2010年10月16日

天皇陛下について 72

昭和天皇は、開戦に至る過程で、首相としての、近衛文麿に、政治的処置について、様々な不満を述べ、具体的な処置を提案していた。

昭和16年9月6日、御前会議にて、十月下旬を目途に、対米英蘭戦争の準備を完成させるという、帝国国策遂行要領が決定された。
これに先立ち、天皇は、前日の5日、その案を近衛から、内奏されている。

その内容は、陸海軍が、対米、及び英蘭開戦への、準備をすすめていることが、明らかである。

強硬に開戦を主張したのは、参謀本部の、田中新一である。
海軍省の岡敬純は、日米交渉が失敗しても、ただちに、開戦すべきではないとの、考えだった。

陸軍省の、武藤章と、軍令部の福留繁は、その中間である。

その中に、
十月上旬に至るも、尚我要求を貫徹し得る目途なき場合に於いては、直に対米開戦を決意す。
と、ある。

この時点で、陸海軍の軍人は、北一輝が昭和7年の時点で予言していたような、日米戦争は必ず対米英露支の世界大戦になる、海で「英米二国の海軍力」と戦い、同時に陸で露支二国との「大陸戦争」を戦うような世界大戦をすれば、結果は「破滅」である、というリアリズムをまったく欠いていたことになる。そして、その政治的リアリズムを昭和16年9月5日の時点でもっていたのは、唯一、昭和天皇であったのだ。
松本健一

天皇陛下は、その内奏を聞いて、次のように言った。
これを見ると、一に戦争準備を記し、ニに外交交渉を掲げている。何だか戦争が主で外交が従であるかの如き感じを受ける。この点について明日の御前会議で統帥部の両総長に質問したいと思うが・・・

この発言に対して、近衛は、
一二の順次は必ずしも軽重を示すものに非ず。政府としては飽くまで外交交渉を行い、交渉がどうしてもまとまらぬ場合に戦争の準備に取り掛かるという趣旨なり
と、答えた。

そして、近衛は、この点に関し、御前会議で質問するのは、どうかと、考えますから、今、陸軍参謀総長と、海軍軍令部総長を呼んでは、如何かといい、天皇は、御下門したのである。

参謀本部の田中新一作戦部長は、業務日誌に記す。
天皇陛下御みずから、両統帥部長を御招致になり、種々御下門になり、その結果につき、統帥部は憂慮す。
陛下の御心配は、二つのように拝された。一つはこの国策要領が、作戦本位、外交従の観ありとせられる点、他は南方作戦の見通しに関する御不安である。
種々御説明のうえ、お叱りを蒙りながら、一応御納得を得た模様、明日の御前会議は、予定どおり開催し得ることとなった。

ここに問題がある。
近衛も、両総長も、陛下の質問に答えて、陛下が、納得したと、思い込んだのである。

陛下は、納得していない。
それは、後に解る。

御前会議の冒頭で、近衛首相が述べる。
米・英・蘭の経済的及び軍事的圧迫は、急迫はできた。独ソ戦の長期化に伴い、米ソの対日連合戦線も、日本の脅威となるおそれがある。日本は国力の弾発力を未だ失はざる間に、諸般の準備を整え、戦禍を未然に防がねばならない。これがため対米外交措置が、一定期間に奏功しない場合は、自衛上最後の手段を取らなければならない。

近衛は、軍部が決定した、要綱にそのまま、従ったのである。

8月8日、アメリカ側に、近衛とルーズベルト大統領との会談を申し入れたが、アメリカ側が、それを取り上げる気配を見せない。

8月14日、ルーズベルトと、チャーチルとの間の、大西洋憲章が発表された。
十月上旬まで、日米交渉が、妥結する見通しは、全くなかったのである。

歴史は、人間が作るものである。
と、共に、歴史は、歴史の意識で、進化し、生成発展するものでもある。それを、偶然と呼ぶ。

近衛の発言の後、永野修身軍令部総長が、対米戦争の決意を強調する形で、要領の説明を行う。
鈴木企画院総裁が、戦争準備の必要性について、言葉を添える。

しかし、これに続いて、原枢密院議長が、
近衛首相が米大統領に会見を申し入れたことに、多大の敬意を表する
と、前置きし、
この案を見るに、外交より戦争が重点がおかるる感あり。政府、統帥部の趣旨を明瞭に承りたい。

この質問に対し、政府を代表して、海軍相の及川古四郎が、答弁する。
しかし、統帥部からの、発言はなかった。

原は、「政府、統帥部」に答弁を要求しているのであるから、これに統帥部がこたえなかったのは、統帥部が「外交より寧ろ戦争に重点」をおいていたからにわかならない。繰り返し言うが、軍人は戦争を仕事としているのだから、これは当然のことだろう。
松本健一

そこで、統帥部から答えがなかったことを、重く見た、天皇は、原が昨日、自分が発した疑問と同じことを言うので、意を強くした。

近衛の手記から、
統帥部からは誰も発言しなかった。
然るに、陛下は突如御発言あらせられ、「ただ今の原枢相の質問はまことにもっともと思ふ。之に対して統帥部が何等答えないのは甚だ遺憾である。」とて御懐中より明治天皇の御製

よもの海みなはらからと思ふ世に
など波風のたちさわぐらむ
を記したる紙片を御取りだしになりて之を御読み上げになり、「朕は常にこの御製を拝誦して、故大帝の平和愛好の御精神を紹述せんと努めて居るものである。」と仰せられた。理路整然、暫くは一言も発する者なし・・・

自らの平和愛好の、御精神を表明した、天皇であらせられる。

この要綱が、決定されようとしたとき、断固として、異議を唱えたのは、昭和天皇である。

しかし、この九月五日から六日の御前会議に至る経過を振り返ってみると、昭和天皇のみが日本の大いなるコモンセンスーーー「常識」という訳語以上に、「常なる心」と訳したいーーーを保持していたように感じられる。統帥部の両総長が「戦争準備」に心を囚われてしまっているのは当然として、近衛首相をはじめとする閣僚はその戦争へと走ってゆくただいまの軍部の“勢い”にのみ込まれてしまっている。このとき、天皇のみがそのただいまの“勢い”を、コモンセンス(常なる心)の立場から押し止めている、といった感じである。
松本健一

