2014年05月12日

国を愛して何が悪い131

我が国におけるキリスト教伝道事業失敗の一原因は、宣教師の大半が我が国の歴史について全然無知なることにある。或る者は言う、「異教徒の記録などに頓着する必要があろうか」とーーーその結果として彼らの宗教をば、吾人ならびに吾人の先祖が過去数世紀にわたりて継承しきたれる思索の慣習から切り離してしまうのである。
新渡戸

痛烈な宣教師に対する、批判がはじまる。
その傲慢不遜である。
新渡戸のような、キリスト教徒によって、はじめて、日本にキリスト教というものの、姿が提示されたと、考える。

また、内村鑑三のように・・・

一国民の歴史を嘲る?―――彼らはいかなる民族の経歴、何らかの記録を所有せざるもっとも遅れたるアフリカ原住民の経歴でさえも、神御自身の手によりて書かれたる人類一般史の一ページをなすものたるを知らないのである。滅亡したる種族さえも、具眼の士によりて判読せらるべき古文書である。
新渡戸

ここで、新渡戸も、また、キリスト教の世界的歩みに加担する。
そして、キリスト教の普遍的な様を、語るのである。
それは、それで、評価していいが・・・

哲学的かつ敬虔なる心には各人種は神の書きたまいし記号であっても或いは黒く或いは白く、彼らの皮膚の色のごとく明らかに跡を辿りうる。もしこの比喩にして佳ならんか、黄色人種は金色の象形文字をもって記されたる貴重の一ページを成すものである!
新渡戸

これは、キリスト教の伝道における心構えを正したものである。

一国民の過去の経歴を無視して、宣教師らはキリスト教は新宗教だと要求する。しかるに私の考えでは、それは「古き古き物語」であって、もし理解しうべき言葉を持って提供せらるるならば、すなわち一国民がその道徳的発達上熟知する語彙をもって表現せらるるならば、人種もしくは民族のいかんを問わず、その心にたやすく宿りうるものである。
新渡戸

その良い例が、秀吉時代の、キリシタンである。
天主教と言う。
当時の日本の言葉を持って、布教に当たった。

そうして、長崎を植民地化し、更に、九州全域を治めようとした。
それに気付いた、秀吉は、即座に、キリシタン禁止令を出す。

当時のキリシタンは、イエズス会、つまり、カトリックである。
敗戦後に入って来た、キリスト教は、耶蘇教と呼ばれる、プロテスタント系である。

アメリカ的もしくはイギリス的形式のキリスト教―――キリストの恩寵と純粋よりもむしろ多くのアングロ・サクソン的恣意妄想を含むキリスト教―――は、武士道の幹に接木するには貧弱なる芽である。新信仰の宣伝者たる者は幹、根、枝を全部根こそぎして、福音の種子を荒地に播くことをなすべきであるか? かくのごとき英雄的方法は、―――ハワイでは可能であるかもしれない。
新渡戸

ハワイでは、戦闘的に教会が、富を搾取し、原住民の絶滅を計ったのである。
実に、野蛮な、アングロ・サクソン的方法にて、ハワイを乗っ取った。

新渡戸は、敬虔なキリスト者である、ジョエットの言葉を引用する。

「人は世界を異教徒とキリスト教徒とに分かち、しかして前者に幾ばくの善が隠されているか、または後者に幾ばくの悪が混じっているかを考察しない。彼らは自己の最善なる部分をば隣人の最悪なる部分と比較し、キリスト教の理想をギリシャもしくは東洋の腐敗と比較する。彼らは公平を求めず、かえって自己の宗教の美点として言われうるすべてのことと、他の形式の宗教を貶すがために言われうるすべてのこととを集めてもって満足している」

これは、今も、行なわれている。
私は、オーストラリアで、それを目の当たりにした。

だが、日本に西欧が入って来たと共に、キリスト教の影響も大であった。

だから、新渡戸も、
しかしながら、個人的にはいかなる誤謬が犯されたにもせよ、彼ら宣教師の信ずる宗教の根本的原理は、吾人が武士道の将来を考えるについて計算に入れるを要する一勢力たることは疑いがない。武士道の日はすでに数えられたように思われる。その将来を示す不吉の微候が空にある。微候ばかりではなく、強大なる諸勢力が働いてこれを脅かしつつある。
新渡戸

つまり、武士道の将来である。
それは、最後の章である、第十七章にある。

その前に、少しばかり書く。
キリスト教とは、実に、大きな矛盾を抱えている宗教である。

世界的宗教となれども、その排他的、非寛容は、未だに、強く強く残る。
宣教師の個人的性格を通り越して、キリスト教の本体が存在する。

その元は、ユダヤ民族の神の信仰、ユダヤ教から、出た。
一民族の宗教であるから、民族信仰であるが・・・
キリスト教は、それを踏まえて、世界的宗教に成り上がったのである。

更には、同じ聖典を持つ、イスラム教である。
皆、いずれも、排他的、非寛容の宗教である。

そして、それらが、世界の大戦の主たる、原因ともなっている。
更に、キリスト教に付きまとう、白人主義というものである。
それは、差別主義の最たるものである。

民族差別、人種差別は、そこから発した。
その底には、実に傲慢不遜な精神が宿る。

それが、支配欲として、表現される。
だから・・・
世界は、混迷する。

武士道という、情緒とは、まさに異質である。
江戸時代の、身分差別は、将軍により、定められた。
一番上が、無事である。
しかし、その次が、士農工商という、最も多く存在する、農民が次である。

労働者が、一番であるとは、共産主義にあるが・・・
それも、別物である。

共産主義には、人間として、欠けてはならない、情緒が存在しない。
理念だけである。

それは、見事に、滅び去ったが。


posted by 天山 at 04:59| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月17日

国を愛して何が悪い132

最後の章は、第十七章、武士道の将来、である。

ヨーロッパの騎士道と日本の武士道との間におけるごとく適切なる歴史的比較をなしうるものは稀である。しかしてもし歴史が繰り返すものとすれば、後者の運命は必ずや前者の遭遇したるところを繰り返すであろう。サン・バレーの挙ぐる騎士道衰頽の特殊的原因は、もちろん日本の状態には適応せられない。しかしながら中世およびその後において騎士と騎士道とを覆すに与りて力ありたる、より大かつより一般的なる諸原因は、武士道の衰微に対しても確かに働きつつある。
新渡戸

