2014年04月29日

もののあわれについて668

かくて、御参りは、北の方添ひ給ふべきを、常に長々しうはえ添ひ給はじ、かかるついでに、かの御後見をや添へまし、と思す。上も、紫「つひにあるべき事の、かく隔たりて過ぐし給ふを、かの人もものしと思ひ嘆かるらむ、この御心にも、今はやうやうおぼつかなく、あはれに思し知るらむ、方々心置かれ奉らむもあいなし」と思ひなり給ひて、紫「この折りに添へ奉り給へ。まだいとあえなるかなる程もうしろめたきに、侍ふ人とても、若々しきのみこそ多かれ、御乳母達なども、見及ぶ事の心いたる限りあるを、自らはえつとしも侍はざらむ程、後ろ安かるべく」と聞え給へば、いとよく思し寄るかなと思して、さなむ、と、あなたにも語らひ宣ひければ、いみじく嬉しく、思ふ事かなひ果つるここちして、人の装束なにかの事も、やむごとなき御有様に劣るまじくいそぎたつ。尼君なむ、なほこの御生ひ先見奉らむの心深かりける。今ひとたび見奉る世もや、と、命をさへ執念くなして念じけるを、いかにしてかはと思ふも悲し。




かくて、御入内は、北の方が、お付添いされるはずだが、紫の上は、いつもいつも、長くはお付していられぬゆえ、こういう機会に、あのお世話役を付き添わせよう、と思いになる。上も、結局は、一緒になるはずのことが、このように離れて暮らしていらっしゃるのを、明石も、嫌だと心で嘆いていられよう。姫君のお心も、今は、次第に気になり、辛いと思いだろう。お二人から、面白くなく思われるのも、困るという気持ちになり、紫の上は、この機会に、お付添わせなさい、まだとても、か弱く、お付きの人も、若々しいばかりが多いので。御乳母たちなども、気が付く範囲は限られてします。私が、ずっとお付きできません時に、安心したしますように。と、申し上げると、よく気が付くと、思いになり、このようなことと、明石にも、相談されたので、酷く嬉しく、望みが叶った気がして、女房の着る物、その他のことも、この上ないされようで、劣らないように、準備される。尼君は、今も、姫の成長振りを、拝見しようとの気持ちが強かった。もう一度、拝するときがあればと、寿命を辛抱強く祈っていたが、とてもそんなことはと、思うと、悲しいのである。

ここでも、誰が誰の心境かと、迷うが・・・

つまり、姫君の実母である、明石を、姫の後見として付けるということだ。

今はやうやうおぼつかなく、あはれに思し知るらむ
この、あはれ、は、辛いと思っているだろうという、推測である。
実母である、明石と一緒にいたいと思っているだろうと、紫の上が、考える。

明石の娘は、源氏の養女として育ち、入内するのである。




その夜は、上添ひて参り給ふに、御て車にも、立ちくだりうち歩みなど人わろかるべきを、わがためは思ひ憚らず、ただかく磨きたて奉り給ふ玉の疵にて、わがかく長らふるを、かつはいみじう心苦しう思ふ。御参りの儀式、人の目驚くばかりの事はせじ、と思しつつめど、おのづから世の常の様にぞあらぬや。限りもなくかしづきすえ奉り給ひて、上はまことにあはれに美しと思ひ聞え給ふにつけても、人に譲るまじう、まことにかかる事もあらましかば、と思す。大臣も宰相の君も、ただこの事一つをなむ、飽かぬ事かなと思しける。三日過ごしてぞ、上はまか出させ給ふ。




その夜は、紫の上が付き添って、参内されるが、明石は、御て車にも、一段下がって付いて行くなどと、世間体が悪いであろが、それも、自分は構わない。ただ、こんなに大事に育て上げなされた姫の、一点の疵として、自分が長生きしているのを、一方では、酷く辛い気持ちがする。御入内の儀式は、世間の人が驚くほどのことは、するまいと、遠慮されるが、黙っていても、普通とは違ってくることだ。この上も無く、大事にして差し上げていられる、紫の上は、本当に愛おしく、可愛く、思ってくださるのを、見ても、誰にも、譲りたくなく、本当にこんな子がいたらいいと、思うのだ。大臣も、宰相の君、夕霧も、このこと一つだけを、不満と思う。三日間を過ごして、紫の上は、退出された。

上はまことにあはれに美しと・・・
この、あはれ、は、愛おしく・・・
人を思う気持ちには、あはれ、を使う。
喜怒哀楽すべである。

ここでは、主に、明石の思いを述べている。




たちかはりて参り給ふ夜、御対面あり。紫「かくおとなび給ふけぢめになむ、年月の程も知られ侍れば、うとうとしき隔ては残るまじくや」と、なつかしう宣ひて、物語などし給ふ。これもうち解けぬる初めなめり。ものなどうち言ひたる気配など、うべこそは、と、めざしう見給ふ。またいと気高う盛りなる御気色を、かたみにめでたしと見て、そこらの御中にもすぐれたる御心ぞしにて、並びなき様に定まり給ひけるも、いとことわりと思ひ知らるるに、かうまで立ち並び聞ゆる契り、おろかなりやは、と思ふものから、出で給ふ儀式の、いとこそよそほしく、御て車など許され給ひて、女御の御有様にことならぬを思ひ比ぶるに、さすがなる身の程なり。




入れ替わって、お上がりになる夜、明石と紫の上が対面された。
紫の上は、このように、ご成人されたことで、こちらにお出の年月の長さも、解ります。よそよそしい隔てを置く気持ちは、ありませんでしょう、と、親しくお話される。これも、仲良くなった最初だろう。何か、お話する様子も、これだからだと、びっくりして御覧になる。明石の方も、気高く、女盛りである様子を、お互いに、立派だと見て、紫の上が、多くの婦人たちの中でも、特に寵愛が厚く、第一の地位を占めていられるのも、最もだと、解ると、これほどまで、肩を並べる前世の約束は、並大抵ではないと思うものの、退出の儀式が、まことに堂々として、御て車など許され、女御の様子と変わらないのを、引き比べると、矢張り、我が身は、駄目だと思う。

