2014年09月13日

もののあわれについて698

かんの君、「いでや、世の中を思ひ知るにつけても、昔よりつらき御心をここら思ひつめつる年頃のはてに、あはれに悲しき御事をさしおきて、いかなる昔語りをか聞えむ。げに人は漏り聞かぬやうありとも、心の問はむこそいと恥づかしかるべけれ」と、うち嘆き給ひつつ、なほさらにあるまじき由をのみ聞ゆ。




尚侍の君は、でも、世間の事が解ってくると共に、若者みたいに、昔からつれないお心と、何度も思わされた今頃になり、お気の毒で、悲しいご出家を差し置いて、どんな昔話が申し上げられましょう。それは、誰にも聞かれずに済むことはあっても、心の内に聞かれたら、答えようもない、と、嘆きつつ、今更、考えられないこととの、お返事ばかりである。



古へわりなかりし世にだに、心かはし給はぬ事にもあらざりしを、げに背き給ひぬる御為め後ろめたきやうにはあれど、あらざらし事にもあらねば、今しもけざやかに清まはりて、立ちしわが名、今更に取り返し給ふべきにや、と、思しおこして、この信田の森を道しるべにて、まうで給ふ。




昔、無理な話だった、あの頃でさえ、同じ心では、なかったのに、いかにも、ご出家されたお方に対して、暗い気持ちはするが、昔なかった事でもないので、今になり、綺麗に潔白ぶっても、立ってしまった、浮名を改めて取り消すことが、できないだろうと、元気を出して、この信田の森を、道案内にして、お出掛けになる。

源氏の心境である。
古・・・会うことの、到底無理に思われた頃である。

立ちにしわが名
村鳥の 立ちにしわが名 今更に 事なしぶとも しるしあらめや
古今集




女君には、源氏「東の院にものする常陸の君の、日頃わづらひて久しくなりけるを、もの騒がしき紛れに訪らはねば、いとほしくてなむ。昼などけざやかに渡らせむも便なきを、夜のまに忍びて、となむ思ひ侍る。人にもかくとも知らせじ」と、聞え給ひて、いといたく心げさうし給ふを、例はさしも見え給はぬあたりを、「あやし」と、見給ひて、思ひ合はせ給ふこともあれど、姫宮の御事の後は、何事も、いと過ぎぬる方のやうにはあらず、少し隔つる心そひて、見知らぬやうにておはす。




女君、紫の上には、源氏が、東の院にいる常陸の君が、このところ病が長引いているが、何か忙しさに取り紛れ、お見舞いもしなかったので、可愛そうで。昼間、人の見る中で出掛けて行くのも、具合が悪いので、夜の間に、ひっそりと、と思います。誰にも、こうとは、知らせずに、と、申し上げた。たいそう、せわしない様子で、いつもは、それほど気にしないが、変だと、思いつつ、思い当たることもあるが、姫宮のことがあってからは、何事も昔のようではなく、少し他人行儀な気遣いが出来て、気づかない振りをしている。




その日は寝殿へも渡り給はで、御文書きかはし給ふ。たき物などに、心を入れて、暮らし給ふ。宵過ぐして、睦まじき人の限り四五人ばかり、網代車の、昔おぼえて、やつれたるにて出で給ふ。




その日は、寝殿へも、いらっしゃらないで、お手紙をやり取りされる。薫物などに気をつけて、一日を過ごし、宵が過ぎるまで待ち、親しい者ばかり四五人ほどを連れて、網代車の昔を思い出させる粗末なもので、お出掛けになる。




和泉の守して、御消息聞え給ふ。
かく渡りおはしましたる由、ささめき聞ゆれば、驚き給ひて、朧月夜「あやしく、いかやうに聞えたるにか」と、むつかり給へど、女房「をかしやかにて返し奉らむに、いと便なう侍らむ」とて、あながちに思ひめぐらして入れ奉る。
御とぶらひなど聞え給ひて、源氏「ただここもとに、物ごしにても。更に昔のあるまじき心などは、残らずにりにけるを」と、わりなく聞え給へば、いたく嘆く嘆くいざり出で給へり。「さればよ。なほ気近さは」と、かつ思さる。




和泉の守を使いにして、ご案内申し上げる。
到着したことを、そっとお耳に入れると、びっくりされて、朧月夜は、変だこと。どのようにお返事申し上げたのかと、ご機嫌が悪い。女房は、風情のあるもてなしをして、お返し申し上げましょう。具合が悪いでしょう、と言い、無理に工面して、お入れ申し上げる。
お見舞いなど、申し上げて、源氏は、ほんのここまで、お出で下さい。几帳ごしにでも。全く、昔のような、あるまじき心は、なくなっています、と切に、申し上げると、ひどく溜息をつきながらも、いざって、出てこられた。
案の定だ。矢張り、腰の軽さは変わらない、と、一方では、思いになる。




かたみにおぼろけならぬ御みじろきなれば、あはれも少なからず。
東の対なりけり。辰巳の方の廂にすえ奉りて、御障子のしりは固めたれば、源氏「いと若やかなる心地もするかな。年月の積もりをも紛れなく数へらるる心ならひに、かくおぼめかしきは、いみじうつらくこそ」と、恨み聞え給ふ。




お互いに、知らぬではない、相手の身の動きにて、心の動くこと、ひとしおである。
東の対であった。その東南の廂の間に座っていただき、間を隔てる襖障子の端は、固くとめであるので、源氏は、全く若い者のような気もします。あれから、何年何月と、はっきり数えられるほど、いつも思い続けています。このような、頼りないお扱いは、辛いものです。と、恨み申し上げる。


posted by 天山 at 06:36| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月14日

もののあわれについて699

夜いたく更け行く。玉藻に遊ぶをしの声々などあはれに聞えて、しめじめと人目少なき宮のうちの有様も、「さも移り行く世かな」と思し続くるに、平中がまねならねど、まことに涙もろになむ。昔にかはりて、おとなおとなしくは聞え給ふものから、源氏「これをかくてや」と、引き動かし給ふ。




夜がすっかりと更けて行く。玉藻に遊ぶ、おし鳥の声が、あはれに聞える。しっとりと、人気の無い宮のうちの様子も、こうも変わってしまう世の中だ、と、あれこれ思い続けていると、平中の真似ではないが、本当に、涙が出てしまう。昔と違い、落ち着いて話はされるものの、源氏は、この隔ては、このままか、と、動かすのである。

平中とは、女の前で泣く真似をして、失敗した話。

あはれに聞えて・・・
このまま、あはれ、でいい。しんみりと・・・静々と・・・




源氏
年月を なかに隔てて 逢坂の さもせきがたく 落つる涙か

女、
朧月夜
涙のみ せきとめがたき 清水にて 行きあふ道は 早く絶えにき

など、かけ離れ聞え給へど、古へを思しいづるも、「誰により、多うはさるいみじき事もありし世の騒ぎぞは」と、思ひ出で給ふに、「げに今一度の対面は、ありもすべかりけり」と、思し弱るも、もとより、づしやかなる所はおはせざりし人の、年頃はさまざまに世の中を思ひ知り、来し方を悔しく、公私のことにふれつつ、数もなく思し集めて、いといたく過ぐし給ひにたれど、昔覚えたる御対面に、その世のことも遠からぬ心地して、え心強くももてなし給はず。




