2008年07月01日

神仏は妄想である 120

浄土門について、書いているが、矢張り、大乗仏教の、大元である、八宗の祖である、龍樹の論について、書くことになった。
以後、龍樹については、多々書くことになる。

龍樹が創作した、大乗菩薩道というもの、仏に至る道を、五十二にまで、分けている。
十信、十住、十行、十回向、十地、等覚、妙覚である。
十地の一番最初を、初地という。四十一番目である。

これを、真っ当に聞いていたら、頭が、おかしくなる。
一体、仏陀の教えたものは、何で、あったのか。

十地の、最初の初地の位を得ても、すぐに脱落するほど、難しいという。つまり、難行ではないか。修行という言葉が、ここで出てくる。
修行である。
宗教家が好きな言葉である。

一般に、物事を習う時期を、修行する、という言い方をするのは、理解できるが、この、仏教の修行については、理解しにくいのである。つまり、その、判定を、誰がするのかということだ。

龍樹は、あろうことか、仏に至る道は、すべて、難行であるというのである。
そして、もう一つの道、易行道というものがあると、言う。
これが、念仏である。

信方便の易行、つまり、信心を手立てに、易行である。
これが、曲者である。
万人にとっての、菩薩への道は、これしかないというのである。
それが、阿弥陀仏の、念仏の教えだということになる。
それを、親鸞などが、教行信証などで書く。

南無阿弥陀仏で、仏になっていく道で、それを、無所得空という。
それを、仏陀の中道の道だともいう。

こうして、仏陀の実践が、堕落して行くのである。

これを、親鸞は、更に深めて言うと、ある。
親鸞は、龍樹の無所得空を、すべて阿弥陀の願力をそのまま受け止めた姿であると、解釈する。

無所得空とは、何も無いということではなく、妄念が無いということ。
妄念とは、煩悩具足の人間の、物思いである。
更に、親鸞は、自然法爾という言葉を使う。

妄念、我執の人間が、悟れる道は、阿弥陀の願力に、任せるしかない。だから、阿弥陀仏の仏智を、頂いて、念仏を唱えること、いや、それを聞くことによってと、更に深まる様子である。

念仏を唱えるのではない。念仏を聞くのである。
何やら、深まるように、聞こえるが、詭弁としか、言いようが無い。

賜りたる信仰という、境地に行った親鸞であるが、賜りたると言う程のものか。
阿弥陀仏というものは、架空の存在である。
しかし、更に、それをも、方便というであろう。

つまり、それが、迷いの実体である。

つまり、阿弥陀でなくても、何でもいいのである。
兎に角、心を悩ませ、どこか、深みに嵌まり込んでみたいのである。
悩みに悩むことを、好む。更に、自虐を好むのである。

そして、道徳である。
そのように、念仏することも、賜ったのであるから、それに、報恩感謝の心を持って生きることだとの、結論に至る。
仏に、感謝する、生き方である。

あのー
自然と、共生し、共感していた、日本人である。
今更、架空の存在に、帰依して、更に、それから、賜って、信仰させてもらって、念仏を唱えのではなく、聞くのであると、複雑にしなくても、いいであろうと思うが、彼は、そのようにしか、生きられなかった。

仏教という、いや、大乗教という、言葉の世界に、ことごとく、やられてしまった。
更に、浄土門の中でも、信に重きを置く者、行に重きを置く者と、区分けされる。
それが、派閥になり、流派になっている。
勿論、同じようなものであるが、本人たちは、真剣である。
目糞が、鼻糞を、何とかである。

親鸞の、教行信証は、教、行、信を、証するために、書かれた。
つまり、信を重く見たのである。

だが信ずるとは何を信ずるのであるのか。何かを信ずるとする限り、信じられるものと、信ずる己とが向かい合う。畢竟信ずる誰かがある限りは、人がまだ残るではないか。
柳宗悦

と、ここまで、深く考えることになる。

要するに、我と汝という、相対があるというのである。
結論は、相対の無い世界へ、至る道なのである。

不信の者をこそ最も深く相手としているのではないのであろうか。信じる力の如き、上根の者たることを語りはしまいか。もし信を得られずば往生出来ないというなら、幾ばくの人がその幸を受くるであろう。人間の信に頼るのは、まだ自力を認めてのことではないのか。信も一つの力だといえよう。その力に頼らずば往生がかなわぬなら、不信の者は、決して浄土に往けぬであろう。
柳宗悦

そして、行き着く結果は、元の木阿弥である。

我々が往生出来るのでもなく、また我々が他人を往生せしめるのでもない。衆生の往生は既に十劫の昔、阿弥陀仏が正覚を取られたその刹那に決定されているのである。信と不信と、浄と不浄とそんな差別に、往生が左右されるものではない。人間が往生するのであったら、信も必要となろう。浄もなくてはなるまい。だが、往生は南無阿弥陀仏の当体にあるのであって、人間の力に頼るのではない。その故に人間の善悪の如き、浄濁の如き、智鈍の如き、信疑の如き、何の差別が、弥陀の本願を妨げるであろう。
柳宗悦

往生するのは、南無阿弥陀仏の名号それ自らである。

それゆえに、法然は、口に念仏、親鸞は、ただ信に、一遍は、人の如何に左右されないと、言う。

菅原道真
心だに 誠の道に かないなば 祈らずとても 神や護らん

どうであろか。和歌一首で、彼らの、苦悩を、乗り越えている。

浄土門の行き着いた先は、南無阿弥陀仏が、南無阿弥陀仏を、南無阿弥陀仏するということである。

いい加減して、くれや。

何も口に唱えるものを、持たないという、境地に行き着かなかったのか。

人間、そのまま、生きていればいい。
糞して、寝ていればいい。
どうして、そこまで、行き着かないのか。

阿弥陀仏の存在を知らない者でも、すでに、救われていると、どうして、そこまでに、至らなかったのか。

私は言う。
この世に、生を受けて、更に、生きることが、できるということ、それだけで、十分である。それ以上のこと、僭越行為である。

お天道様は、必ず、東から昇り、西に沈む。
それで、いいではないか。

太陽を拝していれば、すべて、事足りる。

追伸
浄土門については、死ぬまでの暇つぶしの無い人には、学ぶに足る。

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2008年07月02日

神仏は妄想である 121

神仏は妄想である、を、書いているが、私は、信仰を否定するものではない。
信仰とは、神仏が無くても、あるものである。
更に、信仰とは、極めて個人的情緒にあるもので、他が、侵すことが、出来ないものである。
言えば、それは、一人の人間の尊厳であり、それを、侵すことは、大罪である。

この世に罪というものが、あれば、それは、個人の心を、侵すことである。

一応、浄土門を終わるが、まだまだ、仏教については、書く。その所々に、繰り返すことがあるかもしれない。

罪とは、個人の心を侵すことであり、それは、心を有する、肉体を侵すことである。
肉体を侵すとは、殺すことである。
仏陀の、殺生を戒めたのは、それである。
すなわち、心は、肉体である。肉体を、離れて心は、無い。
心身という言葉は、真実である。

これは、このエッセイに余計なことであるが、法然について、最後に、私が彼を尊敬する、行為を言う。

まず、鎌倉時代の精神の幕開けを、万人平等を掲げ、更に、既成仏教が、言わない、女人往生と言い、女性も、男性と、同じ位置に置いたことである。
これは、画期的なことである。
今で言えば、男女平等を説いたのである。
人間として、同じく尊いものであると。