ここも、明石の心境が主である。
紫の上の身分を、思い知るのである。

御て車は、女御待遇なのである。

なつかしう宣ひて・・・
なつかしう、とは、親しく、睦まじくなどの意味である。

あはれになつかしう・・・
心深く懐かしく思う・・・

源氏にまつわる、婦人たちの関係を知ることになる。




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2014年04月30日

もののあわれについて669

いと美しげに雛のやうなる御有様を、夢のここちして見奉るにも、涙のみとどまらぬは、「一つもの」とぞ見えざりける。年頃よろづに嘆き沈み様々憂き身と思ひ屈しつる命も述べまほしうはればれしきにつけて、まことに住吉の神もおろかならず思ひ知らる。思ふ様にかしづき聞えて、心およばぬ事はたをさをさなき人のらうらうじさなければ、大方のよせ覚えより初め、なべてならぬ御有様容貌なるに、宮も、若き御ここちに、いと心ことに思ひ聞え給へり。いどみ給へる御方々の人などは、この母君のかくて侍ひ給ふを、疵に言ひなしなじすれど、それに消たるべくもあらず。いかめしう並びなき事をば、さらにも言はず、心にくく由ある御気配を、はかなき事につけても、あらまほしうもてなし聞え給へれば、殿上人なども、珍しきいどみ所にて、とりどりに侍ふ人々も心をかけたる女房の用意有様さへ、いみじく整へなし給へり。




とても美しく、人形のような、お姿を、夢のような気持ちで、拝する時も、涙が止まらないのは、『同じ涙』とは、思われない。
長年、何もかにも悲しみに沈んで、辛い運命だと塞いでいた、我が命も延ばしたい程に、気が晴れ晴れとなり、住吉の神も、霊験あらたかだと、思うのだ。
思う存分に、大事に育てられて、不行き届きなことは無い、利発さで、世間の信望を集めて、大変優れた態度であり、器量である。東宮も、若いお心で、格別に御寵愛される。
競争相手のご婦人方の女房などは、この母君が、このようにお傍についているのは、姫君の疵だと言うが、それには、負けない。
堂々として、比べることのないのは、言うまでもなく、奥ゆかしく、教養のある態度を、少ししたことでも、理想的に現すようにしているので、殿上人なども、他にはない、競争場所として、伺う人々も、女房に懸想するのだが、その女房の心構えや態度も、非常に立派なのを、揃えていらっしゃる。

珍しきいどみ所・・・
風流の競い場所として。

とりどりに侍ふ人々も・・・
明石の姫の所に、参上する男たちである。




上もさるべき折り節には参り給ふ。御中らひあらまほしううち解けゆくに、さりとてさし過ぎ物慣れず、あなづらはしかるべきもてなしはたつゆなく、あやしくあらまほしき人の有様心ばへなり。大臣も、長からずのみ思さるる御世のこなたにと思しつる御参り、かひある様に見奉りなし給ひて、心からなれど、世に浮きたるやうにて見苦しかりつる宰相の君も、思ひなく目安き様にしづまり給ひぬれば、御心落ちい果て給ひて、今は本意も遂げなむ、と、思しなる。対の上の御有様の見捨て難きにも、中宮おはしませば、おろかならぬ御心寄せなり。この御方にも、世に知られたる親ざまには、まづ思ひ聞え給ふべければ、さりともと思しゆづりけり。夏の御方の、時々にはなやぎ給ふまじきも、宰相のものし給へば、と、皆とりどりにうしろめたからず思しなりゆく。




上も、紫の上も、適当な機会に参上される。お二人の仲は、理想的なほど、睦まじくなってゆくが、明石は度を越して馴れ馴れしくすることはなく、軽蔑されるような仕方は全く無い。不思議なほど、理想的な態度、性格である。
殿様、源氏も、もうあまり長くないと思われる、存命中にと思っていた、御入内も、安心だと思い、自分の心掛けのせいではあるが、身を固めず、体裁の悪かった、宰相の君、夕霧も、今は物思いもなく、順調な生活に落ち着いたので、すっかり安心して、今こそ、かねての念願を遂げたいと、思うのである。
対の上、紫の上の様子が心配だったが、秋好む中宮がいらっしゃるので、並々ならぬ、お味方というものである。この御方にしても、表向きの親としては、第一に考えるはずだから、大丈夫だと、お任せになる気持ちである。
夏の御方、花散里が、何かにつけて、華やかにされないが、それも、宰相がいるからと、一人残らず、それぞれに心配はないと、考えるようになってゆく。

紫の上と、明石の御方の関係が、描かれる。

この源氏の、考えは、出家である。
解説には書かれていないが、源氏が色々と、気掛かりだったことが、解決して、いよいよ、我が身の末を、考えるのである。

秋好む中宮も、源氏の養女である。

世に浮きたるやうにて見苦しかりつる宰相の君・・・
長く独身でいたことである。
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2014年05月01日

もののあわれについて670

明けむ年、四十になり給ふ御賀の事を、おほやけより初め奉りて、大きなる世のいそぎなり。その秋、太上天皇に準ふ御位え給うて、御封加はり、官爵など皆添ひ給ふ。かからでも、世の御心にかなはぬ事なけれど、なほ珍しかりける昔の例を改めで、院司どもなどなり、様ことにいつくしうなり添ひ給へば、内に参り給ふべき事難かるべきをぞ、かつは思しける。かくても、なほあかず帝は思し召して、世の中を憚りて、位をえ譲り聞えぬ事をなむ、朝夕の御嘆き種なりける。




源氏が、来年、四十になられる、お祝いの事を、朝廷をはじて、大変な、世をこぞっての準備である。
その年の秋、太上天皇に準ずる御待遇を受けられて、封戸が増加して、官爵など、皆、受けられた。それほどまでしなくても、世の中で、希望通りにならないことは、ないのだが、矢張り、立派な昔の慣例に従い、上皇付き、事務官一同の任命もあり、格別に、仰々しくなったので、参内されることが、難しいだろうと、一方では、残念に思う。それでも、陛下は、まだ不満のようで、世間を憚り、位を譲られないことが、朝夕のお悩みの種であった。

源氏が、上皇の位を受けるという。
だが、帝は、天皇の位を譲りたいと、思っている。




内大臣あがり給ひて、宰相の中将、中納言になり給ひぬ。御喜びに出で給ふ。光りいとどまさり給へる様容貌より初めて、飽かぬ事なきを、あるじの大臣も、「なかなか人に押されまし宮仕へよりは」と思しなる。




内大臣は、太政大臣に上がり、宰相の夕霧は、中納言になられた。
新中納言が、お礼にお出になられた。益々、光り輝く顔や、姿をはじめ、何一つ、不足の無いことを、内大臣も、かえって、人に圧倒されるような宮仕えよりは、という気持ちになられた。