さらに、である。
ルーズベルトと、チャーチルの間では、すでに、対日戦が、決定していたのである。

これならば、戦争回避など、出来るわけが無い。

東京裁判を開き、日本の戦争犯罪人を作り上げ、裁いた国、アメリカが、戦争犯罪人だとは・・・
開いた口が、塞がらない。




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2010年10月17日

天皇陛下について 73

昭和天皇は民族のコモンセンス(常なる心)を保持していた、などといえば、天皇は日本における特権階級の極みである、だから民俗学の創始者である柳田国男だって「常民(コモンピープル)」の概念規定にあってそこから天皇と被差別部落民を除外したではないか、という反論がとびだしてくるような気がする。「常民(コモンピープル)」ではないものに「常なる心(コモンセンス)」があるはずがない、と。
しかしわたしはいま、学問的な概念遊びをしているのではない。精神(エートス)の話をしているのだ。コモンセンスを「常識」と記すにしても、タイのシンゴラ湾に上陸することは国際法違反だという国際法的な常識を、当時の陸海軍の将軍たちのほとんどが保持していなかった。それを、昭和天皇は保持していたのである。
そして、昭和天皇のコモンセンスは、そういった「常識」を超えて、まさしく日本人にとっての「常なる心」として保持されていたような気がするのだ。・・・
松本健一

学問的な概念遊び・・・
多くの議論が、ここに、極められる。
賢い馬鹿たちである。

さて、近衛は、天皇が、はっきりとものを言わない、だから、評論家のようだと、非難したが、違う。
御前会議で、明確に、断固とした、意思を示したのである。
つまり、和平である。

そして、また、他の者たち、内閣、統帥部の軍人たちも、天皇の意思を知りつつ、黙殺したのである。

天皇の、考えも、受け入れて、結局、帝国国策遂行要領を、可決するという・・・

天皇自身は、その会議のまとめ方にも、不満だった。
会議の後で、木戸幸一内大臣を呼んで、統帥部にも、外交交渉に協力するようにと、仰せられている。

御前会議において、天皇の意思が「和平」であると知って、いちばん衝撃をうけたのは、陸相の東条英機であったろうか。会議のあと陸軍省に戻った東条は、興奮していた。かれは軍務局の将校を大臣室に集めると、会議の様子をくわしく伝え、こういった。

聖慮(天皇の御意思)は和平を希求しておられる。こうなった以上、何としても日米交渉を成功させなければならなぬ。
松本健一

ただ、東条英機という軍人は、このように一時の感情に心を動かせはするものの、その本質は「能吏」であった。「能吏」とは所定の目標を出来るだけ効率よく実現に近づけてゆく才である。そして、それができないとわかったら、目標の解釈を変えて、あたかも目標が実現されているかに思わせる小ずるい才である。
松本健一

東条は、この日から、要領を策定した一人、軍務局長の武藤章と共に、連日、大臣室にこもって、話し合いをした。
そして、武藤に近い立場を、自ら移してゆく。

このままの情勢では戦争になる。天子様がこれは仕方がない。やむを得ないと御納得のいくまで外交に力をいれなければならなくなった。

これは、軍部の戦争準備は、どんどん進めるが、天皇が、仕方がない、やむを得ないと御納得いくまで、は、外交に力を入れて、ゆく、という、考え方である。

更に、天皇は、東条に、9月11日、陸軍の「対米戦争準備」の状況について、天皇に上奏したとき、和平を、念押しした。

陛下のお言葉
御前会議の際の発言によって戦争を避けたい。自分の意向は陸相に明らかになったものと諒解する。

東条は、
思し召しを十分体して交渉妥結に極力努力いたします。

だが、統帥部は、東条の揺らぎを、生ぬるいと、開戦派が、戦争準備を具体的に、進めてゆく。

9月9日、天皇は、杉山からの「対南方動員」に関する上奏を受けて、次のように、おおせられた。
報告はわかった。動員しても対米交渉がうまくいったら、動員はやめるだろうね。

杉山は、
仰せの通りにて結構なり。但し交渉がだらだらと遷延し時日が延引すれば、結局冬期で北方の安全な時期を選んで南方の作戦を行うという基本構想は破る次第なり。これは重大なことにて帝国は非常な困難に陥ることになる。従って交渉も適当の時期に見切りをつけ、最後の決心を要するものと考えあり。

最後の決心とは、開戦を意味する。

参謀本部のとくに作戦担当者たちは、9月6日の決定に盛り込まれていた「十月上旬」という「外交交渉」の限度を既定の事実とみなしていた。そして、9月20日の時点では、「11月16日」を開戦日と想定し、10月15日までに外交交渉の決着をつけてほしい、と要求を出している。
松本健一

政府は、東条陸相までふくめて、天皇の「和平」への意思を認識していた。そのため、及川海相も豊田陸相も、9月6日の決定は統帥部のゴリ押しであり、鈴木貞一企画院総裁に「数字の上からも戦争をできぬと言ってほしい」と懇願したのである。
松本健一

和戦の決定をする、話し合いが、10月12日、近衛の荻窪の私邸で、行われた。

集まったのは、東条陸相、及川海相、豊田外相、鈴木企画院総裁である。そして、そのときの近衛文麿の政治家としての決断力のなさが戦争への道を決定的にしたのである。この日のことに関していうなら、天皇に戦争責任はないのである。
松本健一

これらを読んで、いくと、自ずから、見えるものがある。

何度も言うが、歴史の必然性と、偶然性である。
和平を望んでも、戦争へと進む、そのモノは、何か。

歴史を、動かすモノである。
それは、人間の意志とは、別物のようである。

人類はじまって以来の、戦争というものを、回避することは、出来なかった。
偶然を、内的必然と、捉える時、人生力というのが、発揮される。

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2010年10月18日

天皇陛下について 74

昭和天皇が杉山元・参謀総長を更迭して、後任に東久邇宮をあてたらどうか、とのべたのは、杉山が「統帥権」を楯に「どしどし」戦線を拡大し、アメリカとの戦争準備をすすめている軍部の象徴的存在に映っていたからである。
松本健一

昭和16年8月1日、杉山は、「満州への第二次派遣に関する件」を上奏した。
この時の、天皇の、御下門が、杉山のメモに残る。

之が派遣到着しても、やらないだろうね。

増派した軍隊が、到着して、ソ連軍との戦争をはじめないだろう、という、意味である。

これに対する、杉山の答えは、
心配しておりますのは、満州の戦備の整わぬ時に先方から英米と結び、積極的に転ずる場合であります。敵の空中兵力の攻撃を受けた時に空中戦の本質上「ソ」満国境付近の戦闘でも少し「ソ」領に入れば敵機に大損害を与える得る様な場合は、又は敵機が飛行場に帰還して時に之を撃つ等、我航空隊が「ソ」領進入を考えなければ之は国策にも関係あるを以って、予め定めおくを要すると考えて研究して居ります。

