2008年08月01日

性について 1

性について、書くと、決めてから、一週間を経て、書き始めることにした。

戸惑いがあめのは、終わりのないものになるのではないか、という、不安である。
これで、お終いという、お話ではない。
延々と続くのが、性であろう。

古来から、性については、多くの人々が、書いてきた。今も、そうである。
私の、少ない書籍の中にも、性について、扱ったものが、多々ある。
生物学、心理学は、ともかく、様々なタイプの、性についてが、ある。

どれを、取り上げて、性を、書き始めても、いいと、思われる。
私は、素人だから、ランダムに、気の向くままに、書くことにする。

何故、性を書くのかと、言われれば、性は、死と共に、人間の、最大のテーマである。

ただし、性を書くのであり、性行為についてを、書くのではないということである。
性行為に、関して書いても、それは、性を、語るためのものである。

性とは、何か。
終りの無い旅を始める。

性の歴史は、人間の歴史である。

最初に、旧約聖書の、レビ記から、引用する。
「女と寝るように男と寝る者は・・・
必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰するであろう」
故に、今でも、同性愛者を、死刑にする国がある。

特に、アラビア・イスラム圏である。
西洋も、キリスト教により、死刑を、行っていた時期もある。

新約聖書、パウロの、ローマ人への手紙には
「女との自然な関係を捨てて、互いに情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなす」
と、書かれている。

つまり、それは、こういう行為、同性愛行為が、実に、多かったことを言うのである。

ユダヤ、キリスト、イスラム教では、何故、それほどまでに、執拗に、同性愛というものを、排除しようとしたのか。

矢張り、それが、多かったためである。
そして、もう一つは、教義である。

それらの、宗教以前に、何が行われていたのか。
同性愛というものを、その、恐るべき、生殖能力を、神に捧げるという、古代信仰によるものである。
つまり、神のみ使いいである、神官に、それを、捧げたことから、始まると、思われる。

それは、聖書の教義、同族の結束を砕くものになった。
その、結束の元とは、偶像崇拝という、言葉に置き換えられる。

それほど、聖書の中に、禁止項目として、載ることは、それが、広く行われて、さらに、流行していたと、いうことである。

人類が、宗教の芽生えを、感じはじめた頃である。
神々は、自分たちと、近い存在であり、しかし、自分たちより、力の強いものであるという、単純な意識である。
そして、その神たちは、男女両性であった。
男も女も、両性の神を崇めていた。
しかし、そのうちに、両性の神が、それぞれに、分かれて、それぞれの、性の偶像となり、男は、男神を、女は、女神を、拝むのである。

神の住まいと、される、神殿にて、同性の神が、礼拝され、巫女と、神官が、神を引き寄せる役目を、帯びる。
更に、巫女も、神官も、神と、近いものという意識が、芽生え、彼らに、捧げるもの、それが、性となった。

世界の至るところに、見られる、男性器、女性器の、崇拝が、行われる。
それは、しかし、偶像なのであり、聖書の神は、偶像を嫌った。
純粋な、一神教の信仰とは、相容れないものとなった。

聖書は、子を、もうけるためだけの、性を、正当化する。
他の目的の、性は、乱用であり、罪悪であるとの、意識を、持つことになる。

非宗教である、政治の法律でも、聖書の解釈に、則り、同性愛を、禁止するということで、それは、確定した、罪になった経緯がある。

さて、何故、私が、これを、最初に取り上げるのかは、性、というものの、本来の姿を、見るためである。

性は、性行為にのみ、あらず、ということを、言うために、これを、最初に取り上げた。

最初、人は、性と、生殖を、結び付けては、考えなかった。
全く、別物であった。

そこから、性について、が、はじまる。

更に、突飛だが、単細胞動物の、ゾウリムシを、言う。
一番下等な、動物といわれる。
分裂による、生殖を、行うものである。

しかし、時に、有性動物のように、二匹が、結びつくことがあるという。
その時、ゾウリムシは、水の中に、ホルモンのような液体を出し、互いに相手を、引き寄せる。
それが、生殖行為である。

ウニ、ヒトデのような、無脊椎動物は、どうか。
性の区別は、ある。
その生殖は、植物のようである。
雄と、雌が、接触しない。
成熟すると、それぞれが、生殖液を、放ち、それが偶然に、結びつくのみである。

魚は、どうか。
雌の、卵の上に、雄が、精液を、振り掛ける。
接触は、しない。

雄と、雌が、接触して、生殖行為を、行うのは、ミミズのような、環形動物から、はじまる。
ミミズは、雄雌の同体であり、二匹が、互いに逆方向に、接触して、それぞれが、精子を交換するというものである。



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2008年08月02日

性について 2

水棲動物には、挿入器官としての、ペニスは、無い。
故に、接触することはない、のである。

陸上の高等動物になって、昆虫でも、ペニスがある。
そして、雄と雌の、複雑な、接触が行われる。

空気中では、生殖液が、乾燥してしまうため、雌の体内に、精子を送り込むという、作業が必要になる。
これが、人間に続く、基本的な、性行為に、至るのである。

それでは、雄と雌を、強烈に曳き付けるものは、何か。
そのままでは、接触は、行われない。
人間以外の、動物は、性行為を、快適なものと、認識しているのか、どうか、解らないし、また、快適な、状態を維持しない、動物もいる。

人間だけが、明確に、性行為に、快楽が、付くのである。

これが、性の、正体なのであるが、話を続ける。

雄と、雌を、強力に、曳き付けるものは、匂いである。
すべての、動物の、性的欲求を、刺激するのは、匂いであるということ。

蛾や、蝶などの仲間は、何十キロ離れた場所からでも、雌の匂いを、知る。
雌犬の、膣にある、分泌腺からも、何マイルという遠くの犬に、それを、知らせるものがある。
この、匂いを、雄犬が、嗅ぐと、狂うように、興奮する。
だが、人間は違う。

ここである。
他の動物との、大きな違いである。
それを、進化というのか、私には、解らない。

人間は、臭覚でも、触覚でも、聴覚でもないのである。
人間の、最大の、性的興奮は、視覚である。

つまり、人間の性の、刺激は、視覚によるといえる。

ということは、性というものは、視覚によると、言えるのである。
性の前に、視覚という、働きがある。

しかし、それを、語る前に、再度、原始のヒトに、戻らなければならない。

性というものを、認識する以前の、ヒトの、歴史である。

それの、手掛かりは、未開部族にある。

これから、暫く、人類学者、性科学者の、論文を、見ることにする。

ポリネシアのトロブリアンド諸島の、原住民たちは、性交と、妊娠の間に、因果関係があることを、全く知らなかった。
性の欲望が、種族保存の本能であるという、説は崩れる。