女君の大輔の乳母、「六位宿世」をつぶやきし宵の事、物の折り折りに思し出でければ、菊のいと面白くうつろひたるを賜はせて、

夕霧
浅緑 若葉の菊の つゆにても 濃き紫の 色とかけきや

辛かりし折りの一言葉こそ忘れれね」と、いと匂ひやかにほほえみて賜へり。恥づかしういとほしきものから、美しう見奉る。

乳母
双葉より 名だたる園の 菊なれば 浅き色わく つゆもなかりき

いかに心置かせ給へりけるにか」と、いとなれて苦しがる。




夕霧は、女君、雲居の雁の、大輔の乳母が、六位の方なんて、と、ぶつぶつ言った夕方のことを、何かの折々に思い出すので、菊の見頃に色付いているのを、与えて、

夕霧
若葉の菊の、浅緑を見て、花を咲かせて、濃い紫の色になろうとは、思いも掛けなかったでしょう。

辛かったあの時の、一言が、忘れなれないと、美しく微笑んで、与える。乳母は、顔も上げられず、お気の毒なことをしたと、思うが、その様子を可愛いと思う。

乳母
双葉の時から、名門の園に育つ菊です。浅い色をしていると、差別する者など、おりませんでした。

どんなに気を悪くしたことでしょう。と、身内の気持ちで、弱っている。

いと匂ひやかに・・・
血色の良い、若さに溢れ、つややかに・・・




御勢ひまさりて、かかる御住まひも所狭ければ、三条殿に渡り給ひぬ。少し荒れにたるを、いとめめでたく修理しなして、宮のおはしましし方を、改めしつらひて住み給ふ。昔覚えて、あはれに思ふ様なる御住まひなり。前栽どもなど、小さき木どもなりしも、いと繁き陰となり、一村薄も心にまかせて乱れたりける、繕はせ給ふ。遣水の水草もかき改めて、いと心ゆきたる気色なり。をかしき夕暮れの程を、二所眺め給ひて、あさましかりし世の、御幼さの物語などし給ふに、恋しき事も多く、人の思ひけむ事も恥づかしう、女君は思し出づ。古人どもの、まかで散らず、曹司曹司に侍ひけるなど、参うのぼり集りて、いと嬉しと思ひ合へり。男君

夕霧
なれこそは 岩もる主人 見し人の 行方は知るや 宿の真清水

女君、
なき人の 影だに見えず つれなくて 心をやれる いさらいの水

など宣ふ程に、大臣内よりまかで給ひけるを、紅葉の色に驚かされて渡り給へり。




新中納言、夕霧は、御勢力が増して、今までのようなお部屋住みも、手狭なので、三条殿に、移られた。少し荒れていたものを、たいそう立派に修理して、大宮のおいでになったお部屋を、新たに、装飾を変えて、住まわれる。
昔が、思い出されて、懐かしいお気に入りの、住居である。
前栽など、小さな木であったものも、大きく茂り、葉陰を作り、一群のすすきも、気ままに延び放題になっていたものを、手入れさせる。遣水の水草も取り払い、綺麗にして、いかにも、気持ち良さそうな、音を立てている。
趣深い夕暮れの時、お二人は、眺められて、情けなかった、昔の幼い頃の思い出話などをされると、恋しいことも多く、人が何と思っていたか、顔向けできないことと、女君は、思い出される。古くからの女房達で、出て行かず、今も残り、それぞれに住んでいる者などが、御前に集まり、何と嬉しいことと、一同が思う。
男君、
夕霧
お前こそは、ここを守ってきた主人なのだから、亡き大宮の、御行方を知っているだろう。宿の清水よ。

女君
亡き大宮は、影さえも見えず、お前だけが、知らぬ顔で、心地よさに流れている。小さな清水。

などと、お話されていると、大臣が、御所から退出される途中に、この邸の紅葉の見事な、色に驚き、お越しになった。

遣水には、所々に、岩を置いて、流れの音を立てる。
遣水を、岩守る主と、呼んだ。

二人は、その遣水を歌詠みする。

あはれに思ふ様なる・・・
この場合の、あはれ、は、懐かしい気持ちの深いことを表す。
懐かしいが、含まれてあるのだ。

posted by 天山 at 06:58| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月02日

もののあわれについて671

昔おはさいし御有様にも、をさをさ変はる事なく、あたりあたりおとなしく住まひ給へる様、華やかなるを見給ふにつけても、いとものあはれに思さる。中納言も、気色異に顔少し赤みて、いとど静まりてものし給ふ。あらまほしく美しげなる御あはいなれど、女はまた、かかる容貌の類もなどかならむと見え給へり。男は、際もなく清らにおはす。古人どももお前に所得て、神さびたる事ども聞え出づ。ありつる御手習どもの、散りたるを御覧じつけて、うちしほたれ給ふ。太政大臣「この水の心尋ねまほしけれど、翁は言忌して」と宣ふ。

太政
そのかみの 老木はうべも 朽ちぬらむ 植えし小松も 苔生ひにけり

男君の御宰相の乳母、辛かりし御心も忘れねば、したり顔に、

乳母
いづれをも 蔭とぞ頼む 二葉より 根ざし交せる 松の末々

老人どもも、かやうの筋に聞え集めたるを、中納言はをかしと思す。女君はあいなく面赤み、苦しと聞き給ふ。




昔、大宮が住まわれていた様子と、大して変わることなく、どこもここも、穏やかな住み方をしているのが、若々しく、派手なのを御覧になるにつけて、太政大臣は、しんみりとした思いに浸る。
中納言も、いつもと違い、目を少し赤くして、大変沈んでいる。お似合いの、綺麗な夫婦だが、女は、また、これくらいの器量の人には、他にいないこともないだろうと、見える。男の方は、この上もなく美しく見える。
老女房達も、御前にのさばって、とても古臭いお話をする。太政大臣は、先ほどの歌が、散っているのを見て、しんみりとされる。
大臣は、私も、お二人の歌のように、この遣水の気持ちを尋ねてみたいのだが、老人の繰言は、止めにしてと、おっしゃる。

大臣
その昔、老い木が朽ちてしまうのも、当然のことだ。その老い木の植えた小松も、苔が生えるほどに、老いてしまったのだから。

男君の乳母の宰相は、辛かった大臣の仕打ちを、今も忘れず、得意げに、

宰相
お二人共に、蔭と頼みにしています。二葉の頃から、仲良くしていた二本の松でありますから。

老いた女房達も、このような話題ばかり歌に詠むのを、中納言は、おかしく思う。女君は、訳も無く、顔が赤くなり、聞き苦しく思うのである。

いとものあはれに思さる・・・
過去と現在の心境と共に、言葉に表せぬ思いを言う。
複雑な心境を言うのである。

大臣の歌にある、植えし小松も苔生ひにけり、とは、自分のことを言う。




神無月の二十日余りの程に、六条の院に行幸あり。紅葉の盛りにて、興あるべき度の行幸なるに、朱雀院にも御消息ありて、院さへ渡りおはしますべければ、世に珍しくありがたき事にて、世の人も心を驚かす。あるじの院方も、御心を尽くし、目もあやなる御心設けをせさせ給ふ。




十月の二十日の過ぎた頃に、六条の院に、行幸がある。紅葉の盛りで、興の湧くような、この度の行幸なので、朱雀院にも帝から、お誘いのお手紙があり、院までおなりになることになった。実に結構な又とないことだと、世間の人々も、驚いた。お待ちする、六条の院の院方も、心を尽くして、目も眩いばかりの、準備をする。

