2014年07月19日

もののあわれについて688

六条の院は、なま心苦しう、さまざま思し乱る。紫の上も、かかる御定めなど、かねてもほの聞き給ひけれど、「さしもあらじ。前斎院をもねんごろに聞え給ふやうなりしかど、わざとしも思しとげずなりにしを」など思して、紫「さる事やある」とも問ひ聞え給はず、何心もなくておはするに、いとほしく「この事をいかに思さむ。わが心はつゆも変はるまじく、さる事あらむにつけては、なかなかいとど深さこそまさらめ。見定め給はざらむ程、いかに思ひ疑ひ給はむ」など安からず思さる。今の年ごろとなりては、ましてかたみに隔て聞え給ふことなく、あはれなる御中なれば、しばし心に隔て残したることあらむもいぶせきを、その夜はうちやすみて明かし給ひつ。




六条の院、源氏は、何か気になり、あれこれと、思案する。紫の上も、このような、婿君選びのことなどを、以前からちらちらと、耳にしていたが、そんなことは、あるまい。前斎院にも、熱心におっしゃったようだが、ご自分のお考えで、諦めたのだしなど、思い、そんな話がありますの、と伺うこともされず、平気な顔でいらっしゃるゆえ、源氏は、可愛そうで、この事を、何と思うだろう。私の心は、少しも変わるはずはなく、そんなことになれば、かえって、一層深くなるだろう。それが、解らない間は、どんなに疑うだろう。など、気掛かりである。
近頃は、一層、お互いに隔てなく、あはれなる仲であるから、しばらくでも、心に隠していることがあるのも、気が重い。その夜は、そのまま寝て、朝を迎えた。

あはれなる御中なれば・・・
この、あはれ、は、二人の仲のことである。
しっくりと、うまく行っている状態である。
ここでも、また、あはれの風景が、広がっている。




またの日、雪うち降り空の気色ももののあはれに、過ぎにし方行く先の御物語聞えかはし給ふ。
源氏「院のたのもしげなくなり給ひたる、御とぶらひに参りて、あはれなることどものありつるかな。女三の宮の御事をいと捨て難げに思して、しかじかなむ宣はせつけしかば、心苦しくて、え聞えいなびずなりにしを、ことごとしくぞ人は言ひなさむかし。今はさやうのこともうひうひしく、すさまじく思ひなりにたれば、人づてに気色ばませ給ひしには、とかくのがれ聞えしを、対面のついでに、心深きさまなる事どもを宣ひ続けしには、えすくずくしくもかへさひ申さでなむ。深き御山住みにうつろひ給はむ程にこそは、渡し奉らめ。あぢきなくや思さるべき。いみじき事ありとも、御為めあるより変はる事はさらにあるまじきを、心なおき給ひそよ。かの御為のこそ心苦しからめ。それもかたはならずもてなしてむ。誰も誰ものどかにて過ぐし給はば」など聞え給ふ。




翌日は、雪がちらついて、空模様も、物思いさせ、昔のこと、将来のことを、話し合われる。
源氏は、院が、弱り遊ばしたのを、お見舞いに参上したところ、悲しいことが、色々ありました。女三の宮の御事を、とても残して行く気がしないと、こうこうこういうことを、仰せられたので、お気の毒で、お断り申し上げようもなくなったのを、大袈裟に、皆は取り沙汰するだろう。もう今は、そのようなことも、気恥ずかしく、とんでもないと思うようになったので、人を通して、それとなく、おっしゃったときは、何とか、逃げましたが、お目にかかった折に、お心の深くに、思いのことを色々と、仰せられたので、素気無く、お断りも出来ずに。山深いお寺に、お移り遊ばす頃、お連れ申し上げよう。
面白くなく思うだろうが、どんなことがあっても、あなたは、今までと変わることなく、私を信じてください。あの方こそ、お気の毒なこと。あちらも、見苦しくないように、お持て成ししょう。どなたも、行く末長く思って暮らされたら、などと、申し上げる。

空の気色ももののあはれに
空模様も、もののあはれ・・・
それは、それを見る者の心境である。
何となく、物思わせる、風情である。

あはれなることどもの
色々なことがあった。
色々な話である。
色々な悩み事・・・

あはれ、という言葉でしか、表現の出来ない事ども、である。




はかなき御すさびごとをだに、めざましきものに思して、心安からぬ御心ざまなれば、いかが思さむと思すに、いとつれなくて、紫「あはれなる御譲りにこそはあなれ。ここには、いかなる心を置き奉るべきにか。めざましく、かくてはなど咎めらるまじくは、心安くてもはべなむを、かの母女御の御方様にても、うとからず思しかずまへてむや」と、卑下し給ふを、源氏「あまりかううちとけ給ふ御許しも、いかなればと、うしろめたくこそあれ。まことは、さだに思し許いて、われも人も心得て、なだらかにもてなし過ぐし給はば、いよいよあはれになむ。ひがごと聞えなどせむ人の言聞き入れ給ふな。すべて世の人の口といふものなむ、誰が言ひ出づる事ともなく、おのづから人のなからひなど、うちほほゆがみ、思はずなる事出で来るものなめるを、心ひとつにしづめて、有様に従ふなむよき。まだきに騒ぎて、あいなきものうらみし給ふな」と、いとよく教へ聞え給ふ。




ほんの少しの、冗談でも、見ていられないと思うほど、気にされる性質だから、どんな思いかと、思うが、全く平然として、紫の上は、本当に、お気の毒な、お頼みごとです。私が、どうして信じないことがありましょう。見ていられない、ここにいるとは、けしからぬなどと、お咎めがありませんなら、安心して、ここに居らせてください。あちらのお母様、女御様の御縁からでも、仲良くしていただけますでしょうか。と、謙遜されるので、源氏は、そのように、心からお許しくださるとは、どうしてかと、気になります。実は、そういう風に、ご理解してくださっても、あなたも、あの方も、お互いにわかって、和やかに暮らしてくださると、益々、あなたが愛おしく思われます。陰口を言ったりする人の、話を信じることはありません。総じて、世間の噂というものは、誰が言い始めたことともなく、自然に夫婦の仲などを、事実と違えて、その結果、意外な話が出来上がると、言います。自分の心一つに納めて、成り行きに任せるのが、よろしいでしょう。先走って、騒ぎ立て、つまらない焼きもちは、しないでください、と、十分に教えなさる。

あはれなる御譲り
ここでは、本当に、気の毒だという気持ちで、使う。

いよいよあはれになむ
益々、あなたが、愛おしい・・・
その前後の言葉から、あはれ、という意味が、益々と広がる様である。




posted by 天山 at 06:13| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月20日

もののあわれについて689

心の中にも、「かく空より出で来にたるやうなることにて、のがれ給ひがたきを、憎げにも聞えなさじ。わが心にはばかり給ひ、いさむることに従ひ給ふべき、おのがどちの心よりおこれる懸想にもあらず。せかるべき方なきものから、をこがましく思ひむすぼほるるさま、世人に漏り聞えじ。式部卿の宮の大北の方、常にうけはしげなる事どもを宣ひ出でつつ、あぢきなき大将の御事にてさへ、あやしく恨みそねみ給ふなるを、かやうに聞きて、いかにいちじるく思ひあはせ給はむ」など、おいらかなる人の御心といへど、いかでかはかばかりのくまはなからむ。今はさりともとのみ、わが身を思ひあがり、うらなくて過ぐしける世の、人わらへならむ事を、下には思ひ続け給へど、いとおいらかにのみもてなし給へり。




