2010年10月11日

チェンマイの風 11

カレン族、トゥンルアン村に到着した。

カレン族は、多くの種族がある。
中でも、白カレンと、赤カレンに、分けられる。

赤カレンは、ミャンマーに多く在住するが、軍政によって、抑圧、差別を受けて、タイ側に、非難している。要するに、難民である。

白カレンは、100年以上前に、タイに入国して、その山岳地帯に住みついた。
トゥンルアン村の、カレン族は、白カレンである。

ミャンマーの、赤カレン族は、軍政と戦った。
白カレンは、戦いを、好まずに、そこから、去ったのである。

小西さんの、奥様の実家に、到着した。
小西さんは、奥さんの家に入ったことになる。
つまり、カレン族は、母系なのである。

お母様が、出迎えてくれた。
二年前と、変わらず、お元気である。

言葉は、解らないが、懐かしく、笑顔で、挨拶した。
タイ語ではなく、カレン語であるから、小西さんも、話せないという。
ただ、ある程度の年齢から、タイ語が話せる。
学校教育が、タイ語だからだ。

高床式の、建物が、一般的である。

私は、即座に、黒ブタを見るために、家の裏に回った。
ブタ小屋が、新しくなり、更に、一頭増えていた。
その、一頭は、家の前の、米倉の前に、縄で、縛られて、飼われていた。

全部で、三頭である。
このブタは、娘の結婚式に、使用される。
お祝いの、ご馳走になるのだ。

奥様の、妹さんが、結婚する時に、どれか、一頭が、犠牲になるという。

さて、辻さんと、千葉君である。
初めて訪れた、少数民族の村であるから、感激ひとしおである。

見るもの、すべてが、珍しい。
辻さんは、私の話から、もっと、大変なところだと、想像していたようであるが、意外に、すんなり、解け込んでいる。
千葉君は、早速、写真を撮りまくっている。

縄文時代を思わせる、有様である。

文明の利器は、電気のみである。

兎に角、自然に圧倒される。
自然の気に、倒される思いがする。

奥様の、お父様も、いらした。
日本語で、
お元気ですか・・・
あちらも、あちらの言葉で、話す。
違和感が無い。

小西さんの、お嬢さんは、すでに、芋虫の唐揚げを、食べている。
それを、差し出されるが、抵抗がありすぎる。

三歳のお嬢さんは、抵抗なく、何でも、食べる。

千葉君が、一匹食べて、芋のようだと、言う。が、一匹だけである。

少し、休憩して、小西さんと、奥様が、私たちを連れて、村を案内することになった。

村人は、おおよそ、300人である。
すべての人が、顔見知りである。

のんびりと、歩いて、村の家を見る。
新しい家が、出来ていた。
高床式ではない。普通に建てたものである。
こうして、少しずつ、変化してゆくのだろうか。

更に、車を持つ家も、多くなった。
私の見た範囲である。

大きな、水槽の前に出た。
さて、と、小西さんが、これは、なんでしょうかと、質問する。
私と、コータは、知っている。
二年前に、私が、一発で、それを、当てた。

辻さんが、挑戦するが、外れる。
千葉君は、私の話を覚えていた。

天気予報の、水槽である。

更に、続けて、一軒の家の前に、干してあるもの、である。
これには、頭をひねった。

解らない。
煎餅のようなものである。

何と、納豆だというから、驚いた。
それを、料理の時に入れたり、水に溶かして、ご飯を食べるという。
後で、溶かしたものの、匂いを嗅いで、いくらなんでも、この、腐りかけのものが好きな、私でも、駄目だと、思った。

だが、スープに入れあるのを知らず、美味しいというと、あの納豆が、入っていると、聞いて驚いた。
コクが、出るのだ。

さて、奥さんが、カレン族の、織物をしている人の家に、案内してくれた。
肩掛けバッグを作る人である。

カレン族の、人たちは、皆、カレンの衣装を着る。それは、皆、手織りである。特に女性たちは、その織物を着ていることが、多い。男たちは、町に出るので、着ることが、少ない。

手織りの、肩掛けバッグは、とても、温かみがあり、丈夫に作られていた。
小西さんが、私たち、一人一人に、プレゼントしてくれるという。

それは、有難く、頂いたが、今、コータが、民族の作り物を、テラの会の、資金にするため、集めている。
そこで、少し、それを買うことにした。

だが、作る量が限られていて、数が少ない。
すると、奥様が、もう一軒の家もあると、案内してくれた。

そこで、日本でも、使えるバッグをと、五六個買った。

すでに、闇が降りている。
急速に、夜になるのだ。

そして、風が、涼しい。
夜風が、心地よい。

最後に、奥様の、おじいさんと、おばあさんの、家に行く。
二人は、元気で暮らしていた。
解らない言葉で、互いに、挨拶する。
とても、歓迎している、様子。

囲炉裏の火が、懐かしい。
そこで、おじいさんが、辻さんに、とこで、あんたは、男かいと、尋ねた。一同びっくり。
髪の長いのは、女だが・・・という、思い。ということは、私は、女になっている可能性がある。
皆、大笑いになった。