武士道の衰退の道を言う。
衰退しているのか・・・
その当時も、その危機感があったということである。

武士道が衰退しても、その精神が受け継がれることは、あるのか。
それは、変容した形で・・・

ヨーロッパの経験と日本の経験との間における一の顕著なる差異は、ヨーロッパにありては騎士道は封建制度から乳離れしたる時、キリスト教会の養うところとなりて新たに寿命を延ばしたるに反し、日本においてはこれを養育するに足るほどの大宗教がなかったことである。
新渡戸

ここに、新渡戸の誤りがある。
確かに、一部、そのような状況があるかもしれないが・・・
違う。

宗教により、何事かを受け継ぐなどは、日本には無い。
それよりも、様々な武芸の道の中に、温存されている。

騎士道が無くなれば、無秩序と混乱が、野蛮な白人を野放図にする。
それを、キリスト教会が、辛うじて支えた。
現在も、キリスト教のお陰で、彼らは、自制を保つのである。

武士道の幼時においてこれを保育したりし神道は、それ自体すでに老いた。
新渡戸

上記も、誤りである。

それでは、現代のキリスト教は、老いていないのか・・・
老いているのである。

もろもろの機能および権威は陣を張って武士道に対抗する。ヴェブレンの説くがごとく、すでに「本来の産業的諸階級の間において儀礼的礼法の衰微せること、換言すれば生活の通俗化は、鋭敏なる感受性をもつすべての人々の眼に堯季文明の主なる害悪の一つと映ずるに至った」。勝ち誇れる平民主義の抵抗し難き潮流だけでも、武士道の遺残を呑むに足る力があった。けだし平民主義はいかなる形式もしくは形態のトラストをも許容しない。しかるに武士道は知識および教養の予備資本を独占する人々によりて組織せられ、道徳的諸性質の等級および価値を定むるトラストであった。現代の社会化諸勢力は区々たる階級精神に敵対する。
新渡戸

平民主義、デモクラシーである。
デモクラシーは、歴史の進化である。

その中で、武士道の行方を云々することなかれ、である。

勿論、新渡戸は、嘆いているのである。

しかるに騎士道は、フリーマンの鋭く批評せるごとく、一の階級精神である。現代社会はいやしくも何らかの統一を標榜する限り、「特権階級の利益のために工夫せられたる純粋に個人的なる義務」を容認するをえない。
新渡戸

これに、普通教育、産業技術、富ならびに、都会生活・・・
何処に、武士道の入る隙があるのか。
と、なる。

「彼らの熱烈なる行為を生みたる環境は永久に去った」
また武士道に移して適切であろう。

悲しいかな武士の徳! 悲しいかな武士の誇り! 鉦太鼓の響きをもって世に迎え入れられし道徳は、「将軍たち王たちの去る」とともに消え行かんとする運命にある。
新渡戸

人の中にある戦いの本能は普遍的かつ自然的であり、また高尚なる感情や男らしき特性を生むものであるとはいえ、それは人の全体を尽くすものではない。戦いの本能の下に、より神聖な本能が潜んでいる。すなわち愛である。
神道、孟子、および王陽明の明白にこれを教えたるは、吾人のすでに見たるところである。しかるに武士道その他すべて武的形態の倫理は、疑いも無く直接の実際的必要ある諸問題に没頭するあまり、往々右の事実に対し正当なる重さを置くを忘れた。
新渡戸

今日吾人の注意を要求しつつあるものは、武人の使命よりもさらに高くさらに広き使命である。
新渡戸

拡大する人生観、平民主義の発達、他国民他国家に関する知識・・・

孔子の仁、仏教の慈悲思想、キリスト教の愛・・・

人は臣民以上のものとなり、公民の地位まで発達した。
新渡戸

世界の歴史は「柔和する者は地を継がん」との預言を確証する。
キリストの預言である。

しかして産業主義の前線から後退して侵略主義の戦線に移る国民は、まったくつまらない取引をなすものだ!
新渡戸

つまり、新しい時代が来たのである。
そして、今、現在も、新しい時代が始まりつつあるということ。

勿論、武士の刀や、鎧などは、必要ない。
しかし、その精神は、生き続ける。
変容しつつ、生き続けるのである。

新渡戸の説を最後まで見ることにする。

posted by 天山 at 05:02| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月18日

国を愛して何が悪い133

社会の状態が変化して武士道に反対なるのみではなく敵対的とさえなりたる今日は、その名誉ある葬送の準備をすべき時である。騎士道の死したる時を指摘するの困難は、その開始の正確なる時を決定するの困難なるがごとくである。
ミラー博士は曰く、騎士道はフランスのアンリ二世が武芸仕合で殺されし1559年をもって公然廃止されたと。我が国においては1870年明治3年、廃藩置県の詔勅が武士道の弔鐘を報ずる信号であった。
その五年後公布せられし廃刀令は、「代価なくして得る人生の恩寵、低廉なる国防、男らしき情操と英雄的なる事業の保ボ(女偏に母)」たりし旧時代を鳴り送りて、「詭弁家、経済家、計算家」の新時代を鳴り迎えた。
新渡戸 改行は、私。

武士道の終わりを言うが・・・
しかし、新渡戸は、その続きを言う。

要するに、時代が武士を必要としなくなった。
しかし、果たして、その精神も、共々に、破壊されたか・・・
そんなことは、無いのである。

活力を与えるものは精神でありそれなくしては最良の器具もほとんど益するところがない、という陳腐の言を繰り返す必要はない。最も進歩せる拳砲も自ら発射せず、最も近代的なる教育制度も臆病者を勇士と成すをえない。否! 鴨緑江において、朝鮮および満州において戦勝したるものは、我々の手を導き我々の心臓に撃ちつつある我らが父祖の威霊である。