源氏
長い年月の後、やっと今、お逢いできたのに、こんな関があっては、止められないほど、涙が出ます。


朧月夜
涙だけは、関の清水のゆうに、せき止めにくく、溢れ出ても、お逢いする道は、もう絶えてしまいました。

など、もってのほかと、ご返事されるが、昔を思い出すと、誰のせいで、あのような大変なことが起こり、大騒ぎになったのかと。すべては、自分のせいだと考えるので、なる程に、今一度、会ってもいいことと、気が弱るのも、元々、重々しいところがなかった人が、この何年かは、あれこれと、愛情の問題も解り、昔の事を後悔して、公につけ、私につけ、数え切れないほどに、考えることがあり、大変慎んで過ごしていたが、昔が思い出される対面に、あの頃の事も、そう昔ではないような気がして、つれない態度も、取れない様子なのだ。

源氏の心境であるが・・・
何とも、複雑である。
ここで、女、と書くのは、源氏の恋人として、認識するからだ。




なほらうらうじく若うなつかしくて、一方ならぬ世のつつましさをもあはれをも思ひ乱れて、嘆きがちにてものし給ふ気色など、今はじめたらむよりも珍しくあはれにて、明け行くもいと口惜しくて、出で給はむそらもなし。
朝ぼらけのただならぬ空に、百千鳥の声もいとうららかなり。花は皆散り過ぎて、なごりかすめる梢の浅緑なる木立、むかし藤の宴し給ひし、このころまことなりけりかし、と思し出づる。年月のつもりにける程も、その折りのこと、かき続けあはれに思さる。




今も、品よく、優しくて、並々ならぬ世間への遠慮と、源氏への思慕に、溜息の様子など、今初めて、逢った以上に、新鮮で心が動く。夜が明けて行くのも、残念でたまらず、帰る気もしないのだ。
朝ぼらけの、特別に感じる空に、百千鳥の声も、とてもうららかである。花は皆散ってしまい、その後、霞かかった梢の浅緑の木立。昔、右大臣が藤の花の宴をされたのは、今頃だったと、思い出す。年月の積もったほど、あの折りのことなども、次々と、あはれに思い出される。

あはれをも思ひ乱れて・・・
珍しくあはれにて・・・
かき続けあはれに・・・

あはれ、という言葉が多い。
深い心境である。
また、懐かしい気持ち・・・
これらを、すべて、しみじみと、とは、言えない。

それぞれの、あはれ、の、風景があるのだ。




中納言の君、見奉り送るとて、妻戸押しあけたるに、立ち返り給ひて、源氏「この藤よ。いかに染めけむ色にか。なほえならぬ心そふ匂ひにこそ。いかでこの藤をば立ち離るべき」と、わりなく出でがてに思しやすらひたり。




中納言の君が、お見送り申し上げるために、妻戸を押し開けたが、元に戻り、源氏は、この藤だ。どうして、こんなに美しく咲いたのか。矢張り、何とも言えない味のある色だ。どうして、この藤を立ち去ることができよう、と、どうしても出にくそうに、戸惑って佇むのである。

なほ え ならぬ心そふ匂ひにこそ・・・
匂ひ、は、姿、形、色をも言う。
え、は強調の意である。

匂ひ、という言葉の、原型である。
語源としても、いい。

posted by 天山 at 06:26| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月15日

もののあわれについて700

山際よりさし出づる日の、はなやかなるにさしあひ、目も輝く心地する御様のこよなくねび加はり給へる御気配などを、珍しく程経ても見奉るは、まして世の常ならず覚ゆれば、「さる方にても、などか見奉り過ぐし給はざらむ。御宮仕へにも限りありて、際ことに離れ給ふこともなかりしを、故宮のよろづに心を尽くし給ひ、よからぬ世の騒ぎに、かろがろしき御名さへひびきてやみにしよ」など、思ひ出でらる。




山際から差し掛けてくる、朝日の華やかな光に映えて、目もくらむ思いがするお姿の、年とともに、いよいよご立派になられるそのご様子を、久しぶりに、今拝する中納言は、昔以上に、世の常の人とも思えぬ気がする。どうして、一緒にお暮らしにならないのだろう。宮仕えにも、限度があり、特別の位にも、就かれず、亡き皇太后が何から何まで、一生懸命になさり、けしからぬ騒ぎが起こり、浮名まで立って、あれっきりになってしまったのだ。などと、つい、心に浮かんでくる。




名残多く残りらむ御物語のとぢめは、げに残りあらせまほしきわざなめるを、御身を心にえ任せ給ふまじく、ここらの人目もいと恐しくつつましければ、やうやうさしあがり行くに心あわただしくて、廊の戸に御車さし寄せたる人々も、忍びて声づくり聞ゆ。




名残多いお話は尽きず、話の終わりは、いかにも後を、続けさせたいものだけれど、御身をご自由に出来ないご身分で、多くの人目に触れることも恐ろしく、遠慮もされるので、だんだんと、日が高くなり、気が気ではなく、廊の戸口に車を持ってきた、お供の人たちも、そっと、催促される。




人召して、かの咲きかかりたる花、一枝折らせ給へり。

源氏
沈みしも 忘れぬものを こりずまに 身も投げつべき 宿の藤波

いといたく思しわづらひて寄り居給へるを、心苦しう見奉る。
女君も、今度にいとつつましく、さまざまに思ひ乱れ給へるに、花の蔭はなほなつかしくて、

朧月夜
身を投げむ 淵もまことの 淵ならで かけじやさらに こりずまの波

いと若やかなる御ふるまひを、心ながらも許さぬことに思しながら、関守の固からぬたゆみにや、いとよく語らひおきて出で給ふ。
そのかみも、人よりこよなく心とどめて思う給へりし御心ざしながら、はつかにてやみにし御中らひには、いかでかはあはれも少なからむ。




お供召して、垂れ下がる藤の花の一枝を折らせて。

源氏
須磨で沈んで、暮らしたことを、忘れない。こりもせずに、またこの家の藤に、淵に、身を投げてしまいそうだ。

たいそうな、煩悶の様子で、欄干に寄りかかり、お座りなのを、中納言は、お気の毒と、拝する。
女君も、今更に、身の縮む思いで、あれこれと、追憶していられる。花の影には、やはり、身も寄せたく思いつつ、

朧月夜
身を投げようとおっしゃる淵も、本当の淵ではないものです。しょうこりもなく、誘われたりは、しまいと、思います。

大変、若々しいなさりようで、自分のことながら、良くないことと、思いつつ、関守が固くないので、気が弛むのか、源氏は、よくよく、後の逢瀬を約束して、お出になる。
あの昔も、他の女以上に、熱心に愛していらした方なのに、わずかの間で、途絶えたお二人なので、どうして、愛情の浅いことがあろうか。

いかでかは あはれも 少なからむ
ここでは、愛情のことを、あはれ、と表現する。
あはれの風景が、更に広がる。

関守の・・・
人知れぬ わがかよひぢの 関守は よひよひごとに うちも寝ななむ
伊勢物語




いみじく忍び入り給へる御寝くたれのさまを待ち受けて、女君「さばかりならむ」と心え給へれど、おぼめかしくもてなしおはす。なかなかうちふすべなどし給−らむよりも心苦しく、「などかくしも見放ち給へらむ」と思さるれば、ありしよりけに深き契りをのみ、長き世をかけて聞え給ふ。




