2012年12月30日

ミャンマー難民孤児に逢う

戦争犠牲者追悼慰霊をはじめ、そして、衣服支援をはじめて、丸六年を経た。

最初は、追悼慰霊だけであった。
そして、出掛ける国と地域の人々に、衣類を持参することにした。

数えてみると、15カ国になっていた。

現地に行き、人々との交流。
現地を見聞した成果である。

言ってみて、解ること。
決して、単なる情報ではない。
情報を得る方法は、数多くあるが、出掛けて見る、聞くことで、更に、現地の様子が解る、理解出来る。

当初は、様々な人が、情報をくれたが・・・
全く、役立たずだった。
彼らは、単に、情報を知るというだけのことで、現地に出掛けていないのである。
解るはずがなかった。

更には、批判、そして、中傷まで・・・
色々と、言われたが、続けた。

そして、今では、私は、私の見たこと、聞いたことが、事実であることを知るのである。

更に、大戦の跡・・・
それも、現地で解る。

戦記に書かれたことを、私は、現地で追体験した。

そして、支援の有り方である。
単なるボランティア活動ではない。
必要とする人と、必要とする物・・・

貧しい国と一口に言えない状況を見た。

東南アジア、南太平洋の国々。
貧しいが、貧しさは、同じではない。

フィリピンの島々で、貧しくとも、とても明るく生きる人たちを見た。
その逆もある。

そして、貧しいということも、考えることが出来た。
日本は、豊かな国であるが、どこか、貧しいのである。

経済的に貧しいことと、精神的に貧しいことは、違う。
しかし、その違いは、見ることによって、解る。

更に、心の貧しさと、豊かさである。

インドネシア、バリ島の子供たちは、貧しいが、精神的に貧しい訳ではない。
大人と共に、バリ島の伝統を受け継ぎ、嬉々として、その伝統に参加している。

最も、貧しいのは、カンボジアと、ミャンマーの少数民族である。
そして、ラオスの山間部。
ベトナムの、少数民族・・・

チューク諸島の貧しさは、構造的なもの。
島に仕事が無い。
故に、グアム、ハワイに出稼ぎに行き、家族に仕送りする。

まだまだ、色々ある。
話は尽きない。

六年のまとめのように、私は、今回、タイのメーソートにある、ミャンマー難民の孤児たちの施設に向かった。
ミャンマー国内の孤児施設も、単独で見つけた。

最初に支援をしたのは、私である。
少数民族の子供たちだった。

彼らは、ミャンマー北部、東北部に住む少数民族の子供たちである。
国軍から、村を焼き払われ、親を殺された。
軍政時代の負の遺産である。

メーソートは、ミャンマーの町、ミャワディという町と接する、国境の町である。
民主化により、国境が開いた。

次第に、観光客も多くなる様子である。
タイ人たちも、観光に訪れる。

国境が開いたと同時に、ミャンマーからも、人がどっと、タイ側に向かっていた。勿論、正規に入国した訳ではない。
川を渡り、すぐにメーソートに入ることが出来る。

ミャンマーで食えなくなった人たちが、押し寄せていた。
だから、以前より、物乞い、ストリートチルドレンも多い。

更に、ミャンマーから出て来た人たちは、土地の空いている場所に、小屋を建てて、住み始めた。

民主化は、政治的に、上の人たちによるものであり、下の国民にまでは、まだまだ遠い道のりである。

ミャンマーに戻り、仕事を得るのは、いつの日になるのか・・・
解らない。

タイには、ミャンマー、カンボジア、ラオスなどから、移民、難民として、500万人以上が入国しているという。
凄いことである。

だが、タイ人は、彼らを追い出さない。
それは、安い料金で働いて貰えるからである。
要するに、3Kの仕事を彼らが、請け負うのである。

タイ政府が最低賃金の法律を作ったゆえに、更に、移民、難民は、働き手として、注目される。
非常に矛盾であるが・・・

そして、二年後に迫る、アセアン諸国連合の一体化である。

インドまで達する幹線道路の建設が、急がれている。
日本の支援により、ミャンマーから、ベトナムに抜ける幹線道路の建設が進む。
二年後は、アセアン内では、パスポートがいらない。

その、アセアンプラス1になるべく、中国、韓国が狙うのである。

その、1は、日本になる確率が高いと私は、見ている。


posted by 天山 at 06:22| ミャンマー難民孤児に逢う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月31日

ミャンマー難民孤児に逢う2

行為する者は、色々と言われる。
誉められることは忘れるが、けなされることや、中傷されることは、中々忘れないもの。

まず、慰霊に関しては、変な理屈を捏ねられる。
英霊といえば、誰もが何も言えない・・・
だから、云々・・・
あまり、意味の無い中傷なので、忘れる。

更に、宗教・・・
追悼慰霊が、宗教と結びつくという・・・
慰霊の行為は、極めて私的な感情である。

それはまた、公開しなくてもいいもの。
何故、公開したのか・・・
それは、衣服支援を始めたから。

それでは、最初からの、流れを説明する必要がある。

更に、衣服支援が広く大きなことになった。
ボランティアという言葉が必要になる。

そして、このボランティアという言葉には、様々な憶測推測がつく。

無償の行為であるから・・・
実に、難しい。

もし、それに意味をつけて理解させるとしたら・・・
宗教の布教が一番、手っ取り早い。

だが、無償の行為である。

無償の行為を説明するほど、難しい事は無い。

更に、衣類を支援してもらうための説明である。
信じてもらうしかない。

横流しすることは、衣類支援のみならず、多くの支援に付き物である。
特に、お金の支援は、最も、恐ろしい。
何に使われたのか、解らないのである。
更には、個人の懐に入ってしまうことも多々ある。

