2013年09月28日

国を愛して何が悪い93

植民地という概念は、西欧の勢力がアジアを席巻した近現代になってからできたものではない。古くは古代フェニキア人やギリシャ人の植民都市「アポイキア」、ローマのコロニアがそうであり、中世ドイツも東方へ集団植民していた。
黄 文雄

植民地は、西欧や地中海世界に、限ったものでもない。
中国においても、古代ローマ帝国と、同時代の漢帝国の時代からあった。

植民、移民は、古代中国では、僑、僑民といわれ、近現代になり、華僑と呼ばれるようになった。

中国は、植民により、領土を拡大していったのである。

植民地の、内容、概念が、時代によって、変化したのも、事実である。

大航海時代の初期、イベリア半島のポルトガル、スペイン、オランダが行った、植民地統治、産業革命のイギリス、市民革命後のフランス、後発資本主義といわれる、ドイツ、イタリア、ロシアなど、帝国主義による、植民地統治は、それぞれ時代により、国により、違いがある。

19世紀から、20世紀にかけて、日本が行った、植民地統治も、日本独自の特色がある。

植民地主義は、大航海時代以来、宗主国の人間は、植民地の人間より、文明が高く、理性的で、勇敢であるという、正の価値がつけられていた。
植民地の住民は、未開で、野蛮であるという・・・

宗主国は、野蛮な人種を、植民地統治することで、文明を開化させると考えていた。
呆れるが・・・

戦前の日本は、植民地の究極の目的は、地球人化、人類境遇の拡張と、考えていた。
その一人が、新渡戸稲造である。

かつての、東大総長、矢内原忠雄も、植民地が、人類の増殖発展に有利、人類の経済生活を豊かにすると、考えた。

戦後、マルクス主義の史観が支配的になると、植民地とは、強い異民族による、搾取、抑圧、差別というイメージが、強くなり、白人による、有色人種支配の、シンボルとして、非難された。

黄氏によれば、
遅れてきた植民地帝国、あるいは帝国主義国家といわれる日本の植民地進出は、大英帝国でいえば、海外における植民地経営というより、大ブリテン島の統一国家づくりに似ている。大英帝国はヨーロッパからブリテン島に侵入したゲルマン系のアングロ・サクソン人が、ケルト系のウェールズ人とスコットランド人、アイルランド人と連合して成立した国家である。
と、言う。

連合王国のように、台湾、朝鮮と連合し、満州まで、手を伸ばしたとみる。

更に、白人主義とは、別物である。

同文、同種、同州、日鮮一体、日満支一体という、スローガンのもと、日本、台湾、朝鮮、満州は、宗主国と植民地というより、連合帝国と、見る方が、真っ当である。

ちなみに、イベリア半島から始まった、近代西欧植民地侵略が行われた頃、ロシア帝国も、ボルガ水系の小国から勃興し、清帝国も、満州の森林から、スタートして、数々の異民族を征服し、中華の地を支配した。

この二つの国は、どちらも世界帝国であり、異民族に対して行った、植民地的な、搾取や略奪、奴隷化は、西欧列強以上だといわれる。

西欧列強以上とは・・・

だが、今も、植民地主義の汚名を免れているのである。

日本の最初の、植民地は、台湾である。
51年に渡り、通算19人の、総督によって、統治された。

それを、俯瞰すると、植民地主義とのイメージが無いのである。

当初は、激しい、武力抵抗が続いた。
最初の15年は、ゲリラの討伐戦争に明け暮れたのである。

だが、日本の大正デモクラシーの影響が及ぶと、たちまち武力を捨てて、無政府主義者も、共産主義者も、独立運動家、議会主義運動家なども、平和的な政治運動による闘争に、変化した。

勿論、武力闘争は、日本統治時代から、始まったのではない。
それ以前からあったことである。

反乱が頻発していた台湾で、武力抵抗が無くなったというのは、時代である。

台湾は、日清戦争で、国際条約である、下関条約によって、日本に、割譲された。

台湾は、オランダの支配から、200年あまり、清の領土となり、19世紀末から、日本、そして、中国、国民党政権により、支配された。

清の支配は、完全に閉鎖的な辺境として、扱われた。
渡海禁止令、山林開拓禁止令が出され、開拓移民たちは、狭い土地に縛られ、ほとんど、獄門島並みである。

大陸から三年ごとに、交替で送られてくる清国の兵士、官使によって、収穫の半分を搾取され、残りの半分は、匪賊たちに略奪された。
それゆえ、毎年、反乱が起きたのである。