兵力の増派が、敵に対する、抑止であることを越えて、ソ連領への侵入の上で、戦争をはじめるという、可能性を言うものである。

これを聞いた陛下は、
仏印(フランス領インドシナ)に進駐してから、仏側はどうか。

これは、南部仏印に進駐をはじめたことに対し、陛下が、フランスとの関係を懸念し、それによって、アメリカが、在米日本資産を凍結したことを、ご心配されての言葉である。

アメリカは、その直後、8月1日に、対日石油輸出を全面禁止にした。

これに対して、杉山は、南部仏印では、ドゴール派が、少し騒ぐだけだと、フランスとの関係は、「大体において良好なり」と答えている。

また、資産凍結も、当然予期していたことだとの、旨を言う。

天皇は、その答えを聞いて、
予め予期していたことというが・・・
何故、はじめから、そういわなかったのか・・・
と、怒りを込めて、発言している。

天皇は、東久邇宮が、拝謁した時、杉山の批判を口にした。
宮の、一皇族の戦争日記にて、
天皇陛下の、お言葉を書いている。

軍部は統帥権の独立ということをいって、勝手なことを言って困る。ことに南部仏印進駐にあたって、自分は各国に及ぼす影響が大きいと思って反対であったから、杉山参謀総長に、国際社会は悪化しないかと聞いたところ、杉山は、なんら各国に影響するところはない、作戦上必要だから心中しますというので、仕方なく許可したが、進駐軍後、米英は資産凍結令を下し、国際社会は杉山の話と反対に、非常に日本に不利になった。陸軍は作戦、作戦とばかりいって、どうもほんとうのことを自分にいわないので困る。

これは、統帥権の独立を楯に、政府をないがしろにし、更に、天皇にも、都合の悪い情報を、言わない。
作戦を口実にして、暴走する、軍への、批判である。

軍部独裁・・・
見えてくるのである。

それに対する、東・・・の返答を、近衛の手記に見る。
私からも、今後ほんとうのことを陛下に申し上げるように、統帥部および陸軍当局によく注意しておきますが、陛下は大元帥でいられるほかに、各関係当局から、政治、外交、軍事について、いろいろ報告を聞かれているのだから、とりわけ、国際関係に対して広い観点から全般的に判断されることができる。
しかし陸海軍部は、統帥権の独立を理由とし、作戦上の要求をしばしば政府に要求しようとしている。
そして・・・
陛下の御反対はごもっともと思う。現在の制度では、陛下は大元帥で陸海軍を統率しているのだから、・・・お許しにならなければいいと思います。

近衛、東・・・も、立憲君主たらんとした、天皇とは、異なり、天皇は統帥権をもった、大元帥であると、進言するのである。

軍という組織がそのような理性を失ったのは、みずからを「現人神」としての天皇を戴いた「皇軍」とよび、その中国での戦争を「聖戦」と唱えるようになってからだ。そして、この昭和12年から16年という時期の大半に、首相として政治にたずさわったのが、近衛文麿だったのである。戦争責任は、まず第一に、近衛において認識されるべきなのである。
松本健一

天皇の、お考えとは、程遠い、軍部の、暴走・・・
天皇が、一言も言わない、現人神を用いて、それは、架空の存在である、を、掲げて、兵士たちに、士気を高揚させて、戦争へと、進む。

最も、天皇の意思を、見ない、聞かない、知らないという、傲慢である。

戦後、左翼系の人たちが、天皇の戦争責任を掲げて、天皇打倒を叫んだが、ただ、彼らは、知らなかったのである。
更に、共産思想である。

盲人と、同じである。

もう一つの、大きな要因は、国民である。
国民が、戦争を強く望んだのである。

それは、当時のマスコミを見れば、解る。
国民に、迎合する記事を書き続けたのである。

軍部と、国民の狂いが、戦争へと、駆り立てた。

その中にあり、冷静だったのは、天皇陛下である。

当時の、常識を有していたのは、陛下のみ。

陛下の御心を無視し続けて、軍部は、戦争準備を進め、政治は、機能しない。一体、誰が、戦争を止められるのか。
陛下のみである。

最後まで、戦争回避し、外交努力を説いた、陛下のお姿を、見る。

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2010年10月19日

天皇陛下について 75

日本では、天皇陛下はじめ、開戦を避けるべく、努力していた事実を書いてきた。

そこで、もう一度、世界的な状況と、日本を見る。
前回も、書いたことで、重複することもあるが、開戦に到った経緯の、大きな要因である。

1929年、ニューヨークの証券市場で、株の大暴落を引き金に、世界中に、大不況の嵐が吹き荒れる。

アメリカでは、四人に一人が、職を失った。
そして、日本にも、ヨーロッパにも、その影響が派生した。

この株式大暴落は、「ホーリー・ストーム法」が提出されたからである。

アメリカ議会は、この法律を1930年6月に、成立させた。
この法律の目的は、一つ。
不況で苦しむ国内産業を保護するためである。

アメリカに輸出される商品1000品目に、超高率の関税をかけるということである。

世界に大不況が起こった時、アメリカのような大国が、関税障壁をかけるのは、世界貿易の、破壊に他ならない。

この法律を見て、世界中の国が、報復措置を取った。
わずか、一年半で、二十五の国が、アメリカ製品に対して、関税を引き上げた。

結果は、アメリカの貿易量は、一年後、半分以下に落ち込み、世界全体の貿易も、更に不振になった。

不況を克服するために行ったことが、更に、不況をもたらした。

ホーリー・ストーム法の施行により、アメリカが自由貿易から離脱したことを受けて、イギリスも、自衛のために、保護貿易を行うことになる。

1932年昭和7年、カナダのオッタワに大英帝国のメンバーが、集い、会議が開かれた。

英帝国経済会議である。
参加国は、イギリス、カナダ、アイルランド自由国、オーストラリア、ニュージーランド、インド、ニューフィンランド、南アフリカ連邦、南ローデシアである。

この会議で、帝国外からの、輸入を制限し、大英帝国内で、自給自足体制に入るということである。
それは、帝国内で、商品や、原材料を動かす場合は、無関税か、特恵関税で、帝国外から来るものは、高率の関税をかけるものである。

当時の、大英帝国は、植民地を含めると、世界の四分の一を占める、規模である。

会議に参加した他に、香港、シンガポール、マレーシア、北ボルネオ、エジプトなどの、植民地、また、イギリスが支配権を持つ中近東の、産油地帯が、その影響下に入る。

この巨大ブロックが、大不況に拍車を掛けた。

当時の日本は、生糸などを売り、外貨を稼ぎ、その金で買った原材料で、安い雑貨類を作り、海外に輸出して、成り立っていた。
日本は、乏しい利益で近代化を興し、近代的軍備を整えていたのである。

それが、経済ブロック化したら、どうなるか・・・
製品の輸出も、資源の輸入も、出来ない。
国内産業は、崩壊する。

ヨーロッパでも、ドイツ、イタリアなどのように、持たない国は、英米のように、持てる国の、経済ブロックに対抗して、国家社会主義化、ファッショ化が、国民の支持を得るようになる。

1930年代の、ファッショ化は、アメリカと、イギリスがしたのである。

世界的に、不況が回復しないということで、多くの人は、自由放任の時代は、終わったのだと、考えるようになる。
問題は、単に、ホーリー・ストーム法なのであるが・・・

そこで、政府による、統制経済という、アイディアが出てくる。
中央政府が強権を発動させることで、経済活動を振興するという、つまり、社会主義である。

大不況のころから、はじまる、スターリンの五ヵ年計画の成功が、それを裏づけように思われたという、悲劇である。

ちなみに、成立当時の、ソ連は、破産寸前であった。
革命から、数年後は、餓死者が数百万人も出る。
人が人の死体を食い、飢えた親が子供を、ヴォルガ川に放り込むという・・・

