2014年07月07日

整体

整体

整体とは、何か。
体を整えることである。
だが、体とは、何か。

体とは、肉体のみを言うのではない。
肉体にまつわる、すべてを総称して、体という。

そして、体は、一つの器であるという、事実。

更に、体には、精神が宿る。生まれる。
精神とは、言葉の世界のことである。
また、更に、体は、心が伴う。

心には、魂が、伴う。

整体とは、それらを総称する、体を整えるという意味で、成り立つ。

整体は、中国式ということから、始まったようだが・・・
中国式は、すべて、道教の影響による。
その道教も、様々に、存在する。

だが、道教について、語る暇を持たない。

私の整体は、私の整体であり、それを神武流と名付ける。

体と、精神と、心と、魂を扱うのである。

だが、術としては、整体法でいい。
技と言っても、いい。
治療するのではない。

病と同じく、私が整体をすることで、不調な人を治すという考えは無い。
不調な人が、自らを癒すのである。

それでは、まず、整体の基本の基本は、脳である。
体は、脳とあまりにも、密接になっている。
普段は気づかないほどに。

体の歪みは、脳が作るのである。
だから、脳を整えなければならない。

それでは、脳を整えるには・・・
体を整えて、脳に、正しい体調を教えるのである。

体の不調和は、およそ、9歳、10歳頃から、はじまる。
それ以前は、脳波がシーター波を出して、自然治癒力を保つのである。
更に、その心も、健全で、生きることが楽しい。

だが、次第に、教育、習慣、環境、そして、強制により、体に不調和と、歪みが生じるのである。

その歪みは、骨をカバーしている、筋肉から起こる。
勿論、精神、心による、歪みもある。

筋肉は、糸のような筋で出来ている。
その束が、筋肉である。

その筋肉が、歪むと、骨に影響を与える。
そして、それが、常態化する。
その際に、脳も、それを受け入れて、それをインプットしてしまう。

同じ繰り返しをしていると、自然に、体が動くように、脳に、そのような指令が行き、そして、脳が、それを善しとして、以後、体に関与する。

不調和ならば、その通りに、脳は、覚える。
その脳を変えることが出来なければ、いくら、方法を取っても詮無いことになる。

脳が、これで良しと決めたら、体もそれに従うのである。

体を整えるということは、実は、脳を解放する、或いは、快方することである。

そして、面白いことに、体は、すべてが結び付いている。
単独にあるものは、何一つ無い。

つまり、体のどの部分も、体のすべてに結び付いているということである。
だから、反射区といわれる場所が、足裏や、掌にまで存在する。

漢方では、経絡と呼ばれる、流れがあるが、実際に、それは目に見えないものである。しかし、経絡と言わなくても、体は、すべてつながっているのだ。

指先まで、体のすべてと、つながる。
そして、それは、血液と、筋肉により、つながっている。

血流とは、体の中をすべて巡る流れであり、筋肉も皆、結び付いて、一番遠い場所でも、それは、即、筋肉を通して、反応する。

整体とは、それを根拠にして、不調和を調和に変容することを言う。
だが、不調和を調和だと、信じる人には、手の施しようが無い。

何が、調和して、何が、不調和なのかまで、忘れてしまうのが、人間である。

だから、体が、本当に不調和により、不自由になって、はじめて、おかしいと、気づく。

肩が痛い・・・
それには、様々な原因がある。
外科的原因、内科的原因、そして、筋肉による原因、精神的原因、心的原因、あるいは、魂までに至る、因縁による原因などである。

五十肩だと思っていた人が、ようやく、辛くなり、病院に行き、レントゲン検査で、筋肉が切れていたことが判明した。
もし、五十肩だと、信じていて、何もしなければ、そのまま、筋肉が切れたまま、死ぬ。

整体は、体に関することには、何に関しても、学ぶことが終わらないと言う道である。

精神科医も、名医になると、患者が診察室に入って来た、そのすべてを鑑みて、判断することが出来る。
勿論、他の医療の名医も、そうだろう。

医者も、見当をつけるのである。

その見当を放棄して、検査に頼るようになったのが、今の時代である。

顔色を見て、触診して・・・
血色を見て、更には、血色の奥にある、気流を観るこれが、整体には、必要になる。

相学とは、手相、人相、骨相を観ることだが・・・
整体も同じである。

気流とは、体から出る、微量な遠赤外線である。
オーラとも呼ばれる。

気流が無くなると、死ぬ。
それが、肉体と霊、魂と、つながっていた痕跡なのである。

日本では、霊魂と言うが、霊は、魂によって、支えられている。
その光が、気流である。

ただし、その気流にも、段階がある。

血色があり、気流があり、霊流がある。
霊流を観るには、特別な感覚を要する。

はじめは、掌から出る、気流を観る訓練からはじまる。

気功といわれる術とは、違うものである。
特別な行をして、得るものではない。

人間の体を扱うと、自然に、身についてくるものである。
それが、訓練である。

特別な訓練を要するものを、一応、否定しておく。
それは、別世界のものである。
posted by 天山 at 06:07| 整体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月08日

整体2

体についてを、詳しく分析する。

その構成システムは、大きく分けて、内臓や四肢のように、一定の部位に局在している、器官と、それらを統合する形で働く、システム、つまり、系に分けることが出来る。

系の代表的なものは、神経系と、血管系である。
それらは、全身に広がるネットワークとして、局在する各器官の働きを一つにまとめる役割を果たす。

この統合システムとしては、分泌系、免疫系、体液系などがある。
そして、整体に必要な、感覚を司る、皮膚である。
皮膚は、全身の働きを一つにまとめている、様々な統合システムの中でも、最大のものである。