これらの霊、我が武勇なる祖先の魂は死せず、見る目有る者には明らかに見える。最も進んだ思想の日本人にてもその皮に掻痕を付けて見れば、一人の武士が下から現れる。名誉、勇気、その他のすべての武徳の偉大なる遺産は、クラム教授の誠に適切に表現したるがごとく、「吾人の信託財産たるに過ぎず、死者ならびに将来の子孫より奪うべからざる秩禄」である。
しかして現在の命ずるところはこの遺産を護りて古来の精神の一点一画をも害わざることであり、未来の命ずるところはその範囲を拡大して人生のすべての行動および関係に応用するにある。
新渡戸 改行は、私。

応用するにある・・・
つまり、武士道は、形を変えて、残り続けるのである。

封建社会の道徳は、崩壊する。そして、新しい新道徳が現れると言う者、多数。
しかし、新しい道徳とは、何か・・・
道徳の根源的様態は、変わらない。
一度築かれて、成ったものは、伝統として、脈々と生き続ける。

しかし、新渡戸は、それでも、
日本人の心によって証せられかつ諒解せられたるものとしての神の国の種子は、その花を武士道に咲かせた。悲しむべしその十分の成熟を待たずして、今や武士道の日は暮れつつある。しかして吾人はあらゆる方向に向って美と光明、力と慰籍の他の原泉を求めているが、いまだにこれに代わるべきものを見出さないのである。
と、言う。

功利主義および唯物主義に拮抗するに足る強力なる倫理体系はキリスト教あるのみであり、これに比すれば武士道は「煙れる亜麻」のごとくであることを告白せざるをえない。
新渡戸

倫理体系・・・
西欧の思想である。
武士道は、そのような言葉の世界を必要としなかった。

更に、新渡戸は、キリスト教徒らしく、
しかしメシアはこれを消すことなく、これを煽いで焔となすと宣言した。メシアの先駆たるへブルの預言者たち、なかんずくイザヤ、エレミア、アモス、およびハバククらと同じく、武士道は特に治者、公人および国民の道徳的行為に重きを置いた。これに反しキリストの道徳のほとんど専ら個人、ならびに個人的にキリストを信ずる者に関するものであるから、個人主義が道徳的要素たる資格において勢力を増すにしたがい、実際的適用の範囲を拡大するであろう。
新渡戸

当時は、である。
現在は、そのキリスト教も、不案内である。

少し、また、新渡戸は、理屈を書き付けるが・・・

まだ、キリスト教が、幾つかの段階の盛りだった頃である。
それらを元に、武士道を対置して考えた功績は、大きい。

最後に、新渡戸は、

武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない。しかしその力は地上より滅びないであろう。その武勇および文徳の教訓は体系としては毀れるかも知れない。しかしその光明その栄光は、これらの廃シ(土偏に止)を越えて長く活くるであろう。その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう。百世の後その習慣が葬られ、その名さえ忘らるる日到るとも、その香は、「路辺に立ちて眺めやれば」遠き彼方の見えざる丘から風に漂うて来るであろう。―――
新渡戸

ロマンチストである。

キリスト教徒として、武士道を英語にて、書きつけた功績・・・
そして、その理解を得た、新渡戸の、武士道は、傑作である。

矢張り、言葉の力を見せ付けられる。
この、日本の風土からなる、曖昧で、たゆたう心を、言葉で明確に提示する必要が、あったのである。

それぞれ、具体的に語る口調は、欧米の人たちの心を得た。

キリスト教という、体系的哲学により、新渡戸は、日本人を振り返り観ることが出来たと思われる。
それから、百年以上を経た現在・・・

果たして、武士道を誰か、語るか・・・
それは、懐古になるのではないか。
私も解らない。

ただ、武士道を心に抱く人のいることは、知っている。
その行為にも、武士道が生きている人がいる。

武士、もののふ、という言葉は、大和言葉である。
封建時代の花・・・
よくぞ、言ったものである。
posted by 天山 at 06:29| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月07日

国を愛して何が悪い134

新渡戸稲造の、武士道を見て、それから、日本の精神史についてと、考えていた。このまま、精神史に向ってもいいが。
その前に、もう一度、省みることがある。

黄文雄氏の、日本人から奪われた国を愛する心、という、著作である。
とても良い、教科書といえる。

そこから、同感することを、取り上げて、少し紹介したい。

日本人は「平和」と言う言葉が、国によってその意味するところが大きく異なることを理解すべきである。戦後日本人は「愛国心」を軍国時代の産物として過剰に危険視してきたが、むしろ「平和」のほうが「愛国」より多大な危険を含んでいることに気づくべきである。そうしないかぎり、自らの唱える「平和」が他国に利用され、破滅への道を進み続けることになる。


例えば、平和を口にしつつ、虐殺を行なう中国を見ることにする。

さて、その前に、世界の多くの国は、平和を望むと公言する。
だが、戦争を望んでいる国ほど、声高に、平和を強調するということだ。

その中でも、中国が抜きん出ているのである。

黄氏の、解説で、進む。

かつて、中国において「世界革命」「人類解放」などの「歴史使命感」を果たせというムードが高まっていた時期、中国ではしきりに「平和五原則」が叫ばれていた。この平和五原則は、1954年にインド政府と中国政府が結んだ協定であり、領土・主権の尊重、相互不可侵、内政干渉せず、平和互恵、平和共存の五項目を謳ったものだった。


ところが・・・
当時、チベットを侵攻占領した中国共産党が、インドからのチベットに対する、影響力を排除する目的で交わしたものである。
この平和五原則で、中国は、インドの内政干渉を受けることなく、チベット人の虐殺を遂行できるようにしたのである。

チベット人の、虐殺は、三百万人・・・
呆れる。

こうした野心を隠蔽するための言葉のすり替えは、中国の得意技である。


現在は、日本に対して、ウソ偽りの言葉は、当たり前なのである。
それも、平和という言葉を全面に、押し出す。

平和を阻害しているのは、日本であるというのだ。

そのためには、どんなウソも、平然と言う。

本音では革命戦争を望んでいるのだが、それを公にするのは当然ながらまずい。そこで、「平和」という建前を声高に叫び、「平和的交渉」や「平和的努力」をするフリをするのである。


