2013年06月29日

国を愛して何が悪い72

ヨーロッパでは、歴史と共に、ホロコーストが絶えず行われていた。

ホロコーストとは、大量虐殺の意味で使われる。
更に、ジェノサイドという言葉は、ある国民、人種、政治的、文化的集団などの、計画的、組織的な大量虐殺を言う。

ナチスによる、ユダヤ人虐殺も、この中に含まれ、ホロコーストとより広い範囲の概念となっている。

ジェノサイドは、理念に基づく殺人行為である。
動物の世界には無い。
人間の世界のみにあるもの。

ジェノサイドとは、スターリン、毛沢東、ポル・ポトなどが挙げられる。
ウガンダ、ルワンダ、セルビアなども、そのようである。

ナチスのユダヤ人抹殺というのは、異人種に対する、復讐、怨念、憎悪などに基づくものと、共産思想からくる、階級に対する、復讐、怨念、憎悪に基づくものとの、二通りがある。

共産思想の場合は、同じ人種の中でのイデオロギー、理念による粛清なので、平時に進行するので、国民に与える恐怖感は、強く、深刻である。

以前も書いたが、ヨーロッパから発した共産主義思想は、アジア、アフリカ、中南米に及び、共産体制下の国々での犠牲者は、8000万から、一億人と算定されている。

20世紀は、戦争による、犠牲者も多いが、共産革命による死者数の方が、更に多いのである。

さて、ヨーロッパでは、民族移動、戦争のたびに、異民族に対する、妬み、復讐、憎悪が渦巻いた。
これらの民族紛争の上に、宗教戦争が加わり、憎悪の念が益々深くなったのである。

そして、結果は、相手の民族を根絶やしにするという行為に及んだ。
つまり、子供もすべて殺し尽くすのである。

これが、顕著に現れたのは、キリスト教カトリックにおける、中世の異端審判である。
魔女狩りなどの、大量虐殺は、序の口である。

精神の汚染を浄化するためという、教会の権力以外の何物でもない、虐殺の歴史である。

さて、人間は、戦争をする動物だといわれる。
人間は、理念によって、戦争をする宿命を負っているのだろう。

戦争は、人類の歴史では、恒常的なもので、古代から戦争が常態化している。
平和な時期は、その準備期間のようである。

だが、その戦争は、質量共に、ヨーロッパに勝る大陸は無いといえる。

人類の戦争の六割が、狭いヨーロッパに関係しているのである。

十字軍から、百年戦争、バラ戦争、ユグノー戦争、オランダ独立戦争、三十年戦争、オーストリア継承戦争、七年戦争、ナポレオン戦争、クリミア戦争、普仏戦争、第一次大戦、第二次大戦・・・

その間に、宗教戦争、革命戦争、民族紛争・・・

17,8世紀では、100年間のうちに、四、五年のみしか平和な時期がなかったのである。

ただ、この戦争の歴史が、彼らに多くの戦いの智恵を与えたといえる。
そこで得た異民族侵略戦争が、やがて、16世紀以後の、大航海時代に、世界海洋大侵略として、花開くのである。

近代における、白人の世界侵略制覇は、そのヨーロッパで十分訓練を重ね、準備した蛮行が、世界に向かったものである。

そして、今・・・
その西洋白人主義の誤りが、正され、その思想、思潮が、問われている。

このまま、西洋の物質科学文明が続けば、人類は生きられないだろうという・・・

つまり、西洋文明は、野放図な、野蛮文明なのである。

野放図とはワイルドのことで、それは横柄、ずうずうしいさま、非人間的、傲慢、排他的、喧嘩好きを指している。白人は、この態度を一貫して非白人に採りつづけてきた。これこそ「不正義の文明」である。異民族を兵器で搾取し、奴隷化し植民地にして少しも心に痛みを覚えない。
清水

西洋文明には、寛容という、心情は、見当たらないのである。
そのアングロサクソンの心の底にある、嫉妬心、復讐心、抗争闘争、殺戮、憎悪、恐怖、詭弁、陰謀、不寛容というものを、ある人は、慢性衝突性憎悪症候群、と名づけた。
そして、それは、不治の病なのであると。

そこには、日本人の美徳とされる、義理人情、恩情などの精神的余裕は無い。

もう何年も前に、アジアの時代と言われた。
それは、アジアの時代であり、日本の時代のことである。

日本人の心性を持ってして、新しい時代を生きるに相応しい、人間のあるべき姿を見るというのである。

出来る限り、争いを避けて、和を尊ぶ精神は、推古天皇の頃から、脈々と続いている。そして、推古天皇の頃に明確になったが・・・
それ以前から、有していた心の状態だったのである。

更に、実に民主的な政治を行っていたということだ。

日本に、争いという観念が芽生えたのは、弥生時代からである。
それ以前の、縄文期には、争いが無い。

遺伝子学によると、日本は、人種の坩堝であった。
しかし、和を持って当たるという、縄文期の精神が、脈々と続く。
弥生時代の、渡来系の人たちによって、支配するという、争いの種が現れる。

だが、縄文期の和の心は、引き継がれた。
それは、天皇の政治を見れば、よく解る。

別エッセイ、天皇陛下について、を、参照ください。




posted by 天山 at 06:14| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月30日

国を愛して何が悪い73

ヨーロッパ白人が狭い故国を離れて、わずか2,300年で、あっという間に世界の隅々まで制覇できたのは、その前、数百年にわたる侵略、強奪、策略の技術や手口を、それぞれの国で充分練習し、訓練しつづけていたからである。その主なものが海賊としてのバイキング精神であり、十字軍の十字架にかこつけて「聖戦」と称した蛮行であり、民族移動の角逐であった。大航海時代とは、世界規模のバイキング版、大侵略時代だったのである。十字架を押し立てていった姿は、まさに地球規模の十字軍だったのである。
清水馨八郎

鉄砲と十字架による、世界制覇・・・
占領地住民を、宣撫するための、キリスト教。
カトリック教会の権威を持って、勝手に、支配するという、始末である。

更に、改宗しない者は、殺す。

16世紀のカトリックの宣教師は、植民地侵略の先兵であり、その説く、キリストの愛、平和、平等は、白人にのみ通用するというもの。
非白人、奴隷には適応しないのである。

キリスト教を信じない者は、野蛮人、未開人、異端者は、焼いても、殺しても、罪と思わない。
更に、宣教師が、その虐殺を許すという、蛮行である。

こういう事実を、カトリック教会、カトリック信徒は、どのように考えるのか・・・

法王として、唯一、謝罪と和解の旅を続けたのが、ヨハネ・パウロ二世である。

だが、その後、新しい法王は、アジア系の大司教、枢機卿を解任し、白人主義を推し進めた。

私が最も、憤慨するのは、英蘭仏などの、ヨーロッパ勢が、本国から遠く離れた地球の裏側まで遠征して、多くの土地を植民地、属領として、奪取したことの隠された事実である。

