2007年12月01日

バリ島へ 1 平成19年12月

バリ島へ


バリ島は、雨期の時期である。

しかし、雨降らず、兎に角、暑いと聞いていた。

本当に、暑かった。

特に、観光の中心である、クタ、レギャン地区は。暑い。


ウブドゥに行き、朝夕の涼しさに、ホッと一息ついた。


今回のツアーは、コンサートツアーである。

総勢、六名。

123日の、朝の便が、二時間遅れで、12時過ぎに、飛び立った。

前日、成田空港内のホテルに、泊まった。

朝、8:30集合であるから、横浜からだと、朝、早すぎると、前日から、泊まることにした。


ソプラノ辻知子、ギタリスト千葉真康、カウンターテナー野村さん夫妻、そして、イダキの野中と、私である。


今回の、旅行記は、コンサートと、バリ島の伝統、宗教に関して、少し、詳しく書くことにする。


3日の夜に、デンパサール空港に到着し、ホテルに向かう。

そして、翌日は、フリータイムで、ゆったりと、過ごした。

5日の、朝、10時に、ウブドゥに向かう。


途中、ゴアガジャという、洞窟、ウブドゥの段々畑を見て回り、ホテルに向かった。

12年前に、ゴアガジャに行った私は、あまりの、観光地化された様に、愕然とした。

すべて、整然と、されて、あの、野ざらしのような雰囲気はなく、少し、寂しい気持ちがした。それに、入館料も取られた。トイレも、有料になり、ガイドによると、また、値上がりするという。

1000ルピア、約、12円が、2000ルピアになるのだ。


ホテルに向かう。

コテージになっているホテルである。

一棟、一棟の部屋で、家庭的な雰囲気のホテルであり、皆、大層、気に入った。


到着すると、すぐに、テラハウスの共同オーナーである、クミちゃんが、来た。

すでに、バリ島に来ていた、ヒロ君、クミちゃんの叔父さんにあたる、マディさん、そして、クミちゃんの、旦那の弟、車の運転をしてくれる、親戚の叔父さんと、総勢5名である。


