2012年06月01日

国を愛して何が悪い11

19歳の時に、私は、韓国に行った。
下関から、フェリーに乗り、釜山である。

釜山から、ソウルに向かい、様々な福祉施設を訪ねて、ソウル到着である。
そして、また、別の道を通り、孤児院、ライ病村などを、訪問して、釜山に戻った。

その際に、耳にしたこと、多々ある。
この、禿山は、皆、日本がしたこと。
日本の文化は、皆、韓国のもの。
日本軍は、韓国の一般市民を虐殺した。

兎に角、聞いていると、身が縮まるような話しばかりだった。

丁度、自虐史観真っ盛りの頃であるから、日本に戻っても、それが正しいのだという、結論。
どこにも、本当の事が、書かれた本に、出会わなかった。

ただ、少しの救いがあった。
釜山の橋の、たもとで、朝鮮人参を売っていた、おばあさんに、声を掛けられた。
私と、おばあさんしかいなかった。

おばあさんが、日本人は、良いことも、沢山したんだよ。
この橋も、日本人が造ったものだ。

唯一、それだけである。

そして、私は、一つ10ウオンの、焼き芋のサツマイモを、道端で売っている、おじさんのところに、買いに行った。
だが、おじさんは、売ってくれない。

言葉が分からないから、私も意味が解らない。
日本人だからだ・・・

多くの人が、集まって来た。
そして、おじさんに、芋を売ってやれというような事を言ったと思う。

おじさんが、渋々、10個、紙に包んでくれた。

それから、月日が経った。
私は、二度と韓国には、行かない。

上記のことが、真っ赤な嘘であると、知ったからだ。

簡単に、捏造するという、その根性は、どこからのものか・・・

だが、敗戦後、日本が高度経済成長の際に、大々的に、売春ツアーが行われたことは、事実であるから、書いておく。
韓国の人たちには、申し訳ないと思う。

中高年から、若者まで、腰が砕けるほど、女遊びを韓国で行っていたという、事実である。

それは、韓国人に、反省しろと、言われて、当然である。

韓国の、禿山・・・
それは、日本統治時代以前からのものである。

黄文雄氏が、書いている。
ジェロットケヴィチの、朝鮮旅行記を読めば、明らかであるという。

更に、モンゴル軍が、日本征伐のために、森林を濫伐して、造船を行ったものでもある。

韓国では、悪いことは、すべて、日本が行ったという、通説として認識する、させるのである。

呆れる。

朝鮮総督府設置当時の、半島の林野状況はかなりひどいものだった。鴨緑江と豆満江流城、狼林山、太白山、済州島のカンナ山などに原生林が見えるのみ。ことに、京畿道以南の地域では、国有林と墳墓周辺の森林を除いた大部分の山が、禿山と化していた。


朝鮮半島の面積は、韓国と北朝鮮を合わせると、22万平方キロメートルである。それは、日本の本州、イギリスと、同じ面積である。

地勢は、75パーセントが、山地で、新世代第三紀以降の地質で、火山島の日本とは違い、地殻変動の無い、安定した地質である。

気候は、大陸性高気圧の強い影響を受けて、秋冬は、乾期となり、その降水量は、年間の10パーセントにも、満たないという。

雨期の豪雨地帯は、往々にして、集中豪雨にみまわれ、不慮の洪水、旱魃が、珍しくないのである。

朝鮮の歴代王朝は、これに対して、何の手を打つ事無く、日本の朝鮮総督府が、いかにして、この水問題を解決するかと、始終努力していたのである。

これが、日定時代の、特記すべきことである。
でなければ、今の、韓国は、無かったのである。

李朝時代、常民の多くは、農民である。
しかし、米作が極めて不安定で、不確実ゆえに、農民たちは、資本投下に関心が無く、安易な掠奪農業に堕ちて行く。

近代国家など、造られる状態ではなかった。
先の、朝鮮旅行記によると、
労働者の受け取る賃金はごくわずかで、日本人へ金を売りさばく役人たちの懐にすべて消えてしまう。
勤労の民は非常に貧しくて餓えている。
鉱山の近くに村があり、労働者たちはそこで食事をし、酒を買い、給料には手をつけないで、ほとんど裸同然でうろついている。

これは社会的・経済的混乱を招く要因となり、民族意識の高揚、進取の精神を阻害した一大原因となった。それだけではなく、民族の自主独立精神をも消失させてしまったのだ。


李朝時代の、両班からの、搾取が延々と続いていたのである。
その、両班に対する、批判の一つも、聞えない。
ただ、悪いことは、日本のせいだ・・・

ここに至ると、韓国の行く末が、見えてくる。
真っ当に、歴史の事実を捏造するのは、いずれ、その身に、返るのである。

私が、日本政府に、韓国と関わるなというのは、恩を仇で返されるからである。
支援する必要は、一切無い。

反日を、国家のアイデンティティとするならば、それで、進んでゆくがいい。

アジアは、広い。
東南アジア、南アジアの国々に、日本は、篤い支援をするべきである。

支援して、恨まれる必要は、どこにもない。
日本にいて、在日として、差別されるというなら、韓国に帰るべきである。

差別は、在日だけのことではない。
日本人も、日本人に差別されるのである。




posted by 天山 at 00:33| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月02日

国を愛して何が悪い12

売国奴という、本がある。
その中で、元韓国人で、今は日本に帰化した、呉善花さんという方が、話している。
韓国では、どのような教育が、なされているか、である。

呉さんは、母親が亡くなった際に、韓国に行ったが、空港で入局拒否されている。
いかに、韓国人が狭量で、国際感覚を持てないのかが、解る。

長くなるが、引用する。

私は1956年生まれで、ハングル世代といういい方がされていました。1967年、小学校までは漢字教育がありましたが、六年生のときに「これからは漢字を勉強しなくてよろしい」といわれ、中学校に入って1970年の春からは、すべての教科書から漢字が消えていきました。漢字教育が完全に廃止されたんです。
そういうわけでハングル世代といわれるんですが、ハングル世代というのは同時に、最も強固な民族主義教育を受けてきた世代という意味であり、その中核にあるのが反日教育であるということなんです。反共教育もあったわけですが、二つを含めて私たちの世代が最も強烈な民族主義教育を受けた世代だと、そいう意味がハングル世代といういい方にはあるんです。

歴史教育では、まず古代の三国時代についての教育のなかに日本が登場します。先に述べましたように、東のすみっこにいる野蛮な小国に、あらゆる文化を教えてあげたというものです。

中世になると、日本はそうした恩を忘れ、豊臣秀吉の朝鮮侵略によって殺戮の限りをつくし、我が国の文化を破壊し荒廃させた、陶工など多くの韓国人を強制連行していったと教わります。韓国ではこれを壬辰倭乱といっています。1592年が壬辰の年にあたりますから、その年に倭が起こした乱、ということです。朝鮮ではずっと、日本のことを中国にならって「倭」と称し、蔑視してきました。で、「乱」というのは本来は内乱についての言葉なんです。一個の独立国との戦争ではなく、倭族集団が乱を起こしたと、そういう表現になります。

それで近世になりますと、日本が朝鮮に開国を要求して起きた砲撃事件、江華島事件(1875年)があって、ここから日本が敗戦するまでの70年間にわたる日本の侵略がはじまったと教えられます。これを70年戦争といったりします。

近世にいたって、日本は元来の野蛮な性格をむきだしにし、最初から朝鮮侵略の意図をもち、ついに植民地化にまでいたったと。そしていかに暴力的な支配の限りをつくして統治をしてきたか、韓国人はいかにそれに対して果敢な闘争を続けてきたかと。そういう流れになりますね。暴力的な支配というのはまったく史実に反しています。果敢なというほどの闘争は、3.1独立運動以降はまったくありませんでした。実際には、日本の統治時代の大部分が、武断を廃した文化的な統治であり、大多数の人々が整然とそれに従ったというのが史実です。

韓国の歴史教育の根本にあるのは、我々は絶対的に善なる民族であるということです。一度も他国を侵略したことがない平和を好む善なる民族である。それが周辺の悪なる民族に何度も蹂躙され続けてきた、なかでも最悪が日本民族であるということですね。ですから日本人というと、どうしても絶対的な悪のイメージになってしまうんです。

このように、教育された人たちと、どうして、友情が持てるか。

更に、事実を曲げて、教えるという、不穏な態度は、如何ともし難い。
度し難い国と、いうしかないのである。

その逆に、日本の歴史教育は、自虐史観であるから、韓国人にいわれると、そうですか、済みませんと、なる。

どちらも、真っ当な歴史教育をしてないということである。
日本人は、韓国人に近づかないし、韓国人は、悪の日本人に近づかない。
そうして、隣国でありながら、永遠に、遠い国である。

民族主義教育を否定しない。
だが、それが、過度になれば、国際社会で、孤立する。

韓国になかった、存在で、日本に存在する、天皇陛下・・・
この違いは、永遠の溝である。

日本が、いくら謝罪外交をしても、せん無いこと。

呉さんの、世代は、50代であるから、その後は、益々反日教育がなされた。
今は、韓国社会の中核を担う人たちである。

日本と、日本人を嫌えば、国際社会から、益々、嫌われる。
日本は、世界的に、好まれる民族である。

だが、しかし、教育は、恐ろしい。
ここで、言われるように、植民地化したのではない。
併合国家として、日本が、韓国の近代化に尽したのである。
もし、それが無ければ、今も韓国は、第三国である。

両班からの、搾取を受けて、韓国人は、飢餓状態にあり、それこそ、暗黒の時代を生きることになったのである。

更に、あのままでは、中国化、あるいは、ソ連化していた。
民族の誇りなど、叫ぶことも出来なかったのである。

少しばかり、経済が良くなり、先進国として歩んだとして、これからも、その偏狭教育が、続けば、後が無い。

日本人も、韓国人も、真っ当な、正しい、史実としての、歴史教育をしなければ、国力が衰え、それを復活させるには、100年要する。

現在は、史実としての、歴史が日本では多く見られるが、韓国が、そうなるまでに、韓国という国が、存在するか否かは、解らない。

最初から、日本が悪だと言う、観念を持ち、その先入観で、いれば、話し合いも出来ないのである。

韓国経済は、少しのことでも、吹き飛ぶ規模である。
更に、現在の韓国の人心の乱れは、凄まじいものがある。
常に大統領に、まつわる、汚職、搾取は、後を絶たない。

韓国社会は、すでに崩壊の体である。
犯罪・・・子ども達の心の荒廃・・・
道徳など、無い。
儒教の精神などは、どこにも無い。

人間として、生きるべき方向を見出せない韓国人が、どのように国を造るのか。
それこそ、お金ではないのである。

posted by 天山 at 00:23| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月03日

国を愛して何が悪い13

戦前は、中国、インド、東南アジアなどのアジアの農民は、極度に貧しく、飢餓状態にあった。
旱魃のたびに、死者が大量に出るのである。

中でも、朝鮮半島は、李朝時代の両班からの搾取、地理、天候などの条件から、最も貧しかった。

可耕地の広さと比べて、農業人口があまりに多く、地質、土壌、堆肥不足、治山治水の荒廃、気候寒冷などの、自然条件も悪い。
更に、山林荒廃による、燃料不足、堆肥不足、旧来農法の面からも、農業などは、難しいものだった。

その、朝鮮に近代化をもたらしたのが、文明開化、殖産興業に燃える、日本であった。
朝鮮だけではない。台湾、満州も、そうである。

今日に至っても、西欧列強と交流のなかった東アジア内陸は、相変わらず、旧態依然としている。

黄文雄氏の、上げる、朝鮮旅行記からの、抜粋である。
どこまでいっても禿山と赤土ばかりで、草も燃料のため刈り取られる。
山地が痩せていて、昨年もたくさんの餓死者がでた。
ここは退屈極まりない土地で、山は禿げ山、植生はほとんど見られない。
朝鮮人たちは土地が痩せていると不満を訴えている。樹木は皆無で、燃料には藁と草が使われている。

つまり、日本がしたことは、彼らのいう、全く逆のことである。
日本が、駄目にした以前に、駄目になっていた。更に、それに、手をつけようもなかったのである。

だから、朝鮮総督府当時の、半島の林野状況は、酷いものだったのだ。

韓国人が言う、日帝36年の、森林資源濫、掠奪だということが、真っ赤な嘘であること、明々白日である。

自分たちの、無能力さを、晒しているのである。
これが、将来、韓国の若者に知れたら、それを教えた者たちは、殺されるだろう。
無意味に、日本と、日本人に対して、憎悪を植えつけたのであり、それを取り戻すには、100年かかるのである。
勿論、韓国が、真っ当な国になったら、である。

朝鮮半島は、地質的には脊梁山脈が縦走している状態であり、日本海側では、豆満江以外は河川の流路が短い。そのため黄海側にそそぐ河川には大河が多くなるのだ。その上、有史以来大規模な治山・治水工事がほとんど行われておらず、自然の姿そのままで放置されている。
そんなことだから、自然災害も自ずと多くなり、七、八月ごろの雨期に台風が集中すれば、洪水と旱魃が交互に半島を襲う。半島の自然生態史は、こうして作られてきたのである。
黄 文雄

自然的要因だけではない。
盗伐と乱伐などの、人為的要因の、双方である。

それに対して、日本が、登場するまで、何も出来なかったのである。

両班は世界中でもっとも強力にして傲慢な階級である。彼らが強奪に近い形で農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合、支払いなしですませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令(知事)は一人もいない。
ダレ神父 朝鮮事情

戦後、日本が、朝鮮半島で行ったといわれる行為は、大半が、両班をモデルにした、捏造の、作り話である。

だが、不思議である。
何故、それほど、韓国人は、日本と、日本人を捏造してまで、嫌うのか。
民族主義の、なせる業であろうか。
それにしても、実に、お粗末である。

被害妄想という、病気があるが、それに近い。
被害妄想症状から、合併症を発して、今は、自傷行為にまで至るのである。

韓国社会の、混乱と、荒廃は、それである。

民族主義が、徹底して、強迫観念になると、昂じて、狂う。
韓国人が、韓国人を差別すると、相手が、死ぬまで、続ける。
強迫性としか、言いようが無い。

だが、それに気付いた、韓国人は、日本に、不法入国しているのである。
勿論、中国人も、である。

一度でも、日本に入国した、韓国人、中国人は、再入国して来る。
それが、不法入国でも、本国にいるより、いいのである。

実は、日本に憧れ、希望を持ち、期待してくるのである。

私が時々行く、中国人夫婦の、中華料理店がある。
もう、旧商店街で、シャッターを降ろした店が多々あるのだが、二人は、そこで商売を続けている。

そして、子供をもうけて、その子も、別な場所で、中華料理店を始めた。
更に、孫まで、出来た。

夫婦の実家は、上海から、車で、三時間の場所だという。
もう、中国には、帰らないのである。

韓国人の、教組を知っている。
日本で、韓国人相手に、商売宗教をしている。
兎に角、ガバガハと、金を得ている。
韓国人の、孤独感に付け込んだ、汚いやり方である。

その、弟子から、日本の税務署が一番怖いと、言っていると、聞いた。
これ以上は、遠慮して書かない。

在日韓国人が、世界で、一番成功しているのが、日本である。
どうして、こんな矛盾することがあるのだろうか・・・

決して、彼らに選挙権を上げてはならない。
捏造と、妄想まみれの歴史観を持って、対処するに決まっている。

この姿勢が、世界に通用することは、無い。

posted by 天山 at 00:07| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月04日

国を愛して何が悪い14

日帝は植民地政策のひとつとして、朝鮮の土地所有権を明確にするための土地調査事業を行った。しかし、字の読めない人も多く、近代土地所有の観念もなかった朝鮮農民は、土地の申告をしなかったために、多くの土地は日本人地主の手に渡ってしまった。

とは、1908年に、東洋拓殖株式会社が朝鮮で設立され、農業拓殖を当初の主要事業としたものである。

上記の、韓国側の言い分は、全くのウソである。

字の読めない・・・
字を読めるようにしたのは、誰か・・・

更に、
これによって、朝鮮最大の日本人地主となったのが東拓である。東拓は、日本国内の食糧を確保するために朝鮮米を植えさせ、内地に輸出する産米増殖計画を行った。逆に朝鮮農民は餓え、土地・食糧を奪われた朝鮮人は日本本土や中国東北地方へ流出せざるをえなかったのである。
と、ある。

これも、真っ赤な嘘である。

餓えに苦しむ、朝鮮農民を救ったのは、日本である。

朝鮮総督府が、日本と朝鮮の土地兼併を嫌う当時の風潮を重んじ、東拓の土地買収を規制したのである。

更に、駐屯土と称される、国有地の処分において、東拓へは譲渡せず、自作農創設として、朝鮮小作人に分譲したため、東拓の移民事業は、挫折している。

結果、本来は、6千戸の入植を予定していたが、朝鮮に定着したのは、3883戸だけである。

そして、朝鮮半島における、東拓のような、日本人地主は、非常に少なく、土地が二束三文で手に入ったとしても、入植日本人の土地所有者は、半島全農地の一割にも、満たなかったのである。

騙し取った・・・
冗談ではない。

朝鮮の土地は、李朝末期には、土地の所有権は、ほとんど両班や、地主の手にあり、字の読めない小作人は、元々、土地など持っていないのが本当だ。

何故、ここまで、ウソを書き並べて、反日を育てるのか・・・
それは、正に、劣等感である。

逆立ちしても、日本のように、寛容になれない、その民族性の、劣等意識である。

逆に、朝鮮の農業が、遅々として進まなかったのは、朝鮮には、数千年の歴史があり、土地には、固定した地主が、すでに存在していたため、新田開発が、困難であったというのが、本当である。

日本農民が、朝鮮で開拓した農地は、良田ではなかった。
大河の遊水地で、交通不便、更に、塩害がある土地を、開墾地として、開拓したケースが多いのである。

日本人はわざわざ朝鮮に行って、こんな不毛の地を耕していたのだ。それなのに、東拓を含めた日本の農業移民が、朝鮮半島の美田、良田を強奪したなどとはよく言ったものだ。美田を占有していたのは、ほかでもない朝鮮人自身である。
黄 文雄

そして、この日本人の、地味で真面目な努力によって、何と・・・
朝鮮半島は、数千年の農耕国家では考えられないほどの、農業革命を起こすことが出来たのである、と、黄氏は、言う。

それもこれも、すべて日本人の手によって実現したことなのだ。


韓国人の無能振りと、どの時代になっても、腐敗する様を、以下、醜い韓国人の中で、朴テシュク氏が語るのを、書く。

やがて、夕暮れがせまり、登山客が下山しはじめました。そのとき、服装がみすぼらしい年寄りが、日本時代に架設した「漢江大橋や、京釜線、京仁線は完成してから七十年以上たっており、韓国動乱(朝鮮戦争)中には、連日、米軍機の攻撃を受けて壊され、修理さけたというのに、今までなんともないのに架設して十五年で落下するような橋をつくったのは、誰がなんと言っても、不実工事で人災だよ」と大声で話していました。
誰も、異論を差し挟む者がいませんでした。ところが、その年寄りが続けて「日本人はなんと言っても境遇に合わせて、正しいことをする」というと、若者たちが礼儀も心得ずに「老人様よ。日本は東亜を侵略し、数百万人を殺害した殺人魔だ」と、怒鳴りました。
老人は、無礼な若者たちに「君らは下山して、家に帰るまで、歩道のブロックを見なさい。大半が、無茶苦茶な不正工事だよ。その実例を見て、今の社会がいかにいい加減であるか、実感できるだろう」と、応酬しました。青年たちは聖水大橋も不正工事だと判明したら、自分たちもそう確信するが、「老人様は、なんで日本人を讃えるのか」と言った。

老人は「お前たちは知らないだろうが、日本人の役人が賄賂を取って、民願事項を決定した例はなかったよ。今のわが国の公務員は、賄賂がポケットに入らないから、伏地不動をしているではないか。毎日の新聞に伏地不動という新語がのって、国家公務員の執務姿勢を批判しているのを知らないのかね?」と激昂して、言い返しました。

つまり、韓国人は、朝鮮人なのであり、その癖から、抜けきれないのである。
癖とは、両班時代からの、癖である。

その、無慈悲な民族性、その民族の性格・・・

大統領になると、その周辺から、必ず、収賄の匂いが漂うのである。
そして、それ以下の権力を持つ者たち。

21世紀に入り、韓国社会は、暗闇である。
甚だしい、犯罪大国と化している。

あの、小さな国が、である。

儒教文化など、無いに等しい。
更に、文化、道徳など、どこ吹く風。

その、鬱憤を反日で、晴らすという、根性である。
未来など、描ける訳が無い。

韓国が成功しているものは、すべて、日本からの、借り物である。
サムスン電器は、世界に乗り出して・・・
ソニーの技術を盗んで、堂々の世界入りである。

勿論、私は、商売の世界であるから、それに関して、批判する何ものも、無い。
寛容なのである。


posted by 天山 at 00:00| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月05日

国を愛して何が悪い15

韓国、台湾の近代化において日本がもっとも貢献した事業のひとつに、科学的土地調査がある。朝鮮総督府が土地制度と租税制確立のために行った「土地調査事業」は、近代朝鮮半島史上でもっとも特記すべき画期的な事業だとも言われている。
黄 文雄

朝鮮総督府は、1910年から、1918年に渡り、200万円の予算を組んで、全土の土地調査を実施したのである。

結論から言うと、どの時代でも、田畑の統計はなされていなかった。実質は、実に、いい加減なものだったのである。

李朝時代初期、145万5492結あった農地は、次第に減り続けている。
朝鮮の土地面積の、単位は、結負、キョルプと呼ばれる。

結果、約半数が、脱税地となり果てていた。
公簿に記載されない土地、つまり、穏結、穏田、である。

この、穏結には、もともと税金を免れていたもの以外に、地主は実際に納税していたが、地方官僚の横領などにより、税が露と消えていたのである。
また、地方官僚と、地主が結託して、国税を食い物にしていたのである。

公簿上での、結数は、時代と共に減少し、同時に国税も減る。
これが、朝鮮半島の庶民に対する、苛斂誅求の歴史的背景となったのである。

勿論、今、現在も、韓国人は、大統領付近から、不正蓄財、横領など・・・
必ず、前大統領になると、それらが、明るみになるという・・・

要するに、民族意識は、強いが、国家意識が、薄いのである。

一体、これは、どういうことであろうか。
韓国人は、そのことに、気づいているのか・・・
気づいていないのである。

韓国が、未だに、国に成っていないのは、そういうことである。
宗教に似た、民族意識のみ。
これでは、真っ当な国造りなど、出来るものではない。

さて、朝鮮総督府の全国土地調査によって、穏結が、一掃された。

その結果、総面積が、487万余町と、倍近く増大したのである。

だが、これまで、甘い汁を吸っていた者は、困るわけで、朝鮮総督府の調査に対して、不服申し立てが出てくる。
その数は、2万148件にも、達したといわれる。

だが、総督府は、隠し田を一掃し、伝統的な搾取である、土地紛争に終止符を打った。
現在の、韓国の農地、それは、日本が確保したものである。

五万分の一の地形縮図を完成させ、近代社会の社会的基盤を建設するのに、大きく貢献した。

土地調査と、地権の確立は、近代国家に欠かせない一大条件である。
黄 文雄

それを、日本がしたということ。
現在の韓国人は、それを、どのように考えるのか・・・

そんな、評価は、一度たりとも、聞いた事が無い。
口を開けば、日帝の批難、中傷である。

真っ当に、日本の実績を認めて、更に、日本と共に、時代を歩めば、国家というものの、姿を知ることになるのだが・・・
韓国人は、国家観というものが、欠落している。

唯一、妄想チックな、民族意識である。
そして、真っ当な歴史を学ぶことなく、夢のような、ストーリーを妄想するのである。

さて、両班というものについて・・・
ここで、韓国人、朴テヒョク氏の、醜い韓国人から、見る。

1874年、パリで刊行された「朝鮮事情・朝鮮教会史序論」からの、引用を用いて、説明する。

両班について、
「朝鮮の貴族階級は、世界中でもっとも強力であり、もっとも傲慢である」と描いている。そして「朝鮮の両班は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとくふるまっている。大両班は、金がなくなると、使者をおくって商人や農民を捕まえさせる。その者が手際よく金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行されて投獄され、食物を与えられず、両班が要求する額を支払うので鞭打たれる。両班のなかでもっとも正直な人たちも、多かれ少なかれ自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかつてないからである。彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合、支払いなしで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令は、一人もいない」と報告している。

守令は、官職名で、今日の知事に当る。

「法と慣習によれば、両班に対しては、彼らが金持ちであれ貧乏であれ、また有識者であれ、無識者であれ、できるかぎりの敬意をすべて表すことになっている。誰も決して両班の身体に触れることはできず、守令でさえ、たとえ過って手に触れたとしても、厳罰を受けるであろう」

読み進んでゆくと、まるで今日の韓国について書かれているようである。ただ両班を今日の長官とか、会長とか、社長に置き換えてみさえすればよい。
朴テヒョク

パリ外邦伝教会の神父たちが、報告書を綴ったころから百四十年もたっているというのに、韓国の権力者や企業幹部は、自由主義国のなかで、今日でも部下に対してもっとも傲慢な態度をとっている。
朴テヒョク

ところが、朝鮮総督府は、その差別を失わせたのである。
時間をかけて、忍耐強く・・・

朴氏は、日本人地主は、昔の両班よりも、はるかに寛容だった。両班のように、小作人である、常人を理不尽に苛めることがなかったし、不作のときは、小作料を安くしたと言う。

皆、韓国人の地主の小作人になるより、日本人の小作人になりたがったのは、当然のことである、とも。

日本人のもとで働いていた常人たちは、羨望の目で見られていた。


日本人が所有していた農地は、独立後に「敵産」としてすべて没収された。しかし、日本人が今日の韓国農業の発展の基礎をつくったことは、否定できない。


では、何故、それを、今の韓国人は、評価しないのか・・・
出来ないのであろうか・・・

それほど、劣等感に溢れていると、考えるのが、一番、解りやすい。
韓国人を、精神分析すると、あまりの、朝鮮人の哀れな劣等感を、日本に対する、攻撃に向ける方法しか、見出せないでいるということだ。

幼児的・・・
日本が悪いから、皆、悪くなった・・・
今の社会の腐敗も、日本が存在するからだ・・・

日本によって、滅茶苦茶にされた・・・
と、思い、現在の韓国社会は、手のつけようの無い、退廃振りなのである。

更に、象徴とするものが無い。
だから、民族という、意味不明の妄想に、身を委ねる。

その、民族の源流を辿ると、中国の属国に至るのである。
どうしたって、こうしたって、劣等意識の何ものでもなくなる。

私は、提案する。
日本と仲良くすること。
そして、文化を交流させて、共に、隣国として友情を、培う。

篤い友情が深まれば、竹島問題も、合い互いに、共に利用して、日韓の友情の島として、友好的に利用しようということになるだろ。
このまま対立するより、両国の絆の島。そこでは、一切の暴力行為は、禁止。そして、他国が侵略する時は、両国で、守る。

新しい、平和の象徴の島。
日本人の寛容の心を、引き出す努力をすべきだ。


posted by 天山 at 07:24| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月30日

国を愛して何がわるい16

朝鮮半島が、中国の属国として決定的になったのは、七世紀の、統一新羅の時代からである。

新羅は、唐の後押しで、三国を統一することが、できた。
そのために、当然、新羅は、属国として、唐に忠誠を誓った。

以後は、半島の王朝交替などにより、多少の強弱はあったが、朝鮮は、中国歴代王朝の、属国に甘んじていたのである。

更に、この宗属関係は、決して、中華帝国が一方的に強要したものではない。半島の王朝は、権威権力を含めた、政権確立と、政治安定のために、中華王国による、冊封を必要として、進んで属国になったのである。

朝鮮王朝の、尊中華は、半端なものではなかった。
事大主義だけではなく、属国願望が強烈だった。

935年、新羅を滅ぼして、統一王朝を建てた、高麗王朝の朝貢使は、朝貢と、冊封を要請してきていたのである。

宋は、北方の強敵に誤解されないかと、高麗の朝貢に難色を示したほどである。

更に、李朝朝鮮の始祖である、李成桂は、1392年、高麗の王位を簒奪し、国号を朝鮮と改めて、明王朝によって、冊封されたのである。

しかし、明は、満州人の清に滅ぼされる。
その時、李朝は、明への忠誠を守り、反清復明を唱えて、討伐を企てた。
だが、清の軍により、徹底的に蹂躙され、完全に、清の属国になった。

すると、李朝朝鮮は、今度は、民に矛先を向けて、明人を虐殺するという。

清の冊封体制は、17世紀末から、18世紀にかけて、完成された。

ここで解ることは、その頃から、中華思想というものが、いかに、誇大妄想敵だったかということである。

つまり、清王朝では、満州人の祖国である、満州と、他の地域を異なる支配体制をとった。中国本部は、満州人の植民地に等しい性格をもっていたのである。

そして、本部以外の、地域に対しての、朝貢関係を規定していた。
それが、以下である。

満州は、天領して、入植禁止。
モンゴル、回部、のちの、新疆ウイグル、チベットなどは、藩部とされ、将軍、大臣を置く、従属関係の半自治区である。
朝鮮、ベトナム、シャムなどは、朝貢国、属藩とする。
ビルマ、ネパールなどは、準朝貢国。
ポルトガル、オランダ、イギリス、イタリア、バチカンなど、貿易関係にある西夷は、朝貢貿易による、朝貢国とみなす。
日本、東南アジアの、諸海港都市などは、貿易関係を持つ、互市国、朝貢国以外の国家、とする。

どうだろうか・・・
呆れて口も聞けない。

こうして、勝手に、決めているのである。
何様のつもりなのか・・・

それが、今も、脈々と生きている、中華思想である。

19世紀に至るまで、清帝国が、天下唯一の、国家主宰者であると、妄想していたのである。

だから、その清との戦いを行った、日中戦争での、日本の勝利は、耐え難く、忍び難いものだったはず。

そして、それにより、朝鮮も、独立を得たのである。

日清戦争後に、下関条約が結ばれる。

その第一条には、清国からの朝鮮の独立が明記されている。
つまり、朝鮮が属国であったという、証拠である。

原文
清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス
である。

この、第一条が、何故、朝鮮の独立を明記したのか・・・
それは、日本にとって、朝鮮の独立が、日清戦争の最大の、目的の一つだったからだ。

当時の、日本の国益である。

当時の、世界情勢は、清国は、イギリス、フランスなどの列強に蹂躙され、ロシアは、アジアの権益を狙い、南下の野望を抱いていた。
朝鮮が、衰退の激しい清国の属国であれば、やがては、列強の判図となり、日本にも、その脅威が及ぶことになる。

これを、日本のアホな学者も、侵略戦争のはじまり、などと、たわけたことを言うが、それでは、そのまま放って、置けば、どのようになったのか・・・

中国も、朝鮮半島も、列強により、食い尽くされていた。
そして、今は・・・

戦争は、清国が、日本を仮想敵国と想定し、朝鮮半島の支配を、宗属関係から、保護属邦関係へと強化し、威嚇を繰り返したのである。

危機感を募らせた日本は、自国存立のため、朝鮮独立を画策し、そのために、清国との対立が深まり、戦争へと、突入したのである。

そして、それは、世界的な世論も、同調していたということである。

当時の、国際的常識では、アメリカ政府の言う、
朝鮮は清帝国の属国国家であり、半島における何世紀にもわたる封建的国家としての支配は、清国によって承認された
と、その宗属関係を、認めているのである。

歴史的事実は、史実である。

それを単に否定することは、主観的なものであり、認められないのである。

何せ、当の、朝鮮半島でも、独立の気運が高まっていたのである。
李朝朝鮮末期に、開化派が登場して、事大主義の対抗勢力として、独立派と称され、清国からの、独立を獲得しようとしていたのである。

事大主義とは、大に仕える、属国派という意味である。


posted by 天山 at 00:00| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月01日

国を愛して何が悪い17

19世紀、大航海時代を通して達成された、世界全体を覆う空間革命は、統治する国と、統治される国、植民する国と、植民される国を生み出す。

西欧で、誕生した新しい国は、ナポレオン戦争を通じて、海外植民地の獲得へと向かうのである。

それにより、国富を増し、列強として、君臨した。

それは、19世紀末には、完了する。
その結果、日本、ロシアのような、自己変革のできなかった国は、エチオピア、タイのような例外を除いて、大半が、西欧列強の植民地、あるいは、準植民地と、転落する。
タスマニア人のように、消え去った民族もいる。

長い間、中華思想により、安穏としていた清国も、1840年から42年のアヘン戦争以後、衰亡してゆくのである。
当然ながら、属国であった、朝鮮も、それを避けることは、出来なかった。

19世紀における、国際法としての、万国公法は、国家という概念について、どのように規定していたのか。

その、公法における、近代西欧の国際秩序体制とは、大航海時代以後に生まれた、近代西欧国民国家によって作られた、世界秩序である。

そこでは、英、仏、オランダなどの、西欧国民国家は、自主の国といわれる、主権国家である。更に、文明国である。

日本、中国、ペルシャ、オスマントルコなどは、半主の国、半文明国、それ以外の地方は、未開の地、である。

未開の地と、みなされた場所は、先住民がいても、独自の国家体制があっても、無主の地、とみなされ、先占の法理により、自主の国が自国領として、編入することが認められたのである。

この思想は、どこからのものか・・・
キリスト教、白人主義の、差別思想である。
更に、その思想は、イギリスにおいて、作られた。

事実を追うと、そのようになるが、問題は、白人主義と、キリスト教に尽きるのである。

半主の国、中国の属国である朝鮮は、当然のことに、無主の国とみなされた。
世界中、どこの国も、朝鮮を、独立国家とは認めていない。

それゆえ、今、韓国人が言う、日帝により、独立、主権を奪われたという、お話しは、お話しである。全く根拠が無い。
当時の、国際関係から見ると、勘違いであり、無用な議論である。

独立も、主権も無いのに、どうやって、それを、奪うことができるのか・・・

金を持たない人間が、金を盗まれたとは、言わないだろう。
そのような、狂ったことを今になって言う、韓国人とは、歴史を知らない。
または、全くの、無知としか、言えない。

属国であったという、事実は、研究家によって、様々に分析されている。
ここでは、それらを省略する。

ただ、言えることは、属国でも、他の属国と比べて、下の下であったという、事実である。
韓国人は、自身で、よくよく調べてみることである。

朝鮮は、「礼記」にある、天子七廟、諸侯五廟の規定を守り、天神を祀ることを避けて、五廟のみを、祀っていたのである。

ところが、日清戦争後、下関条約により、朝鮮が解放され、独立を果たした、1896年、国王の高宗が大韓帝国の、帝位に就いてから、天神を祀ることが出来たのである。
統一新羅時代から、千余年を経ている。

韓国が、千年属国から開放され、主権国家となったがゆえの、ことである。

どうであろうか・・・
現在の、韓国人の若者たちに、正しい歴史教育を行っているだろうか。
偏狭な思想により、単なる反日教育をしているならば、信頼関係も、友情関係も、築けないのである。

更に、反目し合えば、マイナスの事象だけが、起こる。
隣同士の国であるのに・・・

実に、勿体無いことである。

日本を、国際社会で、貶めようとすれば、するほど、韓国は衰退する。
何故なら、国際社会は、それほど、アホではない。
多くの研究者がいて、事実を研究している。

一人合点の考え方では、孤立するばかりである。
更に、日本が、韓国支援をする際に、日本国民の拒絶に合えば、助けようとも、助けられなくなる。

日本には、韓国が必要ないが、韓国は、日本が必要なのである。

古代史を見れば、半島の没落した王朝の人々が、日本に助けを求め、更には、帰化しているのである。

そして、そこから、日本の伝統文化も、生まれた。
それは、与えられたものではない。
半島の人たちが、恩返しとして、日本に尽したのである。

日本は、朝鮮に与えたが、中華帝国からは、搾取され続けたではないか。

それを、よくよく、鑑みて、物を言うべきである。

それでは、慰安婦の問題を取り上げる。

属国の、朝鮮が宗主国の、中華帝国に捧げたもの、主要貢物には、牛馬、金銀、そして宦官、更に、慰安婦である。
それを、貢女、と、呼んだ。

朝鮮は、昔から、売春立国だったのである。

1980年代以後、日本に対して、従軍慰安婦問題を、言うが、古来から、それは韓民族独自の、文化ともいえるものである。
根拠無き、日本の従軍慰安婦問題を、言えば、言うほど、やぶ蛇で、歴史を詮索され、その事実が、明らかにされる。

古来から、慰安婦を中華帝国に送り続けた、売春立国、それが韓国の歴史的事実である。

その伝統が、残っているようで、2011年の統計では、日本に、五万人以上、アメリカに、三万人以上の、韓国人売春婦が存在し、問題になっている。

更に、オーストラリアでは、韓国人女性の入国に、非常に敏感になっている事実である。つまり、売春行為を目的として、入国するというものである。

ここまで言っても、解らなければ、言う。
今も、朝鮮の伝統である、慰安婦が存在するということである。
それが、朝鮮の伝統なのである。



posted by 天山 at 00:00| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月02日

国を愛して何が悪い18

朝鮮半島は、アジア最大の、貢女の産地として、見なされていた。

驚くべきことである。
更に、最近まで、韓国は、管理売春国家として成り立っていたのである。

妓生、キーセン、などは、今でも存在する。

今更、慰安婦問題でもないだろう。

韓国人は日帝が大量の朝鮮女性を従軍慰安婦として強制連行したと非難するが、そもそもその事実を示す客観的な証拠など存在していない。だが、仮にもしそのようなことがあったとしても、朝鮮が唐の時代からしばしば北方民族に強制連行された悲しい歴史からすれば、取るに足らない出来事のはずである。「男女授受親しからず」の儒教倫理を受容する前の朝鮮半島では、性についてそれほど厳しい規制はなかった。儒教受容後でも、妓生は別世界として扱われていた。
黄 文雄 韓国は日本人がつくった

中国の文献から見ると、高句麗時代の風俗は、荒淫で恥も無い、高句麗人の女遊びの相手は、一人とは限らず、乱交風俗であると、書かれている。

統一新羅の時代から、李朝朝鮮に至るまで、例年、宗主国の、元、明、清へと、貢女を捧げてきたとの、記録がある。

婚姻の習慣から言えば、古代朝鮮は、売春婚の国である。
中華帝国をはじめとする、北方諸王朝への貢女の献上は、古代から有名だったのである。

少し、深入りすると、元時代、モンゴル人統監下での、貢女献上は、高句麗の貴族社会では、苦痛なほどだったと、いう。

「処女」を献上しなければ、ならなかったのである。
これが、慣例となった朝鮮では、元が抱える、もと南宋の降人部隊(南宋漢人部隊)に、女を献上したことから、明、清へと、朝鮮の貢女献上の悲劇が続いたのである。

美女や、処女であるだけではなく、その身分が、朝鮮国王の妹、王女、あるいは、大臣の娘が好ましいと、されていたのである。

また、侍女を出す場合も、美人、処女であり、両班の娘、妾が望ましく、それ以外の地位のある者を貢女として、選んではならなかった。

もし、不正が発覚すれば、責任官使が逮捕され、厳しく罪に、問われたのである。

現在、韓国が騒ぐ、従軍慰安婦問題には、日本政府が関与したといわれるものは、一件もない。

逆に、韓国では、戦後も、国家管理売春が横行していただけではなく、朝鮮史における、慰安婦の輸出や、売却の史料も存在している。

李朝時代、毎年、宗主国に、貢女、宦官を献上していたのは、史実である。

西洋の、伝道師、シャルル・ダレが、書いた、朝鮮事情には、李朝朝鮮は、毎年、宮廷慰安婦として、美女3000人を、出していたと、書いている。

更に、驚きは、妓生、キーセンは、世襲制だったというのである。

その全盛期は、高麗朝末期から、李朝初期である。
一牌、二牌、三牌という、段階に分けられ、それぞれ、宮女に近い、官位を与えられていた。
そして、地方の、キーセンは、もっぱら、官使の接待にあてられ、性の奴隷として存在していたのである。

三牌の集落は、売春宿になって、両班たちの、遊びの場であった。

千年以上に渡り、貢女と、宦官の献上を繰り返していた朝鮮である。

そして、駐留軍慰安専用の、ウォーカーヒル、つまり、米軍兵慰安総合遊興村も、現在の、退廃理髪店に至るまで、脈々と、続いている。
最近までというより、今も、それが存在するのである。

売春立国韓国なのである。

現在も、日本に五万人以上、アメリカに三万人以上の、韓国人、売春婦が、入り込んでいる。
オーストラリアが、それを危険視しているほどである。

韓国では、中学生の教科書に、日本の従軍慰安婦について、記述しているが・・・
呆れる。

やぶ蛇になるだろう。
事実を知った時に、子供たちは、どういう反応を示すのか・・・

アメリカ在住の韓国人が、至る所に、慰安婦の像を建てるという。
そうして、後々、大恥をかくことになるだろう。

今回、私は、貢女だけではなく、宦官も、献上していたということに、非常に驚くのである。

宦官とは、男子の去勢である。
信じられない思いである。

そこまでして、ご機嫌を取っていたという事実である。

属国でも、下の下の存在だったということが、実によく納得できた。

そして、それを甘んじて受け入れていた朝鮮人である。

醜い韓国人、を書いた、朴テヒョク氏も、書いている。
韓国は高麗、李朝時代を通じて、政治、社会制度から学問、生活習慣まで、中国を完全に模倣しようと努めた。韓国は、中国文化の優等生だった。韓国人は、古代には独自の名前を持っていたが、新羅時代に入ってから後に、中国名を名乗るようになった。韓国の姓は、天降姓といわれる金氏、朴氏、昔氏の、三王姓以外は、すべて唐式に改姓された。

李朝朝鮮は、中国の完全無欠なコピーであることを誇って「小中華」と称したものだった。何と不運なことだったか!そこで中華思想、科挙制度、中央集権から、ごていねいなことに宦官まで真似をしてしまった。・・・・
中国が世界でもっとも完成された国家であり、中国文化がもっとも優れているという独善的で、思い上がったものである。

そこで、宦官になるのは、貧しい若者たちが、生活苦から栄達を夢にて、残酷なことに、自ら去勢して、宦官になることを志願したという。

その、宦官は、日韓併合のときまで、宮廷にはびこっていた。
宦官たちは、中国の宦官と同じように、利権を漁ることだけを、生き甲斐にしていた。

つまり、献上しただけではない。
韓国にも、宦官制度を置いたのだ。

調べるにつれて、嫌になる話である。


posted by 天山 at 00:56| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月03日

国を愛して何が悪い19

韓国は、悪臭を発する中国文化―――とくに儒教によって、どれほどまで毒されてしまったことだろうか。それで、韓国人は中国人を「垢奴」テノムと呼んで蔑む。垢にまみれた不潔な人々という意味である。韓国人同士で相手を侮蔑しようとするときには「お前は中国人のパンツをはいているのではないか」といって、よく罵る。
朴 テヒョク 醜い韓国人

更に、
韓国で中国人のイメージといったら、貪欲であるとか、人をなかなか信用せずに用心深い、とかいったものだ。それなのに韓国人は、今日にいたるまで、中国文化のくびきから抜け出せないでいる。
と、いうことだ。

ここで、不思議なことは、儒教文化の、悪臭という表現である。
日本では、孔子の論語に対して、非常に良いイメージを持っている。

中国と、韓国における、論語と、日本における論語に対する、意味が違うということが、解るのである。
これについて、説明することは、省略する。

それにしても、孔子の論語、そして、儒教という倫理道徳がありながら、中国人も、韓国人も、世界の手本のような、人間がいないのは、何故か、不思議である。
つまり、論語の読み方が、全く違うということであろう。

日本人が、論語を読む場合は、実は、日本的精神が、大きく介入しているといえるのである。

中国人の顕著な特徴は、無秩序で、汚く、けたたましく、騒々しいことだ。まったく自分本位で、派閥を組んで争うことを好む。いつも人を妬んで、自制心を欠き、人の悪口ばかりいっている。ホラを吹く。体面ばかり重んじて、いたずらに誇り高い。協調精神を欠いていて、自分の過ちを認めようとしないーーーといったものだ。これらの特徴は人の性格のなかの悪い面をそのまま表している。国家よりも一族の利益を願い、官が腐敗していて、社会が賄賂漬けになっているところも、同じことである。


派閥を組んで争うとは、現在も、中国共産党の中では、頻繁に行われている。

次が、問題である。

西洋の帝国主義者たちが19世紀に入ってから、アジアへやって来ると、まず腐敗しきっていた中国が餌食になった。次ぎは日本だった。ヨーロッパの猛獣たちは、中国という巨大な獲物を食いちぎるのに忙しかったから、彼らの牙が日本へ向くのは半世紀ほど遅れた。最後が韓国だった。この意味では韓国は日本よりも恵まれていたはずだった。
それなのに、李朝のもとにあった韓国は、この貴重な時間を中国とまったく変わらずに、中国ゲームに耽って、無為に過ごした。


ロシア船が、今日の北朝鮮の、沖合いにやってきたのは、1864年である。
韓国では、日本でいう、黒船ではなく、異様船と、呼ばれた。

更に、翌年は、アメリカの商船ジェネラル・シャーマン号が来航して、有名なシャーマン号事件が起きた。
シャーマン号は、通商を拒否されると、日本海から、大同江を遡り、ピョンヤンまで来て、なお通商を求めたが、軍民によって襲撃されて、焼き払われた。

李朝は、鎖国を宣言すると、1866年、キリスト教に対する禁令を発して、三年に渡り、大迫害を行う。

この結果、韓国で布教に当っていた、フランス人神父9人と、8000人以上の信徒が処刑されたのである。

当時の、李朝は、12歳の高宗が王位に就く。
幼いために、父の興宣大院君が摂政となった。大院君とは、国王の実父に贈られる称号である。

李朝末期と、清朝末期の状況は、よく似ている。

清朝では、6歳の同治帝が、即位し、前帝の側室だった、西太后が摂政として、実験を握った。
更に、14年後に、皇帝が死ぬと、妹婿の子であり、4歳の光緒帝を皇帝にし、摂政政治を続けた。

大院君も、西太后も、国難をよそにして、権勢を貪るのである。

大院君は、財政難でありながら、全国に重税を課して、秀吉の韓国侵略の際に焼き払われた、三百年も廃墟の景福宮を王宮として、再建したのである。

だが、執政10年目に、王妃一族との権力争いに敗れて、隠退を強いられた。

その後の、韓国は、中国の紫禁城の大奥で西太后と光緒帝が争いをしたのと同じく、大院君派と、王妃派が抗争した。

王妃派が、日清戦争で中国が破れた後、ロシアと結んで、日本と結んだ大院君派と、抗争したが、大院君派が争奪したのである。

それは、以前に書いた通りである。

その後は、清朝も、朝鮮も、国内動乱の時期に入ったのである。

韓国は、今日でも重い「中国病」にかかっている。


韓国が近代国家として、発展するためには、われらのなかの中国的なものを消し去らなければならないのだ。


日本人は、日本列島が中国大陸からかなり離れて、中国から侵略をこうむることがない位置にあった幸運を、もっと天に感謝すべきだろう。中国文化と日本文化は、中国文化とヨーロッパ文化との間にあるのと同じほどの大きな違いがある。


確かに、言われてみれば、そうである。
しかし、これから、その中国の牙が日本に向かう。
中国の、日本侵攻は、すでに始まっているのだ。

日本の領土を核心的利益などと、平然として言う。
勿論、日本だけに限らない。核心的利益となれば、どこの国のものでも、我が物とする、中国流の、考え方である。

民主党政権最後の、総理大臣になるであろう、野田首相は、中国と円と元での、取引をするとの約束をした。

つまり、ドルを介さないで、取引するというのである。
これは、どういうことを意味するのか。
アメリカ外しである。

基軸通貨である、ドルを外すのであるから、穏やかではない。

更に、中国側は、どう捉えるのか・・・
日本を取り込んだと、考えるのか・・・

とても、危険な状態を生んでいることは、間違いない。


posted by 天山 at 00:00| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月04日

国を愛して何が悪い20

列強時代、朝鮮が清国の属国であったことは各国ともに承知していたことで、朝鮮外交をめぐる交渉は李朝朝鮮ではなく清国を通して行われていた。朝鮮の国事や人事までも、清国政府が決めていたからだ。
黄 文雄

1885年、イギリスが朝鮮半島南端の巨文島を占領したときも、李朝には通告せず、イギリス駐在清国大使に連絡がいったのである。

更に、李朝政府には、連絡することなく、占領を了承したのである。

翌年、李朝国王の高宗が、有事の際にロシアに保護を求めようとして、ウエーバーに送った新書が、清国に発覚した。
その時、宗主国の代表として、朝鮮に駐在していた、袁世凱は、高宗を問い詰め、遂に、国王退位の厳しい措置を建言したという。

当時、日本は、国益を考えて、朝鮮を「自主の国」と主張していたが、清国の圧倒的存在感に押され、清国を宗主国と認めざるを得なかったのである。

1885年、井上馨外務卿が、清国に提出した、「朝鮮弁法八か条」でも、しかたなく、清国と妥協して、朝鮮の政務を清国と日本で、共同管理すると、第一条で提案している。

日本は、朝鮮が、自主独立の近代国家として、変わることを期待していたのである。

しかし、1875年、日本軍の戦艦が、演習中に、朝鮮軍に砲撃された、江華島事件の結果、朝鮮開国が行われると、日米英露などの列強が、朝鮮を中国の属国と認めなくなったのである。

そして、朝鮮と単独に、密約、条約などを結び、外交関係を持つ国が出てきたため、清国は、朝鮮管理を更に、強化した。

それは、朝鮮の第三国への公使派遣は、認めるが、全権の二文字は、使用禁止にした。

更に、レイヤク三論なるものの、順守を強要した。
一、 朝鮮公使は駐在国に赴任したら、必ず清国公使館に先報し、清国公使を経て相手国と折衝すること。
二、 公私外交の席上、韓国公使は必ず清国公私の次席に座すること。
三、 重要交渉がある時には事前報告し、相手国に関係なく属邦体制を守ること。

何とも、悲しい限りである。

だが、裏では、約束を黙殺し、日米英露の力を利用しつつ、清国を牽制していたのである。

19世紀に入り、李朝は、清国から保護を強化されたり、高宗をロシア公使館に移して、クーデターで親露派政権を立てたり、日露戦争後は、日本に保護されたりと、巧みに相手を変えていた。

これだけ、保護国を乗り換えてきたのである。
今頃、日帝時代の、云々を言うのは、実におかしいのである。

ゆらゆら揺れて、自主独立を保てないという、朝鮮の、その民族の心意気など、無いといえる。

そして、更に、面白いのは、清国の朝鮮省という、中華帝国の編入を喜ぶという、アホ振りである。

今なら、どうだろうか・・・
韓国人が、中国になるのを、喜ぶ人たちがいるだろうか。

しかし、先祖たちは、そうだったのである。

いくら、捏造しても、事実は、残っている。
韓国人の先祖は、中国になることを、事の他、喜んだ・・・

さて、清国では、アヘン戦争が起こり、その後に、太平天国の乱が起こる。
更に、もう一つ、イスラム教徒の乱、回乱が起こる。

1851年から、64年に渡る、反清農民革命である、太平天国の乱は、人類史上最大の、叛乱といわれる。
その死者は、五千万人、あるいは、人口の五分の一といわれる。

そして、1862年から77年の、回乱は、死者二千万人と、推定される。

この、内乱の中で、ベトナムは、清仏戦争により、完全に、フランスの手に落ちた。

朝鮮半島では、日本、ロシアが介入して、それに危機感を抱いた清国は、朝鮮の管理監督権を握る、李鴻章を中心に、今後の処分について、議論が絶えなかったのである。

回乱が起こった後で、清国は、大幅な行政改革を行った。
回部、つまり、新疆ウイグルを、福建省の台湾を、1887年に、正式に組み入れたのである。

そして、朝鮮である。
それを組み入れるために、介入している、日本とロシアの勢力と対抗するために、指導と管理を強化した。

朝鮮省を設立し、列強諸国に対して、朝鮮は、清国の固有領土であると、アピールしたのである。

地政学的に言えば、朝鮮は、日本にとって、ロシア南下の脅威を阻止する場所であり、清国にとっては、外敵を防ぐ自然の防壁となる。

ゆえに、清国は、朝鮮農民の反乱の鎮圧にかこつけて、軍隊を派遣し、そのまま、朝鮮半島の守りを固めようとしたのである。

日本、ロシア、清国などによる、朝鮮獲得競争が静かに、進行していた。

そして、日本と清国では、朝鮮の指導と管理について、多くの経営策が議論されていた。

それを、おおよそまとめたものがある。
一、 漢の四郡建置の例に従い、朝鮮国王を廃止、その地を清国の一省とする。
二、 朝鮮国王を存置するとしても、周の例に従い、監国を置く。
三、 有力なる軍隊を派遣して、その海港を清国の下に置く。
四、 朝鮮の内政革新を断行する。

その他にも、日本に取られた、琉球を取り戻そうという個所もある。
朝鮮前後六策、といわれる。

それにしても、朝鮮の問題なのに、一切、朝鮮側の発言が無いのである。というより、発言さえも、無視され、相手にされなかったというのが、事実である。

うすのろ・・・というしかない。
要するに、中国により、朝鮮は支配されていたのが、事実なのであり、あのままでいれば、確実に、現在は、中国領になっていたということである。

日清戦争により、日本が勝ったことにより、現在の韓国という国が、存在するのである。


posted by 天山 at 00:00| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。