2014年04月01日

伝統について68

夕月夜 暁闇の 朝影に わが身はなりぬ 汝を思ひかねに

ゆうづくよ あかときやみの あさかげに わがみはなりぬ なをおもひかねに

夕月の頃の、夜明けの闇の後に、朝の影法師のように我が体がなった。それは、お前を思うばかりに。

何とも、美しい歌である。
夕月、暁の闇、朝影・・・

そして、呆然として、佇む作者である。
その呆然は、恋心なのだ。

月しあれば 明くらむ別も 知らずして 寝てわが来しを 人見けむかも

つきしあれば あくらむわきも しらずして ねてわがこしを ひとみけむかも

月が明るい。それで、夜の明けるのも解らず、寝過ごして来てしまったのを、人は見ただろうか。

女の元で、寝過ごすのである。
それが、人に見られて、噂を立てられる。

通い婚の時代が、平安期まで続く。
鎌倉時代以降、そして、戦国時代から、少しばかり、現在の結婚制度の元が、出来つつある。

妹が目の 見まく欲しけく 夕闇の 木の葉隠れる 月待つ如し

いもがめの みまくほしけく ゆうやみの このはこもれる つきまつごとし

妻に会いたいと思う心は、夕闇の木の葉に隠れている月の、出を待つようなもの。

ついも、恋は、初恋なのである。
時間を経ても、初恋の気分を持ち続ける心。

恋愛という言葉があるが、万葉は、恋なのである。
それは、妻恋であり、夫恋、共に、つまこひ、という。

真袖もち 床うち払ひ 君待つと 居りし間に 月かたぶきぬ

まそでもち とこうちはらひ きみまつと をりしあひだに つきかたぶきぬ

両袖で、床を清めて、あなたを待っている間に、月も、西に傾いてきた。

待つ心。
待つ身の、辛さ・・・

男を迎える前に、袖で、床を清めるという。

袖は、心を表す。

二上に 隠らふ月の 惜しけども 妹が手本を 離るるこのころ

ふたがみに かくらふつきの をしけども いもがたもとを かるるこのころ

二上山に隠れてしまう月のように、惜しいことだ。妻の手本を離れている、この頃である。

手本とは、手枕である。
妻の手枕・・・
恋しい妻の、手枕を求める。

会わずにいれば、更に、恋しいのである。

月を妻と映して、歌詠みをする。

万葉の時代から、月は、多くの歌人の詠むところとなった。
月の光・・・
そこに、あはれ、がある。

恋する者の、あはれ、とは、愛おしいのである。
愛おしい気持ちも、あはれ、として流れて行く日本人の、心象風景である。


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2014年04月27日

伝統について69

わが背子が ふり放け見つつ 嘆くらむ 清き月夜に 雲なたなびき

わがせこが ふりさけみつつ なげくらむ きよきつくよに くもなたなびき

私の愛する、背子が、振り仰いで見て、逢い難きことを、嘆いているのだろう。清らかな月に、雲よ、たなびくな。

月を互いに見ているとの、心境である。
相手も、私も、月を見て、互いに思うのである。

雲がたなびく・・・
それが、雲よ出るなと言うのである。
雲によって、月が見えなくなる。

歌を分析する趣味は無いが・・・

真澄鏡 清き月夜の 移りなば 思ひは止まず 恋こそ益され

ますかがみ きよきつくよの うつりなば おもいはやまず こひこそまされ

真澄鏡のように、清らかな月が移り、月を見て、妻を思うが、一層、恋しさが増さるのである。

月が思いを募らせるなら、月が見えなければ・・・
しかし、益々と、恋しさが募るのである。

情景が浮かぶような、歌である。

今夜の 有明の月夜 ありつつも 君をおきては 待つ人もなし

こよひの ありあけのつくよ ありつつも きみをおきては まつひともなし

今夜の、有明の月のようにあっても、あなた以外に、待つ人は、いない。

美しい有明の月夜でも、私には、待つ人は、あなただけなのだと、言う。
純粋な恋心のみ。

君をおきては・・・
君のみ、なのである。
もし、この君が、男同士ならば・・・
同性愛か・・・
万葉の時代は、同性愛、異性愛などの意識はないのである。

この山の 嶺に近しと わが見つる 月の空なる 恋もするかも

このやまの みねにちかしと わがみつる つきのそらなる こひもするかも

この山の頂にある、月だと思ったが、実は、中空にあるような・・・
心も空のような恋をすることだ。