整体は、この皮膚感覚を十分に認識することから、はじまる。

さて、神経系の中枢は、脳である。
そのネットワークの末端は、眼、耳のような感覚器官、運動器官として、四肢、及び、内臓器官、肺、心臓、胃腸等に達している。

それらの、末端にある、受容器により、外界及び、体内各部分の状態を認識し、それを中枢の脳に知らせる。

だから、脳が、重大なのである。
しかし、その情報が脳に達せず、つまり、それが疎外されることもある。

脳が気づかないという、状態に陥る。
これは、整体にとっては、重大なことになる。

何故なら、脳が、体内の状況に対応するための指令を出すのだから、それが、機能しなくなるということになる。

特に、神経系の場合は、医療による、検査が必要になる。

神経系の障害に対して、整体は、無力ではないが、特別な能力を必要とする。

次に、血管系のネットワークは、肺と心臓を中枢にして、全身の各部分の諸器官に達して、再び、中心に戻る血液の流れの運搬路である。

血液は、肺から酸素を取り入れ、また、胃腸から消化、吸収した様々な栄養分を全身の各部分に送り、体の働きを維持する。

神経系は、情報伝達であり、血管系は、生活物資を送るシステムと言ってよい。

東洋医学では、「気血」の運動として、認識する場合もある。
つまり、血管系、体液系の機能の重視である。

経絡という、考え方は、神経系と血管系を統合する、高次のネットワーク・システムということになるだろう。

そして、その経絡系は、皮膚と体液系の関係が深い。

皮膚感覚は、整体にとって、実に重要なことが解る。
それは、内臓や四肢だけではなく、神経系その他のネットワーク・システムを、更にまとめる、統合機能を果たしているからだ。

ちなみに、皮膚をただ、刺激するという、治療法もある。
それは、叩く、抓る、というような、実に単純なものである。

皮膚にも、凝り、張りがあり、それを通して、各器官に刺激を与えるという、考え方である。

整体とは、体を整えること、という視点から、神経系を見る。

神経は、中枢神経である、脳と脊髄、そして、中枢神経から分れて、各器官に分布する、末梢神経の二つに大別される。

末梢神経の代表的なものは、大脳皮質につながる、感覚神経と、運動神経、そして、皮質下の中枢である、脳幹、それは脳と脊髄の連絡部である、そこから出ている、自律神経の三つがある。

感覚神経と、運動神経は、それぞれ、感覚器官と、運動器官という、体の動物的機能を司る。
自律神経は、内臓の機能、それは、植物的機能である、呼吸、循環、栄養、排泄、生殖等を、コントロールする。

整体は、この自律神経に関して、特に強く働くものである。

内臓が、自律神経であること、それが重要である。

自律神経失調というのは、内臓機能の低下なのだ。
また、内臓に対する刺激は、自律神経を刺激することと、同じことになる。

更に、整体の場合は、その内臓機能に与える影響を、体の末端に、その反射区を見ることが出来る。

例えば、足裏である。
内臓に対する、その反射区が、足裏から刺激できるという、特技を持つ。

更に、膝下、太もも、そして、腕と、手である。
それらが、すべて、内臓に結び付いている。

内臓疾患の場合は、内臓そのものより、反射区に対して、刺激を与え、内臓を遠まわしに、刺激する。

それにより、自律神経系の、呼吸、循環、栄養、その他にも、影響を与えることが出来る。

ここで、知識としては、体の情報システムとしてみる場合、三つのシステムに分けることが出来る。

体と外界の関係する情報システムである。
環境からくる刺激を受け取る、感覚器官と、外に働きかける、運動器官により、一種の情報回路が作られる。

感覚器官は、外から来る感覚的刺激を受け取り、これを感覚神経を通る、情報入力に変えて、脳へ送る。

これを求心性の回路とすれば、運動器官である、手足は、遠心性の回路とみることが出来る。

脳が、末端から来る感覚的刺激を受け取ると、大脳皮質にある、様々な感覚中枢が、これに反応して、前頭葉の部分で、情報を総合し、判断を下す。
これにより、外界の状況が認識されると、前頭葉から、四肢の筋肉をコントロールする運動神経を通じて、遠心性の情報入力が行なわれる。

それは、つまり、感覚神経は外界からの刺激に対して、受動的に働き、運動神経は、能動的に働くということであり、体は、外界の状況に対応した、行動を取ることが出来る。

これが、整体の主たる、理念と基本である。

体の末端からの刺激、つまり、整体を通して、脳に刺激を与える。
それにより、脳が反応し、判断して、歪みを矯正する。

あるいは、筋肉の凝り、張りを緩和させる。
そして、大事なことは、整った状態を覚えるということである。

人は成長するに従い、次第に、体に癖をつける。
その癖により、筋肉が凝り、張り、そして、骨の歪みを作る。

整体は、骨に関して、直接的関与はしないが、間接的に、それぞれの反射区を刺激することで、骨の矯正を脳に促がす行為となる。

最も、基本的な療術である。

posted by 天山 at 05:26| 整体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月09日

整体3

体の情報システムの第二は、体の状態そのものについての、内部情報装置である。

これが、整体に実に重要なことだ。

これは、二つから成り立つ。
一つは、運動に関する、装置である。

運動神経は、大脳皮質から末端の運動器官である、四肢、つまり手足に対して、指令を送る回路である。
運動器官である、手足の筋肉や腱などには、運動感覚神経が備わり、手足の状態を、中枢の脳に知らせる。
この場合は、運動神経が遠心性回路となり、運動感覚神経が、求心性回路となる。

スポーツ、技芸などの人たちは、この回路の能力が発達している。
手足に対する情報が、運動感覚神経により、敏感に脳の中枢まで伝わり、中枢から、直ちに、その状態に対応する指令が運動神経を通して、末端の手足まで送り返されるからである。