直接大軍を本国から派遣したわけではない。
兵士の多くは、現地調達の傭兵である。

つまり、白人は、現地の土侯国同士の争いを見つけては、それを利用した。
抗争の両国に武器を売り、戦争を誘発させる。
そして、深刻化させ、両者を疲れ果てさせて、どちらが勝っても、わずかな白人で支配できるように、手を打ったのである。

特に、イギリスは、その巧妙な手口を使った。

オランダが、本国の60倍の広さのインドネシアを330年間、植民地支配ができたのも、オランダ本国から、大量の兵士や行政官を送って、支配したのではない。

主に、その地の華僑を取り入れ、華僑を使って、間接的統治をしたのである。
そして、苛斂誅求を実施し続ける。

原住民の恨みを華僑に向けさせるという、手口である。

イギリスのインド支配、フランスのインドシナ支配、オランダのインドネシア支配も、東インド会社という、会社組織にし、一見、国家が政治的、軍事的に前面に出ないように、見せかけていた。

それは、本国のために、搾れるだけ、搾り取るという考えである。

そこで、日本の植民地政策・・・
これを、それらと同じだと、考えてしまう日本人がいる。
同じように、搾取の対象であると、考えるのである。

全く違う。
日本の、植民地政策は、拓殖、という意味である。
つまり、日本の持ち出し政策で、白人たちの行為とは、天地の違いがある。

現在も、日本が植民地にしたという、その住民に、日本に対する、嫌悪が無いのは、それである。
逆に、日本に対して、感謝し、日本に憧れ、日本に期待しているのである。

パラオ共和国などは、独立記念の際に、日本兵を讃える歌を作り、国旗も日本に似せて、作った。
それも、日本に失礼にならぬようにと、海の青に、月の黄色の丸で、その月の丸を、少しずらした程である。

インドネシア独立の際の国旗も、日本の日の丸に似せて、白と赤の二本の線にしたのである。

台湾の親日は、言うに及ばずである。

韓国併合の政策は、本国以上に、資金を掛けて成された。

日本の植民地支配は、すればするほど、資金が流失したのである。
だから、植民地を解放した際に、ホッとしたといわれる。

明治維新以来、日本は、文明とは、西洋のことであると、信じた。
近代化は、すべて西洋にあると、思った。
そして、西洋礼賛が起きた。

だが、現在、西洋科学物質文明の限界と、矛盾が噴出している。
それでも、学者、大学関係者は、未だに、西洋崇拝をし、西洋コンプレックスを持つに至る。

君民一体の日本の国体と、闘争権利争奪の西洋社会の成り立ちの相違に気付かず、天皇を中心とする、日本の国家制度が、封建制で、時代遅れだと考えるのである。

日本には、独自の天皇を中心とした、史観が存在することに、気付かないという、愚かさである。

国の歴史を、真っ当に見ない者が、どんな提案、提議をしても、せん無いことである。

そして、日本の学問の世界では、堂々と、西洋の思想哲学等々の、説明、解釈を学問とするという、呆れた行状である。

欧米の学者の基準にして、自説を権威付けるという、愚考を繰り返している。
欧米の視点からのみ、日本を見るという・・・

何故、日本の視点から、日本を見ないのか・・・
更に、日本語は、大和言葉から理解されるものであり、欧米の言葉の解釈では、まともな解釈にはならないのである。
素人の、私に言われる程、愚かなのである。

posted by 天山 at 05:36| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月25日

国を愛して何が悪い74

それでは、ロシアについて、見ることにする。

ロシアは、昔ソ連と言われた。
共産国である。

当時の、ソ連は、地球陸地の六分の一の広さを持つ。
それは、日本の60倍、アメリカの2,5倍である。

時差が凄い。
国の中で、最大九時間もある。
西は夕焼け、東は夜明け・・・

朝日と夕日を国内で同時に見ることが出来るのである。

ユーラシア大陸の北の部分を独占していたのである。

だが、国土の三分の一は、氷久凍土で、平均気温マイナス30度以下の酷寒である。
南は、イラン、アフガン方面から熱風が吹き込み、広大な砂漠やステップ地帯になっている。

国土は広いが、利用できる耕地は、十分の一以下である。

ヨーロッパ文化の中心パリから、モスクワまで、2500キロ。要するに、ヨーロッパの僻地である。

この国は、平原であるから、異民族の侵入を遮るものが無い。
故に、11世紀のバイキングの侵略、13世紀のタタールの侵略、近世に入り、ナポレオン、ヒトラーと、他民族からの侵略の歴史である。

長い、ツァー、つまり、ロシア皇帝の独裁の時代、そして、革命後のソ連にしても、近代化への道のりは、厳しいものだった。

この広大な国土を統一支配するためには、皇帝の権力にせよ、社会主義国家の権力にせよ、上からの強い独裁的筋金が必要だったのである。ツァーの専制農奴制の極端な不平等から、民衆が開放されるために、共産主義革命は必然だったのかもしれない。
清水馨八郎

ただ、ロシアの風土は、敵の侵入に対して、有利に働いたことも事実である。
ナポレオンの68万の大軍も、冬将軍の猛威と、追撃軍の攻撃に悩まされて、パリに逃げ帰った時は、3万人に減っていたという。

第二次世界大戦の際に、ナチス・ヒトラーの電撃的侵入である。
ナチスは、独ソ不可侵条約を反故にして、ロシア大平原に大軍を進めた。
レニングラードも、モスクワも陥落寸前まで攻めた。

この大戦で、ソ連側は戦死700万人、負傷者を加えると、3000万人の犠牲を払った。
だが、最後は、自然の苛酷さで、侵略者を食い止めた。

陸続きの平原の国は、第二次大戦の被害と深刻さは、日本の敗戦以上といわれる。

守ることで、不敗のロシアも、攻める場合は、勝ち目が薄い。
南方への出口を求めた、クリミア戦争で、英仏軍とトルコ軍に敗退し、東へ向っての、日露戦争でも、名も無い新興国日本に、敗れ去った。

それは、ロシア軍が弱かったのではなく、自然の厳しさが不利に作用したからである。

当時は、極東へは、シベリア鉄道一本である。
一本の鉄道があっても、本国から極東まで、走りに走っても、一週間から、10日間もかかる。その間、日本は、何回も往復できるのである。