源氏は、とてもこっそりと、入って来られる、その寝乱れたお姿を、待つ身で見て、女君は、そんなことだろうと、察するが、気づかない振りをしておられる。かえって、焼きもちをされるより、お気の毒で、どうして、このように放っておくのかと、思うのだが、前よりも、一層、強い愛情を、永遠に変わらないと、お約束申し上げる。

これでは、紫の上が、一枚上手である。

いつの世も・・・
この、男と女の物語が、繰り返される。

世界初の小説が、普遍的な男女の物語にもなるのである。

だが、そこに、あはれ、という風景を磨き上げた、日本人の感性は、素晴らしいものがある。
これが、西欧などだと、罪と罰のようなお話になる可能性がある。
posted by 天山 at 05:53| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月19日

もののあわれについて701

尚侍の君の御事も、また漏らすべきならねど、いにしへの事も知り給へれば、源氏「まほにはあらねど物ごしにはつかなりつる対面なむ残りある心地する。いかで人目とがめあるまじくもて隠しては今一度も」と語らひ聞え給ふ。うち笑ひて、紫「今めかしくもなりかへる御有様かな。昔を今に改め加へ給ふほど、中空なる身のため苦しく」とて、さすがに涙ぐみ給へるまみの、いとらうたげに見ゆるに、源氏「かう心安からぬ御けしきこそ苦しけれ。ただおいらかにひきつみなどして教へ給へ。へだてあるべくも慣らはし聞えぬを、思はずにこそなりにける御心なれ」とて、よろづに御心とり給ふほどに、何事もえ残し給はずなりぬめり。




尚侍の君の事も、誰に漏らすべきではないが、昔の事も、ご存知でいられるから、真っ当に源氏は、屏風ごしに、ほんの少しの間、会っただけなので、物足りない気がする。何とかして、人に見咎められぬように、秘密にして、もう一度くらいは、と、お話される。軽く笑い、紫の上は、今風に、若返りされた様子です。昔されたことを、改めて、昔以上になさるのですね。拠り所の無い私は、辛くて、と、それでも、涙ぐみになる、目つきが可愛らしいく見える。源氏は、こんなに機嫌が悪い様子では、辛いことだ。いっそ、あっさり、つねるなりして叱ってください。思うことを言わずにいるようなことのないように、してきたのに、案外なお方になったようです。と、何かとご機嫌をとるうちに、何もかも言わずにいられなくなる様子だ。




宮の御方にもとみにえ渡り給はず。こしらへ聞えつつおはします。
姫宮は何とも思したらぬを、御後見どもぞ安からず聞えける。わづらはしうなど見え給ふ気色ならば、そなたもまして心苦しかるべきを、おいらかに美しきもてあそびぐさに思ひ聞え給へり。




宮様のお部屋にも出ずに、ご機嫌を取っていられる。
姫宮は、何とも思わないが、お世話役連中は、ご心配申し上げる。
うるさい方と思われるような様子なら、紫の上以上に、お気の毒なのだが、おっとりしていて、可愛らしい玩具と思い、申し上げている。

源氏の様子と心境である。




桐壺の御方は、うちはへまかで給はず。御いとまのあり難ければ、心安くならひ給へる若き御心に、いと苦しくのみ思したり。夏ごろ、悩ましくし給ふを、とみにも許し聞え給はねば、いとわりなしと思す。めづらしきさまの御心地にぞありける。まだいとあえかなるおほむ程に、いとゆゆしくぞ、誰も誰も思すらむかし。




桐壺の御方は、ずっと、お里下がりにできずにいられる。お暇が出そうにないので、お気楽が癖になっている、若い方とても、たまらなく思っていられる。
夏のころ、ご気分が優れず、すぐには、お里帰りをお許しされないので、ひどいと、思うのである。おめでたのご様子だったのだ。まだ、ごく弱々しい体つきなので、大変心配に、どなたも、どなたも、思うのである。

めずらしきさま
懐妊の状態である。

桐壺の御方とは、明石の女御である。また、淑景舎、とも言われる。




かろうじてまかで給へり。姫宮のおはしますおとどの東面に、御方はしつらひたり。明石の御方、今は御身に添ひて、出で入り給ふも、あらまほしき御宿世なりかし。




やっとのことで、ご退出された。姫宮がお住まいである、寝殿の東座敷に、お部屋を整えた。明石の御方は、今では、御方に付き添い、参内し、退出されるのも、うらやましいまでの、御運である。

最後は、作者の言葉。




対の上こなたに渡りて、対面し給ふついでに、紫「姫宮にも中の戸あけて聞えむ。かねてよりもさやうに思ひしかど、ついでなきにはつつましきを、かかる折に聞えなれなば、心安くなむあるべき」と、大殿に聞え給へば、うち笑みて、源氏「思ふやうなるべき御語らひにこそはあなれ。いとおさなげにものし給ふめるを、うしろやすく教えなし給へかし」と許し聞え給ふ。
宮よりも明石の君の恥づかしげにてまじらむを思せば、御髪すましひき繕ひておはする。類あらじと見え給へり。




対の上、紫の上が、寝殿にお出でになり、桐壺の御方にお逢いになるついでに、姫宮にも、中の戸を開けて、ご挨拶申し上げましょう。前々から、そのように思いましたが、何も無いのにと、遠慮していました。このような折に、お話しましたら、気が楽になることでしょう。と、申し上げる。にっこりと笑い、源氏が、望みどおり、と申すべきお話し合いです。ほんの子供子供しているが、安心するように、教えて上げてください。と、お許しになる。
宮様以上に、明石の御方との、気の張る対面を考えて、御髪を洗い、身づくろいをしておいでになるお姿は、二人といないと、見える。




おとどは宮の御方に渡り給ひて、源氏「夕方かの対に侍る人の、淑景舎に対面せむとて出で立つそのついでに、近づき聞えさせまほしげにものすめるを、許して、語らひ給へ。心などはいとよき人なり。まだ若々しくて御遊びがたきにもつきなからずなむ」など聞え給ふ。女三「はづかしうこそあらめ。何事をか聞えむ」とおいらかに宣ふ。源氏「人の答へは、ことに従ひてこそは思し出でめ。隔て置きてなもてなし給ひそ」とこまかに教へ聞え給ふ。




源氏は、宮の御殿にお出でになり、夕方、あちらの対におります者が、淑景舎、しげいさ、にお目通りしようと、出て参りますその機会に、お近づきになりたいように、申しておりますが、お許しくださり、お会いになって頂きたい。気立てなどは、大変良い人です。まだ若々しくて、お遊び相手としても、丁度よいでしょう。などと、申し上げる。
女三の宮は、気詰まりでしょう。一体、何をお話しましょうか。と、おっとりとしたお言葉である。源氏は、返事は、あちらの言うことに、自然にお答えができるものです。ご遠慮なく、お相手ください。と、細々と、教え申し上げる。