この回路は、体の運動感覚に関する回路であり、第一の外界感覚――運動回路を支えている、体内の情報メカニズムであるといえる。

もう一つは、内臓感覚回路である。
これを整体では、特に重要視する。

これは、内臓の状態についての情報を脳へ送っているが、皮質における対応領域が小さく、普通の状態では、運動感覚のように、局所化して感じることが出来ない。

健康な状態の際には、腹腔の感じは、肺、心臓、胃などといった各部分の区別を、ハッキリとは、感じ分けることが出来ないのである。

痛みが起こったときに、はじめてその場所が解るというもの。

心理的に言えば、運動感覚が自我意識の周辺部とすると、内臓感覚は、その背後にある、漠然とした、暗い意識の底辺部分となる。

内臓感覚神経は、求心性の回路で、末端の器官、つまり、内臓の状態についての情報を脳の、中枢に送っている。

皮質は、これらの情報を総合して、体というものの、内部状況を、絶えずチェックしているといえる。

体性内部感覚は、皮膚感覚、深部感覚、平衝感覚、及び、内臓感覚である。
そして、四肢の運動感覚を合わせた全体が、全身内部感覚と呼ばれる。

この、体性内部感覚こそ、整体治療の最大のポイントとなる。
特に、皮膚感覚、内臓感覚である。

そこを刺激することで、脳の中枢に、新しい情報を与えるのである。
実践では、皮膚感覚を主にし、内臓感覚は、従になるが・・・
共に、重要な感覚である。

もう少し、突っ込んでみれば、体の運動は、記憶のメカニズムと深い関係を持つ。
要するに、体が、覚えているという、言い方をするが・・・

心理学としてみれば、判断する意識の底に、一種の自動装置があり、過去のデーターを蓄積して、失敗したデーターを調べ、意識に送り、成功するように、指令する。
この繰り返しが、練習ということになる。

ただし、未だ、不明な点があるのが、第二の感覚である。

それは、記憶という心理作用と、体の生理的メカニズムの関係が、明確になっていないからである。

心理学でも、記憶に対する考え方が、多数存在する。

意識といっても、その意識の層が、幅広いのである。

特に、不調和を感じる場合は、それが、記憶によるものなのか、或いは、生理的なものなのかという、判断である。

単に、肩が凝るという場合は、使い過ぎ、仕事関係が、そのようなものなどいう、簡単なものであれば、揉み解して、解決することもあるが・・・
そんな、単純なものではないのが、人間の体である。

体質的に、という言葉で、処理されもするが、解決にはならないのである。

第二の回路は、一種の自動制御システムと言うことが出来る。
体には、不思議な力があるということ。

実践の現場で、施術しつつ、客が過去の話、或いは、悩み事などを話したりする。そこに、問題が隠されていることが、多々ある。

整体は、単なる、整体に留まらないのは、それである。
心理的カウンセリングの要素も、多分に持つのである。

感情の問題は、次ぎに説明する、自律神経に関する回路で、詳しく説明するが・・・

体は、精神と心にも、影響を与えるという、事実である。

また、精神や心が、病むことにより、体に不調和が生じるということも、多々ある。
そして、そちらの方が、多い現状だと、いえる。

問題は、体のみでもなく、精神、心のみでもない。
全体なのである。
その全体というものを、どのように把握するのかが、問題である。

その全体を把握するためには、部分の理解が必要になる。

内臓感覚は、暗い記憶の内にある。
私は、その物言わぬ内臓こそ、体の大本だと、考えている。

それは、内臓が不調和で、体を歪めている。
凝りを作る。張りを作るということ。

更には、精神的疾患までも、生み出すものという、意識がある。

もっと、突き詰めて行けば、心の闇、それは、因縁などの問題にも、係わってくるものだ。
因縁とは、遺伝とも言える。
家系の遺伝、そして、その人の霊的遺伝ということにもなる。

心は、霊により、指令を受ける。
そして、心は、脳にも、指令を出す。

脳が先で・・・
ところが、心が先なのである。

これは、多分に心霊主義、或いは、霊学と結び付いてくることになる。

posted by 天山 at 06:09| 整体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月27日

整体4

体の第三の、情報胃ステムは、自律神経に関する回路である。

自律神経は、生命を維持する、呼吸器、肺、循環器、心臓、消化器、胃腸、という内臓の機能をコントロールする。

自律神経は、交感神経と、副交感神経との二つに分れ、両者が弛緩、緊張を繰り返して、バランスを取ることにより、内臓の働きが、正常に保たれる。

過度に緊張した場合などは、ストレスと呼ばれて、不調和を起こす。

自律神経にも、遠心性回路と求心性回路があるが、これは、明確に分かれているのではなく、自律神経を作る、線維の中に、交じり合っている。

だが、この回路は、皮質まで達していないということだ。
これは、内臓の活動が、無意識下で行なわれていることを、意味する。

無意識下・・・
これが、曲者である。
意識の下、或いは、意識の奥にある、意識である。

これに対して、遠心性の回路は、脳が感覚器官を通して、外界から得た刺激を、情動反応、快不快の感情として、それは、ストレスという一種の情報に変換して、末端の内臓器官に送り込んでいる。

遠心性回路の場合と、求心性回路の場合では、その働きが違うということである。

それを、自律神経は、両方、絡み合っているということだ。

胃が痛む。
それは、機能的に、問題があるのか、心因性のものか・・・
更に、心因性が初めにあり、その後、それにより、機能的に不調和を起こして、潰瘍などを作ったということも、考えられる。

長い間の、生活習慣により、胃潰瘍を生じた場合、それは、単に心因性のみならず、生活習慣にもよる、という判断をするのである。

そして、整体の場合は、最初に、心因性の方を、重く見て、胃の調子の、反射区の部分を刺激して、楽にする。
それから、医者を勧めることになる、場合もある。

足裏などは、強い痛みを感じる部位、内臓に問題があると、見る。

自律神経は、多分に、感情の問題となり得る。
通常の言い方をすると、心の問題である。

それを、専門的に説明すると、第一の外界感覚つまり、運動回路と第二の、全身内部感覚の中枢は、大脳皮質である。
これらの回路の中枢は、皮質の各部分に、ほぼ局所化されて、収められている。