紫の上の心境も、このように空から降ってきたようなことで、逃げることは出来ないのに、憎らしい様子は見せまい。私に遠慮して、私の言うことを聞いているような、当人同士の心から出た恋でもない。せき止めようもないものの、馬鹿のようにぼんやりとしているところを、世間には見せたくない。式部卿の宮の、大北の方が、始終呪わしいことを口にしてしられたが、つまらない大将の事にまで、変な具合に私を恨んだり、ねたんだりしていられたというが、私がこうだと聞いたら、さぞかし、きちんと報いがあろう。などと、おっとりした、紫の上であっても、どうして、この程度の邪推は、なさらないことがあろう。今となっては、何でもとばかり、いい気になって、隔てなく暮らしてきた仲が、物笑いになるだろうと、心の中では、考え続けるが、表は、おっとりとされていた。




年もかへりぬ。朱雀院には、姫宮、六条の院にうつろひ給はむ御いそぎをし給ふ。聞え給へる人々いと口惜しく思し嘆く。内にも御心ばへありて聞え給ひける程に、かかる御定めを聞しめして、思しとまりにけり。さるは、今年ぞ四十になり給ひければ、御賀の事おほやけにも聞しめし過ぐさず、世の中の営みにて、かねてより響くを、事のわづらひ多く厳しきことは、昔より好み給はぬ御心にて、皆かへさひ申し給ふ。




年も明けた。
朱雀院では、姫宮が六条の院に、お移りされるためのご準備をなさる。求婚していた人々は、大変残念に思い、嘆くのである。主上におかれても、お気持ちがあり、申し入れていらっしゃるうちに、このようなご決定をお耳に遊ばして、諦めになった。
実は、源氏は四十になったので、その御賀の事は、朝廷でも聞き流さず、国を挙げての行事として、前々から評判だったが、色々と、煩わしいことが多く、儀式ばったことは、昔から、好きではない性分で、皆、ご辞退申し上げる。




正月廿三日子の日なるに、左の大将殿の北の方、若菜参り給ふ。かねて気色も漏らし給はで、いといたく忍びて思しまうけたりければ、にはかにて、え諌め返し聞え給はず。忍びたれど、さばかりの御勢なれば、渡り給ふ儀式など、いと響きことなり。




正月、二十三日は、子の日だが、左大将の北の方、玉葛が、若菜を差し上げる。
前もって、そんな気配も見せず、ひどくこっそりと用意されたので、にわかのことで、とてもご辞退できない。こっそりではあるが、あれほどの御威勢だから、お渡りになるときの儀式などは、騒ぎが格別である。




南の大殿の西の放出にお座よそふ。屏風、壁代よりはじめ、新しく払ひしつらはれたり。うるはしく椅子などはたてず、御地敷四十枚、御しとね脇息など、すべてその御具ども、いと清らにせさせ給へり。螺鈿の御厨子二具に、御衣箱四つすえて、夏冬の御装束、香壺、薬の箱、御硯、ゆすつる器、かかげの箱などやうの物、うちうち清らをつくし、同じき金をも、色つかひなしたる、心ばへあり。今めかしく、尚侍の君、物のみやび深く、かどめき給へる人にて、目なれぬ様にしなし給へり。大方の事をば、ことさらにことごとしからぬ程なり。




南の御殿の、西の放出に御座所を整える。屏風や壁代をはじめ、新しいものと取り替えた。儀式ばって、椅子などは、立てず、御地敷四十枚、座布団や脇息など、すべて、この式のための、お道具は、大変美しく調えた。螺鈿の御厨子を二つ、御衣箱四つを置いて、夏冬のお召し物、香壺、薬の箱、御硯、ゆするつき、髪上げの箱などといったものを、内々で、美しくされた。御かざし台は、沈や紫檀で作り、見事な文様の限りをつけ、同じ金属でも、色を使いこなし、趣があり、当世風で、尚侍の君は、風雅の心深く、才気のある方で、目新しい形に、整えられた。気を配り、一通りの事を、仰々しくない程度にしている。




人々参りなどし給ひて、おましに出で給ふとて、尚侍の君に御対面あり。御心のうちには、いにしへ思し出づる事どもさまざまなりけむかし。いと若く清らにて、かく御賀などいふことは、ひが数へにやと覚ゆるさまの、なまめかしく人の親げなくおはしますを、めづらしくて年月へだてて見奉り給へば、いと恥づかしけれど、なほけざやかなる隔てもなくて、御物語り聞えかはし給ふ。




一同が、参上されて、源氏が、御座所にお出になるとき、尚侍の君と、御対面がある。お心の中では、昔を思い出すことがお二方にはそれぞれあるだろうが、源氏は、大変若く、綺麗で、御四十の賀などというのは、数え違いかと思えるお姿で、美しく、子を持つ親らしくない様子を、見事だと、お久しぶりにお逢いするため、恥ずかしい思いがする。目立つほどの、よそよそしさもなくて、お話し合いなどされる。

尚侍の君とは、玉葛のこと。




幼き君もいと美しくてものし給ふ。尚侍の君は、「うち続きても御覧ぜられじ」と宣ひけるを、大将「かかるついでにだに御覧ぜさせむ」とて、ふたり同じやうに、振り分け髪の何心なき直衣姿どもにておはす。




幼い子も、とても可愛らしい。尚侍の君は、年子を一度に御覧に入れたくないと、おっしゃったが、大将は、こういうときでも、見ていただきたいと言って、二人共に、同じ恰好で、振り分け髪の無邪気な、直衣姿である。


posted by 天山 at 06:01| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月21日

もののあわれについて690

源氏「過ぐる齢も、みずからの心にはことに思ひとがめられず、ただ昔ながらの若々しき有様にて、改むる事もなきを、かかる末々のもよほしになむ、なまはしたなきまで思ひ知らるる折も侍りける。中納言のいつしかとまうけたなるを、ことごとしく思ひ隔てて、まだ見せずかし。人より殊に数へとり給ひける、今日の子の日こそなほうれたけれ。しばしは老を忘れても侍るべきを」と聞え給ふ。尚侍の君もいとよくねびまさり、ものものしき気さへ添ひて、見るかひある様し給へり。

尚侍
若葉さす のべの小松を ひきつれて もとの岩根を 祈る今日かな

と、せめておとなび聞え給ふ。沈の折敷四つして、御若菜、さまばかり参れり。御かはらけ取り給ひて、

源氏
小松原 すえのよはひに 引かされてや 野辺の若菜も 年をつむべき

など聞えかはし給ひて、上達部あまた南の廂に著き給ふ。




源氏は、年は取るが、自分では、特に気にならず、まだまだ昔のままの、若々しい恰好のままで、変えることもないが、このように孫たちが出来て、きまりの悪いほどまで、自分の年齢が、感じられることもあります。中納言も、さっさと、作ったらしいのに、大袈裟に、分け隔てして、まだ見ません。誰より先に、お祝いくださった、今日の子の日は、やはり嫌なものだ。しばらくは、年を忘れていたかった。と、申し上げる。
尚侍の君も、すっかり成長して、貫禄まであり、会ってよかったと思う姿である。