姫宮が、女三の宮として、文面に出てくる。

posted by 天山 at 07:00| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月20日

もののあわれについて702

「御中うるはしくて過ぐし給へ」と思す。あまりに何心もなき御有様を見あらはされむも恥づかしくあぢきなけれど、「さ宣はむを、心隔てむもあいなし」と思すなりけり。
対にはかく出で立ちなどし給ふものから、「われよりかみの人やはあるべき。身のほどなるものはかなきさまを、見え置き奉りたるばかりこそあらめ」など思ひ続けられて、うちながめ給ふ。手習ひなどするにもおのづから古言も、物思はしき筋のみ書かるるを、「さらばわが身には思ふことありけり」とみづからぞ思し知らるる。




御中が良く、お暮らしになさるように、と思いである。あまりに、子供子供したご様子を、見られてしまっても、恥ずかしく、面白くないが、あのように、おっしゃるのを、会わせないのも、感心しない、と思いになるのである。
対にありては、このようにご挨拶にお出になるものの、自分より上の人が、あるだろうか。生まれの、相応の貧しいところを、源氏に見られてしまっただけなのだ、などと、つい考え続けて、物思いに沈む。筆を取っても、いつしか、古歌も、物思いの筋のものばかり、筆先に出てくるので、それでは、私に思い悩むことがあったのだと、自分ながら、初めて、気が付くのである。




院渡り給ひて、宮、女御の君などの御さまどもを、うつくしうもおはするかなと、さまざま見奉り給へる御目うつしには、年ごろ目慣れ給へる人のおぼろけならむが、いとかくおどろかるべきにもあらぬを、なほ類なくこそはと見給ふ。あり難きことなりかし。




院が起こしになって、宮や、女御の君などのご様子を、可愛らしくしていられると、一人一人御覧になる、その目で見ると、長年連れ添っていられる方が、いい加減な方なら、これほど驚かれるはずもない。矢張り、二人といない、方だと、御覧になる。
ありそうも無い、お話です。

最後は、作者の言葉。




あるべき限り、気高う恥づかしげに整ひたるに添ひて、はなやかに今めかしく、にほひなまめきたる様々のかをりも取り集め、めでたき盛りに見え給ふ。去年より今年はまさり、昨日より今日は珍しく、常に目なれぬさまのし給へるを、いかでかくしもありけむと思す。




どこからどこまで、一切が気高く立派に整っている、その上に、華やかで、今風で、色艶の上品な、様々な様子も、何もかもお持ちで、今が、美しい盛りに見える。去年よりは、今年のほうが立派に、昨日よりは、今日のほうが素晴らしく、いつも新鮮な様子で、いらっしゃるのを、どうして、こんなにも、美しいのかと、思うのである。




うちとけたりつる御手習ひを、硯の下にさし入れ給へれど、見つけ給ひて、引き返し見給ふ。手などのいとわざとも上手と見えで、らうらうじくうつくしげに書き給へり。

紫の上
身にちかく あきや来ぬらむ 見るままに 青葉の山も うつろひにけり

とある所に、目とどめ給ひて、

源氏
水鳥の 青羽は色も かはらぬを 萩の下こそ けしきことなれ

など書き添へつつすさび給ふ。
ことにふれて、心苦しき御けしきの、下にはおのづから漏りつつ見ゆるを、ことなく消ち給へるも、あり難くあはれに思さる。




気を許しての、遊び書きを、硯の下に入れになり、源氏は見つけて、引き出して、御覧になる。筆跡などは、特別に上手ではないが、上品に、可愛らしく書いてある。

紫の上
身近に秋が来たようです。見ているうちに、青葉の山も、色が変わってきました。私は、飽きられたのではないのか。

と、書いてある場所に目をつけて、

源氏
水鳥の青羽の色は変わらないが、秋萩の下葉がおかしい。私の気持ちは変わらないが、あなたの方が変です。

など、遊び半分に書き添える。
何かにつけて、お気の毒な様子が、隠しても、自然に漏れて出てしまうのを、本人が、なんでもなく、気にしているのも、世に稀な、立派な方だと、源氏は思うのである。

あり難くあはれに・・・
この世にいない、稀な人という。
この、あはれ、は賞賛である。





今宵は、いづかたにも御いとまありぬべければ、かの忍び所に、いと理なくて出で給ひにけり。いとあるまじきことと、いみじく思しかへすにも、かなはざりけり。




今宵は、どちらにも行かなくとも、よさそうなので、あの忍び所に、無理をしてお出掛けになった。実に、けしからんことと、しみじみ反省するが、負けてしまうのである。

忍び所とは、朧月夜の所である。
密会・・・

何とも、このような、挿話を自然に、織り交ぜるのだ。

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2014年10月16日

もののあわれについて703

東宮の御方は、実の母君よりも、この御方をば睦まじきものに頼み聞え給へり。いと美しげにおとなびまさり給へるを、思ひ隔てず、かなしと見奉り給ふ。御物語りなど、いとなつかしく聞え交し給ひて、中の戸あけて宮にも対面し給へり。




東宮の御方、東宮妃、明石の女御は、実の母君より、紫の上を仲良しの御方と思い、頼りにしていた。姫が大変愛らしく、以前より、大人びたのを、紫の上は、心から愛しいと御覧になる。お話を、とてもやさしく交わし、中の戸を開けて、宮にも、お会いされた。

宮とは、女三の宮である。




いと幼げにのみ見え給へば、心安くておとなおとなしく親めきたるさまに、昔の御筋をも尋ね聞え給ふ。中納言のめのとといふ、召し出でて、紫「同じかざしを尋ね聞ゆれば、かたじけなけれど、分かぬさまに聞えさすれど、ついでなくて侍りつるを、今よりは疎からず、あなたなどもものし給ひて、怠らむことはおどろかしなどもものし給はむなむ、嬉しかるべき」など宣へば、乳母「頼もしき御蔭どもにさまざまにおくれ聞え給ひて、心細げにおはしますめるを、かかる御許しのはべれば、ます事なくなむ思う給へられける。そむき給ひにし上の御心むけも、ただかくなむ御心隔て聞え給はず、まだいはけなき御有様をもはぐくみ奉らせ給ふべくぞはべめりし。内々にもさなむ頼み聞えさせ給ひし」など聞ゆ。紫「いとかたじけなかりし御消息ののちは、いかでとのみ思ひ侍れど、何事につけても数ならぬ身なむ口惜しかりける」と安らかにおとなびたる気配にて、宮にも御心につき給ふべく、絵などの事、雛の捨て難きさま、若やかに聞え給へば、「げにいと若く心よげなる一かな」と、おさなき御心地にはうちとけ給へり。




宮は、ただ子供っぽく見えるので、気が楽で、大人らしく、親のような調子で、親御同士の関係もお話し合いされる。中納言の乳母というのをお呼びになり、紫の上は、同じ血のつながりをお探し上げれば、恐れ多いことながら、切っても切れない御縁と申すものの、ご挨拶の折もございませんでしたが、これからは、親しく、東の対にもお出でくださり、不行き届きの点がありましたら、ご注意してくだされば、嬉しく思います、などとおっしゃると、乳母は、お頼り申す御方々に、お一方ずつお別れされまして、心細いご様子と拝しますが、このようなお言葉を頂きましたので、これ以上のことは、ございません。ご出家あそばした陛下の思し召しも、ただ、このように他人扱いにならず、まだ幼い宮様を、ご養育下さるようにと、いうことでございましたので。宮様も、お心の中では、そのように、頼りにされておりました。などと、申し上げる。
紫の上は、まことに、恐れ多いお手紙を頂きましてからは、何とかしてとばかりに、存じておりました。何事につけても、物の数でもない我が身が残念に思われます。と、穏やかに、大人びた調子で、宮様にも、御気に入るように、絵などの事や、人形遊びを、今もしております、など、若々しく申し上げるので、宮様は、本当に若くて、気立ての良いお方だと、子供心に、打ち解けるのである。




