2007年07月10日

イスラム13

死海の五つの小国は、遠いエラムの国、現在のイラクである、その国の王に、服従していた。そのしるしとして、12年間、貢物を納めていた。しかし、13年目に、それを止めた。途端に、エラムの王は、バビロニアの王センナアルと、エラサル王、ゴイム王と、同盟を結び、ヨルダン川流域の討伐を開始した。
それは、破竹の勢いで、諸都市を占領し、シナイ半島へ南下して、エル・パラン、現在のアカバ湾に達した。
それから、北上して、カデスを占領し、アマレク族、アモル族を降伏させ、いよいよ、死海の南方に攻めてきた。

小国の五つの王たちは、連盟を結び、それを迎え撃つが、敗北する。
同盟軍は、ソドム、ゴモラの町に出て、略奪をする。物だけではなく、人々も連れ去った。
アブラハムの甥のロトの財産も略奪された。

これを知ったアブラハムは、一族300人の兵士と、マンブレの軍を加えて、同盟軍を追撃した。
カナアンの北方ダンに至り、攻撃を始めた。
不意を撃たれた同盟軍は、逃げるしかない。
アブラハムは、逃げる敵をダマスコの北方ホバまで行き、致命的な追撃を加えた。
こうして、アブラハムは、ロトの一族や、人々を救い出した。
略奪された物も、取り返して、意気揚々と凱旋したのである。

それを迎えたのは、ソドムの新王と、サレム、現在のエルザレム、のメルキセデク王だった。この、メルキセデクは、王であり、最高の司祭でもあった。
パンとぶどう酒を携えて、神に捧げ、アブラハムを祝福して言う。
「天地を創造された最高の神によって、アブラムは祝福されますように。敵をあなたの手に渡された最高の神も賛美されますように」

ソドムの王はアブラムに「人はわたしにお返しください。しかし、財産はお取りください。」と言ったが、アブラムはソドムの王に言った。
「わたしは、天地の造り主、いと高き神、主に手を上げて誓います。あなたの物は、たとえ糸一筋、靴ひも一本でも、決していただきません。「アブラムを祝福したのは、このわたしだ」と、あなたに言われたくありません。わたしは何もいりません。ただ、若い者たちが食べたものと、わたとと共に戦った人々、すなわち、アネルとエシュコルとマレルの分は別です。彼らに分け前を取らせてください。」
上記は、聖書より。

これらのことがあってから、神が幻の中で現れて、アブラハムに言う。
「恐れるな。アブラム、私はおまえのたてである。おまえの報いは大きいであろう」と。
しかし、アブラハムは、一人の子宝にも恵まれずにあった。
妻のサライは老いぼれていた。
「主ヤーヴェよ、私に何をくださるのですか。私は子供なしで過ごしています。私の家の跡継ぎは、ダマスコのエリアザルです。私に子孫をお与えくださらなかったので、私のしもべが私の跡を継ぐでしょう」
ヤーヴェが言う。
「相続人は、おまえの実子だ」と。
そして、アブラハムを外に連れ出して、夜空を見せて言う。
「天を仰いでみよ。できるなら、あの星を数えてみよ。おまえの子孫もあのようになる」
アブラハムは、それを信じた。

しかし、10年を経ても、子供が出来ないので、妻のサライが、当時の風習に従い、女中のアガルをアブラハムにあてがった。
アブラハムは、妻の進めるままに、エジプト人のアガルに子を身ごもらせた。
すると、身ごもったアガルは、それにより、慢心し、妻のサライを見下すようになる。そこで、サライがアガルを奴隷のように、虐待した。
アガルは、いたたまれず、エジプトに逃れる。
そこで、天使が現れて言う。
「おまえの女主人のもとにくだれ。私は、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす」
主の御使いは、また言った、と聖書にある。
ここでは、主ヤーヴェではない。天使である。

