2010年06月13日

神仏は妄想である 272

平安期の、密教とは、どのようなものだったか。

奈良六宗と、本質的には、変わらない。
国家安泰、天災や、個々人の幸不幸に関する、祈祷である。
だが、奈良諸宗は、迷信と化し、頽廃していた。

それを空海は、見抜いた。
このままでは、駄目だ。
国家も、人々も、離れてしまう。

密教の、重要な実践は、祈祷と、修法である。

空海は、全く、新しい、呪術の場を、構想した。

秘密荘厳心を、人の目に見える形で、行ったのである。

即身成仏とは、眼に見えるものであり、身体で実感できるものでなければならなかった。わたしが仏教享受における第二義の道といった造型能力を、第一義の道たらしめた根源はここにある。「大日経」「金剛頂経」にもとづいて、四種の「まんだら」を説いたのがそれである。
亀井

この、曼荼羅は、タントラから、出たことは、前に書いた。

四種の曼荼羅は、相互に不離であり、すべて大日如来の顕現である。
大日経にいう。「一切如来に秘密身あり。曰く字・印・形象なり」彼はこれを説明して、「字」は法まんだら、「印」は三昧耶まんだら、「形象」は大マンダラであると言う。
亀井

そして、この三種の身に、それぞれの、威儀事業ありとし、それは、かつま・まんだらと呼び、四種のまんだらを説く。


ここであきらかなことは、仏菩薩の画像と、所持の用具と、文字と、彫刻と、この眼にみえる造型世界そのものが、大日の秘密身に表現とされていることである。眼にみえない仏菩薩の礼拝だけではない。これらの造型世界を礼拝し、その秘密に参入することが、大日の秘密身に参入することである。新しい呪術の場は、この目的のために構成された。
亀井

実に、見事な、演出である。

稀代の詐欺師は、演出家である。

金銀、朱、緑、黄などの強烈な色彩を施したまんだら図や、これら諸像の前で護摩をたき、火焔の立ちのぼるなかで祈祷するわけである。炎の高さは一メートル半にも及び、それがゆらぐたびに、背後の図像や周囲の彫刻もゆらぐようにみえ、あたかも現実に仏菩薩があらわれたような幻覚に人々を導き入れる。
亀井

その中で、呪文が流れ、全宇宙と荘厳と、神秘が出現する。
眼くらましである。

あたかも・・・の如く・・・である。
人は、その建物だけでも、騙される。
宗教施設が、豪華絢爛たれば、それだけでも、人は、何か、有難いものを、感じる。
それに、儀式がつけば、更によい。
そして、音楽である。

大勢の人間が、お題目三唱すれば、現実に無い世界を、感じるものである。
これが、真実であるという、錯覚。

演劇性に、人間は、取り込まれる。
演劇は、芸術であるから、その場から離れた瞬間、現実に、戻るが、宗教の、演劇性は、持続して、迷いの世界に、没入させる。

更には、騙しの世界に、没入していることも忘れ、のめり込み、狂信者として、成長する。

宗教的虚構の極致だが、芸術的構築の、最大限の宗教的活用といってもよかろう。
亀井

まさに、その通りである。

密教道場とは、一種の神秘劇の上演される場である。仏と人間の交響楽の奏される場である。
亀井

それは、違う。

そこに、仏など無い。
あるわけがない。
仏と人間の交響楽とは、言葉の綾である。

妄想の確実性である。
どうしても、仏、菩薩というならば、私は言う。
おおよそ、そのような、演出に、関わるのは、魔界の仏、菩薩、神々であろう。

万が一、仏や、神というものが、存在するならば、それは、自然の中に、隠れて、おわすものである。
決して、人間の演出の中には、存在しない。

建物、造型、儀式の、本質は、騙しのテクニックである。

立ちのぼる護摩の炎の光は、おそらく決定的な効果をあげたであろう。それは造型にひそむ「生命」を導き出して躍動させるとともに、祈祷する人々の心を浄化する火である。
亀井

自己暗示も、甚だしい。

自然発生として、出来た伝統である、祭りや、踊りなどなどは、納得するが、見世物として、人心を惑わすものは、魔物である。

空海にとって、信の秘密に直面することは、美の秘密に直面することであった。この合致が秘密荘厳心である。
亀井

評価のし過ぎである。

まだまだ、空海の、編み出した、いや、インドタントラから、取り出した、演出が続く。



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2010年06月14日

神仏は妄想である 273

空海の、代表作である、十住心論を、わかりやすく、簡単に説明する。

人間の、迷妄とともに、それを脱して、安住しようという心を、住心と呼び、空海は、その段階を、十にして、示した。
手本は、大日経である。

第一住心は、極悪の自己満足の心である。
殺生、盗み、姦淫、妄語、悪口、貪欲、憎悪、嫉妬などの、あらゆる罪を犯して、それを、自覚しない。
すべての、心の出発点としている。

第二住心は、第一の中にも、必ず、善心は、芽生えるものだという。その心を、幼童に、なぞらえる。
求道の心を、極悪人の中に、求めたことで、絶対悪が、存在しないことを言う。
そこでは、道徳的感覚の、芽生えと、その成長に応ずる、儒教の徳目をあげている。

第三住心は、善心が、芽生えて、道徳生活を送るが、さらに、宗教的生活に入ろうとするとき、仏教に帰依せず、それ以外の、宗教を求めて、修行する。
ここでは、道教や、神仙思想が含まれる。
仏教以外の、宗教的人間である。

第四住心は、仏教の初門である、声聞乗の人々である。
無我を悟った境地である。
我執を離れ、阿羅漢となった人である。
阿羅漢とは、小乗仏教の、悟ったものを言う。

第五住心は、声聞の、ひとつ上の、縁覚乗の人が、十二因縁を観じて、迷いの無知を退け、苦を滅した、境地である。
悟りは、深いが、他を教化する、慈悲に欠ける。
教化する行為を、菩薩行というが、それが無いのである。
菩薩とは、大乗仏教の悟ったものをいう。

第六住心は、第四、第五における、修行と、悟りの個人性から、脱却し、万人に対する、無差別平等の、慈悲心を起こす、大乗利他行為の心である。
これは、奈良六宗の、唯識法相を、その初門とみなした。