今夜の、コンサートの打ち合わせをした。


テラハウスにて、開催する。

その前に、マディさんの家で夕食を、頂くことになった。

有り難い。


観光旅行では、民家で、食事を頂くことなどないから、皆、喜んだ。

私と、野中は、四月にも、マディさんの家で、食事をしている。


バリ島では、開演時間が、夜7:30が普通であるということから、私たちも、それに習った。


6時に、クミちゃんの家に到着して、家族の皆さんに、挨拶する。

お父さん、お母さん、お兄さんと、お嫁さん、お祖父さん、そして、家のサンガである。

家の敷地の中に、サンガの一角がある。

日本で言えば、神棚や、仏壇の部屋ということになる。

そこで、皆、祈りの挨拶をする。


そして、早速、建てている最中の、テラハウスに移動した。

クミちゃんの家の、隣であるから、家を抜けて、すぐである。


何と、屋根の骨格が、出来上がって、二階には、屋根の瓦が、積み上げてある。これが出来ると、いよいよ、一階の壁を作ることになる。

進み具合は、遅いが、着々と進んでいる。

作業は、皆、近所の人々である。のんびりと、進んでいる訳である。


一階にホールという計画を、変更して、二階を、多目的ホールにすることにして、壁無しの、オープン作りである。

バリ風の、会堂の作り方だ。

一階には、部屋が6つ出来る。それが、ゲストハウスとなる。


本日のコンサートは、一階を使用する。

すでに、舞台のような場所が、用意されていた。といっても、後ろに、ビニールシートがかけられて、小さな電球の、縄で、飾られている。

床の周囲には、蝋燭が、置かれていた。

バナナの葉で、包まれた蝋燭である。

夜の闇が、楽しみである。


床には、バナナの皮の、ゴザが敷かれて、家の外には、イスが用意されている。

オープンで、周囲は、森であるから、何とも、バリ島風の、舞台である。


食事の前に、リハーサルをすることにした。


私も含めて、歌い手は、声の響きが、気になった。

ところが、辻知子が、歌い出すと、風が響くのである。


声楽家という歌い手は、ホールという閉じられた場所で歌うということが、当たり前になっている。

野外で、歌うということは、考えないだろうし、考えられないのである。しかし、特別に、張り上げることなく、声が響くのである。


次の、カウンターテナー野村さんも、然り。

そして、私の声も、然り。


つまり、出来ないということを想定していない、故の、効果である。


どこでも、歌えるという、藤岡宣男の精神が、そのまま、再現されたのである。

藤岡宣男も、どんな場所でも歌うという、域であった。


何度も言うが、張り上げない歌い方である。

静かに、語りかけて歌っても、発声により、響くのである。


何故、小鳥の鳴き声が、響くのかということを、考えると、よく解る。


発声の、技巧が、どうのこうのと言う者は、まず、無理である。

歌の心を伝えたいと、思う者には、オープンであるということが、マイナスにならないのである。要するに、それを、プロと言う。


今回の、伴奏は、ギターである。

千葉の、ギターも、響いた。


アカペラ半分、伴奏半分であり、ギターソロもある。


リハーサルを終えて、客によって、響きが、吸われることもないのであると、思うと、このコンサートは、大きな、チャンスと、確信であった。

新しい、コンサートの形である。


そして、何より、虫の音と、鳥の声と、歌の共演である。

蛙の鳴き声も、鶏の鳴き声もある。

自然のオーケストラの中での、歌となる。


自然の贅沢なホールで、歌うのである。


リハーサルをしていると、自然に人が集ってくるというのも、面白い。

子供たちも、やってきて、見ている。

本番では、子供たちが、噂を流したのか、大勢やってきた。


長期滞在の日本人にも、情報が流れて、来てくれたのが、嬉しかった。


リハーサルを終えて、マディさんの家に行く。

その頃から、お客が、集い始めた。

何とも、適当な雰囲気がいい。


待つことが、苦痛ではない、自然が在る。

いつ、始めても、いいような雰囲気でもある。


厳密さを求める日本人の、良さも、いいが、適当な曖昧さも良い。

コンサートを楽しむということは、そこに、来ること、去ることも、楽しむことなのである。


実は、その秘密は、バリ島の伝統、宗教性にもある。

厳密ではない。

何となくという、曖昧さの中に在る、日本語にすると、たゆたう、心である。

これが、私の古神道と、バリ島の宗教感覚の、共通性を思わせた。

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2007年12月02日

バリ島へ 2 平成19年12月

食事は、自然に、大勢になった。

マディさんの家の、オープンな居間には、10名ほどが集った。

丁度、日本から来ていた、クミちゃんの、友人も、一緒になった。私たちのコンサートを聴きに来たというから、驚く。

バリ島で、ヨガの講習に来たそうである。何と、私たちと、同じ飛行機に乗っていた。


食事を終えて、バリコーヒーを飲み、開演時間の30分前に、テラハウスに行くと、すでに、お客さんが集っていた。子供たちもいる。近所の子供たちである。


私は、待たせるのも悪いと、野中に、イダキ演奏をしてもらった。

前座である。

どんどんと、人が増える。

今回は、クゥッ村の人を招いて、テラハウスのお披露目という意味のコンサートだっだが、日本人も、多く来た。


開演前だが、ギターソロ演奏も、開始した。


蝋燭の光が、また、何とも、風情がある。

舞台には、一つの裸電球である。そして、舞台のし切りに、小さな電球の縄である。

日本の田舎のお祭りという感じである。


いよいよ、開演時間になり、トップは、辻知子の、歌である。

バリ島の一角で、日本のコンサートである。不思議な感覚だった。


プログラムは、臨機応変にしようというアイディアで、進んだ。

通訳無しで、私は日本語で、進めた。


次に、カウンターテナーの野村さんの、アカペラ二曲である。

男の、高い声に驚いたのか、シーンと聴いている。


野村さんは、子供たちを意識してか、プログラムにはない、聞き覚えのある、歌を歌った。すると、子供たちが、小さな声で、反応した。


その頃になると、更に、お客さんが増えた。

用意していたイスが、一杯になる。

日本人の高齢の方も来た。

ハウスに、敷いたバナナの葉のゴザにも、人が一杯になった。特に、子供たちが、後ろに一杯になる。


私が、ギター伴奏で、二曲歌う。

虫の音をバックして、ギター伴奏である。

ところが、声が響くから驚く。

自分でも、その響きを、聴くことが出来た。


そして、再度、野中のイダキソロ、ギターソロと、続く。

ギターソロの、スペイン民謡になると、自然手拍子が入る。

矢張り、リズムと、テンポは、世界共通である。


闇が深くなると、蝋燭の光が、強くなる。


間合いに、子供たちの話し声が入り、何とも、楽しい。


再び、辻知子が、今度は、アカペラで、故郷、さくらを歌う。

バリ島で聴く、故郷と、さくらさくらは、また、格別である。

その、単純なメロディーは、バリ島の人の心も、動かすようだ。


日本人のお客さんは、じっと舞台を凝視している。

長期滞在の人は、懐かしい気持ちなのだろうと、察した。


また、野村さんが、ミュージカル曲を歌う。

英語の歌詞は、バリ島の人も理解する。


学校では、小学生から、英語か、日本語を選んで学ぶのである。

20代の人は、ほとんど英語を理解する。

それは、20年ほど前から、アメリカ人の女性が、無料で、ウブドゥの子供たちに、英語を教えたせいもある。

彼女は、今は高齢になったが、ウブドゥに住み続けて、村の人の世話を受けて生活している。


バリ島には、日本語学校も、多く出来たが、そこに行ける人は、お金のある人である。私は、テラハウスで、無料日本語講座も開催する予定である。

日本語を覚えると、仕事もある。収入も多くなるのである。

貧しい子供は、学校に行けない子もいるという。


例えば、マディさんの収入は、奥さんが働く、500,000ルピアであるが、教育費に、400,000ルピアが飛ぶ。

クゥッ村の男は、皆、絵描きである。そして、田んぼなどの、農作業をする。

絵は、売れなければお金にならない。

いつ、売れるか、解らない。

米は、自分で作るので、食べることは出来るが、それ以上の生活は、お金が必要である。

故に、奥さんが働く。


ちなみに、500,000ルピアは、約、6,000円である。

平均的収入は、日本円で、一万円程度である。

それでは、生活が、出来ない故に、チップで、補う。

私は、チップは、貰った人のものだと、思っていたが、違った。

同じ職場の人は、チップを皆で出して、それを、分け合うという。相互扶助である。


それで、驚くことは、10年前から、給料が上がっていないということである。しかし、物価は、二倍、三倍、それ以上になっているという。

ここに、大きな問題がある。

つまり、搾取である。

誰か。

経営者は、すべて、アメリカ、オーストラリア、ドイツ、中国、そして、日本人である。


安い労働力を使い、皆、ぼろ儲けをしている。

労働組合も無い。

結果的に、これは、政治の問題である。

しかし、これを書くと、終らなくなるので、後で、書くことにする。


いよいよ、コンサートも佳境である。

ギターソロで、再び盛り上げて、私が、万葉集の朗詠をした。

これは、クミちゃんが、日本人の人に、万葉集の歌を歌うといったというので、取り入れた。

二首を朗詠した。

持統天皇と、大伴家持の歌である。


それが、バリ島の夜に、ぴったりと合った。

虫の音の響きに、唱和した。


そして、最後に、バリ人も知るという、日本の歌である。

色々あったが、タイのチェンマイでも歌った、昴を歌う。


日本人歌手の歌を知っているバリ人は、多い。それも、日本語で歌うから、驚く。

長渕の乾杯を歌った、27歳の、ビーチを仕事場にしているガイドには、驚いた。

カラオケで、覚えるという。

日本では、流行しない歌も、バリ島では、流行っていたから、更に、驚いた。


コンサートが終ると、日本人の方が、挨拶に来てくれた。

バリ人も、名残惜しく、中々腰を上げない。

子供たちも、残っていた。


夜遅いと心配したが、クミちゃん曰く、眠くなったら、帰るから、と。

用意していたお菓子を食べて、子供たちが、輪になっている。


私も、そこに入り、一人一人の名前を聞いた。

誰かが、子供たちに、バリの歌を聴かせてと、言う。

恥ずかしがっていたが、二人の子供が、大きな栗の木の下でと、日本語で、歌うから、驚く。

学校で、習うという。

まだ、小学生である。

その子供たちは、翌日の、クゥッ村の集会所の、ガムラン、バリ舞踊の公演にも来ていた。外国人は、有料だが、バリ人は、無料である。


子供たちは、自然に伝統文化に触れて、やりたい子供は、見て覚えるという。

お金は必要ない。

誰もが、出来るのである。


入場料は、皆、村の資金になり、その伝統文化のために、利用する。

日本のように、家元などいない。団長がいて、取り仕切るが、皆、名誉職である。

それで、生活を立てることはない。

舞踊家はいるが、職業ではない。

それは、伝統なのである。

ただ、舞踊のみで、生活を立てる人も出ているようである。

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2007年12月03日

バリ島へ 3 平成19年12月

6日の朝である。

ウブドゥのコテージの朝は、心地よい。

何より、小鳥の声に目覚める。

すぐに、通りに出るが、森の中である。


朝遅い、野中も起き出して、すぐにプールに入った。

すると、辻知子も、やってきて、プールに入る。


これは、良い気分転換である。


私たちの他に、三組の欧米人、あるいは、オーストリラ人がいた。

皆、目礼する。

中には、パッピーデーと声を掛ける女性もいた。


本日は、ウブドゥ、クゥッ村の、一番大きな寺院の集会所での、コンサートである。

ガムランと、バリ舞踊との、コラボレーションである。


その前に、朝、11時に、10年ほど、バリ島ウブドゥに住み、日本人の学童期前の子供たちに、日本語及び、日本文化の補修授業をしている、飯島さんの家にお邪魔して、色々とお話を伺うことになっている。