主は仰せられたと言うのではない。
天使が、あなたの子孫を数えきれないほど増やすと、言うのである。
そして、
「その子をイシュマエルと名づけよ。主があなたの悩みをお聞きになったから。
彼は野生のろばのような人になる。
彼があらゆる人にこぶしを振りかざすので
人々は皆、彼にこぶしを振るう。
彼は兄弟すべてに敵対して暮らす」

ここが、最重要ポイントである。
イシュマエルの子孫は、アラビア人である。
荒くれた野生のろばのように自由奔放にて、荒野をさ迷い、土着民、つまり、サライの子孫を言うが、その付近にテントを張って、絶えず略奪をするようになるのである。

アガルが子を産んだ時、アブラハムは、86歳になっていた。

エジプト人の女に生ませた子の子孫が、アラビア人であるということだ。
彼らは、略奪をして生活を立てるといわれる通りになった。
それが、後のアラブ人である。

ムハンマドが、旧約聖書を知らないと言われる訳である。
あろうことか、ムハンマドも、アブラハムがエジプト人の女に生ませた子の子孫である。
それが、アブラハムの信仰を復興しようとする。

正統な子孫は、笑う。
アブラハムの妻サライに、子供が生まれるからである。

次に続く。



posted by 天山 at 00:00| イスラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月11日

イスラム14

96歳のアブラハムは、再び神の約束を受ける。
「私は全能の神である。私の前に歩み、全ったきものであれ、私はおまえと契約して、おまえの子孫を大いに増すであろう」

聖書は、旧約、新約とあるが、この約とは、契約という意味である。
実に、契約が好きである。
欧米が契約社会であるのは、ここから、もたらされた。

その際、神は、アブラハムに、その守るべき、義務について説明する。

その一、アブラハムは、多くの民族の父となるはずだから、今度は、アブラムではなく、アブラハムと改名すること。
アブラムから、アブラハムに改名である。アブラハムとは、多くの人の父という意味である。
その一、ヤウエとの契約はアブラハムとその子孫までにも、永遠に続くこと。
その一、アブラハムも、その子孫もカナアンの地を所有し、男は皆、契約のしるしとして割礼を受けるべきこと。
今で言えば、包茎手術である。これにより、多くは包茎だったということがわかる。
この割礼を意味を明確にした、神学的論評はない。

日本の自衛隊は、隊員に包茎手術を受けさせる。長い訓練や、風呂に入られない状態にある時に、不潔だからである。勿論、それで、ペニスの力が強くなり、別な意味で助かる男もいる。亀頭を強くするのだから、セックスに強くなる。つまり、亀頭を刺激に強くするということである。ああーー

その一、妻サライの名をサラに改名すること。

神はサラを祝福して、翌年サラに子を産ませる。
アブラハムは、喜び、そして、「百歳のものに子供ができる。そして九十のサラが子供を生むだろうか」と、笑ったので、生まれる子の名前は、笑うという意味の、イサクと名づけるように、神は命じた。

ついでに、神は、アブラハムの熱心な願いを聞き入れ、アガルの子のイスマエルも祝福し、その子孫を多く増やし、そのうちから、十二人の族長が出ることを約束した。前回も言うように、アラブ人である。

ここで、利己的な遺伝子を書いた、生物学者リチャード・ドーキンスの「神は妄想である」という分厚い本から、引用する。
「旧約聖書の神は、おそらくまちがいなく、あらゆるフィクションのなかでももっとも不愉快な登場人物である。嫉妬深くて、そのことを自慢にしている。けちくさく、不当で、容赦のない支配魔。執念深く、血に飢え、民族浄化をおこなった人間。女嫌い。ホモ嫌い、人種差別主義者、幼児殺し、大虐殺者、実子殺し、悪疫を引き起こし、誇大妄想で、サドマゾ趣味で、気まぐれな悪さをするいじめっ子だ。私たちのうちで、子供のときから彼のやり口を教え込まれた者は、その恐ろしさに鈍感になってしまうことがある。」