これは、珍しい歌だ。
相手の無い歌である。

恋がしたいなーーーという、思い。
片恋でもない。
相手がいないのである。
あるいは、相手がいても、まだ、覚束ない感覚の恋か・・・

月の空なる 恋もするかも・・・
この空のような恋なのである。

孤独を歌う、万葉の歌は、少ない。
だが・・・
もし、孤独を意識していたならば、特別な意識だ。

古今、新古今には、そのような歌が、多々あるが・・・
すでに、万葉の時代にも、芽生えていた、孤独感である。

独りであることを、意識する。
その孤独感覚は、後に、あはれ、の心象風景にもなっていく。


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2014年05月25日

伝統について70

ぬばたまの 夜渡る月の 移りなば さらにや妹に わが恋ひ居らむ

ぬばたまの よわたるつきに うつりなば さらにやいもに わがこひをらむ

真っ暗な夜空を渡る月が、移り去ったならば、尚一層、妻を恋しく思うだろう。

とても、謡いやすい歌だ。
私なら、初句、三句、四句、と朗誦することになる。

朽網山 夕居る雲の 薄れ行かば われは恋ひむな 君が目を欲り

くたみやま ゆういるくもの すれゆかば われはこひむな きみがめをほり

くたみ山の、夕べにかかる雲が晴れてゆけば、私は恋しいだろう。あなたに逢いたくて。

君が目を欲り・・・
つまり、あなたを見たい。逢いたい。

君が着る 三笠の山に 居る雲の 立てば継がるる 恋もするかも

かみがきる みかさのやまに いるくもの たてばつがるる こひもするかも

あなたが付ける、御笠、三笠山にかかる雲が、湧いて続くように、募る恋心が深まる。


たてばつがるる・・・
湧き立つと、次々と、雲が続くのである。
そのように、恋心も、続いてゆく。

ひさかたの 天飛ぶ雲に ありてしか 君を相見む おつる日無しに

ひさかたの あまとぶくもに ありてしか きみをあいみむ おつるひなしに

久方の、天を飛ぶ雲でありたい。そうしたならば、あなたに、いつでも逢うことができるもの。

雲にかける歌である。
上記の歌は、すべてそうである。

古代の日本人は、雲ひとつに、思いを託した。
と、すると、自然は、何と輝いていたことだろう。

佐保の内ゆ 嵐の風の 吹きぬれば 還るさ知らに 嘆く夜そ多き

さほのうちゆ あらしのかぜに ふきぬれば かへるさしらに なげくよそおおき

佐保の里内に、嵐が吹きつけるように、噂が立ってしまった。引き返す、潮時も解らず、嘆く夜が多い。

里に噂が広まってしまったのだ。
それで・・・
会いたいのだが・・・

愛しきやし 吹かぬ風ゆえ 玉櫛開けて さ寝にし われそ悔しき

はしきやし ふかぬかぜゆえ たまぐしあけて さいねにし われそくやしき

愛しいことに、風が吹かないからと、玉櫛開けるように、人目をはばからず、寝てしまった、私が悔やまれる。

吹かぬ風・・・
人の噂のこと。
つまり、噂がなくて、安心している。

これは、男の歌である。
複雑な歌である。

妻の下で、寝てしまった。安心して・・・

愛しきやす・・・
愛しい、可愛い、または、可愛そうに・・・

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2014年07月15日

伝統について71

窓越しに 月おし照りて あしひきの 嵐吹く夜は 君をしそ思ふ

まどごしに つきおしてりて あしひきの あらしふくよは きみをしそおもふ

窓越しに、月が照り渡り、あしひきの山風が吹く夜は、あなたを偲ぶのだ。

あしひきの 嵐吹く夜は
あしひき、は、本来、山の形容で、山風である、嵐を形容する。

誰にでも、あてはまる歌だ。
自然なメロディーとなっている。

川千鳥 住む沢の上に 立つ霧の いちしろけむな 相言ひそめて

かわちどり すむさわのえに たつきりの いちしろけむな あひひそめて

川千鳥が住む、沢の上に、立つ霧のように、人目について、しまうだろう。愛し合うようになったら。

愛し合う・・・相言ひそめて
あひひそめて、が、愛し合うことなのだ。

何とも、奥ゆかしい限りだ。

わが背子が 使を待つと 笠も着ず 出でつつそ見し 雨の降らくに

わがせこが つかひをまつと かさもきず いでつつそみし あめのふらくに

