2012年12月14日

国を愛して何が悪い41

世界で信頼される国に、日本とイギリスがある。
だが、その性質は、全く違う。
何故、イギリスが信頼されるのか、私には解らないのである。

それは、イギリスの歴史的事実を見れば、一目瞭然である。
大英帝国。

その支配地は、有色人種を主とする、直轄植民地、保護領、インド帝国などの属領植民地と、独自の自治を許された、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ケープなどの自治領である。

ほとんど全世界に及んだのである。
七つの海を支配して、大帝国になった。

つまり、イギリスは、近世数百年に及ぶ、白人の世界植民地侵略戦争の勝利者である。

更に、罪なのは、世界を植民地戦争に巻き込んだことである。
ヨーロッパでは、それに呼応するように、百年戦争、三十年戦争、七年戦争、白人同士の熾烈な闘争である。

極めつけが、第一次世界大戦である。

植民地侵略者、いわば強盗、泥棒たちが分捕りをめぐって内輪ゲンカをするのは勝手だが、その醜い闘争のトバッチリを受けた世界の有色人種にとって、これほど迷惑で悲惨なことはなかった。
清水馨八郎

私の前に、このように真っ当に過激なことを書いているのである。

何度も言うが、白人は、鉄砲と十字架を持って、上陸し、小高い丘に十字架を立てて、神の名によって、この地を本国の国王の土地だと、宣言する。

宝物を奪い、土地を奪い、反抗する者を虐殺した。
日本が、植民地にした、統治したという、レベルではないのである。

日本が、現地の人たちを虐殺したか・・・
日本の統治は、現地の人たちのために行われた。
例えば、韓国、台湾、パラオ、チョーク諸島・・・

高齢の方に尋ねると、必ず、日本に感謝の言葉が出るのである。
そして、その後も、日本の敷いたレールに乗り、国を興している。

白人は、南北アメリカ大陸、豪州、ニュージーランド、そしてアフリカ大陸と、支配地にした。
そして、搾取を続けたのである。

最も、酷いことは、北米大陸とオーストラリアでの、太古から住む原住民を抹殺して、白人だけの占領地にしたことである。

オーストラリアの、白豪主義は、酷いものである。
白人以外は、拒否するというのである。
甚だしい、人種差別と、弾圧、虐殺が、そこにある。

私がオーストラリアのアボリジニの、特別地区に出掛けた時は、まだ、オーストラリア政府は、その謝罪をしていなかった。

更に、そのことについては、その旅日記に詳しく記したので、ここでは省略する。
ただ、何が行われたかを、書く。

オーストラリアに、キャプテン・クックが到来したのは、1770年である。
当時、大陸には、アボリジニが約30万人、平和に暮らしていた。

彼らは、四万年前に、東南アジアから大陸に移住してきた民族である。

クックは、上陸して、一方的に、イギリス領であることを、宣言した。
その後の、イギリスのやり方は、あまりに汚く、惨いものである。

反吐が出る。

1788年、11隻の船隊に、流刑囚1473名を乗せて、シドニーに近い、ボタニー湾にやって来た。
男因778名、女因192名である。その他の人たち。

この人数が悲劇の元になる。
つまり、男女の比率が悪いのである。
最初に、被害を受けたのは、アボリジニの女性たちである。

男因の性欲の相手として、現地調査が行われた。

白人にとって、現地のアボリジニは、野獣、野犬、ネズミと同様である。
人間ではないから、虐殺がはじまった。

それも、動物狩りと称するという悲惨である。

その百年後、アボリジニは、6万7千人に激減した。

オーストラリアの南端にある、タスマニア島のアボリジニは、何と全滅させられたのである。
見つけ次第、白人に射殺されるという悲劇である。
1847年には、44名となった。

絶滅寸前の人種となった中で、最後の一人となった、トルガニーニという女性がいる。その時、オーストラリア政府は、最後のタスマニア・アボリジニとして、人類学上の貴重な資料として保護することになった。

1876年、トルガニーニは、山の奥に私を埋めて、と言い残し、生涯を終えた。
だが、その後、考古学上の価値があると見た白人が、墓を掘り起こし、その遺骨をバラバラして持ち去る。

高値がついて、収集家の手に渡る。
そして、博物館に展示された。

彼女の遺骨が、そこから解放されたのは、百年後である。
正式な荼毘にふされて、タスマニアの海にまかれた。

これでも、イギリスを信用する国と見るのか・・・
私は、極悪非道の国、バイキングの国と見る。

日本の皇室が、あちらの王室と特に親しくする必要は無いと、考えているほどだ。
あちらの国王が、一度たりとも、謝罪したことなどないのである。

現在の、エリザベス女王に罪は無いのだろう・・・
これほどのことを、歴史に残して・・・・

信じられないのである。

更に、虐殺され、皆殺しにあった、アボリジニの追悼慰霊をするとは、聞いたことがない。
それが、キリスト教の正体である。
その神は、神ではなく、悪魔である。
魔物と言っておく。




posted by 天山 at 04:58| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月15日

国を愛して何が悪い42

白人が植民地にするということが、どんなことか少しばかり書いてきた。
まだまだ、続けるが、ここで一度、日本の統治支配について、寄り道する。

例えば、満州、朝鮮、台湾、などの、植民地支配では、奪うのではなく、与えることが、先決だったということ。
これに関しては、後々で、書くことにする。

植民地・・・
日本が統治した場所が、すべて植民地支配だったと、考えている人が多いが、そうではない。

例えば、現在のパラオ共和国を見る。

敗戦後、パラオは、自治政府として、パラオ共和国になり、アメリカの支配下だった。
それが、アメリカの信託統治を外れて、真の独立国になったのが、1994年である。つまり、平成6年である。

戦前まで、パラオは、日本の、委任統治領だった。
これは、植民地政策ではない。

国際連盟規約第22条に基づき、国際連盟の指定を受けた国が、一定の期間、非独立地域を統治するという、制度である。

実際、この制度は、白人諸国が、有色人種諸国を統治する、というより、植民地として支配することに、国際法の正当性を与えるものだった。

だが、日本は、あくまでも、委任によって、統治するという意識である。
つまり、その地域から、何かを奪うという、白人主義の考え方ではないのである。

であるから、日本は、パラオに対して、収奪することは、一切なかった。
それどころか、教育、文化、行政、法制度、都市インフラに至る、あらゆるものを与えたのである。

しかし、日本は、それ以上に、パラオに与えたものがある。
大和心である。

1941年、大東亜戦争が開始される。
パラオは、日本にとっての、グアム、サイパンの後方支援基地として、また、太平洋防衛の、重要な拠点となった。

それは、敵対する米軍にとっては、脅威でもある。

1943年、米軍は、アメリカ太平洋艦隊司令長官、連合軍中部太平洋方面の陸海空3軍の最高司令官デアル、チェスター・ミニッツ提督の指揮下、パラオ・ペリリュー島の攻略作戦を計画した。

