2008年10月01日

神仏は妄想である 160

「専修」せんじゆ という言葉は、念仏にむすびついてのみ語られるが、唯一の信以外のすべてを、雑修余行として斥けるという意味に解すれば、鎌倉仏教の祖師たちはすべて「専修」である。たとえば比叡山風の八宗兼学とか、密教と浄土教をともに学ぶとか、そういう態度から脱却した。
亀井勝一郎は、日本人の精神史に、そう書く。

そういう態度から、脱却して、選択仏教、専修を選んだ。
その訳は、衆生を救うためである。
その、傲慢極まりない、救済意識は、如何ともし難いのである。

更に、悪いのは、私は、救われない者だという、罪悪感溢れる、自己顕示の意識である。
それを、信仰の深さと、解釈、解説したのは、誰か。
皆々、教団から、金を得る者である。

救われ難き身であるから、弥陀の本願があるという、手前勝手な、思索を、深いと、理解した、自称知識人たちである。

さて、亀井は、その後に、こう続ける。

西行は密教の行者であり、浄土教の信者であり、法華経の持者であり、神ながらへの畏敬者であった。雑修の苦悩の涯まで歩いて行って、ついに唯一の信に達し得なかったことを私はさきに語った。結局は文学が障りとなったのではなかろうか。
と、言う。

これは、逆である。
文学が、救いになったのである。

唯一の信とは、何か。
そりは、唯一の拘りであり、実に、偏狭極まりないという、信仰態度である。
あの、一神教という、非寛容、実に、排他的な信仰になるのである。

しかしひきつづく乱世は、祖師たちに、ひとえに「捨てる」ことを迫った。同時にすべての改革能力とは、ただ「専修」にのみ発すると言ってよい。法然の場合をみても、そのために様々の紛争が起こり、同門からの意義異端も出たが、「専修」という態度がいかに強烈な変革力であったかを示すものであろう。信仰の厳密化による純化が根本になければ、末法の錯乱を生き抜くことは出来なかったのだ。
亀井勝一郎

上記は、評価のし過ぎである。
彼らは、そのようにしか、生きられなかったのである。

信仰の厳密化による純化など、ある訳が無い。
単なる、拘りである。
そして、それは、妄想である。

阿弥陀仏とは、創作想像の、モノである。
更に、末法などいう考え方は、釈迦仏陀が、教えたものではない。
ちなみに言うが、その後に、弥勒菩薩という、魔界の、仏が、この世を救うという、お話も、お話であり、仏陀は、そんなことを、一言も、言わないのである。


いずれの信仰においても、それは「自我」意識から出たものではないということだ。日蓮の場合は、法華経自体の生命を「強情」に表現したたけである。「私」の非寛容というものではない。法然や親鸞の態度は実に寛容にみえる。他の信仰に対してことさら非難せず、また非難をうけても、謙虚な受動的態度をとったが、しかし唯一の信仰に徹しようとしたかぎり、そこには他の信仰へのきびしい拒絶がある。親鸞にあっては、その拒絶は沈黙のうちになされる。
亀井勝一郎

ちなみに、亀井氏は、親鸞への、帰依を申し出ている。
それにより、彼らを理解しようとする、気持ちは、良く解る。しかし、評価のし過ぎである。

専修とは、自我意識であり、まさしく、私の、意識である。

亀井氏は、さらに
この場合もむろん「私」のはからいであってはならない。寛容、非寛容ともに、各個人の精神として語るべきではなく、「専修」の場合の自己放下の「行」心として語らなければならないものであり、根本は仏心に発する。
と、言う。

この、根本である、仏心というものは、妄想である。

この、法然、親鸞、日蓮に、共通するのは、仏法の破壊者といわれたことである。
既成仏教から、破壊者と言われる理由は、実に多い。それだけ、革新的だったとも言える。

彼らの、功績は、信仰というものを、一般的に、広めたことである。
いや、仏教というものを、大衆化したことである。
お上が崇めていた、仏というもの、それを、大衆に提供したのである。
それにしては、随分と、大掛かりである。

兎に角、乱世を、末法の世と、考えて、危機意識を持って、世の中に対したということは、意義がある。

ただし、それらは、皆、考えようなのである。

彼らの、名は、今でも、残っているが、彼らより、世の中に尽くした者たちがいる。
僧という名で、活動した者である。

その一人、忍性にんしょう、という僧は、日蓮に、雨乞いの祈りで、徹底的に攻撃された僧である。

忍性は、その師匠の叡尊の、福祉事業を、更に進めて、非人の救済と、教化に尽くし、更に、らい病者の救済に当たった。
87歳で没するまで、189箇所に橋を架け、道を作ること71箇所である。
井戸も、33箇所掘り、浴室、病院、非人所と、設けた。

その行為は、行基や、空海によって、行われたが、次第に衰微していった。

このような、事業は、国家的であり、貴族、将軍などの、財政的援助がなければ、出来ないことである。
伽藍仏教も、そういう意味では、力があった。
忍性は、鎌倉幕府と、密接な関係もあり、常住していたというから、支援を受けて、福祉事業を為すことが、出来たのであろう。

しかし、今は、名も知れない僧である。

日蓮と、霊験を競ったというが、真偽は、解らない。
ただ、日蓮により、徹底的に、攻撃されている。
つまり、権力の側にいる者という意識が、日蓮をそうさせたのであろう。
忍性の行為は、外見のものであり、信仰に、基づくものではないという、日蓮の判定なのであろうが、それでは、日蓮は、何をしたのか。

戦うために、雨乞いの祈りをするが、福祉事業などには、目もくれない。
兎に角、権力者に、我を、我を、と売り込みである。

忍性のような、僧は、多くいた。
ただ、歴史に書かれないからである。

何故、法然や親鸞、日蓮が、歴史に書かれるのか。
それは、騒いだからである。
騒いだ者ほど、書かれるのである。

既成仏教に、物申すことなく、黙々として、目の前の、社会に奉仕した、名も無き僧たちを、忘れてはならない。
つまり、彼らこそ、鎌倉仏教の底辺にいた者たちである。
そして、それが事実である。

彼らは、念仏により、救われるだの、題目が、仏の云々という、騒ぎを起こすことなく、今、出来ることを、したのである。

今、出来ることを、する、人々によって、歴史は、作られる。

鎌倉仏教の、祖師たちは、名は残したが、残念ながら、一時期のものであった。
それは、彼らの、時代性にある、時代性妄想だったからである。

また、そこからしか、求めようがなかったとも、言える。

知らないものは、無いものであるから、仏教経典にしか、求めるべきものは無いのである。
その中での、料理であり、特別なものではない。

だが、文学に貢献したことは、実に大きい。

亀井氏の、総括は、以下である。
ただ信仰とはそもそも何か。その最も純粋で徹したすがたが、鎌倉仏教の祖師たちによってはっきりと示された。日本の全仏教史だけではなく、精神史全体からみても、空前あるいは絶後と言っていいほどの精神的大事件だったのである。

そして今、私は、日本仏教史の、空前絶後といってよい、神仏は妄想である、を、書く。
日本が、大乗仏教を受け入れて実践しているのだろうか。
全く、亜流である。
チベット密教により、多きな影響を受けた、天台密、真言密という、密教の、瑣末な、仏教という、偽の仏教を、大乗と、言うだけである。