今もそうだが、中国の政権は、中央に利益を吸い上げる方式である。

地方は、中央の植民地のようであり、中央アジア、チベットなどのような、辺境地区にとっては、近代の列強より、過酷な植民地支配を受けている。

戦後半世紀近く、台湾を支配した、国民党政権も、日本の植民地時代の遺産を、食い尽くしたのである。

つまり、伝統的な収奪システムを踏襲してきたのである。

如何に、日本の植民地政策が、植民地化という、イメージと遠いかということを、台湾を見て、書くことにする。
植民化ではなく、拓殖という意味が、解るというものだ。



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2013年09月29日

国を愛して何が悪い94

日本の植民地経営が中国と異なる点は、日本が内地の延長としてインフラ整備をはじめとする殖産興業を行なったことである。それは朝鮮においても同じだった。中国のように中央が地方から収奪するのとは逆に、日本は逆に中央から地方に対して財政支援と産業投資を行なっていた。
台湾に総督府が設置されてから10年間は赤字財政で日本から支援する一方だったが、財政が自立すると島内の産業とインフラに再投資が行なわれた。台湾軍の経費もすべて日本の中央政府から支給されている。
台湾の工業化社会への変身は戦後から始まったのではない。今世紀のはやくも30年代から始まっている。工業生産の面でも、日本の南進基地として建設が急ピッチで進められ、30年代末には工業生産が農業生産を上回った。
黄 文雄

初代総督、樺山資紀の在任中は、台湾民主国の反抗と、各地方のゲリラの抵抗を鎮圧することで、明け暮れた。
二代目は、桂太郎である。三代目に、乃木希典が就任。
この期間も、ゲリラの抵抗がやまず、鎮圧のために、武力を投入した。

統治が軌道に乗ったのは、四代目、児玉源太郎の時代である。

だが、児玉は、国内の政治で多忙なため、その八年あまりの統治は、民生長官を務めた、後藤新平に任せていた。

後藤は、生物学的原理に基づく、統治方法だった。

つまり、文明国の制度を強制して、強引に開化させようとしても、それは虐政になる。台湾の統治も、まず、この島の旧習を科学的に調査し、民情に応じて、政治を執り行うべきであるという。

ヒラメの目をいきなりタイの目のようにつけかえようとするやつは、ほんとうの政治を知らない
と言い、過去の統治を批判し、民情に即した、統治を実施したのである。

後藤は、台湾の経営をするために、土地調査を含める、大規模な慣習調査を行なった。自ら、会長となり、内地から大学教授を招聘して、徹底調査を行なう。

この記録は、現在も、台湾にとって、大きな文化遺産となっている。
この調査に基づき、道路を建設し、鉄道、港湾、水道などのインフラを整備した。

兎に角も今に至る台湾の道のりを作り上げたのである。

その一つは、鉄道である。
3000万円の資金を投入し、明治42年までに、台湾に縦貫鉄道を完成させた。
中国の統治とは、天地の差である。

インフラ整備のうちで、最も力を入れたのが、上下水道の整備と、衛生管理である。
何と、上下水道は、台湾の方が、日本より先に実施されたという。

台湾の有史以来恐れられていた、熱帯の風土病が克服され、人々は、伝性病におびえることなく、生活ができるようになった。

衛生観念を植え付ける、啓蒙活動、病院建設などを通じて、環境が良くなり、日本の植民地経営の間に、人口が、三倍に増加したのである。

台湾400年史の中でいくら探しても後藤以上に政治、経済、文化のあらゆる面で台湾の近代化に貢献し、それを超える統治者はいまだかつて出ていない。だから台湾近代化の父といえば後藤新平以外にない。


台湾は、マレー系やポリネシア系の先住民を除き、常に、移民を受け入れてきた。
アメリカ大陸への移民が盛んな頃、中国大陸の東南部沿岸から、漢人移民が台湾に、入植した。
これが、第一の移民である。

次の移民は、日本統治時代に入ってきた、日本人である。

日本人は、維新以来、日本で養成されてきた、人文、科学の逸材が、多く台湾にやってきた。そして、近代化の建設を行なった。
そこには、後に書く、八田与一もいた。その数、数十万人である。

第三の移民は、敗戦後に、中国からやってきた、中国人である。
彼らは、戦勝国という立場で、日本の民間人40万人全員を、追放した。
そして、彼らは、日本人が築いた財産を食い潰して、生きた。

中国人とは古来より中原より発し、イナゴの大群のように南下しつつ自然を食い尽くしてきた民族である。今日にいたって改革開放を口では唱えているが、道路や電力などのインフラ整備は自力でやろうとせず、すっかり外国企業の投資に頼っている。台湾の近代化は日本人の経営なくしてありえなかったことは誰も否定できない。40万人日本人の追放は台湾の文明史にとってどれほど大きな人材の損失だったか。このことを考える人はいったい何人いるだろうか。
黄 文雄