そして、法然は、一切、政治に関与しなかったということである。

流罪を受けた時、法然は、それを、朝恩であると言う。
勿論、皮肉もあるだろうが、決して、激して、批判することなく、恩として、受けるという。念仏禁止令が、発せられて、四国に、流される。その、四国に、念仏を伝えることが出来るのである。これは、恩である。
勿論、それは、禁止令を犯すことであるが、それは、馬耳東風である。

念仏を広めることは、朝廷への、反逆であるが、法然は、いずれの時、それが、解除されることを知っている。
そして、時代は、その通りになった。

天皇という存在を否定することもなかった。何となれば、天皇も、阿弥陀の救いの一人であり、大切な、救われる一人である。

政治は、関わらぬという、姿勢は、この、法然からの、宗教家の有り様であると、見る。
法然は、宮廷政治の中枢にいた者からの帰依を受けている。政治的に、敵対する者をも、法然は、当然の如くに、受け入れ、念仏を伝えている。

更に、天皇家も、例外ではない。
後白河天皇、高倉天皇、後白河の姉である、上西門院、式内親王を、含めて、多くの皇女や女御たちを、教化してきたのである。

更に、平家一門からも、信任を得て、更には、それを、滅ぼした、源頼朝にも、慕われたのである。
これは、宗教家、心を、扱う者の、面目である。

いつでも、政治に口を差し入れることが、出来た。しかし、そのようなことは、一つも無い。一切、政治とは、関わらぬ姿勢を、貫く。

彼は、人の心を相手にする者であるとの、明確な、自覚があった。

そして、私が、最も評価するのは、寺の一つも、建てなかったことである。

宗教家は、人の心を扱うのであり、その他一切は、持たない。
持つはずが無い。

その一点でさえ、法然の真実が、解る。
私が、法然を、評価するのは、それである。

人は、無いものでも、在ると、信じて生きなければならない時がある。
どんなに、苦しい時でも、生きること。そのために、方便があってよい。もし、それが、念仏であるとしたなら、それを、否定する何物も無い。

生きるために、体を売る人、遊女にも、救われると説く、法然の心情を、私も理解する。
生きるために。
それこそ、宗教家が、負うべき問題であり、それこそ、多くの人に寄り添う、行為であろう。
生きること。

往生を信じて、生きられるのならば、私は、それを、否定しない。それどころか、それで、生きられるならば、大いに、念仏するべきである。

生まれたからには、生きねばならない。
どんな、方便を使っても、生きることである。
それが、生まれた者の、真実である。

この世に、真理というものがあるならば、生まれた者は、生きることなのである。

予が遺跡は諸州に遍満すべし。故は如何となれば、念仏の興行は愚老の勧化なり。されば念仏を修せんところは、貴賎を論ぜず、海人魚人が苫屋までも、みなこれ予が遺跡なるべし。
弟子の、法蓮房が、老いた法然を見舞いに、訪れた時に、古来の先徳、つまり、坊さんは、皆、その遺跡、多くは、寺などがあるが、何も無いのである。どこを、遺跡にしたらよいのですかとの、尋ねに、こうして、答えるのである。

念仏というものを、通して、法然は、生きるということを、生きたという点で、私は、評価する。
そして、その、自らの、テリトリーの、明確さである。

心を扱う者、それ以上の僭越行為を成さない。

一人の人間の心を扱うのである。
それ以外の、何に、関与するというのか。

その当時も、天台座主の、慈円は、念仏宗の多くの数に、それを、自分の配下につけるべくの、行動を取る。
法然の、考え方を、徹底批判したのであるが、あまりにも、多くの人が集うのである。それを、天台の支配下に置くべくの行動を取る。

権力志向である。

日蓮になると、国の政治に、口を挟むという、誇大妄想である。

私は、法然を、宗教家の、見本としてもいいと、考えるのである。
それを、引き受けた、親鸞も、寺を持たない。
一遍に至っては、結果、残すものは、南無阿弥陀仏である。
見事な、生き様である。

一切、この世の物という、物を持たない。
故に、後世に残るべき、生き方である。

万人平等、政治に関与せず、建物を、残さない。

これは、宗教の、基本的姿勢である。
彼らの、残すべきものは、その、心である。
法然は、自らの、書き物も、残さない。
法然に関する書き物は、その周辺の者の、手による。

悟るということより、塵一つ残さない行為行動こそ、真っ当な感覚である。

私は、神仏は妄想である、を、書いているので、これ以上の、彼らの生き方には、触れない。

何が、評価できるのか、そして、何を批判するのか。
私の問題は、それである。

信仰とは、極めて、個人的な情緒であると言った。
それは、侵してならない、領域である。

子供が、宇宙を見て、円盤を信じているならば、それを、どうして、否定することか。
それを、信じて、彼が、その謎を解くべく、学びを始めるのであれば、誰が、それを、止められよう。
止めることは、罪である。

罪というものが、あるならば、そういう行為である。
それ以外に、罪と、呼ぶものは無い。


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2008年07月03日

神仏は妄想である 122

法然によって、幕を開けた鎌倉仏教であるが、法然が、選択本願念仏集を、まとめた同じ年、建久九年、1198年、栄西は、與禅護国論を、著している。

国王大臣因って仏法を滅し、毒気深く入って、今にいまだ改めず、これすなわち仏法滅の妖怪、またこれ時代の妖怪なり。
與禅護国論

既成宗団と、院政に対する痛烈な批判である。
栄西も、法然と同じく、伽藍仏教を否定する。
それでは、方法を同じくしたかと言えば、違う。

根本は、時代苦と人生苦が彼らに何を迫ったかということだ。それぞれに人間の実態を凝視したあげくに、信心決定したわけだが、そのときの決断が大事である。「宗」があったのではなく、ます「決断」があったのである。つまり新しい試練の場をみずから設定したということだ。次の単純明快な掟を見失ってはなるまい。
「禅宗は戒をもつて先とす。禅苑清規はいわく、参禅間道は戒律を先となす云々」
亀井勝一郎 日本人の精神史

栄西が没したのは、建保五年、1215年である。その時、道元は、16歳である。
晩年の栄西の、室に入り、臨済禅の風に接していた。
道元は、後に、その時の思い出を、述べている。

栄西は、金で、大師号を望んだと言われるほど、権勢欲の強い人物だった。要するに、当時のブランドを、望んだといえる。
しかし、それは、何も栄西に限らない。空海も、天皇の直結としての、宗の野望を抱いたのである。

日蓮が、後に書く、護国論は、栄西に影響されたと、私は考える。

栄西は、門弟に対しては、実に厳格な教育を行った。道元は、それに、感じたはずである。

これから、私は、道元を書くに当たって、フランス文学者の、栗太勇氏の、道元の読み方、という本を使用する。
名文だからだ。
専門外の人が書くと、より、理解し易いのである。

道元というのは山のごとく、海のごとく、どこから取り付いてもとっつきようもないし、どこから入っても道がないというしろものです。しかし、いろいろ保留はつくが、とにかく座禅を組むこと、「只管打座」というものが最大のすすめです。ですから座禅をしないで「正法眼蔵」を読んでもしようがないという言い方もあります。
栗太勇

只管打座、しかんだざ、です。
座禅。

道元にとって、仏に成る道は、座禅以外にないのである。

最も長く道元が師事したのは、栄西の高弟である、明全和尚である。九年を過ごした。そして、宋への憧れ、それが宋へ渡る強い思いとなる。

当時、道元がいた、建仁寺には、宋から多くの僧侶たちが来ていた。そこでは、中国語の講義も、行われていた。
それを、見るにつけ、道元は、宋にての、学びを求めたであろうことは、想像に難くない。
しかし、時代は、すぐに、それを許さなかった。