彼らの、仏教は、作られた妄想の、仏教という、御伽噺である。
事実の、釈迦仏陀の、教えとは、遥かに遠いだけではなく、別物である。
次元が違う。

日本仏教は、商売であり、宗教などというものではない。

いずれ、このことについては、徹底的に書く。


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2008年10月02日

神仏は妄想である 161

さて、日蓮のもう一つの顔について、言う。

預言である。
日蓮宗系などの、後の世の人、日蓮には、特別な力が、備わっていたかのように、考える。それを、検証する。

立正安国論の提出から、八年ほど経た文永五年、1268年、正月、蒙古のフビライから国書が、届く。
そして、三年後に、蒙古連合軍が、壱岐、対馬、博多に襲来した。
日蓮は、この事を、自分の忠告を聞かず、逆に、却下した、幕府に対する、懲罰であると、考える。

他国侵逼難、つまり、外国の侵略である。

蒙古の襲来を、預言の的中とみた、日蓮である。
没後は、それが、更に、神格化されて、崇拝の対象となるのである。

未来を見通すことが出来る、預言者という、日蓮像である。
その結果は、憂国の預言者としてのイメージが定着したことは、実に、悲劇である。

確かに、日蓮が、預言した事実はある。
しかし、それは、日蓮自身が言う。
予知能力によって、預言したものではないと。
それは、経典に書かれていることである。
つまり、正法の衰退により、諸難の事々かあると、いうことである。それは、いうならば経典の言葉である。

立正安国論において、金光明経などの、四つの経典を引いた後で、心の迷えるものたちは、みだりに邪説を信じて、正しい教えを受け入れないという、ことである。
それは、念仏をはじめ、他の宗派のことである。

経典の中に、国土の荒廃を見て、教えの正しきもの以外が、流布した場合は、難があるという、言葉である。

当時は、頻繁に災害が起こり、多くの人々が、苦しみに喘いでいた。
それは、誤った教えの故であると、言うのだ。

安国を、願うのならば、正法に従い、それを、流布しなければならないという、独断である。独善でもある。

では、現在の、多くの災害も、そのように、解釈される。
時代は、いつも、動乱であり、災害は、いつもある。
これから、どこかに、地震がありますと言えば、当たる。必ず、世界のどこかで、地震があり、日本は、地震列島である。

あまりにも、稚拙である。

ここで、キリスト教を、持ち出す。
カトリックに対抗して、出来たプロテスタントは、個人と神との関係を、主体にした、信仰形態を、作り上げた。
聖書主義というのも、その一つである。
つまり、教会という、団体を通すのではなく、個人が、直接、神と、向き合うことが出来るという、教義である。

これが、中世、鎌倉の仏教にも、起こったということである。
更に、その蒙昧は、仏を、超越者にしたことである。

人は、直接、本仏に、向き合うことが出来るという、仏を超越的なものとした、妄想である。

それは、あたかも、歴史家などが言う、画期的なことではあるが、内容は、上記のように、とてつもない、妄想である。

つまり、歴史の一過性の、それを通らなければ、理解し得ないという、道である。
それを、通り抜けて、神仏は、妄想であるということに、気づくための、一つの方法だった。

釈迦の真意にかなうものとして、念仏が唯一、題目こそ、救いである、禅が唯一の正しい仏への、道である。
極めて、独善的、排他的な、妄想である。

仏教の真実を見出そうとする命を賭した挑戦によって、彼らは学者の立場を超えて、幾多の歳月を超えて人々の魂を揺さぶり続ける真の宗教者、真の思想家となることができたのである。
佐藤弘夫 偽書の精神史

上記は、ある意味で、正しいが、ある意味では、評価のし過ぎである。
思想家というならば、少しは、納得するが、以後の彼らの、宗門は、ただ、ただ、堕落の一途を辿った。
見て御覧の通りである。

既得権益に乗り、堂々と、偽の仏教を掲げて、宗教として、成り立っている。
信じる者は、騙されるから、未だに、騙されたままに、霊界に行く。
その、霊界は、宗教霊界であり、極楽でも、天国でもない。
おそらく、寺の上空、一メートル程度の、霊界にいるのであろう。

勿論、仏陀は、いない。
霊界でも、念仏三昧、題目三昧で、坐禅をして、これが、仏の道と、やっているのである。
やり切れない。

ちなみに、霊能力者の、一つの妄想を、紹介する。
法然と、日蓮は、一緒に修行しているという。
また、日蓮は、インド魔界の、ある神が、背後で指導していたという。背後霊が、インド魔界の神と言われるモノである。

皆々、妄想なので、私も、妄想をかましてみた。

そして、仏陀の本仏という、超越した考え方は、まさしく、彼らの妄想以外の何物でもない。
思想的には、画期的、前代未聞の行為であろうが、何のことは無い。
時代性によって、生まれたものである。
そして、彼らは、日本人であったということ。
見事に、日本人向けの仏教創作に成功したのである。

中国仏教から、ようやく、我が国の仏教を創作したのである。
創り出したのである。
存在しているモノではない。

編み出したのである。
芸術として、捉えれば、実に、見事な、出来栄えである。
果たして、思想としてみる場合は、どうなのか。
耐えうるものか。

そこで、中世における、偽書の問題を見ることにする。
本当は、中世史を、やりたいが、テーマが違うので、神仏は妄想に、絞ることにする。

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2008年10月03日

神仏は妄想である 162

中国仏教では、多くの偽仏典が、書かれたことを、以前書いた。
それは、日本でも行われる。

勿論、大乗経典自体、偽の仏典である。
偽というのは、創作という意味である。
インドからの、仏典に、漢訳した者の、余計な言葉が、継ぎ足されている、経典もある。

もし、釈迦仏陀の言葉の、事実を知りたければ、初期の経典から、探ることである。
言い伝えられた言葉を、かろうじて、残すのである。
そこから、探ることである。

これが、唯一の仏陀の真実の教えであるという、経典主義は、単なる、独断である。更に、その解釈などは、欄外である。
解釈の方を、重んじているのが、大乗仏教である。

仏陀は、因果応報、自業自得を説いたのであり、すべのことは、個人に帰すという、考え方である。
大きな舟に乗せて、衆生を、彼岸に運ぶなどという、教えは、魔境というしかない。

ただし、それを理想的に、考えるのが、お目出度い、日本の仏教愛好家である。

土台、誰もが、仏になるなどいう、詭弁を信じるという、愚行である。
皆の心に、仏が住むとか、宿るという考え方は、人を騙す手である。
そのような、生ぬるい、信仰というものを、ことのほか好む、日本仏教愛好家である。

親鸞は、愚かにも、父母のために、念仏することはないと、言う。
それは、自分が救われれば、当然、父母を救うというのである。
これが、一般的、信仰の有様である。

人は、人を救うことなど、出来ないとは、考えない。
私は私であり、他ではないのである。

仏陀は、明確に、言う。
我は、我のみである。他は、他のみである。
要するに、個人のことは、個人に帰結する。

救いという観念自体も、どうかと思うが、自分を救うのは、自分である。

仏陀最後の言葉として、己を頼み、真理の法を明かりにせよと言うのである。

もっと、平たく言うと、自分でしか、自分は、救えませんということだ。

だから、仏陀は、生活指導を行った。
心のあり様を、見つめる行為を、指導した。
後は、それぞれの問題である。

人の命に、関与できないと、同じように、人の救いなるものにも、関与できない。
親兄弟でも、である。

さて、日本の中世という、時代は、実に、驚くべき精神構造であった。
中世は、他の時代と、比べて、あまりにも、多面的なのである。
それは、事実もともかく、精神構造が、多面的だということである。

仏教にみに、絞ってみることにする。
鎌倉仏教と、本覚思想である。
本覚思想とは、あらゆる存在が、そのままで、悟りの姿を示しているという、考え方である。
それは、比叡山を中心とした、旧仏教界から、はじまった。
平安後期からの、思潮である。