六条の院とは、源氏の邸である。




巳の刻に行幸ありて、まづ馬場殿に、左右の司の御馬引き並べて、左右の近衛立ち添ひたる作法、五月の節にあやめわかれず通ひたり。未くだる程に、南の寝殿に移りおはします。道の程の反橋、渡殿には錦を敷き、あらはなるべき所には軟障を引き、いつくしうなさせ給へり。東の池に船ども浮けて、御厨子所の鵜飼の長、院の鵜飼を召し並べて、鵜をおろさせ給へり。小さき鮒なども食ひたり。わざとの御覧とはなけれど、過ぎさせ給ふ道の興ばかりになむ。山の紅葉いづかたも劣らねど、西の御前は心ことなるを、中の廊の壁をくづし、中門を開きて、霧の隔てなくて御覧ぜさせ給ふ。御座二つよそひて、あるじの御座は下れるを、宣旨ありて直させ給ふ程、めでたく見えたれど、帝はなほ、限りあるいやいやしさを尽くして見せ奉り給はぬ事をなむ思しける。




朝の九時に、行幸があり、まず馬場殿に、左馬寮、右馬寮の馬を、ずらりと引き並べて、左右の近衛の武官が、立ち添った儀式は、端午の節会と、間違うほどである。
午後一時過ぎ、南の寝殿にお移りあそばす。お通りの反り橋、渡殿には、錦を敷き、丸見えになりそう場所には、軟障を引いて、厳しくしつらえた。
東の池に、船を幾つか並べて、宮中の御厨子所の、鵜飼の長と、六条の院の鵜飼を一緒に呼び、鵜を池に下す。鵜は、小さな鮒などを咥えて来る。
特別に御覧に入れるわけではないが、お通りあそばす道の、慰めなのである。
築山の紅葉は、いずれの町も劣らないが、西の中宮のお庭前は、格別なので、中の廊の壁を崩し、中門を開いて、霧が遮らないように、御覧にいれる。
御座所は、二つ整えて、六条院の御座所は、一段下にあるのを、宣旨があり、改めさせるのも、結構なことに見えたが、陛下はそれでもなお、父君として、恭しさを出来る限り尽くして、見せられることの、出来ないことを、残念に思いである。

当時の様子を想像するしかない、箇所である。
何とも、優雅で優美である。

また、その表現も、敬語、敬語であり、現代文にするのは、無理がある。
これも、また、もののあはれ、の風景である。

もののあはれ見事なりけり、だ。

posted by 天山 at 05:37| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月03日

もののあわれについて672

池の魚を左の少将取り、蔵人所の鷹飼の、北野に狩り仕うまつれる鳥ひとつがいひを、右の佐捧げて、寝殿の東よりお前に出でて、御階の左右に膝をつきて奏す。太政大臣仰せ言賜ひて、調じて御膳に参る。皇子達、上達部などの御設けも、珍しき様に、常の事どもを変へて仕うまつらせ給へり。皆御酔になりて、暮れかかる程に楽所の人召す。わざとの大楽にはあらず、なまめかしき程に、殿上の童べ舞仕うまつる。朱雀院の紅葉の賀、例の古事思し出でらる。賀王恩といふものを奏する程に、太政大臣の御をとこの十ばかりなる、切に面白う舞ふ。内の帝、御衣ぬぎて賜ふ。太政大臣おりて舞踏し給ふ。




池の魚を、左の少将が受け取り、蔵人所の鷹飼が、北野で狩りをして、奉る鳥の一つがいを、右の佐が捧げて、寝殿の東から、御前の左右に膝をついて、その由を奏上する。
太政大臣が、帝の仰せを賜り、その魚と、鳥を調理させて、御膳に差し上げる。
皇子達、上達部などのご馳走も、珍しい趣向を凝らし、普段とは目先を変えて、差し上げた。皆、酔いになり、暮れる時分に、楽所の人をお呼びになる。大げさな大楽ではなく、優美に奏して、殿上童が、舞を御覧にいれる。
朱雀院の紅葉の賀のこと、例によって、昔の事が、思い出される。賀王恩という曲を奏する時に、太政大臣の令息の十歳くらいの男の子が、とても上手に舞う。今上陛下が、御衣を脱いで、お与えになる。太政大臣は、庭に下りて、お礼の拝舞をされる。




あるじの院、菊を折らせ給ひて、青海波の折りを思し出づ。

源氏
色まさる 雛の菊も 折り折りに 袖うちかけし 秋を恋ふらし

大臣、その折りは同じ舞ひに立ち並び聞え給ひしを、我も人にはすぐれ給へる身ながら、なほこの際はこよなかりける程思し知らる。しぐれ、折り知り顔なり。

太政大臣
紫の 雲にまがへる 菊の花 濁りなき世の 星かとぞ見る

時こそありけれ」と聞え給ふ。




主人である、六条の院、源氏は、菊を折らせて、青海波を舞った折りのことを思い出した。

源氏
濃く色付いた菊も、立身した大臣も、時々は、袖をうちかけて舞いを舞った、あの秋を、恋しく思っていることだ。

太政大臣は、あの折りは、同じ舞を、ご一緒して、舞ったものを、自分も、人には勝った身ではあるが、矢張り、この院のご身分は、この上もないものであったと、解る。
時雨が、時知り顔に降ってきた。

内大臣
尊い紫雲とも見紛う、菊の花。あなたさまは、濁りなく、澄んだ今の御世の、星かと、思い、見上げております。

今は、また一段と、お栄えになりまして、と申し上げる。




夕風の吹きしく紅葉の色々、濃き薄き、錦を敷きたる渡殿の上見え紛ふ庭の面に、すがたをかしき童べの、やむごとなき家の子どもなどにて、青き赤き白つるばみ、蘇芳、葡萄染など、常のごと、例のみづらに、額ばかりの気色を見せて、短きものどもをほのかに舞ひつつ、紅葉の陰に帰り入る程、日の暮るるもいとほしげなり。楽所などおどろおどろしくはせず、上の御遊び始まりて、書の司の御琴ども召す。




夕風が吹き落とした、紅葉の、様々の色、濃く薄く、錦を敷いた渡殿の上と、見紛うほどの庭の面に、姿も可愛い童の、高い身分の家の子どもなど、青と、赤の、しらつるみに、それぞれつけた蘇芳と、葡萄染めの下襲など、いつも通りで、例により、みずらに結って、天冠をつけた額だけの、唐風を見せて、短い曲など、少し舞いつつ、紅葉の陰に帰って行くのは、日が暮れるのが、惜しいほどに思われる。学所など、仰々しくはせず、上の御遊びが始まり、書の司の色々な、琴を取り寄せになられる。