将軍、実朝の暗殺、承久の乱、更に、後鳥羽上皇、順徳天皇の遠流などが、続く、騒然たる世の中である。

それが、収まり、道元は、師の明全と共に、宋に渡る。
1223年、24歳の春である。

ここで、道元の辿る道を、書いていると、神仏は妄想である、というエッセイの主旨が、損なわれるので、道元の思想と、信仰について、入ってゆく。

私は、道元の文学は、実存哲学の、最たるものであると、認める。世界的にも、見事なものである。それは、他の追従を許さない。

日本にいたころ、栄西を通じて道元が見ていた禅宗というのは、天台宗の一部門であり、坐禅にしても、加持祈祷、護摩を焚く、念仏を称えるといった修行の中の一つにすぎなかった。ところが、中国禅はそれ自体でひじょうに純粋なことに、道元は驚きます。日本では、ただ坐禅を組むというだけのことですが、中国では朝起きて顔を洗い、口をすすぎ、坐禅をする。その後、作業をし、また坐禅をする。さらに若干の自由時間を持ち、また坐禅を組むというように、朝から晩まできちんと時間割りが決められています。
栗太勇

天台宗は、デパートのような、仏教である。
鎌倉仏教は、皆、この天台宗から出たものである。
要するに、最澄である。
鎌倉仏教を見れば、最澄が伝えたものが、解る。だから、最澄に関しては、私は書かない。

鎌倉仏教は、選択、せんじゃく、仏教という。
つまり、多くの中から、一つを、取り出して、選択して、それを、信仰行為とするものである。

本来は、すべて、一つにあったものである。
その人の性格により、選択されてゆくのである。
元は、同じもの。

ただ、経典として、一環して、流れているのは、法華経である。
聖徳太子の時から、法華経に対しては、すべての、僧が、それを、真っ当な経典として、受け入れている。

壮大な物語であるから、何とでも、解釈の仕様がある。
そして、今に至るまで、それは、変わらない。
日蓮のように、法華経のみを、取り上げなくても、皆々、法華経に関しての、思索が多いのである。

大乗経典の、代表作である。

面白いのは、鎌倉仏教は、選択して、一つを、選ぶが、それぞれが、それぞれを、批判するということである。
道元は、念仏を、畑で蛙が鳴くようなものと言う。
日蓮は、念仏無限地獄、禅は、天魔だという。
すべてを、否定する様、実に幼稚であるが、私も、その仲間のようである。
しかし、私と、日蓮の違いは、信仰するものを、私は提示しない。これのみで、救われると言わない。
まして、宗祖などにはならない。
宗教というものを、作る、お馬鹿な真似はしないのである。

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2008年07月04日

神仏は妄想である 123

宋の時代の宝慶元年五月一日、道元は、初めて如浄を天童山妙高台に焼香礼拝しました。師匠の如浄もまた、はじめて道元を見ました。そのときに言うには、仏から代々伝わってきた仏法、すなわち唯一の正しい仏法が、いま顔を見合わせた瞬間に、ここに実現しました。”現成”とは、潜在的にあるものが、はっきりと姿を現して、そこに現実的になることをいいます。
栗太勇

そのとき、道元に指授面授するにいわく、仏々祖々の法門現成せり
道元

ぶつぶつそそ めんじゅのほうもん げんじょうせり

道元も、顔と顔を見合わせた瞬間に自分が受けた感動は、これこそ釈迦が霊鷲山で花を拈じていたとき、迦葉者だけがにっこりと笑ったという、いわゆる拈華微笑という以心伝心の話そのものだと感じた。釈迦が迦葉尊者に微笑で伝えた、本当の悟り、真理を自分も受け継いだという喜びが身のうちから湧いてきました。
栗太勇

こうして、道元は、釈迦の正しい教えを受けたと、信じたのである。
ということは、他は、間違いであるということである。
唯一の、正しい教えである。

これが、後々、勘違いの元となるのである。

道元が、悟ったとされるのは、27歳の年である。

道元の悟りは、師匠の、身塵脱落から、心身脱落へと、行くものだった。
つまり、師匠は、身と、塵の脱落を言う。
身と、心の塵を払うことである。
それを、道元は、心身脱落と、体も心も、すべて、なくなるのだという、全否定の境地を表したというのである。

それは、坐禅の時に、一人の僧が、居眠りをして、師匠の如浄に、只管に打睡して、インモを為すに堪えんや、と言うのを、聞いて、忽然として、悟ったと言うのである。

インモの文字が無いので、仮名にした。
その時、参禅はすべからく心塵脱落なるべし、と、師匠が言ったのを、聞いての、悟りである。

以後、道元の教えは、この心身脱落にある。

すべて無くなるという、全否定というから、凄い。
また、驚く。

道元は、初めて、如浄の元で、悟り、五年間の修行の旅を終わり、翌年、28歳の時に、帰国したのである。

ここで、躓くことは、唯一の教えということである。
多くの仏法の方法があるが、唯一と、信じた道元の、思い込みである。
勿論、思い込みがあって、始めて、信じるという行為に至るのだが、若いのである。

その、情熱に、青春の一瞬は、輝くが、その輝きは、持続するものではない。もし、持続するというなら、それは、単なる、思い込みである。
若い時に、決心して、何事かに向かうことはある。それを、持続して、求め続けるということはある。また、その時に、知りえたことを、更に追求するということはある。しかし、心身脱落という、妄想がかった勘に近い、悟りを、持続するのは、余程の、没入である。
その、没入は、果たして、そのままにして、いいのか。

他を受け入れない、頑固な、悟りの人になってゆくのである。

それは、彼の著作を、読めば解る。
そして、その著作は、文学として、最高レベルのものであるから、誤る。

仏を、私の都合に合わせて、知ったのである。
それを、唯一の正しい釈迦の教えと、信じ込むあたりは、若気の至りである。

帰国した道元は、言う。
本郷にかえりし、すなわち弘法救生をおもいとせり。なお重担をかたにおけるがごとし。

弘法救生、ぐほうぐしよう
つまり、布教である。

法を広めて、生を救うのである。
要するに、衆生を救うというのである。

一体、どうして、皆々、このように、人を救うという言葉を吐くのか。
人を人が救えると、思う心が悲しい。

しかし、それは、私が救うのではない、仏が救うと、信じるから、手がつけられないのである。

それでは、道元は、仏を、どのように見たのか。
仏というもの、道元にとって、何だったのか、である。

念仏が、他力だとすれば、こちらは、自力である。

勿論、両者は、同じ境地に行き着くのである。
同じく、仏を見つめているのである。同じ境地に至って当然である。しかし、仏教家は、同じではないらしい。
宗派によって、違うというのだから、また、手が付けられない。

どちらにしても、妄想の仏という存在である。

日蓮などに、言わせると、末期的表現である。
題目のみが、仏に至る道なのである。
他を、メタメタに、攻撃、否定するのである。

正法というから、笑う。
皆、正法という。
故に、皆、正法ではないことが、解るのである。

昔、内観指導をしていた者に会う。
彼曰く、私は唯一、釈迦の方を継ぐ者であると、言うのである。
内観指導は、浄土宗から出たものであるが、彼は、唯一、私が継ぐという。
よくよく、見ると、単なるアル中であった。
妄想である。

しかし、彼が、よく物を書く者ならば、人は、誤って彼を見たのかもしれない。実際、彼の元に、多くの信者のような者たちが、集っていた。

時代性と、時代精神という、目が、いかに必要なことか。

道元は、時代が求めていた、か。
時代精神が、求めた、か。

道元は、その弘法に、失敗し、福井の山に籠もることになる。
その名も、高き、永平寺である。

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2008年07月05日

神仏は妄想である 124

仏道をならうというは、自己をならう也。自己をならうというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。
道元

