2013年10月27日

国を愛して何が悪い101

私は、国を愛して何が悪い、という、エッセイを書いている。
その底流には、日本の精神史というものを、書きたいという、意識がある。

いつまでも、白人、欧米の・・・云々は、書くつもりはない。
しかし、どうしても、書いておかなければならないことが、まだ、ある。

その最大の一つは、人種差別に関して、である。

人種差別は、無くなったのか・・・
いや、未だに、人種差別がある。

その白人の、差別の意識たるや・・・
いくら書いても、足りない。

だから、白人を恨み、憎み、そして、憎悪を振幅させたいなどとは、全く思わない。
事実を言うのである。

キング牧師の演説から、50年を経ても、アメリカには、未だに、人種差別がある。
更に、白人主義を掲げている、白人たちも存在する。

敗戦後、日本に対する、東京裁判が、その最たるものであることを言う。

ちなみに、人種差別の思想は、最低最悪の国、イギリスから起こったものである。
徹底した、差別思想である。
それについて書くと、延々となるので、書かない。

オーストラリアの原住民、アボリジニを動物と同じように、撃ち殺したのは、その思想があるからである。

色付き人間は、劣っている。
動物に近い・・・
おぞましい程の、差別意識、思想である。

敗戦国を裁いた裁判は、日本だけではなく、ドイツでも、行なわれた。
その裁判は、ニュルンベルグ裁判という。

だが、東京裁判とは、全く異質である。

ニュルンベルク裁判は、ナチス、ゲシュタルポ、つまり、秘密警察、ナチ親衛隊、保安隊が、犯罪団体として、指定されたが、ドイツ国家は、対象外である。

つまり、ドイツの戦争を裁いたのではなく、ナチスなどの犯罪団体が行なった、ユダヤ人大虐殺、ジェノサイドのみを、人道に反する罪として、裁いたのである。

しかし、東京裁判は、日本という、国家を裁いたのである。

つまり、人種差別甚だしいのである。

それを端的に示す、証拠がある。
ニューヨークタイムズの記事である。

日本が降伏した日と、ドイツが降伏した日の、同じ新聞の論説である。

ドイツに関しては、この優秀な民族はナチズムによって道を誤りはしたが、それを反省し自らの手でナチスを裁くだろう。我々はこの国この民族の再生のために存分の援助と協力を惜しむまい、である。

白人に対しては、この通りである。

では、日本に対しては・・・
漫画が添えられていて、それは、醜悪で巨大な怪物が横たわる。あんぐりと開いた口の中に、ヘルメットをかぶったアメリカ兵が入り、むき出した牙を大きなヤットコで抜き取る作業をしている。

そして、
この怪物は倒れはしたが、いまだに生きている。この醜い危険な怪物の毒のある牙を我々は世界のために、どれほど長い時間をかけてでも徹底して抜きさらねばならない。
と、ある。

この対比・・・
明らかに、人種への偏見、白人としての、驕りがある。

ちなみに、現在、賢い馬鹿な日本人の中にも、偽白人と勘違いして、そのように、自国民を差別する大馬鹿がいることも、事実であるが・・・

東南アジアに出掛ける私は、今も、白人たちの、差別意識を見る。
色付き人間を、明らかに、見下す。

白人の男達の、色付き人間の女に対する行為は、強姦まがいである。

日本の慰安婦問題・・・
そんなものを、超えている。
性奴隷・・・
それは、白人の色付き人間の女に対する、思いであろう。

白人達は、サーと称号をつけられて、呼ばれることを好む。
そして、それが、当然であると、平然としている。

アジア人は、奴隷であるという、感覚が未だに残る。
特に、紳士の国といわれるイギリスの男達は、酒が入ると、最も、行儀が悪いのである。

白人とは、劣等民族であることを、知らないのである。
肌の色が、白いのは、突然変異で出来た人間であることを、知らない。

ただ、その野蛮さが、勝って、世界制覇を成した。
野蛮な者が、生き残る時代だった。

色付き人間の土地から、あらゆる物を搾取して、成り立った、愚劣な国というものを、建てて、今に至る。

それを知り尽くすことである。

そして、差別撤回し、新しい世界を創りだす事である。
それしか、新しい時代の息吹は、無い。

彼らの、野蛮さを、骨抜きにして、世界を平和に導くことである。
そのために、日本が必要である。

何せ、神武天皇の御希望は、八紘一宇である。
つまり、世界は、一つの家であるという、考え方を有する国、日本である。

白人を憎むことなく、白人も使いようなのである。
馬鹿と鋏は、使いよう・・・

大昔、白人は、黒人の奴隷だった。
エジプトである。
その白人たちが、現在の、ユダヤ、キリスト、イスラム教の大元。

アラブの場合は、その白人の、妾の子の子孫である。
誰も言わないので、私が言う。


posted by 天山 at 06:12| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月28日

国を愛して何が悪い102

日本は、今でも、敗戦国であるという、重荷を背負わされている。
更に、侵略国であることも。

それが、茶番であった、東京裁判である。
更に、それを肯定し、それに上乗せして、日本人が、日本を貶めるということをした、賢い馬鹿者たちが、大勢いる。

沖縄返還では、莫大な金を出した。
更に、アメリカの沖縄基地は、そのままであり、その後の、基地のために、日本は、また莫大な金を払い続けている。

それだけの金があれば、日本軍の基地を作れる程である。

沖縄返還の際に、アメリカ国籍を取得したい人は、簡単にアメリカ国籍を取得出来た。しかし、日本国籍になりたい人たちは、沖縄に生きることを決めた。
そして、日本に返還されたことを、喜んだ。

日本に返還されても、アメリカの言うなりだったこと。
日本のことは、アメリカに筒抜けである。
何せ、アメリカの監視が、今も、延々として、続いている。

アメリカの意に添わないと、首相さえ、交代させられる。

55年体制といわれる、自民党政権時代・・・
以後、延々として、アメリカの支配を受けているのである。

更に、日本の金が、アメリカに還流する。
日本の借金は、アメリカへの、献金と、戦後保障の名での、支援金・・・その他・・・
その他というのは、中国、韓国という、脅しの国に金を払うのである。