と、いうことで、中国人は、いつも破壊する者との、認識を深くする。
黄氏は、イナゴと、表現するが、私は、ゴキブリと呼ぶ。

一匹のゴキブリが見つかれば、一万匹のゴキブリが存在する。

台湾は、中国ではない。
またまた、蒋介石が、逃れて来ただけであり、中国とは、言えないのである。
台湾は、台湾でいい。

蒋介石は、いずれ中国の地に、埋葬されるようにと、その遺体を、土から何センチか上げているという。

それに比べて、日本人は、台湾の地に、骨を埋める覚悟で、台湾の近代化に尽くしたのである。
その差は、天地の差である。

その一人、大正7年、1916年に、台湾の総督に就任した、明石元次郎がいる。
彼は、同じ年に、陸軍大将となり、台湾軍司令官をも、兼務した。

その、明石の業績は、凄まじいものがある。

日月譚、にちげつたん、という有名な観光地がある。
現在の観光ガイドブックには、天然の湖と、書かれているが・・・
違う。

明石が、総督時代に着手した、ダムである。

明石総督の、業績は、管制の改革、教育令と森林令の発布、三審制度の実施、そして、中部海岸の鉄道の新設、嘉南大「土編に川」事業、台湾電力株式会社の設立である。

その電力が、日月譚水力発電事業である。


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2013年09月30日

国を愛して何が悪い95

明石総督は、高雄港の自由港や日月譚ダムなどの、巨大インフラ建設のプロジェクトに取り組んだ。

日月譚ダムは、台湾で一番長い河川である、濁水渓を上流から、トンネルや地下水路を掘り、導き、低地に堰堤を築いて、日月譚をダムとして、最大10万キロワットの電力を、北は台北から、南は高雄まで送電する、一大綜合プロジェクトである。

総工費は、4800万円。完成までは、五年。
結果的に、総工費は、6800万円になり、当時の台湾総督の、年間予算を超える、大プロジェクトになった。

だが、明石は、就任した、翌年の大正8年10月、特別演習の陪観のため、東京に戻る途中で、病気が重くなり、郷里の福岡で下船し、10月24日、死去した。
56歳である。

明石は、台湾を離れる前に、もし身上に万一のことがあれば、必ず台湾に葬るように・・・と、遺言を残した。

余は死して護国の児となり、台民の鎮護たるざるべからず

そのようである。
昔の日本人は、そのような気概があった。

更に、もう一人、烏山頭、オスアタムダムを建設した、八田与一を紹介する。

東洋一といわれる、巨大ダムを建設した、中心人物である。
土木技師であった。

このダムの完成により、一面荒れ野だった、嘉南平野が、潤い、台湾の全農地の、六分の一にあたる、15万ヘクタールが、豊かな農地となったのである。

このダムは、農民に測り知れない利益をもたらし、60万台湾農民の心に深く刻まれた。

現在も、八田の命日である、5月8日には、水利組合の役員をはじめ、農民たちによって、八田を祀る祭礼が行なわれている。

建設当時は、ダムの寿命が、50年といわれたが、70年以上を経た今も、貯水能力は三分の二を維持し、竣工当時と同じように、水をたたえている。
現在は、珊瑚譚という名称で、観光地として賑わう。

昭和17年5月5日、八田は、フィリピンの綿作灌漑の視察を命じられ、広島県宇品港から、太平丸に乗り込み、南を目指した。
しかし、五島列島の南を航海中、アメリカの魚雷攻撃で、撃沈され、海の藻屑となった。その、一ヵ月後、遺体は、漁船の網にかかり、引揚げられた。
56歳である。

台湾には戦後もずっと一日も休むことなく「君が代」が歌われているところがある。それは台南の飛虎将軍廟である。この廟に祀られているのは、太平洋戦争の末期、昭和19年10月11日、台南近郊の上空で米軍機に体当たり攻撃をして果てたゼロ戦パイロット杉浦茂峰ら三名の海軍航空隊兵士である。空中戦を観戦していた農民たちは、畑に墜落した彼らの遺体を収容し、護国の神として廟を建てたのである。「君が代」と「海ゆかば」が祝詞となった。
黄 文雄

敗戦後は、国民党政府によって、祭事の中止が強制されたが、廟を守る農民たちは、一丸となり、抵抗して、今日まで、守り抜いているのである。
意味なくして、そんなことは、有り得ない。

国民党は、台湾の伝統的な民間信仰を迷信として、また地方の祭りを浪費として、禁止をした。
全く、日本の統治時代とは、逆である。

さて、日本人警官が、神様として、祀られている場所がある。
苗栗獅頭山勧化堂、嘉義県東石富安宮である。

勧化堂は、広枝音右衛門警部、富安宮が、森川清治郎巡査である。

広枝は、昭和18年末、海軍巡査隊長に任命され、2000人の台湾人志願兵、軍属を連れて、マニラに渡り、巡査隊の訓練と、治安維持の任務に当たった。
しかし、昭和22年2月、米軍上陸が伝えられると、巡査隊は、フィリピン派遣軍軍司令部から、手榴弾が配られ、全員玉砕が命令された。

だが、広枝は、苦慮したあげく、台湾人の命を保障するようにと、ひそかに米軍と交渉し、2000人の隊員に言う。

諸君はよく国のために戦ってきた。しかし、今ここで軍の命令どおり犬死にすることはない。祖国台湾には諸君らの生還を心から願う家族が待っている。私は日本人だから、責任はすべて私が取る。全員、米軍の捕虜となっても、生きて帰ってくれ。

敗戦後、台湾人たちは、全員、帰国した。
そうして、広枝は、神として、祀られたのである。

森川巡査は、家族と共に、台南市の村に赴任した。
明治30年である。

治安維持に当たる警官だったが、力で抑えることはなかった。
仕事熱心で、教育熱心で、小学校がまだ作られていない時代、派出所の横に、寺子屋を建てて、子供たちに勉強を教えた。