玉葛
若草の芽吹く野原の小松を、二本も引いて、育てて下さった、岩の千歳を祈る今日です。

と、無理にも、母親ぶって、申し上げる。沈香木の折敷を四つ並べて、若菜を型ばかり召し上がる。御盃を取られて、

源氏
小松原の、将来ある齢にあやかり、野辺の若菜も、長生きするでしょう。

などと、お話になる。上達部が大勢、南の廂に、到着される。




式部卿の宮は参りにくく思しけれど、御消息ありけるに、かくしたしき御仲らひにて、心あるやうならむも便なくて、日たけてぞ渡り給へる。大将のしたり顔にて、かかる御仲らひにうけばりてものし給ふも、げに心やましげなるわざなめれど、御うまごの君だちは、いづかたにつけても、おり立ちて雑役し給ふ。籠物四十枝、折櫃物四十、中納言をはじめ奉りて、さるべき限り取り続き給へり。御土器くだり、若菜の御羹まいる。御前には沈の懸盤四つ、御杯どもなつかしく、今めきたる程にせられたり。




式部卿は、伺いにくい思いだったが、ご招待があり、親しい関係で、訳があるように取られてはと、日が高くなってから、お出になった。
大将が、得意そうに、このような間柄ゆえ、大きな顔で、取り仕切っているのも、いかなも、癇に障るにちがいないが、孫の若君たちは、どちらからも縁続きゆえに、熱心に雑役をされる。籠物四十枚、折櫃四十、中納言をはじめとして、相当な方ばかりで、列を作り、差し上げる。
杯が流れ、若菜の、おつゆを召し上がる。御前には、沈香木の懸盤が四つで、食器類も、見事に、今、流行のやり方である。

式部卿の娘が、大将の北の方だったが、玉葛と結婚したため、式部卿は、出掛けづらかったのである。




朱雀院の御薬のこと、なほたひらぎはて給はぬにより、楽人などは召さず。
御笛など、太政大臣の、その方は整へ給ひて、太政大臣「世の中に、この御賀より、まためづらしく清ら尽くすべき事あらじ」と宣ひて、すぐれたる音の限りを、かねてより思しまうけたりければ、忍びやかに御遊びあり。




朱雀院のご病気が、まだ良くならないので、楽人などは、お呼びにならない。管楽器などは、太政大臣が、整えて、世の中に、この御賀のほかに、立派に素晴らしくなるようなものはない、と、おっしゃり、優れた音のものばかりを、前々から用意していらしたので、目立たぬように、合奏をなさる。




とりどりに奉る中に、和琴は、かの大臣の第一に秘しける御琴なり。さるものの上手の、心をとどめて弾きならし給へる音、いと並びなきを、こと人は掻きたてにくくし給へば、衛門の督のかたくいなぶるを責め給へば、げにいと面白く、をさをさ劣るまじく弾く。何事も、上手の継ぎといひながら、かくしもえ継がぬわざぞかしと、心にくくあはれに人々思す。調に従ひてあとある手ども、定まれる唐土の伝へどもは、なかなか尋ね知るべき方あらはなるを、心にまかせて、ただ掻き合はせたるすががきに、よろづの物の音ととのへられたるは、たへに面白くあやしきまで響く。父大臣は、琴の緒もいと緩に張りて、いたうくだして調べ、響き多く合はせてぞ掻き鳴らし給ふ、これは、いとわららかにのぼる音の、なつかしく愛敬づきたるを、「いとかうしもは聞えざりしを」と、親王たちもおどろき給ふ。




皆が、それぞれ勤める楽器の中でも、和琴は、太政大臣が、とっておきにしている名器である。このような達人が、心を込めて、演奏される音色は、まことに、またとないほどであり、他の人は、掻き鳴らしにくいと言うので、衛門の督の、強く辞退するのを、無理にお命じになると、なるほど、実に見事に、殆ど負けないほどに、弾く。
何事も、名人の跡継ぎと言っても、これほどには、とても継ぐことは出来ないものだが、と、奥ゆかしく、感心なものと人々は、思うのである。調子に乗って、楽譜の残っている弾き方や、決まった型のある唐の秘曲なら、かえって、習い方も明確だが、心のままに掻き合わせる、すががきに、他のすべての楽器の音色が、一つになったのは、見事で、趣があり、不思議に聞える。
父の大臣は、琴の緒も、緩く張って、ひどく調子を落として調べ、余韻を多く響かせて、掻き鳴らしされる。衛門は、酷く明るく、高い調子で、親しみのある、朗らかな感じで、これほどまでとは、知らなかったと、親王たちも、驚くのである。

心にくくあはれに人々思す
このままで、理解出来る様子である。
現代語に訳す必要はない。

父の大臣とは、太政大臣のことである。

posted by 天山 at 05:55| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月10日

もののあわれについて691

琴は、兵部卿の宮弾き給ふ。この御琴は、宜陽殿の御物にて、代々に第一の名ありし御琴を、故院の末つ方、一品の宮の好み給ふことにて、賜はり給へりけるを、この折の清らを尽くし給はむとするため、大臣の申し賜はり給へる御伝へ伝へを思すに、いとあはれに、昔の事も恋しく思し出でられる。




琴は、兵部卿の宮が、お弾きになる。この名器は、宜陽殿のもとで、代々の帝に伝わり、第一の楽器という評判のあった名器を、故院の晩年に、一品の宮がお好きで、頂戴されたのを、この質を素晴らしくしようとされて、そのため大臣が、お願いして、頂戴されたという伝来を思うと、胸が迫り、昔の事を、恋しく思い出してしまう。




親王も酔ひ泣きえとどめ給はず。御気色とり給ひて、琴は御前に譲り聞えさせ給ふ。物のあはれにえ過ぐし給はで、珍しき物一つばかり弾き給ふに、ことごとしからねど、限りなく面白き夜の御遊なり。




親王も、酔い、泣きを抑えることができない。お気持ちを伺って、琴は、源氏にお譲り申し上げる。この場の饗宴に、じっとしてはいられない気持ちで、耳慣れない曲を一つだけ、お弾きになる。儀式ばったことではないが、この上なく面白い、今夜の音楽である。

物のあはれに え 過ぐし
何ともいえない気分になり。じっと、過ごしていられない気分になり。
え、は強調の言葉。




唱歌の人々御階に召して、すぐれたる声の限りいだして、かへり声になる。夜のふけ行くままに、物の調ども、なつかしく変はりて、青柳遊び給ふ程、げにねぐらの鶯おどろきぬべく、いみじく面白し。私事の様にしなし給ひて、禄など、いときやうざくに設けられたりけり。




唱歌の人々を、階段のところにお呼びになり、美しい声ばかりで、歌わせて、かえり声になる。夜がふけて行くにつれて、楽器の調子も、身近なものに変わって、青柳を演奏される頃には、ねぐらの鶯も、目を覚ますに違いないほど、大変に面白い。私的な催しの形式をとり、禄などは、見事なものを、用意された。