つまり、自民党政権時代から、真っ当な政治というものが、行なわれて来なかったといえる。

今は・・・
今も、そうである。

アメリカが手を引けば、日本は、中国に取り込まれる。

どんなに自衛隊が、優れていても、核兵器が無い。
核兵器を突きつけられると、動けない。

世界平和は、日本では、そのまま、世界平和であるが・・・
欧米諸国では、国益が保障されての、世界平和である。

その点では、日本も韓国も、夢見る少女となる。

思春期の少年のように、平和を夢見るのである。

何度も言うが、白人の野蛮さというものを、芯から知らない。
更に、一神教の、生贄は、血の滴る動物の死骸である。

海賊行為が、一番の商売・・・
更に、イスラムは、泥棒が一番の商売なのである。

人間の出来からして、違うのである。

石原慎太郎の、新・堕落論から紹介する。

現時点でも、日本への乗り入れを希望しながら待ちぼうけを喰わされている外国の航空会社は三十五もあります。しかし首都東京の中に日本で最長の滑走路を持ち、ただの兵站基地として日常殆ど使われていない膨大な横田基地を保有しながら、それを返還するという意欲は彼等には全く無いし、日本側にも国益のためにせめてもの共同使用を進める意欲もありません。

横田を占領している、米軍基地である。

更に、驚くべきは、演習のためと称して、民間機を排除している空域は、成田、羽田、入間といった、飛行場の管制空域よりも、遥かに大きく、新潟県にも及び、ヨーロッパ、ロシア経由で日本に飛来する飛行機は、日本海を横断して、そのまま真っ直ぐ、成田に向うことが出来ず、その空域を迂回して、一旦太平洋に出て、成田に向うというのである。

アメリカは、何と、膨大な横田基地を、かつての世界大戦での、勝利の記念品と称しているということである。

石原は、高速で飛ぶ飛行機が、10分間短縮されるのは、経済利益としても、多大なものだと言う。

これに象徴されるように、未だに、日本は敗戦国の汚名を着せられているということである。
そして、政府も、何の手も打つことが出来ないでいるということ。

先にも、言ったが、それに輪をかけて、賢い馬鹿どもが、更に、気兼ねして、謝罪を繰り返し、金をばら撒くことを願うということ。
そして、益々と、日本の独立国としての、立場を危ういものにするという、愚劣である。