第七住心は、生死即涅槃の、即である。
つまり、大乗仏教に共通する、色即是空の、即、である。
奈良六宗の、三論宗の、教えを受けて、悟った境地を言う。

第八住心は、一道である。一仏乗の意味であり、すべての人の心の中に、如来蔵仏性があるという、心性は、本来清浄であるというもの。
天台宗の、教理を学んで、悟ったものである。
善人アホの、最澄が、悉皆成仏と、言った、すべての人には、仏性があるというもの。

第九住心は、極の究極である。
究極において、空性を悟り、一切法無自性の理に達した心。
華厳宗によって、悟ったものをいう。

第六から、第九までは、顕教に即した考察である。

密教体系から言えば、第六は、弥勒菩薩、第七は、文殊菩薩、第八は、観世音菩薩、第九は、普賢菩薩である。
その、四菩薩の、中心として、大日如来という、創造の仏がある。

勿論、他の菩薩も、観念である。
はい、私が、弥勒菩薩ですという、存在ではない。
観念であり、妄想である。

第十住心は、秘密荘厳心、つまり、自身が、肉身のまま、大日如来の、妙色身であることを、自覚した境地である。
つまり、即身成仏である。
自らが、秘密身と、化した、境地である。

求道の諸過程と、それぞれの型を体系化し、秘密荘厳心を最上究極のものとした。彼がいかに明晰の人であったかがわかるとともに、理知の究極が、神秘主義に達する過程を示して興味深い。
亀井

他宗派にとっては、至極、迷惑なことである。
だが、空海は、他宗派とは、争わない。

普遍的人間とは、否定的要素や様々の段階や矛盾をも内包することにおいて普遍的人間なのではないか。
亀井

空海は、平安期に、新しい仏教体系を作り上げたと、言ってよい。
その後の、鎌倉仏教などは、子供の遊びに似る。
ぐだぐだと、屁理屈のオンパレードである。

空海の、野心は、壮大だった。
その野心は、勿論、妄想による、野心の完成である。

今でも、日本の仏教から、空海の、影響を切り離して考えることは、できない。

そして、空海を、見つめた、亀井は、最後のところで、誤った。

曼荼羅は、輪円具足と漢訳されているが、車輪のそれぞれの機能の完全なように、諸仏如来の真実功徳の完全なることを意味している。完全とは、不完全なものをも包容することにおいて完全なのではないか。
亀井

この言葉遊びに、迷う人、多々あり。

タントラの伝統を、抜き出して、作られたのが、曼荼羅である。
タントラを、見るべきである。

宇宙の凝縮を、見るならば、一輪の花を見ればよい。
人の手による、曼荼羅、絵を、儀式に使うのはよしとして、あたかも、曼荼羅に、何事かあると、思い、信じるのは、妄想に、他ならない。

あれは、単なる、絵である。

人の観念を、描いた、絵である。

あのような、世界は、無い。
ある訳が無い。

空海、本人の、思念の中にあるのであり、他人には、全く関係無い。

空海の、業績は、評価するが、空海の、仏教論、密教論は、他人には、無用のもの。
それを、拝むなどとは、呆れるのである。

空海は、詐欺師というより、作話師である。
作家である。

人騒がせな、ファンタジーを書いたものである。
あれ以来、どれほど多くの人が、それにより、人生を棒に振ったか。
更には、迷ったか、計り知れない。

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2010年06月15日

神仏は妄想である 274

三密とは一に身密、二に語密、三には心密なり。法仏の三密とは、甚深微細にして等覚十地も見聞するあたはず。故に密といふ。・・・・衆生の三密もまたかくのごとし、故に三密加持と名づく。もし真言行人あつて、この義を観察して、手に印契をなし、口に真言を誦し、心三摩地に住すれば、三密相応じて加持するが故に、早く大悉地を得。
即身成仏義

人が、この法則を、昼夜に精進すれば、生身のままに、五神通を獲得する。更に、修練すれば、この身のままに、仏の位を得る。
私が、現代語訳した。

つまり、修法とは、印契、つまり、指で様々な形をあらわし、真言を唱え、三昧の境地に没入する行為である。
それを、昼夜に精進すれば、法仏の慈悲と、衆生の信心が合致して、肉身のままに、成仏するという。

そりゃあ、昼夜、24時間も、そんなことをやっていると、少し感覚がおかしくなり、仏になったと、思うのも、無理はない。

ここで注目したいのは、空海は造型とともに、言葉・文字を重んじている点である。右の三密のなかの「語密」である。「即身成仏義」と併せて重要なのは「声字実相義」だが、次のような言葉がある。
亀井

如来の説法には必ず文字による。文字の所在は六塵「色・声・香・味・触・法」その体なり。六塵のもとは法仏の三密即ちこれなり。

声字分明にして実相あらはる。

真言とは則ちこれ声なり。声は則ち語密なり。

空海は、語密に、大きな意味を与えている。

漢字漢文は外来語だが、仏教信仰なくしては消化されなかったという点が大切だ。外来語を学ぶことは、語学力だけではなく、根本的には信仰の問題である。その起源を究明してゆくことによって、信仰の起原に直面せざるをえないからである。
亀井

日本に、漢語が入ってきたのは、儒教、道教、そして、仏教経典が多い。確かに、それぞれの、言葉の意味は、信仰に関することであろう。

信仰の起原に直面するという、亀井の言うことは、理解する。

日本風の「言霊」を仏教に求めたとき、空海は「語密」に直面したのである。

日本風の、言霊というが、その言霊に至るまでの、過程は、実に長いものである。
おおよそ、縄文期から、徐々に芽生えていったものである。

更に、伝統というものも、然り。
土人の生活に、文化も、文明もあるわけが無いという、アホがいるが、伝統は、土人生活時代から、培われてきたものである。

自然に、ある、文化形成に向かっていた。
そして、それが、例えば、万葉集に、結実した。
だが、それまでには、気の遠くなる、時間が必要であり、その時間の中で、熟成させ、伝統というものが、出来上がる。

