2011年09月12日

伝統について。48

ぬばたまの 妹が黒髪 今夜もか わが無き床に 靡けて寝らむ

ぬばたまの いもがくろかみ こよいもか わがなきとこに なびけてねらむ

真っ黒な、妻の黒髪を、今夜も、私のいない、床に、靡かせて、寝ているのだろうか。

共寝、ともね、の時に、妻は、黒髪をほどいて、体を横たえる。
その夜のことを、思うのである。
今頃、妻は、一人で、黒髪を靡かせて、寝ているのだろう・・・

ぬばたま、は、枕詞。

花ぐしは し葦垣越しに ただ一目 相見し児ゆえ 千遍嘆きつ

はなぐしは しあしかきこしに ただひとめ あひみしこゆえ ちたびなげきつ

花の美しい、葦の垣根ごしに、一目見た、あの児のことが、忘れられない。幾度も、会えぬことを、嘆く。

千遍、せんたび、ちたび、会えないのが、悲しい。
一目惚れである。
万葉は、一目惚れが多い。

ぐはし、は、美しい。
くはし、とも、使う。

色に出でて 恋ひば人見て 知りぬべし 情のうちの 隠妻はも

いろにいでて こひばひとみて しりぬべし こころのうちの こもりつまはも

態度を示すと、人に知られる。人が見て、知ってしまう。我が心の内に、秘めた、隠妻、かくりつま。

心の内に秘めて思う。
それを、隠れ妻と呼ぶ感性・・・

恋心 秘めて隠して あるものと 古人の 知恵あるものか 天山

相見ては 恋慰むと 人は言へど 見て後にそも 恋ひまさりける

あいこては こひなぐさむと ひとはいへど みてのちにそも こひまさりける

逢えば、恋の苦しさを、慰められると、人は言う。だが、逢った後にこそ、恋しさが、いっそう募るのだ。

そ、も、は、強調する。

逢えば別れが、こんなに辛い
逢わなきゃ、夜がやるせない
とは、演歌の、歌詞。

恋とは、苦しいもの。
何故、苦しい恋をするのか。
それが、生きることだから。
そこには、迷いを、否定する何物も無い。

恋に迷うことは、人生賛歌である。

おほろかに われし思はば かくばかり 難き御門を 退り出めやも

おほろかに われしおもはば かくばかり かたきみかどを まかりいでめやも

普通に、私だけが、思っているならば、抜け出し難い、朝廷の御門を、どうして、退出して来るものか。

つまり、両思いなのである。
退出し難い、朝廷の門を、出て、逢いに行く。

おほろか、とは、おほよそ、などと、同じく使う。

恋は、若さの、特権であり、老年の、また、生き甲斐でもある。
素晴らしい。

posted by 天山 at 14:36| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月15日

伝統について。49

思ふらむ その人なれや ぬばたまの 夜毎に君が 夢にし見ゆる

おもふらむ そのひとなれや ぬばたまの よごとにきみが いめにしみゆる

私を、思うという、あなたは、ぬばたまの、夜ごとに、夢に見ることが、どうしてありませんでしょう。夢にも、一向に見えません。

思ふらむ
強い否定をともなう、疑問である。

これは、本当に、思っているの・・・
嘘ではないか・・・
思い惑う心。

相手は、プレイボーイなのかもしれない。

かくのみし 恋ひば死ぬべみ たらちねの 母にも告げず 止まず通はせ

かくのみし こひばしぬべみ たらちねの ははにもつげず やまずかよはせ

このように、死ぬほどの思いで、恋しています。たらちねの母にも告げました。絶えず、通ってきてください。

通い婚は、平安期まで、続く。
待つ女・・・行く男・・・

これは、このように、恋を続けていたら、死んでしまう、とも、いえる。

恋に死ぬ。
演歌のようです。

大夫は 友の騒ぎに 慰もる 心もあらむ われそ苦しき

ますらをは とものさわぎに なぐさもる こころもあらむ われそくるしき

男は、仲間によって、慰められることもあるだろう。私は、一人で、苦しんでいるのに。

女は、耐えつつ、偲びつつ、男を慕う。
何気なく、口から出る、言葉である。

偽も 似つきてそ為る 何時よりか 見ぬ人恋ひに 人の死する

いつはりも につきてそする いつよりか みぬひとこひに ひとのしにする

嘘も、少しは、本当らしく言うものです。いつから、会わない人を恋して、死ぬのでしょう。

男が嘘を言う。
全然、逢いに来ないのである。それでも、好きだと言うのだろう。

逢ってもいずに、恋して、死ぬと、言う。
大胆、純粋、素朴な、恋心である。

