2010年04月11日

救われないマニラ・救いようのないフィリピン 11

慰霊の聖地、カリラヤで撮った写真は、一枚のみ。
他の写真は、すべて、パサイ市で、盗まれた、デジタルカメラに、納められていた。

あの、素晴らしい日本庭園の様子などを、紹介したかった。
本当に、残念である。

勿論、支援の様子も、である。
コータは、翻訳していた、原稿をすべて、入れていたノートパソコンを、盗まれて、二度と、フィリピンには、来たくないといった。
もっともである。

さて、バイクタクシーの、お兄さんが、道を戻る。
途中で、カリラヤ湖に、立ち寄った。
お兄さん曰く、写真を撮ったら・・・

その配慮に、私たちも、降りて、湖を眺めた。

書いていなかったが、そのバイクタクシーには、お兄さんの後ろに、もう一人の、若い男が、乗っていた。
バイクの後ろで、私たちの座席ではない。

どうも、仕事がないらしく、一緒にいるようだった。
兄弟でもない。
深読みすると、相棒、または、愛人かもしれない。

さて、しばしの、休憩で、パグサンハンに向かう。
帰りの道は、下り坂で、お兄さんは、エンジンを止めて、惰性で、走った。

エンジンが止まると、震動がなく、いい心地だった。

更に、途中で、私たちは、今が時期だという、トウモロコシを、四本買った。
50ペソ、100円である。

街に入り、ゲストハウスの前まで、来た。
降りて、トウモロコシを日本と、300ペソと、チップの、50ペソを、差し出して、サンキューべェリーマッチと、最高の、お礼を言った。
初めから、上乗せしてくれば、こんなことには、ならない。
矢張り、人は、心である。

あの、比島寺の道から、考えると、大変な山道だった。
200ペソであることを、納得した。

旅先で、こういう、心の有難さというものがある。

大事を終えて、私は、実に充実した気持ちである。
部屋に入り、シャワーを浴びる。
水シャワーであるが、昼間だから、ぬるい。

そして、嫌だったが、ゲストハウスのコーヒーを飲むことにした。
というのは、インスタントなのだ。
そして、どこも、コーヒーと言うと、インスタントである。

お湯と、コーヒーの粉、砂糖、ミルクの粉が、出てくる。
それで、25ペソは、高い。しかし、仕方ないのである。それしか、ない。

コータは、後で、バナバ茶を買ってきて、お湯を貰い、部屋で、煎れて、飲んでいた。

現地で買うと、バナバ茶も、実に安いものだった。

トウモロコシを、食べて、昼食は、終わりである。
食べるために、出掛けたくない。

明日は、マニラに戻る予定である。
だが、この時、もう一泊していれば、と、後で思うのだ。

無理して、マニラに戻ることはなかった。
支援物資も無いのである。

ただ、私は、マニラ首都圏のパサイ市を、見て回りたかったのだ。
次回のために、衣類が必要かどうかと、考えた。

その夜の、食事は、スーパーの前で、ピザを買い、コータは、チキンと、野菜炒めを、買ってきて、部屋で、食べた。

夜になり、星空を眺めるのが、楽しみである。
コータは、ゲストハウスの、屋上に上がり、篠笛を吹いた。
これが、周囲の人々を感動させた。

実によく、響いた。
日本のメロディーは、新鮮だっただろう。
笛の音だけの、音楽を聴くことは、ないだろう。

私は、何度も、ゲストハウスの主である、おばさんに、素晴らしい、素晴らしいと、言われた。私が、吹いていると、思ったようだ。

翌日、チェックアウトをして、ジプニーに乗り、サンタクルスの、バス停まで行く。
皆親切で、教えてくれる。
運転手の男は、実に、いい男だった。
それは、見栄えもよいということだ。
そして、バス停に着くと、私たちに、教えてくれた。

20ペソを渡した。40円。

マニラ行きのバスは、目の前にあった。
出発時間というものがない。
人が満席になると、出発するというもの。

そこそこ人が乗ると、バスが、走り始めた。
来たときよりも、早い時間で、マニラ、パサイ市に着いた。

それからである。
盗みに遭うのだ。

それは、ホテル探しで、歩いている時、どこかで、休もう、コーヒーが、飲みたいと、私が言った。
パサイ市の、エドゥサ駅前は、大混雑している。

一軒の、ミスタードーナッツを見つけて、コーヒーがあるかと、尋ねると、一人分ならあるという。
コータは、僕は飲まないというので、私だけが、飲むことにした。

そして、そこから、コータが、ホテルを探すということになった。
私は、コーヒーを飲みつつ、待つことにした。

コータが戻り、安いホテルは、要するに、連れ込みホテルで、泊まるようなホテルではないと、見てきた。
そして、トイレに立った。
その時は、荷物のすべてがあった。

私は、タバコを吸うために、外に出た。
外といっても、すぐ傍である。
そして、席に戻り、コータも、戻った。
その時、コーターの席に置いていた、黒いバッグが無くなっていた。
気づいたのは、コータである。