言霊の伝統を、考える場合は、縄文期の、まだ、目覚めの前の、意識から、はじまっていると、考えることが、必要である。

更には、言霊の以前に、音による、文化が出来た。
私は、音霊、おとたま、という。
そして、その音霊の、数である。
私は、それを、数霊、かずたま、という。

象形文字から、文字といわれるまでに、どれだけの、時間を要したか。

象形文字の時代は、文化、文明など、存在しないという、理屈は、成り立たない。

言葉・文字による表現が、人間をいかに困惑せしめ翻弄するかという問題にもむすびついている。神々と人間、仏々と人間、人間と人間との結合とは、この翻弄関係に入ることだ。言語表現のもつ極度の微妙性、その複雑さや曖昧さにもとづくわけだが、人間にとってこれは永久の課題ではなかろうか。
亀井

文芸評論家らしい、疑問である。

空海は「語密」の名のもとに、言語表現の全過程にみられる秘密を凝視したにちがいないのだ。さきの造型とともに、彼の信仰体験が詩的体験であり、逆もそうであった理由はここにある。
亀井

声字分明にして実相あらはる。
空海

声、すなわち、真言、そして、文字が、ある種の過程を通して、実相があらわれる、というのだ。

桐山靖雄氏が、発声法を徹底したという、以前書いたものを、思い出して欲しい。

声に対して、徹底した、繊細にして、敏感なこと。
信仰の最も精妙な機能であり、「秘密荘厳心」の心臓部であると、亀井氏は、言う。

空海の、策略は、よく解った。
決して、事を曖昧にしない。

目に見えるようにする。
更に、耳に聞こえるようにする。

心の内にある、声にとか、文字にとは、言わない。
それが、空海の、マジシャンたる所以である。

手品師は、そこにあるものを、すべて、客に公開する。
そして、有るものが、消滅したり、無かったものが、現れたりするという、サービスをして、客を楽しませる。
そこには、トリックがある。

空海の、トリックは、人の心の、変容であった。
人の心に、あたかも、仏が、同化したかのように、錯覚させるという、高度な、トリックである。

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2010年06月16日

神仏は妄想である 275

ところで次にこういう問題が起こる。こうした信仰を徹底して行ったならば、宗教と芸術との差はなくなり、宗教は芸術のなかに解消するのではないか。造型や詩歌に没入するだけで、成仏出来ると考えられないだろうか。
亀井勝一郎

亀井の得意分野である。
信仰と、芸術、美への憧れである。

ステンドグラス美しい、教会の美に酔うことを、信仰と、勘違いしている、クリスチャンというのが、最も、よい例である。

新興宗教の教組たちも、造型、音楽、舞踊などいう、芸術行為を、利用して、その信仰を、鼓舞した。
信仰なのか、芸術活動なのか、解らなくなる場合もある。

宗教曲が、好きで、教会合唱に入っているうちに、音楽が好きなのが、信仰と、勘違いして、洗礼を受けるという人も多い。

勿論、宗教の方は、どんな形であれ、信者になることは、よいことである。
一人増えれば、上がりも、増えるのである。

経済不況でも、全く関係ないところに、僧侶たちがいる。
料亭の、上客は、僧侶だと、聞く。

私の知り合いの、芸者が、彼らの話を耳にした。

こんな商売やめられませんな・・・である。

信長ならば、その場で、斬り捨てるだろう、会話である。

信者の献金する、小銭を集めて、悠々と、遊びに明け暮れる。
児童買春、少女売春など、朝飯前である。
表沙汰にならないだけ。

アメリカ、アイスランドに、火の手が上がった、カトリック司祭の、男子児童に対する、性的虐待は、留まることを知らないようである。
ついに、法王が、被害者に、謝罪するという、前代未聞の展開になった。

勿論、日本の仏教は、そんなことは、歴史的に稚児制度の中で、男色行為盛んである。
今は、開放されて、女色に溺れる僧侶、多数。

一般人より、手がつけられない。

司祭も人間。僧侶も人間。
そんな、理屈は、通らない。
即座に、司祭も、僧侶も、止めるべきである。

しかし、日本の僧侶は、跡継ぎ制で、馬鹿でも、アホでも、寺院を継ぐ。

ある、仏教系の大学に通う、知り合いの学生から、聞いた。
あいつらが、寺の住職だとしたら、檀家の皆さんが、あまりに、可愛そうだと。

その行状については、省略する。

密教はいままで述べたような性格上、この可能性をはらんでいる。密教の密教自身による自己否定という矛盾を内包していると言ってよい。
亀井

声字実相義から、亀井が見出した結論である。
芸術行為は、執着愛着の世界であり、煩悩と悪因のうちにさ迷うものである。芸術行為は罪をつくるというのだ。空海はこれを「愚」とし、「法界まんだら」の建立を「仏の事業」となすかぎりにおいて、芸術行為を「智」とみなしている。それは信の行為であらねばならぬという当然の主張だが、ここで肝心なのは、「能く迷い能く悟る」という連続した表現をとっていることである。
亀井

でました、言葉遊び。

能く迷うことにおいて能く悟り、能く悟ることにおいて能く迷うということだ。「能く」は的確必至の意味である。迷わざるをえないし、悟らざるをえない、と言ってもよい。この矛盾と相剋と、それは動揺つねならざるものだが、ここにのみ秘密の無限性があるのではないか。
亀井

これは、亀井の、思想である。
空海の思想ではない。

このような、言葉遊びに、アホは、なにやら、深みを感じてしまうという、頭の悪さである。勿論、本人は、真剣である。

煩悩即菩提
華厳の言葉遊び。

あたかも、深遠な思想であるかのように、扱う。

煩悩即煩悩である。

即、という言葉で、誤魔化しているが、煩悩と、菩提を対立させている。

菩提は、妄想である。

煩悩は、煩悩に尽きる。

その、煩悩を、人間の健全な欲望に当てるという、限りなき、誤り。
人間の欲望は、自然の中にあるものと、同じである。

南極越冬隊員に、尋ねたことがある。
性欲は、どうなりますか。
ええ、ダッチワイフ等などの、オナニーグッズは、用意されていますが、南極の、朝の光を受けると、性欲など、吹き飛びますね。
あまりの、自然の様に、個人の欲望は、消滅するようです。