原住民は立派な婚姻制度をもってはいるが、子供の出生に男があずかることを全くしらない。彼らにとって父という言葉は明瞭な定義があるけれど、その定義は全く社会的なものにすぎない。父は母と結婚し、母と同じ家に住み家族の一員となる男を意味する。
未開人の性生活 マリノウスキー

更に、驚くのは、
父はトマカバすなわち「見知らぬ者」より正確には「よそ者」の意味で呼ばれたりしている。この表現は、相続の問題を論じたり、あの種の行為に筋をとおそうとする時や、あるいは争いごとで父の地位が下がってしまった場合などにさいしての会話に、しばしば用いられる。

私は、暫し考え込んでしまった。

生殖が、妊娠と関係ないと、考えた場合は、関係あると、考える人たちとは、その、性に関する考えたから、あらゆる秩序が、全く違う、常識で、考えられ、行為されることになる。

これは、性というものを、考える上で、実に、参考になる、考え方である。

性と、生殖を別にすると、性行為の、乱れが起こるなどという、考えは、起こらないのである。
もし、今、文明社会という中に、性は、生殖と、別ものだとすると、どのようなことになるであろうか。
性の乱れ、甚だしく、収拾がつかなくなるであろう。
性が、生殖、妊娠と、結びつくから、抑制が、働くのである。

ここで、考え方を、実に、柔軟にしなければ、いけないことが、解る。

父が、こちらの、観念では、測れないとして、彼らの生活を見ると、今までにない、新しい、社会が、見えてくる。

これは、私には、開眼というようなものである。

性というものの、捉え方で、父や、母に対する観念が違うということ、当たり前であるが、驚きになる。

私がここで用いる「父」という言葉は、われわれの場合と異なって、法的、道徳的、生物的などの各種の意味内容をもっているのではなく、トロブリアンド社会での特殊な意味にとらなければならない。混乱を避けるために、父という単語のかわりに原住民の「タマ」を使い、また「父関係」のかわりに「タマ関係」といった方がよいと思われるが、実際にはあまりに不便である。そこで以後「父」という単語にぶつかった場合には、英語の字引にあるものとしてではなくて、原住民の生活の諸事情に照らして解釈すべきであるということを忘れてはならない。
マリノウスキー

ここで、私は、思考の柔軟性というものを、事実知った。
違うモノを、理解する時、その言葉自体の観念も、柔軟にして、切り替えることであると。

これは、異質なモノ、例えば、イスラム社会などを、理解する時にも、必要である。

私の常識は、私のモノであり、他者のモノではない、という、当たり前のことに、気付くのである。

故に、実に、学ぶべきなのである。
知らないことは、無いことであるから、出来る限り、学ぶことにより、異質なモノ、違うモノを、理解し、柔軟な姿勢に、立って、理解というものを、必要とするということ。
これは、国際化といわれる、世界に対処するためには、必要不可欠である、心構えとなる。

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2008年08月03日

性について 3

トロブリアンド島の、父という観念が、全く違うということを、書いた。

性と、生殖が、結びつかないというだけで、このように、異質なものになるという、例である。

島の、結婚は、嫁入り婚である。
女は、夫の村に入り、夫の家に住む。
そこで、父は、子供たちにとって、親しい仲間であり、男は、進んで子供たちの面倒を見る。子供たちの、教育にも、携る。
同一家庭内での、子供たちと、円熟した慈悲深い男との情操関係を持ち、他方社会的には、母と、密接な関係をもち、家庭の主人たる、男である。

上記、性と、生殖が結びつくという、社会の父も、そのようである、が、子供が、成長すると、それが、生殖と結びつくという、社会とは、大幅に違ってくる。

父は、自分と同じ氏族に属する者ではなく、トーテム名称も異なる。
自分と、同じなのは、母であると、明確になる。
あらゆる、義務も、拘束も、プライドまでが、母との間に、結ばれて、父とは、分離していることを、知る。

更に、子供は、父とは、別な男、それは、母の兄弟に向けられる。
その、母の兄弟が住む村が、自分の村であり、そこの、財産や、権利が将来待っていることを、知る。

子供は、生まれた村で、よそ者扱いされることがあるが、母の兄弟のいる村では、自分の村であり、父が、そこでは、よそ者、扱いされる。

更に、進むと、父は、その権威と、助言などが、無視されるようになる。
父は、単なる男として、認識される、というのだ。

この、部族については、何度も、これから、このエッセイに登場することになる。

さて、性というものが、人間には、快感を伴うものであると、当たり前に信じているし、また、そのために、性を楽しむのが、当たり前である。
妊娠を、求める人より、性の快楽を、求める人の方が、圧倒的、多数である。

しかし、動物は、どうか。
皆、性の快感を、感じているのか。

全然、逆である。

命懸けの行為の場合もあり、とんでもない、苦痛を伴う種類もいる。

身近な例でいうと、犬の場合は、交尾の際は、肛門筋の痙攣による、生理現象が起こり、15から30分程に、わたり、雄雌が、つながっていなければならない。
人間は、その程度、楽しまなければ、早漏などといって、悩みになるが、犬は、苦痛である。

それでは、猫はどうか。
ペニスに、剛毛がはえているので、交尾後に、雄が、ペニスを引き抜こうとすると、雌は、苦痛を感じないわけにはいかない。

生殖本能で、快適気分を、味わう人間には、信じられない、動物の世界があるのである。

モグラは、膣に、厚い膜があり、塞がれている。
鋭いペニスでなければ、その膜を、破れない。
雄は、逃げ回る、雌を追い、雌の、膣の膜を、破って、ようやく、目的が達せられる。

ある種の、クモや、カマキリなどは、交尾の後で、雄が、雌に頭から、食べられるという、壮絶な性交渉である。

人間が、性交渉を、長引かせて、より、性を楽しむなどということは、他の動物には、見られないことである。

もし、動物たちに、知性が、あれば、人間の性交渉の、あり方を、笑うだろう。
何故、それほど、性行為に、拘るのかと。

結果、言えることは、人間の愛の行為、つまり、セックスをするという行為は、生殖本能とは、別なのである。
快楽の、欲求に、動かされているのである。

この、性行為を、愛の行為という、言葉に、私は、欺瞞を感じている。
誰の、策略か。
雄が、性を楽しむために、雌に、性の快楽とは、別に、心的満足感を、与えるように見せる、愛という言葉である。
嘘、でしょう。
ただ、セックスして、射精したい、だけでしょうとは、雌は、言えない。
雌も、それを、望むからである。

