2009年12月26日

もののあわれ 456

澪標 みをつくし

源氏二十八歳、十月から、二十九歳、十一月まで

さやかに見え給ひし夢の後は、院の御事を心にかけ聞え給ひて、「いかで、かの沈み給ふらむ罪救ひ奉る事をせむ」と、思し嘆きけるを、かく帰り給ひては、その御いそぎし給ふ。
神無月に御八講し給ふ。世の人靡き仕うまつる事、昔のやうなり。

さやかに、お見えになった、夢から後は、亡き上皇様の、御ことを、思い続けていらして、なんとかして、父君が、苦しんでおられるという、罪障を、お救いいたす、追善を行いたいと、心に嘆くが、こうして、帰京されたこととても、早速、その準備をつれる。
十月に、御八講をなさる。誰彼と、進んで、お役に立とうとするのは、昔と、同じである。

八講とは、法華経八巻を講ずる法要のこと。




大后、なほ御悩み重くおはしますうちにも、「つひに、この人をえ消だなりなむ事」と、心やみ思しけれど、帝は、院の御遺言を思ひ聞え給ひ、ものの報いありぬべく思しけるを、なほし立て給ひて、御心地すずしくなむ思しける。



大后は、今も、重態の病気の中にありながら、結局、この人を、抑えることができなかったと、心よからずに思うのだ。だが、帝の方は、院の遺言に、背いた事を、案じて、報いが、必ずあるにちがいないと、思っていたところ、源氏を、召還されて、晴れ晴れとしていらした。

なほし立て給ひて
元の地位に戻すこと。



時々おこり悩ませ給ひし御目も、さはやぎ給ひぬれど、大方世にえ永くあるまじう、心ぼそき事、とのみ、久しからぬ事を思しつつ、常に召しありて源氏の君は参り給ふ。世の中の事なども隔てなく宣はせつつ、御本意のやうなれば、大方の世の人も、あいなくうれしきことに、喜び聞えける。




そのせいか、時々、痛んでいた、御目も、全快されたが、今後も永くは無いと、一途に、心細く思われて、それゆえ、始終、源氏を召すので、君は、参内される。
政治のことも、隠すことなく、仰せられて、望みが叶ったゆえに、世間の人たちも、嬉しいことと、喜び合っていた。




おり居なむの御心づかひ近くなりぬるにも、内侍のかみ、心ぼそげに世を思ひ給へる、いとあはれにおぼされけり。主上「おとどうせたまひ、大宮もたのもしげなくのみあつい給へるに、わが世残りすすくなき心地するになむ、いといとほしう、なごりなき様にてとまり給はむとすらむ。昔より人には思ひおとし給へれど、みづからの心ざしの又なきならひに、ただ御事ありて見給ふとも、おろかならぬ心ざしはしも、なずらはざらむ、と思ふさへこそ、心苦しけれ」とて、うち泣き給ふ。女君、顔はいとあかくにほひて、こぼるばかりの御愛嬌にて、涙もこぼれぬるを、よろづの罪忘れて、あはれにらうたしと御覧ぜらる。





ご譲位の、予定が近くなった。すると、ないしのかみが、見た目にも、心細げに、身の上を、嘆くのを、たいそう、可愛そうに思われた。
主上は、太政大臣が、お亡くなりになり、大后も、ご病気で、弱くなり、その上、私の命も、残り少ないような、気がする。可愛そうに、今とは、まるで違った、生活を一人、続けられることでしょう。前々から、軽く見ていらっしゃったけれども、私の気持ちは、一筋だったのが、癖になり、ただ、あなただけが、愛しく思われるのです。私以上の方と、改めて、望み通り、ご結婚されるとしても、この私の深い思いは、比べるものになるまいと思う。その思うのも、ままならない気がする。と、涙を流すのである。
女君は、顔が赤く染まり、こぼれるばかりの、可愛らしさで、涙も流れ、一切の、過失を忘れ、本当に、愛しいと、御覧になる。

