2009年08月01日

伝統について

何せむに 命は継がむ 吾妹子に 恋ひざる前に 死なましものを

なにせむに いのちはつがむ わぎもこに こひざるまえに しなましものを


どうして、命を永らえようか。吾妹子に、恋して、苦しむ前に、死んでしまおうものを。

あまりに、恋心が強く、激烈ゆえに、恋の成就は、死をも、意味する。
激しい恋の告白である。

命など、永らえようと思わない。恋が成就すれば、それで、死んでもいいのだ。


よしえやし 来まさぬ君を 何せむに 厭はずわれは 恋ひつつ居らむ

よしえやし きまさぬきみを なにせむに いとはずわれは こひつつをらむ

よしえやし
もう、いいわ、どうでも
いらっしゃらない、あなたなのに、どうして嫌わず、私は、恋い続けているのだろうか。


好きで好きで、たまらないから、待つのである。
来ないあなたを、好きだから、いつも待っている。

恋する私の、激しい気持ちを、もてあましているのだが、それさえも、恋のためなのである。


見わたせば 近きわたりを 廻り 今か来ますと 恋ひつつそ居る

みわたせば ちかきわたりを たもとはり いまかきますと こひつつそをる


見渡せば、近い、渡し場だが、回り道をして、今こそ、来るだろうと、恋づけて、待っている。
回り道をして来るだろうと思う。
人に姿を見せないように、密かに、会いに来る。

今か来ます
今か、今かと、待っている。
きっと、遠回りをしてくるのだろう、私の君は。



愛しきやし 誰が障ふるかも 玉ほこの 道見忘れて 君が来まさぬ

はしきやし たがさふるかも たまほこの みちみわすれて きみがきまさぬ


可愛い誰かが、邪魔をしているのだろうか。玉ほこの道を、忘れてしまったのか、あなたの姿が現れない。

愛しきやし
可愛い人が、私への、行く手を邪魔しているために、あの方は、この、いつも来るはずの道を、忘れてしまったのでしょうか。

男が通ってくるのを、待つ。
勿論、こちらから、出掛けてゆくのもいいが、それでも、待つことに、恋の重さがあった。
来てくれると、信じて待つ間に、恋が熟してゆくのである。