フィリピンでの、平和的対話をしている、その間に、フィリピンの南沙諸島に軍艦を向けていたという事実。

2004年、6月28日、平和五原則の創立50周年大会が開かれた。
そこで、温家宝前首相は、「平和五原則は平和の原則だけではなく、発展の原則である。経済分野での平和原則とは、各国の経済自主権を尊重し、平等で国際経済に参与し、公平に競争し、互恵をして共同で、利益を獲得することだ」と述べた。

ところが・・・
その一ヶ月前には、日中境界海域で、春暁ガス田を開発中であることが、発覚した。

しかも、資源が複数国の境界にまたがる場合は、埋蔵割合に応じて、関係国間で配分することになる。日本側が、データーの提出を求めたが、それを無視し続けているのである。

更に、同じ年の、11月、中国は、原子力潜水艦を、日本の排他的経済水域を侵犯した。日本が強く抗議したが、中国側は、技術的な問題で、誤って入り込んだという、言い訳、ウソを言う。

更に、その一ヵ月後、沖ノ島周辺の、日本の排他的経済水域に、再び、海洋調査船が、無断で、侵入しているのだ。

これらのことから、中国の言う、平和という言葉は、意味合いが全く違う。

中国の言う、平和は、中国の勝手にしていいという、意味なのである。
中国の、思うとおりに出来ることが、中国の言う、平和なのである。

日本人には、理解出来ないのである。

このように、「平和」とはきわめて危険なものなのだ。その一方で「平和」とは万民にとって魅力的な言葉である。「平和」という言葉は、トゲのあるバラのごとく、人類の歴史においてじつにさまざまな役割を果たしてきたのである。


人類は有史以来ずっと、「平和的手段」で戦争を避けるべきだと語り続けてきたが、本当にそれが実現されるというのは理想でしかなく、現実の「平和的手段」とはワナばかり、落とし穴ばかりの油断ならないくせ者なのだ。


だから・・・
日本の、平和愛好者、平和主義者は、何も、平和について、解っていないのである。
平和念仏と言われる、所以である。

戦争がなければ、平和か・・・
そう、戦争の無いことを、平和と思い続けているのである。

それで、今でも、70年前の、憲法九条を、平和憲法として、たてまつる、のである。

全く、状況が違うにしても、それが、いいと、思う。

有事が起きた時のことを、考える余地が無い。
つまり、国際社会から見れば、アホの極みである。

更に、自国民を護れなくて、何が、平和か・・・

アメリカ、イギリスは、一人の自国民のために、軍艦を派遣するのである。


posted by 天山 at 05:58| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月08日

国を愛して何が悪い135

中国は今日に至っても、台湾は中国の伝統的固有の領土だと主張している。その一方で、この領土問題は「平和的手段」での解決を望むと言っている。だが、中国の言う「平和的手段」とは「民意を問う」のではなく、中国の言いなりになり、自己主張を押し通すという意味だ。中国の「平和」とは、あくまで「共産主義の平和」「覇権国家・中国としての平和」なのだ。その証拠に、中国は「四つの原則の堅持」のひとつとして共産党独裁の堅持をいまだに明言している。
黄 文雄

だから、尖閣諸島に対しても、日本側に問題があると、平然として言う。
勝手に、中国領だと叫んで、それでいて、平和的に解決をと言う。

それが、日本人には、理解出来ないのである。
平和と聞けば、思考が止まる、日本人である。
しかし、中国は日本の領土を我が領土だと言い、紛争を招くのは、日本側だと、言う。
全く、無茶苦茶なのである。

日本が、自国の領土を護るのは、当たり前であるが、中国は、平和的に、日本の領土を、我が物であると、言うのである。

そして、意のままにならなければ、武力を盾とする。
どこに、平和があるのか・・・

つまり、平和の概念自体が違うということである。

日本人も、早くそれに気付くべきだ。
が・・・

武力行使を辞さないというのが、中国の言う「平和」なのであると、明確にしておく。

だから、黄氏が、
日本人は「平和」と言う言葉が、国によってその意味するところが大きく異なることを理解すべきである。
と、言う。

更に、
むしろ「平和」のほうが「愛国」より多大な危険を含んでいることに気付くべきである。
とも、言う。

日本の知識人は、中国で平和運動家が「漢奸」呼ばわりされる事実やその理由、歴史について、あまりにも知らなさすぎ、勉強不足である。


全く、逆の発想なのである。

中国、北朝鮮のように、戦争を切り札に敵国を恫喝する国にとっては、日本の平和運動というのは、必要不可欠な、戦力となる。
そして、日本の平和運動家は、その戦略に乗せられているのである。

更に、愚かしいのは、彼らは、それに気づいていないのである。
馬鹿も、ここまで来ると、手が付けられない。

憲法九条を、平和憲法と、叫ぶ人たち・・・
戦争放棄、軍備撤廃とは、敵国にさせて、従わせるものなのである。

だから、いつまでも、日本は、アメリカによって、その核兵器によって、守られてきたのである。
アメリカは、日本が、盾を突くことなく、アメリカの言いなりになるようにと、定めた憲法である。