お解かりか、煩悩即菩提という、アホな連中さんたち。
寺の中で、なにやらしていると、煩悩が湧くのである。

南極でも出かけて、そこで、生活して、御覧なさい。
煩悩即菩提でございなどいう、言葉遊びなど、出るものではない。

寒中修行などするくらいなら、寒風吹きすさむ、日本海に出て、漁でもしろ、と、私は言う。


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2010年06月18日

神仏は妄想である 277

弘法大師伝説まで、多々ある空海の、その、バックボーンについたのは、誰か、何か。

そこで、司馬遼太郎の、空海の風景、から、引用する。

空海が住むべき寺はこと当時、無数にある。奈良には大寺がある。しかし空海を地方ではなく京に住まわせたいという希望は、他のどの勢力よりも奈良の旧仏教勢力においてもっとも強かったにちがいない。奈良の旧仏教勢力は最澄とその新体系を怖れることはなはだしかった。最澄を制しうるのは空海以外にいないとしたことは、かれらの存亡の危機意識から出ているだけに、空海の住寺をえらぶについても必死だったにちがいなく、むろん、土地は京がいい、宮廷に近ければ近いほどいい、ただ京というのは新興の王都だけに大寺がすくなく、結局は郊外ながら規模の大きさを利点として高雄山寺ということになったのであろう。

更に、空海が、意外にも、東大寺の別当、つまり、長官になったのも、陰に奈良の、仏教の存在がある。

新仏教を持ち帰った、空海が、旧仏教最大の拠点である、東大寺の長官になるとは、尋常ではない。
異常なことであると、司馬遼太郎は、書く。

この人事における、異常さは、そのまま奈良の旧仏教の焦りであり、危機意識であると、分析する。

南都六宗も、教学的に、新仏教の、取り入れを行いたかったはずである。
そこで、空海の、持論が、大いに救いになった。

それは、特に、六宗の中でも、華厳学は、一歩めれば、大日経の世界になるということである。

東大寺の中に、真言院をたて、その本尊である、毘遮遮那仏の宝前で、密教の重要経典である、理趣経を誦むべく規定し、現在に至るまで、東大寺の大仏殿で、毎日、あげられているお経なのである。

このことは、東大寺の華厳学をある意味では不透明にしてしまっていることにもなるが、しかしこの当時における奈良六宗の立場としては、教学を多少変えてでも新仏教による風あたりをやわらげざるを得なかったに相違なく、そういう奈良側の事情が、帰朝早々の空海を、にわかなことながら日本の代表的な高僧に仕立てあげざるをえなかったのである。
司馬遼太郎

更に、奈良仏教が、空海に、期待することは、宮廷である。
宮廷は、帰朝早々の、最澄によって、一時期、独り占めされたのである。これに対し、空海を、送り込むことによって、旧の状態に戻したいという、期待である。

最澄の、新仏教による、奈良側の被害を、少なくしたいという、願いである。

また、奈良仏教の、長老とは、政治的存在でもあった。

玄肪、道鏡などは、政治に介入して、自滅して以来、一般に、自制する気分があり、決して、表立っては、目立つ動きはしないが、裏面に精通し、時に、隠微な工作を行ったといわれる。

実は、空海は、この玄肪と、同流の血をひているのだ。
極端に、権力と、政争が好きなのである。

空海の、母方の血であり、空海の、少年時代に、基礎的な教育を施したのは、まさしく、母方の、叔父である、阿刀大足であった。
その叔父の、反対を押し切って、大学を辞めて、僧になる覚悟を決めたのである。

司馬遼太郎は、その玄肪と、空海の、類似点を上げている。

類のない秀才であったこと、留学生として入唐したこと。また長安のサロンでその学才が評判になったこと、唐の皇帝が召見したことなどである。多少違うのは空海の在唐が二年で、玄肪のそれが十八年であったことだが、在唐が長かっただけに、その学才を発揮する機会が多く、玄宗皇帝のごときはこれを愛するあまり三品の位をあたえ、紫衣をあたえたくらいである。・・・
さらに空海との類似点は、経綸五千余巻というおびただしい仏書を請来したことで、帰朝後のかれの人気はすさまじかった。一躍僧正に任じられたし、また聖武天皇の宮廷の内道場の主宰者にもなった。
司馬遼太郎

空海の、年少の頃から、30までの、時期は、凄惨な権力争いが、続いていた。

筑紫にて、踏みとどまり、和泉にて、山中に入り、京の宮廷と、長々と、避け続けていたという、異様な行動は、そういう配慮もあったのではないかと、司馬は、言う。

更に、そこに、奈良の長老たちが、助言した。

私は、時代性があり、時代精神があると、いった。
まさに、空海は、それに乗ったといえる。

空海一人の力では、後世の空海像は、出来ないのである。

ここでは、深く歴史的背景を、論ずることは、出来ないが、司馬遼太郎の、空海論を、示す。

日本の歴史上の人物として空海の印象の特異さは、このあたりにあるかもしれない。言いかえれば、空海だけが日本の歴史のなかで民族社会的な存在ではなく、人類的な存在だったということがいえるのではないか。
である。

確かに、空海の、学んだ、思想、密教、そして、その大日如来は、王も民もなく、人類を超越した感覚であろう。

何をも恐れぬ、ふてぶてしさは、空海の、学んだ、仏教、密教による。

唐に行き、多くの民族が、この世に存在することなども、見聞して、日本でも、天竺でも、どこでも、通用するものは、思想なのである。いや、空海に言わせれば、仏、更に、大日如来によって、包まれてあるものなのである。

勿論、当時は、それが、最新の教学であり、私のようなものに、妄想であると、断じられる何物もない。

空海の天下となるのである。

歴史を、どう生きるのかとは、歴史を、そして、現在を、突き放してみるのである。
古いも、新しいも、突き通したものを、もって、見る目である。
だが、しかし、悲しいことに、歴史は、進化する。
その、進化からは、何人も、逃れられないのである。

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2010年06月19日

神仏は妄想である 278

密教、特に、空海について、少し、書いてみた。
しかし、実際、空海の、輸入した、密教は、完全ではない。
それは、密教へ至る道の、途中のものである。

密教が完成するのは、その後の、インドである。
以前、タントラについて、紹介したが、実は、タントラが、密教完成の、ポイントであり、それは、チベット密教によって、今、それを、見る事が出来る。