これをもう少し卑俗な日常生活に適用すれば、社会や会社の中で自分が修養するということは自分ばかりにこだわっていてはだめで、修養しようとする自分をまず捨てなさい。そして常に自分を捨てよう、捨てようとしていれば、むしろ、まわりの人や人間関係によって生かされてくるはずだ。みんなによって生かされるようになれば、自分自身がそういうことを気にしなくてすむことになる。自分の在り方とか気持ちを気にしなくてすむことになる。自分がそういう状態になるということは、他の人もまた、自分の在り方や心を気にしなくていいことになると言えるでしょう。
栗太勇

道元の教えを、易しく解釈すると、このような、考え方が出来るというものである。

自己の心身および他己の心身をして脱落せしむるなり
道元

心身脱落である。
そのために、坐禅という修行形態がある。

道元の文は、最初に結論がある。
だから、迫力があるともいえる。

たき木ははいとなる、さらにかえりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり、前後ありといえども、前後際断せり
道元

たき木が燃えて灰になってしまった。燃えてしまった灰がもしたき木に戻るのであれば、以前はたき木だったけれど、今は灰になっているという言い方もできるだろう。ところが、燃えた灰がたき木に戻ることはありえないのだから、それらの間には、もはや時間的前後関係はない。そうである以上は、灰が後であって、たき木は先にあったんだという言い方自体、意味がない。
たき木はたき木で完結している。・・・
要するに、たき木としては古いとか新しいとかいう比較は許されるが、それ以上に、元々はたき木は木だったとか、あるいは燃えて灰になってしまうというようなことを論じてはならない。それは、もはやたき木の世界ではないからだ。だから「前後際断せり」という言い方が生まれる。たき木となったときから、スパッと以前の以後も、両方とも切り離して考えるべきである。
栗太勇

道元の手法は、皆、これである。

道元が、これだと、思った仏教、禅は、道元の性格に、実に合うものと、道元が、それを、悟ったと、考える。
自己表現の、最も理想とするもの、それが、禅という、形だったのであり、それによって、万人、つまり、衆生を救うと、考えるのは、僭越行為なのである。

自分が、救われたと、信じるのは、一向に問題はないが、それを持って、人を救うとは、誤りである。

そして、それは、道元の思考法に、入らなければ、ならないということである。

これからも、道元の言葉を、書き続けてゆくが、それは、道元流であるということ。その、道元流を、善しとする人には、よいが、合わない人もいる。
合わない人は、道元の禅には、救われない。

生は一時のくらいなり、死も一時のくらいなり。たとえば冬と春とのごとし。冬の春となるとおもわず、春の夏となるといわぬなり。
道元

一時とは、全時である。
一時の位であるから、それで、完璧な一つの状態である。

つまり、時間的に経過していくと考えると、相対的になってしまう。・・・・
しかし道元は、いまはいま、それがすべてだという。花咲き乱れている春と、雪の降り積もった冬と、並べたり比較してはいかん。それぞれ別の独立しているすべてなのだというのです。
栗太勇

道元を、語る人、この道元の、言葉の明晰さに、また、語るのである。
既成の価値の転換である。

そして、厳密なリアリズムが、道元の禅である。が、それは、道元が、宋に渡り、中国の表現法を持って、我が表現法を、見出したといってもよい。
あくまでも、中国思想の、禅という、やりかたなのである。

正法眼蔵は、幾重にも奥深く錯綜している言葉の密林のようなもので、伝え難い秘密に敢えて表現を与えようとしている苦行そのものの表現と言ってよい。
亀井勝一郎

良く解釈すれば、このようになる。

道元にしかない表現活動であるが、それは、道元に合ったものである。
ここに、問題がある。
それを慕う人にはよいが、そうではない人もいる。
それらの人にも、さあ、道元を読めということは、出来ない。

道元の修行も、そうである。
それを、求める人には、よいが、それを必要としない人には、意味が無い。
万人に意味があるというものは、この世に無い。

この時代は、仏教は、最高の学問であった。
学問自体に、疑問を差し挟む時代ではない。
仏の教えといえば、大手を振って、渡ることが出来る時代である。

江戸時代になり、ようやく、儒者らが、仏教批判に転じるのである。
それまでは、仏教という学問は、批判の対象にもならない。

当時の常識を、もって、見渡すと、宋から、学んで戻った道元の様は、当然、人が受け入れるものという、考え方があった。
隋の頃から、日本にとっては、手本とするべき、大陸の大国である。

天竺から、日本に渡った僧もいるが、それよりも、中国からの僧を、重大に捉え、受け入れている。

中国に、留学することは、当時のステータスだった。
中国思想を通した、釈尊に、帰れという、命題を、道元は行為した。
故に、我は、釈尊の唯一の、法燈を継ぐ者であるという、強大な意識を、持つのである。
それが、大きな自己顕示欲だとは、気付かない。

内大臣久我道親を父とし、摂政藤原元房の息女を母として高貴の家に生まれ、やがて家も傾き孤児となった道元にとって、無常観とともに、こうしたかたちでの自己否定は必然であったと思われる。
亀井勝一郎

果たして、道元の厳しい、行としての、坐禅は、衆生を救いうるものであるか。
限られた者のみに、許される門ではなかったのか。

宋から、帰国し、京都において、弘法行為を行うが、思うように、ならず、遂に、道元は、人里から離れ、福井の地に向かう。

そこを見ることで、道元の、頑なな行為行動を見る。

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2008年07月06日

神仏は妄想である 125

尽界はすべて客塵なし、直下さらに第二人あらず。悉有それ透体脱落なり。
じんかいはすべてきゃくじんなし、じきかさらにだいににんあらず。
しつうそれとうたいだつらくなり。
道元

仏教、とくに大乗仏教には仏性論という考え方があります。すなわち、人間には誰でも「仏性」という一つの素質、種子が備わっている。したがって、これに目覚め、これを育むことによって、人間は誰でも仏になれるのだという考え方です。
栗太勇

この、大乗の、仏性論というのは、実に、如何わしいのである。
これが、後の人々を撹乱させた。
玄奘の法相宗は、それを、認めていない。玄奘は、大乗の研究としては、第一級の人である。
後に、それを、書くことにするが、後々である。

この思想の、根拠になっているのが、般若経にある、一切衆生 悉有仏性 如来常住 無有変易、である。
この中に、すべての仏教の真実が含まれていると、言われると、言う。
誰が言うのか知らないが、そういうのである。

この仏性論について、道元の考えを展開しているのが「仏性」の巻ですが、ここで道元は、従来の通説を打ち破り、それを超越した大胆な考えを示します。この否定の上での飛躍がいかにも道元らしいところです。・・・・
道元は「一切の衆生・悉有が仏性なり」と読めと言う。「悉有」とは「ことごとくにあり」ではなく、彼の言葉でいうと、「悉有」それ自体が仏の言葉であり、仏の舌である。仏祖の目の玉であり、出家者の真実である。つまり、全存在ということになります。
いっさいの生きとし生けるものは、だから悉有の一部であり、山川草木国土が、そっくりそのままズバリ仏性である。全存在が仏性そのものであり、仏性以外の何物でもない、というところまで突き詰めていきます。
栗太勇

尽界はすべて客塵
この世は、すべて主体性そのものであり、対象となるものはないというのである。

直下さらに第二人にあらず
ただいま現在の、いまここに、第二人者、二人目の相手となるようなものはない。ただ、すべて、一人称の一人だけしかいない。

天地宇宙がただ一人、すべてを含んだただ一人のものとして、仏性をさらけ出している。もちろん草木も衆生も、人間も私もあなたも、この悉有そのものであり、仏性そのものです。
栗太勇

