2013年08月06日

神仏は妄想である。427

伝承に見る、バァール神話をみる。

バァールは豊饒の神、「雲に乗る者」、稲妻と雷雨の神、ハダドとも呼ばれる。

バァールには、父と母、兄弟たち、そして、妹がいる。
父の名は、エールであり、もろもろの河の源、大洋に君臨する大神。母は、アシュタロテ、すべての神々の母である。

兄弟の一人は、ヤム・ナハル、洪水の神、他の一人は、モート、火の空で大地をカラカラに干上げる神。

バァールは、この二人の兄弟と、雌雄を決し、王権を確保しなければならない。
その運命を背負ったバァールのために、身命を賭して献身する妹、アナトがいる。

さて、バァールの第一の相手は、荒れ狂う海と、洪水の神、ヤム・ナハルである。
ヤムは、父エールに強請して、バァールの王権の剥奪を図る傲慢、卑劣な神である。

バァールは、ヤムの策謀を知り、激怒して、ヤムを打ちのめした。
ヤムを倒したバァールは、ゼフォンの山頂に祝宴をはり、王宮を造営して、妹アナトの強力な支援により、王権を確実にする。

第二の戦いは、モートとの闘争である。
モートは、大地が火の空によって、乾き、穀物や果実が実る季節、大地を掌握し、支配する収穫の神である。

この神との一連の闘争物語が、バァール神話の重要な文献となっている。

バァールの死のドラマが、克明に描写されている。

物語は、バァールが、おそろしく貪欲な怪獣に飲み込まれるところから始まる。

恐怖におののくバァールは、モートに隷属を誓う。

父エールの元に、使者が来て、バァールが死んで、野に倒れていることを告げる。
エールは、悲嘆にくれて、王座をおりて、地に座し、頭に塵をかぶり、麻布を身にまとい、石で、頬と顎を傷つけ、胸をかきむしって、バァールの死を悲しむ。

バァールが死ぬと、大地は干上がり、豊かな沃地は、荒野となった。
父エールの悲嘆を見た、アナトは、一人バァールを求めて、山野を漂泊する。

そして、美しいシールマットの野に倒れる、バァールの死体を発見する。
アナトは、泣く泣く、バァールの遺体を、ゼフォンの山に戻り、そこに埋葬する。

バァールは不在となったが、バァールに代わり、王位を継ぐことのできるものは、いなかつた。

歳月が流れた。

悲しみの乙女アナトは、モートをつかまえ、激しくモートを糾弾して、バァールを返してくれるように訴える。

それから数日が過ぎ、数ヶ月がたった。
アナトの中で、バァールに対する慕情が、抑え難く高まった。

アナトは、復讐を決意する。

アナトは、少女をおとりに、モートをひきよせ、モートを捕らえる。
アナトは、剣を持って、モートの体をずたずたに引き裂き、風を送って、吹き分け、火にかけて焼き、碾臼でひいて野にまいた。

エール王が、夢に幻を見た。
天の油が地に落ちて、雨となり、涸れた谷に蜜があふれ出した。
王は歓喜して言う。
アナトよ、聴け、バァールは生きている・・・

バァールが再びゼフォンの山に戻り、モートも再生して、再び、両者の間に、激しい闘争が開始される。

しかし、共に力尽きて、倒れる。
女神シャバシュが仲裁に入り、両者は、引き分けて和解する。
こうして、バァールの王権が確保された。

その他、神話には、バァールとアナトとの婚礼の物語などがある。

バァール神話の、死と再生のドラマは、季節の交替のドラマに重なる。

バァールが倒れると、モートが支配し、モートが倒れると、バァールが支配する。

雨季と乾季が交替し、種蒔く季節、収穫の季節が継起するのである。

バァール再生は、雨季の開始、モート再生は、乾季の開始である。

この神話は、一年を二分する、地中海世界の雨季と乾季の交替のドラマであり、それが、生き生きと、リアリティを持って展開するのである。

われわれは、死の神モートとの闘争に、アナトの勝利の舞をみる。アナトは右手に剣、左手に白布をつんかでおどる。古代オリエントの勝利の女神の原型をうつしだしている。この女神が問題なのだ。
山形孝夫

なぜなら神話の目的は、この処理の女神と再生の男神との婚姻の叙述にあるからである。再生のバァールとの祝婚の歓喜のなかで、アナトはバァールの子を宿す。アナトに宿った生命は、大地の豊饒の確証であった。物語は、ここで完結している。
山形

そして、この神話の原型は、ギリシャ世界に、アドニス神話として知られる物語がある。

それは、美少年、アドニスと春の女神、アフロディテとの恋物語からなっている。

そして、そこにも、死と再生のドラマがある。
物語としては、同じ類型である。

更に、エジプトにも、同類の物語、オリシス神話がある。
ここでも、死と再生がテーマである。

それは、矢張り、季節を二分する基底がある。
古代オリエントの農耕社会は、死と再生の儀礼によって、一つに結合されているのである。
その源流を辿ると、美しい豊饒の女神に出会うのである。
つまり、大地母神となる。

女神は、聖なる処女であり、花嫁であり、悲しみの女であり、花婿の再生を左右する原理であった。この女神の演ずる悲嘆と歓喜のドラマのなかに、人々は大地の収穫と豊饒を約束する救いのドラマをみたのである。
山形




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2013年08月07日

神仏は妄想である。428

文化史的にみれば、・・・古代イスラエルの預言者たちが、始終一貫、執拗なバァール批判を試みたのは、こうした大地母神崇拝に支えられた農耕文化の基本原理にたいする挑戦であったとみることができる。荒野と砂漠の神である天の父ヤハウェを唯一の神と信じ、いっさいの偶像の拒絶を誓い、その破壊を叫んだ士師や預言者の声は、「聖なる花嫁」を讃美する信仰圏とは、真っ向から対立するものであったのだ。
山形

そして、
カナンの大地母神崇拝を要とする多神教的な信仰体系そのものに対する挑戦であった。そこには砂漠の神の宗教と沃地の神の宗教との激しい対立と葛藤が、期せずして如実にうつしだされている。
山形

つまり、唯一の神というのは、イスラエルの神を言う。
イスラエルにとっては、唯一の神である。が、他民族にとっては、それも、一つの神であり、神々の世界が存在していたということである。