後々、このドーキンスの著作から、多くを引用する。
キリスト教国にあって、実にバランス良く、彼らの神の正体を観たのである。

創世記、出エジプト記を書いた者は誰か。その者の、性格なのであろう。いずれ、別の形で、じっくりと書く。

最初の、神は、われわれはと、複数形であることを言った。その彼らは、皆、男である。ここに、ある秘密がある。
女の創造を、男のわき腹の一本の骨から、作ったというのであるから、実に、女を嫌ったといえる。
女は、子供を生む機械。
厚生労働大臣に聞かせたい。神まで、そういう考えであること。彼は、それで、ユダヤ教に入信するかもしれない。

男は、セックスを大いに楽しむために、亀頭を鍛えるべく、割礼をする。後に、女も割礼をする部族も出るが、何と、それは、もっとも女の性感帯の重要部分である、クリトリスを切るというものである。
ここまで、女を憎むのも、たいしたものである。

男尊女卑など、ぶっ飛ぶ考え方である。

さて、上記、神がアブラハムに契約した。
その続きがある。
アガルの子イスマエルの契約もしたが、神は「しかし、わたしの契約は、来年の今頃、サラがあなたとの間に産むイサクと立てる。」と言う。

ドーキンスが言う、人種差別主義が、この時から、見えるのである。
すでに、イスマエルの子孫と、イサクの子孫の対立を、予告するのであるから、とんでもない、人である。いや神である。

人格神というが、それは、単なる人と同じであるということである。


posted by 天山 at 00:00| Comment(0) | イスラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月12日

イスラム15

アブラハムに、子を授ける約束をした後、創世記は、ソドムとゴモラの滅亡を書いている。
これは、イスラムの記述とは、関係ないので、割愛する。
別な形で、いずれ紹介する。

ちなみに、ソドムとゴモラは、罪深い故に、神が滅亡させたといわれる。
罪の一つは、同性愛行為であったというのが、定説である。勿論、性の乱れである。と、言われる。ホモ嫌いの、神様であるから、当然であるのか。
そして、考古学的に、紀元前二千年以前にあった、村落が紀元前二十世紀から、十九世紀に突然、壊滅したことが明らかになっている。
しかし、そんなことを言えば、至る所、壊滅している都市はある。
すべて、自然災害である。
それを、創世記の作者は、こじつけたのであろう。
同性愛者にとっては、いい迷惑である。
だが、それは、一面的なものである。
性の乱れは、どこにでもあった。
勿論、アブラハムの周囲も、性の乱れだらけである。
要するに、女と何人関係しても、いいのである。一夫多妻である。
以下、省略。

さて、アブラハムの子のイサクが生まれた、というところから、始める。

イサクの生まれる前に、召使の女アガルの間にイスマエルという子が生まれていることは、書いた。
このイスマエルが、折りあるごとに、イサクを嘲笑し、なぶったりするのを、妻のサラがみて、アブラハムに言う。
「この家からイスマエルと母親を出してください」と。
これを聞いたアブラハムが、考えあぐねていると、「サラの言うとおりにせよ」という神のお告げがある。
そこで、水を入れた皮袋と、パンをアガルに与えて、立ち去らせた。

創世記では、このアガルとイスマエルとの記述がある。
水を失い、その子を離れた場所に置き、しょんぼりしているアガルに、神が天使を遣わして言う。
「アガルよ、どうしたのか。恐れるな。神は子のいるところに、子の泣き声を聞かれた。たて、子供を起こしその手を取れ。わたしはかれを大きな氏族にするであろう」
こうしてイスマエルは、ネゲブの南、シナイ山の北にあたるファランの荒野で生活し、母の里であるエジプトから妻を迎えて、末永く、その子孫を伝えた。

そして、その子孫が、アラブ人であると、以前に書いた。
「彼は野生のろばのような人となり、その手はすべての人に逆らい、すべての人の手も彼に逆らう。彼はすべての兄弟と仲たがいして住むであろう」
ムハンマドは、それを知らなかったのか、読んでいなかったのか。
自分の祖先が、このアブラハムの召使の子のイスマエルだということを。