また海は、バルチック艦隊が、前年の十月に本拠のバルト海を発ち、幾つもの大洋を越えて、地球の果ての日本に辿りつくのに、八ヶ月もかかった。

これに対して、日本は勝手知ったる海で、訓練を重ねて、士気は高揚し、敵と遭遇した途端に、一瞬にして、打ち負かしたのである。

攻めれば負け、守れば勝ちの教訓と、たび重なる外的侵入の悲惨な歴史的事実が、この国を国防中心の半永久的軍事国家に育てたのである。ロシア本国を、外敵の国境線からできるだけ奥深いものにするために、防波堤としての衛星国郡の輪をできるだけ強固にしておきたいのは、民族的本能なのである。
清水

米ソ冷戦中、ハンガリーやチェコなどの、鎖の一部がほどけることに、異常な神経を尖らせていた。
1968年、有無を言わさず、戦車で進駐したハンガリー動乱、1968年のチェコ進駐は、その恐怖の現れである。

周辺の衛星国を攻め続けたことで、ロシアは、国は広いが、心が狭い、といわれた。

ツァーリズムの時代、社会主義の時代共に、公海への出口を求めたという欲求は、民族的願望である。

スウェーデン、フィンランド、デンマークと、バルト海の争奪戦を繰り広げた、1700年からの北方戦争も、北に偏るサンクト・ペテルブルグを首都として、フィンランド埠頭に要塞を築いたのも、公海に出たいという憧れである。

ヨーロッパの中心であるというが、ヨーロッパ文明の中心からは、遠い。
ヨーロッパの田舎だった。

ヨーロッパと言っても、西と東では、非常に違う。
東ヨーロッパの代表は、ロシアである。
民族としては、スラブ民族になる。

スラブ族の発祥は、カルパティア山脈の北側、今日のポーランドの東南部である。
ウクライナの西部でもある。

それが、東からの蒙古人の来襲、北からのゲルマン族の移動と侵攻によって、突き動かされて、9世紀から11世紀にかけて、西スラブ族、ポーランド、チェコ、スロバキアと、南スラブ、セルビア、クロアチア、スロヴェニア、ブルガリア、東スラブ、ロシア、ウクライナに、分類して、今日に至る。

4,5世紀には、ゲルマン民族の大移動があり、8世紀から11世紀後半にかけて、バイキングという名の、海賊集団に侵入を受けた。

このため、スラブ人の血の中にも、バイキングの野獣性、略奪性、凶暴性が遺伝する。

13世紀から、15世紀にかけて、250年間、ロシアはモンゴル帝国の支配を受けた。
タタールのくびき、が始まったのである。
タタールとは、ロシア語で、蒙古人のことである。

チンギチハンの大遠征は、12回に及び、ロシアの大部分がタタールの苛烈な支配下に置かれた。

ロシア人は、モンゴルのチンギスハンをツァーリ、皇帝と呼び、これに従ったのである。
ロシア人は、徹底的にその影響を受けた。
蒙古人が中国から学んだ東洋的専制主義は、遊牧民の直截さで、そのまま適用されたのである。

その支配は、イワン三世が、1480年、チンギンハンをロシアから追放するまで、250年も続いたのである。

20世紀のレーニン、スターリンの残虐冷酷な人民支配の手口は、そこから来ているといえる。

ロシア史上の独裁を挙げると、イワン皇帝、ピョートル大帝、レーニンの三名となる。
いずれも、大独裁者である。

ロシア建国以来の長きに渡り、王侯を出してきた、リューリク家系は、1598年断絶し、混乱と動乱の果てに、1613年、ミハイル・ロマノフが皇帝に推挙され、1917年の、共産革命まで、約300年続く、ロマノフ王朝の祖となった。


posted by 天山 at 05:21| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月26日

国を愛して何が悪い75

モンゴルと、ポーランド、スウェーデン、フランスからの侵略に悩まされていたロシアも、ピユートル大帝の頃から、毅然と反撃を始めた。

北方戦争で、スウェーデン、ノルウェー、ポーランドを破り、バルト海の覇権を握る。

そして、東方のシベリア進出は、1558年からである。
1706年には、カムチャッカ半島を占領した。
競争相手のいない、シベリア侵略は、史上最大の征服事業だった。

さて、その先頭を行ったのが、ウクライナの逃亡農奴である、コサックの騎馬部隊である。

コサック隊は、ベーリング海峡を越えて、アラスカを占領し、更に、太平洋岸に沿って、サンフランシスコ付近までに至る。
1812年.
このまま、東征を続けて行くと、西へ西へと進むアメリカと衝突しただろう。

だが、ロシアは、1867年に、アラスカを二束三文で、アメリカに売り渡し、北米大陸から、撤退した。

このスラブ民族は、Siavと、奴隷のSlaveと同じ発音である。
奴隷という言葉が、何故、スラブ民族から来たのか・・・

その一つは、ヨーロッパでは、バイキングの時代から、人身売買、奴隷貿易が普通に行われていたのである。

戦争、拉致により、連れられた人材は、奴隷商品として、高値で取引されていた。

中でも、スラブのロシア人は、体も大きく、力持ちで、よく働き、苦難に耐えることから、奴隷商品として、最高の価格で、取引されたのである。

ここから、スラブ即、奴隷となったと、考えられる。

更に、ロシア皇帝支配の下、人民は、ほとんど勤勉な農奴であった。
農民は、苛酷な賦役を課されて、耕作を強いられる。
奴隷のように働かされて、貴族や支配者の家来でも、家内奴隷として、使役されたのである。

この農奴制の上に、ロマノフ王朝の専制政治が樹立されていた。

ところが、ロシアだけではない。
ヨーロッパの農民は、皆、農奴であったといえる。

ここで少し、寄り道する。
日本の農民に関して説明する。

日本には、農民は存在したが、農奴は、存在しないのである。

ヨーロッパでは、農奴の世界である。
貴族、主人や大地主から、搾取され、打たれ、もっと収穫を上げろと、いつも鞭で打たれる農奴である。

そして、貧しく、いつも反抗的で、つねに暴動を企む農奴。
藁の上に寝て、涙を流して、パンを食べ、一年に一度新しいズボンを、五年に一度、一足の靴を手に入れることのできる人たち。

生涯一度も、風呂に入らず、自立することなど考えたこともない。読むことも、書くこともできない人たちである。

これは、産業革命以前のヨーロッパの農民に関する史料を調べた時に、必ず出遭う農民の姿、生活である。ヨーロッパにおける農民の決定的な特徴は、人々の食糧の生産をひとえに担っていたにもかかわらず、領主の横暴の最大の犠牲者だったということである。彼らは身を守る力も術もなかったため、搾取されつくした。農民はヨーロッパ社会の最大の集団であったが、同時に社会の最も弱い構成員だった。
松原久子