更に、複雑なのは、自分を、道具として扱っていると、思えても、相手に、好意、これが、曲者であるが、抱いていれば、雌は、体を、差し出すという、蒙昧。

私は、大人のオモチャの、製造元から、カタログを、取り寄せて、それらを、見渡すと、素晴らしい、マスターベーションの世界が、広がっているのである。
しかし、それでも、生身の相手を、求めるという、人間の性、この場合は、サガと、読む。
人間の、サガというものを、感じる。

人間は、性なるものである。
それほど、性は、脳に、何か特別な、分野を、作ったとしか、言いようが無い。

だから、優れたマスターベーションの、道具があっても、それで足りないと、欲求する、そのモノを、見ることで、性を、より深く理解できると、思っている。

例えば、金で、手に入る、雌というモノがいる。
売春である。
しかし、中々手に入りにくい、雌を、手に入れようとする、その雄の行動は、何から、発するものなのかを、追求すれば、一つの手掛かりになる。

そして、もう一つは、同性愛の、性行為である。
それを、解明すれば、性というものの、姿が、現れると、思うのだ。

どうしても、人間という、相手を、必要とする、人間の性である。

更に、性衝動を、別のモノ、特殊性行為と、私は呼ぶ。
覗きや、露出、更に、大便小便、アナルへの、興味等々の、欲望を、解明すれば、性というものの、姿が、見えるだろう。

そして、それは、最期に、脳の働きに、行き着くのである。
性は、脳なのである。

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2008年08月04日

性について 4

性欲の、脳の働きというものを、見る前に、心の動きについて、言う。

性欲と、恋愛を、一緒に出来ないのが、人間である。
単純に、あの人と、セックスをしたいという、恋愛というものがある。勿論、本人は、そんなことを、考えていないと、信じている。しかし、セックスをした、途端に、熱が醒めるということ、多々あり。

ある青年は、初めての体験の時に、相手の、膣に、ペニスを入れて、愕然としたと言う。その、あまりの、味気なさにである。
マスターベーションの、味わいに比べたら、何ほどのものはないと。
しかし、その後、彼は、女にモテた。
要するに、膣では、中々射精をしないのである。故に、長い時間を、要するのである。女には、それが、気に入られたという、変な話。

また、その逆も、ある。
ほとんど、受験勉強に終われ、性欲なども、失せる程の、お勉強をして、大学を卒業し、そうして就職し、落ち着いたところで、先輩に連れられ、ソープに初めて行き、こんな、快感があったのかと、のめり込んで、遂には、仕事を、辞めて、女の部屋で、セックス三昧に、陥った者である。

ただし、男の場合は、女と、違い、時間の差はあるが、一度、冷静に、立ち戻ることが、出来るので、暫くの無駄な、時間を、セックスに明け暮れたが、結局は、ごく普通の、欲望に戻った。

余計な、話が、続いたが、私の書きたいことは、人間の精神は、性欲と、比例するものではないということを、言いたいのだ。

人間だけは、他の動物と、違い、恋に恋するという、芸当が出来るのである。

性を、考える時、この、精神状態というものが、実に、良い、手掛かりになる。

つまり、人間の性は、単に性欲のみで、測れないものなのだということだ。

手に入れられないモノを、手に入れた時の、性の快楽は、言いようも無いものである。
性欲が、主たる意味ではないが、そのモノを、手にいれたことによる、優越意識に、似たような、意識が、性欲よりも、別な欲望を、満たすのである。

例えば、浮気や、不倫であり、兄の嫁を、寝取る、弟の行状などに、それを、見る。

それは、性欲ではない。

このようにして、色々と、性欲にまつわる行動を、見ることによって、性というものを、純粋に見つめることができるのである。

エロスの運動は、ふしぎな道程をたどるもので、出発点では幸福を望んでいながら、終点では幸福を拒否するという結果になることがある。快楽を拒否し、苦悩を求めるという結果になることがある。
澁澤龍彦 エロスの運動

このような、複雑な、心境を持てるのは、人間のみである。
他の、動物には無い。

更に、複雑化するのは、
肉の愛が精神的な愛に高まって行くのが、プラトン的な意味におけるエロスの運動だとすれば、逆に精神的な愛が肉の愛に下降するというような場合も、当然、考えられるだろう。これを哲学上の言葉で「逆プラトニズム」と称することがある。
澁澤龍彦

と、いうのである。
しかし、何故、精神的な愛が肉の愛に、下降、するというのだろうか。
それは、上昇かもしれない、のに。

無意識的に、精神が、肉よりも、何かしら、価値のあるものだとの、意識があるようである。
そういうことを、考えられるのも、人間だからである。
私は、前頭葉の、働きだと、思う。

ただし、澁澤龍彦は、逆プラトニズムも、情熱恋愛という、精神的なものと、同じ方向ではないとか、言う。
澁澤龍彦は、いつも、冷静である。

その、澁澤が、存在の不安という、エッセイで、存在の孤独というものを、考えるのに、以下のような、考え方をしている。

アメーバーは、分裂によって、増殖する。
分裂後は、個体として、また、分裂を繰り返し、増殖してゆく。
彼らには、死というものがない。

進化して、有性動物になると、つまり、雄と雌になると、たちまち自己保存の本能、個体維持の本能が、表れる。
個体維持というのも、本能と、私は、思わなかった。
自己を、保存しようとする、本能があるというのが、不思議である。
確かに、種族保存は、本能であると、言われる。

本能については、また、いずれ、書く。

さて、雄と雌が、生殖のために、一時的に結合して、離れて別々に死ぬという、現実がある。
澁澤は、存在の孤独とは、たぶん、ここから由来するという。

欠けているものを満たすために、分離によって生じた不安を逃れるために、男女は互いに結合するわけであるが、束の間のオルガスムが過ぎれば、ふたたび独立した別の個体として、互いに離れなければならない。そうして、自分の意志に反して死ななければならない。もちろん動物も死ぬが、死ぬことを知っている動物は人間だけである。
澁澤龍彦

少し、訂正すると、動物でも、死ぬことを、知っているのである。
ただ、人間のように、恐怖が無い。

人間が、誕生して、成長するというのは、色々なモノから、分離してゆく過程であると、澁澤は、言う。
その通りである。
分離することによって、他者を認識し、世界を認識し、実存の意識に、目覚めるという、悲しい存在の、宿命であるとも、言う。