しかし、1929年、大恐慌がはじまった年、第一次五ヵ年計画は、ソ連経済を復活させたように、見えた。

世界が、不況に苦しむ中、ソ連が活況を得ているという、姿は、社会主義に、人々の目を向けさせた。
だが、決して、ソ連が、成功したわけではない。
後々に、その弊害が出てくる。

そして、アメリカの、ルーズベルト大統領は、1933年、ニュー・ディール政策を行った。

社会福祉を導入し、公共事業を行うことで、景気を立て直そうとした。だが、失業者を減らすことは、出来なかった。

アメリカが、不況から、完全に脱出するのは、第二次欧州戦争が、始まってからである。

戦時体制による、特需で、失業者は消え、景気も良くなった。

さて、ドイツである。
経済的苦境を解決すると、現れたのが、ヒトラーのナチス。
正式名称は、国家社会主義労働者党である。

ソ連も、ナチスも、社会主義である。

ナチスが登場してから、ドイツ経済は、驚異的な復興を成し遂げた。

しかし、社会主義の経済政策は、言ってみれば覚醒剤のようなものだ。覚醒剤の服用者は、最初のうちは体中に力が満ち溢れ、全然寝なくてもいいような気持ちになるという。しかし、その活力は覚醒剤が与えたものではない。単に自分の肉体を燃やしてエネルギー源にしているだけにすぎないのである。だから、そのうち身体は痩せ衰え、健康が失われてくる。
統制経済も同じである。当初は効果が上がるように見えるけれど、それは今まで蓄えていた富が生み出したものであって、その富を使いきってしまえば、後はないのだ。
昭和史 渡辺昇一


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2010年10月20日

天皇陛下について 76

1930年代から、世界に、社会主義に対する、礼賛の風潮が生まれた。
日本も、その影響を受ける。

ただ、日本の場合、他国と違ったのは、社会主義や共産主義に対して非常な恐怖心を抱いていたということにある。そのため、日本における社会主義の入り方は屈折したものになった。
渡辺昇一

それは、マルクス主義者たちが、天皇制を廃止する、ということを、掲げたからである。

当時の、日本人にとって、それは、恐怖心を抱かせるのに、充分だった。
それは、その五年前に、ソ連共産党が行った、君主制廃止の、残忍さである。

ロシア革命において、ロマノフ王朝が、その愛馬にいたるので、ことごとく、惨殺されたことは、日本でも、知られていた。

日本共産党が、皇室の廃止、を唱えれば、誰もが、ロシア革命と、同じことを、と、思ったのである。

明治維新が世界史上、類を見ないほどの成功を収めたのは皇室があったからだということは、誰もが認めざるをえない事実である。
渡辺

当時の、国民の皇室に対する、一体感は、まことに、強かったのである。
皇室は、日本の総本家であるという、意識。

更に、共産党が、被搾取階級と呼んでいた、東北の貧農の家にも、天皇皇后陛下の、写真が、飾られていたほどに、崇敬の思いが、強かったのである。

皇室をなくするという途端に、戦前の共産党は、大衆の支持を完全に失い、史実上消えたのである。との、証言がある。

ナチスの思想が人種差別とセットになっているように、共産主義イデオロギーはつねに暴力とセットになっているからである。人種偏見のないナチズムが考えられないように、暴力や大量殺人のない共産主義などありえないのだ。
渡辺

ソ連では、ロシア革命で、ロマノフ王朝一族が、惨殺され、その後、スターリンの統治下では、数百万人もの人が、粛清されたり、シベリアへの強制収容所に送られたのである。

中国では、一千万人を超える、犠牲者が出た。
ベトナムも、然りで、南ベトナムが解放された後に、恐れるべき大虐殺が起こった。
カンボジアでも、然りで、史上最悪の高率で、国民が殺されたのである。

さて、左翼の共産主義、社会主義者の代わりに、日本では、右翼の社会主義者たちが、大きな力を持つことになる。
彼らは、天皇という名を使い、日本を社会主義の国家にしようと、考えた。

それが、敗戦後、国家主義者、軍国主義者と呼ばれた。

彼らは、あくまでも右翼の社会主義者なのである。
渡辺昇一

その代表者が、北一輝である。
国体論及び純正社会主義、という、主著がある。
左翼思想家たちも、もろ手を上げて、それに賛成したという。

それに、飛びついたのが、特に若い軍人たちである。
日本の体制に対する、義憤からのものである。

資本主義と政党政治。
一部の財閥が、巨利を得て、農民は、飢えている。
政治家たちは、目先の利益だけを追い求める。

天皇を戴く社会主義が、理想に見えたのである。

そこで、生まれたのが、皇道派と、統制派である。
この二派は、抗争を繰り返した。

彼らはともに、天皇の名によって議会を停止し、同時に私有財産を国有化して、社会主義的政策を実行することを目指していた。そうすることで、ホーリー・ストーム法とブロック経済による大不況を解消し、“強い日本”を作ろうというのである。両者の間で違ったのは、日本を社会主義化するための方法論にすぎない。
渡辺

皇道派は、二・二六事件を起こした。
テロ活動によって、体制の転覆を狙った。
彼らは、昭和維新を唱え、天皇を戴く社会主義革命を目指した。

対して、統制派は、軍の上層部に作られ、合法的に、社会主義を実現することを、目指した。それ以外は、皇道派と、変わらない。

生き残ったのは、統制派である。

ニ・二六事件は、以前書いたように、天皇が断固たる、決意で、反乱軍が、鎮圧されたからである。

だが、それは、統制派の、チャンスだった。
陸軍の主導権を握ったのである。

それ以後、日本全体が、統制派に、動かされることになる。

そこで、以前に書いた、統帥権の干犯問題によって、首相も、内閣もない、明治憲法の欠陥が、露呈して、憲法上、政府は、軍に干渉できないことになっていたのである。

この軍部の台頭に、呼応する形で、社会主義に傾倒していったのが、官僚たちである。

官僚の仕事は、自由経済であればあるほど少なくなり、統制色が強まるほど増えていく。大恐慌前の日本経済の基本は、言うまでもなく自由主義であり、国家は財閥の活動を奨励こそすれ、統制しようとはしなかった。必然的に、役人の出番は少なかったのである。
渡辺

