからだ。

だが、元老がいなくなった状態では、憲法の欠陥が、目に見えて現れたのが、軍部のあり方である。

そして、内閣のことを、軍部が尊重せずとも、問題がなかったのである。

1930年、昭和5年前後、人種問題、ソ連革命問題、ブロック経済問題、軍縮問題など、日本にそれらが押し寄せてきた時、明治憲法に内在していた欠陥が、吹き出てきたのである。

それが、統帥権の問題である。
満州事変までは、それが表に出ることはなかった。
しかし、満州事変により、それが、明確になった。

それにより、日本は、満州事変以降、外交政策に対する世界の信用を失うことになる。
それは、統帥権を振りかざして、軍部が独走したためである。

日本は、二重政府の国か、ということになった。

であるから、憲法から言えば、満州事変を起こした軍部は、憲法に違反していないという、事実である。
更に、軍部は、政府も議会も、自分たちを抑えることが出来ないと、知っていた。

ちなみに、もう一つ加えれば、明治憲法には、内閣総理大臣は、存在しないのである。
つまり、責任内閣の制度なく、内閣の規定もなく、内閣総理大臣の規定もない。

確かに、初代首相は、伊藤博文であるが・・・
内閣、首相の存在は、憲法の条文にはないのである。

首相の権限が明示されていない、つまり、他の大臣と法制上は、全くの同権である。だから、大臣が一人でも辞職すれば、内閣は、潰れてしまうのである。
そいうことが、多々起こった。

内閣や、議会が、軍隊を統帥するという、規定も無いのである。

軍部の暴走は、そういう事実があって、成り立っていたということだ。

ただ、思うに、歴史は、様々な角度から、俯瞰して見渡す必要がある。
決して、一面的ではない。
そして、それらのことは、未来の歴史感覚で、左右される。
が、それもまた、愚かなことである。

当時の時代感覚を持って、理解するべきである。
そのために、多面的なものの見方が必要なのだ。

良し悪しの問題ではないのである。





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2015年04月09日

玉砕18

ノモハン事件の前後の様子を、俯瞰する。

日本は、中国との戦争により、アメリカ、イギリスとあまり良い関係ではなくなった。その代わりに、ドイツが近づいてきた。

最初は、昭和11年11月締結した、ソ連のコミンテルンの進出を防ぐという意味の、日独防共協定という、穏やかな結び付きだった。

だが、この協定は、明文化されていなかったが、アメリカ、イギリスに対抗し、民主主義国家に、一元制国家の利害をぶつけるという、意味を持っていた。

この頃、民主主義というイメージは、日本では、マイナスなものだった。
一元制国家とは、ファシズム体制というものであり、天皇におかれては、嫌うものだった。

実際、日本は、日本独自の民主主義が存在していたのである。
それが、天皇を主にした、君臨すれども、統治せずという姿勢である。

さて、日中戦争が起こると、ドイツは、蒋介石政府の、軍事顧問を引揚げるという状態だった。

更に、ドイツのヒトラーは、イタリアのムッソリーニとも、提携して、ヨーロッパの中に、ベルリン・ローマ枢軸同盟を作り上げた。

昭和12年11月に、イタリアも、日独防共協定に加わり、日独伊防共協定が、出来上がる。

この三国の、提携に対して、日本国内では、親英米派が、強く反対している。彼らは、ドイツと手を結ぶことに、ためらいを持ったのである。

それは、ゲルマン民族の優位性を掲げ、排他的なことからである。
また、天皇も、イギリス王室に、親近感をもっていることも、密かに指摘して、英米と、国交断絶を恐れた。

また、実業家たちは、アメリカの市場を失うという、懸念もあった。

そして、海軍の中にも、批判をもつ者もいたのである。

ドイツとの提携を主張したのは、陸軍の将校、外務官僚の一部、そして、知識人たちの、東亜新秩序派であり、結果は、彼らの主張が広く、国民に受け入れられたといえる。



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2015年04月10日

玉砕19

1938年、ドイツのヒトラー政府は、ヨーロッパの新秩序という方針で、オーストリア、チェコスロバキアを併合した。
その後、ポーランドをうかがう構えを見せた。

それは、昭和13年である。
更に、翌年にかけて、ヒトラーは、幾つもの外交攻撃をかけている。

イタリアの間に、軍事同盟を結び、三国防共協定を、更に軍事色の濃いものにし、アメリカ、イギリスを仮想敵国とする、三国同盟に格上げしたいと、日本に要求してきたのである。