さて、この、事実に、目を背けて、妄想に生きるのが、宗教という、化け物である。が、それについては、神仏は妄想である、を、読んで下さい。


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2008年08月09日

性について 9

大脳辺縁系は、かつて哺乳類時代は、臭脳と呼ばれていた。
原始感覚の脳であり、女は、ここが、実にしたたかに出来ているという。
それは、命を生むからである。

視覚、聴覚、味覚、触覚の、四感は、視床下部という中継点を通るが、臭覚だけは、別行動をする。
直接、大脳辺縁系の梨状葉に達する。ここは、扁桃核の皮質にあたる。
臭覚情報の最終地点は、前頭葉なのである。
そして、不思議なことに、臭覚は、他の感覚が休んでいても、ずっと活動している。さらに、臭覚記憶は、何年にわたっても、保存される。

ある女性が、相談に来た。
時々、眩暈がして、突然、動けなくなるというのである。
勿論、精神科にも、通っていた。
原因が解らないという。

何か言葉を交わしているうちに、私は、過去の記憶に、何か問題があるのでしょうということを、話した。
複雑な家庭環境である。
彼女は、養子である。

突然ではなく、何かそれには、訳がある。
昔の嫌な思い出を、突然、何かで、思い出すのでしょう。
すると、人に、初めて言いますと、家庭内、性的暴力のことを、話し出した。
聞くことに、耐えられないような、話だった。

養父に犯され、兄に犯され、更に、弟にも、犯されていたという、話である。

高校を卒業して、すぐに、家を出た。

彼女の最初の、相談内容は、彼氏が部屋から出て行くと、不安で堪らなくなるというものだったが、根本に、そのような問題があった。

思春期を、とんでもない環境の中で、過ごしたのである。

そして、最後に、匂いに至った。
思い出の匂いを、嗅ぐと、突然の眩暈がはじまる。
匂いを、思い出すと、という言い方もできる。

女性は、原始感覚が、生まれつき、強靭であるが、別なことで、狂うと、それは、精神的苦痛になるというものである。

臭覚は、性欲の、キーポイントである。
男の場合、前回も書いたが、視覚である。

性的関心を司るのは、前頭葉であると、言える。

コンピューターが登場して、その技術者が、テクノストレスというものに、晒されるようになり、それは、前頭葉のストレスであるが、ここが、ボロボロに疲労することで、とんでもない状態になる。

食欲も、性欲も、狂うのである。
前頭葉が、スピードと、正確さ、そのコントロールに振り回されるのである。

食欲、性欲が、あることは、実にありがたいことなのである。

さて、男である。
視覚により、性的感覚を、呼び覚ます脳の働きとは、何か。

見るという行為は、目である。
目には、網膜がある。
網膜には、光を感じる細胞が、一億以上もあるといわれる。
細胞が処理した情報は、100万個もある、神経節細胞によって、視床下部の中の、外側膝状体を介して、新皮質の視覚領に伝達される。

しかし、そこが、終点ではない。
視覚領からの情報は、性欲中枢のある、大脳辺縁系に送られて、性的情動となり、興奮させ、脳裏に、留め置く。

大脳辺縁系とは、脳の中心にある髄液で満たされた、脳室をとりかこみ、新皮質との境界を形成している、海馬、扁桃体などの組織である。

この、大脳辺縁系は、視覚のみならず、感覚情報を、すべて、処理する中心的機構である。

また、そこは、体と、心のつなぎ目である。

ストレス、マイナスイメージの、情報が、送られると、つなぎ目が、混乱し、ストレス症候群とか、心身症、神経症に陥る。
つまり、性欲も、食欲も、おかしくなる。

さて、男は、見て刺激を受ける。
女は臭覚、男は視覚である。

人間が、他の動物と、違うところは、性欲が、甚だしく拡大し、歪曲してゆくということである。
生まれ、育ち、習慣、教育などにより、性欲の表情が違う。
本能としての、性欲は、同じだが、文化を抜きにして、性欲の表現、行為は、語れないのである。

ヌード写真を見て行うという、実に基本的な、マスターベーションの行為がある。
視覚に訴えて、興奮する。
ところが、それに、飽き足らなくなり、色々と、考案する。
涙ぐましい、マスターベーションの歴史が、一人一人の男にはある。

ところが、ある頃から、マスターベーションを知らないという、世代も出た。

十年程前、私の知り合いが、ある大学の、講師として、講義をしていた頃である。
性についてを、語り始めて、一人の男子学生が、部屋に尋ねて来て言うには、マスターベーションの仕方を教えてくれというものだったと、言う。
彼は、知らなかったのである。
受験、受験に明け暮れて生活しているうちに、自然発露の、性欲を、忘れた。

以前に書いた、性欲嫌悪のことではない。

講師は、丁寧に、マスターベーションの仕方を伝授したという。

男の子の、マスターベーションは、想像力を鍛えるものである。
いかに、楽しむか。楽しめるか。
いずれ、文化的、マスターベーションというものを、見ることにする。
要するに、マスターベーションも、その背景には、文化がある。

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2008年08月10日

性について 10

女は、臭覚、男は、視覚だと、書いた。
それでは、女の臭覚について、もう少しみてみる。

臭覚は、視覚、聴覚、触覚、味覚とは、別に、匂い分子が、鼻の嗅上皮細胞に入ると、電気信号に変化して、臭神経を通り、臭球核という臭覚の、第一次中枢へゆく。
そこから、大脳辺縁系の扁桃核に対する、皮質である、梨状葉という、第二次中枢へゆく。
そして、前頭葉の外側の、後へ行き、そこではじめて匂いを、識別する。

匂い情報は、人間の、最も高度な働きをする、前頭葉に達するのである。
つまり、原始的感覚である匂いと、大脳辺縁系という、最高級の脳の、働きに至るのである。

そして、以前書いたが、性的関心は、前頭葉にあるということも、書いた。

非常に、興味深いところである。

女は、臭覚で、性的興奮を得るということは、原始感覚と、最新の脳の働きによるということである。

ただし、男にも、臭覚はあり、時に、視覚より、甚だしく、性的刺激を受ける場合がある。

極端な例であるが、結婚して、性生活がない男が、いた。
原因は、妻の腋臭であった。
強烈に匂う腋臭が、彼の性欲を、奪った。
結婚する前は、それほどでもないと、思えた腋臭が、強烈なものだと、ベッドで、知ったのだ。

勃起することが、出来なくなった。

その逆も、ある。
強烈な、腋臭で、性的興奮を得る男もいる。
その、好みの、問題は、胎児期から、幼児期にかけて、作られるものである。

つまり、人間の、最も人間といわれる、大脳の前頭葉の基本的神経回路が、出来上がるのは、九歳なのである。
生まれてから、九歳までの、心の風景を、私は、原風景と呼ぶ。
この、原風景が、以後の人生を、すべて、左右するのである。