さてのちは、常に御文通ひなどしてをかしき遊びわざなどにつけても、疎からず聞え交し給ふ。世の中の人もあいなう、かばかりになりぬるあたりの事は、言ひ扱ふものなれば、はじめつ方は、「対の上いかに思すらむ。御おぼえ、いとこの年頃のやうにはおはせじ。少しは劣りなむ」など言ひけるを、今少し深き御心ざし、かくてしもまさる様なるを、それにつけてもまた安からず言ふ人々あるに、かく憎げなくさへ聞え交し給へば、ことなほりて目やすくなむありける。




そのようなことがあってから、常にお手紙のやり取りなどして、面白い合奏などの折々にも、親しくお話し合いされる。世間の人も、困ったことに、これくらいの地位になった方々の事は、噂したがるもので、初めのうちは、対の上は、どのように思いなのか。ご寵愛も、この数年のようではないようだ。少しは、落ちるだろう、などといったのに、前よりも、殿様の深い愛情が、こんなことで、かえって増したようで、そうなると、またそれで、どうも心配だという連中もいるが、お二方が、このように見た目にも、仲良くお付き合いされるので、噂も変わり、世間体もよくなった。

何となく、解るが・・・
当時の人々の、身分意識である。




十月に、対の上、院の御賀に嵯峨野の御堂にて薬師仏供養じ奉り給ふ。いかめしき事はせちにいましめ申し給へば、忍びやかにと思し錠てたり。仏、経箱、ぢすの整へ、真の極楽思ひやらる。最勝王経、金剛般若、寿命経などいとゆたけき御祈りなり。




かんなづきに、紫の上は、院の四十の御賀に、嵯峨野の御堂で、薬師仏を供養申し上げた。立派な催しは、院がたって禁じたので、上は目立たぬようにと、ご計画された。仏像や、経を入れる箱、経典を巻き納める、じすの整っていること、真の極楽は、これかと思われる。最勝王経、金剛般若、寿命経など、まことに、豊かなお祈りである。




上達部いと多く参り給へり。御堂のさま面白く言はむ方なく、紅葉のかげ分けゆく野辺のほどより始めて見物なるに、かたへはきほひ集まり給ふなるべし。霜がれわたれる野原のままに、馬車の行きちがふ音しげく響きたり。御誦経われもわれもと、御かたがたいかめしくせさせ給ふ。




上達部も、多く参上された。御堂の様子も、興深く、言いようも無い。紅葉の蔭を分けて行く、野辺の辺りからはじまり、見頃の景色ゆえに、それが一つの訳になり、大勢が競って、お集まりになるのだろう。一面に、霜枯れしている野原のまにまに、馬や車の行き違う音が、しきりと響いている。御読経を、我も我もと、六条の院の、ご婦人方が、立派にされる。

霜かれわたれる野原のままに・・・
何とも、風情のある、筆の調子である。
更に、この、若菜の巻きから、ものあはれ、という言葉が使われている。

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2014年10月17日

もののあわれについて704

二十三日を御としみの日にて、この院はかく隙間なくつどひ給へるうちに、わが御わたくしの殿と思す二条の院にてその御まうけせさせ給ふ。御装束をはじめ、大方の事どもも、皆こなたにのみし給ふ。御方々もさるべき事ども、分けつつ望み仕うまつり給ふ。対どもは人の局々にしたるを払ひて、殿上人、諸大夫、院司、下人までのまうけ、いかめしくせさせ給へり。




二十三日を精進落ちの日として、六条の院は、どこも一杯住んでおられるので、上はご自分の私邸と思いの、二条の院で、そのご用意をなさる。御衣装をはじめ、一般の事も、すべて紫の上がされる。他のご婦人方も、適当な事を分担して、進んで奉仕される。二条の院の対は、それぞれ女房の局にしていたのを取り払い、殿上人、諸大夫、院司、下人までの席を、立派にされた。




寝殿の放出を例のしつらひて、螺鈿の椅子立てたり。御殿の西の間に、御衣の机十二立てて夏冬の御よそひ、御ふすまなど例の如く紫の綾の覆ども、うるはしく見え渡りて内の心あらはならず、御前に置き物の机二つ、唐の地の裾濃の覆したり。かざしの台は沈のくえそく、こがねの鳥しろがねの枝に居たる心ばへなど、淑景舎の御あづかりにて、明石の御方のせさせ給へる、ゆえ深く心ことなり。




寝殿の放出を、例のように作り、螺鈿の椅子を立てた。御殿の西の間に、御衣の台を十二たてて、夏冬のお召し物、御夜具などを、いつものように、紫の綾の覆の数々も、見事に並んで、しかし、中の様子は、はっきりしない。院の御前に、置き物の机を二つ、唐の絹の紫のぼかしの覆をしてある。かんざしの造花を乗せる台は、沈香木の花足で、黄金の鳥が銀の枝にとまる細工などは、淑景舎のご担当で、明石の御方が作らせたものだが、趣味深く、優れた意匠である。




うしろの御屏風四帖は、式部卿の宮なむせさせ給ひける。いみじく尽くして、例の四季の絵なれど、珍しきせんずい、たんなど、目慣れず面白し。北の壁にそへて置き物の御厨子二よろひたてて、御調度ども例のことなり。南の廂に上達部、左右の大臣、式部卿の宮をはじめ奉りて、つぎつぎはまして参り給はぬ人なし。舞台の左右に楽人の平張うちて、西東に屯食八十具、禄の唐櫃四十づつ続けて立てたり。




御座所の後ろに立てる、御屏風四帖は、式部卿の宮が作らせた。出来る限り、立派にして、お決まりの四季の絵であるが、目新しい山水や、たんなど、見慣れず、興味深い。北の壁にそえて、置き物を並べる、御厨子を二揃い立てて、お道具も、お決まり通りである。南の廂に、上達部、左右の大臣、式部卿の宮をはじめとして、それ以下は、まして参上されないはずはない。舞台の左右に、楽人の幕舎を作り、西東に屯食を八十具、禄の唐櫃を四十ずつ、続けて立ててある。




未の時ばかりに楽人まいる。万歳楽、皇じやうなど舞ひて日暮れかかる程に、高麗の乱声して楽そんの舞ひ出でたるほど、なほ常の目なれぬ舞のさまなれば舞ひはつる程に、権中納言、衛門の督おりて、入綾をほのかに舞ひて紅葉の蔭に入りぬる名残、あかず興ありと人々思したり。




午後一時頃に、楽人が参上する。万歳楽、皇じようなどを舞い、日が暮れかかる頃に、高麗楽の乱声をして、落そんが舞い出たところ、矢張り、常にはお目にかからない舞の様子に、舞い終わる頃に、権中納言、夕霧と衛門の督が下りて、入綾を少し舞い、紅葉の蔭に入ったその後の、名残の様は面白いと、一同が思うのである。