恋は、死に値するものだった、万葉時代。

恋に純粋な時期がある。
それは、まだ、性に触れない年頃である。

だが、性に触れて、慣れると、恋は、堕落する。
いや、恋が、命になる。

性と、恋と、命・・・

どうも、万葉時代は、それらが、一緒の価値観だったようである。

素朴な、性の有様・・・

生理的満足より、心の満足を、求めた、万葉時代である。
時代は、進化し、性のあり様も、実に、複雑怪奇になった。

性、セックスとは、何か。
考えるに、値するテーマだ。

posted by 天山 at 07:21| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月31日

伝統について50

情さへ 奉れる君に 何をかも 言はず言ひしと わがぬすまはむ

こころさへ まつれるきみに なにをかも いはずいひしと わがぬすまはむ

心までも差し上げたあなたに、どうして、言いもしないことを、言ったなどと、いつわりを申しましょうか。

ぬすむ
人目をはばかること。

二人の関係を、人目をはばかり、言わないことを、言ったと、嘘は、言わない。

当時は、人の口に上がることを、恐れた。すぐに、伝わってしまう。
その前に、母親に、了承を得なければならない。

面忘れ だにもえすやと 手握りて 打てども懲りず 恋ふといふ奴

おもわすれ だにもえすやと たにぎりて うちでもこりず こふというやつこ

せめい、顔だけでも、忘れられるかと、こぶしで、打ってみるのだが、なお懲りもせず、思い出される。恋というやつは・・・

恋をして、苦しむ。
心が占領される。
だから、いい。

めづらしき 君を見むとそ 左手の 弓執る方の 眉根掻きつれ

めづらしき きみをみむとそ ひだりての ゆみとるかたの まよねかきつれ

めったに、逢えないあなたに、逢いたいと、左手の弓を持つ方の、眉を掻いたのだ。

眉が痒いのは、恋人に逢うという、前兆である。
また、そのための、呪い。

当時、左手は、大事な手とされていた。
大事な左手の、眉に、思いをかける。

人間守り 葦垣越しに 吾妹子を 相見しからに 言そさた多き

ひとまもり あしかきごしに わぎもこを あいみしからに ことそさたおおき

人目の間を、うかがって、葦垣越しに、吾妹子を見ただけなのに、人の噂が、早いこと、そして多いのである。

守り
様子を伺うこと。

何のことはないような、歌であるが、当時の様子が、よく解るのである。

今のように、多くの娯楽がない時代は、人の噂が、楽しいのである。
勿論、言う人の、噂も、持ち上がる。

更に、人恋う歌が、人の口から口に上がり、それが、民謡として、定着してゆく。

万葉集の、庶民の歌は、多くの人たちに、口ずさまれたものである。
同じ心境であると、共感が、共感を呼び、広がっていく。

恋という、心境は、イコール、セックスである。
心と体が、一つになって、存在するという、時代の歌である。

それは、欲望を否定しない、考え方を生む。
そして、次第に、時代と共に、恋の心境に、影が出来る。

片恋、片思いなどは、益々と、その陰影の増す。
そこから、思想が生まれた。

それが、あはれ、の思想の、基底になるのである。

あはれ、ものあはれ、もののあはれ・・・
である。


posted by 天山 at 00:51| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月17日

伝統について。51

今だにも 目な乏しめそ 相見ずて 恋ひむ年月 久しけまくに

いまだにも めなともしめそ あいみずて こひむとしつき ひさしけまくに

今、逢っている時だけでも、よく顔を見せてください。逢うことなく、恋に苦しむ年月は、長いでしょうから。

めなともしめそ
目には、乏しいほど・・・だから、良く見てください。
何かの事で、恋人が、遠くへ出掛ける前の歌か・・・

同時の旅は、命懸けであるから。

朝寝髪 われは梳らじ 愛しき 君が手枕 触れてしものを

あさいかみ われはけずらじ うつくしき きみがたまくら ふれてしものを

朝の、寝乱れた髪を、梳かしません。愛しい、あの方が、枕として手が触れたものですから。

意味は、このままである。
だが、名歌といわれる。
そのままを、写した歌。
愛しい君が、触れた髪を、そのままにしている。それが、愛の証拠なのだ。愛の名残なのだ。
幾人のも人の心を、捉えた歌だろう。語りつがれて、万葉集に収められたと思う。

