2009年09月15日

マニラの悲劇 1

三流売春婦のお店の、女性をガイドに頼んだことは、書いた。

モンテンルパに行く前の日に、衣服支援を行う。

部屋に来てもらい、支援物資を見せて、今回出掛ける、トンド地区の状態を聞いた。
そして、彼女に、してもらいたいことを、言った。

まず、男女別に、分かれてもらうこと。
つまり、人を整理して欲しい。差し上げた人は、外にはずして欲しい。
そして、写真を撮ることである。

トンド地区とは、マニラのスラム街であり、泣く子も黙るといわれる、危険な場所である。
誰もが、危険だという。

三つの、支援物資のバッグを持って、タクシーに乗った。

そのタクシーを捉まえてくれたのは、ポン引きの、おじさんである。
私は、ポン引きの、おじさんたちと、親しい。
アホな、ポン引きの、おじさんは、私に、女を買えと、煩いが、賢いおじさんは、決してそんなことは、いわない。

ポン引きの、親分肌のおじさんが、日本語ぺらぺらで、私に、自分のことを、ポン引きですと、紹介した。
そして、トンドに行くなら、男を連れた方が、良かったと言った。
すると、他の、ポン引きたちも、そうだそうだ、俺が一緒に行ってやるのにと、言った。

兎に角、物は取られる。女は、連れ去られると、言う。

しかし、私は、もう、彼女、ニーナとしておくが、ニーナを頼んだのだから、行くしかない。

タクシーに乗り込んで、彼女が、行き先を言う。
そして、運転手と、何やら、話し込んでいる。
これから、行うことを、伝えているようだった。

大きな、橋を抜けると、トンド地区に入る。
そこは、前回、私たちが、慰霊をした、スペイン統治時代の、イントラムロスのサンチャゴ要塞から、川向に見えたスラムであった。

次は、あの地区へ行こうと、決めたのだ。

トンド地区の入り口の、公園の横に、タクシーが止まった。
公園では、老若男女が、たむろしていた。

ニーナは、大き目の、一つのバッグだけを、持つようにと、私に言う。
時々、彼女が、命令口調になるのは、自分で、日本語を覚えたからであろう。

カメラを持って、彼女が、公園にいる人々に、声を掛けた。
すると、一斉に、人が集う。
前列に、子供たちに、並んで貰った。
そこまでである、秩序が保たれたのは。

子供に合わせて、一つ一つ、手渡していると、大人、老人たちが、我慢できなくなったのであろう。
取り出すものを、奪いはじめた。
次々に、奪うのである。

そして、更に、人が集ってきた。
どんどん、収集がつかなくなる。
渡すと、それを、奪い合う。

私は、ノーノーと、言った。
ニーナも、叫んだ。
ついに、タクシーの運転手も、出て来て、加勢するが、混乱は、収まらない。

その時の、写真を見ると、何を写しているのか、よく解らない写真である。
ニーナも焦ったのである。

そして、ニーナが、突然、もう行くと、私に言うと、バッグの口を閉めて、持ち出した。私に、車に乗れと言う。

追いかけてくる人々を、押しのけて、車に乗ると、ロックしろと言う。
どちらが、雇い主だか、分からない。

タクシーは、ドアをロックして、すぐさま走り出した。
ニーナが、私の友達のいる、ところに行くと、言う。

そこなら、大丈夫と、言う。

私は、呆然としていた。
今までも、人々が多く集ったが、あれほどまでに、混乱したことは、無い。
後ろで、子供が、転んで泣いていたのを、見た時、駄目だと、思った。

奪い合うという、心が、あの地区を支配しているとしたら、救われない。
皆で、分かち合うことが、貧しい場所の、最低の、ルールである。

ニーナは、お金をくれという人もいたと言って、憤慨していた。

少し行くと、ニーナの友人のいる、家の前に着いた。

ニーナが、一寸待てと、私に言う。
口調が、逆転している。

ニーナが、友人と、何やら話しているのを、見ていた。友人は、頷いて、ニーナの話を聞いている。

ようやく、ニーナが戻って来た。
そして、すべての、バッグを持ち出した。

そこは、少しの秩序があった。
皆、控え目に、私の取り出す物を、待った。

しかし、次第に、人が溢れてくると、バッグから、取り出す人も出始めた。
その時、誰かが、声を出した。
そして、秩序が、保たれた。

男たちも、私が、取り出すまで待ち、控え目に、受け取る。
運転手も、手伝っていたから、驚いた。
だが、最後に、子供用の、靴の袋を取り出して、それを、全部出した時、突然、奪い合いが、始まった。

ニーナが、私に、これで終わりと、言う。
運転手が、残りのバッグを、車に積む。

ニーナの友人という、女性も、少し、呆然としていた。

車に乗り込むと、人々が、私に手を振る。
ニーナの友人は、私に頭を下げた。

ニーナは、運転手と、何やら話す。
そして、私に、これで、戻ると、言う。

まだ、物資は、半分残っていた。

ホテルに、到着して、タクシー料金を、聞いて貰った。
300ペソと言う。
安い。
ニーナが、それでいいって、と、言う。

バイクタクシーに、私がトンド地区に、衣服支援をしたいが、幾らかと、尋ねたとき、何と、5000ペソと言われた。そして、タクシーなら、7000,8000ペソにもなると、言われていたのだ。

メータタクシーだと、2000ペソ程度かと、思いきや、300ペソだと言うので、感激した。

誰もが、ボル訳ではないのだ。
運転手は、私の行為の、主旨を理解したのだ。

ホテルのドアマンのおじさんが、残った物資を見て、ニーナに話し掛けている。
何を言ったのと、尋ねると、どうして持って来たと、聞くから、皆、喧嘩するから、止めたと答えたと言う。

