今回の旅の、言葉・・・
私は偽善者である。
支援は、糠に釘である。
日本人は、余りにも、恵まれ過ぎた。
日本人の意識は、グローバル化に、対応出来ない。
東日本震災の規模の災害が、もう三度起こらなければ、日本人の意識は、変わらない。
実に、悲しいことであるが、日本人は絶望を知らなければならない。
貧困の極みを知らない、忘れた日本人は、罰が当る。
私の母は、敗戦間際に、樺太から、逃れて来た。
そして、極貧の生活をした。
だが、それを、真っ当に語ることをしない。
七十代以上の人の話を聞かない、日本人は愚かである。
更に、天皇陛下の存在に関して、無関心な日本人は、実に哀れである。
未来は、過去に、含まれている。
何故、歴史を学ぶことを、しないのか。
試験に受かるための、歴史ではない。
歴史の本来の姿を、学ぶべきである。
そうすると、日本の天皇の存在が、明らかになる。
宗教の開祖、教組、更に、霊的能力者が、天皇の存在を、霊視できなければ、その人は、何も見えていないということである。
日本は、特別な存在の国である。
しかし、昭和天皇は、民族として、特別な存在であるということは、無いと、断定した。
民族は、皆、大切な存在であるから、日本民族が、優れているとは、過ちであると・・・
当時の、軍部の教えを、否定した、昭和天皇である。
それは、明治天皇の、八紘に通じる。
八紘とは、世界である。
世界は、一つの家族である。
見事に、天皇は、世界を捉えていた。
世界の君主で、そのように、考えた者は、日本の天皇のみである。
私は、その天皇の存在する国に生まれて、幸せである。
大君の
おわす御国の
民として
静かに垂れる
心静かに
民族の優越を、論ずることなかれ・・・
皆々、同じ人間である。
それを、昭和天皇は、共産党に踊らされた民衆をも、あれも日本人であろうと、仰せられ、皇居に侵入した、過激派に対して、あはれ、を、抱いたのである。
この、天皇、大君を、戴く日本という国を、私は特別な国だと、確信したのである。
前ローマ法王が、他宗教との、対話を試みた。
だが、それは、失敗だった。
何故か。
それは、法王に帰依することを、求めたからである。
和解と、平和を唱えつつも、法王は、彼らの上に立つ者であることを、示したのである。
しかし、天皇は、そうではない。
あなたの民族を、貴い存在だと、表明し、私の日本民族と、共に、歩みましょうと、発言するのである。
つまり、あなたは、あなたで、いいのです・・・
カンボジアの、シアヌーク殿下は、王位を父親に譲り、自ら政党を創り、ポルポトと、組んだ。
そして、その、ポルポトは、人間とは思えない、虐殺を自国民に行った。
何故、シアヌークは、それを止められなかったのか。
カンボジア放送で、シアヌークが国民と、対する場面を見た。
そこでは、シアヌークに、腰を低くする、国民を見たが、あれは演技である。
誰も、シアヌークを、崇敬しているとは、思えなかった。
30年前、つまり、今の、45歳以上のカンボジアの人たちは、あの、虐殺の悪夢を見ているのである。
静粛
殺す
知識人たちを、皆殺しにした。
あらゆる、分野の知識人たちである。
私の出掛けた、シェムリアップでも、千人以上が、簡単に虐殺された。
そして、その遺骨が、積み重なって、慰霊塔となっている。
共産主義・・・
人類史はじまって、以来の、悲劇である。
中国の毛沢東は、一千万人の、自国民を殺し、ポルポトは、三百万人を、殺した。
誰が、支配者を、為政者を、信じるか・・・
誰も、信じない。
ところが、日本人の、九割は天皇を支持するのである。
その、権威をありがたく思う。
天皇は、国民を虐殺することはない。
誰が、天下を治めても、天皇は、国民の側に立っている。
日本史を、俯瞰すれば、それは、明らかである。
陛下を敵にする者は、民を、敵にする者である。
だから、日本人は、今の今まで、天皇の権威に対して、崇敬の思いを抱いてきたのである。
私は、その国の、国民であることを、誇りに思う。
天皇とは、皇祖皇宗、つまり、祖先の象徴である。
私の先祖も、天皇に対して、崇敬を抱いて生きたのである。
陛下は、24時間、公人であらせられる。
ただ、ただ、深くその存在を、ありがたく思う。