ヒトラーは、執拗に、三国同盟を要求し、その一方では、ソ連と、不可侵条約を結んだ。
ソ連とは、お互いに、軍事的侵略は、行わないということである。

ただし、それは、すぐに破られることになるが。

その、ドイツがソ連と不可侵条約を結んでいる最中に、関東軍とソ連軍が、衝突を繰り返し、以前に書いた通り、昭和14年、1939年、大規模な衝突を行なった。
それが、ノモハン事件である。

このドイツと、ソ連の不可侵条約を、時の首相である、平沼首相が、欧州の天地は複雑怪奇と言い、内閣を投げ出した。
それ程、ヒトラーの作戦は、狡猾で、意味不明に思えたのである。

ヒトラーの真意を測りかねる・・・
政策を進めることが出来ない。

そして、日本では、一時的に親英米派が、力を盛り返したが、これもすぐに、消える。

ドイツは、ソ連と不可侵条約を結んだ、一週間後の、1939年9月に、ポーランドに進駐し、軍事力で、ヨーロッパを席巻することを、内外に宣言した。

これは、イギリス、フランスへの、敵対行為であった。
それぞれの国は、9月3日、宣戦布告して、軍事的対決の時代に入ることになる。

この日から、第二次世界大戦が、始まる。

そして、日本が敗戦する、1945年8月15日まで、続くのである。

さて、日中戦争は、終わっていない。
蒋介石の率いる、国民党軍と、毛沢東が率いる、共産党軍が、抗日反日の戦いをしていた。共に、敵同士だが、抗日反日では、同じである。

日本は、国民党の幹部を引き出し、傀儡政権を成立させようとしたが・・・

その中国側の背後には、アメリカ、イギリスの援助がある。
つまり、すでに、英米は、日本を敵にしていたのである。

その魂胆は、簡単である。
中国の利益を、自分たちも、求めていたのである。
これが、国際社会の複雑さである。

満州国を認めないが・・・
それは、自分たちの国益のために、欲したと考えるといい。

国益とは、実に単純なものである。
だが、そのために、複雑怪奇なことを、仕出かすのだ。

当時の日本国内では・・・
昭和20年、尽忠報国、挙国一致、などいう言葉が、現れた。
つまり、膨大な軍事費のせいで、国民の生活が苦しくなっていたのである。
だから、苦しみに耐えるということが、美徳とされた。

その前に、昭和13年には、国家動員法、という法律が公布されていた。
戦争のために、国の経済、政治、文化、言論のすべてが、統制されるということだ。

議会の意向に関わらず、政府の勅命により、どのような政策も、可能になったのである。

そして、翌年から、政府は、次々と、統制法令を発していた。
例えば、賃金を抑える、賃金統制法である。
益々、国民の生活は、苦しくなる。

燃料の不足もある。

戦争の苦労を思い、威勢のよい、スローガンが叫ばれた。

統制経済とは・・・
極めて、洗脳的である。
だから、共産主義思想などは、受け入れられないだろう。

ここで、昭和15年の、皇紀2600年のことを、見る。
皇紀とは、天皇の歴史である。
そして、それは、日本の歴史でもある。

その祝いが、昭和15年に行われた。
ある著者が、昭和20年までは、天皇制国家だったと、書くが・・・

それは、誤りである。
天皇の存在しない、日本という国は、考えられないのである。

神話・・・
だが、神武天皇即位から、確かに、皇紀をもって、自国の歴史に思いをはせることが出来る。
神武天皇は、神話の中の、想像の人物ではない。
実在の人物である。

天皇は、制度ではない。
伝統である。

そして、神武天皇以前の、神話が存在する。
民族の物語が存在するということは、民族の共同幻想を作り上げることが出来る。

どんな民族にも、神話と、物語が存在する。
それによって、民族の共同幻想が、作られるからである。
それが、欠如すれば、民族感覚は、成り立たない。

確かに、明治以降の学校では、天皇を、現人神として、教えた。
それには、訳がある。

明治維新で、政治的権力を握った、長州などの下級藩士が、権力基盤を固めるために、国論統一の方法として、利用したのである。

歴代天皇で、自ら、我は現人神と仰せられた天皇はいない。
ただ、昔、宮廷歌人たちが、天皇を神として、歌うことである。
その神とは、上という意味であり、唯一絶対の神という、欧米の神認識ではない。

そして、この現人神という、天皇の神格化によって、玉砕が行われたといって、いい。
それは、軍部の洗脳である。



posted by 天山 at 07:11| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月21日

玉砕20

皇紀2600年の、昭和15年、七月に、再び、近衛内閣が誕生した。
国民は、再度、近衛に期待したが・・・

近衛は、二年前の内閣が弱かったのは、支持基盤が無かったからだと、考えていた。
そこで、国民的組織を作り、それを足場に政策を進めると考えた。

だが、近衛の周辺に集う、リベラルな官僚、財界人、ジャーナリスト、学者は、陸軍指導部の政策に、批判的であり、近衛が、陸軍主体の国策に、歯止めをかけてくれると、期待をかけた。