10:30になると、クミちゃんが、大勢で、迎えに来た。

車の手配も何もかも、クミちゃんがやってくれる。

皆、親戚の人をお願いするので、最低のチップで、事が済む。ありがたい。


飯島さんの家は、ネカ美術館近くにあり、家の前が田んぼである。


私たちが行くと、居間には、食事の支度がしてあった。

何と、日本食である。

それも、赤飯、煮物、味噌汁、サラダ、煮豆である。


茶碗と、お椀を見て、私たちは、声を上げた。

日本の食卓風景であるから、新鮮だった。


皆で、お話を伺うというだけのはずだったが、食事の持て成しである。


飯島さんは、挨拶もそこそこに、ビール、そして、熱燗の酒を出してきた。

あまりの、歓迎に、皆、絶句である。


昼間から酒を飲まない私も、その好意に、一口、二口と、口をつけた。

皆も、同じである。


それから、赤飯、味噌汁をいただいた。

それが、旨い。すべて、バリ島で、手に入るという。

味噌汁は、ワカメと、豆腐である。

バリ島の豆腐は、何度か煮ると、良い味になるらしい。


また、煮物が、絶品で、唸った。

にんじん、いも、大根、シイタケである。

唐辛子の辛さが、旨い。

醤油の味には、ホッとした。


味噌と、醤油さえあれば、日本食が出来る。

飯島さん曰く、塩は、バリ島の塩が一番であると。

昔ながらに、浜辺で作るという。

後で、千葉君は、お土産に、バリ島の塩を沢山買っていた。


食事が終ると、飯島さんが、話し始めた。

クミちゃんは、飯島トークという。どんどんと、話が進んでゆくのである。


その多くは、バリ島、インドネシア人の、マイナス面である。

その問題意識に、私たちは、身を乗り出して聞いていた。


実は、私たちが、バリ島に来た日から、環境サミットが、行われていたのである。

明日、領事館に出向くはずだったが、思わぬ事態に、全員がサミットの手伝いに出て、会うことが出来ないということになった。


飯島さんは、領事館から、依頼されて、講師を務めている関係から、すべての領事と、親しい。

是非、私を領事たちに、合わせたかったようである。


兎も角、飯島さんの話が続く。

その内容を書くことは、難しい。


ただ、言えることは、政治と、政治家の問題である。

多くの話の中で、非常に参考になることは、政治と、政治家の話だった。

民族性の話は、誤解が多くなるので、別の機会に書く。


インドネシアは、島国である。二万の島が、連なるのである。

バリ島は、その一つ。

中でも、異色なるが、バリ島だけが、バリヒンドゥーなのである。

インドネシアは、イスラムの国である。


簡単に説明する。

インドネシアは、建国当初、宗教、アガマという、に、公認されたのは、イスラム、カトリック、プロテスタントだけだった。

つまり、唯一神を持つ宗教、一神教のみを、アガマとして、公認したのである。


インドネシア憲法前文に、建国五原則があり、その第一条項が、唯一至高の神という概念がある。一神教の信仰を、国家理念としたのである。

唯一神を持ち、教義と、組織が確立している団体を、アガマとして認めたのである。


その中で、バリ島の、ヒンドゥーは、公認されなかった。

多神教と見なされたのである。

バリヒンドゥーである。

実は、ここに、大きな問題がある。


バリ島には、ヒンドゥーの前に、バリ島の土着の信仰形態がある。

その前に、ヒンドゥーが、乗った。

ただし、分析をよくする学者は、そこまでは、立ち入らないようである。

あくまで、ヒンドゥーを主にして、バリ島の信仰を解釈、解説する。


それは、第二次世界大戦後の、建国からの、宗教公認を目ざした、バリ島のエリートたちの集団である、パリサドという団体を主にして、分析するからである。


現在見る、バリ島の信仰は、それからのものであり、新しいと解釈する。

つまり、伝統宗教ではないと、分析する研究家もいる。

それは、それとして、理はある。

つまり、国に、公認されるためには、一神教の姿にしなければならなく、教義と、組織も、作らなければならなかったからだ。


中を省略して、言うと、結果、バリ島のヒンドゥーの神を、イダ・サン・ヤン・ウィ.ディ・ワソという名前にしたのである。


初代大統領スカルノの母親が、バリ人であったこともあり、バリ島の人々の陳情が成功し、バリ島のヒンドゥー教が、公認されたのである。


その際に、仏教も、公認された。

そして、1990年代には、ワヒド大統領によって、儒教も公認された。

現在、公認された宗教は、6つになる。


1950年代に、公認された、バリヒンドゥーは、一部の人によって、なされたものであり、一般の人々には、浸透しなかった。

よって、混乱するようになるのである。

つまり、一般の人は、今でも、どうするべきかを、色々と模索しているのである。

ということは、今まで行ってきたことを続けることであり、新しい方法を学ぶことでもあるということだ。


バリ島の総本山である、アグン山にある、ブザキ寺院では、パリサドを中心に、今でも、改革を継続している段階である。


ゆえに、ある研究家は、バリヒンドゥーを伝統宗教とは、言えないとまで言う。

何故なら、バリ島の宗教は、俗信としてではなく、国の宗教の公認を受けた新しい宗教であると、認識するのである。


しかし、ここで、総まとめのように、バリヒンドゥーをまとめることは、出来ない。

それを、アガマという普遍的な宗教概念としていると共に、それぞれの、風習、習慣であるところの、行為行動を、アダット、つまり、土着のものである部分もあると認識するのである。