部屋に戻り、しばし、二人でベッドに、横になった。
ベッドは、大きく、両端に分かれて寝たのである。

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2009年09月16日

マニラの悲劇 2

暫くして、起き上がり、私は、ニーナに、これから、海岸通りと、街中に出て、支援をしたいと言うと、彼女は、夕方以降の方がいいと、言う。

人がいっぱいだし・・・

ああ、彼女は、顔が見られるのが、嫌なのである。
仕事が、仕事であるから。

そして、私は、どのように、運ぶかと、聞いてみた。

彼女は、お店に、バイクタクシーがあるから、それを、使うと言う。
じゃあ、幾らで、やってくれるか、聞いてと、言うと、彼女は、店に行くと、言って、部屋を出た。

夕方以降とは、まだ、十分に時間がある。

私は、もう一度、ベッドに、体を、横たえた。
眠ることは、なかったが、前回の支援した、人々を思い出していた。

海岸線の、植え込みに、暮らしていた家族は、どうしているのか。
確か、モンテンルパに行ったタクシー運転手は、皆、排除されたと言っていた。

すると、路地の中に、入っているのかもしれない。

また、前回、突然、支援をはじめなければならなかった、隣の地区のスラムの子供たちである。
今回は、そこまで、行くことは、出来ない。
残りは、海岸線と、街中で、無くなると、思った。

外が暗くなってきた。
そろそろ、ニーナが、戻る頃だが。

一時間以上たって、ニーナが部屋に来た。
そして、300ペソで、行くって、と、言った。

それは、高い。
私は、そのまま、言った。
ニーナは、黙っている。

ボッているのかもしれない。

いいよ、私、一人で、行くから。
そう言うと、ニーナは、あっさりと、あっそう、じゃあ、気をつけてと、言う。

そして、私は、今日は、もう、帰っていいよ。
明日、モンテンルパ、頼むねと、言った。
解った。じゃあね。

あっけなく、ニーナは、戻っていった。
いい、仕事だっただろうと、思う。

セックスせず、ガイドしての、仕事である。
ただ、2000ペソのうち、彼女の取り分は、おおよそ三割の、600ペソである。
私の記憶では、500ペソだと言ったように、思う。つまり、千円である。

売春婦は、皆、店側に、七割は、取られる。
だから、客から、チップや、物を買ってもらい、穴埋めをする。

しかし、私が、ポン引きのおじさんから聞いた話では、今は、昔と、違い、チップだって僅かなものさと、言っていた。

私が、荷物のバッグを、二つ持つと、ニーナと一緒に部屋を出た。
ホント、気をつけてなと、ニーナが言う。

フィリピナ独特の、日本語である。

私は、浴衣姿で、海岸に向かった。
ホテルから、真っ直ぐ歩く。

エルミタ教会を過ぎて、公園を通り、マニラ湾に、出る。
その道は、私の朝の、散歩道でもある。

海岸の、植え込みを探したが、誰もいない。
本当に、排除されたようである。

暫く歩いて、汗だくになった。
そして、方向を、街中にした。

いよいよ、繁華街である。
その途中で、花売りの女の子に、出会った。

そこで、バッグを開けて、彼女に合う、服を出して、渡した。
素直に、受け取る。

私には、見えなかったが、親か、誰かに、見せていたようだった。

私は、そのまま、通りに向かう。

すでに、赤ん坊を抱いた、女が、道端に座っていた。
物乞いである。
そこで、バッグから、幼児物を取り出して、渡した。
すると、向かい側から、おばさんが、飛んできた。
指差して、自分の子供が、道端で、寝ている姿を指した。

私は、向こう側に、渡ることにした。
寝ていた、男の子は、下半身が丸出しである。上着しか、着ていない。

早速、彼に合う、下着や、ズボンを出して、下半身に掛けた。更に、シャツなども、出していた。
気づいた時、周囲に、衣服の欲しい人が集っていた。
そこで、次々と、必要なものを、渡す。
子供から、大人まで、どんどんと、来る。

更に、それを、遠巻きで、人々が足を止めて、見ていた。
おおよそ、渡し終えて、私は、カメラを取り出し、周囲で、見守る人に、声を掛けた。写真を、撮ってくださいと。すると、一人の青年が、出て来た。

皆で、写真を撮る。
ありがとう。
すると、その青年が、どういたしまして、と、日本語で言う。
驚いた。

彼の、眼差しから、私に、対する興味が、見られた。が、そこに、留まっていては、人がまた、集うと、歩き始めた。

すると、顔見知りの、ポン引きのおじさんが、近づいて来た。
一度、食事を、ご馳走した、おじさんである。

私は、彼にも、スーツのズボンを渡そうとしたが、いらないと、言う。
すると、一人の女性が、私の、旦那が必要だと、それを、取っていった。

何人かの、ポン引きの人たちが、私の周囲に集ってきた。
日本に、働きに出たという人もいた。

ホテルに、戻る間に、ポン引きが、増えて、更に、私のバッグを持ってくれる人まで、現れた。
向こうは、皆、私を知っているのである。

私は、知らない。

ホテルまで、三人のおじさんが、着いて来た。
荷物を受け取り、ありがとうと、言うと、何かあれば、声を掛けてくれと、言う。
女も、あるから、である。

サンキューサンキューと、言って、別れた。

どっと、疲れた。

ドアマンが、夜の警備の人に交代していたが、彼も、私を覚えていた。

部屋に入り、残りの、物資を確認した。
もう、大半が無い。
残りは、明日の朝、あの公園でと、思った。
この日は、支援で、終わった。

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2009年09月17日

マニラの悲劇 3

部屋に入ると、疲れて、外に出て、食事をする気力も無い。
それで、シャワーを浴びて、買い置きの、パンや、ビスケットを食べて、ぼんやりとして、過ごした。

寝て、疲れを取るしかない。
寝る前に、タイのコウタと、日本に電話する。
母親は、毎日、電話をくれと言うのだ。
一日、一度は、母親に電話した。
そして、早々に寝た。