以前、日本だからこそ、仏教が、花開いたと言った。
日本人の感性を、持って、仏教というものに、新しい、思想的思索が、加えられた。

その後の、中国仏教が衰退しても、日本には、脈々と、仏教の流れが出来た、そして、今も、それが、ある。
それも、仏教家、僧たちとは、別の形で、である。
日本の仏教思想は、仏教家や、僧たちから、離れて、今、様々な、分野の人々によって、検証され、新たに、生まれようとしている。

それは、宗教という組織を、離れたところで、行われ、それは、実に、理想的に、行われるという、状況である。

宗教という、仏教には、用はないが、仏教という、ものの考え方には、用があるのだ。
それは、人間というものを、考える時に、有効な手段となり得る。それには、私も、賛成である。

後で、道元の求める、求道の姿を言うが、彼の門にいる者、今、誰がそれを、継いでいるのか。ほとんど、誰もいない。
永平寺などは、おおみそかに、NHKが、思い出したかのように、ボーンと、鐘を打つ音を、鳴らして、こ汚い僧たちの、読経の様を、全国に放送するのみの、価値である。

寺にいる間は、清純清潔のように、見せるが、末寺に戻ると、在家よりも、甚だしい、罪の生活をするのである。
在家より、罪深い生活をするのは、何も、禅宗の僧たちだけではない。
全国、日本仏教の僧たちは、皆々、在家より、罪深い生活をして、のうのうとしている様である。

これを、唾棄すべき者という。
更に、信長なれば、全員、焼き討ちである。
私も、そうする。

仏典を、深読みするというのは、日本の仏教家の、特徴である。
皆々、勝手に、仏典を深読みして、それぞれの、教義やら、教えやらを、立てた。
勿論、それは、妄想である。

深読みを、感嘆賛嘆する者もいるが、私は、妄想以外の何物でもないと、見ている。

例えば、日夜、蒲鉾を作る人より、彼らが、優れているとは、思わない。
絶えず、皆が、旨いと思える蒲鉾を、作るということで、奉仕する人に、私は、仏陀の教える、生きるということの、本質を観る。
漁師も、百姓も、日々の生活を送る人である。
更に言えば、捕る、育てて採る、作る人々である。

よい米を作るために、日夜努力奮闘する人より、坐禅をする人が、落ちるのである。
人生の秘密を、知るためならば、坐禅をする前に、人に奉仕する仕事をせよと言う。

仏の教えが、人の心を、救うとか、慰めるという、勘違いは、止めることである。単なる、迷いを、教えているのである。

仏性などいう、カラクリは、単なる、言葉の遊びである。
そんなものを、あえて、持ち出すことなく、仏性や、神を超えたものを、人は、持つのである。

結局、彼ら、有名無名の僧たちも、我の内に在るものに気付いたという。
そのために、無用なことに、汲々とし、仕事もせずに、言葉遊びを、繰り返しているのである。

僧たちの、作務など、子供騙しである。

この世に生まれてきたことは、地獄に生まれたということである。
その、地獄で、仏を云々などしている、暇があろうか。

道元の存在価値も、鎌倉時代という、時代性にある。
現在、道元がいたならば、引きこもり、オタク、危険神仏ではない、危険人物とされる。

道元の書き物を、持って、更に、思想や思索を、深めるというなら、理解する。しかし、道元に、浸りきると、誤る。

道元は、あの時代の道元で、終わっているのである。

すべてが、主体である。
つまり、実存である。
一人称のみ、それ以外は無い。
見事な言葉遊びである。

それで、彼の築いたものは、役立たずの曹洞宗という、僧の集団である。

まだまだ、道元の世界を、続ける。

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2008年07月07日

神仏は妄想である 126

道元について、書いているが、少し休んで、日本において、仏教が、生成発展したことを言う。

玄奘三蔵法師が、天竺に向かった当時、その行く道は、すべてが、仏教を報じていた。国王から、仏教徒であった。
しかし、その後、すべてイスラムに乗っ取られた。
仏教は、壊滅である。

何故か。
仏陀の慈悲の思想というものが、いかに、行いにくいかということである。

勿論、日本にても、仏の祈り、戦いに臨んだ者は多い。しかし、それでも、仏陀の慈悲の思想を、手放さなかった。それは、元からあったものであるからだ。

万葉集を読めば、それが、解る。
慈悲というものは、万葉集の、すべての歌に現れてる。

私は、それを、もののあわれ、として、認識している。
それは、慈悲にまつわる、日本人のすべての、心情のことである。それは、心象風景として、更に深まるのである。

そして、仏教を奉じる者で、極地に行く者は、すべて、日本人の感性として、仏教を受け入れているということである。

例えば、念仏の一遍は、捨て聖として、念仏行を行った。
それは、建物も、書き物も、残すことなく、ただ、念仏に、自らを、投入して行く様である。念仏に成り切るという、極地である。
それは、念仏に成り切るというだけではない。
そのように、出来たのは、彼が、日本人の感性を持って、念仏に当たったからである。

つまり、日本人の、自然との、共感と、共生の心を持って、念仏というものを、理解したからである。
それは、実に、自然な行動だった。
跡に何も残さないという、心は、日本人の原風景である。

建物を、残す、書き物を、残す者は、二流以下である。
一流でも、建物や書き物を、残す者がいる。

最上級の者、何一つ、残す物は無いのである。
それは、日本人ならば、すべて、自然に帰るということを、知っているからである。

念仏も自然に帰るのである。
その自然を、仏と、呼んでもいいのである。

華厳宗の明恵という、僧がいる。
彼もまた、日本人の感性として、仏教を受け入れた人である。

密教、念仏宗などが、盛んであり、堕落していた、奈良の仏教を立て直したとされる人である。

その教えは、ひたすら、釈迦の教えに帰れ、だった。
しかし、その釈迦の教えとは、何かと問われれば、膨大な仏典の中から、選ぶことになる。しかし、明恵は、釈迦の教えを、伝統から、理解した。

それの証拠は、明恵の歌にある。
彼は、何十年にも、渡って、自分が見た夢を、綴った、夢の記、というものを、書いている。それも、不思議なことであるが、彼の歌に見る、大和心である。

山寺に 秋のあかつき 寝覚めして 虫とともにぞ 鳴きあかしつる

山の寺で、秋の明け方、目覚めた。そして、虫の音に、聞き惚れて、ついには、虫と共に鳴き明かす。

虫を対立したものとは、置かない。
虫ともに、鳴くのである。

夜のうちに 汲みほす水に あえなくも いつまでとてか 宿る月かげ

夜のうちに、汲み干してしまう、水の中に、写る月影。
ただ、それだけである。

そのままを、詠む。
それが、大和心である。

大和心にて、釈迦を、理解するのである。
だから、日本人にして、仏教は、更に生成発展したという。

それは、仏教だからではない。
日本人だから、仏教になっていったのである。

でなければ、シルクロードのイスラム化は、いかなることか。
アフガニスタンなども、仏教遺跡の多い、仏教の国々だった。しかし、今は、御覧の通り、イスラムである。

仏教を、より深くしたのは、日本人だからである。
更に、仏陀の地は、そのインドは、バラモンと、ヒンドゥーに、取って代わられたであろう。今は、仏教など、見る影も無い。