早行きて 何時しか君を 相見むと 思ひし情 今そ和ぎぬる

はやゆきて いつしかきみを あいみむと おもひしこころ いまそわぎぬる

早く行き、早く君を見たいと思っていた心は、今、穏やかになった。
恋人に会う前の心境は、今も昔も、変わらない。

和ぎぬる
やわらかくなる。穏やかになる。平穏になる。
その繰り返しを続けて、いずれ夫婦になる。

面形の 忘れへあらば あづきなく 男じものや 恋ひつつ居らむ

おもかたの わすれへあらば あづきなく をとこじものや こひつつをらむ

顔、形が、忘れられる器であれば、いたずらに男たるものが、恋いつづけていようか。

それは、器ではない。人間の女なのである。
だから、こそ、忘れられないのである。
男であるから、女を忘れられないのである。

言にいへば 耳にたやすし 少くも 心のうちに わが思はなくに

ことにいへば みみにたやすし すくなくも こころのうちに わがおもはなくに

言葉で言っては、大したことではないと、思われるだろう。だが、心の中では、少しのことだとは、思っていない。

言葉とは、手段である。
だが、人の言葉を本当に理解するのは、至難の業である。
言葉を軽く扱うようになるのは、明治期以降である。

西洋の訳語が、氾濫した。
そして、そのまま、敗戦後は、更に、アメリカの訳語が氾濫し、日本語の意味さえ、益々と、曖昧模糊となった。

そして、訳語で語り続ける行為を、良しとして、賢い馬鹿たちが、言論を繰り返した。
日本語を、訳語で説明するという、無謀である。

日本語は、日本語によって、説明されなければ、ならない。

万葉集も、最初は、漢字の音によって、表現された。
漢字を分析しても、解らないのである。
大和言葉によって、解釈することである。
主客転倒が、日本語を滅ぼすのである。