翌朝、五時過ぎに、目覚める。
日本時間では、六時である。一時間の差がある。

六時まで、ぼんやりと、過ごす。
マニラの朝は早い。
六時になると、もう、外が騒がしいのである。

特に、食べ物屋である。
出店のような、食べ物屋が、開店する。

私は、残った、支援物資を持って、公園に向かった。

エルミタ教会の、前の公園である。
その先は、マニラ湾である。

ちなみに、教会には、よく出入りした。
私が、マニラに着いた、翌日は、マリア様の誕生日で、ハピバースディーと、お祝いしていた。

ミサにも、途中まで、参加した。
ミサの進行は、よく解る。
世界中どこでも、ミサの進行は、変わらない。

しかし、私の疑問は、膨らんだ。
カトリック教会だけの話ではないが。

信者が祈りを捧げる、教会前の公園には、路上生活の人々が、たむろする。
食べ物の無い人がいる。
子供もいる。

しかし、教会は、平然として、祈りを、捧げる。
何を祈るのか。
我が身の平安か。

更に、教会の付近の、路地には、助けを必要としている人々が、大勢いるのである。

しかし、教会は、また、信者は、何もしない。
それは、私には、絶望に、思えた。

イエスキリストは、隣人愛を、説いた。
あなたがしたことは、私にしたことであると、言った。

しかし、その言葉は、空しい。

司祭は、その祭壇から、降りないのである。

宗教とは、一体、何か。
それに、答えられる宗教は、無い。

宗教の別名は、拘りである。
拘るから、信仰がある。

私は、宗教が、掲げる神仏を、妄想と、断定している。

それについては、別のエッセイ、神仏は妄想である、で、書いているので、省略する。

さて、私は、教会を、素通りして、公園に入った。
女の子三人がいた。
着の身着のままの姿である。

ガールと、声を掛けて、私は、バッグを開いた。
そして、一人一人に合う、シャツ、ズボンを取り出して、渡した。

中に、子供用の、質の良い、タオルケットがあった。
それを、一人の子に、渡して、どうか、と、聞いた。
日本語である。

子供とは、日本語でも、通じる。

その子は、タオルケットを、抱きしめて、満面の笑みである。
良かったね
私を見つめて、笑む。

バイバイと、私は、先を進んだ。
大人の男物の、ズボンもあった。
必要な人を探した。

すると、先ほどの、子供たちが、何か、声を上げている。
大人たちが、出てきた。

私に、向かってくる。
何か言う。
何か、欲しいのだ。

すぐに、男物のズボンなどを、取り出した。
すると、手が伸びてくる。
すべての、衣類を出した。
皆、その場で、受け取り、それを、しげしげと、見つめている。

すべて、支援は、終わった。

皆が、私に何か言う。
また、逢いましょうと、日本語で、言った。

子供たちが、手を振る。

それ以後、私が、その辺りを通ると、おじいさん、おばあさん、おじさん、おばさんが、私を、パパと、呼んで、挨拶した。
フィリピンは、カトリックの国である。
他人をパパと、呼ぶのは、敬称である。

