2012年09月24日

国を愛して何が悪い31

ゴッホにとっての、真の宗教とは、日本人の、自分から花のように自然の中に生きている生活であった。

彼は、牧師である。
キリスト教の布教をしていた。
それが、日本人の生き方に対して、真の宗教とは・・・

こちらが、あちらを理解できないように、あちのも、こちらを、理解出来ないと、考えていた私は、とても、驚いたのである。

ゴッホは、理解した。

ゴッホは、宗教が最高のものであり、その生き方が、最上のものであると、考えていたのであるから、それが、日本人が有するものと考えた訳であり、行き着いたところである。

西洋の宗教の概念を超えたとも、理解する。

では、その日本人の生活とは・・・

自然をそのままにしておけば、自然は、滅茶苦茶になる。
ジャングルがそうだ。
何一つ秩序立つものがない。

日本の自然観とは、それではない。

人間の行為を、文化的なものと、定義しておく。

日本人の自然に対する、行為は、日本人の文化意識が入るのである。

人間が、道具を使い、自然に何か手心を加えることが、文化の本来の生活である。

日本人は、最初に日本を、葦原の中津国、あしはらのなかつくに、と、呼んだ。古事記である。それが、いつしか、豊葦原の瑞穂国、とよあしはらのみずほのくに、と、なってゆく。というより、そのように、国造りを始めたのである。

それは、稲作が始まり、その姿が、豊になり、そのまま、瑞穂と、讃えたのである。

実際、葦は、とても強い植物であり、そこに、稲を植えるのは、大変なことである。
だが、それでも、両者を対立させず、それぞれに、生かしてきた過程がある。

最初は、葦を利用して、様々な生活用品を作った。
だが、稲作がはじまると、葦の除去が必要になる。
それでも、それを対立させるという、考え持たないのである。

野生のものを利用する段階から、次に土地を耕し、稲を実らせるという、文化生活が、はじまる。

そこに、日本人特有の、融和の思想が見えるのである。

それが、自然のいのち、と、人間のいのち、の、連続性である。
そして、結びつきである。
自然を対立したものとは、考えなかったのである。

だから、征服するという、考え方もない。

であるから、外国人が、神道を言う時、宗教としてより、日本人の生活にある、根底的な、ものの感じ方、考え方、内なる心を、外に向かって現す時の、表現として、使うようである。

神社神道のことではない。

日本人の中に、脈々と生き続ける、ものの見方、感じ方を、神道と呼ぶ。
それは、実に、正しいことである。
なんとなれば、神道は、宗教概念に当てはまらないのである。

日本的なものを、神道と総称する外国人の方が、正しく、神道を捉えている。

三世紀頃に、イギリスのスコットランド高地方に、オシアンという名の、伝説的詩人がいた。
18世紀に、その詩が、翻訳され、出版された。

その内容は、自然を観照することによって、救いにあずかるということを、歌うものであった。
そこで、自然との対話による救いを、オシアン的救済と、呼び慣わしているという。

だが、日本の場合は、それとも違うのである。

オシアンの方は、あくまでも、自然からの一方的な慈愛により、人間に与えられると、考える。
しかし、日本人の場合は、自然と人間と、二つの存在が、形を異にしつつ、連携し、そのいのちの、中で一つになるのである。

互いに歩み寄る行為である。

その際に、人間が、手心を加えて、つまり、文化的行為を持って、自然に対処するのである。
その行為を、宗教と呼んでもいい。
だから、日本の宗教学は、西洋の宗教学と、自ずから、区分けして、考えなければならない。

西洋の、宗教学にて、日本の宗教的行為を、解釈したところで、限界があるということである。
そして、無理である。

西洋は、人為的宗教であり、日本は、自然的宗教であるから、全く別物になる。

更に、あちらは、人格神というものを、置く。
神に人格である。この矛盾。

更に、膨大な言葉遊びの数々である。
神学という。
だが、それは、ギリシャ哲学があっての、物種である。

自然と同化する、日本人には、言葉遊びが必要なかった。
自然が先生であり、更に、その自然のいのちと、同化するのである。
そして、更に、手心を加えて、文化を築いたのである。
それが、伝えられて、伝統として、成り立ってゆく。



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2012年09月25日

国を愛して何が悪い32

さて、いよいよ世界史を見る。
11世紀から、13世紀にかけて、聖地奪還と掲げた、十字軍の遠征である。

白人主義と、キリスト教の侵略性、野蛮性、狂気が一度に、爆発した出来事である。

第一回は、成功したが、その後の、八回は、すべて失敗している。
敵は、イスラム圏である。

西洋史では、学ぶ事が無いが、当時のイスラム圏は、西欧より遥かに文化が高く、キリスト教徒には、歯が立たなかった。
イスラムの人々は、かれらキリスト教徒を、西欧の野蛮人として恐れ、軽蔑した。

そこから、現代のあり様を見ると、イスラム系のテロの意味が少し理解できるのである。

十字軍は、最初は、宗教的情熱に満ちていたのは、確かである。
しかし、その後は、単なる無頼の強盗団と化した。

沿道を、手当たり次第に、略奪する。

この手法は、15世紀のコロンブス以後の世界に向かう、大侵略として行われる。つまり、大航海時代である。
非白人の不幸な歴史のはじまりである。

キリスト教は、世界史に暗い蛮行を行っただけではない。
その西洋においても、中世の暗黒時代を生んだ。

派閥争い、異端審判、魔女狩り、火炙り、拷問、ホロコースト・・・
狂気の歴史を繰り返したのである。

それは、現在も続く、民族紛争と、宗教戦争である。

西洋の、戦争を上げてみると、百年戦争という、英仏の戦争、30年戦争はドイツにて、7年戦争、ばら戦争、ユグノー戦争と、国内でも多数。

現在も、アイルランドにて、カトリック、プロテスタントが、終わることのない、戦いを繰り返している。

世界の大陸の中で、西洋ほど、戦争の坩堝になった場所はない。

勿論、そのルーツは、旧約聖書による、ユダヤ、キリスト教にある。
歴史には、弁解無用である。
事実である。

15世紀からの、世界に向けて行われた蛮行は、恐ろしいことに、神の名による、聖戦と正当化されたから、たまらない。

アメリカインデアンの虐殺、黒人奴隷の酷使・・・
すべて、神が定めたという。

旧約聖書を、崇めれば、崇めるほど、そのようになる。
しかし、新約聖書の意義が、どこにあるのか・・・
それは、同種属のみの間にあるものとして、理解された。

それを推し進めた、白人主義である。
白人が、すべてを治めるというのである。

キリスト教の中でも、特出して、酷いのは、ローマカトリックである。
一度、法王、ヨハネ・パウロ二世が、その1000年間の蛮行を謝罪、そして、罪を懺悔するために、各地を巡回したことがあった。