フィリピンを植民地化し、その後独立させた後に、フィリピンの憲法に、戦争放棄を掲げたのである。
楯突かないように・・・

戦争放棄が、単純に平和に続く道だと、信じているのである。
つまり、念仏平和主義である。

ところが、世界は、そんな甘いものではない。

アメリカが、手を引けば、即座に、中国は日本侵攻をはじめるだろう。
そんなことも、知らないのが、日本の平和運動家なのである。

兎も角、今は、まだアメリカの後ろ盾があるから、いいが・・・

そういう意味では、アメリカ人も、日本の平和運動家たちを、笑っている。

一体、自国を誰が守るのか・・・と・・・
日本のために、米兵が死ぬだろうか・・・

日本人が、アメリカ人のために、死ぬだろうかと、同じである。
自国のためでさえ、死ねない者が、他国のために、死ねる訳が無い。
と、考えられないのである。

それほど、日本は、平和にボケでいるということだ。

アメリカでは、金が無いので、軍縮をし、更に一部では、日本の核武装も視野に入れてと、考える人たちもいるのである。
もう、自分たちで、国を守るべきだと。

今までは、アメリカに守られていたので、言いなりになり、大枚な金をアメリカに貢いでいた、日本である。

だが、状況は、もっと厳しいものになっている。
アメリカは、世界の警察であることを、辞めた。

オバマ大統領は、国内問題で、手一杯になっている。
シリアへの、軍事介入も、ロシアに抑えられて、実行しなかった。
すでに、アメリカは、衰退しているのである。

平和主義者や平和運動家が実際に平和をもたらした例はなく、それどころか逆に戦争を招来することにもなりうるのである。


当然のことながら、自衛のための軍事力を保持し、独立を守ろうとしても他国に蹂躙されれば、いくら平和主義者が平和を主張しても、そんなものは瞬時に吹き飛んでしまう。


つまり、妄想の域、自己満足の域の中にあるだけで、現実とは、遠い、遠い、更に、よく解らない、平和を唱えているのである。

日本には、言霊というものがあり、言葉にすることは、成るという、考え方の伝統を持つが、それは、日本にのみ、言えることである。
世界には、通用しない。

posted by 天山 at 09:07| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月09日

国を愛して何が悪い136

今時期、北朝鮮を「地上の楽園」などという者がいるだろうか。
もしかして、昔の思いのまま、ボケてしまった人には、いるかもしれないが・・・

まさか、北朝鮮が、「地上の楽園」とは、誰も、言わないだろう。

ところが・・・
朝鮮戦争後の、1950年代から、60年代の社会主義政権樹立後に、「地上の楽園」という、プロパガンダが繰り返し喧伝され、これに日本の知識人たちが、心酔し、陶酔した時期がある。

驚くべき、蒙昧であるが、事実である。

彼らは、日本のような議会制民主主義制度よりも、人民専制、プロレタリア独裁を「真の民主主義」だとして本気で憧憬の念を抱いた。こうした「友好人士」たちは、日本の教育機関やマスメディアに入り込み、戦前の日本や国家の防衛構想などに対して、徹底的に批判を加え、日本の戦争犯罪を告発し続けた。そして国家、それも日本国だけを否定し、日本人に自虐史観と贖罪意識を与えてきたのである。こうした動きは、過去半世紀以上も続き、現在に至っても変わることなく続いている。
黄 文雄

えっ・・・
現在に至っても・・・続いているとは・・・

それならば、余りにも、アホである。
しかし、見渡してみると、確かに、存在しているようである。

戦後半世紀以上にわたり、「世界革命、人類解放」の世界基地だった、ソ連、中国、北朝鮮をはじめとする、社会主義体制の国々を見れば、日本における、市民運動、平和運動というものが、実に、滑稽で、的外れなものか、わかるというものである。

市民運動、平和運動とは、名ばかりで、実に暴力的な運動でもあるが・・・
日教組、労働組合、マスコミ、その他・・・

社会主義国家の多くが、建国後、しばらくして貧困、経済停滞の苦境に陥り、その一方で、国民は独裁体制化で、人権抑圧、圧制に苦しむという状態だった。

皮肉なことに、人類解放を目指す社会主義こそが、もっとも多くの国民を苦しめてきたのである。

これは、もう、説明や、一々例を挙げるまでもないことである。

平和を唱える、革命勢力も、圧制、暴力を必要とするという、二律背反性にあったのである。

だが、日本の進歩的文化人や平和主義者は、こうした共産主義国家が暴力革命を認めていることには目をつむり、あるいは、暴力革命を平和のための手段だと美化し、ひたすら平和愛好勢力だと強調した。


何故か・・・
富裕層のドラ息子のような、言動を良しとしていたのか・・・

自分たちは、痛くも、痒くもない所にいて、のうのうと、よくぞ、言ったものである。

日本という、平和で恵まれた環境だから、こそ、それが出来たのだろう。
そして、現在も、である。

そして、その勢力の中から、政治家まで登場するという・・・愚劣である。

今も、政党には、日本共産党、そして、旧社会党の、社民党などが、存在する。
そして、寝惚けたことを、繰り返し、喧伝しているのである。

更に、組合、中でも、日教組、マスコミ・・・
偏狭と狂乱のグループは、健在である。
信じられないことだが・・・

先の、友好人士とは、中国共産党、北朝鮮が、日本の軍事武装化に反対する、平和主義者たちを、日本の良心、日本の良識と言い、煽てて、彼らを、友好人士と呼んだのである。

そして、彼らを自国に招いて、徹底的に、プロパガンダしたのだ。

日本に帰国しては、それを鵜呑みにして、社会主義を喧伝し、日本を、米帝の走狗、と罵ったのである。

実に、面白いことに、中共、北朝鮮礼賛が続いていた間、実際両国では、熾烈な内紛、粛清、虐殺が行なわれ、多くの人民の命が奪われていたのである。

中国を見ると、日中戦争終結から1949年まで、国民党、共産党の内戦が繰り広げられ、毛沢東率いる共産党が勝利し、共和国が成立した後も、三反五反運動、反右派闘争、大躍進、文化大革命という、階級闘争、奪権闘争が続いた。

文化大革命が終息したのは、1976年。
共和国の建国から、25年以上も、闘争が繰り返されたのである。
そして、明らかになったことは、7000万人から8000万人にものぼる餓死者と、虐殺された者たちである。

北朝鮮では、1994年から98年の間、少なくとも、300万人ほどの、餓死者が発生し、各方面での、粛清もあった。勿論、今でも、それは続いている。

これでも、礼賛する・・・

私は、これは、別の見方が必要だと思う。
つまり、そういう人たちは、人間性の欠如があるのだ。
何かが、欠落しているのである。

更に、自己満足の最大のもの。つまり、自己満足症候群である。
更に、その逆もある。自己不満足症候群である。
それに加えて、性的な異常に近い、異常性官能倒錯である。

黄文雄氏は、決して利口ではない人たちと、言うが・・・
ところが、賢い馬鹿が多いのである。

もう、これ以上の詮索はしないが・・・この問題に関しては、である。
黄文雄氏の、著作に委ねる。

国を愛するという、人たちを、彼らは、唾棄すべき相手のように、見る。
しかし、一体、彼らは、どんな国が理想なのであろうか。
何せ、中国や、北朝鮮に移住する訳でもなく、ただ、日本に居て、声を上げているだけである。
それほど、日本が自分にとって、不適切ならば、どんどん、出て行くことだが・・・