ここで、ユダヤ教、キリスト教が言う、唯一の神という概念が、どのようなものか、理解出来るということだ。

イスラエルのみの、唯一の神が、人類の唯一の神ではないということだ。

まして、砂漠という限られた地域に生まれた神が、唯一である訳がない。

であるから、時代は、流れる。
イスラエル王国の建設と、分裂、そして、崩壊によって、旧約聖書の時代は、過ぎ去ったと考えるべきである。

次に来る時代は、美しい女神たちの花婿として、穀物霊の死と再生を演じた男神が、やがて、驚異と不思議の病気治しに活躍する時代がくるのである。

それは、紀元前334年、アレクサンダーの東征以降、ポリス国家に支えられたギリシャの古典的世界の没落から、ローマの覇権が地中海世界に確立する約300年間の、ヘレニズムの時代である。

レバノンが、かつてフェニキアと呼ばれていた時代の、古代都市シドンがある。
その、シドンは、大国の侵略にさらされ続けた。
最初の侵入者は、海からやってきた。
この「海の民」が、何者で、どこから来たのか、解らない。

紀元前12世紀頃、エジプトを含む、東地中海沿岸諸国は、いっせいに、海からの襲撃を受けたという。

「海の民」は、幾つかの部族に分かれていて、その中に、ペリシテと呼ばれる民が含まれていた。
やがて、このペリシテの定着した海岸を、人々は、パレスチナと呼ぶようになる。

ペリシテの襲来、そして定住は、東地中海世界の平和に一大脅威を与えた。
繁栄を誇った、シドンの運命も、衰微する。

そして、シドンは、紀元前7世紀以降、アッシリア、バビロニア、エジプトなどの、圧倒的な大国の支配に服従を余儀なくされる。

更に、マケドニアのアレクサンダーの支配、シリアの支配、そして、紀元前63年、ローマ帝国の属領となり、歴史はヘロデの時代、つまり、新約聖書の時代に入るのである。

新約聖書のシドンは、旧約聖書の語るカナンの長子の栄光を失い、美しい緋の国の港を、明け渡してしまったのである。

さて、そのシドンのエシュムン神殿が発掘されて・・・
時代は、紀元前5世紀、小人像が、シドンの王バアナの子、バァール・シュレムによって、エシュムン神に捧げられたものであることを、碑文が語る。

この神は、病気治しの神・・・

その後の発掘で、神殿玉座の、バス・レリーフから手がかりが与えられた。
エシュムン神の狩猟の場面と、スフィンクスと並んだ女神アシュタロテ像が、浮き彫りにされていたという。
アシュタロテは、すべての神々の母、バァール神の母でもある。

山形氏は、エシュムン神は、ギリシャ人がアドニスと名づけた、古代フェニキアの神の、本当の名前だったのではないか、と言う。

アドニス神とエシュムン神との関連を示唆するこのリレーフは、病気なおしの神の本性について、ひとつの重大な証言を与えている。
山形

病気治しの神が、再生の神に他ならないという結論に行きつく。

山形氏は、そこからギリシャの治癒神について考察しているが・・・
それは、省略する。

何故、ここまで、旧約聖書から話を進めたか・・・
それは、イエスに続く物語のためである。

イエスの生涯を記すという、福音書の世界で、イエスは、多くの奇跡を行う。
そのまま、治癒神である。

その伏線として、古代地中海世界の神々の物語が存在するという、観点である。

イエスもまた、フェニキアのエシュムン神やエピダウロスのアスクレピオスと同様に、古代社会に出現した病気なおしの神様だったのである。
山形

最も古い、マルコの福音書でも、癒しの神の驚異的な病気治しの、活動によって、準備されるのである。

であるから、それは、今までの流れを汲むものであると、考えられる。
歴史は、断絶してあるのではない、連綿とした、流れの中にある。

山形氏は、古代社会におけるキリスト教の最初の勝利は、まさに治癒神イエスの勝利、すなわち、治癒神イエスが、その驚異的な治癒力によって、他の神々を圧倒し、ついに駆逐することに成功した、と言うのである。

ここに、新約聖書の成り立ちを解く鍵がある。
それは、あまりに福音書、そして、他の手紙の類が矛盾しているからである。
矛盾と、嘘に満ち溢れている、新約聖書である。

新約聖書の成り立ちと共に、その嘘八百について、書き続けてゆく。

神仏は妄想である、以前に、それを準備し、そのために作られた文書・・・
それが、聖書である。


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2013年08月08日

神仏妄想である。429

古代社会においては、病気とその治療は、呪術、宗教体系の中に、包含されていた。
人間の死も含めて、病気は、ことごとく神に起因し、病気は、人間の犯した罪に対する、神的懲罰とみられたのである。

従って、病気の治療には、宗教儀礼が関与することになる。

古代イスラエルの場合も、同様である。

旧約聖書の、ヨブ記に描かれた、苦難の物語は、病気を神の刑罰とみる呪術と、宗教的観念が存在する。
ヨブの苦難は、自らの義の証しのために、自己の道徳的高潔さにかけて、こうした病気の苦難と戦わなければならなかった。

病気との対決を、自己の道徳的行為の完成によって成就しなければならなかったヨブの状況に含まれる矛盾は、どうにも否定しようがない。
山形孝夫

ヨブ記では、試す神の素顔が見えるのである。
実に、いやらしい試みである。

このようなう観念に染まる、イスラエル人の感性を、中々理解できるものではない。
旧約聖書には、忌むべき、諸々の病気に対する、厳格な戒律が定められていた。

特に、治療の手立てのない恐るべき病気については、不可触の禁忌が適応されていた。
重い皮膚病は、その筆頭である。

レビ記には、延々として、それらの説明が続く。

古代イスラエルは、一連の医療行為、検診、診断、治療、隔離、社会復帰の許可を、すべてユダヤの最高法院を通して、祭司の手に委ねていた。

こうした祭司の職能は、厳密に魔術師や呪術師から、区別されていた。
女呪術師を生かしておいてはならない。出エジプト記
男であれ、女であれ、口寄せや霊媒は必ず死刑に処せられる。彼らを石で打ち殺せ。彼らの行為は死罪に当たる・・・ レビ記

治癒権の行使に関わる、正統と異端の規定である。

禁止事項があるということは、当時そのような者が大勢いたという証拠である。

そこで、新約聖書のイエスの言動である。
この旧約の背景からすると、福音書に描かれるイエスの驚異的病気治しは、ユダヤの最高法院に対する、無謀な挑戦である。

ここから、新約聖書の話題に入る。

イエスの病気治しの話は、マルコ、マタイ、ヨハネを通して、115の癒しの話が記録されている。
奇跡物語である。

だが、イエスが、本当に、奇跡的な病気を治したのかは、不明であり、更には、奇跡はなかったとする説も多い。
何故、福音書では、奇跡物語が多いのか・・・

また、その弟子たちも、不思議な方法で、病気治しを行っている。

更には、最初の教会が、病気治しを起こったという事実は、疑問の余地はない。

ここで、山形氏は、
イエスがガリラヤの村々を遊行し、病人に癒しの手をさしのべられたという福音書の記述は、イエスの弟子たち、あるいは初代教会が、村々を巡り、イエスの名によって病気をなおしたという事実とひとつに重なっている。
と、指摘する。