農民には、農業指導をし、病気の人には、薬を調達する。人々の生活全般に渡り、心を配った。
更に、農業と漁業を兼業している貧しい村のために、税金の免除を何度も、総督府に嘆願した。

しかし、現地住民から慕われた森川巡査を、上司は、反動的人間とみなし、懲戒処分とした。
森川は、そこで抗議の自殺をする。
42歳であった。

村人は、森川巡査の徳を讃え、生前の姿を模して、神体を作り、義愛公として、祀ったのである。

ちなみに、日本の統治政策は、教育にも、力を入れたということである。
日韓併合の際、当時、学習児童は、14万人ほどである。
総人口の1パーセント。台湾も同じようだった。

しかし、韓国では、昭和18年に、就学率は、61パーセントに達し、昭和19年には、国民学校が、5213校、生徒数は、239万8千人あまりである。
同じ頃、台湾では、就学率、92,5パーセントにも達した。

京城帝国大学が創設されたのは、1924年、台北帝国大学は、1928年に創設である。
つまり、日本の内地の、大阪帝国大学より、早いのである。
1931年、昭和6年である。
名古屋大学は、昭和14年、1939年である。

今日の韓国、朝鮮人は、日帝時代は、愚民化政策がとられたと言うが、何を根拠にしているのか・・・

韓国も台湾も、日本が、創ったのである。
植民地政策・・・
欧米のそれとは、全く別物である。


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2013年10月22日

国を愛して何が悪い96

以前に、一度書いたが、ポツダム宣言は、無条件降伏ではない。

しかし、ポツダム宣言後、無条件降伏と、すり替わった。

ポツダム宣言には、我々の条件は以下のごとし・・・と、書かれていて、その条件の中には、陸・海軍の無条件武装解除とあった。
他のことに関しては、無条件ではない。

ここから、おかしいのである。
つまり、やられたのである。

マッカーサーである。
来日すると、日本政府とは、交渉する必要はないと、占領軍として、傲慢に立った。つまり、日本は、無条件降伏をしたというイメージを与えた。

日本のマスコミが抑えられ、占領軍に追従する識者も大勢いたのである。
保身である。更に、後で、金になるという・・・

その十条にある、戦争犯罪の処罰、という項目を実行するため、東京裁判、極東国際軍事裁判が、昭和21年、1946年、5月に始まった。

処罰とあるが、それも嘘で、戦争犯罪人、戦犯を作り上げ、処刑するという・・・

再度言うが、本当の、戦争犯罪人は、イギリスのチャーチルと、アメリカのルーズベルト、ソ連のスターリンである。

東京裁判の規則を、チャーターと言う。
マッカーサーの参謀本部が、検事と相談して決めたものである。
このことでも、国際法に基づかないのである。

さらにいうと、本当の裁判であれば、裁判官は中立でなければならず、中立国から裁判官を出して裁くのが適切である。ところが、ポルトガル、スウェーデン、ノルウェー、スイス、ローマ法王庁、スペインと、中立国はたくさんあったのに、裁判官はすべて日本と敵対した国、あるいはその植民地の人だった。
渡辺昇一 アメリカが畏怖した日本

アメリカでは、日本解体のために、様々な分野から専門家を集めて、日本と日本人について、議論していた。
そのことも書きたいが・・・
面倒だ。
ただ、精神分析、心理学者たちの話が、薄ら馬鹿げていて、面白いが・・・

そこで、登場した、一つは、日本人の精神年齢は、12歳である、というもの。
実に、馬鹿馬鹿しい限りだ。

今も、心理学者は、アホだが、昔も、アホである。
アホに気付いていないのが、心理学者というものである。

さて、マッカーサーの日本解体・・・
それは、今も尚、続いている。

28名のA級戦犯を作り出し、二年に渡り、裁判を続けて、侵略国家日本を、イメージ
付けたのである。

マッカーサーは、成功した。
だが、唯一、昭和天皇だけは、目覚めていた。

あっ、そう・・・
その時々に合わせて、都合よく、相手の気持ちに添うのである。
しかし、時が過ぎれば、押し戻すという、精神力を持っていた。

別エッセイ、天皇陛下について、を、参照下さい。

たった一人の目覚めた、御方、天皇陛下によって、日本は、辛うじて、救われた。
勿論、国民の大半は、未だに、目覚めていないが・・・

戦勝国が敗戦国を裁く。これは人類史上、稀にみる暴挙です。戦争は国際法上認められた行為で、国家間の利害が対立して起きます。お互いの言い分は当然あり、どちらが正しくどちらが間違っているという質のものではないからです。
前野 徹 歴史の真実

