2009年05月30日

最後の沈黙を破る 30

中国の国家副主席と、陛下を特例で、会見させるという、アホ。

共同で、油田を開発しようと、約束していた中国は、さっとさと、油田を建設したのである。
その抗議もなく、唯々諾々と、言いなりになるという、アホ。

民主党の、小沢が、600名を引き連れて、中国へ。
次は、中国との、取引で、金儲けをするのだろうかと、疑う。

売国奴とは、小沢のことらしい。
日本を売って平気のへいさである。

利権を得るというのは、政治家の、最大の、旨み。

首相より、偉いらしい。

それにしても、中国は、やり手である。
陛下にお会いするためには、一ヶ月前に、文書で、申し出る。

しかし、中国の要人、つまり、次期、国家主席を目指すもの、11月の下旬に届け出た。
どこまでも、不躾に、やりたいようである。

嘘つき中国人の、最たるもの。

いよいよ、日本の中国化、中国の一部に取り入れようとする、算段か。

ゴキブリ中国人の、やり方である。

倫理観の無い、中国では、孔子の論語が、今、再び、注目されているという。
これは、異なこと。
中国共産党は、それ以前の、中国の、歴史的遺産を、すべて、捨てたはず。

今頃、論語など、持ち出して、どうするつもりなのか。

論語が、生きたのは、日本であり、その解釈も、日本ものである。
彼らは、論語さえ、読めないはず。

漢字の、文化は、日本で発展、完成した。

漢字を、どんどんと、簡略化させて、昔の漢字など、読めない中国人は、山といる。

更に、中国思想は、日本にて、開花したものである。
中国は、支配者が変わる度に、皆殺しにしている。
誰も、伝統として、解釈できるものなどいないのである。

自国の、伝統と、文化を破壊して、成り立った、中国に、何一つ、貴重なものは無い。

今の、中国共産党の、伝統は、汚職と、搾取である。
更に、倫理の無い、やり方。

平気で、自国民に、毒入りを、売って商売する者ばかり。
商売が、きちんとできるのは、共産党幹部と、癒着するもの。または、親族会社。

毎日、全土で、千件に上る、デモから、政府に対する、批判続出なのであるが、それを、隠す。
人権無視の国は、兎に角、隠す。

中国が、世界の経済大国第二位になるという。
笑う。

彼らは、言わせておけば、まだ、第三国であるから・・・
また、別の顔は、我らは、大国である・・・

口の渇く暇なく、嘘偽りは、朝飯前である。

反日教育の、凄まじさといったら、なかった。
捏造、捏造の歴史を子供たちに、教え、いつか、日本を叩き潰すという、根性を育てた。

悪いものは、すべて、日本からであるから、話にならない。

さて、陛下と、お会いしたいと、向こうからの、要求である。
いずれ、天皇陛下を、虐殺する計画であるから、しっかりと、顔を見て、確認するためであろう。

勿論、絶対、そんなことは、させない。

このまま、民主党が、中国寄りになると、とても、政権など、任せられない。

アメリカとの、安全保障を安定させず、中国と、友情をなどという、甘い考えを、持てば、即座に、裏切られる。

更に、取り込まれて、アメリカが、日本を仮想敵国とした場合は、即座に、日本は、分断されて、中国支配になる。

通常の神経ならば、そんなことは、即座に解ることだ。
しかし、利益、既得権益に、目がくらむと、小沢のようになる。

危険である。
実に、危険である。

サヨク系の人々は、日本が、中国になっても、いいと、思っているのだろう。
そんなことは、絶対にさせない。

来年の、参院選で、更に、民主党が、勝てば、極めて、危険な状態を、招くということ、国民は、十分に、理解するべきである。

アメリカの、核兵器に、守られて、日本が平和であった。
アメリカが、手を引けば、北朝鮮、ロシア、そして、中国は、平気で、日本を、核攻撃する。確実に、する。

平和ボケを通り越した、日本人を、脅すのは、簡単である。
もう一度、原爆の恐怖を、与えれば、何でも、言う事を聞くからである。

広島、長崎は、再び、原爆の、悲劇を受ける可能性がある。
一番、良い場所である。

自国の、自衛という、意識を、決して教育の場で、教えない。
更に、マスコミは、皆、サヨク系である。

毒ギョーザの話は、どうした。
油田の、約束は、どうした。

沖縄は、中国領だという、中国の歴史家に、何も言わない。
報道も、しない。

自衛隊は、国軍として、天皇陛下を、お守りする使命を、自覚して、日本を守るべきである。
文民統制などという、幻想は、もはや無い。

建国、2670年
富士王朝から、9060年の
伝統ある、日本を、このままにしては、いけない。

私は、英霊に祈る。
ただ今、日本の、危機である。
何卒、霊位を、お力を、お借りしたいと。

今までは、靖国神社とは、距離を持って接していた。
私は、古神道である。

しかし、今、靖国神社の英霊をはじめとして、皇祖皇宗に対して、切に祈る。
日本を、お守り下さい。

かしこみかしこみ、申す



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2009年05月31日

最後の沈黙を破る 31

天皇陛下は、年に、おおよそ、140回程度、海外の賓客と、対面する。

また、陛下にお会いしたいという、賓客が多い。

日本人より、彼らの方が、天皇陛下の、存在の重さ、つまり、伝統と、権威を知っているのである。

そして、ポイントは、会見の基準は、国の大小や、政治的な課題の有無にかかわらず、大統領、首相、国会議長など、一定の要人で、あらかじめ、申請があれば、分け隔てなく、設定されている。

