2010年07月01日

奇跡の旅・ビアク島へ

兎に角、早く、追悼慰霊に出掛けたいと思っていた、ビアク島である。

パプアは、ニューギニアの、西半分の、インドネシア領、現在は、イリヤンジャヤという。
その、北西にある、小島である。

ニューギニア戦線は、最悪の激戦地である。
その、最後の激戦地である、ビアク島。

餓死、病死、そして、米軍と、オーストラリア軍の、火炎放射器によって、壊滅させられた。
亡くなった日本兵は、一万二千名ほどである。

ジャカルタから、スラウェシ島の、マカッサルを通り、マルク諸島を飛行して、ビアク島に向かう。
おおよそ、六時間である。

単独行動で、行った。
私は、この旅を、奇跡の旅・ビアク島へ、と、銘打つ。

出発は、6月21日、朝の便である。
であるから、前日に、すべて用意して、朝タクシーを予約しておく。
六時に家を出る。

支援物資が、大半であるから、一人では、大変な旅である。

前日の、夜に、お握り、五個を作った。
そんなに、作るつもりでなかったが、ご飯が大量に残ったのである。

鰹節が、二個と、母の作った梅漬けが、三個。
これが、ジャカルタの二回の、朝の食事になったという・・・自分でも、呆れる。

タクシーの、運転手さんが、尋ねた。
どちらですか
インドネシアの、ビアク島に行きます
えーっ、そんな島聞いたことないなー
日本兵が、一万人ほど、亡くなっているニューギニア戦の激戦地です。慰霊に行きます。
慰霊ですか・・・
ええ、それと、衣服支援をします。ジャカルタでもしますよ
お一人ですか
ええ
自腹で、行くんですね
ええ
凄いことですね
いやー、ゴルフをしたり、旅行に行くのと、同じですよ
いやー、そんなことはない。自腹で、そんなことをする人なんて・・・でも、本当は、皆、やりたいんですよ・・・

いや、違うと、思った。
運転手さんが、したいのである。だが、皆と、言って、曖昧にしたのである。

荷物を下ろして、私が、カートに乗せると、運転手さんは、深々と、頭を下げた。
無言で、見送ってくれた。

私は、急いで、バスチケット売り場に走った。
後、三分で、バスが出る。
バスに乗り込み、安心して、眠ってしまった。

気づいた時は、成田空港の、検問所に着く頃だった。

急いで、お握りを一つ、食べる。

飛行機の、チェックインが始まっていた。
問題は、支援物資の、重さである。

一度、計っていた。
二つの、バッグで、約25キロである。
受付の、お姉さんの顔色を見る。

少しオーバーしていますので、抜いていただけますか

しょうがない。
タオル類を、機内持ち込みの、バッグに詰めてみた。
また、お姉さんの顔色を見る。

これで、いいですよ

機内持ち込みの、バッグは、二つで、自分のバッグは、着替え用で、パンパンである。
そして、支援物資のバッグも、パンパンになった。

あのー座席は、後ろの席で、トイレに近い場所にしてください
つまり、うまくいけば、座席に寝られるからだ。
だが、飛行機は、満席だった。

通路側の、トイレ近くである。

台北で乗り換えて、香港を経由して、ジャカルタに行く。
香港経由が、面倒である。

それに、三度も、機内食を食べるのである。
朝、9:40発、ジャカルタには、夜の、20:20に、着く。日本時間では、22:20である。
時差が、二時間ある。
およそ、12時間。

十年間、飛行機に乗れなかった私が、今は、飛行機に乗るのが、楽なのである。
パニック障害だった。

飛行機が、振動無く、飛ぶよりも、少し揺れると、乗っている気分になるという、倒錯である。

だが、12時間は、やはり、きつい。

その間の、唯一の楽しみは、香港で、喫煙室があること。
台北の空港は、全面禁煙である。

着物姿は、勿論、私だけ。
いよいよ、今回の、奇跡の旅の始まりである。
飛行機に乗る前に、睡眠導入剤を飲む。これが、いい。そうでなければ、疲れて、倒れてしまう。

posted by 天山 at 00:00| 奇跡の旅ビアク島へ 平成22年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月02日