敗戦国を裁いた裁判では、ドイツに対して行なわれた、ニュルンベルク裁判がある。
だが、その性格は、全く違う。

ニュルンベルク裁判は、ナチス、ゲシュタポ「秘密警察」ナチ親衛隊、保安隊が、犯罪団体として、指定されだが、ドイツそのものは、対象外である。

ドイツの戦争を裁いたのではなく、ナチスなどの、犯罪団体が行なった、ユダヤ人大虐殺を、人道に対する罪、ということで裁いたのである。

ちなみに、三名が、ドイツの戦争には責任があったが、ジェノサイド、虐殺には、加担していないとの理由で、無罪になっている。

では、東京裁判は・・・
最初から、日本という国家を裁くという、意識である。

平和に対する罪・・・
笑う。

茶番より、悪い。
私が、分析するに、確実に、人種差別である。
マッカーサーは、黄色の日本人が、あまりに戦争に強いので、俄然、奮い立ったのである。

一度、フィリピンから、逃げているほど、日本軍が怖かったのである。
その、自分も許せない。

白人が、色付き人種に負ける訳が無い。
スターリンもそうで、色付き人間、特に、日露戦争で勝った日本を許せなかったのである。

本を正せば、簡単なカラクリである。
人種差別である。

ドイツ人は、白人であるから、許せたのである。

二度と、色付き人間、その国に立ち上がってもらっては、困る。
そこで、前代未聞、人類史上初の、裁判が起こったのである。

この21世紀になっても、白人は、潜在的、いや、本能的に、人種差別を持つのである。

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2013年10月23日

国を愛して何が悪い97

最初に結論ありの、東京裁判・・・
それは、何か・・・

戦勝国の狙いは次の三つでした。第一は復讐です。白人に唯一刃向った有色人種、日本人への憎しみからです。第二は日本人の洗脳。日本に侵略国のレッテルを貼り、日本人に贖罪意識を植え付け、二度と立ち上がれないようにするために。第三は白色人種のアジア侵略の帳消し。アジアの白人支配に対する罪のなすりつけです。連合軍のアメリカもイギリスもオランダもフランスも、アジア地域を分割し、植民地として搾り取れるだけ搾り取っていたという歴史があります。日本に侵略国の烙印を押し、何もかにもが日本が悪かったとすれば、かつての植民地の非難の目は日本に向けられ、自分たちの悪行は覆い尽くされ、のちのち糾弾されることもないと踏んだのでした。
前野 徹

まあ、そんなところでしょう。

現在も、アジアが巨大になることから、手を打ち始めているのが、証拠。
白人支配を世界的にすべくの、方法を考えている。

だが、東アジアの三カ国以外の、アジアの国は、日本に対して、期待と希望を持つのである。

欧米諸国は、今も、日本を敵国として、考えている。

であるから、日本と、日本人が、いつまでも、贖罪意識を持ち、謝罪外交を繰り返すのを、よしとして見ているのである。

ちなみに、彼らは、一度たりとも、謝罪などしない。
イギリスなどは、香港返還の際に、中国に感謝を求めた。

勿論、中国のうよな国は、感謝した方がいい。
東洋の真珠と言われた、香港を作られたのは、イギリスのお陰である。
中国では、決して有り得ない。

さて、この東京裁判には、唯一、国際法学者がいた。
ラダ・ビノード・パール判事である。

そして、パール判事は、最初から、この裁判について、異を唱えた。

この裁判は文明国の法律に含まれる貴い諸原則を完全に無視した不法行為である。
と、告発した。

日本無罪論を展開し、英文にし、1275ページにわたる、意見書を提出したのである。

もっと、面白いのは、裁判であるから、弁護人が必要である。
弁護人を指名されたアメリカ人たちは、戦時のプロパガンダに染まっていて、日本を弁護することなど、出来ないと、思っていた。

だが・・・
裁判が始まると、アメリカ人の弁護人たちが、これは裁く方がおかしいのではないか、と、燃えたのである。

重要な指摘が、アメリカの弁護人から出た。

人道に対する罪を問う裁判の時に、
アメリカは原爆を落とした。製造を命令した人、運ぶことを命令した人、落とすことを命令した人、落とした人、皆わかる。それを無視して人道とはおかしい・・・
と言う、アメリカの弁護人である。

ところが、ウェッブ裁判長が、
この裁判は日本を裁くものであり、アメリカを裁くのではない、と、はね付けた。

すると、弁護人は、
原爆を落としたから、日本には復讐権が生じた。従って、これはいわなければならない、と応じている。

いやいや引き受けた、アメリカの弁護人たちが、裁判が進むにつれて、
こんな酷い裁判があるのか・・・
と、感じて、やりがいを持ったという。

パール判事だけではなかったのである。

だが、結局、昭和23年、1948年、11月、東京裁判の判決が出て、七名が死刑に処せられた。

アメリカはデタラメな裁判を進めただけではなく、「戦前の日本は悪かった」という史観、いわば東京裁判史観の刷り込みを日本人に行なったのだ。その影響は60余年後の今日まで尾を引いている。
渡辺昇一

パール判事は、冤罪を着せられた日本を案じて、三度も来日した。
その度に、日本の教科書が、東京裁判史観に沿って、日本は侵略の暴挙を犯した、先の戦争は、侵略戦争と教え、自虐的になってゆく日本人を見て、憂いだ。