いとあはれにおぼされけり
相手の、心の状態を、推し量り、それを、共感しての、あはれ、である。

昔より人に
源氏のことである。
自分より、源氏を好んでいたという、暗示。

あはれに覚えける
その、状況を思い、同情するのである。

あはれにらうたしと
深く、可愛らしいと、思うのである。
心が、極まる状態さえも、あはれ、という言葉で、表現する。





主上「などか御子をだに持給へるまじき、口惜しうもあるかな。契り深き人の為には、今見いで給ひてむと思ふも口惜しや。限りあれば、ただうどにてぞ見給はむかし」など、行末の事をさへ宣はるに、いと恥づかしうも悲しうも覚え給ふ。御容貌などまめかしう清らにて、限りなき御志の年月に添ふやうにもてなさせ給ふに、めでたき人なれどさしも思ひ給へらざりし気色ばへなど、もの思ひ知られ給ふままに、「などて我が心の若くいはけなきに任せて、さる騒ぎをさへ引きいでて、わが名をばさらにも言はず人の御為さへ」など思しいづるに、いと憂き御身なり。




主上は、どうして、皇子だけでも、産んでくださらなかっのか。残念なことです。縁の深い、あちらのためなら、すぐにでも、産むだろうと思うと、悔しいこと。しかし、身分が身分ですから、家臣として、お育てになる。などと、将来のことまでも、おっしゃるのであり、顔が上げられなく、恥ずかしく、悲しくも、思う。
主上は、お顔や、お姿も、美しく、綺麗でもあり、限りない、愛情を年月と共に、深くなる。源氏は、立派な方だが、それほど、愛して、くれなかった、そぶり、心向けなど、物事が、解ってくるにつけ、分別がつかず、子供のように任せて、あのような事件まで、起こして、自分の評判は、勿論、あちらにまでも、迷惑をかけた、などと、昔を、思い出すと、まことに、辛いのである。



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2009年12月27日

もののあわれ 457

あくる年の二月に、東宮の御元服の事あり。十一になり給へど、程より大きにおとなしう清らにて、ただ源氏の大納言の御顔を二つにうつしたらむやうに見え給ふ。いとまばゆきまで光り合ひ給へるを、世の人めでたきものに聞ゆれど、母宮はいみじうかたはらいたきことに、あいなく御心を尽くし給ふ。内にもめでたしと見奉り給ひて、世の中ゆづり聞え給ふべき事など、なつかしう聞え知らせ給ふ。




あくる年の、二月、きさらぎ、東宮の元服の儀式がある。
十一歳になられて、お年のわりには、大人らしく、美しく、源氏の大納言と、瓜二つに見える。
仰ぎ見ていられないほど、お二方が、光り輝きあうのを、世間の人は、めでたいことであると、噂するが、母宮は、はらはらして、言いようもなく、苦労されている。
主上に、おかれても、結構なことと、見奉りたまいて、位を譲られることなどを、やさしく、お伝えする。

いとまばゆきまで光り
最高の形容である。

世の中を譲る、つまり、位を譲るのである。




おなじ月の二十よ日御国ゆづりの事、にはかなれば、大后思しあわてたり。主上「かひなきさまながらも心のどかに御覧ぜらるべき事を思ふなり」とぞ聞えなぐさめ給ひける。



その月の、二十日過ぎに、御譲位のことが、急であり、大后は、慌てた。主上は、お話にならない姿ながらも、ゆっくりと、お目にかかれるようにと、思いますと、いたわり申す。





坊には、承香殿の御子、居給ひぬ。世の中あらたまりて、引きかへ、今めかしき事ども多かり。源氏の大納言、内大臣になり給ひぬ。数定まりてくつろぐ所もなかりければ、加はり給ふなりけり。



東宮には、承香殿の御子が、立った。
世の名の、一切が、変わった。華やかなことが、多いのである。
源氏は、内大臣になる。これは、主上の、補佐役である。
大臣は、定員があり、お着きになる席がなかったので、員外の大臣として、加わるのである。



やがて世の政をし給ふべきことなれど、源氏「さやうの事繁き職にはたべなむ」とて、致仕の大臣、摂政し給ふべきよし、ゆづり聞え給ふ。致仕「病によりて、位も返し奉りてしを、いよいよ老いのつもり添ひて、さかしき事侍らじ」と、うけひき申し給はず。



いよいよ、政治をされるはずだが、源氏は、そのような、忙しい職には、耐えられませんと、謙遜されて、隠居された大臣、おとど、が、摂政をなさるようにと、お譲り申し上げる。大臣は、病気を理由に、官職も、辞退しましたのに、その上、ますます、年を重ねましたこと。お役には、立ちませんと、承知されないのである。