だが、私は、この、アダット、習慣、風習にあるものこそ、バリ島の信仰の本質であると言う。


習慣であり、宗教の本質ではないと断定する、研究家は、宗教というものの定義を、欧米型の、宗教概念で、解釈するからである。

また、インドネシアという国家の宗教概念で、解釈しようとするのである。

それは、それで、認めるが、私は、違う。


風習と、習慣こそ、宗教的行為であること、日本の神道を見れば、解る。


ここで、一人の信仰篤い、バリニーズの話を聞く。

バリ島の神の名前は、宇宙である、サンニャンツンガであるという。

宇宙が神なのである。

そして、その神の、具体的活動の象徴は、ブダマソリア、つまり、太陽であるという。

ソリアとは、太陽のことである。私には、ソリャと聞こえる。

SORIYAである。

その彼は、サンニャンツンガの神の姿を絵に描いてくれた。


バリ島の土着の信仰形態は、宗教ではない。

宗教的行為にあるのだ。

それが、私が言う、神道と、同じところから、発していると言う。


私が、太陽をアマテラスというと、彼は、大きく頷いた。そして、同じだと言う。


ここで、神社神道と、混乱するといけないので、私の神道を、古神道と言うことにする。


古神道も、バリ島の信仰と同じく、教祖や、開祖無く、教義も無い。

風習と、習慣であり、それは、伝統といえるものだ。


それを、宗教ではないと言えば、言える。


バリ島に、ヒンドゥーが来る前は、自然のすべてのものが、神であり、風の神や、水の神や、火の神だった。それで、何も問題がなかった。

しかし、ヒンドゥーが入ると、神の名前が輸入されて、ヴィシュムという神の名や、シバ、ガーネシア、サラサワティーという神の名が、付けられた。


コカコーラーが入ってきた感覚で良い。

飲み物に、皆、名前を付けるという感覚でいい。


自然を神と、観たのが、バリ島の人々だったということを、私は、言う。


サンニャンツンガという宇宙である神に続くのは、火の神と、水の神である。

火の神の大元は、太陽あり、そして、命の、水である。


すべての生命の根源を神として、認めた信仰である。

それが、所作、行為になる。

それが、バリ島の伝統であり、宗教という概念ではない。


古神道も、バリ島の伝統信仰も、共に、宗教学ではなく、文化人類学によって、研究されることを、期待する。


バリ島の人々も、行為を学び続けていると、いう。

つまり、宗教としての、バリヒンドゥーというものを、である。


バリ島の人も、タイの人と同じように、毎朝、椰子の葉で編んだ籠に、供え物をして、土に上に置く。

クミちゃんも、毎朝、50ほどの籠を作り、家の周囲に、勘で、置いて歩くという。


タイでは、ピーという、精霊であり、バリでも、矢張り、精霊を言う。


天と地の霊に対する所作である。


天に昇った霊に対しては、サンガにより、礼拝し、地に下がった霊に対しては、土に、供え物を置く。


今は、ほとんど見ないが、昔、日本の家では、竈の神、トイレの神などに対して、注連縄を張り、お祭りした。それに、似る。


つまり、それは、全ての場所に、霊的空間を認めたということである。

それは、霊感のなせる技である。


自然発生的に、始まったものであると、いえる。


バリ島の信仰を、一神教にするために、唯一の神の、働きとしての、それぞれの神という、教義を立てた。

実は、多神教と言うものも、欧米の宗教学による。

日本の神道系の、宗教も、一は多であり、多は、一であるという、理屈を言う。


実は、一でも、多でもない。

それらを、超越しているのである。

超越とは、次元の違いであるということだ。


一とか、多というのは、三次元的考察である。


キリスト教、イスラム教などの、一神教では、人を神の子というが、決して、人は、神に成らない。

しかし、仏陀の教えは、人は、仏になるものである。


次元を、峻厳して、区分ける一神教であり、次元を超える仏陀の仏である。


霊的感覚から言えば、次元を超える、仏の方が正しい。


神と隔絶するという、一神教は、滅びるのである。


古神道では、次元を超える。故に、人は、命、みこと、となるのである。

そして、画期的なことである、修行という、意識は無い。

生まれて生きること、それをもって、人は命、みこと、になるという。


一体、修行というものは、何か。

実に、贅沢な生き方である。

カルマの、清浄なることを願い、修行するというのである。

転生により、発生した、カルマを、解消するという、考え方は、インド魔界から、発した。

勿論、仏陀も、それである。

そして、転生から抜けて、二度と、この世に生まれないことを、善とする。


輪廻から、抜け出ることを、願う行為を、修行という。

つまり、輪廻を抜けた次元に、存在することを、最終目的にするということである。

それが、インドから出た、考え方である。

仏陀は、それを、完成させ、永遠の、仏となったという。

それが、本当なら、仏陀の生まれ変わりはいないということになる。


ここでは、結論を避ける。

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2007年12月04日

バリ島へ 4 平成19年12月

一時間半ほど、飯島さんのお話を伺った。

結局、時刻は、一時を過ぎて、私たちは、お暇した。


私には、次に来る時は、一ヶ月ほどの予定で、来て欲しいと言う。

そうすると、領事館の方でも、それではと、色々と、企画を持ちかけてくるという。

ただ、一ヶ月の滞在となると、中々、難しい。

日本で、赤字コンサートを続ける意味と、意義があるからである。


今、コンサート活動を中止するのは、今までのコンサートの積み重ねを、やや捨てるということになる。

続けることが、何より、現実なのであり、それは、成功なのである。


藤岡宣男のファンの方は、ほとんど、コンサートに来ることはない。藤岡が、いないからであり、まだ、藤岡の歌が聴けないという人もいる。

それはそれで、何の問題も無い。


それでは、何故、続けるのか。

私の性格である。


止めるのは、今すぐにでも、止められる。

だから、止めない。


釣り糸を海に垂らしていなければ、魚は、繋らない。

釣り人は、海を見つめて、何時来るか知れない、魚を待つ。

人生で、待つということが、最高の知的行為であることを、知る人は少ない。


待つ行為こそが、人間の行為なのである。

人生は、また、待つことに、耐えることなのでもある。


さて、私たちは、一度、ホテルに戻った。

そして、休憩することにした。

コンサートまで、休むことにしたのである。

それはまた、飯島さんの、お話が、内容濃く、消化するのに、時間が必要だったこともある。


バリ島の人々の批判も多く聞いた。

それは、ある種、バリ島に旅に来て、楽しんでいた者の気持ちに、水を掛けるようなものでもあった。しかし、それで、バリ島を嫌うということではない。

問題意識である。


文明国の、情報や、物を、そのまま受け入れて、考えることなく、取り入れている様は、ある種、愚かであるが、それを、日本人は、笑えない。同じように、アメリカを取り入れて、このような、国になったのである。