いにしへの朱雀院の行幸に、青海波のいみじかりし夕、思ひ出で給ふ人々は、権中納言、衛門の督のまた劣らず立ち続き給ひにける、世々の覚え有様、容貌用意などもをさをさ劣らず、官位はやや進みてさへこそ、など、齢のほどをも数へて、なほさるべきにて昔よりかく立ち続きたる御仲らひなりけりと、めでたく思ふ。あるじの院もあはれに涙ぐましく思し出らるる事ども多かり。




昔、朱雀院に行幸の際、青海波が見事であった夕べを思い出す方々は、権中納言や、衛門の督が、父君に劣らず後を継いだこと。父君の時からの評判、器量、態度まで、負けずに、官位は少し、父君より昇進していることなど、年齢まで数えて、矢張り、前世の因縁で、両家は昔から、このように後を継いで行く、御間柄なのだと、素晴らしく思う。主人の院、源氏も感激して、涙を流し、つい、思い出すことが、多かった。

衛門の督とは、太政大臣の息子、柏木のことである。




夜に入りて、楽人どもまかりいづ。北の政所の別当ども人々ひきいて禄の唐櫃によりて、一つづつ取りて、つぎつぎ賜ふ、白き物どもをしなじなかづきて山ぎはより池の堤過ぐる程のよそ目は、ちとせをかねて遊ぶ鶴の毛衣に思ひまがへる。




夜になり、楽人たちが、退出する。北の政所の別当連中が、下男を率いて、禄の唐櫃の傍に立ち、ひとつずつ取り、順に与える、白い衣をいくつか、それぞれ肩にかけて、築山のそばを通り、池の堤を行くところを、こちらから見ると、千年の寿を信じて遊ぶ、鶴の白い毛衣に、見間違えるほどだ。




御遊び始まりて又いと面白し。御琴どもは東宮よりぞ整へさせ給ひける。朱雀院より渡り参れる琵琶、琴、内より賜はり給へる筝の御琴など皆むかし覚えたる物の音どもにて、珍しく掻きあはせ給へるに、何の折にも、過ぎにし方の御有様、内わたりなど思し出でらる。「故入道の宮おはしませしかば、かかる御賀など我こそ進み仕うまつらましか。何事につけてかは心ざしをも見え奉りけむ」と、飽かず口惜しくのみ思ひ出で聞え給ふ。




音楽がはじまり、これもまた、実に面白い。弦楽器類は、特に東宮の方から、お揃え下さった。
朱雀院からお譲りされた琵琶や琴、宮中から頂いた、筝の琴など、いずれも昔を思い出させる音色で、久しぶりに、合奏なさると、どの曲につけても、昔のご様子や、宮中のことなどを、源氏は思い出す。
亡き入道の宮が、生きていらしたら、このような御賀など、自分が進んで、奉仕するものを。何事により、私の気持ちを、解っていただけたろうか、と、いつまでも、ただ残念に、思い出されるのである。

入道の宮とは、藤壺の宮のこと。

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2014年10月18日

もののあわれについて705

内にも故宮のおはしまさぬことを、何事にも栄えなくさうざうしく思さるるに、この院の御ことをだに例のあとある様のかしこまりを尽くしても、え見せ奉らぬを、世とともに飽かぬ心地し給ふも、今年はこの御賀にことつけて、行幸などもあるべく思し掟てけれど、源氏「世の中の煩ひならむこと、さらにせさせ給ふまじくなむ」といなび申し給ふこと度々になりぬれば、口惜しく思しとまりぬ。




主上におかせられても、亡き母宮がおいであそばさないことを、何事につけても、張り合いのない、物足りない思いを抱くので、六条の院の御事だけでも、決まったとおり、礼儀を十分に差し上げることのできないことを、一生の不満と思うので、今年は、四十の御賀にかこつけて、行幸などもあるように、ご予定された。
だが、源氏は、一般を苦しめるようなことは、絶対になされないように、とご辞退申し上げるのが、度重なり、残念ながら、思い止まったのである。




十二月の二十日あまりの程に、中宮まかでさせ給ひて、今年の残りの御祈りに奈良の京の七大寺に御誦経、布四千段、この近き都の四十寺に絹四百疋を分かちてせさせ給ふ。ありがたき御はぐくみを思し知りながら何事につけてか、深き御心ざしをもあらはし、御覧ぜさせ給はむとて、父宮母御息所のおはせまし御ための心ざしをも取り添へ思すに、かくありがちに朝廷にも聞えかへさせ給へば、事ども多く留めさせ給ひつ。




十二月の、二十日過ぎ頃、中宮が、ご退出あそばして、今年最後の御祈願に、奈良の都の七大寺に、源氏の長寿を祈る御読経のため、布四千段、京都付近の四十の寺に、絹四百疋を分けて、納めあそばした。またとない、御養育のことは、十分に解っているのだが、何によって、深い感謝の気持ちをはっきりと、知らせることができるのか、この機会以外にないと、亡き父宮、母、御息所が、今もご在世であれば、きっとされるだろうと、その感謝の気持ちを添えて、と思うのである。このように無理矢理、殿様、源氏が、陛下にも、ご辞退されたほどなので、計画の多くを中止あそばした。




源氏「四十の賀といふことは、さきざきを聞き侍るにも、残りの齢久しき例なむ少なかりけるを、この度はなほ世の響きとどめさせ給ひて、まことに後に足らむことを教へさせ給へ」とありけれど、朝廷ざまにて、名ほいといかめしくなむありける。




源氏は、四十の賀ということは、先例を聞いても、余命の長い例は、少ないことです。この度は、やはり世間が騒がないようにして、いただきまして、本当に将来、五十、六十になるのを数えてください、とのことだったが、中宮の主催らしく、矢張り、実に堂々たるものだった。




宮のおはします町の寝殿に御しつらひなどして、さきざきにこと変はらず上達部の禄など、大饗になずらへて親王たちはことに女の装束、非参議の四位まうち君達など、ただの殿上人には、白き細長一襲、腰差などまで次々に賜ふ。装束、限りなく清らを尽くして、名高き帯、御はかしなど故前坊の御方ざまにて、伝はり参りたるもまたあはれになむ。ふるき世の一つのものと名ある限りは、皆集ひ参る御覧になむあめる。
昔物語にも物えさせたるを、かしこき事には数へ続けためれど、いとうるさくて、こちたき御仲らひの事どもは、えぞ数へあへ侍らぬや。




中宮のおられる、六条の院の西南の町の、寝殿に設備をして、今までとは、たいして変わらず、上達部の禄など、中宮の大饗に準じて、親王たちには、特別に女の装束を、非参議の四位や太夫など普通の殿上人には、白い細長一領、腰差などまで、一人一人お与えになる。装束は、この上なく贅沢で、名高い帯や、御はかしなど、亡き前皇太子の方から、相続されているものも、改めて、感涙を催すことである。
古来、第一のものとして、有名なものばかり、集まってくる、御賀である。
昔物語には、物を贈ったことを、立派なこととして、一々数え上げていることだが、今度の事は、特に大変で、立派な方々のお付き合いの数々は、とても、数え上げられません。