奇跡の旅・ビアク島へ 2

無事に、ジャカルタに到着。
入国審査を通り、荷物のターンテーブルへと、向かう。

二つの、バッグを抱えて、更に、大きな二つのバッグである。

カートを用意して、荷物が出てくるのを、待つ。
予約はしていないが、泊まるホテルは、決めてある。
スラムに面した、以前泊まった、ホテルである。

であるから、急ぎたい。
荷物が出てきて、カートに乗せて、走る。

出口では、タクシーの呼び込みである。
二人のおじさんに、引かれて、タクシー乗り場に向かう。

ところで、料金は。
ハウマッチ
トェンティ、サウザント
何、20万ルピア。二千円・・・

ノー
ここから、いつもの、癖が始まった。
私は、フリーのメータータクシーで、行くの

ノーノー
何が、ノーだって、こっちが、ノーだ

二人のおじさんを、振り払い、タクシーが停車している場所に走る。
おじさん、二人も、着いてくる。

要するに、チケット制のタクシーに乗せたいのだ。それで、ピンハネするのである。

街中ならば、それでもいいが、スラムのホテルは、街から離れていて、空港から近い。20万ルピアも、かからないのである。

ついに、私は、おじさんの一人を、手で、押し退けて、フリーのタクシー運転手に、メーターオッケーと、聞いた。
オッケーと、応える。

運転手が、急いで、荷物をトランクに積む。

それでも、おじさんたちは、私に、紙切れを渡す。
そして、一番上の、料金を示した。
15万ルピアである。

私は、紙切れを受け取ったが、無視した。
実は、私の行動を、皆が、見ていて、声を上げて、笑った。

あの、日本人、なかなかやるーーーといった、感じ。

旅行者は、チケット制のタクシーを利用すると、決め込んでいるのだ。

だが、私も、おじさんたちに、同情している。
それが、彼らの、収入なのである。
それは、解る。しかし、私も、なけなしの金で、来ているのである。

矢張り、ホテルまでの料金は、5万ルピアだった。
500円である。私は、チップで、一万ルピアを渡した。
600円で、到着。

言いたいことは、日本語でも言う。
相手が、理解しようとする、それが、私の手だ。

ホテルマンが、うやうやしく、迎えてくれた。
私を、覚えていた。

一泊、3300円。高いが、それ以上に、安いホテルは、その付近に無い。
前回は、二人で、3300円。今回は、一人で、3300円。贅沢である。

部屋は、広い。

六階の部屋である。

そのホテルは、カラオケと、スパ併設のホテルで、五階と、六階がホテル仕様である。

つまり、ラブホテルの替わりにもなるのである。
カラオケで、女を連れて来る。

私は、単なる宿泊客なので、六階。
五階の、部屋が、満室になると、六階を使うという形。

三時間単位で、使用できるのである。

私は、ホテル客なのである。
だから、従業員たちも、対応が違う。

そこで、三泊する予定である。

着物を脱いで、シャワーを浴びる。
そして、タイパンツ姿になり、ホッと一息である。

どこにも、出る気は無い。
水も、フリーのものが、二本ある。これで、夜は、十分である。

ところが、何となく、落ち着かないのである。
高いと、思ったが、ルームサービスで、ビールを注文した。

案の定、価格に、サービス料金、15パーセントである。
小瓶だから、二本頼んだ。

そうそう、お握り、四個を冷蔵庫に入れる。

旅の間は、アルコールを必要としない私が、まして、嫌いなビールを飲むという。
興奮しているのだ。

ビールを飲んで、梅漬けのお握りを食べて、持参した、裂きイカを少し食べて、寝ることしにした。
お握りは、あと、三個残っている。

posted by 天山 at 00:00| 奇跡の旅ビアク島へ 平成22年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月03日

奇跡の旅・ビアク島へ 3

翌日の朝は、早く目覚めた。
六時、日本時間では、八時になる。

やることが、多い。
まず、電話のカードを買うこと。
両替して、ビアク島行きの、航空券を買うこと。
そして、スラムに、衣服支援をすること。

部屋にある、ポットで、湯を沸かし、インスタントコーヒーを、煎れた。
しばし、飛行機の行き方を、確認する。
下手な英語で、伝えなければならない。

横浜支部の、報告には、英語も出来ないのに、よくぞ、やっていると、書かれたようであるが、全く、英語が出来なければ、行動するのは、無理である。
勿論、大ブロークン英語であり、英語の中に、日本語が、混じるという・・・

三個目の、お握りを食べる。
その美味しさに、感動する。
冷えても、柔らかく炊いたご飯は、美味しいと、知るのである。

八時前になったので、出掛ける。
まず、電話から。
下に降りると、若いボーイがいた。
そこで、電話を見せて、シンパチカードを買いたいと言うと、彼は、即座に、私の携帯電話を、調べた。

そして、以前の番号が、使用できないと、教えられた。
新しい番号を買うこと。

このボーイは、私の部屋に、遊びに来るほど、親しくなった。

スラムの、通りに、お店があると、教えられて、出掛けた。
その店は、すぐに見つかった。
店・・・ただの、小屋である。
一人の、若い女がいた。

五万ルピア、500円で、新しい番号を買い、更に、五万ルピア分の、カードを買う。そして、お姉さんに、その、料金分を、電話に入れて貰う。
そこには、何度も、通うことになる。

お金を出せば、お姉さんが、勝手に、電話に、料金を入れてくれるようになった。

さて、次は、両替である。
そごうデパートに向かう。
そごうデパートは、日本の会社である。そのビルは、複合ビルで、日本、アメリカの、大型デパートが、入居している。

地下には、スーパーもある。
そのスーパーの、地下二階に、両替所がある。

ところが、開店が、10時からである。
まだ、開いていなかった。

タバコを吹かして、待とうと思ったが、一本、吸って、一度、ホテルに戻ることにした。

先ほどの、ボーイに、番号を買ったことを言う。
そして、フロントで、今夜の宿泊分を支払う。

一日ごとに、支払うことにしている。というのは、三泊分を支払い、二泊しかしなかった場合でも、戻さないホテルがある。
フィリピンで、二度、そういう経験をしたから、一日ずつ、支払うことにした。

部屋に戻り、支援物資の、仕分けをした。

一度、衣服を取り出して、中身を確認し、入れ直す。
一度に、すべてを持つことは、出来ない。何せ、一人である。

十時になったので、また、出掛ける。
若いボーイは、朝から、三時までの、勤務である。
私は、彼に、仕事が終わったら、ガイドをして欲しいと言うと、後で、部屋に来るという。
やってくれると、期待した。

そごうデパートに入り、地下二階に、下りる。
ところが、両替所は、11時から・・・ああ、である。

そこで、また、上に上がり、旅行代理店に行くことにする。

とても、忙しい様子だった。
私が椅子に座ると、作業をしていた、後ろのお姉さんが、やってきた。
目の前の、おばさんは、英語が出来ないようである。

ペラペラペラ・・・
よく解らない。

私は、国内線の、地図を出して、ゆっくりと、英語で、ビアク島に行きたいと言った。そして、紙に、行く日と、戻りの、マカッサルの日程、そして、ジャカルタに戻る日を、書いた。

お姉さんは、すぐに、別の、若い女に命令して、空席を探させた。

しばらく、待つ。
すいません・・・ウォータある・・・
オッケーと、別の女が、二つ、カップに入った、水を出してくれた。

中々、結果が、出ない。
私は、少し大きな声で、デスカウントチケットね・・・と言った。
すると、調べていた、お姉さんが、オッケーと、応えてくれた。

11時になったので、目の前のおばさんに、マネーチェンジと言って、両替することにした。

丁度、開店したところである。
今回は、おじさんである。前回は、女性だった。
五万円を出した。

一万円が、98万ルピアである。
0が多い、紙幣なので、実に、煩わしい。

どっさりと、お金が、出てきた。
そして、私は、何と、コープクンカップといった。
タイ語の、ありがとうである。
おじさんは、それを、繰り返し、笑いながら、あたなは、日本人ねーーと言われて、気づいた。
あーーートリマカシと、言い直した。
おじさんは、オッケー、コープクンカップと、言う。