ローマ法王は、パパ様と、呼ばれる。

つまり、私は、パパと、尊称されて呼ばれたのだ。

ちなみに、他人を、ファザーと呼ぶのは、社長とか、雇い主のことである。
司祭も、ファザーと、呼ばれる。

空になった、バッグを持って、私は、ここに、二度と来たくないと、思った。

衣食住という言葉がある。
ここでは、食衣住である。

まず、食べものが必要である。それから、衣服である。そして、住まい。

何度も、いつでも、ここで、私は、口に手をする人に、出会った。
つまり、食べ物が欲しいである。

飢えるという、感覚を、日本人は、忘れた。
食べるために、体を売る女。
子供を食べさせるために、体を売る女たち。

私は、この付近で、何度も、フリーで体を売る女に出会った。

売春宿では、搾取されるから、自ら、売りをするのである。

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2009年09月18日

マニラの悲劇 4

マニラでの、四日目は、何も予定はない。
ただ、レイテ島行きの、チケットを買うのみ。

朝の散歩を終えて、本格コーヒーの、店に出掛けた。
200円近い値段の、高級コーヒー店である。

普通は、19ペソのコーヒーを飲む。
それは、お湯と、インスタントコーヒー、砂糖、ミルクの粉がつく。
それを、混ぜて飲む。

単なる、インスタントコーヒーである。
それでも、満足するのは、マニラだからである。

前回、来た時に、知った、旅行代理店に出掛けた。
昼前である。

何人も人がいたが、中々、相手にしてくれない。
ようやく、太った女が、受け付けてくれた。

信じられないのだが、まず、あくびをした。
ユータイアドと、言った。
そう、疲れているの。それに、眠いの。

最初の会話である。
日本の会社なら、即刻、首である。

明日の、レイテ行きと、帰りのチケットを買いたいと言った。そう言った、つもりである。
タクロバンにね

はぁー明日ね
パソコンの画面を見た。
駄目、無い。

あっそう
では、どうしたらいいのか。
航空会社は、沢山あるはず。
それで、タクロバン行きの往復の値段を聞いてみた。

早口で、解らない。
すると、相手も、分かったのか、紙に書いてくれた。

そして、更に、別の会社に行くべく、会社名を書いて、ロビンソンにあるからと、言う。
ロビンソンとは、大型スーパーのことである。
そこに行けば、何でもある。

私も、そこの四階にある、目の不自由な人のマッサージ店に、二度出掛けた。
一番安いのだ。
一時間、350ペソ。700円である。
それに、上手だ。

会社名は、航空会社の、セブパシフィックである。
なーんだ、直接でいいんだ。
ロビンソンは、十時開店である。

私は、そのまま、ロビンソンに向かった。
しかし、店内に入るが、無い。

入り口の、警備員に、聞いた。
セブパシフィックは、ロビンソンの中ではなく、横に入り口があり、建物は、同じでも、入り口が、別なのである。

入ると、おじさんが、番号札をくれた。
それを、持って、椅子に座る。
二人目で、番号が、呼ばれた。

担当は、男の人。青年である。
ペラペラ、ぺラ、ペラペラ、ぺラと、よく分からない。
それで、私は、こちらから、レイテ、タクロバンと言った。

すると、いつ、と、聞く。
明日
帰りは
エイトデー

5日に行き、8日に、戻る。

オッケー、パスポート
はい
なんとかこんとか、で、なんとかこんとか

えっ
モーニングか、アフタヌーンか
ファットタイム
モーニング、10オックロック
オッケー

戻りは、モーニング、アフタヌーンか
えーと、アフタヌーンで
一時だよ
オッケー

これを、書いていても、疲れる。

そして、金額である。
片道、二千なにがし、で、往復、四千なにがし
先ほどの、料金より、安い。
日本円では、八千円と少しである。

早速、お金を出すと、なんとかこんとか、あっちで、と、言われた。

名前を呼ばれたら、あっちね

また、椅子に座って待つ。
そして、今度は、女の人から、名前を呼ばれた。

キムラ・・・
はーい
私は、あらかじめ用意していた、お金を出した。

チケットが、買えた。

そのまま、ロビンソンに入り、昼ごはんを食べようと思った。

食品スーパーもあり、私は、その前にある、店を覗いた。
すると、味噌ラーメンがあるではないか。
98ペソ。
味噌ラーメンで、通じる。

それが、実に旨かった。
日本のラーメンの、半分の量であるが、きちんと、出汁をとってあるのだ。
感激。

それから、スーパーで、少し買い物をして、ホテルに戻った。
ああ、疲れた。

レイテ島の話は、別枠で、書くことにする。

このまま、レイテ島から、戻ってきた話を、続ける。

出来事を、ただ、並べるだけの、日記ではなく、テーマ別にしようと思う、試みである。
だから、引き続き、マニラを書く。

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2009年09月19日

マニラの悲劇 5

レイテ島から、戻り、街中に着いたのは、夕方だった。

いつもの、ホテルから、別の、ゲストハウスにしてみようと、思った。それは、街中に、より近い場所。

何度も通ったが、そこが、ゲストハウスとは、知らなかった場所である。

ワンルーム、ワンベッドで、1100ペソ、2200円。
小奇麗だが、あのホテルより、部屋が、三分の一。

荷物が、減ったので、ここでも、いいと、決めた。

早速、シャワーを浴びた。
お湯の出が、いい。

夜の食事を、どうするか。
何となく、日本酒が飲みたい。
そんなことは、今までの旅では、なかったこと。
旅先では、酒類は、一切、欲しないのである。

しかし、どうしても、日本酒が飲みたいのである。

そこで、買いに出掛けた。
スーパー、コンビニには、日本酒は無い。
限られた店のみ。

だが、私は、その店を以前来た時に、知った。
そこまで、歩いた。

同じ通りにある。
まっすぐ歩く。

半分の、パック酒を、買った。そして、ついでに、外に出て食事をするのを、止めて、部屋で、食べることにした。
パンや、ハム、チーズなどを、コンビニで、買った。

コンビニは、至るところにある。
これが、旅では、便利であった。

部屋に戻り、酒を飲む。
不味い。
飲んでいるうちに、心臓が、バクバクしてくるのである。

これは、駄目だ。
不味いし、心臓バクバクであるから、止めた。

疲れのせいか、食欲が湧かない。

レイテ島の、残滓が、心に大きく、かぶさる。

ベッドに、横になり、タイに、電話するが、コータは、出ない。
電話は、便利だが、国際電話なので、お金がかかる。
一番の、出費は、電話代である。

電話のカードを、いつも、買っていた。
300ペソである。600円。
何枚も買った。
先のホテルの近くの店では、それが、250ペソで買えたが、他の場所では、300ペソである。
どうして、安いのか、聞くのを忘れた。

実は、その電話、携帯電話であるが、フィリピンの番号に入れなおしたが、うんともすんとも、言わないのである。
新しいものを、買うために、先のホテルの前の店に行った。

電源が入らないと、身振りで言うと、店のオーナである、青年が、うーんと、すぐに、電源を入れて、見せてくれた。
つまり、私は、切った電源を入れてなかったのである。

そして、前回の番号は、使えないから、新しいのにするね、といわれた、ように思う。
オーナーは、新しい番号を入れて、ところで、幾ら、入れるのと、聞く。
300
オッケー
それで、使えるようになった。

ハウマッチ
オーナーは、三本の指に、薬指を半分曲げて、示した。
350ペソである。
そして、二人で、笑った。

言葉が、通じなくても、色々な方法があるものである。

さて、日本酒を、飲んで、心臓バクバクで、ベッドで、休んでいた。
このまま、寝てもいいと、思ったが、やたら、目が冴える。
アルコールが、意識を覚醒させるのである。

どんどん、頭が冴えて、頭の中で、文章化している。

なんたら、こんたらで、だから、なんたらで、こんたら、である。だから、こんたらで、あんたらである。云々。

すると、電話が、鳴った。
先生ですか。電話くれた。
コータである。
ああ、したよ。
どうですか
どうもこうも、レイテも、大変だったよ
そうですか
もう、どうしようもないね ここには、もう来たくないよ
そうですねーーー

何とも、噛み合わない、会話をして、更に、イライラした。
じゃあ、また、電話すると、切った。

まだ、心臓が、バクバクしている。

起きて、タバコを、吹かす。
歌を詠むこともない。
フィリピン、ああフィリピン、マニラ、ああマニラ
戦争地でなければ、来なかった。
日本軍は、フィリピン全土を、巻き込んで、戦争したのである。

