2006年08月19日

音楽史

私のホームページ、新沈黙を破るに連載しています、音楽史が好評です。ありがとうございます。

藤岡についても触れています。
音楽関係以外の方でも、楽しめると思います。
歴史、哲学史等を鑑みて、書いています。
次のようなお便りを頂きました。
__________

役に立っています。 

投稿者:音楽大学学生 投稿日:08月19日 19時45分

バラバラの音楽用語や知識が、木村様のエッセイの音楽史を読むことによって、有機的に結びついています。体系的な理解をするのに役立ちました。
ありがとうございます。
posted by 天山 at 16:07| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月27日

夏去り行く

コンサートで歌い終えると、藤岡に逢いたくなる。
あなたは、よっやったといいたくなる。
どんな時でも、あの天性の声で、聴かせた。不調であれば、それをも聴かせるものとして表現した。
歌は心という人がいるが、歌は体である。心万全でも、体が不調の時もある。
舞踊では、心10表現6という。抑制の美である。
外に出る歌と、心の内にある歌が共鳴する。これを芸という。
この二度と来ない夏を名残惜しく思いつつ、追悼コンサートを終えた。

蝉時雨 思い残して 夏が行く

この暑い夏も、二度とないと思えば、愛しく思うものである。
posted by 天山 at 21:58| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月29日

作詞家木村天山の世界

夏休み中、来年のコンサートを企画していて、藤岡のために作詞した100曲以上の作詞の中の、曲がつけられた20ほどを披露するコンサートを考えました。
ソプラノ辻友子らに歌ってもらおうと思います。
ただ今も、続々と曲がつけられています。
兎に角、前に進むこと。それが今出来ること。出来ることをする。
もう、死は目の前に迫っている。
長く生きることより、どう生きるか、それが私の問題だ。
藤岡が至るところで、お茶目に、活動している。
逢うのが楽しみ。私の前には、決してその姿を現さない。ただし一日として、藤岡が思いを送ってくれないことはない。
信じる者は、信じるがいい。
posted by 天山 at 22:02| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月02日

死ぬのが待ち遠しい

今月は、藤岡の一年祭である。
突然寂しくなる時、私は、死ねば藤岡に逢えると考えて、乗り越えます。
これ程、死ぬのを待ち遠しく、楽しく思えたことはない。
これは私が霊学を成していたからである。
毎日、顔を合わせていた藤岡を忘れることは出来ない。藤岡は、もう一人の私だった。藤岡に私を写して生きていた。
藤岡の喜びも悲しみも怒りも、私のものだった。
藤岡が恋人と会うための場所まで手配していた。
藤岡が喜ぶと、私はそれ以上に喜んだ。そして毎日のケンカである。時間を過ぎれば、また一緒に食事をしていた。
藤岡の一日をすべて把握していた。藤岡がすべて私に話すからである。
秘密も隠し事もなかった。
ああ人生である。これ程の苦しみはないと思い、何度も、この場から離れようと思ったが、矢張り、続けられるまで続けることだと。そして藤岡を創造するというところまでたどり着いた。
いよいよ私の人生の佳境に行く。一人の思い込みである。それ以外に何が人生にあるだろうか。思い込み以外にである。そして私は素人を演じ続けてゆく。

posted by 天山 at 10:17| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月03日

理解します。

藤岡のいないコンサート、また藤岡の死を思うと、落ち込むという人が、コンサートに行けないと言う。その通りだと思う。
無理して、来ることはない。理解します。

何故コンサートをするのか。簡単です。芸人、芸術家には舞台が必要です。それを用意するのが、私の務めです。
ただし、ここ6年間で理解したことは、音楽一般を成す者は、大半が常識外れ、教養に欠けるということが解りました。
ギャラを払うと、付け上がる。チケットノルマがなければ、当日、ドタキャンする等々。信じられないの一言。
真実、お金を出してでも出たいと思う音楽家、そのもどきを餌にして、音楽事務所が成り立っていることが解るのである。
大半が、芸人気取り、芸術家気取りであるという事実。
本当に呆れる。