そして、ボランティア行為の、偽善性である。
それは、私がボランティアなる行為をはじめた、13歳頃からあった。

一度や二度の、ボランティアは、正に、偽善的である。
ただ、語源から見ると、ラテン語からのもので、生きる意味意識という意味。

だから、本当に語源通りに行為すると、それは、私の生きる意味意識に関することになる。

更に、ボランティアをするには、される側の人間が必要なことである。
ボランティアをするには、して上げるべき人が必要なのである。

それを憐れむのか、否か。
だから、ボランティアをする人は、よく、こちら側が元気を貰った、勇気を貰ったなどという羽目になる。

ボランティアは、最初から、こちら側の問題なのである。

更に、何もしない人には、とても偽善に見えるし、また、嫉妬も起きる。何故なら、いい格好しいと、映るからである。
そしてそれは、いい格好しいという、最も偽善的な思考をするからである。

だが、語りは、行為に適わないことを私は知っている。

矢張り、やった者が正しい。

そして、やり続けた者が勝つのである。
何故なら、生きることは、行為することであり、その表現によるものであるからである。

無償の行為は、相手に何も求めないが、それより、相手を必要とするというところに、大きな意味がある。

助ける相手がいなければ、成り立たないのである。

だから、相手の存在に感謝するしかなくなる。

必要としない人に、その行為は、出来ないのである。
必要とする人がいる、それが、ボランティアの救いである。

だから、その行為に対して、何かを言われても、せん無いことなのである。

更に、もっと、根元的な、言い分がある。
何故、国内でしないのか・・・
これが、言う者の、大きな言い分になる。

それは、とても、卑劣である。

それでは、国内でしていることを、延々として書いたら・・・
どう思うだろうか・・・
私は、国内でも、しているからである。

それこそ、嫌味である。

聖書作家がイエスに言わせる言葉がある。
右の手が良い事をする時は、左の手に知らせるな・・・

つまり、良いことをする時は、誰にも知られないようにせよ、である。
隠れておられる神だけが知るように・・・

祈りも、そのように言う。

それは、当時のユダヤ教の偽善に満ちた時代であるから。

養護施設に、マンガの主人公の名で、ランドセルを贈る人がいた。
マスコミは、それを讃えて紹介する。
しかし、偽善的な人には、それは、実に嫌味な行為と見なされる。

この世は、そのような人の集まりなのであるから、当然である。

更に、慈善家とは、金持ちがやることと、勘違いしている人がいる。
そして、そういう人たちは、インドのマザーテレサのことを勘違いする。

あれだけの、大きな慈善をするということは、経済感覚がとても立派だということである。
マザーテレサの経済学まで、書かれるほどなのである。

金を集める才能があったのである。
祈りで、金は集まらない。

そして、世界のカトリック信者を背後につけた。
とても、一筋縄ではいかない人である。

ノーベル平和賞まで受賞して、この世の名誉を存分に受けた。
私は、マザーテレサのようなシスターを多く知るが、誰も、そのようにならないのである。

資金が無くなった際に、私も宗教団体を考えた。
宗教の教組になるのではない。
宗教団体を背後に付けるのである。

だが・・・
少しばかり、私は頭が良かった。

この活動を宗教の広告塔にしてはならない。

単なる、私的な極めて私的な行為でいいのである。

私が死ねば、それで終わる。
その意思さえ、無くなる。
それで、いい。

後に続く者・・・
そんなことを、考えたこともない。
こんなことは、私一人で十分である。
それほど、どうでもいいことなのである。
更に、語り継がれるほどの、馬鹿ではない。

posted by 天山 at 07:21| ミャンマー難民孤児に逢う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月01日