最も古い、マルコの福音では、弟子たちは、杖一本のほかには、食べ物も、銭も持つことを許されず、ただ病気を癒す権威、悪霊を制する権威を与えられて、出たと書かれている。

弟子たちの使徒権と、治癒権は、切り離し難く結合されていた。

つまり、福音書の作者たちによる、作為ある物語となるのである。

それが、古代オリエント宗教史における、治癒神の系譜が伏線にある。
新しい、治癒神として、イエスが登場したのである。

さて、祭司の権威のないイエスの、病気治しについて、福音書には、それを告発するものがない。

何故、ユダヤのパリサイ派の人たちや、律法学者が、告発しなかったのか。

あるのは、ただ、安息日に、中風の癒しをしたということである。
それも、癒しについてではなく、安息日に、行為したということに、対してである。

癒しの行為に対しての、咎めが無い。

更には、律法学者たちの告発は、癒しにではなく、イエスの語る言葉に、神に対する冒涜があるとするのである。

そこに、当時の特異な状況があったといえる。

ユダヤ教律法学者の口伝・解説集である、タルムードに、それがある。
イエス時代のラビたちは、魔法や呪術に寛容であった。
彼らも、好んで、奇跡を起こしたのである。

ユダヤの民衆は、こうしたラビたちの不思議な力に喝采し、奇跡にまつわる伝説を、ラビたちの生涯の事績に織り込んで、物語を作成した。

福音書も、タルムードと同じである。

新約聖書は、イエスの驚異の奇跡を語ることによって、まさに、その起源を語っているのである、と。
山形

勿論、ラビたちは、魔法ではなく、旧約聖書にある、神の不思議な業が、現実に起こりえることを、証明したのであるという、研究者もいる。
そして、イエスの行為も、同様であると、いう。

だが、それでは、収まらない。

イエスの奇跡の、魔術的性格は、明らかに、旧約聖書から逸脱する。

特に、悪魔祓いにおいて・・・
マタイにある、悪霊に取りつれた者が二人、墓場から出てきて、イエスに言う。そして、イエスは、悪霊を豚の中に入れると、悪霊が豚に入り、皆崖を下り、湖に入り、死ぬ。

イエスの言葉は、魔法の呪文のように、不思議な力を発揮する。

悪霊祓いは、ラビ文学にも、顕著に見られる。

そこで、当時は、悪霊憑きの治癒物語が、定型的様式を備えた文学として、広く民衆に流布していた結果による。
福音書も、ラビ文学も、それを利用したのである。

奇跡物語が、日常的な状況・・・

福音書も、それに添って書かれたものとなる。
特別なことではないのだ。

一番古い福音書である、マルコは、イエスの死後、35年ほど後に、書かれている。
後々、じっくりと、マルコの説を見るが・・・

イエスを、キリストにするために、書かれたもの・・・それが、福音書である。

歴史的、地政学的・・・文学的に見れば・・・
聖書は、どのようなものなのか。

新約聖書が、旧約聖書の、予言を引き続き、引き受けるものとの意識の上に、書かれ、更に、それが、初期ユダヤ人イエス教団から、ローマ帝国の宗教になり・・・

ユダヤ教から、別にして、キリスト教へと進んだ歩み。
人間の作為なくして、考えられないのである。

作為とは、何か。
それは、支配者、為政者によって、都合の良いものになること。
更に、宗教団体として、都合の良いものになるもの、である。

posted by 天山 at 05:01| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月09日

神仏は妄想である。430

治癒神イエスの登場に関する研究は、近年もっぱら、後期ユダヤの複雑な政治的状勢と、ヘレニズム末期の特異な宗教的状況の、交錯した地帯の確定に、その照明をあててきた。
山形孝夫

それは、死海文書の発見によって、更に深まる。

ユダヤ教の一派である、エッセネ派に、かなり近いとされる、クムラン教団が、死海西北岸に存在し、死海文書を中心に、洗礼と聖餐を守り、厳格な禁欲生活に徹した、共同体を作っていたことが明らかにされた。

更に、マルコ福音の冒頭に、イエスの先駆者として登場する、バプテスマのヨハネが、それらと関わりがあったことが、想定される。

バプテスマのヨハネには、死海文書の担い手である、クムラン共同体の、禁欲的、終末論的信仰が、色濃く投影されている。

そして重要なことは、ヨハネの活動の舞台が、荒野、ヨルダン川周辺は、クムラン教団の存在した、死海西北岸に接近しているのである。

イエスの出現が、ヨハネによって準備されたと、マルコが書く。

イエスは、ガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受ける。
ヨハネが捕らえられた後、イエスは、ガリラヤを基点に、最初の宣教を開始する。

時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい・・・

悔い改めは、ヨハネの叫んでいたことだ。

後期ユダヤ教から、エッセネ派、そしてクムラン教団、洗礼派のヨハネ、イエスと続くのである。

死海文書の発見から、明確になったのである。

イエスも、終末的考え方を持っていたのか・・・
その後の、弟子たちも、そのようだった。
すぐにでも、世が終わり、イエスが雲に乗って、天からやってくる・・・

さて、山形氏は、イエスとヨハネの関係が、極めて曖昧、不確かであると、提言する。

イエスは、ヨハネ教団に属していたことは、史実として確認されている。
ヨハネの逮捕後に、イエスは、すぐに宣教を開始している。
つまり、イエスは、完全にヨハネ教団から抜けて、独立したのである。

