2012年03月28日

国を愛して何が悪い

日の本
あきつ島
豊葦原瑞穂国 とよあしはらのみずほのくに

国を愛して何が悪い。

私は、日本という国を愛している。
更に、日本人として、誇りを持つ者である。

この、エッセイは、たった一人の人のために、書く。

読者を一人に絞るのである。

最も、いつも、一人の人のために、書いている。
もののあわれについて、は、母のため。

更に、たった一人のために、書いている。
だから、その批判や、非難、中傷は、論外なのである。

私の大切な人のために、書いている。

売文では、無い。
私が、その人たちに、向けて書いているのである。

たった、一人の人に向けて。

だから、国を愛して何が悪い、と、題をつけて、たった一人の人のために、書く。

明治維新・・・
とても、とても、素晴らしい事を、考えた人たちがいる。
その、代表として、坂本竜馬を上げる。

ただし、司馬遼太郎の描く、坂本竜馬ではない。
それは、私の、竜馬である。

下級武士の、竜馬が、何を考えての行動か。
それは、ただ、皆が、幸せになることを、目指したのである。

それ以前は、皆が、幸せでなかったということである。

つまり、不自由、不平等であった。
江戸幕府の怠慢である。

江戸幕府は、三代目以降から、堕落した。

勿論、中には、改革を断行した者も、ある。
しかし、朝廷、つまり、天皇に対し奉りては、不遜である。

天皇を、封じたこと、罪多々あり。
だが、朝廷、天皇陛下は、それに、甘んじた。
何故か。
天下泰平を、良しとしたからである。

戦が無いことが、民の、幸せである。
天皇は、いつも、国民の立場に立つのである。

それを理解し得ない者ども、それが、日本を不幸にする。

天皇と、言えども、様々な天皇が存在した。
しかし、天皇も、進化する。

天皇という、身分を、鑑みて、天皇に相応しくあろうとする、天皇も存在したのである。

私は、それを評価する。
切に評価する。
何故か。
陛下は、公人であらせられる。
こんな不自由なことが、あろうか。

その日、一日、公人であらせられる。
貴族は、いいが、陛下は、四六時中、陛下で、在らせられるのであるのである。

それは、拷問に近い。

下々は、理解できない、立場を、生きた。

毎日、国民のために、祈る。
日本国中のことを、心に留めるのである。

このような、人物が、一人でも、存在するということが、日本の誇りである。

無私にして、国民に対処する、天皇陛下という、存在が、この国には、在るのだ。

世界広しと、言えども、それは、日本以外に無いのである。

posted by 天山 at 16:04| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月29日

国を愛して何が悪い2

知人が、祝日には、家でも、国旗を掲げたいと、家庭用の国旗セットを買った。
そして、祝日に、家の前に掲げることにした。

長女が遊びに来た。
そして、祝日が過ぎて、国旗を降ろした時に、
ああ、良かった、変な家だと、思われるは・・・
と、言った。

それを聞いた、知人は、娘の言葉にとんでもなく、違和感を覚えたという。そして、今までの、受けた教育現場を思い出したという。

大阪市が、橋下市長になり、国歌斉唱の際の、教員の起立を義務付ける条例を制定した。
すると、共産党の委員長が、
個人の思想、信条の自由を侵す云々・・・
全く、これには、意味不明である。
しかし、多く日教組の教師たちは、そのように考えている。

一体、どこの国の国民なのか・・・

ゆゆしきこと、甚だしいのである。

そして、現在は、敗戦後の見事な、国嫌悪の教育が、行き届いて、国の象徴である、国旗、国歌に対して、無礼千万な態度を取っても、許されるという・・・

そのお陰で、日本の若者の行為が、すこぶる悪い。
特に、スポーツ親善などで、海外に出る生徒たち。

その出掛けた国の、国歌斉唱、国旗掲揚の際に、起立せず、注意される。
更に、自国のそれも、平然として、座っている。

そこに、またまた居合わせた、日本在住の外国人作家が、怒鳴った。
これは、君達の、国の国旗と国歌であろう・・・
何故、起立しない。

彼らが悪いのではない。
教えられていないのである。
そして、これが、いつまで続くのだろうか。

これが、個人の思想、信条の自由なのか・・・
全く、意味が違う。
礼儀作法である。

国内で、それでも、まだ許されるが、一度、海外に出れば、許されないこともある。

挨拶と同じように、教育されなければ、ならないことである。

共産党の委員長が、そのような蒙昧なことを言い、更に、教師たちが、蒙昧な行為をする。話にならないのである。

それも、公立学校である。
私立では、それぞれの、思想信条を持って、教育に当ると、親も子供も、納得して入学し、キリスト教の宗教教育や、礼拝を行う。
それを、個人の思想、信条の自由から、拒否するか・・・
それを、納得して、入学したのである。

公立は、私立ではない。
国の学校である。
当然、日本の国の礼儀作法を教えるべき場所である。

そして、それは、また、自分に続く先祖たちへの、思いであるということだ。
同じように、先祖たちが、大切にした、国旗や国歌を受け継ぐ者としての、意識のありようである。

様々な、宗教も、大きな儀式に於いて、国旗掲揚を掲げるべきなのである。
それは、その自由が、国によって、保障されているという、感謝の意味と、日本国の発展を祈るはずなのである。

更には、元首である、天皇の御旗を掲げるべきだが、今上天皇は、それを、強制しないという、僥倖である。

日本ほど、世界で、国旗掲揚と、国歌斉唱に気を使わない民族もいない。
多分に単一民族のゆえであろう。

だが、世界が狭くなった現在、子ども達には、しっかりと、それの礼儀作法を教えるべきである。
それが、個人の思想、信条の自由を侵すものではない。
挨拶が、個人の自由を侵すものだろうか。

中国や、北朝鮮のように、日本の国歌が流れる際に、ブーイングなどをする国と、同じように、無礼な国になってはいけないのである。

あちらは、第三国であるから、致し方無い。
しかし、日本は、先進国であり、世界的な国家として、注目を集めている。

大震災の際の、日本人の行為行動が、世界に賞賛された。
それは、日本人の礼儀正しさに、である。
皆々、人を優先し、パニックに陥らない行動をとった。
掠奪なども無く、淡々とし、冷静に行動した。

世界が、驚愕したのである。
素晴らしい、日本人のあり様であると。

先進国でも、あのような大震災の時には、略奪や、逸脱した行動を取る人たちが、大勢いる。しかし、日本人は、違ったのである。

さて、それは、時に、1900年の中国での、義和団事件の際である。
義和団による、社会の混乱が起きていた時、一人の日本の軍人が、北京駐在武官として、滞在した。
その名は、柴五郎である。

義和団事件は、満州にまで飛び火し、ロシア人が殺傷される事件も起きたことにより、ロシア軍が、怒涛の如く、満州に流れ込む。
そして、街を焼き払い、掠奪し、虐殺し、市民の生活を脅かした。