内には思し初めてし事どもを無下にやはとて、中納言にぞ、つけさせ給ひてける。
その頃の右大将、病して辞し給ひけるを、この中納言に、御賀のほど喜び加へむと思し召して、俄になさせ給ひつ。
院にも喜び聞えさせ給ふものから、源氏「いとかく俄に余る喜びをなむ、いちはやき心地し侍る」と卑下し申し給ふ。




主上におかせられては、思い立ちあそばした事を、中止には出来ないとの考えで、中納言、夕霧に、ご依頼あそばした。
その頃、右大将が、病気になり、辞職されたので、この中納言に、御賀に際して、更に悦びを加えてやろうと、思し召して、急に右大将を兼任させられた。
六条の院、源氏も、お礼を申し上げるものの、このような急な、身に余る昇進は、早過ぎる気がいたします、と謙遜して、申し上げる。




丑寅の町に御しつらひ設け給ひて隠ろへたるやうにしなし給へれど、今日はなほかたことに儀式まさりて、ところどころの饗なども、内蔵寮、穀倉院より仕うまつらせ給へり。屯食など朝廷ざまにて、頭の中将宣旨承りて、親王たち五人、左右大臣二人、中納言三人、宰相五人、殿上人は例の内、東宮、院、残る少なし。おまし御調度どもなどは太政大臣くはしく承りて、仕うまつらせ給へり。




西北の町に、設備を整えて、世間に知られぬようにされたが、今日は、矢張り普通と違い、儀式が上等で、あちらこちらの饗宴なども、内蔵寮、穀倉院から、調整させた。屯食なども、朝廷風の造り方で、頭の中将が宣命を承り、親王方五人、左右大臣二人、そして、大納言が二人、中納言が五人、殿上人は、例により、御所からも、東宮からも、院からも、参加しない人は、少ない。
御座所や、お道具類などは、太政大臣が、仔細に勅旨をお受けして、調整された。

ここでも、敬語の敬語の、文である。

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2014年10月19日

もののあわれについて706

今日は仰せ事ありて渡り給へり。院もいとかしこく驚き申し給ひて、御座につき給ひぬ。母屋の御座に向へて大臣の御座あり。いと清らにものものしく太りて、この大臣ぞ今盛りの宿徳とは見え給へる。あるじの院はなほいと若き源氏の君に見え給ふ。
御屏風四帖に内の御手書かせ給へる唐の綾の薄だんに、下絵の様などおろかならむやは。




今日は、勅命があり、太政大臣が六条の院に、お出でになった。院も、非常に恐縮して、御座所に着席された。母屋にある院の御座所に、向かい合って、太政大臣の御席がある。まことに、すっきりとし、堂々と恰幅があり、この大臣こそが、今盛りの立派な方と見える。主人の院は、今もなお若い、源氏の君と見える。
御屏風四帖に、主上が御自筆で、書き遊ばした、唐の綾の、ぼかしの薄紫、その下絵の出来栄えなど、結構なものである。




面白き春秋の作り絵などよりも、この御屏風の墨つきの輝くさまは、目も及ばず思ひなしさへめでたくなむありける。置き物の御厨子、弾物、吹物など蔵人所より賜はり給へり。大将の御いきほひいといかめしく成り給ひにたれば、うち添へて今日の作法いとことなり。御馬四十疋、左右馬寮、六衛府の官人、上より月々にひき整ふるほど、日暮れ果てぬ。




趣のある、四季の作り絵などよりも、この御屏風の、御筆の見事さは、目もくらむほどで、御筆と思うせいで、一層素晴らしいのである。置き物を載せる厨子、弦楽器や管楽器などは、蔵人所から、頂戴した。
大将のご威勢が、堂々たるものになり、それも加わり、今日の儀式は、格別である。お馬四十疋、左右の馬寮や、六衛府の官人が、上の者から順に、馬を引き並べる頃、日がすっかり、暮れてしまった。




例の万歳楽、質皇恩などいふ舞、気色ばかり舞ひて、大臣の渡り給へるに、珍しくもてはやし給へる御遊びに、皆人、心を入れ給へり。琵琶は例の兵部卿の宮。何事にも世にかたき物の上手におはして、いと二なし。御前に琴の御琴、大臣和琴弾き給ふ。年ごろ添ひ給ひにける御耳の聞きなしにや。いと憂にあはれに思さるれば、琴も御手をさをさ隠し給はず、いみじき音ども出づ。




例により、万歳楽、質皇恩などいう、舞いを形ばかり舞い、太政大臣がお出でになったので、珍しいことと、沸き立った音楽会に、一同心を込めて、演奏された。
琵琶は、矢張り、兵部卿の宮。すべての事に世に稀な名手でいられる。二人といない方である。源氏には、琴の御琴、太政大臣は、和琴を弾かれる。長年、聞くことのなかった御耳で聞いたせいか、誠に素晴らしく、心の動く思いがする。院の琴も、その腕を隠さず、それぞれ見事な、音色が出る。




昔の御物語りどもなど出で来て、今はたかかる御仲らひに、いづかたにつけても、聞え通ひ給ふべき御睦びなど心よく聞え給ひて、御酒あまたたび参りて、物の面白さもとどこほりなく、御酔ひ泣きどもえ止め給はず。
御贈物にすぐれたる和琴一つ、好み給ふ高麗笛添へて、紫檀の箱一具にからの本ども、ここの草の本など入れて、御車に追ひて奉れ給ふ。




昔のお話など出て来て、今は今で、こうした親しい間柄ゆえ、どちらの御縁組からも、仲良くされるはずの、親しいお付き合いのことなど、気持ち良く話し合い、盃を何度も酌み交わして、音楽の楽しさもきわまるところなく、お二人ともに、御酒の酔いに、涙を抑えられないのである。
大臣への、贈物として、見事な和琴を一つ、お好きな、高麗笛も加え、紫檀の箱一揃えに、唐の手本と、日本の草の手本を入れ、お車まで、追いかけて行き、差し上げる。




御馬ども迎へ取りて、右のつかさども、高麗の楽してののしる。六衛府の官人の禄ども大将賜ふ。
御心とそぎ給ひていかめしき事どもはこの度とどめ給へれど、内、東宮、一の院、后の宮、次々の御縁いつくしき程、いひ知らず見えたる事なれば、なほかかる折にはめでたくなむ覚えける。




主上からの、お馬を受け取り、右馬寮の役人たちが、高麗楽を演奏し、大騒ぎである。六衛府の官人の禄などは、大将がお与えになる。
ご意志により、簡略にされたが、主上、東宮、一の院、后の宮、それからそれへと、御縁者の堂々たることが、申しようもないほどのこと。矢張り、こういう時は、結構なことと、思われた。




大将のただ一所おはするを、さうざうしく栄なき心地せしかど、あまたの人にすぐれ、覚え殊に人柄も傍なきやうにものし給ふにも、かの母北の方の伊勢の御息所との恨み深く、いどみ交し給ひけむ程の宿世どもの行末見えたるなむさまざまなりける。
その日の御装束どもなどこなたの上なむし給ひける。禄ども大方の事をぞ三条の北の方はいそぎ給ふめりし。