そして、中世に、現れた、日本書紀の注釈書の出現は、中世神話の、形成である。
更に、鎌倉、南北朝時代にかかる、伊勢を中心とした、神道思想である。
加えて、圧倒的に影響を与えた、密教である。

中世の精神は、実に、混沌としたものである。
それを、一つ一つ、解すとなると、膨大な、原稿を書かなければならない。

中世全体の大きな課題は、乱世の生死の激しさにさらされて、人間とは何か、罪とは何かと改めて根本的な問い直さなければならないところにあったが・・・この人間と罪についての問題意識の関連である。
分銅淳作 亀井勝一郎 日本人の精神史 あとがきより

これを、読むと、最初から、人間とは何か、罪とはなにかを、問い掛けていたかのように、思われるが、それらは、仏教によるものである。

仏教思想が、日本に根付くための、決断の時代でも、あったといえる。

確かに、それは、いずれ通るべき道である。
ただ、仏教にばかり、言えるものではない。

人間と、社会が、成長するために、通らなければならない道だったのが、中世である。
そして、中世から、近世に変革する時も、大きな決断を要する。

中世は、まず、精神の解釈の必要性に、迫られた時期である。
平安からの、たゆたう、ものから、明確にしなければならないもの。
それを、仏の教えに当てた。
それはそれで、評価する。

ただし、それは、その時代性というものであり、それが、そののまま、現代に通じるかといえば、違う。
現代は、現代の時代性により、思索し、思考しなければならない。
中世の、精神を深めることから、それを、為すという考え方も出来るが、別の方法もあるということ。

これ以外に無いと、判定すると、誤るのである。

未だに、中世を、そのままに、選択仏教のように、何かを、選択するという、考え方を持っては、先に進まない。

現代でも、特殊能力によって、私は、知る者である、とか、私は、悟った者であるなどと、言う者が、真理の法を説くというが、真理というのは、その人の真理である。

真理は、一つといいたい、気持ちは、解る。
一つだから、真理というのだという、偏狭な考えに捕らわれている者も、多数いる。

しかし、この、グローバル化した、現代の状況を見渡せば、真理というものが、一つではないということが、解るものである。

しかし、どうしても、真理は、一つという者は、しょうがない、セクトのようになるしかない。または、新宗教である。

それならば、理解する。
しかし、それが、すべてだという時、互いの会話が成り立たなくなり、停止する。そして、何ら、関係は進展しない。

大学を中退せざるを得なかった人がいる。
いじめ、である。
そのセミナーに参加していた者が、その人を省いて、すべて、ある宗教の折伏に遭い、会員になった。
彼のみ、会員になることを、拒んだ。
すると、いじめ、である。

これは、象徴的な出来事である。
これが、唯一と、信じる者によって、世界は、混乱する。

そして、今現在の世界も、それで、混乱する。

イスラムの地に、キリスト教が入ると、それは、混乱の始まりになる。
共に、唯一と信じるからである。

実に、法華経からは、多くの集いや、団体が生まれた。そして、未だに、生まれ続けている。
それを、信奉する人、それだけが、正しいと思い込む。
一人の信仰で、済ませるならば、問題ないが、法華経を奉ずる者、それを、人に説くのである。
信じきると、騙される。
騙されたまま、人に教えを説くのである。

それらが言うことは、正しい教えのみに、正しい知恵というものが、与えられると、言う。それの正さというものの、判定は、誰がするのか。何を持って、正しいとするのか。それは、単に信じるという、心的状態のみである。

実に、浅はかである。

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2008年10月04日

神仏は妄想である 163

日蓮は、多くの著作、書簡を残している。
遺文の数を、言えば、日蓮は、中世の仏教者では、群を抜いている。

青年期から、晩年期まで、途切れることなくある。
しかし、その中には、日蓮のものではない、偽物が、かなり多くある。
つまり、日蓮の名を語り、書いたのである。

はっきりと、偽書というものと、真偽が実に曖昧なものも多い。
三大秘法抄のように、日蓮宗や、研究家によって、論争が続いているものもある。

日蓮に関する、大量の遺文は、本覚思想が背景にあったといわれる。
本覚思想は、平安期半ばから、室町期なかけて、比叡山を中心にした、独自の思潮である。
それは、天台宗で、展開された思想であり、天台本覚という場合もある。

本覚思想は、万人の成仏の可能性を強調する、大乗仏教の、人間の到達する、理想は仏であり、さらに、仏とは、衆生を救済するという、思想である。

人の中には、仏の種があり、それを、全面開花させることであるという。
本覚思想とは、仏を最終的な到達地点とするのではなく、仏と、あるがままの人間を、初めから一体化して、捉えるものである。

人間が、そのまま、仏であるという、思想であり、それは、仏として、自己の本性を自覚するために、心を仔細に観察するという、観心、かんしん、というものを、重く見た。

それは、学問の知識や、教義ではなく、内的な体験を重んじるということになり、更に、信仰の核心は、文字化されない。故に、師から弟子へと、密かに、口伝、口決されることだと、された。

要するに、禅化である。

これが、日蓮遺文に、大きく影響を与えたと、いわれる。
真偽が、はっきりしない、遺文ほど、口伝尊重の色合いが、強いのである。
そして、そこには、本覚思想を主流とした、論調が流れている。

日蓮の、研究家たちは、文証と、理証を重んじ、膨大な経典を引用しつつ、整然と論を進める、日蓮の思想は、主観と、恣意による本覚思想とは、立場を異にするものだと、判断される。
それを、日蓮の文献主義と、本覚思想の主観主義と、分ける。

それは、日蓮に限らず、親鸞も、道元も、文献を持って、その思想を説いた。

更に、日蓮は、現証というものを、置いた。
仏法を判断するには、文証と、理証と、現証ということだ。

だが、ここで、日蓮を、検証すれば、果たして、文献主義であったのかという、疑問が、湧く。

それは、専修唱題である。
口に、法華経の題目を唱えることで、救いに至るという思想である。

法華経は、二十八品によってなり、前半部分と、後半部分に分けられて、後半部分を、本門と呼ぶ。
前半の、内容は、釈迦の悟りが、語られるという、他の経典と同じ調子である。
しかし、後半になると、様相が一変する。

従地涌出品では、釈迦の説法を聞くために、霊鷲山、りょうじゅうせんに、集った、弥勒をはじめとする、多くの菩薩たちは、仏滅後の世界で、法華経を護持して、布教する許可を求めた。
しかし、釈迦は、それを、許さなかった。
その時、地が裂けて、下から、四人の大菩薩に率いられた、無数の菩薩が現れた。

そして、説教の場が、虚空世界に移動した。
四人の大菩薩は、釈迦よりも、高齢で、立派に見えた。
釈迦は、それらの、地涌 じゆ、の、菩薩を、かつての、弟子たちであると、言う。

寿量品で、それが、説明される。
われ成仏してよりこのかた、またこれに過ぎたること、百千万億なゆたあそうぎ劫なり。これよりこのかた、われは常にこの娑婆世界にありて、法を説きて教化し、また、余処の百千万億なゆたあそあぎ劫の国においても、衆生を導き利せり。

つまり、釈迦は、久遠の昔から、成仏していて、それ以後、幾たびも生まれ、教化してきたというのである。
御伽噺も、ここまでくれば、立派なものである。

以前書いた、阿弥陀仏のことを、思い出して欲しい。
念仏門のところで、同じ年月の言葉が、出ている。

久遠実成 くおんじつじょう の仏という言葉が、出る。
ファンタジーである。

私の死後、世は乱れ、濁悪 じょあくの時代が到来する。
そうした、苦難の世には、遠い過去より、教化を受けてきた、地涌の菩薩だけが、その困難な任務に耐えられるというのである。