posted by 天山 at 10:19| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月06日

チラシについて

多くの方から意見をいただきました。
その中に、辻あやかウォーミングアップコンサートのチラシを作り、原案を出してくださった方がいて、お任せしました。今までにない、私の事務所ではです、素敵なチラシが出来ました。
勿論、今まで通り、私の原案で作るものもあります。デザインからすると、滅茶苦茶のようですが、非常にインパクトが強いと自負します。それは、チラシの常識に従っていないからです。
さて、この告知板にて、コンサートのプログラムを告知します。
また、新しく作るものには、出来る限り、その時点で決まっている、プログラムを載せます。
新しいお客さまが、コンサートなどに今まで来なかった人が多く、期待しています。
それはコンサートに対しての既成概念がなく、拘りもなく、コンサートを楽しむことのみに始終します。クラシックファンに多い、あら捜しなどしない、純粋にコンサートを楽しめる人々です。
クラシック演奏家、音楽家も、そしてそのファンも、楽しむコンサートではなく、苦痛を強いるコンサートを求めているのかと、仰天するこの頃です。
音楽教育が、いかに誤っていたかを、考えさせます。
日本人の西洋音楽に対するものは、偏見に満ちています。
私の、新沈黙を破るを読み、西洋音楽を学んでいただきたいと思います。
ピアノ演奏は、人間が聴くような音ではないと言い、私はピアノコンサートも開催しています。これを矛盾として考える偏狭な人もいますが、私はピアノコンサートを変容させたいだけです。ですから、ピアノ演奏の合間に、他の楽器の音を入れて、耳を洗います。この意味が解れば、幸いです。
何故、ミュージカルが楽しいか。それは、歌と踊りと、ストーリィーがあり、それぞれ独立しても、聴かせられ、見せられ程に、完成に近いからです。
以下省略。
posted by 天山 at 10:33| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月07日

一年祭に向けて

過ぎてしまえば、あっという間。時間というのは、瞬時にワープするようです。
確かにあったはずの365日という日々を一瞬のうちに、射抜いたように・・・
地球が太陽を一周して24時間を経たという、時間というものを、哲学してみたいと思いつつ、こうして日を過ごし、まだ観ぬ明日へ向こうとしている。明日が確実にあると信じて。
私は、藤岡の死を日に幾たびも反芻すること多々あった。
その度に、決心をした。
藤岡を通して、観たもの、聞いたもの、考えたこと、それらを表現すること。
私の表現は、書くこと、踊ること、花を活けること、そして歌うこと。歌は、朗詠から、本格的に歌手として活動を始めた。
手本はある。藤岡である。影を慕いて、行く。
それらは、すべて芸術である。芸の術である。美学にある芸術ではない。術は技である。技は心である。
世阿弥は、花は心、種は技なるべし、と言う。私は言う。技は心である。
私には、花などない。技のみが勝負である。つまり、歌は命として歌う。いのちがけの歌である。それでなければ、藤岡の歌に追いつかない。
歌は誰でも歌う。そして誰でも上手になる。それを舞台で成すということは、とてつもない体力と、心力を使う。普通ならば、死ぬ。死なずに歌えるのは、まだ序の口である。私は、歌で死ぬことにした。
藤岡は、大いに笑うであろう。年甲斐もなく、少年のように、情熱に燃えているのだから。自分でも、呆れている。
一年祭は、私のスタートの年である。そう思うことにした。
posted by 天山 at 10:37| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月09日

初恋コンサートの評

私の歌、辻友子の歌が絶賛されました。
と、嬉しいのですが、単純に喜べません。つまり、言う人は、誉める人です。
言わない人もいます。ここが問題です。
切々として、心に沁みるという人がいますが、心に沁みずに帰る人もいたことでしょう。これを見逃せません。すべての人に良しとされる歌は、あり得ません。
ここに至ると、謙虚にならざるを得ないのです。
誉められて、逆上せるのは素人です。プロになると、それが何であるのかを考えます。私は舞台に慣れ過ぎているため、それが恐ろしいのです。
舞台の中央で歌うことは少ない。舞台全体を使います。
舞台が、もう一人の先生になります。それでは、もう一人の先生は我がうちにあります。決して、妥協しない厳しい先生です。つまり、私の内の先生が、看破します。
この私との戦いが芸術の別名でしょう。歌うことによって、益々歌が難しくなります。
posted by 天山 at 10:39| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

君の歌声(藤岡宣男に捧げて)

君がいた日のぬくもりは
春の朝日の清らかさ
君が歌った歌声は
秋の愛(かな)しき空のごと
天上高く立ち昇る
君の歌声天使のごとく
ふりそそぎ ふりそそぎ ふりそそぎ

君がいた日の嬉しさは
夏の浜辺のさざ波のよう
君が歌った歌声は
冬の強さの凛々と
天上高く立ち昇る
君の歌声天使のごとく
ふりそそぎ ふりそそぎ ふりそそぎ

木村天山作詞 田原奈津代作曲
一年祭コンサートで、ソプラノ辻友子が歌います。
新曲が出来ました。
この他、数々の作詞に曲がつけられます。
藤岡生前の頃に作詞したものが100曲ほどあります。
順次、曲がつき次第、コンサートにて発表します。
posted by 天山 at 20:40| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月10日

福岡公演

夜の部のチケットが、残り少なくなりました。お早めにお求め下さい。
なお、長崎、大分、札幌に関しては残券が十分あります。
札幌では、大丸プレイガイドでも取り扱います。9月15日からです。
posted by 天山 at 10:41| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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