恋すれば
苦しきものと
知りつつも
越すに越せない
絹の間合いを  天山


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2009年08月02日

伝統について 4

何せむに 命は継がむ 吾妹子に 恋ひざる前に 死なましものを

なにせむに いのちはつがむ わがもこに こひざるさきに しなましものを

どうして、命を永らえようか。吾が妹子に恋して苦しむ前に、死んでしまおうものを。

命など惜しくない。恋をして、死ぬならば、それが本望である。
その、恋とは、実に苦しいものである。
その苦しみを知るからこそ、死んでもいいと、思うのである。

だが、この歌は、だからこそ、生きるという、反実仮想である。


よしえやし 来まさぬ君を 何せむに 厭はずわれは 恋ひつつ居らむ

よしえやし きまさぬきみを なにせむに いとはずわれは こひつつをらむ

ああ、もういい、来ないあなたを、どうして私は、嫌わずに、待って、恋し続けているのだろうか。

何せむに、という、何ゆえに、である。
我が恋の、その理由などない。

待っても、待っても、来ないあなたを、私は、いやにならずに、恋し続けているのだ。どうしてなのか。自分でも分からない。


見わたせば 近きわたりを 廻り 今か来ますと 恋ひつつそ居る

みわたせば ちかきわたりを たもとほり いまかきますと こひつつそをる

見渡すと、近い渡し場だが、きっと、回り道をして、今こそ来るのだと、私は、恋し続けて待っている。

恋する人は、人目を避けて、きっと、遠回りしてくる。それを、私は、今か今かと、待っている。
その間の、恋心を、私は、抱きしめている。

恋する者は、どんな回り道にも、耐えられる。待つことに耐えること、それが、恋なのだ。


愛しきやし 誰が障ふるかも 玉ほこの 道見忘れて 君が来まさぬ

はしきやし たがさふるかも たまほこの みちみわすれて きみがきまさぬ

可愛い誰かが、邪魔をしているのか。
たまほこの道を、見忘れているのだろうか。

玉ほこを立てて、道としている。
その道に、恋する人が現れない。
きっと、誰かに邪魔されているのだろう。きっと、そうなのだ。


万葉の歌は、単純明快であるが、恋の歌は、それなりに、複雑な心情を歌い上げる。
行きつ戻りする、心の有様を、実に明快に歌うが、それ自体に、複雑な形相がある。

恋は、芸術を生む。
人は、恋により、詩人になるという、通俗的な言い方が出来る。
だが、恋は、通俗的なものである。
しかし、人は、それによって、生きられる。

何も、高尚なものでなくてもいい。
心躍る、恋というもの、それさえあれば、生きられる。

万葉時代も、今も、それに変わりは無い。

君が来まさぬ、と、二千年を経ても、人は待つ、人に恋をする。だから、人を信じられる。

真実は、単純明快である。



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2009年08月03日

伝統について 3

何せむに 命は継がむ 吾妹子に 恋ひざる前に 死なましものを

なにせむに いのちはつがむ わぎもこに こひざるまえに しなましものを


どうして、命を永らえようか。吾妹子に、恋して、苦しむ前に、死んでしまおうものを。

あまりに、恋心が強く、激烈ゆえに、恋の成就は、死をも、意味する。
激しい恋の告白である。

命など、永らえようと思わない。恋が成就すれば、それで、死んでもいいのだ。


よしえやし 来まさぬ君を 何せむに 厭はずわれは 恋ひつつ居らむ

よしえやし きまさぬきみを なにせむに いとはずわれは こひつつをらむ

よしえやし
もう、いいわ、どうでも
いらっしゃらない、あなたなのに、どうして嫌わず、私は、恋い続けているのだろうか。


好きで好きで、たまらないから、待つのである。
来ないあなたを、好きだから、いつも待っている。

恋する私の、激しい気持ちを、もてあましているのだが、それさえも、恋のためなのである。


見わたせば 近きわたりを 廻り 今か来ますと 恋ひつつそ居る

みわたせば ちかきわたりを たもとはり いまかきますと こひつつそをる


見渡せば、近い、渡し場だが、回り道をして、今こそ、来るだろうと、恋づけて、待っている。
回り道をして来るだろうと思う。
人に姿を見せないように、密かに、会いに来る。

今か来ます
今か、今かと、待っている。
きっと、遠回りをしてくるのだろう、私の君は。



愛しきやし 誰が障ふるかも 玉ほこの 道見忘れて 君が来まさぬ

はしきやし たがさふるかも たまほこの みちみわすれて きみがきまさぬ


可愛い誰かが、邪魔をしているのだろうか。玉ほこの道を、忘れてしまったのか、あなたの姿が現れない。

愛しきやし
可愛い人が、私への、行く手を邪魔しているために、あの方は、この、いつも来るはずの道を、忘れてしまったのでしょうか。

男が通ってくるのを、待つ。
勿論、こちらから、出掛けてゆくのもいいが、それでも、待つことに、恋の重さがあった。
来てくれると、信じて待つ間に、恋が熟してゆくのである。