暁に、尚侍の君かへり給ふ。御贈物などありけり。源氏「かう世を捨つるやうにて明かし暮らすほどに、年月のゆくへも知らず顔なるを、かう数へ知らせ給へるにつけては、心細くなむ。時々は老いや増さると、見給ひ比べよかし。かく古めかしき身の所狭さに、思ふに従ひて対面なきもいと口惜しくなむ」など、聞え給ひて、あはれにもをかしくも、思ひ出聞え給ふ事なきにしもあらねば、なかなかほのかにてかく急ぎ渡り給ふを、いと飽かず口惜しくぞ思されける。




明け方に、尚侍の君、玉葛が、お帰りになる。
源氏から、贈物などがあった。源氏は、こんなに世を捨てたみたいで、一日一日を送っている。年月の経つのも、気づかないみたいだが、こんなに年を知らせて下さると、心細い気がする。時々は、年取ったかと、見比べに来てください。こんな老人、動きにくくて、思うままに、お逢いできないのも、まことに残念だ。などと、申し上げ、しんみりと、また、たのしく、思い出しされることが、ないでもないので、中々、顔を見せただけで、こう急いで、お立ち出るのを、物足りなく、残念に思うのだった。

あはれにもをかしくも
そのままで、十分に通じる表現だ。




尚侍の君も、まことの親をばさるべき契りばかりに思ひ聞え給ひて、あり難くこまかなりし御心ばへを、年月に添へて、かく世に住み果て給ふにつけても、疎ならず思ひ聞え給ひけり。




尚侍の君も、本当の親は、一通りの親と思うのみで、世にも珍しく、親切であった、源氏のお心を、年月が経つにつれて、このように、身が固まると、並々ならず、感謝するのだった。

玉葛の、実の父親は、太政大臣である。
そして、頭の中将は、兄弟である。




かくて二月の十よ日に、朱雀院の姫宮、六条の院へ渡り給ふ。この院にも、御心まうけ世の常ならず、若菜参りし西の放出でに、御帳立てて、そなたの一二の対、渡殿かけて、女房の局局まで、こまやかにしつらひ磨かせ給へり。




こうして、二月の十日過ぎに、朱雀院の姫宮が、六条の院に興し入れされる。
六条の院でも、ご準備が、一通りではない。若菜を召し上がった、西の放出、はなちいで、に、御帳台を設けて、西の一、二の対から、渡殿にかけて、女房の局に至るまで、念入りに、整え、飾りつけされた。

この姫宮の、興し入れを、降嫁という。
つまり、臣下に嫁ぐ意味である。

内親王であるから、当然、源氏より、位が高い。

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2014年08月11日

もののあわれについて692

内裏に参り給ふ人の作法をまねびて、かの院よりも御調度など運ばる。渡り給ふ儀式いへばさらなり。御おくりに、上達部などあまた参り給ふ。かの家司望み給ひし大納言も、安からず思ひながら、候ひ給ふ。




入内される姫君の儀式にならい、朱雀院からも、お道具が運ばれる。興し入れの儀式は、いうまでもないこと。お供に、上達部をはじめ、大勢参上する。あの執事を望んだ、大納言も、心中穏やかではないが、お供をされる。




御車寄せたる所に、院渡り給ひて、下し奉り給ふなども、例には違ひたる事どもなり。ただ人におはすれば、よろづの事限りありて、内裏参りにも似ず、婿の大君と言はむにも事たがひて、珍しき御仲のあはひどもになむ。
三日がほど、かの院よりも主人の院方よりも、いかめしく珍しき雅を尽くし給ふ。




お車を寄せた所に、源氏がお出になり、姫宮を下ろされるなども、例にはないことである。臣下であるので、何もかも、制約があり、入内とも異なり、婿の大君と言うにも、事情が違い、またとない、お二方の間柄である。
三日の間、朱雀院からも、主人である源氏からも、堂々として、またとないほど優雅な催しをされる。




対の上も、事にふれてただにも思されぬ世の有様なり。げに、かかるにつけて、こよなく人に劣り消たるる事もあるまじけれど、また並ぶ人なくならひ給ひて、はなやかに生ひ先遠く、あなづりにくき気配にて移ろひ給へるに、なまはしたなく思さるれど、つれなくのみもてなして、御渡りの程も、諸心にはかなき事もしいで給ひて、いとらうたげなる御有様を、いとどありがたしと思ひ聞え給ふ。




対の上、紫の上も、何かにつけて、平静ではいられないこの頃である。それは、このようになったからといって、まるっきり、あちらに負けてしまい、影が薄くなるということでもないだろう。だが、競争相手のいない生活が癖になり、姫宮が、派手で、またお若く、軽くは扱えない形で、引き移りされたので、面白くない思いだが、平気な顔をして、興し入れの時も、源氏と一緒に、こまごましたことまで、立派にされて、まことに素直なご様子ゆえに、ますます、二人といない方だと、源氏は感心するのである。




姫宮は、げにまだいと小さく、かたなりにおはするうちにも、いといはけなき気色して、ひたみちに若び給へり。
かの紫のゆかり尋ね取り給へりし折り思し出づるに、かれはざれて言ふかひありしを、これは、いといはけなくのみ見え給へば、「よかめり。憎げに押したちたる事などはあるまじきかめり」と思すものから、いと余り物の栄えなき御様かな、と見奉り給ふ。




姫宮は、まったくまだ小さく、大人になっておられず、特にあどけない感じで、子供である。
あの、紫のゆかりを探して、紫の上を引き取りされた時のことを、思い出すと、紫の上は、気が利いて、手ごたえがあったが、こちらは、まるっきり、あどけない様子。源氏は、よかろう。これなら、憎らしく、強きに出ることなどないだろう。と、思うものの、あまりに、張り合いがなさ過ぎると、御覧になる。

紫のゆかり・・・
源氏が慕った、藤壺の姪に当たる、姫宮、後に女三の宮と、呼ばれる。
そして、紫の上も、同じく、姪に当たるのである。




三日がほどは、夜がれなく渡り給ふを、年頃さもならひ給はぬここちに、忍ぶれど、なほものあはれなり。御衣どもなど、いよいよたきしめさせ給ふものから、うち眺めてものし給ふ気色、いみじくらうたげにをかし。




三日間は、毎晩、姫宮の元にお出になるので、紫の上は、今まで、こんな目に合わないゆえに、堪えるが、やはり胸が痛む。お召し物など、いっそう念入りに、香を焚き染めさせながら、物思いに耽る姿は、とても可憐で、美しい。

なほものあはれなり
ここでは、深い心境の様を言う。
ものあはれ・・・それでも、辛い、苦しい、悲しい・・・




「などて、よろづの事ありとも、また人をば並べて見るべきぞ。あだあだしく心弱くなりおきにけるわが怠りに、かかる事も出でくるぞかし。若けれど、中納言をばえ思しかけずなりぬめりしを」と、我ながらつらく思し続けらるるに、涙ぐまれて、源氏「今宵ばかりは道理と許し給ひてなむ。これより後のとだえあらむこそ、身ながらも心づきかるべけれ。また、さりとて、かの院に聞しめさむことよ」と、思ひ乱れ給へる御心のうち、苦しげなり。