性欲、性的刺激、性なるものも、すべて、である。

とすると、男、女というもの、その、感覚も、それまでに、出来上がるということである。

つまり、男と、女とは、何かという、問題になる。

子供が大好きだという、男の大人の中には、潜在的、幼児性愛がある。
誤解されないように言う。
子供は、中性である。

およそ、九歳までの、子供は、中性と、認識するべきである。
まだ、男、女の地図が、脳の中で、定まっていないのである。

ジョンズ・ホプキン大学精神ホルモン研究所長、ジョン・マネーという人の、性倒錯に悩む人々の研究成果が、九歳までに、作られた脳の性地図によるものとの、報告がある。

世の中には、様々な性の姿がある。
男と、女だけではない。
男と女しかいないという、認識は、おそらく、能天気なアホであろう。
人間は、そんな単純なものではないことは、脳の働きを、見ても解る。

つまり、100パーセントの、男や、女は、いないのである。

脳だけではない。体も、稀に、性器が男と女という、場合も有る。

百人百様の、性があると、認識することから、性というものの、姿を知るのである。

もう一度、セックスという、語源を尋ねると、ラテン語の、分割された部分という意味から、転じて、分断するという意味の言葉から、生まれた。
性という、言葉の意味である。

それでは、日本の場合は、性という言葉は、男は、ギ、であり、女は、ミ、である。共に、母音が、イである。
イ音は、受け入れるという、音霊の意味がある。
共に、相手を受け入れるという意味である。
そこには、男、女の区別はない。
受け入れる相手がいれば、男でも、女でも、受け入れる。

同性、異性に、関わらず、である。
同性を受け入れるから、同性愛というわけではない。
武士道に見られる、男同士の関係は、精神的同性愛、プラトニックとしての、同性愛という、認識である。
勿論、肉体関係が、伴っても、構わないのである。
それが、重大なことではない。

要するに、相手のために、命を投げ出す覚悟の、問題である。

ここから、同性愛、ホモ、そして、バイセクシャル、更に、ジェンダーというものを、考える。
しかし、ジェンダーという言葉は、日本語にないものであり、まだ、誰も訳語を提唱していない。一応、性差ということになっている、が。

動物の世界では、雄と雌という、セックス、性が、一致している。
ジェンダーが、セックス、性と、分離するのは、脳が発達した、人間のみである。

動物の世界でも、同性愛行為は、あるが、人間の場合とは、意味合いが違う。

ジェンダーとは、男の体でありながら、女として、生きたいという者である。
その逆も、また、同じく。
そして、男の体で、愛する相手が、男であるという、同性愛。その、逆も、あり。

そして、問題は、ジェンダー、ホモセクシャル共に、自分で、選択できるものではないということ。

昔は、倒錯といったが、現代では、通常にあるものと、認識される。
それは、胎児期から、九歳までの、間に作られる性向である。

人間であるが、故に、性という、セックスを、超えた、ジェンダー、及び、ホモセクシュアルがあると、言っても、よい。

そして、それこそ、人間存在の、根源的な、カテゴリーとなるものである。

人間的なもの、それが、ジェンダーであり、ホモセクシュアルである。故に、それを、理解し、包括しなければ、性というものの、姿は、見えないのである。

ちなみに、ジェンダーの語源は、ラテン語の、ゲヌス、フランス語にある、ジャンルに当たる。
一つの、分類された、グループという意味である。
実に、彼らを差別する、何物も無いのである。
彼らも、一つのグループである。

もう一つ、オマケに、フランス語では、男性、中性、女性名詞と、分けている。

ちなみに、もう一つ、オマケに言う。
バイセクシャルである。両刀使いと、言われる。
これも、一つのグループである。
アメリカでは、バイセクシャルを承知で、結婚する、カップルが、実に多い。

日本では、江戸時代まで、結婚と、恋の遊びは、別物だった。
恋は、玄人の遊郭の、遊女と、遊び、結婚は、別である。
そして、更に、男色という関係も、また、結婚とは、別である。

妻がいても、男の相手がいて当たり前である。
井原西鶴、好色一代男に、すべて、描かれている。

火付けで、磔にされた、八百屋のお七の相手も、あれほど、お七が、慕った男には、男色の相手がいたのである。
それが、当然のことだったという、時代もあるのである。

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2008年08月11日

性について 11

もう少し、脳を見る。

脳下垂体は、頭部の真ん中にある。眼の奥である。
大脳の前面に、付着している、小さなものである。
やや、前頭よりに、下方に垂れている。

前葉、中葉、後葉と、茎がある。

後葉は、神経下垂体ともいい、茎を通って、間脳視床下部に、つながる。
それは、視床下部から、神経を受け取るということ。

後葉には、多くの、無髄神経線維が集まる。
その、神経は、有髄神経と、無髄神経に分けられる。

有髄の方は、髄鞘という物質があり、無髄には、それが無い。

髄鞘は、脂肪質の物質で、保護するためにある。

後葉は、内分泌液を分泌するという説だったが、そうではなく、視床下部の神経細胞が分泌して、それを、神経線維が運んでくるという、しくみが、解った。
神経分泌現象と、呼ばれる。
それは、神経線維と、神経線維の間を、運ばれてくるのである。

さて、前葉は、胎児が発生してくるとき、本来は、口を形成する細胞からくるが、それが、腺となり、後葉、つまり神経からきた部分と一緒に、脳下垂体となったのである。

中葉は、色素の出来かたで、三種の細胞は、分かれる。
後葉を、ニューロ下垂体、前葉は、アデノ下垂体と、呼ぶ。

ニューロ下垂体は、働きとして、いくつかの、ホルモンを分泌して、血液に送り、臓器の働きを、促す。

一つに、抗尿ホルモンADHを出す。これは、腎臓にいって、尿量を調節する。あまり、尿を作らないように、作用する。

もう一つは、ADHが、ワゾレッシン、オキシトチンという、物質を含んでいる。
ワゾフレッシンは、抗尿に、オキシトチンは、乳腺に作用する。

アデノ下垂体は、二つの細胞群を含んでいる。
一つは、クロモフォーデ細胞で、染色性のないもの、もう一つは、クロフィル細胞で、色素に染まる細胞である。

この細胞は、酸性色素エオジンや、酸性フクシンに、よく染まる細胞と、塩基性色素であるヘマトキシリンによく染まる細胞との、二つに分かれる。
この、酸性細胞が、成長ホルモンを出し、泌乳ホルモンと名づけられていた、プロラクチンを、出す。