この位とは、左大臣のこと。
さかしき事、とは、賢明、とか、立派という意味。




「他の国にも、事移り世の中定まらぬ折は、深き山にあとを絶えたる人だにも、をさまれる世には、白髪も恥ぢず出で仕へけるをこそ、まことのひじりにはしけれ。病に沈みて返し申し給ひける位を、世の中変わりて、また改め給はむに、さらに咎あるまじう」公私定めらる。さる例もありければ、すまひ果て給はで、太政大臣になり給ふ。御年も六十三にぞなり給ふ。



外国でも、変動があり、政治が、定まらないときには、山に入りこんでしまった人さえ、平和になった時には、白髪になったことも、恥じないで、出てきて、帝にお仕えする。そういう人こそ、誠の聖人だとしていた。病になり、一旦お返しした、官職であっても、世の中が、静まって、改めて、就任されるのには、何の差しさわりもないと、朝廷も、世間も、結論が出た。
そのような、前例もあるので、辞退しきれずに、太政大臣になる。
お年も、六十三歳である。




世の中すさまじきにより、かつはこもり居給ひしを、とりかへし花やぎ給へば、御子どもなど、沈むやうにものし給へるを、みな浮かび給ふ。とりわきて宰相中将、権中納言になり給ふ。かの四の君の御腹の姫君十二になり給ふを、「内に参らせむ」と、かしづき給ふ。かの高砂うたひし君もかうぶりせさせて、いと思ふさまなり。腹腹に御子どもいとあまたつぎつぎに生ひいでつつ、にぎははしげなるを、源氏の大臣はうらやみ給ふ。




世の中、すさまじきにより、嫌気がさす、おもしろくないので、それが原因で、隠居していたが、復活して、盛んになられたので、御子息方も、不遇に過ごしていらしたが、皆、よくなった。
中でも、宰相の中将は、権中納言になられた。
あの四の君の、お生うみになった、姫君も、十二歳になり、入内させようと、大事にお育てになる。
あの、高砂を謡った、若君も、元服させて、まことに、思いのままである。
夫人方に、子息が、大勢、次々と、成長されて、見た目も、賑やかであるのを、源氏の大臣は、羨むのである。

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2009年12月28日

もののあわれ 458

大殿腹の若君、人より殊にうつくしうて、内、東宮の殿上し給ふ。故姫君のうせ給ひにし嘆きを、宮大臣またさらにあらためて思し嘆く。されどおはせぬ名残なきまで栄え給ふ。なほ昔に御心ばへ変わらず、をりふしごとに渡り給ひなどしつつ、若君の御乳母達、さらぬ人々も、年頃の程まかで散らざりけるは、皆さるべき事に触れつつ、よすがつけむ事を思しおきつるに、幸ひ人多くなりぬべし。



太政大臣の姫が、お生みになった、若君は、誰に比べても、美しい。源氏の妻である、葵の上が、産んだ、夕霧のことである。
御所や、東宮御所の、童殿上をなさる。これは、良家の子息が、清涼殿殿上の間に出入りして、見習いをすることである。
姫君が、亡くなっての嘆き、悲しみを、母宮、大臣も、新たにされる。
だが、この源氏の大臣によって、何もかも、変わったのである。何年も、不遇でいらした跡形もないほどの、栄えようである。
源氏の、左大臣家への、御心づかいは、今も昔と変わらない。事あるごとに、邸へお渡りになり、若君についている、乳母たちや、その他の人々も、この年頃、暇を取らずに奉公していた者は、いずれも、機会あるごとに、後々まで、目をかけてやろうとする、お気持ちゆえ、幸せな者が、多くなった。






二条の院にも、同じごと待ち聞えける人を、あはれなるものに思して、「年頃の、胸あくばかり」と思せば、中将、中務やうの人々には、程々につけつつ、情を見え給ふに御暇なくて、ほかにありきもし給はず。二条の院の、東なる宮、院の御処分なりしを、二なく、改め作らせ給ふ。源氏「花散里などやうの、心苦しき人々住ませむ」など思しあてて、つくろはせ給ふ。