それ以前は、一度も、そんなことをしなかった。

人類に与えた、カトリックの功罪は、許されるものではない。

ただし、言えることはある。
せめても、白人たちは、今、少しばかり、神父や、牧師という、キリスト教の制御によって、人間の欲望をコントロールするようになった。

アメリカ大統領の就任に際して、聖書に手を載せて、正義の政治を誓うという行為。

それでも、国益、自分の利益のためだけに、戦争を起こすアメリカである。

さて、もう少し踏み入ると、ユダヤ・キリスト教では、人間が支配するという、自然の善悪を、人間の都合に置き換えている。

そこには、支配階級と、人間中心主義の自然観があるのみ。
それが、また、自然科学に影を落とした。

ダーウインの進化論は、端的にそれを現す。
生物界は、優勝劣性、適者生存、弱肉強食で、自然淘汰されるというものである。

強い者が、栄えて、弱い者が、滅びるという、実に、単純なものである。

この進化論は、生物の進化にとどまらず、人間社会、社会活動の新しいパラダイム(規範、枠組み)誕生の導火線ともなった。優勝劣敗の思想は、商品経済の発展とともに古い秩序から解放された新しい時代、産業革命、自由競争主義、資本主義という時代を切り拓いてきたと言われる。
破約の世界史 清水馨八郎

であるから、強い者は、いよいよ強く、富を独占し、弱い者が、切り捨てられるのは、進化のために、やむをえないという、非情な独占資本主義に進むのである。

だが、果たして、自然界は、弱肉強食の世界なのか・・・

日本人の自然観に立てば、それは、違うことになる。
食うか食われるかの、自然界として認識しているが、実は、棲み分けの原理が働いているというのである。

つまり、動物たちは、出来るだけ相互にテリトリーを持って、争いを避け、棲み分けによって、共存しているという。
これは、ユダヤ・キリスト教の世界観とは、大きく異なるのである。

西欧の、階級支配の自然観が、人間世界に大きな影響を与えたのが、人種差別である。
これは、実に、恐ろしい出来事だった。

人種差別は、近代ヨーロッパの世界支配の中で、全世界に適用されたのである。

今、それを考えてみるに、如何に、その考え方が、野蛮極まりないものであったかである。

更に、それは、キリスト教を受け入れない地域、人たちを、未開、野蛮と蔑み、その社会、文明の担い手たちを、奴隷にする。または、虐殺するという、蛮行に打って出たのである。

そして、地球環境の破壊が、はじまったのも、その時からである。

これが、一人の人間であれば、万死に値する。


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2012年09月26日

国を愛して何が悪い33

コロンブスのアメリカ大陸発見・・・
それは、世界史上初の、大快挙であった、と、教えられた。

コロンブスは、凄い人だ・・・
子供の頃に、刷り込まれたイメージは、中々消えるものではない。
しかし・・・

その本当の意味を知ると、全く、世界史が逆転する。

コロンブスの快挙は、西欧白人の、非白人に対する、侵略のはじまりだった。

明治以来、日本人が学んだ歴史というもの・・・
それは、すべてヨーロッパのものであり、世界史とは、西洋史であり、文明は西欧が作るものである。
そして、実は、その進歩、発展、幸福とは、西欧人のためにあるものということに、気づく事がなかったのである。

つまり、コロンブスの大陸発見の裏に隠された、先住民族の悲惨な歴史を見ることが、出来なかった。というより、教えられなかったのである。

それは、今も、続く。

白人が発見したという先住民族を、インディアス、北米では、インディアンというが、彼らは、先史時代に大陸に渡った、モンゴロイドの子孫である。

現在の、蒙古人や、日本人に似ている。
当時、西欧では、インド、シナ、日本などの、東アジアの広い地域を、インディアスと呼んだ。

実は、コロンブスは、自分が到達した場所を、新大陸ではなく、東アジアの一部と考えていた。そのため、この地の人たちを、インディアスと呼ぶことになったのである。

コロンブスは、その後、三回、つまり、計四回、この地に航海していたが、死ぬまで、東洋の一部、現在の東南アジアの諸島付近だと、勘違いしていた。

だから、本当は、アメリカ大陸の発見とは言えないのである。
後で、人が、そのように、呼んだ。

更に、コロンブスの願いは、実は、マルコ・ポーロの、東方見聞録に書かれてある、ジパング、つまり、日本に憧れ、そこから、金、宝石などを持ち帰り、大金持ちになろうと、野心を抱いたのである。

しかし、日本には、辿り着けなかった。

兎に角、コロンブスは、スペインのイサベラ女王の援助を受けて、サンタマリア号など、三隻の船で、1492年8月3日に、パロス港を出発して、東洋を目指した。

到着したのが、カリブ海の、バハマ諸島のサンサルバドル島である。
その名前も、コロンブスが付けた。
意味は、救いの御子キリスト、である。

問題は、これからである。
彼は、スペイン王との契約で、新しく発見した地域の、富、資源を本国にもたらせば、その十分の一を手に入れることが出来るということである。

その手段については、平和的であろうと、武力を使おうと、構わないということ。
つまり、この探検は、当初から、新大陸での、収奪が最大の目的であったということだ。

コロンブスは、自分が発見した場所を生涯、気づかず、東南アジアの島々と思っていた。その後に、スペイン人の、パルボアがパナマを横断して、太平洋岸に達し、初めて、新大陸であることを、確認したのである。
それが、1513年のこと。

ここで、大切なことは、何度も言うが、コロンブス以来、その発見により、先住民の大量虐殺、文化破壊が行われ、発見された側に、回復不可能な大被害を与えたということである。

発見された場所が、文明が遅れていたとか、未熟だったとかの、話しではない。
このような、野蛮なことを、平気で出来た、白人というものを認識して欲しい。そして、それが、何から、生まれたのか。

追々、明らかにしてゆく。

1492年、コロンブスが出航した年に、スペイン軍は、すでにイベリア半島からムーア人の追放を完了していた。

そして、間もなく、西インド諸島も、征服する。

1521年、メキシコにあった、アステカ帝国を亡ぼし、1532年には、ペルーのインカ帝国の征服を終えていた。

その有様を言えば、野蛮極まりないのである。
西インド諸島では、皆殺し作戦を行う。
鉄砲の歩兵と、犬を伴った騎乗の征服者たちは、島の狩猟採集部族を、意のままに打ち破る。
女、子供も逃さず、強姦し、殺戮した。
勿論、抵抗者は、虐殺である。