私が、法華経を悪魔の経典と、呼ぶ理由の一つであるのが、これである。
地涌の菩薩とは、経典作者の、誇大妄想であり、甚だしく、釈迦仏陀の、仏法を、歪めた。

更に、日蓮は、久遠実成の、釈迦を、一神教の神のように、絶対的存在として、掲げたのである。
更に、妄想逞しく、虚空世界で、釈迦が、地涌の菩薩に、授けたのが、法華経の題目であると、解釈した。
単なる解釈だが、それは、単なる妄想である。

そして、更に、布教を委託されたのは、また地涌の菩薩とは、我のこと、我の一門のことと、信じたのである。

しかし、研究家たちは、日蓮の、経典解釈には、明らかに、無理があるという。
私は、明らかに無理ではなく、完全に誤りだという。

仏滅後に、衆生救済のために、題目など、残したという証拠は、どこにも、見出せないのである。

それを、日蓮も気づいてか、魔境ともいえる、解釈の奥の手を、考えた。
それは、法華経の表には、出ない文である。
文底に、沈めたという。

呆れて、モノが言えない。

釈迦が、入寂して、二千年を経て、末法になり、法華経の弘通を、目指す、日蓮だげが、他に先駆けて、文底にある、題目を、拾い出すことが、出来たという。
勝手な解釈、勝手な妄想である。

ただし、それが、日蓮の唯一の、オリジナルである。
それも、念仏に刺激されてのことである。

法華経も、末法思想も、皆々、作られたものである。

だがもっとも根本の次元において、日蓮の立場は著しく主観的である。論理を超えた次元に自己の正当性の根拠を置く点において、日蓮の立場は本覚思想と意外に近いところにあった。そしてそこには、日蓮に仮託して遺文を偽作していた人々とも共通するものがあったのではなかろうか。
佐藤弘夫

全くの、主観であり、それ以外の何物でもない。
どこの、教祖にも見られる、自己申請であるから、話にならない。

更に、もう一つ、付け加えて言えば、物を書くという行為は、妄執である。
彼らの言葉で言えば、救われていない証拠である。
もし、救われているのであれば、物など書くことは無い。
行為にしか、それを伝える術は無いと知るのである。

天地が過ぎ去っても、私の言葉は、過ぎ去ることがない、とは、イエスキリストの言葉である。が、それは、イエスではなく、セクトの信仰する者たちの、言葉である。
あたかも、であるが、如くの言葉である。
人は、言葉というものに、騙されるのである。

自己洗脳という現場が、宗教の現場である。

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2008年10月05日

神仏は妄想である 164

鎌倉仏教の祖師たちは、日蓮をはじめとして、法然、親鸞、道元と、経典の勝手な解釈、勝手な妄想により、新宗教を立てたということ、明確である。

「独自の読み」といえば聞えはいい。だが実態は主観に基づいた顕示欲の何物でもない。先にも述べたが、私たち日本の思想を論ずる際に、しばしば、いわゆる新仏教をその代表としてとりあげてきた。だが、これまであげた例から知られるように、彼らの理論はその根本において、現代人の目からすれば、到底容認しえないような飛躍と恣意に満ちているのである。
佐藤弘夫

佐藤氏は、本覚論と、新仏教の関係が、異質であるといっても、その自己の主観に基づいて、典籍を自由に読み替え、論理のギャップ、すなわち、矛盾を信念によって、埋めようとする姿勢は、同じものではないかという。

中世自体が、異様な雰囲気を、醸し出す時代である。
極端な、主観主義が、まかり通ったのである。
であるから、彼ら、新仏教の始祖たちは、堂々と、主観と、信念で、押し通したのである。

中世は、偽書まみれである。
ここでは、それを、取り上げている暇は、無いが、その偽書を根拠として、鎌倉仏教の発生もあると、言う。

一つだけ、オマケに、書く。
本覚讃と呼ばれる、中には、繰り返し理容された、詩句が多い。
その中で、最も、愚かしい詩句である。

女人は地獄の使なり よく仏の種子を断つ
外面は菩薩に似て 内心は夜叉のごとし

女は、地獄の使いである。男を誘惑して、仏になるための、種を断つというのである。
凄まじいばかりの、女性蔑視、男性中心主義である。

その反面、大寺院の僧たちは、妻子を持つという、愚劣ぶりであるから、手に負えない。
親鸞が、妻帯する以前から、本音と、建前として、本音は、妻を持ちセックス三昧を繰り返していた僧たちも、数多い。
親鸞は、それに比べて、まだ、真面目に、女犯に、取り組んだのである。

この、根拠なき、偽書などを、日蓮も、日蓮遺文に、よく引用しているのである。

偽作された、片言隻語は、数多くあり、中世では、当たり前だった。
その、偽作された言葉が、独り歩きして、当然の時代だというから、驚く。

何故、中世は、そんな時代になったのかは、学問としての、仏教の書物が、平安期まで、どんどんと流れてきて、それを、咀嚼するのに、時間がかかったが、中世、おおよそ、12世紀から、一般的に仏教が広がり、学問というより、信仰に重きが置かれてきたからである。

大陸から、もたらされた、情報では、追いつかなくなったのである。
更に、伝統的、官寺の仏教は、大衆に応えることが、出来ないレベルだったということもある。

実存的レベルでの、救済という、言葉を使う研究家もいる。
救済を、大衆が欲したのか。
それが、問題である。

大衆は、教えられて、救済があるということに、気づくのである。
それは、余計な妄想であった。
しかし、当時の時代性が、求めたと、考えることにする。

そこで、仏教の原点に立ち返ろうとした、仏教者たちが、膨大な教学体系を飛び越えて、ストレートに、本仏に向かったと、分析するのだが。
要するに、直接、仏に尋ねるという、とんでもないことを、思いついたのである。
勿論、妄想である。

そして、我は聞いた仏の声と、言葉をということになる。

更に、中世、平安後期になると、中国に出掛ける留学層もいたが、初期の頃とは、打って変わる。
学ぶだめではなく、由緒ある、遺跡を巡礼して、そこで、仏に逢うことだった。
平安初期まで、続いた、学ぶための、仏教が、信仰を強固にするための、ものになっていった。

中世は、異常事態が発生したということである。

一つだけ、象徴的な言葉を、紹介する。
垂迹という、言葉である。
本地垂迹などといわれて、例えば、天照大神は、大日如来の、化身であるという、考え方である。
本地が、どこで、垂迹が、どこかという、テーマが、目白押しだった。
それは、空海から、はじまる、考え方である。
いずれ、書く。

中世は、この、垂迹思想が、花盛りであった。
神仏混合の、真っ只中の、時代だった。
神に、読経するのも、当たり前である。
その神の後に、仏がいるのである。

古来からの、神々は、他界の仏が、衆生を浄土に導くために、顕現した、垂迹であると、考えたのである。
それは、なんと、仏像などの、モノにも、当て嵌められた。

仏像信仰も、当然容認された。
それ自体が、仏の化身なのである。

しかし、そのこと自体も、鎌倉仏教の始祖たちは、否定した。
仏に直結する、我が教えなのである。
当然、既成仏教界からは、迫害を受けるのである。

国の仏教から、大衆、民の仏教へと、変転する様である。
ここの、時代性を見つめて、彼らを検証しなければ、本当の意味で、理解出来ないと、共に、現代には、それは、終わった思想であるということである。
更に、私が言うように、神仏は、妄想でなのである。

鎌倉仏教の始祖たちが、作り上げた、仏の観念や、救いの観念は、すでに、無いものである。
彼らが、信じきった、仏典や、その他諸々の、偽書から、作り上げた、教えなるもの、最早、その核心が、誤りであることが、解ったのである。