手足の運動神経の中枢は、皮質の体性感覚野に集中する。
ところが、自律神経の中枢は、大脳皮質ではなく、古い皮質と呼ばれる、大脳辺緑系のさらに下の、内部のある、脳幹にある。

脳幹は、間脳から延髄にかけての、部分だ。

心理的に見ると、この皮質下の中枢は、情動と深く関係する。

意識が、感情の働きを自覚する部位は、前頭葉にあるが、情動が発生する場所は、間脳の視床下部と呼ばれる部分である。

更に、自律神経は、遠心性も求心性も、皮質まで達しないので、情動作用は、第一の回路による、外界感覚や第二の回路による、身体感覚のように、普通の状態では、体の特定部位に、局所化された形で感じることができないのである。

これは、生理心理学の問題である。

生理心理学では、意識、心の働きの代表的なものは、感覚、思考、感情の三つに分ける。

このうち、感覚と、思考とは、身体の特定の部位に対応した形で、働いている。

手足の、内部感覚も、指の一本一本について、区別して感じることが出来る。
感覚作用は、体の特定の部位に、局所化されて結び付いている、意識の働きである。

また、思考の意識作用、感覚は、どの部位かを限定しにくいが、主として、皮質の前頭葉と結び付いて起こる。

だが、情動、怒る、悲しむといった感情は、全身的なもので、体のどの部分と結び付いているのか、解らない。

つまり、情動は、全身で表現されるということだ。
更に、恐ろしいのは、その際の、息は、猛毒であるということ。

その、息をまともに受け取ると、受け取った側にも、大きな影響を与える。
例えば、悲しむ人と、長い時間過ごすと、同じような、体の反応を起こすのである。

整体の患者さんの持つ、その情動を受けることで、より、それが鮮明に解る。

更に、それを受けないための、手段が必要だ。
整体の訓練である。

情動は、全身、つまり、脳にも影響を及ぼすので、脳波が、そのようになる。その、脳波の影響を、受けるということになる。

それは、オーラと違った意味で、人に与える影響が大きいと考える。

三つの回路を、整理すると、以下のようになる。

外界からの感覚刺激は、最も表層にある、第一の外界回路、運動回路から入り、第二の、全身内部感覚の回路を通して、最も、低層にある第三の情動、本能回路まで達する。

そこで、快、不快の、情動的反応を引き起こす。
その反応は、第二の回路に戻り、それを作動させ、更に、第一の回路が活動して、外界への、身体運動となる。

ここで言えば、人間の状態は、快、不快で、すべて現せるという。

人間は、何が快適なのかが、問題なのだ。
その快のために、整体という、痛みを伴う療術を受けて、不快を快に変換しようとすると、考える。

ちなみに、心理学は、哲学から生まれたものであり、哲学による、考察も必要であることだ。

勿論、医学、その他の科学からも影響を受けて、心理学が出来上がった。
posted by 天山 at 06:20| 整体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月28日

整体5

さて、深層心理学により、無意識の情動コンプレックスは、意識のコントロールがきかない形で活動し、神経症、その他の、精神的疾患などを引き起こす。

これは、情動の発生部位が皮質よりも、下にあるために、皮質と結び付いている意識の働きによって、抑制され、無意識の領域に抑え込まれているからだ。

生理心理学的には、無意識の作用は、脳、或いは、体の特定の部位に限定できない。
無意識は、記憶の貯蔵庫と考えられるが、脳生理学の研究が進むにつれ、記憶の局所化は、困難であることが、明らかにされた。

ここで、色々な説が生まれた。
例えば、心は、体を離れても、存続し得るのではないか・・・
または、心から脳への作用があるのではないか・・・

脳は、心が創るという学者もいるのだ。

ただ、東洋の場合は、無意識下の世界の認識を早くから取り入れている。
体と脳、そして、心の問題は、尽きない。

更に、脳の精神的活動である。

体の三つの回路について書いたが、おおよそまとめると、皮質を中枢とする、外界感覚、運動回路の能力は、情動作用と直接の関係は無い。

第一の、全身内部感覚回路の能力に依存している。
そして、この回路は、体の習慣づけられたメカニズムと、関連している。

訓練により、無意識のうちに体を自由自在に動かせることのできる人は、記憶能力の発達により、体の諸器官の働き方を、習慣づける第二の回路の能力が高まり、第一の回路の活動能力を高めることが、できる。

そこで、第三の情動、本能回路は、第一の感覚、運動回路と直接の関係は無い。
だが、全く無関係と言う訳でもない。

整体は、そのうちの、第三の情動を見抜き、第二の回路に対して、刺激を与える。
勿論、第一の回路も無視しないのである。

第二の回路の、体の習慣づけによる、不調和を皮膚と、筋肉を刺激して、適当な安定感を与える。
それから、不調和を自覚する部位に対する、反射区に刺激を与えて、本来の能力を引き出す。

この、本来の能力とは、その本人が、楽を感じる、または、あるべき姿に近づけるという、行為になる。
整体は、そのための、手段になるのである。

体が、楽になれば、呼吸が整う。
呼吸が整うことは、精神と心が、安定するということになる。

ここで、瞑想法なども、考えられるが、それは、指導者が必要である。

整体は、瞑想に近い感覚を、与える手段でもある。

更に、筋肉への刺激は、運動刺激になり、施術を受ける側は、刺激を受けることで、運動をしたような体の状態になる。

人間の体には、軽い運動と、呼吸の整えが必要だということである。

それは、自律神経に関係することになる。

この、自律神経機能のコントロールに関して、整体は、一定の力を発揮できるのである。

外界感覚、運動回路の働きと、自律系の働きの大きな違いは、前者が意志の自由に従うが、後者、自律神経系は、自由にならないということである。

それは、心臓の拍動とか、胃の消化器官の活動は、意志から独立して、勝手に行なわれないからである。

自由にならない、自律神経とは、自律的に行なわれているということである。

自律神経の働きに、支配されている内蔵諸器官の活動は、意識の働きから、独立して、営まれる。
それが、不調和を起こすと、自律神経失調ということになる。

だが、それも体の一部であるから、全く関係ないとは、言い切れない。
その心は、情動作用を通して、自律神経の働きに影響を及ぼし、内蔵器官の活動に影響を与えるのである。