今回の、中国の、副主席との、面会要請は、例外とのこと。

宮内庁長官は、一度、断っている。しかし、鳩山の、指示であるとのことで、更に、要請した。その後ろには、小沢がいる。

下々は、陛下の忙しさを知らない。
私も、ここに書くつもりはない。

完全に政治利用であり、陛下の、政治的中立性、公平性を、軽々と、損なうものである。

宮内庁長官は、
陛下の国際親善の活動は、政府のやる外交とは異なり、国の大小や政治的な重要性とは別な次元で行われてきた。憲法下における陛下の基本的なあり方にもかかわる。陛下を政治懸案の打開役にとなったら、今の憲法下の陛下のなさりようと大きく狂うことになる。
その懸念を伝えたが、聞き届けられなかったのは残念。
読売新聞

これにより、中国が、日本支配をはじめたら、天皇責任を、サヨクは、言うのだろう。あの、大東亜戦争と、同じように。

天皇陛下の、存在は、2670年という、伝統にあり、私の言う、富士王朝からは、9070年の伝統の上にあり、それは、政治的云々とは、次元の違う、権威なのである。

世界、どこを探しても、それほどの、家系は無い。
日本は、天皇の存在だけでも、世界に誇れる民族、国なのである。

政治家たるもの、それを知らずに、政治家など、やってられないだろう。
自害して果てよ。

世界を混乱に、落としいれ、更に、これからは、勝手気ままに、世界を、手にしようとする、中国の振る舞いに、迎合するとは、何事か。

中国人の、日本入国を、制限するべきである。
彼らは、ゴキブリのように、増殖する。

それならば、日系ブラジル人や、東南アジアの人々を、優先的に入国させるべきである。

中国人は、決して、日本の礼儀作法に従わない。
何故か。
彼らは、日本を、東島と、読んで、侮蔑しているからである。

中国の一部のつもりである。
そして、そのように、教育されている。

何度も言うが、あの、毒ギョーザ事件は、どうした。
東シナ海の、ガス田開発問題で、中国は、日本との条約交渉を拒み、更に、白樺ガス田では、一方的に、開始の姿勢であるし、また、そうする。

日本を、相手にしていないのである。
また、そうしても、日本のマスコミが、中国の方を持つ。

甚だしいのは、著名人で、日本は、中国の一部になって、よいという者もいる。

相手国に入国して、そのシステムを、滅茶苦茶にして、最後は、乗っ取りである。

世界に、中華人を配して、中国共産党の、全体主義を、推し進めようとする。

タイに、潜入している、スパイは、今に、世界の人は、中国語で、話す時代が来ると、言明した。

日本では、昭和34年から、工作が始まっている。
そろそろ、詰めの段階に入ったのである。

面倒なので、詳しいことは、省略する。

ユダヤと、中国の、思惑が、一致して、日本は、彼らの、願う通りの人種になった。
日本人の、馬鹿、アホ、間抜けの精神を、作り上げた。

それのみか、それ以上になった。
草食系男子だと・・・
女に、手を引かれて、ラブホテルに連れられる男子だと・・・

彼らは、日本人が、セックスに明け暮れる日々を、過ごして欲しいと、あの手この手で、やってきた。
食べ物は、餌である。

色々あるが、省略する。

つまり、自国のことなど、どうでもいい、日本人を作ること。
その通りになった。

少し、頭がいいと、国際人ぶって、イイフリコキの虱たかりに、なった。
日本なんて・・・
愛国心・・・そんなもの・・・

愛国心教育を、提案するほどの、体たらくである。

そんなことは、誰に教えられなくとも、自然に身につくものである。
大人を、見ていれば、である。そんな、大人は、ほとんど、いないが。

元へ
天皇陛下に対する、不敬は、許されない。

次元を別にした話を書く。
どこの国の、霊的能力者でも、日本は、特別な国であると、言う。
レベルの低い能力者ではない。

この国の、山川草木にある。
草の片葉も言めて
くさのかきはもことやめて
草木も、語ることを、止めて

天孫降臨を見守ったのである。
神話である。

しかし、この神話は、日本人の潜在意識である。

草木も、言を申すのである。

つまり、天皇陛下という存在は、自然と、同じ、この日本の自然の有様と、同じものであるという。

日本人にとって、自然は、カムである。
そして、自然は、権威なのである。
どの、武力権力も、天皇の権威の前には、手出しできなかったという、歴史を見よ。

あの、信長でさえ、天皇家を、滅ぼすなどとは、考えなかった。
自らを、神と称した、信長である。
天皇家を、滅ぼすこととは、支配したい、日本を、滅ぼしてしまうからである。すべての、民百姓を、敵にすることになるのである。

政治家に、翻弄されることのない、存在。

昭和天皇は、政治家の、決定事項を、国民の意思として、了承し、署名した。

唯一、ご自分が、決められたのは、敗戦である。
そして、以後、陛下は、民主主義を、尊重し、国の、象徴として、お成り遊ばした。

本来から、実は、象徴だったのだが・・・

軍隊を、持たない天皇家が、世界の要人の、注目を集めるのである。
その、権威のみに、在るということに、世界の要人たちは、畏敬するのである。

わかるかなーーーー

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2010年01月02日

最後の沈黙を破る 32

平成22年が、はじまった。

まず、最初に、このところの、人心の乱れについて。

その元にあるものの、ひとつに、日本の音楽教育にあると、言われること、知る人は、少ない。

小学校から、中学、義務教育ではないが、高校まで、入れて、西洋音楽教育を主にした、音楽というものの、教育が、行われる。

音楽教師というのは、音楽しか出来ないという、特異体質か、頭の程度が、低レベルということを、皆知らないようで、それらが起こす、混乱は、余りある。

例えば、人には、それぞれ、音感というものがある。
実に、個性豊かなものである。

同じメロディーを歌っても、人それぞれ、調子というものがある。

それを、完全無視するか、音楽、つまり、西洋音楽という、権威で、威圧的に、決め付けて、裁く。

個々の、実例は、面倒なので、上げない。

だが、メロディーが、同じでも、ドレミの音階だけでしか、教育できないゆえに、人格固定まで、至ることもある。

音楽教師の、低レベルと、頭の悪さで、転調が出来ないから、子供が出した音が、ドでなければ、違う、音程が狂っていると、決め付けることになる。

和楽では、決して、そんなことは、あり得ない。
あっ、その音でやる、それなら、それで、やりましょう、である。

転調、移調が、出来ないゆえの、教師の質の問題なのが、子供の質が、悪いということになるのである。

こんな、馬鹿げた、教育が、どこにある。

教師の質が、悪いのに、子供の方が、悪くなるという、悲劇である。

まず、芸大というものを、潰して、欲しいと、願う。
大半が、知能レベル低く、更に、大学卒という、肩書きを、欲して、入学するのであり、全く、人格も、学識も、レベルが低すぎる者、多数。

頭が悪いというのが、一番悪い。

頭が悪いというのは、学校の成績が良いというのではない。
臨機さに、欠ける、ということである。
つまり、馬鹿は、死んでも、馬鹿なのである。

東大法学部を、出ても、馬鹿がいる。

特に、音大は、学問も出来ず、馬鹿のままで、大学卒になるので、どうしようもない、馬鹿なのである。

情操教育としての、音楽を教えるならば、実に、実に、優秀な、人材を、起用しなければならない。

オペラ歌手のように、歌うことを、教えるような、馬鹿な先生を、音楽教師にしていては、国が滅びるほどのことになる。

今、教育の場で、情操教育といえば、音楽程度が、あるのみである。

それが、こんな状態ならば、後が無い。

バリ島で、他の、東南アジアの国で、民族音楽を、教えている。
それは、また、貧しいがゆえのことだが、西洋音楽で、人格破壊されるより、実に増しなことである。

であるから、いずれ、東南アジアなど、民族音楽を習う子供たちが、世界の主役になる。

日本は、廃人だらけである。

どう、見積もっても、日本の、日本人の命は、短いのである。

伝統など、何も知らない、団塊の世代の、子供たちが、どのようになっているのかを、見れば、一目である。

真っ当な、日本語教育さえ、しない。
挨拶まで、出来ない、団塊ジュニアである。

勿論、全部といっているのではない。
しかし、確実に、音楽教育で、殺された、多くの人たちがいる。

転調さえすれば、問題ないことを、教師の力量が、無いために、一生、音楽と、音から、切り離されて生きる人もいる。

音楽の、素晴らしさを、などと、言う者は、大半が、アホである。

音楽とは、何かを語らせたら、何も言えないのである。
つまり、音楽は、楽譜だと、思い込んでいるのである。

絶対音感という、馬鹿げたことも、ある。
すべての、音が、音階となって、聞こえる。更に、何分の何まで、解る、云々。
十分に、病気である。

それも、障害の一つである。

日本人は、その風土により、味覚、聴覚、視覚も、他の民族と、違う。
実に、優れている。
味覚などは、日本人の右に出る民族はいないのである。

あの、出汁をとっただけの、汁を、旨いと感じられる舌がある。
音も、そうである。

微妙繊細な、音を、聴く。
それは、日本の風土なのである。

それを、壊した。
音楽教育が、である。

それから、食べる物が、餌になった。

貧しい、アジアの国に出掛けて、アメリカジャンクフードを、食べることがある。
そして、あの、コーラーという、毒の飲み物。
日本では、決して食べないのである。

それさえも、食べられれば、幸せな場所があるという、ことではない、日本の場合は。

完全に、あれでも、やられた。

行列して、それを買い求め、食べる、人という、動物に成り果てた。
音楽教育の成果である。

繊細微妙なものを、すへで、音階にしてしまった。

日本の、歌謡の歴史は、実に、古い。
即座に、転調できる。移調できる、能力があった。

その音で、いきましょうか

誰もが、自分の持つ音で、歌謡を楽しめた。

更に、歌の途中から、調子まで、変更するという、芸である。

私は、素人であるから、これ以上は、書かないでおく。

兎に角、私が、為政者なら、まず、芸大、音大を、焼き討ちにする。

更に、喧しい、女たちの、ソプラノという、声楽家と、名乗る人々を、磔、火炙りにする。

あれらを、真っ当に聴いていたら、確実に、頭が、やられる。
彼らは、すでに、やられて、久しい。

大和言葉では、それらを、あはれ、という。

posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月03日

最後の沈黙を破る 33

霊というものについて。

いない、存在しないと、言う。

存在することを、証明できない、更に、存在しないということも、証明できない。

ただし、残像想念は、ある。存在する。
それは、生きている人間も、死んだ人間も、である。

残像想念は、思念とも言う。
思い、である。

思いが、残る。
そして、その、思いが、動く。つまり、活動する。

通常霊能者が、言う、霊とは、絶対主観である。
更に、人間は、主観から、逃れることが、できない。

ただ、主観から、逃れるべきであると、釈迦仏陀などは、教えた。
だが、人間、逆立ちしても、主観から、逃れることは、できない。
だから、人間である。

もし、客観視ということが、できるなら、それは、残像思念が、我を見ることである。

私が、私を見て、客観とは、それである。

過去も、未来も、信仰と同じく、妄想である。
過去も、今、見る、過去であり、未来も、今、見る、未来である。
だから、今しかないといえる。

どんな、歴史的建物も、今、見ているしか、方法が無いのである。
二千年前の、今を、見ている。

人間は、今しか、見られないものなのである。

霊とは、観念である。

質的次元の違う世界を、この世の言葉で語ることは、嘘になる。
霊体というものも、だから、語れば、嘘になる。

私は、亡き人の、追悼慰霊を、行う。
当然、残像思念に向き合う。

いくら、物の本で、読んでも、その場に、行かなければ、亡くなった方々の、思念を感じるのは、難しい。
想像は、できるが、それは、想像でしかない。
その現場に、出掛けて、また、その付近に、出掛けて、少しは、想像より、ましな、場の、気を感じる。

最低、自分が、ここで、そのような状態で、死ぬことになったら・・・と、考える。
不可抗力で、そこで、死ぬことになったとしたら・・・

怨み、つらみ、哀しみ、切なさ、苦しさ、無念さ、など、色々な、感情を持つに至る。更には、呪うこともある。

最後には、自分の人生を、自分が呪うという、場面もあるだろう。

餓死や、病死で、死ぬことになったら・・・
国の命令で、そのような状態になったら・・・

息を引き取る時に、強烈な、想念、思念を、発するはずである。
そして、その、思念が、そこに、そのままに、留まる、だろう。

霊とは、それである。

死人に口無し、である。
語るに、語れない。

思念のみ。
それを、読み解く行為が、霊的能力であろう。しかし、それも、主観である。

ただ、残像思念が、存在するということだけが、事実である。

人生を、捉える考え方は、百人百様である。
これだと、言うことは、出来ない。

更に、生きるという、意識の、段階もある。
それぞれ、違う。

思念も、それぞれ、違う。
残像思念を、霊というならば、存在するという、理由である。

テレビの、チャンネルを合わせると、それぞれの、番組が見られる。
霊的存在、残像思念も、そのようである。
途中からしか、見られない。

テレビ番組も、途中から、見れば、何のことか、解らない。
ドラマの場合あり、ニュースの場合あり、バライティの場合ありと、変わる。

残像思念を、感じるのも、それに似る。
じっと、見つめていなければ、物語が、解らないのである。

霊的存在と、その場、その場で、会話するということは、あり得ない。
流れている、物語の、一部を見る如くである。

更に、思念も、想念も、動くものである。
怨みも、変形する。

悲しみも、変形する。

そして、時が経てば、その思念が、薄くなったり、画像が、不明瞭になる。

その場に、同化したり、あるいは、生き物、植物に、同化する。

霊とは、何か。
存在しないと、言った。
存在すると、観念すれば、存在する。

見えないものも、見えると、信じれば、見える。

在ると、思えば、ある。無いと、思えば、無い。
つまり、主観である。

私は、残像思念を、別名、幽体と、呼んでいる。
幽体は、肉体に、沿っているものである。添うとも、言う。

肉体が、消滅すれば、それが、残る。

そのままだと、幽霊になる。
幽霊は、存在するが、霊は、存在しないと、言う。

ただし、幽と、霊が、分離しての、霊というものは、考えられる。
幽と、霊が、別物になる。

そこで、はじめて、霊の存在ということが、語られる。
その前に、霊の存在は、語れない。ゆえに、霊は、存在しないと、言う。

語れば、観念に、陥る。

霊とは、質的次元が違うものであり、この世の、言葉の、存在するという表現では、語ることが出来ない。
ゆえに、存在しないと、言うのである。

ただ、日本の伝統である、先祖崇敬という、心の形式は、実に、真っ当であると、言う。
その、先祖というものが、国体にまで、高まる。
先祖が、作り上げた国となる。

神話として、残り、語りとして、残る。
それが、共同幻想になるから、有難いのである。

人間の存在は、幻想として、在るのである。

未来永劫、二度と、生まれることは無い。
この一瞬の、今が、現実であり、現実は、ただ、一瞬である。

たとえ、輪廻があったとしても、現実は、ただの、一瞬である。

輪廻から、逃れることを、考えるより、今の、一瞬を生きることが、貴い。

逃れる時も、一瞬のうちである。
そして、それは、一瞬のうちに、行われる。

観念に、囚われれば、その、一瞬を、見逃す。
神仏が、妄想であるように、我という意識も、妄想である。

簡単に言えば、馬鹿が、いくら、考えても、馬鹿なのであるから、考える方が、間違いなのである。

観念とは、そういうものである。

すべては、我が内で、行われる。
それを、見つめているだけである。


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2010年01月04日

最後の沈黙を破る 34

私は、テラの会として、追悼慰霊と、衣服支援をする。
その、衣服支援を、ボランティアと、便宜上呼ぶ。

ボランティアとは、ラテン語の、ボランタスから、出た。
生きる意味意識という、意味である。

つまり、行為が、生きる意味意識につながるもの、ということになる。

日本語では、奉仕活動などと、訳される。

その言葉に、問題は無い。

だが、ボランティアの精神を語るのに、マザーテレサが、出るのが、不思議である。
もし、マザーテレサの行為が、ボランティアであり、その原点であるというならば、それは、誤りであり、更に、彼女は、偽善者である。

彼女の行為に、何の問題もない。
私は、評価する。

だが、聖者と呼ばれて、ボランティアの精神の原点と言うならば、受け入れられない。

彼女は、ボランティアや、日本語でいう、奉仕活動をしたのではない。

彼女の行為は、彼女の実に、主観的な信仰に、支えられてある。

彼女は、主イエスキリストから、ある日、私は、乾くと、言われた。更に、最も貧しい人の中に行け、である。

彼女の行為は、それである。

一切の、奉仕や、ボランティア活動ではない。

キリストのために。
彼女が言う、神様のために、素晴らしいことを・・・なのである。

キリストが存在しなければ、彼女の行為も、行動も、存在しない。
要するに、駆け引きと、契約である。

だが、彼女が、聖書を、深く読めば、主イエスが、右手が、良いことをするならば、左手に教えないようにしなさい、という、言葉を、忘れたのか、知らないのである。

彼女の、喜びは、主イエスへの愛であり、死後の世界に在ると信じる、神の国、天国へ行くことなのである。

主イエスのために、とは、そういう意味である。

世界的に、彼女の解釈が、誤っているということ、である。

更に、彼女は、その活動を、ローマ法王によって、認可されたのである。
ボランティアという、本来の意味とは、別物である。

ローマ法王の認可とは、カトリック教会が、彼女の活動を、認めるということである。

そして、彼女が、世界的に知られるようになると、カトリック教会は、マザーテレサを、広告塔として、利用したのである。

歴史を、振り返れば、カトリック教会は、多くの植民地政策に、加担し、更には、民族の、大量虐殺を行っている。

南米では、スペインが、一億人を虐殺した。
そして、それに関しての、謝罪の言葉は、一言もない。

ヨーロッパの、植民地政策は、キリスト教布教と、セットになり、行われた。

イエズス会などという、修道会は、まさに、カトリック教会支配の地を、捜し求めて、世界を巡った。

日本の、キリシタン迫害というが、迫害ではなく、国を、守るべくの、行為だった。
でなれば、日本は、カトリックの、植民地になっていた。

天皇を廃止し、ローマ法王を頂く国になっていた。

フィリピンなどは、そうである。

最初のイスラム教徒を、虐殺して、スペインは、カトリックを布教した。従わない者は、殺した。

カトリック教会が、いくら、懺悔しても、許されないのは、それである。
しかし、懺悔するどころか、世界に、メッセージを送るという、傲慢である。

その、ローマ法王に認可されて、マザーテレサの活動が、開始された。
主イエスの、代理である、ローマ法王の認可が、必要だった。

実際、マザーテレサも、教会の、犠牲者の一人かもしれない。

私は、カトリック系の、ある修道会の、修道院長と友人でもあり、更に、多くの、シスターたちの、善意の行為を見ている。
決して、有名にはならないが、マザーテレサと、遜色は無い。

マザーテレサの、偽善は、余りある。
主イエスによる、祝福で、満たされるはずが、世俗的な、ノーベル賞を頂くという。

更に、彼女の、言葉ある、偽善である。
多くの人、その言葉を、人に聞かせる。

もっとも、多い言葉が、以下である。

与える私は、実は、与えた人から、より多くを与えられているのです。

この、実に、意味ありげな、偽善の言葉は、誤りに満ちている。

与えたということは、与えられるということで、完結する。

与えることによって、与えられ
という、アシジの聖フランシスコの言葉もある。

これは、キリスト教の、抜けられない、邪悪な観念である。
つまり、契約である。

与えるということは、与えられるということで、完結する、という、私の言葉が、理解できれば、幸いである。

それによって、与えた相手から、より多くの恵みを与えられると、考えるところに、実は、偽善が、大きな穴を開けて、待っている。

助けを、必要としている人がいることが、彼女の、救いなのである。

助けを必要としない人が、一人もいなければ、彼女の存在は、必要ではない。

私は、聖者になりたければ、インドに行けと、人に言う。

インドでは、誰でも、聖者になる事が出来るのである。
インドが、魔の世界だからである。

更に、精神的、霊的指導者も、多くは、インドから出る。

私は、あなたが、それに、座ったのを、知っている。
などと、自分は、椅子にまでも、意識があるというような、アホが、沢山いる国、インドである。

インドには、日本より、億万長者が多い。
だが、その福祉は、最低である。

マザーテレサは、政治的なことに、一切、関わらなかった。それは、正しい。
宗教家が、政治に関わると、とんでもない、誤りを犯す。

マザーテレサは、宗教を超えて、人々の尊敬を、集めた。

主イエスは、十字架刑である。
何故か。
ユダヤ教の、大衆の耳障りな言葉を、多く吐いたからである。
今、主イエスが、現れたら、キリスト教徒によって、殺される。

さて、長くなるので、切り上げるが、与えることによって、更に多くを与えられるなどという、偽善の言葉は、必要ない。

与えること、それのみで、事は、帰結する。

与えることで、多くを与えられると、考える人は、善を行っているという、明確な自覚がある。

与えた喜びは、自分より、助けが必要な人の存在によって、我が身の幸福を、楽しむのである。

実に、傲慢不遜である。

私は、汗だくになり、衣服を支援した後では、さて、何を食べようかと、考えている。
衣服を支援したことを、すでに、忘れる。

与えた人から、多くを与えられたなどという、アホなことは、考えない。

何故か。
一期一会である。

たまたま、偶然である。

この世に、必然的なものが、あろうか。
すべて、偶然の賜物。

昔は、すべては、必然であると、考えていた時期がある。
しかし、今、年を取って、すべては、偶然であり、たまたま、であると、知った。

何一つとして、不安定でないものはない。

すべてが、不安定で、揺れている。

マザーテレサの、主イエスに対する、誇大妄想が、彼女を、偽善の聖者にした。

昔の人は、皆、死ぬ人と、共にいた。
一人も、百人も、行為は、同じである。

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2010年01月05日

最後の沈黙を破る 35

公立学校の、教師たちが、国歌斉唱の際に、起立しないのは、良心であり、強制されるのは、良心の侵害であると、言う。

いつまでも、こんなことを、やっていられるのか。
それは、日本が、実によい国だからである。

国歌斉唱の際に、起立することを、教育するのは、子供たちに、世界の常識を教えるということである。

日本にいて、どこの国にも、行かないというならば、それでいい。
しかし、国際社会と、関わらずに生きることの出来ない時代である。

国歌斉唱の際に、起立するのは、世界の常識であるということを、教えるものであること、重々言っておく。

どこの国に、行っても、その国の、国旗や、国歌に対しての、礼儀があり、更に、その国独自の、貴いとされるものがある。

日本の若者は、外国に出掛けて、非常に恥ずかしい真似をする。
例えば、タイに行き、仏像の上に全裸で乗るという。
タイは、上座部仏教の国である。
知らないとして、許されることではない。

更に、戦争犠牲者の、メモリーパークなどでの、行為等々。
イタリアの大聖堂に、落書きしたという、アホもいる。

これ、すべて、教育の成果である。

言論の自由であるから、校舎を離れれば、自由であるが、校舎の中にいて、教師である以上は、公人である。

その立場というものを、考えての、良心の自由だろうか。
サヨク系といわれる人たちに、多い。

そのサヨク系の人たちが、好きな中国では、どうか。
そんな真似をすれば、どんなことになるのか。

また、イスラムの国に行けば、どんなことになるのか。
甚だしい場合は、その場で、射殺されても、文句は、言えない。

強迫神経症である。

国旗や、国歌に対して、あらかじめ、特殊な観念を植え付けられたのである。
洗脳である。

国旗掲揚に際しても、起立するのが、常識である。
世界の常識でもある。

日教組が幅を利かせる地域では、先生が、子供たちに、国歌を教えず、更に、国歌斉唱の際に、歌いたくなければ、歌わなくてもいいと、言う。

それ以前に、子供たちが、国歌を知らないという、例が多々ある。

良心という言葉を、出す前に、礼儀作法というものが、優先される場が多々あるということである。

日教組、労働組合などの、組合組織というのは、サヨク系であり、礼儀作法を知らないことでも、有名である。
自分たちの、作法は、人に求めるが、全体の作法は、無視する。

とんでもない、組織であり、それが、教育の現場にいるという、事実は、いかなることか。

日教組は、日教組で、学校を作り、日教組の教育をすれば、いい。
と、私は思う。

更に言う。
教師の、隠微極まる事件が多い。
少女売春などは、実に教師に多い。

まさか、それも、良心の自由とは、言わないだろう。

日本は、法治国家であるから、法に則って、裁かれる。

自由があれば、義務がある。

義務は、礼儀作法にも、関わってくる。

どうしても、国歌斉唱に、起立できないというなら、私立学校の、教師になるべきである。

天皇陛下でさえ、強制の無いように、と、仰せられた。
実によい国、日本である。


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2010年01月06日

最後の沈黙を破る 36

北教組が、政治資金の問題で、家宅捜索を受けている。
民主党の、議員に、不正に、資金提供していたのである。

それは、私には、どうでもいいことだ。

それより、北海道教職員組合は、竹島を、韓国領土だと、生徒に教えていたという。
呆れた。

北教組には、韓国人が多くいるとは、聞いたことがない。

更に、重大な、領土問題を、検証無しに、韓国領だと、教える、意味と、意義がわからない。

北海道の、教職員は、子供たちに、君が代も、教えない。

更に、教えないばかりか、歌いたくない人は、歌わなくても、いいと、教えている。

どこの国の、教職員なのか・・・解らないのである。

何故、日教組からはじまる、教員の組合が、そのような、僭越行為を行うのか、理解に苦しむ。

子供を手玉にとって、そのような、愚かな教育をしているとしたら、即刻、退職してもらいたい。

何様のつもりになっているのか。

東京都でも、横浜でも、教師たちが、国旗掲揚と、国歌斉唱の際に、起立しないのは、個人の良心の、自由を侵害するという。

公の場にある、つまり、学校という、公の場で、個人の自由をという、考え方は、実に、おかしい。

それは、職場を去った後の話である。

彼らは、それで、子供たちを、混乱させ、悩ませているということに、気づかないのである。

実に、罪深い行為である。

日本の常識でも、世界的常識でも、国歌斉唱、国旗掲揚の際は、起立するのが、教育である。

こんなことは、日本以外の国では、考えられないことである。

海外に出掛けて、相手国の、国旗掲揚、国家斉唱に、起立しなければ、常識を疑われるばかりではなく、相手国に、失礼である。

私は聞いた。
日本人だけは、自国の慰霊碑に、手を合わせる旅人が少ないと。
そして、それで、日本人は、笑われているのである。

日教組の、教育の成果である。

実に、愚かな、そして、自由という名で、勝手な教育を行っているのか。

個人的に、どのような、気持ちや、感情を抱いても、自由である。
しかし、大人であれば、公の場で、自分の行為が、どうなのかということを、考える力があるはずである。

もし、それが、日教組というものの、本体ならば、解散すべきである。

戦後の、教育で、日教組が、果たした、役割は、極めて、軽薄なものだった。

国に対する、気持ちというものを、無私した、行為を続けた。
更に、軍国主義云々を、言い立てて、いつまでも、過去に拘り、前に進まないことである。

君が代、日の丸が、戦争を起こしたような、口ぶりである。
信じられない。
歌と、国旗が、戦争を起こすはずがない。

それだけ、歴史を正しく教えられないということである。
自虐史観というものを、作り上げたのも、日教組の、一つ役割だった。
それで、彼らは、何を望むのだろうか。

竹島が、韓国領であるということは、日本の破滅を願い、日本が、中国や、韓国の属国になって、いいのだということだろうか。

領土の、問題は、祖先の問題である。
つまり、領土は、祖先が、守り続けてきたことである。

祖先とは、日本の先人たちである。
それに対する、不敬は、余りある。

左翼、徹底的、左翼化を図りたいのか。
それでは、教師を辞めて、そのための、運動をすべきであり、教師の職に就くべきではない。

教育の現場は、中立であるはず。

そして、一定の、ルールと、常識的行為を、教えるはずである。

国際社会に出ても、恥ずかしくない行為を教えるはずである。

更には、子供たちを、混乱させる状況を、自ら作り出して、それを、誰かのせいにしているという様、実に、下劣である。

狂っている者に、良心の自由など、あろうはずがない。

味噌汁で、顔を洗い、出直した方が、身のためである。

その後も、ぞろぞろと、日教組、北教組の、偏向教育の有様が、国会でも、議論されている。
まさに、上層部の、全体主義である。
法律違反など、朝飯前のようで、平然と、不正を行う。
子供の教育など、任せられないのである。


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2010年01月07日

最後の沈黙を破る 37

北海道の、美唄市で、市有地に、神社があるのは、政教分離に反するとして、訴訟を起こし、最高裁判所にて、勝訴した。

それから、全国に、その問題が起こった。

誰の、所有でもない、古くからの、お宮、お社も、その対象となるのである。

政教分離は、戦後の、日本国憲法による。

明治に、国家神道という、神道を国教とする、憲法が発令された。
それ以後、神社、また、お宮は、すべて、国の所有になるのである。

神社によっては、千年の歴史のあるものもある。
つまり、神社は、宗教施設というより、伝統文化の上にあるものである。

神社のみならず、寺院も、然り。

ここで、政教分離という、考え方をもって、伝統文化である、お宮、お社に関して、憲法に違反すると、判断したとしても、せん無いことである。

お宮、お社は、宗教とは、判断できないのである。
しかし、キリスト教系、仏教系の、一部の者たちは、それを、宗教と、認定して、判断せよと、裁判所に、訴える。

宗教とは、宗教法人である。
しかし、昔から存在する、お宮、お社は、明確に、宗教法人という、法人格ではない。
それは、地域が、守り続けた、文化遺産である。

と、どうして、そのように、考えられないのかということが、問題である。

要するに、我が信仰の宗教という、概念によって、お宮、お社を、その範疇に収めるからである。

現在では、信仰云々ということよりも、地域の人々の、触れ合いの場であり、希薄になった、地域の人間関係を、深める場ともなる。
そのような、文化的存在が、それなのである。

また、神道に関しても、敗戦後に、マッカーサーが、宗教と、認定し、政教分離を推し進めるために、そのようにした。
しかし、実は、神道を調査した、アメリカの軍人は、神道に、宗教の姿を探す事が出来なかったという、事実がある。

それは、彼らの、認識外のモノだった。

彼らが、宗教と、考えている、一神教とは、全く異質なものだった。

更に、多神教というものでもなかった。

それは、そのはずで、日本の神道は、宗教ではない。
生活の中に、息づいている、伝統文化なのである。

これを、一神教の、国の人たちは、理解できないのである。

日本は、全く、異質な国である。

仏教を取り入れて、国造りをしたという、説も、あるが、日本は、神道、つまり、かむながらの道の、文化がある。
それは、人が神、かむに上がるという、考え方である。

絶対的超越した、神という、存在を置かない民族なのである。

神として、奉られる、神は、祖霊である。
先祖の霊なのである。

更に、各地にある、お宮、お社は、土地の守り神として、つまり、それは、自然を、崇敬するという意味である。

その自然の中で、生かされて生きているという、考え方であるから、政教分離云々の、分野ではない。

全く、見当違いも、甚だしいのである。

これから、各地で、この問題が、取り上げられる。

そして、訴訟に至る。

実に、馬鹿馬鹿しいのである。

バーミアンの仏教遺跡を、アフガンのタリバン政権が、破壊した時、世界中が、それに、遺憾の意を表明した。
それは、宗教ではなく、世界の遺産として、価値があるからだった。

いつの時代かもしれないほど、古い建物、貴重な存在は、保存して、大切にするというのが、文明社会である。

そこには、様々な、文明の、遺産が、残されてある。

政教分離の問題からは、遠い。
瑣末な、個人の、信条により、それらを、単に宗教施設として、認定するようなものではないのである。

お宮、お社は、神道であるから、宗教だと、決め付ける考え方は、暴力である。
その形によって、地域社会が、培ってきた、地域の伝統文化を、破壊するものであり、それは、タリバンが、バーミアンを破壊したものと、一緒である。

誰のものでもない、お宮、お社が、市有地であれば、なお更、良いことである。

文化遺産としての、お宮、お社と、考えて、政教分離の、お話ではないということを、理解すべきである。

偏狭で、不寛容、排他的な、宗教信者に、そのような、者が多い。
実に、嘆かわしい。

伝統文化は、個々人の、感情や、信条を超えてあるということを、知るべきである。

神仏は妄想であると、看破する私でも、歴史的建造物である、寺院などを、破壊するべきだとは、思わない。
それらは、守るべき、人類の遺産であると、思うのである。

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2010年01月08日

最後の沈黙を破る 38

アメリカ、一万百発、ロシア、一万六千発、イギリス、二百発、フランス、三百五十発、中国、二百発、そして、北朝鮮の核兵器は、プルトニウム型とされるもので、十数発。
イスラエルが、二百発、インド、パキスタンが、五十発。
世界の、核兵器の、現状である。

冷戦時代の、ピークは、約七万発の、核兵器が配備されていた。
そのうちの、九割が、アメリカと、ロシアが保有していた。

それは、地球の全人類を、25回も、殺害できる量である。

この、核兵器によって、戦争が、回避された。

もし、核兵器を使用すると、こちらも、相手国の、核兵器で、報復され、甚大な影響を受ける。

核兵器、廃絶に、友情と、信頼を持って、対処するというのは、夢のまた、夢物語である。

北朝鮮は、数百万の餓死者を、出しても、核兵器を製造した。
そして、アメリカとの、二国間協議を取り付けた。

核兵器を持つというだけで、アメリカが、簡単に動いたのである。
これが、核兵器の威力である。

日本は、核兵器に囲まれた。
そして、その日本では、核兵器、三原則として、作らない、持たない、持ち込ませないという。
アメリカの、核の傘にいるので、安心だと、信じているようだが、全く違う。

報復されてまで、アメリカは、日本が、核攻撃を受けても、使用することは、考えていない。
だから、日本が、アメリカの核に、守られているというのは、幻想なのである。

ほんの、一頃は、それもあったが、今、現実的ではない。

核兵器によって、核攻撃を受けないというのが、世界の常識である。
核抑止力である。

広島、長崎に、投下された、核兵器は、実験である。
その威力を、見るためのものだった。

戦争の早期解決云々ではない。

どんどんと、情報が、暴露されて、今、事実を冷静に見ることが、出来るようになった。

日本では、核兵器の有無の、議論も出来ないほど、ボケている。

アメリカの、オバマは、非核国には、核兵器を使用しないと、宣言した。
それは、核兵器を持つ国は、核攻撃をするということだ。

それでも、一歩前進したといわれる。

日本の、技術は、一年でも、核兵器を作ることが出来る。
だが、それを、恐れるのは、アメリカであり、中国である。

中国は、膨大な軍事費を使うが、日本が、軍事費を上げれば、猛烈に反発するだろう。

そして、平気で、日本海域に、やって来る。

台湾、そして、沖縄も、歴史的に、中国領だと、主張する、時期を見ているようである。

日本が、攻撃を受けた際に、核兵器を、使用しないというならば、日本は、核武装する必要がある。

それで、東アジア共同体が、対等の立場で、話し合うことが、出来るというもの。

でなければ、日本は、中国の支配下に、置かれる。

今は、独立国家として、名目上なっているが、本当は、アメリカの、支配の下にいる。
緩やかな、植民地支配である。

今までは、それで、良かった。しかし、これからは、考え直す必要に、迫られている。

ソ連が、核兵器を持った、いきさつは、アメリカの核開発である。
それを、ソ連に、教えた人たちがいた。
スパイである。
核兵器を使用できないように、ソ連にも、核兵器を作らせるべきだという。それによって、それを、使わない、情報提起だったと、考えられるのである。