同様の襲撃は、キューバ、カリブ海の島々でも、行われた。

ここで、注目すべきは、征服者たちは、国王の名によって、やってきたのだが、重要なのは、キリスト教の名においても、やってきたことである。
勿論、カトリックである。

そのカトリック教会は、征服者の手先として、進んで新しい土地の略奪に協力し、参加したという、事実である。

司祭は、兵士と一緒に、先住民の元に現れて、先住民に対して、キリスト教の信仰を受け入れるようにとスペイン語で書かれた、公式の文書を読み上げる。
それは、法王が、国王に、新世界の領有権を与えたと、書かれていた。

イエスが宇宙の主であり、彼がペトロをローマ大司教に任命し、ローマ法王が、アメリカをスペイン国王に、授けたと宣言されていた。

従って、インディアスは、信仰に入り、スペイン国王の主権を認めることを、強制されたのである。

諸悪の根元は、カトリック教会である。
戦争を始めたのも、先住民絶滅を促したのも、ローマカトリックなのである。
白人の暴力を、神の祝福あるものとして、許すという、蛮行である。

呆れて、物も言えない。


posted by 天山 at 01:44| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月27日

国を愛して何が悪い34

スペインの征服者に殺されなかった者たちは、鉱山労働者、農奴、荷役動物になることを、強制された、という。

だが、そんな生易しいものではなかった。

インディアスに対する制圧は、激しい残虐行為を伴うのである。
何故、このように残酷なことが出来たのか・・・
隣人愛説く、キリスト教が何故・・・

それは、白人ではないから・・・
更に、自分たちより、劣っているから・・・

ドミニコ会司祭がカリブ海で、スペイン人の残虐行為について、目撃談を言う。

数人のキリスト教徒が乳呑み児を抱いた一人のインディアスの女と出会った。彼らは連れていた犬が腹を空かせていたので、母親の手から子供を奪い、生きたまま犬に投げ与え、犬は母親の目の前でそれをがつがつ食いはじめた。・・・出産して間もない女たちが捕虜の中にいたとき、もし赤ん坊が泣き出すと、スペイン人たちは子供の足をつかんで岩に投げ付けたり、密林の中に投げ込んだりして、赤ん坊が確実に死ぬようにした。

現場監督の誰もが、その配下にあるインディアスの女と寝るのを習慣にしていた。気に入れば、女が既婚者であろうと未婚であろうと。監督はインディアスの女と小屋に留まる一方、その女の夫は山から黄金を掘る仕事に送り出された。夕方送り出された男が戻ってくると、持ち帰った黄金の量が少ないといって、打ち据えられたり、むちを当てられ、そればかりか手足をくくられてベッドのそばの犬のように投げ出され、そのすぐ上で監督が彼の妻と横になっていることがよくあった。
トーマス・バージャー コロンブスが来てから

インディアスたちは、その状況下で生き、そして、死んだ。
1540年までに、カリブ海のインディアスは、事実上、絶滅させられたのである。

現在の、スペインは、その報いに、大きな代償を払っているのか・・・
経済状態が、EUを混乱させ、そして、壊滅させるだろう。
因果応報である。

世界は、スペインを助ける必要は無い。

更に、スペインと、カトリック教会の蛮行は、凄まじいものがある。

中南米の征服である。
史上空前の出来事である。

スペイン人、エルナン・コルテスは、わずか400人の兵士と50頭の馬で、アステカ王国を征服し、支配を確立した。

コルテスが、1519年、ベラクルスに上陸すると、インディアスに手厚く迎えられた。アステカ皇帝のモクテスマは、黄金製の宝物を車一杯に積み、歓迎した。

黄金は、スペイン人が、捜し求めていたものである。
そこで、コルテスは、部族間の争いを利用して、漁夫の利を得る。
つまり、皇帝に反対する部族を手名付け活用するのである。

コルテスは、全土に渡り、反乱部族を扇動し、近代武器で首都を攻撃し、皇帝を捕虜として、衆人の前で殺害した。そして、アステカの支配者になる。

この様が、ヨーロッパに伝えられ、その武器と、勇気と技術の勝利と賞賛され、更に、それが動機となり、西欧の新大陸侵略と、略奪の行動を駆り立てることになるのである。

コステルを真似たのが、フランシスコ・ピサロである。
1523年、計り知れない黄金に恵まれたアンデス山中の、インカ帝国について耳にしていたピサロは、インカ帝国を求めて、太平洋岸を南下する、遠征隊を組織した。

1531年、その三回目の航海で、180人の兵と、27頭の馬で出航する。

1527年、インカ帝国の王、ワイナ・カパックは、すでに死んでいた。
彼は、その帝国を、二人の息子に与えた。二人は、そこで主権を争う。

兄のアタワルパは、弟のワスカルを捕らえ、インカの首都クスコを占領して、皇帝の座に就いていた。

アタワルパは、ピサロの進軍を知り、首都の近くの温泉地にて、陣取っていた。
そこで、アタワルパに使者を送り、町の中心の広場に来るようにと、招待する。

皇帝は、同意し、その従者と共に、丸腰で行くと、ピサロを安心させた。
ところが、ピサロは、皇帝を捕虜にすることを、決めていたのである。

皇帝が、数千人の家臣を従え行くと、ピサロの従軍司祭である神父は、皇帝に対して、キリスト教への改宗を勧める。
皇帝が、それを無礼な態度として、退けると、神父はピサロに駆け寄り、皇帝を攻撃するように、促す。

そして、神父は、ピサロに告げた。
これからの流血の事態に対して、いかなる責めからも、神の名において、免ぜられると。

非武装の数千人を、あっという間に殺害し、皇帝は、人質にされ、皇帝の支配権を奪う。

皇帝は、スペイン人の求めているものが、黄金であることを知っていた。そこで、もし釈放するならば、部屋に一杯の黄金を差し出すと言う。
皇帝の命で、インカ全国から、黄金が運び込まれた。

そして、願いが叶うと、皇帝を勝手な裁判にかけて、ロープで絞め殺すという、蛮行を行う。

そして、更に、ピサロは、皇帝の腹違いの弟に、インカの王位を継がせて、首都クスコに進軍した。
皇帝を人質取り、利用するためである。
この皇帝も、スペイン人と一年間も戦ったが、勝てず、山中に逃れて、新しいインカの国を建てた。