二条の院のほうでも、同じように、帰京を、お待ちしていた人々を、あはれなるものに思い、つまり、温情厚く思い、何年も、塞ぎこんでいた気持ちを、晴れるようにしてあげようと、中将、中務、なかつかさ、のような人々には、身分に応じて、情けをかけてやるため、暇がなくて、外の婦人を、訪うこともない。
二条の院の、東にある、御殿は、故院の遺産であるが、またとないほど、立派に、改築されて、花散里のような、気の毒な人々を、住まわせようと、計画して、手入れをするのである。




このような、源氏の、行為は、あはれなる、行為なのである。
一度、縁をした者に、対する、やさしさ、それも、あはれ、なることなのである。




まことや、かの明石に、心苦しげなりし事は、「いかに」と、思し忘るる時なければ、おほやけわたくし、忙しきまぎれに、え思すままにも訪ひ給はざりけるを、三月ついたちの程、「この頃や」と、思しやるに、人知れず、あはれにて、御使ありけり。とく帰りまいりて、使「十六日になむ、女にて、たひらかにものし給ふ」と、告げ聞ゆ。めづらしきさまにてさへあなるを思に、おろかならず。「などて、京にむかへて、かかることをも、せさせざりけむ」と、口惜しう、思さる。




そういえば、あの、明石で、心苦しく思った、あの事は、どうなったのか、と、忘れる時はない。公私共に、忙しいのに、紛れて、思い通りに、尋ねることが出来なかったが、三月、やよい、の初め頃に、この頃かと、思い出すと、誰にも言わずに、気になり、お使いが、立った。
すぐに、戻り、使いは、十六日でした。女のお子様で、安産でございます、と、報告する。めづらしきさまにて、はじめての、女の子と思うと、堪らない、思いである。
何故、京に迎えて、お産をさせなかったのかと、残念に思うのである。




宿曜に、「御子三人、帝、后、必ず並びて、生まれ給ふべし。中の劣りは太政大臣にて、位を極むべし」と、かんがへ申したりし事、さしてかなふなめり。大方上なき位にのぼり、世を政りごち給ふべき事、さばかり賢かりしあまたの相人どもの、聞え集めたるを、当帝の、かく、位にかなひ給ひぬる事を、「思ひのごと、うれし」と、思す。




宿曜師が、御子は、三人であり、帝、后が、揃って生まれます。一番、低い方は、太政大臣となり、位を極めます。と、予言した事が、一つ一つ、的中するようである。
おおよそ、無上の位にのぼり、世の中を、治めるということは、多くの人相見たちが、申したことだが、そのことは、世間が、煩いので、心中、打ち消していた。
今上陛下が、このように、即位できたことも、思いが、叶い嬉しいと、思うのである。




自らは、もて離れ給へる筋は、「さらにあるまじき事」と、思す。あまたの御子たちの中にぐれてらうたきものに思したりしかど、ただ人に、思しおきてける御心を思ふに、宿世遠かりけり。内の、かくておはしますを、「あらはに人の知る事ならねど、相人の言むなしからず」と御心のうちに、思しけり。今行く末のあらましごとを思すに、「住吉の神のしるべ、まことに、かの人も、世になべてならぬ宿世にて、ひがひがしき親も、及びなき心をつかふにやありけむ。さるにては、かしこき筋にもなるべき人の、あやしき世界にて生れたらむはいとほしう、かたじけなくもあるべきかな。この程過ぐして迎へてむ」と、思して、東の院、いそぎ造らべきよし、もよほし仰せ給ふ。




君自身は、あり得ない話は、問題にしない。
大勢の、皇子たちの中でも、自分を一番、可愛がってくださったが、それでも、臣下にと、決断された、父帝の、お心を思い、帝位には、遠い運命だった。
主上が、こうして、位に、あらせられることの、真相は、誰も知ることのないことであるが、人相見の予言は、嘘ではなかった。と、思う。
今は、将来の、予想をすると、住吉の神の導きであろう。明石の人も、世にまたとない、運命であり、
ひねくれ者の、父親も、分外の望みを持ったのであろうか。それにしても、恐れ多い、后の位にも、就くべき人が、変な田舎で、生まれたとは、可愛そうであり、勿体なくとも、思われる。しばらく、日にちを置いて、迎えようと、思われる。
東の院を、急ぎ、修理せよと、ご催促、命令される。