荒くれた野生のろばのように、自由奔放で、荒野をさ迷い、土着民、つまりサラの子孫の付近に天幕を張って、絶えず略奪をはかるようになるのである。
それが、アラビア人の祖である。
サラの子孫とは、つまり、イサクの子孫である。

イサクの子孫も、イスマエルの子孫も、共に、アブラハムの子孫である。
妻と、召使の子である。

さて、アブラハムは、幸福の絶頂にいたと、創世記にある。
その時、神が言う。
「おまえの息子、おまえの愛するひとり子をモリヤの山に連れて行け、そして、その子を生贄としてささげよ」と。

「おまえの子孫を星のごとくに増やす」と言った神が、言うのである。アブラハムは、苦悩するが、聖書研究では、アブラハムは、神の命令には従わなければならないと、英雄的信仰と従順の心を持って、アブラハムは、行動するとある。

私情をはさまず、話を進める。

そして、いざイサクを祭壇の上で、殺そうとして、刃物を振り上げた時、神の使いが言う。
「その子に手をくだすな。いまこそわたしは、おまえが神を敬い、おまえのひとり子さえも神のために惜しまないことがわかった」と。

そうすると、雄羊が、やぶに角をひっかけてもがいている。それを、生贄として捧げたとある。
天使は言う。
「おまえは、ひとり子さえ惜しまなかったから、神はおまえを祝福し、おまえの子孫を空の星、浜のまさごのようにおびただしく増やそう。おまえの子孫は敵の門を討ち取るであろう。おまえは神の声に従ったから、地上のすべての人もおまえから祝福されるだろう」

聖書のお話をするのではないから、一速に進む。
アブラハムは、妻サラの死後も、セツラという妻をめとり、六人の子をもうけている。
それらの子の子孫からは、後のイスラエル人を悩ます種族も出る。

さて、イサクは、現在のシリアとイラクの国境地帯にあった、ハランという地から、自分の姪に当たるレベッカを妻に迎えた。40歳である。
エウザとヤコブという、双子をもうけるのである。

このヤコブは、姉妹と、その召使二人を妻にし、四人が生んだ子が、十二人で、この十二人の息子が、後のイスラエルの十二族の祖となるのである。
ユダヤ十二支族と言われるものである。
この支族の中でも、指導的立場をユダ族が持ち、その中から、ダビデ王、ソロモン王、そして、イエスキリストが出るのである。

イスラエルという名は、ヤコブが神から改名を命じられて、はじまった名である。
ヤコブの子孫が後に、イスラエル人、また、ヘブライ人とも呼ばれる。

アブラハムは、175歳を迎えて死ぬ。
その子、イサクとイスマエルは、ヘブロンにあるマクペラの墓に、妻サラと並べて葬った。

中世期、この地を、イスラムが占領して、他宗教の巡礼を拒んだ。しかし、1929年に、墓の上のモスクの中にだけは、入れるようになった。

ムハンマドは、このアブラハムの信仰に立ち返ることを言うのである。


posted by 天山 at 00:00| イスラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月14日

イスラム16

愛するわが子、イサクを神の命じるままに、生贄にしようとした、アブラハムの絶対的帰依、それは、ムハンマドが言う、イスラムであり、最初のムスリムは、アブラハムであるということになる。

アブラハムの生涯は、神への依存一筋である。

「アブラハムはユダヤ教徒でもなかった。キリスト教徒でもなかった。
 彼は純正な帰依の人、全き帰依者(ムスリム)だった。偶像崇拝者のたぐいではなかった。
あらゆる人間の中で最もアブラハムに近い者は、直接彼に従った人たち、次にこの預言者。次いで信仰深いすべての人々。アッラーはすべての信者を護り給う」
この預言者とは、ムハンマドのことである。