それは、壮大な、妄想であり、また、実に恐ろしいほどの、内容である。
インド魔界が、関与して、はじめて、姿を現したといえる。

釈迦仏陀は、それを、見通していたと、思える。

釈迦仏陀の、教えが、完全に消滅してしまうのである。

法華経や、涅槃経などの、妄想は、まだ、漫画のようなものである。

上座部仏教批判から、大乗仏教が、新しい仏教運動として、起こったが、実際、それらも、頭でっかちに陥るのである。

つまり、理屈の、理屈を、はじめる。

竜樹などは、その典型である。
その他、諸々。

チベット密教について、書くが、チベット民族に関してではない。
あくまでも、妄想の、密教について書くのである。

チベット民族は、ある時期から、チベット仏教の、主を、国の主たる存在としたが、それは、それ、である。
現在も、チベット民族の、主である、ダライ・ラマが、インドにて、亡命政府を作っているが、それと、これとは、別問題である。

あくまでも、チベット密教についてである。

チベット密教とは、チベット人仏教者によって、伝承し、受容してきた仏教の一形態であり、その中核は、八世紀から、十二世紀の、インド仏教で成立した、後期密教である。

それは、現在の、中国が侵略して、チベット人が、住む、チベット自治区、四川省の西半分、青海省の南部、インドのラダック地方、スピティ地方の一部、ネパールのヒマラヤ山脈側、ブータンなどに、居住する人々である。

八世紀から、十二世紀は、仏陀亡き後、1700年を経ている。
そして、その年代は、仏教の歴史的最終段階に入る。

この時期、仏教に目覚めた、チベット人たちが、仏教の教えを、求めて、続々と、インド各地へ留学するのである。

そして、この時期は、仏教にとっても、特別な時期である。

かつて、インドの宗教に、君臨していた仏教が、衰退してゆく時期に当たる。
ヒンドゥー教の台頭、また、西方のイスラム教による、侵略により、その勢力は、縮小しつつあった。

その、状況下にあった、仏教が、最後の、切り札のように、極めて、怪しい、後期密教を、確立させたのである。

八世紀、グヒヤサマージャ・タントラ、秘密集会、の登場をもって、後期密教が、はじまった。

最大の特徴は、解脱のための、方法として、性的ヨーガ、性行為を導入したのである。

僧侶の性行為は、一切禁じられていた。
勿論、上座部も、大乗も、僧侶は、禁じられていたのである。

であから、戒律と矛盾する。
インド仏教が、滅亡するまで、それは、多くの仏教者を、悩まし続けた。

結局、インド仏教は、この難問を十分に解決することが出来ず、それを継承した、チベット仏教に、委ねられることになる。

解決するはずもない。
それは、最早、釈迦仏陀の教えから、遠いものである。
結論から言えば、密教は、仏教ではなく、新しい、宗教だと、私は、理解する。

何故、仏教に、取り入れられたかといえば、単に、そこに、仏教があったからであり、ヒンドゥー教なども、タントラを十分に、取り入れている。

更に、インドには、性典と、呼ばれるものは、四つほどある。
そのまま、性の聖典である。

少なくとも、日本仏教とインド仏教との間に広がるギャップの大きさに比べれば、チベット仏教とインド仏教との間のギャップはずっと小さい。
性と呪殺の密教 正木晃

さて、チベット密教は、チベット仏教に内包されている。
密教は、チベット仏教の、構成要素の一つである。

つまり、密教ではない、顕教である。

時間的に言えば、あとになり、密教が起こっている。
インド仏教の、末期において、密教が、登場するのである。

末期は、それらが、併存していたのである。

勿論、顕教は、論理を駆使する、理論研究では、はるかに、蓄積が多い。
だが、理論を現実に、導く霊肉を開発するための、修行など、実践面では、密教の方が、はるかに、進んでいる。

だが、私から見ると、密教の修行の先にある、即身成仏などは、我の即身成仏であり、上座部仏教の、目的と、変わらない。
基本に戻ったが、その方法が、あまりに、魔的である。

チベット仏教に残る、様々な、本尊画を見ると、あまりの、異様さに、驚く。
男女交合を主にした、仏の絵図には、仰天する。

それが、また、経典には、釈迦仏陀が、説いたものであると、書かれるのであるから、呆れるのである。

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2010年06月20日

神仏は妄想である 279

再度、歴史的に、仏教の変化期を、俯瞰する。

仏陀が、教えを述べて、約1000年、つまり、五世紀以降の、インドでは、ヒンドゥー教優勢が、明らかになってきた。

原因は、仏教が知的水準の高い人々を、布教の対象にしたことで、都市型宗教となり、僧院中心の活動に、始終して、農村や、一般庶民への、浸透をはからなかったことである。

更に、異民族の、侵入と、東西の交易の退潮は、都市の衰微をもたらし、僧院の、支援者であった、商人たちも、没落してゆくのである。

仏教は、出家型の宗教であり、現世の問題に、遠い。

現世を、肯定的に、捉える、ヒンドゥー教とは、対照的だったのである。
現世の森羅万象は、そう思うだけである、という、仏教の見解は、空理空論と、みなされた。要するに、空の思想などである。

苛烈さを増す、現実を目の前に、打つ手が無いという、状態であった。

当然、次第に、人々の支持を失う。

それを見て、現実に対処しようと、大乗仏教が起こるが、それは、ヒンドゥー教に対抗するものでもあった。

他者救済、利他行による、解脱があると、大乗は、説いた。
世の中に、積極的に、働きかけるものである。

しかし、ヒンドゥー教から、多くの、儀式を取り入れて、堕落する。

更に、ヒンドゥー教が、まだ、手を出していない、領域に、入ろうとした。

儀礼と、共に、ヒンドゥーの人気ある、神々を、仏教に帰依するという形で、取り入れたのであるから、呆れる。

日本に、流れ着いた、仏教の、守護神たちは、すべて、インド魔界の、神々である。

諸天善神などとは、真っ赤な嘘。
諸天魔神である。

法華経などは、無反省に、それらを、取り入れて、守護の神々としている。
要するに、研究が足りないゆえに、法華経が、カースト外の人たちが、書いたものだと、知らない。

法華経の中にある、御伽噺は、すべて、インドの常識を知っていれば、見抜けるのである。
カースト外だから、書ける、お話が、沢山ある。

更に、法華経を支持する者には、沢山の褒美が与えられ、法華経をけなし、攻撃する者には、罰が与えられるという、とても、低能ぎみの、脅しが多い。

それで、お話であるから、どのように、解釈してもいい。
そこで、文底にあるものなどという、解釈が、出てきて、仏教とは、思えない、教えを堂々となすのである。
日本の、法華経系の新興宗教は、特に、その傾向である。