お子は、大将ただお一人なのを、物足りなく、張り合いのない気がしたが、大勢の人に抜きん出て、評判も特に良く、生まれつきも、肩の並べる一はいないと、思われる程であるにつけても、これの母の北の方が、伊勢の御息所との間に、恨みが深く、競争されたお二方の御運の結果が、現れたのが、中宮と大将の違いだ。
当日のお召し物は、こちらの奥方が用意された。
色々な禄やその他のことは、三条の北の方がご用意されたようである。

かの母北の方、とは、葵上。
伊勢の御息所、とは、六条の御息所。

こなたの上、とは、花散里。
三条の北の方、とは、雲居の雁である。

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2014年10月20日

もののあわれについて707

折節につけたる御いとなみ、うちうちの物の清らをも、こなたにはただ他所の事にのみ聞き渡り給ふを、何事につけてかは、かかるものものしき数にも交ひ給はまし、と覚えたるを、大将の君の御縁に、いとよく数まへられ給へり。




何かの折々の、催し、内輪での飾り付けも、こちら、花散里は、全く関係ないことと、聞き過ごしていられる。どのようなことで、このような堂々とした方々の、お仲間に入りなさろうかと思うが、大将の君、夕霧の、御縁で、立派に方々の一人として、成り立っていた。

突然、花散里が、登場するという・・・




年かへりぬ。桐壺の御方近づき給ひぬるにより、正月ついたちより御修法不断にせさせ給ふ。寺寺、社々の御祈りはた数も知らず。大殿の君、ゆゆしき事を見給ひてしかば、かかる程の事はいと恐ろしきものに思ししみたるを、対の上などのさる事し給はぬは口惜しくさうざうしきものから、うれしく思さるるに、まだいとあえかなる御程にいかにおはせむと、かねて思し騒ぐに、二月ばかりよりあやしく御けしき変はりて悩み給ふに、御心ども騒ぐべし。陰陽師どもも所をかへて慎み給ふべく申しければ、ほかのさし離れたらむはおぼつかなしとて、かの明石の御町の中に対に渡し奉り給ふ。こなたはただおほきなる対二つ、廊どもなむ廻りてありけるに、御修法の壇ひまなく塗りて、いみじき験者ども集ひてののしる。母君、この時にわが御宿世も見ゆべきわざなめれば、いみじき心を尽くし給ふ。




年が改まった。
桐壺の御方は、お産が近づき、正月上旬から、御修法を、不断にやらせになる。多くの寺社のご祈祷も、これまた、数えられないほどである。お殿様は、大変な事を御覧になったことがあるので、こういう時の事は、とても恐ろしいものと、心から思っている。そこで対の上、紫の上などが、こんな事が無かったことが残念で、物足りなくあるが、嬉しく思いで、姫はまだ小さい年頃で、どんななことになるのかと、前々からご心配であったところ、二月頃から、妙にご容態が変わり、苦しみになるので、皆様方々、ご心配であった。
陰陽師連中も、お住まいを移して、大事にされるように申したので、離れたところでは、気掛かりとあり、明石のお預かりの町の、中の対に、移される。
こちらは、ただ大きな対が、二つ、幾つもの廊があり、つながっていて、御修法の壇を、すっかりと塗りかためて、素晴らしい修験者たちが集い、大声を上げる。
母君は、このお産で、自分の御運のほども、はっきりすると、非常に気を揉んで、待たれている。

明石の姫君の、お産である。
その母、明石の君・・・




かの大尼君も、今はこよなきほけ人にてぞありけむかし。この御有様を見奉るは夢の心地して、いつしかと参り近づきなれ奉る。年ごろ母君はかう添ひ候ひ給へど、昔の事などまほにしも聞え知らせ給はざりけるを、この尼君喜びにえ堪へで、参りては、いと涙がちにふるめかしき事どもをわななきいでつつ語り聞ゆ。




あの、大尼君も、すっかり耄碌して、いたようです。このお産を拝するのは、夢の心地がして、早速、お傍に上がり、いつもお付きしている。長年、母君は、このようにお傍に付いているが、昔の事などは、特に話していないのに、この尼君は、喜びに堪えかねて、お傍に上がり、すぐに涙を流しては、大昔のことなどを、震える声で、お話申し上げる。

大尼君とは、明石の母親である。
姫の、祖母に当る。




はじめつ方は怪しくむつかしき人かなと、うちまもり給ひしかど、かかる人ありとばかりは、ほの聞き置き給へれば、なつかしくもてなし給へり。
生まれ給ひし程の事、おとどの君のかの浦におはしましたりし有様、今はとて京へ上り給ひしに、誰も誰も心を惑はして、「今は限り、かばかりの契りにこそはありけれ、と嘆きしを、若君のかくひき助け給へる御宿世のいみじく悲しきこと」と、ほろほろと泣けば、「げにあはれなりける昔の事をかく聞かせざらましかば、おぼつかなくても過ぎぬべかりけり」と思して、うち泣き給ふ。




はじめのうちは、変な、困った人だと、顔を見つめていたが、こういう祖母がいると、耳にしていらしたので、優しく、お相手される。
お生まれになったころの事、殿様が、あの明石の浦においであそばしたご様子、もう、お別れと京へ上られた時は、皆が皆、途方にくれて、これが最後、これだけの御縁であったとだろうと、悲しんだが、姫君が、このようにお助け下さった御運は、本当に涙の種と、ほろほろと、涙を流すと、本当に大変だった昔の事を、このように、尼君が聞かせてくれなかったら、知らずに過ごしていただろうと思い、涙を流すのである。




心の中には、「わが身はげにうけばりていみじかるべき際にはあらざりけるを、対の上の御もてなしに磨かれて、人の思へる様なども、かたほにはあらぬなりけり。身をばまたなきものに思ひてこそ、宮仕への程にも、かたへの人々をば思ひ消ち、こよなき心驕りをばしつれ、世人は下に言ひ出づる様もありつらむかし」など思し知りはてぬ。母君をばもとよりかく少し覚え下れる筋と知りながら、生まれ給ひけむ程などをばさる世離れたる境にてなども、知り給はざりけり。いとあまりおほどき給へるけにこそは、あやしくおぼおぼしかりける事なりや。
かの入道の、今は、仙人の世にも住まぬやうにて居たなるを、聞き給ふも、心苦しく、など、かたがたに思ひ乱れ給ひぬ。




心の中では、自分は、大きな顔をして、威張っていられぬ身分だったのに、対の上の、御養育で、磨かれ、それで皆の思いなしも、駄目な者の、扱いではなかった。自分ほどの者が、他にないように思い、宮仕えででも、他の人たちを問題にせず、すっかり威張りきっていた。世間の人々は、蔭で噂することもあったろう。などと、十分に解った。
お母様を、元々、このように少し身分の低い家柄とは、知っていたが、自分のお生まれになった所などを、そんなに都を離れた田舎であったなどとは、知らなかったのである。
あまり、鷹揚過ぎて、いらしたのでしょう。変に頼りない話です。
あの入道が、今では、世俗に住まない、仙人のようでいるとの話を、お耳にされるのも、気の毒なことと、いったふうに、あれこれと、心が、落ち着かないのである。

明石の姫君の心境である。
中で、作者の言葉が入る。

posted by 天山 at 06:25| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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