当時、ペリリュー島の島民は、899名である。
島民たちは、スペイン植民地時代を知っている。つまり、白人の収奪の有様と、日本の統治の実態を見ている。

日本兵と仲良くなり、日本の歌を一緒に歌う島民だった。
彼らは、集会を開く。
そこで、全員一致で、大人も子供も、日本軍と共に戦うことを決定したのである。

パラオの古来からの習慣で、決め事は、村人が全員で話し合うのである。
決るまで、何日も続けられるという。

さて、その島民たちが向かった先は、当時、ペリリューの守備隊長、中川州男、なかがわくにお、陸軍中将、当時は大佐である。
島民たちは、いつも優しい中川であれば、皆で決定したことを、すんなりと受け入れてくれると、考えた。
その、皆の決定を報告する。
暫しの沈黙の後、中川の口から出た言葉に、島民たちは、驚く。

帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか・・・
島民たちは、土人という言葉に、凍りついた。
今までは、同士、仲間と言っていたはず・・・・土人とは・・・

島民は泣きながら、帰り道を歩いたという。
そして、その後、日本軍が用意した船で、島民全員が、パラオ本島に向かう日が来た。
島民たちは、悄然として、船に乗り込む。
日本兵の姿は一人も見えない。

舟が海岸を離れた始めた時である。
ジャングルから、おーーーーという声が上がった。
日本兵全員が、浜に走り出してきた。そして、一緒に歌った歌を歌う。

その時、島民たちは、知った。
我々を戦いに巻き込まないということだと・・・
島民の目には涙が溢れた。

中川隊長の姿も見える。

であるから、独立記念の歌を作った時の歌詞が出来た。

激しく弾雨が降り注ぎ
オレンジ浜を血で染めた
つわものたちはみな散って
ペ島はすべて墓となる

小さな異国のこの島を
死んでも守ると誓いつつ
山なす敵を迎え撃ち
弾射ち尽くし食糧もない

兵士は桜を叫びつつ
父母よ祖国よ妻や子よ
別れの桜に意味深し

日本の桜は春いちど
見事に咲いて明日は散る
ペ島の桜は散り散りに
玉砕すれども勲功はとこしえに

今もののふの姿なく
残りし洞窟の夢の跡
古いペ島の習慣で
我ら勇士の霊魂守る

平和と自由の尊さを
身をこなにしてこの島に
教えて散りし桜花
今では平和が甦る

どうぞ再びペリリューへ
時なしさくらの花びらは
椰子の木陰で待ちわびし
あつい涙がこみあげる

そして、パラオの国旗は、太平洋の青に、黄色の満月であり、その満月を中心にするのは、日本に失礼であると、少し中心をずらしたのである。

統治した国に対して、こんな国民がいただろうか。

日本軍の死者は、10695名。捕虜、202名。
だが、島民の死者は皆無である。

そして、敗戦後、アメリカ兵はその兵士の遺体だけを集めた。
日本兵の遺体を集めて、ねんごろに、埋葬したのは、島民たちである。

私は、ペリリューに慰霊に出掛けて、パラオの人たちに接し、日本人に対する思いを覚えてきたのである。


posted by 天山 at 05:54| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月16日

国を愛して何が悪い43

1620年、巡礼の始祖と言われる、ピルグリム・ファーザーズの一団が、イギリスの宗教弾圧を逃れて、メイフラワー号で、北米大陸の、プリマスに上陸した。

彼らは、予想外の厳しい環境の中で、飢えと寒さに苦しみつつ、先住民のインデアンの温かい支援に助けられて、植民地の一歩を踏み出した。

ここで、言うが、最初に、インディアンの温かい支援を受けたということである。
しかし、その後、彼らは、そのインディアンを虐殺して憚らないのである。

それから、100年のうちに、イギリスから、続々と移民が押し寄せた。
インディアンの土地を奪い、ヴァージニア州から、13番目のジョージア州までの、13州が成立するのである。

だが、イギリス、エリザベス女王の時代以来、北アメリカの植民地政策を強化する本国は、植民地を、本国への原料の供給地、商品の販売市場と考え、様々な干渉を行う。

最もなことは、重税である。

移民者は、自主独立の気風が強く、それに反発する。

1773年のボストン茶会事件から、列強の力を借りて、1776年7月4日、独立を宣言する。

独立宣言は、トマス・ジェファーソンの起草である。
人間の自由と平等、人権の尊重である。

だが、それは、白人にのみ、適用されるものである。

ここに、アメリカの独立の蒙昧と、偽善がある。
そこには、先住民の人権も、自由も平等も無い。

更に、黒人奴隷に対しても。

アメリカの独立は、フランスを刺激した。
絶対王政のフランスでは、ついに、自由、平等、人権を求める、フランス革命が起こる。

フランス革命はフランス植民地主義の上にのり、利益を独占して空前の絶対王政を形作ってきた特権身分の僧侶や貴族に対する市民、農民の反乱であった。つまりフランス革命も、フランス植民地主義の産物であったのである。
清水馨八郎

イギリスは、植民地政策により、産業革命を起こして、富を得たが、フランスは、植民地争奪戦で敗北し、大半の植民地を失い、国家財政が破綻して、革命が起こったのである。

西欧の国運は、すべて、植民地を前提としているのである。
白人は、有色人種を犠牲にして、富んだのである。
それを、失えば、破綻した。

だから、中南米の独立により、スペインとポルトガルは、急速に没落したのである。

だが、その独立も、先住民の独立ではない。
西欧から移住してきた者たち、及び、先住民との混血児の、本国に対する、独立である。

それでは、先住民は、どうなったのか・・・
白人の過酷な支配下で、奴隷として酷使され、虐殺され、あるいは、土地を追われたのである。

アメリカが行った、領土拡大と、インディアンの抹殺計画は、この世の地獄を生み出した。
アメリカの建国は、先住民の血を大量に流し、その思想の嘘八百を暴露したのである。