この時に、ロシア兵も兎も角、精国軍の敗残兵も共に、恐怖だった。
兵士が、市民から、略奪するのは、中国の伝統である。

兵隊とは、市民に乱暴狼藉をはたらくもの、という常識である。

ところが、北京に入城した、日本軍は、その常識を破り、軍規は厳しく、末端の兵士に至るまで、非行をするものはなかった。
この様子は、北京市民にとって、有史以来初めて、目にする光景だった。

それが、たちまち噂となり、市民は、布、紙に、大日本順民、と書いて、日本軍を歓迎したのである。

更に、柴五郎は、北京の領事館区の二ヶ月におよぶ篭城中、攻防戦の指揮官として、各国からの信用を得て、北京落城後は、軍事駐留軍司令官として、治安を担当し、厳しく取り締まりを行った。
暴行、略奪を行った、連合軍兵士は、現行犯で捕まえると、それぞれの、軍司令部に突き出した。

日本軍は、最も規律が正しいことで、その占領地の北城は、すぐに治安を回復したのである。

それに引き替え、ロシア軍に占領された地区は、最悪だった。
その地の、住民たちは、続々と、日本領内に逃げ込み、保護を求めた。
当時の、北京市長は、たまりかねて、マクドナルド英公使に、苦情を訴え、ロシア軍管区を、日本軍管区に替えて欲しいと、懇願したほどである。

この時の柴の功績は、各国からも、評価され、イギリスのエドワード七世、イタリア、エマヌエル皇帝、ペルー大統領、スペイン皇帝、ロシア、ニコライ二世などにも、謁見したという。

柴は、北京にて、清国の警察教育を行い、警務練習所をつくり、中国の近代警察学校の、基礎を築いたのである。

第一次世界大戦後に、日本が、唯一、有色人種でありながら、国際連盟に加入したのは、こういうことからでもある。


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2012年03月30日

国を愛して何が悪い3

昨今、再燃している「日本が中国を侵略した」という歴史認識は、日本が謝罪外交を行えば行うほど、その該当する時代がどんどん昔にさかのぼっているようである。
と、書くのは、捏造された日本史の、黄文雄氏である。

1937年、昭和12年、日中軍事衝突拡大のきっかけとなった華北における、発砲事件の「盧溝橋事件」や、1931年、昭和6年、関東軍が東北三省を占領した、「満州事変」を侵略の始まりとするので足りないのか、100年の昔の1894年、明治27年の日清戦争まで、その範疇に入れようとしている。

更には、中国が宣伝する、愛国主義、大中華民族主義に乗り、1870年代の日本の台湾出兵、琉球処分まで「侵略」という範疇に含め、甚だしきは、豊臣秀吉の朝鮮出兵、倭寇をも、侵略の歴史に入れる、中国人学者もいる。
上記は、黄氏の発言である。

中国の歴史観が、プロパガンダであることが、明々白日である。

解釈の違いなんて、ものじゃない。
正しい歴史認識ではないのである。

1871年、明治4年12月、琉球宮古の島民69人が、那覇首里朝貢からの、帰途、台風に遭い、台湾東南海岸のバツヤウ湾に漂流した。

宮古島は、台湾から400キロほどの所にある。
当時は、ポリネシア系の先住民と、大陸から、移住してきた、漢人たちが住んでいた。
台湾と、宮古島の間では、土地を巡り、しばしば衝突を起こしていた。

宮古島の人たちは、漢人に似ているということで、自分たちの、土地を侵す漢人と見なされ、先住民族、パイワン族の村、牡丹社の住民に襲撃を受け、54人が、殺害された。水死者を除いて、生存者は、12人。
皆、漢人部落に逃れて、救助され、清国官憲により、那覇に送還された。

ここからが、問題である。

明治政府が、日本の臣民である、宮古島の民が殺害されたとし、その賠償を清国政府に求めた。
しかし、清国は、台湾の先住民は、清国の人民ではなく、彼らの居住地は、「政教禁止令相およばざる化外の地」だといい、その要求を突っぱねた。

つまり、台湾は、清国の管理がされていない、未開の地であると言うのだ。

これを不服とした、内務卿大久保利通、大蔵卿大隈重信は、明治7年、1874年2月、連名で、「台湾蛮地処分要略」を提出し、台湾の蛮地は、清国政府の政権のおよばない、無主の地、と見なすとした。

そして、琉球帰属問題を絡めて、琉球住民殺害の報復は、帝国主義の義務と考え、台湾に出兵すべきと、閣議で決定された。

だが、4月に入り、長州派が反対し、計画は一時中断させられた。
しかし、これに不満を持った、台湾蛮地事務都監に任命された、陸軍中尉、西郷従道は、3600兵を率いて、軍艦に乗り込み、長崎から出航したのである。

結果、事後承認された。

黄氏は、
この台湾出兵は、明治維新後の日本が近代国家として領土を確立するうえで重大な事件であった。日清両国の善後交渉で、清は日本の台湾からの撤兵を要求し、日本は清国の台湾領有は「蕃地」におよばないことを主張し、それを拒否した。
と、書く。

更に、
日清の台湾領有権をめぐる主張は、まさに近代国際法と中国伝統の天朝朝貢秩序との対決だった。
とも、書く。

清は、「台湾府志」という、古典的書物を引き合いにしたのに対し、大久保は、国際法である、「万国広法」を拠り所とした。
つまり、
荒野ノ地ヲ有スルトモ、其国ヨリ実地之レヲ領シ、且ツ其地ニ政堂ヲ設ケ、又現ニ其地ヨリ益ヲ得ルニ非ザレバ、所領ノ権及ビ主権アルモノト認ムルヲ得ズ」

台湾は、化外の地、として、清政府の領有と主権を認めなかったのである。

黄氏は、正史である、「明史」を引けば交渉は、もっと簡単に終わっていたと言う。
明史の外国伝には、台湾は日本に属すると、書かれているのである。

清朝の朝廷が編纂した、明史のほうが、正統性が高いとの、黄氏の、指摘である。

この問題は、英仏両国の公使によって、妥協案が示された。
1874年、明治7年、日清両国間互換条欽が調印された。

最終的に、清国は、日本の台湾出兵を、住民を守るための義戦として認め、賠償金として、50万両を日本に渡し、それまで日清両方に帰属していた、琉球も日本の領土として認めたのである。

更に、台湾が、清国領有であることが、日本政府の承認によって、確定され、国際的にも、認められたのである。

台湾は、英、仏、独、露の、列強各国の間で、台湾主権を巡り、議論されていたが、問題は、これにて、決着したのである。

更に、ロシアとの間で、長期に渡り、交渉が続けられていた、千島列島と、樺太の領土問題も、1875年、海軍中将榎本武揚特命全権公使が、ロシア政府とのペテルブルグでの交渉で、樺太・千島互換条約が交わされ、日本の北方領土が確定したのである。