永遠の宗教というテーマがムハンマドにはあった。
それは、歴史を通して一貫している。
次々に預言者が現れ、使徒も使わされた。その中で、イスラムとして、絶対帰依をした者は、アブラハムが最初であり、ムハンマドは、その直系であることを意識する。
ただ、アブラハムとの違いは、この永遠の宗教を支える預言者系列の最後であるという、強烈な意識だった。

全預言者の封印である。
彼の後には、預言者と呼ばれるものはない。彼より後に現れてイスラムの共同体を指導するものは、いずれもムハンマドの代理人である。
それを、カリフと後に呼んだ。

ムハンマドの前に現れた多くの預言者たちは、それぞれの時代が、その預言者の精神に支配される。
最も強い個性を発したのは、イエスキリストであろう。
次の預言者が現れるまで、その預言者の精神によって、色づけされた宗教の時代が続く。
イスラムの宗教的歴史観では、人類の歴史は、多くの預言者的周期の連続と考える。

それでは、アブラハムの周期の精神はというと、帰依、イスラムである。ここにきて、再び、ムハンマドの帰依、イスラムの時期に入るということになる。

ムハンマドは、最後の預言者であるから、歴史は、時間は、円環運動を止め、真っ直ぐな直線的に延びて、世界の終末に向かって進むのである。

アブラハムの信仰、今の言葉で言えば、アブラハム原理主義である。
つまり、ムハンマドからみれば、ユダヤ教もキリスト教も、永遠の宗教が歪曲し、堕落したものとなったということである。

このムハンマドの行為に、非常に似ている、日本の宗教家がいる。
日蓮である。
法華経に帰依するという、題目を発明し、南無妙法蓮華経と、法華経に絶対帰依する。
そして、他の仏教宗派を、ことごとく、否定した。
これも、一つの原理主義である。
膨大な経典の中から、仏陀最高のそして最後の教えであり、仏陀、仏教の本質があるという絶対帰依である。
日蓮は、天台から出た。その天台教学を母体にしての、独自の教学を展開した。
その行為は、非寛容であり、排他的である。
実に、一神教に似る。
宗派を否定するのであるから、他宗教を否定するのは、当然である。

しかし、キリスト教神学の妄想に比べると、仏教教学の妄想は、綻びが多い。
語り尽くすことをよしとする、ギリシャ哲学母体の言葉の隙間には、入り込む余地が無い。
あちらの哲学者は、その神学にいつも対決をせまられるのである。ミイラ取りが、ミイラになってしまった例は、多すぎる。

西洋哲学は、未だに、神観念と、やりあい七転八倒している。

絶対帰依を、イスラムというならば、日蓮もイスラムである。
それを実行する人を、ムスリムと呼ぶならば、日蓮も、ムスリムである。

いずれにせよ、宗教という妄想には、手がつけられない。

先にアブラハムを紹介したが、多くの予言が成就している。その訳は、聖書は、後で書かれたからである。これを、事後予言という。

イスラムは、指導者がいるが、信徒は、皆司祭でもある。その意味では、実に真っ当である。
職業宗教家がいるということは、衣食住に不自由しないということである。
それのみか、日本の僧たちは、財産まで持ち、その子孫に寺を譲り、益々繁盛させて、口からは、仏の道という言葉が出るから、仰天する。
仏の道は、商売の道であったかと、得心するのである。
仏陀のオリジナルを、このように商売に出来るという時代に、呆れて物も言えない。

庇を借りて、商売するのである。
仏陀、哀れ。

日本人は、中々、イスラムを理解出来ないというが、日蓮宗を学べばよい。
驚くべき、強情と、傲慢満載である。

私の尊敬する神道家がいるが、仏教の涅槃の境地は、神道の魂鎮め、と同じであるというが、私は、それを支持しない。

私の妄想は、古神道の、自然共感、共生で十分である。
稲の一本も植えず、魚の一匹も、捕ることをせず、瞑想によって、涅槃の境地に達したからといって、何もならない。
何ゆえに、この三次元に生まれたのかということである。
涅槃の境地に達するのは、死んでからで、十分である。