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2012年04月25日

伝統について52

あづきなく 何のまが言 今更に 小童言する 老人にして

あづきなく なんのまがごと いまさらに わらはことする おいひとにして

何の役に立つことではない、何と言う、戯言を言うのか。今更、子どもじみたことを、大人であるのに。

これは、片恋の、つまり、片思いの恋人に対する、呪いの言葉のようである。
自嘲ぎみに、相手に対する、当て付けか。

相見ては いく久さにも あらなくに 年月のごと 思ほゆるかも

あいみていは いくひさしさにも あらなくに としつきのごと おもほゆるかも

逢ってから、それほど年月を経ていないのに、何年も月日を過ごしたように思われる。

何と言うことは無い歌。
しかし、多くの人に、共感される歌である。

大夫と 思へるわれを かくばかり 恋せしむるは あしくはありけり

ますらをと おもへるわれを かくばかり こひせしむるは あしくはありけり

立派な男と思っている。それなのに、これほど、恋しくさせるととは・・・
良くないことだ。

あしくはありけり
良くないことである。つまり、こんなに辛くさせることは、である。

かくしつつ わが待つしるし あらぬかも 世の人皆の 常ならなくに

かくしつつ わがまつしるし あらぬかも よのひとみなの つねならなくに

このように、恋に苦しみ、待ち望む、その願いが叶って欲しい。世間の人は、皆、命が当たり前にあるわけではないのに。

何時死ぬか、解らない。
恋に死ぬかもしれないのに・・・

人言を 繁みと君に 玉梓の 使も遣らず 忘ると思ふな

ひとことを しげみときみに たまづきの つかひもやらず わするとおもふな

人の噂が煩いので、あなたに、玉梓の使いをやりません。でも、忘れていると、思わないで下さい。

玉梓とは、美しい、梓を持つ、使いの意味。

当たり前といえば、当たり前の感覚。
皆、同じ気持ちを持つのだろう。
だから、口伝えに、語り継がれて、このように、残った歌の数々。

何も、特別なことではない、普通のことを、歌にしている。
だから、それが、貴いのである。

万葉集が、何か難しいものと、思うのは、間違い。
ただ、解釈する人たちが、難しく語るのである。

こんな気持ちを歌にする。
歌詠みをするという、文化が、日本の古代にあったという、事実である。

彼ら、つまり、私たちの、祖先の歌である。
とても、身近に感じられるのがいい。

この、伝統に、心を寄せて、三十一文字に、思いを託してみる。
歌の道・・・
これが、日本人の伝統であった。
その伝統の上に、今、現在の日本がある。

だから、歌詠みをしてみるのである。
下手、上手は、問わない。それは、人が勝手に、判定するものである。
生きる証に、歌を詠む。

posted by 天山 at 00:00| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月19日

伝統について53

大原の 古りにし郷に 妹置きて われ寝ねかねつ 夢に見えこそ

おおはらの ふりにしさとに いもおきて われいねかねつ いめにみえこそ

大原の、もの寂しい古里に、妻を置いて来て、眠ることが出来ずにいる。夢に見えて欲しいものだ。

妻を恋うる思い。
古りにし郷とは、物寂しい、などの意味。

素直に寂しいのである。

夕されば 君来まさむと 待ちし夜の なごりそ今も 寝ねかてにする

ゆふされば きみきまさむと まちしよの なごりそいまも いねかてにする

夜が訪れると、あの方がいらっしゃる。と、思いつつ、待っていた頃の夜が、懐かしい。今でも、すぐに寝られないのだ。

女の歌である。
男の訪れを待つ、女の気持ち。

これは、現代の演歌である。
なごりそ今も・・・
名残惜しい気持ち・・・私は、懐かしいと訳した。

相思はず 君はあるらし ぬばたまの 夢にも見えず 祈誓ひて寝れど

あいおはず きみはあるらし ぬばたまの いめにもみえず うけひてねれど

私ばかりが、あなたを慕う。あなたは思ってくれないようです。ぬばたまの夢にも、見えないのです。うけいをして、寝たのに。

祈誓、うけひ・・・
相手の思いが夢になり、現れると考えた時代である。

祈り、誓う、うけひ、という。神道用語ともなる。

石根踏む 夜道行かじと 思へれど 妹によりては 忍びかねつも

いわねふむ よみちゆかじと おもへれど いもによりては しのびかねつも

男の歌である。
岩を踏むような、危険な夜道は歩くまいと思うが、妻を思うと、我慢が出来ない。

危険な夜道を、覚悟して、妻の元に通う、男心である。
恋とは、危険を顧みずするもの・・・
当時は、命懸けの恋をした。

忍びかねつも
心を深くする。堪えて思うこと。

人言の 繁き間守ると 逢はずあらば 終にや子らが 面忘れなむ

ひとごとの しげきまもると あはずあらば ついにやこらが おもわすれなむ

人の噂が煩い合間を縫って、逢わずにいたら、あの子は、私の顔を忘れてしまうだろうか。

人の噂・・・
当時の情報は、それだった。
その噂を避けて、逢わずにいる。
そのうちに、相手は、私のことを忘れるのではないかと、心配する。

当時は、母親が、娘の相手を、決めた。
だから、母親に気に入られなければならない。そして、人の噂・・・

母親も、それを嫌うのである。
男は、大変だった。

ら、というのは、親愛の接尾語とある。
子ら
多数を言うのではない。

posted by 天山 at 06:37| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月16日

伝統について54

恋ひ死なむ 後は何せむ わが命 生ける日にこそ 見まく欲りすれ

こひしなむ のちはなにせむ わがいのち いけるひにこそ みまくほりすれ

恋に死んだ後なら、何になるのか。この命のあるうちこそ、逢いたいと思う。

何とも、若々しい、思いである。
死ぬのも、恋に死ぬのである。そして、死んだら、何にもならないから、生きているうちは、逢いたい・・・
つまり、死ぬまで、一緒にいたい。