だが、その最期の王、トゥパク・アマルも捕らえられ、クスコに連行されて、中央広場で斬首された。

スペインの征服者たちは、強制労働と貢物の強要を意味する、エンコミエンダ制を、メキシコから、ペルーに広めたのである。

だが、征服した土地は、インディアス無しでは、価値が無いものである。
征服者たちは、農業を全く知らないのであるから・・・

コロンブスが書いた通りである。
エスパニューラのインディアスこそ富そのものである。なぜなら、彼らは地を掘り、われらキリスト教徒のパンやその他の食料をつくり、鉱山から黄金を掘り出し、人間と荷役動物の労役すべてをするのが彼らだからだ。

この中南米で、スペイン人と、キリスト教カトリックが行った、虐殺は、一億人に上る。


posted by 天山 at 00:22| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月28日

国を愛して何が悪い35

ヨーロッパ人の侵略によって、それまで平和に暮らしていた先住民が、ほぼ全滅した。
人類史の中では、これほどの悲惨は無い。

ヨーロッパ白人と、キリスト教である。
今一度、それを考えてみる。

先住民が、白人から受けた被害は、人的被害だけではない。
大量の金、銀などが、ヨーロッパに持ち運ばれた。

インディアスが、長年をかけて貯めた宝物を、白人は、虐殺という手段で、奪った。

その先住民を、野蛮であると、考えていたというから、恐れ入る。
野蛮なのは、どちらか・・・

この白人主義が、今も、営々と続いているのである。

さて、それらの野蛮な行為の証拠がある。
コロンブスと同時代の、スペイン人、ラス・カサスという人物は、白人の先住民に対する、残虐振りに、たまりかねて、内部告発をした。

彼も最初は、スペイン征服の特権を持つ者として、割り当てられた、インディアスの奴隷を使い、金の採取、農場経営を行っていた。1513年にキューバに移住し、広大な拝領地の住民として、利益の追求を続けていた。だが、その翌年、彼は突如として回心し、1515年、拝領地を総督に返還して、セビリアに帰国する。

植民地での体験を通し、突如、聖職者の意識に目覚めたのである。
何となれば、彼は、本来伝道師として、渡っていたからである。

インディアスの虐待に象徴される、スペインの植民地政策に対する、強烈な批判者として、彼は、50年を戦った。
その著書が、インディアスの破壊についての簡潔な報告、である。

その報告書で、カリブ海の多くの島々で行われた実態を正確に、記述しているのである。

この島には、300万人のインディアスが住んでいたが、コロンブスが来てからの、50年後、1542年には、200人の生存者だけになっていたのである。

そのやり方は、まず、先住民に、金を要求する。
それがエスカレートする。暴力を振るう。
先住民が、反乱を起こすと、それが白人の思う壺で、剣、槍を持って、無差別に殺す。

先住民は、戦いを知らない。
騎馬の兵士なども、見た事が無い。

そして、スペイン人は、手に入れたインディアスを、男は、金採掘、女は、畑仕事をさせる。奴隷となった人たちには、雑草のような食べ物を与える。過酷な労働と、飢えで、皆、死ぬ。

荷物の運搬には、奴隷たちを、牛馬のように使う。
更に、それらを、鞭や棒で、平手、拳骨で、彼らを痛めつける。

以上は、カサスの報告である。

この、カサスの報告書は、批難の集中攻撃を受けることになる。
その最も最たるところは、身内の教会からである。

次に、新大陸と結びついている、政治家、商人である。

カトリック教会は、恥じ知らずの修道士、狂信的で邪心ある司教などと、報告が暴露した、大虐殺の事実を、隠そうとしたのである。

報告書は、スペインと対立関係にある、オランダ、イギリス、フランスでも、翻訳された。

何故か・・・
彼らの仮想敵国スペインの非人道的、残虐行為を証明する文書として、評価した。
スペイン攻撃のための、手段である。

決して、インディアスに対する、人道的立場からではないというのが、不思議である。
つまり、彼ら自身も、同じことをするのである。

さて、ラス・カサスに次いで、白人の先住民族に対する残虐を暴き、白人自身に反省を求めた人物がいる。
カナダの、トーマス・バージャである。

現代の、カサスといわれる。

彼は、カナダの先住民族のインディアンの権利問題を追及するうちに、アメリカにも、中南米でも、同じ問題があることに気づいた。

そして、コロンブスが来てからー先住民の歴史と未来、という著書をまとめた。

コロンブスが、アメリカ大陸に来てから、どれ程先住民の血が流されたかを、法学者の目で正しく分析し、現在、各地で過去の影を負って生き残る、少数民族インディアンの権利保護の運動をしている。

過去、500年は、アメリカ大陸の先住民にとって、苦難、虐殺、疾病、更に荒廃した歴史である。
疾病も、白人がもたらしたものである。

ここで、白人主義の最大の問題は、キリスト教という、野蛮に宗教である。
果たして、キリスト教は、本当に、人の心を救うような宗教だったのか・・・

更に、新約聖書のある、イエスの愛の教えとは何か・・・
その傲慢たる教えは、戦争を引き起こし、白人主義を増長させた。
両者は、両輪のように、世界を悲劇に巻き込んだである。

現在も、最も戦争を好むのは、イスラムではなく、キリスト教である。
イスラムの原理主義も、キリスト教によって、誘発された。

ユダヤ・キリスト教は、罪の許しではなく、罪を犯し続けて生きたのである。
ここで、ユダヤ・キリスト教というのは、ユダヤ教が、キリスト教の前進である。

その、教えには、全く愛とか、慈悲というものが無い。
旧約聖書を精読すれば、如何に、異民族、異教徒を殺すかということに尽きる。

何せ、その神は、怒り、嫉妬、人殺しの神である。
手が付けられない。
キリスト教の根本には、敵を愛せというように、敵というものを、想定しているのである。更に、敵など、愛したためしが無い。いつも、敵を、そして、敵ではない者までも、殺し続けている。

人類最大の、悲劇は、キリスト教によるものである。


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2012年10月26日

国を愛して何が悪い36

ヨーロッパ大陸の西の外れ、イベリア半島の最先端にある、ポルトガル。
内陸部の争い、宗教の矛盾に汚染されなかった国。

だからこそ、早くから、西南の海に、活路を見出すことができた。
土地が狭く、海外に夢を託したのである。

後に、航海王と呼ばれた、エンリケ王子の時代、多くの探検家を南アフリカ大陸の西海岸に派遣している。
アフリカの西北岸に沿って、カナリア諸島、ベルデ岬諸島を探検し、ギニア湾に達した。