大恐慌になってから、役人たちは、われらの出番だと、考えるようになった。
政治家に任せておけない・・・

この官僚たちを、新官僚と呼ぶ。
彼らは、天皇の官僚を自称した。
天皇の軍隊があるならば、我らも、天皇に直結して、政治家から、独立して、行動できるというのである。

彼らは、軍部と結託して、日本の政治改革を、行おうとしたのである。


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2010年10月21日

天皇陛下について 77

新官僚たちは、政治改革を行おうとした。

特にその中でも積極的だったのが内務省である。内務省は選挙粛正運動、つまり選挙の“腐敗”を防ぐという名目で政党政治家たちを徹底的にマークし、選挙違反で摘発して政党政治の力を削ごうとした。こうした傾向は内務省から他省庁に広がり、さらには中堅の官僚にまで及ぶようになった。
渡辺昇一

そして、その次に、現れたのが、革新官僚である。
議会や政府という邪魔者は、いなくなった。次ぎは日本全体を、統制国家にする、というのが、狙いである。

要するに、全体主義国家を目指したのである。

この、革新官僚が、企画院を創設した。

これは、シナ事変に対応するために、戦時統制体制のあらゆる、基本計画を一手に作り上げるという目的で、創られた。

渡辺氏は、経済版の参謀本部、だと、言う。

この企画院の、生みの親が、近衛文麿である。
ただし、近衛は、革新官僚たちが、社会主義と全く同じだとは、気付かないのである。

敗戦色濃くなった時、昭和20年、1945年、2月1日、近衛は、昭和天皇に、上奏文を呈出する。

その日は、米軍が、硫黄島に上陸を開始する、五日前である。
ドイツでは、ドレスデンの大空襲で、13万5千人が死に、ハンガリーの首都ブダペストが、ソ連に占領されたという、報道があった、翌日である。

渡辺氏の、現代語訳で、紹介する。

このまま戦争を続けていれば、日本は敗北し、共産革命が起こることになるので、一刻も早く戦争を終結すべきだ、ということを、進言するためである。

少壮軍人の多数は、わが国体と共産主義は両立するものなり、と信じているもののようであります。軍部内の革新論の基調も、またここにあるものと思われます・・・
これら軍部内の革新論者の狙いは、かならずしも共産革命ではないかもしれませんが、これを取り巻く一部官僚および民間有志(これを右翼と言ってもいいし、左翼と言ってもいいでしょう。右翼は国体の衣を付けた共産主義であります)は、意識的に共産革命まで引きずろうという意図を包み隠しております・・・
このことが過去十年間、軍部、官僚、右翼、左翼の多方面にわたって交友を持っていた不肖近衛が、最近静かに反省して到達した結論です・・・
彼らの主張の背後に潜んでいる意図を看守できなかったことは、まったく不明の致すところで、何とも申し訳なく、深く責任を感じている次第です。

青年時代にマルクス思想を学び、そして首相として軍人や官僚たちと仕事をした人の意見であるから、まさに注目すべきものであろう。
渡辺

企画院によって、生み出されたのが、国家総動員法である。
これにより、日本は、完全な、右翼社会主義の、国家となったのである。
そして、問題は、敗戦によって、全体主義の軍人は、いなくなったが、官僚と、その組織は、なくならなかったのである。

これは、恐るべきことである。

その後も、それが、生き残り、敗戦後の、日本を指揮していたのである。
戦時中の、強権を手放したくなかったということである。

唯一つの例外は通産省であった。ここだけは、戦時中の統制をどんどんと放棄する方向にベクトルが働いてきた。それは、世界市場の中での自由競争に勝つうえで、配給制度はかえって邪魔になるという判断があったからだろう。
渡辺

企画院の、出来上がりが、理解できて、更に、当時の、軍人と、官僚の有様が、明確になった。

そして、その中にあって、天皇陛下は、一人、佇み、和平を見つめていたのである。

世界の状況と、日本の状況を、見つめて、更に、戦争開戦の、成り立ちを眺めている。

何が何でも、戦争を、という人たちと、和平をと、望んで活動していた人たちの、姿が、見える。

和平の頂点にいらしたのが、天皇陛下であらせられる。

敗戦後、今年で、67年を迎える。
歴史は、多面体であるから、その、多面体を見つめて、総合的判断により、それぞれが、その価値を見出すだろう。

要するに、単純明快ではないのである。

そして、国際社会は、当然、国益によって、動いているということである。
国益を追求するあまりに、性急な方法と、手段を取った、アメリカ、イギリス・・・
とは、言え、アメリカも、元は、イギリス人である。

更に、当時は、世界の多くがイギリスのモノであったという、事実である。
そして、現在もなお、イギリスは、間接統治をしている国が多数ある。

それを、どう、考えるのか。

日本が、侵略したという場合は、総攻撃を、国内外から受けるが、それでは、イギリスをどのように、判断するのか。

私は、世界的に、最悪最低の国だと、見るしかない。

あの国の、繁栄は、すべて、侵略と、植民地支配によって、成ったものである。
裁くとしたなら、イギリスを、国際社会は、裁かなければならない。

その人種差別、人種偏見は、ナチスに劣らず、激しいものである。

それは、イギリスを宗主国とする、オーストラリア、ニュージーランド・・・
などを、見てもよく解るのである。

イギリスは、一度たりとも、植民地に対して、謝罪したことは無い。
世界の、マフィアとしての最たるものである。
イギリス王室は、麻薬の、世界的取引の、胴元であることも、付け加えておく。
その王室を、見習うと、皇室に、天皇に言わせる者どもは、悪の手先であろう。


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2010年10月22日

天皇陛下について 78

渡辺昇一氏の、日本史快読、には、開戦要因の四つの理由を挙げている。

第一には、アメリカの人種偏見と西進政策から来た対日敵視政策、また、それに関連しての日英同盟の廃止、第二には、日本経済を危機に追いやったアメリカ、イギリスのブロック経済への突入、第三には、北から迫るソ連の共産主義の脅威、そして第四は、元老という歯止めを失った明治憲法の欠陥であった。

アメリカの、人種偏見と言うが、実際は、イギリスから出たものである。
イギリスの人種差別は、世界を席巻し、今も、それが続いていると、考えてよい。

アメリカ人も、元は、イギリス人である。
イギリスの人種差別は、世界史上、最悪の思想である。

さて、実は、満州事変の前年、1930年、ロンドンにて、海軍軍縮会議が、開かれている。
これは、日本の抵抗にもかかわらず、軍縮の対象に、主力艦に加えて、補助艦や潜水艦まで、含まれた。

これは、アメリカの日本攻撃を有利にするためのものである。

要するに、アメリカは、日本と戦争するために、準備を始めていたのである。

当時想定されていた、アメリカの日本攻撃は、主力艦を中心に、航空母艦、巡洋艦、駆逐艦が、周りを取り巻き、直径何十キロの、大円陣を作り、日本に迫るというものだった。

だから、日本海軍は、主戦場となる、小笠原に近づくまでに、一隻でも、アメリカの戦艦を減らそうとした。
第一次大戦で、日本がドイツから、委任統治領として、受け取った、マーシャル諸島、トラック諸島などの、サンゴ礁に、潜水艦を潜ませて、攻撃するというものだった。