塩基性色素に染まる、細胞は、向性腺ホルモン、向甲状腺ホルモン、向副腎皮質ホルモンを出す。

アデノ下垂体の働きは、諸ホルモンの働きのことである。

次に、向性腺ホルモンの、ゴナドトローピンという総括名で、二種類あり、一つは、卵細胞刺激ホルモンFSHで、もう一つは、黄体形成ホルモンLHである。

これらは、女性のもつものだが、男性では、FSHとLHをかねた間質細胞刺激ホルモンICSHである。

LHとICSHは、化学的には、同一物質であり、男性も、女性でも、LH、ICSHと、呼ばれる。

これ以上になると、専門的になるので、省略して、次に続ける。

脳下垂体から出る、ゴナドトローピンは、男性では、睾丸の成熟と、その機能や活動を調節している。

卵胞刺激ホルモンである、FSHは、脳下垂体から、直接、精子の生成を促す。
脳下垂体は、また、逆に、睾丸からの、影響を受けている。

前葉ホルモンは、睾丸が外に出るのを、促進する。
睾丸は、最初、卵巣と同じように、腹腔の中にあったものだが、それが下がり、陰嚢の中に入った。これは、自然の発育で、外に出る。

男らしさ、女らしさを作るものは、脳下垂体の、ゴナドトローピンが元だ。
ゴナドトローピンは、男では、睾丸のテストステローンを、女では、卵巣のエストラジオールと、プロジェステローンを分泌させ、それが、全身に回り、男、女らしさを、作る。

ところが、副腎皮質の内分泌により、男らしさ、女らしさに、変化することが、わかった。

副腎皮質とは、左右の腎臓の上についている、小さな臓器である。

腎臓は、尿をつくるが、副腎は、それとは、何の関係もない。

副腎皮質は、二層に分かれ、外側を、副腎皮質、内側を、副腎髄質と名づけている。

この、副腎髄質の出す、内分泌物質は、アドレナリン、ノンアドレナリンである。
性の問題には、関係ない。
性に関係があるのは、副腎皮質である。

副腎皮質の、出すホルモンは、性ホルモンと、よく似ている。
すべて、ステロイドで、八つホルモンがあり、それらを、一括して、コルチコイドと、名づけている。

更に、コルチコイドは、五十種にも、及ぶのであり、その働きは、三種に、分けられる。

オキシコルチコイドといわれ、三大よう素の新陳代謝に関係するホルモンである。
デスオキシルコルチコイドは、体内のミネラルの新陳代謝に関係する。
副腎皮質の性ホルモン。性腺の作用がある物質である。

いかに、複雑な構造で、性が、成り立つかということである。
それは、脳と、密接に関係しているのである。
性が脳であるという、理由を書いている。

そこから、見えるものは、結果的に、人間の性のあり様である。
脳科学、大脳生理学、心理学、文化人類学、哲学、思想、宗教、民俗学等々、様々な分野を見渡して、性というものを、見るという、試みをしているのである。

勿論、私は、素人であるから、気が楽である。
勝手、気ままに、性を探るのである。

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2008年08月12日

性について 12

性と脳のことに関しては、また、追々と書くことにする。

その前に、一つ、私は、提案する。
性というものは、本能かということである。
性欲というものは、本能であるかというのは、今は、誰も疑わないようである。それは、性欲本能説である。

自然に、持って生まれたもので、それにより、子孫を作り、それは、自己保存の本能とも、言われる。
性欲に、関わるすべてのことは、本能である。
これは、一つの観念であるという、提案である。

私は、性欲即本能とは、考えられなくなっていると、思っている。
それは、人間の進化である。

後々で、また脳について書く時に、それを、説明するが、単なる本能であると、考えている人は、大きな間違いを起こしている。
子孫を作るから、自己保存だというが、子孫を生めない人もいる。
どうしても、子孫を作らなければならないとしたなら、一夫多妻でなけばならない。
一夫一婦制で、子孫が出来ない人もいるからだ。

本能とは、何か。
生まれつき自然に体に備わった、生理的反応のことである。
意思に反して、起こるものである。
それでは、男が性的に興奮して、勃起するのは、本能であると言える。
だが、それで、性交を求めるとは、ならない。
マスターベーションという、最高の方法がある。

もし、性欲が本能だとすれば、それを、罪と考えた、宗教の多くは、実に誤りである。
完全に、誤っている。
本能ではなく、人間の何かによって、なるものだという、考え方があって、性欲抑制を、心の修行のように、考えたのである。

実に、狭い考え方を持って、性欲を本能だと、観念してきた、長い年月がある。

自然科学、文化人類学の検討が、実に必要になってきた。
性欲とは、本能であるが、人間の性行動は、本能ではないと、いえるのである。

人間の性行動は、作られてゆくものである。
それが、脳の発達によるものであるということ。

私は、バーチャルセックスという言葉が出来た時に、いよいよ、人間の性が、変容すると、思った。

例えば、インターネットの画面を見て、その接続に、本物そっくりの、女性器を取り付けて、バーチャルセックスが可能になる。
あるいは、セックスロボットが、現れて、セックスの相手をしてくれる。
時代は、そのように、向かっている。
それは、また、人間だけが、出来ることである。

子孫を作るための、性から解放される時代が、来たのである。
更に、子孫は、別に、セックスが、無くても、作られる技術は、十分に発達した。
試験管ベービーなどは、当然になってゆく。
甚だしいものは、男同士、女同士でも、子供が、作られる時代になる。

生物学的のみに、進化しているのではない。
人間は、その脳と、精神も、進化しているのである。

再度言えば、性欲は、最早、本能ではなく、文化と進歩と共に、新しく拓かれるものなのである。

性教育の、あり方も変わってくる。といいうより、今まで、正しい性教育が、為されていたかという、問題もある。

今までの、性教育は、生理学的、機能的、性の教育であり、人間の総合性としての、性教育が為されていないのである。

つまり、教える者たちが、性というものの、本来の姿を知らないのである。
すべては、古い観念により、それを、信じたものである。
何ら、創意工夫がなく、また、人間性の、性ということも知らないのである。

食の栄養については、溢れる程の情報がありながら、性の情報は、実に、少ない。
極端に、医学的、極端に、エログロ的、極端に、宗教、道徳的。更に、極端に、差別的なのである。