傲慢不遜な、白人は、そのままにしておくと、益々、付け上がる。
そこに持ってきて、人種差別である。

もう一度、戦争し直して、戦勝国にならなければ、日本には、救いがない・・・
と、思わせるほどである。

しかし、それは、短絡的過ぎる。

戦争より、日本文化の世界制覇である。

中国、韓国が、世界的に、反日のロビー活動を繰り広げている。
それが、参考になる。

日本も、徹底的に、日本文化のロビー活動を展開すべきである。

そして、異民族、異文化、異教徒との、架け橋となる、日本の精神を伝道すべきである。
日本が、最も、世界平和に貢献出来る国であることを、伝えるべきなのである。

建国から、2700年を経る日本は、異文化、異民族、異教徒を、排除せず、調和の中で、共栄共存させ得る道を、知る国である。

その象徴が、天皇陛下の存在であることは、歴史を見れば、一目瞭然である。

一神教、共産主義、あらゆる主張や主義を超えて、天皇の御心で、調和させるという、芸当が出来る国なのである。


posted by 天山 at 05:58| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月29日

国を愛して何が悪い103

結局、アメリカは、大東亜戦争に引きずり込むための計画を立てて、更に、アジアで白人に汚染されていない、最後の天地、満州を狙っていたのである。

ロシアも、そうだ。

そこで、白人中心で構成されていた、国際連盟の力を使い、満州国を承認しなかった。
日本は、その時、その座を蹴って、連盟を出た。

日本の、満州における、施政は、15年間ほどである。
その間、居住民にとって、安心して暮らせる、良い時代だった。

更に、シナ、満州、蒙古、朝鮮、日本人という、五族が、協和して、暮らしていたのである。

関東軍が、その治安に、意を払い、馬賊の侵入、ロシアの侵入を防いだからだ。

極東アジアに、初めて、アジア人の、アジア帝国が出来た。
更に、アジア人の、駆け込み寺のような、場所となった。

それに我慢なら無いとの、アメリカの思いである。

何度も書いているが、満州は、荒野だった。
そこに、日本が、オアシスを作り出した国である。

現在の中国の、近代化も、日本の残した満州の地が、あったればこそである。

敗戦により、結局、ロシアが大軍を満州に侵入させ、火事場泥棒の如く、狼藉を重ねて、日本人60万人を、奴隷狩りのように、拉致して、シベリアへ連れ去る。

その結果、6万人以上の人たちが、亡くなった。

近代史上、これ以上の悪辣な、残虐行為は、ない。

何故、日本人残留孤児が、満州人によって、育てられたか・・・
現地人が、日本の施政に感謝し、決して、恨んでいなかったという、証拠である。

そこで、アメリカは、その後、満州を手に出来たか・・・
出来なかった。
何も得ることが、無かったのである。
これは、誤算であった。

日本の満州進出が、侵略だろうか。
更に、朝鮮合併も、である。

それが、侵略だろうか。

日本が行なった、満州、朝鮮での行為が、植民地政策だったのか・・・

日本外交の一番の関心は、朝鮮半島だった。
それは、日本の生命線でもある。
防衛の第一であった。

清も、ロシアも狙いをつけていたのである。
それを守ったのが、日本である。

更に、日本は、朝鮮の自主独立を願い、独立を認めて、近代化を支援したのである。

明治の元勲、伊藤博文は、併合に関して、最後まで反対だった。
朝鮮の自力更生を願っていたのである。

更に、貧しい国を併合したなら、持ち出しが多く、国益にならない。
相手の面子を傷つけることにもなる。

その朝鮮の大恩人を、安重根が、ハルピン駅で、暗殺するという愚行である。
その罪人を、現在韓国の大統領は、像を造り、云々というから、終わっている。

当時の韓国内では、その反省と謝罪、償いから、併合推進の、一進会が作られ、併合推進運動が、起こったのである。

賛同者は、100万人を超えた。
つまり、韓国内の下からの運動によって、日韓併合がなったと、言ってよい。

それに関して、清も、欧米列強も、極東の安定のために良いことと、歓迎した程である。

韓国には、正しい歴史というものが、存在しない。
故に、このことも、歪に理解されている。

以前にも、書いたが、台湾なども、欧米型の植民地支配は、日本には、無い。
すべて、拓殖である。

白人主義は、奪い取る、植民地支配を知るが、与えるという、植民地支配を知らないのである。

戦没者追悼慰霊の活動で、パプアニューギニアのラバウルに出掛けた。
そこで、聞いた話は、特徴的だった。

戦時中の日本・・・その後の、日本・・・
日本は、いつも与えてくれた。
白人たちは、いつも、奪うばかりだ。
と、言うのである。

ラバウルと、隣町のココポという町しかない、島・・・
そこで、リゾートホテルがある。
現地の人と一切の、関わりを持たない。

泊り客は、皆、オーストラリアを中心とする、白人たちである。

経営するのも、白人・・・
今も、白人は、奪うことしかしない。
更に、その差別意識である。

現地人を蔑む。
しかし、キリスト教は、大手を振って存在する。

白人の優越意識は、変わらない。
歴史が続く限り、変わらない。
そして、搾取をして、憚らないのである。

これを、野蛮という。

posted by 天山 at 06:33| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月18日

国を愛して何が悪い104

白人の植民地政策の有様を見れば、一目瞭然である。
その、悲惨さである。

例えば、アジアでは、フィリピンである。

最初は、セブ島の先にある、マクタン島に、マゼランが来た、1521年である。
マゼランは、スペイン王の名において、セブ島内の内戦を口実に、介入するが、原住民の矢に当たり、死亡する。

だが、スペイン軍は、遠征隊を送り込み、次々と、島を占領し、1571年にマニラを陥落した。

元は、イスラム教だった、フィリピンをキリスト教に改宗させるべく、残虐行為に及ぶ。

その手先が、宣教師たちである。
相変わらずの、宣撫政策。

1860年に、スペインに内乱が生じると、フィリピン国内では、知識階級による、自由獲得運動が盛んになる。
それが、農民の一揆、キリスト教会の分裂などと、騒然とした雰囲気になる。

勿論、弾圧が起こる。

つまり、フィリピンは、おおよそ、300年に渡るスペインの統治独裁政策を受けていた。

更に、その後は、1898年のアメリカである。
米西戦争により、スペインは、2000万ドルで、フィリピンをアメリカに売る。

それが、1941年の、日本軍の占領まで、続く。

そこで、フィリピンでは、長い植民地時代により、おおよその現地の文化的なものを、捨て去った。

今、植民地時代を振り返ると、スペインは、キリスト教を与え、アメリカは、近代化を教えたというが・・・

これは、非常に好意的な見方である。

島々には、スペイン時代の悪しき伝統が息づいている。
決して、フィリピンの人たちが、富むことのない、システムである。

更に、英語を取り入れたことによる、弊害は、実に大きい。
英語を取り入れて、豊かになっただろうか。
精々、海外に出稼ぎに出掛けるための、言葉としてある。

フィリピンには、文化的なものは、一つも無い。
あっても、キリスト教の教会である。

更に、芸術分野も全く無し。

キリスト教という、文化が、すべて破壊させたことを、知らない。
しかし、今は、カトリックの国といわれる。

人を殺すのに、五千円程度で、請け負う人がいる国が、カトリックの国である。

英語を主にすることから、英語の国、イギリス、アメリカの文化には、適わない。更に、あらゆる文化的行為に、アメリカが生きている。

アメリカンの食事を主にする。
それが、贅沢なのである。

つまり、食事ではなく、餌の食文化である。

フィリピン人は、平然として、言う。
命より、お金が大事・・・
でも、命が無ければ、お金があっても・・・
それでも、お金が大事・・・

遺産相続では、平気で兄弟、親戚などを殺す国。

それなのに、教会には、多くの人が集う。
祈る。
長年の絶望感に麻痺して、祈りを上げるという、姿である。

一部、 知識人が言う。
もし、フィリピンが日本の統治を受けていたら・・・
フィリピンは、自国の文化を持ち、発展していた、と。

今も、状況を良く知らないフィリピンの人が言う。
日本軍から、アメリカが救い出してくれた・・・

そのアメリカに飼い慣らされて・・・
すべてを、アメリカに真似た。
その結果が、現在のフィリピンである。

だが、アメリカも、金ばかりかかる、フィリピンから、撤退するのである。
手始めは、米軍基地。

沖縄の基地は、手放さないが・・・
フィリピンの基地は、手放した。
日本には、金がある。日本には、金をたかれる、のである。

現在は、中国の台頭により、フィリピンにも、米軍の力を注ぐようになったが・・・

フィリピンの、ビサヤ諸島には、フィリピン魂を説く人たちがいる。
イスラムである。

フィリピン人の魂がある、と、力説する。
それを聞いていると、少し悲しくなる。

ミンダナオ島のモロ・イスラム勢力が、ようやくマニラ政府と和解案に合意した。それも、日本が、立ち会ってのことである。

イスラム勢力は、日本の立ち入りを求めた。
何故か。
日本は、宗教の国ではない。
マニラ政府が要請するのは、キリスト教の国ばかりである。
それでは、話し合いにならないのである。