わが背子の、使いを待つと、笠も着けず家を出て、様子を見続けていた。雨が降ってきたのに。

使いの者を待つために、外に出た。
雨が降るのに、笠も着けず。

気持ちの逸る心境を歌う。
素直で、素朴だ。

韓衣 君にうち着せ 見まく欲り 恋ひそ暮らしし 雨の降る日を

からごろも きみにうちきせ みまくほり こひそくらしし あめのふるひを

新たに作った、韓衣を、あなたに着せて見たいと思い、恋い続けて、一日を過ごした。雨の降る日に。

何ということの無い歌。
思いが、口から、すらすらと、歌になる様子だ。

彼方の 赤土の小屋に 小雨降り 床さへ濡れぬ 身に添へ吾妹

をちかたの はにふのをやまに こさめふり とこさへぬれぬ みにそへわぎも

人里遠い、みすぼらしい小屋に、小雨が降り、床までも、濡れてしまった。私の身に添って寝て欲しい、吾妹よ。

赤土、とは、地面に直に寝る小屋である。

解説によると、共同の体験を詠んだ、集団の歌であると、ある。
同じような、体験をしていたのだろう。

定期的に出掛ける、仕事があったのだろう。

こうして、当時を想像しても、よく解らないのである。
現代とは、全く違う状況である。

しかし、その心と、現代人の心の差があるのかと、言われれば、大差は無いと思われる。

万葉時代と、現代と、人は、矢張り、同じようである。
心の、原型がある。
その原型が、時代に合わせているだけである。


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2014年08月04日

伝統について72

笠無みと 人には言ひて 雨障み 留りし君が 姿し思ほゆ

さかなみと ひとにはいひて あまつつみ とまりしきみが すがたしおもほゆ

笠がないからと、他人に言って、雨を避けて留まった君の姿が、思われる。

何のことは無い歌である。
ただ、姿を思うに、すべてがこもる。
その姿を、忘れなれないのである。
恋だ。

妹が門 行き過ぎかねつ ひさかたの 雨も降らぬか そを因にせむ

いもがかど ゆきすぎかねつ ひさかたの あめもふらぬか そをよしにせむ

妻の門の前を、通り過ぎることが出来ない。久方の雨が降って来ないのか。それを口実に、家に入られるのに。

通い婚の時代の、特徴的な歌。
妻の家に入る、口実が欲しい・・・

夕占問ふ わが袖に置く 白露を 君に見せむと 取れば消につつ

ゆふけとふ わがそでにおく しらつゆを きみにみせむと とればけにつつ

夕方の道に、恋占いをしようとして立つ私の、袖に置いた白露を、あなたに見せようと手に取れば、消えてしまった。

当時は、辻占という、道に立ち、人の言葉を聞いて、それを占いとした。
その際に、袖の白露を、相手に見せようと思うが、儚く消えてしまった。
それは、恋の占いの暗示か・・・

恋も儚く、消えるのか。

桜麻の を原の下草 露しあれば 明してい行け 母は知るとも

さくらをの をふのしたくさ つゆしあれば あかしていゆけ はははしるとも

桜麻の、麻原の下草には、露が一面におりている。夜が白んでから、お帰りください。母に知られたとしても。

母に知られてもいいと言う。
つまり、大胆である。
それ程、心に決めた相手なのだ。

当時は、結婚相手を母が認めるか否かが、問題だったのだ。

待ちかねて 内には入らじ 白袴の わが衣手に 露は置きぬとも

まちかねて うちにはいらじ しろたえの わがころもでに つゆはおきぬとも

待ち続けている。家の中には、入らないで。白袴の袖に、露が置かれても。

袖に露が置かれる。そのままで、待ち続けている。
冷たい、露に濡れて待っているのである。

朝露の 消やすきわが身 老いぬとも また若ちかへり 君をし待たむ

あさつゆの けやすきわがみ おいぬとも またをちかへり きみをしまたむ

朝の露のように、消えやすい我が身は、年を取っても、また若返り、あなたを待つのだ。

つまり、永遠に・・・
恋し続ける、心を歌う。

老いたとしても、また、若返り、あなたを待つ・・・
この強い思いが、歌を歌わせる。

言葉に力があることを、信じるのである。

言霊・・・
自然発生的に、そのような考え方を持った日本人である。
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2014年09月02日