ここに、明確にしておくことがある。
それは、日本が、盗んだものではないということ。

当時の、手順に従い、領土を得たということである。

もし、それを変えるためには、新たな国際法により、再度、領土問題について、明確にしなければならないのである。

国際司法裁判所にて、竹島も、尖閣諸島も、正すとよい。
それに対して、韓国も、中国も、無視するばかりである。
つまり、彼らには、正統性が無いからである。

そして、それを、日本側が、明確にしないからである。
何故、日本側が明確にしないのか・・・
日本国内に、反日勢力が存在し、更に、彼らが、その主導権を握るという、とてもとても、へんてこな、状態になっているのである。

中国、韓国の、反日、抗日の前に、日本国内の、反日勢力を明確に国民の前に、晒すことである。

posted by 天山 at 00:06| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月31日

国を愛して何が悪い4

韓国の人たちが、韓国が独立国になったのは、日本のお陰であるとは、考えないし、信じないし、そんなことを言えば、猛然と、根拠なき反撃を繰り返すだろう。

何せ、過去を蒸し返しては、金を奪うという、実に、野蛮な民族に成り下がったからである。それは、韓国だけではない。
北朝鮮は、その裏の顔である。

支援、支援、支援で、成り立つ国。
両国共に、である。

韓国が近代国家になったことも、日本あってのこと。
真っ当に歴史というものを、見渡せない韓国人には、所詮、無理なことなのである。

すでに、解決済みの、従軍慰安婦問題も、蒸し返して、保証せよと言う。

当時、慰安婦として、働いた人が、自ら赴いたということも、知らない。
彼女たちは、それで、大枚な金を得て、凱旋して、家族に感謝された。

また、日本軍が、少女を連れ去り、慰安婦にしたという、ウソを流す。
当時は、韓国人が、斡旋業をして、日本軍に仕事を得たのである。

日清開戦へつながる朝鮮問題でも、まるで日本がいきなり朝鮮を侵略したかのように思われているが、歴史はそれほど単純ではない。
黄文雄 捏造された日本史

朝鮮が日本の軍艦、雲揚号に砲撃されて、砲台が一時占領された、1875年の江華事件をきっかけに、独立党と事大党との内紛、1882年の壬午の変、そして、1884年の甲申の変、1894年の、東学党の乱など、朝鮮内部で開戦を巡る、政変が起きていた。

それらを巡り、日本と清国が朝鮮半島で、勢力争いを展開した結果、日清の開戦へと、発展する。

全羅道に興った、新興宗教の、東学党の反乱が起きたとき、1885年の日清天津条約に基づき、日本と清国の両軍が、朝鮮に出兵した。

乱が鎮圧された。
そして、日清両国は、朝鮮からの、撤兵と朝鮮の内政改革について、対立するのである。

ここが、問題である。

日本は、朝鮮の独立を主張した。
清国は、属国とし、保護の名目で、軍を増強した。

この時、日本側が、手を引いたら、朝鮮は、中国の属国になっていた。
更に、その後、ロシアによって、侵略されたのである。

今頃は、ロシア領の一部になっていたのである。

大韓民国も、北朝鮮も無い。存在しない国になった。

それが、どうだろう。
1894年、日本政府が、発表した、宣戦布告の勅令には、
朝鮮は・・・列強の伍伴に就かしめたる独立の一国たり
とある。

それに対する、清国の宣戦詔勅には、
朝鮮は我大清の藩屏たること二百余年、歳に職貢を修めるは中外に知る所あり
とあり、
迅速に進奏し、厚く雄師を集め、陸続進発し、以って韓民を塗炭より救はしむ
と述べて、日本を盗賊と見立てている。

中国は、中華思想により、朝鮮も、日本も、朝貢国としての、認識なのである。
勿論、今でも、そのように考えているところなどは、時代錯誤も、甚だしい。

1876年、日本と朝鮮の間で、日朝修好条約が調印された。
朝鮮が、清国の属国ではなく、独立国家であるとは、日本が最初に、承認したのである。

これだけでも、韓国、北朝鮮は、日本に感謝しなければならないはず。

さて、清国は、日本、ロシアの勢力が、朝鮮に及ぶ事を怖れて、北洋大臣直属総督を派遣して、朝鮮の対外開国を指導したのである。

米朝条約締結の交渉にも、朝鮮は中国の属邦であることを、折りこませた。

更に、朝鮮国王のアメリカ大統領宛の照会にも、声明させたのである。
それも、中国側が指導した。

腑抜けといってもいい、朝鮮である。
断固として、独立国であることを、言わない。
言うのは、日本だけだった。

その後の、朝鮮は、中国の言いなりである。
86年に、朝鮮がロシアに保護を求めた、朝露秘密協定の事実が発覚し、朝鮮国王の廃位を求めたほどに、干渉したのである。

これほどに、清国に干渉を受けていた朝鮮は、日本が、日清、日露戦争で、勝利しなければ、必ず、どちらかの国の一部とされていたのである。

更には、植民地として、現在までも、続いていたはずである。

勿論、朝鮮にも、開化派である、独立党があった。
1884年のクーデターを決行したが、三時間で、清国軍に、鎮圧される。

そして、清国の朝鮮支配が強化されるのである。

その恩を忘れて、言いたい放題の韓国・・・
更には、目に余る、反日の行動・・・

呆れてしまう。

そして、日韓併合である。
その事を、考えるに当り、韓国は、今一度、ロシアに対する、当時の脅威を思い出して欲しいものだ。

ロシアの南下政策は、凄まじいものがある。
中国の一部でなければ、ロシアの一部というのは、空想ではない。
現実、そのように、動いていたのである。

今、韓国が存在するのは、誰のお陰か。

日韓併合の際に、韓国人が抵抗なく、受け入れたのは、何故か。
歴史を真っ当に、お勉強してもらいたいと、切に求めるのである。

ただ、血の気の多い韓国人との、イメージを払拭した方が、いい。
血の気が多い。
つまり、冷静になれない民族。


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2012年04月01日

国を愛して何が悪い5

1900年10月、義和団事件に乗じた、ロシア軍が、ハルピンを制し、満州各地を占領し、全域を支配下に収めた。

アヘン戦争以後、愛軍条約で、清国政府から、黒竜江以北後と、ウスリー江以東の土地を手に入れたロシアは、シベリア開発と領土防衛のために、どうしても、朝鮮半島が必要だった。

日清戦争の後の、三国干渉により、ロシアは、遼東半島、旅順、大連を手に入れると、シベリア鉄道や、東清鉄道の建設にも、着手しはじめたのである。

さて、1895年、朝鮮国内では、反日クーデターが起きて、ロシア公使ウエーバーと結んでいた一族が、政権を把握した。
これに対して、ソウル駐在の、日本公使三浦梧楼は、その一族の、政敵である、大院君を擁して、クーデターを起こし、守備隊が王宮に入り、一族を殺害した。

すると、ロシア公使館は、仁川に停泊していた、ロシア軍艦に連絡を取り、陸戦隊100名あまりを、ソウルに派遣した。
保護の名目で、朝鮮国王と世子を、公使館に、一年以上拘束し、親露政権を樹立させた。