東京裁判の影響は、原爆よりも酷い・・・
日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って、卑屈、退廃に流されていくのを私は平然と見逃すわけにはいかない。誤った彼らの戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書換えなければならぬ・・・
パール判事


再度言うが、この戦争は、引き込まれたものであり、侵略など、全く関係ないものである。

連合軍と戦うために、アジア諸国に進出して、戦うこと以外に方法がなかったのである。
それを追い詰めたのが、アメリカとイギリスである。

そして、それは、マッカーサーによって、語られた。
日本は、自衛の戦争だった・・・
それは、後に再度書く。

兎も角、東京裁判は、その後、国際法学者の間では、完全に否定されたのである。
違法な裁判であったという、見方が定着している。

だが、日本では、それが浸透していない。
何故か・・・
国内の反日勢力が、一時期、闊歩したからであり、それが、今も、延々と続いているからである。

その一つは、共産主義思想の持ち主であり、日本を嫌う人々である。
要するに、先祖の因縁が良くない者たちである。
それらを見分けるのは、簡単である。

天皇陛下に対する思いである。
天皇を奉じするか、否かである。


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2013年10月24日

国を愛して何が悪い98

東京裁判はその後、国際法学者の間では、完全に否定され、違法な裁判であったという見方が定着しています。そればかりか裁判に加わった多くの判事が帰国して、裁判の不当性、違法性を証言しました。今、東京裁判の判決を信じているのは、断罪を受けた日本人ぐらいです。
前野 徹

そして、何よりも、見逃せないのは、裁判を開廷させた、マッカーサーが、後に、日本を侵略国として裁いたのは、間違いだったと、認めていることである。

東京裁判結審の二年後、1950年10月、ウエーク島で、トルーマン大統領と会談したマッカーサーは、自ら、東京裁判は、誤りだった、と述べたのである。

更に、その翌年の5月3日、アメリカ上院の、軍事外交合同委員会の聴聞会にて、聖書に誓い、語った。

日本は八千万人に近い膨大な人口を抱え、それが四つの島の中にひしめいているのだということを理解していただかなければなりません。その半数近くが農業人口で、後の半分が工業生産に従事していました。
潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいずれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時よりも、働き、生産している時の方が幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでもよいようなものを発見していたのです。
これほど巨大な労働能力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だったということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。
日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何もないのです。彼らは綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって、彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。

以上。
日本は、安全保障の必要性により、戦争を始めたということを、言う。

勿論、その時、マッカーサーは、アメリカの魂胆を知らないのである。
しかし、知らないながらも、日本を、そのように理解した。
つまり、大東亜戦争は、自存自衛の戦争であると、認めたのである。

そして、東京裁判の判決は、間違いであると、証言したのである。

日本は、侵略国ではない。
このマッカーサーの、証言を、何故、国内では、公にしないのか・・・
更に、政治家、官僚、マスコミも、触れないでいる。

実に、不思議な国である。

マッカーサーだけではない。
ウエッブ裁判長も、鬼の検事と言われた、キーナン検事も、帰国後、揃って、あの裁判は行き過ぎであり、誤っていたと、深く反省しているのである。

実に、いい気なものである。
ここにも、白人の差別意識がある。
日本が、白人の国ならば、それを正す、更に、クリアにする。

この証言の、翌年、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は、独立国となった。
その時である。

日本に、賠償金を要求していないのである。
米英、中蘭も、賠償金を放棄している。

蒋介石も、500万ドルの賠償金を放棄し、更に、天皇制の存続を支持し、日本分割にも、反対した。
彼は、戦前日本に学び、天皇の存在の真価を知っていた。
更に、東洋の日支が、力を合わせて、白人侵略に立ち向かわなければいけないのに、米ロによって、無理矢理、味方同士で戦わされたことを知っていたのである。

そして、日本は、アジアの共産党の防御の国して、急ぎ、日本軍を帰還させている。

戦後、東アジアの共産化を、日本と台湾で、食い止めたといえる。

アメリカの議員の中にも、良心のある者がいた。
この良心は、キリスト教云々の良心ではない。
人間としての、良心である。

戦後、日本人留学生のアメリカへの留学制度を創設した、上院議員のフルブライトは、原爆投下など、日本に与えた残虐行為に対する懺悔として、この制度をはじめたと、言明しているのである。

この制度で、多くの、日本人リーダーが、育てられたことは、否定出来ない。

悪い侵略戦争を仕掛けたアメリカを、反省し、謝罪する、アメリカの識者たちがいる。

ヘレン・ミアーズ女史の、アメリカの鏡・日本、という日本民族の魂を目覚めさせる、本が出た。
彼女は、戦前、シナ、日本を旅し、親日的日本研究家となった。
戦後間もなく、アメリカが仕掛けた、大東亜戦争の事実を語ったものである。

しかし、マッカーサーが、私の占領が終わらないうちは、日本人に、この本を読ませてはならないと、言った。

その中で、女史は、戦前、日本がアジアで植民地を取って暴れ回ったのは、アメリカをはじめとする西欧列強の、植民地政策を日本が真似たまでのこと。
それは、アメリカの犯罪の鏡を見るようである。