更に、その思想の原点である、キリスト教というもの。
キリスト教精神とは・・・
今更、アメリカの牧師たちの、説教を聞くほど、馬鹿ではない。

オーストラリアでもそうだが・・・
原住民を、これまでかと痛めつけて、今は、その原住民を保護支援すると、言う。
その、キリスト教精神の、偽善性には、呆れる。

さて、当時、北米大陸に侵略したのは、イギリス人、フランス人、スペイン人である。
その中で、一番最悪なのは、イギリス人である。
彼らと出会ったインディアンたちは、悲惨だった。

フランス人は、毛皮、スペイン人は、貴金属に関心があった。しかし、イギリス人は、土地だった。

フランス、スペイン人は、先住民を使うことで、それを得たが、イギリス人は、土地を奪うために、インディアンを虐殺しなければならないのである。

インディアンには、土地所有の観念は無い。
それを利用して、土地の権利、売却、譲渡、契約・・・それを無理矢理、イギリス人は、インディアンに署名させた。

そして、合法的という言葉で、騙し、脅し、インディアンの土地を奪った。

当初の、白人植民者の飢えと、苦難を救った友好的なインディアンが、その白人たちに虐殺されるのである。
これ以上の悲劇はない。

しかし、白人イギリス人の、暴挙は続く。
1830年、ジャクソン大統領は、野蛮人の一掃と称して、強制移住法を制定した。
すべての、インディアンを、ミシシッピー川の西に、立ち退かせた。

ところが、調査が進むにつれ、西にも、多くの資源があることが判明し、白人の幌馬車隊は、川を越えて、西へ西へと進んだのである。

インディアンは、白人の度重なる約束違反に対して、激昂する。
更に、最悪なのは、インディアンの命綱である、バッファローを面白半分に、撃ち殺すという、暴挙である。

西部を舞台に、凄惨なインディアン戦争が繰り広げられることになった。

映画の、西部劇である。
白人を正義として描いた、最悪の映画である。

インディアンの武力抵抗は、1876年にカスター中佐指揮下の第七騎兵隊の一個大隊を壊滅したリトル・ホーンの戦いで絶頂を迎える。しかし結局、圧倒的に優勢な合衆国軍の前に敗退を余儀なくされて、1890年のウンデット・ニーのスー族約300人の虐殺事件をもって幕を閉じた。残った彼らは自由の天地を奪われ、狭い保留地に閉じ込められた。
清水馨八郎

北米の先住民の人口は、200万人から、500万人であり、そのうち、80パーセント以上が、現在のアメリカに住んでいた。
17世紀以降、植民地化が進み、殺戮と、白人がもたらした伝染病で、その数が、激減する。

1899年頃には、35万人まで、減ったのである。

1924年に、ようやくインディアン市民権が制定され、はじめて、人間として認められた。

日本が、植民地政策で成したことを見れば、雲泥の差、天地の差である。

これ以上、言葉を尽して、白人主義の云々を言わない。
事実だけで、十分である。


posted by 天山 at 01:25| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月17日

国を愛して何が悪い44

現代文明社会では、人喰いとか人狩り、人身売買は野蛮人のすることと教えられてきた。ところが文明人といわれる白人が、この500年間に行ったアフリカ黒人の奴隷狩り、奴隷貿易、奴隷売買、人家畜の行為は、国を挙げて計画的、組織的に行われたことで、人類史からみて最も忌わしい世紀の犯罪と断言しうる。
清水馨太郎

奴隷船から、新大陸に連れてこられた、アフリカの奴隷は、どのような扱いを受けたのか。

陸揚げされた、奴隷たちは、奴隷商人に売り渡される。
奴隷市場にて、家畜のように、売り出される。

奴隷商人は、奴隷を鎖でつなぎ、町に売り込む。
目抜き通りで、その商品の良さを宣伝して、競売を行う。

その価格は、召使用、農園労働者用などの、用途により、異なる。

奴隷たちは、衆人環視の元で、競売台に乗せられ、馬、牛を調べるように、唇。まぶた、時には、裸にされて、品定めを行われる。
そして、有無を言わさずに、親子兄弟が、バラバラにされて、売られる。

当時の、アメリカ人は、奴隷の競売によって、財産作りをしたというから、驚く。

後の、南北戦争の際の、南軍の将軍たちは、奴隷商売で巨利を得た者が多い。

近代に入り、これほど、大掛かりに、更に、200年に渡り、人間の売買をしてきたという事実を、どう受け入れればいいのか。

アメリカは、その当時の謝罪なく、堂々として、人権問題を取り上げている。
200年に渡る、奴隷となった黒人の人権に対しては、何も発言しないのである。

更に、驚くべきは、彼らは、キリスト教徒である。
特に、清教徒と言われる。プロテスタントである。

その、イエスの思想は、どうなったのか・・・

神という言葉を、都合良く使うというのも、ユダヤ、キリスト教徒に多い。

1860年、アフリカ人の奴隷の総数は、19世紀初頭の四倍強の、400万人になっていた。
この増加は、南部の綿花生産量と軌を一にしている。
つまり、奴隷の大半は、綿花生産の労働者として、投入されていたのである。