ものの興せちなる程に、御前に皆御琴ども参れり。宇陀の法師の変はらぬ声も、朱雀院は、いと珍しくあはれに聞し召す。

朱雀院
秋を経て 時雨降りぬる 里人も かかる紅葉の 折りをこそ見ね

恨めしげにぞ思したるや。帝、

世の常の 紅葉とや見る 古への 例に引ける 庭の錦を

と聞え知らせ給ふ。

御容豹いよいよねび整ほり給ひて、ただ一つ物と見えさせ給ふを、中納言の侍ひ給ふが、ことごとならぬこそめざましかめれ。あてにめでたき気配や、思ひなしに劣りまさらむ、あざやかに匂はしき所は、添ひてさへ見ゆ。笛仕うまつり給ふ。いと面白し。唱歌の殿上人、御階に侍ふ中に、弁の少将の声すぐれたり。なほさるべきにこそと見えたる御中らひなめり。




興が、益々乗ってきた頃、お三方の御前に、それぞれお琴を差し上げた。名器宇陀の法師の、少しも変わらぬ音色も、朱雀院は、久しぶりで、あはれに、聞かれる。

朱雀院
幾たびの秋を過ごし、時雨と共に年老いた田舎者も、このような美しい紅葉の時節に会ったことがありません。

と、恨めしく思いなのでしょうか。陛下は、


世の常の、紅葉と思い、御覧になるのですか。昔の御世の先例に倣った、今日の宴の紅葉の錦を。

と、説明申し上げる。お顔立ちは、益々ご立派に、年と共に整い、源氏とそっくり、瓜二つと見えられるのに、中納言が、御前に控えているのが、また別々のお顔とも思えないのには、目を見張らされる。
帝と比べて、気高い美しさは、思いなしか劣っているにせよ、目の覚めるような、つややかさは、中納言の方にあると、思われる。笛を賜ってお吹きになるのが、たいそう面白い。唱歌の殿上人が、階段に控えて歌う中で、弁の少将の声が優れている。
矢張り、このように、優れた方々ばかり揃う、御両家なのでしょう。

いと珍しくあはれに聞し召す
とても珍しく、あはれ、しみじみと、深い思いで、聴くのである。

あはれ、という言葉を、しみじみと、という意味のみで、解決するのは、軽率である。
試験の解答ではない。

過去、現在、未来の複雑な心境をも、表現する、心象風景なのである。

藤裏葉を、終わる。

posted by 天山 at 05:38| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月26日

もののあわれについて673

藤裏葉、を終わり、次に、若菜の巻に入る。
そこで、おおよそ、物語の半分を終えたので、少し、寄り道する。

和辻哲郎の、日本精神史研究の、「もののあはれ」について、を、読むことにする。

「もののあはれ」を文芸の本意として力説したのは、本居宣長の功績の一つである。彼は平安期の文芸、特に「源氏物語」の理解によって、この思想に到達した。文芸は道徳的教戒を目的とするものではない、また深遠なる哲理を説くものでもない、功利的な手段としてはそれは何の役にも立たぬ、ただ「もののあはれ」をうつせばその能事は終わるのである。しかしそこに文芸の独立があり価値がある。このことを儒教全盛の時代に、すなわち文芸を道徳と政治の手段として以上に価値づけなかった時代に、力強く彼が主張したことは、日本思想史上の画期的な出来事と言わなくてはならぬ。
和辻

ここで、思想と言っていることが、特徴である。
「もののあはれ」の思想なのである。

日本には、哲学、思想が無かったという言葉が、一時期言われたが・・・
それは、日本の哲学、思想を、見出す努力に欠けていた、あるいは、西欧の哲学、思想のみが、それであるという、思い込みのせいであった。

ただ「もののあはれ」をうつせばその能事は終わる・・・
今、現在の文芸も、そのようである。また、それであると、言ってよい。

そして、そこに、文芸の独立がある・・・
その通りだ。

文芸を道徳、政治の手段として以上に価値づけなかった・・・
その時代に、「もののあはれ」の思想を展開した、本居宣長の画期的な研究と理解である。

文芸をそのように、読んだ人がいなかったのである。
文芸に、ある別な光、それは、大いなる、光を与えたのである。

それ以後の、日本の文芸は、益々と盛んになり、そして、発展した。

世界初の小説、源氏物語の、理解を通して、文芸の世界の、しののめ、である。

さて、この、もののあはれ、について・・・

和辻も、本居宣長の引用をして、解説する。

「あはれ」とは、「見るもの、聞くもの、ふるる事に、心の感じて出る、嘆息の声」であり、「もの」とは、「物いふ、物語、物まうで、物見、物いみなどいふたぐひの物にてひろくいふ時に添ふる語」である。

従って、「何事にまれ、感ずべき事にあたりて、感ずべき心を知りて、感ずる」を「物のあはれ」を知るという。

感ずるとは、「よき事にまれ、あしき事にまれ、心の動きて、ああはれと思はるること」である、「古今集」の漢文序に「感鬼神」と書いたところを、仮名序に、「おに神をもあはれと思はせ」としたのは、この事を証明する。

後世「あはれ」という言葉に哀の字をあて、ただ悲哀の意にのみとるのは、正確な用法とは言えない。「あはれ」は悲哀に限らず、嬉しきこと、おもしろきこと、楽しきこと、おかしきこと、すべて嗚呼と感嘆されるものを皆意味している。

「あはれに嬉しく」「あはれにおかしく」というごとき用法は常に見るものである。ただしかし、「人の情のさまざまに感ずる中に、うれしきこと、をかしきことなどには、感ずること深かからず、ただ悲しきこと憂きこと恋しきことなど、すべて心に思ふにかなはぬすぢには、感ずることこよなく深きわざなるが故に、しか深き方をとりわきて」、特に「あはれ」という場合がある。そこから「あはれ」すなわち「哀」の用語法が生まれたのである。
和辻

上記は、本居宣長の文を引用して、書き綴ったものである。

哲理、道徳の他に、感情というものを、取り出したのである。
それは、情緒である。
そして、それは、独立してあるものだとの、見解である。

通常の、嬉しくて、悲しくて、おかしくて、が、更に、言葉に表すことが出来ない感情に至り、「あはれ」という言葉が、付いたのである。

何事につけても、言い表しえない、感情的、情緒的、感嘆の際に、日本人は、「あはれ」を使うのである。

それを、一つの思想にまで、探り当てたという、宣長の研究、理解が、画期的だったのである。

彼は文芸の典型としての「源氏物語」が、「特に人の感ずべきことのかぎりを、さまざまに書き現して、あはれを見せたるもの」であると言った。そうしてこの物語をよむ人の心持は、物語に描かれた事を「今のわが身にひきあて、なずらへて」物語中の人物の「物のあはれをも思ひやり、おのが身のうへをもそれに比べ見て、物のあはれを知り、憂きをも思ひ慰むる」にあると言った。