それでは、日本のその頃の農民は・・・

彼らもまた、数からいえば日本社会の最大の集団であった。三千万の人間を養う食糧を確保するためには、多くの人手が必要であった。日本の農民も当然村に住み、田畑を耕した。ここまではヨーロッパの農民と同じである。
松原

だが、日本の農民は、庄屋、地主の犠牲になることはなかった。
それどころか、自立していたのである。

ヨーロッパの農民には生涯体験できないことだった。
大切な食糧の生産者である農民には、確固たる地位が与えられていた。

士農工商・・・
農民は、武士に次いで、二番目の地位である。

日本の至る所に、自立した村落共同体が作られた。
どの村にも、議会である、寄り合い、というものがあった。
寄り合いでは、メンバーの中から、代表者と、二人の委員が選ばれ、彼らは、対外的に村を代表した。

特に、年貢、納税の問題について、村の人々の意見を代弁するのである。
税の額は、米で計算された。
脱穀し、俵に詰めた米が納められた。

これは、村ごとに毎年異なり、作柄に応じて、収穫を基準にして、定めたのである。
同じ領内の隣の村でも、それは、異なった。
年々の、豊作、凶作により、加減されたのである。

特に、強調したいのは、税の額は、農民の頭ごなしに、お上が一方的に決めたものではないということである。

土地の地味、日当たり具合、灌漑の効率などを考慮して、全ての水田が、測量された。
米による、納税額の査定基準が、公正と公平に行われていたのである。

納税額を決める際に、農民は、村の代表者を通して、協議し決定に参加する権利を持っていた。

ヨーロッパの農民、農奴とは、全く違うのである。

ところが、西洋の歴史を学ぶ、馬鹿な学者が、それに合わせようと、とんでもない解釈をしたのである。

農奴の反乱と、日本の農民の、一揆を同じく考えたのである。

また、そうしなければ、西洋人から、馬鹿にされた。
支配者に反抗しなければならなかった農奴の経験に基づき、一揆を解釈するという、馬鹿な真似をしたのである。

だから、日本の農民が、納税のために、静かに話し合う行動も、一揆と数えたのである。

例えば、村の代表者と、大名の代理人が、年貢米の納入量について、合意に達することが出来ない場合は、近隣の村々の代表が、大名屋敷に参上して、年貢の軽減を願い出る。

そのような陳情が、暴力沙汰になるケースは、極めて稀であった。
それでも、一揆として、解釈するという・・・

ヨーロッパ人は、日本は、革命を起こしたことが無いということを、無能と、考えるらしい。
が、それこそ、ヨーロッパ人の思い込みであり、野蛮さである。

そんなことをしなくても、日本では、話し合いで、解決したのである。

大名は、領民をわが子と思い、大切にする。
天皇が民を、我が身と思い大切にする。

上から下まで、そのようであった。

実に、民主的ではないか。

posted by 天山 at 05:29| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月27日

国を愛して何が悪い76

農民と、農奴は、違う。
農奴とは、農業奴隷である。
日本には、農奴は無いのである。

日本では同時代のヨーロッパ諸国に比べて、公正と自治が高度に機能していた。農民たちは現存の統治システムに対して反抗しなければならないという感情に駆られることが少なかったのである。
大名の改易や幕府の解体を求め、市民による統治を叫ぶ革命的な試みは、その萌芽さえなかった。そしてその理由は、欧米でよく耳にするような、日本人が卑屈な民族だからではなく、また当時自由を求める努力や試みが情け容赦なく弾圧されたからでもなかったのである。
松原久子

そこで、産業革命以前のヨーロッパの、諸民族の農村での満足度は、どのようだったのか。

例えば、ドイツの農民は、日本の農民よりも、遥かに不安定な生活を送っていた。
彼らは、日本と比較にならないほど、お上の横暴のなすがままになっていた。納税額は、一方的にお上から要求され、協議に加えてもらえるなど、想像すら出来なかった。

だから、そこ、マルチン・ルターが、キリスト者の自由を告知した時、彼らの多くは、ルターに希望を託したのである。
宗教革命が、農民たちには、奴隷的状態から開放されると、見たのである。

如何に、当時の、カトリック教会と、支配者、地主たちが、横暴だったかということだ。

しかし、精神の反逆者ルターは、農民の味方にはならなかった。
ルターは、農民たちの、絶望的な状況を知っているからこそ、権力者の側に付いた。

彼は専制力を持つ権力者たちの味方になる方が、無力な農民の側につくよりもはるかに有利であることを知っていた。彼の唱える宗教革命を成功させるためには、世俗の権力と金力が必要だった。だから、ルターは、「強盗のような、殺人者のような農民の群れに対抗する」といったビラを発行した。
その中で彼は、支配者の不正に対して蜂起し、暴動を起こす者たちを断罪し、迫害した。「彼らを閉め出し、絞め殺し、そして刺し殺さなければならない。密かに、あるいは公然と」と書き、それに次のように付記している。「扇動的な人間ほど、有毒で、悪魔的な者はいない」。
松原久子

その一方で、同じく、宗教改革を唱え、農民の側につき、農民と一緒に、命を落とした、トーマス・ミュンツァーは、書いている。
「休まずにどんどんやれ。続けろ、火が燃えているではないか。刀を血で濡らせ。そこにいるあいつらがお前たちを支配しているかぎり、誰もお前たちに神について語ることはできない。なぜならそこにいる彼奴らがお前たちを支配しているからだ。休まず続けるのだ。がんばれ、時がきた、神が先へいく、神に続け」

これで、少しは、救われるが・・・

ルター時代の、農民たちの血なまぐさい暴動は、残酷なやり方で、無慈悲に打倒された。
蜂起した、農民の、およそ、十数万人が殺された。

捕らえられ、縛られた農民たちが、鞭を打たれ、車裂きの刑に処され、首を吊られ、串刺しにされ、首をはねられ、生きたまま火あぶりにされる。
支配者たちは、それをガウンを着て、観覧席から見物するという、極悪趣味である。

この野蛮さ・・・
宗教革命の裏側である。

勿論、日本でも、大飢饉の際には、農民の一団の指導者となり、米蔵の襲撃、略奪を扇動する首謀者かいた。
首謀者の多くは、暴動が鎮圧されてから、捕らえられ、死刑に処せられた。

だが、その中には、その苦悩と死を偲んで、国民的英雄になった者もいる。
更には、劇的な事件ということで、芝居の演目となり、江戸やその他の大都会で、公然と上演された。