どうして、どんな事情があるにせよ、他に妻を迎えることがあろうぞ。浮気っぽく、気弱になっていた自分の落ち度から、このようなことも、起こってきたのだ。年は若いが、中納言は、考えなかったようだった、らしい。と、源氏は、我ながら、情けない気がするばかりで、つい涙ぐんで、今夜だけは、無理もないと、許して下さるだろうな。これから後、こない夜があれば、自分ながら、愛想が尽きることだろう。でも、かといって、あちらの院が、どう思うだろう。と、思い乱れている様子を、見るも苦しそうである。

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2014年08月12日

もののあわれについて693

少しほほえみて、紫「みづからの御心ながらだに、え定め給ふまじかなるを、まして道理も何も、いづこにとまるべきにか」と、言ふかひなげにとりなし給へば、恥づかしうさへ覚え給ひて、つら杖をつき給ひて寄り臥し給へれば、硯を引き寄せ給ひて、


目に近く うつれば変はる 世の中を 行く末遠く 頼みけるかな

古言など書きまぜ給ふを、取りて見給ひて、はかなきことなれど、げにと道理にて、

源氏
命こそ 絶ゆるとも絶えめ 定めなき 世の常ならぬ 仲の契りを

とみにもえ渡り給はぬを、紫「いとかたはら痛きわざかな」とそそのかし聞え給へば、なよよかにをかしき程に、えならず匂ひて渡り給ふを、見いだし給ふもいとただにはあらずかし。




紫の上は、少し微笑んで、ご自分のお心でさえ、お決めになれないようですのに、私などは、無理やら何やら、どう解りましょう。と、相手にならない様子で、顔を合わせられない思いがする。頬杖をつき、横になると、硯を引き寄せて、


目の当たりに、変われば変わる仲です。将来も長くと当てにしていました。

古歌なども、書き込みされるのを、手に取り御覧になり、何でもない歌だが、なる程、無理もないと、

源氏
命は、終わることがあろう。だが、無常の人の世とは違う、二人の仲なのだ。

すぐには、お出掛けにならないのを、紫は、それでは、私が困りますと、お勧めするので、柔らかで、調度良い、お召し物に、大変よい匂いをさせて、お出掛けになるのを、見送りなさるのも、とても平気では、いられないことだろう。




年頃さもやあらむと思ひし事どもも、今はとのみもて離れ給ひつつ、さらばかくこそはと、うち解け行く末に、ありありて、かく世の聞き耳もなのめならぬ事の出できぬるよ。思ひ定むべき世の有様にもあらざりければ、今よりのちも後めたくぞ思しなりぬる。




長い間には、もしかしたならと、思った幾つかの事件も、もうすっかり、心配せずともよくなり、このまま何時までもと、安心するようになった、この頃になり、挙句の果て、このような、人に聞かれてよくないことが、持ち上がるとは、安心できる相手ではないと、解ったので、これから先も、心配な気持ちになってきた。




さこそつれなく紛らはし給へど、候ふ人々も、女房「思はずなる世なりや。あまたものし給ふやうなれど、いづかたも皆こなたの御気配には、かた去り憚る様にて過ぐし給へばこそ、事なくなだらかにもあれ、おし立ちてかばかりなる有様に、消たれてもえ過ぐし給はじ。またさりとて、はかなき事につけても、安からぬ事のあらむ折々、必ず煩はしき事ども出できなむかし」など、おのがじしうち語らひ嘆かしげなるを、つゆも見知らぬやうに、いと気配をかしく物語りなどし給ひつつ、夜更くるまでおはす。




見事に、何事もなかったかのような様子であるが、お付の、女房連中は、思いがけないことになりました。大勢いらしたようですが、どなた様も、皆こちらの皆様の威勢には遠慮して、離れている様子で、日を送っていらっしゃればこそ、何事もなく、穏やかでした。気強い、これほどのやり方に、負けてしまうことは、ないだろうと。それはそれとして、些細なことでも、面白くないことがありましたら、きっと面倒なことでしょう。などと、それぞれが、話し合って、嘆いているのだが、紫の上は、気づかぬふりで、いかにも、ご機嫌よく、お話などされて、夜が更けるまで、起きていられる。




かう人のただならず言ひ思ひたるも、聞きにくしと思して、紫「かくこれかれあまたものし給ふめれど、御心にかなひて今めかしくすぐれたるきはにもあらずと目なれて、さうざうしく思したりつるに、この宮のかく渡り給へるこそ目安けれ。なほ童心のうせぬにやあらむ、我も睦び聞えてあらまほしきを、あいなく隔てある様に、人々やとりなさむとすらむ。ひとしき程、劣り様など思ふ人にこそ、ただならず耳だつ事も、おのづから出で来るわざなれ、かたじけなく心苦しき御事なめれば、いかで心おかれ奉らじとなむ思ふ」など宣へば、中務、中将の君などやうの人々、目をくはせつつ、女房「余りなる御思ひやりかな」など言ふべし。昔は、ただならぬ様に使ひ慣らし給ひし人どもなれど、年頃はこの御方に候ひて、皆心寄せ聞えたるなめり。




このように、女房達が意味ありげに言ったり、思ったりするのも、困ったものだと、紫の上は、このように、だれかれと大勢おいでのようだけれど、お心に叶った、華やかな高い生まれのではないと、いつも同じ人ばかりで、物足りなく思っていたところ、この宮様が、こうしてお出でくださったのは、結構なことです。まだ子供心が抜けないでしょうから、私も、親しくしていただきたいのですが、困ったことに、間に、溝でもあるように、皆が考えてしまうようです。同格とか、下という相手だと、聞き流すわけにはいきませんが、恐れ多くも、お気の毒な事情があるらしく、何とかして、親しくしていただきたいと思うのです。などと、おっしゃると、中務、中将の君という人々が、目配せしながら、あまりに、ご親切が過ぎます。など、言うらしい。
昔は、源氏が、普通以上に、親しくお使いになっていた人々だが、ここ何年間は、紫の上にお仕えして、皆、味方している様子である。




こと御かたがたよりも、御方々「いかに思すらむ。もとより思ひ離れたる人々は、なかなか心安きを」など、おもむけつつ、とぶらひ聞え給ふもあるを、「かく推しはかる人こそなかなか苦しけれ。世の中もいと常なきものを、などてかさのみは思ひ悩まむ」など思す。




他の、ご婦人方からも、どんなお気持ちでしょう。初めから諦めている私たちは、かえって、平気ですが。など、お見舞いを寄こすものもあるが、こんな想像をする人は、やっかいだ。男心も当てにならないものだ。どうしてそんなに、くよくよばかりしていられよう。などと、思われるのである。

posted by 天山 at 06:27| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月13日

もののあわれについて694

「余り久しき宵居も例ならず人や咎めむ」と、心の鬼に思して入り給ひぬれば、御ふすま参りぬれど、げにかたはら寂しきよなよな経にけるも、なほただならぬ心地すれど、かの須磨の御別れの折りなどを思し出づれば、「今は」とかけ離れ給ひても、ただ同じ世のうちに聞き奉らましかば、と、わが身までの事はうち置き、新しく悲しかりし有様ぞかし。「さてその紛れに、我も人も命たへずなりなましかば、いふかひあらまし世かは」と、思しなほす。