馬鹿者め、日本軍。
レイテ島では、住民も、巻き添えで、多くの人が亡くなっている。
更に、激戦地が多い。
死ぬまで、回っても、追悼慰霊は、終わらない。

とんでもないことを、してくれた、本当に
私は、一人で、エキサイトした。
そして、眠られないという、最悪の状態に・・・

狭い部屋の中を、歩いたり、横になったりと、我が身を、持て余した。

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2009年09月20日

マニラの悲劇 6

レイテ島から、マニラに戻り、三泊して、帰国する。
ところが、もう帰りたいと、思うのである。

見るものが、苦痛なのである。

朝、六時過ぎに、公園に向かって散歩する。
今まで、通らなかった、小路に入ってみる。

その小路で、寝ている人々。
ダンボールを敷いて、寝ている。
裸の子供が、寝ている。

家に住んでいるといっても、倒れそうな家。
洗濯物が、干してある。
雑巾のような衣類。

見るものが、情報となって、私の心を動かす。

目が覚めた人は、私に、手を伸ばす。
食べ物が欲しいのだ。

路上に寝ているせいか、両足が皮膚病になっている人もいる。

公園の前の、アメリカンフードの店で、19ペソのコーヒーを買い、タバコを吹かしていると、一人の男の子が、来た。
中学生くらいか。
英語で、ダンボールに何か書いている。
要するに、食べ物を下さいと、言うのだ。

私は、オッケーと言い、彼を近くの食堂に連れて行った。
すると、彼は、向こう側の道に声を掛けた。

その子の、父親がやって来た。
二人分の、ご飯である。

おかずを選び、ライスがつく。
一人分、50ペソ程度、二人で、ニ百円である。

男の子が、目で、感謝する。
父親は、もう、ご飯にしか、目がいかないようで、私を見ない。
腹が、空いて、尋常ではないのだ。

また、私は、公園に戻り、コーヒーを飲む。
物売りが来る。
実に、しつこい。
必要ないものを、買う気はないから、無視するが、なんとかこんとか、かんとかこんとか、そして、あんたら、こんたら・・・ずーつと、話し掛けてくる。

溜息をついて、場所を移動する。それでも、着いて来る人もいる。

一人の、女性に会った。
向こうから、声を掛けてきた。
日本語である。

どうして、日本語ができるの
カラオケで、働いていたの
今は
今は、おばさんになったから、もう、駄目

カラオケでは、皆、体を売る。

いくつ
40よ 私、マッサージするよ、部屋に行く
マッサージは、ロビンソンでしたよ

どうして、マニラに来たの
子供たちに、衣類を持ってきた
えー、ここには、沢山欲しい人いるよ。私の友達の子供たちも
そう、じゃあ、今度来たら、あなたに会いに来るよ
そうして

マッサージは
もう、マッサージは、いい

カラオケ店で、体を売っていた女が、年になると、仕事が無く、こうして、観光客に、マッサージをすると、勧誘する。

弱い者たちは、搾取されるので、働いても、お金を貯めることは、出来ない。
客から、得た金額の、三割しか、貰えない。そのようになっている、国なのだ。

レイテ島では、もっと、悲惨だった。

おばさんは、寂しく、今度来てね、と、去っていった。

私も、立ち上がり、ホテルに戻る。
また、別の小路を、歩いてみる。

路上で、食堂をしている、男がいた。
路上に、鍋を並べて、売るのである。
しかし、それさえも、買えない人が多い。

家族三人が、パンに、お粥のようなものを塗りつけて、食べていた。
母親が、私に笑いかける。
ああ、子供に衣服を上げた親である。

道端で、食べている。家がないのである。

シクロといって、自転車に荷台をつけて、人を乗せる仕事がある。
彼らの多くも、家がない。

その荷台に寝る、母親と幼児。
少し大きい子、二人の女の子が、父親と、ダンボールを敷いて寝ていた。

二人は、起きていた。
楽しそうである。

丁度、側に、店があったので、ビスケットを、二種類、二つずつ買って、渡した。
父親が目を覚まして、私に、礼を言う。
それから、父親は、私に毎日、挨拶する。
それが、大声で、私を、ボーイと、呼んで、手を振るのだ。

少し、恥ずかしい。ボーイといわれる年ではない。
こんなことを、書いていると、終わらないのである。

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2009年09月21日

マニラの悲劇 7

あと、一泊して、マニラを去る。帰国する。

今日は、空港近くのホテルに移る。といっても、何も、決めていない。行き当たりばったりである。

朝、八時頃に、ゲストハウスの玄関横にある、レストランで、コーヒーを頼む。
外で、飲む。中では、タバコが、吸えないからだ。

その後で、インターネットカフェに行くつもりのである。
朝の食事は、していない。
食べたくない時は、食べない。

少しして、日本語で、話し掛けられた。
日本の人
そう
座っていい
私の前に、座った。そして、
タバコ貰っていい
いいよ

タバコを差し出した。
彼女は、タバコに火を点けて、静かに、吸った。

私は、この、女を買うことになった。

私を見て、汗かいてるでしょう
うん
歩いていたの
そう
寝てないし

シャワー浴びさせて欲しい
いいよ

私は、インターネットカフェに行く予定を、少し延ばして、彼女のために、部屋に戻ることにした。

彼女に関して得た情報は、まず、年は22歳である。
12歳の時に、名古屋の、とある外食産業の社長に、買われた。
そして、五年間、名古屋で過ごす。
つまり、愛人契約である。まさに、少女売春である。
何も、せずに、よい生活をしていたというが、性を売っていたのである。

セブ島生まれである。
17歳で、マニラに戻った。日本から、セブ島に、帰らず、である。
部屋も、持った、車も買った、バイクも持ったという。

しかし、すべてを失った。
フィリピン人に、騙されたの、である。
つまり、男に、騙されて、すべてを、失った。
残ったのは、二歳になる、女の子である。
セブ島の、親の元に、預けている。

部屋に入り、シャワーを使い、私は、インターネットカフェに行くので、ベッドで、寝てもいいと、言った。
そして、鍵を持って、出た。

一階に下りて、ホテルを出る時、ガードマンのおじさんが、私に言う。
あの、女は、誰か。部屋に入れて、大丈夫か。物を盗まれる。
片言の日本語である。
ああ、大丈夫です。