逆に陸軍では、近衛が、それらの勢力に飲まれてはならないと、牽制した。

近衛は、組閣に当たり、政党から誰も、入閣させず、官僚主導の内閣を作る。
それは、陸軍指導部への、妥協である。

組閣して、基本国策要綱を発表する。
そこで、八紘を一宇とする肇国の大精神により、世界平和を作るというものである。

天皇を敬い、天皇を中心とする、日本であり、それを世界に広めるというもの。
だが、この精神は、イギリス、アメリカからは、日本の世界戦略と見做された。

その二国こそが、本当の世界制覇戦略を願っているのだが・・・

それは、イギリス、アメリカの今までの歴史を俯瞰すれば、解る事である。
その二カ国こそが、世界を白人世界の支配化にしようとしていたのである。

そして、それを実行していた。
第二次世界大戦後までも、である。

イギリス、アメリカの罪を挙げれば、キリが無い。

さて、近衛の考えに沿って、新体制準備会がつくられ、九月には、大政翼賛運動綱領を発表する。
国民が、心を一つにして、その職分に尽くすというもの。
それは、ナチスドイツの一国一党に似ていた。

共産主義というものも、独裁政権であるが、ナチスドイツも、独裁政権である。
一つの国に、一つの党というのが、そのまま、独裁につながる。

政党は、すべて解党して、この組織に雪崩れ込んだ。
その組織に入り、主導権を握るためである。

議会の中に、反対意見を認めず、国民世論の一致を目指すというものであり、政治システムとなると、独裁になる。

こうして、玉砕の下地が出来上がるのである。

政治団体は、もとより、農民団体、労働団体なども、解散して、この組織に加わった。
町内会も、隣組と改まり、戦争への準備が進む。

そして、この大政翼賛会は、次第に、陸軍省、内務省の軍人、官僚などにより、支配されることになる。
つまり、国民は、洗脳されるということだ。

歴史を振り返ると、こうして、戦争への準備が始まっていることが、良く解るのである。

どれ程、昭和天皇が、戦争を反対しても・・・
時代の流れには、逆らえないのである。

再び、ドイツを見ると、独ソ不可侵条約を背景にして、ドイツは、欧州各国を手中にした。ついには、フランスでも、快進撃を続け、パリに無血入城した。

英軍は、ダンケルクから本国に逃げ帰った。
そして、イタリアが参戦する。

ドイツの勝利は、確定的と見られた。
そこで、前年に打ち切っていた、三国同盟の声が高まる。
ときの外相松岡洋右も、熱心な推進派だった。

そして、陸軍も東條陸相を先頭に立て、強固に主張し、慎重だった海軍も、やがて積極に転じた。

それは、ドイツが本国を占領している間に、インドネシアなどの、南方を制し、石油、スズ、ゴム、米などの、戦争遂行に不可欠な物資を確保したかったからである。

ちなみに、海軍が、積極に転じたのは、アメリカが、日本に対する石油の輸出を禁止したからである。
それでは、石油のある間に、戦うしか方法が無い。

歴史的事実は、複雑に絡み合うが・・・
問題は、誰の策略かということである。

決して、戦争を避けることが出来なかったのは、何故か・・・
それは、戦争を欲する人たちがいるということである。

日露戦争の際に、アメリカのユダヤ系資本家が、日本と更に、ロシアに金を貸している。
戦う、それぞれの国に、金を出すのである。
歴史は、そのような話で、一杯である。

戦争を仕掛けて、金を得るという者たちが、存在するということである。

更に、人種差別である。

敗戦後に、日本を二度と立ち上がることが出来ないようにと、アメリカ占領軍は、日本潰しを徹底的に、行なった。
それは、唯一の有宿人種である、日本人が、白人に歯向かったということへの、怒りである。

もし、日本が日露戦争で負けていれば、問題はなかった。
しかし、勝利したのである。
それから、色付き人間たちの意識が、変容した。

第二次世界大戦で、日本がアメリカと戦わなければ、アジア諸国、アフリカ諸国などは、今もまだ、植民地にされ、白人の支配化におかれただろう。

天皇の御心虚しく・・・
それが、必要な戦いだったということである。
そして、そこに、玉砕がある。


posted by 天山 at 07:25| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月22日

玉砕21

日本が、ドイツ、イタリアと三国防共協定を、三国同盟にかえたのは、昭和15年9月である。

そのために、ヒトラーの特使スターマー公使が来日し、締結機運に拍車をかけた。
ただし、天皇は、
いましばらく、独ソの関係を見極めた上でも、遅くは無いではないか、
米国は、報復として、すぐにでも日本への石油や屑鉄の輸出を停止するだろう。そうなったら、日本は、どうなるのか・・・
との、仰せである。

