2007年05月30日

イスラム1

「げに、アッラーの目より見て、汝らのうちにて最も高貴なるものは、汝らのうちにて最も敬神の心深き者なり」
一人一人が、神の前に裸である。
高らかに、ムハンマドは声を上げた。

ベドウィンたちに個人という意識は無かった。彼らは、個人が単位ではない。部族が単位である。その部族の元は、血である。一切は、血族である部族による。それが、生きるモラルである。何人も、それを犯すことは出来ない。

ムハンマドが声を上げたのは、キリスト誕生から600年を過ぎた頃である。
ムハンマドの存在は、内にも外にも、絶大なる影響を与えることになる。
というより、絶大なる抵抗と、烈しい迫害である。
これぞ、新興宗教といえる。

ローマカトリックに代表されるキリスト教が、異端を抑えて、隆々として世界制覇を掲げていた。
法王の権威は、王をも凌ぐになるのである。
カトリックの最大の異端は、ネストリウス派であった。彼らの、教義は、イエスを最も神に近い人間とした。三位一体の教義を、真っ向から否定するものである。
父と子と聖霊は、同格なのであるが、ネストリウス派は、三位一体説をとらなかった。カトリックは、皇帝と結び、徹底した異端審判を行った。

ところが、別の角度から、ムハンマドが、それを言う。
イエスの神聖を否定し、人性だけを認めた。
つまり、イエスは、旧約の預言者たちと同じ格なのであり、ムハンマドも、その一人であると宣言した。
カトリックが掲げる三位一体を徹底して糾弾した。
自分も、そのセム的一神教の預言者の最後を飾る者であると、高らかに宣言したのである。
神に、父や子があるか、神は、御一人である。これが、ローマ教会を激怒させることになる。そして、教会は、イスラムに対して、武力攻撃を決意する。それが、あの十字軍である。

イエスが、ユダヤ教の完成を言うように、ムハンマドも、旧約の神を神とする。つまり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、共に、旧約聖書を聖典とするのである。
ユダヤ教は、今でも、救世主の出現を待ち、キリスト教は、新約聖書により、旧約がイエスによって完成し、イスラム教は、ムハンマドが、最後の預言者であるとする。
ここに、三つ巴の戦いが始まるのである。

話は別だが、私が三蔵法師玄奘を調べた時に、かれの通った道の国々は、すべて仏教を信奉していた。しかし、ムハンマドがアラッーの教えを開始すると、それらの国々は、皆、イスラムに転向した。それが、私の謎である。
確かに、イスラムは、シリアを取り、エジプトを取り、メソポタミアを取り、ペルシャを取り、インドを取り、北アフリカを取り、遂にはスペインにまで至ったのである。
それは約百年の間のことであるから、驚く。

これは、私の偏見から言う。
武力で成る布教により、人は信仰を受け入れるのだろうかということである。
敵を想定しない、仏陀の教えの方が、受け入れやすいと考えるのだが、世界は違うようである。
人の心にある、怒りや、憎みを最大限に生かしきることで、成り立つイスラムという宗教の信仰を正しく理解するには、大変な努力が必要である。
出来る限り、虚心胆管にして、冷静に見つめてみたいと思う。

ただし、私は学者ではない。私の霊学からも、口を挟むことになる。

異質なものを理解する行為は、今こそ必要である。
イスラム圏に出掛けていた日本人は言う。彼らは、気違いだと。真っ当な会話すら出来ないと。
あまりにも、彼らの思考がこちらと違うということである。
世界に、こんな考え方があったのかという驚きである。

国際感覚などとは、まだまだ遠い。
知らないものを、知らないと認めないと、何も始まらない。

イスラムを理解ために、ムハンマドをまず、見つめる。

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2007年06月11日

イスラム2

ムハンマドは、40歳前後から、不思議な夢を見て、しばしば異様なヴィジョンを見るようになる。
その頃、彼は結婚生活15年、ごく普通のメッカの商人であった。
年に一度は、メッカ近郊のヒラー山の洞窟に籠もり禁欲生活をする。

召命、つまり神に選ばれるという意味、の年も、ムハンマドは、家族を連れてヒラー山にお籠もりに出た。
ラマダーン月のある夜のことである。
突然、彼に超自然的な、あるものが臨んできた。
天使ガブリエルである。
大天使は、ミカエル、ガブリエル、ラファエルである。
ガブリエルは、聖母マリアに、受胎告知をした天使でもある。

天使ガブリエルが、衣を手に、「読誦せよ」と命じた。
「私には読めません」ムハンマドが答える。
すると、天使は衣をムハンマドに被せて押さえつけた。
さらに、「読誦せよ」と言う。
しかし、ムハンマドは戸惑う。
ついに、「何を読誦するのでしょうか」と尋ねると、天使は答えた。

「読誦せよ、創造し給える汝の主の御名によりて
 主は人間を一滴凝血より創造し給えり
 読誦せよ、げに汝の主はこよなく
 仁慈のこころ厚くして 
 筆によりて教え給えり
 人間に、未知のことどもを教え給えり
 人間に教えてもってその蒙を解き給えり」

蒙とは、迷いである。

ムハンマドは、しかし、その体験を恐怖と驚愕に捕らわれて、真意をつかめなかった。
初めは、悪霊か、妖怪に取り付かれたのではないかと思ったのだ。
当時、妖霊、ジンというものの存在が信じられていた。ムハンマドは、それに取り付かれたのではないかと思えた。
実に、気の弱い男であった。
彼は、そういう体験をすると、がたがたと震えて、恐れ、妻の元に駆け込んだ。
しかし、妻のハディージャは、これが妖霊の仕業ではなく、神のものであることを疑わなかった。つまり、ムハンマドの最初の信者は、妻だった。