家に戻り、いよいよ、夕食である。
小西さんは、修行のために、酒を止めたが、私たちのために、カレン族の、酒を用意してくれた。最初は、小西さんが飲まなければ、私も、飲まないと言っていたのだが、注がれると、つい、口をつけてしまった。
そして、私は、酒を飲み続けることになる。




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2010年10月12日

チェンマイの風 12

カレン族の、酒は、日本酒と同じで、透明である。
焼酎に似た感覚の味である。
度数は、わからないが、40度近くあると、後で言われた。

それぞれの家の味がある。
それが、また、楽しみだということ。

強い酒とは、知らずに、盃を重ねる。
私は、酒を飲むと、物を食べない。
食べられなくなる。
だから、酒好きだといわれるが、旅の間は、飲みたいと思わないのだ。

壁の無い、台所付の、部屋で、飲む。
次第に、体が熱くなるので、私は、上着を脱いだ。

料理が出される。そして、ご飯である。
とても、美味しそう。
辻さんは、美味しい、美味しいと、食べ始めた。

私は、時々、辻さんの、盃から、千葉君の盃から、酒を入れた。
辻さんは、あまり飲めないはずと。

更に、千葉君も、酒は好きではない。
しかし、二人共に、酒も飲む。

次第に、開放的になる、私。
酒を飲むと、楽しくなる。

宴がたけなわになると、千葉君のギターを、辻さんが、希望する。

静かな、カレンの村に、ギターの音が響く。
すると、隣の家から、こちらに顔を向けて、聴いている姿あり。

私も、と、影を慕いて、を、歌うことにする。
千葉君の伴奏である。

扇子まで、持ち出して、私は、皆様に披露するように、歌う。
更に、足まで、打ち付けて。

床は、隙間のある、板で、出来ているのに・・・
危ない。

だが、酒に酔った私は、楽しい。
隣のおじさんが、やって来た。

そして、何と、先ほど、伺った、奥さんのお母さんの、お父様、つまり、奥様の、お爺様も、やって来た。

言葉が通じなくて残念だ・・・と、嘆くが、酒に酔った私には、言葉はいらない。
お爺様と、盃を酌み交わす。
お爺様に言った。
死んだら、話ができます
それを、奥様が、通訳して、大笑い。

前回は、二つのお祭りで、様々な、カレンの家の酒を、飲んだ。

飲み方の、基本は、注がれた酒は、一気に、飲み干すのである。
勿論、強要は、されない。

飲めない人は、別の人に、飲んで貰う。

結局、私は、酒だけを、飲んで過ごした。
皆、腹いっぱい食べたという。

夜の、九時を過ぎて、皆、解散である。
お爺様を、小西さんと、コータが、送る。

三人の男は、蚊帳を吊った、布団に寝る。
と、私は、もう少し、酒が飲みたいと、台所に行き、盃に、酒を注いだ。
そして、寝る部屋に戻り、一口飲む。
ああ、もう駄目・・・
もう、飲めないのである。