恋すれば
苦しきものと
知りつつも
越すに越せない
絹の間合いを  天山


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伝統について 5

君が目を 見まく欲りして この二夜 千歳の如く 吾は恋ふるかも

きみがめを みまくほりして このふたよ ちとせのごとく われはこふるかも

君に会いたくて、昨夜も、今夜も、千年ものように、私は、恋する。

あなたの、目をみたい、つまり、あなたに会いたいと、思い続けて、昨夜も、そして、今夜も、千年も恋する如く、私は、恋する。

好きで、好きで、たまらないという、純真一途な思いに、溢れている。

千歳の如くに、という、深みに、陥る恋というもの。


うち日さす 宮道を人は 満ち行けど わが思ふ君は ただ一人のみ

うちひさす みやじをひとは みちゆけど わがおもふきみは ただひとりのみ

日が照り輝く、宮への道を、多くの人が行くが、私の思うあなたは、ただ、ひとりだけである。

ただ一人のみ、と、強く強く、意識する、恋する相手。
あなただけしか、目に入らないのだ。

どんなに人が多くても、好きな相手は、ただ一人なのである。

かけがえのない、あなた、である。


世の中は 常かくのみと 思へども はた忘れえず なほ恋ひにけり

よのなかは つねかくのみと おもへども はたわすれえず なほこひにけり

世の中は、いつも、こうであると、思っているが、やはり、また、忘れられず、恋に身を置くのである。

恋に破れて、苦しむことが、世の中の常であるが、それでも、また、忘れられず、恋に身を任せるのである。

恋に生きるしかない、という、切々たる思いである。


わが背子は 幸く坐すと 遍く来て われに告げ来む 人も来ぬかも

わがせこは さきくいますと まねくきて われにつげこむ ひともこぬかも

わが背子が、無事でいますと、何度も来て、告げる人も来ないのである。

情報は、人の口からの時代である。

人の口から、背子が無事でいるという、伝えを聞きたいのである。
せめて、誰かが、伝えてくれ、という。

まねくきて、何度も、何度も、好きな相手のことならば、聞きたいのである。


あらたまの 五年経れど わが恋の 跡無き恋の 止まなくも怪し

あらたまの いつとせふれど わがこひの あとなきこひの やまなくもあやし

あらたま、新玉の年を、五年経ても、私の恋の、この何も起こらない恋も、恋心は、止むこともないのである。

何も起こらない、つまり、成就しない恋である。
五年を待っても、何も起こらない。のだが、それでも、恋心は、収まることはないのである。

これを、片恋、かたこひ、という。
片思いである。

それが、怪しいのである。あやしい、不思議だ。恋は、不思議なものである。
何故、人は恋をするのか・・・生きるため。

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2009年08月04日

伝統について 3

何せむに 命は継がむ 吾妹子に 恋ひざる前に 死なましものを

なにせむに いのちはつがむ わがもこに こひざるさきに しなましものを

どうして、命を永らえようか。吾が妹子に恋して苦しむ前に、死んでしまおうものを。

命など惜しくない。恋をして、死ぬならば、それが本望である。
その、恋とは、実に苦しいものである。
その苦しみを知るからこそ、死んでもいいと、思うのである。

だが、この歌は、だからこそ、生きるという、反実仮想である。


よしえやし 来まさぬ君を 何せむに 厭はずわれは 恋ひつつ居らむ

よしえやし きまさぬきみを なにせむに いとはずわれは こひつつをらむ

ああ、もういい、来ないあなたを、どうして私は、嫌わずに、待って、恋し続けているのだろうか。

何せむに、という、何ゆえに、である。
我が恋の、その理由などない。

待っても、待っても、来ないあなたを、私は、いやにならずに、恋し続けているのだ。どうしてなのか。自分でも分からない。


見わたせば 近きわたりを 廻り 今か来ますと 恋ひつつそ居る

みわたせば ちかきわたりを たもとほり いまかきますと こひつつそをる

見渡すと、近い渡し場だが、きっと、回り道をして、今こそ来るのだと、私は、恋し続けて待っている。

恋する人は、人目を避けて、きっと、遠回りしてくる。それを、私は、今か今かと、待っている。
その間の、恋心を、私は、抱きしめている。

恋する者は、どんな回り道にも、耐えられる。待つことに耐えること、それが、恋なのだ。


愛しきやし 誰が障ふるかも 玉ほこの 道見忘れて 君が来まさぬ

はしきやし たがさふるかも たまほこの みちみわすれて きみがきまさぬ

可愛い誰かが、邪魔をしているのか。
たまほこの道を、見忘れているのだろうか。

玉ほこを立てて、道としている。
その道に、恋する人が現れない。
きっと、誰かに邪魔されているのだろう。きっと、そうなのだ。


万葉の歌は、単純明快であるが、恋の歌は、それなりに、複雑な心情を歌い上げる。
行きつ戻りする、心の有様を、実に明快に歌うが、それ自体に、複雑な形相がある。

恋は、芸術を生む。
人は、恋により、詩人になるという、通俗的な言い方が出来る。
だが、恋は、通俗的なものである。
しかし、人は、それによって、生きられる。