ここで、天理教の中山みきの、場合を見る。
彼女も、天の将軍という霊に、選ばれた者である。
「みきを貰い受ける」という神の言葉に、家族が動揺し、迷っている三日三晩、みきは、神罹るのである。
選ばれる、これを召命、しょうめい、という。

精神病理学から、幻覚、幻聴という病と診る場合もある。
それが、その本人の人生を、がらりと変えてしまう場合がある。
さて、彼らは、どうだったのか。

神の声が聞こえるという少年に会ったことがある。
その声ゆえに、活動が出来ない。寝たきりであるという。
その声は、常時聞こえる。
私は、病院を紹介した。
それ以来、入院を続けている。

旧約聖書の預言者も、そのようにして、選ばれた者が多い。
突然、召命されるのだ。
しかし、私の霊学からいえば、突然召命されるということは、有り得ない。
それが突然に、思えるだけであり、本人の潜在意識は知っている。または、それを望んでいたといえる。

ここで大切なことは、必ず、既成の宗教が元になるということである。
それらと、一切、切り離されたものにはならないのである。つまり、解釈の仕様がない。
故に、ムハンマドも、セム人の人格的唯一神との接触をのみ、考えた。

旧約聖書から、逃れられない。逃れられなかったのである。
天使ガブリエルというのも、最初は、聖霊であると、彼は言った。後に、天使ガブリエルと言う。

人は、在るものからしか、物事を解釈出来ない。
無いものからは、理解出来ないのである。

天理教の中山みきも、結局、神道に寄り、天理王の命という名の神の名を呼ぶ。そして、教義は、神道から借りるのである。
古事記が教義の母体にある。

勿論、神に名前は無いから、何と呼んでもいい。

インドのマザーテレサの場合も、そうである。
目の前に主イエスが現れて「私は乾く」と言う。
それが、マザーテレサの活動の発端となった。

通常は、有り得ないことである。
幻覚、幻聴である。
それが、意味深いものであることを、感じ取る。

普段の生活の中での、何気ないことからも、超自然の声を聞くこともあるはずである。
そして、それが本当である。
普段の生活の中にある、真理の声である。
しかし、今は、これに多く触れない。



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2007年06月12日

イスラム3

召命、しょうめいとは、神からものであると、いわれる。
しかし、それを証明する、何物もない。

古神道では、必ずサニワという、診断する者がいる。その神からの言葉が、真実、神からのものであるのかという。
勿論、日本には、神々がいらっしゃるから、どの神であるかも見抜くことが必要である。

ムハンマドが、自分は神の使徒であると、確固たる心境に達するには、相当の時間が必要だった。
多くの旧約聖書の預言者が、そうであったように、ムハンマドも、旧約聖書の、生ける神に、捉えられる。預言者の多くが、そうであるように、彼も、戸惑い、出来れば、それから逃れたいと思った。

ムハンマドは、六世紀末に生まれ、七世紀の前半に活躍した。
資料の少ない古代の人ではない。すでに、この歴史の中で堂々と、活動した人物である。
史実としても、創作の余地はない。
しかし、召命を受けた後のことは、しっかりと記録されているが、それ以前、40歳前の彼のことは、不明である。
メッカの一市民だったものを、誰も記録などしない。
その点で言えば、ムハンマド伝に関しては、召命前のことは、想像の内である。

さて、ムハンマドが、神の使者として活動を始めても、それは、何事もなかったかの如くであった。
メッカ市民に、街角に立ち、神についてを語りだしても、何のことはない。当然のことであり、神というものが、当然のことであるから、誰も真面目に聞く者は、いない。神のことを聞くならば、聖殿に行けばよい。

最初の信者になったのは、彼の妻、ハディージャである。そして、次の信者は、矢張り、身内の者から出た。
ムハンマドの後継者になる、アブー・バクルの入信である。彼は、第一代のカリフとなる。
バルクは、当時のメッカでは、クライシュ族の中で、指折りの豪商であった。その清廉潔白な性質と、穏やかな人柄は、多くの人の尊敬を集めていた。
彼は、ムハンマドの新興宗教に、その膨大な財産を提供した。
そして、それ以来、ムハンマドと終生共に、過ごすことになる。

次に、第二代のカリフとなる、ウマルが入信する。
それにより、新教団は、基礎を築くのである。
しかし、最初は、上流階級や、金持ちより、社会の下積み、虐げられた人々が圧倒的多数、信者になった。

血筋、生まれを無視して、人間の素のままに受け入れるという、新宗教の教えが、貧困階級の人々に、喜びを与えた。

これは鎌倉仏教の中の、浄土宗、法然の活動に似る。
貴族の仏教、救われる者は、僧になるものという、差別の仏教を、念仏により誰もが救われると説いた。老若男女問わず、救われるという、一大画期的な教えを説いたのである。
その弟子には、更に、その救いを深める親鸞も集った。
阿弥陀仏が、一人でも救われなければ、私も救われないという、願を起こした。その願に、ひとえに頼る、絶対に頼り切る、つまり、絶対他力である。
その阿弥陀仏に、帰依する。
南無阿弥陀仏と、唱えることで救われる。
阿弥陀様に、帰依すると、宣言することで救われると説く。
法然の説教には、身分を超えて、人々が集った。溢れた。

勿論、今の浄土宗は、その頃の熱意はない。惰性と、組織のシステムに陥り、寝ぼけた信仰を持って、まだ、救いの妄想の中にいる。
阿弥陀というのは、観念であり、人の想像した、無いものであるから、架空のものに、帰依しても、どうしようもない。単なる、自己満足、自己陶酔である。
最後は、自己催眠であるから、気の毒である。

霊界に 阿弥陀の世界 尋ぬれば 行けども無けれ 風吹くのみて  天山

現代であれば、貧乏人と、病人ばかりと言われた、創価学会がある。
当初は、そんな中で活動を始めたが、今では、世界に広がる、堂々たる宗教団体となった。
それは、日蓮法華経に帰依する。
特徴は、題目を上げることは、折伏することと同じである。
折伏とは、説き伏せることである。
言論の暴力を持って、説き伏せる。その根拠は、法華経にある。法華経こそ、仏陀の最後の教えであるという確信である。
法華経を教えるために、仏陀は、多くの喩えを伝えた。行き着くところは、法華経にあり。

法華経の作者は、誰であろうか。仏陀は、一切の書き物を残していない。
経典といわれるものは、すべて、後々の作者がいる。
仏陀、滅後、500年を経て、経典が書かれるのである。
まして、それを、漢語に訳したものを読経しての、法華経である。漢字をすべて、音読みする。その解釈は、いかようにでも、出来る。
何が正しいのかを、誰も知らない。

日蓮も取る、天台の教え、一念三千世界というものも、単なる哲理に過ぎない。それを真理とは、言わない。一人の寝ぼけた、哲学である。その根拠は、無い。一つのものの見方、考え方である。つまり、言葉の遊びに始終するのである。

だが、この法華経を経典として、立ち上がる新興宗教は多い。
立正佼成会、霊友会等々、小さなものを入れても、膨大な数の宗教がある。

宗教も進化すると考えると、確かに、既成の聖典に乗り、そこから始めると楽である。
全くのオリジナルは、大変な労力を使う。
必ず、その前身があるのだ。

霊能か、思い込みか、はたまた詐欺か、それを鑑定するには、大変である。
神懸かる、神に憑かれると言っても、その神の種類を見極めるのも、大変である。

人の見えない世界のことであるから、正しいとか、誤っているとかを、簡単に言うことが出来ない。

ムハンマドに懸かった霊は、一体、どのような霊だったのか。つまり、それは、イスラムというものが、どのようなものであるかを知ることになる。

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2007年06月14日

イスラム4

アッラーの御目よりすれば、真の宗教はただ一つイスラームあるのみ。

そして、神が語る。
今日この日、ここにわしは汝らのために汝らの宗教を建立し終わった。わしは汝らの上にわが恩寵をそそぎ、かつ汝らのための宗教としてイスラームを承認した。

アッラーと呼ばれる神は、いかなるものか。
そのためには、ムハンマド以前の騎士道華やかなアラビアの歴史を観なければならない。
後世のイスラム教徒は、その時代を、ジヤーヒリーヤと読んだ。無道時代である。
つまり、騎士道という名の無明の時代である。単なる人の作ったモラルに生きた時代である。それは、無軌道なのである。よって、無道時代という。

その無道時代からの信仰の対象は、三女神、マナート、アッラート、アル・ウッザーであった。
この神々は、絶対神アッラーへの取り次ぎ役、仲介者であった。
その他、数多くの神々を信仰していた。多神教といってもよい。

アッラーは、砂漠の古い神である。
その他の、多くの神々を超越する存在だった。
メッカの市民も、無条件で、アッラーの神の絶対性を認めていた。しかし、現実は、それよりも格の低い神々を信仰していた。
偉大なるアッラーより、身近な存在の神々に、願いをかけたのである。

日本で言えば、仏陀ではなく、観音様や阿弥陀様という観念の仏様、またインド魔界の弁天様、帝釈天、毘沙門天等々である。

さて、今日でも、メッカは巡礼の地である。
その聖殿カアバの起源は、解らない。
無道時代から、アラビアの民族的な聖殿であった。
アラビアの伝説では、アダムが神の命を受けて、天にある原型を模して建てたといわれる。有名な黒石の由来も解らない。古代のセム人は、石を聖なるものと考えていた。旧約のイスラエル人も、神に犠牲を捧げる際に、石を台にしていた。伝説では、天使ガブリエルが運んできたものと言われる。
カアバは単純な立方型の建物である。

カアバには、あらゆるアラビア部族の神々が共同で、奉られていた。
イスラムが起こる、一世紀ほど前から、クライシュ族が治めていた。この種族だけが、カアバの守護者であるということも解っていない。

カアバは、宗教的聖地のみならず、全アラビア民族の集合所であり、政治的、経済的な場所でもあった。
年に一度の巡礼の時期には、一切の戦闘行為が禁止されていた。
生活の糧を得る、唯一の行為である、略奪も完全に禁止されたのである。

アラビア、イスラムを理解するには、容易ではないことが解るだろう。
略奪は当たり前、戦闘行為は、日常茶飯事である。
部族中心のアラビア人が、民族を感じるとしたなら、このカアバの存在しかなかったのである。
部族中心とは、血の繋がりである。血の繋がり程、重要なものは無かった。
部族の中では、平和的なアラビア人が、ひとたび、他部族との関わりでは、排他的、戦闘的になった。
日本人が、北海道から沖縄まで、日本人であるという意識を持つが、アラビア人は、そんな意識はない。
例えば、北海道と、沖縄であれば、それだけで敵になる。
ただ、メッカ巡礼の時だけは、統一した民族意識を持つという不思議である。

イスラムの派閥の争いを見ても、理解出来ないのは、そういうことである。
血が違えば、敵なのである。

さて、ムハンマドは、本来の神、アッラーをのみ信奉するべく、説教を始めた。それについて、何の問題もなかった。当然のことだった。
しかし、何故、ムハンマドが迫害されるようになったかは、その純粋な、セム人的な唯一絶対の神を徹底して説いたからであり、他の神々を、排斥したからである。

カアバの神々を「これらはただ、汝らならびに汝らの祖父が徒らに名づけたる虚名にすぎぬ」と、喝破したからである。

メッカの人は、聖殿により、政治、経済を保っていた。そのままであれば、平穏無事であった。しかし、ムハンマドによって、それらを否定された。これは、由々しきこと、許されないことであった。
最も力を持つ、クライシュ族は、この変な男に「大うそつき」「うぬぼれ詩人」と呼び、「じじばばの昔話」と決め付けた。

これに対して、ムハンマドは声高に言う。
説け、アッラーは唯一神
永遠の神
子もなく父もなく
また双ぶべきもの一つだになし、と。

ユダヤ教、キリスト教、共に、セム人的唯一神は、一切の妥協を断固として拒絶する。
実に、激烈な教えになるのである。
それを、ムハンマドは成した。
純粋な人といえば、いえるが、単に純粋ではなかった。実に、戦闘的だった。

それは、イエスキリストも同じである。
実に、攻撃的、戦闘的だった。
しかし、違うことは、キリストは武器を取らなかった。
ムハンマドは武器を取った。
もう一つは、キリストは奇跡によって、人を目覚めさせた。
ムハンマドは、戦いによって、捻じ伏せた。


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2007年06月16日

イスラム8

聖都メッカの降伏により、全アラビアを手に入れたムハンマドは、その二年後、生涯を閉じる。

さて、ここで、イスラムという言葉について言う。
Islamとは、何を意味するのか。
イスラームという語の基本的な意味は、無条件に自己委託をするという意味である。
自己を完全に放棄して、すべて相手の意のままに任せること、である。
この場合は、アッラーへの絶対無条件の依存である。

これを聞くと、思い出すのが、法然、親鸞の絶対他力である。
阿弥陀の誓願にある救いに、自己を投げ捨てて、救われるというものである。
実に、よく似ているが、実態は、全く違う。

法然の救いは、誰もが救われるということである。易行という。難行ではない。難行は、自力であるから、それでは、救われない、自力の計らいが、弥陀の本願を拒否するのである。
救われ難い者である。どうしても、弥陀の本願に頼る以外にないという他力である。

イスラムの場合は、弥陀ではなく、アッラーという神である。
そこには、救済の思想は、一切無い。
救われるという言葉が無い。
ただ、断固として、自我を切り捨て、すべてを神の御心に任せる。その結果が、どうなろうが、問うことはない。それが、イスラムの主体性である。

要するに、アッラーに従い救いなど、求めない。そんなことは、どうでもよい。

ある宗教学者は、宗教の根源的意味合いを、依属感情と呼んだ。
だが、この定義は、セム的一神教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教には、概念として、当てはまるが、他の宗教には、無効である場合多々ある。

イスラムは、その名称通り、絶対依属、絶対依存である。
それは、絶対他力を超える。

イスラムという言葉は、ムハンマド以前は、対人関係に使われた。
貴重な所有物を、他人の手に渡して、自由に任せるという意味である。しかし、ムハンマドから、その相手が、アッラーという神になったのである。
貴重な所有物とは、人の心である。それを神に差し上げるのである。
それが、イスラムという意味になった。
そして、それを成す人を、ムスリムと呼ぶ。
muslimとは、islamとは、同じ語源からなる。形容詞と、名詞の違いである。
イスラームは、名詞である。

イエスの教えと、親鸞の教えが似ているようなことを云々していた識者がいたが、全く事の次第を知らないといえる。
神の愛と、阿弥陀の慈悲が、似ていると。
神は、人格神である。阿弥陀は、観念である。
他力本願は、非常に情緒的である。しかし、一神教の信仰は、峻厳である。

一神教は、排他的で、非寛容である。
そして、武力を持ってしても、よい。神のために、戦うことを、つまり、相手に信仰を強要させるべく、武力を用いてもよい。
聖戦、ジハードとは、そういうことである。

アラビアの風土と、日本の風土は、相容れない。ゆえに、彼らを理解するには、至難の業である。


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2007年06月17日

イスラム9

そこで、もっと深く、アッラーの神とは、何かと問う。

万物を無から作り出した創造主。
一切を意のままにする絶対意志を持つもの。
あらゆるものが奴隷として仕え、主として崇められる超越的支配者。

コーランを読まずとも、旧約聖書に親しんだ私には、よく理解できる。
旧約の神、ヤウエの神である。セム的人格神である。

しかし、それだけではなかった。
アッラーには、アラビア地域に、また、別の一面を持つのである。
それは、イスラム以前のジャーヒリーヤ時代、無道時代と言われるアラブの宗教生活における神の特別の存在感があった。

このジャーヒリーヤ時代のアッラーの神を見なければ、イスラムのアッラーも、見えない。
それでは、その頃のアッラーの神とは、如何なる神だったのか。

ムハンマドは、新しい宗教を興したのではない。
イスラムの神、アッラーは、新しい神ではない。
誰もが知る、当たり前の神の名であった。
そして、ジャーヒリーヤ時代のアッラーの神は、旧約聖書のヤウエの神より、慈愛の神の意志も強いのである。
アラブのベトゥインといわれる彼らも、普段は、アッラーの神を意識しないが、何か事があると、その偉大な神、アッラーを思い出し。その名を呼んだ。
いよいよ切羽詰まったときに呼ぶ神の名が、アッラーであった。

コーランには、その彼らの様を描写する箇所が多くある。
「舟に乗っている間は、盛んにアッラーの神に祈り、信仰ただ一筋に誠を尽くすくせに、一旦岸まで無事に送り届けていただくと、とたんに変心して、ほかの神々を拝み出し、せっかくの我等の恩寵を感謝もせず、いい気になってうかれ廻る。いまに見よ。必ず思い知る時が来よう」
我等の恩寵とは、神の言葉である。神的一人称の複数と言われる。旧約の神も、我々という言葉を使う。

ジャーヒリーヤ時代は、諸部族、遊牧民、定住民であれ、それぞれの神を持ち、その神の祭祀を通して特定の地域の宗教に結びつけられていた。
しかし、その地域の神の上に、それらを統括する一大中心地として、メッカの神殿が君臨した。
「神聖月」が来ると、部族間の一切の戦闘行為が止み、人々は、メッカに参集して、盛大な宗教行事を、神殿で執り行うのである。
そして、神殿には、それぞれの部族の神々が、数百を超えて祀られていた。そして、それらの主神として、アッラーは君臨していたのである。

この点では、ジャーヒリーヤ時代も、イスラムも変わらないが、唯一の違いは、ジャーヒリーヤは、多神教である。アッラーは、主神といえど、神々の一人である。しかし、イスラムは、アッラーのみである。
同じく、主としても、両者の間には、全く違う感覚があった。
イスラム、ムハンマドから見れば、アッラーも、偶像の一つになる。これは、許せないことである。

いくらアッラーを最高としても、その下に神々がいるということは、アッラーの高さも相対的なものになる。それでは、意味が違う。
ムハンマドは、アッラーの絶対的な存在を言う。
他の神々の存在により、アッラーが相対としての存在にされることに徹底抗戦する。それが、イスラムである。
アッラーに対峙するものは無い。
アッラーに対峙するものがあることは、許せないのである。だから、イエスキリストの存在を許すことが出来ない。アッラーと対峙するとは、とんでもないことである。
神に、父も子も無い。
神の子とは、何事か。ムハンマドが怒る。
イスラムの大罪は、それである。
アッラーに対峙させるものがあることが、大罪であるから、キリスト教は、イスラムから見れば、大罪を犯しているのである。

「アッラーは他のいかなるものとでも一緒にならべられたら絶対にお赦しにならなぬ。そこまで行かない罪なら、気がお向きになれば、赦しても下さろう。だが、アッラーにならぶものを認めることだけは、赦すべからざる大罪である。」

イスラムの絶対的一神教は、多神教を大罪とする。

ある時、ムスリムの留学生と話をしていて、言われた。
「あなたは、クレージーです」と。そう、私の多神教の考え方である。
その時、私は、キリスト教で、仏教、ブディストで、古神道、日本の神道を信奉するのであると言ったのである。
彼には、それは、全く理解できないことだった。

アラビア語で、神を意味する言葉を、「イラーハ」と言う。
その複数形を「アーリハ」と言う。イスラムでは、それらを、単なる空虚な言葉だと断定する。
ジャーヒリーヤの信仰する神の名も、神の被造物でもなく、単なる空虚な名称だとするのである。

神々は、実体の無い、ただの言葉であり、単なる妄想である。神聖な空間には、唯一の実在として、アッラーのみが存在する。絶対一神教である。

どの宗教を信仰する人でも、それが一番正しいと、思い込む。当然である。
私の神、私の仏が、一番正しいと。
この信じる行為は、実は、単なる偏りであることを知らない。いや、偏れば偏る程、強い信仰であると言う。
日蓮は、迫害されれば、される程、正しい信仰であると信じきった。
拷問を受け、殉教することを善しとした、キリシタンもである。
実に、観念とは、恐ろしいものである。

しかし、霊学から言う。
神を創造するのは、自然である。
風吹けば風に、雨降れば雨に、日が照れば、日に、ただ、淡々として、自然は、それを写す。自らの存在を何一つ、変化させることなく、あるべきように在る。
あらゆるものは、自然の被造物である。
この人間もそうである。
そして、何も説くことがない。
ゆえに、私も説くことを、しない。
霊学といえども、説けば、嘘になる。

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2007年06月18日

イスラム5

ムハンマドは、当初は、既存の信仰の改革であり、アッラーに対する目覚めを促すものだった。
メッカを支配する、クライシュ族に対して、アッラーのみが拝む対象であると言いたかった。
アッラーのみが、聖殿の主であることを。

「されば人々はこの聖殿の主アッラーをおがみ拝すべし。アッラーこそ彼らを飢餓より救い、彼らを恐怖より安泰に導き給える者なれば」

だが、しかし、私は言う。
略奪を善しとする、アラビア人の、飢餓とか、安泰とかという言葉は、不自然であると、思うのだが・・・

時が経つにつれて、ムハンマドは、純粋セム人の唯一絶対人格神の峻厳な性格を説くようになる。それが、メッカの有力者たちの、目障りになり始めた。
今までの、伝統の信仰を否定することになると、彼らは気づき始めた。
これは、由々しきことである。

既存の価値を否定されるようになると、誰もが、反感を持ち、それが批判になり、そして、迫害を生む。
ムハンマドの行為も、そのようになっていった。
そうすると、信者とクライシュ族との間に、対立と緊張が生まれる。

そうして、ムハンマド派は、クライシュ族と、完全に絶縁状態になるのである。
なお、戦闘的な人々である。当然、ムハンマドの宗教活動に入信する者を、暴力によって、圧力をかけることになる。
結果、ムハンマドに集う人が、次第に、その行為によって、離れることになる。
また、ムハンマドにとって、最大の理解者だった、妻ハディージャが亡くなってしまうのだ。また、叔父のアブー・ターリブにも死なれて、孤立無援の状態に陥るのである。

窮地に追い込まれたムハンマドは、メッカを去り、メディナ市に逃れることになる。
そこで、異なる部族の間に、同士を募ろうと思った。

だが、この行為は、想像を絶する行為である。
つまり、アラビア社会では、それは、考えられない行為だからだ。
別の部族に入るということは、絶対に無い。神聖犯すべからざる「血のつながり」である。そのような行為を成した者は、未だかっていなかったのである。

西暦622年、ムハンマドに従う少数の信徒は、何もかも捨てて、見知らぬ異郷に出発した。
その後で、ムハンマドは、クライシュ族の監視を抜けて、無二の伴侶であるアブー・バクルと二人で、メッカを落ち延びた。

イスラムの史家は、これを、ヒジュラと呼び、これによって、アラビアの無道時代が完全に終わったとする。

歴史は、イスラムの時代に入るのである。
この年から、イスラム暦が始まる。

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2007年06月23日

イスラム11

神の絶対的奴隷である、イスラムを唱えたムハンマドの、重大な問題がある。

それは、啓示である。神の啓示を受けたとある。
それが、私の問題である。

神道では、神懸かると、それを判定するサニワという役割がある。
神と名乗っても、その神なるものが、何者であるのかということだ。

神という言葉は、方便である。
例えば、人霊が神と名乗る場合は、よほどのメッセージがある場合である。
神が、我は神なりと現れるのは、旧約聖書の、神もどき、または、魔物である。悪霊といってもよい。魔神である。

神には、名が無いからである。
大和言葉の神という言霊は、音霊が、かアみイである。
母音、アとイである。
カミを上とも、守とも書く。
母音の意味は、開いて受け入れるという意味である。
アイである。漢字の愛の意味も、このように考えてよい。
つまり、大和言葉のカミは、尊称である。
それを私は、何度も書いている。
私が死ねば、木村天山命、きむらてんざんのみこと、と呼ばれる。この命も、尊称である。そして、神として、神道では、祀られる。

ムハンマドは、どのようにして、神懸かったのか。
イスラムの伝承を読む。
突然、鈴の音が耳の底に鳴り響き、顔は激痛に歪むという。
喉が締め付けられて、窒息しそうになる。
妻アーイシャが言う。「ある凍てつく寒い日のことだった。啓示がやってきた。預言者の額には、玉なす汗が流れていたのを、見た」

大本教の出口ナオも、天理教の中山みきも、同じように、神懸かった。
そして、お筆先というものを書いた。
霊媒体質である。
出口ナオは、丑寅の艮神が懸かった。中山みきは、天の将軍が懸かった。
それぞれ、国立尊と、天理王命となる。
実際、神が懸かるということはないから、人霊、または、霊が懸かるのである。
とんでもないのは、天照大神と名乗る霊もある。
人霊ならば、まだ良いが、魔物や、魔神だと、言葉も無い。

ムハンマドに懸かった霊は、何者か。

啓示に襲われると、ムハンマドの顔は、みるみる暗く翳り、酔いつぶれた人のようであったともある。また、失神する人のように、地面に、どっと倒れた。
子牛の鳴き声のような異様な呻き声をあげる。
我を失ったムハンマドの口から、不思議な言葉が、途切れ途切れに漏れたという。
それがイスラムの立場から言うと、アッラーの神の言葉となる。

ここで、この地方、アラブでは、このような霊懸かる人は多くいた。
特に詩人たちは、ジンという妖霊に懸かられると言われた。
これをアラビア語では、タンジュニーンという。ジンが憑くことを言う。つまり、憑き物である。
ムハンマドの啓示は、単にこの憑き物であると、ジャーヒリーヤの人々は考えた。

何処の国でも、最初は、シャーマニズムがある。
そのシャーマンが宣託して、集いを仕切っていた時期がある。
アラブも同じである。
しかし、その頃になると、もはや、それらのシャーマンは、無碍にされ始めていた。
ジンが憑くと言われた詩人たちも、最初は、最高位にあったが、次第に、その地位が低くなり、疎まれるようになる。

一人の人間に懸かった、あるモノによって、多くの人が迷わせられるという現象は、新興宗教に多い。
単なる、ヒステリーの場合もある。
また、分裂気質の人である。

幻聴、幻覚等々、もある。

コーランには、ジャーヒリーヤたちが「こいつは妖術師、さもなくばもの憑きにちがいない」と言ったとある。
アッラーの神は言う。
「人間どもやジンたちを、みんな一緒にこきまぜて、地獄を一杯にしてやろうぞ」
この言葉で、ムハンマドに憑いた神の正体が解る。

旧約聖書の神も、脅し、怒り、後悔し、試す行為をする。
それはそのまま、人間と同じである。
人格神と言うが、それは、人間もどきであり、また、神もどきであるといえる。

人間にも、神にも成れないモノとは、何者か。

三次元には、一次元、二次元が含まれてある。二次元から、三次元を理解することは出来ない。それは、三次元から、四次元を理解出来ないのと、同じである。
その上、五次元や、六次元を理解することなど出来ない。