すなわち表現される「物のあはれ」に同感し、憂きを慰め、あるいは「心のはるる」体験のうちに、美意識は成立するわけである。
和辻

が、表現された「物のあはれ」は、いかなる根拠によって「心をはれ」させ、「うきを慰める」のであるか。また晴れた心の晴朗さ、慰められた心の和やかさは、憂きに閉じた心よりもはるかに高められ浄められていると見てよいのであろうか。よいとすれば、表現された「物のあはれ」は、何ゆえに読者の心を和らげ、高め、浄化する力を持つのであるか。これらの疑問を解くことなくしては、「物のあはれ」によって文芸の独立性を確立しようとする彼の試みは、無根拠に終わると言わなくてはならぬ。
和辻

ここからが、宣長の、もののあはれ、の思想としての、展開となる。
それは、決して、難解なものではない。
実に、単純素朴なものである。

そして、単純で素朴であるから、それは、また立派な思想になるのである。

誰一人として、解らぬ思想は、思想ではない。
まして、哲学でも、無い。

文芸としての、物語、物語としての、物のあはれへの道。
どれ程に巧みになっても、源氏物語に戻る行為が必要になる。

更に、日本の文芸の道の大元には、歌の道がある。
この歌心についても、宣長は、源氏物語に、歌の道を見ている。


posted by 天山 at 07:28| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月27日

もののあわれについて674

彼がここに根拠づけたとして持ち出すものは、「物のあはれ」が「心のまこと」「心の奥」であるという思想である。
和辻

「道々しくうるはしきは皆いつはれる上面のことにて、人のまことの情を吟味したるは、かならず物はかなかるべき」ゆえんを説いて、人性の根本を「物はかなくめめしき実の情」に置いた。すなわち彼にとっては、「理知」でも「意志」でもなくてただ「感情」が人生の根底なのである。
和辻

感情に置いた・・・
これは、凄いことである。
理知でも、意志でもない。
つまり、私は、感情を感性と捉える。

従って、表現された「物のあはれ」に没入することは、囚われたる上面を離れて人性の奥底の方向に帰ることを意味する。特に彼が典型とする中古の物語は、「俗の人の情とははるかにまさりて」、「こよなくあはれ深き」、「みやびやかなる情」のかぎりを写している。ゆえに、これを読む人の心には、その日常の情よりもはるかに高い、浄められた、「物のあはれ」がうつってくるのである。
和辻

この、浄められるという、感覚である。
浄化される。
これは、日本の伝統にある、清め祓いの心得だ。

読むことにより、心が清められる、浄化されるという、考え方は、まさに、伝統的な考え方である。

和辻は、
かくして前の疑問は、彼の「人情主義」の立場から解かれている。
と、言う。

そして、更に、
かく「物のあはれ」を根拠づけるとともに、「物のあはれむをば単に感情を対象に即して言い現したものとのみ見ることは許されなくなる。もとより「物のあはれ」はその領域としては「人の感ずべき限り」を、すなわち広さにおいては、単に官能的のみならず道徳的宗教的その他一切の感情をーーーたとえば人の品位に感じる仏心の貴さにうたれるというごときをもーーーまた深さにおいては、およそ人間の感受力の能う限りを、包括しなくてはならない。
しかし最初に定義したごとくいかなる感情も直ちにそのままに「物のあはれ」と見られるべきであるとすれば、右のごとき「物のあはれ」の浄化作用は解き難いものとなるであろう。そこで彼は、(ここに説くごとき論理的必要によってではなていが)「物のあはれ」に性質上の制限を加える。
和辻

つまり、「物のあはれ」とは、言えないものがあるということだ。
というより、「物のあはれ」を知らぬものである。

性質上の制限・・・
それは、「物のあはれ」とは、言えないというもの。

その一つは、法師である。
出家の道は「物のあはれを知りては行ひがたきすぢなれば、強ひて心強く、あはれ知らぬものになりて、行ふ道」であるゆえに・・・
法師が真に法師である限り、「あはれ」を知らぬものである。

この意味では、「物のあはれ」は世間の人情に即するものと解せられなくてはならぬ。
和辻

出家の道は、物のあはれを、知れば出来ぬ行為である。
つまり、世間の人情から、離れて、心強く行為するものであるから。

砕いて言えば、信仰に強情だから、出来る行為である。
その強情さには、物のあはれ、という、心象風景は、迷いとか、屁理屈をつけて、否定する。

更に、理知的な事柄・・・
その一つ、本居宣長が嫌った、唐心である。

中国の哲学、思想を、徹底的に、排除した。
議論のための、議論のような、延々と終わらない議論である。

更に、言葉に従わせるという、思想の数々。
それらは、物のあはれを、知らないのである。

まさに、人情、感情の世界とは、かけ離れている。
儒学の盛んだった、時代に、それは、大変な思想的転換だった。

国学といわれる、所以である。

勿論、国学も、生成発展してゆかなければ、ならない。
国学が、歪になるのは、そこに、神道という、哲学が生まれるからだ。

その神道といっても、道教の影響が大である。

幕末にそれが、哲理となり、明治維新へと、向うが・・・
善い面と、悪い面がある。

それは、国家神道といわれるものが、生まれたことである。
皇室神道としてのみ、存続していれば、問題がなかった。

更に、神道が、伝統行為のうちに存在していた方が、平和だったのである。

それは、物のあはれの、亜流となって、発展したという。
全く、別物である。

物のあはれ、は、世間の人間の情の中に、宿るものである。
国家、政治との係わりによって、現れるものではない。

また、道徳的なものとも、違う。
何事か、説いて、導くものではない。

自然発露として、人間の心、日本人の心に宿る、心象風景なのである。

感情から、感性へと辿ることにより、もののあはれ、は、より明確に心に感じ取ることが出来るのである。

posted by 天山 at 05:59| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月28日

もののあわれについて675

和辻は、物語から引いて、
「物あはれ」は単に自然的な感情ではない。(たとえば嫉妬のごとき)むしろある程度に自然的な感情を克服した、心のひろい、大きい、同情のこころである。
と、なる。

「物のあはれを知り過す」のも「物のあはれ」を知るのではない。この「知り過す」というのは、深く知る意ではなく、さほどに感ずべきではないことにもさも感じたようにふるまって、そのために、深い体験を伴うべきことも軽易に、浮か浮かと経験して通ることである。
従ってその経験は多岐であっても、内容は浅い。たとえば移り気に多くの女を愛するものは、「なさけたるに似たれども然らず。まことには物のあはれ知らざるなり。・・・これをもかれをもまことにあはれと思はざるからにこそはあれ。
一人を愛する心の深さを知らぬものが、すなわちまことに「物のあはれ」を知らぬものが、多くの人に心を移すのである。これは感傷や享楽的態度を斥けた言葉と見られるであろう。従って「者のあはれ」は、感傷的ではない、真率な深い感情でなくてはならぬ。
和辻