奴隷たちは、鞭に怯えつつ、馬牛のように、働かされた。
しかし、中には、家畜ではなく、人間であるとの意識から、非道な仕打ちに、反抗もした。

その形は、一つに、サボタージュ、二に、逃亡、三に、反乱、暴動である。

逃亡先は、白人が入り込めない、湿地帯、森林であるが、奴隷制を認めない、北部の州や、カナダへ逃げる者もいた。

だが、失敗すれば、鞭打ちの刑である。そして、焼印である。

また、逃げ切った奴隷には、賞金がかけられて、捕まえた者が、生かすも、殺すも自由だった。

奴隷の反乱、暴動も多く、失敗して殺された奴隷も無数である。

1831年の奴隷、ナット・ターナーの反乱、1859年の、ジョン・ブラウンの武装蜂起など、歴史に残す事件は氷山の一角である。

それでは、リンカーンの1863年の奴隷解放は、どうだったのか。
400万人の奴隷が解放されたというが・・・

それは、名目上のことであり、実質的には、現在まで差別は、続いているのである。

リンカーンでさえ、奴隷解放と言うが、人種差別は、厳然として、持っていた。
何せ、公務員などの、公職には、就けないのである。

更に、悲劇なことは、強い奴隷と、強い奴隷を掛け合わせて、より強い奴隷を作るという、暴挙である。
つまり、動物のように、品種改良をしたのである。

こうした改良により、アメリカが、オリンピックでメダルを取る数が多いのである。
すべて、黒人の選手たちである。

弱い奴隷を廃棄したというから、驚く。

これで、よく解ることは、その思想、つまり宗教観である。
キリスト教の思想・・・

それは、白人にのみに当て嵌まるのである。
互いに愛せよ・・・
それは、白人のみに言える。
色付き人間は、人間ではない。
更に、神は動物を人間の手に渡した。

どうだろうか・・・
これが、世界的宗教であろうか。

私は、ほとほと、呆れている。
そして、西欧の思想である。
それについては、追々書いてゆくが・・・

日本が、日露戦争に勝つまで、黒人、黄色人種は、差別の対象であり、更に、人間とは、見なさなかったのである。

日露戦争で、日本が勝った時、色付き人間とされた、多くの民族と国が、どれほど、喜んだか。
これについても、後々に書く。

兎に角、この白人主義を徹底して見つめ直してから、先に進まなければならないのである。

今も、厳然として、白人主義が残り、世界に禍をもたらすからである。
無意識に、そうなっている。

ちなみに、イエスは、アジア人であるが、いつからか、白人に変わっている。
十字架に磔になったイエスは、白人なのである。
勿論、大嘘である。

posted by 天山 at 06:06| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月14日

国を愛して何が悪い45

アメリカは、1776年の、建国当初より、ヨーロッパの動乱に巻き込まれないように、孤立主義の外交政策をとっていた。

その姿勢は、1823年、第五代モンロー大統領による「モンロー宣言」として、明確にされた。

つまり、ヨーロッパ各国のアメリカへの介入を排除し、ヨーロッパ本土での紛争、植民地争奪戦に、巻き込まれないというものである。

その代わり、西部開拓、中南米への進出に力を注ぐ。

これからが、アメリカの見逃せない、侵略の方法がある。

西部開拓が終わると、アメリカ独立に刺激されて、独立したばかりの、近隣の中南米諸国に、度重なる、介入、侵略をはじめた。

1845年、メキシコから独立した、テキサスを併合した。
その後、メキシコと戦争を起こし、その勝利によって、ニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニア州など、南部、西部の広大な領土を併合したのである。

この戦争の開戦の契機が、「アラモ砦の戦い」だった。
そして、この戦いは、アメリカが、アラモ砦をおとりにして、相手を挑発し、メキシコ軍に先制攻撃させ、自国軍に相当な被害を出させた上で、「リメンバー・アラモ砦」を合言葉に、戦争を正当化し、国民を鼓舞して、反撃に出るというものである。

この方法が、後の、アメリカの侵略の常套手段になる。

日本の開戦もそうである。
注・天皇陛下について、を、参照ください。

1898年、アメリカは、ハバナで表敬訪問中の米戦艦「メーン」を自ら爆沈させ、2060名の乗組員を犠牲にして、これが敵がやったこととし、「メーン号を忘れるな」を合言葉に、国民を戦争に駆り立てた。
そして、スペインに、宣戦布告する。

この、米西戦争は、キューバの独立戦争を支援する名目で始めながら、実質的に、キューバを保護領とし、スペイン領のプエルトリコも、領有したのである。

日本開戦も、「真珠湾を忘れるな」である。
相手に先に手を出させてから・・・

作戦といえば、作戦だが・・・
自国の兵士が、死ぬことを承知で、作戦を立てるとは・・・
人命軽視も、甚だしい。

アメリカの中には、とても、賢い馬鹿がいるのである。
戦争をしたい者どもである。

そして、稚拙な正当性を打ち立てる。

再度、言うが、アメリカの精神とは、何か・・・
キリスト教、プロテスタントの精神であろう。
そこには、手段を選ばずという、選択肢がある。

つまり、キリスト教精神も、いつでも自由に、変更可能なものであると、いう。
そして、神に祈りつつ、戦争をはじめ、続行させ、侵略する。

都合の良い神であり、主である。

あの、湾岸戦争でも、その手を使ったといわれる。
イラクのフセインを騙して、クウェート進攻に誘い、フセインを侵略者に仕立てて、世界に宣伝し、アラビアに集中していたアメリカの大軍を一挙に、出動させた。

用意周到である。

更に、日本をはじめ、世界中から、戦争協力の名目で金を集めた。
それで、新兵器の見本市を果たし、大量の武器弾薬を砂漠に打ち込み、「死の商人」の在庫を空にし、戦争ビジネスを成功させたのである。

しかし、世界は、アメリカの聖戦だと、思い込まされている。

このようにアメリカの戦争は、すべて敵が仕掛けたかのように宣伝し、止む無く立ち上がった聖戦に仕立てて、輝かしい歴史を残そうとする。アメリカはヤラセの名人なのである。
清水馨一郎

1898年の米西戦争・・・
それは、スペインを押さえて、アジアでの覇権を握る一大契機となる。

米西戦争が始まった時に、フィリピン人の独立革命家たちは、独立を助けてくれると米軍に大いに協力した。
地元革命軍を利用して、アメリカは、スペインに勝った。
しかし、一転、革命家を騙して、フィリピンを米国領土に組み入れる。

騙されたと知った革命家たちは、日本に援助を求め、激しいゲリラ戦を行う。だが、目的は果たせなかった。

アメリカは、威勢づいて、ハワイ、グアム、サモア諸島を収奪する。

ハワイは、先住民のカメハメハ王朝下にあり、明治以来、日本人の移民が多い。アメリカは、日本に奪われるのではないかと、危惧し、リリウカラニ女王を騙して、王朝を滅ぼす。

その時、女王は、明治天皇に救助を求めたが、日本は、アメリカと戦う力なく、見殺しにするより、方法がなかったのである。

さて、カリブ海でも、アメリカは、キューバに度重なる軍事介入を行い、パナマ、ドミニカ、ニカラグア、ハイチなどに介入した。
そして、カリブ海は、アメリカの所有となる。

1903年のパナマ保護領化は、重大である。
1914年に、アメリカは、パナマに運河を開通させた。
これにより、大西洋と太平洋を結びつける重要な、流通通路を獲得し、南米大陸の航海権、通商権を掌握した。