私は、その日本に世界平和の鍵を見る。

民族、宗教の壁を超えて、話し合いの出来る国、日本になっているのである。


posted by 天山 at 06:58| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月19日

国を愛して何が悪い105

大東亜戦争後のアジア各国の内戦による死者が、戦争中の死者をはるかに上回っている事実を指摘する者がいったい何人いただろうか。
黄 文雄

こうした民族同士の殺し合いが、日本軍引き上げの直後に各地で噴出した現状を見て、戦前にいわれた「大東亜の新秩序」の意味を再び考える人がいなかったのだろうか。それをただ「日本の侵略の後遺症」だとか「共産主義革命のせい」だといって説明がつくものなのだろうか。


事実を知れば、知るほど、現在の東アジアの、三国の言う、戦犯国家日本という、言い分が、実に滑稽に思えるのである。

朝鮮半島の分断まで、日本の責任だという、韓国、朝鮮の学者が多いが・・・
それでは、彼らは、その責任を感じているのか・・・

日本のせいにしていれば、安泰なのである。

朝鮮も、中国も、その歴史を見れば、一目瞭然。
有史以来、内紛の絶えなかった国である。

日本が、統治していた時代の方が、実に安定していたのである。

戦後の朝鮮戦争は、もともとの朝鮮の姿に立ち戻ったものにすぎない。中国の国共内戦も、ベトナム戦争も、カンボジア内紛もみなしかりである。


台湾では、日本統治時代、台湾人による政治運動が、取締りを受けたこともあるが、大正デモクラシーの時代を経て、死刑判決を下されたことは、無かった。

だが、中国軍が台湾に入ると、二年もしないうちに、全島を揺るがす、血の二・二八事件が発生する。
中国軍の台湾人粛清により、三万人もの人が、虐殺された。

また、マレーシア、ビルマ、インドネシアも、独立のために、戦争を繰り返し、独立後も度々起こる、軍事クーデターにより、多くの血を流した。

西欧の国が、そうだったように、近代国家を築いてゆく上で、流血は、避けられないのである。
それは、日本の侵略とは、何の関係も無い。

さて、日本軍が、東南アジアへ進撃したのは、昭和16年である。
それから、長く見積もっても、四年の歳月である。

その、東南アジアは、大航海時代の初期から、数百年に渡り、西欧の植民地にされて、搾取され続けていた。

それが、日本軍が進出することで、インドを除く、東南アジア全域から、白人が追放された。

日本軍主導による、東亜新秩序が、打ち立てられたのである。
だが、大東亜戦争は、激しさを増し、軍政は、当たり前のこととなった。

勿論、軍政による、占領は植民地からの開放には、ならない。

日本が、東南アジア諸国に、独立を許したのは、占領から、それほど遅い時期ではない。

フランス領ベトナムでは、昭和19年3月、フランス軍を武装解除させ、前アンナン皇帝である、バオダイ帝を擁して、独立宣言を行なわせた。

そして、ビルマ、フィリピン、インドネシアと、続く。

だが、例えば、ロシア革命は、抑圧される民族を解放するといって、ソビエト連邦を樹立したが、ソ連は、その後、一体誰を解放したのか・・・

中国は、チベットの農奴を解放するといって、進駐したが、チベット人は、解放されたか・・・

日本が、軍政をしいて、占領したということは、国際的常識に見て、当たり前のことである。

日本だけを、それを持って、攻撃するのは、世界が笑う。

さて、もう一つ、書いておきたいことは、白人を追放しただけではない。
その白人の手先となって、植民地支配の利益を貪る、華僑を追放、静粛したことである。

華僑は、東南アジアで、独自の社会を作り、白人の植民地統治者の、番頭として働くことになる。

現地人は、政治的に支配され、華僑により、経済的に支配されたのである。

勿論、搾取である。
西欧の、植民地支配は、代理統治する人種を設定する。
アジアでは、ミャンマーを境に、インド洋からアフリカが、印僑で、東側が華僑である。

であるから、現在に至っても、現地人の華僑に対する反感は、消えていない。

東南アジアで、華僑に対して、最も厳しい措置を取るのは、インドネシアである。
全体の三パーセントに満たない華僑人口であるが・・・
それほど、嫌われている。

インドネシアの独立運動は、華僑の経済搾取に反抗するための、運動でもあったという、事実である。

最初に誕生した、イスラム同盟の運動は、直接的に、華僑を排斥する運動となったほどだ。

日本軍と、ビルマ独立軍が、ラングーンを開放したとき、まず追放したのが、イギリス人と手を組んで、ビルマを搾取していた、印僑と、華僑である。

彼らの追放なくして、植民地からの、開放はなかったのである。

華僑の本質は、現地人を蔑視し、居住地の民族とは、同化しない。そして、資本は、地元に還元しない。利益を独占する。

マレーシアでは、日本軍による、華僑の粛清が無ければ、その独立は、無かった。
華僑を追放し、マレー人を教育して、人材を育てた。
その人たちが、マレーシアという国の基礎を作ったのである。

マレーシアは、イスラムの国ではあるが、天皇陛下に対する、崇敬が強いことでも、日本に対する思いが、解る。

現在は、アフリカ諸国も、中国人の手を見据えたようで、反中国に目覚めている。

アフリカの資源は、搾取するが、アフリカには、何も残さないという、状態になることを、見抜いたのである。

中国人を憎むものではないが、中国人というものの、本質を覚えておくことである。


posted by 天山 at 07:01| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月20日

国を愛して何が悪い106

日本には、世界で、唯一というものが、多数存在する。

その中でも、みずから日本が、他国を侵略したと、叫ぶ者が多々存在するという、不思議である。

このような、マゾヒスト的人間が、進歩的文化人などと、言われる、愚劣である。

ノーベル賞作家などは、真面目に、日本人であることが、苦痛とまで言う。
ならば、自分の好きな国に、住むことである。が、住まない。
のうのうとして、自由な日本に住み続けて、そのような、たわごとを言う。