日本で、支配者が、ヨーロッパのように、大量虐殺を行えば、そのような行為は、無慈悲の極地であると、非難され、政治的な愚行とされるだろう。

この宗教革命により、どれほどの戦いが起こったか・・・
農民だけではない。
新旧の信徒たちが、殺しあうのである。

さて、日本の農民の発展にとって、画期的だったのは、農耕に使われる土地が、すべて課税されたわけではないということだ。

沿岸地域を開拓したり、沼池を排水したり、山腹を平らにしたりして得た新田には、ある一定期間、八年から十年程度、税金がかからなかったのである。

全国的に導入されて、農民に意欲を与え、新しい土地を開拓させ、そして、農民の物としたのである。

更に、それにより、個人が考えた計画でも、いかんともしがたい場合は、一つの村ではなく、幾つかの村が、共同して、土地開拓の計画を立てた。

日本は、ヨーロッパと違い、農民は、自分たちの村の総合的な案件について、原則として、自主管理をするのが、ルールだった。

ヨーロッパの、農村は、教会の監督下にあり、教会権力の中に置かれたが、日本は、違った。

村人、寺などが、戸籍係りを務め、自分たちに運営が任されていた。
大名の代理人と交渉する際にも、手腕を発揮するという、意欲が期待出来たのである。

更に、驚くべきことは、日本の農民の多くが、読み書きソロバンが出来たということである。
ヨーロッパの農民が、読み書き出来るようになる、遥か以前である。

村には、寺子屋があり、男子も女子も、授業を受けていたのである。
先生は、寺の坊主だったり、神社の神主、年を取った村人たちである。

裕福な農家の人たちも、先生として、村の名望ある、仕事に貢献した。

農奴制の話から、少しズレだが・・・
まだまだ、日本の農民は、凄いのである。

嫁に行く場合のみ、村から移住することが出来たが、旅は自由だった。
そして、その旅が、実に多い。
お伊勢参り・・・

だが、農民たちは、その旅の間に、様々なことを、学ぶという。
それは、漁師たちにも、言えた。

新しい農法を仕入れて、それを書き綴り、村に持ち帰って、情報を共有するという。

強力な管理下におかれ、搾取され続けて、人間と扱われない、ヨーロッパの農奴とは、全くその姿が違う。



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2013年07月28日

国を愛して何が悪い77

それでは、ロシアに戻り続ける。

ロシアでは、皇帝の極端な独裁制と、農奴制とは、全く一体であった。

ロシアという国は、一般国民を、奴隷として支配していた、特殊な国なのである。
そこから、スラブ人とは、奴隷の人のことになり、奴隷をスラブ人のような人として、スレイブという言葉が生まれた。

この、余りの非人間的なツァーリズムに反抗し、これを破壊させた、レーニンの共産革命は、起こるべくして起こった、歴史の必然と見る。

レーニンの、ロシア共産党が目指したものは、共産主義という、理念国家の樹立であった。

ロシア帝国は、100に近い民族、言語も80あまり、文字も五種類、宗教は、ロシア正教、イスラム、ユダヤ、仏教などで、他民族国家の見本のような国である。

それを束ねていたのが、ロシア帝国、ロマノフ王朝のツァーリズムである。

ロマノフ王朝が、崩壊し、そのままであれば、各民族は、それぞれ独立を迫って、拡散しただろう。
それを、今まで通りに維持するためには、ツァーリズムに代わる新しい理念が必要だった。

その新理念が、マルクス主義=共産主義だった。

共産主義革命に成功したソ連は、これを国内に留めている間は、よかった。
だが、1919年以降、この革命方式を、世界に輸出し始めた。

ここから、20世紀最大の混乱と、不幸が始まる。

ロシアの東方進出は、ただ東へ進むだけならば、無人の地を行く如くである。
カムチャッカに1706年に到達している。

だが、彼らの目的は、南下政策であった。
不凍港を手に入れることである。

極東で、南下するには、まず中国と交渉しなければならない。

1689年、ロシアは、清国とネルチンクス条約を結び、外興安領を国境と定めることが、出来た。

更に、アヘン戦争で負けた清国の弱みに付け込み、1858年の、アイグン条約で、黒竜江以北の地を、割譲させたのである。

その二年後、清国と北京条約を結び、ウスリー川以東の広大な、沿海州を譲り受けた。
そして、東方支配を意味する、ウラジオストックに、不凍港を建設し、日本進出の夢を叶えたのである。

それは、日本と朝鮮に、大きな脅威となって、表れた。

1791年、ロシアの使節ラックスマンが、根室に来航して、通商を求めてきた。
続いて、1804年、レザノフが、長崎に来て、通商を求めた。

幕府は、交渉に応じず、帰国させる。

その頃から、ロシアは、軍艦を蝦夷地に侵入させ、略奪、暴行を働くようになる。
更に、密かに、1811年、探検、測量をするという、ゴロヴニン事件などを起こすのである。

そのロシアの南下が、日本に及ぼす脅威に対して、林子平、最上徳内、近藤重蔵、伊能忠敬、間宮林蔵などの、志士が多数現れ、北の探検、測量などを行った。

ウラジオストックに港を得たロシアの、次の目標は、満州と朝鮮である。

清国は、アヘン戦争で、イギリスに敗れ、香港を失った。
その失った領土と権威を、東方の朝鮮半島で取り戻すべく、朝鮮を属国化し、勢力を半島に伸ばした。
これは、日本と、対抗することになる。

結果、日清戦争が起こった。

ここれで、解ることは、朝鮮は、属国化されても、手も足も出さなかったということである。
それを、今の韓国、北朝鮮は、どう考えるのか・・・
日本が立ち上がらなければ、今も中国の属国とされていた可能性がある。

日本は、勝利した。
半年ほどで、清国は、あっけなく、日本に降参したのである。

明治28年8月13日、下関で、講和会議が開かれ、下関条約が結ばれた。
その内容は、
清国は朝鮮の自主権を認める
清国は日本に遼東半島、台湾、澎湖等を割譲する
清国は日本に、賠償金二億テール、当時の約36億円を払う
沙市、重慶、蘇州、杭州を開市、開港する
などである。