宿曜師とは、二十八に、生まれた日を、区分けて、人の運命を占うもので、人相なども、それに、取り入れている。

現在では、宿曜星占とも、言われる。

帝に就いたのは、先帝の御子となっているが、実際は、源氏の子である。
この、罪の意識を、源氏は、一生負うのである。

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2009年12月29日

もののあわれ 459

さる所に、はかばかしき人しも、あり難からむを思して、故院に侍ひし、宣旨の女、宮内卿の宰相にてなくなりにし人の、子なりしを、母などもうせて、かすかなる世に経けるが、「はかなきさきにて子産みたり」と、聞し召しつけたるを、知る便ありて、事のついでに、まねび聞えける人、召して、さるべきさまに、宣ひ契る。まだ若く、なに心もなき人にて、明け暮れ、人知れぬあばらやにながむる心細さなれば、深うも思ひたどらず、この御あたりの事を、ひとへにめでたう思ひ聞えて、「参るべきよし」申させたり。




あのような所、明石には、よい者など、得難いであろうと、心配され、故院に、仕えていた、宣旨の娘は、宮内卿の宰相で亡くなった人の娘だが、母なども、亡くなり、不自由な暮らしをしていた、女を。
結婚は、失敗で、子を産んだと、聞いていたので、知る、縁があり、何かのついでに、それを教えてくれた者を呼び、乳母になるように、契約する。
女は、まだ若く、特に考えることもなく、毎日を、あばらやで、暮らす心細さだという。
深く考えず、源氏のことを、結構なことと、思い、お勤めする、返事を申し入れた。




いとあはれに、かつは思して、出だしたて給ふ。もののついでに、いみじう忍びまぎれて、おはしまいりたり。さは聞えながら、「いかにせまし」と、思ひ乱れけるを、いとかたじけなきに、よろづ思ひなぐさめて、女「ただ、宣はせむままに」と、聞ゆ。よろしき日なりければ、いそがし立て給ひて、源氏「あやしう、思ひやりなきやうなれど、思ふさま、異なる事にてなむ。自らも覚えぬ住まひに結ぼほれたりし例を、思ひよそへて、しばし念じ給へ」など、事のありやう、詳しう語らひ給ふ。




いとあはれに、大変可愛そうだと、思いつつ、出発させる。
外出のついでに、誰にも知られず、密かに、お立ち寄りあそばす。
女は、返事は、したものの、いざとなると、思い迷うのだが、恐れ多さに、心も安らぎ、ただ、お言葉どおりにと、申し上げる。
よい日だったので、急ぎ出発させ、源氏は、けしからん話だ、同情のないことだと、思うだろうが、特別の考えがあってのこと。わたし自身が、思いもかけない、場所で、苦労した。あれを異なこととして、しばらく、辛抱してください、などと、事の次第を詳しく、お話になる。




上の宮仕へ時々せしかば、見給ふ折もありしを、いたうおとろへにけり。家の様も、言ひ知らず、荒れ惑ひて、さすがに、おほきなる所の、木立など、うとましげに、「いかで過ぐしつらむ」と見ゆ。




主上の、宮仕えも、時々したので、その姿をご覧になるが、すっかり、やつれきっている。家の様子も、話にならないほど、荒れていて、それでも、邸は、大きい。植木など、うっそうとして、今まで、どのように、暮らしていたのかと、思われる。

宮内卿の宰相の家である。




人の様、若ゆかにをかしければ、御覧じ放たれず、とかく、戯れ給ひて、源氏「取りかへしつべき心地こそすれ。いかに」と、宣ふにつけても、「げに、同じうは御身近うも仕うまつりなれば、憂き身も慰みなまし」と、見奉る。

源氏
かねてより 隔てぬ中と ならはねど 別れは惜しき ものにぞありける

慕ひやせまし」と宣へば、うち笑ひて、

宣旨の女
うちつけの 別れを惜しむ かごとにて 思はむ方に 慕ひやはせぬ

慣れて聞ゆるを「いたし」と、思す。




姿、様子が、若いやいで、美しいので、目を離すことが、できない。
何や、冗談をされて、

源氏
やるのは、止めて、こちらに置きたい気がする。どうだろう。
と、仰る。
それならば、同じこと、いつもお傍にお仕えできたら、我が身の不幸も、やわらぐだろうと、思い、拝する。