政治が宗教を容認するのは、カタルシスである。
人民、国民が、不平不満を、宗教という妄想で、昇華するのを、善しとするからである。

人は、その宗教への信仰によって、行為行動の規範を得るが、理性的な人間を完全に狂わせるのも、宗教であること、明々白日である。

このバランスを、仏陀も古神道も、中庸、御中として、尊んだ。
それを学ぶに、誰も否定は、出来ない。

もう少し、ムハンマドの時代のアラビアを見て、このエッセイを終えることにする。

posted by 天山 at 00:00| イスラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月15日

イスラム17

ムハンマドの存在は、アラブ精神史上に起こった、まさに革命的出来事といえる。

ムスリムは、神の奴隷。
奴隷、アドブは、主に対して、自我を主張してはならない。
奴隷は、独立した人格を持たないという、徹底した信仰形態をムハンマドは、作り上げた。

それ以前の、アラブのジャーヒリーヤ時代、無道時代の男たちにとって、それは、屈辱以外の何物でもなかった。

しかし、この信仰に入信する人がいる。
そして、独立した人格を捨てて、主、アッラーの神の奴隷となることを、受け入れるのだ。

イスラムの立場は、全存在の創造主であり、万有の主宰者である、絶対的神との、垂直に成立する奴隷関係を、誇るべきだと教える。

さらに、ムハンマドは、この世に主を認めなかった。
主人というものも否定した。勿論、王というものもである。
真に主と呼ばれる者は、この世には存在しない。
唯一絶対のアッラーのみである。

であるから、ムハンマドも、自分を、ともすれば崇めようとする人にも、私は預言者であり、崇められる者ではないと言った。一人の人間、ムスリムにすぎないと言う。

後で、現在のイスラムによる、紛争について書くが、このムハンマドの創設した、イスラムを見れば、彼らの行為行動が理解できる。
ここまで、徹底しているのである。

神の子イエスを戴く、キリスト教も、アブラハムを主と呼び、その指導者、聖職者をラビ、つまり我が主と呼ぶユダヤ教も、ムハンマドの徹底した批判と非難を受けた。さらに、アラブの、女神の三神を主と称える、アラブの信仰も、否定した。
何一つも、多神教に陥るものを否定した。

ムハンマド以前のアラブの男たちの、何者にも頼らず、何者にも束縛されず、我が意思を生きるという、生き方、そのものをも否定した、その独立性まで否定したムハンマドの信仰は、凄まじい。

「告げよ、「これぞアッラー、唯一なる神  
 もろ人の依りまつる神。
 子もなく親もなく
 これとならぶもの絶えてなし」

私は、このムハンマドの信仰に、現代の終末思想の宗教形態の様を見る。
というのは、最初のコーランの神は、実に、怒りと裁きの神の形相であり、終末を説くのである。
審きの日としての、終末思想がある。
アッラーに従わない者は、裁かれて、滅びるのである。

誰もが、持つ潜在的恐怖と不安は、死である。
その死に、終末思想を結びつけて、脅す。つまり、潜在的恐怖心を煽るのである。
それが、ムハンマドから始まり、今、現在にまで至る。
多くの新興宗教系は、終末思想を持ち、それを、布教の糧にする。

1999年に向かう終末思想は、多くの新興宗教を起こした。
勿論、皆々、見事に、預言は外れた。しかし、形態は残った。

私は、一つの疑問を持つ。
主の奴隷となった、ムスリムは、その主の命令を、どのような形で受けるのかということである。
皆々、ムハンマドのように、主からの啓示や、指令を受ける者ではない。
アッラーの代理者がいなければ、アッラーのみ旨は、解らない。ということは、その間に、人間が介入するということである。そして、その介入する人間の思い通りに、動くということである。

それが、現代のイスラムの大きな問題でもある。
指導者が、アッラーのお告げであると言えば、それに従う。
奴隷であるから、主に従う。
そして、聖戦、ジハードを行う。

ただ今、イスラムには、二つの派閥がある。
それらも実に、対立し、互いに聖戦を行う。
それぞれが、アッラーのみ旨を実行しているとなれば、唯一の神のお告げというのは、どこへいったのかということだ。
それは、唯一ではないだろう。
単純なことである。