この計画で、重要な役割を果たす、潜水艦の数を、条約で制限するというのは、明らかに、日本作戦への、妨害である。

だが、日本の首脳は、ロンドン条約を締結せざるを得ないと、判断する。
しかし、それに大反対したのが、軍部である。

条約締結の、責任者とされた、浜口首相は、東京駅構内で、右翼青年に、ピストルで狙撃された。

そして、何度も書いた、統帥権の問題・・・
結果、軍部、特に、陸軍は、政府を無視して、暴走を続けることになるのである

陸軍の、危機意識は、アメリカが、ハワイ、グアム、フィリピンと、米国領を西へ西へと、拡大していることであった。

アメリカは、日本も、その統治下に置きたい・・・
それは、イギリスも、考えたことである。

更に、日本が、開戦に至る、原因の一つは、ヒトラーである。
ヨーロッパを、戦場にした。

それを背景に、世界情勢が、益々、緊迫し、険悪となり、1941年、アメリカ、イギリス、オランダが、国内にある、日本資産を凍結し、通商条約の破棄を通告してきた。

そして、最大の、原因は、1941年8月、アメリカが、日本に対しての、石油の輸入を止めたことである。

最後まで、開戦に反対していた、海軍も、決意を固めることになる。

更に、アメリカらの、ハル・ノートだった。

日本は、その年の、12月8日に、真珠湾を攻撃する。

そこで、渡辺氏は、無通知攻撃は、当時、ワシントンに駐在していた、日本大使館の怠慢によるものであると、書いているが、違う。

これには、訳がある。
いつも、紛争、戦争と、生臭い場所に、絡むのは、キリスト教の聖職者・・・悪職者、司祭とか、牧師である。

午後一時にとの、日本政府の命令を知り、大使を結婚式に、招いて、得々と、説教を繰り返して、その時間を、遅らせたのである。
牧師である。

その途中で、出る事が出来ないと、踏んで、牧師が、時間を延ばし続けたのである。

白人主義は、下から上まで、右から、左まで、救われないほどの、傲慢さである。

手落ちではない。
策略である。

渡したのが、二時・・・

アメリカの、思う壺である。
真珠湾には、攻撃しやすいように、ルーズベルトが、知りつつ、沈黙し、多くの兵士を死なせた。
呆れる。

こんな、卑怯なやり方は、日本人には、考えられないのである。

如何に、イギリス、そして、そこから、出た、アメリカ人というものが、どのような、人間性を持っているかが、解る。

イギリスは、今、現在も、世界のマフィアである。
あの、王室が、何故、残っているのか、信じられない。
麻薬密売の、主であろう。

更に、アメリカを、ローマ法王に、寄贈しているのである。
呆れる。

アメリカの、地主は、ローマ法王である。
通りで、法王庁は、闇金融取引、不正禁輸取引など、朝飯前である。

聖書や、マリアの預言というものがあり、この世が、終わるというなら、白人主義が終わる。カトリックの支配が終わることである。
もう一つ、おまけに、キリスト教自体が、崩壊するのである。

日本と、日本人は、基本的に、善人である。
しかし、今、現在の、日本人は、おおよそ、西洋と、アメリカに精神を、蝕まれている。
だから、救われない。
つまり、日本人に、なれないでいる。

それを、大和言葉では、あはれ、という。

どうしたって、こうしたって、心根の悪い者が、良い者になるわけがない。
なるとすれば、化けているのである。

第二次世界大戦の、勝利は、アメリカだろうか・・・
結局、結果は、日本の、勝利である。

その証拠は、天皇陛下の存在である。
世界に、二つと、無い、存在である。
天皇陛下を、亡き者にすることが、出来なかったのである。

天皇が、存在する限り、日本の国は、続く。
日本魂が、守られてあるのである。
あちらは、何も無い。

本当の、幻想の国家幻想しかない。
日本には、その幻想が、天皇の存在によって、しっかりと、支えられている。


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2010年10月23日

天皇陛下について 79

昭和20年、1945年、日本は敗戦した。

広島、長崎と、原子爆弾が投下され、その後、ソ連が日ソ中立条約を破棄して、宣戦布告した。
主要都市は、廃墟となり、陸海軍の戦力も、崩壊した。

敗戦を決めたのは、8月9日と、14日に行われた、御前会議での、天皇陛下の、御聖断であらせられる。

ポツダム宣言受諾と、無条件降伏を決していた。

8月15日、玉音放送により、終戦の詔勅が流れる。
戦争が終わった。

ポツダム宣言には、天皇、憲法に対する、根本的な問題には、言及していない。
それが、日本側に、恐怖を与えた。

昭和天皇の処遇・・・
全く、皆目検討が着かない、状態である。

だが、じつは英米政府は、太平洋戦争中から日本研究を重ね、天皇の政治利用を狙っていたのだった。
英国機密ファイルの昭和天皇 徳本栄一郎

それを、裏付ける、複数の文書があるという。

一つは、1944年1月2日、駐米英国大使館が、本国に送った「ウィークリー・ポリティカル・サマリー」政治報告、である。

日本の将来像について新たな議論が出てきた。国務省内部では、ミカドと協力し、神道を連合国寄りに修正する可能性も話し合われている。ホーンベック(元極東部長)のみが、ミカドの有用性を妄想と考えているようだ。・・・
グルー(元駐日大使)は、新たな太平洋戦争の火種を防ぐため、敗戦後の日本は十分な経済市場を与えられるべきとしている。

かねて英米政府は、明治以来の国家神道が日本の軍国主義の温床になったと見ていた。天皇と協力して、その軌道修正を図ろうという考えだった。
徳本栄一郎

もう一つは、同じ年の、1月13日の、グルーが行った、スピーチを基に、英国外務省が作成した、日本の天皇制存続の展望、という、レポートである。

その中では、日本が無条件降伏をした場合、軍の強硬派が、穏健派を抹殺し、クーデターを起こすのではないか、というものである。

いかなる場合も、無条件降伏と連合軍の占領後、日本の皇室の威信を考える必要がある。天皇は世俗的王位ではなく、個人的人気があるかどうかは分からない。だが、彼は国家の崇拝物で、護符でもある。
レポート

上記を、見ても、よく解る通り、欧米の国々は、日本、そして、天皇の存在を、本当に知らないし、理解も出来ないのである。

人は、自らの、思考以外のことは、考えられないのである。

だから、天皇を理解できるのは、日本人しかいないのである。

更に、神道に関しても、全く、不案内である。
彼らの、宗教的概念でしか、理解し得ない。
それが、また、彼らの傲慢であるところのもの。

その以前も、それ以後も、彼らが、いかに、人種差別行為を、繰り返したかを見れば、一目瞭然である。
更に、である。
今も、その野蛮な思考方法は、変わっていない。

人間に、野獣性というものが、あるならば、それは、彼らの中にある。

さて、敗戦から、三ヶ月後の、1945年11月29日の、東京に進駐した、英国政府代表団が、本国に、長文のレポートを送った。

タイトルは、日本占領の問題点と方針、である。

それは、
いかに英国の利益を確保するか分析した内容だった。
徳本栄一郎

天皇制が、トップ上げられている。

連合の道具として天皇を残したのは、疑問の余地なく正しかった。日本国民は8月15日の詔勅を、全員玉砕するまで戦えとの命令と考え、それに従うつもりでいた。・・・
天皇の権威そこが、平和裏の占領を可能にした。