ミャンマー難民孤児に逢う3

追悼慰霊とは、追って、悼むことである。
そして、慰霊とは、霊位に対し奉り、対座することである。
つまり、祈りである。

何故、追悼慰霊をはじめたのか・・・
それは、最初の旅日記に書いていたが・・・

20年以上も前になる。
その頃、私は占いによる、相談を行っていた。
勿論、今も相談を受ける。

その頃、一人の女性がよくやって来た。
通訳の仕事をしていて、グアム、サイパンによく出掛ける。
帰国して、私のところにやって来るのだ。

相談内容は、日本兵の霊を見たというものである。
それだけなら、問題なかった。
彼女は、そしうて、具合が悪くなるというのである。

何処に行っても、解決しないので・・・
そこで、私は、私になり、処置をした。
それで、彼女が楽になり・・・

旅を終えると、毎回やって来て、今回は・・・
と、見た霊の話しをする。
彼女にとって、それは、現実である。

霊はいないと言っても意味が無いのである。

私は、それにより、いつか、慰霊に出掛けたいと思うようになった。
更に、戦争が終わり、それでも霊として、戦地に漂うという、その哀れさである。

だが、そこに辿り着くまでには、時間が必要だった。

最初に出掛けたのは、サイパンである。
兎に角、サイパンで確認しようと思った。

追悼、追って、悼むのであるから、戦記を読み始めた。
そして、愕然とする。
知らなかった。

こんな状態だったのか・・・
こんな酷い戦争だったのか・・・

私の父は、最後の少年兵だが、戦地に出る前に、敗戦となったゆえに、戦地の話は聞いていない。

大戦の意味を知れば知るほど、惨いのである。

知ることの、意義は大きい。

当時の大東亜圏の広さは、莫大である。
そんな莫大な広さの中を戦ったのである。

海、山、川・・・
至る所、日本兵の遺骨があることを知る。

だが、慰霊をするために出掛けるが、霊的な現象に遭うことはなかった。

唯一、明確に出来たのは、パラオ、ペリリュー島に出掛けた時である。

そのことについては、天皇の島ペリリュー島という、旅日記に書いているので、省略する。

そして、日本兵ではないが、カンボジア、プノンペンに出掛けて、一度、霊的現象を感じたのみ。

それについても、旅日記に書いている。

戦地、激戦地を廻るうちに、知らないことは、実に悲しいことだと、知る。
何があったのか・・・
それを知るべきである。
ただ、人には、強制しない。
私の問題である。

インドネシア、ニューギニアの、イリアンジャヤのビアク島に出掛けた時の、慰霊の際には、絶句した。
日本兵が、潜んでいた洞窟に、米軍が火炎放射器を使い、ドラム缶を投げ入れて、火を放った。
そこには、負傷した兵士が多く、糞尿にまみれ、捨てられた兵として、最期を覚悟していたという。

祈りの言葉も無かった。

そして、祈りも嘘になる。

何をすれば、いいのか。
それでも、祝詞を献上し、君が代を歌い・・・
だが、違う・・・

ただ、黙祷であった。

遺族でなくとも、胸がかきむしられる。
どうして、こんなところで、死ななければならぬのか・・・

ただ、私は、あなたたちのことを、忘れないために、やってきましたと、言った。
そして、その遺品を見た。
その一つ一つの遺品を、清め祓う。

そこに込められた、想念を祓う。
もう、戦争は、終わったのです。

本当に、ご苦労様でした。
そして、ありがとうございました。

私が、このような気持ちになったことを、私自身か喜んだ。
忘れない。
死ぬまで、慰霊の行為を続けるという、気持ちである。
これは、私の問題である。
人に説くことではない。


posted by 天山 at 06:13| ミャンマー難民孤児に逢う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月02日

ミャンマー難民孤児に逢う4

今回出掛けた、タイ、メーソートは、四回目である。

タイ、西北部のミャンマー国境の町である。
バンコクから、国内線で一時間。

メーソートは、正式発音では、メソッとなるが、表記する時は、メソットとなる。

多くのビルマ人がいる。
そして、今も、続々とミャンマーから少数民族の人たちが、入る町。
難民である。

移民ではない。
町の至る所で働く。
多くは、3Kの仕事をする。

私が泊まったホテルの、ベッドメークの女性たちも、皆、ミャンマー、ビルマ人である。

更に、地元の食堂などで働く。
高級店では、厨房の仕事をする。

もし、仕事が無ければ、資源ゴミを集める。
更には、物乞い、ストリートチルドレンになる。

前回の、三度目は、6つの施設を廻った。
今回は、行ってから決めることにしていた。

孤児施設は、50以上あると言われる。

その、すべてを廻る訳ではない。
別の組織が支援をしている施設もある。

その多くは、キリスト教系である。
特に、プロテスタントが多い。
それは、布教を伴う。

良い悪いの問題ではないが・・・
少しそれは、異様に見える時もある。

実際、今回、森の中の施設に出掛けると、子供たちが、教会に移動していたのである。
だから、私たちも、その教会に出掛けた。

丁度、礼拝の前の準備をしていて、子供たちは、賛美歌の練習をしていた。

代表の先生が、礼拝まで30分ほどあるので、その間に、どうですかと、尋ねてきた。
早速、衣類を渡すことにした。

あっという間の出来事だった。
ただ、少しばかり気になった。

子供たちは、教会の周囲に建てられた建物で生活する。
だから、教会付きである。

そこでは、勿論、プロテスタントの教えが主になる。
少数民族には、それぞれの伝統がある。
しかし、そこで世話を受けなければならないとしたら・・・

その、教えを受け入れるしかないのである。
選択の余地は無い。

私は、それでも、いいと思う。
その後、子供たちが決めることになる。

15歳になったら、その施設を出ることになるのである。
そのまま、クリスチャンになる子供もいるだろう。

だから、日本人のボランティア団体の人たちが、何の目的で支援をするのかと、問われると、絶句するのである。

皆、それぞれの目的があって、支援すると思っている。
宗教の布教であれば、即座に納得する。

しかし、日本のボランティア団体は、無償である。
神道を布教するなど、考えられないことだ。

私も、そうである。
全く、無償である。

必要ならば、差し上げます。
ただ、それだけで終わる。

時々、日の丸を掲げて、君が代を歌う程度である。

前回、明確に、キリスト教系の施設と解った所には、出掛けなかった。
そして、お金が必要だという所にも、である。
お金は、渡せないのだ。
何に使われたのか、解らない。

衣類と、文具、そして、食糧やお菓子、飲み物の支援である。
物のみを、支援する。

毎回出掛けている、無料診療所、メータオクリニックに出掛けた。
以前の倍に広がっている。
ミャンマー難民だけではなく、タイ人の貧しい人たちにも、解放しているという。