目に見えない世界のモノが、人間に憑く。
それをそのまま、特別な存在であるとは、言えない。

神にも、様々なレベルの神がいるということである。
目に見えない世界のモノは、この次元の人間に、何とでも言うことが出来る。それをそのまま信じてしまうと、信仰になるが、その信仰は、一体、どのようなものになるのか。
実に、恐ろしいことである。

私は知らないことは、知らない。
故に、ムハンマドの神の正体は、言わない。
知らないからだ。

ただし、ムハンマドは、旧約聖書の神であると言う。
そして、最初の信仰家は、アブラハムであると言う。

それでは、少しアブラハムについてを、書くことにする。

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2007年06月26日

イスラム12

アブラハムについての記述は、旧約聖書、創世記12章から18章にかけてである。

その前を見ると、宇宙の創造、人類の誕生、そして、失われた楽園である。そして、カインと、その子孫の話、次にノアの大洪水の話である。
ノアの洪水の後は、バベルの塔の話で、その次に、アブラハムが登場する。

アブラハムは、約四千年ほど前、セムの子孫である、テラの長男として、ユーフラテス河畔のウールという町に生まれた。
アブラハムは、最初アブラムと呼ばれた。
後に、神なるヤーヴェのお告げを受けて、契約を結び、その信仰によって、「選民」の偉大な大祖の一人となった。
選民とは、聖書研究が言う。要するに、セム族である。
神に選ばれた民ということである。

ここで、躓く。
選民とは、何かということである。
この選民意識が、後に、とんでもない事態を引き起こすのである。
民族主義の元には、この選民意識がある。

アダムという男と、イブという女から生まれた者ならば、皆、同じではないかと思うが、いつしか、それが変質してゆくのである。
それが変節して、さらにおかしくなる。
とうとう、同じ祖を持つ者でも、民として、区分けされる。
そして、選ばれた民という、こじ付けになる。

創世記の、人類誕生の際に、神が言う。
「われわれにかたどり、われわれに似せて人を作ろう。そして、海の魚、空の鳥、野のすべの獣、地をはうすべてのものを治めさせよう」
神は、一人称ではない。これは、複数である。
われわれの一人が、ヤーヴェという神の名である。別の神の名もあるということだ。
しかし、聖書研究は、これについては、何も言わない。

「わたしのようにかたどり、わたしに似せて人を作ろう」とは、言わなかったのである。
「われわれは」である。

当時、この地は、ハムラビが王としてバビロニアに都を定めていた。
王は、北方のアリアン族の侵略に備え、独裁的、富国強兵を推し進めていた。

セム族には、このような政治が合わない。自由を求める彼らは、新天地を求めて、ユーフラテス川の上流を目指した。
アブラハムの父も、住みなれた土地を後にした。
長男のアブラハムと、その妻サライ、三男の息子ロトを連れた。
次男のナホルは、ウールに残ったが、後で父を追ってハランに移住する。
ちなみに、次男のナホルは、弟ハランの娘ミカルを妻にし、ベトエルという子をもうけて、若死にした。

聖書解釈は、いう。
この移動は、選民の大きな意義を持つと。
月や自然を拝む異教の場から連れ出されたという。連れ出したのは、神である。
父テラーが死んだ後、神自らが、アブラハムに言う。

主はアブラムに言われた。
「あなたは生まれ故郷
 父の家を離れて
 わたしが示す地に行きなさい。
 わたしはあなたを大いなる国民にし 
 あなたを祝福し、あなたの名を高める 
 祝福の源となるように 
 あなたを祝福する人をわたしは祝福し
 あなたを呪うものをわたしは呪う
 地上の氏族はすべて
 あなたによって祝福にはいる。」
アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えをすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。
主はアブラムに現れて、言われた。
「あなたの子孫にこの土地を与える。」

上記は、創世記12章からである。

アブラハムは、そこに祭壇を作った。
そしてそれから、また、ベテルの東の山へ移り、そこでも祭壇を作り、更に旅を続けて、ネゲフ地方へ移る。
ネゲフ地方とは、現在の南部パレスチナである。

カナンは「約束の地」と呼ばれ、アブラハムの子孫が住むのは、八世紀後である。
聖書研究では、神が別の場所に移住を進めるのは、アブラハムの父の一家が、偶像崇拝に陥っていたゆえという。
それは、アブラハムの信仰も、揺るがせることになるゆえと、言う。

主の言葉は、すべての民は、アブラハムによって、祝福されるという。
それは、その子孫の、イエスキリストによって、成就されたという。世界人類の罪がイエスの十字架によって、あがなわれ、救われたというのが、キリスト教である。

ネゲブ地方へ移住したが、まもなく飢饉か起こる。
そこで、彼らは、しかたなく隣国、エジプトのナイル川流域に非難する。

その後、今から四千年前、再びカナンに戻り、ヘブロンに近いマンブレに住居を定めた。
そのころの死海の地方は、ソドム、ゴモラ、アダマ、セポイム、バラという五つの都市に分割されていた。

こう見てゆくと、旧約聖書の土地は、現在のイラン辺りから、パレスチナ、エジプト周辺になる。
アラビア、イスラエル、エジプトである。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の場所といえる。

聖書には、神を主と呼び、その名は、ヤーヴェである。

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2007年07月02日

イスラム10

神々は、ことごとく実体の無いただの言葉のみである。
それらの妄想を取り去った時、神聖な実在の神、アッラーが在る。
これが、ムハンマドのイスラムの言う、絶対一神教である。