伝統について73

白袴の わが衣手に 露は置き 妹は逢はさず たゆたひにして

しろたえの わがころもでに つゆはおき いもはあはさず たゆたひにして

白袴の私の袖に、今や霜がおき、あの娘は逢ってくれない。ためらっているのだ。

たゆたひにして・・・
この心情こそ、日本人の心の底辺に流れる風景だ。
それが、曖昧さと、非難された時代もある。
しかし、たゆたひ、こそ、心象風景の美しいものはないと、日本人は思う。

かにかくに 物は思はじ 朝露の わが身一つは 君がまにまに

かにかくに ものはおもはじ あさつゆの わがみひとつは きみがまにまに

あれこれと、物思いは、しない。朝露のように、儚い私の身の上は、あなたの心のままに。

つまり、委ねると、言う。

私の身は、あなたに委ねる。
恋の最高の心境である。

相手に、委ねるほど、恋している。

夕凝りの 霜置きにけり 朝戸出に いたくし踏みて 人に知らゆな

ゆふこりの つゆおきにけり あさとでに いたくしふみて ひとにしらゆな

夜のうちに、凍った霜が置いている。朝戸を開けての帰りに、強く踏んで、音を立てて、それと人に知られるな。

逢引の後の朝である。
人に知られぬようにとの、強い思い。

かくばかり 恋つつあらずは 朝に日に 妹が履むらむ 地にあらましを

かくばかり こひつつあらずは あさにけに いもがふむらむ つちにあらましを

これほど、恋に苦しまずに、朝となく、昼となく、いつも妻が踏む土なら、よいものを。

自分が土になり、ついも、妻に踏んでいて欲しい。
つまり、いつも、一緒にいたいのである。

このような、比喩を用いる歌詠み・・・

あしひきの 山鳥の尾の 一峯越え 一目見し児に 恋ふべきものか

あしひきの やまとりのおの ひとをこえ ひとめみしこに こふべきものか

あしひきの、山鳥の尾ではないが、一峯を越えて、一目見たあの娘に、恋していいのか。

一目惚れである。
瞬間の恋・・・

吾妹子に 逢ふ縁を無み 駿河なる 不尽の高嶺の 燃えつつかあらむ

わぎもこに あふよしをなみ するがなる ふじのたかねの もえつつかあらむ

吾、妹子に逢う術がない。駿河の富士山の高嶺のように、心だけが燃え続けいよう。

自分に言い聞かせる様子である。

逢う術がないとは、片恋の苦しみか・・・
相思相愛ならば、尚、苦しいだろう。

燃えつつかあらむ・・・
続けて、恋して行くと、宣言している。

実に素直で、純朴である。

日本の心・・・

posted by 天山 at 05:46| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月26日

伝統について74

荒熊の 住むとふ山の 師歯迫山 責めて問ふとも 汝が名は告らじ

あらくまの すむとふやまの しはせやま せめてとふとも ながなはのらじ

荒々しい熊がすむという、山の、しはせ山。その名のように、責め問われても、あなたの名前は、告げるまい。

男の歌である。
心に秘めた恋。

責め問われても、言わないというのが、恋の証しだ。

妹が名も わが名も立たば 惜しみこそ 布士の高嶺の 燃えつつ渡れ

いもがなも わがなもたたば おしみこそ ふじのかたねの もえつつわたれ

妻も名も、私の名も、評判になったら、惜しいので、富士の高嶺のように、心で燃え続けているだけだ。

この歌も同じく。
何故、名が知れたら、惜しいのか・・・
当時の様子を知る必要がある。

当時の恋の噂は、失恋を招くほど、大変なことだったのだろう。

行きて見て 来ては恋しき 朝香潟 山越しに置きて 寝ねかてぬかも

いきてみて きてはこひしき あさかがた やまこしにおきて いねかてぬかも

行ってみて、美しく思い、帰ってきては、恋しいあさか潟のような、女性を、山の彼方に置いては、眠られないことだ。

相手を、山に喩えている。
そのような相手を、恋している。
そして、眠られないのだ。
片恋である。

安太人の 梁うち渡す 瀬を速み 心は思へど 直に逢はぬかも

あたひとの やなうちわたす せをはやみ こころはおもへど ただにあはぬかも

安太の人々が、梁を渡す瀬が、早いように、人の噂が激しいので、心には深く思うが、直接には、逢えないことだ。

梁とは、魚を捕る道具である。
その動きが早いように、噂もあっという間に、広がる。
だから・・・
噂にならぬように、逢えないのだ。

玉かぎる 石垣淵の 隠りには 伏してこそ死ね 汝が名は告らじ

たまかぎる いしがきふちの こもりには ふしてこそしね ながなはのらじ