中でも、日本にとって、遼東半島の割譲は、満州に進出する足掛かりになるものであった。

ところが、条約締結のわずか六日後に、ロシアが日本の大陸進出を恐れ、フランス、ドイツを誘い、遼東半島の領有は、東洋の平和に害があると、強行に、還付を勧告してきた。

当時の日本は、三国の列強に歯向かうほどの力が無い。
涙を飲んで、勧告を受け入れるしかないのである。

これを、三国干渉、という。

だが、直後、清国は、ロシアに、遼東半島を租借させた。
そして、ただちに、旅順に大軍港を建設したのである。

日本人は、初めて、ロシアという国の、偽善、欺瞞、老獪さ、不正義に憤慨した。
故に、日本人の心には、ロシアに対する、敵愾心が芽生えたのである。

清国は、列強によって「眠れる獅子」と恐れられていたが、日清戦争にあえなく敗北し弱体が暴露されるや、清国とは「眠れるブタ」だと揶揄され、軽蔑されるようになった。その頃からシナ大陸は、列強によって次々と租界を開かれ、主要海岸地域はズタズタに分割統治されることになった。
清水馨八郎

この歴史の事実を、現在の中国は、どのように見るのか・・・
その後は、次々と、列強が手を引いてゆくことになるのだ。

シナ大陸での、闘争に手が負えなくなったからである。
自国民同士が、いつ果てるともない、闘争を行うのである。

日本が、中国を植民地支配した・・・
この見方は、いずれ、変更されるであろう。


posted by 天山 at 05:45| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月29日

国を愛して何が悪い78

日清戦争後、清政府に対して、シナの民衆が、扶清滅洋を掲げた、反乱が各地で起こる。

その中から、1900年、山東省の義和団が、勢力を得て、天津の外国人居留区や、北京の列強公使館を包囲した。

義和団の乱、である。

列強は、協議の上、日本とロシア軍を主力とする、連合軍を組織して、これを鎮圧させた。
北清事変、である。

だが、それが終わってからも、ロシア兵は、撤兵せず、更に鉄道守備を口実に、満州に大軍を送り込み、清国に迫り、露清条約という、密約を結び、満州を支配しようとした。

更に、ロシアは、勢いに乗じて、朝鮮半島にも、手を伸ばしたのである。
1900年、朝鮮海峡の馬山浦に、ロシアの極東艦隊の基地を提供するように、迫った。

これは、日本にとっては、脅威である。

これが、日露戦争の発端となる。
ロシアの膨張を好まないイギリスと、1902年、明治35年に、日英同盟を結び、対露戦に備えたのである。

その二年後、1904年、日露戦争、そして、日本の勝利である。
それまで、非白人に対して、不敗だった白人が、初めて非白人に敗れたということで、全世界が、注目した。

これは、20世紀後半における、人種差別撤廃、植民地支配開放の先駆けとなった。

この戦争の勝利により、日本は、世界五大強国の一員に加わり、有色人種の希望の的になったのである。

アジアに、人種開放の突破口が出来た。

ロシアという国は、白人の中でも、最も平然と騙しと裏切りを行う国として定評がある。初めから条約は破るもの、外交交渉とは相手を騙す機会と心得ている。これに対して日本は、外交にはウブで正直、誠実を基本として対応してきたので、二十世紀ロシアとソ連に、どれほど煮え湯を飲まされたか、計り知れない。
清水馨八郎

三国干渉で、ロシアの正体を知った日本は、ソ連になってからも、共産主義インターナショナル、つまり、コミンテルの、度重なる謀略に、悩まされ続けてきた。

その中でも、特記すべきことは、1941年の、日ソ不可侵条約を突然破り、敗戦を目の前にした満州に、侵入してきたことである。

広島、長崎に原爆投下され、もはや、日本は敗戦であると、知り、突然、宣戦布告するという、裏切りである。

島国・・・
だから、仕方が無い・・・
とは言え、シナという大陸、そして、白人という民族、人種の野蛮さは、島国の日本人を、覚醒させたのである。

それから、大東亜戦争に至り、敗戦後まで、日本と日本人は、いや、今でも、自虐的に謝罪を繰り返し、シナには、大枚な金を渡している。
更に、北方領土問題の解決にと、ロシアにも、大枚な金を出し続けているのである。
これに関しては、後に、詳しく書く。

両国共に、断固とした、対応を取らなければ、いずれも解決しない。

それにしても、日本という国は、何によって守られているのか・・・
借金をし続けても、大枚な金を出し続けても、崩壊しない。

更に、敗戦から、68年目であるのに、未だに、卑屈になっている。
あの植民地主義の、列強国が、一度たりとも、謝罪しないのである。

日本一人が、戦後保障などという、名目で、金を出し続けている。
今も、騙されていると、言うことだ。

世界の支援大国ともいえる、日本である。

東アジアの平和を望まない隣国に対しても、平和憲法により、刺激しない、善処するという、驚きである。

どれ程、尽くして、差し上げても、感謝のみか、反日、抗日を、あからさまにする、東アジアの平和の望まない、隣国である。

更に、国内にも、反日、抗日の巨大集団の存在を、許し続けるという・・・
端的に言う。
つまり、真っ当な政治家が、いないのである。

更に、国内では、通用する曖昧さを、諸外国に対しても、曖昧なままにするという。

昔、私は、カトリックの神父に言われた。
日本人は、15歳程度の、少年の精神レベルだと・・・
つまり、ずるくない、ということだと、理解した。

キリストの愛の思想など、それは、利益を生み出すからこそ、布教するのである。

それを、裏付ける、バチカン銀行総裁の言葉が、印象的だ。
アヴェ・マリーアと唱えているだけでは、教会は運営できないのだ・・・

その通り、宗教と民族に関わる、白人主義というもの、己の利益以外は頭に無いのである。

いや、大陸の民族、シナ人も、そうである。

核兵器を乱発して、己だけが、金を持ち、人類を滅亡させようという気違いが、現れないのが、不思議である。

国連が、世界人権の日・・・

どこの話だ。
人権を、すべての民族に、取り戻したのは、日本である。

もし、日本という国が、無ければ、今頃は、人類が滅亡して、その存在すらも、無かったのである。

これは、私が、素人であるから、解るのである。

posted by 天山 at 05:59| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月31日

国を愛して何が悪い80

敗戦後、日本は、2月7日を、北方領土の日、と定めている。

この根拠は、安政元年、1854年、2月7日、伊豆の下田にて、ときのロシア皇帝が、特使を派遣して、平和裏に、ウルップ島つまり、得撫島、エトロフ島、つまり択捉島との間を、日本とロシアの国境と定め、日露親和条約、下田条約を結んだ日である。