そして、アメリカは、いよいよ、日本を目指すのである。

現在、中国が目指す、覇権は、すでにアメリカによって、成されているのである。
だから、中国の様を、新植民地主義と呼ぶ人もいる。


posted by 天山 at 00:07| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月15日

国を愛して何が悪い46

日本が鎖国を墨守している間に世界情勢は大きく転換し、ヨーロッパは封建社会から資本主義社会へとめざましく進展した。18世紀末にはイギリス産業革命、続いてフランス革命とアメリカの独立が起こり、やがて米仏両国でも産業革命が開始された。この変化に平行して、欧米列強は植民地や商品の市場を求めて、争そってアジア進出を始めた。
清水馨八郎

更に、近代化の遅れたロシアも、帝政下シベリア進出を続けて、19世紀のはじめに、日本の北、蝦夷地に出没するようになる。

幕府は、松前奉行を置き、北辺の探検、警備を行って対処した。

1792年、ロシアの使節ラックスマンが、根室に来航した。
続いて、レザノフが、長崎に来て、幕府に通商を求めたが、日本側は、これを無視した。

イギリスは、関が原の戦いの1600年、東インド会社を設立し、アジア進出を開始している。
イギリスは、ナポレオン戦争を機に、フランスに支配されたオランダの海外植民地を攻撃し、バタビアを占領する。

そして、世界でただ一国、日本との貿易をする、オランダの長崎の占領を図った。
1808年、イギリス軍は、軍艦フェートン号にオランダの国旗を掲げて、長崎に入港し、オランダ商館員を脅し、更に人質にして、乱暴を働いた。
このため、時の、長崎奉行が引責自殺するほどであった。

だか、それにより、日本側では、イギリス人の強暴さを認識し、広く世界情勢を学ぶことになる。

さて、最もイギリスの悪は、インド産のアヘンを中国に売り込み、巨利を貪っていたことである。
そして、中国にそれを拒否されると、アヘン戦争を仕掛けたのである。
ついに、香港を収奪する。

現在、このアヘンも日本がもたらした物だと、中国が教育しているというから、驚く。
悪いものは、すべて日本なのである。

更に、今でも、イギリスに対して、頭が上がらないという中国。
不思議でしょうがないのである。
中国に物をいいたければ、イギリスに言わせるといいと、私は、思っている。

イギリスは、国家が公然と、麻薬貿易を許し、力ずくで売り込み、中国人を堕落させようとした。

これほど不正で恥さらしな戦争は、かつて歴史上になかった。これが仮面を脱いだ大英帝国の正体である。
清水馨八郎。

だが、そのことが、日本に大きな影響を与えたのである。
次に、日本がやられると、感じたのは、長州藩の高杉晋作である。

彼は、上海に渡り、アヘン戦争の惨状を視察し、国防の必要性を強く感じ、帰国して、それを説いて回ったのである。

それから、10年目、アメリカのペリーが軍艦四隻を率いて、浦賀に現れたのである。

1853年6月3日のことである。
幕府のみならず、江戸市中を大混乱に陥れた。

人々は、それを黒船と呼び、避難のために右往左往した。
武士たちも、武具を整える様である。

日本が、世界に目覚める時である。

ペリーは、一端帰国するが、約束通り、翌年にまた浦賀に軍艦七隻を率いて、入港した。
更に、江戸湾を測量して、武威を示す。

幕府は、その威嚇に屈伏し、その年の3月3日に、日米通商条約を締結させられるのである。

それらの条約は、相手国の治外法権を認め、日本の関税自主権を認めないという不平等なものだった。

それを見て、オランダ、イギリス、フランス、ロシアからも、同様の条約を締結させられたのである。

それから、15年間、日本は、大揺れに揺れる。
幕末の大動乱である。

民族の内部が各派に分れて闘争し、騒然たる無秩序の時こそ、西欧列強の侵略のチャンスである。フランスは幕府を支持し、イギリスは反幕派を応援したりして動乱を扇動することにつとめた。
清水馨八郎

1858年、井伊直弼が大老に就任する。
尊皇攘夷者への弾圧が始まり、吉田松陰、橋元佐内、頼三樹三郎ら、多数の志士が、安政の大獄で、処刑された。

尊皇攘夷とは、天皇に政を奉還する。反幕府である。

そして、1862年、薩摩藩主の父、島津久光一行が、江戸からの帰途、相模の生麦で、行列を横切ったイギリス人数人を、藩士が斬り付け負傷させるという事件が起こる。
翌年、イギリスは艦隊を率いて、その報復に鹿児島を砲撃した。

更に、その翌年に、英米仏蘭の四カ国が、16隻の連合艦隊で、長州の下関を砲撃し、三日間で、全砲台が破壊され、占領された。

薩摩と長州は、この戦いで、列強の威力を思い知らされたのである。
目の覚める思いである。

もう、国内で争そっている場合ではない・・・
このため、坂本竜馬が、斡旋して、薩長同盟が成る。
それにより、幕府の大政奉還が成り、王政復古を早め、江戸城の無血開城となった。

明治維新である。

幕末は、西欧列強に飲み込まれようとしていた時期である。
それを救ったのは、各藩の下級武士たちが、幕府、藩の利益を越えて、日本国のために、一致団結したことである。

それを何と表現するか・・・
武士道と大和魂・・・

小を捨てて、大に着く。
現在も、その時期であろうと、思う。
しかし、武士道は、廃れ、大和魂は・・・

国を愛して何が悪い
のである。

posted by 天山 at 02:28| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月16日

国を愛して何が悪い47

ロシアは、13世紀から15世紀にかけて、250年間、モンゴル帝国の支配下にあった。

更に、その後は、トルコのオスマン帝国の支配を受けた。

そして、ようやく、東洋からの侵略を撃退することができたが、次は、西洋からの、侵略である。

ポーランド、スウェーデンからが、モスクワを占領している。
だが、それを救ったのは、冬である。

ここで、清水馨八郎は、地理は歴史の母である、という、明言を言う。
まさに、その通りであろう。地理は、歴史を作るのである。

今では、地政学と言われて、無視することが出来ないことである。

1480年、イワン三世は、ハン国から独立する。
そして、ビザンチンの後継者、東方教会、つまり、ギリシャ正教の擁護を持って任じ、専制君主制を作り上げた。

ロシアの前進である。

その孫、イワン四世は、古い貴族勢力を抑え、中小貴族、商人たちの支持を得て、コサックの活躍で、領土もシベリアを加えて、絶対主義の基礎を固めた。
1547年から、皇帝の称号を正式に用いて、君臨する。