玉が輝く、石垣淵のように、隠れてばかりで、逢うこともせず、恋に苦しむ時には、病み伏して死のうとも、お前の名は、告げない。

当時、名を名乗るということは、大変なことだった。
相手に、我が名を知られるということは、その時点で、相手を受け入れる、また、受け入れたと考えた。

名を言うことは、すでに、完成した状態になるのだ。
だから・・・
当時の人たちは、名に対して、とても、強い思いを抱いた。

名を名乗ることは、私を相手に差し出すこと。
だから、恋愛における、名乗りは、すでに結婚成立なのである。

人が噂を流せば、それが元で、すでに成ることになる。
注意深くなければ、噂に流される。

何とも、いじらしい。

posted by 天山 at 07:09| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月31日

伝統について75

明日香川 明日も渡らむ 石橋の 遠き心は 思ほえぬかも

あすかかわ あすもわたらむ いしばしの とおきこころは おもほえぬかも

明日香川の名前のように、明日も渡って行こう。石橋のように、間遠い心は、考えられないのだ。

石橋のように、間遠い・・・
恋する相手との、距離を縮めたいのだ。
いつも、いつも、思っていたいのである。

石橋とは、飛び石のような橋のことである。
その石が、遠い・・・
飛び跳ねて渡るのだろう。
その感覚が、恋人との距離感を持たせるものである。

飛鳥川 水行き増り いや日けに 恋の増らば ありかつましじ

あすかかわ みずゆきまさり いやひけに こひのまさらば ありかつましじ

飛鳥川の水かさが増すように、日々、一層、恋心が募るので、私は、生きていられそうにない。

何とも、切ない恋心である。
このまま読めば、理解出来る歌である。

真薦刈る 大野河原の 水隠りに 恋ひ来し妹が 紐解くわれは

まこもかる おおのかはらの みずごもりに こひこしいもが ひもとくわれは

マコモを刈る、大野川の河原の水のように籠もり、密かに恋してきた娘の紐を、今こそ解くのだ。

何とも、大胆な歌である。
紐解くとは・・・
体の交わりを言う。

この、大胆、素直な性の感情は、実に、万葉集らしい。
しかし、今も、昔も、変わらないはず。

あしひきの 山下響み ゆく水の 時ともなくも 恋ひ渡るかも

あしひきの やましたとよみ ゆくみずの ときともなくも こひわたるかも

あしひきの、山下を響き流れる水のように、その時と定めず、いつも、恋し続けることなのだ。

いつも、いつも、時を定めることなく、思い続けるという、告白である。

恋ひ渡る・・・
恋し続けるというのである。

渡るという、言葉の意味合いが、広がるようだ。
そこから、晴れ渡る・・・など生まれた。

愛しきやし 逢はぬ君ゆえ 徒に この川の瀬に 玉裳ぬらしつ

はしきやし あはぬきみゆえ いたずらに このかわのせに たまもぬらしつ

愛しい、逢い難いあなたのために、私は、空しく、この川瀬に、玉裳を濡らすることだ。

いたずらに・・・
空しくも・・・
逢いたいために、玉裳を濡らす。
着ている、服の裾を濡らすというのだ。

その相手が、逢い難い人である。
その理由は解らないが・・・

万葉の恋の歌を読み続けると、心が素直になる。
これが、日本人の先祖たちの歌である。

posted by 天山 at 07:17| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月29日

伝統について76

泊瀬川 速み早瀬を 掬び上げて 飽かずや妹と 問ひし君はも

はつせかわ はやみはやせを むすびあげて あかずやいもと とひしきみはも

泊瀬川の、早瀬の水を、掬い上げて、飽きることはないか妻よ、と言問いをした、あなたよ。

早瀬の水を、手に掬い、飽きることはないかと、問う、男。
情景が、湧いてくる。
俺に、飽きることはないか・・・

青山の 石垣沼の 水隠りに 恋ひや渡らむ 逢ふ縁を無み

あおやまの いはかきぬまの みごもりに こひやわたらむ あふよしをなみ

青々として、茂る山中の、岩に囲まれた沼の、水が、籠もり、恋い続けるのだろうか。逢う術もないのに。

水が、籠もっているように、思いが、くすぶる。
いつまでも、そんな恋を続けているのだろうか。
片恋の歌である。

しなが鳥 猪名山響に 行く水の 名のみ縁さえし 隠妻はも

しながとり みなやまとよに ゆくみずの なのみよさえし こもりつまはも