あまり遅くまで起きていても、いつにもないことと、皆が変に思うだろうと、気がとがめ、寝所に、お入りになったので、夜具をお掛けしたが、なるほど、寂しい一人寝の夜が、続いたことと、矢張り穏やかならぬ、気持ちがする。あの、須磨のお別れの時を思い出すと、これが最後と、別れたけれど、せめて、同じ世に生きていると聞けば、と、自分のことは、さておいて、殿を惜しく悲しく、思ったことである。
あのまま、騒ぎに紛れて、自分も殿も、死んでしまえば、問題にならない、二人の仲だった、と、考え直すのである。




風うち吹きたる夜の気配ひややかにて、ふとも寝入られ給はぬ。近く候ふ人々あやしとや聞かむ、と、うちも身じろぎ給はぬも、なほいと苦しげなり。夜深き鶏の声の聞えたるも、ものあはれなり。




風の吹く、今夜の空気はひんやりとして、急には寝付かれないのを、傍近くにいる女房たちが、変に思うだろうと、身動きさえされないのも、矢張り、辛いことでしょう。もう一番鶏の声が聞えるのも、あはれを催すのだ。

ものあはれなり
切々とした心境である。




わざとつらしとにはあらねど、かやうに思ひ乱れ給ふけにや、かの御夢に見え給ひければ、うちおどろき給ひて、いかにと心さわがし給ふに、とりのね待ち出で給へれば、夜深きも知らず顔に、急ぎ出で給ふ。




特別、恨むというわけではないが、紫の上が、このように思い乱れているせいか、源氏の御夢に出られたので、ふっと目を覚まし、どうしているのかと、胸騒ぎして、鶏の鳴くのを待っていらして、まだ暗闇にも気づかないように、急いで、お出になる。




いといはけなき御有様なれば、乳母たち近く候ひけり。妻戸おし開けて出で給ふを、見奉り送る。明けぐれの空に、雪の光り見えておぼつかなし。名残までとまれる御匂ひ、「闇はあやなし」と、独言たる。




姫宮は、とても子供っぽいので、乳母たちが、お傍近くにお付していた。源氏は、妻戸を押し開けてお出になるのを、乳母が見送りされる。明け方の暗い空に、雪の光が見えるほどで、はっきりしない。後に残る匂いに、つい、闇はあやなし、の歌を口にされる。

闇はあやなし
春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる
古今集から・・・




雪は所々消え残るが、いと白き庭の、ふとけぢめ見えわかれぬ程なるに、源氏「なほ残れる雪」と、忍びやかに口ずさみ給ひつつ、御格子うちたたき給ふも、久しくかかる事なかりつるならひに、人々も空寝をしつつ、やや待たせ奉りて、引き上げたり。




雪は、所々、消え残り、真っ白な庭と見えるばかりで、なほ残れる雪、と、そっと口ずさみながら、格子を叩かれるが、長らくこのようなことがなかったせいか、女房連中も寝た振りをして、暫く待たせてから、格子を引き上げた。

上記も、敬語、敬語のオンパレードであるが・・・
紫の上の女房たちから、嫌味をされているのである。





源氏「こよなく久しかりつるに、身も冷えにけるは、おぢ聞ゆる心のおろかならぬこそあめれ。さるは罪もなしや」とて、御衣ひきやりなどし給ふに、少し離れたる御単衣の袖を引き隠して、うらもなく懐しきものから、うち解けてはたあらぬ御用意など、いとはづかしげにをかし。「限りなき人と聞ゆれど、難かめる世を」と、思し比べらる。




源氏は、随分待たせられて、体も、凍えてしまった。あなたを怖がる気持ちがあるからだろう。といっても、別に罪はないが、とおっしゃりながら、衾を引くと、少し濡れた単衣の袖を引き隠して、素直でやさしいが、しかし、言いなりになるわけでもないなど、いかにも、深みがあり、立派である。この上ない身分の方といっても、これほどの人は、いないと、つい姫宮と、比べてしまう。

うらもなく懐かしきもの・・・
素直であり、懐かしいと思う、やさしさ、である。


posted by 天山 at 06:02| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月14日

もののあわれについて695

よろづ古への事を思し出でつつ、解けがたき御気色を恨み聞え給ひて、その日は暮らし給ひつれば、え渡り給はで、寝殿には御消息を聞え給ふ。源氏「今朝の雪にここちあやまりて、いと悩ましく侍れば、心安きかたにためらひ侍る」とあり。御めのと「さ聞えさせ侍りぬ」とばかり、言葉に聞えたり。「ことなる事なの御返りや」と思す。「院に聞し召さむこともいとほし。この頃ばかりつくろはむ」と思せど、えさもあらぬを、「さは思ひし事ぞかし。あな苦し」と、みづから思ひ続け給ふ。女君も、思ひやりなき御心かなと、苦しがり給ふ。




何から何まで、今までの事を思い出し、自由になってくれないお心を、恨みなさり、一日を過ごしたため、お出掛けになれず、寝殿には、お手紙を差し上げる。
源氏は、今朝の雪で気分が悪くなり、とても苦しいものですから。気楽なところで、休んでいます。と、書いてある。乳母は、さように申し上げました、とだけ、言葉で申し上げる。味も何もない返事だと、源氏は思う。院がこれを聞いては、お気の毒だし、暫くの間は、人前を繕うと思うが、それも出来ないので、矢張り、思ったとおりだ。困ったことだ、と思い続ける。
女君、紫の上も、親切心のないお方だと、迷惑に思う。

源氏が、出掛けないのは、紫の上が、邪魔していると、思われると、紫が考えているのである。




今朝は、例のように大殿籠り起きさせ給ひて、宮の御方に御文奉れ給ふ。ことに恥づかしげもなき御様なれど、御筆などひきつくろひて、白き紙に、

源氏
中道を 隔つる程は なけれども 心乱るる 今朝の淡雪

梅に付け給へり。人召して、源氏「西の渡殿より奉らせよ」と、宣ふ。




今朝は、いつものように、紫の上の所で目覚め、宮のお部屋に、お手紙を差し上げる。特に、気を使うほどではないが、お筆なども十分に選び、白い紙に、

源氏
二人の間の道を、邪魔するほどではありませんが、降り乱れる、今朝の淡雪に、私の心は、乱れます。

梅の枝に付けて、使いの者をお呼びになり、西の渡殿から、差し上げよ、とおっしゃる。

姫宮は、女三の宮と呼ばれ、源氏の正妻となる。
紫の上は、対の御方である。




やがて見いだして、端近くおはします。白き御衣どもを著給ひて、花をまさぐり給ひつつ、友待つ雪のほのかに残れる上に、うち散り添ふ空を眺め給へり。鶯の若やかに、近き紅梅のすえにうち鳴きたるを、「袖こそ匂へ」と、花をひき隠して、御簾おし上げて眺め給へる様、夢にも、かかる人の親にて、重き位と見え給はず、若うなまめかしき御さまなり。