限界である。
私は、延々と飲むことが、出来ない。
体が、受け付けないのである。

千葉君が、蚊帳に入る。
コータと、少し話すが、何を言っているのか、自分でも分からない。
辻さんは、一人部屋である。

小西さんが、おやすみなさいと、声を掛ける。
お世話になりましたと、私。
すでに、相当に、酔っているのだ。

少し腹が、空く。
持参した、裂きイカを食べる。
そして、ポテトチップス・・・

電気が、消えて、真っ暗である。
いよいよ、蚊帳に入り、寝ることにする。

枕元には、携帯電灯がある。
深夜目覚めて、私は、小便をするために、家を出た。
危ない。
階段を、転げ落ちる感覚である。

真っ暗闇の中で、家の前に、小便をする。
何も見えない。
だが、ふっと、空を見て・・・
その、星空の美しさ。

なんて、美しいのだろう。
忘れていた。夜空のことを・・・

音もなく、闇の世界。
しばし、佇んだ。
生きている。ここに、こうして、生きている。
生きていることの、充実感である。
しかし、まだ、私は、酔っているのだ。

フラフラした、足取りで、階段を上がる。
もう一度、寝ることにする。

そして、朝の、音、鶏の鳴き声で、目覚めた。
だが、まだ薄暗いのである。

皆の、寝息が聞える。
辻さんの部屋からも、息が聞えるほど、静かなのである。

私は、携帯電灯を取り出して、タバコを探し、更に、水を取り出した。
水を飲み飲み、タバコを吹かす。
いよいよ、酒の酔いが、回って、水で流すしかない。

明るくなったので、外に出た。
ひんやりとする、朝風。
寒い時期は、気温が、5度まで、下がるという。
それでは、冬物が必要である。

コータが、篠笛を持って、降りてきた。
更に、お母さんも、出て来た。

朝の風景が始まる。

山の中で、自給自足の生活を続ける、カレンの人々。
更に、とても、長生きであるという。
よほどのことで無い限り、病気はしない。

病気をしても、検査するだけで、治療はあまりしない。
だが、病気が進行しないようだ。

昨夜の、お爺様も、ガンだが、生き続けている。

怪我をしても、そののまで、治るというから、凄い。
自然力である。
自然の気を、全身に浴びて生きているのである。


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2010年10月13日

チェンマイの風 13

道に迷い、ビルマからチェンマイに向かっていた、一人の若い日本兵の、追悼慰霊は、朝の光の中で、行いたいと、考えていた。

皆が、起きてきたので、食事の前に、慰霊をしますと、言う。
私は、早速、慰霊の準備を始めた。
それは、小西さんの、家の庭で、行うと、考えた。

その兵士の埋められた場所が、解らないのであれば、何処でも、同じであると。

ところが、小西さんが、その山裾まで、行くという。
奥様が、その場所を知っているのだそうだ。

それではと、車に乗り込む。

ところが、中々、その場所に到着しない。
どんどんと、山奥に入り、田圃が、広がり、川が流れる場所まで来た。

更に、車を降りると、奥様の案内で、道無き道を、歩く。
川も渡る。
四本の竹で出来た、橋を渡る。

ゆらゆらと、揺れる橋を渡る。
そして、更に、田圃の中を、歩く。

目の前に、小高い山が見える。
それに、向かって歩く。
私は、その山裾に、埋葬されたと、思った。

朝露の中を歩く。

奥様が、あの、山の辺りですと、言う。
私は、この辺で、いいですよと、声を掛けた。

丁度、太陽が、昇り始めて、光に満ちている。

昨夜、酒を飲みすぎた私は、あまり、声が出ない。

日の丸を、辻さんに、掲げてもらい、御幣を、奥様に、預けて、皆で、太陽を拝する。

そして、慰霊の儀である。

神呼びをする。
祝詞を差し上げ、更に、その途中で、亡き兵士に、語りかけた。

ここで、亡くなられた、あなたのことを、忘れません。
私たちは、そのために、やってきました。
どうぞ、私の音に乗って、古里、父母の元へ、また、靖国へ、あなたを、待つ人たちの、ところへ、お戻りください。

清め祓いの、言霊、音霊を、数霊を唱えて、更に、祝詞を続けた。
そして、お送りの、音霊で、深く追悼と慰霊の儀を、行う。

私の心に、入ってきた、イメージは、感謝の思いと、空を見上げて、亡くなられたということである。

インド、インパールから、撤退し、ビルマの山を越えて、タイに入り、チェンマイを目指した。多くの兵士が、そうである。
だが、隊から、離れて、一人、黙々と、歩き続けた。
タイの、国境を抜けて、歩きに歩いたが、その場所が、解らない。
力尽きて、カレンの村に入り、懐かしい、田圃の中で、息絶えた。

はかなくもあはれ

せめて、村人に出会っていれば、助けられたはず。
村の中に、入らず、迷い、田圃の中に、入ってしまったのである。

あはれである

深く、黙祷を捧げて・・・

退路は平坦な水田地帯がひろがり、日中の撤退はおそらく死をまぬがれない。満月にちかい月が煌々と冴え渡り、付近を青白い風景に浮き出させた。
弓兵団インパール戦記 井坂源嗣

撤退しつつも、敵と戦わなければならなかったのである。

戦う武器のない兵隊ほどつらく悔しいものはない。小銃弾の一発も撃たず、壕の中にじっとひそんでいた。
井坂

日の出とともに、地獄がやってきた。日本軍全体が夜は極楽、昼地獄と思うようにならざるをえなかった。私は頭にも草で偽装をほどこし、壕に入って敵の方向をにらんでいた。二昼夜一睡もできずにいる疲弊しきった私の右背後から、太陽がしだいに高くなってきた。
井坂

いまは亡き戦友よ、ほんとうに魂があるのなら、おれの背中に乗って、一緒に戦いのないところまで行こう。ひとりでに出る涙を、汗を拭くふりをして手でこすった。遠い南の山々が雲か霞か涙のためか、おぼろになって見えなくなった。
井坂

豪雨のシッタン平地の湿原と、濁流渦巻くシッタン河を渡るにさいし、敵の空陸からの火力をあび、悲惨に状況のもとで精根つきた彼ら各兵団は、膨大な犠牲を出すにいたった。終戦を目の前にして兵士たちの多くが、無惨な姿でビルマの露と消えた。
井坂

とくに悲惨だったのは、患者部隊であった。シャン高原を横断して、タイのチェンマイに出ようとした兵隊は、食糧医薬品もないまま、自力で行軍を強いられ、山中に倒れていった。われわれの通過したあとの道すじには、病魔と戦いながらつぎつぎと体力を消耗し、倒れ伏した兵隊が、屍を山野にさらしていたと聞いた。
井坂

「ただいまより、謹みて、天皇陛下のお言葉をお伝え申し上げる」
奉読されたのは、終戦の詔勅であった。日本は降伏したのだ。奉唱なかばにして熱い涙がとめどなく流れ落ち、胸もとまでも濡らした。
「何のために、苦しい戦いをがまんして頑張ったのだ。戦友の隊員たちは、何のために死んだのだ。それなのに降伏とは、われわれはもう生きる必要はないのか」
今後における将兵の心得を訓示する連隊長の言葉は、とうてい耳には入らなかった。
夢であってほしいと思って・・・・
事実は完全な日本の敗戦であり、軍旗もすでに奉焼を終わったと知らされた。軍隊も解体し、日本もいつか見た夕日のごとく沈んでなくなるのか。全員、茫然自失の状態で宿舎に帰る。
井坂

撤退に際しても、多くの日本兵が亡くなったのである。
あはれ・・・である。


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2010年10月14日

チェンマイの風 14

若い兵士の、追悼慰霊を、終えて、私は、二日酔いであることに、気づいた。

忘れていた。
それよりも、若い兵士の、心情を思い、涙した。

さて、来た路を戻る。
とても、大変だった。
来た時よりも、しんどい。
川にかかる、竹の橋を渡るとき、驚いた。こんなに、危険なものはないと・・・

落ちたら死ぬわけではないが・・・

綺麗な流れである。
私は、そこに、御幣を投げ入れた。
清めたまえ、祓いたまえ

心霊も、驚いているだろう。
二日酔いの、迫力である。

高級霊位は、私の臭さに、遠くに、いらしたと思う。

朝、水を、1,5リットル飲んだ。
ペットボトル一本である。
ご飯を食べるより、水が好きだ。
だから、少しは、救われる。

また、車に、揺られて、戻る。

本日は、チェンマイに戻る前に、学校での、支援がある。
それが、楽しみ。
前回、出会った子供たちに、会える。

戻って、朝食である。
私は、迷惑をかけまいと、パンや、ジャム、ソーセージを、買ってきた。
しかし、コータと、千葉君は、炊いたばかりの、ご飯を、要求。
そして、小西さんの、奥様が、作った、スパイスの効いた、スープを、おかずに食べる。
私も、スープを頂いた。

自然の中からの、薬草のような、スパイスである。
何と、体に良いことか。

前回は、私たちのために、奥様の、お母さんが、鶏を、潰した。
それで、今回は、もったいないので、遠慮した。というより、鍋の、蓋を開けて、顔が見えるのが、怖くて、遠慮したのだ。

殺して、食べる。
日本にては、そんな意識は、無い。
スーパーで、鶏肉を買って、平然として、食べる。
もし、自分で、殺して、食べるとしたら・・・

大半の人は、出来ないだろう。
それが、文明進化の問題である。

生き物を、殺して、食べるのである。
生き物から、生きられる、エネルギーを得る。

長年、飼っている、ブタを、殺す気持ちになってみる。
想像出来ない。
しかし、そうして、命を、つないでいる。

食べなければ、死ぬ。
死なないために、生き物を、食べるのである。
この、当たり前のことが、日本では、遠くに押しやられている。いや、先進国は、皆、同じである。

ブロイラーばかりを、食べていると、本当の、鶏の味を知らない。
食べるための、鶏を、機械的に、作るのである。
本当の、鶏の肉は、硬いのである。

ケンタッキーという、店の、鶏肉など、食べていると、必ず、滅びる。
美味しいのではない。餌として、与えられているのである。

更に、ジャンクフードである。
ハンバーガー・・・などなど・・・
あれは、皆、餌である。

本当の、ハンバーガーを食べてみると、良い。
実に、美味しいか、不味い。

何の肉が、入っているのか、解らない。
食用ネズミ、食用ウサギ・・・などなど・・・食用カエルか・・・
ミミズかもしれない。

サイコロ牛肉・・・あれは、作り物。とんでもないモノを入れて、作られる。
何から、何まで、嘘を、食べているかも・・・しれない。
安い、回転すし・・・
皆、騙されている。

そうして、年間、四キロの、添加物を体に取り入れている。
解毒作用・・・そんなものを、超えている。

今の、四十代以下の人たちは、ニセモノを、食べ続けたのであるから、とんでもない、病気にかかるだろう。

気づいた時は、遅い。
更に、中国産のもの・・・あれは、すへでが、毒だといっても、いい。
貿易・・・中国と・・・信じられない。自国民にさえ、毒を食べさせて、平気でいる、国である。
反日の、中国人が、日本に、真っ当なものを、輸出するか・・・

日本人など、死ねとばかりに、毒を入れるだろう。

中国製品が、安いのは、単なる、罠である。
他民族は、死ね・・・と、思っている。

安いものは、危険である。
私は、高い値段のものが、割引になるのを、待って買う。
とても、旅日記の、主旨と、かけ離れたことを、書いたが、このまま、掲載する。

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2010年10月15日

チェンマイの風 15

食事を終えて、本日は、学校での支援をして、そのまま、チェンマイに、戻る予定である。

私は、子供たちに、手渡して、終わると、考えていた。
子供たちは、おおよそ、70名という。
少し心配なのは、全員に渡せるかということだ。

船便で、送っておいた、ダンボール箱が、二つ、バッグが、四個である。

すべてを、車に積み込み、学校に向かう。
その前に、お母さんに、さようならの、挨拶である。
お父さんは、出掛けていたので、会えない。

小西さんの、奥様と、お嬢様も、一緒に、チェンマイに戻るという。
全員で、行動である。

帰り道にある、学校に到着する。
すると、何と、子供たちが、待っていた。
更に、手渡す前に、子供たちによる、私たちへの、歓迎の芸である。

民族舞踊の披露と、竹竿を使った、面白い遊び方を、見せてくれた。

女の子たちは、皆、白い民族服を着ている。

私たちは、四名が、並び、挨拶する。
そして、コータを中心に、王様賛歌を歌うことにした。

更に、辻さんに、さくらさくら、を、歌ってもらう。

五歳程度から、12歳程度までの、子供たちである。
どうも、学校入学前の子供たちも、いるようである。

聞いていた、人数より、多い。
果たして、足りるか・・・

いよいよ、一人一人に、手渡すことになった。
男の子と、女の子を、分けて、私が、男の子、辻さんが、女の子を担当する。

一人一人に、合わせた、衣服、ズボンなどを、手際よく、手渡していく。
小さな子供から、はじめた。

子供たちは、控え目である。
一人、一人に、手渡すという、私の活動。必ず、顔と顔を合わせる。
渡す時に、私は、オッケーと、声を掛ける。
子供が頷く。

次第に、汗だくになる。
日差しも強くなる。

一時間ほど、かかったかもしれない。
最後に、赤ん坊用の、物を持ち上げて、赤ん坊のいる人は・・・と、私が問いかけると、それが、通訳されて、女の子たちが、手を上げる。
その時は、少しばかり、取り合いになったのが、面白い。

そして、更に、大人物もあり、お父さんや、お兄さんのいる人と、問いかける。
手が上がる。

私は、大人物が、別にして、取り分けられているのを、知らず、それも、子供たちにと、思ったが、辻さんが、先生たちに、渡すものだと、教えてくれた。

先生たちも、必要だったのだ。

ということで、すべての、支援物資が、無くなった。

すると、小西さんが、子供たちのために、ギターや、歌を披露して欲しいと、言いに来た。

子供たちが、整列して、座る。

私は、千葉君に、ギター演奏を頼んだ。
野外での、演奏が、どのようになるのか・・・
ところが、ギターの音が、響くのである。
感動した。

更に、辻さんに、歌を披露してもらう。

最後に、先生たちも、呼んで、辻さんは、踊りをつけながら、大きな栗の木の下で・・・を、歌う。先生たちも、それを、覚えようとしている。

三度ほど、繰り返して、先生たちが、覚えた。
子供たちも、立ち上がって、真似をしている。

辻さん、が、後で言う。
バリ島の子供たちと、会った時に、カレンの子供たちも、この歌を知っていると、いいことだ・・・・と。
えっーーーーー

バリ島の子供たちと、カレンの子供たち・・・・
どうして、そんなことが、考えられるのか・・・

距離感覚からしても、会うのは、実に難しいはず。

辻さんの、飛びぬけた、その感覚は、素晴らしいのか、飛躍しているのか・・・
私は、絶句した。

まあ、兎も角、楽しく終わったので、考えないことにした。

車に乗り込み、さようなら、である。
皆さん、また、会いましょう。
子供たちが、手を振る。
先生たちは、頭を下げる。

また、会いましょう。また、逢いたい。

車は、チェンマイに向かった。
私は、急に、眠気である。疲れた。
しばし、揺れる車だが、うとうとする。

そして、ようやく、舗装された路に出た。
カレンの村に来るのは、大変である。
穴ぼこの路を、走るのは、とても、運転技術がいる。

チェンマイ市内に、入り、ホテルに向かう。
同じホテルではない。
コータが、見つけた、新しいホテルは、ナイトバザール周辺のホテルである。
夜が、騒がしい場所。

明日、三時まで、一つの部屋を使用するということで、三つの、部屋を予約していた。
一人、800バーツ。私とコータの部屋は、1100バーツである。
朝食が付いている。

ホテルに着いて、小西さん一家と、最後の、食事をする。
時間は、一時を過ぎていた。

食事を終えて、部屋に入ると、今までの、疲れが、一気に出た。
終わった・・・・・
終われば、あっという間の出来事である。

まさに、人生、そのもの。

いずれ逝く
この世のことを
捨ておきて
何事も無く
あはれ が残る


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2010年10月16日

チェンマイの風 16

部屋に入り、すべての予定を終えたと、安堵した。

浴衣を脱いで、シャワーを浴びて、タイスタイルに着替える。
コータは、夕方から、友人の家に泊まりに行くので、私一人である。

夕食までは、休む。

疲れ過ぎると、疲れたことを、忘れる。

一週間、毎日の予定。こんな旅は、初めてである。
観光旅行ならば、なんでもないだろうが・・・

寝るしかないと、思うが、眠られない。
ただ、ベッドに、体を横たえるだけ。

マッサージに行く気も、起きない。
更に、旅を振り返るのは、早過ぎる。

明日、夕方五時半の飛行機で、バンコクへ、向かう。
そこで、一泊して、深夜空港に行き、朝の三時過ぎの、搭乗手続きを、待つ。

帰国を前にすると、次のことを、考える。

出来れば、今年、11月から、12月にかけて、バンコクに来て、そこから、カンボジアのプノンペンに行きたいと、思う。
更に、来年の、三月は、タイの、メーソートにて、ミャンマー難民の子供たちに、衣服を渡したい。

ミャンマーの、マンダレーに、慰霊に行きたい・・・

体が、疲れているのに、頭が、冴える。

日本では、毎日、物を書いているせいか、頭の中で、文章を作っている。

・ ・・であり、・・・だから、なになにだ・・・
それが、終わらない。
更に、疲れる。

辻さんからも、千葉君からも、連絡が無い。きっと、寝ているはずだ。

今夜は、ナイトバザールを回り、その中で、食事をする。

今回は、初めての慰霊の場所である、野戦病院跡と、お地蔵さんの寺である。
それを、思い、次の慰霊は、河原で、行いたいと、思った。
どこにあるのか、解らない、遺骨の主の、ために、河原での、追悼慰霊の儀を、行う。

ビルマ戦線に、出た、日本兵の数は、十万人以上であり、その半数以上が、戦死、病死、餓死・・・そして、自殺も、多かった。
自殺とは、自決でもある。

インドの、ビルマ国境近くの、インパールにて、イギリス軍を追い出そうとしたが、撤退を、余儀なくされた。
その際に、斃れた兵士が多い。
何せ、ビルマの山々を抜けて、タイを、目指したのである。

動けなくなった兵士は、頼むから、ここに、置いていってくれと、言った。
皆に、迷惑を掛ける。
そして、皆が、去ると、自決したのである。

更に、累々と、歩く道端に、斃れた。
その、死体を、置いて、歩き続ける兵士たち。
その、思いは、どんなものだったのか・・・

敗戦後、65年を経て、人々は、戦争を忘れる。
私は、忘れないように、追悼慰霊を行う。

外が、薄暗くなってきた。
そうすると、少しは、涼しくなる。

チェンマイの風、とも、お別れである。

コータが、出かけて、夜は、三人で、食事をする。
辻さんも千葉君も、この辺りは、初めてである。

知った振りして、私は、案内を始めた。
まず、市場に行き、食事をする。

タイ料理である。
汁そばを、食べることにする。
しかし、その量は、少ない。日本のラーメンの、三分の一。
千葉君は、大盛りにしたが、それでも、たいした量ではない。

辻さんは、タイに来ると、俄然、奢るという。
ここは、私が・・・
そう、安いからである。
だから、いつも、ここは、私が・・・

三人で食べても、日本円にして、300円と少し。

そして、ナイトバザールを歩く。
一軒の、お香屋さんを、見つける。辻さんの、求めていた、お香が、沢山ある。
私も、チェンマイ名物の、お菓子や、ナッツを買う。

そして、更に、別の、食べ物屋市場に行き、デザートを食べることにする。
私は、アイスクリームで、二人は、ココナッツジュースと、辻さんは、バナナのなんとか・・・で、とても、甘い。一口食べたが、あまりの、甘さに、うんざりした。

私は、まだ、何となく、腹の満たしがないので、もう一度、麺類を注文するために、立った。食堂街のような、場所で、チケットを買い、それで、注文して、払う。
31バーツ、90円である。

それで、十分になった。

ぶらぶらと、歩いて、ホテルに戻る。
千葉君は、少し周囲を散歩するという。
店の中に、引っ張りこまれないようにね・・・と、私が言う。
カラオケ屋がある。置屋もある。スリもいる。

暗闇は、気をつけて・・・というものの、どこでも、暗闇は、注意である。

チェンマイの、夜は更けていく。

本当に、ご苦労さんでした、である。


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2010年10月17日

チェンマイの風 17

翌日、午後三時、ホテルを出発。
何と、小西さん一家が、見送りである。

小西さんの車に乗り、空港に向かい、そして、搭乗手続きをして、最後の、お茶会である。

空港のレストランにて、全員が、名残を惜しむ。
無口な、奥様も、寂しいと、言う。
小西さんには、最後まで、このようにして、頂いた。

私は、小西さんを、武士であると、認識している。
それに、裏切られたことは、一度も無い。当たり前であるが、これほど、誠実に対応してくださる方は、今時、本当に、珍しいのである。

私たちが、乗り場口に入るまでの、見送りである。

頭を、下げるしか方法が無い。
四名で並び、深く、お辞儀をした。
ありがとうございます

そして、待合室に、向かう。
姿が、見えなくなるまで、小西さん一家は、見送ってくださった。
家族に、幸あれと、祈る。

そして、私たちは、一時間で、バンコク入りした。

辻さんと、千葉君は、初めての、スクンビット通りである。
そして、私たちが、いつも、泊まる、ゲストハウス、一泊、600バーツの部屋に泊まる。1800円。

日本人は、泊まらない、ゲストハウスである。
大半が、アラブ人、インド人である。
そして、近くに、アラブ人街がある。

ナナプラザ、高架鉄道、ナナ駅近くである。

すでに、夕食の時間で、荷物を置いた私たちは、アラブ人街に行き、インドカレーの店に、二人を連れた。

私も、コータも、大好きな店である。
インド人が、経営する、インドカレー・・・

千葉君の、表情が、楽しみである。

それぞれ、カレーを店先で選び、ナンを四枚注文する。

食べ初めて、千葉君も辻さんも、美味しいの、連発である。
千葉君は、一日半の滞在で、三度も、食べたという・・・・

ナンを追加注文した。
二枚。大きいが、すべて、食べた。

明日の夜は、空港で、過ごす。それも、二人には、初めてのこと。

その夜は、それで、精一杯。
うろうろすることなく、ゲストハウスに戻る。

ゲストハウスでは、馴染みの従業員、全員が、ミャンマーからの、出稼ぎの人たち、に、迎えられて、笑顔で、元気・・・日本語で、話す。向こうは、英語と、ミャンマー語で話す。

新しい、ボーイも、いた。
彼には、後で、コータが着ていた、ジャケットを差し上げた。

朝は、ゲストハウス裏、つまり、地元の人たちが、食べる食堂に連れた。
路面に出ている、出店である。

おかずを選んで、ご飯を貰う。
テーブルを、四人で囲み、食べる。
美味しい。そう、美味しいのである。
苦瓜のスープを、注文する。
それも、美味しい。

私が、支払いをした。150バーツ。450円。
私たちは、いつも、こういう食事をしていると、理解した、二人は、安さに驚いている。
そして、それを、楽しめるという、感覚。これは、テラの会の、醍醐味である。

その辺りは、通りに、日本と同じ価格の店が多い。しかし、行くことは無い。実際、何の面白みもないのだ。
地元の人と、同じように、鶏肉の焼いたものと、カオニャオ、もち米を買って、ゲストハウスで、食べることもある。それなら、100円以内である。

更に、昼は、少し歩いて、麺類の店が出るバザーがある。
昼は、銘々で、食べることにした。

その辺りは、道端に多くの、店が出る。
何でも、安い。
だが、アラブ人街では、それの、倍の値段だと、教える。
観光客値段になるのだ。

道を一本変えただけで、現地価格になる。

12時、チェックアウトなので、二つの部屋を、空港に出るまで、使う。
タイに、出たら、日本の価格を、忘れること。
タイの、価格に合わせて、考える。

辻さんの、部屋は、フロントの前の部屋であるから、実に安全である。
24時間、人がいる。

そうして、いよいよ、夜。
辻さんが、もう一度、カレーを食べたいと、言う。
千葉君は、昼もカレーを食べたというが、もう一度、行くという。
私は、付き合うことにした。
コータは、腹の具合が悪いと、部屋にいた。

私も、何となく、満腹感覚である。が、カレーは、食べられる。
そして、食べ終わり、折角だからと、アラブ人街を見て回った。といっても、大した広さではない。道、三本程度である。

そこから、出ようとした時、果物を売る屋台があった。
そこに、マンゴーが、並んでいる。
辻さん、千葉君が、それを、買う。
切ったものではない。そのままのものである。辻さん、三個、千葉君、五個。
えっ、もしや・・・
お土産という。