そこには食堂から、子供のための学校まで出来た。
それで、障害を持つ子も、生活出来るようになった。

少し前に、ミャンマーから、アウンサン・スー・チー女史が訪れた。
彼女の訪問が、少しでも、彼らの希望になればいい。

私は、患者さんたちの病棟で、支援をした。
まず、一番必要なもの、バスタオル、タオルである。
それから、衣服。大人の男女のものである。

子供たちの衣類は、大半が無くなった。
残るのは、幼児のものである。
だが、幼児の施設には、出向かなかった。

それらは、ホテルで働く、女性たちに渡した。
皆、若いので、子供がいる。

バンコクに戻る日の朝、その女性たちから、長い感謝の言葉を頂いた。
意味は、解らないが、両手を合わせて、何事か言う。

それが、何となく解るのである。

一人だけ、英語の出来る女性がいたので、また来ますからね、と声を掛けて、さようならをした。


posted by 天山 at 06:46| ミャンマー難民孤児に逢う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月03日

ミャンマー難民孤児に逢う5

メーソートには、協力者がいる。
日本人のHさんである。そして、その家族。

更に、最後の日本兵と言われた、中野さんの家族である。
メーソートでは、必ず中野さんの遺骨のある家に行き、慰霊をする。

それは、とても心強い。何故か。
現地で、様々な手配をしなければならない。
特に、車である。そして、現地の場所。

何処にあるのか・・・
それは、大変な手間になる。

だが、メーソートでは、すんなりと場所が解った。

今回は、Hさんと、娘さん二人、中野さんのお孫さんの運転である。
帰りの空港には、中野さんの息子さんが見送ってくれた。

これだけでも、大半が現地の人によるもの。
私たちは、ただ、連れられて行くだけである。

感謝しても、足りない。

そういう出会いを感謝する。
また、そういう出会いをもたらすもの、縁に不思議を感じる。
Hさんは、メーソート支部である。
支援物資は、皆、Hさんに送る。その管理も任せている。

それは、フィリピン、ネグロス島でも、インドネシア、バリ島でも、現地の人の協力で成り立つ。

ジャカルタでも、私の車を使って下さいと言う方に、スラバヤで出会った。
タイ、バンコクの孤児施設にも、知り合いが出来て、いつでも行く事が出来る。だが、まだ、実現していない。

何せ、バンコクの入国審査官にも、何かあれば、わたしに連絡をと言われたのである。

東南アジアの国際空港では、着物姿の私は、目立つ。
何度か出掛けていると、覚えられる。

着物を着る利点は、沢山ある。
日本人だと、すぐに解る。
審査もスムーズだ。

タクシー料金で、空港の前で騒ぐ事を知る人たちは、私に安いバイクタクシーなどを紹介する。

カンボジアのプノンペンでは、おかしいほどだ。
係員が飛んでいる。
バイクタクシーのチケットを持ってくる。

インドネシア、ジャカルタの空港では、毎回、タクシー乗り場のおじさんたちと、やりあう。
これに乗れ・・・乗らない、メータータクシーだ・・・駄目だ、これだ・・・嫌だ・・・

そのうちに、メータータクシーの運転手が手を上げてくれる。

グアムの空港だけは、行きたくない。
乗り継ぎでも、嫌だ。
何せ、パンツ一貫になり、下手をすると、牢屋行きだった。
それに、皆に覚えられた。

帰りの乗り継ぎの際に、コーヒーを飲んでいると、検査官、空港警察の人たちが、声を掛けてくる。
あれは、安全のために、やっているからさ・・・
顔から、火が出る。

様々な出会いは、楽しい。

インドネシア、ジャカルタの空港で、朝の便を一人で待っていた。
おじさんが、ホテルに行かないのと、声を掛けてくる。
ここまで待っている。
すると、近くのホテルで送迎無料で、安く泊まれるよと、教えてくれ、電話をしてくれた。それから、そのホテルを利用するようになる。

現地の人でなければ解らない情報である。

その時も着物。
おじさんに言われた。インドネシアと日本は、兄弟だ。

兎に角、現地の人の協力は、絶大である。

パラオ、ペリリュー島の慰霊の時は、現地の女子大生が案内してくれた。
子供の頃からの、島の中をスイスイと車を飛ばして、移動した。
車を頼むと、大変な料金になった。

50ドルのお礼でも、彼女は、嬉々として喜んだ。

一人で、ペリリューの島の中に入れば、確実に、迷う。

それで、兎に角話し掛けること・・・
挨拶でも、何でも、ブロークン英語で・・・喋る。

相手も、ブロークンなら、大変によい。
通じるのだ。

更に、子供たちは、日本語でも、通じる。
勘である。

メーソートで、一人の男の子にぬいぐるみを上げると、一人の女の子が出て来た。
欲しい・・・と聞くと、頷く。
日本語である。
その子は、口が利けない子だった。
つまり、耳が悪い。

私の日本語が通じていた。
ぬいぐるみを渡した時の、喜びの顔は、忘れられない。

きっとこれから、毎晩抱いて寝るだろう。

フィリピン、マニラ、セブ島、レイテ島、ネグロス島のストリートチルドレンは、日本語でも、通じる。
勿論、ジェスチャーが入る。

もしかして、これが私の豊かさ・・・と、思う。


posted by 天山 at 00:02| ミャンマー難民孤児に逢う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月04日