今、残る仏教は、小乗が伝わった地域である。

大乗の偽の、仏教が、ここまで、成長したのは、日本人による。

嘘、偽の、仏教を、大和心により、本物にしたのである。

息吹を吹きいれたのである。

大和心で、である。

世の中の せめてはかなき ためしにや 月さえかりの 宿りにぞすむ

月さえ、仮の宿りに棲む、と、歌う、心根は、大和心である。

万葉にあっても、おかしくない歌である。

月の光でさえ、仮の宿りに写るのである。それならば、この人の世の、儚さは、いかなるものか。

はかなき、は、あわれ、にゆくのである。
神仏は妄想である。
しかし、神仏を、奉じた者が、妄想ではない。
現実に生きた人である。

法然、一遍、明恵と、何物も、残すことがなかったという点では、私は、理想的な、宗教家であるという。

法然の書き物は、人の求めに応じて、その弟子たちが、まとめたものである。

その点では、最澄や、空海は、評価しない。
空海は、稀代の詐欺師である。
千年も、その詐欺に、気付かないという、愚かさは、また、ただ事ではない。

さらに、道元を見てゆく。

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2008年07月08日

神仏は妄想である 127

而今の山水は、古仏の道現成なり。
じこんのさんすいは、こぶつのみちげんじようなり。
道元

自然における人間のあり方を、とことん突き詰めた道元の、結論がここにあります。
栗太勇

栗田氏は、その前に、
われわれ日本人は、自然というのはもともと存在するありのままのものだと思う。しかし、ヨーロッパで自然―――ネイチャーといえば、神の被造物だから神の秩序の下にあると考える。神の秩序の中にないものは、これはカオスです。カオスとは、混沌であり悪魔です。自然ではありません。
だから西洋においては、自然は神が造った秩序であり、人間も同様である。つまり、人間と自然とは、神様を仲立ちにして、同じ被造物として対立の関係にあるということになる。
と、言う。

この手の話は、多い。
欧米人は、自分たちが、理解出来ないものは、悪と、考える。
それは、キリスト教による。
理解出来ないものは、皆、悪魔から、出ると、信じる。

チューク諸島、エモン島に、慰霊に出掛けた時に、若者の葬儀を見た。
島の人は、ブラックマジックに、掛かったと、理解し、島の、方法で、彼を助けようとした。しかし、教会は、それを、悪魔的方法であると、両親に言う。信仰深い、両親は、島の方法を、断った。
島の一人が言う。
誰でも、それを、行うことが出来る。
山に入り、草の新芽を採り、それを、煎じて飲ませれば、治るのだと。
グアムの病院、ハワイの病院を回り、それでも、治らない。それで、島に戻して、亡くなったのだ。

このように、キリスト教により、彼らの理解出来ないものは、悪魔のものと、判断すると言う、非常に短絡的思考なのである。

日本人は、自然を、もともと存在する、ありのままのものだと、思うと、栗太氏は、言うが、それは、どこからのものかを、言わない。
古代からの、日本人の感性であり、それが、現されているのは、万葉の歌である。

さて、道元の言葉である。
有名な、山水経の中にある。
而今の山水とは、その中に、過去、現在、未来を、通じて、絶対的な、今の存在としてあるというのである。

ということは、とりもなおさず、かつて釈迦なら釈迦のような真理に到達した人が見た山水である。対立する人間と自然というような差別もない。自分を捨てきったときに、そこに現れてくる全宇宙というものがある。
「古仏」の仏とは真理ということです。古とは昔ということではない。かつて釈迦や悟りを開いた人がはっきり体験した瞬間のことであって、それは永遠の瞬間です。自分が悟りを開いた瞬間もまた同様で永遠です。したがって仏道の先輩たちが見た山水の姿は、いま自分が目の前にしている山や水に、そっくりそのまま現れている。
栗太勇

見ている自然、見られている自然、という、概念を超えた、それらを、すべてひっくるめた永遠の世界というもの、それが、今、そこに、姿を現すというのが、山水経であると、栗太氏は、言う。

道元の文は、名文である。
心に迫る質が、他の文とは、違う。
文学として、日本が、誇れるものである。

しかし、だか、と言う。
道元の、発見は、すへでに、日本人の、持つものである。
道元は、漢語を使い、見事に表現したが、それは、日本人が、もともと持っていた、感性である。

いわばしる 垂水のうえの さわらびの 萌えいずる 春になりにけるかも
志貴皇子

ただ、自然の様を歌う。
春が来たと、歌う。
その春は、永遠の春である。
今、春しかないのである。
歌は、多くを説明しない。
しかるに、仏教は、延々と説明する。そして、更に、何とでも言う。
理屈に理屈を、重ねる。
人は、それに翻弄される。

道元の見事な、文に、感動するのは、理解するが、それは、元々、そのように、あった、日本人の感性による、捉え方であった。

連続している時間の中の昔ではなく、昔の釈迦が生きていた瞬間の真実ですと、栗太氏は言うが、昔の釈迦が、生きていた瞬間の真実ですという、感覚は、どこからのものか。

今、目の前の山水は、悟りを開いた釈迦が、見た瞬間の山水だという。

これは、発見ではなく、確認である。
日本人は、そのように、自然を観ていたのである。

古今の絶唱といわれる、万葉、舒明天皇の御歌。

夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は 今夜は鳴かず 寝宿にけらしも
ゆうされば おくらのやまに なくしかは こよいはなかず いねにけらしも

何事もない、沈黙と、静寂を歌う。
すでに、時間を超越し、さらに、自然との、対立なく、和している。
それは、今が永遠なのである。

しかし、ここで、道元と違うことは、そこには、神も仏の無いということである。あるのは、自然のみである。
しかし、道元は、釈迦とか、仏を持ち出すのである。

神も仏も、置かない、歌というもの、それが、日本の伝統である。

道元も、そこから、逃れ得なかった。日本人である。
ただ、仏という、方便を置いたのである。

天智天皇御歌

わたつみの 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 あきらけくこそ
わたつみの とよはたくもに いりひさし こよいのつくよ あきらけくこそ

そのまま、生命力の歌である。
しかし、それを、説明しない。

海上遥かに、大きく豊な雲が、旗のように、たなびいている。その雲に、夕日が射している。今夜の月は、清明であろう。と、歌う。

神や仏を、置かない。
自然のそのままを、歌う。
数万語を超えて、三十一文字に託すのである。

私は、道元を、世界に通じる、実存哲学であると、言う。
しかし、万葉は、実存という言葉も、超えて、つまり、説明せず、そのままを歌い、それで、完結する。
その、完結は、ただ、広がり行くばかりである。
無限である。そして、永遠である。

而今の山水は、古仏の道現成なり、と語らなくても、万葉の歌は、それを、軽々と超える。

道元の求めたところは、仏ではなく、大和心である。しかし、それに行く着く前に、坐禅で、止まった。

それでは、名も無き人の、万葉の歌である。

大海の 島もあらなくに 海原の たゆたふ波に 立てる白雲

大海の 水底とよみ 立つ浪の 寄らんと思へる 磯の清けさ

海原の 道遠みかも 月読の 明すくなき 夜はくだちつ

主観、客観を超えて、貫流するもの。
多くの言葉を、使用せずに、歌い上げる、あるがままの、姿。

どこにも、神や仏を、持ち出さないのである。

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2008年07月09日

神仏は妄想である 128

太陽山偕和尚、示衆云、青山常運歩、石女夜生児
たいようさんかいおしょう じしゆうにいわく せいざんつねにうんほし せきじょよるこをうむ

これはすごい言葉です。動かない山(青山)というものは、実はつねに歩いている。子を生まない石女が、実は、夜、子を生むのだというのです。ずいぶん無茶苦茶で矛盾した言い方です。私たちの常識を著しく衝撃します。
いつも道元は、まず結論を出して人を驚かして、それからそのいわれを説いていくのですが、道元の解説によると、つまり、山にはすべてのそなわるべき真実が、まったく欠けることなく、そこに存在している。そういう意味で言えば、山はつねに安らかにそこに住んでいるのである。
しかし、山が歩くということも、人間が動くということも本来は同じであるから、人間が歩くように目に見えないからといって、山が歩いているということを疑ってはいけない。
栗田勇