やがて、バーソロ・ソロミュー・ディアスが、アフリカの南端、喜望峰に達する。つづく、バスコダ・ガマは、アフリカの南端を回り、インドの西岸カリカットに到達し、インド洋貿易を開拓する。

ガマによって、西欧から海上を通り、東洋に達する事ができると、証明された。

ポルトガル軍は、更に東に進み、1511年、マレー半島の南端、マラッカに到達し、マラッカ王国を征服して、占領する。マラッカを東洋貿易の拠点とするのである。

更に、ポルトガルは、南シナ海に出て、北上し、1557年、シナのマカオを獲得する。

15世紀のマラッカ王国は、14世紀に、マレー半島の南半分と、対岸のスマトラ島バレンバンと、スンダ海峡の先、ジャワ島を支配していた。
16世紀、ポルトガルに征服されるまで、東南アジアの資源を貿易する国として、全盛期を迎えていた。

だが、ポルトガルの軍隊と、その策略により、簡単に亡ぼされる。

これを見ると、弱肉強食の動物の世界を見る思いがする。
そして、それを当然としていた、白人主義である。

ポルトガルの東洋侵略の先端が、日本に到達したのは、1543年である。
種子島に、マカオ関係の、ポルトガル船が台風に遭い、漂流した。
そして、そこで鉄砲を伝えた。

西欧世界の小さな国、ポルトガルが、一大強国になれたのは、東洋貿易の利益を一手に収めたからである。
そして、それが西欧人の夢でもあった。

香料群島に、海から達する方法に、ポルトガルは、東航路の道を選んで、勝利した。

東方貿易が、何故利益を上げたのか・・・
それは、インド大陸と、その先の香料群島に直接乗り込めば、長く地中海世界を支配してきた、イスラム商人、イタリアのヴェネチア商人の特権を奪い、東洋の富みを独占できたからである。

当時の、ヴェネチアの香料は、インドを出る際の価格の、26倍になったという。
競って、冒険家たちが、スパイスを求めたのが理解できるというもの。

ポルトガルが、喜望峰廻りの航路を発見してから、リスボンの胡椒の値段が、十分の一に下がったという。

その後、スペインも、ポルトガル人、マゼランを援助して、西回りでも東洋に達する航路の発見を命じた。

マゼランは、海賊行為を続けならが、1519年、南米大陸の南端マゼラン海峡を発見し、南太平洋を横断して、サイパン、テニアン、グアムなどを廻り、1521年、フィリピンのセブ島に到達した。

マゼランは、そこでも、寄航した土地に、十字架とスペイン王室の標識を立てた。
更に、勝手に、スペイン領としたのである。

だが、彼はセブ島の先住民との戦いで、毒矢に辺り、死ぬ。

隊長を失った、マゼラン隊は、フィリピンを逃れて、海賊行為をしつつ、スパイスの島である、モルッカ諸島に辿り着く。

出発当時は、232名の人数が、スペインに到着した時は、一隻、18名だったという。

だが、一隻の、スパイスの売り上げが、全船隊の費用を上回ったという。

さて、この航海により、地球が球形であることが、解ったのである。

スペインは、マゼランが発見したことを理由に、ルソン島と、その周辺の多くの島を、1571年、国王のフェリペ二世の名にちなみ、フィリピンと命名した。
ルソン島のマニラを首都として、その後、330年間、植民地支配を続けることになる。

スペインは、フィリピンをアジア侵略と、経営の拠点して、重要視することになる。

スペインの、数々の犯罪は、アステカ、インカ帝国を滅亡させ、金銀を奪い、先住民族を虐殺した。
更に、インディアスをプランテーションで、強制労働させ、そこで砂糖の収奪も行ったことである。

砂糖は、中世以来の、貴重品である。
当時の、西欧人は、砂糖を白い黄金と呼んだほどだ。

農耕を知らぬ西欧人は、先住民族を奴隷にして、文明生活を楽しむことになる。

現在のスペインが、崩壊の様、当然のように思うのは、私だけか・・・

スペインとポルトガルは、新航路発見により、両国間で発見した、土地、島の帰属を巡る紛争が続出する。
そこで、出てくるのが、最悪の罪人である、ローマカトリックである。

法皇アレクサンドル六世が、教書を出して、両国の進出領域を決していた。
呆れ果てる行状である。

それによれば、アフリカの西岸ヴェルデ岬諸島の西方の、西経45度の子午線を基準に、西方をスペイン、東方をポルトガルの範囲としたのである。

1494年、トルデシリャス条約と呼ぶ。

しかし、その後も、1529年、サラゴサ協定により、アジアの分界線を東経135度に定めた。
この線は、日本を二つに分断するものである。

1549年、スペインのフランシスコ・ザビエルが、鹿児島に上陸する。
そこは、二つの侵略国の先端が衝突する地点である。
キリスト教の布教とは、侵略行為と同じである。

今までの、行為を見れば、歴然としている。
侵略者が、聖人とされている、カトリック教会である。
呆れる。

まあ、その二つの国も、16世紀末には、衰退の陰りを見せるが・・・

posted by 天山 at 00:22| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月27日

国を愛して何が悪い37

カトリックの国、スペインの膨張により力を得たのは、国王である。
フェリペ二世が、1556年、国王になると、その領土だったネーデルランド、つまりオランダに、過酷な弾圧を行った。

ネーデルランドは、古くから商工業が盛んで、カルビン派の新教徒が多い。
国王は、つまり宗教的な立場から、新教徒に徹底した弾圧を加えるのである。

重税を課し、都市の自治権を奪った。
それ以来、数十年に渡る独立戦争が始まる。

カトリックとプロテスタントは、ドイツでも、20年戦争というように、対立した。宗教戦争である。キリスト教が、戦争好きなのは、今に始まった訳ではない。

さて、カトリックの多い、南部十州は、途中スペインに服従するが、北部七州は、独立を果たした。
1648年、ウェストファリア条約で、国際的にも独立を承認される。

この国を、日本では、オランダと呼ぶようになる。

オランダは、古くから、バルト海貿易に従事し、航海術を磨いていた。
16世紀になり、まだ、北極海を回り、アジアに出る航路を模索していた。だが、それが不可能と知ると、スペイン、ポルトガルの発見した道を通り、大西洋、太平洋に、割り込んだのである。