バリ島では、米が三度採れる。三耗作である。

ところが、農薬を撒き散らしているという。

農薬漬けの、米が出来る。

まして、農薬の、散布の分量を知らないというから、恐ろしい。

これは、たった一つの、例である。

以下省略する。


ここで、一つ言う。

日本の旅行会社の、パンフレットのバリ島を見ると、そこには、神々の島、自然豊かな云々と、謳う。


バリ島が、神々の島であるというのは、否定しないが、それならば、日本は、更に、神々の島である。


バリ島には、神もいるが、インド魔界の、神もどきも多い。それが、おおよそ、七割である。

日本にも、インド系の神々が渡り、拝まれているが、三割程度である。

どちらが、神々が多いのかは、一目瞭然である。


神々の島は、日本のことである。


バリ島の、自然は、破壊されて、今に、見る影もなくなる恐れあり。

ゴミ処理がなされていないので、至る所、大変な状態になっている。

精々、一週間程度の滞在では、そんなところを、見る事も無い。


ジゴロに、騙されて、妊娠し、子供を産んで、バリ島に住む日本人女性が、親の資金を得て、店を出して、少しばかり、成功する。

ジゴロにやられる程度の、頭である。

すぐに、その気になり、召使を雇う。

にわか、金持ちになり、日本語や、日本の文化も知らず、バリ島で、その気になって暮らす。良い結果が、現れる訳が無い。

子供は、バイリンガルだが、母語を知らないから、精神的流浪をすることになる。

そこに、何の問題意識も無い。


こみういう、アホな日本人が、バリ島の伝統を、破壊するのは、目に見える。

少しばかりの、金があることが、仇になるのである。


インドは、ヒマラヤ山脈の上空の霊界の支配にある。

そこから、出るモノは、神もどきであり、魔界関与が、凄まじい。

インドを魔界の地というのは、訳がある。

カースト制という、仏陀でさえも、それを、阻止することが出来ず、逆に、仏陀も、取り込まれた程である。

仏陀の平等の思想は、今は、皆無である。


政治が、低いカーストの、才能ある若者を引き上げるべくの、政策を打ち出すと、高位のカーストが、反対運動をするという、魔である。


バリ島にも、カースト制がある。


インドの地には、仏陀の思想は無い。

日本の僧侶が、仏教を打ち立てて、復興しようとしているが、仏教徒は、カースト制に、含まれないほど、地位が低いのである。

南インドの仏教徒は、最低最悪の生活を強いられている。


ヒンドゥーの神々は、魔神である。

到底、真っ当な神経で、対処できる相手ではない。


あの、地下鉄でテロを起こした、新興宗教も、シバ神を主に、祭っていた。

インド魔界は、ロシアにまでも、広がり、その新興宗教も、ロシアにて、大きな支部に発展していたのである。


ただし、バリ島の人々、バリニーズたちは、救いがある。

それは、キリスト教、イスラム教、その他諸々の、布教する宗教観を持たないからだ。


ぎりぎりのところまで、観光客に、聖域に入ることを許し、しかし、信仰を強制しないのである。

日本の神道と同じである。

決して、人に信仰を強制しない。


バリヒンドゥーに、入信するには、こちらから、お願いしなければならない。

そして、それは、簡単である。

本日から、入信しますと言えば、聖域に、入ることが出来る。


バリ人の、信仰の篤さが、理解できる。

人に、教えを説くほど、弱いのである。

人に、教えを説いていなければならないほど、信仰が、不安定なのである。


しかし、バリニーズは、確固たる信仰があるゆえに、教えを説くことはない。

こちらが、尋ねて、はじめて、口を開くのである。


お解りであろうか。

信仰とは、極めて個人的情緒である。

犯しては、いけない、心の世界である。


信者を獲得するための、行為は、単に、その信仰に不安だからである。だから、大勢の人を集めるのである。

そして、金を集める。兎に角、集めることで、安心する。


多ければ多いほど、信仰に安心するという、信仰の薄さと、堕落である。


信仰は、我が内にあり、一人一人に、神がいるということを、知る行為である。

つまり、一人一宗一派になるのである。

百人がいれば、百の神があると、看破するのが、信仰である。


私は、野中と、ホテルの部屋で、徹底議論していた。

野中は、早稲田の東洋哲学科である。般若経を学んでいた。

議論し、問い詰めていた。


勿論、早稲田大学での、東洋哲学、さらに、宗教であるから、程度が知れる。

真っ当な学者など、一人もいない。職業学者が、精々である。

信仰を知らず、宗教を講義するというから、仰天する。


ましてや、霊感が無いのであるから、何も知らないのと、同じである。


更に、日本の宗教というものがあればの話だが、欧米の宗教学を持って、分析しているのであれば、終っている。

西洋の神学は、ギリシャ哲学の亜流である。

それを、本流として、すべての学問が始まっている。

元が、亜流である。そこから出たもので、真っ当なものなのない。

宗教学も然り。


野中は、結局、神道に、感動して、日本古来の信仰に、目覚めた。

ただ今、私とは、別な角度で、日本の伝統信仰を、追及している。


疲れたので、私は少しベッドで、休むことにした。


コンサートで、歌い、踊るのである。

その前に、疲れては、台無しである。


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2007年12月05日

バリ島へ 5 平成19年12月

公演会場は、ウブドゥ、クッゥ村の一番大きい寺院の、集会所である。

開演の、一時間前に入るようにと言われた。


少し遅れて、私たちは、到着した。

すでに、ウブドゥのガムラン楽団の人々、舞踊の人々が、集っていた。


私たちは、丁度、プログラムの真ん中に出ることになっていた。


すぐに、浴衣から、着物に着替える。

絽のピンクの着物を着た。

家から踊りの化粧をしてきた、踊り子さんたちが、行き来する。


四人の女の子たちの、衣装が可愛い。

頭に、ウサギの耳をつけている。

彼女たちは、出番が来るまで、踊りの振り付けを練習していた。

楽屋での、その踊りの上手なことといったら、なかった。

バリ舞踊の、基本の所作が、しっかりと出来上がっている。


私と、千葉君は、舞台の出口の横のイスに腰掛けて待つように、言われた。


開演前に、司祭さんが、皆を、清める。


つまり、その芸能活動、音楽、舞踊を、神への供え物として、考えるのだ。


お客の入りは、関係ないのである。

相手は、神様である。


我が身が、供物になるという、感覚である。


それは、日本の神楽に似る。


司祭さんから、聖水をかけられ、三度、その水を手のひらで受けて、飲む。最後にまた、聖水で、清められて、開演である。


ガムランの音が、響き渡る。


出番の女性たちは、その前まで、合掌している。


出口は、舞台の真ん中にある。

神の座から、出るというのだ。


神に捧げると、共に、神に成るのである。

これを、説明するには、多くの言葉が必要である。

今は、その事実だけを言う。


私たちの、出番は、五番目である。


長い時間を、待つ。

女の子たちの出番を見ていると、矢張り、四人が、合掌して待つ。


初めての体験である。

他流試合のような、感覚になる。

そして、考えた。

このような、企画を考えたことを、少し後悔する。

この、バリ島の伝統と、信仰の舞台に、上がるということは、大変なことであると、改めて、感じた。

少し、申し訳ない気分である。


快く、私たちの、時間を与えてくれた、ウブドゥの人々に、心から感謝した。


これは、歌舞伎の中に、バレーの踊りや、オペラが入るようなものである。

そんなことは、考えられない。

それが、出来るということ、ただ、感嘆するほか無い。


出番の前に、私も、合掌して、待った。


千葉君のイスと、譜面台が出されて、私たちは、舞台の真ん中から、出た。


強い光に、客席は、見えない。