告白の際に、使える歌。
いい歌だ。

敷袴の 枕動きて 寝ねらえず 物思ふ今夕 早も明けぬかも

しきたへの まくらうごきて いねらえず ものおふこよい はやもあけぬかも

しきたえの、枕が動いて、眠られず、物思いに耽る今宵は、早く明けて欲しい。

しきたえ、とは、美しい布の美称である。
枕が動くとは、恋の前兆を示す。

あの人を思い、枕が動くのである。
辛くて、早く夜明けを待つ心境。

だが、そう思えば、思うほど、朝が遅いのである。
片恋なのか・・・

恋に、惑う心。

行かぬ吾を 来むとか夜も 門閉さず あはれ吾妹子 待ちつつあるらむ

ゆかぬわを こむとかよるも かどささず あはれわぎもこ まちつつあるらし

行かぬ私を思い、門を閉めず、あの妹子は、待ち続けているだろうか。

行けぬ理由は、書かない。
ただ、行けぬのである。
だがら、きっと、あの子は、待ち続けているだろうと、心痛する。

ここで、あはれ、という言葉が、使われている。
感動詞といわれる。
最初に、あはれ、とは、感動、心の動きを表したものだと、知る。

それが、ものあはれ、そして、もののあはれ、と、感動のみならず、日本人の心象風景を広げてゆくのである。

言うに言えぬ、思いを、あはれ、と言う。
すべてを、語り尽くすことは、できないのである。
そして、語ることはないのである。
所作に、それは、現れる。

夢にだに 何かも見えぬ 見ゆれども われかも迷ふ 恋の繁きに

いめにだに なにかもみえぬ みゆれども われかもまどふ こひのしげきに

せめて、夢にだけでも、見たい。だが、見えない。いや、見えているのに、心に迷いがあるから、解らないのだ。あまりの恋心の激しさに。

恋の心の激しさに、見えているのに、見えないと、考えたのである。
見えても、見えないという、迷い。
何やら、小難しい哲学のようだが・・・

恋に迷いし、我が心とでも、言うのか。

こうして、万葉の人々は、恋を歌い続けた。
生きることは、恋すること。
恋することは、生きることだった、時代。

実に、素直な時代だった。
それが、突然、出来たのではない。そのために、費やした時間は、何千年の歳月である。

posted by 天山 at 00:00| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月19日

伝統について55

慰もる 心は無しに かくのみし 恋ひや渡らむ 月に日にけに

なぐさもる こころはなしに かくのみし こひやわたらむ つきにひにけに

慰められる心もなく、このように恋しい思いを、持ち続けるのだろうか。月に日に、いっそう募る思い。

かくのみし
このようにして・・・

月日が経てば、経つほどに、恋焦がれるのである。
片恋か・・・

いかにして 忘れむものそ 吾妹子に 恋はまされど 忘らえなく

いかにして わすれむものそ わぎもこに こひはまされど わすれらえなく

どのようにして、忘れられるものだろうか。吾妹子に、恋はまさりゆくが、忘れることなどはないのだ。

益々と、恋心激しくなる。
忘れるなんて、出来るものか。

遠くあれど 君にそ恋ふる 玉鉾の 里人皆に われ恋ひめやも

とおくあれど きみにそこふる たまほこの さとびとみなに われこひめやも

遠く離れているけれど、あなたをこそ、恋する。近くの、玉鉾の里人は、誰一人、恋しくなどと、思わないだろう。

里の人は、誰も知らないだろう。
私がこんなに、恋しく思う心を。
また、身近に、男がいても、恋するは、君一人である。

一人で、耐える恋心である。

験なき 恋をもするか 夕されば 人の手まきて 寝らむ児ゆえに

しるしなき こひをもするか ゆうされば ひとのてまきて ねらむこゆえに

恋しても、しようがない。夜になると、他の男の手を枕に寝ているだろう、あの子のために・・・

失恋・・・片恋・・・
これは、辛い思いだ。
他の男と、伴寝をしている、恋する女。

百世しも 千代しも生きて あらめやも わが思ふ妹を 置きて嘆くも

ももよしも ちよしもいきて あらめやも わがおもふいもを おきてなげくも

百年も、千年も、生きることがあろうか。短い命だと、思う妻を抱いて嘆くことだ。

置きて、とは、離れている状態であり、このままの状態を嘆くのである。
出来れば、百年も、千年も、一緒にいたい。

万葉の歌は、直情的である。
そして、それは、性愛である。
野生的な、本能的な、心情を吐露する歌。

技巧無し。
ただ、思うが如く、口にする歌。

このような、歌集を残してくれたというのは、僥倖である。
似たような歌ばかり・・・
当たり前である。

人の心に大差は、無い。
また、万葉時代も、今も世も、人の心に大差は無いのである。

皆同じ 悩みを抱えて 生きるごと 万葉歌人 今もありては



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2012年08月16日

伝統について56

現にも 夢にもわれは 思はざりき 古りたる君に 此処に逢はむとは

うつつにも いめにもわれは おもはざりき ふりたるきみに ここにあはむとは