実際には、千島、樺太への入植は、日本人がロシア人より、100年近くも先行していたのである。

1808年、間宮林蔵、杉田伝十郎により、間宮海峡が発見されていた事実は、国際的にも、認められている。

樺太は、幕末には日本人が占守して、明確に日本領であった。

ところが、ロシアは、1854年からのクリミア戦争以降、樺太に積極的に進出してきた。

日本も、函館戦争後、北海道と樺太の経営に乗り出した。
ここで、再び、日露間に、国境問題が再燃した。

日本は、財政難と、米英の勧告により、北海道開拓次官、黒田清隆の主張で、樺太の放棄を決定した。

明治7年、1874年、榎本武揚を特使として、ロシアに派遣し、その翌年、千島樺太交換条約を結んだ。

これにより、樺太は、ロシア領になり、千島列島は、日本領になった。

だが、その樺太は、日露戦争により、ポーツマス条約で、北緯50度以南が、日本に譲渡されたのである。

そして、前回書いたように、ヤルタ会談の密約により、ソ連が対日参戦すれば、南樺太と、千島列島をソ連に渡すという、身勝手な約束が、交わされた。

実は、アメリカは、原爆投下によって、ソ連の参戦は必要無いという、素振りだったのを見て、スターリンは、慌てて日本に、宣戦布告したのである。
そこで、満州、樺太、千島列島を侵略した。

ヤルタ条約は、他国の領土を勝手に取引したということでは、国際法違反である。

ここでも、白人の身勝手な行為が、解るというものである。

もう一つ、おまけに言えば、日本は、独ソ開戦の際に、同盟国ドイツから、参戦要請があった。しかし、日ソ中立条約を理由に、それを断るという、律儀さである。

ソ連は、条約を破っても、平気であり、明らかに、国際法違反でも、平気である。
つまり、話し合いにならない、相手なのである。

ということは、力で、教えるしかない。
力とは、軍備である。
防衛力である。

ところが、今の時代、そんなことを言えば、平和ボケの日本と、日本人の、特に左翼系は、猛反対するであろう。

国際法も何も、白人の創る物は、白人に適応されないのである。

他国の人権問題を叫ぶアメリカ・・・
実際、それでは、アメリカは、人権の国だったのか・・・

人権に関して、物を言える国は、日本である。
それだけ、誠実に対処してきた経緯がある。

従来の日本の対ソ外交は、北方領土の返還をすませてから平和条約を結ぶとしてきたが、ソ連、ロシア側にとっては経済問題が先で領土問題は二の次だから、一向にラチが明かないまま、今日まで来てしまった。
清水

ロシアは、大統領が誰になろうが、返還する意志は、全く無い。
それで、日本側は、ロシアが要求する、経済援助に応じていれば、いつかは、返還されるだろうと、甘い見通しで、対処している。

清水氏は、簡単に言う。
何故返さないのか。それは簡単だ。これほど金を生む宝の山は他にはないからだ。

日本との交渉で、返すふりをしていれば、永久に、日本から各種の経済援助、有利な条件を奪い取れるのである。

日本は、すでに、何兆円も、金を取られ続けている。

勿論、ロシアだけではない。
中国にも、毎年、一兆円をODAとして、差し出している。

こんな国は、世界には無い。
侵略したから・・・だと・・・

ロシアも、中国も、他国を侵略しても、平然としているのである。

日本の、政治家、そして、官僚・・・
一体、何を考えているのか。
国内の、左翼系が怖いのか・・・

一国民として、全く、理解不能である。
これだけの、借金を国民に負わせて・・・

いつまで、続く援助なのか。

官僚になる人たちは、東大法学部が多い。
その、法学部は、敗戦から、サヨクの思想全開だった。
更に、東大自体が、入学式に、君が代を、歌わないと言う・・・

日本の最高学府といわれている。
そこが、平然として、反日なのであるから、終わっている。

政治家と、官僚・・・
これが、目覚めない限り、日本の将来は、闇である。
勿論、国民も、である。

だから、私は言う。
再度、日本は核兵器を使用されて、目覚めさせられる、と。


posted by 天山 at 05:46| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月24日

国を愛して何が悪い81

アメリカは、人類史上三つの大犯罪を犯している。第一がインディアンの抹殺、第二が黒人の大量奴隷労働の強制、第三が広島、長崎の原爆投下である。今のアメリカは、世界の超大国として繁栄の極地にあるが、それを支えるために異民族に対する測り知れない犠牲を強いてきたことを忘れてはならない。
清水馨八郎

今、現在、2013年でのアメリカは、その繁栄の揺らぎにある。
超大国と、まだ言われ続けるのか・・・
解らない。

ただ、上記の発言は正しい。
と、その前に、言う。
彼らは、イギリスから出たものである。

あの、世界的に最低、最悪の極道の国、イギリスである。
その、野蛮さと、狡猾さは、歴史を見て、御覧の通りだ。

それでも、イギリスは、世界的に信用される国となっている。
不思議なことだ。
未だに、宗主国として、君臨しているのである。

オーストラリアも、ニュージーランドも・・・
人種差別の激しい国は、特にそうである。

オーストラリアでも、現住民である、アボリジニを虐殺して、憚らなかった。
更に、罪深いことをしているのである。
それは、キリスト教の強制であり、その教育である。

アボリジニの文化を、滅茶苦茶にしたのである。
それが、今では、オーストラリアの伝統・・・としているという、愚劣。

さて、1620年、野蛮な清教徒たちが、メイフラワー号に乗り、マサチューセッツの海岸に、到着した。
不孝のどん底にいた、白人の入植者である。

先住民のインディアンは、彼らに、惜しみなく、魚の捕り方、トウモロコシの栽培法、更に、慣れない過酷な環境で生きる術を、親切に教えた。

新大陸のどこでも、インディアンたちは、最初の入植者を、愛情を持ち、温かく迎えたのである。

コロンブスは、スペインの女王に宛てた手紙で、サンサルバドル島の住民に、敬意を持って迎えられたとして、次の報告をしている。

彼らは、大変従順で、平和を愛する民族です。世界中に、ここより素晴らしい国はないと、両陛下に誓って、申し上げます。彼らは礼儀正しく、賞賛に値する態度です。

人を疑わない部族で、愛するべき先住民を、白人たちは、キリスト教を知らない、未開人として、恩を仇で返すのである。

インディアンの排除と、抹殺である。

恐るべき、傲慢である。

アメリカには、無限魔界が開けている。
それほどに、酷いことをして、建国した国である。
その、反省も、謝罪も無いのは、イギリスと同じである。

現在は、他民族国家として、成立つが・・・
差別意識は、消えていないのである。

インディアンの宗教性は、キリスト教以上に、遥かに、優れていた。

さて、野蛮な白人たちは、形ばかりの、ヨーロッパ式契約を結び・・・
この、契約とは、ユダヤ・キリスト教の得意な分野である。
何せ、神との契約である。

だが、契約といっても、それは、単なる嘘である。
契約・・・嘘・・・
平然として、その契約を破るのである。

そして、次々に、土地を奪うのである。

先住民は、土地が個人の所有などとは、考えない。
更に、それらの文字の意味も解らないのである。

白人は、それを盾に、勝手に土地を奪う。
弱肉強食とは、よくぞ言ったものである。

更に、個人だけではなく、その連邦政府も、インディアン種族と国家単位の契約を結び、それを都合よく解釈して、破り、各種族を西へ西へと、追いやった。

西部劇である。
開拓者精神どころか、泥棒であり、侵略者である。

どこに、開拓の精神があるのか・・・
開拓の精神とは、全く別物である。

開拓とは、拓殖であり、その国、地域の向上を最優先にし、教育を施し、ライフラインを整備し、産業を興すのである。
日本が、朝鮮、台湾、パラオなどで行った、行為を言う。