まず、北米大陸に進出を試みる。
現在のニューヨークは、オランダがインディアンから買収して、本国の首都の名前を取り、ニューアムステルダムとしていた時代がある。

だが、オランダの北米進出は、イギリス、フランスに跳ねられ、成功しなかった。

そこで、次は、インド洋航路開発に向ける。
1602年、それまでの諸会社を合同して、オランダ東インド会社を、ジャワに設立する。
それに、貿易、軍事、外交、行政の独立権を与えて、諸外国と戦争し、アジアへ進出を開始した。

アフリカ、インド洋の沿岸地域にあった、ポルトガルの貿易拠点を、次々に奪う。
17世紀半ばには、現在のインドネシアを中心とした地域に、確固たる拠点を築いた。
そして、330年間もの間、インドネシアを植民地化したのである。

その、統治方法は、実に野蛮極まりないやり方である。

まず、原住民を文盲のままにして、土地の侯を使い、間接統治する。
キリスト教に改宗した者は、優遇して、警察官、軍人に登用する。
オランダとインドネシアの混血児を中間層として使用し、民族の分断を図る。
一切の集会、団体行動を禁止する。
全国で用いられていた、320の部族語をそのままにし、一つの標準語を作らせない。

こうして、インドネシア人から、民族意識を奪うのである。

コーヒー、サトウキビ、藍、茶、肉桂などの、強制栽培制度を導入し、それも、直接手を下さずに、諸侯を使い、分割統治して、上前をはねるのである。

イギリスも、同じような手を使い、植民地支配を会社組織にして、その国が政治的、軍事的に表に出ないように、見せるのである。

賢い方法である。が、非人道的である。

そして、日本が、植民地政策をしたとは反対に、原住民から、絞るだけ搾り取るという方法である。
そして、本国は、それで悠々自適に発展するというもの。

イギリスの産業革命は、それにより、成ったのである。
西洋史を学ぶ時、そんなことを知らされないから、イギリスは、凄い国だと思う。
全く違う。
とても、人間とは、思えない野蛮極まりない方法で、国を発展させたのである。

さて、近世500年間の世界の、覇権国を俯瞰すると、16世紀がスペイン、17世紀がオランダ、18,19世紀とイギリス、そして、20世紀がアメリカの時代である。

最も長いのは、イギリスである。
最盛期には、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、エジプトから、南アフリカ、インド、ビルマ、マレーシア、更に、太平洋の島々と、七つの海にまたがるのである。

ここで、イギリスのやり口を見ると、キリスト教を植民地の手段にしなかったことである。スペイン、ポルトガルとは、違う。

スペインは、カトリックの国であり、十字架を武器にした。
イギリスは、国教会である。
カトリックのような、狂信的な異教弾圧はない。

ただし、イギリスは、宗教が世界支配の要であることを知り、エルサレム、コンスタンチノーブル、ガンジス川、メッカ、メジナなど、世界の主な聖地を保護国に取り入れている。

カトリック以外を、プロテスタントだとすると、イギリスは、最大のプロテスタント国家である。

宗教には、やや寛容で、それを政治的に利用するという、方法を取ったのである。

イギリスは、スペイン、ポルトガルのように、泥棒して得たものを、使い果たすことなく、蓄積して、次の植民地経営に生かしたのである。

賢い海賊である。

現在も、堂々たる国の体を成しているが、元は、ドロボー国家なのである。
更に、おぞましいのは、人種差別の思想が生まれた国でもある。

スペイン、ポルトガルが、キリスト教という、宗教により、原住民を異教と見なして、虐殺したのではなく、思想としての、人種差別を持ったのである。

私は、それを、オーストラリアのアボリジニに関する報告書から知った。
世界で、最悪の国家である。
何せ、そこから、アメリカが生まれている。

白人主義の大元である。

いずれにせよ、西洋史からではなく、日本史から、それぞれの国の歴史から、歴史というものを見れば、白人主義の野蛮極まりない思考が、行為が、明確になるのである。
加えて、カトリックという宗教の野蛮さは、限りないのである。
もう一つ加えて、白人主義とキリスト教とは、切っても切れない縁がある。
差別の観念は、ユダヤ・キリスト教の、異端、異教徒主義から出ている。

限りなく、排他的である。

イエスの言葉にある、互いに愛し合いなさい、とは、白人同士に言える言葉なのである。
今でこそ、何やら、言うが、根本は、そうである。


posted by 天山 at 05:50| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月28日

国を愛して何が悪い38

イギリスは、1588年、スペインの無敵艦隊、アルマダを破り、スペインを衰退させる。

1652年より、三回に渡り、英蘭戦争に勝利して、オランダの海上権を奪う。

17世紀後半になると、イギリスの植民地争奪戦は、フランスのみとなる。
18世紀の英仏の植民地を巡る争奪戦は、北米大陸、そして、インドで行われた。

北米での、争奪戦は、オハイオ川の支配を巡り、勃発した。
最初の四年間は、イギリスに不利な戦いであった。
だが、イギリスは、西欧本土の戦争には深入りせず、多数の軍隊を北米対立に集中させたため、最終的にフランス領カナダの中心、ケベックを占領し、これを機に、一気にイギリスが優勢になった。

イギリスは、更に、西インド諸島のスペイン領も、占領する。

イギリスからの、移民が新大陸に移住して、その植民地を拡大する。
そして、次第に現地での独立運動が盛んになり、フランスは現地の移民を応援するという。

フレンチ・インディアン戦争を経て、アメリカが独立する。
アメリカ合衆国である。

するとイギリスは、北米で失った利権を、インドを中心にする、アジアで取り戻すことにするのである。

しかし、そこでも、フランスとの熾烈な争奪戦を繰り広げた。

仏軍は、ベンガルの豪族軍と組んで、イギリスとのプラッシーの戦いに挑むが、敗れて、インドから撤退するのである。

インドのムガール帝国は、イギリスの支配下に入る。

英仏の海外での争奪戦は、西欧本土においても、英仏戦争となり、争奪戦が元で、1689年から1815年まで、126年間も、熾烈な闘争を繰り返したのである。

さて、西欧列強の、インド、東南アジアにおける植民地政策は、東インド会社という、一見して平和的な会社方式で進められた。
しかし、インド会社は、イギリス、オランダ、フランス、デンマーク、スウェーデンにもあった。