四十代の男が、若い女と、付き合い、妊娠すると、子供はいらない、堕胎せよと言う。そして、結婚はしない。女は、泣く泣く子供を堕ろし、男との、別れを決意する。しかし、男は、少し熱が冷めると、また、女に、二人で楽しもうと、誘う。

これは、実際に、私が相談を受けたものである。
その、男の親も、男と、同じ考えであるというから、驚いた。
私は、激怒したが、道徳的な人なら、皆、激怒するであろう。

何故、激怒するのか。
女を道具、セックスの道具のように、扱うからである。
更に、無意味な堕胎を促す、という無謀である。

しかし、このような、男が、非常に多くなっている、現実がある。
果たして、既成の観念で、何か、導くことが、出来るのか。

もう一つ言う。
結婚する相手はいる。しかし、別にセックスだけの関係の女が、妊娠し、生むといわれたと、悩んだ男がいる。
友人には、一ダース程、女に、堕胎させた男もいる。一人位ならば、堕胎させても、というのである。

上記、道徳なるもの、何の影響も、いや、道徳などは、何もないのである。

果たして、このような、時代性に、今までの性の観念で、考えていいのだろうか。

そして、更に、ジェンダーの問題から、ゲイ、レズビアンの問題から、性に関しては、今までにない問題が、持ち上がっている。

一夫一婦制の、結婚制度に関しても、更に、検証しなければならない。

結論的に言うと、人間は、性欲大脳化が、完全に出来上がっている。
生物学的に言えば、性行動は、本能ではなく、実に、人間の文化的行動であるといえるのである。

人間の性のあり様は、文化というものを、抜きにして語れないのである。
それでは、文化とは、何かといえば、伝統、文明、その他諸々の、要因によってなるものの、総称である。

性は、文化なのである。

ちなみに、性活動は、成人した、男女であれば、例え、去勢されたにしろ、障害があるにしろ、性活動は、行われるのである。

実は、一夫一婦制というのも、性の大脳化によるものなのである。

ますます、性というものの、世界が、広がってくるのである。

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2008年08月16日

性について 16

睾丸には、二つの働きがある。
一つは、精子を作ること。
もう一つは、内分泌線として、働くこと。

精子は、細精官で作られ、精管を伝わり、体外に出される。故に、外分泌である。

内分泌物質のほうは、間質細胞が出し、対外に出ることなく、血液を通じて、全身を回り、その作用を表す。

精子は、減数分裂をして、遊離してくる細胞である。
その細胞は、まず、細精管の薄い膜を作る細胞、つまり、精子母細胞が、分裂して、精子細胞となり、それが、減数分裂をして、遊離して、精子となる。

多くの動物は、それが起こるのは、一年に、一二度の発情期のみ。
人間だけは、春動期を迎え、いったん、生成が始まると、休みなく続く。老年になって、止まる。

さて、それでは、精液は、どのように作られるのか。

副睾丸は、睾丸から出た細精管が巻き込まれた形をしている。
そして、そこが、主として、生成された、精子を貯蔵する。
そこでは、一種の分泌液を出す。

その、分泌液で精子は、運動し、成熟する。そして、受精する、力を得る。
副睾丸から、分泌する液は、精子の力を強める作用があるということだ。

そこでは、およそ、60日間運動し、30日間の、受精力があると、いわれる。

更に、副睾丸の精子の活力は、単に、副睾丸分泌液のみならず、性ホルモンが血液を介して、副睾丸に及んでいる。

副睾丸の中の精子は、適当な時に、射精されにければ、死んでゆく。
そして、自然に精嚢の中に入り、消滅し、尿の中に出るということは、ない。

射精の時、精子は、副睾丸から、その細精管のまわりにある、筋、平滑筋の運動により、精管を通り、精嚢へと、進む。
そこで、精嚢の分泌液が加わる。
それは、黄味を帯びたアルカリ性の液である。

そこから、前立腺に運ばれ、前立腺は、前立液を分泌し、運ばれた液と、まざる。

前立腺の液は、蛍光のある、薄い、一種特有の臭気がある。
栗の花のにおいに似るといわれる。

その反応は、やや酸性に傾き、カルシウム、クエン酸、リン酸に富む。
前立腺を指で押すと、前立液は、出るが、性行為の際には、盛んに出る。
それが、先走りといわれるもの。

精液には、尿道球部からの、球液も混じる。
精液は、色々な分泌液が集まって、精液と呼ばれるのである。

只今、巷で言われる、前立腺刺激ということについて、書く。
アメリカで、前立腺刺激のために、作られた、医療器具が、どういうわけか、日本では、別の目的に、使われている。
つまり、前立腺刺激による、快感を得るものというものである。

その手の、案内を見て、びっくりした。
男も、女のように、達するとか、男が、女になるという、謳い文句である。

そして、今では、その種類が、数多くある。
しまいに、女性用、オナニー道具も、男が、アナルに使うという、驚きである。

アナルの、マスターベーションを、アナニーというから、また、驚いた。
特に、ゲイの世界で、言われる。

それでは、前立腺というものを、みる。

前立腺はカルシウムや、クエン酸のほかに、リン酸酵素である、フォスファタースというものを、含んでいる。
それが、春動期から、急激に増す。
それは、睾丸内の、テストステローンの作用による。

男の、尿には、フォスファタースの量が、女、子供の比べて、三倍から五倍と、多い。
体から、それを捨てていると、思われる。
それが、前立腺の働きの一つ。

フォスファタースは、リンに関する代謝酵素であり、養素の一つである、含水炭素の分解、ビタミンをリン酸化するという、活性化をして、一括して、リン酸化という、活動をいたるところでしている。

血液中にある、フォスファタースは、男、女、子供でも、同じ量である。
増加した場合は、色々な腺に入り、中でも、前立腺に入って、調節されると、考えられる。

そして、前立腺の、フォスファタースは、血液には、入らない。
では、前立腺に、リン酸化合物が、蓄積されるかというと、少ない。
つまり、前立腺は、リン酸代謝に、関係しているといえる。

この、前立腺の働きが、解り、次に、勃起という、生理学的状態を、みることにする。

ペニスは、海綿体という、組織に富む。
海綿体組織は、動脈から、血液が入り、そして、その血液が、静脈から出てゆくのが、少ない時に、その容量を増す。
それは、海綿体の小動脈が、拡大し、海綿体毛細血管に、血液が増し、反対に、静脈は、常よりも、縮小するのである。
勃起である。

それでは、勃起神経はというと、亀頭刺激が、陰茎背神経を通り、脊髄の中枢まで、達する。そして、その上までゆく。
専門用語は、控えて、簡単に言う。
亀頭刺激が、神経を通り、伝達され、それが、また、戻り、海綿体の小塔脈と、毛細血管を、拡大させる。