約、500万ルピアを、持って、また、旅行代理店に向かう。

チケットが、すべて取れていた。
ジャカルタから、ビアク島までは、ガルーダであり、帰りは、マカッサルまで、別会社であり、マカッサルからは、ライオンエアーである。
ライオンエアーは、前回、パダンに行く際に、乗った飛行機である。

三社の飛行機に乗る。
確認して、今度は、手続きである。
言うのが、面倒なので、パスポートを出す。

また、時間がかかりそうで、一応、支払い分を渡して、向かいにある、レストランで、食事をすることにした。

あのねーーーレストランに行ってくると、おばさんに言うと、オッケーである。
レストランという言葉で、何をいうのか、解るのであろう。

レストランに入り、注文する。
矢張り、高い。
マーボー豆腐と、野菜のスープを、注文すると、おねえさんが、笑顔で、ナントカコントカという。
いらないと、手を振る。

そして、気づいた。
ご飯だ。ご飯、ご飯、いや、ライス。手を上げて、お姉さんを呼ぶ。
らいす、ね・・・
スチームと、尋ねる。そうそう、オッケー、である。

蒸したご飯である。フライライスだと、チャーハンになる。

posted by 天山 at 00:00| 奇跡の旅ビアク島へ 平成22年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月04日

奇跡の旅・ビアク島へ 4

食事をして戻ると、すべての手続きが終わっていた。
そして、おばさんが、笑顔で、ディスカウントと言い、返金してくれた。

これで、ビアク島行きが、決定である。
日本から出る時は、どうするかと、少し迷っていたが、もう、後戻りは、出来ない。

何せ、ビアク島の、情報が何も無いのである。
ホテルや、ゲストハウの、情報も無い。
出掛けて、野宿する覚悟が、出来たのである。

出掛けてからの、勝負である。

書類を貰って、ホテルに戻る。

あの、ボーイが、部屋に後で行くと言う。
さて、手伝ってくれるのか・・・

時間は、12時を過ぎていた。
この後、スラムに、衣服支援である。

暑い時間帯と、ボーイの仕事が終わる、三時以降にすることにした。

ボーイが、やって来た。
彼も、あまり英語が出来ないので、丁度よい。

前置きの話が長かった。
彼は、ジョグジャカルタの出身である。
あの有名な、ボロブドール遺跡や、プラン・バナン遺跡のある場所である。
一度、私も、出掛けた。

ジャカルタでは、兄弟二人で、働き住んでいる。
一月の、給料は、日本円で、8千円である。
実に、少ない。それでは、生活が出来ないと、思う。

彼は、言った。
あなたの、三泊分が、僕の給料と・・・
うーん・・・

写真を撮り合うことになった。
記念写真である。
彼は、思わず、ポーズをつけたから、面白い。

そして、本題である。
実は、スラムに、入り、人々に、衣服を渡すと、言った。
ガイドを、して欲しい。そして、写真を撮って欲しい。

ところが、話しをはぐらかされる。
どうも、乗り気ではない。
チップも差し上げるから。でも・・・

つまり、スラムに入りたくないのだ。

そういう人たちとは、別の世界にいると、彼は、信じている。
確かに、暗黙の、境界線がある。
スラムの人々も、こちらに、出ることは無い。

これは、駄目か・・・

無理強いは、出来ないので、話をやめた。

もう、一人で行くしかない。
彼が、出て行ったので、私は、出掛ける準備をはじめた。
一時過ぎである。
暑くても、いい。

ホテルを出て、以前から、気になっていた、高架下に向かった。
子供たちが、遊んでいる。

そして、よく見ると、高架下にも、小屋が、立ち並んでいる。
近づくと、その小屋の間に、道があり、何と、そこから、スラム街に入られるのである。

驚いた。
びっしりと、小屋が立ち並ぶ。
道が狭く、四方に伸びている。
ここから、膨大なスラム街に、なっているのである。

私は、三人の子供たちが、遊ぶ道に、バッグを置いて、子供たちの服から、取り出した。

それからである。
どんどんと、人が集ってきた。
いつもの通りである。

子供のたちが、群がり、そして、大人も、混じる。
おおよそ、半分ほどの、衣類を、手渡しして、私は、場所を移動することにした。

その、支援の様子は、若い男に、カメラを渡し、撮って貰った。
地元の人に、カメラを渡すと、撮られるほうも、気を許すので、そのままの、姿が、映る。

さて、次の道へと、向かうが、子供たちも、大人たちも、後をつけてくる。
どんどんと、その数が増える。

一度、バッグを置いて、取り出すが、混乱の極みである。

そこで、一人のおばさんが、私を、高架下に誘う。
高架下は、広いから、よいという、訳である。

高架下に出て、私は、子供たちに、並びなさいと、身振りで、言う。
子供たちは、素直に、二列に、並び始めた。
大人も、協力してくれる。

ところが、その間に、大きなバッグから、若い男たちが、走り来て、一つ、また、一つと、支援物資を、取り出して、走り去ったのである。

最後の、袋を、取られて、私は、やっと、それに気づいたのである。
子供たちに、気を取られている間の、出来事。
しかし、子供たちは、見ていたはずである。

つまり、支援するものが、無くなっていたのである。
このスラムには、盗みをする、若い男たちが、いるのである。
スリの、集団がいる。

それでは、どうなったか・・・
私は、子供たちに、両腕を上げて、何も無いと、知らせた。が、子供たちは、納まらない。

百人ほどの子供たちの、群れが、私を襲う形になった。

逃げた。

逃げながら、写真を撮った。

中には、赤ん坊を抱いた女もいて、私に、下さいと、頭を下げるが、差し上げるものがないのである。

逃げた。

高架下を抜けても、子供たちが、追ってくる。
逃げる。

そして、ある地点まで来ると、子供たちは、ぴたっと、動きを止めた。
そこが、境界線なのである。

スラムと、通常の世界の、境界線。

着物を着ていなくて、よかった。
ほうほうの体で、ホテルに戻る。

ぐったりした。
そして、怒りが湧いた。
半分は、盗まれた。

だが、彼らが、自分の周囲にいる、子供たちに、渡すことを、願った。
しかし、それは、甘い考えである。
きっと、彼らは、それを、金に換えるだろう。
スラムの中にある、店に、売るはずである。

posted by 天山 at 00:00| 奇跡の旅ビアク島へ 平成22年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月05日