私は、すべての、貴重品を、持参して、行動していた。
部屋には、コンビニ、スーパーなどの、ポリ袋などしかない。
後は、私の着物である。

おじさんは、注意してと、言う。
オッケーと答えて、インターネットカフェに、向かった。

40分程度、カフェにいた。
そして、部屋に戻る。

彼女は、ベッドで、寝ていた。
髪を洗ったようで、濡れている。
私は、起こさないように、静かにしていた。

狭い部屋なので、何となく、居心地が悪い。

タバコを吹かしていると、彼女が、目覚めた。

何か、誰かに、言われたかと、尋く。
言われたよ、盗まれるって
やっぱり。私は、人の物を盗んだことないよ、でも、盗むと、言われる
そう
そうなの。私の友達が、一度盗んでから、私も、盗むと、言われるの

彼女は、よく解らない日本語で、いろいろと、喋った。
私は、黙って聞いていた。

いつ、帰るの
明日
えっ、明日・・・
そう

私は、今日も寝るところがないの
ホテル移るけど、そこで、寝ていいよ。ツーベッドルームを頼むから
本当、嬉しい。今日は、ラッキー

そして、彼女が言う。
一緒にいるから、1500ペソのくれる
いいよ

先の話から、私は、彼女に同情していた。
3000円である。

子供のために、セブ島の親に、仕送りしている。
住む場所も無くして、毎晩、飲み屋で、夜を過ごす。

だが、その話が、どこまで、本当か、嘘かと、私は、考えていた。

しかし、その話が、嘘ではないことを、彼女の体を見て、知った。

その合間の、話は、省略する。

ただ、私は、彼女に言った。
私は、ジャニーズ、スピリチュアル、マジシャンであると。
つまり、霊能力者であると。

それは、彼女に対する、牽制である。
嘘は、つけないということを、示した。

すると、彼女の態度が、変わった。
私を、先生と、呼ぶのだ。

先生、私・・・

そして、話し始めた。

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2009年09月22日

マニラの悲劇 8

実は、私は、胸が、悪いと、言う。
最初は、何のことか、解らない。

そして、私を洗面所に、連れて、タンを吐く。
何度か、吐いた。
いつもは、出るのに・・・

つまり、血痰が出るというのである。
そして、右の背中が痛くて、あまり、食欲がなく、眠る時間も、短い。更に、時々、熱が出るというのだ。

胸に、小さな、なんとかがあるの
その、なんとかが英語であるから、私は、解らない。

ガンということ
そうだと思う
検査した
その後は、検査していない

つまり、一度は、検査をして、胸に、小さな、ある物が見つかったのだ。

血液の検査は、したの
していない。お金無い

私は、彼女の両手のひらを、見た。
手相である。
だが、別段、異常は無い。ただし、今は昔と違い、手相で、ガンと判断するのは、難しい。

そして、彼女は、衣服を突然脱ぎ始めた。

見て欲しいの

全裸になり、私に、体を見せた。
そして、股を開く。

これは、挑発か・・・
いや、違うようである。

ここ、変なの
何が
濡れないし、縮まない

濡れないは、解るが、縮まらないとは・・・

つまり、締まらないということか。

見て欲しい
私は、彼女の、性器を見た。そして、驚いた。22歳のものではない。すでに、60歳程度、つまり、老いているのである。
どうして・・・

先生、私は、濡れないから、唾をつけるの
と、彼女は、指で、唾をつけた。
そして、自分で、両乳房を、刺激する。

これでも、縮まらないの

私は、彼女の性器に指をあてた。
そして、少し中に指を入れた。
驚いた。
固いのである。
そして、中ほどまで、指を入れてみた。
これは、若い女のものではない。

それほど、多くの女性を知るわけではない。私は、相学、つまり、手相、人相の、相学から、女性器について、知っていた。

中ほどまで、すでに、潤い無く、固くなっている。
膣壁が、擦り切れているようだ。
長い売春をしていた、女性の状態である。

かろうしで、奥の方は、少しの潤いがあった。
どう
どうもなにも、答えられない。

私の変なの
変だとも、言えない
私は、沈黙した。

日本人の、客を取っていた。
日本人は、優しいからと、言う。
おじさんから、おじいさんまで。特に、おじいさんは、いいと、言った。
確かに、おじいさんなら、完全勃起しなくても、受け入れられる。すでに、入り口が、少し開いているからだ。

私は、タバコに火を点けた。
それで、彼女は、衣服を着た。
挑発したのではなかった。

彼女は、それ以上、追及して聞かないのが、幸いだった。

そして、次に、私に、媚を売る。
あのー服買って欲しいと、はじまった。

一緒に、買いに行ってくれる。ロビンソンに
ロビンソンは、まだ、開いてないよ。十時からだ

一緒に行ってくれると、聞く。
私は、じっと、彼女の顔を見た。こうして、日本人の男に、たかっているのだと。

500ペソくれたら、自分で、買いに行くよ
私は、答えなかった。
しかし、気まずく、明日帰るから、お金は、あまり無いと、言った。

そして、今夜も、この子と、過ごすのが、苦痛になってきた。
すると、察したように、私、これで、バイバイしてもいいよと、言う。

そう
うん、バイバイするよ
いいよ

少しホッとした。
続けて、100ペソくれると、言う。

交通費
交通費か

お金のある人から、お金を貰うことは、悪いことではないとは、多くのフィリピン人である。

それに、細かいの、ないし・・・
日本人のようなことを言う。細かなお金がないと、言う。私の上げた、1500ペソしかないのだ。

私は、100ペソを出した。
ありがとう

彼女は、立ち上がり、それじゃあ、バイバイするね
うん
すっーと、部屋を出てゆく。
そして、立ち止まり、私に、私は、あのカフェにいるよと言う。それは、彼女の賭けなのである。自分を必要とすれば、カフェに来ると、思っている。そして、今までも、そうして、相手の気持ちを、惹きつけながら、客の心を掴んでいた。