それから、解説に入るのだが、それが、事後預言のような、話になるのである。

禅というもの、実に、不思議である。
言葉を、手品のように、扱う。そして、それを、そうそう、解説せずに、悟り云々というのである。
さらに、それを理解しない者、出来ない者は、欄外となる。

不立文字、つまり、語らないと、言いつつ、語る、語る。

確かに、山が動くと、云われれば、皆、驚くに決まっている。その、衝撃に、期待して、何事かを、教えるというのである。
それは、考える手引きとなるものだが、単なる手品のようなものである。

一時期、私も、禅の言葉に、心酔したことがあった。
勿論、若い頃である。
そして、あろうことか、何事かを、理解したと思っていた。
何のことは無い。言葉遊びであった。

問題は、動くということと動かないという矛盾したことが、どうして一致するのかということです。「運歩」とは、つねに歩く、言い換えれば、つねに、刹那刹那に動いている、変化しているということ。つまり、山というのは細かく見れば変わっている。・・・・・
何億年という単位でみれば地殻も変化するし、地震も起こす。太平洋トラフトがトラフトの下にもぐっていく。すなわち山は動いているわけです。
しかし、そのように変化しているからこそ、山というものはつねにさまざまな形は変えるけれども、永遠の山は不変であるとくる。
栗田勇

山中とは世界裏の花開なり
さんちゅうとはせいかりのけかいなり

山の中にいるということは、実は、世界裏―――世界の中で花が咲いているということだ。
花開くとは、刹那、瞬間の現象を意味します。たとえば一輪の花が開くという現象の中に、実は山全体というものが姿を現しているのだというのです。
栗太勇

この調子で、進んでゆく。
さらに、道元は、山の中に、そのような宇宙の真実を見ることができない人間は、悟らず、知らず、見ず、聞かず、まったく真理を知ることができない、という。

ある人が、私のエッセイを、読んで言う。
言うことは、よく解るが、私の考えと違うと。
それは、大いにあり得ることである。しかし、道元の文になると、それが言えなくなる。道元という、権威があるからである。

これらは、実は、小学生の、物を考えること、という時間などで、教える程度のものである。
急死された、ある女性哲学者の方も、禅は、残りえる宗教だという。
それは、考えるヒントになるからである。

問題は、それからである。
道元は、山の寺に籠もり、規律正しい生活の中で、僧として生きられた。
後々、道元の、規律についても、書くが、結局、娑婆、現実世界とは、離れた場所にて、生きることができた。
ただ、それだけの違いである。

禅の、言葉を、生きるとしたら、現実社会の中では、生きられない。
それは、道元も言う。
出家することなのである。

話を、元に戻す。

だから、何だと言うのかという、言葉の数々である。

石女、うまづめ、が、子供を生むという。
うまづめは、子供が産めないから、石女と、呼ばれる。
それを、石女が、子供を生むと、脅す。

仏法から、見れば、石そのものは、不変であるかのようだが、実は、生き生きと活動していると、こういう、話になる。

であるから、何でも、いい訳である。
思考の転換を、促す言葉であれば、何でもいいのである。

女が、子供を生むのではない。因縁が、子供を生むのである、と、言ってもいい。
一人の人間が生まれるには、膨大な人の縁あればこそである。
そのように、いくらでも、言葉遊びができる。

青山すでに有情にあらず、非情にあらず。自己すでに有情にあらず、非情にあらず。

その境地は、もはや人でもなければ山でもない、山でもなければ人でもない。そういう山や人間という差別を超えたその奥にある深い、永遠から今につながる真実の姿というものが見えてくる。あるいは、そういう境地に立ち至っている。
栗太勇

これは、フランス文学者の書いた、道元の言葉の解説であるから、よく解るが、禅の僧たちの、解説になると、さらに、そのための、解説が必要になってくる。
いかに、深いのかということを、書く、書く、書く。

自分と山が、一致しているという実感を、味わうというのである。
それでは、何故、源氏物語から、それを、知ることが出来ないのだと言う。
大和言葉の世界は、それ、に、満ち溢れている。しかし、それを、殊更のように、言うことはない。水のように、さらさらと、流している。

どちらが、上級なのかは、一目瞭然である。

道元は、日本人として、禅を理解したのである。
それは、インド哲学、中国哲学を、超えていたものである。
彼、自らの内に、あったものである。

主観も、客観も、無い世界が、開けるのである。とは、言うが、それを、実生活で、生きるとする時に、どのようなことになるのか。
何の変化もない。

それを、和歌にして詠むのが、日本人である。

実生活の中で、それを、生きるべきく、先祖たちは、和歌を詠んだ。

もっと極端に言えば、逆に、山が歩くというよなことを手がかりにして、山のことなんか忘れてしまえ。あるいは、山を見ている人間がいるという考えも捨ててしまえ。あるのは山だけだ、あるいはその山もないのだというような境地、心持を体験しなさいと言っています。
栗太勇

こうして、尽きることの無い、深み、深さに至るのである。
本当だろうか。

それを、日々の生活に生かすとしたら、どういうことになるのか。
そんなことを、感じていたら、空気の読めない人になるだろう。
だから、禅を語らせたら、暇な人に限る。
延々と、繰言のように、話し続ける。

それで、よく解らないと言うと、兎に角、座れという。坐禅のことである。

もう一人、フランス文学者である、森本和夫という人も、道元をよく読んだ人である。

なるほど、「世界」に「水」があるということは事実だといえるにしても、それは一面的なとらえかたにすぎない。世界の水だけを考えていたのでは、「水」そのものを考えたことにならないのである。そのような偏見を捨て去って、絶対普遍的な立場から「水」というものをとらえてみるならば、「水」の場所に「世界」があるということもいえるのだ。
森本和夫

こうして、道元の言葉から、迷いの道に踏み込んでしまうのである。

絶対普遍的な世界、それは、すなわち、仏の世界である。
要するに、すべては、仏の世界を、現すというのである。

それでは、私も、一変に飛躍して、芭蕉の句を言う。

有名な、駄作がある。
しずけさや いわにしみいる せみのこえ
である。
禅をする者、どのように、解釈するのか、訊いてみたい。

静けさと、蝉の声である。
さて、どうする。
蝉の声が、静けさを、現す。
それ、仏の世界ではないか。

人を、惑わす仏の世界が、その句にあるではないか。

蝉の声が、静けさというものを、より一層、讃えているのであろうか。
蝉の声も、静けさも、一緒、つまり、同化している世界、つまり、仏の世界であろう。

要するに、何でもいいわけである。

古仏云、「山是山、水是水」
こぶついわく、やまこれやま、みずこれみず

道元は、それを、解説して、
やまはこれやまというにあらず、山これやまというなり。しかあれば、やまを参究すへし。山を参窮すれば山に功夫なり

やまこれやま、という、日常レベルではなく、目の前にある山は、無限絶対という、仏の世界と、一体化した、やまなのである、ということである。

目の前の山が、カラーフイルムが反転するように、バッと飛躍してひっくり返ると、絶対的な真実が見えてくる。これはひじょうに美しい文章で、道元の面目躍如といえましょう。
栗太勇