そのまま、外を眺めて、縁近く座っておられる。白いお召し物を重ね着なさり、梅の枝を弄びつつ、後から降る雪を待ち、薄く消え残る雪の上に、重ねて降る空を、眺めていらした。うぐいすが、初々しく軒近い紅梅の梢で鳴いているのを、袖の匂いでか、と、花を手で隠し、御簾から、半身を出して眺めていらっしゃるお姿、夢にも、こんな子がいるもいる高い地位の御方とは、見えないのである。若々しく、美しいお姿である。

相手からの、返事を待つ姿である。




御返り少し程ふるここちすれば、入り給ひて、女君に花見せ奉り給ふ。源氏「花と言はば、かくこそ匂はましけれな。桜に移しては、また塵ばかりも心分くるかたなくやあらまし」など宣ふ。源氏「これもあまたうつろはぬ程、目とまるにやあらまし」など宣ふに、御返りあり。くれないの薄様に、あざやかに押し包まれたるを、胸つぶれて、「御手のいと若きを、しばし見せ奉らであらばや。隔つとはなけれど、あはあはしきやうならむは、人の程かたじけなし」と思すに、ひき隠し給はむも心おき給ふべければ、かたそば広げ給へるを、しり目に見おこせて添ひ臥し給へり。

女三
はかなくて 上の空にぞ 消えぬべき 風にただよふ 春の淡雪

御手、げにいと若く幼げなり。
「さばかりの程になりぬる人は、いとかくおはせぬものを」と、目とまれど、見ぬやうに紛らはして、やみ給ひぬ。
こと人の上ならば、「さこそあれ」などは、忍びて聞え給ふべけれど、いとほしくてただ、源氏「心安くを思ひなし給へ」とのみ、聞え給ふ。




ご返事が少し遅れる思いがするので、源氏は、中に入り、女君に花を見せて差し上げる。源氏は、花という以上は、これくらい匂いがあって欲しいものだ。桜に、この匂いを移したら、少しも他の花を、見る気がなくなるだろう。などと、おっしゃる。そして、この梅も、ひどく散らない間、目に付くのだろうか。桜の花盛りに比べてみたいと、おっしゃるところに、ご返事が来た。
紅の薄様に、鮮やかに包まれているのを、どきりとして、筆跡の子供っぽいものを、しばらく、紫の上には、見せたくない。隔てをおくのではないが、あまり未熟では、身分柄、恐れ多いと、思うのだが、隠しても、紫の上が、気を悪くするだろうから、片端を広げたものを、横目で御覧になりつつ、物に寄りかかって、横になっていらっしゃる。

女三の宮
お出でがなくて、私は、空に消えてしまいそうです。風に漂う、春の淡雪のように。

御筆跡は、思ったとおり、子供らしく、なっていない。あれくらいの年になった人は、こんなものではないのに、と、目に付くが、見ない振りをして、済ましてしまわれた。
他の人のことならば、こんなものだ、などと、こっそりでも、申し上げるのだが、お気の毒に、ただ、ご安心なさいとだけ、申し上げる。
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2014年08月15日

もののあわれについて696

今日は、宮の御方に昼渡り給ふ。心ことにうち化粧じ給へる御有様、今見奉る女房などは、まして見るかひありと思ひ聞ゆらむかし。
御乳母などやうの、老いしらへる人々ぞ、「いでや、この御有様ひと所こそめでたけれ、めざましき事はありなむかし」と、うちまぜて思ふもありけり。




今日は、宮の御方に、昼間お出でになる。念入りに、身じまいされたご様子に、今、はじめて拝する、姫宮付きの女房などは、特にお迎えして、良かったと思っていることだろう。
乳母などといった、年取った人々が、それは、このお方、お一人は、確かにご立派だけれども、悔しい思いをする事も、起こるだろうと、そんな心配をする者も、いる。




女宮はいとらうたげに幼き様にて、御しつらひなどのことごとしくよだけくうるはしきに、みづからは何心もなくものはかなき御程にて、いと御衣がちに、身もなくあえかなり。ことに恥ぢなどもし給はず、ただ児の面ぎらひせぬここちして、心安く美しき様し給へり。




女君、女三の宮は、まことに可愛らしく、子供っぽい方で、お部屋の飾り付けなどは、仰々しく堂々として、整然としているが、ご本人は、無心に頼りない成人ぶりで、まったく、お召し物に埋まって、体もないほど、華奢である。特に、恥ずかしがることもなく、まるで、幼子が、人見知りしないような感じがして、気の置けない、愛らしい雰囲気でいらっしゃる。




「院の帝は、雄々しくすくよかなる方の御ざえなどこそ、心もとなくおはしますと、世の人思ひためれ。をかしき筋、なまめきゆえゆえしき方は、人にまさり給へるを、などてかくおいらかにおほし立て給ひけむ。さるはいと御心とどめ給へる御子と聞きしを」と思ふも、なま口惜しけれど、憎からず見奉り給ふ。




朱雀院は、男らしく、強い面の御才能はないと、世間は思っているようだが、趣味の面、風流や教養の面では、人より勝れていらっしゃるのに、どうして、こんな風に、うっかり者に、お育てしたのだろう。実のところ、とても気を使っていらっしゃる内親王と聞いていたのに、と、思うと、何やら残念な気がするが、まんざらでもないと、御覧になる。




ただ聞え給ふままに、なよなよとなびき給ひて、御答へなども、覚え給ひけることは、いはけなくうち宣ひ出でて、え見放たず見え給ふ。
昔の心ならましかば、うたて心劣りせましを、今は世の中を、皆さまざまに思ひなだめられて、「とあるもかかるも、際離るることは難きものなりけり。とりどりにこそ多うはありけれ。よその思ひは、いとあらまほしき程なりかし」と、思すに、さし並び目かれず見奉り給へる年頃よりも、対の上の御有様ぞなほありがたく、我ながらもおほしたてけり、と思す。一夜の程あしたの間も恋しくおぼつかなく、いとどしき御心ざしのまさるを、などかく思ゆらむ、とゆゆしきまでなむ。




ただ、申し上げる通りに、柔らかく動かれ、お返事なども、お心に浮かぶ事は、あどけなく口にされて、とても見捨てることの出来ない、ご様子である。
若い頃ならば、困ったことと、がっかりしただろうが、今では、女について、皆それぞれに穏やかに考えて、こんなのも、あんなのも、飛びぬけて立派なのはないものだ。それぞれに、色々な女がいるものだ。傍から見れば、この宮も、まことにもうし分のない方なのだ。と、思い、横に並んで、目も離さずに、見ていらした今まで以上に、対の上、紫の上のご様子が、矢張り、またとなく、ご立派で、我ながら、よく教育したと思うのである。一晩の間も、朝の間も、恋しく気掛かりで、一層の愛情が湧いてくるのを、どうしてこんなにまでと、不吉な気持ちさえするのである。