私は、言った。

ジャパニーズオールドソング、浮波の港、惜別の歌、そして、オリジナルジャパニーズダンスを、スペイン民謡にて、踊ると。


言う私も、驚くのである。


両側に、構える、ガムランの皆様に、礼をして、始めた。


精一杯歌った。そして、踊った。

それ以外のことは、考えない。

ただ、ひたすら、歌い、踊った。


踊りの途中から、汗が噴出した。


踊りつつ、舞台から抜けた。


拍手が起こる。


楽屋に戻ると、一人の老婦がやってきて、何か言う。

その、老婦は、バリ舞踊の先生だった。


私の踊りを、ずっと、観ていたという。

素晴らしい、素晴らしいと、言ったと聞いた。


ただ、日本舞踊を始めて見たようで、どこの舞踊になるのかと、クミちゃんに、尋ねていたという。

英語が、通じないのだった。

純粋バリ人である。


最後に、ガムランの団長が、私の前に来た。

紹介されて、始めて、団長のいることを知る。


私の汗に驚いていた。

何かを言うが、バリ語であるから、解らない。勿論、インドネシア語でも、解らない。


兎に角、終ったのである。


最後の舞台を見るために、急いで浴衣に着替えて、舞台の後ろに向かった。

最後の舞台は、何と、日本女性である。

バリ舞踊をマスターしての、参加だった。

そして、本日の唯一の、男性舞踊家との、共演である。


男性は、扇子を用いた。

実は、この扇子を用いたのは、日本舞踊の影響からだった。

特殊な、扱いではないが、実に見事な、扇子捌きである。


フィナーレは、女の子たちが、出てきて、客席に降り、客の一人一人の耳のあたりに、花を挿して行く。

それがまた、可愛らしい。


女の子たちが、舞台に戻ると、男性舞踊家が、私たちを舞台に招いた。

そして、何か挨拶をする。

内容は、解らない。


私たちは、一列に並んだ。

そして、写真撮影である。


日本人、欧米人の客、そして、村の人々、昨日の子供たちの、顔もあった。


バリ人は、私の前に来て、何かを言う。

私は、黙って、それを聞いた。


後で、聞いた話である。

私の歌のような、不安定な音程で、歌う歌を、バリ人は、上手だと、認めるという。つまり、彼らは、絶対音感ではなく、言えば、移動音感である。

子音が、主であり、母音の強い日本語では、特に、音程の曖昧さを、好むのである。

それは、音の幅が、あれば、あるほど、勝手に解釈し、自分のいいように、聴くのである。

音程が、確かな歌は、響かないのである。


良い悪いではなく、それが、彼らの伝統の音楽的感覚である。


私の、万葉集の朗詠が、一番、彼らの音感に、ぴったりしていたようである。


これは、新しい発見である。

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2007年12月06日

バリ島へ 6 平成19年12月

舞台を終えて、テラハウスと、クミちゃんの家に戻った。

そこで、バリコーヒーを頂く。


バリコーヒーは、コピと言う。

コーヒーの挽いたままを入れて、粉が底に落ち着いてから、飲む。

最初は、粉っぽく感じられたが、これが、病み付きになる。しかし、私は、それを買って、日本では飲まないことにしていた。バリ島で飲むからいいのである。


手伝いの人や、お客さんの流れて来た人など、大勢が、中庭で、話した。

日本語、バリ語、インドネシア語、そして、英語である。


何を話したのか、忘れた。


私は、舞台が終わり、放心の様である。


終った後の、溜息が、心地よい。


コーヒーを飲み終わり、そろそろと、言うと、車の運転をしてくれる、叔父さんが、オッケーと、私たちを招く。


帰りに、買い物をしたいと言う。

水を買うためである。


大きなスーパーに連れていってくれるという。

早速、皆さんに、お別れして、車に乗り込んだ。


大きなスーパーだった。

遅い時間だったので、お客がいない。


そこで、私は、水と、ビンタンビールの缶ビールを三つ買った。


他の皆は、なにやら、多くの買い物をしている。

聞けば、お土産である。

スーパーで買うと、安い。その手が、あったと、感心した。


買い物を終えて、ホテルに向かう。


私は、部屋に入り、すぐに汗だくになった体を、シャワーで流した。

皆は、それぞれ部屋に入った。

疲れたであろうから、私は、千葉君だけを部屋に呼んで、缶ビールを飲んだ。


野中と、三人で、色々なことを、話し合った。


これからの活動については、勿論のこと、バリ島の文化と、日本の文化について、その相違点等々。そして、政治の問題などである。


石油高は、バリ島も、そうである。

飛行機の、燃料チャージが、また、上がる。

国際社会の状態が、石油を上げているだけではない。様々な問題が、それに、絡まっている。

一面的な、問題ではない。


飯島さんから、聞いた話も、三人で、思い出していた。


インドネシアの政治家の、汚職も、甚だしいほどのものがある。

日本政府も、円借款をしている国が、どのように、それを使用しているのか、調査するとのこと。早急に、行うべきである。

インドネシアには、毎年、日本から、一千億円近い、支援を受けている。


初代大統領スカルノ、そして、二代スハルトと、国民は、多く期待したが、結局は、国民を後回しにして、自分たちの資産を築いた。

ただし、初代スカルノは、まだ、英雄である。

新しい大統領が誕生するたびに、国民は、期待したが、結局、何も変わらないということが、解ったのである。


バリ島一つを上げても、一般の人々は、搾取され続けているのである。


12年前に、バリ島に行った時に、聞いた給料と、現在の給料が変わらないのである。

しかし、物価は、何倍にも上がった。


民主主義、共産、社会主義等々の、イデオロギーに関わらず、政治家や、支配者層は、我が身の懐を溢れさせるために、行動する。

人間の性であろう。


政治家は、どこの国の政治家も、同じである。

心底、国民のために、と、行為行動する政治家は、皆無に近いのである。


日本は、官僚にいいようにされ、税金をふんだんに、無駄に使わせて、更に、税金を上げるというのだから、空いた口が、何とかである。

政治家は、官僚より、更に、税金を無駄に、いや、自分のために使うのであろう。そして、そういう、政治家が、強いのである。皆、それらに、従う。

簡単に言うと、そういうことである。


社会保険庁、そのバックの厚生労働省、そして、防衛庁の様を見れば、日本が、完全に欠陥国家であることが、判明した。

さらに、与党も野党も、何がなにやら、解らないのである。


もし、野党が与党になっても、自分たちが言うことを、言われるだけである。

それを、国民は、黙って見ているという、国民欠陥国家でもある。


これで、選挙の投票など、したくなくなるという図である。


何か、根本のところで、歪んでいるのである。

そのためには、革命が必要である。

革命といえば、共産主義であるが、結果、その正体は、民主主義より、悪いものだったという。


自衛隊が、国会を占領して、暫定政府を作り、新たなる国造りをするというのは、考えられない。


今の日本は、日本人の良さが、すべて裏目に出いるのである。それを書けば、長くなるので、別の機会に書く。


バリ島の話である。


このまま行くと、バリ島は、観光客の、糞尿で溢れる島になる。

実際、糞尿処理は、無いのである。

大型のホテルは、自分のところで、処理する装置を付けているが、数少ない。


ある地区では、ナマズの養殖の食料に、糞尿を使用しているという。

これ以上になれば、神々の島は、糞、小便の島になる。


また、河川の汚染は、甚だしい。

観光客が捨てた、ゴミで、もう、川に入ることが出来ないところもある。


この、ゴミ処理も、何の打つ手が無い。

ゴミは、自然に帰ると思うバリ人に、教えて説くしかない。

  1. 焼却施設を持つ、個人的に、活動している方もいるというが、間に合わないだろう。


    こういう問題は、矢張り、政治家の仕事である。