日の丸も、国歌も、天皇陛下の存在も、それほどに、嫌ならば、出て行くべきだと、思うが。
私なら、そうする。

これから、日本の精神史を眺めてみる。

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2014年06月10日

国を愛して何が悪い137

日本人の精神について・・・
それは、日本人の精神史となる。

では、まず、精神とは、何か。
私は、人間には、魂と、心、そして、精神があって、成り立つものだと、考えている。

その精神とは、言葉の世界である。
言葉があって、精神が成り立つ。

つまり、日本人の精神とは、日本の言葉があって、成り立つものだ。
それでは、日本の言葉は、いつ頃から、成り立ったのか。
それは、縄文期である。

しかし、その資料が無い。
その資料が出てくるのは、後々である。

言葉の誕生は精神の誕生である。その原始の相はどうであったのか。古事記の成立したのは元明朝の和銅五年(西暦712)である。文字のなかった時代、口から口へと伝えられてきた「やまと」固有の言葉を、外来の漢字で表現することは至難の業であったろう。精神史の一ページはここから始まる。
亀井勝一郎 日本人の精神史研究

この亀井の著作から、紹介することにする。

確かに、口から口へと、伝えられていた時代があった。
しかし、言葉が無かったのではなく、文字が無かったのである。
勿論、古代文字、神代文字の存在も、言われているが・・・

ここで、「やまと」固有の言葉とあるが、大和言葉である。
それは、それほど、たやすく、変化するものではない。

奈良、平安時代まで、その息吹は生きていた。
そして、日本語の語源、原点となった。

後の時代に、言葉の解釈をするのに、漢字の意味を持って成したが、誤りではないが、正確さを欠いたと思えるのである。

日本語は、大和言葉から、理解しなければならないからだ。

漢字に当て嵌めた時代は、特に、音によるものである。
勿論、出来るだけ、漢字の意味合いと、同じようになるべく、努力した跡があるが。

漢字の解釈だけに頼って、言葉の意味を論じると、誤るのである。

更に、現代までも、漢字には、音読みと、訓読みがあり、訓読みは、大和言葉である。つまり、大和言葉は、失われていないのである。

手掛かりは、漢字の訓読みである。

ただ、漢字にして、口伝を書き取ったことは、大変革だったと思う。
まさに、精神の一大事である。

そして、また、書かれたものがあるということは、書かれなかったものもあるという、当たり前のことを、考える。
だから、書かれたものから、書かれなかったものを、探る努力も必要だ。

書かれたものを、単なる資料にしてしまう愚は、専門家に任せる。

文字の無かったといわれる時代を、原始古代、あるいは、神代の時代と呼んでいる。その、神代の時代を、探る努力が必要である。

何故なら、文字がなくとも、言葉が存在したということは、精神が存在したということであるから。

その神代の精神を鑑みて、日本人の精神と、精神史がある。

そして、それは、推理、推測のみならず、霊感が必要である。
日本の祖霊に対し奉り、その霊感を得ることである。

それは、祈りだ。
祖霊に対する祈りこそ、重大なことだ。
何故なら、日本は、祖霊をこよなく大切にし、更に、祖霊が自然に隠れた存在として、自然と共生してきた民族だからだ。

さて、神代の時代の精神を探るとしたら、それはそれは、混沌とした世界である。
何せ、今のように、宗教、文学、歴史などの感覚の無い時代である。
概念、観念というものも、見出せないだろう。

わけのわからない、時代である。
それは、今の時点から観るからである。

その、わけのわからない、時代を、俯瞰するという、試みは、実に危険である。
取り込まれる可能性がある。
つまり、精神的混乱である。

だから、祈りには、知性と理性が必要になる。
勿論、感性と、感受性は、必要不可決である。

古来、古事記を通して神々の世界に深入りした人々をみると、その多くは憑かれた人に成るか、或いは一種の狂人になるか、さもなければ大酒のみになるようである。わけのわからなぬものに堪えてゆくのは容易なことではなかったのだ。現代人である私は、「合理的」に接しようと心がけるが、「合理的」という言葉を反省してみると、私自身が「合理的」と思いこんでいる範囲内で、何とか辻褄をあわせようとしていることに気づく。一応辻褄があうと、解釈しえたと思うのだが、古事記のもつ混沌は、そんなことを容赦なくはねのけてしまう。
亀井勝一郎 現代語にして引用している。

この、合理的という言葉は、西洋哲学の言葉である。
だから、西洋の合理的という、概念を当てるが・・・
それを説明していると、とんだことになるので・・・

だが、ここにも、問題がある。
日本には、体系的な思想がなかったという、指摘がある。
その通りで、それが必要なかった言葉の世界である。
いや、言葉の世界では、体系化された云々がなければ、云々・・・とは、西洋の哲学体系を持っての、言葉である。

それは、それであり、これは、これである。
日本には、体系化された思想が無いというのが、日本の精神の特徴である。
それでは、何故、そうだったのか・・・
それが、問題である。