何も、高尚なものでなくてもいい。
心躍る、恋というもの、それさえあれば、生きられる。

万葉時代も、今も、それに変わりは無い。

君が来まさぬ、と、二千年を経ても、人は待つ、人に恋をする。だから、人を信じられる。

真実は、単純明快である。



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2009年08月05日

伝統について 3

君が目を 見まく欲りして この二夜 千歳の如く 吾は恋ふるかも

きみがめを みまくほりして このふたよ ちとせのごとく われはこふるかも

君に会いたくて、昨夜も、今夜も、千年ものように、私は、恋する。

あなたの、目をみたい、つまり、あなたに会いたいと、思い続けて、昨夜も、そして、今夜も、千年も恋する如く、私は、恋する。

好きで、好きで、たまらないという、純真一途な思いに、溢れている。

千歳の如くに、という、深みに、陥る恋というもの。


うち日さす 宮道を人は 満ち行けど わが思ふ君は ただ一人のみ

うちひさす みやじをひとは みちゆけど わがおもふきみは ただひとりのみ

日が照り輝く、宮への道を、多くの人が行くが、私の思うあなたは、ただ、ひとりだけである。

ただ一人のみ、と、強く強く、意識する、恋する相手。
あなただけしか、目に入らないのだ。

どんなに人が多くても、好きな相手は、ただ一人なのである。

かけがえのない、あなた、である。


世の中は 常かくのみと 思へども はた忘れえず なほ恋ひにけり

よのなかは つねかくのみと おもへども はたわすれえず なほこひにけり

世の中は、いつも、こうであると、思っているが、やはり、また、忘れられず、恋に身を置くのである。

恋に破れて、苦しむことが、世の中の常であるが、それでも、また、忘れられず、恋に身を任せるのである。

恋に生きるしかない、という、切々たる思いである。


わが背子は 幸く坐すと 遍く来て われに告げ来む 人も来ぬかも

わがせこは さきくいますと まねくきて われにつげこむ ひともこぬかも

わが背子が、無事でいますと、何度も来て、告げる人も来ないのである。

情報は、人の口からの時代である。

人の口から、背子が無事でいるという、伝えを聞きたいのである。
せめて、誰かが、伝えてくれ、という。

まねくきて、何度も、何度も、好きな相手のことならば、聞きたいのである。


あらたまの 五年経れど わが恋の 跡無き恋の 止まなくも怪し

あらたまの いつとせふれど わがこひの あとなきこひの やまなくもあやし

あらたま、新玉の年を、五年経ても、私の恋の、この何も起こらない恋も、恋心は、止むこともないのである。

何も起こらない、つまり、成就しない恋である。
五年を待っても、何も起こらない。のだが、それでも、恋心は、収まることはないのである。

これを、片恋、かたこひ、という。
片思いである。

それが、怪しいのである。あやしい、不思議だ。恋は、不思議なものである。
何故、人は恋をするのか・・・生きるため。

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2009年08月06日

伝統について 6

巌すら 行き通るべき 健男も 恋とふ事に 後悔にけり

いはほすら ゆきとおるべき ますらをも こひとふことに のちくいにけり

巌ですら、通っていくという、たけきおとこでさえ、恋ということには、後で悔いたことである。

強気男も、恋には、弱い。
ますらをならば、ますらをらしく、とは、いかないのが、恋の道である。

男は、ますらをを、演じなければならない。
後に、悔いるというのは、失恋であろう。
失恋をして、その嘆きが、ますらをらしからぬ、心なのである。
それを、このように、歌にした、勇気である。


日並べば 人知りぬべし 今日の日は 千歳の如く ありこせぬかも

けならべば ひとしりぬべし きょうのひは ちとせのごとく ありこせぬかも

日々を重ねて会えば、人の知るところとなる。
ああ、今日の日が、千年もの、日の長さであったらなーあ。

恋人に会う、この時間が、千年もの、時間であれば、という、素直な思い。
つまり、君と、いつまでも、である。

恋は、秘密が、いい。
人知れぬ恋というもの、それ自体が、快楽である。


立ちて坐て たどきも知らに 思へども 妹に告げねば 間使も来ず

たちていて たどきもしらに おもへども いもにつげねば まつかひもこず

立っていても、座っていても、伝える術なく、妻を慕う。
この気持ちを、伝えてくれる、使いも来ないのだ。

妻にした、女に、気持ちを伝えたくて、両者の、間に入る使いを待っている。

通信手段のない時代は、その間に、人が、介入する。

何と、時間のかかる手間暇がかかる、ことだろうか。
だが、それが、心を深くした。
それにより、恋心が、熟してゆく。


ぬばたまの この夜な明けそ 赤らひく 朝行く君を 待たば苦しも

闇の、この夜は、明けないでおくれ。
赤々と明けてゆく、朝に、帰る君を、また、夜まで待つのは、苦しいものだ。

朝の別れを、衣々の別れ、きぬぎぬのわかれ、という、互いの、衣服を、分けるからである。
一緒に重ねた、衣を、朝になると、それぞれに、着なければならない。
それが、切ない。