    インドネシアの政治システムを知らないゆえに、多くを書くことが出来ない。


    私たちが、バリ島に滞在している間、環境サミットが、開催されていた。

    帰国後も、それは、続いていたが、あまり、思わしくない様子であった。


    二酸化炭素の排出のみを言うが、もっと、専門家の話を聞くべきである。

    政治家は、そんなことを知らないのである。

    スローガンのみを掲げても、何もならない。

    逆に、サミットにより、バリ島の環境を破壊しているのである。

    彼らの滞在期間の、糞、小便は、どのくらいの分量になるのだろうかと、思う。


    ウブドゥの、棚畠を見に出掛けた時、スコールが降った。

    すると、見る間に、鉄砲水のように、道路を流れ出した。

    下水道が、整っていないのである。


    バリ島は、行政のやるべきことが、多すぎる。

    ホテルは、どんどんと建つが、それに伴う、環境のシステムが、ついてゆかないのである。


    クタの道を歩いていると、悪臭がするので、見ると、ゴミが、溜まっている。ただ、放置しているのである。

    日本の、衛生観念とは、天と地ほどの差がある。

    これから、バリ島で、活動すると、思うと、様々な問題が見えてくるのである。


    私は、日本から持ってきた、日本酒を飲んだせいで、酔ってしまった。

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2007年12月07日

バリ島へ 7 平成19年12月

7日の昼、私たちは、ウブドゥから、クタのホテルに戻った。

その日、一日、フリータイムである。ゆっくり、のんびりすることにした。


ウブドゥを抜ける頃から、空気が変わる。

山から海のものになる。また、騒音である。クタの車は、多い。


兎に角、暑い。

異常気象である。

とは、言うが、本当は、異常でも何でもない。これが、自然である。


海面上昇というのも、嘘である。水没するのは、別な意味である。

地球は、生きているのである。

たかが、人間のやることに、地球が左右されることはない。

左右されるのは、人間の方である。


地震が起これば、無に帰す。

到底、地球のやることに、適わない。


問題は、環境破壊する時、目に見えないものを、ないがしろにすることである。


石炭は、樹木の化石であり、石油は、生き物の、死骸の産物である。

山を切り崩すという行為は、そこに住むものたちの、存在を無にするということである。

つまり、多くの生き物を殺す。

命が大切なものが、人間だけである訳が無い。


また、重大なことは、地霊である。

地霊とは、そこに生きて死んだものの、総称である。

これを、無視すると、とんでもないことになる。


政治家、官僚、企業等々は、それを、知らないのである。


古代人ならば、山を切り崩すことは、神を切り崩すことだと、恐れ慄いたはずである。


すべてには、所作がある。

やも得ず、自然を開発する時は、それなりの所作が必要である。



さて、私は、夕方、少し日が翳り始めたので、マッサージに出掛けた。

フットマッサージならば、一時間で、50,000ルピアからある。約、600円程度である。

至る所に、マッサージ店がある。大半が、美容室と一緒である。


前回来た時に、親しくなった店もあるが、私は、新しく開拓しようと、ホテルの並びを歩いた。

言えば、本通ではなく、仲通である。

一番目に、目に入った店に入った。


フットマッサージを頼んだが、何と、前身マッサージを始めるではないか。私の発音が悪かったと思う。

タイマッサージになっていた。

バリ島でも、タイマッサージという言葉が使われる。

だが、バリ島風に、オイルを使用する。


オイルマッサージは、嫌いだったが、それが、感動ものだった。

凝りをほぐすのである。

指圧に似た、マッサージをしてくれた。


バリニーズで、27歳のマッサージ歴4年の女性である。


私は、そこに、帰国の日まで三回通った。

一時間、75,000ルピアである。約、850円である。


値段は、ピンからキリまである。

クタ通りに出ると、それが、100,000ルピアから、200,000ルピアになる。

1200円から、1400円程度である。


ここで、両替のことについて書く。

政府公認の両替が、一番安全である。

クタ通りには、多く、闇の両替がある。

そこでは、完全に騙しのテクニックがある。

金額が、大きいので、勘違いするのを、利用して、不正を行う。必ず、騙される。


手品のようなことをして、騙すのであるから、恐れ入る。

例えば、40枚を渡されたと思うが、数えると、30枚になっているのである。

手品である。

それはそれは、上手である。


はっきりと、解る不正が、二度あった。

私は、その都度、掛け合いに行った。

彼らは、私のような大声を嫌う。

仕方なく、不正を認めて、支払う。そうでなければ、彼らも、商売であるから、平然として、無視する場合が多々ある。

一度、手にしたものを、再度、やり直すということを、しない。

また、日本人が、不正に気づいていも、日本円に換算して、その程度ならと、諦めるということも、知っているのである。


両替をやる者は、ジャワ人が多い。バリニーズは、不正を行えないのである。


政府公認の両替に行くと、実に、機械的であるが、道端の両替に行くと、実に、ショーのような、雰囲気になるから、面白い。

その、スリルもあって、私は、道端の両替に行くこともある。


ただ、不正両替をする、彼らの気持ちは、痛いほど解る。


レートの良いところに行くと、必ず、手数料を取られる。

すると、何もレートなど良くない。

結果、政府公認の両替より、悪いことになる。


何度も言うが、必ず騙される。


さて、体についたオイルを、ホテルのプールで泳ぎ、取り去る。

心地よい疲れで、冷房の効いた部屋で、休む。

すると、夜の食事の時間になる。


食べることが、楽しみになる。


私は、一度、バリ島の日本食の店に連れて行くと、皆に言っていた。

それを、その日に、実行しようと思った。

いかに、バリ島の日本食の店が、頑張っているかを、見せたいと思った。

勿論、日本人観光客が、多いから、日本食の店が乱立したのである。


料金は、高いが、日本円に換算すると、日本の料金より、半額程度になる。

それも、割安感を感じさせる。

しかし、日本円に換算ばかりしていると、誤る。

バリ島の、現地料金を、把握することが、大切である。


数日間の観光旅行では、そんなことを、考えない。単に、バリ島を通過するだけであるから、お金を使う。それも、善し。

ただし、落としたお金は、大半が、バリ島の人には、行かない。皆々、搾取される。


夜、皆を、日本食のレストランに連れた。

結果は、美味しいという。

生ものを食べるのは、バリ島では、危険だが、日本食のレストランは、安全である。


寿司飯が美味しい。

味噌汁もいい。

刺身も、旨い。


目出度し、めでたし、である。


一度、ホテルに戻り、提案をする。

バリ島の、レディボーイショーを見るかというもの。

皆、行きたいと言う。


野村さん夫婦は、始めてのことで、奥さんが、おかまショーですかと、改めて聞く。

日本では、ニューハーフと言う、私。奥さんが、頷く。

その、奥さんは、ショーに目をそむけることなく、最初から最後まで、じっと、見ていたのである。

私は、大音量に、疲れ果てたが。


少し、ホテルで、休憩して、ホテル近くのバーに出掛けた。

ショーまで、一時間ほどある。

皆、それぞれの飲み物を注文して、ショーの始まるのを待つ。


レディボーイの裏側については、野中が、徹底取材している。

posted by 天山 at 16:34| バリ島へ 平成19年12月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月08日