その後、1613年、ミハエル・ロマノフが即位すると、ポーランド、スウェーデンなどの干渉を排して、国内を平定させ、ロマノフ朝を開いた。

以後、ロシアは、1917年のロシア革命まで、皇帝、ツァーリを核心とする、絶対主義の国家として、発展した。

共産革命後も、絶対主義が自然移行したのは、ロシアには、絶対主義を受け入れる素地があるからである。

ロシアの近代化は、ピュートル一世の、1682年から始まった。
国民に、兵役の義務を課し、黒海艦隊と、バルチック艦隊を創設し、コサック騎兵隊を用いて、周辺諸地域を侵略する。

それから、ロシアの侵略国家としての、アイディンティティが、出来上がるのである。

南下政策が、ピュートル以来の、ロシアの伝統的国家目標となるのだ。

1700年からの北方戦争で、スウェーデンを破り、ポーランドにも、優越する地位を獲得し、バルト海の覇権を握る。
南方では、トルコと戦い、ドン川河口を収奪する。

東方のシベリア進出は、1706年、カムチャッカ半島を占領し、ロシアの版図は、太平洋まで広がる。
中国とは、1698年、ネルチンスク条約を結び、外興安嶺を国境と定めた。

更に、アヘン戦争で敗北した清の弱みに付け込み、黒竜江以北の地を、分割させた。

その二年後には、清と北京条約を結び、ウスリー川以東の沿岸州を譲り受ける。

更に、ウラジオストックに港を建設し、日本や朝鮮の脅威となるのである。

日本側から見ると、幕末に、三方からの、侵略勢力と対峙することになるのである。

西欧列強は、直接的に日本に手をかけることはなかったが、中国、満州へと勢力を伸ばした。
日本を取り巻く、状態が緊張の度を高める。
そこで起こったのが、日清、日露戦争である。

その勝利は、極東の国である、日本が、世界に注目された、世界史上の大事件であった。

更に、国際的には、非白人民族を感激、興起させたのである。
この戦争が、世界史の流れを変えることになる。

さて、清は、アヘン戦争に負けて、西側からの列強の分割に屈した。
そして、朝鮮は、寝惚けていた。
清は、朝鮮の内乱に付け込み、軍を進めて支配を強化する。何故か。朝鮮は、清の属国であるからという、意識だ。

日本にとり、朝鮮は、国家防衛の生命線ともいえる、位置にある。
だから、朝鮮を独立させるために、日清戦争を起こしたのである。
戦争は、予想以上の連戦連勝であった。

1895年、下関講和条約が結ばれる。
その内容は、朝鮮の独立を認める、遼東半島、台湾、ショウコ島を日本に譲る、賠償金、三億円を支払う、である。

しかし、その六日後に、満州進出に野望を持つ、ロシアが、ドイツ、フランスと組んで、遼東半島を清に返還するように迫る。
三国干渉である。

当時の日本は、三国と戦う力なく、止む無く、返還することにしたのである。

そして、ロシアは、即座に、遼東半島を清から譲り受けて、旅順に大要塞を築いた。
ロシアの厚かましさは、それ以前からあったが、それは、目に見えて、酷いものだった。

そして、列強の中国進出は、一段と激しくなった。
山東省をドイツに、威海衛をイギリスに、広州湾は、フランスに租借されて、中国は、ズタズタに分割されたのである。

だが、1900年、中国民権運動を刺激したゆえに、扶清滅洋を掲げる、義和団の運動が起こる。
列強は、居留民を守るため、軍隊を派遣し、北清変事となる。
ところが、鎮圧されても、ロシア軍は満州に居座る。そして、朝鮮に勢力を伸ばすのである。

日本は、ロシアに対抗するために、日英同盟を結び、朝鮮半島を救うために、ロシアに宣戦布告した。

1904年である。

この日露戦争こそ、世界史を変える原動力になる。
更に、唯一、有色人種である国が、国際連盟に加入するという。

日本の存在がなければ、朝鮮は今頃、どうなっていたのか。
ロシアの一部、あるいは、中国か・・・


posted by 天山 at 06:10| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月17日

国を愛して何が悪い48

ロシアの満州と朝鮮への、あからさまな侵略行為に対して、日本は自衛のために、1902年、日英同盟を締結し、ロシアの極東侵略を阻止するために、日露間の戦争は、避けられない情勢となる。

ここで、一言言えば、満州、朝鮮共に、そのことに触れないのである。
あれで、侵略されたら・・・

中国も、韓国、北朝鮮も、無いのである。
それなのに、ただ、反日だけがある。
つまり、歴史を学んでいないのである。

日本は、そのために、自国のみならず、満州、朝鮮を護るために、自衛の戦争をしたのである。

陸軍は、満州に出兵し、ロシア極東の大要塞である、旅順の難攻不落を誇った二百三高地を、乃木大将は、59000人の死傷者を出しつつ、陥落させた。
続いて、奉天大会戦に勝利する。

その際に、乃木大将は、北海道、旭川で新しく生まれた、第七師団の精鋭の増援を頼み、最後の突撃を試みた。

乃木大将は、この戦いで、最愛の息子二人を戦死させている。

深く哀悼の意を・・・

ロシアは、陸の劣勢を挽回すべく、西欧で最強といわれる、バルチック艦隊を極東に回航させた。
ここに、世界中が、固唾を呑んで見守った、日露戦争の壮絶さがある。

日本海海戦である。

日本の連合艦隊司令官は、東郷平八郎。

東郷は、対馬にすべてをかけると、決意した。
そして、ロシア艦隊は、対馬に現れた。

戦いは、見事なT字戦法により、半日で、完全に近い勝利を収めた。
ウラジオストックに逃れたのは、二隻である。
残りは、沈没、捕獲された。

日本軍は、無傷である。

勝因は、戦術の巧みさ、猛訓練、日本が発明した、下瀬火薬の威力などが、挙げられる。

日本の勝利は、世界の人々を、驚嘆させた。
世界戦史上に、名声を留める戦いだった。

そして、何より、この報を聞いて喜んだ国々がある。
ロシアに圧迫され、蹂躙されていた、フィンランド、ポーランド、トルコなどの国である。

そして、何より、色付き人間といわれた、黄色人種、黒人たちである。

当時、列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させたのである。

独立への夢を、日本が与えたのである。
日本は、希望の国になった。

そして、その時から、人類解放の第一歩が踏み出されたのである。

だが、敗戦後の日本の教科書には・・・
占領政策により、日本去勢化を狙った、占領教科書のままに続いている。

この意義ある、戦争を侵略戦争だという馬鹿もいる。

日露戦争における勝利で、日本は、ひとまずロシアの中国、満州の侵略を食い止めることができた。さらにその勝利は、大国の抑圧に苦しむ多くの国家、民族を狂喜させ勇気づけた。
清水馨八郎