このままでは、ロシアの支配下に入ることになる。
更に、それは、ロシアの、搾取の場所となるはずだった。

どうであろうか・・・
今の、韓国人は、それを、どのように解釈するのか。

さて、1897年、朝鮮から、大韓民国に改称した当時の、韓国の国民は、日韓併合に対して、どのようだったのか・・・

抵抗を示していないのである。
黄文雄氏は、
それは投入された、警察力からもわかる。
と言う。

日韓併合から、3,1独立運動の9年間に、4000人以上の朝鮮人警察を入れても、朝鮮総督府の憲兵警察は、7000名のみである。

しかも、併合反対の決起というものは、無く、無抵抗に受け入れている。
これは、事実である。

つまり、韓国人が、ロシアより、日本の方がいいと、判断したのである。
そして、その判断は、正しかった。
それは、日本が韓国にしたことを、挙げれば、よく解る。

日本の、朝鮮半島、満州への進出は、半島住民を、清とロシアから解放したたけではなく、清の禁令地であった、満州開拓に参加できる、チャンスも与えたのである。

半島に閉じ込められていた、朝鮮人は、日本帝国の発展と共に、満州から、シベリアへと、進出できたのである。

更に、彼らは、日本と、日本軍に守られていた。

現在の、韓国人は、それを、どう解釈するのか・・・
今、独立国としてあるのは、どうしてなのか・・・
よくよく、考えて欲しい。

1910年の、日韓併合から、36年に渡り、九人の総督によって、統治された、韓国である。
それは、台湾より、安定していたという。

韓国では、少しの抵抗があったが、少数派である。
それは、韓国人の心に、それまでの、両班、ヤンバン、つまり、朝鮮の文武両官支配に、終止符を打ちたいという、思いがあったのである。

ヤンバンの支配は、日本の統治より、陰湿なものだった。

更に、韓国は、日露戦争後は、満州における権益を、日本人と同様に、享受したのである。

日本に対する、反抗の運動が行われ始めたのは、日韓併合から、9年を経た、1919年の、3,1独立運動以降である。

だが、朝鮮は、日韓併合以前から、財政が破綻し、日本統治時代の36年間も、赤字財政であり、日本からの、莫大な資金投入を受けていた。

日本国民も、韓国に、金を注ぎ込む政府のあり方を、批判した。

日本の知識人の中には、韓国が自立できるならば、独立させた方がいいと、考える人たちもいた。
だが、日本が手を離せば、中国、ロシアが確実に、植民地にすることが、解っていたのである。

アメリカのルーズベルト大統領も、朝鮮が自立できないならば、日本と合併したほうがいいとの、意志を示していたのである。

ゆえに、1905年、高平公使にも、韓国の保護国化に承認を与えたのである。
アメリカの、タフト陸軍長官も、朝鮮の日本による、保護国化は、アジアの恒久平和に貢献するとしている。

その日本の韓国統治は、実に、韓国には、恵まれたものだった。
韓国人の、皇族、貴族は、日本の華族と同じ扱いを受け、日本の朝鮮総督統治下で朝鮮人道知事も、総数42人いて、日韓併合後、侯爵は、7人、伯爵は、4人、子爵は、20人、男爵は、36人、総数69人の貴族が、認められた。

更に、列強時代である。
軍人教育は、重要視された。

1896年、朝鮮人は、11人もの仕官が、日本陸士に入っていたのである。

以後、敗戦まで、朝鮮人は、日本人と同じように、軍事教育を受けて、中将まで出ていたのである。

当時の日本にとって、韓国人は、異母兄弟か従兄弟のようなものであった。
と、黄文雄氏は、書く。

戦前は、朝鮮を植民地として見る、見方はなかった。
特に、明治の人は、耳にしたこともないのである。

朝鮮を、合邦国家、併合国家として、植民地ではないという、考え方は、論拠のないところではない。

当時掲げられていた「内鮮一体」「一視同仁」というスローガンはまさに政策であり、それこそ本音だったという人も多い。
黄文雄

要するに、現在の、韓国人の学者、識者は、当時の状況を把握せず、現在の有り様から、解釈する。それが、間違いの元である。

何故、当時の、世界的状況を把握して、日韓併合を理解できないのかということだ。
列強が世界を制覇する環境を、鑑みてこそ、日韓両国が、生きていくには、連合国家を造る必要があったのだ、という、判断が生きてくる。

であるから、当時、百万の会員を有すると、自称する、一進会の李容九らの、憂国の志士たちが、日韓併合の推進役を買って出たことも、自然な成り行きである。

韓国は、冷静に、当時の状況を鑑みて、日韓併合の恩恵を思うべきである。
更に、歴史は、断絶してあるものではない。
連続してあるものであるという、歴史の在り方を、身につけるべきである。

でなければ、今頃は、中国か、ロシアの一部とされ、独立なども、ままならなかっということを、実感として、感じ取る、感性が必要である。

チベットのように、扱われていたかもしれないのである。
朝鮮の伝統文化などは、大中国の前には、無きものである。

歴史の捏造は、いずれ、その報いを受ける。そして、それに至れば、誰も、助けることが出来ないほど、痛められるのである。

それは、日本が証明している。
日本の自虐史観は、日本人の心を傷つけ、回復するのに、100年を要する。
気付いた時、気づいた者が、正していかなければ、国家の存亡にかかることになるのである。


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2012年05月05日

国を愛して何が悪い6

私が驚くのは、日韓併合により、韓国に、大いなる文字の意という、ハングル文字を日本が指導して、普及させたことである。

更に、韓国の独自の文化を保護し、近代化教育をほどこしたのである。

韓国は、独自の国語を捨ててきたのである。

ハングルは、15世紀に朝鮮独自の文字として、作られた。
しかし、朝鮮人は、逆に、いっそう漢字や儒教に傾倒し、狂信的というほどになった。そして、ハングルは排斥され、漢語が韓国語の中の、70から80パーセントを支配する。

更に、驚くべきは、朝鮮の歴史さえ、定かではないのである。
朝鮮の歴史より、中国の歴史が主であり、それを良しとしていた、朝鮮人である。

それを、事大主義といい、千年属国の伝統を墨守していたのである。
属国とは、中国の属国であり、それを当然の如くに受け入れていたのである。

韓国の若者に、それを教えたら、卒倒するであろう。

自ら、自国の文字を捨てたのである。
そして、それを復活させるために、どれほど、日本が努力したか・・・

「日帝」時代にはさらに倭(和)語が韓国語の世界に入ってきた。これにより、戦後いくら倭語や倭色の追放に躍起になっても、言語の世界では漢語と倭語がなければ言語の自立、独立はありえなくなってしまった。これをもって、日本が国語である韓語を奪ったという人がいるが、日本どころか誰も奪っていなかった。実態は、韓国人みずからが外国語を借用し、みずから伝統母語を棄ててしまったのである。
黄文雄 韓国は日本人がつくった