いずれも、国王の特許状により、設立されたもので、東洋貿易の独占権を与えられた。
実に勝手なものである。

それも武力を持って、外国の同業者と競争するものだった。

イギリス、東インド会社は、1600年、エリザベス女王の特許状で設立され、18世紀半ば、フランスを打倒し、土着君主を抑圧して、インドを完全に取り込んだ。

そして、悲劇なのは、インドの現地人を傭兵として使い、現地人同士を戦わせるという、無謀である。

この、現地人を犠牲にして植民地戦争を行うという方法は、以後、すべての戦争に採用されたのである。

イギリスは、植民地からの、資源を貯蓄することで、18世紀半ばの、産業革命を起こすことになる。

産業革命・・・
道具から機械へ・・・
これに関しては、西洋史に大きく取り上げられて、賞賛されている。
その裏は、上記である。

1814年、蒸気機関車が発明される。
1825年、最初の鉄道を実用化させた。
それを、交通革命という。

その革命は、19世紀半ばには、フランス、ドイツ、アメリカにも、達した。

だが、この革命によって、原料輸入と、商品の市場獲得にために、益々植民地が必要となる。このために、植民地の収奪は強化され、先住民の伝統的生産、生活などは、強制的に変えられた。

悲惨な状況である。

そして、最大の悲惨は、奴隷貿易である。

これは、いつか明確にして、その裁きを受けるべきことである。

残忍非道、という言葉のみの行為。
奴隷狩り・・・

何故、このようなことが、行われたのか・・・
そこには、それなりの思想があるはずである。

同じ人間である。
白人のみ上等で、色着き人間は、劣っているとは、どこからの考え方か・・・

この、甚だしい蒙昧の思想は、どこからのものか・・・

ユダヤ・キリスト教である。
世界最悪の書物、旧約聖書である。
そこからの原理により、悪行を重ねる、白人主義と、ユダヤ・キリスト教という、悪の宗教である。

天地創造の神、ヤハウエは、人間をこの世で、最高のモノとして作り上げた。
すべての被造物は、人間の支配の元にある。
その、人間とは、誰か。それが、白人なのである。

つまり、それ以外の人間は、人間ではなく、動物と同じなのである。
だから、奴隷狩りが、出来る。

オーストラリアの原住民、アボリジニは、動物のように殺された。そういう遊びも、思いついたのである。

奴隷は、家畜と同じである。
その考え方を、今の今も、改めようとはしない。
人種差別は無いか・・・
今も、存在している。
まさに、神ではなく、悪魔の思想である。
つまり、旧約聖書は、悪魔の書なのである。


posted by 天山 at 06:37| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月29日

国を愛して何が悪い39

最初にアメリカ大陸に渡った、スペイン人は、アステカ帝国、インカ帝国を滅ぼし、金銀財宝を略奪し、先住民を虐殺した。
一億人である。

悲劇は、まだ続く。
虐殺した。人手が無い。

金銀の鉱山が発見されても、採掘の労働者がいない。
更に、白人に都合の良い、砂糖、コーヒー、タバコなどの農耕の人手も足りない。

そこで彼らが考えた、極悪非道のもの・・・
黒人奴隷である。

アフリカから、労働力として、奴隷を連れて来るという。
原住民を殺し過ぎたことで、労働力不足に気づき、鉱山、農場の労働力を、アフリカから収奪することを考えた。

この身勝手な考え方が、どうして起こるのか・・・
白人主義という。それに、拍車を掛けたのが、キリスト教、ローマカトリックである。

ギニア湾は、ポルトガルからアフリカ西岸に沿って、南下し東に回りこんだところである。そこは、アフリカ内の内陸部から、奴隷を駆り集めて、奴隷船で需要地の、西インド諸島、南米に送り込むのである。

奴隷狩りには、三つの方法があった。
一つは、拉致である。動物を捕まえるのと同じように、先住民を攫う。

一つは、白人奴隷商人と、アフリカ人の首長との契約である。首長が他部族に戦争を仕掛けて、捕虜を大量に捕らえて、商人に渡すのである。
その代わりに、安物の鉄砲、タバコ、酒、ガラス球を渡す。

一つは、首長が白人と組んで、同胞を売り渡すのである。

集められた奴隷たちは、海岸の奴隷貯蔵庫に入れられ、奴隷船が来るのを何日も待つ。

奴隷貯蔵庫の悲惨な実態がある。
奴隷船には、複数の奴隷商人の奴隷がいる。そこで、所有者が解るように、牛馬のように、腕、腹に、焼印を押される。そして、二人ずつ鎖でつながれ、暗い船倉に放り込まれる。

船倉は、天井が低く、立つことも、横になることも出来ない。奴隷たちは、そこに詰め込まれて、汗まみれ、糞まみれになり、航海中に半数は死ぬ。

死体は海に投げ込まれた。
そこに何の憐れみの気持ちは無い。

16世紀から、18世紀に掛けて、奴隷貿易は、欧州、アフリカ、新大陸にまたがる三角貿易によって、組み込まれたのである。

そして、それは、欧州に莫大な利益をもたらした。
参加した国は、ポルトガル、スペイン、イギリス、フランスである。

現在、これらの国々は、その報いを受けて、滅びてもいいはずである。

奴隷商人たちは、ヨーロッパから、安物のビー球、銃器、木綿の製品をもって、アフリカのギニア湾に来て、黒人奴隷と交換し、南米ブラジル、西インド諸島に売り飛ばした。

そして、得た金で、土地の砂糖、綿花、タバコ、コーヒーなど、亜熱帯農産物を積んで、ヨーロッパに戻るのである。

この貿易は、三重の利益が得られたという。

その中でも、イギリスとフランスが、巨利を得たのである。

奴隷貿易の最盛期は、18世紀である。
推計では、16世紀は、90万人、17世紀は、300万人、18世紀は、700万人、19世紀は、400万人である。
概算すると、1500万人。しかし、一人の奴隷を連れて来るにあたり、五人の奴隷が死ぬというから、アフリカから働き盛りの黒人を数千万人から、一億人程度を売買したということになる。

恐るべき罪である。

奴隷を一番多く移入したのは、カリブ海諸島で、約40パーセント。次に、砂糖のプランテーションのためブラジルへ、38パーセント、残りは、アメリカ南部のプランテーションである。

アフリカは、現在世界一の過疎地である。
大量に奴隷として奪われたせいである。

その後、19世紀に、ヨーロッパ列強の、アフリカ分割植民地支配によって、現在につながる、貧困、民族紛争、それらは、すべて白人による勝手な、収奪、民族分割の結果である。