この情動作用が問題である。
その情動が、乱れるのは、何故か・・・

感覚貴下を支配する、感覚神経は、大脳皮質に中枢があり、自律神経の方は、皮質下、脳幹に中枢があり、両者は、分かれているが、皮質と皮質下には、一時的結合が作り出されるのである。

情動の働きが、皮質、感覚神経、と皮質下、自律神経を結び付ける、新しい一時的回路を作り出すということである。

深層心理学から見れば、無意識下に抑圧された情動コンプレックスがあれば、自律神経のバランスを崩し、内臓器官の変調を引き起こすということになる。

それは、心理的側面から見て、歪んだ情動コンプレックスが、固定して、自律系の機能が障害を受けるということで、生理的側面から見れば、皮質、感覚、運動系の機能と、自律系の機能の間に、条件反射による、一時的結合のメカニズムが創り出されたということを、意味する。

整体は、その一時的メカニズムが創り出された、そのメカニズムを、正しい、正常な方向に、刺激を持って、戻すという施術になる。

ただ、体ばかりを扱うのではない。
整体と共に、施術を受ける側の声に、耳を傾けるという行為が必要になる。
何故、そのようになったのか。そして、何が問題を意識させているのか、である。

体とは、全く別な事柄によって、精神的にダメージを受けている、故に、体が、凝る、張る、痛みがある等々・・・

つまり、整体とは、体を通した、カウンセリングの要素も大であるということだ。
ただ、体を刺激して良いわけではない。
問題のテーマは何か、である。

それが、心理的なものであれば、更に、良く話に耳を傾けるべきである。

posted by 天山 at 05:19| 整体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月29日

整体6

一人の人間の体を理解するには、まず環境の問題がある。

要するに、周囲の環境に支配されている、または、大きな影響を受けている。それは、意識しても、しなくても、である。

更に、それに対する、つまり環境からの刺激に対する、感じ方、心理的刺激の受け方は、人それぞれである。

性格・・・
その人に特有の、心理的な反応の仕方である。
また、特有の情動の働きともいえる。
それを、心の癖と呼んでもいい。

その情動的反応が、過度に歪むと、コンプレックスが形成されて、人により、神経症などの症状を持つこともある。

外部からの刺激、運動回路を通じて、体に入り、自律神経の機能に影響を与えて、体をまた、精神を歪めることがある。

精神が歪めば、体も歪む。

いずれにせよ、意志の自由になる皮質、感覚―運動系の機能と、無関係ではない、情動作用により、関連してくるのである。

更に、情動作用についての、学習や条件付けにより、様々な、一時的結合関係が、作り出される。

整体療術は、そこに刺激を与える。
そこに、とは、それらによって、体が歪んだ場所、その反射区に、である。

整体により、体の大本である、呼吸を整える。
呼吸が整えば、本来の力である、自然治癒能力が引き出される。

自然治癒力とは、体に備わる、様々な生理的機能の全体を、ホメオスタシス、生体機能の恒常性と呼ぶ、力である。

ホメオスタシスは、日々の生活の中でも、大きな力を発揮している。

体温が高くなると、皮膚の汗腺の発汗作用を促がし、体温を下げる。
血液が、酸性にも、アルカリ性にも偏らないように、調節する、など。

ホメオスタシスの機能が失われると、人体は危険な状態に陥るのである。

自然治癒力は、正確に言えば、自然な医学的力、ということだ。
整体の目的は、その自然治癒力を引き出すことである。

そのために、整える。
調身と、東洋医学では言う。

更に、調息があり、調気というものである。
息を整える。
気を調えるという意味。

その二つを結ぶものが、調心、である。

息により、気が整えられると、考えている。

呼吸法という行為がある。
それは、息を整えることで、気を整え、そして、身を調えることになる。

それを人為的に行なうことが、整体法、療術である。

例えば、足裏に対する刺激により、その反射区を刺激し、働きを促がす。
更に、反射区の痛みを感じる場所の、体の部位を探し当てる。

その刺激を通して、反射区の部位に、自然治癒力の発露を促がすのである。

であるから、刺激は、皮膚そして、皮膚の奥にある、コリに当てることになる。
それは、足裏のみならず、体のすべてが、まず皮膚の刺激からはじまる。

そして、皮膚の奥にある、コリ、張りである。
それを刺激することにより、自然治癒力を引き出すのである。

そこでは、心理的に見ると、自律神経の作用にも、刺激を与えることになる。
自律神経は、心の深い層に抑えられた、情動である。

それは、喜怒哀楽の感情なども、関係する。
更に、快、不快の感情である。

マイナス情動により、病的な状態であれば、プラスに転じように働きかける。
それは、施術が、与えるのではなく、整体を受けた本人が、次第に、プラスに転じるように働く、自然治癒力による。

つまり、心理的に与える影響を考えることが、整体の最大の問題になる。

コンプレックスという、深層心理、無意識の層にも、係わるということだ。

潜在的エネルギーを活性化し、それを意識の働きに、統合してゆくのである。

東洋医学の現場で、呼吸法や、気の訓練などは、皆、そこに通じるものである。

或いは、気功というもの。
整体も、気功に関与するものである。

気功という専門ではなくとも、気を調えるための、療術なのである。

体を調えるということは、体の機能を整えることであり、更に、体にまつわる、すべてについても、調えることと、考える。
体液の循環を良くする。

そのために、東洋医学の経絡の知識も、必要になる。
西洋医学では、経絡の存在を認めなかった。
しかし、それは、現在非常に重要なものとして、認識されている。

ツボなどというのは、経絡の点のことを言う。
血流でも、リンパの流れでもない、経絡という、考え方である。

勿論、経絡の知識があるから、整体が出来るということではない。
経絡の知識を持たず、整体療術を為すことも出来るのである。

簡単に言えば、仏陀の治療法である。
体の凝り、張りは、押して取るというものだ。
痛みのある部分には、手を当てる。
まさに、手当てである。

posted by 天山 at 05:37| 整体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月16日