白人は、ただ奪うのみであり、どこにも開拓精神など無い。

こうして、1789年以降、白人とインディアンは、370もの契約を締結したが、守られたものは、一つも無い。

初めから、騙すための方法を、契約と言うのである。
キリスト教の、契約の精神とは、騙しのことである。

だから、イスラエルの民は、神との契約で騙され続けて、今も、世界を浮遊している。
選ばれた民・・・
そんな民は、無い。

ほんの一時、イスラエル王国が、成ったのみである。
すでに、それらは、滅びた。
残るのは、滓、屑にもならない、教え、というものである。

平原のバッファロー、野牛は、何百年もの間、インディアンの生活と文化を支えてきた。しかし、白人たちは、群生する野牛を、狩りして、肉や皮、骨まで商品にして、売りさばいた。

ついには、絶滅させたのである。

絶滅は、インディアンの死を意味する。
つまり、インディアンに残された道は、白人の支配を受けるか、餓えて死ぬか、である。

これに関して、アメリカ政府は、一度の謝罪も行っていないのである。


posted by 天山 at 05:26| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月25日

国を愛して何が悪い82

初めて、白人が上陸した当時は、約100万人のインディアンが住んでいた。
ところが、1860年で、インディアンは、約三分の一、30万人に激減してしまったのである。

300年の間、白人入植者は、次から次と、土地を求めて、西へ進んだ。
インディアンが邪魔すると、殺した。

白人は、それを、神の定めた宿命と受け止めたのである。
何と、傲慢な思想か・・・

インディアンの土地を奪い、殺戮する行為を、神の定めた明白な宿命であると。
そして、自分たちの、行為を神によって、正当化するという・・・
呆れた行状である。

キリスト教の神観念・・・
実に、恐ろしいのは、アメリカ大陸だけではないということである。

仏教などのような、共生の思想を持つ宗教もある。
如何に、ユダヤ・キリスト教が、野蛮で、手に負えないものか・・・

神道も、共生の思想であり、排他的、非寛容ではない。

誤った、宗教観念を西欧では、作り続けた。
そして、イスラムまでも、その中に巻き込んだ。
更に、イスラムを戦闘的にしたのも、キリスト教である。

開拓者精神・・・・
冗談ではない。
手前勝手な、考え方の野蛮さである。

ここで、カナダに入った白人たちの相違を見ると、カナダには、毛皮などを求める、商業活動が主であり、先住民とある程度の共生が成り立った。
だが、カナダ人学者が、告発している。

矢張り、搾取と殺戮があったこと。

アメリカのアングロサクソンは、アメリカ大陸だけではなく、西への進行を、海を越えて行うようになる。

ハワイ、グアム、フィリピンである。

19世紀、宣教師を中心とした、アメリカ人が、ハワイに入る。
最初は、これ、宣教師である。

これが、実に曲者である。
矢張り、この宣教師たちが、ハワイ侵略の手引きをする。

やがて、宣教師たちと、その息子たちは、ハワイの政界に進出し、要職を占めるようになる。
そして、ハワイ国王の軍隊とは別に、最新鋭の銃器を装備した、私的軍隊、ホノルルライフル部隊を編成する。

そして、1887年、カメハメハ王朝の、カラカウア国王に銃を向けた。

彼らの要求は、表向きは、近代的な憲法の発布・・・
しかし、実質は、国王の国政への発言の封じ込めである。

ハワイに押し付けた憲法は、選挙権は高額納税者に限る、二重国籍の者、つまりアメリカ人にも、選挙権を認めるというもの。

当時、ハワイの人々は貧しく、高額納税者とは、アメリカ人を指していた。
参政権を現地の人から奪い、自分たちが、議会の実権を握るというもの。

キリスト教の宣教師が、侵略の手先として、働くとは、スペイン、ポルトガル以来の手法である。

侵略行為に、宣教師が関わらないことが、無いのである。
キリスト教が、邪教である、所以である。

その日が来ることを、予想していた、カラカウア国王は、それ以前に、日本に助けを求めていた。
六年前に、国王は、国賓として、来日し、明治天皇に日本人のハワイ移住を懇願した。

更に、国王の姪であり、王位継承権を持つ、カイウラニ王女と、山階親王の婚儀を申し込むのである。

当時、人間として、認められていた唯一の日本、日本人である。
国王は、日本と姻戚関係を持ち、アメリカを牽制して、王朝の存続を図ろうという、奇策である。

しかし、当時の日本は、国際社会に出たばかりで、力も無い。
西欧列強を敵にまわす力なく、アメリカと事を構えるには、危険であると、判断する。

翌年、明治天皇は、特使をハワイに派遣して、申し出を正式に断るのである。

国王は、実権を奪われ、失意のうちに、亡くなる。

日本が、いかに、信頼されていたか、ということである。

さて、新しい国王は、王の妹、リリウオカラニ。
彼女は、1893年、最後の抵抗を試みる。
島民にも、選挙権を与える憲法改正の発布である。

アメリカ系市民の権利を認めた上での、改正である。

しかし、駐在ホノルルアメリカ公使ジョン・スティーブは、本国に対して、
血に飢え、淫乱な女王が恐怖の専制政治を復活させようとしていると、嘘の訴えを起こす。

アメリカ市民を保護すべく、あらかじめホノルル港に寄航させていた、米戦艦ボストンの砲口を女王の宮殿に向けさせ、海兵隊を出動させた。
女王は、強制的に退位させられたのである。

その後は、彼らの思うまま・・・
アメリカ人の選んだ大統領を誕生させた。

ちなみに、ドールという有名なジュースーメーカーがある。
その初代は、19世紀にアメリカから渡って来た宣教師である。
その息子である、サンフォード・ドールが、初代大統領である。

1898年、ドールは、島民の意思を無視して、アメリカに国土を寄贈するのである。
つまり、ハワイ乗っ取りである。


posted by 天山 at 07:07| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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