アメリカの植民地政策と、日本のそれを、同じに見ていることは、誤りだが・・・
兎も角、アメリカに反省を促し、日本の良さを俯瞰するものである。

ちなみに、大東亜戦争という言葉も、マッカーサーは嫌い、太平洋戦争と、名付けたのである。
そして今も、太平洋戦争と、マスコミはじめ、多くの人が言う。

違う。
大東亜圏の戦争である。
太平洋ということで、日本を世界最大の侵略者と、イメージ付ける作戦である。

その占領政策の間、日本に対する世界のイメージまで、作り上げようとしていたのである。つまり、ロビー活動である。

韓国の反日の道も・・・

しかし、今、世界は、日本をそのイメージでは見ないのである。
最も、反日の中国、韓国、北朝鮮が、今では、世界最悪の国との、イメージである。


posted by 天山 at 06:24| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月25日

国を愛して何が悪い99

さらに、マッカーサーが後悔したことがある。
だが、その後悔は、遅かったが・・・

マッカーサーの、日本占領政策が、途中から、同盟関係に大転換した。
最初は、敵対である。だが・・・

昭和25年に、突然発生した、朝鮮動乱である。

朝鮮戦争は、共産国のソ連と、中国が、北朝鮮をそそのかし、韓国に侵入させたものである。
それが、中ソとアメリカの代理戦争となった。

アメリカは、それまで中ソは、連合国側であり、仲間であると、考えていた。
そのため、北朝鮮に対して、何の防備もしていない。

ここで、初めて、マッカーサーは、かつて日本が戦った、日清戦争、日露戦争を一緒にしたものを、日本に代わり、米軍が戦わされるということに、気付く。

更に、マッカーサーは、日本の過去の戦争が、すべて、中ソに対する、自衛の戦争であったと、確信する。

そして、それにより、アメリカも、スターリンの罠に掛かっていると、気付くのである。

これから、米ソの冷戦が始まる。
アメリカの敵は、日本ではなく、ソ連だったのだ。

故に、日本に自衛隊の創設を認め、防衛の協力者とすることに、方針を変えた。

アジアの共産党防衛の、一大勢力となっていた日本を、アメリカが潰していまったのである。
それにより、大陸をほとんど、共産圏に編入された。

朝鮮戦争、ベトナム戦争という、二つの戦争により、アメリカは、日米戦争以上の数十万人という、痛手、被害を受けたのである。

その、朝鮮戦争の反省から、アメリカは、サンフランシスコ対日講和会議に、ソ連の参加を認めなかった。
そして、日本への、賠償金も、放棄したのである。

東南アジア地域では、こんな言い伝えがある。
日本に悪事を行なう国は、必ず崩壊する・・・

今、その前兆が、見える。
中国、韓国、北朝鮮である。

アメリカは、中国騒乱に備えて、在中の米国人を保護するために、準備を始めた。
日本では、左翼系の人たちが、嘯いて、そんなことを、言うこともない。

中国騒乱で、北朝鮮が崩壊・・・
すると、韓国は、勿論、崩壊する。

その際、日本は、手出しする必要はない。

人道支援も、必要ない。
何故か・・・
今までに、山と言うほどの支援をしているのである。
自業自得である。

それのみならず、在日朝鮮人、韓国人に対する、保護政策は、自国民を超えるものである。その内容を知れば、日本人は、具合が悪くなる。

さて、今日のように、多くの情報が出ているにも関わらず、日本全体は、アメリカ進駐軍が残した、毒に浸かり続けている。
何故か・・・

それは、国内反日の人たちによる。
左翼系・・・
共産思想に犯され続けている者たち・・・

マスコミをはじめ、文化人、日教組、左翼政党・・・

その根本的思想とは・・・
キリスト教の原罪意識に似たものである。
日本と日本人に徹底して行なった、戦争犯罪という、原罪を作り上げたのである。

その原罪は、占領政策で、捏造された策略である。
嘘八百なのである。

日本人を、自虐病に陥らせた。
その最大のものは、憲法である。

その憲法を守るという、異質な感覚である。
憲法九条がある限り、日本は、独立国家には、なれないのである。
そして、それで、良しとする、愚昧愚劣な勢力がある。

日本を去勢し、愚民化するに、最高の憲法である。

憲法改正というと、必ず、戦争に向うという、短絡的な考え方を持つ者。
現状では、日本と、日本人、自国民も、守れないのである。

中国騒乱が起こった際に、在中の日本人を速やかに、帰国させ得るか・・・

武力を持っても、自国民を守ることが、出来ないのである。

何せ、北朝鮮の拉致被害者を、救出することも出来ない、憲法である。

こんな国は、他にあろうか。
速やかに、憲法改正し、当たり前の、独立国家たるべき、憲法制定をするべきである。

さて、国を愛して何が悪い・・・
自分の国を愛して、何が悪い。
国を愛すると言うと、右翼かと言われる、国、日本である。

国旗、国歌を崇敬すれば、右翼かと、言われる、国、日本である。

天皇陛下を崇敬すれば・・・
何から何まで、侵されている、国、日本である。

真っ当に、国を愛する者を、差別する、国、日本である。


posted by 天山 at 05:59| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月26日

国を愛して何が悪い100

戦争放棄を定めた日本国憲法第九条は、マッカーサーの直接の指示を受けてGHQ民政局のチャールズ・ケーディス次長を中心に作った条項でどこからどうみても米国製だ。日本に戦争を放棄させ、安全保障を米国頼みにさせたのは米国である。