源氏
前々から、親しい間柄ではないが、別れは、惜しいもの。

追いかけてゆこうか、と、仰ると、微笑んで、


お会いしたばかりの、私、お別れするのが、惜しいと仰るのは、かこつけで、恋しい方の、所にお行きになるでしょう。

物慣れて、答える様を、見事と、思う。



結構な、問答である。
大人の男女の、風情を知る者同士である。

うちつけの 別れを惜しむ かごとにて 
別れを惜しむという、言葉に、かこつけても、結局は、恋しい人のところへ、行かれるのでしょう・・・

少しの、媚がある。

見事な、恋遊びである。

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2009年12月30日

もののあわれ 460

車にてぞ、京の程は、行き離れける。いと親しき人さし添へ給ひて、ゆめ漏らすまじく、口がため給ひて、遣す。みはかし、さるべき物など、所狭きまで、思しやらぬ隈なし。乳母にも、あり難うこまやかなる御いたはりの程、浅からず。




乳母は、車で、京の町を出たのである。
ごく親しく、召し使うものを、お供にして、決して、他に漏らすことのないように、口止めされて、遣わす。
みはかし、剣のこと、必要な品々を、すべて用意し、気のつかないところがないほど。
乳母にも、考えられないほどの、情けある、御心づけを賜るのである。




入道の、思ひかしづき、思ふらむ有様、思ひやるも、ほほえまれ給ふ事多く、又、あはれに、心苦しうも、ただ、このことの御心にかかるも、浅からぬにこそは。御文にも、「おろかにもてなし思ふまじ」と、かへすがへす、いましめ給へり。

源氏
いつしかも 袖うちかけむ をとめごが 世をへてなづる 岩のおひさき

津の国までは、舟にて、それよりあなたは、馬にて、いそぎ行きつきぬ。




入道が、姫を、大切にし、可愛がる様子を想像すると、つい、微笑みが浮かぶことも多く、それに、あはれに、心から、痛々しくも、ただ、姫のことばかりが、心から、離れない。それも、愛情が強いゆえのこと。
お手紙にも、姫を粗末に扱うのではない、と、繰り返し、繰り返し、いましめ給へり、なのである。

源氏
いつ、我が袖に、抱く事ができるだろう。天女が、一世に、一度ずつ撫でるという、岩のように。長い未来を持つ姫を。

摂津の国までは、舟で、それから先は、馬で、急いで、行き着いた。





入道、待ちとり、喜びかしこまり聞ゆる事、限りなし。そなたに向きて、拝み聞えて、あり難き御心ばへを思ふに、いよいよいたはしう、恐ろしきまで思ふ。ちごの、いとゆゆしきまで、うつくしうおはする事、類なし。乳母「げに、かしこき御心に、かしづき聞えむ、と、思したるは、うべなりけり」と見奉るに、あやしき道に出で立ちて、夢の心地しつる嘆きも、さめにけり。いとうつくしう、らうたく覚えて、あつかい聞ゆ。





入道は、乳母を、待ち迎えて、君に感謝し、恐縮申すこと、限りなし。都に向かい、礼拝し、特別の思し召しを思い、いよいよ、大事に、恐れ多い気持ちである。
赤子の、あやしいまでに可愛い姿は、二人と無いほどである。
乳母は、なるほどに、貴い思し召しから、大事に養育されようと、思いあそばしたのも、御もっともなことと、思う。こんな片田舎に旅した、夢見心地の悲しさも、忘れてしまう。
とても、可愛らしく、いたわしく、感じて、お世話をするのである。




子持ちの君も、月頃、ものをのみ思ひ沈みていとど弱れる心地に、生きたらむとも覚えざりつるを、この御掟の、少し物思ひ慰めらるるにぞ、頭もたげて、御使にも、二なきさまの心ざしを尽す。使「とく参りなむ」と、いそぎ苦しがれば、思ふ事どもすこし聞え続けて、