ヨハネは、荒野で行為したが・・・
イエスは、町に出た。

そして、イエスは、貧しい多くの民衆を相手にした。
更に、悪霊に取り付かれた人たち、皮膚病を患う人たち、足の悪い人、罪ある女・・・

マルコは、記す。
医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。

そして、福音書では、イエスの奇跡が山盛りなのである。
ヨハネは、病気治しを一切しない。

ヨハネは、脇役である。
だが、もし・・・
ヨハネをメシアとする人たちがいたら・・・
今頃、ヨハネ・キリストと呼ばれる存在になったかもしれない。

イエスがヨハネ教団にいたのなら、ヨハネはイエスの師匠である。
それが、福音書では、ヨハネに謙譲語を使わせているのである。

これも、作為である。

マルコが書くのは、イエスの周りに集まって来た人たちは、皆、ユダヤ教では、神の懲罰として忌み嫌う人々である。

そこから物語を作るのである。

山形氏は、
このようにみてくると、ヨハネ集団とイエス集団との間のひらきは、もはや決定的である。治癒神イエスの登場には、クムラン教団、およびヨハネ集団と明白に違った、もうひとつの系列がからんでいたということになる。
と、書く。

そこで、ガリラヤの特異性が、問題になる。

その前に、一言余計だが・・・
イエスをキリストとして、創り上げていった過程について、とても、奇跡的だと言える。勿論、多くの宗教の教祖がいるが、キリスト教の世界的な広がりである。

あくまでも、ユダヤ教の中での問題であった。
ところが、ローマ帝国という、白人がイエスの集団に目をつけて、初期のユダヤ人イエス集団を皆殺しにし、白人のイエス・キリストを創り上げたということ。

どうもこの辺が、私は、胡散臭く思えるのだ。
そのカトリック教会の歴史は、おぞましいほどの殺戮の歴史なのである。
キリスト教が、戦争を創ったと思われるほど、戦闘的である。

イスラムとの戦闘、つまり十字軍から始まり、後に、プロテスタントとの、宗教戦争である。

白人に乗っ取られた、イエス・キリスト教団が、世界を席巻するという、驚きである。
そして、その人種差別などなど・・・

現在、イスラムのテロ集団を恐れ、更には、それを敵として対処しているが・・・
その昔は、イスラムのテロ集団よりも、激しいことをしていたのである。
更に、イスラムのテロ集団の問題の大本は、キリスト教である。

種を撒いたのは、キリスト教である。
異教徒、異民族からの、搾取は、甚だしい。

ローマ法王で、唯一、教会の過ちを認め、謝罪の旅をしたのは、ヨハネ・パウロ六世のみである。
ユダヤ教の悪い伝統を受け継ぎ、更なる、悪行を重ねたキリスト教である。
その種が、新約聖書、そして、その前段階の旧約聖書である。

単なる、一つの民族の神話、伝承のお話である。
人間とは・・・
白人とは、愚かな者である。


posted by 天山 at 05:02| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月10日

神仏は妄想である。431

イエス時代のパレスチナは、紀元前2世紀のアンティオコス四世による、エルサレムのヘレニズム化政策、そして、紀元前63年以来のローマ支配により、ヘレニズム化、ローマ化の過程が、進行していた。

ただ、ユダヤ行政府の中心である、エルサレムには、ユダヤ教正統派を任じる、ファリサイ派、特に、熱心党のように、ヘレニズム化政策に反対する、強固なユダヤ民族主義が存在していた。

しかし、ユダヤ辺境の地、ガリラヤになると、別である。
ガリラヤとは、ガーリールというヘブライ語が、アラム語を経て、ギリシャ語化されたもので、ユダヤ王国時代、ガリラヤは、すでにゲリール・ハッゴーイムと呼ばれていた。意味は、諸民族の地域、である。

ガリラヤは、ユダヤ教とオリエント的、ヘレニズム的宗教の混沌とした地帯だった。

ガリラヤは、ヘレニズム世界の、治癒神、エシュムン、アスクレピオス信仰の一拠点である、フェニキアの都市シドンと、極めて近いのである。
福音書でも、シドンは、奇跡の起きやすい町であったという。

福音書に関する、最も新しい研究は、エルサレムを中心とした、原始キリスト教団に対し、ガリラヤにも、キリスト教徒の集団が存在していた。
前者は、救い主キリスト伝承の担い手であり、後者は、イエスの奇跡物語の伝承の担い手であった。

ここで、伝承という言葉が出る。
伝承とは、伝える・・・
人の口から口へと・・・
つまり、そのお話は、どんどんと変形して行くのである。

福音書も、一番古い、マルコの福音書を基底に、マタイ、ルカが出来上がっている。
尾ひれはひれがついて・・・
更に、マルコも一つの創作欲に駆られて、更に、自分の思想を創り上げた。
イエスという、人物を通して。

その、マルコによる福音書について、神学者である、田川建三氏の説から、紹介する。

治癒神イエスの登場を生き生きと素朴に描き出したマルコである。
その手法の発見は、極めて緊密な仕方で、マルコのガリラヤ理解と一つに結合されていたのである。

ガリラヤによって、エルサレムを意識し、エルサレムを意識することで、ガリラヤに自己を定位したマルコである。

山形氏は、その田川氏の研究から、三点に絞り要約している。
まず、一つは、ガリラヤの辺境性である。
ガリラヤは、ユダヤの北方サマリヤの、更にまた北に位置している。
ユダヤ行政府からは、遠い。

そして一つは、ガリラヤの異教性である。
イスラエル王国時代に、すでに異邦人のガリラヤと呼ばれていた。
その長い埋もれた民族の歴史から見れば、ガリラヤは、海岸都市フェニキアの一部に組み込まれていた。
つまり、ガリラヤの異教性は、本来のものである。

その一つは、反エルサレム的、反体制的性格である。
エルサレムの最高法院に対する、反体制的性格が、ガリラヤの政治風土を決定づけている。

こうしたガリラヤ理解の上で、マルコは、治癒神イエスを設定したという。

であるから、それは、イエス自身ではなく、マルコの独創によるものである。
治癒神イエスの登場は、ガリラヤ無しには、有り得ないとなる。

更に、山形氏は、荒井献氏の、イエスとその時代、からの分析を見る。

荒井氏は、伝承の担い手となった民衆を、社会の階層性においてとらえ、伝承に記憶されたイエス像の、社会的階層性を浮き彫りにした。

そうした方法で、奇跡物語の伝承を分析した結果・・・
その一つに、奇跡物語の担い手となった民衆は、イエスの言葉伝承を担った、小市民層とは違う、社会の最下層、特に、社会的に差別の対象とされた、地の民、罪人と呼ばれた階層である。

その一つは、彼らの生活、行動の場は、ガリラヤの農村である。

そして、その一つは、彼らの用いた日常語は、アラム語であり、彼らは、差別された状態から、社会への復帰を熱望していた。

ガリラヤのナザレの町の、小市民から出たイエスが、社会の最下層の「地の民」と交わり、彼らの抑圧された願望や期待にこたえながら、彼らの生きようとする方向へ、自らの運命を賭けていく。そうしたイエスの行動を、荒井は驚異の治癒物語伝承の背後に読み取ろうしたのである。
山形