アッラーの名を語り、自分の意思のままに、信徒を動かすことが出来るということだ。
それでは、真実のアッラーの声は、言葉は、どこにある。

実は、どこにも、無い。

ある訳がない。

これを言えば、殺されること必至であるが、言う。

ムハンマドは、独裁的思考の極度の混乱に陥っていた。つまり、病気である。
彼は、狂気を、それにより、かろうじて支えていた。

そしてまた、人も自分と同じく、狂気に駆り立てるのである。
これ以上は言わないが、ムハンマドに懸かった神の正体が解るのである。

次に、現代のイスラムの派閥対立をみることにする。
そして、余計なお世話であるが、イスラムの、これからのあり方を探る。
なんとなれば、イスラム教徒は、今、世界で最も信徒が多いのである。

世界が、静かに、平和になるためには、セム的一神教の、ユダヤ、キリスト、イスラムに、終末が訪れて、皆々、滅びてもらうしか道は無い。

私は、警護をつけるほどのお金が無い。
実に、危険なことを書くが、これを書いて、証拠とする。

posted by 天山 at 00:00| Comment(0) | イスラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月16日

イスラム18

630年、ムハンマドが創設した、イスラム教が、アラビア半島を取り込んだ。
今言う、アラブとは、その時にはじまったものである。
アラブ諸国の連合体である。

632年に、ムハンマドが死ぬ。
イスラム教団は、分裂の危機を迎えるが、何とか、ムハンマドの後継者、代理人、神の使徒としての、カリフ、つまり法王を、選ぶことになる。

話し合いで選ばれたカリフの第四代までを、正統カリフ時代と呼ぶ。

コーランは、第三代カリフの時に、編纂される。
それは、メッカの方言である、アラビア語で、書かれた。
コーランとは、読むべきものという意味である。

聖典が、アラビア語で啓示されたという事実を、コーランが言う。
「我らは今それを特にアラビア語のコーランとして下した。汝らが理解できるようにとて。」
我らとは、神の一人称である。
今それ、とは、啓示のことである。
汝らとは、アラブ人のこと。

「まことにこれは万有の主のお告げ。
 かの誠実な霊が天から携えて来て、
 汝の心に下し、
 汝はそれで人々に警告を与える。
 その言葉はまごうかたないアラビア語。」

誠実な霊とは、天使カブリエルのこと。
汝とは、ムハンマドのこと。

さて、そこで、問題が起こる。
アラビア語で書かれたということは、アラブ人の優越性、また、選民意識を煽るのである。
聖典の言葉が、アラビア語であるということで、アラブ人たちは、イスラム世界における、特権的地位を主張するのである。

その態度に、最も、反応し、屈辱感を感じたのは、ペルシャ人、イラン人である。
実は、アラブには、文化的素養となるものは、何一つ無い状態であった。
ただ、無道時代、ジャーヒリーヤ時代の、詩歌くらいである。
しかし、ペルシャは、文字、哲学、芸術等々と、すでに成熟した文化を有していた。

アラブ人は、実に野蛮な民族であった。
それは、旧約聖書に書かれている通りである。

であるから、本当に、イスラム教をイスラムたらしめたのは、ペルシャであったといえる。
それが、750年のアッパス朝のペルシャ的イスラム全盛時代である。
バクダットを中心に、世に横行した、有名なシュービーア運動である。

さて、整理すると、661年に正統カリフ時代が終わると、次第に、分裂の気配を持ち、現代に至る、派閥を作るようになる。

まず、スンニ派である。
カリフは、ムハンマドの政治的権限を引き継ぐもので、教義は、教徒全体で決定されるとした。
基本的に、イスラム共同体、ウンマには、聖職者は、存在しない。一人一人の信徒が、自ら宗教生活を行うというのが、ムハンマドの教えである。