ただし、現代は、西洋哲学その他諸々の哲学、思想を取り込んで、日本語という世界で、遊ぶ。
それは、また、時代と、時代性であり、生成発展しているのであろう。

posted by 天山 at 06:28| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月11日

国を愛して何が悪い138

推古天皇の頃、実は、聖徳太子が、国書を作っていた。
それを蘇我家が、保存していた。

だが、蘇我入鹿が討たれたことにより、蘇我蝦夷は、屋敷に火を放ち、燃やしてしまった。
もし、それが、残っていれば、まだ古代の謎が解けた。

焼け跡の中から、その一部が、天智天皇に渡された。
それから、古事記編纂へと行く。

古事記という言場の古墳から発掘された一語一語は、それぞれ何百年もの背景をもって錯綜している。
亀井

つまり、古事記に込められた、祈り、である。

文字が無かったから、言葉がなかったということは、有り得ない。
その言葉が、後に、言霊と呼ばれるほどのものになるのである。

言葉と文字の発生には、それぞれの民族の思いがある。
矢張り、言葉と文字には、特別の感覚があった。

日本の言葉の発生は、
精神史に即して考えるとき、一番大切なのは、神々のいのちとしての言葉ではなかろうか。
亀井
と、いうことになる。

縄文期の人々は、平和であり、自然と共生して生きていた。
争いというものがないのである。

つまり、自然の共生の中に、自然から多くのことを学んだ。
その時に、自然が、結び、産霊、むすび、という事実を観た。

古事記の中でも、天照御大神と並び、産巣日神、むすびのかみ、根源神として存在するほど、大切なことだった。

むすび、とは、働きのことである。
自然の中は、むすび、に溢れていた。

そして、人間もまた、むすび、によって、生かされ、生きているという事実である。

その産霊、むすび、が後に、タマと別名が付く。
タマとは、魂と後に書くようになる。

そして、地、チという言葉である。
この、チは、地だけではなく、原始霊力を現した。

更に、集落の人たちを、まとめるカミである。
それは、上として、著した。

現在の神観念とは、全く別物である。

更に、大和言葉を探ってゆくと、そのカミは、分配する人という意味になってゆく。

カム、カマ、カミという、並びにある。
カムは、魂、霊であり、カマは、竈である。
人間は、目に見えない、カムと、食べること、竈によって、生きている。

その後、カミという言葉が、出来た。
それが、漢語の神という文字に当てられた。

さて、最初の言葉は、霊が懸かり、シャーマンと呼ばれる、巫女から発せられたという考え方が学問の世界では、取り入れられている。
間違いがないだろうと、思える。

それから、繰り返されて、一つの言葉の意味が、出来上がる。
最初は、全く、わけのわからないもの、である。

亀井は、
暗示的であったり、象徴的であったものの中から、生死や生産のふしぎにむすびついた感動深い音声の思い出が幾たびもくりかえされ、口伝され、そうしているうちに「言葉」を誕生せしめ、一の「表現」(詞章)に達したのではないか。
と、言う。

最初は、感動深い、音声である。
それが、繰り返されて、言葉の初めとなる。

この場合、巫女の姿態が動き、言葉の誕生は同時に舞踊の誕生であったと想像してもよかろう。つまり唱えることと、身体を動かすことで、古代人の精神はおそらく最初の「形」を与えられた。
亀井

神楽というものが、生まれる。
それは、言葉の初めと、同じである。

その無意識の伝えが、今も、各地の祭りで行なわれる。
お祭りは、歌と踊りである。

どの民族においても、そのようである。

踊りは、お祭りの場だけではない。
現代の踊り、つまり、体を動かすことで、原始的な意識を取り戻す。そして、何かを回復している。一時期流行したディスコなども、それである。

踊りで、陶酔した無意識が、時に、大きな暗示や、生きる力を与える。

今日の我々の経験から言っても、言葉ほどあいまいで不安定なものはない。たとえば「思想」とか「自由」とか「愛情」といった言葉を我々はわかりきったもののように使っているが、その一つ一つをとりあげて、厳密に検討すれば、各人各説となって、すなわちわけのわからないものになってしまう。それを幾重にも組み合わせながら、辛うじて或る「表現」に近づくわけだが、それは辛うじて近づくだけであって、当事者からもれば「表現」に完成のないことは周知のとおりである。完成とは一種の「中絶」であるか「死」である。
亀井

感動による沈黙の深さは、その恨みが宿っている筈だ。
亀井

この沈黙・・・
ここに、日本人の精神の秘密がある。
沈黙するほどに、感ずる心、である。

何が何でも、言葉にしようとする、欧米の思想とは、全く、別物である。
そして、その沈黙を破るとする場合は、歌になるのである。

言葉の羅列を嫌う。
言葉を極限に抑えて、表現する。
だから、今も、和歌の伝統が生きているのである。

posted by 天山 at 06:11| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月02日

国を愛して何が悪い139

高天の原で、決定的ともいえる二つの事件の起こったとき、登場するのがこの神である。ひとつは天照大神が石屋戸に身を隠して、世が暗闇になったとき、いわゆる「岩戸開き」の一切を計画したのはこの神であった。もうひとつは、豊葦原の瑞穂の国を平定すべく、どの神を降臨させるかが四度にわたって問題になったとき、候補者を指名したのもこの神であった。八百万の神々のくだりで「思金の神に思はしめて」とあるのがそれである。八心思兼神とも称して、様々のことを思い兼ねもつ、言わば人間の叡智の極限を神格化したものとも解されているが、同時に興味深いのは。この神は産巣日神の子とされていることである。
亀井

思金神、おもいかねのかみ、である。

人間の叡智の極限を神格化させた・・・
その通りである。

そして、思うということは、即座に、言葉につながる。
更に、思いは、述べられる。
唱えられる。

そして、発せられた言葉は、成るのである。
これが、言霊と言われる所以になる。

その、原始の姿をもって、思兼神と、言う。
その、兼ねは、兼ねているのである。
発言と思考である。

思う、は内的なものではなかった。
思う、とは、唱えごとをするという、意味でもある。

そして、それが、伝わる・・・

言葉が「伝わる」ということは、或る意味で言葉が「受難する」ということだ。誤解歪曲なしに伝わるということはまづないからである。口伝は変化するし、文字で書かれたときも、その時代や書く人の主観で変化する。長いあいだには死語となるものもあり、また死語の復活もある。わづか一語であっても、幾通りに解されることがあるし、自分でわけがわからないで使っている言葉もある。
亀井

わかがわからずに、使う言葉の、いかに、多いことか。

毎日、何か書き付けている私自身も、もし、その言葉の意味を尋ねられて、明確に答えることが、出来るのかと、問うことがある。

文の流れの中で、何となく・・・使う・・・

おそらく言語表現の異常な困難と、伝承における混乱とを古代人が自覚したところから、この自覚過程の神格化として思兼神が創り出されたとも考えられる。
亀井

すでに、古代において、言葉の混乱があったということ。

そこで、亀井が、
「八百万の神々」の存在とは「八百万の言葉」の同時存在と同義ではなかったろうか。原始古代の或る時期に、産霊による言葉の盛んな生産時代があったように思われる。
と、言う。
さまに、卓見である。