精神的シンボルとしての天皇の力は、物質的不幸で却って高められた。天皇は残された唯一の財産であり、他国にないシンボルである。

現在の天皇の退位は、戦争犯罪と関連して議論されてきた。彼は協力的な真面目な人物で、自分に出来る範囲で軍部に抵抗しようと試みた。天皇の退位は決して有益ではない。

興味深いのは、すでにこの時点で英国政府が、天皇を「シンボル」(象徴)に利用すべきたと提言している事だ。
徳本栄一郎

上記の、分析は、正しい。
しかし、問題なのは、英国の利益なのである。
根本は、英国の利益によって、理解されたものなのである。

皇室の、英国王室に、対する、対応と、考え方は、全く違う。
それは、利益ではなく、王室に対する、敬意なのである。
しかし、王室も、彼らも、全く、日本の皇室と、天皇の、存在意義を知らない。

ここで、天皇と、イギリス王というものに、天と地の差があることが、解るだろう。

言えば、イギリス王は、大地主であり、天皇は、日本全土を、何一つ持たなくても、天皇という権威のうちに、国民から、崇敬される、存在なのである。

日本全土を、覆う、その大御心なのである。
そのように、捉える。

その、天皇陛下が、わが身、いかになろうとも、日本と、その民のために・・・
と、仰せられる。
それは、天皇だから、出来ることなのである。

イギリス王ならば、わが身を、大切にするゆえ、亡命する。

日本の天皇の存在を、ある程度、理解出来る国がある。
タイ国である。

タイ国王は、国民から、世界の王として、認識されている。
それ以外の、王は、いないのである。

王様とは、タイ王のことである。
彼らに言わせれば、王様は、タイに、いる。
天皇は、日本にいる、ということになる。

それ程、権威というものが大事なのである。

タイの軍隊は、国軍ではない。
王様の軍隊であると、胸を張る。

ちなみに、タイ国王陛下在位60周年記念行事に、参加された、今上天皇、皇后陛下は、どの場面でも、国王のお傍に、置かれた。
当日は、全日テレビ中継で、その様子が、流れた。
私は、バンコクで、その映像を見ていた。

国民が、見られない場面でも、タイ国王は、つねに、天皇陛下をご案内していたというから、驚く。


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2010年10月24日

天皇陛下について 80

日本を民主主義国家に改造するマッカーサーの切り札、それが大日本帝国憲法の抜本的改正だった。
徳本栄一郎

1946年2月3日、GHQ民生局長の、コートニー・ホイットニー准将は、次長のチャールズ・ケーディス大佐、法規課長のマイロ・ラウエル中佐らを呼び出した。
そこで、極秘の指示を出した。
最高司令官は、つまり、マッカーサーは、われわれに憲法草案を書くよう命令された。毎日新聞の記事を見ても、日本政府の憲法案はあまりに保守的で、天皇の地位を何ら変更していない。

日本側の、憲法草案は、明治憲法の枠を出ない保守的なもので、特に、天皇の条項は、明治憲法と大差なく、GHQ側を、激怒させた。
ゆえに、マッカーサーは、ホイットニーに、新憲法の草案の指針を手渡したのである。

2月19日、日本政府は、閣議で、GHQ草案を提示した。
侃々諤々の議論の末、結果は、その案に沿った、憲法を作る方針を決定した。

間髪を入れず、マッカーサーは声明を発表した。
「天皇、政府によって作られた新しく開放的な憲法が、日本国民に予の全面的承認の下に提示された事に深く満足する」
まさに、完璧なやらせだった。
徳本栄一郎

1946年3月8日、東京の英国代表団が、本国に至急電報を打った。
この草案は明らかに英語で作成され、日本語に翻訳されたものだ。トーンがあまりに米国的すぎる。・・・特に軍備を禁じた条項は、将来の改憲議論の焦点になるだろう。
憲法改正を急がせた理由は不明だが、極東委員会と対日理事会を無視する意思が背景にある。この草案が国会で可決されてしまうと、外部の介入は困難である。
1946年3月8日、英国外務省報告

マッカーサーが、本国政府の許可なしに行動しているのは明らかだ。われわれの不満を表明し、彼に対処させるべきである。
1946年3月19日、英国外務省報告

19世紀以来、インドやアフリカに広大な領土を誇った英国は、老獪な植民地経営に長けていた。時には、現地の文化や歴史も巧みに利用する。それだけに、短期間で国家改造を押し付けるマッカーサーに、大きな危うさを感じていた。
徳本栄一郎

連合国は、壮大でかつ野心的な実験を行おうとしている。支配と教化で国民の政治的体質を変え、これまでの知的伝統を破壊または大きく修正できると考えている。可能かもしれないが、歴史上、そのような前例は聞いた事が無い。・・・われわれが望むのは、日本が攻撃的な全体主義から民主主義国へと生まれ変り、国民が基本的権利を享受し、経済政策が相反しない事である。・・・それが自国の利益にも適うと理解させるため、日本に圧力をかけるのは適切かつ合理的だ。しかし、教室で細部の処方まで与える手法は信用できない。日本人に、われわれが望む結果だけを伝え、やり方は彼らに委ねるべきである。
1946年3月26日、英国外務省報告

敗戦後、一度も、改憲せずに来た。
それは、奇跡的である。

平和憲法という名の、美名に酔ってきたのである。
そして、多くの矛盾を、兎に角、辻褄を合わせて、ここまで、来たのである。

イギリスが、言うように、日本民族は、攻撃的ではない。
羊のように、大人しい。
そして、羊のように、従順である。
だから、憲法改正も、進まないのである。

徳本氏は、60年前の、英国政府の懸念が、的中したと、言う。

われわれが日本に採択させるべきは、立法府と個人の権利を尊重する、アングロサクソン型民主主義である。これはキリスト教の教義に由来する個人の自由の伝統から、長い時間をかけて発展してきたものだ。それが、産業革命後の裕福な中流階級により、十九世紀に拡大してきた。同じ条件が整わなければ、日本で同じ発展が起きるとは思えない。

考えられるのは、日本を1868年の明治維新の状態に戻し・・・リモート・コントロールする事である。すなわち、国際社会復帰が認められるまで、欧米列強の監視下に置き、不平等条約も改正しない。
1946年3月26日、英国外務省報告

