亀井勝一郎は、日本人の精神史に、そう書く。
そういう態度から、脱却して、選択仏教、専修を選んだ。
その訳は、衆生を救うためである。
その、傲慢極まりない、救済意識は、如何ともし難いのである。
更に、悪いのは、私は、救われない者だという、罪悪感溢れる、自己顕示の意識である。
それを、信仰の深さと、解釈、解説したのは、誰か。
皆々、教団から、金を得る者である。
救われ難き身であるから、弥陀の本願があるという、手前勝手な、思索を、深いと、理解した、自称知識人たちである。
さて、亀井は、その後に、こう続ける。
西行は密教の行者であり、浄土教の信者であり、法華経の持者であり、神ながらへの畏敬者であった。雑修の苦悩の涯まで歩いて行って、ついに唯一の信に達し得なかったことを私はさきに語った。結局は文学が障りとなったのではなかろうか。
と、言う。
これは、逆である。
文学が、救いになったのである。
唯一の信とは、何か。
そりは、唯一の拘りであり、実に、偏狭極まりないという、信仰態度である。
あの、一神教という、非寛容、実に、排他的な信仰になるのである。
しかしひきつづく乱世は、祖師たちに、ひとえに「捨てる」ことを迫った。同時にすべての改革能力とは、ただ「専修」にのみ発すると言ってよい。法然の場合をみても、そのために様々の紛争が起こり、同門からの意義異端も出たが、「専修」という態度がいかに強烈な変革力であったかを示すものであろう。信仰の厳密化による純化が根本になければ、末法の錯乱を生き抜くことは出来なかったのだ。
亀井勝一郎
上記は、評価のし過ぎである。
彼らは、そのようにしか、生きられなかったのである。
信仰の厳密化による純化など、ある訳が無い。
単なる、拘りである。
そして、それは、妄想である。
阿弥陀仏とは、創作想像の、モノである。
更に、末法などいう考え方は、釈迦仏陀が、教えたものではない。
ちなみに言うが、その後に、弥勒菩薩という、魔界の、仏が、この世を救うという、お話も、お話であり、仏陀は、そんなことを、一言も、言わないのである。
いずれの信仰においても、それは「自我」意識から出たものではないということだ。日蓮の場合は、法華経自体の生命を「強情」に表現したたけである。「私」の非寛容というものではない。法然や親鸞の態度は実に寛容にみえる。他の信仰に対してことさら非難せず、また非難をうけても、謙虚な受動的態度をとったが、しかし唯一の信仰に徹しようとしたかぎり、そこには他の信仰へのきびしい拒絶がある。親鸞にあっては、その拒絶は沈黙のうちになされる。
亀井勝一郎
ちなみに、亀井氏は、親鸞への、帰依を申し出ている。
それにより、彼らを理解しようとする、気持ちは、良く解る。しかし、評価のし過ぎである。
専修とは、自我意識であり、まさしく、私の、意識である。
亀井氏は、さらに
この場合もむろん「私」のはからいであってはならない。寛容、非寛容ともに、各個人の精神として語るべきではなく、「専修」の場合の自己放下の「行」心として語らなければならないものであり、根本は仏心に発する。
と、言う。
この、根本である、仏心というものは、妄想である。
この、法然、親鸞、日蓮に、共通するのは、仏法の破壊者といわれたことである。
既成仏教から、破壊者と言われる理由は、実に多い。それだけ、革新的だったとも言える。
彼らの、功績は、信仰というものを、一般的に、広めたことである。
いや、仏教というものを、大衆化したことである。
お上が崇めていた、仏というもの、それを、大衆に提供したのである。
それにしては、随分と、大掛かりである。
兎に角、乱世を、末法の世と、考えて、危機意識を持って、世の中に対したということは、意義がある。
ただし、それらは、皆、考えようなのである。
彼らの、名は、今でも、残っているが、彼らより、世の中に尽くした者たちがいる。
僧という名で、活動した者である。
その一人、忍性にんしょう、という僧は、日蓮に、雨乞いの祈りで、徹底的に攻撃された僧である。
忍性は、その師匠の叡尊の、福祉事業を、更に進めて、非人の救済と、教化に尽くし、更に、らい病者の救済に当たった。
87歳で没するまで、189箇所に橋を架け、道を作ること71箇所である。
井戸も、33箇所掘り、浴室、病院、非人所と、設けた。
その行為は、行基や、空海によって、行われたが、次第に衰微していった。
このような、事業は、国家的であり、貴族、将軍などの、財政的援助がなければ、出来ないことである。
伽藍仏教も、そういう意味では、力があった。
忍性は、鎌倉幕府と、密接な関係もあり、常住していたというから、支援を受けて、福祉事業を為すことが、出来たのであろう。
しかし、今は、名も知れない僧である。
日蓮と、霊験を競ったというが、真偽は、解らない。
ただ、日蓮により、徹底的に、攻撃されている。
つまり、権力の側にいる者という意識が、日蓮をそうさせたのであろう。
忍性の行為は、外見のものであり、信仰に、基づくものではないという、日蓮の判定なのであろうが、それでは、日蓮は、何をしたのか。
戦うために、雨乞いの祈りをするが、福祉事業などには、目もくれない。
兎に角、権力者に、我を、我を、と売り込みである。
忍性のような、僧は、多くいた。
ただ、歴史に書かれないからである。
何故、法然や親鸞、日蓮が、歴史に書かれるのか。
それは、騒いだからである。
騒いだ者ほど、書かれるのである。
既成仏教に、物申すことなく、黙々として、目の前の、社会に奉仕した、名も無き僧たちを、忘れてはならない。
つまり、彼らこそ、鎌倉仏教の底辺にいた者たちである。
そして、それが事実である。
彼らは、念仏により、救われるだの、題目が、仏の云々という、騒ぎを起こすことなく、今、出来ることを、したのである。
今、出来ることを、する、人々によって、歴史は、作られる。
鎌倉仏教の、祖師たちは、名は残したが、残念ながら、一時期のものであった。
それは、彼らの、時代性にある、時代性妄想だったからである。
また、そこからしか、求めようがなかったとも、言える。
知らないものは、無いものであるから、仏教経典にしか、求めるべきものは無いのである。
その中での、料理であり、特別なものではない。
だが、文学に貢献したことは、実に大きい。
亀井氏の、総括は、以下である。
ただ信仰とはそもそも何か。その最も純粋で徹したすがたが、鎌倉仏教の祖師たちによってはっきりと示された。日本の全仏教史だけではなく、精神史全体からみても、空前あるいは絶後と言っていいほどの精神的大事件だったのである。
そして今、私は、日本仏教史の、空前絶後といってよい、神仏は妄想である、を、書く。
日本が、大乗仏教を受け入れて実践しているのだろうか。
全く、亜流である。
チベット密教により、多きな影響を受けた、天台密、真言密という、密教の、瑣末な、仏教という、偽の仏教を、大乗と、言うだけである。
彼らの、仏教は、作られた妄想の、仏教という、御伽噺である。
事実の、釈迦仏陀の、教えとは、遥かに遠いだけではなく、別物である。
次元が違う。
日本仏教は、商売であり、宗教などというものではない。
いずれ、このことについては、徹底的に書く。