一人の男の、人物伝承を書く行為によって、思想とする。
そこにあるのは、ユダヤ民族主義、キリスト論的イエス理解に、批判的だったマルコの創意工夫が、結実したもの、それが、マルコ福音書である。

であるから、他の作者たちも、それぞれの思想を持ち、マルコの福音書をベースにして、更に、その思想を展開させたのである。

一つ一つの、福音書は、つながっているのではない。
別々の思想によって、成り立っている。
だから、聖典とされなかったものも、数多くある。
それらを、外典として処理している。あるいは、異端として、処理しているのである。

遊行して村々を廻ったイエスは、実在した。
しかし、そのイエスが、救い主、キリストであると、明確にしたのは、後の人たちである。

そうせざるを得ないほどに、地の民、最下層の人々は、抑圧されていた。

二千年前の、ある地域のお話である。

イスラエル民族、後のユダヤ民族、そして、ユダヤ教という権威によって、抑圧されていた人々。
つまり、ユダヤ教は、すでに崩壊していて、なす術もなく、ただ、すでに過ぎ去った歴史の残骸である、旧約聖書という伝承と、神話を持って、形骸化した集団と化し、人々を裁くだけの存在として機能していた、最高法院なるユダヤ教の幹部、選ばれた者たち・・・

イエスは、それらの人々との、交わりを持たなかった。
持つ必要がなかったのである。
というより、イエスも、小市民の一人、地の民の一人だった。


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2013年08月11日

神仏は妄想である。432

さて、ここで一端、イエスの詮索を留めて、書くことがある。

ナザレのイエスは、一人の男である。
地の民の男である。

それが、何故、キリスト、救世主とされたのか・・・
あるいは、キリストと称されて・・・
何故か・・・

その初め、ローマの国教とされてからである。
ユダヤ人キリスト派が、全員殺されてから、ローマ教会が建てられる。
ローマ・カトリックである。

その姿を見ると、今では、イエスは、とんでもない、怪物になっている。
磔にされた、十字架を掲げて、ミサを行う。
更に、その教会内部には、多くのイエスの弟子たちが、使徒として、祭られ、更には、聖人とされた人たちが、祭られて・・・

形骸化どころの話ではない。
完全に、ナザレのイエスは、捨て置かれた。

司祭は、そして、その長たち、ローマ法王は、派手派手な衣装により、金の杖を持ち、信者を祝福するという。

イエスが、聞いたら、泡を吹く。

そして、更には、プロテスタントという派閥は、様々な解釈により、驚くべき、教義を掲げる。
その中には、熱心過ぎて、カルトと化している派閥もある。

彼らの、新旧キリスト教は、排他的で、非寛容をモットーとする。
つまり、異教徒は、悪魔からのもの、だと・・・

イスラム国に、布教に出掛けるという、勘違いも甚だしい、キリスト教徒もいる。

更には、キリスト教同士の対立、対決。
彼らは、平和、調和というものを、一切、拒否する。

イスラムの方が、酷い・・・
そんなことは、無い。
キリスト教の排他性は、世界一である。

世界に、戦争というものを、教えたのも、キリスト教である。

つまり、ナザレのイエスは、単なる、飾り物とされたのである。
イエスは、キリストではない。
勝手に、後の人たちが、都合よく、キリストに仕立てたのである。

でなければ、キリスト教は、これほどまで、堕落していないはずだ。

寝る場所も、持たなかった、ナザレのイエスを、キリスト教指導者たちは、受け入れないだろう。
司祭、牧師は、ぬくぬくとしたベッドに寝て、毎日、たらふく食い、隙あれば、セックスもする。

説教は、妄想の極みを行く。
何とでも、言う。

脅し、すかし、罪の許しまでも、行う。
誰の、命令か・・・
罪の許しを与えられるのは、何ゆえか・・・

イエスの神を、旧約聖書の神と同じだと、考えている程の者たちである。

地の民という、最低の民の中から、だからこそ、救われなければならないのだ、と、叫んだ、イエスの姿は、そこに無い。

はっきり言うが、天の国などは、無い。
幻想、妄想の世界である。

信じる者は、死ぬまで、騙され続ける。

騙されても、いいから、信じたい・・・
という、人々を、私は多く見た。
何かを信じていないと、やってられないのである。
不安症などというものではない。
その、あまりに厳しい生活苦の中で・・・

更に、恐ろしいことは、その知性も、理性も、信仰のために、利用される。

神という、妄想の産物のために、一生、知性と理性をかけて、生きた人たち・・・
あまりにも、哀れである。

人間は、我が手の内にあるものしか、解らないのである。
そして、手の内にあるものをこそ、信じられるのである。

神という、妄想は、手に余る。

イエスは、一体、何を言ったのか・・・
それは、いずれ、最新の研究成果から、紹介する。

聖書の言葉は、イエスの言葉ではない。
聖書作家の言葉である。

作家の言葉を、そのまま信じて、信仰だとは、笑わせる。
作家は、嘘つきの初めである。

イエスの名を使い、自分の考え方を、表現したものが、書き物である。
そして、書かれたものがあるということは、書かれなかったものもあるということである。

イエスは、何を言ったのか・・・

ある時代の、ある場所・・・
その狭い世界の中で・・・
全人類に関わるほどのことを、言える訳が無い。

全人類の救いなどというものは、全くの妄想である。
つまり、神仏は妄想である、のだ。

posted by 天山 at 05:51| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月08日

神仏は妄想である。433

ギリシャの著名な雄弁家であり、アスクレピオスの熱烈な崇拝者だった、アイリオスのアリスティデスは、紀元前2世紀頃の、ローマ、アテネの、驚くほど多くの、病気治しの神々の活躍について、語っている。

その神殿には、難病、奇病にとりつかれた病人で、一杯だったという。

病気は、すべて、神々によるものだと、信じられていたのである。

例えば、アポロの投げ矢は、ペスト、蛇のような髪をしたフリスの女神は、人を狂気に駆り立てる。オリンポスのゼウスは、アテネでは、守護神であるが、ロードス島では、医神であった。