少しく、難しい理屈になってきた。

感傷的ではない、真率な深い感情・・・
移ろい流されるような、感傷ではないということだ。
更に、真摯な深い心・・・

私は、感性という。

感性は、知性と理性と並ぶ、人間の能力である。

知性と理性を、引き離して、感性を特別に高めるのである。
その感性は、芸術、技芸、文芸によって、形となる。

これらの制限によって、「物のあはれ」は、世間的人情であり、寛いhumaneな感情であり、誇張感傷を脱した純な深い感情であることがわかる。従って「物のあはれ」を表現することは、それ自身すでに浄められた感情を表現することであり、それに自己を没入することは自己の浄められるゆえんであることもわかる。かくて彼が古典に認める「みやび心」「こよなくあはれ深き心」は、我らの仰望すべき理想となる。
和辻

本居宣長は、源氏物語を読み込むことで、その、物のあはれ、という心象風景を尋ねた。
そして、その物語の細部に、その心を見たのである。

みやび心、こよなくあはれ深き心・・・
それは、制限があって、成り立つ、心の浄化、浄めなのである。

もののあはれを感じることによって、心が、清められるのである。

私は、このエッセイの最初に、延々として、宣長の引用をして、書き付けた。
だが、それで、理解は出来ない。
つまり、それは、人それぞれの感性に、行き着くからである。

特に、西欧の哲学思考に馴れた人には、理解出来ないのである。
それは、言葉の世界の違いである。
事は、大和言葉の世界である。

大和言葉への、理解がなければ、考える手立てが無い。
西欧の哲学用語に、みやび、こよなくあはれ深き心、などは、見当たらないのである。

自分が理解出来ないものは、説明が悪いのだという、意識が、西欧の哲学思考に馴れた人には、ある。
更に、近代日本の哲学用語にも無いのである。

比べるものが無い。
ただし、大和言葉を知ることにより、比べることが出来る。

その、大和言葉を、低レベルなものだと、思い続けている人は、もののあはれを知る、よすがが無いと言うことだ。

哲学もそうだが、大和言葉も、知らずに生きることは出来る。
それは、個々人の教養に任せられる。

理解しない人に、無理に理解せよとは、言わないのである。
それが、また、もののあはれ、である。

しかし彼は果たして理想主義を説いているのであろうか。「物はかなきまことの情」が人生の奥底であり、そうして「物のあはれ」が純化された感情であるとすれば、その純化の力は人性の奥底たるまことの情に内在するのであるか。すなわち人性の奥底に帰ることが、浄化であり、純化であるのか。言い換えれば、彼のいわゆる人性の奥底は真実のSeinであるとともにSollenであるのか。彼はこの問題に答えておらぬ。
和辻

確かに、そうである。
宣長は、源氏物語の中に書かれている、用語を捉えて、それを根拠とする。
それは、つまり、紫式部の人生観であるといえる。

しかし彼は紫式部の人生観がいかなる根拠に立つかを観察しようとはしない。紫式部は彼にとって究極の権威であった。
和辻

源氏物語の、本意をとって、それをあらゆる、物語、詩歌の本意として、立てた。

我々はここに彼の究極の、彼の内に内在して彼の理解を導くところの、さらに進んでは紫式部を初め多くの文人に内在してその創作を導いたところの、一つの「理念」が反省せられているのを、見いだすことはできぬ。
和辻

確かに、そのようである。
だが、和辻は、更に、掘り下げて、それを観るのである。

平たく言えば、源氏物語を基本として、宣長は、物語、詩歌を、分析したのである。
すると、源氏物語は、紫式部の人生観によるとなる。

だが、問題がある。
源氏物語は、紫式部一人の書き手ではない。
多くの書き手が存在している。

その、多くの書き手の、一つにして、通じているもの・・・
それが、問題である。

勿論、和辻の分析を続ける。
posted by 天山 at 05:26| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月29日

もののあわれについて676

彼のいわゆる「まごころ」は、「ある」ものでありまた「あった」ものではあるが、しかし目前には完全に現れていないものである。そうして現れることを要請するものである。従ってそれは十分な意味において理想と見られてよい。彼が人性の奥底を説くとき、それは真実在であるとともにまた当為である。あの「みやび心」は、――「まこごろ」――の芸術的表現は、――現される理想としての意義を持つのである。
和辻

本居宣長の説を、分析、解説する、和辻である。

ここで、もう一度、振り返れば、物語、つまり、大和言葉によって、理解されなければならないということである。
そうして、理解された時に、外国語に、翻訳出来るのである。

和辻も、哲学的考察をしてるが・・・

目前には完全に現れていないものである・・・
「ある」ものであり「あった」ものだが、完全に現れていないもの。
これが、もののあはれ、を理解するのに、不明だった。

完全に現れていないものに対する、美意識である。
その美意識は、「まごころ」に支えられてある。

「みやび心」とは、「まごころ」の芸術的表現と、和辻は、言う。

ここに、和辻の意義がある。
芸術的表現なのである。

ところが、西洋哲学に馴れた人は、それを理解出来ないのである。
哲学用語に、「みやび心」などという、表現を見出せないからである。

この「みやび心」という言葉を、外国語に、どのように翻訳するのかは、大和言葉で、理解した人の、理解度による。

たゆたい・・・という言葉なども、実に難しい。
ファジー・・・曖昧な・・・それも、ピンとこないのである。

我々はこの宣長の美学説に相当の敬意を払うべきである。
和辻

推古仏のあの素朴な神秘主義を裏付けるものは、宣長の意味での「物のあはれ」だと言えなくはない。
和辻

そこまで、辿るか・・・
更に、白鳳、天平の古典的な仏像、刹那の叫びたる叙情詩についても・・・と言う。

それ以後の、文化的なもの、皆に、行き渡るのである。

私は、それでは、万葉集からの伝統であるとも、言う。
すでに、物のあはれの伝統は、万葉集から、始まっていたのである。

日本人の心象風景である、あはれ、である。

その後の、文化全般に行き渡るもの・・・

しかし我々は、これらの芸術の根拠となれる「物のあはれ」が、それぞれに重大な特異性を持っていること、そうして平安朝のそれも他のおのおのに対して著しい特質を持つことを見逃すことができない。これらの特異性を眼中に置くとき、特に平安朝文芸の特質に親縁を持つ「物のあはれ」という言葉を、文芸一般の本意として立てることは、あるいは誤解を招きやすくはないかと疑われる。
和辻