共産主義が、好きならば、中国、北朝鮮に住むことが出来る時代である。
だが、日本に居て、のうのとして、言いたい放題を言う。

そもそもこのような自虐的史観は、「世界革命、人類解放」を叫ぶ社会主義の夢と呼応するもので、歴史的使命を背負って国家を否定し、国家の死滅を理想としてそれを後世に伝えようというものである。これは現実からきわめて遊離した妄想であるが、中国では紀元前の時代から「大同世界」という名で世界国家は夢見られていた。
黄 文雄

だいたい近隣諸国から教科書の内容にいちいち口出しされ、それを唯々諾々と受け止めて、国家に反するような歴史を自分の子弟に教えようとする国など、日本をのぞいて世界に一つもあるまい。ところが現実に国家が消滅しないのは、日本が思った以上に健全な国であるためだろうか。


日本が消滅しないのは、天皇の存在があるからである。
天皇の存在無ければ、消滅する。

黄氏は、
日本は敗戦を契機に20世紀後半から虚脱感にとらわれたまま、何の使命も感じず、ひたすら平和を祈るだけの「念仏平和主義」に陥っている。
と、書く。

これは、日本のサヨク勢力のお陰である。
平和を唱えていれば、平和なのだと、思い込む、妄想である。

外国を信頼しさえすれば自衛権も交戦権も放棄するとは、崇高なる平和精神であるが、そのように恒久平和は幻想のなかにしか存在しない。「自衛権」とはほかならぬ「生存権」なのである。自衛権の放棄とは生存権の放棄となる。生存権を放棄してどうするというのだろうか。諸国を信頼するということがいかに危険であるか、戦後の国家紛争の歴史を見れば一目瞭然だろう。


自衛権のない国は、他国の保護国になっている国である。軍備のない国家は独立国ではない。それを知らないのは日本の平和主義者だけである。


まさに、その通りである。
つまり、日本は、アメリカの保護国なのである。
だから・・・
何とでも、言える。そして、念仏平和主義に陥っていられる。

おめでたい、というのか、アホなのか、馬鹿なのか・・・
間抜けなのか・・・糞っ垂れなのか・・・

アメリカ占領政策で、作られた通りに、日本の敗戦後は、進んでいる。

その七年の間に・・・
日本を支配下に置くために、周到なシステムを作り上げた。
日本が白人、そして、戦勝国、中国、それに便乗する韓国などに、歯向かってこないように、永続的な支配体制を確立する。

その一つのコマが、官僚制度である。
ちなみに、他の二つは、天皇制の存続。マスコミの飼いならしである。

官僚達は、アメリカの意のままに動くようになる。
その手先となったのが、東大法学部教授である、横田喜三郎だった。

敗戦後の、自虐史観を定着させた、売国奴、先祖の因縁の悪い、横田である。

敗戦後は、東大はじめ、立身出世、自己保身のために、占領政策に迎合する学者が出たのである。

平たく言えば、ずるい奴等である。

その中でも、官僚を多く輩出した東大法学部・・・
その要が、先祖の因縁の悪い、横田喜三郎である。

彼は、戦争犯罪論なる書を上梓して、東京裁判の正当性を訴え、日本有罪論を展開する。

説明するのも、胸糞悪くなるので、簡単に書く。

「平和に対する罪」は、形式的な法の技術的な立場からすると、いくらかの不備や弱点はあるが、実質的な法の精神的な立場からすると、やはり、「戦争犯罪」としての性質を有することがあきらかにされた。これを処罰することは、十分な理由がある。
横田・・・

すでに、東京裁判に対する、疑問の声が多々上がって来た時期である。
その時に、当事国から、そのような法学者が出た。

それにより、東京裁判の判決が急がれ、大詰めの作業が行なわれた。
つまり、アメリカ占領軍だけではなく、日本にも、このように、売国的行為をする者が、現れたのである。

勿論、その後出世する。

呆れるのは、東京裁判を全身全霊で擁護し、1948年までは、自衛隊を完全否定し、昭和天皇の戦争責任を追及すると同時に、天皇制の廃止を盛り込んだ、人民主権主義論、という、愚劣な論を唱えていたことである。

こういう者の下から、官僚が生まれてくるという、狂いである。

民主主義が生まれた国、イギリスは、君主を置く。
それでは、矛盾する。しかし、軽薄な横田は、それを見ずして、天皇制の廃止・・・

そして、戦前の日本の全否定である。
この、亡霊が、今も、浮遊しているのである。
勿論、まともな、霊位になっていないのは、当然である。

国賊、売国奴・・・
今も、この子孫が、跋扈していると、見る。

日本の伝統を否定する歴史観で日本人を戦後、マインドコントロールし、贖罪意識を植え付け、現世利益、その場限りの現実主義を定着させた横田の罪は誠に大きい。現在に至るまでその呪縛は解けていません。
前野 徹


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2013年11月21日

国を愛して何が悪い107

日本人から国家観が消え、祖国を嫌悪する若者が次々と輩出されるようになったのは、アメリカの占領政策だけが原因ではありません。アメリカはソ連の共産主義も最大限に活用して、日本を骨抜きにしました。左翼勢力と合体して徹底したマインドコントロールが行なわれた結果です。
前野 徹 歴史の真実