整体7

東洋医学の体の見方には、経絡という基本がある。

経絡とは、経脈と絡脈の総称である。
経脈は、幹線、絡脈はそれから分岐する支線である。

絡脈から更に、細かく分岐するルートとして、孫脈がある。
孫脈は、血管系の末端の毛細血管のようなもの。
そして、経絡は、それらの総称と認識する。

主要な経絡は、12あり、頭部または、内臓諸器官と手足の末端を結ぶ、遠心的―求心的な回路を作る。

このシステムは、解剖学で言われる、器官系、神経系とは、全く違った性質のもので、解剖により認知できるような脈管組織をもっていない。
そのため、近代医学では、その存在が疑問視され、最初は、そんなものは無いと判断されていた。

12経脈の他に、奇経と呼ばれる、8つの経脈がある。
これは、気のエネルギーの貯水池にたとえられるもので、特に武術で重視されている。

12の経脈は、正脈とも呼ばれる。
8つの奇脈は、陰と陽のグループに大別される。

背面、手足の外側を通る経絡は、陽であり、腹部、手足の内側を通る経絡は、陰の経と呼ばれる。

各経絡には、特定の内臓の名がついているが、その機能は、臓器だけではなく、他の臓器にも、多かれ少なかれ関係している。

東洋医学で言う、気とは、このような性質を持つ経絡に流れる、生体特有のエネルギーと言える。

12経絡の循環の仕方については、まず、頭部または、臓腑と手足の先端を結ぶルートになる。
これらは、神経や血管と同じように、遠心性の回路と、求心性の回路に分けられる。

気の流れは、肺からはじまり、大腸、胃、脾、心臓、小腸、膀胱、腎、心包、三焦、胆、肝との流れである。

最初の肺が、陰であり、次が陽、そして、陰陽と交互に続く流れである。

陰は、遠心性で、頭部または、臓腑からはじまり、手足の先端に至る。
陽は、求心性で、手足の末端からはじまり、内臓、頭部に向う。

整体の主たる刺激は、求心性の、陽からの刺激になる。

ここで、手に至るものは、肺、大腸、心臓、小腸、心包、三焦である。
足は、脾臓、胃、膀胱、腎臓、胆嚢、肝臓となる。

経絡の、陰陽の区別は、体の外側、あるいは背側にある、陽の経で、気は下向きに流れ、体の内側、腹部にある場合は、陰の経で、気は上向きに流れる。

気の、陰と陽は、明確に区別するものではなく、流れて行くものとの意識である。

陰極まれば、陽となり、陽極まれば、陰となる、のである。

実際、漠然としているものである。

この、12経絡に、治療点である、経穴、ツボというものが分布している。
それらを、一々覚える必要は無い。

実践により、それは、体感として勘として、感じ取るものである。

経穴、ツボは、350ほどあるといわれる。
そこは、気の集中している場所である。

その流れが淀むと、具合が悪くなるといわれる。
そのツボに、鍼灸などで、刺激をすることで、気の流れを円滑にするという、治療法である。

整体は、そこに刺激を与える。
その刺激は、人それぞれになる。

押す、揉むなど、皮膚を通した、刺激である。

高齢の人には、さする、という刺激もある。

だが、ツボを意識せずとも、皮膚の凝り、張りにより、その部位がわかるものである。
おそらく、ツボへの刺激は、心地よい感覚を覚えるはずである。

あるいは、ひどい場合は、痛みである。
または、何も感じないという、感覚もある。

何も感じないというのが、一番悪い。

大雑把に言えば、手足の刺激により、体のすべてに、刺激を与えることが出来るといえる。
手足とは、掌、手の甲、足は、足裏、そして脹脛である。

それだけでも、十分な療術の成果がある。

手足の指先への刺激だけでも、充分な効果を出せるということである。
ただし、炎症を起こしている場合は、別だ。
炎症を起こしている場合は、炎症を取り除くことである。

更に、体の痛みのある箇所に対しての、刺激は、しない。
その反射区の遠い箇所からの刺激を最初に行なう。

これは、理屈を超える。
あまりに疲れを感じた時に、手足の指先の刺激だけで、充分に感じ取れるほど、人間の体は、結び付いているのである。

痛みのある箇所に対して、対処療法を得意とするのが、西洋医学である。
また、検査により、その痛みの元を探る。

しかし、経絡の知識があれると、体に触れる、つまり、皮膚に触れることで、その痛みの元を突き止めることができる。

そして、西洋医学の必要な場合は、そちらに任せることだ。
何事も、すべて完全ということは、有り得ないのである。

posted by 天山 at 05:57| 整体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月17日

整体8

さて、経絡の経穴には、重要なことがある。

背部にある、膀胱経には、各臓腑に関する、「愈」ゆ、という名のついた、特殊な経穴が、幾つかある。
「愈穴」と総称される。

それらの、愈穴に対して、前面の胸腹部には、各臓器の「墓穴」がある。

愈穴と、墓穴は、各臓器の異常が、よく現れる点とされている。

愈とは、運ぶという意味があり、墓とは、集めるという意味がある。
それは、背部の愈穴から、胸腹部の墓穴へと、体の内部を運ばれ、集められて、流れていると、考える。

気の流れは、体の表面に近い経絡であるが、体の内部にも、及んでいるということだ。

12経絡の特定の経穴は、「原穴」と呼ばれて、重視されている。
であるから、原穴は、12あり、主に、手首、足首の付近にある。

それも、内臓の病変の際に、反応がよく現れるところである。
つまり、施術の元と言うことが出来る。

経絡の、システムを基本にした、体の見方では、内臓の生理的機能は、主として、体表面における、経絡の働きに表現されるものとして、捉える。
内臓―経絡系ともいうべき、統合システムにまとめられている。