ファンタジーであった。
一見に値する、思想ではあろうが、別段、特別に知ることもない。
文学として、評価するのであり、宗教、信仰として、受け入れるべきものではないのである。
ホント、お疲れ様でした、という、ところである。

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2008年10月06日

神仏は妄想である 165

日蓮を書いている。
日蓮を信仰の中心にしている人には、私が、読み込みが浅く、浅はかであると、言うだろう。

しかし、実は、私が宗教家で、最も、一番最初に、敬意を表し、その様を真似たのが、日蓮である。

小学四年生だった。
学校の図書館から、本を借りることが出来る、学年になり、早速、私は、図書館から、本を借りる。
その最初が、世界の偉人伝である。
四年生用という、本棚から、借りるのである。

そこで、日蓮の伝記を、読んだ。
感動した。
なんて、強い人だろう。迫害の場面では、手に汗握り、日蓮のために、題目を唱えた。すると、私の題目によって、日蓮は、迫害を、物ともせずに、超えて行く。
であるから、私が題目を、唱え始めたのは、10歳からである。
それ以後、唱え続けた。

カトリックの洗礼を、受ける日の前日の、夜の夢は、忘れない。
一人の僧が現れて、私に、本当に洗礼を受けるのかと、問う。
受けるというと、それでは、と、私を、地獄の場に連れて行き、その様を見せた。

地獄についての、知識はなかった。しかし、それが、地獄の場であることを、知っていた。
不思議な夢だった。
その、僧は、一度だけ出て来た。

夢である。

単なる夢である。

それから、私は、カトリック、キリスト教の思想を、六年間に渡り、学ぶことになる。それは、徹底していた。
徹底的に、キリスト教というものを、学んだ。そして、唯一これこそが、人類の救いであると、信じた。

更にである。
青年期特有の、憂鬱ぎみの心に響いたのが、仏教であった。
宗派ではない。仏教なのである。
浄土経典、真言宗系、曹洞宗、道元の修証儀などは、いつも、読んでいた。というより、読経していた。

般若心経を、百日絶えず、唱え続けていたこともある。
勿論、法華経も、ことあるごとに、唱えた。
先祖供養と証して、一人で、唱えていた。
家は、浄土宗であるが、何でも、唱えた。

更に、他宗教の、経典、新興宗教の経典なるもの、大半を読破した。

比較検討するのではない。
そのまま、素直に受け入れるのである。

今は、大半を捨てたが、世界統一教会、モルモン経典、ものみの搭、更に、新宗教として、登場した、多くの出版物を読んだ。
オウム真理教の、本も、読んだ。
幸福の科学は、一時期、流行して、どんどんと、本が入ってきた。

そして、衝撃だったのは、昔の言い方を、すれば、心霊である。
霊的能力者の存在である。
テレビ番組で、霊媒にかかった、霊との、会話もした。
それは、私には、衝撃だった。
それを、真とするか、偽とするかは、今は、書かない。

死んでからも、漂う霊の存在に、衝撃を受けた。
更に、読経をすることによって、それらの霊が、上昇する、浄化するということである。
勿論、中には、それをも拒み、そこに、自縛する霊もいた。

人間とは、何か。
深夜、考え続けた時期がある。
死んでも、死んでいない人間の、魂。

およそ、二十年間の、札幌生活を捨てて、鎌倉に転居した。
意味は無い。
ただ、鎌倉に住むというだけのことである。

その三年間の、地獄の日々は、今も、思い出すのを、嫌悪する。

パニック障害と、抑鬱の合併症に、一日を生きることが、綱渡りのような、日々だった。
それなのに、私は、一日、四五時間、鎌倉を歩いた。
勿論、日蓮ゆかりの地にも、出掛けた。

辻説法の場所は、通り道だった。

これを書くと、長くなるので、ここで省略する。

仏の滅度したまへる後の、恐怖の悪世の中において、我らまさに広く説くべし。諸々の無智なる人の、悪口し罵詈する等、及び刀杖を加ふる者あらんも、我らみなさまに忍ぶべし。
日蓮

法華経を広めることは、迫害を受けることであると、信じた日蓮である。
迫害されることは、それが、真実のものであるから、だと。

末法思想という、根拠無き、思想によって、危機感を募らせる。更に、正法が行われないから、国が乱れ、天災が起こり、他国の侵入がある等々。

独断と偏見は、免れない。
自業自得を、これ仏の云々と、やると、手がつけられないのである。

日蓮なくば誰か法華経の行者として仏語を助けん。
日蓮

どうして、ここまで、イッだの。
イッてしまったのだ。

彼は、仏、つまり、仏陀に代表される、仏を知っていたのか。
日蓮の仏は、日蓮だけのものである。
日蓮の仏が好きな人は、それで、いい。
しかし、法然の、親鸞の、道元の仏が、好きな人もいる。
それは、性格である。
更に、仏という存在を置かずに、死ぬ人も多い。

日蓮は、自分以外の仏を、奉ずる者を、地獄に落ちるという。
多くの、日蓮に関する、著作を読むが、皆々、日蓮の凄さ、素晴らしさ、その、仏法の有り様を、評価する。

私は言う。
あれは、日蓮だけのための、仏の思想である。

日蓮が、生きるために、必要だった、日蓮の仏観である。

私は、日蓮の思想、政治に関する考え方、宗教論は、いらない。
ただし、私が、日蓮を、評価することが、一点だけある。

それは、手紙である。
信者に向けた、手紙に、表の、日蓮ではない、実に、温かい人柄の、日蓮がいる。

そのようにしか、生きられないことは、理解したが、その思想は、妄想である。
日蓮の描く、仏というものは、無い。
完全なる、妄想である。
何となれば、法華経とは、架空のお話である。

そこのみから、なにがしかの思想を、築く者、多数。
多数というより、甚だしき数である。

ハリーポッターを、利用して、思想を作るのである。それに、似る。
ちなみに、大乗仏典は、すべて、そうである。
更に言えば、宗教経典は、すべて、そうである。

人間が想像した、幻想のお話である。
文学として、対処するのが、真っ当な感覚である。
拝む、祈る、など、とんでもない、暴挙である。

どうしても、拝むもの、祈るものが、欲しい人は、自然に拝み、祈るべきである。
神仏によって、生かされて生きるのではない。
人間は、自然によって、生かされて、生きるのである。

神の言葉など無い。
それは、幻聴であり、精神異常である。

鎌倉仏教の始祖たちは、幻聴を聞いたのである。
精神異常である。
そして、それは、時代性である。

今の時代には、通用しない。

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神仏は妄想である 165

日蓮を書いている。
日蓮を信仰の中心にしている人には、私が、読み込みが浅く、浅はかであると、言うだろう。

しかし、実は、私が宗教家で、最も、一番最初に、敬意を表し、その様を真似たのが、日蓮である。

小学四年生だった。
学校の図書館から、本を借りることが出来る、学年になり、早速、私は、図書館から、本を借りる。
その最初が、世界の偉人伝である。
四年生用という、本棚から、借りるのである。

そこで、日蓮の伝記を、読んだ。
感動した。
なんて、強い人だろう。迫害の場面では、手に汗握り、日蓮のために、題目を唱えた。すると、私の題目によって、日蓮は、迫害を、物ともせずに、超えて行く。
であるから、私が題目を、唱え始めたのは、10歳からである。
それ以後、唱え続けた。

カトリックの洗礼を、受ける日の前日の、夜の夢は、忘れない。
一人の僧が現れて、私に、本当に洗礼を受けるのかと、問う。
受けるというと、それでは、と、私を、地獄の場に連れて行き、その様を見せた。