よその思ひ・・・
世間は、源氏の正妻が、女三の宮が適当と思っている。




院の帝は、月のうちに御寺に移ろひ給ひぬ。
この院に、あはれなる御消息とも聞え給ふ。姫宮の御ことはさらなり。煩はしく、いかに聞く所や、など、憚り給ふことなくて、ともかくも、ただ御心にかけてもてなし給ふべくぞ、度々聞え給ひける。されどあはれに後めたく、幼くおはするを思ひ聞え給ひけり。




朱雀院は、その月のうちに、お寺にお移りされた。
六条の院に、情のこもった、お手紙を何度も差し上げる。姫宮の御事は、言うまでもない。心遣いをして、私がどんなふうに、思うかなどと遠慮されず、どうなりと、あなたの思い通りにしてくださるように、と、度々申しておいでだった。だが、身にしみて、心もとなく、幼くしてあるのをご心配される。

あはれなる御消息・・・
されどあはれに後めたく・・・
すべて、心境を現す。




紫の上にも御消息ことにあり。朱雀院「幼き人の、ここちなき様にて移ろひものすらむを、罪なく思し許してうしろ見給へ。尋ね給ふべきゆえもやあらむとぞ。

朱雀
背きにし この世に残る 心こそ 入る山道の 絆なりけれ
そむきにし このよにのこる こころこそ いるやまみちの ほだしなりけれ

やみをえ晴るけで聞ゆるも、をこがましくや」と、あり。




紫の上にも、お手紙がある。
幼い者が、わきまえもないまま、そちらに伺っていますが、無邪気な者と、お許しくださり、お世話下さい。お考え願える縁もあるかと思いまして。

朱雀
捨て去ったこの世に残る、子を思う心こそ、山に入る、私の妨げです。

親心の闇を晴らすことができずに、こんなことを言うのも、愚かです、とある。


posted by 天山 at 05:46| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月12日

もののあわれについて697

おとども見給うて、源氏「あはれなる御消息を、かしこまり聞え給へ」とて、御使ひにも、女房して、かはらけさし出でさせ給ひて、強ひさせ給ふ。
「御返りはいかが」など、聞えにくく思したれど、ことごとしく面白かるべき折りの事ならねば、ただ心をのべて、


背く世の 後めたさは さりがたき 絆をしひて かけな離れそ

などやうにぞあめりかし。
女の装束に、細長添へてかづけ給ふ。御手などのいとめでたきを、院御覧じて、何事もいと恥づかしげなめる辺りに、いはけなくて見え給ふらむこと、いと心苦しう思したり。




源氏も御覧になり、お気の毒な手紙だ。慎んで、お受け申し上げなさい、とおっしゃる。お使いの者にも、女房に命じて、酒盃を差し出し、何杯も勧める。
御返事は、どのようになど、申し上げにくく思いだが、大袈裟に風情を込める場ではないので、ただ思う心を述べて、

紫の上
お捨てになる、世の中がご心配なら、離れられないお方と、無理に離れることはございません。

などと、ある。女の御装束に、細長を添えて、使いの者に、お与えになる。
御筆跡などが、大変見事なものを、院が御覧になり、何事も優れている方の元で、子供っぽく思われていることだろうと、大変、心苦しく思うのである。




今はとて、女御更衣たちなど、おのがじし別れ給ふも、あはれなることなむ多かりける。
内侍のかんの君は、故后の宮のおはしましし、二条の宮に住み給ふ。姫宮の御事をおきては、この御事をなむかへりみがちに、帝も思したりける。「尼になりなむ」と思したれど、「かかるきほひには、慕ふやうに心あわただしく」と、諌め給ひて、やうやう仏の御事など急がせ給ふ。




もうこれまでと、女御更衣たちなどが、それぞれ別れて行くにつけても、悲しいことが多かった。
尚侍の君は、亡き后の宮が住んでいた、二条の宮にお住みになる。姫宮の御事を、除いては、この方のことを、気掛かりに思われる陛下も、思っていた。尼になろうとの、思いであるが、こういう騒ぎの中では、後を追うようで、気ぜわしいと、お止めになり、だんだんと、仏像を創らせることなどを、用意される。

内侍のかんの君、とは、朧月夜のことである。
皆々、院の後を追い、出家する様である。




六条のおとどは、あはれに飽かずのみ思してやみにし御あたりなれば、年頃も忘れがたく、いかならむ折りに対面あらむ。今一度あひ見て、その世のことも聞えまほしくのみ思し渡るを、かたみに世の聞き耳も憚り給ふべき身の程に、いとほしげなりし世の騒ぎなども、思し出でらるれば、よろづにつつみ過ぐし給ひけるを、かうのどやかになり給ひて、世の中を思ひ静まり給ふらむ頃ほひの御有様、いよいよゆかしく心もとなければ、あるまじき事とは思しながら、大方の御とぶらひにことつけて、あはれなる様に常に聞え給ふ。




六条の殿様、源氏は、愛おしく、また不満足のうちに、途絶えてしまったお方のことだから、長年忘れられず、どういう機会に会えるだろう。もう一度、顔を見て、あの頃のことも、話したいと、ひとえに思い続けていらしたが、お互いに、世間の噂を遠慮しなければならない、身分であり、可愛そうにと思った、当時の騒ぎなども、つい心に浮かんで、何事も、心に秘めていらした。こういう自由の身になり、愛情関係は、お捨てになったであろう、この頃のご様子が、いっそう、知りたくなり、けしからぬ事と思っても、特別な意味はないお見舞いにかこつけて、心打つ手紙を、差し上げる。

あはれに飽かずのみ
あはれなる様に
それぞれ、心境を語る、あはれ、である。

朧月夜に対する、源氏の思いである。




若々しかるべき御あはひならねば、御返りも時々につけて聞え交し給ふ。昔よりもこよなくうち具し、整ひはてにたる御気配を見給ふにも、なほ忍び難くて、昔の中納言の君のもとにも、心深きことどもを常に宣ふ。かの人の兄なる和泉の前の守を召しよせて、若々しく、古へにかへりて語らひ給ふ。源氏「人づてならで、物越しに聞え知らすべきことなむある。さりぬべく聞えなびかして、いみじく忍びて参らむ。今はさやうのありきも所せき身の程に、おぼろけならず忍ぶれば、そこにもまた人には漏らし給はじ、と思ふに、かたみに後安くなむ」など、宣ふ。




若いといえるお二方でもないことから、ご返事も、時に応じて、やり取りされる。昔より、ずっと立派になり、円熟したご様子と御覧になるにつけても、矢張り、我慢が出来ず、昔仲を取り持った、中納言の君のところにも、切ない気持ちを、いつも仰せられる。その人の、兄でもある、前の和泉守をお召しになって、若者のように、昔にかえって、頼みこむのである。
源氏は、取次ぎなしで、物越しに申し上げなければならないことがある。うまく、承知していただいて欲しい。こっそりと、お伺いしょう。今は、そのような忍び歩きも、難しい身分で、兎に角、秘密だから、そなたも、他人には、話さないと思うゆえ、お互いに安心だ。などと、おっしゃる。

また源氏の、秘密の逢引である。
まだまだ、源氏の、御歩きは、止まないようだ。


posted by 天山 at 06:19| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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