だが、この当時、アラビアには、ユダヤ教徒、そして、キリスト教徒も存在していた。
ムハンマドが、メディナの預言者となった時も、その町には、ユダヤ民族がいた。
ムハンマドは、彼らに最初、期待した。
自分に啓示を与える神は、彼らの神であるという思いである。しかし、それは、実に甘い考えであった。

ユダヤ人は、旧約聖書に精通している。
それは、父の、祖父の、そして、その前の先祖たちの長い長い信仰の歴史がある。
磐石な信仰である。
その神の名を借りて、啓示を説く、ムハンマドに、彼らは、俄然として攻撃してきた。
公衆の面前にて、ムハンマノドに、旧約聖書に関する質問を浴びせた。
それに答えられないムハンマドを、彼らは、嘲笑した。

ユダヤ人たちは、ムハンマドが、最初の妻を亡くしてから、次々と妻を抱えたことが、特に弱点になった。九人の妻の存在が、ユダヤ人たちの、嘲笑をかった。
「色好みが、神の使者とは、聞いて呆れる」という言葉である。

最初、ムハンマドは、ユダヤ教も、キリスト教も、自分たちも、同じ神を崇める者との意識があり、それらとの対立を考えてはいなかったのである。
しかし、ここにきて、完全に違うものであると悟る。

ムハンマドは、ユダヤ教に対して、徹底抗戦するのである。
要するに、唯一の神は、原理上のことであり、彼らは、律法、トーラというものを持って、聖書を歪曲すると。
原文を至る所、歪曲し、それでも足りずに偽造さえする。まして、歴史は、彼らの狡猾、醜悪を伝え、罪人である。折角の、神の啓示が、彼らによって汚されると。

ムハンマドは、ユダヤ人のために、礼拝する方角を決める、キブラといわれるものも、エルサレムに決めたが、それも逆効果であり、最終的に、メッカの神殿に決定した。

味方と信じたものが、敵に回る。
ムハンマドは、ユダヤ人の歴史的なあり方を、徹底的に攻撃することになる。
世界のどこへ行っても、住民の恨みをかうような行為行動を取る、現実生活での、あくどさをコーランの中に記すのである。

さて、次はキリスト教である。
ムハンマドは、彼らに対して、最初は、大変に友好的だった。
コーランの啓示でも、キリスト教との関係は、親縁関係のように書かれた。
ムハンマドは、自分の存在がイエスによって、予言されているとまで言ったのである。

ユダヤ人に絶望しても、キリスト教には期待した。
「人の種類は多けれども、信仰ある人々に対して最も敵意はげしきはユダヤ人、次に多神教徒にして、信仰ある人々に対して最も愛情こまやかなるは「ナザレ人なり」と称する人々なることを汝らは知るべし。そはナザレ人の間にはあまたの聖職者及び修道士ある故にして、また彼らの天性もはなはだ謙虚なる故なり」

しかし、である。
キリスト教も、また、期待を裏切った。
イエスを預言者というムハンマドと、イエスを神の子であるとする、キリスト教徒が、合うことはない。

「おお信仰ある人々よ、ユダヤ人もキリスト教徒をも友と思うなかれ。彼らは互いの友なるのみ。汝らのうちもし彼らを友とする者あらば、そは彼らの一味なり。げに神は邪悪を為す人々を導き給うことなし」

当時、異端論争で内輪もめしていた、ローマカトリック教会を、鋭く批判し、三位一体の教義を一神教の、腐敗堕落と罵倒した。
そして、尊敬していた修道士に対しても、攻撃を開始した。
「人民の財をもっぱらに食潰し、人々を神の道からおびき出して迷わせる」

ここにおいて、ムハンマドは、イスラムを新しい宗教と認識した。

イスラエルの宗教につながる人格神の正統を継ぐものであること。
しかも、ユダヤ教でも、キリスト教でもない。
それらの歴史的宗教より、最も本質的、最も、本源的な宗教であるとの意識である。
永遠の宗教である。

そこで、見出したのが、象徴として、旧約の人、アブラハムだった。
アブラハムの宗教の復活である。
ユダヤ教でも、キリスト教でもない、永遠の宗教、それは、アブラハムの宗教であるとの結論に達した。

「汝、ニハーフとなりて顔をあげ、この宗教に向かえ。これ人間を創造し給える時と同じ働きにて神の創造し給いしものなり。神の創造には時空転変あることなし。されば、これこそ永遠の宗教なるに、それを知る人は極めて稀なり」
ニハーフとは、本当の古い宗教の信徒を言う。

ムハンマドは、歴史によって、堕落し、原型を失った永遠の宗教を、アブラハムの昔に戻し、純粋無垢な本来の宗教として、取り戻そうとした。
イスラムは、それで決定的になった。

イスラム、それは、神の奴隷である。絶対服従する者、それをイスラムという。

ムハンマドは、一切の妥協を止めて、徹底的に、イスラムとして生きることを、そして、自分は、最後の預言者であることを、宣言する。
神の前には、皆、平等であり、自分についても、特別視することのないようにと、信徒に言う。

これで見るとおり、イスラムには、一切の妥協は無い。
宗教の多くは、排他的、非寛容であるが、イスラムは、特にそれが強いのである。
基本的に司祭や、指導者はいない。それぞれが、それぞれで皆、神に祈りを捧げる。一人一人が独立している。

欧米の、そして、アラブの宗教は、こうして、日本人には、理解出来ない程の、観念がある。
それらの、人格神である、一神教が、世界の大半を占めている。
つまり、戦いが絶えない訳である。
排他的で、非寛容で、妥協しないのである。


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