ということで・・・
如何に、極悪非道を行なったかということである。
共産主義とは、アメリカ民主主義の敵である。

ロシア革命の直後、レーニンは、ソビエトを守る意味で、コミンテルを組織し、全世界に支部を作る。
日本共産党は、その極東委員会日本支部として、誕生した。

レーニンは、帝国主義戦争と内乱、というスローガンを掲げて、戦時にあっては、後方をかく乱させ、民族国家、主権国家を敗北に導くという、ソ連の革命戦略を起こした。

以前に、書いている通り。
この共産主義運動は、第二次世界大戦より、多くの死者を出したのである。

コミンテルの、32年テーゼ、36年テーゼで、日本の左翼分子に与えられた役割は、天皇制打倒、そして、日本の転覆である。

この悪魔の思想は、キリスト教から生まれたということも、以前、書いている。
マルクスは、神学生だった。

敗戦後、GHQの後押しにより、革新勢力は、息を吹き返す。
社会主義者たちは、社会主義革命と、ソ連擁護を掲げて、政府を弱体化させるべく、行動するのである。

共産党、社会党が唱える、軍備、警察力の否定、集団安全保障体制の否定。

特に、左翼勢力が力を入れたのが、教育である。

このような、破壊的な共産主義が、世界的な規模になると、世界は滅亡しただろう。

敗戦直後の、1945年9月15日、東久邇宮内閣が、新日本建設の教育方針を出した時、即座に、占領軍は、それを認めず、教育改革を性急に実施した。

教育内容、教育関係者をチェックし、教科書、教材に関して、調査と取り締まりを行なう。そして、教員の自由な政治活動を保証するという。

教員の組合には、助成するという、抜本的改革まで、やってのけた。

従って、占領軍に従わない人の、教職追放指令が出され、更には、神道に関わる教育、行事などを、全面的に禁止した。
修身、日本史、地理の授業を停止し、教育勅語も廃止、日本の教育は、完全に解体されたのである。

恐るべき、戦略である。
逆に見れば、それほど、日本と日本人が、恐ろしかったのである。

白人の敵とされた・・・

この政策に、便乗したのが、左翼勢力である。
1945年に、全日本教員組合、日本教育者組合が、出来る。
更に、それが、統合され、1947年、日本教職員組合、日教組が、誕生する。

この、日教組が、悪魔の集団と成り果てるのである。

共産党、社会党支持を強めて、日本の解体に、参加する。
その裏には、ソ連のコミンテル、中国共産党が存在した。

その際、文部省が、しっかりとコントロールすれば・・・
少しは、救いがあったが・・・
利権を獲得するために、日教組と、組んだのである。

文部省の認可、検定・・・
規制があるところ、権益がある。
莫大な既得権益を確保するため、日教組を利用するという、官僚にあるまじき、体質になってゆくのである。

つまり、教育は、日教組に、乗っ取られたのである。
悲劇のはじまり・・・

思想、教育、ヤクザに成り果てた、日教組・・・

もう一つ、労働組合・・・
左翼勢力に、取り込まれる。

共産主義国家を見れば、一目瞭然だが・・・
汚職、賄賂は、当たり前。
組合貴族といわれる、人たちが現れる。

天皇制打倒、階級闘争・・・
それが、如何に、滑稽なものか。

占領軍は、それさえも、利用するのである。
労働運動が解禁される。
そして、彼らは、ある事無いこと・・・拡散させる。

戦前、戦中の支配層が、徹底的に糾弾されるという、状況も起きた。

日本史は、敗戦まで、すべて悪いものだと言うのである。
育てて貰った親に楯突く、子供である。

今も、変わりなく、やっている。

そこから、総評、後の、連合が出来る。
共産党、社会党、日教組、連合・・・
まともな国、まともな日本人が、育つ訳が無い。

その社会党の大勢が、民主党という、政党を作る。
その三年半は、地獄の政治だったことは、新しい。

売国奴や、アンポンタンが大勢出た。
賢い馬鹿という、奴である。

受験に通るが、頭が悪い。
先祖の因縁が悪い。

権利を声だかに言うが、責任は、取らない。
大きな勘違いの中で、人生を送る。

そして、反日の大多数が、それらである。
更に、国外にも、反日の輪を広げている。

心地よい言葉、自由、博愛、平等、戦争放棄、平和主義を好み・・・
妄想全開の様、あはれ・・・である。



posted by 天山 at 07:01| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月22日

国を愛して何が悪い108

占領軍が、日本解体の柱として据えたものの、一つが、マスコミの飼い慣らしである。

占領軍の、情報操作、言論統制は、占領統治が始まると、同時に行なわれた。
つまり、それは、周到に、準備されていたということである。

それについては、江藤淳の、閉ざされた言語空間、という、本に詳しく、記されている。
戦前から、アメリカは、幾多の戦争により、言論統制というものを、各種行なっていたことが、解る。

そして、日本でも・・・
当然の如くである。

1945年9月、占領軍は、プレスコードを発表する。つまり、新聞規約である。

連合国占領軍に対し、マイナスになるような批判、不信、怨恨などを感じさせる事項を掲載、放送しては、いけないというものである。

更に、10月には、一切の報道内容に対して、事前検閲を行なうことを、決定した。
検閲事項の細則を各新聞社、出版社に通達し、検閲体制を整える。

これにより、反米的な情報は、とりわけ、東京裁判と、原爆投下に関する、批判を厳しく禁じたのである。

長崎の鐘、で知られる、永井隆の本は、最初、問題ありと、されたが・・・
その中に、原爆は、神の意思云々とあり、それにより、出版を許されたという、経緯がある。

原爆投下も、神の御心である・・・
信仰は、常に、蒙昧を生むものであることが、解る。

さて、マスコミの自由を奪い、マスコミの飼い慣らしが、始まる。
日本のジャーナリズムは、それに唯々諾々と従ったのである。

その代表が、新聞では、朝日、毎日、共同であり、放送では、NHKである。

NHKは、まさに、国民の洗脳放送を成した。

1947年10月8日には、朝日、読売、毎日の三大紙が、南京虐殺という、捏造記事を掲載する。
その、捏造は、更にエスカレートし、反日マスコミと、中国との連携により、嘘の上塗りをし続けてゆく。

更に、日本が独立し、占領軍が撤退しても、マスコミは、自虐史観の流布、育成に努めるという・・・

侵略、虐殺に関する情報は、事実関係を調べることなく、垂れ流したのである。

それが、金にもなる訳で、捏造の物語を書く者も、現れた。

国民は、意図的な、左翼知識人たちの、喧伝に流れて、洗脳される。
ついには、客観的に、歴史を見る目も、奪われたのである。

反日は、日本から始まる。
それが、左翼勢力なのである。
その売国奴たちは、国内で、要人の発言や、意に添わない教科書の歴史記述があると、大々的に報道し、更には、中国、韓国に、わざわざ、報告するという、戯けたことをするのである。