しなが鳥が、率いる、猪名山も、轟いて、流れる水のように、評判だけは、煩く立てられて、逢えない妻よ。

噂が、煩いほどに立てられている。
だが、それゆえか、逢えないのである。

吾妹子に わが恋ふらくは 水ならば しがらみ越えて 行くべくそ思ふ

吾妹子に、わが恋するさまを、水でいえば、柵をほとばしり、越えて行くに、違いないと思う。

しがらみを越えて行くほどに、恋しい気持ち。
私の恋は、そのような状態だと歌う。

犬上の 鳥籠の山なる 不知也川 不知とを聞こせ わが名告らすな

いぬがみの とこのやまなる いさやがわ いさとをきこせ わがなのらすな

犬上の、鳥籠の山を流れる、不知也川のように、さあ、知らないとこそ、言ってください。私の名を言わないでください。

人の知れるところになるのを、恐れる万葉人である。

噂が立つことを、最も、怖れた。

奥山の 木の葉隠れて 行く水の 音聞きしより 常忘らえず

おくやまの このはかくれて ゆくみずの おとききしより つねわすらえず

奥山の、木の葉に隠れて、流れる水のように、評判を聞いてから、いつも忘れられないのだ。

音、とは、評判のことである。

漏れ聞いた、評判だけで、恋をする。
想像力が逞しい。

当時の情報は、限りなく、少ないものだろう。
そんな中での、女の評判である。
それだけで、恋になる。

片恋であるが・・・
限りなく、切ない思いを抱くのだ。

posted by 天山 at 07:52| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月08日

伝統について77

言とくは 中は淀ませ 水無し川 絶ゆといふことを 有りこすなゆめ

ひととくは なかはよどませ みなしがわ たゆといふことを ありこすなゆめ

人の言葉が酷ければ、途中で少し、控えてくたぜさい。でも、水無し川のように、絶えるということは、決してありません。

複雑な歌である。
人の噂が酷ければ、来るのを、控えてください。でも、私の心は、絶えるということは、ありません。

明日香川 行く瀬を速み 早けむと 待つらむ妹を この日暮らしつ

あすかがわ ゆくせをはやみ はやけむと まつらむいもを このひくらしつ

明日香川の、流れゆく瀬が早いように、早々と来てくれるだろうと、待っているに違いない妻なのに。行けないままに、この日を過ごしてしまった。

行くに行けない、焦りと、切なさ。

もののふの 八十氏川の 早き瀬に 立ち得ぬ恋も 吾はするかも

もののふの やそうちがわの はやきせに たちえぬこひも われはするかも

もののふの、八十氏、つまり宇治川の早瀬に、立つことができないような、心の激しさに流され、立っていられぬような恋を、私するのだ。

何々のように・・・
そのような、表現が続く、歌歌である。

神名火の 打廻の崎の 石淵の 隠りてのみや わが恋居らむ

かむなびの うちみのさきの いわふちの こもりてのみや わがこひをらむ

神山の、廻り鼻にある川の岩淵のように、隠り続けて、私は恋しているのだろう。

心の有様を、流れ、川に喩える歌である。
当時も、そのような教養があったということだ。

高山ゆ 出で来る水の 岩に触れ 破れてそ思ふ 妹に逢はぬ夜は

たかやまゆ いでくるみずの いわにふれ やれてそおもふ いもにあはぬよは

高山から流れ出る水が、岩に触れて、砕けるように、砕けて思う。妻に、逢わない夜は。

逢えないことが、砕ける思いなのである。
堪らぬ恋の、心情を歌う。

いつの時代も、恋とは、そのようなもの。

朝東風に 井堤越す波の 外目にも 逢はぬものゆえ 滝もとどろに

あさこちに いでこすなみの そとめにも あはぬものゆえ たきもとどろに

朝の東風に、せき止められる波が、よそへほとばしりように、外目にも、逢わないものなのに、噂は、滝も、轟くばかりだ。

噂についての、歌。
恋の歌には、噂の歌が多い。

恋が人に知られると、破綻してしまうような・・・
それほど、噂を恐れた。

当時の話の話題は、人の恋だったのだろうと、思われる。
その噂の元になると・・・

人の目が、気になる。
そして、逢わぬ、逢えぬようになってしまう。
だから、噂を恐れる歌が、多い。


posted by 天山 at 05:20| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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