それは、要するに、気の流れが、循環するシステムである。

これは、東洋医学の特色である。
それは、体表医学ともいうべき視点だ。

皮膚を中心にして、体のシステムを捉える見方である。

整体療術の皮膚刺激は、まさに、ここから言うことが出来る。

確かに、西洋医学の解剖学的分析を欠くといえるが・・・
西洋医学は、内臓中心であり、東洋医学は、体壁中心といえるのである。

さて、神経系、血管系、内分泌系等に注目すると、皮膚は、これらの、総合システムの中でも、最大のものである。
更に、それらを、全体として、まとめている、最高の統合システムである。

皮膚は、生理心理学では、自我、意識の窓、といわれるように、意識と無意識の作用を最もよく表現する場所である。

皮膚は、無意識の心理学と深く関係していると、いえる。
人体の統合システムであり、心身論にとっては、重要なポイントである。

であるから、整体療術の方法は、これを主として行なう。

各経絡の末端は、手足の先端となっている。
気の流れは、主に、この先端を通して、外界と交流している。

手足の先端にある各経穴は、「井穴」せいけつ、と名付けられて、重要視される。

体の基本的機能は、生命エネルギーである気を、外界から吸収し、または、排出するところにある。

そのように考えると、西洋医学の、各部分をそれだけで判断して、病名をつける考え方とは、大きく違うのである。

体の一部分が、病めば、それは、全体に影響する。
すべて、皮膚によって、体が覆われ、結び付いているからだ。

手足の先端まで、すべての体、内臓に結び付いている。
足の冷えは、体全体に影響を及ぼすのである。

また、両手を暖めるだけで、体全体を温めることも出来るのである。

温泉地などでの、足湯という場所は、それだけで、体全体を温めるものとなっている。

体の不調和は、体の冷えから成り立つのであり、整体療術は、体を温める作用を重視するのである。

皮膚を通して、血流をよくし、更には、気流もよくする。
血色の奥にある、気流に対しても、効果があるのが、整体療術である。

特に、気を流すという際は、如何に、毒気を排出するかに、重きを置く。
毒気は、気の乱れである。
その気の乱れが、何処からのものか・・・

体、精神、心、魂、霊からのものか。

矢張り、深層心理学の知識が必要になる。
無意識の気が、体を冒している場合も多々あるからだ。

マイナスの気が、無意識から流れていることにより、体の不調和を起こす。
単なる、機能的ではない、問題もある。

精神的原因・・・
目に見えることは無いが、実は、大きな原因となっていること、多々あり。

更には、記憶の癒しである。
深い心の記憶にある、マイナスエネルギーが、体、或いは、ある器官、ある箇所を不調和にする。
その、記憶に対して、整体は、体によって、カウンセリングを行い、体を通して、快癒に向わせる。

つまり、記憶の癒しである。

無意識は、記憶である。

単純に言えば、マイナスの思いが、脳から体に働きかけるともいえる。
マイナスの思いが、行為、行動から発している場合もある。
仕事柄の体の歪みを、脳が覚えて、それを正常だと、メッセージを送っていれば、体の歪みは、いつまでも、そのままである。

脳の記憶を、変容させる。
それが、整体療術の技である。

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2014年08月18日

整体9

近代科学の論理は、すなわち、西洋医学の論理でもあるが、日常的常識である、身心結合の事実を無視した、方法論から、出発している。

それは、デカルトによる、合理主義、二元論に立っている。

それを説明すると、身体的、生理的側面から見ると、皮膚の内側は、自分に属し、外側は、外界である。
だが、精神的、心理的側面から言えば、内と外という区別は、明確ではない。

心そのものを、空間に位置づけることは、出来ないのである。

正確に言えば、内、とは、感覚できない心の世界であり、外、とは、感覚される物の世界のことである。

身体は、自分という自我にとって、外の世界に属することになる。
これは、実に、おかしい。

それ故、医学が、身体について考察するとき、心の問題は、すべて除外される。
身体を客観的な一種の物体として、捉える。
それでは、意識、心の問題は、哲学、心理学に委ねるということになる。

総合的に、身体を理解することを、拒むのである。
これでは、本当の治療と言えないのである。

更に、西洋医学は、対処療法となってしまう。
身体を全体として、捉えることが無いのである。

身体と、精神が、無関係になる事は、有り得ない。

だから、デカルトから始まる、合理主義は、考え直す必要がある。
すべてを、合理主義では、解決できない。

そこで、生きてくるのが、東洋医学の考え方である。
特に、気、という、ものの考え方である。

ここで、今までの考え方を、大きく外して見る必要がある。

つまり、人間の本質は、自然から生かされて生きるという、考え方である。

東洋、勿論、日本には、当然そのような、考え方があった。

自然を征服し、支配するという、近代的、あるいは、キリスト教的な、人工のものではないのが、人間の体である。

自然中心の人間観が、医療の世界にこそ、必要なのである。

整体というものも、それである。
全体として、考える。
二元論的な、考え方をしても、治すことは、できない。

中国、漢の時代の、黄帝内経、という書物には、情動の作用が、非常に重要視されている。

病因は、外因と、内因、そして、不内外因の、三つを上げている。

内因としては、喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の、七つの情、七情が、上げられている。
これは、明らかに、情動の作用である。