ミャンマー難民孤児に逢う6

メーソートの街中は、かび臭い。
そして、タイ全体に言えるが、ドブ臭いのである。

バンコクでも、下水道の匂いが漂う。
つまり、下水道の処理がなっていないのである。

今回の旅の最後は、パタヤに立ち寄ったが、そこも、世界的観光地だが、下水道のドブ臭いのが、鼻につく。

一度、バンコクで、下水道の処理、掃除をするのを見たが、下水道に溜まった、泥、ゴミを集めていた。
それ以外の方法が無いのだ。

ドブ臭い中で、屋台のご飯を食べていると、変な気分がしてくる。
食中りするようなものでなくても、当るような気分になるのだ。

東南アジアは、どの国も、そうである。
バリ島などは、雨が降ると、下水道がすぐに溢れて、それは、それは不衛生である。

行政が、そこまで手が回らないともいえるし、怠慢だともいえる。

日本の上下水道の技術は、十分輸出に耐えられるものだ。

日本では、下水道の匂いなどしない。

糞尿処理もまだまだ。
何処に流しているのかと、詮索するが・・・

ジャカルタのスラムの川は、糞尿にまみれている。
貧しい家々は、すべて川に面して、トイレを作る。
つまり、そのまま川に流すのである。

メーソートの下水道も、そうである。

そして、ホテルが古いので、ホテルも匂う。
かび臭い町に、かび臭いホテルである。

新しいホテルが出たために、今回の料金は、驚くほど、安くなっていた。
二人で、一泊、280バーツである。約900円。

そのしわ寄せが、ビルマ人労働者に向けられる。
つまり、ベッドメークの女性たちである。

ホテルに到着した時に、以前もいた、英語の出来る女性がいた。
向こうから、声を掛けてきた。
ゥーワと、歓声を上げた。

彼女にも、衣類を渡したのだ。
全員で、五名になっていた。

朝の九時頃にホテルに来て、まず、廊下で朝食と昼食を兼ねた食事をする。
それから、夕方まで働く。
中には、ホテルの住み込みの人もいる。

客室は、大半が二階のみ使用している様子。
客が少ないのである。
更に、この料金だと、ラブホテル代りに利用される。
だから、ショートタイムである。

深夜に来て、朝帰るという、客である。

私は、部屋が広いので満足。
古いホテルは、料金が安く、部屋が広いのである。
何処の東南アジアの国も同じだ。

ただ、カンボジア、プノンペンの古いホテルは、一晩で懲りた。
兎に角、臭い。
かび臭いのが、鼻につくし、ベッドの古さが鼻につく。
安かろう、悪かろう、だった。

マニラのホテルでは、ベッドに虫が住み着いていた。
夜、足が痒くなる。
朝起きると、足が虫に食われていた。
ただ、それぞれの部屋によって、違うことを知った。

改装中になったので、これからなら、ベッドも新しくしただろうと思う。

今回は、メーソートに二泊のみである。
それは、メーソートの店は、夕方から閉まるのである。
食堂も、七時前に行かないと、もう食べられない。

歩けば、夜の屋台街があるのだが・・・
そこまで元気が無い。

次に行く時は、屋台街に近いホテルにするべきだと思う。

一年前とでは、フロントの顔がすべて変わった。
誰一人知る人はいない。
それも、残念である。

同じ人だと、私が何を目的に来ているのか解るので、非常に協力的になる。色々と便宜を図ってくれる。

セブシティの、よく泊まるホテルのフロントの女性は、私が行くと、何処で支援が必要かを、教えてくれる。更に、車の手配もする。

マニラのドアマンのおじさんも、そうだ。
次ぎは何処へ行く・・・
トンドは注意して・・・など

バンコクのあるホテルの従業員は、大半がスラムから働きに来ている。それで、すぐに皆さんと、仲良くなった。
何せ、全館に放送して、日本から私たちに衣類を持って来た人がいます・・・と、やったのである。

フロントの女性も、ホテルの名刺に自分の名前を書いて、次ぎに来た時は、私に言ってください、と言うのである。
そういう、人のつながりも、楽しい。

メーソートでは、唯一、ベッドメークの女性が、知りあいになった。


posted by 天山 at 06:43| ミャンマー難民孤児に逢う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミャンマー難民孤児に逢う6