確かに、そのようである。
誤解される。

私のように、文芸は、面白いか、面白くないか、で決めるという、タイプには、必要の無い、解釈である。

ただ、源氏物語を読んでいて、何となく、流れているモノ・・・
完全に、その正体が見えないけれど、何となく、感じ取るモノ・・・

そして、なんとなく、理解出来るモノ・・・なのである。

特に、物語にある、和歌の数々は、そのようである。

だが、和辻は、哲学として、観ている。

我々は宣長が反省すべくしてしなかった最後の根拠を考えてみなければならぬ。
和辻

そこまでは、考えていなかった・・・と言う人もいる。
反省すべくしてしなかった・・・モノとは・・・

それは、物のあはれ、モノという言葉についてだ。

宣長は「もの」という言葉を単に「ひろく言ふ時に添ふる語」とのみ解したが、しかしこの語は「ひろく言ふ」ものではあっても「添ふる語」ではない。「物いう」とは何らかの意味を言葉に現すことである。
和辻

和辻は、
「美しきもの」「悲しきもの」などの用法においては、「もの」は物象であると心的状態であるとを問わず、常に「或るもの」である。美しきものとはみの一般的な「もの」が美しきという限定を受けているにほかならない。かくのごとく「もの」は意味と物とのすべてを含んだ一般的な、限定せられる「もの」である。
と言う。

更に、
限定せられた何ものでもないとともに、また限定せられたもののすべである。
和辻

EsであるとともにAllesである。

「もののあはれ」とは、かくのごとき「もの」が持つところの「あはれ」――「もの」が限定された個々のものに現れるとともにその本来の限定せられざる「もの」に帰り行かんとする休むところなき動きーーにほかならぬであろう。
和辻

これを、たゆたい、というのである。
あるいは、ゆくりなく、なのである。

大和言葉とは、そのような言葉なのである。
一から究極まで、絶えず、休むことなく、動く心、なのである。

もの=あはれ、なのである。
もの、は、あはれ、なのである。

posted by 天山 at 06:15| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月30日

もののあわれについて677

我々はここでは理知及び意志に対して感情が特に根本的であると主張する必要を見ない。この三者のいずれを根源に置くとしても、とにかくここでは「もの」という語に現された一つの根源がある。そうしてその根源は、個々のもののうちに働きつつ、個々のものをその根源に引く。我々がその根源を知らぬということと、その根源が我々を引くということは別事である。
「もののあはれ」とは畢竟この永遠の根源への思慕でなくてはならぬ、歓びも悲しみも、すべての感情は、この思慕を内に含む事によって、初めてそれ自身になる。意識せられると否とにかかわらず、すべての「詠嘆」を根拠づけるものは、この思慕である。
和辻 改行は、私

永遠の根源への思慕・・・
こうして、和辻によって、価値付けられた。

これも、一つの試みである。

かくて我々は、過ぎ行く人生の内に過ぎ行かざるものの理念の存する限りーー永遠を慕う無限の感情が内に蔵せられてある限り、悲哀をば畢竟は永遠への思慕の現れとして認め得るのである。それは必ずしも哲学的思索として現れるのみではない。・・・
和辻

様々な人生の、日常生活の中で、心の動く時・・・

人生における一切の愛、一切の歓び、一切の努力は、すべてここにその最深の根拠を有する。「もののあはれ」が人生全般にひろまるのは、畢竟このゆえである。
和辻

もののあはれ、とは、無限性の感情であると、和辻は、言う。
そして、それは、日本人が見出した、心象風景であると、私は言う。

それは、限りなく、純化され浄化されようとする傾向を持つのだ。

そして、それが、日本人の美意識にまで、高まった。
あらゆる、日本の伝統文化の中に、息づいてあるもの、である。

その美意識に触れると、言葉に出来ない、あはれ、という感情に身を任せるのである。
あはれ、という他に言いようのないもの・・・

そして、また、それが、日常の至る所に存在するのである。

源氏物語の、投げ掛けたもの・・・

それは、平安朝という時代性にもある。

平安朝は何人も知るごとく、意力の不足の著しい時代である。その原因は恐らく数世紀にわたる平和な貴族生活の、限界の狭小、精神的弛緩、享楽の過度、よき刺激の欠乏等に存するであろう。
和辻

その通りであろう。

当時の文芸美術によって見れば、意力の緊張、剛強、壮烈等を讃美するこころや、意力の弱さに起因する一切の醜さを正当に評価する力は、全然欠けている。意志の強きことは彼らにはむしろ醜悪に感ぜられたらしい。それほど人々は意思が弱く、しかもその弱さを自覚していなかったのである。従ってそれは、一切の体験において、反省の不足、沈潜の不足となって現れる。
彼らは地上生活のはかなさを知っている、しかしそこから充たされざる感情によって追い立てられ、哲学的に深く思索して行こうとするのではない。・・・
和辻 改行は私

平和が続くとは、そういう時代を生むということだ。
実は、現代も、そのようである。
だから、平安期のような文芸が現れるか・・・
それぞれ、個別的な、物語量産時期であり、それらは、消費されるだけである。

もう、時代が違うのである。

かく徹底の傾向を欠いた、衝動追迫の力なき、しかも感受性においては鋭敏な、思慕の情の強い詠嘆の心、それこそ「物のあはれ」なる言葉に最もふさわしい心である。我々はこの言葉に、実行力の欠乏、停滞せる者の詠嘆、というごとき倍音の伴うことを、正当な理由によって肯くことができる。
和辻

源氏物語の中に、込められているものは・・・
永遠への思慕に色づけられたる官能享楽主義、涙にひたれる唯美主義、世界苦を絶えず考慮する快楽主義・・・
和辻が、掲げるものである。

確かに、本文には、それらの思いが多く、述べられている。

例を挙げれば、キリが無いほど。

源氏物語には、戦いの場面は、一切無い。
そのような時代背景である。
切迫したものが無いのである。
だから、宿世や、末の世を嘆く。

そこには、多分に、仏教、特に、浄土の教えがある。
平和なるが故に、厭世観が強く、出家を目指す生き方である。

悲惨でも、悲劇でもない故に、陥る、神経症的な、何かに対する、怯え。
理解不能な、病を、物の怪として、扱う等々・・・

後に、著される、平家物語などの、勇ましさは、全く存在しない世界。

そして、最大なる特徴は、女たち、女房たちである。
女房文学・・・

平安期の、文学の担い手は、すべて女で占められる。
その視点は、女のものである。
ここにも、注目することが、出来る。

私は、源氏物語の前に、紫式部日記を、書き付けている。
それから、物語へと、進めた。
その、紫式部の、抑うつ感は、甚だしいものがある。

物語制作は、その前後であるから、更に、物語の内容に影響していることが、見て取れるのである。

posted by 天山 at 06:08| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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