何も言うまい。

潰さないように。
タイの、マンゴーの美味しさに、憑かれた、二人である。

後で聞いたが、辻さんは、太ったらしい。
えっ、タイで、太る・・・
ストレスが大きかったのでは・・・
いや、楽しかったのだという。

二人は、来年の、話をしていた。
私は、来年は、一度休みたいと、コータに言った。疲れたコータも、そうだね・・・
慰霊と、支援と、コンサート、カレン村の訪問は、少し疲れる。それも、休みなしの予定である。

空港に出る時間まで、ベッドで、休むしかない。
食べ過ぎだ。


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2010年10月18日

チェンマイの風 18

100キロ近くの、支援物資が、無くなったので、移動は、楽々。
私は、自分のバッグと、支援用の一つのバッグに、すべてのバッグを詰めて、一つだけ。

空港へは、夜11時に向かった。
二台のタクシーに、分譲して。

五年前は、タクシーと、料金の交渉をして、500バーツとか、400バーツという、料金だった。が、今は、メーターである。
メーターでなければ、乗らない。更に、降りる。

すると、空港までは、200バーツである。600円。
1500円とは、大違い。

最後は、辻さんと、一緒に乗った。
もう、運転手と、喧嘩をすることもない。
ホテルに向かうときは、千葉君と、一緒である。運転手と、喧嘩した場合のことを、考えて・・・

さて、車は、スムーズに走る。
とても、早いスピードを出す。
夜の、空港近くは、見事な、電燈の光が、美しい。

これから、四、五時間空港で、待つのである。
それも、二人は、初めて。
私は、二人を、私たちが行く、一階の、社員食堂のようなところに、連れてゆこう、アイスクリームを食べるために、三階に行こう、とか、考えていた。
しかし、空港に着くと、皆、途端に、疲れを感じたのか、ベンチに座り、そのうちに、体を横にして、寝るのである。

結局、どこにも行かず、私は、タバコを吸うために、外に出たり入ったりを、繰り返し、搭乗手続きを待った。

このまま、皆が、寝込んだら、乗り遅れてしまうと、私は、一人、起きていた。

24時間の、ハブ空港である。
深夜、二時から、四時までは、離陸する飛行機がない。
少しの間がある。

カウンターオープンの、点滅を待ちつつ、過ごす。

深夜でも、職員が、働く。そして、警備員たち。
床磨きをしている、様を、見ていた。
客が、少ない深夜にするのだろう。

私は、相変わらず、外に出たり入ったり、そして、トイレに行く。
水を飲み続けているので、トイレが近くなる。

しかし、矢張り、疲れる。
時々、皆のベンチに、戻り、体を横にするが、眠らない。

辻さんが、印字してきたという、私のエッセイを少し読み、まあ、なんてことを書いているのだと、一人感心する。
自分の書いたものを、忘れているのである。
自分の書いたものを、読み返す時間は、無い。

兎に角、書き続けている。
しまいに、それを、読み込んでしまった。
実に、雑な、文章である。

さて、また、ボードを見るために、起き上がる。
まだ、オープンしていない。

それを、何度も繰り返し、三時過ぎに、オープンの点滅である。

それっ
皆を、起こす。
始まったよーーー

登場手続きの、四階に上がる。
すでに、人が集っている。どこにいたのか・・・この人たちは・・・

変な日本語で、
この荷物は、あなたのものですか
知らない人から、預かったものは、ありませんか
など、聞かれる。

そして、登場手続きである。
荷物の重さは、問題無し。

次は、出国手続き。
人がいないので、すんなり、進む。

そして、いよいよ、乗り場の待合室。
と、私が、皆に、アイスクリーム食べないのと、聞くが、結構です、の、答え。
面白くない。

仕方ない。私は、喫煙室に向かう。
待合室は、まだ、開いていないのだ。

皆、その辺りの、ベンチで、体を横にする。
旅の最後は、疲れが、出る。

喫煙室では、色々な国の人が集まる。それが、面白い。
日本の、兄ちゃんが、タイで、遊んだという、顔をして、タバコを吸う。
日焼けして、更に、下半身を、使い果たして・・・
ご苦労さんである。

何度も、喫煙室を、出たり入ったりする。

出発一時間前に、待合室が開いた。
いよいよ、帰国である。

私は、飛行機で、眠る。
扉が閉まると、私は、最後尾の席に移動する。
体を、横にして眠られるからだ。
これが、私の方法。
シートベルトを締めると、もう、眠りに入る。
機内食が、出るまで、気づかない。

機内食が、始まる前に、安定剤を、飲む。
そして、食べると、体を伸ばして、到着まで、眠り込む。

今回も、墜落しないで、日本の成田空港に、着陸した。

数え切れないほど、成田空港を、利用している。
日本の風は、涼しかった。
ああ、また、適応障害になる、日本である。

おしまい


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