外因は、気温・湿度などの、環境的要因である。
不内外因とは、過労、不摂生という、保健衛生的要因を指す。

そして、特に、内因を重視するのである。

西洋医学とは、全く別物である。

だがそれは、今日の、身心医学に近いのである。
当然、身心医学が発展する訳である。

何故なら、人間を根本から、作り上げているのは、精神、心という、内因要素であるから。

ただし、今日の身心医学は、心理療法に近づくものが多い。
心理療法の必要なことは、十分に理解するが・・・

それでは、東洋では、皮膚刺激を主にする。
例えば、鍼灸である。

更に、東洋医学では、心理療法という形を取らない。
これは、治療者の施術を主にし、患者の心理療法は、考えていないのである。

それは、体は、心であるという、思想にあると、言える。

心、つまり、情動が、体を、歪めている。不調和を起こしているという、考え方であるからだ。

心理療法の場合、患者の自己訓練を主にする。
例えば、リラックス療法などのように、自己訓練である。

それらは、暗示効果に頼るものが、多い。
自己暗示である。

そこで、一度、心理療法の世界を見て、更に、気を扱う、東洋医学のあり方を見ることにする。

自律神経訓練法・・・
心理療法の最大のテーマである。

自律神経という、意識では、如何ともし難い神経を、扱うのである。
それが、可能だということである。

非常に、東洋的な考え方に近づくのである。

自律神経訓練法は、瞑想法に似る。
瞑想は、本来、自己の整えと、ある種の宗教的境地を得るものという、考え方があったが、今では、病、精神疾患などの、治療にも、効果をあらわす。

勿論、それは、正しい方法によってなるものだ。
怪しい、新興宗教のような、瞑想法では、逆効果になる。

指導者が必要なのである。
指導者無き、瞑想法は、危ういのである。

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2014年09月09日

整体10

心は、何処にあるのか・・・
何処に、存在するのか・・・

様々な分野で、議論されるが・・・
身心医学、現在の心療内科といわれる、医療の分野での、定義を見る。

それは、つまり、脳の生理学からとられたものである。

脳は、脊髄に続いている。
脳の中には、一本の軸があり、上から下にかけて、間脳、中脳、延髄と、名付けられる。
これらを、まとめて、脳幹と呼ぶ。

この間脳の部位から、大脳皮質が、この軸の先端をとりまく形で、延びている。
大脳は、左右の一対の大脳半球からなり、小脳は、橋の背面につながる。

人間の精神活動の根源となる、神経細胞は、140憶個であり、それが、集結して大脳皮質となっている。

身心医学では、この、精神活動を、心と、定義する。

皮質には、古い部分と、新しい部分がある。
新しい皮質は、爬虫類あたりからはじまり、人間が動物としては、高等である。

人間では、新しい皮質が、90パーセントを占めて、古い皮質は、大脳半球の中に押し込められている。

新しい皮質は、部位により、それぞれ分業が行なわれる。
中心溝をさかいに、後半部には、体の内外からくる情報信号を受け入れる、感覚の中枢がある。

中心溝の前には、運動の中枢がある。

内外の刺激を受け入れる中枢と、その刺激に反応して、運動を起こす中枢の二つは、単純野と、呼ばれる。

よりよく、生きるというための、統合的な働きをする部分は、連合野と呼ばれ、新しい皮質の広い領域に渡る。
そこでは、感じる内容を、過去の体験、記憶に照らして、理解する働きをするのは、中心溝より後半部にある、二つの連合野である。

思考し、計画し、創造するのは、中心溝より、前にある、前頭連合野である。

またここは、人間らしい、高等な感情や意志の、中枢でもある。

この人間らしいとは・・・
自然に、身に付くものではない。
教えられて、学習していくのである。

人間の高等な、精神活動を知情意に分けると、知は、中心溝から、後半部に、情と意は、中心溝より、前方で営まれる。

さて、脳細胞の140憶個は、すべて、使用されているかといえば、せいぜい、40から50憶だと、言われている。
どんな人も、同じである。

一つ一つの細胞からは、突起が、四方八方に出ている。何かを考えると、或る細胞の突起が、他の細胞と接触し、それを通り、電気的刺激が、細胞から、細胞へつながる。

そして、一つの考えに結実される。

電気的刺激だから、プラスとマイナスがある。
積極性は、プラス、消極性は、マイナスと、単純に理解する。

頭が良くなるということは、細胞間の交流が、複雑微妙になるということである。
だから、単細胞と、人を見下す場合もあるのだ。

一つ覚え式の、考え方のみする人は、交流が単純であり、回転の速い人は、複雑な様式が出来ている人だ。
ただし、それ以前に、性格というものもある。

新しい皮質が、知性の座、といわれる。
古い皮質は、本能の座、といわれる。

本能の座は、食欲、性欲、集団欲、睡眠欲などの、本能的な欲求や、快、不快という情動の心、記憶のからくりなど、命を保つために直接必要な基本的に、心の働くところと、見ている。

情動というものは、心なのか・・・
それは、本能の欲求が充たされない時に、不快感、満たされた時の、快感、そして、怒り、恐れなどを、情動と呼ぶ。
これらは、いずれも、古い皮質のもう一つの内側に位置する、間脳の中にある、視床下部と、古い皮質とが、関係して、作り出される。

つまり、それが、心・・・

あるグループは、心は、腹にあるという。
それは、視床下部は、また内蔵の働きをコントロールする、自律神経や、ホルモンなどの、中枢とされているからか。

つまり、ここでは、本能、情動の座と、内臓の働きを調節する中枢とが、密接に結び付いているということを確認する。

そして、古い皮質は、知性の座である、新しい皮質のコントロールを受けているという、事実は、心と体を、考えるという意味で、身心医学では、定義している。

間脳よりも、下位にある脳間部には、呼吸、心臓の働き、分泌、その他の内臓の働き、筋肉の緊張度などを支配する、更に、原始的な中枢が、集まる。

身心医学の、心の定義から見れば、脳の中に、心が存在し、その心と、体の不調和を扱う医学の分野であることが、解る。

その心療内科は、精神科でもなく、内科でもない。
心と体の、つながりから不調和を起こしている、患者を扱うのである。

精神科に行きづらいが、心療内科には、比較的、行きやすい・・・
そういう意味では、精神的不調和の解決に、貢献した医学である。

だが、厳密には、精神病は、扱わない。
あくまでも、身心医療である。
心が、体に起こす、病を治療する場所である。

posted by 天山 at 05:46| 整体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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