上記は、何と、マイク・マンスフィールド元駐日アメリカ大使が、1999年9月8日の、日経新聞朝刊の、私の履歴書、で綴ったものである。

ある国を侵略する場合、まず武力で制圧し、その後、法を作り変えて長期にわたって支配するのが常道です。日本国憲法もこの意図を持ってつくられました。
前野 徹

つまり、侵略しているのは、アメリカである。
日本を侵略国などとは、戯けた話である。

まさに、日本を植民地扱いにする意図なのである。

そして、安保条約である。
用意周到・・・

これで、日本に、アメリカの軍事力の下に、生きることを、余儀なくさせた。
つまり、今、現在も、日本は、アメリカの植民地なのである。

私たちは戦後、アメリカから押し付けられた憲法を後生大事に守り、不可侵の存在かのように奉り、一度も改正せずに来ました。これがどれだけ異常なことか、同じく占領下、戦勝国から憲法を押し付けられたドイツと比べてみればわかります。ドイツは、もともと降伏にあたって新憲法は自分たちで自主制定するという条件を連合国に呑ませていました。しかし、分割統治された時代、西ドイツが自主的につくった暫定憲法「ボン憲法」も何度も改正されています。諸外国では国民の意識、時代の変遷によって憲法を改正するのは常識で、どこの国も憲法改正を何度も経験しています。
前野

敗戦後、一度も、憲法を改正していない、先進国は、日本のみである。

全く、時代に合わない内容も、多々ある。
更に、九条は、防衛活動も、真っ当に出来ないようなものになっている。

それでも、平和憲法として・・・
イメージと、雰囲気だけで、通る。

敗戦後の、日本人は、言葉によって、騙されてきた。
平和と言えば、平和だと、思い込むのである。

中国、ロシア、北朝鮮が、核兵器を有して、日本を仮想敵国にしていても・・・
平和憲法があるから、平和・・・

馬鹿も、ここまでに至れば、底なしの馬鹿である。

アメリカの国益に適う日本国憲法であることを、肝に銘じるべき。

ところが、そのアメリカも、ようやく、少しは、気付いたようで・・・
集団的自衛権を容認する。
更に、日本の軍事力を強固にすべきと・・・

アメリカが、どんな国なのかを、以前に、色々と書いたが・・・
今も、アメリカは、その精神を有する国であることを、忘れてはいけない。

たたじ、日米同盟を、より深化させなければならない。
それは、日本の国益に叶うからである。

今まで、存分にアメリカに尽くしてきたのである。
これからは、アメリカの軍事力をバックに、有効に生かすべきである。

アメリカの宿命は、戦争をするということである。
戦争をしない、アメリカは、アメリカではない。
その、アメリカの戦争をする体質を、日本が、平和利用するべきである。

アメリカが、戦争をしない国になるためには、日本がアメリカの宗主国とならなければならない。

アメリカは、イギリス国王が、バチカンに譲渡した国である。
最も戦争が好きな、カトリックの総本山である、バチカンの手にある。

戦争仕掛け人による、支配を受けるアメリカの悲劇を救えるのは、日本のみであることを、明確にしておく。

軍事産業は、金になる。
アメリカを支配するのは、それらである。

毎年、戦争をしているのが、何よりの証拠だ。

更に、余計なことを言うが、アメリカは、大量虐殺した、インディアンたちの、追悼慰霊を国を挙げて、行なうか・・・
もし、アメリカに、本当の良心、つまり、キリスト教という教えではない、人間本来の、良心というものがあれば、毎年、虐殺したインディアンの霊位に対して、追悼慰霊をするはずである。

世界最低最悪の国、イギリスから出た人たち、アングロサクソンたちは、アメリカにせよ、オーストラリアにせよ、原住民を皆殺しにした。
更に、差別である。
救いようのない、差別を行なった。

日本が、戦争に引き込まれて、戦ったことにより、すべての植民地が独立し、それで、欧米の国々は、貧しくなった。
だが、唯一、日本だけは、植民地を手放して、豊かになった。
何故か。

植民地という、考え方の根本が違うのである。
要するに、欧米で言う、植民地政策という形を、日本は知らない。

日本は、奪うのではなく、与えたのである。
つまり、拓殖である。
よって、日本には、欧米で言う、植民地は、存在しないのである。

日本が、それぞれの国を手放して、金がかからなくなった。それで、日本は、負担を免れたのである。

それから、もう一つ、日本が手を引いた後で、それらの国々は、一時期、国内紛争により、多くの自国民同士の戦いが、続いたということも、付け加えておく。

だから、それらの国の中には、日本がそのまま、統治していれば・・・
と言う、声もあるのだ。



posted by 天山 at 06:43| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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