女神アテネも、同じく。彼女は、スパルタでは、眼病の癒しを得意とした。
アポロは、薬の発明者であり、その力は、難産の治療、予防、救助である。

アリスティデスの掲げた治癒神は、十指に余るという。

その中でも、アスクレピオスの治癒力は、抜群であるという。

アテネが、素性の知らない、アスクレピオスを崇拝したのは、碑文によると、紀元前350年の頃である。
その理由は、ペストの流行を止めたという功績が記録される。

だが、アスクレピオスの隆盛の背後には、オリンポスの神々の衰退という事実がある。

つまり、アテネの神々との競合に、勝ったのである。

これにより、ヘレニズム諸都市への、拡散がはじまる。

さて、1世紀から、2世紀にかけて、キリスト教が、ヘレニズム世界へと浸透するために、このような状況下では、治癒神の競合として、開始されなければならなかったという、理由がある。

ヘレニズムの多くの、治癒物語伝承・・・
それは、恐ろしい疫病の直撃により、崩壊に晒される都市の人々の不安がある。

ヘレニズム諸都市における、キリスト教の急速な浸透の背景には、このような、都市化に伴う、疾病の流行に苦しむ、民衆が存在したということだ。

日本に仏教が伝来した際も、病気治しの意味が次第に、強まっていった。
同じことである。
まだ、医学というものが、無い時代である。

治癒神、アスクレピオスは、ポリスからポリスへと、病ある人を求めて、訪ね歩く神であった。

そして、イエスも、その一人になる。
イエスも、村でも、都市でも、病人を求めて、歩く神として、登場するのである。

福音書に描かれた治癒神イエスの遊行的性格は、こうした背景から理解されねばならない。そこでは国家的祭儀としての宗教は、もはや存在の根拠がなかったのである。福音書は、その豊かな史料である。
山形孝夫

歴史的に神々の競合の時代に、突入した・・・
それは、アレクサンダーの東征以降である。紀元前334年・・・
ポリス国家に支えられた、ギリシャの没落から、ローマの覇権が、東部地中海に確立するまでの、三百年間、ヘレニズムの時代である。

脅威と不思議の病気なおしの神々は、アーカイックな死と再生の痕跡に加えて、彷徨し、遊行する神々の明白な特徴をおびて活躍する。治癒神の競合と葛藤の時代であった。こうした中での治癒神イエスの勝利には、ローマ帝国の権力機構の裏打ちがあった。
山形

ただ、この時期、すでに、医術というものが存在していた。
そして、医術自体の競合もあったのである。
治癒力の優劣は、そのまま、医術の技術的優劣にも、直結しているのである。

そこで、当時の、医術のヒポクラテスに関して、記述するかどうか、迷う。
多くを書くことは出来ないが・・・

簡単に言えば、色々に説があるが、紀元前420年頃、ヒポクラテスは、医学と宗教を分離していたことを、明確にしているということだ。

彼の告発がある。
かかる魔術師や祈祷師は、生計に窮して、策を弄し、人をたぶらかす者であり、本病の原因を、さまざまな神々に押し付けることによって、おのれの腹を肥やす詐欺師なのである。彼らは、病人の前では敬神をよそおいながら、その実、そうした虚偽の行為において瀆神の罪をおかしている・・・

更に、癲癇の原因については、神にあるのではなく、脳にあり、それは治療されるという。

大脳生理学にある、治療法を言う。
わたしたちの快楽も歓喜も、笑いも戯れも、悲しみも苦悩も、憂うつも涙も、そうしたすべては脳以外からは生じない。わたしたちは、脳によって思考し、視覚、聴覚をはたらかせ、美醜、善悪、快不快を識別する。

この同じ脳により、わたしたちは狂気錯乱し、夜昼の別なく不安と恐怖におそわれ、不眠や徘徊、とりとめない心配、常軌を逸した思考や行動が生ずる・・・

ヒポクラテスは、すべてを脳の機能の働きと、見たのである。

ところが、彼が亡くなると、時代は一気に、神殿治療が勃発するのである。

ただし、アスクレピオスの治療は、加持祈祷ではなく、大胆な医術の採用によって、民衆の間に、拡大していったはずだ。
というのは、ヒポクラテスも、その門下の医師として、修行をしていたのである。

このエッセイの主ではないので・・・
以下、省略する。

さて、イエスである。
その問題は、福音書に書かれた、治癒物語である。
イエスは、医術を用いたのか・・・

福音書を分析すると、まず、マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書から、脅威の治癒物語を見ると、50話ある。

その治癒物語の他に、散りばめられている、癒しの話は、46である。
弟子たちの話も、19ある。

その中で、どのようなものが多いか。
汚れた霊に取りつかれた男で・・・そういう話が、48ある。

それらの霊は、一括して、悪霊である。

中には、口を利けなくする霊、ものも言わせず、耳も聞えさせない霊。悪魔憑きか・・・
更に、癲癇をはじめ、広義のすべての、精神疾患である。

盲人の話、13。重い皮膚病、9。足の悪い者、7。耳の聞えない者、6。中風の者、5。病名の明確ではないもの、熱病、出血、水腫、毒蛇の被害など、それぞれ、1から2。

驚くのは、死者の蘇生が、9もある。

アスクピオレスの場合は、外科的疾患の治療に、本領を発揮している。
イエスは、悪霊が多い。

面白いのは、アスクレピオスは、宗教的タブーに触れる病気には、一例も報告が無い。

イエスが、何かしら、医術を駆使した記述は、無い。
イエスの用いたものは、古い、呪術の域を出ないのである。

つまり、言葉である。

明確なことは、イエスには、医術の方法は皆無である。
ただ、言葉によって、マイナスをプラスにしているのみ。

また、それは、福音書を書いた者の、記述である。
イエスが、自己申告したものではない。

これから、その世界、イエスの奇跡物語の是非について、分析する。
更に、イエスが、キリストにされて行く過程である。

ローマ帝国の権力と共に、ローマ教会の権威と共に。

posted by 天山 at 05:54| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月09日

神仏は妄想である。434

あくまでも、福音書の中では、イエスの治癒物語は、言葉によるものである。

更に、福音書には、イエスが、病人を汚れた者、罪人としては、扱わないのが、
特徴である。

マルコでは、
医者を必要とするのは、健康な人ではなく、病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。
と、語らせる。

しかし、この表現も、不思議だ。
罪人を招くため・・・
ここに、マルコの考え方がある。
それは、以前にも書いた通り。

福音書の中での、イエスの言葉は、強烈である。
その強烈な言葉によって、イエスは、癒しを行う。

そこで、問題なのは、歴史的なことである。

驚異の治癒神アスクレピオス崇拝と、キリスト教との競合の歴史からすると、四世紀はその最後の決着のための激しい攻防の世紀であったようにおもわれる。
山形

そこに政治力、権力が関わることになる。

つまり、
すでに歴史に登場した若々しい治癒神イエスの優位は、動かなかったが、それを確認する権力基盤は、いぜん不確定なまま事態は進行していた。最後の決着はローマ皇帝の権力に握られていたのである。いったい、病気なおしの神は、権力にとって何であったか。治癒神イエスの登場には、始終一貫、この問題がからみついているようにおもわれる。
山形