後で、禅語録を、読むが、そのような、飛躍した、言葉に溢れている。

飛躍しているのか、イッてしまったのか、解らないが・・・

思想としての、禅は、非常に評価できるものである。
何気ない言葉に、新しい息吹を吹き込むのである。
そして、楽しい。

粘土から、美しい、陶芸が、出来るのである。陶芸品でよし。
それが、仏に至ると、誤る。

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2008年07月10日

神仏は妄想である 129

さて、
道元の禅は、最初、栄西による、臨済宗の禅からはじまり、中国に渡り、曹洞宗の禅によって、覚醒した。
しかし、本人は、宗派にあらず、名前もないという。
これが、仏陀への唯一の道であると、考える、信じるのである。

それでは、少し、禅というものを、歴史的に、俯瞰してみる。

禅と、一口に言っても、広い、インド禅、中国禅、そして、日本禅がある。
健康法として、知られるヨガも、インド禅の一つである。

東南アジアの、仏教では、別の瞑想法を、行ずる。
北方仏教も、小乗禅と、大乗禅がある。

実は、天台宗の止観、真言密教のユガというものも、浄土宗の念仏も、禅の一部と、みなすのである。

この、禅という言葉は、中国語である。つまり、漢訳の言葉である。
インドでは、瞑想を意味する、ドヒャーナ、または、ジュハーナという言葉であり、禅とは、漢字で、音写した時に、生まれた。

ドヒャーナは、ヨーガと呼ばれるもの、精神統一法の、心の制御の一つの段階である。
ちなみに、ヨーガとは、結合という意味で、心を、しっかり、一つの対象に集中させるべくの、方法だった。

中国では、禅定という言葉が、使われることになるが、それは、サマードヒーといわれるもので、禅よりも、深く心が安定した状態を言う。
三昧という、境地を言う言葉は、それを、音写したものである。

それでは、禅という文字は、最初、どのような意味を持っていたかと言えば、譲る、奉るである。
中国初期の、翻訳が、禅という言葉に、訳したのには、政治的、宗教的心情があったと、言われる。

それは、最初、西暦紀元前後に、シルクロードから、やってきた仏教の、禅とは、神秘的な力、超能力に対する信仰と、共に始まったという。
それは、当時の、道教や、神仙の信仰が、盛んであったことと、関連する。

古代のインドは、禅の実践によって、つまり、ヨガによって、天に生まれることが、出来ると、信じた。
現世では、五種、六類の、神通力が、得られると、信じられた。

仏教が、中国人の心を捉えたのは、おおよそ、それである。
後漢末に、安息国から来た、安清高という僧は、天文、医術、鳥獣の声を聞き分け、彼が、伝えた、経典は、禅に関するものが、大半だったという。

西域と呼ばれる、中央アジアは、中国人にとって、神秘の宝庫だったという。
中国最初の、仏教史書は、高僧伝として、仏典を伝えた翻訳者、学僧などは、皆、神通力の持ち主であったと、書かれたのである。

しかし、漢文に翻訳された、小乗、大乗の仏典の研究により、それらの、神秘的なものが、失われ、文学的空想、哲学的思惟の世界へと、向かう。

六世紀末になると、多くの経典を、組織化し、禅の実践によって、体系づけた、天台宗が、生まれる。
それが、天台チギと、言われる者である。
さらに、ここから、禅と、念仏の二派に、分かれて、思想、宗派を、形成する。
インドでは、禅も、念仏も、仏教にあっては、根底にあるもので、それぞれが、独立するような形は、無い。
中国に至って、そのようになった。

さて、一方、この天台宗の成立より前に、北魏に来た、西域の僧、ボダイ・ダルマを、始祖とする、禅がある。
その、伝記は、明らかではない。
この、禅宗が、今日言われる、禅宗である。

この、禅宗と、天台宗の、大きな違いは、インド仏教の、残滓を全て捨て、完全に払拭したことである。
つまり、新しい、宗教活動の誕生である。
この辺り、ダルマのことが、不明というのが、何とも、不安である。
つまり、何かの作為があると、思う。

ダルマの方が、中国的であるという、点である。
インド仏教以前に存在したと、その弟子たちが、創作していったと思われる、経緯がある。

この、ダルマの禅は、神秘的能力などの、超能力は、一切認めない。さらに、坐禅によって、心の安定さえ求めないという、徹底した、ある、考え方を、持つに至る。

ちなにみに、禅を、ゼンと読むのは、日本人であり、中国では、チャンと、読む。

世界に広がる、禅は、日本禅のことである。

中国で、翻訳された、仏典に、多くの、道家の言葉が使用されたと同じように、日本が、西洋思想を、取り入れて、翻訳する際に、多くの禅の言葉を当てた。それが、後々、禅というもの、哲学として、語りえるものになる。

つまり、言葉の誤魔化しである。
そこに、問題意識のある者の、存在を見ることもない。

西田幾多郎という、哲学者は、禅の悟りを、哲学したといわれる。そして、それを、言葉に書いたとするならば、である。
もし、本当ならば、禅というものは、在り得ないのである。
言葉で、悟りが、語れるということは、禅の堕落である。

無とか、空など、それは、道教による言葉だった。しかし、今では、仏教のもののように、思われている。
それは、日本も同じくである。
西洋哲学と、禅の伝統は、全く違う。
しかし、その違いを忘れて、西洋哲学の中で、平気で語られるという、ザマである。

それは、実は、話にならないのである。
和歌を、英語に翻訳する、俳句を、英語やフランス語、イタリア語に、翻訳することと、同じになり、決して、和歌や、俳句の、微妙繊細な、情感は、得られない。
日本語により、和歌や、俳句の意味がある。

それと、同じことである。

日本禅を、西洋哲学が、語り始めて、堕落した。
更に、禅家の皆々である。
西洋哲学に、おもねるように、行為したから、終わっている。

さらに、西洋哲学をする者の方が、禅を、理解するのに、易しい語り方を、するというのである。

実は、結論から言うと、禅とは、実践の何物でもない。
語れば語るほど、嘘になる。
大嘘になる。

それでは、どのような、行為になるのか。
追々書くことにする。

一つ、道元は、その実践に賭けたと、評価することが出来る。
戒律である。
後で書く。

仏陀にはじまる、修行生活が、今なお、継続されているのは、セイロン、タイ、ビルマなどの、上座部、つまり、小乗仏教といわれるグループと、日本の禅専門道場であると、いわれる。
確かに、日本の禅、専門道場にては、そうであろが、そこを出ると、元の木阿弥である。
僧侶という、仕事に、堕落する。

仏陀最大の、教えは、出家者は、ペニスを膣に入れてはならない、である。

これほど、厳しい掟は無い。
悟りの前に、それに、やられる。
仏陀が、それの、経験者である。
そこから、逃れるのは、至難の業である。

ところが、禅のアホに言わせると、男女の仲を知らずに、何が解ると、豪語し、それも、禅の心のように、言う。
つまり、禅とは、何とでも、言えるものだと、私は、悟った。

それならば、源氏物語の、創作の、好色の物語の方が、ずっーと、仏陀に近いのかもしれない。
あれ程、好色の様を、描きながら、もののあわれ、という、心象風景に至るのである。

仏陀の観たもの、それは、心象風景である。
それ、もののあわれ、という、風景に尽きる。

神仏は妄想である、という、エッセイを書いている。
禅は、実に、神も仏も無いという、究極に至ることが、出来る。
だから、このエッセイの本意にはないのであるが、仏を、持ち出すので、書くのである。

禅には、仏という存在すら、無くていいのである。
これを、天山禅と、呼んでも、いい。
禅とは、そういう、可能性を持つ。

行為以外に、修行は無いとは、仏陀の究極の教えである。
人は、行為によって、成る者に、成るのである。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第3弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする