2009年06月18日

性について118

1780年代は、ヨーロッパにおいて、刑法の改正が進み、多くの国で、ホモセクシャルを処罰する、法律が廃止された。

この時は、ホモセクシャルというより、ソドミーという言葉が合う。
ソドミーとは、同性愛性行為の、一つのカテゴリーとして、私は、認識している。
それは、アナルセックスに、表現される。

だが、以後、近代に入り、その、同性愛セックスの、形は、どんどんと、広がり、ソドミーとはいえない、セックスの形相になる。
ホモセックスについては、後半に、記述する。

さて、刑法の改正は、啓蒙君主の存在した国が、早かった。

フリードリッヒ大王の、プロシア、レオポルト二世の、オーストリア、エカテリーナ二世の、ロシアなどである。

先進国の、フランスと、イギリスでは、遅れていた。

フランスでは、18世紀末には、改正議論が、盛んになる。
ソドミーの刑法が、廃止される方向に向かったのは、三つの、理由がある。

一つは、死刑のような、極刑は、野蛮である。
二つ目は、ソドミーは、これまで、異端や、呪術などと一緒にされて、有罪とされてきたが、そのような、宗教による、断罪に対する、反感が、強くなったことである。宗教への、反感が、宗教的罪というものを、疑わせるものとなった。

三つ目は、個人的自由が、重視されて、被害者のいない、犯罪は、罰しなくてよいという、考え方が、強まったことである。
他の人の、迷惑にならなければ、何をしてもいいという、個人の自由が、認められたのである。

18世紀から、19世紀にかけて、法律的に、大きな曲がり角を、迎えたのだ。

だが、ソドミーが、犯罪ではなくなったが、そのトラウマが残った。
差別は無くなったが、差別意識は、残ったのだ。

10世紀には、ホモフォービアが、むしろ、強くなったのである。

更に、フランスでは、犯罪ではないが、警察は、ホモセクシャルの、ひそかな監視を、止めなかった。
それが、秘密であればこそ、支配する力が強くなるという・・・

それが、廃止されるのは、1981年になってからである。

それでは、イギリスでは、どうか。
フランスで廃止された、極刑が、残されていたのである。

イギリスで、それに、異を唱えたのは、ジェレミー・ベンサムである。
彼の、刑法改革は、先駆的なものだった。
1785年前後に、書かれた「自己にそむく違反、男色」という本は、実に新鮮な、ホモセクシャル論である。

彼は、男色の処罰に、反対する。
だが、論文は、当時、発表できなかった。
実際、彼は、同性の友愛を、高く評価していた。

特に、注目すべきは、人間の不合理な態度の解明に、挑み、そのことは、ある人を、無言の動物を殺すような、行動に駆り立てるというもので、それを、何かの正義にしようとすると、ホモセクシャルのうちにある、反感に、民族的差別と、反感が、宿るというのである。つまり、例えば、ユダヤ人への、反感などであると、見るのである。

ここで、少し、同性の友愛という、言葉に、触れる。

現在、友愛という言葉は、理想的なイメージによって、使用されるが、当時の、友愛とは、そのまま、同性を愛するという、意味である。

つまり、友愛とは、同性愛を言うのである。

更に、突き詰めてゆけば、同性愛性交を言うことになる。

精神的友愛であると、言っても、そこには、矢張り、愛という、感情があるのである。

精神的、友愛ならば、認めるという人がいるが、精神的友愛と、肉体的友愛との、違いは、何か。

それは、人間であれば、同じことになる。
精神だけの、愛情で、満足するというならば、異性関係にでも、言えるのである。

人間は、肉体と、精神の、存在である。

精神的に愛することは、肉体的に愛することも、出来るというものである。

勿論、精神的愛情だけで、両者が、十分に、満たされているというならば、問題は無い。
要するに、理想を掲げても、駄目だということである。

腹の空いた人に、救いの神の教えを説く前に、パンや、お握りを、与えなければならないのである。

昔、私の知り合いに、同僚から愛されて、戸惑った若者がいた。
ある日、どうしても、一緒に寝たいといわれて、断ることが出来ずに、床を一緒にしたという。
そして、為すがままに、従った。
深い口付けをされた。

それで、相手の男が、実に満足して、眠りについたという。

そこには、伏線がある。
彼は、同僚の男に、同情していた。
その、家庭環境の不遇に、である。
愛された、経験が無いという、同僚に、何かしてあげたいと、思ったというのだ。
それが、それを、受け入れる、きっかけになった。

それも、友愛である。

勿論、彼は、異性愛であるから、その同僚には、このことを、告げた。
それを、同僚も、納得し、以後は、仲良く仕事仲間として、付き合ったという。

さて、イギリスでは、1806年から、36年にかけて、60名が、絞首刑になったという。
大陸では、それが、終わりを告げたのに、イギリスでは、以前として、残っていた。

その違いは、何か。

カトリックと、プロテスタントの違いである。
フランスでは、カトリックへの、批判が強いゆえに、カトリックが排除してきた、ホモセクシャルの、権利を認めた。

イギリスでは、教会の権力が強くない。
宗教が発する、法律にも、反感は、少ない。

男色に、関する、法律も、イギリス、アメリカ、ドイツでは、そのまま、20世紀まで、残ったのである。

18世紀末から、廃止された、ホモセクシャルの、処刑は、全体に及ぶまで、二世紀以上も、かかったのである。




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2009年06月19日

性について119

19世紀、イギリス
大英帝国の黄金期である。

それは男性中心の社会であった。クラブからパブにいたるまで、男だけの空間、男同士の社会が大きな勢力を持っていた。軍隊からスポーツまで、男だけの世界が花盛りであった。そこで男同士の友愛が生まれるのは当然である。だがホモセクシャルはタブーとされた。
海野弘

海野氏による、分析をみる。
男同士の関係を、分析すると、ホモソーシャル、ホモエロティック、ホモセクシャルと、三段階とする。

ホモソーシャルは、軍隊から、体育クラブまでを含む、男だけの集団であり、その交友である。そこでは、男同士の一体感、共同意識が、生まれる。
それが、更に親密になれば、ホモエロティックな段階に入る。
師弟関係や、友情が、生まれる。
そして、友愛とへ進む。
ホモセクシャルは、性的関係となる。

だが、難しい問題がある。
結婚している、女性と関係がある、といって、ホモセクシャルではないと、いうことは、出来ない。
更に、男同士の性行為をしたことがあるからといって、ホモセクシャルともいえない。

特に、ホモセクシャルが、抑圧されていた時代には、それは、隠されて、極めて、屈折した徴候としてしか、現れない。

海野弘氏は、具体的に、イギリスにおける、同性愛の人物を取り上げて、書き上げているが、それを、いちいち取り上げない。

私は、全体を、見渡すことにする。

19世紀は、現代に続く、同性愛の、系譜が、いよいよ現れる時期になったといえる。

1885年に、英国の刑法が、改正され、男同士のわいせつ行為が、犯罪になった。
それまで、ソドミーのみが禁じられていた。
1861年、ソドミーに対する、死罪は廃止になった。
ところが、1885年、男同士のわいせつ行為全体が、犯罪になったのである。

ここからが、現代に至る、同性愛というものの、定義に接触すると、私は、考える。

上記の刑法は、女性の人身売買の防止を中心にしていたという。
しかし、男性にまで、拡張された。

要するに、少女や、少年を人身売買したり、性的に堕落させたりすることの、防止が主旨であった。

だが、結果として、女性を守る方向に働かず、男同士のスキャンダルの、密告という、ヴィクトリア朝の、パリサイ主義、つまり、偽善的告発の、手段となってしまったのである。

これは、ソドミー、つまり、アナルセックスを、示す、性行為ではなく、男同士の、わいせつ行為、つまり、オーラル・セックスを含むものである。

あらゆる、男同士の、肉体的接触が、犯罪とされた。

私は、ここに、注目する。
それ以前までは、ソドミーのみに、限られていた、同性愛性交というものが、広範囲に解釈、認識されたということ。
これが、現代に、つながる、ホモセクシャルの世界に、なってゆくのである。

ここで、また、話しを、戻さなければ、ならなくなった。

同性愛という、形態が、様々な、原始民族に、現れたということから、再度、検証しなくてはならない。

例えば、一時的に、同性愛行為を、行うという、民族では、女性と、性行為をする前に、男同士で、性行為をしつつ、大人になるための、学びをする。
つまり、それは、同性愛行為とは、言えないのではないか。

それは、日本の、稚児にも共通する。

稚児は、女性の代用である。
限りなく、女に近い、中性的存在を、女性と、見立てて、性的満足を得るもので、同性愛とは、判定しにくいのである。

江戸時代には、陰間といわれた、少年売春が、盛んだった。
僧侶や、武士が、そして、町人たちも、通った。

天草、島原の乱の時に、幕府軍の陣地には、売春宿が、数多く建ったという。
その中でも、陰間の売春宿が、多いという、報告を、宣教師がしている。

何故、武士たちは、少年性交を好むのかと、宣教師は、呆けたことを書いているが、一体、それが、同性愛なのかということ。

もしや、人間は、男女区別なく、性行為を行うものであると、定義した方が、正しいのではないか。
そして、それは、好みの問題である。

武士は、結婚と、男色を、別の世界のものとして、当然に受け入れていた。
それは、当時の女性たちも、である。

更には、遊郭で、遊ぶことと、結婚生活も、別物なのである。

恋は、遊郭、家は、結婚である。

兎も角、19世紀には、現代に通じる同性愛性交の、芽生えがあるということ。

ソドミーとは、アナルセックスである。
そして、それは、旧約聖書の解釈から、はじまった。

ソドミーを、同性愛と、定義していたが、19世紀から、男同士の肉体的接触、すべてを、同性愛と、判断するという、考え方が、現れたということである。

オーラル・セックスも、十分、セックスであるという、意識が、芽生えた。それは、何も、男同士の関係だけではない。
男女間にあっても、セックスの世界が、単なる、性交というものだけではないと、いうことになってきたのである。
これは、性の進化である。

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2009年06月20日

性について120

19世紀の、西欧は、ホモ、ホモ、ホモの、オンパレードである。

政治家から、文化人、哲学者、芸術家、あらゆる人たちの中に、蔓延した、ホモ的なもの、更に、ホモセクシャル。

一々、書き上げていれば、キリが無い。

そこで、特徴的な、ドイツの、世紀末を見ることにする。

ドイツでは、1898年、帝国議会で、同性愛を禁ずる法律の廃棄が、提案されたが、否決された。

要するに、それほど、同性愛旋風が、起こっていたということ。

1890年に、ヴィルヘルム二世が、ビスマルクを罷免してから、第一次世界大戦にいたるまで、ヴィルヘルム帝国といわれた、時代は、同性愛の花盛りである。

ドイツ世紀末の、詩人として、有名なのは、シュテファン・ゲオルゲと、ライナー・マリア・リルケである。

リルケは、隠れホモであった。勿論、ゲルゲオも、である。
ドイツ文学史では、それに、触れていない。

その、詳しい、経緯も、ここの主旨ではないので、省略する。

ホモセクシャルの世界史に、面白い記述がある。
ゲオルゲの非合理主義、神秘主義に対立したのはマックス・ヴェーバーであった。ヴェーバーは世界を合理的に解釈しようとした。だがそれにもかかわらず、合理の彼方にあるものに強い関心を抱いていた。それは、ゲオルゲとオットー・グロスによる「性愛」の世界であった。

フロイトの最も優秀な弟子で、性革命の先駆者といわれるオットー・グロスは、ゲオルゲ・クライスのコスミカー、クラーゲスなどと接触があり、バッハオーフェンの母権制論に影響を受けていた。彼とヴェーバーとは複雑な人間関係がある。
海野弘

その頃の、ドイツは、女性解放の思想も、甚だしく登場した。
マリアンネ・ヴェーバーは、「法の発展における妻と母親」を書いて、女性の法的平等を求め、グロスの、性愛を先行する、思想を批判する。

それらを、俯瞰すると
世紀末のドイツでは家父長社会のタブーである性への挑戦がはじまった。男性を中心とする社会に対し、男性性と女性性の境界が破られ、同性愛の認知と母権制への回帰が求められた。その先駆者がオットー・グロスであった。彼は父権的社会で抑圧された性的エネルギーを解放し、女性を解放しようとしていた。
海野弘

グロスは同性愛者ではなかったが、人間の両性具有を自明なものと認め、しかも、いかなる男性も自分の中の同性愛的要素を熟知しないうちは、なぜ自分が女性を愛するに足るかを理解できない、という持論を持っていた。
男性同盟と母権神話 カール・シュミットとドイツの宿命

グロスは精神分析と社会主義に橋を架けた。その点ではフロイトより先に行っていたわけである。グロスによると家父長的社会は暴力的であり、暴力構造は、性関係の中で示されている。男性性と女性性という二極化は、優越的=サディズムと服従的=マゾヒズムの差異となり、異性愛は、男性による女性の強姦、女性自身による強姦の甘受に結びついている。
海野弘

更に、分析すると、
しかし人間は両性的であり、だれもが、男性と女性の両方の要素を持っている。男も服従的に女性的要素を示し、女も自己保存的欲動という男性的要素を示すには、同性愛的な動機が求められる。
海野弘

つまり、19世紀末の、ドイツでは、一気に、性的革命が、起こったといえる。

異性愛は暴行と暴行の甘受に結びつく。「同性愛はこの破壊的に傾向に対する抵抗として、暴力のメカニズムに犯されない愛の形式として理解しうるのである。」
男性同盟と母権制神話

実に、面白い展開である。

グロスによれば、国家は、同性愛的である。
王に服従する、臣下のグループは、それを示している。
だからこそ、同性愛を表向き、禁じようとするのだ、ということになる。

更に、同性愛を、一次的、二次的なものに、分けている。

王に仕える、臣下の同性愛は、二次的なものである。
一次的同性愛は、暴力的異性愛を、超えて、他者への友愛、共同体の意識である。

だが、ここで、その考え方を、恐れた。
カール・シュミットである。

つまり、性的問題は、国家を、危うくするものである。
性について、語り出せば、女性の問題を、呼び起こす。

政治理論は、男性社会のもの。
母権制が、彼の政治学、彼の帝国を、崩壊させるという危険を感じたのである。

そして、ゾンバルドは、人間の両性性を、無視し、家父長制を維持しようとしたところに、ドイツの病を、見た。

そこには、女性への嫌悪と、女性への、恐れが隠されてある。

ビスマルクは家父長制によってドイツをつくり上げた。世紀末から第一次大戦までのヴィルヘルム二世の時代にそれがゆるみ、グロスなどのアナーキズムがあふれ出した。それに危機感を抱いたシュミットが、父権制を死守しようとした。
海野弘

ゾンバルドは、ドイツでは、友人、友情は、政治的概念であり、団体や、国家に関連するものであるという。

その言葉は、
したがって、「友情」は「国家」がそうであるように、もちろん男だけのものである。男だけが友人になれる。国家は「友人たち」のものなのである。国家の基礎は、友情の同盟であって、別の言葉でいえば「男性同盟」なのである。

ヴィルヘルム二世時代は、男性同盟が、盛んだった。
そして、勿論、ホモセクシャルが、大流行である。

ドイツ人の、ホモセクシャリティは、ヨーロッパの他の国とは、異質のものとなるのである。

その性格は、男性同盟、あるいは、国家と、結びついた、性愛なのである。

だから、ホモセクシャルが、戦争の、引き金になることもある。
第一次大戦が、そのようであった。

ただし、歴史家は、それを言わない、言えない。
私は、素人だから、それが、言える。

何せ、第一次世界大戦が、ホモセクシャルゆえに、起こったなどとは、学者に言えることではない。
それは、私のような、素人にして、言えることである。


posted by 天山 at 00:00| 性について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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