少し、安堵した。

一緒にいて、何でもかんでも、たかられるのは、うんざりである。
だが、売春目的の人には、通用するのである。

まず、バイバイするよと、言われれば、惜しくなる。
そして、彼女の要求を飲む。
数日間の、恋愛擬似を楽しむのである。

しかし、彼女は、もう限界である。
女としての、使い道は、限りなく、遠くなる。
見た目が、若く、可愛く、スタイルが良いというだけ。
中身は、老婆である。

路上で寝るしかなくなる。

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2009年09月23日

マニラの悲劇 9

彼女が、部屋から出た後、私は、何となく、急いで、別のホテルに移りたくなった。
本当は、同じ通りにある、ゲストハウスか、元のホテルと、思ったが、一刻も帰国したいと、空港近くまで、出ることにした。

そして、バッグ二つを持ち、タイの寝巻き姿で、外に出た。

自転車のシクロから、声を掛けられるが、私は、ジプニーで、駅まで行こうと思った。
何台も走るジプニーの、どれ乗ればいいのか分からないが、駅に向かう、一台に乗った。

ところで、幾らだったか、忘れた。
向かいの、おじさんに、尋ねた。
7ペソである。14円。

ジプニーの運転手に、ステーションと、伝えた。すると、近くの、ステーションの名を言うので、ああ、大丈夫だと、安心。

駅付近に来ると、同乗している人が、ステーションと、教えてくれる。

荷物をもって、汗だくである。
そのまま、高速鉄道の駅に、登る。

そこで、行き先のキップを買う。
ええとーーー
ガイドブックを取り出して、駅名を告げる。
15ペソ。30円。

44円で、遠い場所まで、行ける。
言葉が、通じなくても、何とかなり、何とかする。
楽しい。

ところが、満席である。
二つの荷物を持った私は、邪魔者であるが、皆、親切である。

何せ、バッグと、貴重品を入れた、肩掛けバッグに、日の丸をつけている。
日本人だから、親切ではなく、私の、格好に、親切なのだろう。
タイの、パジャマ姿である。

途中で、おじさんが、席を譲ってくれるという、行幸。

そして、最終駅に、到着。
昼前である。
そこで、駅ビルの、アメリカンスタイルの、店に入る。

その前に、トイレ。
荷物を、店内に置いて、トイレを探す。

解らない。
ガードマンに聞く。
トイレの前では、ボーイが、お金を取る。
2ペソ。4円。

戻って、注文の列に並ぶ。
すると、注文を聞くボーイが来る。
先に、注文して、その紙を出すのだ。

えーと、あの、と、写真を指差し、二番だから、ツーと、アイスティーね
オッケーと言い、紙を渡される。

それを、持って、順番が来て、差し出す。
スパゲティと、ハンバーグのセットで、70ペソで、アイスティーが、15ペソ。85ペソ。
100ペソを出す。

お釣りを貰って、トレーに出された、物を持って、席に着く。

日本では、決して食べない、餌のような、ハンバーグと、スパゲティである。
一口目は、美味しい。二口目から、不味い。

食べ終わり、アイスティーを飲みつつ、地図を思い出す。
目指すは、ホテル・アパート、つまり、ゲストハウスである。

前回も、ここには、来ている。
バザー、マーケットは、混雑していて、酷い状態の場所。
そこを、抜けて、勘で、歩く。
近道のつもりで、中小路に入る。

それで、勘違いして、逆に歩いていることに、気づかない。
そして、大きな通りに出た。

ゲストハウスを、探しつつ、歩く。目指すアパートはない。しかし、一つ見つけた。

何とかIN and レストランという、看板である。
広い、玄関に入ってみると、ボーイが、飛んで来た。
ようこそ、と、言うように聞こえる。

スティ、オッケーと、聞く。尋ねているつもりである。
オッケー
ボーイが、快く、案内する。

敷地内の入ると、更に広い。真ん中に、何と厨房がある。
不思議な、ゲストハウスである。
勿論、地図には、載っていない。

二階の部屋に通される。
すると、一人のおじさんが、やって来て、料金の説明をする。
兎に角、理解したのは、一泊、1170ペソであること。

ここは、長期滞在型のホテルのようである。
三泊しても、同じ料金で、更に、延泊すると、安くなる。
不思議だ。

ボーイが、エアコンをつけ、テレビをつけて、部屋の中を説明する。
よく解らないが、頷く。
その、ボーイが、実に、可愛らしい。
真剣に説明しているのが、おかしくなる。

そして、私は、説明を終えたボーイに、言った。
ユー、グッド、ボーイ、アフター、カムイン、マイルーム
イッツ、プレイと。
後で、自分が、言ったことを、反芻して、実に、おかしなことを、言ったと、思った。
あんたは、いいボーイ、私の部屋に来て、プレイしよう。つまり、それは、セックスしようという意味になると・・・

通りで、ボーイが、顔を赤らめて、もじもじして、あのー、仕事中ですから・・・
と言った、ように、思う。

しかし、彼は、実に、親切にしてくれた。

更に、驚きは、部屋の鍵をくれないのである。
どういうことか。
何度か、鍵は、と、問うが、なんとかこんとか、で、一階のなんとかと、言われる。

つまり、このホテルは、アメリカ式のモーテルであり、ゲストハウスであり、ラブホテルでもあるのだ。

すべて、一階の、フロントで、管理している。
どこの部屋に誰がいて、今は、部屋にいる、外に出たと、見ているのである。

買い物に出掛けた時も、部屋に鍵をかけないで、いいのである。
サービスも、実によい。
レストランというだけあり、夜の食事を食べたが、美味い。

食事は、すてべ、部屋でする。
レストランという場所は、無い。

更に、驚きは、空港までの、タクシーが無料なのである。
タクシー運転手に、言われた。
あのホテルは、サービス満点さと。

そして、タクシー運転手には、サービスタクシーだから、チップをと言われて、100ペソ出すと、もう一枚と言われ、200ペソ上げた。
メータタクシーに乗れば、200ペソ以内で、行けるはず。
それなら、サービスにならないと、思ったが、仕方ない。