やられたーーー
店員の女の子に、聞いてみとる、それを、見ていた男がいたという。
危ないと、思いつつ、仕事をしていたらしい。

誰も、盗んだところを、見ていないのだ。要するに、プロの犯行である。

しばらく、その辺りで、云々かんぬんと、やっていたが、店のガードマンも、話にならない。
ポリスと、私が行った。
すると、自転車のおじさんが、すぐに、俺が、連れて行くという。
ああ、これも、ボルと思った。
私は、大声で、ノーと言った。

バスの仕切りのおじさんが、ポリスの前を通る、ジプニーを教えてくれた。

私は、腹立ちと、その辺りにたむろする、自転車のシクロに、怒っていた。
その時ばかりは、鬼のような気持ちになった。
皆、悪人に見えるのだ。
もし、私のバッグが、盗まれていたら、私は、その街中で、演説をはじめたと、思う。
お前たちは、頭が悪い。だから、こんな生活を、延々としているのだ。
戦後、65年を経て、何だ、この様は。日本を見習え・・・
と、日本語で、やったと思う。ポリスが来るまで・・・




2010年04月12日

救われないマニラ・救いようのないフィリピン 12

ポリスで、被害届けをして、うんざりして、また、元の場所に戻った。

ホテル探しである。

安いホテル・・・
ついに、私が、前回泊まった、モーテルのようであり、レストンと名のつく、ホテルに行った。
最後の手段だと、思った。

チェックインして、落ち着いた。
そして、驚いた。
その周囲は、その、モーテルであり、ラブホテルの集合だった。

コータが、この辺りも、探しに来たという。
そこで、私は、前回の泊まった様子が、すべて、解った。

時間制により、料金が、決まる。
12時間単位である。
私は、それを、勘違いというより、英語を理解しなかった。

二時間、三時間で、幾らというものを、人数だと、思ったのだ。
ホント、アホである。

さて、部屋に入り、シャワーを浴びる。
リラックスしようとするが、どうも、パッとしない気分である。
要するに、窓が無い。
閉じ込められている、雰囲気。しかし、もう、疲れた。

一度、水を買うために、出掛けた。
そして、夕食である。
ホテル・レストランであるから、食事を頼むことにした。

疲れた時は、麺類である。焼きそば。
コータは、チキンと、ポークの合わせたものに、ライス。

うんざりした。
不味い。

そのうちに、コータが、挙動不審になってきた。
要するに、部屋に耐えられなくなったのだ。
閉所恐怖のような、気分になったという。理解した。

ついに、ここから、出たいと、言う。
私も、即座に、そうしようと、言った。
だが、24時間の料金を支払っている。

コータが、大丈夫だ、時間制だから、お金が戻るという。
急遽、チェックアウトである。

荷物を、急いでまとめて、フロントに行く。
話を早くすると、結局、お金は、戻らなかった。
コータは、抗議をする様子だったが、私は、止めた。
ここは、フィリピンだよ・・・止めよう・・・次に行くよ・・・

次に行くところは、3000ペソもする、ホテルである。
もう、そこしかなかった。
6000円とは、私たちには、高いが、この気分を収めるためには、もうそれしかない。

そのホテルに、向かった。
そして、フロントに、ツーベッドルームと、言うと、プールだという。
えっ、と、私は、意味が解らない。
コータが、満室だと、言う。

がっくり。
ガイドブックに載る、ホテルは、遠い。
私たちが、色々と、探していると、フロントの男が、同じ系列のホテルがあるが、2200ペソだと、言う。泊まるなら、ホテルの車で、送迎すると、言う。
すぐに、それで、決定した。

そして、連れられて行った場所が、先ほど出たモーテルの近所である。
そして、そこも、同じように、モーテル使用である。
だが、高級なのである。

部屋に、入って、ようやく、落ち着いた。
24時間使用であるから、明日の、夜七時まで使用できる。
朝食もついている。

その部屋は、随分と増しな部屋だった。
更に、バスタブがついている。
そんな部屋は、はじめて。
そこで、お湯を入れて、風呂に入ることにした。

大きなバスタブに、お湯を入れて、二人で、入った。
中々、お湯が溜まらないので、二人で、入ると、お湯が、少なくてもすむ。

ようやく、溜め息をついた。

最悪な気分から、脱した。

私は、コータに、もう、フィリピンには、来なくていいよと、言った。
聞かなくても、十分に、言いたいことが、解った。

二人で、お湯に浸かり、しばらく、呆然としていた。
ただ、呆然である。

私は、このホテルに、三泊することにした。
帰国するまでは、我慢しなければならない。
だが、私は、また、フィリピンに来る。まだまだ、慰霊をする場所がある。

コータ曰く、支援はしないで、慰霊だけにするべきだ。
ここは、恩を仇で返すと、言う。

その気持ち、よく解る。
そうだと、私も言った。

だが、あえて言えば、私は、支援するのは、ただ、寄与しているだけであり、それ以外に、何も無いのである。
相手が、それで、得して、よし。
どんな風に、思っても、必要ならば、差し上げる。ただ、それでいい。