いかにも英国的な経験主義アプローチである。日本の国民性を無視してやみくもに改革に突き進むGHQは、彼らに子供同然に映ったのだろう。と、徳本氏が、言う。

私は、違う。
ここまで、傲慢なイギリスの、本性を見るものだ。

アメリカの、魔的なものと、イギリスの魔的なものとは、違う。
産業革命後・・・裕福な中流階級・・・
それが、すべて、植民地からの、搾取による。

そして、それが、アングロサクソン型民主主義であり、キリスト教に由来する・・・
呆れる。
それが、可能だったのは、何か。
多くの植民地政策であり、人権無視、更に、人種差別の何物でもないのである。

彼らの、優越意識は、付ける薬がないほど、である。

イギリスは、どれほどの、悪行をして来たのか・・・
その意識さえない。

欧米列強の監視下に置き、不平等条約も改正しない・・・
さらに、日本の、植民地化である。

アメリカより、狡猾、更に、傲慢、優越意識・・・

イギリスは、今も、多くの国に、君臨する。
イギリスを、宗主国としている、国が、今も多く存在する。

そして、そこは、今も人種差別に、晒されているのである。

だが、兎に角、世界は、そのように、動くということである。
国益・・・
その、国益のためには、相手国が、どうなろうとも、いや、殺さない程度に、生かして、搾取するという。
そこに、思想がある。
実に、恐ろしい、思想である。

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2011年09月13日

天皇陛下について。87

万世一系というのは、日本人が日本の天皇のご血統の事実に即して立てた理念であって、犬や猫や一般の人間の生物的種の一系などを言いあらわすための造語ではない。皇室専属の用語だ。帝王の位というものは同一の血統で永続して継承することは世界史上稀有なことであって、どこの国をみても短きは数年数十年、長きも数百年を出ない。シナでは「五百年にして王者興る」とさえいっている。
里見

さて、マッカーサーは、日本占領と同時に、厳重な言論干渉をした。
特に、皇室と、日本の歴史に対してである。

検閲制度を敷いて、一切の文書に、万世一系、という言葉を、使用させなかった。
しかし、日本人は、それでも、万世一系と、書くものだから、万世の文字を、消して、一系、つまり、一系の天皇、ということで、許可した。

いかに、マッカーサーが、天皇という存在に、無知で、恐れを抱いて、いたかである。つまり、それが、今回の戦争の、日本兵士の戦い振りを見てきた通り、恐ろしいものだと、感じていたのだ。

昭和天皇に対しては、とても、親近感を抱いたが、日本人の天皇に対する、思いを、一度、消滅させたかったのである。

だが、マッカーサーが、去ると、再び、堂々と、万世一系と、書き始めた。
勿論、それに、難癖をつけるのは、決まって、共産主義に、かぶれた者たちである。

マッカーサーは、外国人であり、日本のことには無知であり、戦争を仕事とする、軍の司令官であるから、まだ、許せるが、日本人でありながら、無知であり、平然として、万世一系に対する、不敬を書き付ける者が、戦後、多くいたという。

それだのに日本の皇位は一系よく万世を貫くおもむきがあり、更に千年、二千年、あるいはそれ以上の久しき歴史を閲している。将来もまた万年を通じて同一の皇統でなければならなぬ、という思想が、万世一系の一語となって用いられているのである。
里見

里見は、それを、思想だと言う。
現実に即した、思想なのである。

更に、頭の悪い、共産主義主は、言う。
万世一系は、天皇ばかりではない。国民も同じだが、より根本的にいって、専制君主の永続的支配は、その民族にとっての汚辱であっても、断じて、名誉ではないのである。

歴史上、天皇が、専制的に政治を行った時期は、どれほどの期間だったか・・・

万世一系が、彼らに言わせると、専制君主の永続的支配と、なる。

共産主義の国の支配層が、専制的政治を、行うということは、見ての通りである。
全体主義、独裁は、共産主義の得意技である。

日本には、元、数多くの、小君主が存在していた。
しかし、それは、日本という、国家観のものではない。

日本は、万世一系だというのは、日本天皇は、万世一系だということになる。

それは、正当な国家を示すのである。

正当に日本と呼ばれる国家は皇室と不可分であって、仮にクマソの国があったとしてもそのクマソ国の君長であって日本国の君主ではない。また仮に、「魏志倭人伝」のいうような邪馬台国のヒミコほか百余国の王があっても、それも日本という国家の君主でないことは明瞭だ。アイヌがいずれかの地域で原始国家を営み君長を有していたとしても、それも日本ではない、アイヌ人の国にほかならぬ。
里見 一部、読みやすく私が、修正した。

帝国憲法第一条
大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す
私が、原文を書き改めた。

成文憲法としては、廃止されているが、不文憲法としては、立派に生きていると、里見は、言う。

権力的意味ではなく、社会的作用と、国民の支持の上に、万世一系の天皇は、国家の統一安定のため、究極の中心となり、国民を統治するのである。

武力を用いず、その、存在の権威と、威厳によるものである。

それは、日本だけに存在するものである。

何故か。

歴史の中で、知ることは、例えば、藤原、源平、織田信長、豊臣秀吉、更に、徳川という、権力者が、現れたが、結局、誰一人、あの、信長でさえ、皇位を奪わなかったのである。

形式の上では、皆、天皇の下位にあり、摂政、関白、太政大臣、征夷大将軍などの、官職の任命を受けた。

つまり、権力者が、革命を行わなかったゆえに、万世一系になったのである。
だが、結果論であり、原因論ではない。

原因の究明が、必要である。

人間が権威から開放されると信ずるのは、人間の本質を知らないからである。人間は、いかなる時代になろうとも権威から開放されることはない。権威は人間生活の支柱である。
里見

もし、国家の権威を、認めなければ、国家は、成り立たない。
その権威を、認めるから、法律によって、社会の秩序が保たれるのである。

封建時代でも現代人でも、普通の人間でも共産主義者でも、人間である者はすべて権威を求めるのである。権威の内容は信頼と尊敬である。信頼と尊敬は社会生活における不可欠の要素であって、信頼なく尊敬なきところに人間の統一社会はありえない。
里見

個人を信頼し尊敬した国民は、つねに革命をくりかえし国家の同一性、国家の無窮性を得ることができなかったが、血統を信頼し尊敬した国民は、国家の同一性無窮性を血統の同一性無窮性とともに実現したのである。国民がこれを権威として欲し、権威として仰ぎ、権威として服したから万世一系となったのであって、一将軍の利用価値によってそうなったのではない。
里見

私も言う。
天皇を敵にする者は、国民、つまり、公宝、おうみたから、から、納得されないのである。
天皇を攻撃することは、国民すべてを、敵に回すことになるのである。

何故なら、国民が、天皇の権威を一番、感得しているからである。

すると、天皇を、国民は、知らなかったという者たちがいる。
知らないでも、いい存在が天皇の権威なのである。


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