バリ島へ 8 平成19年12月

帰国の日である。

7日間の予定が、矢張り、あっという間に過ぎた。


朝、ホテルのレストランに行く。

まだ、誰も来てない。

少しして、辻さんが、出てきた。


楽しかったというのが、開口一番である。


最初のバリ島が、楽しいということは、嬉しいことだ。


ホテルを出る、夕方、四時までには、時間がある。皆、フリータイムである。

帰り支度をしなければならない。

野中は、朝から、帰り支度をしていたという。


バリ島から、去るということに、皆、一抹の寂しさがある。


私は、朝食を終えて、矢張り、帰り支度を始めた。が、一度止めて、ベランダに出た。

ベランダから、木の枝に、巣作りをしている、小鳥を、毎日眺めていた。

目の前に巣がある。

そんな体験は、滅多に無い。


小鳥は、何の心配もなく、恐れもなく、巣作りに励んでいる。

天敵がいないのである。


日本に帰るという意識は、いつものことであるが、不思議である。

また、来るのだと、言い聞かせて、帰路に着くのである。


古人は、人生を旅に、見立てた。

実に、見事な、ことである。人生は、旅である。


旅は、いつか、終わる。それが、死ぬ時である。

その、死ぬ時まで、旅を続ける。そして、本来の世界に帰るという、考え方がある。実相の世界という。しかし、だが、である。実相世界が、本当だとしても、今は、この、迷いの人生を生きている。ここに、いるのである。


実は、私は、大いに、迷いたいと思っている。

迷っている、振りをして、生きたいと思っている。


バリ島も、その一つの方法である。


帰る日の、昼食を考えた。

私は、地元のスーパーで、買い物をして、部屋で、食べることを、提案した。皆は、賛成した。


早速、私は、車をチャーターして、千葉君と、スーパーに買い物に出掛けた。


主に、パン類を買い、ジュース、ソーセージ、チーズを買った。

それを、辻さんの部屋で、皆で食べた。

地元の人の食べるものを、食べるという、体験である。


デザートに、買った、ナタデココの、シロップ漬けを食べて、愕然とした。不味い。皆、そう思った。そこで、バリ島の味との、相違を知った。

最後に、勉強になった。

味というものの、感覚が、違うのである。

余計な味がある。この、余計な味が、バリ島である。

皆、それぞれに、カップ一杯を食べた。そして、お替りなしである。

残したものを、部屋に、そのままにしておいた。ボーイさんたちが、食べてくれると、有り難いと思った。


昼食を終えて、皆、それぞれの行動に、移った。

私は、最後の、マッサージに、向かった。

例の、タイマッサージである。


最後なので、フットマッサージをした。

一時間を、どのようにするのかと、期待した。

足裏から、太ももにかけてを、じっくりと、力強く揉む。実に、うまいのである。

オイルを使うが、揉むといいう感覚である。


満足して、私は、来年の四月に来ることを言うと、彼女は、ニコニコして、頷く。

オッケー、オッケーを繰り返した。


ホテルに戻り、オイルを流すために、プールに入った。

二三度、プールを泳ぎ、部屋に戻って、シャワーを浴びた。


そして、いよいよ、最後の帰り支度である。

次のことを、考えつつ、荷物を詰める。

ここでも、捨てなられない性格が出る。買い物をした、ビニール袋まで、鞄に押し込めた。


ゴミ問題が、頭から、離れないのである。

バリ島では、ゴミの分別もない。皆、一緒にして、捨てるのである。

観光客のゴミの、分量を考えただけでも、ぞっとする。


兎に角、日本に戻ってから、バリ島のゴミについて、考えようと思った。

いずれ、テラハウスを開くのである。あの場所で、出るゴミだけでも、しっかり、処理するべく、方法を考えることだと思うのだ。


四時を過ぎて、私たちは、ホテルの玄関に荷物を運んだ。

そして、送迎の車を待つ。


来年から、年に三度は、来ることになるバリ島である。

行き来をしている、うちに、住むようになるかもしれない。

人生は、どうなるか、解らない。


札幌から、鎌倉に出た時も、突然のように決めた。そして、横浜へ。そして、これから、また、何処かへ行くのである。

定住という、考えはない。

矢張り、旅を続けている。


帰国して、数日を経た日に、札幌のお弟子さんから、電話が入った。

ある方の、ご主人が亡くなったということだった。

これから、このような、連絡が多くなる。

私の両親も、生きている。ということは、いつか、死ぬということである。

年毎に、亡くなる方が、多くなる。そういう、年になった。


日本から、離れると、そういう時に、駆けつけることが出来ない。

親の時も、会えないかもしれない。その覚悟が、必要である。

また、自分も、どこで、命を落とすかしれない。

それを、思うと、捨てるしかない。

そう、後は野となれ山となれ、である。

その覚悟を持って、すべてに、臨むのである。


帰りの、ガルーダーインドネシアは、ジャカルタで、多くの人が降りて、私は、体を伸ばして、座席に寝ることが出来た。

ぐっすりと、寝て、二度目の食事の時に、目覚めて、食事をして、また、寝た。そして到着、一時間前に、目覚めた。


アイスクリームが出た。

サービスがいい。他の航空会社より、良いと、聞いた。


バッグから、羽織を出して、日本到着に備えた。日本は、冬である。

真夏から、真冬に戻る。


私は、思う、古代、三ヶ月をかけて、中国に渡る人々がいた。多くは、学僧である。そして、長年にわたり学んで、日本に戻り、その学んだ教えを伝えた。今、私は、飛行機で、数時間で、各地に行く。さて、古代の彼らと、何が違うか。彼らより、実に、充実して、多くのことを、見聞している。

情報は古代より、遥かに、遥かに多い。

それでは、彼らより、よりよく、生きられるはずである。また、多くの情報から、摂取して、多くの良質な。情報を得られる。

確かに、彼らの、時間軸というものと、私のそれは、違うが、しかし、遥かに、私の方が、条件は良い。

それのみではない、多くの考え方を知り、広く見聞を持って、世界に臨むことが出来る。

大変、申し訳ない、言い方であるが、彼らは、それしか、知ることがなかったゆえに、狭義の、学びに捉われた。

しかし、私は違う。

さまざまな中にあるものからの、様々な情報を、伝えることが出来る。

これこそ、仏陀の唯一の教えであるなどということがないのである。

仏陀の教えも、タイと日本では、全く、別物であるということ。

聖教などというものがないことを、知るのである。

何一つとして、断定するものはないのである。

昔の人は、実に、うまいことを言った。

郷に入れば、郷に入れ。

クミちゃんの家のサンガで、祈る時に、どんな風に祈ってもいいと、言われた。

私たちは、神道の拍手を打ち、祈った。

誰も、咎める者は、いなかった。

バリ島の伝統は、嘘ではなかった。


形に拘るものは、形で終わる。

本来あるべきものは、形を問わないのである。

本来あるものとは、本物ということである。


あえて言う。

型というものは、必要である。

しかし、型を必要としない、日本以外の場で、形を強制されないということは、本物である。

バリ島の、寺院に入る時は、男女問わず、腰巻が必要である。

最低限の、決まりである。

それの無い人には、寺院が用意している。

最低限、守って欲しいと思うことを、準備している。

それでよし。

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