次に、シーア派である。
第四代カリフのムハンマドの甥である、アリーが宗教と、政治の指導権を引き継くものとし、アリーが、暗殺されると、その12代の子孫イマームを、正統な指導者とするものである。

この、派閥が、イスラム世界を二分する対立を繰り返している。

イスラムの9割が、スンニ派であり、1割が、シーア派である。

ただ今のイラクの内戦状態は、何も、今に始まったことではない。元からあった、派閥対立の様である。

歴史的にみる。
661年、正統カリフの第四代目のアリーが暗殺されると、対抗していた、シリア総督の、ムアーヤが、ダマスクスで、カリフと称して、ウマイヤ朝を開いた。
ウマイヤ朝は、ビザンツ文明の影響を受けていたが、アラブ人が特権階級を独占し、イスラムに改宗した異民族は、被征服民として、差別された。
こうした、反体制勢力の押さえ込みに苦心した、ウマイヤ朝は、8世紀前半に、再度の征服運動を起こし、イスラム帝国の領土を拡大する。東方では、インダス川流域、西方では、北アフリカから、イベリア半島である。西トーゴ王国を倒し、ピレネー山脈を越えて、フランク王国まで至るが、そこでは、敗れている。

750年、シーア派の反体制運動で、ウマイヤ朝が、混乱すると、アル・アッパースが、イラン人の反体制運動を利用し、政権を奪い、アッパス朝を開いた。
アッパス朝は、中心を、かつてのササン朝、イランに移し、シーア派を弾圧する。そして、アラブ人の特権を廃止して、すべてのイスラム教徒は、平等であるとした。
民族に関係なく、有能な人間を登用して、アラブ帝国から、イスラム帝国への変革を行ったのである。

一方、ウマイヤ朝カリフの一族は、イベリア半島に逃れ、756年、コルドバを首都として、後ウマイヤ朝を建てる。

イスラム帝国は、東西に分裂した。

アッパス朝は、その後、セルジュク朝、つまりトルコの前身、そして、オスマン帝国へと移行する。
歴史の話ではないから、この辺でやめる。

ちなみに、その頃のヨーロッパは、まだまだ発展途上であり、イスラム帝国からの知識を得て、ようやく、文明にたどり着く様であった。
ギリシャ、ローマの思想も、イスラム帝国から、ヨーロッパにもたらされたのである。
ヨーロッパのルネッサンスを、驚くが、あんなものは、イスラム帝国では、当たり前のことであった。
ヨーロッパは、知識人のスタイルも、イスラム帝国から、学んだのである。

さて、私見である。
要するに、ムハンマドという、異常精神の持ち主が、妄想、幻聴、幻覚によって、成った、宗教がイスラムである。

再度言うが、日本の日蓮に、似る。
激しい、妄想力であるから、そのエネルギーに、周囲の者は、巻き込まれる。
要するに、ものは、何でもよい。自己昇華の出来るものであれば、よい。
近い将来の終末を言うあたりは、ムハンマドも、まあ、教祖の一人である。

ちなみに、インド系の宗教などは、イスラムに、飲み込まれたのである。
つまり、インド系の宗教は、仏教をはじめ、この世を無常として、来世を願う。しかし、イスラムは。この世に、天国を築こうとする。
この世、つまり、政治に、大きく関与する。
仏教国が、皆々、イスラムに、乗っ取られたのは、そういう意味がある。

日本の新興宗教も、日蓮宗系、法華経を奉ずる団体が多いが、イスラムに似る。
この世に、楽土を築かんがため、とは、上杉謙信の信念である。
この世に楽土を築くとは、日蓮宗の、掲げる仏法である。
イスラムを理解したい場合は、日蓮宗を見ればよい。

排他的、非寛容、攻撃的、傲慢は、甚だしい。
勿論、それらは、皆々、妄想である。

以上で、イスラムを終わる。
つたない、エッセイでした。

posted by 天山 at 00:00| イスラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。