もちろん、朝鮮もである。
朝鮮民族は、相変わらず、寝ぼけていた。

だが、ここから、更なる困難がおきてくる。

日本の勝利を快く思わない国である。
朋友だった、イギリス、アメリカ。
ロシアは、復讐の念である。

アメリカは、日露戦争終結までは、好意を持って、日露講和会議を仲介した。
それは、つまり、アメリカも満州を狙っていたからである。

日本が、それを阻止してくれたのである。

だが、日本の強大化は、アメリカにとって、アジア、太平洋の覇権、中国市場独占に邪魔になるものである。
つまり、一変して、日本を仮想敵国とした。

その時の、大統領である、セオドア・ルーズベルトは、日本打倒の、オレンジ計画をすでに国策としたのである。

これは、日米戦争の、あらゆる場面を想定した、侵略戦争計画である。

以後の、日米交渉は、それに則り、開戦の挑発から、終戦、占領政策などに至り、すべて、この日本侵略計画で、貫かれた。

大正三年、1913年の、パナマ運河開通から、アメリカは、太平洋はわが国の領海として、縦横無尽の活動を始める。
このアメリカの、アジア、太平洋の野望を妨げる勢力として、日本の存在を敵視し始めたのである。

昭和七年、1932年、フランクリン・ルーズベルトが大統領に就任する。
引き続いて、オレンジ計画を実践すべく、日本を極端に嫌い、在位四期の長期政権の間、一環して、日本打倒の謀略に情熱をかけたのである。

つまり、第二次世界大戦、大東亜戦争は、仕組まれたものなのだ。

如何に、日本側が、天皇陛下はじめ、多くの人たちが、戦争を回避するために、尽力しても、戦争は、免れなかったのである。

だから、言う。
日本は、戦争に引きずり込まれたのである。

それについては、後々で、書く。
あるいは、別エッセイ、天皇陛下についてを、参照ください。

posted by 天山 at 06:53| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月18日

国を愛して何が悪い49

さて、ロシアについて、続ける。

近世500年の世界史では、イギリスとロシアの世界侵略による、領土拡大の規模は、甚だしいものがある。

イギリスは、七つの海に君臨する、大英帝国を、ロシアは、陸の道を通り、大ロシア帝国を築いた。

ロシアの面積は、世界の六分の一、日本の60倍である。
ユーラシア大陸の大半を占めたのである。

その、ロシア大帝国も、日露戦争で敗北し、ロマノフ王朝は衰退する。
続く、レーニン革命で、王朝は、壊滅する。

ロシアに代わったのが、ソ連である。
ソ連は、これまでの欧米列強とは違う新手で、世界侵略に再び乗り出すのである。

ロシアは、100の民族、80の言語、宗教も多様である。
これを一つに束ねていたのが、ロマノフ王朝のツァーリズムである。
その王朝が倒れた後、そのツァーリズムに代わるものが、マルクス主義である。

ソビエト社会主義連邦共和国である。

1919年、共産主義インターナショナル、つまり、コミンテルンは、世界に向けて発進された、革命手法である。

コミンテルンが指示したテーゼは絶対で、それに異を挟んだり、反対することは許されなかった。反すればたちまち反党分子、反革命分子として追放された。
清水馨八郎

革命自体を、交易の対象とした・・・
つまり、イデオロギーの輸出である。
今までには、無い手法である。

20世紀は、人類史上最大の戦争と、革命の世紀だった。
清水氏は、最大の国家犯罪を三つあげると、第一が、ソ連の強制収容所、第二が、ドイツのユダヤ人虐殺、第三が、アメリカの原爆投下であると、言う。

それは、いずれも、西欧系の白人主義の、残虐性の極みである。

殺人が、公認され、奨励されるのは、戦争のみであったが、それに革命が加わったのである。

ロシア共産主義者の辞書には、罪、犯罪という言葉が無い。
共産主義者は、何をやっても、許される。常に正しい。共産主義のためなら、罪にならないのである。

この蒙昧が、吹き荒れた。

十月革命では、銃殺などで、100万人が処刑された。
その対象は、ロシア皇帝からはじまり、王族たち、貴族政治家、軍人、官僚、僧侶、地主、資本家・・・

だが、それだけでは、終わらない。
大粛清がはじまるのである。

つまり、カンボジアのポルポトが真似たもの。
共産主義者が共産主義者を、標的にし、捏造して、処刑、殺害するという、地獄である。

それを、作家のソルジェニーツィンが描いた。
逮捕は突然やってくる。密告、策謀、でっちあげ・・・しかしどんな場合でも、一度逮捕されたら、正義を期待してはいけない。法律は護ってくれないのだ。厳しい審問、自白強要、判決、流刑・・・黒いカラス「護送車」に乗せられ、中継監獄を経て、ウラルへ、シベリアへ、中央アジアへと送られてゆく。もはや家族とも想い出とも、一切から訣別しなければならない。
収容所には自由は無い。空っぽの監獄はあったためしは一度もない。いつも満員か超満員、粗末な食事、強制労働、炎暑の夜は、南京虫と蚊が肉体を責め、酷寒の冬は手足の感覚もなくなる。そして闇の大地に、記憶の糸を紡ぎつつ冷たい屍となって還ってゆくのだ・・・

ソ連は、これを世界中に輸出したのである。
中国、北朝鮮、ベトナム、カンボジア、東欧、アフリカ大陸、中南米と。

ソ連で起こったことが、それらの国々でも、起こった。
そして、その犠牲者は、1億7千万人である。

16世紀から、18世紀にかけて、白人キリスト教徒たちが、南米アメリカで原住民を神の名において、一億人抹殺した。更に、アフリカから、数千万人の奴隷を連れ出し、その半分以上を不良品として、大西洋に捨てた残虐さも、マルクス主義による、虐殺には、及ばないのである。