恋をする者は、飽きない。
いつまでも、一緒にいたい。

朝の別れが、永遠の別れのように、思える。
次に会うまでの、時間の長いこと。

別れた瞬間から、次の会うまでの時間が、永遠に思えるのである。
それが、恋である。

全く、素直に、恋に没頭する、万葉時代の人々は、まさに、日本人の心の、原型である。
これが、伝統になり、文化を創る。

日本の文化が、恋心により、成り立つのである。

恋とは、魂を乞う、たまこい、であった。
相手の、魂を、乞うのである。

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伝統について 6

巌すら 行き通るべき 健男も 恋とふ事に 後悔にけり

いはほすら ゆきとおるべき ますらをも こひとふことに のちくいにけり

巌ですら、通っていくという、たけきおとこでさえ、恋ということには、後で悔いたことである。

強気男も、恋には、弱い。
ますらをならば、ますらをらしく、とは、いかないのが、恋の道である。

男は、ますらをを、演じなければならない。
後に、悔いるというのは、失恋であろう。
失恋をして、その嘆きが、ますらをらしからぬ、心なのである。
それを、このように、歌にした、勇気である。


日並べば 人知りぬべし 今日の日は 千歳の如く ありこせぬかも

けならべば ひとしりぬべし きょうのひは ちとせのごとく ありこせぬかも

日々を重ねて会えば、人の知るところとなる。
ああ、今日の日が、千年もの、日の長さであったらなーあ。

恋人に会う、この時間が、千年もの、時間であれば、という、素直な思い。
つまり、君と、いつまでも、である。

恋は、秘密が、いい。
人知れぬ恋というもの、それ自体が、快楽である。


立ちて坐て たどきも知らに 思へども 妹に告げねば 間使も来ず

たちていて たどきもしらに おもへども いもにつげねば まつかひもこず

立っていても、座っていても、伝える術なく、妻を慕う。
この気持ちを、伝えてくれる、使いも来ないのだ。

妻にした、女に、気持ちを伝えたくて、両者の、間に入る使いを待っている。

通信手段のない時代は、その間に、人が、介入する。

何と、時間のかかる手間暇がかかる、ことだろうか。
だが、それが、心を深くした。
それにより、恋心が、熟してゆく。


ぬばたまの この夜な明けそ 赤らひく 朝行く君を 待たば苦しも

闇の、この夜は、明けないでおくれ。
赤々と明けてゆく、朝に、帰る君を、また、夜まで待つのは、苦しいものだ。

朝の別れを、衣々の別れ、きぬぎぬのわかれ、という、互いの、衣服を、分けるからである。
一緒に重ねた、衣を、朝になると、それぞれに、着なければならない。
それが、切ない。

恋をする者は、飽きない。
いつまでも、一緒にいたい。

朝の別れが、永遠の別れのように、思える。
次に会うまでの、時間の長いこと。

別れた瞬間から、次の会うまでの時間が、永遠に思えるのである。
それが、恋である。

全く、素直に、恋に没頭する、万葉時代の人々は、まさに、日本人の心の、原型である。
これが、伝統になり、文化を創る。

日本の文化が、恋心により、成り立つのである。

恋とは、魂を乞う、たまこい、であった。
相手の、魂を、乞うのである。

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2009年08月07日

伝統について 7

恋するは 死するものに あらませば わが身は千遍 死にかへらまし

こひするは しにするものに あらませば わがみはちたび しにかへらまし

恋に苦しむと、死ぬものなのであれば、私の体は、千回も、繰り返し死んでいるだろう。それほど、命がけの恋をしているのだ。

激しい恋の告白である。
直情型である。
そして、これが、万葉の恋である。

恋愛遊戯なのではない。
恋は、生きる、死ぬことなのである。

恋に命を、掛けられる人は、いつも、若いのである。

そして、若さの特権である、恋である。


玉あへば 昨日の夕 見しものを 今日は朝に 恋ふべきものか

たまあへば きのうのゆうべ みしものを きょうはあしたに こふべきものか

玉逢い、魂を合わせた、昨日の夜の逢瀬である。そして、今日の朝は、もう、恋に苦しむわが身なのである。

たまあへば
魂合いをして。二人が会うことを、魂合いとは、恋というもの、そのものを、言う。
恋は、魂が、魂を、求めるのである。
別れた後から、すでに、恋の苦しみに、身を焦がす。