地獄についての、知識はなかった。しかし、それが、地獄の場であることを、知っていた。
不思議な夢だった。
その、僧は、一度だけ出て来た。

夢である。

単なる夢である。

それから、私は、カトリック、キリスト教の思想を、六年間に渡り、学ぶことになる。それは、徹底していた。
徹底的に、キリスト教というものを、学んだ。そして、唯一これこそが、人類の救いであると、信じた。

更にである。
青年期特有の、憂鬱ぎみの心に響いたのが、仏教であった。
宗派ではない。仏教なのである。
浄土経典、真言宗系、曹洞宗、道元の修証儀などは、いつも、読んでいた。というより、読経していた。

般若心経を、百日絶えず、唱え続けていたこともある。
勿論、法華経も、ことあるごとに、唱えた。
先祖供養と証して、一人で、唱えていた。
家は、浄土宗であるが、何でも、唱えた。

更に、他宗教の、経典、新興宗教の経典なるもの、大半を読破した。

比較検討するのではない。
そのまま、素直に受け入れるのである。

今は、大半を捨てたが、世界統一教会、モルモン経典、ものみの搭、更に、新宗教として、登場した、多くの出版物を読んだ。
オウム真理教の、本も、読んだ。
幸福の科学は、一時期、流行して、どんどんと、本が入ってきた。

そして、衝撃だったのは、昔の言い方を、すれば、心霊である。
霊的能力者の存在である。
テレビ番組で、霊媒にかかった、霊との、会話もした。
それは、私には、衝撃だった。
それを、真とするか、偽とするかは、今は、書かない。

死んでからも、漂う霊の存在に、衝撃を受けた。
更に、読経をすることによって、それらの霊が、上昇する、浄化するということである。
勿論、中には、それをも拒み、そこに、自縛する霊もいた。

人間とは、何か。
深夜、考え続けた時期がある。
死んでも、死んでいない人間の、魂。

およそ、二十年間の、札幌生活を捨てて、鎌倉に転居した。
意味は無い。
ただ、鎌倉に住むというだけのことである。

その三年間の、地獄の日々は、今も、思い出すのを、嫌悪する。

パニック障害と、抑鬱の合併症に、一日を生きることが、綱渡りのような、日々だった。
それなのに、私は、一日、四五時間、鎌倉を歩いた。
勿論、日蓮ゆかりの地にも、出掛けた。

辻説法の場所は、通り道だった。

これを書くと、長くなるので、ここで省略する。

仏の滅度したまへる後の、恐怖の悪世の中において、我らまさに広く説くべし。諸々の無智なる人の、悪口し罵詈する等、及び刀杖を加ふる者あらんも、我らみなさまに忍ぶべし。
日蓮

法華経を広めることは、迫害を受けることであると、信じた日蓮である。
迫害されることは、それが、真実のものであるから、だと。

末法思想という、根拠無き、思想によって、危機感を募らせる。更に、正法が行われないから、国が乱れ、天災が起こり、他国の侵入がある等々。

独断と偏見は、免れない。
自業自得を、これ仏の云々と、やると、手がつけられないのである。

日蓮なくば誰か法華経の行者として仏語を助けん。
日蓮

どうして、ここまで、イッだの。
イッてしまったのだ。

彼は、仏、つまり、仏陀に代表される、仏を知っていたのか。
日蓮の仏は、日蓮だけのものである。
日蓮の仏が好きな人は、それで、いい。
しかし、法然の、親鸞の、道元の仏が、好きな人もいる。
それは、性格である。
更に、仏という存在を置かずに、死ぬ人も多い。

日蓮は、自分以外の仏を、奉ずる者を、地獄に落ちるという。
多くの、日蓮に関する、著作を読むが、皆々、日蓮の凄さ、素晴らしさ、その、仏法の有り様を、評価する。

私は言う。
あれは、日蓮だけのための、仏の思想である。

日蓮が、生きるために、必要だった、日蓮の仏観である。

私は、日蓮の思想、政治に関する考え方、宗教論は、いらない。
ただし、私が、日蓮を、評価することが、一点だけある。

それは、手紙である。
信者に向けた、手紙に、表の、日蓮ではない、実に、温かい人柄の、日蓮がいる。

そのようにしか、生きられないことは、理解したが、その思想は、妄想である。
日蓮の描く、仏というものは、無い。
完全なる、妄想である。
何となれば、法華経とは、架空のお話である。

そこのみから、なにがしかの思想を、築く者、多数。
多数というより、甚だしき数である。

ハリーポッターを、利用して、思想を作るのである。それに、似る。
ちなみに、大乗仏典は、すべて、そうである。
更に言えば、宗教経典は、すべて、そうである。

人間が想像した、幻想のお話である。
文学として、対処するのが、真っ当な感覚である。
拝む、祈る、など、とんでもない、暴挙である。

どうしても、拝むもの、祈るものが、欲しい人は、自然に拝み、祈るべきである。
神仏によって、生かされて生きるのではない。
人間は、自然によって、生かされて、生きるのである。

神の言葉など無い。
それは、幻聴であり、精神異常である。

鎌倉仏教の始祖たちは、幻聴を聞いたのである。
精神異常である。
そして、それは、時代性である。

今の時代には、通用しない。

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2008年10月07日

神仏は妄想である 166

浄土宗は、釈迦の分身の阿弥陀仏を有縁の仏と思ひて、救主を捨てたり。禅宗は、下賎の者、一分の徳有りて父母を下ぐるがごとし。仏をさげ、経を下す。これ皆、本尊に迷へり。
日蓮

日蓮は日本国の棟梁なり。予を失ふは日本国の柱を倒すなり。只今に自界反逆難とて、どうしうちして、他国侵逼難とて、この国の人々他国に打ち殺さるるのみならず、多くいけどりにせらるべし。建長寺、寿福寺、極楽寺、大仏、長楽寺等の一切の念仏者、禅僧等が寺搭をば焼きはらひて、彼らが頸を由比の浜にて切らずば、日本国必ずほろぶべし。
日蓮

これは、真っ当な感覚か。

仏法と、言いつつ、頸を刎ねろとは、恐れ入る。
日蓮は、完璧に、仏法というものを、知らないのである。

仏陀の、教えを知らない者が、平気で、仏法を語ることが、出来る時代性だったといえる。

勿論、頸を刎ねられることになったのは、自分である。
そして、それを、今度は、だから、我は、正しい。
迫害があるから、こそ、法華経の行者たるものと、言う。

ここ、ここに至ると、弁明の余地なし。

何故、このように、なったのか。
つまり、イッてしまったのか。
精神分析が必要である。

それは、省略する。

ともかく、これを、始祖として、日蓮宗なる、教団があるということであり、更に、新興宗教系には、この日蓮の、考えを継ぐ者が多い。

更に、である。
日蓮教学というから、笑うしかない。

だから、私は、これに、引き続き、長くなるが、法華経というものを、見ることにする。
その前に、日蓮の別の顔を、見ることにする。
そこに、だけ、日蓮の人間性が、ある。

手紙である。
象徴的な、文を載せる。

人は生まれて死するならひとは、智者も愚者も上下一同に知りて候へば、始めてなげくべし、おどろくべしとはをぼえぬよし、我も存じ、人にもをしへ候へども、時にあたりて、ゆめかまぼろしか、いまだわきまへがたく候。まして母のいかんがなげかれ候らむ。

弔いの言葉である。
実に、情に篤く、悲しみを共に悲しむ人かと、思う。
日蓮の、手紙は、見事であり、そして、大和言葉である。

身延入山後の生活は、凍死、餓死の危険もあった。
その時、信者からの供養を受けて、餅九十枚、山芋五十本を送られた時の手紙である。

去年の十一月より冬積もりて、山里路たえぬ。年返れども、鳥の声ならでおとづるる人なし。友にあらずば誰か問ふべきと心細くして過し候ところに、元三の内に、餅九十枚、満月の如し。心中も明らかに、生死の闇も晴れぬべし。あはれなり、あはれなり。

日蓮の信仰は、本当は、こうだったと、思えるのである。

始祖たちが、結局、大和心に、戻り、仏法というものを、理解したと、私は、考える。
つまり、鎌倉という、舞台で、皆々、それらを、演じたのである。

更に、日蓮の、面目が、自己反省の文にある。

日蓮も又かく責めらるる先業なきにあらず。・・・
日蓮今生には貧窮下賎の者と生まれ、センダラが家より出たり。心にこそすこし法華経を信じたる様なれども、身は人身に似て畜身なり。

法華経の行者は誰なるらむ。求めて師とすべし。

センダラとは、漁師の家である。

ここを見ると、日蓮は、イッてはいたが、正気であったと、思える。

何度も言うが、結局、大和言葉による、文になると、皆々、正気を、取り戻すことである。
つまり、漢語の、漢籍に、やられたということである。
何やら、あたかも、重大なことのような、気分になるという。

私の好きな、手紙の言葉は、
まず臨終を習いて、後に、侘事を成すべき
である。
つまり、死ぬ者であることを知り、その後、人生の諸相を生きるべきだという。

つまり、死ぬことを知れば、後は、死ぬまでの、暇潰しであるというふうに、考えるのである、私は。

門弟にあてた手紙である。
ただ女房と酒うちのみて、南無妙法蓮華経ととなへ給へ。苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひあわせて、南無妙法蓮華経とうち唱へ居させ給へ。

女房と、酒を飲んで、題目を唱えよ。
苦は苦である。楽は楽である。
苦楽は、共にあると思いつつ、題目を唱えよ。

門弟に、この程度の手紙ならば、実に、理解出来る。
やさしい人柄である。
どこにも、攻撃するものはない。

歴史の人物を見ていれば、その人物の、働きが、その時代が、求めるものだったと、理解する。時代性と、時代精神である。

鎌倉時代は、異常事態だったと、思える。

そしてまた、人は生きるべきようにしか、生きられない、ということである。

ちなみに、日蓮が、国から大師号というものを、与えられたのは、亡くなってから、640年近く後の、大正十年、1921年である。
一番最後に、大師号を頂いている。
国を思うた心が、ようやく、認められたのか。
大師号を、贈られている、僧は、23人いる。


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2008年10月08日

神仏は妄想である 167

日蓮を終わるに当たって、今一度、信仰というものを、考えてみる。

特に、日蓮の場合は、今まで日本には、無い、信仰のあり方だった。
どちらかというと、一神教に近い。
唯一の道を、特に強調する。
更に、経典の読み方である。

法華経にある、隠れて見えないもの、文底にあるものは、題目であるという、発見というか、勘違いというか、勝手な妄想である。

イスラムの預言者、ムハンマドを思い出すとよい。
非常に、その精神構造が似ている。

その言葉の中には、およそ、宗教とは、かけ離れた、勝ち負けという言葉が、多く出る。
これは、日蓮宗系の、集団に多いが、勝ち負けが好きである。
闘争を、好むのである。そして、その闘争が大きければ、大きいほど、正しいと思う、思い込む。

更に、自分たちが、勝手に作り上げた言葉で、議論するという、とんでも、議論好きな者となる。

日蓮教学を、お勉強して、それに則って、何やら言うから、混乱する。
更に、言葉の多くが、確信につながる。
その多くは、洗脳である。
おおよそ、自己洗脳に至るのである。

そして、信仰とは、自己洗脳といえることが、日蓮宗系の人々を見ると、良く解る。
他宗を、攻撃するが、イスラムと、同じで、派閥の方に対する、攻撃の方が強い。
同じ、法華経を奉じる集団にも、容赦の無い、攻撃を加える。
果たして、それが、宗教というものなのだろうか。

勿論、宗教という概念は、西洋の宗教学からのもので、日本には、宗教という概念は無い。
日本には、神の思想であり、宗教ではない。
神という言葉を、使用しなくても、いい。
実際は、カミという言葉は、外来語であり、カム、であり、カムイである。アイヌ民族は、カムイと呼ぶ。
日本の場合は、自然に隠れる、様々な働きを、主と、見立てる。
屁理屈は無い。

屁理屈が無いことを、教義がないという、言い方をする。
勿論、教義など、必要ない。
自然の働きを、見つめていれば、すべてが、解るようになっている。

故に、西洋の宗教という概念で、日本の神信仰を、見る場合は、所作しかない。
所作とは、行為である。
その、行為の中にある、見えないものを、西洋の人は、観ることが出来ない。
そして、仏教、特に、日蓮宗系には、見えない。

文字面にあるもの、のみに、信仰がある。
要するに、観念と、洗脳である。

恐ろしいのは、久遠の仏を、仏ならしめたもの、それが、法華経であるという、短絡的思考法である。
一体、日蓮は、仏というものを、何と見立てたものか。
そして、その、法華経は、誰が書いて、誰が訳したものなのか。

妙法蓮華経と、訳したのは、クマラジューである。
三蔵法師玄奘の、前の時代の人である。
日蓮は、梵語を知っていたのか。
仏陀の言葉を、どこで聞いたのか。
経典を通して、聞いた、知ったのである。

冷静であれば、そのことを知る。そして、天竺を目指しても、いい。
現に、玄奘は、天竺を目指し、その多くの経典を、運び、訳したのである。

出来上がっている、料理に、少し手を加えて、新しい教えのように、装うという手は、イスラムと同じである。

日蓮の血の中には、セム的民の血が流れていたのかもしれない。
あの、激しさは、半端ではない。
更に、妄想は、また、激しい。

天台の、最澄は、法華経を身読しなかったという。
唯一、身を持って読んだのは、日蓮であるというのだ。

自己申告である。
そして、成仏というものも、自己申告なのである。

何度も言うが、法華経は、特に、ファンタジー性の強い、経典である。故に、如何様にも、解釈が出来る。
次々に、法華経を、解釈する人々が、現れる。
不思議である。
物語としては、面白いが、そこに、真実や、架空の仏云々となると、妄想、幻想以外の何物でもなくなる。

法華経を通して、仏陀の教えを、読むと、大半が誤る。
仏陀は、法華経が言う言葉を、発していない。

すべての、大乗経典に言えるが、創作である。

死ぬまでの、暇潰しに、作り上げたお話である。

当時、滅後も、尊敬されていた、釈迦仏陀を、出汁にしての、作り事である。
大乗は、今でいえば、在家の信者が、主となり、そこに、小乗といわれる専門の、釈迦仏陀の言葉を、扱う僧たちとの、共同で、始まった、同好会である。

釈迦仏陀の、言葉に近いものは、初期仏典にしかない。
それも、単なる、呟きのような、戯言のような言葉である。
それは、釈迦の生活指導の言葉の、名残であるから、威力は無い。

大乗仏典が出来た、あの当時のインドを、知るべきである。

それで、私は、それについても、書くことにした。

インド思想について、触れることにする。
インド思想史から、釈迦の言葉を見れば、少しは、冷静に対処できるだろう。

大乗の教えを、それこそ、命懸けで、天竺に行き、習い修めた、玄奘は、はっきりと、仏種に、五種ありと言う。
そして、その中で、仏になれない者がいると、言明する。
仏種の無い者である。
すべての人の心に、仏が在るというのは、勘違いも、甚だしい。
勿論、最澄、天台の教えからである。
そこから、変質し、誤った。