感謝されたいとも、思わない。そんな気持ちは、皆無である。

ボランティア活動とは、人に対する、分かりやすさであり、私は、ただ、寄与行為なのである。

また、支援物資を、持参しつつ、慰霊に来るだろう。
それには、何の迷いもない。

私は、ベッドに、早々に横になった。
後は、寝るだけである。

2010年04月13日

救われないマニラ・救いようのないフィリピン 13

モーテル付近を、散歩した。
すると、矢張り、自転車の、シクロで、寝泊りする家族がいる。
男の子は、パンツのみはいている。

そこで、私は、部屋に戻り、自分の着替えの、Tシャツを持って、その子の、所に行き、シャツを渡した。
母親が、とても、喜んだ。

ホテルに戻ろうとすると、その子が、追いかけて来た。
何か言うが、解らない。
手をだした。食べ物か、お金が欲しいのである。

私は、近くの、店に彼と一緒に行き、腹持ちする、お菓子を買って渡した。
それを、受け取ると、その子は、走って、親の元に戻った。

更に、別の時間に、私は、付近を歩き、小さなスラムを見つけた。
沢山の子供たちがいる。
更に、子供たちが、食事の用意をしている。
皆、小学生くらいである。

道端の、壁に、手作りの小屋を建てて、住んでいる。
次は、ここに、衣類を持ってこようと思った。

コータには、支援は、止めた方が、いいと、言われたが、矢張り、私の、これは性格なのである。

実際、ボランティアというが、私は、私の性格の通りに、行為しているだけである。
善意の行為などという、思いは、無い。
あえて言えば、私の道楽なのである。
だが、その行為が、相手に喜ばれるなら、幸いである。

ボランティアというより、寄与である。

たまたま、私に、それが、出来るチャンスがあるということだ。
それ以外の、何物でもない。

私の行為は、追悼慰霊から始まった。
そして、どうせ、出掛けるのだから、と、衣服支援を、思いついたのである。

追悼慰霊は、十分に、評価されてもいいが、衣服支援は、そのついでなのである。
そして、私の性格である。

善意の行為と、思えば、傲慢である。
更に、その衣服は支援してくださる方々がいる。
善意といえば、支援してくださる方々のことである。

パサイ市は、実に雑然として、臭く、煩く、汚い街である。

駅の付近は、なお更である。
日本の町並みとは、比べ物にならない。
いかに、日本が綺麗な町並みを、作っているかということだ。

ただ、街中のゴミが、清掃されているのは、救いだ。

面白いことがある。
道のあちこちに、立小便の場所がある。
最初は、解らなかった。

陸橋の上から、それを、発見した。
至る所に、立小便のコーナーがあり、そこは、囲いで覆われている。
考えた。至る所で、立小便をすると、街が、臭くなる。それで、苦肉の策で、それを、設けたのだろうと。

だが、男のみで、女の場所はない。
さて、女たちは、どうするのか。
考えても、解らない。

帰国の日が、近づいた。
私たちは、最後の宿を、別の安いモーテルにした。
それも、チェックアウトが、夜の七時であるから、夜の八時に、チェックインすると、翌朝の、八時まで、使用できる。
つまり、12時間分の料金で、泊まれる。
朝、八時は、空港に出る時間である。
丁度よい。

900ペソである。1800円。
最後の夜は、もう、外に出る気力が、無かった。
ホテルの、ルームサービスを頼む。

一つの、料理の量が、何故多いのかも、解った。
つまり、二人分なのである。
カップルで来るので、二人分の分量が、定番なのである。

それを、知り、チキンカレーを一つと、ご飯を二つ注文する。
それで、丁度よかった。

180ペソで、500ペソを、出した。
お釣りを持ってきた、おじさんが、言った。チップと。
ホント、うんざりする。

カレーを運んで、お釣りを持ってきただけである。それで、チップとは・・・

しかし、もう、怒る気力も無い。
兎に角、明日、帰国するという、希望で、夜を過ごした。

空港までの、タクシーも、メーターを倒さないで、200ペソという。
私たちは、ノーといって、乗らなかった。すると、運転手は、嫌々、メーターを下ろした。
100ペソにも、ならないのである。
勿論、100ペソ渡したが、一事が万事である。

本当に、フィリピンは、うんざりである。
しかし、私は、また、行く。
今度は、単独行動である。

救われないマニラ・救いようの無いフィリピンの旅を、終わる。


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