そして、ようやく、帰国である。

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2009年09月24日

マニラの悲劇 10

衣服支援・マニラの悲劇、と、題して、書いたが、ただ、何をしたか、起こったかを、書いているだけである。

私の、屁理屈などは、書いていない。

今回は、前回よりも、深く、マニラの様子を見た。
前回見なかったことも、見た。

色々な問題を、私なりに、考えていた。
それを、書いてゆけば、長文になり、終わらない。

この出来事を、書きつつ、これを、おしまいにしたい。

私は、両替詐欺に引っかかりそうになった。

ある昼間、歩いていると、一人の若い男に、声を掛けられた。
何を言ってるのか解らないので、無視していた。

私を、はじめは、日本人だと、解らなかったようである。
香港とか、何とか言っている。
そのうちに、日本語で、両替できるという。
5300ペソと言った。

日本円は、高くなり、一万円が、5250ペソが、順当である。
50ペソ高いというだけで、興味を持つ。

それで、私は興味があり、彼を見た。
すると、こっち、と言う。
着いていった。

地元の、オープン食堂に、一人の中年の女がいる。
さてと、テーブルを囲んで、奥の席に、座らされた。これも、手である。私をテーブルと、人で、取り囲むのである。

さて、女が出した紙幣は、皆、100ペソ。
男が、一万円より、三万なら、5400ペソと、言う。
いや、一万円で言いと、私は言う。

女は、100ペソを、50枚数えた。それを、10枚づつ、交互に重ねて置く。
このやり方は、バリ島で、よく見ていた。
両替詐欺である。

そして、私が、数えた。確かに、50枚ある。
そして、三枚の、100ペソは、別のところに置く。
すると、女が、もう一度、数えた。
その時、私の向こう側であるから、見えないと、思っているようだが、私は、見ていた。10枚ほどの、紙幣を、二つに折ったのである。それを、上の紙幣で、隠す。

私が、もう一度、数えると言うと、女が、駄目といっているように、聞こえた。

馬鹿。もう解ってんだよ、嘘が。
すると、男が、私に、一万円を出せと、言う。
私は、財布をテーブルの上に置いて、手元でしっかりガードしていた。

さて、私は、詐欺に気づいたので、どのようにして、ここから抜けるかである。
私の左横に座る、女の背中、後ろを通らなければ、出られないのだ。その隙間は、出られると計算して、私は、オッケー、オッケーと、言いつつ、女の後ろを、腹を引っ込めつつ、出た。
そして、オッケーと、言って、その場を、去った。

つまり、オッケーということは、よろしいという意味であり、相手方は、一瞬、気を抜かれる。

私は、そのまま、そこを立ち去った。悠然と、ゴッドファザーのように・・・

そんな手口は、バリ島で、何度も見たわ・・・

経済危機から、マニラも、状況が悪化している。
貧しい国ほど、その影響は、更に大きい。

観光客を、相手にする以外になくなるのである。
その、観光客も、少なくなっている。
高級ホテルより、中級以下のホテルに、泊まる。
ゲストハウスが、プールといわれることがあったので、驚いた。満室なんて・・・

いつでも、ゲストハウスは、一部屋くらい、開いていた。

更に、ストリートチルドレンが、目立つ。

フィリピンは、カトリックの国である。
それは、スペイン統治時代に、決定された。

カトリックは、避妊を嫌い、更に、中絶を罪とする。
とんでもない、時代錯誤の、教えを、平然と、行う。

貧しいカトリックの国を、見回しても、ストリートチルドレンが多い。
一つに、そういう教えの、影響下にあるということ。
出来た子供は、生まなければならないのである。

そして、どうであろう。
私の出掛けた教会の、前の公園、その付近の路地には、そういう子供たちが、溢れる。親がいても、食べることも出来ない子供たちも・・・

毎朝の、ミサ、アベマリアの祈り・・・
私も、何度も、聖堂に入った。

しかし、そこは、外の世界とは、別世界である。

主イエスは、言う、この小さな者たちにすることは、私にすることであると。
ところが、教会は、そして、司祭は、祭壇から、降りることはない。

これ以上の批判は、しないでおく。
諦めている。

貧しい人は、教会にも、入らない。祈りも、しない、出来ない。

貧しい人が死ぬと、遺体を、道端に置いて、カンパを募る。
遺体処理のための、お金が集まるまで、そこに、置かれる。
棺桶に入っているのは、よい方である。

コンドームさえ買えないのであれば、コンドームを配布するように、行政が、考えなければならないだろう。
しかし、フィリピンは、搾取と、汚職の国。
紛れもなく、そういう国である。

更に、カトリックとは、笑わせる。

日本仏教と、同じく、世間と隔絶してある、教会である。

その歌も、鐘の音も、空しく響く。

レイテ島でも、貧しい者は、貧しくあるべくの、法的手段が、採られている。
そのことは、レイテ島のときに書く。

貧しい人々が、生活を向上させるには、暴力を持って他にないと、私は、考えた。
搾取するもの達を、暴力で、排除するしかないのである。

実に、悲しい現実である。
マニラの悲劇は、そこにある。

何人かの、人を、地元の食堂に、連れて、行ったとき、店の人は、嫌がることはない。
本当は、そのようにしたいのである。
だが、それをすることは、出来ない。そんなことをすれば、一日で、商売は、駄目になる。

私が、お金を払うから、客として、対応する。
嫌がることなく。

そして、私に、店の人は、目礼して、感謝している。

助け合いたいのに、それすらも、出来ないでいる。
それが、マニラの悲劇である。


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