結局、大乗仏教も、頭でっかちになり、釈迦仏陀が、説いた、行というものとは、遠くなっていった。

そこで、行の中心を、ヨーガに置くことになる。

呼吸抑制やイメージ操作など、各種の身体的技法を駆使する瞑想法を抜きにして、仏教が求める理想の心身は成就できない。
正木晃
ということで、大乗仏教は、再度、ヨーガに取り組むことになる。

であるから、大乗仏教の中に、密教が、芽生えるのである。

五世紀以後の、インドのヨーガは、大転換を迎えていた。
性欲に代表される、生命エネルギーを抑制して、寂静たる、解脱の境地を目指すという、旧来の道から、生命エネルギーを、活性化させて、更に、そのエネルギーを純化することで、解脱に至ろうとする道である。

この、事態を受けて、仏教密教は、霊と肉との、関係の再構築を企画した。

それは、霊は、霊のみによっては、不可能であり、肉の変革が、霊の変革を可能にするという、結論である。

いかに、大乗仏教が、釈迦仏陀の、教えを歪めることになったのかは、おおよそ、この時点である。

儀礼主義、象徴主義、曼荼羅に結実した、壮大な神々の、パンテオン、そして、霊肉の関係から、生まれた、修行法である。

これらを、駆使して、究極の仏、大日如来と、我が身が、同一であると、認識するという、妄想である。

五世紀から、七世紀に、行われた、大乗の密教は、おおよそ、釈迦仏陀とは、関係なのない、教えに、成り果てた。

その証拠は、初期の、密教は、呪術による、現世利益が、主であった。
解脱という、妄想には、達していない。

解脱という、妄想に達したのは、六世紀以降である。

中期密教という。

この辺りの、密教が、日本密教に取り入れられた。
大日経と、金剛頂経である。
だが、密教経典としては、修行法が、十分に確立されていない。
空海は、それを持って、すべてだと、信じた。
そして、勝手な解釈、勝手な、修法をもって、真言密教を立てる。

ところが、密教は、後期になって、完成するのである。

金剛頂経の、路線が、生成発展してゆくことになる。

そして、ヒンドゥー教が、躊躇していた、性のタブーにも、果敢に挑んだのが、大乗仏教者である。勿論、釈迦仏陀の教えなどに、おかまいなく、である。
そこでは、壮大な性愛の、エネルギーの全開があり、とんでもない、代物となって、現れることになる。

性的エネルギーを持っての、呪術であり、涅槃の境地である。
人間の妄想力には、本当に、感服する。


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2010年06月21日

神仏は妄想である 280

ちなみに、初期仏教の段階から、性機能が健全でなければ、出家は許されなかった。しかも、性欲が頂点に達する思春期以前に出家する必要があった。その理由を、ごく簡潔に表現するなら、仏教は性欲を修行によって悟りへの原動力に変容させることをもくろんだからにほかならない。
性と呪術の密教 正木晃

仏教と、性という、問題からの、切り口での、仏教というものも、面白い。

親鸞などは、全く、仏教に、相応しくないといえる。
妻帯するのであり、それを、僧でもなく、俗でもないと、平然として言う。
それでは、在家の集団として、仏教を、実践すれば、まだ、いいが、何と、結果、宗教団体になったのである。

更に、根惚けた説教を、繰り返した。
その、罪は、重い。

自分の迷いを、打ち明けて、それで、人心を、惑わすのであるから、親鸞は、実に、救われない。
だが、それを、哲学的、思想的だと、賞賛する、輩が現在も、多くいる。

浄土真宗などに、いると、決して、阿弥陀仏の極楽などには、行けないのである。

ただ、ただ、迷い続ける。

さて、性機能が、健全ということは、身体が、健全でなければ、出家できないということで、実に、正しい。
釈迦仏陀自身は、結婚し、子供も、もうけている。
その、経験に立った、見方である。

性を、制御できないのであれば、修行は、無理であると。
それでは、日本仏教愛好家の、連中は、皆、落第である。

皆々、妻を持ち、子供をもうけて、更には、性欲旺盛で、遊びまくっている。

日本仏教は、仏教とは、認められないということになる。
さながら、同好会程度であろう。

大乗仏教は、あろうことか、人間の諸々の行為も、また、本来、清浄なのだという、考え方をする。
これは、実に、特有の考え方である。

これは、大乗の最古の仏典、般若経によるものである。
そして、七世紀に、成立した、理趣経では、人間の煩悩は、もとより、性行為も、その快楽も、菩薩の境地に、ほかならないと、宣言している。

その、底辺には、インドの思想が、大きな影響を与えている。
つまり、究極の、智慧は、究極の快楽と、不可分の関係にあるという、認識である。

理想の、ヨーガには、最高の快楽が、伴うというものである。

つまり、大乗仏教というものは、時代のニーズに合わせて、造られた、創作されたものであると、いえる。

更に、インドの快楽主義肯定に立つものである。

インドの性愛については、別に書いている、性について、の、中で、書くので、ここでは、省略する。

以前、紹介した、タントラでも触れたが、生命エネルギーを活性化することで、解脱に至ろうとする、試みは、会陰部に潜む性的エネルギーを、特殊な身体技法を用いて、霊的な方向へ目覚めさせることから、はじまる。

その上で、身体の中心線に存在する、チャクラ、輪、と、ナーディ、脈管、と呼ばれる、霊的な器官の中を、上昇させて、性的エネルギーを、次第に、霊的エネルギーに変換させる。そして、ついに、頭頂のチャクラに到達したとき、絶大な快楽のうちに、最高の智慧を獲得して、解脱を遂げるという。

さて、大乗仏教の、へんてこりんな、考え方である、空の思想であるが、その、空の思想を、性の快楽として、捉える考え方が、登場する。

それを、大楽思想という。

ここでも、言葉遊びが、見られる。

聖なるものと、俗なるもの、それは、逆転する。
俗なるものの、極みが、聖なるものとなる、云々、である。

空を、快楽として、把握することと、聖なるものは、俗なるものと、不可分の関係にあると、みなすことは、合い通じているというのである。

両者を総合すれば、聖なるもの、の、極みとしての、空は、俗なるものの、極みとしての、性の快楽によって、把握できるという、霊的方程式が、出来上がるというのである。

かくて、性行為という、人間にとって最も根源的であり、誰しも避けては通れないものであるにもかかわらず、いやそれゆえにこそ、世界中のあらゆる宗教が忌避してきたもの、誰の目にも、俗の中の俗としか見えない行為、それこそが、人間を、わけても汚濁にまみれた末世の人間を、解脱や悟りという聖のきわみへと、いわばジャンプ・アップさせる唯一の方途なのだと後期密教経典は説き、インド亜大陸のそこかしこに、熱狂が渦巻いた。この段階に達した密教を、・・・チベット大学僧プトゥンは「無上ヨーガ・タントラ」に類別した。
正木晃