313年、コンスタンティヌスの宗教寛容令により、それまで、非合法化されていた、キリスト教が、ローマ、アテネの各都市で、市民権を獲得する。

更に、公然と布教活動が開始された。

それは、同時に、都市化に伴う悪疫の流行に苦しむ民衆にたいする、活発な治癒活動の解禁をも意味していた。
山形

問題は、ここである。
コンスタンティヌスが、キリスト教への改宗の証のために、それまで勢力を振るっていたキリスト教以外の宗教に対して、破壊の厳命を下したことである。

勿論、アスクレピオスの神殿も。

アスクレピオスは、治癒神の座から引き摺り下ろされ、詐欺師として、告発される。
勿論、告発には、権力が必要である。

エーゲ海の町の治癒神は、イエスへと、交替したのである。

その間の、様々な資料もあるが・・・
省略する。

結論だけを言えば、すべて、権力によるものである。
イエスが、治癒神として、成功したのも、権力の介入によるのである。

そこに、正統、異端という言葉が、出てくる。
これも、後々まで、中世に至るまで、続く・・・
そして、その後も・・・

更に、その頃、すでに教会、そして、司祭たちが、姿を現しているのである。

その後の、歴史は、使徒権と、一つになっていた、治癒権が、法衣をまとう、教皇、枢機卿たちの操作する、権力により、迅速に収束されてゆくのである。

如何に、作為があるかということだ。

何一つ、所持するものがなかった、イエスと、その弟子・・・
それが、いつの間にか、位階制度が生まれ、国家権力と結合し、一大権力機構にまで、発展するのである。

そこに、イエスは、もはや、存在していないのである。

山形氏は、
313年のミラノ勅命によるキリスト教公認によって、早くも、その最初の一歩が踏み出されたということで、あの驚異と不思議の治癒神イエスは、次第に精巧なドグマのキリスト像に仕上げられ、四世紀をすぎる頃には、癒しの宗教としての原初の姿を急速に失っていくことになる。治癒神イエスの驚異の奇跡は、新しい礼典主義に閉じ込められてしまうのである。
と、言う。

ところが、民衆の方は、別である。
教会の礼典主義に飽き足らず、密かに、あるいは、公然と、治癒に対する、思いを行為していたのである。

それが、イコン崇拝と、聖母マリア信仰である。

イコンとは、像である。
イエス、マリアの像・・・

カトリックは、もとより、ギリシャ正教、コプト教、エチオピア正教・・・
そこには、イコン崇拝と、マリア信仰がある。

そこにも、忘れられた、カナン神話の原型がある。
歴史は、断絶してあるのではない。

それが、移行する、取って代られるのである。

カトリックのマリアに対する、思想は、悲しみのマリアと、祝婚のマリアがある。
中世の教会教父たちは、二つのマリア像を、教会の一つの理念として、如何に、定着させるかと、神学的に、努力したのである。

マリア神学・・・
権力により、葬られた、カナンの女神の、悲嘆と歓喜の花嫁の似姿・・・
キリスト教の基盤は、実際、多くの葬られた、歴史的神話によって、形作られてゆくのである。


posted by 天山 at 06:09| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月10日

神仏は妄想である。435

ナザレのイエスが、何故、キリストになったのか・・・
実に、不思議であり、不可解である。

歴史家の眼からすると、イエスはまったくのところユダヤ教の預言者、あるいはしばしば奇跡や病気なおしをおこなうユダヤのラビとして、人々の前に姿をあらわし、十字架の上に死んでいったにすぎないからである。
山形孝夫

イエスは、当時の、ユダヤ預言者の枠を超えるものではなかったのである。

神の国、天の父なる神について、語ったに過ぎない。

とすると、新約聖書の作者たちは、何を必死で、神の子、キリストという、証言をするのか。

イエスの使命は何か・・・
それは、来るべき、神の国について、人々に告知するという、ことだけである。
だが、その、神の国も、到来しなかった。

イエスの使命は、告知する使命である。
ところが、イエスは、告知する者から、告知される者へと、変容した。

ヨハネ、パウロは、イエスの語った言葉を無視する。
イエスの告知のみに、始終するのである。

福音書の作家たちは、イエスの個人的魅力、そして、ありのままの生涯については、関知しないのである。
兎に角、イエスは、キリストであると、語るのみ。

聖書外典、異端とされた物語には、イエスの子供時代からの、話もあるが・・・
あまりの奇想天外な話に、それは、聖典とされなかった。
しかし、そのような書き物が存在したということ。

福音書のうつしだされたイエスの生涯は、けっして完結的な物語でもなければ、ナザレのイエスの復原を意図する、福音書記者の歴史的関心によって、描きだされたものでもない。福音書の原型は、イエスの言葉に、決断をもってこたえた最初の信仰共同体の、キリスト告白を中心に結集された。
山形

要するに、結論が先にある。

イエスは、キリストである。

そこで、ユダヤ教である。
イエスは、ユダヤ教の信徒である。
そして、原初キリスト教は、ユダヤ教の一派だった。

だから、福音書は、ユダヤ教の朗誦と同じく、祭りにおいて、朗誦されるべきものだったのである。

仏教経典を読経するのに、似る。

マルコでは、イエスが言わなかったと思える、
人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、司祭長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活する。
と、書く。

使徒行伝のペトロの説教には、
イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレのイエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。そのイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存知のうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。
と、ある。

形骸化した、ユダヤ教、すでに、滅びたユダヤ教、そして、ただ、既得権益に生きる、ユダヤ教の指導者たちには、イエスの存在は、我慢できないものだった。
現在も、ユダヤ教は、イエスを、キリストとは、認めない。