だが、日本は、ドイツに陶酔していた。大勢は、動かし難い。
御前会議で、正式に締結が決められた。
天皇は、
どうも陸軍は、困ったものだ。満州、朝鮮をもともとにするまで、とうてい目が覚めなまい、
との、仰せである。

オランダ領、インドネシアだけではなく、フランス領、インドシナに対しても、陸海軍は、虎視眈々と狙った。

その理由は、日中事変が長引くのは、中国側が、英米から、十分な武器弾薬を援助されているからで、その補給ルートが、インドシナから、中国の昆明に、通じているのである。

また、マレー、シンガポール、ベトナムへ侵攻するにも、インドシナは、とても良い前進基地であり、フランスがドイツの占領下にある今が、チャンスといえた。

ここでも、何故、英米が、中国に対して、武器などの支援をしたのか・・・
イギリスは、すでに中国の一部を植民地化していた。
そして、アメリカも、それを願っていたのである。

イギリスが、一度たりとも、中国における、植民地化を謝罪しただろうか。
アメリカも、日本がいなければ、満州を植民地にしただろう。

さて、軍部の要求により、政府は、フランスを強圧して、北部インドシナ、ベトナムに軍を、進駐させることになった。

それに対して、天皇は、
我が国は、フリードリッヒ大王やナポレオンのような、覇者的な行動をとりたくないものだ。マキャベリズムは、いかん。神代から受け継いだ、八紘一宇の精神を忘れぬようにしなければ・・・
との、仰せである。

そして、インドシナ進駐は、天皇の予想通り、アメリカの対日屑鉄、鉄鋼禁輸措置となった。

更に、イギリスは、閉鎖していた、ビルマからの蒋介石支援ルートを、再開し、これでは、いやがおうでも、マレー、インドネシアへと、進出しなければ、日中事変の継続さえ、覚束なくなったのである。

ビルマは、イギリスの植民地である。
アジアは、欧米の植民地だったことを、何度も言う。

しかし、今、現在に至るまで、欧米が、その植民地に対して、謝罪など、したことを、見たことはない。

明らかに、おかしいのは、日本の植民地政策に対しては、謝罪を要求するということである。
そして、日本の政治家は、謝罪をするという・・・

その、日本の植民地は、欧米の植民地政策とは、違っていた。
強奪、搾取という、それではなかった。

人種差別の思想から、白人は、有色人種に対して、全くの恩情はない。
愚民化政策で、徹底的に、奪うだけである。

更に言えば、満州は、中国ではない。
満州族の土地であるが・・・
その時は、無主の土地であった。

そして、韓国は、併合である。
その際は、どの国も反対しなかった。
更に、韓国は、第二次世界大戦の時は、日本であり、日本軍の一員として、戦争に参加したのである。

何か、今は、日本と戦争したかのような言動であるが・・・
当時の韓国は、日本であった。

翌年、昭和16年1月。
天皇は、杉山参謀長に、
日中事変処理について、かつて総長がのべた対シナ作戦計画があるも、何か別に良い方法は、ないか。
と、仰せられた。

だが、これという、妙案もなかった。
その日の、天皇のご機嫌は麗しからず、である。

その四月、ベルリンにおける、同盟批准式に列席した、松岡外相は、シベリア鉄道での帰路、モスクワに立ち寄り、日ソ中立条約を結んだ。

その早業に、国民も、アッと驚くが・・・

その二ヵ月後、独ソ開戦を報が入り、また国民を仰天させた。

二年前の、独ソ不可侵条約締結で、ときの平沼首相が、複雑怪奇として、内閣を解散したが、その二国が、戦端を開いたのだ。

ヒトラーの信頼性に関して、改めて認識させられたが・・・
それでも、これは、日本の南進政策には、大朗報である。

ソ連の脅威が、遠のくのである。

ヒトラーに関しては、謎が多いが・・・
ユダヤ人の大量虐殺など、一体、何を望み、何をなすつもりだったのか。
人格異常としか、思えぬ人物である。

ユダヤ系が、世界の金融を握るという、見方もあるが・・・
そのユダヤ系・・・
実に、それも謎が多い。
そして、実際、ユダヤ系を隠れ蓑にして、世界を支配する、ある集団が存在する。
それは、イギリスから始まった。

イギリスは、最低最悪の国であり、アメリカは、世界支配を今も、目指す国家である。




posted by 天山 at 06:44| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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