これは、今の、演歌にまで、受け継がれている。

逢えば、別れがこんなに辛い
逢わなきゃ、夜が、やるせない

大胆、豪快な、心情を歌う。

なかなかに 見ざりしよりは 相見ては 恋しき心 まして思ほゆ

なかなかに みざりしよりは あいみては こほしきこころ ましておもほゆ

なかなかに、かえって、逢わなかった時よりも、逢った後の方が、恋しい心が、募る。

見ることは、逢うこと。
一目だけでも、会いたいとは、見たいと、同じ意味。

逢わない時よりも、逢った後の方が、辛いと歌う。
しかし、逢いたい。逢えば、辛い。恋とは、このように、辛いものなのである。

万葉時代と、今の時代との、人の差に、何の差があるのか。大差はないのである。

玉ほこの 道行かずあらば ねもころに かかる恋には 逢はざらましを

たまほこの みちゆかずあらば ねもころに かかるこひには あはざらましを

玉矛の道を行かなければ、心を尽くすほどの、恋には、逢わなかったものを。

この道で、出会ったのである。命がけの恋の相手に。
どこで、出会うのか、解らない。それは、一瞬の出会いだった。
そして、魂合うことで、恋に生きるのである。

この道を、行かざりければ 無きものを 
恋という名の 神に逢いては
天山

ただ今、万葉集の、恋の歌を、読んでいる。
そして、今の今でも、人は、恋の歌を、詠む。
歌は、詩でもあり、話にもなる。
恋を扱わなかった時代が、あろうか。
万葉集には、この民族の精神の、黎明がある。
そして、これが、伝統となる。

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伝統について 7

恋するは 死するものに あらませば わが身は千遍 死にかへらまし

こひするは しにするものに あらませば わがみはちたび しにかへらまし

恋に苦しむと、死ぬものなのであれば、私の体は、千回も、繰り返し死んでいるだろう。それほど、命がけの恋をしているのだ。

激しい恋の告白である。
直情型である。
そして、これが、万葉の恋である。

恋愛遊戯なのではない。
恋は、生きる、死ぬことなのである。

恋に命を、掛けられる人は、いつも、若いのである。

そして、若さの特権である、恋である。


玉あへば 昨日の夕 見しものを 今日は朝に 恋ふべきものか

たまあへば きのうのゆうべ みしものを きょうはあしたに こふべきものか

玉逢い、魂を合わせた、昨日の夜の逢瀬である。そして、今日の朝は、もう、恋に苦しむわが身なのである。

たまあへば
魂合いをして。二人が会うことを、魂合いとは、恋というもの、そのものを、言う。
恋は、魂が、魂を、求めるのである。
別れた後から、すでに、恋の苦しみに、身を焦がす。

これは、今の、演歌にまで、受け継がれている。

逢えば、別れがこんなに辛い
逢わなきゃ、夜が、やるせない

大胆、豪快な、心情を歌う。

なかなかに 見ざりしよりは 相見ては 恋しき心 まして思ほゆ

なかなかに みざりしよりは あいみては こほしきこころ ましておもほゆ

なかなかに、かえって、逢わなかった時よりも、逢った後の方が、恋しい心が、募る。

見ることは、逢うこと。
一目だけでも、会いたいとは、見たいと、同じ意味。

逢わない時よりも、逢った後の方が、辛いと歌う。
しかし、逢いたい。逢えば、辛い。恋とは、このように、辛いものなのである。

万葉時代と、今の時代との、人の差に、何の差があるのか。大差はないのである。

玉ほこの 道行かずあらば ねもころに かかる恋には 逢はざらましを

たまほこの みちゆかずあらば ねもころに かかるこひには あはざらましを

玉矛の道を行かなければ、心を尽くすほどの、恋には、逢わなかったものを。

この道で、出会ったのである。命がけの恋の相手に。
どこで、出会うのか、解らない。それは、一瞬の出会いだった。
そして、魂合うことで、恋に生きるのである。

この道を、行かざりければ 無きものを 
恋という名の 神に逢いては
天山

ただ今、万葉集の、恋の歌を、読んでいる。
そして、今の今でも、人は、恋の歌を、詠む。
歌は、詩でもあり、話にもなる。
恋を扱わなかった時代が、あろうか。
万葉集には、この民族の精神の、黎明がある。
そして、これが、伝統となる。

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