更に、酷いことは、日本の反日マスコミは、アジアの主要都市に、反日思想者のエージェントを置き、国内で事件が起きると、現地に伝え、否定的な反応を集めて、国民に、これが、アジアの声であると、報道する。

この、反日ネットワークでは、反日華僑が大きな役割を果たす。

韓国の盧泰愚大統領が、言う。
従軍慰安婦問題も、日本のマスコミが騒ぎ立ててやかましく言ってくるので、当方はそれに応えたまでのことだ。

何故、日本人が、そのように、自国を貶めることをするのか・・・
それは、左翼マスコミの目的が、コミンテルのテーゼに基づく、日本の亡国を求め、社会主義が、瓦解し、革命の展望が消滅した今も、左翼の国家弱体化という、神経症に侵されているからである。

更に、彼らの、先祖の因縁が悪いのである。

この言論の自由な日本にいて、のうのうと、自国を貶める行為をしても、意に介さないのは、彼等の人間性と、その因縁によるものであること、明々白日である。

中国は、共産党一党独裁の国である。
社会主義は、最早、成り立たないのである。

日本は、民主主義の国である。

中国、北朝鮮の国の在り方を見れば、国家として、成熟しているとは、考えられないのである。

日本は、2700年の伝統を有する、天皇陛下を戴き、その歴史は、世界に冠たるものである。

更に、日本の精神文化は、これも、世界に類を見ないものである。

日本という国が、一つの文明圏であることを、知るべきであるが・・・
左翼系の人たちは、それを知ることの意味も、不案内で、ただ、迷うだけである。

ということで、私は、日本の精神・・・
また、精神史について、書く必要がある。

それには、まず、武士道からの、日本人の精神を紹介し、更に、古代からの、精神史を俯瞰しなければならない。

白人主義とは、全く異質、アングロサクソンという、野蛮な人種とは、全く別な、日本人の性質、民族の出来方、それらを、知る必要がある。

そして、いずれ、この日本の精神によって、世界が、平和になることを、知るべく、紹介しなければならない。

何故なら、白人主義の作り上げた文明では、世界の先が無いからである。

彼らは、賢いのだが・・・
天地自然に対する、その命への、畏敬が皆無である。

そして、それは、彼らが、作り上げた、宗教との闘いでもある。
私達、日本人が、彼らと戦うのではない。

彼らが、これから、その宗教感覚と、戦う必要があるのだ。

ユダヤ、キリスト、イスラム教は、人類滅亡の宗教観を有するのである。

終末思想というものは、すべて、欧米から、もたらされるものである。
彼らは、循環の思想を持たない。
ただ、一直線の思想を持つ。

人間と対立する、神である。
その神への、道が、終末思想なのである。


posted by 天山 at 06:59| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月04日

国を愛して何が悪い109

明治の偉大な、教育者であり、農学者であり、内村鑑三と並ぶ、敬虔なキリスト教徒であった、新渡戸稲造が「BUSHIDO---THE SOUL OF JAPAN」日本の魂、という英文の名著を残している。

これは、アメリカで刊行されるや、欧米各国で、ベストセラーになり、日本語版も版を重ねて、世界各国で広く迎え入れられた。

セオドア・ルーズベルト大統領、エジソンも愛読者で、特に、ルーズベルトは、これを一読し、深く感動して、多くの友人、知人に贈呈したという。

何故、新渡戸が、これを書くことになったのか・・・
それは、キリスト教徒である、欧米の知識人たちから、宗教教育のない日本で、人々が、どのように子孫に道徳教育を行なっているのか、という質問、疑問を度々、投げかけられたからである。

それは、欧米人は、宗教教育なくば、道徳というものが、生まれないという、強い観念に縛られているということである。
つまり、宗教がなければ、野放図な人間になってしまうということでも、ある。

とすると、日本には、日常的に、宗教教育に近いものが存在するということである。
道徳教育を、宗教教育と、考えるとすると、である。

日本人の、日常生活の中で行なわれる、様々な、伝統的な、教え・・・
これは、宗教教育ではなく、そのまま、伝統教育といえるものである。

神仏に対して、自然に身に付けた、所作・・・
それは、教えられるというより、自然に身に付けて行くものである。

だから、新渡戸の、武士道という本が出た時に、欧米人は、驚いたのである。
更に、それは、武士の道・・・
彼らには、騎士の道があるではないか・・・

しかし、それとも、違うのである。

だが、武士道とは、武士における、道であろう。
それが、日本人全般に行き渡るという、新渡戸の、武士道というものを、見る価値はある。

武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である。それは古代から徳が乾からびた標本となって、我が国の歴史のサク葉集に保存せられているのではない。それは今なお我々の間における力と美と活ける対象である。それはなんら手に触れうべき形態を取らないけれども、それにかかわらず道徳的雰囲気を香らせ、我々をして今なおその力強き支配のもとにあるを自覚せしめる。・・・
封建制度の子たる武士道の光はその母たる制度の死にし後にも生き残って、今なお我々の道徳の道を照らしている。
新渡戸稲造

新渡戸は、その試みを、第一に、我が武士道の起源および淵源、第二に、その特性および教訓、第三に、その民衆に及ぼしたる感化、第四に、その感化の継続性、永久性を述べるという。

ブシドウは、字義的には武士道、すなわち武士がその職業においてまた日常生活において守るべき道を意味する。
新渡戸

つまり、武人階級の身分に伴う義務である。
武士の掟・・・

それは、民族的特性を極めて、顕著に表現することになる。

ゆえに、非常に難しいものとなる。
武士道に対するものとして、騎士道なるものがあり、だが、それも失われて久しいのである。

勿論、騎士道にも、潜在的に、それに起因する様々な、問題解決の道があり、礼節という意味では、失われていない。
更に言えば、ジェントルマン、紳士という言葉に進化した。