メーソートの街中は、かび臭い。
そして、タイ全体に言えるが、ドブ臭いのである。

バンコクでも、下水道の匂いが漂う。
つまり、下水道の処理がなっていないのである。

今回の旅の最後は、パタヤに立ち寄ったが、そこも、世界的観光地だが、下水道のドブ臭いのが、鼻につく。

一度、バンコクで、下水道の処理、掃除をするのを見たが、下水道に溜まった、泥、ゴミを集めていた。
それ以外の方法が無いのだ。

ドブ臭い中で、屋台のご飯を食べていると、変な気分がしてくる。
食中りするようなものでなくても、当るような気分になるのだ。

東南アジアは、どの国も、そうである。
バリ島などは、雨が降ると、下水道がすぐに溢れて、それは、それは不衛生である。

行政が、そこまで手が回らないともいえるし、怠慢だともいえる。

日本の上下水道の技術は、十分輸出に耐えられるものだ。

日本では、下水道の匂いなどしない。

糞尿処理もまだまだ。
何処に流しているのかと、詮索するが・・・

ジャカルタのスラムの川は、糞尿にまみれている。
貧しい家々は、すべて川に面して、トイレを作る。
つまり、そのまま川に流すのである。

メーソートの下水道も、そうである。

そして、ホテルが古いので、ホテルも匂う。
かび臭い町に、かび臭いホテルである。

新しいホテルが出たために、今回の料金は、驚くほど、安くなっていた。
二人で、一泊、280バーツである。約900円。

そのしわ寄せが、ビルマ人労働者に向けられる。
つまり、ベッドメークの女性たちである。

ホテルに到着した時に、以前もいた、英語の出来る女性がいた。
向こうから、声を掛けてきた。
ゥーワと、歓声を上げた。

彼女にも、衣類を渡したのだ。
全員で、五名になっていた。

朝の九時頃にホテルに来て、まず、廊下で朝食と昼食を兼ねた食事をする。
それから、夕方まで働く。
中には、ホテルの住み込みの人もいる。

客室は、大半が二階のみ使用している様子。
客が少ないのである。
更に、この料金だと、ラブホテル代りに利用される。
だから、ショートタイムである。

深夜に来て、朝帰るという、客である。

私は、部屋が広いので満足。
古いホテルは、料金が安く、部屋が広いのである。
何処の東南アジアの国も同じだ。

ただ、カンボジア、プノンペンの古いホテルは、一晩で懲りた。
兎に角、臭い。
かび臭いのが、鼻につくし、ベッドの古さが鼻につく。
安かろう、悪かろう、だった。

マニラのホテルでは、ベッドに虫が住み着いていた。
夜、足が痒くなる。
朝起きると、足が虫に食われていた。
ただ、それぞれの部屋によって、違うことを知った。

改装中になったので、これからなら、ベッドも新しくしただろうと思う。

今回は、メーソートに二泊のみである。
それは、メーソートの店は、夕方から閉まるのである。
食堂も、七時前に行かないと、もう食べられない。

歩けば、夜の屋台街があるのだが・・・
そこまで元気が無い。

次に行く時は、屋台街に近いホテルにするべきだと思う。

一年前とでは、フロントの顔がすべて変わった。
誰一人知る人はいない。
それも、残念である。

同じ人だと、私が何を目的に来ているのか解るので、非常に協力的になる。色々と便宜を図ってくれる。

セブシティの、よく泊まるホテルのフロントの女性は、私が行くと、何処で支援が必要かを、教えてくれる。更に、車の手配もする。

マニラのドアマンのおじさんも、そうだ。
次ぎは何処へ行く・・・
トンドは注意して・・・など

バンコクのあるホテルの従業員は、大半がスラムから働きに来ている。それで、すぐに皆さんと、仲良くなった。
何せ、全館に放送して、日本から私たちに衣類を持って来た人がいます・・・と、やったのである。

フロントの女性も、ホテルの名刺に自分の名前を書いて、次ぎに来た時は、私に言ってください、と言うのである。
そういう、人のつながりも、楽しい。

メーソートでは、唯一、ベッドメークの女性が、知りあいになった。


posted by 天山 at 07:00| ミャンマー難民孤児に逢う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月05日

ミャンマー難民孤児に逢う7

メーソートでの慰霊は、中野さんの御宅と、自由戦士の碑の前で行った。

自由戦士の碑は、四名の日本人青年が、ミャンマー国軍と対決したカレン族の加勢をして、亡くなった方々である。
皆、三十代前半である。

その名前が刻まれた、慰霊碑である。

案内のHさんが、その人たちをよく知っていた。
矢張り、亡くなった際に、部屋を訪ねて来たと言う。
不思議でも、何でもない。有り得ることである。

実は、最初に慰霊をした時の写真に、大きな丸い光の輪が写っていたので、気になっていた。
今回が、四度目の慰霊であるから、それは、消えていると思う。

だから、あえて、Hさんと共に、写真を撮った。

一人だけ、攻撃を受けて、暫く、苦しんで亡くなったと言う。
一度、ミャンマー側に埋葬されたが、遺族が来て掘り起こし、再度火葬して、日本に持ち帰ったという。
だが、霊位は、そこにいる。

出来るだけ、大袈裟ではなく、黙祷を主にして、祈る。

私は、花も、線香なども、使わない。
ただ、思いの祈りだけである。

以前は、その戦いの現場を見渡せる場所でも、慰霊を行った。
それは、国境の川である。

今回は、慰霊碑だけである。

その苦しみから解放されて、自由な世界にお戻りいただくように、願った。

それが、終わり、すべての活動が終わると、三時間以上を経ていた。
昼の時間である。
いつものように、皆で、食事をすることにした。

その店に着いた時は、もう、昼を過ぎていた。
総勢、五名で食事をする。

疲れているので、あまり食べられないが・・・
皆さんと、食事をするのは、楽しい。

Hさんの、お勧めの中華料理の店である。
中華料理は、皆で食べられるので、丁度よい。

日本語、タイ語、英語交じりの話しである。
Hさんの、上のお嬢さんは、フランス語が出来るが、誰もフランス語が出来ないので、タイ語のみである。
下のお嬢さんは、日本語が少し出来る。
大学も、日本語学科に進むという。