宗教に代わる、宗教的イデオロギーである。

さて、日本でも、敗戦後は、このマルクス主義に洗脳された、多くのシンパが色々な分野に入り込んだ。
そして、社会主義を扇動した。

大学教授、学生、日教組、教育界とマスコミ界に、吹き荒れた。

東大教授のような、日本のエリートの中にも、反国家、反体制社会革命の思想家たちがいた。

だが、ソ連崩壊後の今でも、存在する。

共産主義という、幻想の世界の中に身をおいて、死ぬまで、その幻想から逃れられなかった人々。

つまり、夢見る人々である。
共産主義が、失敗に終わっても、更に、本当の共産主義が存在すると、信じる。もはや、それは、信仰である。

人間は、一度信じるという心的状態を体験すると、そこから、抜け出せなくなる。
そして、抜け出しても、更に、別な対象を信仰したいという、欲求が起こる。

我以外の、何物かに、託すと、我を忘れて、それを我にすり替えてしまうのである。そして、我の意識は、混濁し、あたかも、それが、我だと信じ込むのである。

我疎外、自己疎外の最たるものである。
だが、人間は、イデオロギーの信仰から、免れないようである。
従って、生きているつもりで生きるのが、人間の性といえる。


posted by 天山 at 06:11| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月19日

国を愛して何が悪い50

悪魔の思想である、マルクス主義は、どこから、生まれたのか・・・
それは、キリスト教からである。

悪魔の生みの親、それが、神のキリスト教からである。
キリスト教の教義なくして、マルクス主義は、有り得ないのである。

カトリックそして、プロテスタントの神学というものが、裏に持ちえていた思想が、マルクス主義と成り立ったのである。
しかし、キリスト教は、共産主義を徹底して、拒絶する。

それは、己の姿を見るものだからである。

白人キリスト教徒が虐殺した数より、上回る数の虐殺を、共産主義が行った。

蛮行極まりない。
そして、白人の野蛮である。

ここで、少し、その共産主義の歴史を俯瞰しなければならない。

マルクス主義が登場して、世界は、新しい破壊の道を知ることになる。

権力の座に就くとすぐに、レーニンは革命の炎をヨーロッパに、次いで全世界に広げようとした。この夢想はまず、1848年のマルクスの「共産党宣言」の名高いスローガン、「万国のプロレタリアよ、団結せよ! 」に応えたものであった。
共産主義黒書

そして、この夢想は、差し迫った必要にこたえたものでもあった。
レーニンが考えていたのは、よく組織されたプロレタリアートと、目覚しい工業力を持った、ドイツのことであった。

そして、この一時的な必要性は、いずれ世界革命という、本物の政治計画になったのである。

世界大戦とは別に、それも、もう一つの世界大戦であるという。

であるから、第一次世界大戦を紹介する。
その大戦は、ヨーロッパ白人たちの、世界植民地収奪の後の、分け前をめぐる、内輪もめの結果であるといえる。

大泥棒の、英仏露と、取り分の少ない、ドイツ、オーストリア、イタリアの争いである。

取り分の少ない国は、産業革命にも遅れた。
ただ、ドイツは、新しく生まれた電機工業、化学工業の分野で、世界をリードする勢いを示し、イギリスに対抗する形勢になってきていた。

それを見て、イギリスは、圧倒的経済優位に安住していられなくなった。

ヨーロッパ諸国の、産業革命の進展は、残されたアフリカに向かっていたのである。

イギリスは、アフリカの拠点である、カイロと、南の拠点、ケープタウンを結ぶ縦断地域を連続して手に入れ、更に、インドのカルカッタを結ぶ、三拠点を強固にしていた。

三角形で植民地を推し進める、三C政策である。

更に、イギリスは、スエズ運河を確保し、本国から地中海を経由して、インド洋に出る、流通経路を生命線とした。

インド支配を永久的なものにすべくの、考えである。
インド独立が、中々実現しなかったのは、それである。

対して、ドイツは、衰退する、オスマン・トルコを援助する名目で、トルコより、バグダッド鉄道建設の許可を得る。
この鉄道は、ドイツ王国のベルリンから、現在のイスタンブールである、ビザンチンを経て、バグダッドに至るものである。

ドイツは、その三拠点を強化する、3B政策を立てた。

それは、イギリスを真っ向から、脅かすものである。

また、日露戦争で敗れた、バルカン半島への進出を進めていたロシアとも、対立する。

そこで、イギリスは、ロシアと英露協商を締結して、ドイツに対抗することにしたのである。

日英同盟で、日露戦争を後押ししたイギリスが、ロシアと協商を締結するという辺りは、国益ということを考えれば、不思議ではない。

今の、日本には、その不思議が、行えないのである。

大戦の発端は、サラエボで、オーストリアの皇太子夫妻が、セルビア人の青年に暗殺されたことからはじまる。

オーストリアの背後には、ドイツが、セルビアの背後には、ロシアがあった。

この事件は、イギリス、ロシア、ドイツとの戦争状態に発展する。

私の別エッセイ、性について、では、その頃のドイツの同性愛に関して書いている。色々な要因があったということである。

ドイツ王族、貴族の同性愛・・・そういう問題もあった・・・

さて、そこに、フランスなどの、ヨーロッパ諸国も参戦したのである。
全面戦争である。
ここでも、白人が如何に、戦争を好むかということが、分かるのである。

第二次世界大戦も、白人の起こした戦争である。

1914年7月にはじまり、その後、延々と、四年半も続いた。

死者、900万人。失明、手足の損傷、戦争神経障害者2000万人にも、達したという。

更に、ここでも、白人の悪度さが、わかるというものだ。
植民地宗主国は、その植民地の原住民を傭兵として、狩り出したのである。
第一線で戦わせた。その数、300万人といわれる。
大半が、白人のダミーとして、犠牲になった。

この惨憺たる現状を観察して、ドイツの歴史学者、オスワルト・シュペングラーは、西洋の没落、を書き残している。

それから、始まる、共産主義の大虐殺、大戦が始まるのである。
内紛、内戦・・・粛清・・・処刑・・・拷問・・・
人間が、考えられる限りの悪行を行うのである。

posted by 天山 at 06:29| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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