核兵器を、廻る、戦後史は、実に、複雑怪奇である。

核兵器を、持つことで、戦争を回避するという、考え方があるということである。

日本の安全保障を、考えるならば、核兵器を、製造する用意があると、世界に喧伝する必要がある。

友情と、信頼で、核兵器を、無くすというのは、あまりにも、現実を、見ていない。

言った後から、嘘をつくことの出来る、中国を信じることなど、出来ない。北朝鮮も、然り。

中国も、北朝鮮も、命が、実に軽いものである。
自国民を、殺すも消すのも、朝飯前である。

中国が、直接、手を下さなくても、北朝鮮を、そそのかして、日本を、核攻撃させるという、方法もある。

アメリカが、北朝鮮の、核開発で、即座に、動いたのは、それが、テロリストに渡る事を、
極度に、恐れたためである。

また、パキスタンに対しても、慎重に介入するのは、それが、テロリストに渡ることを、恐れてである。

さて、一度、原爆投下された、日本は、再び、投下される、恐れがある。
それに、日本には、核が無いから、報復される心配もない。

アメリカの高官が、日本のために、核兵器を使用しないと、断言している。
ということは、日本も、核武装が必要であるということだ。

オバマが、核の無い世界を目指すことの、声明を出して、ノーベル賞を貰ったが、未だに、核の第一位の国である。

本当は、核の無い、日本が、発言すると、説得力がある。

ちなみに、核拡散防止条約の、非加盟国は、イスラエル、インド、パキスタンである。

そして、北朝鮮。
国を挙げて、偽札を作り、麻薬を、売る国である。
どんな、暴力的行為を行っても、不思議ではない。

更に、怖いのは、アメリカ国民の、一部の人たちだけが、日本の、広島、長崎の、原爆の、悲惨さを知るのみ。

アメリカが、作った、日本国憲法の、戦争放棄は、原爆の、報復を恐れたために、掲げた、条文である。
仕返しが、怖いのである。

しかし、日本は、脳天気に、アメリカの原爆投下、果ては、国際法に、違反してまでも、日本の各都市の一般市民を、攻撃したことを、忘れているのである。

こういう、日本人を、世界の人は、馬鹿、アホ、間抜け、糞ったれ、と呼んでいる。

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2010年01月09日

最後の沈黙を破る 39

労働組合という、組織は、権利ばかりを、主張して、更には、それに拘り続けて、ヤクザより、悪い見本であるということが、よく解る。

1987年の、国鉄分割・民営化に反対した、国鉄労働組合の、組合員らが、JRに採用されず、旧国鉄事業団からも、解雇された問題について、与党三党と、公明党の実務者が、国会内で、雇用関係の確認、更に慰謝料の支払いを求めている、原告団の代表と会談し、組合員一人当たり、2200万円を支払うなどの、解決案を提示したという。

総額は、200億円である。

国鉄の、組合員が、どんなことをしていたか・・・

子供時代でも、彼らの、行動が、許せなかった。
客を客として、扱うようなことはなかった。

更に、彼らの、行動は、信じられないの、一言である。

そのことについて、一々書くまい。

ただ、こうして、社会主義面をした、面々は、権利のみを、主張し、要求して、今の今まで、戦ってきたのだから、手に負えないのである。

そして、労働組合なるものは、おそらく、皆、そのようなものである。
組合貴族という、話しも多く聞いた。

それらの、生活は、経営者以上である。

日本は、民主主義国家であり、それに則って、対処して欲しいと、思うが、与党三党と、公明党が、というあたり、もう、道義も何もないのである。

公明党は、国を潰すほど、国のお金を、ばら撒くのが、好きなようである。
生活保護の一番の、大阪市などでは、公明党の議員に頼めば、スムーズである。

そうして、良いことをして、支援団体の、創価学会の会員を増やしているのだろうと、推測する。

いい顔をして、恩を売り、学会に、奉仕するのである。

さて、この売国奴たちのやることは、いずれは、国を滅ぼすことになるだろう。

どこかで、お終い、にしないと、国が、持たない。

原告団は、持ち帰って、受け入れるかどうかを、協議するというから、呆れる。
まだ、慰謝料が少ないとでも、言うのだろうか。

実務者側は、原告団に、解決策を受け入れ、すべての、訴訟を取り下げ、和解することを、求めたという。

更に、解決案には、JR各社に、約200名の、雇用確保を要請することなども、盛り込まれたという。

性根の悪い者を、雇えというのだから、社会主義である。

仕事もしないで、経営者側に、いちゃもんを、つける者どもを、雇えというのである。
ホント、日本は良い国である。

彼らは、管理者側に、悪態をつき、更には、ゴロツキ、嫌がらせをして、真っ当に働く者を、罵倒していた、連中の仲間である。

今の、日本には、そんな者どもに、大枚の金を払っている余裕はない。

放っておけば、そのうちに死ぬ。

本当に、唖然、呆然の、解決策である。

ある新聞の、社説では、ゴネ得と、書いてあった。
サヨク系の人たちは、本当に、ゴネるのが、得意である。

彼らを雇用するなら、もっと、良い人たちが、沢山いる。
この、雇用不安定の時期に、半端ものを、雇えとは、呆れる。


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