民族主義は、大いに結構なことであるが、実は、民族主義を立てるための、歴史と伝統を、蔑ろにしてきたのは、韓国人自身なのである。

だから、奇想天外な歴史観が、登場するのである。
曰く、韓国は、世界の中心であり、世界の文化発祥の国・・・
中国文化も、韓国から出た・・・
中国の思想も、韓国からのものだった・・・

何も知らない子ども達は、それを信じるしかない。

朝鮮史などの、意識がなかったのである。
すべて、宗主国の中国の歴史のみ。

極めて明確に言えることは、朝鮮は、中国の属国であることを、自ら、求めて、更には、それを誇りにしてきたのである。

もし、日本が関わらなければ、今の、韓国は、無いのである。

要するに、日本は、韓国にとっての、救世主である。
日本によって、独立国としての、意識を持ち、更には、国家観なども、無かったのが、国家というものを、意識できるようになったのである。

日帝支配がなければ、中国か、ロシアの属国になり、今も、搾取され続けていたのである。

自国の歴史さえ、まともではないから、本来は、韓国人のアイデンティティというものを、持つことが出来ないのである。
しかし、反日ということで、漸く、国家国民の、アイデンティティを持つという、悲劇である。

反日思想が無くなれば、韓国には、何も無くなるという・・・

世話になって、恩を仇で返すというのが、韓国人のアイデンティティのようである。

中国を崇めていた、事大主義であるから、その宗主国に似て、当たり前でもある。
真実、誇れるものがない、国民とは、実に哀れである。

ちなみに、私は、韓国音楽が大好きである。
民族音楽である。
そこに、郷愁を感じる。
そうして、韓国の民族的な様々を、評価したいが、それさえも、出来ない、させないという、彼らの狭量さは、属国化されたまま、今の今まで、来ているからである。

民族の潜在意識は、未だに、属国化なのである。

真っ当に、国を造られないのである。
そして、その建国を彼らは、よく知らない。

知らないから、妄想する。
史実に忠実には、なれないのである。
何せ、その史実も、よく解らないから。

中国で、書かれたものから、探る他に無いのである。

さて、本来、朝鮮半島には、漢字流入以前から、独自の古代語があった。
それは、高句麗、百済、新羅の三国である。
しかし、それは、方言を表すもので、外国語としての、関係ではなかったという。

つまり、漢字以前に、言葉が、文字があったのである。

韓国人は、先祖をことのほか大切にすると、聞いているが、先祖の名を捨て、シナの姓を名乗るという、シナ人以上に、シナ人らしい、名を名乗るのである。

それが、現在でも、続いている。
そして、それさえも、意識していないのである。

自分たちを、小中華として、自負していたほどであるから、何をかいわんや、である。

東アジアにて、最も早く独自の文字を作り出したのは、日本である。
そして、最も遅く、ようやく、腰を上げたのが、朝鮮である。

朝鮮半島で、独自の文字が考案されたのは、李朝朝鮮の世宗25年、1443年である。

国王、世宗により、訓民正音、民に訓える正しい音の意味である。
28文字が創出された。
これが、ハングルである。

新しい韓国人は、日本か、中国にて、徹底的に、朝鮮の歴史をお勉強すべきだ。
そして、民族の誇るべき、朝鮮史を、大系させるべきだ。

妄想の、朝鮮史などを、語るうちは、世界の独立国として、認められない。
更には、その民族性まで、疑われる。

実は、私は、在日の子供に、学習の手伝いをしたことがあり、その親から、色々と韓国の話しを聞いていた。
更に、とても、良い人であり、私も公私に渡り、お世話になった。

その子も、韓国人である、誇りを身につけたいと、祖国に行くことを楽しみにしていた。
このように、個人的な付き合いでは、とても、仲良くできる。

また、お弟子さんにも、在日の女性がいたが、人間味溢れる人柄だった。
私には、韓国人のイメージが本当に良いのである。

ところが・・・
集団になると、大変付き合いにくくなるのである。


posted by 天山 at 00:00| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月06日

国を愛して何が悪い7

韓国は、文明国のなかで独自の文字創出がもっとも遅かったこともあり、世界各国の文字を参考にして、集団的創作によって表音文字の創出をしたと思われる。
黄文雄

唐の時代から、日本の仮名文字、西夏文字、契丹文字、女真文字、パスパ文字、アラビア文字、突厥文字、ウイグル文字、チベット文字、インドの梵字などのサンスクリット系の文字が流入していた。

ハングルは、それらを参考にしたのである。

なぜ朝鮮だけが独自の民族文字をつくるのに、こんなに時間がかかったのだろうか。それは、千年属国の伝統を墨守し、事大主義に徹していたため、創造性に欠けてしまったからだ。また、中華帝国の誤解や嫌悪を避けるためでもあっただろう。
黄文雄

ところが、作った、ハングル文字は使わず、公文書は、漢文で書かれた。
宗主国への遠慮からであろう。

世宗が三年をかけてハングル28文字を作った時に、両班、ヤンバンから猛烈な反対が起きた。
その一人である、崔万理の反対理由は、実にくだらない、屁理屈である。
日本やモンゴル、チベットなどには独自の文字があるが、それは野蛮な地域だからだ。我々が独自の字をもったら、彼らと同様に野蛮人になってしまう。そのうえ、我々は中国を宗主国として仰いでいるのだから、新しい文字をつくることは中国からしてみれば謀叛であり、怒りを買う恐れがある。

属国精神から、抜け切れないのである。

更に、ハングルの使用には、中華王国の是認が絶対不可欠な条件だった。
世宗の側近も、猛反対したのである。

韓国の若者は、このような歴史を教えられているのか。
自分たちの、先祖が、中華帝国に対して、どれほどの、権威を見ていたか。

結果は、ハングルは、婦女子専用になった。
無学な庶民が用いるという。

日本の漢字カナ混じり、そして、平仮名の登場でも、最初は、女物であった。
が、それを使い、日本の心情を縦横無尽に書き付けた、世界初の小説、源氏物語がある。

更に、和歌は、すべて平仮名によって、詠われた。

公文書は、漢字でも、日本人は、うまく使い分けしたのである。
文学・・・漢字カナ混じり、そして、平仮名である。

15世紀に創出された、ハングルが正式に使用されはじめ、そして、ハングルという名称が考案されたのは、20世紀に入ってからである。

恐ろしい蒙昧は、これだけではない。

李朝までの朝鮮では、両班が使う漢字が貴く、国語である朝鮮語は愚民の言語として、蔑視された。

更に、正音庁に所蔵されていた、諺文口訣、日本の送りカナに似た読み方の記号などは、10代の燕山君によって、ことごとく、焼き払われたという。

1504年、学問の府であった、成均館が遊蕩の場とされてしまい、ハングルの教授と学習が禁止された。
正音書籍を燃やし、ハングル使用を厳禁とし、正音を使用しているのを知っていながら告発しないような場合まで、罪としたのである。

次ぎの、中宗は、1506年に即位する同時に、諺文庁までも、閉鎖し、ハングルは、完全に廃止されたのである。

ハングルが、再びこの世に、出るのは、日帝36年の朝鮮総督府時代を待たなければ、ならなかった。

朝鮮事情を書いた、ダレ神父の中に象徴されている。
中国と朝鮮の間には、学問研究と科挙において二つの明確な相違点がある。その一つは、朝鮮における学問はまったく民族的なものではないという点である。読む本といえば中国のもので、学ぶ言葉は朝鮮語ではなく漢語であり、歴史に関しても朝鮮史はそっちのけで中国史を研究し、大学者が信奉している哲学体系は中国のものである。
写本はいつも原本より劣るため、朝鮮の学者が中国の学者に比べてかなり見劣りするのは、当然の帰結である。
これよりもっと大きなもう一つの差異は、朝鮮では自らの特権に過度に執着し、特権維持のために絶対権力を発揮する多くの両班が、国王と人民との間に存続している点である。

現在の、韓国人若者たちは、これを学んでいるのだろうか。

私は、色々な国に出掛けて、韓国人たちが、国旗を振り回し、太鼓を叩き、韓国人であることを、矜持する行為を見ているが、彼らは、自国の歴史を、真っ当に学んではいないと、思う。

学んでいれば、もっと、謙虚であるはずだ。

日本が、敗戦してから、勝手な歴史解釈を、子ども達に教えて、奇想天外な韓国史を、作り上げたのだろうと、思えるのである。

その先祖たちは、
朝鮮の学者たち自身も、自国の文献に何ら信用を置いておらず、また決して研究対象にする事なく、中国の歴史書だけを読むことにしている。
ときどき朝鮮語で書かれた簡略な歴史本に出くわすこともあるが、それは婦女子の気晴らし用の真偽取り混ぜた奇譚集に過ぎない。学者たちはといえば、それを開いて見ることさえ恥辱だと思っている。
ダレ神父

また、別な人も、
朝鮮人は自分の固有のハングル文字を軽蔑して、中国文字である漢字のみをひたすら尊重するおかしな国民である。

こんな国だったことを、韓国人は、知っているのだろうか。
そして、それを、尊重するように、指導した、日本のことを、知っているのか。

日本は、朝鮮の文字を奪ったなどという、全く、逆のことを、平然と言う。
度し難い国と言われても、反論できないだろう。

朝鮮民族は、大切な一つの民族である。
だが、世界に、多く民族が存在する。
今のまま、朝鮮、韓国が、世界史のはじまりだ・・・・
などという、蒙昧な言葉は、慎むべきであり、謙虚になるべきである。

朝鮮と、日本は、長い付き合いが、ある。
それだけでも、歩み寄り、友情を深めることが、新しい時代の精神となる。

時代性と、時代精神を忘れると、先に進めないのである。

posted by 天山 at 00:23| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月07日

国を愛して何が悪い8

李朝朝鮮では、ハングル語が蔑まれ、漢字ばかりが、尊ばれた。

時代が流れ、東アジアに近代化の波が押し寄せる。
だが、朝鮮は、変わらず、事大主義を守り、近代化への道を、拒否し続けた。

これに対し、日本が、非常に危惧を感じたのである。
もし、日本が、何もしなければ・・・
今の韓国の存在があったのか、どうか、解らない。

朝鮮がこのまま中国との宗属関係を続け、独立・近代化を断行しなければ、やがて欧米列強の波に飲みこまれてしまう。そしてそれが地政学的に考えて、日本の脅威となることは明らかだった。
黄文雄 韓国は日本が作った

日本の脅威だけではない。
朝鮮自体が、脅威を感じるはずだった。しかし、危機感は、全く無いのである。

現在の韓国人は、どう考えるのか。
どう考えるも何も、考える手立てさえ棄ててしまったのである。

日本は、日清戦争による、朝鮮半島の独立、そして日韓合邦へと、突き進んだ。
その過程で、日本は、朝鮮に急務と考えたのが、近代化と、国語教育である。

19世紀末から、福沢諭吉が提案した、漢字・ハングル混じりの、文章体系を使用しはじめる。

初めて使われたのが、日本で鋳造した、ハングル活字で、印刷されたという。
若い韓国人が、聞いたら、決して、信じない内容である。

1886年、明治19年、新聞「漢城週報」で、これは、朝鮮の新聞第一号「漢城旬報」の復刊である。
そして、学校教育に組み込まれ、一般的に普及するのである。

韓国人は、日帝によって、国語を奪われたというらしいが、一体、何の、どこの国語が奪われたのか・・・

奪われたのではなく、日本によって、作られたのである。
それも、日本語ではない。
今、韓国が誇る、ハングル語を、である。

もし、そのままだったら・・・
考えてみると、よい。

中国、ロシアが、そんなことをするか・・・
朝鮮語は、方言となり、中国語、あるいは、ロシア語を使用していたであろう。

更に、日本は、韓国語研究を、1872年、対馬巌原が、朝鮮語学所を設置したことから、はじまる。

翌年、釜山に移転して以来、朝鮮語研究は、日本人の一人舞台になる。
それは、特に、現代語表記の原則の確立に多くの成果を上げた。

それまで、朝鮮語の辞書は、漢字を韻により分類した字書と、漢字の部首別字書のみで、ハングルを基にしたものは、皆無というより、排除していたのである。

本格的な朝鮮語字典は、1911年、明治44年から、1920年3月に至るまで、朝鮮総督府によって、完成された。

韓国人による、自国語の科学的研究と、関心が起こったのは、20世紀に入ってからであるというから、驚く。

朝鮮人が、自ら字典を作ったのは、1939年、昭和14年である。
文世栄の「朝鮮語字典」である。

何とも、情けないことである。
これが、我民族が、世界で最初の文明を作り出したという、戯言でも、言えないことである。

世界の中心は、韓国である。
とは、宗教団体が言うなら、理解するが、一般人が言えば、気が狂っているとしか、思えない。

日韓合邦後、金沢庄三郎と小倉進平の両博士を中心とする日本人学者たちは、近代朝鮮語の表記を科学的に体系化し、言語として完成させたのだった。
小倉博士の「朝鮮語学史」によれば、朝鮮が清国の文化から離脱し、独自性を強調するために国学・国文の使用を鼓吹し、ハングルを奨励しはじめたのは1897年の日清戦争後からで、朝鮮が大韓民国として清から独立してからであった。このとき、はじめて公文書での漢字の使用をやめ、漢字・ハングル混じりの新訂国文を公布し、使用を奨励することとなったのであろう。
黄文雄

ハングルが、韓国の全国民に、教えらはじめたのは、1910年の日韓併合以降である。

だが、地域によって、朝鮮語も方言があり、朝鮮総督府は、現代ソウル語を標準語とする、朝鮮語を、教育を通じて朝鮮社会に、普及させることにしたのである。

だが、漢字・ハングル混じりの文章体系は、未確立で、日も浅い。
だから、教育内容に適する教材がなかったのである。

次ぎに、総督府は、日朝の学者を集めて、研究と普及に当らせる。
そして、学校用の普通学校用諺文綴法を決定し、教科書として、採用したのである。

だが、ハングルは、除外されてきたので、漢文を知らなければ、朝鮮文化を知らないということだけではなく、ハングルさえ、読み書きが出来ないことから、寺内総督が着任してから、一年後の1911年、朝鮮教育会が発足され、朝鮮語及び漢文を、教育することが決まったのである。

そして、同年、朝鮮教育令により、普通学校、高等普通学校、女子高等普通学校に、朝鮮語及び漢文の、毎週の授業数を規定した。

更に、日本人子弟も、小中高ともに朝鮮語を学んでいた。

朝鮮総督府は、ハングルも漢字も禁止せず、日常の手紙すら朝鮮文字で書けない、朝鮮人知識人のような人たちのためにも、双方を教えることになった。

朝鮮人の、文字創出は、東アジアで、最も遅かったのであり、国字、国文としての、体系化は、後にならなければ、進まなかったのである。

更には、朝鮮人の歴史的知識も、蓄積も、遅れに遅れたのである。

黄氏は、
もともと独自の歴史の蓄積がない文化なのだから、奪えといわれても奪うものはあまりない。
と、言い切る。

これでは、余りにも、お粗末過ぎる。
私は、現在の韓国人を、軽蔑するのではない。
歴史的認識をしっかりと、見つめてから、日本に対して、言いたいことを、言うべきであると、言うのである。

それとも、何も無かったから、勝手に想像して、創り出したものを、信じろというのだろうか。

このまま、日本に対する、中傷が続けば、歴史が、判断するだろう。
恩を仇で返す、朝鮮民族として。


posted by 天山 at 00:16| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月08日

国を愛して何が悪い9

日帝時代、朝鮮人の児童は、ハングルよりも、日本のイロハ文字の方を、好んで学び、上達するのも、早かったという。

戦後の韓国人は、日本が言語、文字、文化を奪ったとか破壊したとか言っているが、きわめて史実を無視した現実離れした話である。・・・
そもそも朝鮮人の独自の文字創出は、ただでさえ東アジア史上もっとも遅かったのに加え、両班による排斥にあったことから、国字・国文としての体系化はずっと後にならなければ進まなかった。そのため、朝鮮人の歴史的諸知識の蓄積もかなり遅れてしまったのだ。もともと独自の歴史の蓄積がない文化なのだから、奪えといわれても奪うものはあまりない。
黄 文雄

この時代は、日本語教育も、行われていた。
日韓は、合邦国家だったのだから、当時の日本帝国が、朝鮮語ではなく、日本語を国語にするのは、当然である。

そして、朝鮮総督の教育政策は、ハングルや漢文も禁止するどころか、日常の手紙すら、朝鮮語で書けない、知識人のような者のためにも、双方を教えるということを、したのである。

朝鮮教育令が、日本語を国語にし、同時に学校では、朝鮮語も教えるというアイディアを採用したのは、きわめて当然であり、更に、寛容であったといえる。

イギリスは、アイルランド語を禁止した。
中国の少数民族の中で、満州人は、完全に言語も奪われた。
モンゴル人も、モンゴル語を話せる人は、少ない。

日帝時代の朝鮮社会では、日本語の普及は、20パーセント程度であり、日本時代の台湾が、70パーセントに比べると、非常に低い。

この、20パーセントの日本語使用者は、朝鮮語も放棄していない、バイリンガルな知識人層である。つまり、日本時代の、教育水準が高いということを、表す。

歴史の事実は、朝鮮総督府が、学校をはじめとする日本人公職者に、朝鮮語学習を奨励したというのが、本当である。

両班時代以来、儒教思想の影響が濃い朝鮮人は、自分では何もせずすべて人まかせであった。
黄 文雄

その、朝鮮人に対して、日本は、国語である日本語と、朝鮮語及びに、漢文を、並列で教えていたのである。

本来ならば、国語の方に、重きを置く。しかし、日本は、そうしなかったのだ。
朝鮮人は、総督府による、朝鮮語習得による、民族文化の育成もできたのである。

感謝するのが、当然である。
しかし、奪われたと、恩を仇で返す。
彼らは、恩というものを知らないらしい。

当時を、記憶する術もなかったということか。
本当に、残念である。

更に、驚くべきは、大正8年、1919年、原敬内閣時代から、一視同仁による、差別撤廃を唱えて、内地、つまり日本と同じように、教育を行ったのである。

日中戦争開戦後の、南次郎総督府時代になると、皇民化運動などを進めて、1938年からは、朝鮮教育令が全面的に、改正されて、日本国内と、同じ教育をしたのである。

愚民化政策ではない。

そんな中で、日本語を獲得した、朝鮮人の中には、言語体系化されていない、朝鮮語より、日本語を常用しようと、考える人たちも、出て来たというから、凄いことである。

その中には、朝鮮語の廃止、朝鮮人の日本化を唱える人もいたのである。
その人は、併合前の朝鮮は、地獄であったといってもよい、とまで言うのである。

朝鮮の民族主義も、社会主義も、批判し、学校で朝鮮語を教える必要は無い。そして、国語、日本語を強く主張したというから、驚く。

もし、そのようになっていたら、韓国の発展は、もっと、早かったに違いない。
今も、偏狭な民族主義が、韓国と、韓国人を、歪にしている。

日本化運動の代表人物である、玄エイショウは、1938年、日中戦争一周年を記念して、国民精神総動員朝鮮連盟を結成し、翌日に、3,14運動における、33人の代表の一人だった、朴キドウと共に、南次郎総督に会いに行き、そこで、朝鮮語の全廃を提案したのである。

しかし、総督は、日本語使用はよいが、朝鮮語排斥は、好ましくない、と拒んだのである。朝鮮語を、守ったといってよい。

この頃、日本の努力によって、漢字・ハングル混じりの、朝鮮文が、体系化されつつあった。

その他にも、日本語推進する人たちが、大勢いたというのである。
しかし、それらから、日本が、朝鮮語を守ったといえるのだ。

当時の、歴史的背景を考えれば、同然だったといえる。
ハングルは、普及していなかった共に、国際性に欠けていたからである。

黄文雄氏は、
実際、多言語社会である台湾では、日本語がもたらした功績いくら評価してもし足りないほどだ。
と、言う。

途上国では、外国語を国語として、使用することも、少なくないのである。

日本語の歴史と伝統は、古く、漢字仮名混じり、そして、漢字平仮名と、成長していたのである。

漢字という、文字を完成させたのも、日本語の中である。
現在の中国は、その漢字文化を、脆弱にさせた。
今の、漢字を見れば、それは、一目瞭然である。

古い漢字を読めるのは、中国人ではない。日本人である。

漢字文化を受け入れて、咀嚼し、それを独自の文字、言葉にまで高めた日本人の感性を、素晴らしいと思うのである。

それなのに、ああそれなのに・・・
戦後、韓国では、漢字の、非効率性、非大衆性が、叫ばれて、ハングル国語純化運動が進められて、漢字を放棄したのである。

1965年から、韓国では、一切の漢字使用を禁止した。

それから、転がるように、狭義の民族主義に陥り、自らの、首を絞め続けている。
そして、歴史観は、妄想にまみれた。

歴史が、韓国では、夢、ドリームになってしまったのである。
こんな悲劇は無い。

だから、自国民を30万人も、虐殺した事件など、何処吹く風・・・
国民保導連盟事件という、悲惨な事件も、なんのその、である。

醜い韓国人、の、朴泰セキ氏は、
韓国解放後の歴史の中で、今日まで公にされなかった、恥ずべき大虐殺事件です。
と、言うのである。

何せ、無抵抗で非武装の国民を、30万人以上、虐殺した事件である。

posted by 天山 at 00:01| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月09日

国を愛して何が悪い10

戦後になり、韓国では、突然、漢字の非効率性、非大衆性が叫ばれて、ハングル国語純化運動が進められた。

1948年、李承晩大統領が、ハングル専用に関する法律を、制定し、漢字を暫時的に廃止する路線をとる。
59年には、臨時漢字制限法令を発布し、日本の漢字規制のように、漢字を1300字に制限する。

更に、65年から、一切の公文の漢字使用を禁止したのである。

67年には、朴大統領が、漢字廃止五カ年計画、を指示。
70年以降、総理大臣訓令で、漢字使用を全面的に禁止した。

このように、一時的にではあるが、すべての教科書から、突然、漢字が消えたのである。

ここで、解るように、韓国では、伝統を断絶させるということが、当たり前なのである。日本は、漢字文化を取り入れ、更に進化させて、本場、中国よりも、充実した漢字文化を、継承した。

また、そこから、カナが生まれ、平仮名が生まれ、実に見事な、日本語を作ったのである。

それ以前に、日本にも、古代語があったということを、付け加えておく。

韓国では、それまで、公文書には、漢文が90パーセントを占め、大韓民国の憲法でも、90パーセントの漢語が含まれていた。
当然、韓国社会に与えた影響は、大きい。

同音異義語の氾濫、更に、抽象度の高い概念語の、理解力と利用率が低下した。
その一方、韓国の伝統的固有語を漢語で代用することを、積極的に行ったが、ハングル単用の推進者たちは、新しい代用語を創造することができず、失敗に終わる。

それでも、作った新韓国語も、創った本人が使用したたけで、自然消滅した。

結果は、様々な問題が噴出し、金大中政権時代には、再び、漢字復活論が出でくる。

ただし、国民の10パーセントの賛成であり、言葉に対する意識の低さを、露呈したのである。

黄氏は、
韓国人が伝統の漢字を棄てたことは、李朝時代の「揚儒斥仏」と同じく、誰からみても伝統文化の破壊、絶滅である。伝統文化というのは「自生的」なものだけを指すのでは決してない。伝来したものでも、たとえば仏教などのように永い年月にわたってその地に土着したものも含まれるのである。そのため、漢字も仏教も儒教も、韓国にとって立派な伝統文化である。
と、言う。

更に、ハングルは、韓国の伝統ではないのである。

あまりにも、短絡的、単細細胞的な、対応であるから、驚く。
自国の文化という、意識が希薄であり、更に、伝統などという、観念も、曖昧なのである。

ただ、兎に角、韓国は、素晴らしい・・・
そして、誇大妄想に浸り、世界の文明は、韓国から・・・などと、全く根拠のない幻想を語るのである。

韓国語における、漢語の含有率は、60パーセントから70パーセント、更には、80パーセントとも言われる。
それなのに、漢字全廃を行うというのは、狂っている。

そして、その結果、韓国語の、言語伝達能力が低下し、韓国人は、世界でも、読書率の低い国に、転落した。

あれほど、日帝時代に、高い水準を持っていたにもかかわらず、教育とは、有名無実になってしまったのである。

漢字漢文放棄が、どれほど韓国社会に混乱を招き、伝統文化を放棄するということで、どれほど国にとって、マイナスとなったかということ。

だが、韓国人は、それさえも、気付かないのである。

韓国は漢字を捨て、ハングルを自慢するようになった。・・・それまで蔑まれてきた、ハングルを朝鮮に普及させたのは日本だった。にもかかわらず、韓国人は「日本人に言語を奪われた」と非難している。なんと矛盾と屈折に満ちていることだろうか。


ところが、知識不足か、何も知らないのか・・・
世界でもっとも合理的、科学的かつ芸術的な、文字と自画自賛するのである。

ハングルが完璧だというのは、韓国の言語学者が無知なだけに過ぎない。


韓国語は事物を正確に表現するのに充分でない点が多い。名詞においても、単数と複数の区別がはっきりせず、人称や数の区別もない。格に該当するものもなく、助詞(格助詞)で格を表している。また、ある状況を表す用語法としての否定法もない
インタイリン 韓国人とその意識構造

黄氏が、まとめたものを見る。
韓国語は代名詞がない。関係代名詞は前出の語句を受けて、思考過程を漸次発展させる語法である。
したがって、科学的表現には向かない
論理的・科学的思考能力の発達を阻害している
事物を客観化かつ対象化して理解しようとしない
客観的事実を直視し、自己の生活を反省する力に乏しく、無批判に外来思想に追従する傾向がある
推理力に欠ける時、常に感性にのみ依存し直観的技術に頼ろうとして、合理的に把握しようとする精神が欠如している

戦前の韓国の新聞や雑誌を読んで感じるのは、その情報伝達の不正確さである。ことに、数字的な情報は信じられないほど混乱している。これは、当時の朝鮮人知識人の水準を表しているとも言える。


日帝時代の、日本語の使用は、朝鮮語使用以上に、文明開化をもたらしたのである。

当時のアジアで、日本語ほど、近代的で体系化された、言語はなかったのである。

韓国人が、ハングルを自画自賛すれば、するほど、その評価は、遠退く。
それは、韓国人が、内省できない民族だとしか、言えない。

現在の、教科書は、反日を中心として、作られている。
これが、将来の子ども達の感性を、破壊する。
訳の解らないうちに、ただ、反日だけを、教えられているのであれば、先は無い。

憎悪と、攻撃だけを、教えられているようなものである。

共感など、全くない。
韓国の子ども達は、反省も、教えられない。
ただ、兎に角、悪いのは、他であるという、思考法、外省志向のみである。

国民が真っ当に、育つはずがない。

更に、朝鮮の歴史を書き残していないから、ただ、妄想の古代史を教えるだけ。
結果、中国の属国意識のみで、歩んできた朝鮮だと気付くと、韓国人を止めたくなるだろう。

真っ当な国民意識を、創るために、100年は要する。

それは、日本にも、言える。
永い間の、自虐史観から、抜けるには、100年を要する。


posted by 天山 at 00:03| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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