運転をしてくれた、中野さんのお孫さんは、タイ語のみ。
ハチモト君と呼ぶ。

一時間を過ごして、私たちは、ホテルに送って貰った。
どっと、疲れが出た。
シャワーを浴びて、暫し、ベッドで横になる。

そして、もう夜の食事が出来ないほど食べたと、夕食は、とらないことにした。

翌日は、バンコクに戻り、そのまま、パタヤに向かう。
丁度、12時発の飛行機である。

明日は、中野さんの息子さん、ハチモト君のお父さんが、送迎してくれるという。

朝、10:30に出ることにした。
二泊の短い滞在であるが、十分充実した活動が出来た。

そして、これが、今年最後になる。

どこに出掛ける元気もなく、飲み物だけを、コータにコンビ二で買って貰った。
糖分が欲しくなるので、コーラーを頼む。

そして、横浜の支部、副代表の辻さんに電話をして、活動報告をする。
それを、辻さんが、自分のホームページに書いてくれる段取りである。

私は、旅の間、一切インターネットをしないことにしていた。
本も読まない。
何もしない。

活動以外は、何もしないことにしていた。

近くの市場には、二度ほど出たが、あまり買う物も無かった。
ただ、茹でたとうきびを買った。

タイでは、今時期日本には無い、果物を多く食べる。
スイカ、パイン、パパイヤ、マンゴーなどである。

道端で、切り売りのものを買う。
その分量が丁度良い。

切り売りの果物売りは、衛生的に問題ないのである。
氷をぎっしり詰めたケースに入れている。
大量に買っても食べられないので、丁度良い分量である。

私は、熟したものが好きで、時々、常温のまま、放って置く。
すると、甘みが増して美味しい。

何せ、腐る直前が好きなのである。

こうして、メーソートでの、時間が過ぎる。

パタヤでは、四泊の予定である。
パタヤには、出掛けて、七年が過ぎる。
知り合いも、増えた。そして、楽しいのである。
だが、観光ではない。
ゲストハウスに泊まり、更に、屋台か市場で食事をする。
大金を使うこともない。


posted by 天山 at 06:13| ミャンマー難民孤児に逢う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月06日

ミャンマー難民孤児に逢う8

タイの曖昧さと、適当さには、怒りを通り越して、笑うこと、多々あり。

バンコク行き・・・
案の定、遅れた。

メーソートに到着して、30分して、また戻るという、スケジュールである。
そんな短い時間で・・・と、思いつつ・・・

あっ、来た来た・・・
バンコクからの、飛行機を見て言う、私。

30分遅れ。
そして、乗客が降りて、荷物が下ろされる。
その間、じっとそれを見ている。

だが、他の人たちは、平然として待つ。

漸く、搭乗になった。
Hさんはじめ、娘さん二人と、中野さんの息子さんが、最後まで、見送る。
気の毒だ。

飛行機に乗り込む。扉が閉まる。
すぐに動く、そして、飛び立つ。

時間は無視。
はい、全員乗りましたとなると、さっさと、飛び立つ。
私は、笑う。

いつものことである。

バンコクの国内線のドムアン空港に到着。
今は、国際線も出るようになった。

さて、パタヤ行きのバスは・・・
空港から出ているのか・・・
誰に聞いても、よく解らないのである。

漸く、掃除のおばさんが、私たちを見て、どうしたのと声を掛けてきた。
説明すると、詳しく答えてくれる。

空港の近くのバス乗り場から、パタヤ行きのバス停にミニバスが走っている。
20バーツで乗れるよ・・・
ところが、そこに行くまでが、大変である。

ありがとうございます、と言って、矢張りタクシーに乗って、バス乗り場まで行くことにした。

今度は、タクシー料金である。面倒なのだ。
200バーツと言われる。
コータが、そんなにかからないと言う。

メータ。
それで駄目なら・・・と、無視する。
すると、タクシー運転手がオッケーである。

バンコクのタクシー運転手は、多くは出稼ぎである。
大変な仕事だ。
それを知るから、言い値で乗りたいが・・・
でも、癖をつけてしまうと思い、メータと繰り返して言う。

何度、車内で喧嘩したことか・・・

ある人から、ピストルを持っているから、最後まで怒らせないことと、言われている。
タイ人は、限界を超えると、撃つというのだ。

だから、私は、メーター、メーターと、言って、次に日本語で、怒る。怒鳴る。意味が解らないから、ただ、怒っているということだけが伝わる。
ドアを開けて、降りると言う。

運転手は、そこで諦める。

コータは、タイ語が出来るから、穏やかに言う。

案の定、メーターだと、150バーツにもならない。
だが、150バーツを差し出す。

バスは、10分後に出るというから、急いだ。
兎に角、広いバス停である。
タイ全土にバスが出ている。

バスにトイレがなかったら、どうしようと思いつつ・・・乗り込む。
後の座席で、トイレがあった。安堵する。
バス停のトイレは、お金がいるのだ。
もたもたしていると、乗り遅れる。

思い出した。
数年前に、このバスに乗りパタヤに向かう最中、デモ隊の暴徒化で、ビルに火が付けられた。それを、バスから見ていた。

タンシン派が起こしたものだった。

思えば、バンコクは、カンボジア、ミャンマー、ラオスに行く中継地点であり、年に何度も訪れている。
タイのニュースが気になるのだ。

今回、帰国の日も、黄色シャツのデモがあり、空港閉鎖になるかもという事態に。
しかし、内閣府で行われたので、無事出国出来た。

もし、デモ隊が空港を占領したら、私は舞台に上がり、演説する予定だった。
黄色隊は、反タクシン派である。
現在の、タクシンの妹の首相退陣を要求していた。

そこで、私は、国内の問題に外国人を巻き込んではならないと、演説しようと思っていた。
突然、日本人が着物姿で、飛び込むと、驚くだろうし、演説は、日本語であるから、訳が解らないだろう。
しかし、それが、ニュースで流れて・・・
妄想したのである。


posted by 天山 at 05:48| ミャンマー難民孤児に逢う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月07日