アフリカに、幾ら支援をしても、彼らが、まともではないから・・・
という、批判があるが、冗談ではない。
その、大元、問題を作り続けたのは、誰かである。

奴隷貿易という、大罪は、実に、イギリス、フランスなどの、国家的、組織的犯罪である。

今、誰が、その罪を問うのか・・・
更に、その白人主義を増長させた、キリスト教である。

イギリスの産業革命、ヨーロッパの資本主義の原資となったのは、まさに、新大陸から収奪された、大量の金銀であり、酷使された、黒人、インディアンの労働のお蔭である。

更には、その金により、ヨーロッパは、アジアから、香辛料、茶、ゴムなどを大量に買い入れて、儲けたのである。
ヨーロッパに巨万の富をもたらした。

それは、非白人の苦痛の収奪である。
犠牲である。
今、一体、それを誰が裁くのか・・・

西洋史というものを、再度検証して、書き直すべきである。
恐るべき、白人主義と、キリスト教による、大罪を記すべきである。

人類史最大の、大罪を侵した、西欧列強の罪は、計り知れないのである。
それこそ、謝罪し尽しても、足りない。

posted by 天山 at 00:01| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月30日

国を愛して何が悪い40

イギリスに産業革命が起こったのは、18世紀後半である。そして、19世紀はじめ、世界の工場と言われる、黄金時代、つまりビクトリア時代を迎える。

これに刺激されて、フランス、アメリカも、1830年代から、そして、ドイツは、1840年代から、ロシアは、1860年代から、それぞれの産業革命を起こした。

つまり、19世紀末期から、20世紀初期になると、ヨーロッパ列強は、産業の資源の獲得のため、市場拡大のために、更に植民地の必要性が高まり、その植民地の争奪戦も激化したのである。

さて、アフリカは、北部の地中海沿岸が知られていたのみで、広大なサハラ砂漠の背後の地域は、魅力のある土地ではなかった。
ただ、黒人を奴隷狩りして、新大陸に売り飛ばすのみであった。

しかし、19世紀、奴隷貿易が下火になる一方で、アフリカの内陸部の探検が活発になった。

そして、ヨーロッパ列強は、アフリカ大陸に出で行くことになる。

最初は、海岸部を中心とする、10パーセント程度の土地が、1900年代には、エチオピア、リビア、南アフリカを除く、すべての土地を白人が支配し、その資源を、むしりとることになる。

フランスが一番多くの土地を支配した。
そして、イギリス、ドイツ、ベルギーと続く。
最後が、スペインと、イタリアである。

ただ、フランスの場合は、広大なサハラ砂漠が含まれるので、実質的には、イギリスが一番である。

フランスは、アメリカ大陸と、アジアで、イギリスとの争奪戦に負けたので、アフリカで、その分を取り戻そうとした。だが、砂漠を手に入れてしまったのである。

イギリスは、エジプト、東アフリカという、主要部分を計画的に取得した。

結論から言えば、現在のアフリカの諸問題は、すべて、その時期からのものである。
アフリカの自然は、厳しい。

気候条件にも、恵まれない。北部、南部の、回帰線辺りは、サハラ、カラハリ砂漠という、乾燥地帯が広がる。
中央を赤道が通り、コンゴを中心とする熱帯雨林地帯が広がる。
それを取り巻く、草原のサバンナ地帯、乾燥地帯が続く。

そのため、疾病、飢饉が襲い、死亡率も高い。
その人口は、6億7千万人である。

その少ない原因は、白人の人為的なものである。
奴隷で多数の働く者たちが、連れ去られた。

更に、現在の、アフリカの国境を見ると、直線が多い。
それは、白人の都合で、人種を無視し、勝手に分割したのである。

同一民族が二分されたり、対立民族が同じ地域に、まとめられたりしたのである。

つまり、民族の、歴史、文化、生活を無視した不合理な分割統治が、現在の、様々な問題を生み出している。

アフリカに支援しても、それを彼らが、有効に生かしきれないという批判を聞くが、とんでもないことである。
それらは、白人たちが、起こしたことなのである。

今更、である。

その、最も象徴的な問題は、南アフリカのアパルトヘイト政策であろう。

アフリカ南端の土地に、250年ほど前に、入植した白人は、オランダ人である。
その、入植白人は、何と、我らこそ、アフリカ人であると宣言して、アフリカーナーと自称した。

イギリスは、アフリカーナーを、ボーア人と呼んだ。
百姓という意味である。

その地を、ケープ植民地と呼ぶ。
ところが、後からやってきた、イギリス人によって、武力で奪い取られたのである。

すると、オランダ人たちは、イギリスの支配を嫌い、北上してズール国やマタベレ国を占領し、トランスバール共和国とオレンジ自由国を樹立したのである。

その後、それらの国から、ダイヤモンドや金が発見された。
すると、イギリスは、自国民をどんどんと、送り込み、乗っ取りを図ったのである。

そして、起こったのが、ボーア戦争である。
結果は、三年間に渡って戦争が続いたが、イギリスが勝利し、イギリスの自治領である、南アフリカ連邦に併合された。

結果、アフリカーナーの多くは、プアー・ホワイトと呼ばれる、極貧層に転落した。そして、悪いことに、敵だったイギリス人と協調して、アフリカ黒人の徹底的な収奪により、貧困から脱することを行ったのである。

これが、アパルトヘイトである。
白人と黒人を完全に、隔離するというものである。

黒人の住んでいた土地に入り、勝手に、別々に住もうとする政策である。

こんな勝手な行為が許されていると、考えるところに、白人の欠落がある。それが、差別である。
そして、傲慢、非寛容、排他性である。
そのまま、キリスト教に言える言葉でもある。

南アフリカの土地の九割が、全人口の五分の一の白人の所有であり、一割が黒人のもの。
更に、白人の、四分の一の給与で、黒人を働かせるのである。

第二次世界大戦後、アジアだけではなく、アフリカ諸国も、次々に独立を果たした。
よって、日本の戦いは、そこまでに至ったのである。

だが、南アフリカのみは、アパルトヘイト政策を確立した。
しかし、国際世論に厳しい批判が有り、デクラーク政権は、1990年、長年投獄していた、マンデラを釈放して、アパルトヘイトの廃止に踏み切った。
1994年、初めて黒人の政権として、マンデラ大統領が誕生した。

最後にアフリカについて、きわめて大事な点を一つ指摘しておきたい。アフリカは人類発祥の地でありながら、現代までほとんど世界史に登場せず、真実の歴史が伝わなかったのは、アフリカは「文字のない文化」だったからだ。話し言葉は各民族にたくさん生まれているが、文字がないため、歴史が伝わらなかった。アフリカは「歴史のない大陸」だったということができる。
侵略の世界史 清水馨八郎


posted by 天山 at 02:21| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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