勃起神経と、勃起中枢と呼ぶものが、働くのである。

ただし、勃起は、ペニスへの、刺激だけではなく、人間の場合は、主として、視覚と、触覚からの、刺激でも、起こる。

また、人間特有の、想像によって、生じる、性意、デザイア感覚によっても、起こる。

射精に関する、生理学的な、働きについては、また、書くことにする。

先に、前立腺刺激による、快感というものが、新しい性感として、男たちに、知られるようになったといった。
事実、大人のオモチャの世界では、一足先をゆき、百花繚乱の様子である。

私は、性というものに、ついて書いている。
この、人間の性が、今、正に、変容しようとしている。

ペニス刺激だけではなく、新しい刺激の、快感を発見したといえる。
ただし、それは、古い時代から、あったものであるが、今は、意識して、それが、行われるということで、それが正に、新しいというのである。

アナルへの目覚め。
前立腺への、目覚め。
人間の性欲というものが、本能ではないことを、証明する、発見である。
つまり、大脳化である。
それを、言いたいのだ。

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2008年08月17日

性について 17

勃起も、射精も、自律反射である。

骨格筋にきているのを、体制神経といい、内臓筋にきているのを、自律神経という。

自律神経とは、神経が、感覚や意志がなく働く神経という意味。
胃腸、性器のように、自律神経がきている、臓器には、すべて、二つの自律神経がきている。

副交感神経と、交感神経である。
この、神経は、互いに、反対の働きをしている。
以前にも、書いたとおり。

勃起反射、射精反射も、自律反射と、呼ばれる。

この二つの反射で、特に射精反射では、性感、オルガスムが伴う。

仙髄第三分節から、上にゆく神経、そして、亀頭、その他の、性器皮膚から上にゆく、皮膚感覚の神経を伝達し、間脳の視床と、大脳の、辺縁系へと、流れて、快感となる。

女にも、男と同じように、勃起反射、射精反射に対応する反射はあるが、それが、男のように、明確ではない。

神経の働きは、男と同じだが、陰核、つまり、クリトリス、及び、その周辺の皮膚や、粘膜からの、刺激が、陰部神経を上がってゆく。
そして、男と、同じく、仙髄第三分節までゆき、そこの勃起中枢で、切り替えられて、反射中枢として、副交感神経で下る。また、交感神経で、下る。
下腹神経叢で、両方が継続して、卵巣、子宮、膣に分布する。

子宮にも、膣、その他にも、内臓筋がある。男の場合と同じ。

上行刺激が、反復すると、腰髄第一分節にいった、伝導が重合して、射精中枢から、発火を起こす。

その、発火は、交感神経を伝わり、下腹神経叢から、卵巣や、子宮にゆき、オルガスムを起こす。
しかし、射精のように、目立った現象ではない。

更に、それが、連続して、何度も起こるというのは、男とは、全く違う。

男は、一度の射精で、オルガスムを終わる。
次は、また、時間を、置いて、である。

勿論、若い頃は、抜かずの、何とかといい、一度、二度と、短時間に、続けられることもあるが、射精時の快感は、その一度で終わる。

ペニスに対する、一種の快感はあるが、射精の快感は、一度のものである。

ここである。
他の、動物の場合は,:決して、射精を引き伸ばして、ペニスの快感を、楽しむということは、ない。人間だけが、射精に至る前の、様々な快感を、楽しむ。

また、女も、連続する、オルガスムを何度も繰り返し、求めることが出来る。
これは、つまり、性感の、大脳化でもある。

ここから、ハウツー物の、性感セックスの、出番になるのである。

時代や、国を問わず、その性感を、求める試みの多くが、記録されている。

今、どんな性の方法論を、持ってきて、それを、説明しても、面白い。
いずれ、そこにも至ることになる。

少し、繰り返すことになるが、矢張り、人間の場合は、脳の働きが、他の動物とは、違うということ。

大脳辺縁系とは、皮質辺縁系と、皮質下で、同じ辺縁系に属する、核群、すなわち、背中核、扁桃核、視床下部諸核、そして、中脳橋の諸核などを、含めた部分を言う。

性欲の働きは、この辺縁系の内にある。
そしてそれは、本能というより、進化した心の働き、私は、情緒と言う、それによって、成り立つ、人間の性である。

性は、命であり、脳であり、そして、今、情緒になった。
情緒とは、喜怒哀楽、笑い、泣く、そして、様々な心の綾である。
これが、性欲、更に、快感に、大きな影響、深い関与があるということである。

それは、また、食欲にも、影響を与え、深い関係を、持つ。

そして、忘れてはならないことは、内蔵、肺、心臓、肝臓、胃腸、内性器、それらが、協調して、働くようにするのも、辺縁系であるということ。

この、辺縁系から出る、信号によって、大脳皮質、つまり、辺縁系に対立するものとしての、大脳外表質系の、働きである、前頭回という、脳の外側、皮膚に近い部分が、行動を起こさせる。
よく考えて、断固として、行動するというのは、ここの働きである。

そして、高等動物である、人間には、複雑な、多くの欲望を持つに至るのである。

性行為、性行動一つにしても、実に、複雑な欲望を起こし、更に、行動するのである。

その、大きな一つが、マスターベーションである。
他の動物も、それに似た行為をするが、人間のように、複雑ではない。

前立腺刺激をして、男も、女のような、快感を得るというようなもことを、考えるのは、人間のみである。

また、マスターベーションの、様々な、試みをして、楽しむというのも、人間ならでは。

脳の、進化と、発展が、人間を、他の動物から、そして、本能から、解放したといえる。

現代の、マスターペショングッズから、古代のマスターベーショングッズから、眺めて見ると、驚くべき、創意工夫がある。

遠い昔、最古のマスターベーショングッズは、エジプトの神官に、行き当たる。
板を、刳り貫き、更に、直径五センチほどの、穴を作り、そこに、ペニスを出し入れして、楽しんだという。

ヒトに近い、道具を作るサルも、マスターベーションの、道具を作ることはない。
人間だけが、それを、する。
性とは、マスターベーションなのである。
マスターベーションの、豊かさが、性を突き抜けてゆき、芸術にまで、高まるという、手法である。

性の快感ではなく、より、高度な快感を、求めて、芸術活動が、成り立つのである。

更に、私は、スポーツというものも、芸術の一つであると、考えるのである。

体の限界を超えるという、快感は、性の快感を、超えることもある。

人間とは、凄いものである。

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