後期密教、八世紀後半の、秘密集会タントラ、ひみつしゅうえタントラ、では、仏陀は、あらゆる如来たちにとってあらゆる真理の源泉である複数の女性たちの性器のなかにおられた・・女性たちと性的ヨーガを行じておられた、という、文言を掲げて、登場した。

そして、十三世紀の初頭、インド仏教滅亡と、共に、幕を閉じたのである。

その間、500年、後期密教は、三つの方向に、展開した。
父タントラ、母タントラ、双入不二タントラ、である。

これでも、解る通り、大乗仏教は、釈迦仏陀は、置物である。
個人的考えを元に、勝手気ままな、妄想を、繰り返して、勝手に経典を、掲げて、我が思うところの、考え方をもって、釈迦仏陀の、教えと称して、世に迎合しつつ、無益な、言葉遊びを、繰り返し、終には、性行為の快楽に、解脱の道があるとまで、高めた、いや、卑しめたのである。

まだ、法華経や、涅槃経などの、御伽噺のうちは、可愛いものだが、ここ、ここに至ると、とんでもない、仏陀の教えとなってしまった、のである。

あらゆる如来たちにとってあらゆる真理の源泉である複数の女性たちの性器のなかにおられた・・・

女性たちと性的ヨーガを行じておられた・・・

大楽思想とは、よく思いついたものである。

人間から、性というものを、取り外すことは、出来ない。
性を肯定するのは、当然なことである。

しかし、釈迦仏陀は、一言も、そんなことを、言わないのである。
あえて、推論すれば、性というものを、制御することで、心を、乱さず、苦の中に、身を置かないことである、と、なる。

初期仏典の、どこを、どう探しても、性の快楽によって、などという、言葉は、無い。

在家の人々も、性を、妄りに、弄ぶのではなく、苦になるような、性愛を、求めるべきではないと、なる。

逆に、出家者は、女の膣に、ペニスを入れてはならないと、断定している。

一度、その快感を知れば、そこに、囚われるからである。
知らないで、心を、定めて、静かに息をし、心を、騒がせることなく、その心の、穏やかさを、保っていることであると、推論する。

だが、インド仏教衰退後、それが、チベットに渡り、まさに、呪術と、恐るべき霊能力を得るための、性の行が、始まる。

そこには、実に、危険な、反社会的思想も、登場するのである。


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2010年06月22日

神仏は妄想である 281

父タントラ、母タントラ、そして、両方を、兼ねた、双入不二タントラ。
タントラについては、以前に書いたので、そこで、触れなかったことを、書く。

母タントラである。
これには、呪殺や、黒魔術、オカルト的な、要素まで、取り込んでいた。

つまり、解脱のためには、何をしても、許されるという、解脱至上主義である。
実に、恐ろしい。
だが、出家僧院では、そんな理屈は、通るものではない。

後期密教段階の、インド仏教界は、解脱と、戒律を巡り、抜き差しなら無い状況に、追い込められた。

一つの、解決法があった。
性的ヨーガを、あくまで、観想として、行ずるということである。
つまり、呼吸法や、イメージ操作などで、身体技法の限りを尽くし、現実の女と、性行為を行ったときと、同じ心身状態を作るというものだ。

また、黒魔術、オカルト的なものも、仏教の教義によって、象徴的に、解釈することが、試みられた。

その一例は、大小便、血、精液などの、混合物を食すという、猥雑な行為も、いかなる、事物も行為も、仏から見れば、清浄極まりないものであると、考える。

これで、解る通り、大乗仏教以後は、屁理屈の極みをいったのである。

煩悩即菩提などの、言葉遊びにも、通じる。

だが、それを解決する間もなく、仏教最大の、拠点、ヴィクラマシーラ大僧院が、イスラム軍に、滅ぼされたのである。

後を引き受けたのは、チベット仏教となる。

ここで、少し、チベット仏教、密教の、歴史を、俯瞰しなければ、ならない。

チベット仏教は、七世紀中ごろ、古代チベット王国、ソンツェン・ガンポ王の時代に、はじまった。
この王は、チベットに、はじめて、統一国家を実現した。

唐、ネパールと、政治的にも、文化的にも、深い関係を持ち、王が唐と、ネパールから迎えた、王妃たちと、唐から、中国仏教を、ネパールから、インド仏教が、もたらされた。

密教の歴史は、八世紀の前半に、王位に就いた、ティデ・ツクツェンの時代に、はじまる。

この王のときに、「金光明経」が、輸入されたからである。

この経典は、護国、災害から、逃れる、そして、仏教の教えによる、統治を説く。更に、経典に、呪術的力があると、みなされた。
典型的な、現世利益の経典である。

更に、次の王を継いだ、ティソン・デツェンの時代、八世紀の後半は、古代チベットの、全盛期である。

唐の都、長安を一時的に、占領するという。
更に、シルクロードにも、進出して、敦煌を半世紀以上も、支配した。

その結果、王室、貴族たちを中心に、中国仏教を奉じる勢力と、インド仏教を奉じる勢力が、分裂し、更に、固有の信仰を守ろうとする、勢力もあり、熾烈な争いを生んだ。

王は、仏教を、積極的に、擁護する。
王は、インドから、ナーランダ寺院の、著名な学僧、シャーンタラクシタを招き、仏教擁護に尽したが、最初は、廃仏派の力が、強く、その試みは、失敗した。