奇跡の旅・ビアク島へ 5

ジャカルタの人口は、おおよそ、910万人。
その、北西部に、ブンジャラガンと言う地区があり、スラムが広がる。

スラムに住む人の数は、把握できないのである。
100万人いるといっても不思議ではない。
更に、低所得者は、人口の、大半だろうと、思える。

中華系が、一番、金持ちである。
一時期、中華系の排除運動があったが、それにより、資金が海外に流れた。
更に、中華系も、インドネシアに解け込む、努力をしていると、言われる。

インドネシアの歴史に関しては、前回、書いているので、省略する。
ただ、今回、私が、感じたことは、インドネシアという国の成立に、日本が、深く関わっていたということである。

つまり、ポルトガル領だった、東部ティモールをはぶく、現在の、インドネシア領は、オランダが、植民地として、支配していた。
それを、日本軍が、統治して、敗戦後、インドネシア独立の中で、オランダ領支配だった、島々が、団結して、共和国を建設したのである。

オランダは、日本敗戦後も、再び、植民地化を企むが、四年間に続く、独立戦争にて、また、世界の監視により、断念した。
その際に、日本兵の一部が、インドネシア軍と共に、戦った。
彼らは、英雄として、奉られている。

あるインドネシア人に、言わせると、戦いの方法を、日本兵が、教えてくれたという。

更に、独立後、日本の支援により、今も、インドネシアは、国として、成り立つのである。
日本の支援なくして、インドネシアの存続は、有り得ない。

さて、とんでもない、支援活動を終えて、私は、シャワーを浴びて、ベッドで、休んだ。

しばらくすると、あの、ボーイが、部屋に遊びに来た。

今度は、ホテル内の、色々な施設の話をする。

二階から、四階までが、カラオケである。
前回、コータが、そこに出て、情報を仕入れて来たが、ボーイから、話しを聞くのは、はじめてである。

カラオケは、夕方から、はじまる。
そして、気に入った女性がいれば、買うことが出来る。

私は、女の料金はと、尋ねた。
日本円にして、一万円から、二万円である。
前回は、コータが、二万円と、聞いていた。そして、ボッていると、言ったが、それが本当の料金だった。

ボーイは、イスラム教徒であるが、男との関係は、駄目だが、ガールとの関係は、問題ないと、言った。つまり、売春は、肯定するのである。

更に、私に、マッサージを勧める。
マッサージ料金は、時間によって違う。
だが、マッサージ嬢も、買えるという。

それも、一万から、二万である。

客の、半分以上は、それが、目的であると、いう。
つまり、買春である。

ボーイの、マッサージは、あるのかと、聞くと、無いという。
私は、ガールより、ボーイのマッサージがいいと、言った。
すると、マン エンド マンは、駄目だという。
いや、ボーイの方が、力が強いから・・・
大丈夫だ、ガールでも、力があるという。

そして、もう一度、写真を撮るという。
それは、私を撮るだけで、自分は、一度でいいと、言う。

私は、ボーイに、ユービュティフルボディ、上着を脱いで、写真を撮るというと、また、マンエンドマンは、駄目だという。

つまり、男同士の関係は、禁止されているという。
彼は、男同士に、敏感だった。少し、勘違いしていた。

というより、私が、勘違いさせたのか・・・

彼の、勤務時間が終わる、三時に近くなった。

私は、また、少し休んだ。

夜の食事は、そごうデパートで済ますことにした。
屋台で食べてもいいのだが、ビアク島に行く前に、もし、食中毒などになっては、大変だと、思ったからだ。

そして、また、電話に料金を入れる。

毎日、横浜支部と、実家、そして、バンコクのコータに、報告の電話をする。
単独行動であるから、皆、心配しているのだ。

六時を過ぎて、スラムの、電話屋に行き、お姉さんに、料金を入れて貰う。
そのまま、そごうデパートに向かう。

パダン料理を食べることにした。
そこは、四階にあり、デパートの屋台広場であるから、安い料金で、食べられる。

旅をしていると、あまり、多く食べなくても、いい。
食べるだけでも、疲れるのだ。

最後は、スーパーに降りて、水を買う。
兎に角、いつもの、倍の水が必要である。

通りの店で、5000ルピアで売っている水が、スーパーだと、半額以下である。
東南アジアは、すべて、水道の水は、飲めない。
その点、日本は、天国である。
水道水が、どんどんと進化して、美味しくなっているのだ。

水を買い、今日が、それで、終わった。

posted by 天山 at 00:00| 奇跡の旅ビアク島へ 平成22年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月06日

奇跡の旅・ビアク島へ 6

朝は、早く目覚める。
といっても、日本時間の、八時、現地では、六時である。

インスタントコーヒーを炒れて、飲む。
しばらく、ぼんやりとしている。

明日は、ビアク島へ行く日である。
電話に、料金を入れたほうがいいと、思う。
ビアク島の、状況が全く、解らないからだ。

それから、お握りを取り出して、食べる。
でも・・・確か、四個もってきたはずなのに・・・一個だけしかなかった。
いつ、食べたのか、忘れた。

兎に角、冷たい、お握りが、美味しいのである。
日本の米は、凄い。少し、柔らかめに炊いて、お握りにすると、冷たくても、問題ないことに、気づく。

電話の料金を入れるために、部屋を出る。
朝の、通勤ラッシュである。
車が、渋滞している。

スラムの、あのお姉さんのところに行き、電話を差し出し、10万ルピアを出す。
すると、慣れた手つきで、料金を入れてくれる。
そして、2000ルピアを、返金してくれた。
10万ルピアの、カードを買うと、少し安くなるのだ・・・

通りに戻り、ホテルに向かうと、ガソリンを売る、道端の店に、以前来たとき、見かけて、服をあげようと思った、女の子がいた。

何と、私に、笑顔で、手を振る。

そこで、私は、後で、ズボンと、シャツを持ってくるからと、日本語でいい、身振りで、示した。
それで、理解してくれるのだ。

小瓶に、入れた、ガソリンを小売販売しているのだ。
その、店番をしていた。

早速、私は、支援物資の、仕分けをした。
どうせなら、以前行った、スラム付近にも、行こうと思った。

子供用を中心に、バッグに詰めなおした。

昼前に、出掛ける。
また、女の子が、いなくなっては、残念だと、思ったからだ。

女の子は、待っていた。
私は、彼女のサイズに合う、ズボンと、シャツを出した。
オッケーと、聞くと、頷く。

一緒に、おばあさんもいたので、おばあさんには、タオルを、差し上げた。

そして、物売りの、男の一人に、写真を撮ってもらう。
女の子は、しっかりと、たたんで、膝の上に、衣服を置いて、私と、ポーズを作る。

それから、私は、スラムへ向かった。
スラム通りから、少し奥に入ると、スラム街の道である。

前回の、スラムの、門の前を通ると、見覚えのある、おじいさんがいた。
門番である。
手を振ると、向こうも、手を振る。
しかし、今回は、その中に、入らない。

そのまま、道なりに歩いた。
少し、雰囲気が、変わっていた。

そのまま、歩くと、ホテルに出る道である。

小屋が立ち並ぶ。

男の子二人を、水浴びさせている、親子を見つけた。
私は、衣服を出して、必要ですか・・・と、問い掛けた。
母親は、とても、喜んだ。

だが、静かにと、私に知らせる。
その時、私は、それを受け取らないと、勘違いした。

要するに、人が沢山集まるというのだと、解る。
だが、矢張り、それを、見ている人たちがいた。

ところが、このスラムの人たちは、とても、行儀がよい。

サイズの合うものを、二人の男の子に、上げて、立ち上がると、二人の女が、赤ん坊を抱いて、立っている。
そこで、また、バッグを開けて、幼児物を示した。
すると、二人とも、頷く。

それぞれに、差し上げて、さて、と、歩き始めると、いよいよ、人が集まってきた。

それで、皆の前で、バックを開いた。
そして、私が、取り出すのを、待っている。

一枚、一枚と、取り出すと、それぞれが、誰々に合うというように、分配する。
昨日の、スラムとは、様子が違う。
誰かが、私のバッグに手を出すと、それを、牽制する人がいる。

規律正しく、受け取るのだ。
決して、騒がない。
つまり、それぞれの、スラムには、性格があるということだ。

すべてを、出し終えて、物売りの、お兄さんが、見ていたので、写真を撮ってもらう。
すると、皆が、写真を撮るべく、揃うのである。

実に、よい、雰囲気である。
そして、私に、インドネシア語で、何かいう。皆、同じ言葉を、いう。

私は、その言葉を、覚えて、ホテルに戻り、ガードマンに、どんな意味かと、問うと、英語で、グッドという。
すると、日本語が少し出来る、おじさんがやってきて、それは、あなたが、よい人だと、言っているのだと、教えてくれた。

汗はかいたが、とても、楽な、支援だった。

スラムでも、場所によって、性格が違うと、認識した。
これからの、参考にする。

必要な人に、差し上げるという、その、一点は、守る。
くれてやる、と、思われることは、実に、不敬なことであるから。

時には、いらないと、いう人もいる。
そういう、時は、速やかに、立ち去る。

posted by 天山 at 00:00| 奇跡の旅ビアク島へ 平成22年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月07日

奇跡の旅・ビアク島へ 7

ビアク島へ、出発の朝、チェックアウトの、追加料金を払うために、フロントに、下りた。
夜の、六時まで、部屋を使用する。

飛行機の、出発時刻は、夜の、11:55である。つまり、飛び立つのは、翌日である。

部屋に戻り、荷物の整理をする。
出来るだけ、少ない手荷物にする。

大きなバッグに、すべてを詰める。
つまり、荷物は、二つになる。
機内持ち込みは、一つにした。それは、正解だった。国内線の、荷物は、一つのみ。

さて、また、電話に料金を入れるために、出掛ける。
お姉さんは、疲れて、寝ていたが、私が行くと、いつものように、電話機を持って、料金を入れてくれた。

私は、その後、少し、散歩した。
勿論、スラム街である。

次回は、海岸に近いスラムに、支援したいと、思う。
スラム街といっても広大な広さなので、戸惑う。

屋台で、食事をしたい誘惑にかられるが、やめておく。
ビアク島に、行くまでは、倒れていられない。

そのまま、そごうデパートに行き、朝と昼ごはんを、一緒にして、四階の、屋台コーナーに行く。

牛肉の炒め物と、ご飯がついた、セットを注文する。
そして、デザートに、ソフトクリームを食べた。
暑い国では、塩と、砂糖が、必要である。
それらは、汗で、流れてしまう。

さて、チェックアウトである。
すべての、領収書を持って、フロントに出し、清算する。

そして、顔見知りの、夜の部の、ボーイに、タクシーを頼む。

ネクストタイム、スティーヒァーというと、ありがとうと、応えた。

タクシーに乗り込み、夜の、空港へ向かう。
ところが、空港への道は、とても、混んでいた。

途中から、進まないのである。

運転手の、おじさんは、済まないと、言う。と、私は、感じた。

オッケー、オッケー
通常の二倍の、時間がかかった。
どうせ、深夜便であるから、余裕である。

ようやく、空港に到着して、カートに、荷物を積み込んで、時間を待つことにした。
そして、夜の食事は、空港の中で、する。

スカルノ・ハッタ空港は、沢山の、乗り場がある。
今回は、国際便のある、F2という、空港である。
そこが、一番、広い。

一階にも、二階にも、レストランが沢山ある。

七時を過ぎていたので、私は、カートを押して、一階に下りた。
その中で、安い店を探した。
何でもある、レストランに入る。

入り口に近い、テーブルに着いた。
注文したのは、チキンの焼きそばである。

私の座席の横を、ふっと、見ると、三人の子供たちが、靴を磨いていた。
その店に入る客の、靴磨きをしていた。

丁度、私のテーブルの横である。
何気なく、見ていると、一人の少年が、何か言う。

全く、解らない。
しかし、腹を押さえて、口に、指を当てる。つまり、食事をしたいという、仕草である。

オッケー
私は、三人に、焼き飯を、ご馳走することにした。

17,13,10歳の、少年たちである。
日本では、考えられないことである。
空港で、勝手に、レストランに入り、仕事をするという・・・

私のテーブルに、彼らは、椅子を三個置いた。
他の客が、不審そうに見ていた。

私たちは、四人で食事をすることになった。
言葉が分からないが、色々と、話をした。

13,10歳の子は、学校に行っているという。17歳の子は、靴磨きで、生活している。

幾らでしているの
五万ルピア、つまり、500円である。

ただ、驚いたのは、彼らの、食事の量である。
注文した、焼き飯が、彼らには、多いのである。つまり、彼らは、いつも、少しばかりの、食べ物で、過ごしているということだ。

そこに、別の少年が来た。
友人だと言う。同じように、靴磨きをしているという。
私は、その子に、カメラを渡して、四人の写真を撮ってもらった。

彼らは、いつも、ここで仕事をしているから、また、来てという。
オッケー
今度は、ズボンと、シャツを持ってくるね

なんだか、親戚の子のような、気持ちがした。
このような、子供たちは、空港の中に、沢山いる。
ある子は、ゴミ箱から、ペットボトルを集めている。
皆、自分たちの、生活を、自分で、支えているのである。

日本なら、養護施設に、預けられる子供たちである。

さて、私は、長い時間を、空港で、過ごさなければならない。

ガルーダインドネシアの、マカッサル経由、ビアク島行きである。

posted by 天山 at 00:00| 奇跡の旅ビアク島へ 平成22年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月08日

奇跡の旅・ビアク島へ 8

マカッサル経由ビアク島行きの、飛行機は、意外に空いていた。
私は、後部座席の、三席を独り占めして、離陸した後で、体を横にして、眠った。

途中、食事で、起こされたが、また、寝た。
そして、また、起こされた。
マカッサルに到着である。

およそ、二時間半程度である、マカッサルで、降りる人たちがいた。
私は、どうするのだろうと、スチワーディスに、聞いた。すると、ここにいてと、言われた。

ところが、作業の人たちが、乗り込んできて、掃除をはじめた。
更に、座席の、手直しである。
そして、また、新たに、人が乗り込んで来た。

それでも、私の座席には、誰も来ない。
これで、また、眠れると思った。

小一時間程度の、時間だった。

離陸である。
私は、離陸の間、待てずに、体を横にして、毛布をかけて、寝た。

気づいた時、窓から、大陸が見えた。
えっ・・・パプア・・・・

スチワーディスに聞いた。
パプアですか
ええ、パプアです

私は、涙が出そうになった。
ついに来た。
マルク諸島を越えて、パプアに来たのである。

パプアは、自然豊かで、川が、蛇行して流れているのが、見える。
美しい、緑、緑、緑・・・

よくぞ、ここまで、やって来た・・・といっても、飛行機に、乗っていただけである。それでも、よくぞ・・・来たと、感動した。

しばらく、窓の外を眺めて、いた。

飛行機が、大きく旋回して、ビアク島の、全体を見せてくれた。
私のための、サービスかとも、思ったが・・・それは、無いだろう。

小さな、空港である。

離陸は、抵抗なく、すんなりと、降りた。

ビアク島である。
外国人は、私と、白人の二人の男。
一人の、若い白人の男は、何か、思いつめたような顔つき。もう一人は、旅好きな、おじさんと、見た。

着物姿は、勿論、私一人。

歩いて、空港に向かう。
そして、ターンテーブルの荷物を待つ。

荷物は、すぐに、出てきた。
それを、カートに乗せて、外に出た。
矢張り、タクシー、タクシーと、誘われるが、どこに行く当てもない。

時間は、朝の、八時過ぎである。

私は、カートを押して、空港前の、ベンチに座り、さて、どうするかと、タバコを吹かした。

隣にいた、若い男に、話し掛けた。
ドゥユーノウ ビアクホテル
英語が解る、男だった。

彼も、よく解らないらしく、少し向こうにいた男に、現地の言葉で、尋ねた。

すると、四五軒の、ホテルの名が、出た。
よし、私は、若い男に、行くとねと、声を掛けて、立ち上がった。
すると、応えた男が、私の荷物を持つ。
タクシー運転手だったのだ。

その控え目な態度が、気に入った。
ホテルへ
オッケー

空港近くにも、ホテルがあった。
車を止めて、フロントに、向かう。
運転手も、一緒である。彼は、英語は、全く話せない。

料金を尋ねる。
リゾートホテルである。
六千円程度から、二万円程度の、部屋ばかり。
高い。やめた。次に行く。

フロントの、女が、私を引き止めるが、無視して、外に出た。
車に乗り込み、ゴーである。

車は、通りに入った。
島の、メイン通りのようだった。
といっても、静かである。ただ、人が多い。

ホテルだといって、示された、建物を見たが、これが、ホテル・・・
平屋の建物で、全く、ホテルとは、見えない。

とりあえず、フロントに行く。
料金を尋ねる。

一泊、二千円である。20万ルピア。
よし、ここに決めた。

運転手に、オッケーと、伝えた。

部屋は、101号室。
部屋に、荷物を運ぶ。
そして、運転手に、明日、島を案内して欲しいと言うが、意味が通じないので、ホテルの主人に言う。
主人は、英語が出来る。

明日の朝、10時に来てください。
ホテルの主人が、伝えた。
運転手は、頷く。

とりあえず、野宿する必要は、なくなった。
そして、改めて、部屋の中を確認する。

そして、呆然とした。
トイレは、便座なし。
シャワーは、自分で、桶で、水を掛ける。
洗面場所がない。
とても、不便である。

後で、便座の無い、トイレで、相撲の、しこを踏むように、12時間、下痢をすることなど、考えられなかった。

勿論、水を尻にかけて、手で、肛門を洗うのである。

更に、ベッドには、枕と、抱き枕があり、毛布は無い。
タオルも無いので、フロントに、タオルと、言ったが、無いという・・・

ジャカルタで、タオル類を、すべて差し上げていた。
だから、自然乾燥である。

唯一、エアコンがあるのが、救い。

いきなり、疲れた。
しばし、ベッドに、横になる。

posted by 天山 at 00:00| 奇跡の旅ビアク島へ 平成22年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月09日

奇跡の旅・ビアク島へ 9

まあ、それでも、この部屋に、二泊することにした。
この程度で、慌てていては、これから、まだまだ、ニューギニア戦線の追悼慰霊をするのであるから、驚くに当たらない。

時間は、朝の十時前である。
ではと、早速、ホテルの周囲を散歩することにした。
食堂も、見つけなければならない。

暑いのだが、日差しは、ジャカルタより、弱い気がした。

そこが、ビアク島の、メイン通りだと聞いたので、また、驚いた。
ホテルの並びに、スーパーがあり、その向かい側にも、スーパーがある。
そして、小屋のような建物が、続いて、音楽ショップや、携帯電話の店・・・などがある。

食堂が、一軒。
向かい側のスーパーの中にも、一軒あるのみ。

それで、おしまい。
歩いても、五分である。

仕方なく、向かい側のスーパーに入り、水を買う。
そして、色々な品物を見て回る。

以外に、食料品が多い。
ただ、果物が少ないのが、気になった。
輸入物が、大半である。

そして、島であるから、全体的に、値段が高い。
それは、何から何までに、言えた。

1,5リットルのペットボトルを、二本買い、一度、ホテルに戻る。

矢張り、汗をかく。
地元の人は、汗をかかないようだ。

水浴びに挑戦してみる。
大きな水槽のような場所に、水が溢れるようにある。
桶を使い、下半身から、かけてみる。

少し冷たいが、気温が高いゆえに、それほどでもない。
体全体に、水を掛ける。
少し、気合を入れた。
意外に、気持ちがいい。

と、それで、タオルが無いことに気づき、そのまま、全裸で、乾くまで、部屋の中で、立っている。
何とも、情け無い。

バリ島で、買った、シルクの腰巻をして、過ごす。

そろそろ、腹が空いてきた。
ホテルの並びにある、食堂で食べようと思う。

腰巻に、Tシャツを着て、出た。
五六人の男たちが、食事をしていた。

メニューを出されるが、全く、解らない。
いくつか、写真が出ていたので、そのから、選ぶことにする。
が、私が、食べたいものは、無いと、女の子が言う。

それでは、ナシゴレンである。
それか、ミーゴレンである。それしか、解らない。

ナシゴレンを注文したが、おかずと、ご飯が別に出てきた。

何とも、変な感じである。
勿論、店の方も、変な感じだろう。

見かけない顔、それも、外国人である。

ただ、おかずが、野菜中心だったので、良かった。しかし、辛い。

兎に角、島の食堂で、食事をしたということ。
日本円にして、百円と少しである。

部屋に戻り、夜は、スーパーの食堂で、食べてみようと、思った。
料理の写真が多いから、そこから選べる。

そして、突然、疲れを感じた。
飛行機に乗った疲れである。

ベッドに、体を横にすると、そのまま、寝てしまった。

目覚めたのが、三時過ぎである。
そこで、ロビーに出て、主人に、聞いた。

車で、一時間、島を案内してもらうと、幾らかかりますか。
英語である。
伝わったようで、一時間、60万ルピアだという。
そして、手配するよと、言う。
それでは、アフターね、と、言って、部屋で考えた。

一時間、六千円とは、高い。高過ぎる。

バンコクのコータに電話する。
ちょっと、一時間車をチャーターして、六千円だってさ
それは、ボッているね
そうだよね。そんなに高いはずないよね

主人は、ガイド付の料金を言ったのかもしれない・・・それにしても、高い。

それで、考えた。
明日、あの運転手が来る。
あの運転手に、こちらから、値段を言い、交渉することにした。

つまり、追悼慰霊に行き、そして、その翌日に、空港まで、送ってもらって、50万ルピアで、交渉してみる。
追悼慰霊の時間は、無視してもらう。つまり、二時間でも、三時間でも、料金は、同じということ。

ホテルの、主人には、頼まないことにした。
アフター、後でと言ったので、そのままにしておこう・・・

島では、五千円でも、大金である。
だが、島の人は、島以外から来た人から、お金を得る以外に、方法がないのである。

ここで、裕福に暮らす人たちは、政府関係者である。
つまり、公務員、警察、軍関係者。

電話の料金を入れるのに、五万ルピアのものを、ホテルの主人に頼むと、五万五千ルピアといわれた。
そして、ホテル前の看板を見ると、五万二千ルピアと書いてある。

ジャカルタでは、五万は、五万で、10万のものだと、二千ルピア安くなる。

嫌だーーーー
嫌な性格であると、我が身を思う。この、ケチケチした、性格・・・
まあ、自腹で、来ているのだから、しようがないが・・・

夜、スーパーの食堂に行く。
写真を指して、注文した。
ばっちり、である。

何のことは無い、ミーゴレンを食べた。
情け無い。

従業員の、男の子たちも、女の子たちも、実に、親切で、笑顔を絶やさないのが、いい。

おいしかった、と、日本語で言う。
サンキュー
意味、通じたのか・・・


posted by 天山 at 00:00| 奇跡の旅ビアク島へ 平成22年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月10日

奇跡の旅・ビアク島へ 10

夕方に、部屋をノックする音。
ドアを開けると、女の子が、お茶と、お菓子を持ってきた。
女の子は、小学生の低学年くらいで、ホテルの主人の娘ではないかと、思った。

お茶は、ジャスミン茶に砂糖の入れたもの。
お菓子は、自家製で、芋に衣をつけて、揚げたものである。

お茶は、飲んだが、お菓子の方は、そのままにしておいた。
この、芋の場合は、良かったが、翌日の、夕方の、バナナを揚げたもので、私は、12時間、下痢だった。

さて、ぼんやりと過ごしていた。
明日の、追悼慰霊が、どうなるのか、全く検討がつかない。
慰霊碑のある場所は、解った。そして、そこには、確実に行く。そして、その後は、どのようになるのか。
それで、終わることもあるだろう。

そして、支援である。
多くは無いが、残してきたものを、島の人たちに、手渡したい。

色々、ぼんやりと、考えていると、歌詠みがしたくなるが、それも、まだ余裕が無い。

結局、早く寝ることにした。
そして、目の前にあった、揚げ物のお菓子を、食べてみた。
ああ、芋だ・・・とても、美味しい。

翌朝も、お茶と、小さなパンが出た。

今度は、息子だろうか、若い男が、運んできた。

お茶を、飲みつつ、日本や、バンコクに電話をする。
このために、何度も、電話に、料金を入れなければならない。

ホテルの並びにある、店でも、カードが売ってあるので、そちらで買ってみることにした。

そこでは、正規の値段である。
では、ホテルで、売っているものは、ここから、買って、それを売っているのだろうか・・・
と、思いつつ、自分で、入れてみようと、部屋に戻った。
ところが、どうしても、入らない。

しょうがないと、放っておくことにした。

運転手は、十時より前に、来ていたらしく、私が、玄関に出ると、すでに、ロビーにいた。

それではと、思ったが、ホテルの主人が、出かけている。つまり、通訳してくれる人がいないのだ。
そうすると、運転手が、外に出た。

私は、部屋で、出掛ける準備をする。
ノックがしたので、戸を開けると、運転手と、一人の男がいた。

その男が、ミスターキムラ、アイスピークイングリッシュと、いうではないか。
とても、変な発音である。

そこで、交渉が始まった。
昨日、考えた通りに、こちらから、提案した。

今日の、慰霊と、支援、そして、明日の、空港まで送ってくれて、50万ルピアで、どうだ、である。
そして、私は、五万ルピアを、十枚出して、見せた。

男は、そのお金を、ソーリーといって、受け取り、数を調べる。
運転手に、何か言うと、運転手は、頷いた。

ミスターキムラ、オッケーといい、男は、お金を私に返した。
私は、25万ルピアを、運転手に渡し、明日、残りを渡すことにした。

とても、大きな仕事である。
後で知るが、運転手は、結婚したばかりで、車、タクシーの仕事も、はじめたばかりだった。

決定したので、出掛けることにする。
荷物を、運転手が運ぶ。

そして、マイフレンド ゴーと言うと、車が、走り出した。

私のことを、フレンドと呼んだのか・・・・

いや、違った。
英語の出来る、彼の友人を、一緒に連れてゆくということだった。

その友人の家に立ち寄り、友人が、乗り込んできた。
そして、また、発音の少し変な、英語で、話がはじまった。

これから、行くところの、説明をしているようだ・・・私には、よく解らない。
でも、うんうん、そうそう、と、反応して聞いていた。

山道を走り、到着した場所は、日本軍の残した、砲弾や、戦車、戦闘機の、崩れたものが、並べられてあった。

そこで、降りるという。

そして、そこが、慰霊に、最も、相応しい場所だったのだ。

そこで、また、友人の英語の説明があった。
頷いて聞いていた。
写真を撮る。

運転手に、カメラを渡して、これからも、写真を撮ってもらうことにする。

次に、山道を、案内された。
出たところに、大きな穴がある。
洞窟である。
日本兵が、籠もった洞窟である。

そして、昭和31年に、建てられた、慰霊碑に出た。
何とも、そこで、はじめて、私は、私らしくなったのである。
二人には、ここで、祈ると言った。
日の丸を立て、付近の木の枝を使い、御幣を作る。

後ろにいた二人に、イッツ、ジャパニーズプレイ、プリーズ、ピクチャーといった。
通じた。

二人は、イスラム教徒である。
しかし、この島では、どの宗教も、共存していると、ホテルの主人に聞いていた。

二人は、私の後ろに座り、見ていた。

神呼びを行い、祝詞を、唱える。
およそ、30分ほど、かかった。
最後に、私は、ここに、居残る皆様は、私の音に乗って、日本にお戻りください。
古里に、そして、靖国に行きたい方は、靖国に・・・
満身の力を込めて、お送りの、音、音霊、おとたま、を、発した。

実は、神呼びのときに、鳥たちが、一斉に鳴いたのである。
それが、いつも、不思議に思う。

一羽や二羽ではない。
色々な、鳥が鳴くのだ。

皇祖皇宗と共に、日本をお守り遊ばす、神々、つまり、カムの皆様に、御願いする。

そして、最も大切な、清め祓い、を、行う。

四方を祓い、清める。

すべてが、終わってから、敵軍の兵士のために、祈る。
これは、キリスト教である。
キリエレイソン
主よ憐れみたまえ
ラテン語にて、御父と、御子と、聖霊の御名において、と、祈念する。

次に、ビアク島の、戦禍について、少し、紹介する。

posted by 天山 at 00:00| 奇跡の旅ビアク島へ 平成22年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。