神とは、言葉のこと・・・
私は、そのように思う。
または、神のように、扱うものとの、意識である。

ちなみに、縄文末期から、弥生の初期は、人類の坩堝状態だったのが、日本列島である。
そこから、考えても、言葉と、それぞれの人種の思いは、交錯していたと思われる。

混血の時代であり、日本の古代人の産卵期である。

現在、世界的に英語が使用されている。
ところが、米英英語ではなく、ブロークン英語の時代到来なのである。
英語圏ではない人たちが、英語を使うようになり、米英の英語より、ブロークン英語が通用する時代になっている。

そして、相手の言うことを、探りつつ、理解しようとする。
古代の人たちも、そのような状態に似ていると思うのである。

いずれ、ブロークン英語が、何となく、統一されて、新しい英語が、出来上がる過渡期にあると、思う。

日本語の前に、大和言葉があり、それ以前には、縄文、弥生言葉がある。
大和言葉に統一されて行く過程が、面白い。
それは、為政者の台頭がある。

それぞれの、地域に、集落に、上、カミという、長が誕生する。
特に、弥生に入り、収穫物の管理、分配を行なう人、それを、カミと呼んで、その言葉を尊重した。

そして、その長は、何かしらの、信仰に似た形態を指導する、祭司になることにもなる。

長、オサである。
オサは、巫女に仕えたのかもしれない。
つまり、巫女の神託を、民に伝える人。

巫女の、わけのわからない言葉を、通訳した人・・・

再度、八百万の神々は、八百万の言葉であるとの見解は、実に納得するものだ。

唯一絶対のカミと、言葉を持つ、民族との違いを考えれば、当然、納得する。
唯一絶対ということでの、対立、争いは起こらない。

旧約聖書における、唯一絶対の神の命令を下す厳しさは、日本神話にはない。

それは、自然、風土の違いだけではない。
民族の根本的な違いである。

人を何かの元に、縛りつけることはしないのである。
寛容な考え方・・・

日本神話には、寛容と、和というものが、見事に存在する。
闘いの場面も、神話的である。
皆殺しなどということは、ないのである。

posted by 天山 at 05:42| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月03日

国を愛して何が悪い140

文字の無かった時代に、思うとは、直ちに、声に出して、唱えることを、意味したと思われる。

「言霊」という言葉は古事記にはないが、音声の調子から、おそらく霊を感じとったにちがいない。同時に兼ね「思ひ」、同時に兼ね「唱ひ」、言葉はこうして魔術性を帯びてくるために、分析的になるよりは直観をはたらかせ、わけのわからない混沌から暗示を得ようとつとめたのではなかったか。
亀井

それは、聞く行為であり、「聞く」ことは、「信ずる」ことになり、肝に銘じた言葉は、暗誦へと移り、暗誦の伝承の作法というべき、独自の感情の、論理が成立した。
と、亀井は、考えている。

そして、やがて、書物が日本に入り、書物は、眼で見るよりも、まず耳で聞くものと、考えられていた。

書は、声を伝えたもの、という意識であった。

加えて、古事記は、神道を説いた、書ではないということだ。
後世、古事記を神道の経典のように扱うのは、大きな間違いの元となる。

古事記は、
太古における「言葉のいのち」の集大成である。
亀井

それぞれの民族の神話があるが、日本の古事記のような神話は、少ない。
伝承の集大成である。
そして、それが、実に混沌としている。
つまり、言葉の混沌そのままである。

古事記や日本書紀の基礎になったものは、それ以前に大氏族家に残された文献であったろうが、その文献の基礎になったのは、やはり語部の伝承であったとみて差し支えあるまい。
亀井

口伝は事実であり、それがなければ、伝承は無理である。
そのため、語部の存在は、否定する事は、出来ない。

国書の断片が、天智天皇に渡され、それから、天武天皇によって、稗田阿礼が、朗誦したものが、古事記である。
稗田阿礼は、宮廷語部の一つである、猿女の君の、支流に当たるといわれる。

語部の存在は、古代から、中世、近世まで、続いてきたもの。

それは、日本固有の、言語伝承の一つのパターンだった。

それが、繰り返し、繰り返し、伝えられたことで、その定型が徐々に出来上がってきた過程を思う。
それが、民族の精神である。
つまり、民族の言葉である。

万葉集にも、多く似た歌が多い。
それは、一人が歌詠みしたものを、共感し、人が人に伝えて、繰り返し歌われたものである。

読み人知らずの多くは、それである。

言葉が、共有されることにより、民族の言葉の基礎が出来る。
そして、その言葉に関する、意味付けである。

また、観念の薄い時期に、すでに、その東雲が現れていた。

古事記、万葉集の中の歌の数々は、多く、繰り返されることによって、校正され、洗練されていったと、思われる。

幾たびもくりかえし歌われ、伝承され、そのたびごとに、歌詞も歌い方が洗練されて行ったと思う。つまり、古代の氏族共同体の中での、唱和による集団的推敲の結果ではなかったかということだ。中心になったのは言うまでもなく語部であり、言霊信仰も、こうした集団による唱和の雰囲気のうちに成立したのではなかったか。
亀井

それでは、日本には、精神史、あるいは、思想と呼ばれるものが、存在しなかつたのか。

これは、西欧の思想、哲学から見れば、歴然としているように、日本には、西欧のような思想、哲学というものが無い、あるいは、その形跡さえ見えないと結論付けられている。

言葉が成り立ってから、思想、哲学が存在しないとは、実に、おかしな話である。

西欧のような・・・
それが、間違いの元である。

西欧には、それでは、日本のような言葉の世界があるのか・・・
それは、無い。
それで、十分である。

何故、改めて、日本には、思想が無いなどということが、問題になるのか。

言葉、そのものが、思想である。
それが、日本の思想であると、言える。

思想は、言葉による。
つまり、言葉が成立したということは、思想が成り立つのである。

体系化した思想・・・
西欧のそれを真似て・・・
その必要の無いのが、日本語である。

言葉を積み上げて、何事かを語るという言葉と、一音に意味がある、日本語とでは、全くその成り立ちが違う。

その成り立ちを無視して、思想がないとは、笑わせる。

学者の中には、
自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸に当たる思想的伝統はわが国には形成されなかった、ということだ。
と、言うように。

私は、その必要がなかったのだと、言う。
posted by 天山 at 05:26| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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