だが、やがて、廃仏派の勢力を、削いで、再び、学僧を招いた。

このとき、在家の密教行者で、強大な霊力を持つ、パドマサンヴァが同行し、チベット土着の神々を、次々に、制圧して、仏教に帰依させたという。

人々に、密教の、威力を見せたのである。

この当たりから、怪しくなるのである。

チベットには、仏教が伝わる以前から、固有の信仰が存在していた。
ポン教である。
自然、自然現象の背後にある、神々の存在を認めて、崇める。

ポン教は、神々に、犠牲を捧げ、その意思を、霊媒を通して、知り、災害から逃れ、幸運を祈るのである。

この、ポン教に、密教の、霊的力を見せつけ、次第に、ポン教は、密教に、近づき、関係を深めることになる。

そこから、インド密教呪術と、ポン教の教えを、融合させて、チベット仏教の、ニンマ派という、有力な、宗派が、出来上がる。

ただし、ニンマ派の、密教は、七、八世紀段階の、インド密教であり、日本に導入された、密教よりも、新しいものである。

ニンマ派は、宗派としての、統一性は薄く、一人一派、一寺院一派という、意識が強い。

もともと、在家の密教行者を中心とした、宗教者を、一括して、そのように、呼んだのだ。

ただ、他宗派からは、仏教以外の要素が多いと、批判される。
だが、今も、庶民の支持は、強く、大きな勢力を持っている。

一方で、無上ヨーガタントラ系の密教、呪詛、調伏法などは、完成したばかりの、王権を揺るがすとみなされて、導入されなかった。

この頃、チベットには、中国や、敦煌から、禅系統の仏教が、勢力を広げる。
功徳を積まなくても、禅定のみで、悟れるとの、主張である。

だが、インド仏教では、功徳の集積を強く求めていたゆえに、両者が、衝突するのは、時間の問題だった。

794年、サムイェー寺において、インド仏教と、中国仏教が、対決するのである。

論争は、足掛け三年に渡り、結果は、インド仏教の、カマラシーラの勝利を、王が、宣言した。

この背景には、ただ単に宗教哲学上の是非にとどまらず、頓悟を主張して現実世界における善行の集積を無意味とする中国仏教に、現体制を否定しかねない危険性を王が感知した点もあった。少なくとも、現実世界における善行の集積を重要とみなすインド仏教の方が、そのことに関しては、ずっと安全だった。しかし、この論争はあとを引いた。論争後まもなく、カマシーラは暗殺された。王も同じころ没し、しばらくの間、チベットの政界と宗教界は混乱をつづけた。
性と呪殺の密教 正木晃

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2010年06月23日

神仏は妄想である 282

サムイェー寺の論争以降、チベット仏教の主流は、インド仏教と、決定した。

ただ、すでに発生していた、ニンマ派は、頓悟仏教要素を取り入れ、更に、禅を通じて、中国の道教思想も、取り込んでいた。
ニンマ派が、最高の修行法とみなす、大究境は、密教、禅、道教、そして、ポン教が、複雑に、絡み合ったものになった。

次の王、ティデ・ソンツェン王も、父と同じく、仏教を擁護し、仏典のチベット語の、翻訳に、大きな力を注いだ。

この王の、時代に、仏教訳語が、統一され、その後の、翻訳事業に、大きな影響を与えたのである。

九世紀半ば、仏教弾圧の伝承で、有名な、ダルマ・ウイドゥムテン王が、即位した。
実際に、弾圧したかどうかは、近年の研究では、疑問視されている。

ただ、この王が、暗殺されたことにより、古代チベット王国は、崩壊し、仏教も、衰退の道を辿る。

これまでの、仏教は、王権により、擁護されたものであり、民衆に支持を受けていたわけではない。よって、王権が、滅ぶと共に、滅んだのだ。

その裏側では、パドマサンパヴァに象徴される、密教呪術が、広く、民衆の間に、浸透していったのである。

さて、チベット仏教は、一度、滅びたが、次の、時代まで、100年を要する。

14世紀から、仏教弾圧までを、前伝期といい、この時期の密教経典を、古訳と呼ぶ。
中央チベットで、戒律の伝統が復活した、10世紀後半以降を、後伝期と、呼ぶ。
そして、それ以降に、入った、密教経典を、新訳と呼ぶ。

古訳を奉ずる人たちを、ニンマ派と呼び、新訳を奉ずる人たちを、サルマ派と、呼ぶ。

そして、仏教教団は、王室による、保護を失ったために、以前とは、異なる、形をとらざるを得ない。
新たな、形態は、傑出した、僧のもとに、弟子たちの集団が作られるもので、宗派集団が、現れたのである。

このように、教団が、成立したのも、100年以上に渡る、混乱期に、仏教が、民衆に浸透し、民衆の支持を得られたゆえである。

さて、10世紀の前半に、西チベットに、古代チベットの、末裔たちが、新王国を建設した。
この王国は、グゲ王国と、呼ばれ、歴代の王たちが、古代チベット同様に、仏教を保護した。

彼らは、戒律を重んじる、出家仏教を望んだが、成功しなかった。
この頃、インドにて、無上ヨーガタントラ系の、密教が、全盛期を迎えていたからである。

そして、後世への影響に、大きな足跡を残したのが、アティーシャである。
在家密教に、身を投じ、性的ヨーガを実践して、悟りの境地を得たといわれる。
しかし、在家のあり方に、疑問を持ち、30近くになって、出家し、あらゆる仏教を学び、インド最高峰だった、寺院、ヴィクラマシーラ大僧院の学頭の地位を得たといわれる。

グゲ王は、このアティーシャを、チベットに招いた。
彼は、西チベットをへて、中央チベットに入り、ラサ郊外のニェタンで、客死するまで、各地を、周り、教えを説いた。

アティーシャは、密教は、無上ヨーガタントラ系の信奉者であり、顕教は、中観仏教であり、個人的には、観音菩薩を信仰していたと、伝えられる。

アティーシャは、王の要望に応え、仏教を、簡潔にまとめる。
小乗、大乗、密教に、それぞれの価値を認め、それらを、一つの体系にまとめ、更に、密教の、無上ヨーガタントラに、至高の価値を与えた。

顕教と、密教を、一つに統合する可能性を示したといえる。

以後、チベット密教は、これが、主流となる。
やがて、ゲルク派の、開祖、ツォンカパによって、壮大な体系に、まとめられることになるのである。

アティーシャの、後継は、カダム派を創設し、戒律を厳しく守る、僧院仏教のモデルを示し、後世に、大きな影響を与えた。
カダムとは、伝統的、という意味である。

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