ミャンマー難民孤児に逢う9

タイ、パタヤは、不思議な歓楽街である。

もう、世界一と言ってもいい。

何せ、子供から、老人まで、楽しめる。
楽しみ方が、無限なのである。

民族、宗教・・・全くの自由である。
誰もが楽しめる。
私は、これを天国と言うのかと思うほどだ。
しかし、こんな煩い天国には、いたくないとも思うが・・・

まず、楽しみなことは、タイ全土の人と会える。
そして、世界の人と会える。

性的少数者たちも、自由であること。
ゲイ、レズ、レディーボーイ・・・

ビーチ沿いには、夕方から、売春婦が立ち並ぶ。
そこを、家族連れが、楽しそうに歩いている。
それだけでも、不思議な町だろう。

そして、世界の歓楽街の中でも、最も安全である。
勿論、危険もあるが、それは、本人の問題が大きい。

私には、顔馴染みのゲストハウスの従業員たち、屋台のおばさん、その他、諸々の知り合いがいる。

そして、マッサージである。
全国から出て来たマッサージの人たち。
勿論、行くたびに、変わっている。
盛衰が激しいのだ。

私は、エロマッサージと、まっとうマッサージに分けて、選んでいる。
勿論、すべてが当る訳ではないが・・・

今では、価格競争で、タイマッサージが、100バーツ、300円ほどで、受けられる。
日本でマッサージを受けると考えると、15回分受けられる。

中には、失敗したと思う所も多々あるが・・・

最初にフットマッサージをして、確認するという手もある。
それで、上手だったら、通うのである。

さて、パタヤは、夕方から夜、深夜、朝までの町である。
だが、24時間の町だという方が当っている。

屋台も、朝から夕方、夕方から深夜、朝までの店と・・・
三度ほど、変化するのも、楽しい。

食べるものに、困らない。
それも、屋台は、激安である。
食中りは、あるが、それは、こちら側の問題である。

肉などは、最初から焼いたものを、再度、焼き直すという屋台もある。
生のままのものは、見て確認する。
自分で勝手に、炭火の上に置くと、丁度良い頃に、それをカットしてくれる。

次ぎに安いのは、庶民の店。
現地の人たちが食べる店である。

高級店に入ったことはない。
欧米人たちが利用する店は、料金が高い。
つまり、彼らは、自国と同じようなものを食べるという意識が強い。

タイでは、タイ料理を食べるのが、一番である。

夜の町は、残念ながら、私は知らない。
寝てしまうからだ。
今夜こそは・・・と、思っても、駄目。
更に、酒は一切飲みたくないのである。

日本では、毎晩、酒を飲むのに、海外に出ると、ピタッと、飲みたくなくなるのである。

無理して飲むと、気分が悪くなる。

さて、その他に、タイ全土から出稼ぎに来ている人たちに、支援物資を渡すこともある。
その人たちは、その人たちが利用する食堂があり、そこに行くと、誰もが貧しい。

ビニールシートの屋根に、厨房が見える。
そこでは、どうしても、食べる気にならない。
食器を洗う水である。
それ以外は、火を通すので問題ないが・・・

カンボジア、ミャンマー、ラオス・・・
いずれも、屋台の食器を洗う場を見たら・・・食べられなくなる。
同じ水で、洗い、同じ水で、すすぐ。

清潔な環境に慣れている日本人には、無理なことだろう。

私の好きな物は、朝は、カオトムという、お粥、そして、カオパットという、焼き飯、もち米が好きで、カオニャオを頼む。
カオニャオと、鶏肉、あるいは豚肉の焼いたもので、十分である。

トマヤムクンが有名だが・・・
それにも、色々な種類がある。
クンは、エビである。
イカ、豚肉、鶏肉、その魚類で、呼び方が違う。

時間をかけずに作るものが、タイ人は得意である。
屋台は、手際が一番。

自炊ということをあまりしないのが、タイ人なので、屋台は、いつも賑やかである。
顔馴染みになると、色々と話しかけてくる。
勿論、タイ語なので、解らないが、うんうんと聞いている。

サバイディー、元気かい・・・
サバイディ・マイ、元気だよ・・・
タイとは、長く付き合いたい。

最後に、パタヤでは、何でも許されるが、一つだけ、注意することは、王様に対する不敬である。
王様の肖像画を傷つけたり、不敬な事を言うと、即座に、警察に連絡が行く。
そして、必ず、刑務所に入れられる。

ある事件があった。
兄弟同士の争いである。
兄が親に大切にされ過ぎるので、弟が、その兄の金、日本円にして300万円ほどを燃やした。
その判決は、そのお金は、親の金であり、家族間の問題だ。
だが、そのお金と共に、王様の肖像画があり、それを燃やしたので、罪である。

夕方、六時に国王賛歌が流れる。
公の場所では、起立する。
外国人も、である。

ただし、店や、歩いている際は、そのまま、終わるまで静かにしているのだ。

国王不敬だけは、許されないということ。
特に、現在の国王は、国民からの敬愛の念が強い。

ちなみに、書くが、世界で最も、権威ある存在は、日本の天皇陛下である。
エリザベス女王は、ローマ法皇には上座を譲る。
ローマ法王は、天皇陛下に上座を譲る。

それは、歴史である。
歴史の長い君主が、最も、権威を持つ。

エリザベスは、千年、法皇は、二千年、天皇は、二千七百年である。

タイ国王が、天皇陛下を最も丁重に扱うのは、そういうことである。


posted by 天山 at 02:48| ミャンマー難民孤児に逢う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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