正気ではない。夢でさえも思わなかった。古い昔の君に、ここで逢おうとは・・・

昔の恋人に出会ったのである。
まさか、こんなところで逢うなんて・・・
非常な驚きである。

黒髪の 白髪までと 結びてし 心ひとつを 今解かめやも

くろかみの しろかみまでと むひびてし こころひとつを いまとかめやも

黒髪が、白髪になるまでと、誓って結んだ一つの心。どうして、今解いてしまうことなどありましょうか。

まあ、この歌の通りであろう。
黒髪の白髪になるまで、一緒にいるという、決心。
女の心である。

心をし 君に奉ると 思へれば よしこのころは 恋ひつつをあらむ

こころをし きみにまつると おもへれば よしのこころは こひつつをあらむ

私の心は、あなたに差し上げている。だから、この頃は、ただ、お慕いするだけです。

一筋の思い。恋心である。
もう、あなたに、捧げた心があるから、今は、ただ、慕うたけでいい、と言うのである。

思ひ出て ねには泣くとも いちしろく 人の知るべく 嘆かすなゆめ

おもひでて ねにはなくとも いちしろく ひとのしるべく なげかすなゆめ

私を思い出して、涙にくれても、人に解るように、嘆かないでください。

ねには泣く、とは、泣くことの強調である。
いちしろく、とは、はっきりと、明確に・・・

何とも、切ない状況である。
人に気づかれないようにと、敬語で歌うのである。


玉鉾の 道行きぶりは 思はぬに 妹を相見て 恋ふる頃かも

たまほこの みちゆきぶりは おもはぬに いもをあいみて こふるころかも

玉鉾の道を行くと、予期せず、妻に出会った。益々、恋しく思うこの頃である。

男が女の元に、通う形の結婚であるから、このような出会いになる。
皆が認めたものも、認めないものも、色々である。

結婚を証明するものは、何一つ無い。
そんな時代の、歌。

中には、複数のおんなの元に、通う男もいただろう。
女は、待つ身なのである。

現代は、益々、女が強くなり、そんな形の恋愛も、少なくなったようだ。
それは、それでいい。

更に、バーチャルな恋愛関係も、多い。
出会い系サイトで、アルバイトしていた、青年が女になりすまして、男とメールのやり取りをすると、聞いたことがある。

引き伸ばして、儲けるのである。
だから、決して逢うことはできない。

それでも、寂しいゆえに、見ぬ女に、メールを送る。
これが、時代である。
どこで、満足するのか・・・
が、問われている。

posted by 天山 at 05:43| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月15日

伝統について57

人目多み 常かくのみし さもらはば いづれの時か わが恋ひあらむ

ひとめおほみ つねかくのみし さもらはば いづれのときか わがこひあらむ

人目が多いので、いつもこのようにしていれば、常に恋に苦しむことだろう。

さもらはば
様子を伺う。
あらむ
恋しないときは、無い。

人目を気にするのは、現代と同じか・・・

敷たへの 衣手離れて 吾を待つと あるらむ子らは 面影に見ゆ

しきたへの ころもではなれて わをまつと あるらむこらは おもかげにみゆ

敷きたへの衣を交わすことなく、私を待っているだろう子が、面影に見える。

敷きたへ
衣の美称

子ら
親愛の接尾語

衣を交わす。つまり、交わることである。とても、大胆な歌である。
私との交わりを求める子が、いる。そして、その面影を見るというのである。

妹が袖 別れし日より 白袴の 衣片敷き 恋つつそ寝る

いもがそで わかれしひより しろたへの ころもかたしき こひつつそぬる

妻の袖を離れた日から、白袴の衣を、片方だけ敷いて、恋いつつ寝るのだ。

何かの理由で、妻と別れて来たのである。
そして、その妻を慕いつつ、片方だけを敷いて寝るという。
想う人がいる、という幸せを感じる。

白袴の 袖はまゆひぬ 吾妹子が 家のあたりを 止まず振りしに

しろたへの そではまゆひぬ わがいもが いえのあたりを やまずふりしに

白袴の袖が、ほつれた。私の妹子の言えのあたりで、しきりに振ったゆえか。

別れ際に、袖を振るという。
袖は当時、心を現す。

袖振る
愛情の表現である。

今でも、別れ際に、ハンカチを振る。

ぬばたまの わが黒髪を 引きぬらし 乱れてさらに 恋ひわたるかも

ぬばたまの わがくろかみを ひきぬらし みだれてさらに こひわたるかも

私の黒髪を引き解き、心も乱れて、更に、恋い続ける。

ぬばたま
漆黒の形容である。

激しい思いである。
黒髪を解いて、一層恋い続けるというのである。

これは、朝である。
昨夜の交わりを終えて、男が帰る前に・・・
黒髪を解いて、更に、更に、恋い続けるという、女の情。

大胆、素朴・・・
万葉の時代の生命力である。
そして、性がそのまま、生なのである。


posted by 天山 at 05:11| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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