明石
ひとりして なづるは袖の 程なきに 覆ふばかりの 蔭をしぞまつ

と、聞えたり。
あやしきまで御心にかかりて、ゆかしう思さる。




明石の君も、この幾月、物思いに沈むばかりであり、気力が弱く、生きてゆく気もなくなっていたが、君の、こうした、ご配慮に、少しは、物思いも、安らいだ。
頭を、もたげて、お使いの者にも、出来る限りのもてなしをする。
使いは、すぐに、お暇しますと、帰りを急ぐゆえに、心の内を書き付けて、

明石
我が身ひとりで、姫君を撫で、慈しむのには、あまりに、袖が、狭いのです。お力ある、お助けをお待ちします。

と、申し上げた。
源氏は、不思議なほど、姫君のことが、心にかかり、逢いたいと、思うのである。


後撰集より
大空に 覆ふばかりの 袖もがな 春さく花を 風にまかせじ

大空を、覆うほどの、袖はない。春に咲く花を、ただ、風に任せるしかないのである。

新しい展開が、はじまる。
時代は、違うが、女の心は、同じもの。
紫の上が、明石の君を、どのように、思い、受け入れるのか。

そして、明石の子、姫を、どのように、受け入れるのか。

思いままならぬ、人生の諸相が、物語には、ある。
そして、人の心の、機微である。
それも、また、もののあはれ、の、風景となる。



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2009年12月31日

もののあわれ 461

女君には、ことあらはしてをさをさ聞え給はぬを、「聞き合わせ給ふ事もこそ」と、思して、源氏「さこそあなれ。あやしうねぢけたるわざなりや。さもおはせなむ、と、思ふあたりは心もとなくて、思ひのほかに口惜しくなむ。女みにてさへあなれば、いとこそものしけれ。尋ね知らでもありぬべき事なれど、さはえ思ひ捨つまじわざなりけり。呼びにやりて、見せ奉らむ。憎み給ふなよ」と聞え給へば、面うちあかみて、紫の上「あやしう。常にかやうなる筋宣ひつくる心の程こそ、われながらうとましけれ。物にくみはいつ習ふべきにか」と怨、怨じ給へば、いとよくうち笑みて、源氏「そよ。誰が習はしにかあらむ。思はずにぞ見え給ふや。人の心よりほかなる思ひやりごとして、もの怨じなどし給ふよ。思へば悲し」とて、はてはては涙ぐみ給ふ。




女君、紫の上には、明石の事を口に出しては、言わないが、もし、他から、聞く事があるかもしれないと、思い、源氏は、このようだそうだ。変に、うまくゆかないもの。できて欲しいと、思うところには、できそうもなく、意外なところに、出来て、残念なこと。その上、女だそうだから、何とも、つまらないこと。放っておいて、いいものだが、そうまで、忘れることが、出来ない。いずれ、呼び寄せて、お目にかけましょう。やきもちを焼かないようにと、申されると、顔が赤くなり、紫の上は、変ですね。いつものような、言葉を頂くと、自分でも、嫌になります。焼きもちは、いつ、教わったのでしょう、と、恨みになると、君は、笑顔で、そうだね、誰も思わない、気の回しをして、恨み言を言うのだ。考えると、悲しい、と、つい、涙ぐむ。





年頃飽かず恋ひしと、思ひ聞え給ひし御心のうちども、折々の御文のかよひなど思しいづるには、「よろづの事、すさびにこそあれ」と、思ひ消たれ給ふ。



この、年頃、恋しくて堪らないと、思い思われた、二人の心。折々につけての、お手紙の、やり取り、そうしたことを、思うと、何もかにも、一切が、冗談のようである。と、否定する気持ちになる。



源氏「この人をかうまで思ひやり言とふは、なほ思ふやうの侍るぞ。まだきに聞えば、またひが心得給ふべければ」と、宣ひさして、源氏「人がらのをかしかりしも、所がらにや、めづらしうおぼえきかし」など、語り聞え給ふ。あはれなりし夕べの煙、いひし事など、まほならねど、その夜の容貌、ほの見し、琴の音のなまめきたりしも、すべて御心とまれるさまに宣ひ出づるにも、紫の上「われはまたなくこそ悲しと思ひ嘆きしか、すさびにても心を分け給ひけむよ」と、ただならず思ひつづけられて、「われはわれ」と、うちそむきながめて、紫の上「あはれなりし世のあり様かな」と、ひとり言のやうにうち嘆きて、