皆、人が、仏に成るなど、有り得ないのである。
勿論、私は、仏ではなく、日本の伝統にある、神、命、みこと、になるのであるが。

更に、仏の下に、神々がいるとする、神という観念も、日本のものではないと、言った。
日本の、カムは、仏教でいう神とは、次元も質も、違う。
誤るな。
霊的レベルが、違う。


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2008年10月09日

神仏は妄想である 168

法華経について、書く。
中央公論社の大乗仏典を、基底にし、その解釈を、立正佼成会という、新宗教をはじめた、庭野日敬さんの、解り易いものを使う。
庭野さんは、実に解りやすく、法華経の新しい解釈という、本を書いた。

その考え方をも、批判しつつ、書く。
また、途中で、切り捨てることもある。
別の、法華経講義を、使用することもある。

初めから、このような言葉がでる。
大切なのは、「事実」ではなく、「真実」です。仏がわたしたちに教えてくださろうとする「真実」なのです。ですから実際にはありそうもないことが書いてあっても、その文字の、その文章の表面を突きぬけた奥にある「真実」、仏が教えてくださろうとする「真実」をこそ、しっかりとつかまねばならないのです。

一見、とても、優しく、頷く言葉だが、これこそ、嘘である。

真実が大切だという。
最初から、実際にはありえないことが書いてあるというのである。
その文字、文章の、表面を突き抜けた奥にあるものが、真実だという。
そして、それが、解釈によって、自由自在になるのである。
錯乱した人は、錯乱したまま、解釈する。

仏陀の説いたものを、その真実を、戯曲風にして、書き上げたものである。

真実を重視し、事実を無視するから、同じ門でも、派閥が出来る。それは、解釈の仕様である。そして、あろうことか、敵対し、攻撃し、果ては、殺しあうという、大矛盾である。

現在用いられている、法華経の、訳者は、鳩摩羅汗、くまらじゅう、である。
その翻訳、漢訳には、多くの人が、関わった。
そこで、庭野さんは、
およそ二千人にもおよんだといわれています。ですから、インドのことばから中国語に訳されても、釈尊の教えはほとんど誤りなく伝えられていると断じてさしつかえないわけです。
と、寝惚けたことを、言う。

二千人が、かかわっても、誤れば、誤る。逆に、多くの人が、関われば、関わるほど、誤ることもある。
上記、実に、主観的である。

宗教家は、主観主義である。

その後、中国では、天台大師といわれる者が、大乗小乗の経典を極めつくして、仏陀の真意は、ここにありと、法華玄義、法華文句、摩可止観を著した。
天台宗である。

難波、現在の大阪に、法華経が着いたのは、577年といわれる。
聖徳太子が、その解説書を書いている。
ほけきょうぎしょ
日本最古の書物である。

以来、1400年、そして、聖徳太子の、その後、700年目に日蓮が出た。
そして、現在は、我が我が、法華経の真髄であるという者、多数。

法華三部経
無量義経
妙法蓮華経
仏説観普賢菩薩行法経

「無量義」というのは、「数かぎりない意味をもった教え」という意味ですが、この説法の中で、その「数かぎりない意味をもった教えはただひとつの真理から出てくるのだ」ということが説かれてあります。そのひとつの真理というのは「無想」ということですが、それについて詳しくおっしゃっておられません。それで、どうもはっきり解らないのです。では、どこでそれが解決されるのか。もちろん、次に説かれる「法華経」においてなのです。「法華経」で、それをあますところなくお説きになられるわけです。そして、その数かぎりない教えは、せんじつめればこの「法華経」に説く真理に帰するのだと、ご一代のご説法の中でも最も中心になる教えを、ここで明らかにしていらっしゃるのです。
庭野

釈迦仏陀は、そんなことを、一言も、言わない。
言うのは、法華経の作者である。

この、真理という言葉が、実に、曲者である。
真理とか、真実という言葉を使う時、人は、明確に嘘であると、知っているか、あるいは、主観的観念で、言うか、である。

もし、真理というものがあって、それを、あますところなく、説くというならば、それは、嘘である。
何となれば、この世の言葉で、すべてのものを、明らかに語ることは、出来ないと、それこそ、宇宙の法を知った者なら、知っている。

あますところなく、すべてを、説いたというのは、全くの嘘であることは、今の世界を見れば、一目瞭然である。
それが、一つの迷いであるから、世界は、混沌としているのである。

詐欺師に多いのが、この文章の、奥の奥にある、真実という。
勿論、そんなものは、無い。有る訳が無い。

深読みする、行間を読むという程度のものではないのである。
新しい、意味をつけるのである。
つまり、解釈という。
それは、単なる一つの解釈である。

実は、仏陀は、解釈を必要としない、言葉を述べた。

ダンマパダより

虚ろな言葉、それは千あろうとも
平和をもたらすわずか一言の言葉に及ばない

虚ろな詩歌、それは千あろうとも
平和をもたらす一編の詩歌に及ばない

虚ろな経文、それは百行あろうとも
平和をもたらす一行の言葉に及ばない

千の戦に勝つより尊いこと
それは自分自身に打ち克つこと

その時ひとは真の勝利を手にする
その勝利は決して失われることはない
天界の天使も
地獄の悪魔も
誰であれ、その勝利を奪い取ることはできない

功徳を得ようと
百年ひたすら神を崇め
千の供物を捧げようと
千に及ぶ世俗の願望を断ち
百年にわたり森のなかで聖火を守り続けようとも
自らを克服したひとに、ひと目でも拝礼できるなら
それに勝ることはない

そのようなひと
善きこと清きことを知り尽くす「己を統べる者」そのひとを
仰ぎ敬うなら
この世で真の人生を
そして、美しきもの、強いもの、歓びを
勝ちとることができるだろう

一日でもよい、深い瞑想の日を過ごしなさい
間違った行いのなかで百年過ごすよりよい

一日でもよい、深い洞察の日を過ごしなさい
無知のなかで百年過ごすより

一日でもよい、決意をもって日を過ごしなさい
怠惰のなかで百年過ごすより

一日でもよい、事物が生じては滅するさまに
想いをめぐらし、過ごしなさい

一時間でもよい、不滅の生命を知りなさい

一瞬でもよい、無上の真理の時を過ごしなさい
今この一瞬のなかで

上記を、誰かの解釈で、教えられ、納得しても、詮無いこと。
仏陀は、己自身が、それを理解するまで、待てという。

しかし、それも、寝惚けた言葉の数々である。
釈迦仏陀から、直接聞いて、ああ、そうなのと、思うのである。

言葉というものは、実に空しいものである。

法華経を解釈する者、多々、屁理屈の極みをゆく。
更に、である。
私は、知った者となれば、万事休す。

仏教の、考え方で、言えば、この世に生まれたということが、すでに、迷いである。
悟った人は、仏陀であり、生まれることが無い。生まれる必要が無い。

生まれたということが、迷いであるという、仏教というもの、甚だ笑う。
生まれなければ、法華経も何も無い。

転生輪廻。
生まれ変りというものは、次元を別にするのである。
つまり、この世の言葉で、語り切れるものではない。
更に、悟りというものも、この世の次元ではない。
とすると、この世の言葉で、悟りを、語ることは、誤りである。

よって、いい気な者である。

釈迦は、悟って、すぐに、この世を去るという決心をした。当然である。悟ったのであるから。
ところが、梵天という、化け物が出て来て、その教えを述べ伝えよと、そそのかす。
つまり、釈迦も、魔界の化け物に、誘惑された。
本当に、悟ったの・・・
である。

最後に、釈迦が、悟っていなかったという、証拠を書くことにする。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第4弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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