だが、作為が多過ぎるのである。
新たなる宗教が、作られる過程を、ここで、よく見られることになる。

証言が、伝言ゲームとなり、語り継がれるうちに、どんどんと、語り継ぐ人たちの、妄想が加味されてゆく。
それが、福音書である。

人々の記憶するイエスの言葉の断片が、一定の手法によって挿入添加され、マタイはマタイ、ルカはルカと、それぞれ独自の内容をそなえた福音書へ拡大されていった。
山形

それは、それぞれの教団の、取捨選択がある。

だが、その中でも、イエスの受難物語、復活物語は、共通している。

後に、福音書の中のイエスの言葉とされるものを、分析するが・・・

すべて、作られた、作為あるもの、それが、福音書である。
そして、信じる者は、そこから、騙され続けるのである。

ユダヤ人たちの、初期キリスト教団は、まだ、人道的だったが・・・
それが、ローマ皇帝と結びつき、権力を得ると、実に歪なものと変わり果ててゆく。

その世俗的な、変転を見ると、ナザレのイエスは、アジア人であるが、いつの間にか、白人となっている。

ここに、明確に言えることは、白人主義のキリスト教に変容したことである。
ユダヤ人キリスト教徒を、皆殺しにして、白人主義キリスト教の出来上がり。

これを、イエスの教えと、信じている者は、白人主義のキリスト教に騙されているのである。

そこには、イエスの教え、言葉などは、何の意味も無い。
愛の教え・・・
とんでもない。
彼らに、愛の教えなど無い。
同胞愛のみである。世界的宗教と言われるが・・・
違う。

世界的に、騙しの宗教である。
キリスト教により、どれほどの民族が根絶やしになったか・・・

勿論、日本のアホのキリスト教信者は、そのまま・・・
何も知らない。
知らないから、信じて騙されている。


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2013年09月11日

神仏は妄想である。436

宗教史的にみると、初期キリスト教史は、カナンの再生の神々が、復活の花婿キリスト像に集合し、受難と復活の祭りをとおして、福音書に結晶化していく歴史であった。
山形孝夫

卓見である。
さまに、研究家である。

歴史とは、そういうものである。
突然、断絶してしまうものではない。

であるから、イエスの最後の晩餐・・・
それは、イスラエルの過越しの祭り、ペサハから出たものである。

ペサハの記憶が、イエスの最後の晩餐に、突如として、生き生きと、再現される。
その相違点は、ペサハの祭りでは、初子の、子羊がほふられるのであるが、主の晩餐では、イエス自身のこととなる。

マルコが書く。
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、讃美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の地である。」

まさに、マルコの、イエス観である。
神との、契約の動機が、付加されている。

イエスの食事が、神との契約のための、祭儀行為になるのである。

旧約と、新約をつなげるもの・・・
それは、福音書作家たちの、苦心の作である。

ルカは、明確に、過越しの食事と名づけている。
更に、イエスは、そこで、この世における、最後の食事であると、明言する。

神の国で過越しが成し遂げられるまで、神の国が来るまで、イエスは、再び、食べないと言う。
言わしめている。

原始教団では、主の晩餐は、神の国がすべてに到来した、その結果、再開された食事ということになる。

それは、イスラエル的ではない。
復活の歓喜の食事となる。

ルカは、そこで、復活したイエスに弟子たちが、エマオの村で会うという、不思議を書き付けている。

弟子たちは、ヘレニズムの伝統的な、祭儀に従い、イエスを、祭りの主として、再現したのである。

弟子たちの心には、イエスの復活が存在したのである。
生き返ったものではない。
心に、イエスが甦ったのである。

それでは、福音書の虚構について・・・
最初のマルコである。

マルコの福音書が、描く、イエスの生涯は、純粋に史実であるという確信から出発した、イエス伝神学から、打ち破られたのは、20世紀初頭の、ドイツ宗教史学派の特記すべき、功績に属している。

ブレスラウ大学の、W・ヴレーデと、ゲッテイゲン大学の、J・ヴェルハウゼンの果たした、見事な役割である。

ヴレーデは、1901年、福音書におけるメシヤの秘密、を、世に出し、マルコ福音の、イエスのメシヤ自覚の仔細な検討を試みた。
それは、極めて、否定的結論に終わった。

メシヤに関するイエスの言葉は、正確な歴史的伝承ではなく、マルコ記者の神学的創作にすぎないことが、明らかになったのである。

最初、教団は、イエスの生涯に、メシヤ性を認めることをしなかった。
それは、もっぱら、復活と再臨に限られていた。
ところが、イエスのメシヤ性をイエスの地上的生涯にわたり、認めるべきだとする見解が、教団内部に支配的となるのだ。

そこで、マルコが、福音書執筆の動機を持つのである。
マルコの大胆な、着想は、イエスは、そもそもメシヤであった。しかしイエスは、そのことを民衆に公然化することを、望まなかった。少なくとも、ある時期がくるまで・・・

ヴレーデは、マルコの中に、メシヤであることを隠そうとする、着想、メシヤの秘密の動機があることを見たのである。

この発想により、マルコは、二つに分裂した、メシヤ理解を、一つに統合することに成功したという。

復活と再臨・・・
そして、メシヤ・・・
統合・・・

それが、最初の福音書となる、マルコであり、その後、マタイも、ルカも、それを下敷きに、書き上げるのである。

つまり、結果的に、マルコの非史実性が、暴露されると・・・
イエスの言葉の最古の伝承を、引き継いではいるが、そのまま、引き継いだのではなく、マルコの解釈によって、受け取りなおし、引き継いだ。

それを、更に、ヴェルハウゼンは、綿密な分析により、再確認し、史的イエスの復原というテーマに、終止符を打った。

最古の伝承は、そのほとんどすべてが、イエスの言葉の断片からなりたっていた。それは、文字通りバラバラの断片的な言葉の収録にすぎず、それ自体では、けっして、まとまりをもった物語を、かたちづくるものではなかった。しかしやがて、これらの断片が集成され、イエスの生涯の物語として、まとめられることになったとき、はじめは、つながりを持たなかった伝承群の闇に、いく本かの糸が通され、それぞれ完結した物語が生み出されていった。

たしかに、マルコ伝承は、イエスの語録集「イエスの言葉の集録、ロギアと呼ばれる」よりも古く、しかもよりたしかな伝承にもとづいてはいる。しかし、結局のところ、福音書の伝えるイエス伝は、このようにして編纂された。いわば虚構なのであるから、史的イエスの史料としては、第二史料たらざるをえない。ロギアについても、事情は同様である。当時、口承文学が、次々に新しいイエスの言葉を創作しつつあった段階において、その集成であるロギアが、多分に虚構的傾向を有していることは、どうにも否定のしようがない。結局、これも、第二史料的である。

要するに、福音書をとおして知ることができるのは、史的イエスの実像ではなく、原始教団のつくりだした虚構だということになる。
山形孝夫

であるから・・・
まだまだ、話はある。


posted by 天山 at 05:12| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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