武士道は、道徳原理の掟であり、武士が守るべきことを要求されるものであり、教えられるものである。

それは成文法ではない。
新渡戸

口伝により、もしくは、数人の有名な武士、学者によって、伝えられる、わずかな格言のみ。

むしろそれは語られず書かれざる掟、心の肉碑に録される律法たることが多い。
新渡戸

ちなみに、武士道の大本は、葉隠、という書にある。

鍋島藩の藩士である、山本常朝、やまもとじょうちょう、の、葉隠である。

それは、後々に紹介する。

武士道は、不言不文である。
実行、行為によってのみ、それが表現される。
更に、それは、数十年、数百年を経ての、武士の生活の有機的発達である。

イギリスにおいて封建制の政治的諸制度はノルマン征服の時代に発していると言われるが、日本においてもその興起は12世紀末、源頼朝の制覇と時代を同じくするものと言いうるであろう。しかしながらイギリスにおいて封建制の社会的諸要素は遠く征服者ウィリアム以前の時代に遡るがごとく、日本における封建制の萌芽もまた上述の時代より遥か以前から存在していたのである。
新渡戸

武士の起こる前から、存在していた、武人というもの。

日本最古の歌集、万葉集では、防人が存在する。
更に、朝鮮半島に出兵した兵士たち・・・

武士道の前に、武人の心構えというものがある。

建国の神武天皇の、神武の、武は、矛を収めて、和平によって、政を執り行うという意味で、使われたのである。

武人は、神武天皇からはじまる。
つまり、日本建国から、はじまっているということだ。

posted by 天山 at 04:51| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月05日

国を愛して何が悪い110

新渡戸は、武士道の淵源を語るに、仏教から、はじめている。

運命に任すという平静なる感覚、不可避に対する静かなる服従、危険災禍に直面してのストイック的なる沈着、生を賤しみ死を親しむ心、仏教は武士道に対してこれらを寄与した。
新渡戸

確かに、そのようである。

剣の達人、柳生宗則但馬守は、その門弟に、極意を教えた後、これ以上の事は余の指南の及ぶところではなく、禅の教えに譲らねばならない、と、言った。

この、禅は、剣の道に実に、貢献したといえる。
禅とは、
言語による表現の範囲を超えたる思想の領域に、瞑想をもって達せんとする人間の努力を意味する。
新渡戸

という、ことだ。
言葉遊びの禅ではない。

禅は、それゆえ、行為を重んじる人たちに、支持された。

例えば、茶の湯である。
その心の、置き所を確たるものにする。

言語を超えるとは・・・
それは、行為にある、心得である。
そして、それは、また、百人百様の様がある。
つまり、己で、知る世界であるから、人に云々と、解かれても、如何ともし難いものである。

職業宗教家の、禅は、論外である。
つまり、瞑想なのである。

その瞑想をよくする者は、行為者である。

新渡戸は、
私の了解する限りにおいては、すべての現象の底に横たわる原理、能うべくんば絶対そのものを確知し、かくして自己をばこの絶対と調和せしむるにある。
と、言う。

そして、それは、一宗派の教義以上のものである。

絶対の洞察に達したる者は、現世の事象を脱俗して「新しき天と新しき地」とに覚醒するのである。
新渡戸

キリスト教徒でも、瞑想は、必要である。
黙想とか、気付きの沈黙の行為とか・・・

しかし、白人キリスト教徒は、その言語の頼ることに慣れて、兎に角、言語での説明を求めるゆえに、東洋の瞑想を理解するのは、至難の業である。

禅の瞑想は、インドのヨガから、発展したものであるが、日本にて、更に、その瞑想を推し進めた。
それは、宗教者以外に、特に支持された傾向がある。

武蔵は、最後に、剣を取らずに、相手に勝つことを、説く。
その境地にまで、達するのである。

それは、死を恐れることのない、絶対的境地を得るからだろう・・・
と、簡単に書けるが・・・

現代の物質文明の中にあっては、それを理解するのは、不可能に近い気がする。

次に、新渡戸は、仏教が、与えなかったものを、神道が供給したと、言う。

神道の教義によりて刻みこまれたる主君に対する忠誠、先祖に対する尊敬、ならびに親に対する孝行は、他のいかなる宗教によっても教えられなかったものであって、これによって武士の傲慢なる性格に服従性が賦与せられた。
新渡戸

ここに神道を見た、新渡戸は、実に賢い。

何故なら、神道では、そのようなことを、言挙げしないのである。
しかし、無言のうちに、それを伝えていたということである。

その、所作に、それを伝えた神道の業である。

新渡戸の、武士道という、語り尽くせぬ源流を、ここに置いたことは、正解である。

彼は、キリスト教徒である。
故に、実に、キリスト教徒に対して、説得力がある。

神道の神学には「原罪」の教義がない。
新渡戸

神道には、神学など無いし、必要としない。
しかし、あえて、神学と書くところは、キリスト教徒を意識してのことである。

人の心の本来善にして神のごとく清浄なることを信じ、神託の宣べらるべき至聖所としてこれを崇め貴ぶ。神社に詣ずる者は誰でも観るごとく、その礼拝の対象および道具は甚だ少なく、奥殿に掲げられたる素鏡がその備え付けの主要部分を成すのである。
新渡戸

鏡のみ・・・

それは人の心を表わすものであって、心が完全に平静かつ明澄なる時は神の御姿を映す。
新渡戸

つまり、偶像礼拝ではないのである。

この故に人もし神前に立ちて礼拝する時は、鏡の輝く面に自己の像の映れるを見るであろう。かくてその礼拝の行為は、「汝自身を知れ」という旧きデルフィの神託と同一に帰するのである。
新渡戸

この、汝自身を知れ、とは、道徳的性質の内省たるもの。
つまり、神道の礼拝の根幹は、それ、己の道徳的性質の、内省、というのである。

これほど、明確に、神道の参拝を説明したものはない。
鏡に映る、我が道徳の姿を観る。

この道徳を、大和言葉で言えば、神ながらの道、かんながらのみち、となる。
唯神道、である。

新渡戸の、武士道は、見事な日本論である。


posted by 天山 at 07:08| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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