紫の上
思ふどち なびくかたには あらずとも われぞ煙に さきだちなまし

源氏「何とか。心憂きや。

誰により 世をうみやまに 行きめぐり 絶えぬ涙に うきしづむ身ぞ

いでや、いかでか見え奉らむ。命こそかなひ難かべいものなめれ。はかなき事にて人に心おかれじと思ふも、ただひとつゆえぞや」とて、筝の御琴ひきよせて、かき合はせすさび給ひて、そそのかし聞え給へど、かのすぐれたりけむも妬きにや、手も触れ給はず。いとおほどかに、うつくしうたをやぎ給へるものから、さすがに執念きところつきて、物怨じし給へるが、なかなか愛敬づきて腹だちなし給ふを、「をかしう見所あり」と、思す。




源氏は、明石のことを、考えて、使いをやるのには、訳があるのです。今から、それを、お耳に入れると、また、誤解されるだろうから、と、あとは言わずに、更に、人柄が、立派だったことも、場所が場所のせいなのだろうか。感心なものだと、思った。などと、話して聞かせる。
心を打たれた、別れの夕べの煙、その時の、返歌など、はっきりではないが、顔かたちを、見たことや、琴の音が、上品だったことも。感心した話しなので、紫の上は、私は、この上なく、悲しいことと、思い嘆げいて、冗談にせよ、他の女を、愛したと、堪らない気持ちは、どうにも出来ず、私は私、と、顔を背けて、思い入り、更に、昔は、良い仲だった、と、独り言のように嘆く。

紫の上
思い合う同士の、煙がなびく、その方向とは、違いましょうが、私は、煙より、先に死んでしまいたい。

源氏は、何を言う、嫌なことを。

一体、誰のために、この憂き世を、海に山に、さすらい、尽きぬ涙に、浮き沈みする私なのか。

いや、何としてでも、私の心を見せたい。
でも、命だけは、思うように、ならない。つまらないことで、人に悪く思われずにしようと、思うのも、ただ、あなたのためです。
筝の琴を、引き寄せて、調子合わせに、小曲を弾かれる。
そして、紫の上に、勧めるが、明石は、上手であったというせいか、癪なのか、手も触れない。
たいそう、大らかで、可愛らしく、やさしい方なのに、それでいて、嫉妬心もあり、恨みごとを、仰る。それが、かえって、面白みがあり、むきになって、怒るので、源氏は、おかしくて、これは、相手に出来る人だと、思うのである。

あはれなりし夕べの煙 
明石の段の、源氏の歌にある。

あはれなりし世のあり様かな
紫の上の、ため息に似た、気持ち。

共に、心のあり様を、あはれ、と、言う。

心の、移り行く様も、あはれ、な、ことなのである。

うつくしう たをやぎ
可愛いと、やさしい、である。

命こそかなひ難し
命だに 心にかなふ ものならば 何か別れの 悲しからまし
古今集


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2010年01月02日

もののあわれ 462

「五月五日ぞ、五十日にはあたるらむ」と、人知れずかずへ給ひて、ゆかしうあはれに思しやる。「何事も、いかにかひあるさまにもてなし、うれしからまし。口惜しのわざや。さる所にしも心苦しき様に出できたるよ」と思す。男君ならましかば、かうしも御心にかけ給ふまじきを、かたじけなういとほしう、わが御宿世も、この御事につけてぞ「かたほなりけり」と思さる。





五月五日は、明石の姫の、五十日にあたるはず、と、心で、数え、見たくてたまらず、かの地に、思いをはせる。
万事、都でのことであれば、どんなにしても、立派にお祝いして、嬉しいことだろう。残念である。何と、あのような、選りによって、辺鄙に田舎に、生まれ合わせたのかと、思われる。
若様であれば、このように、気にかけることもないが、姫君ゆえに、后にもと、もったいなく、可愛そうにも、思われる。
我がことも、この御子のために、あのような悲運もあったのだろうと、思われた。

ゆかしうあはれに
前後の文で、意味が、それぞれ違う。
ここでは、嬉しい気持ちである。そして、更に、複雑な心境である。




御使出だし立て給ふ。源氏「必ずその日違へずまかりつけ」と宣へば、五日に行きつきぬ。思しやることも、あり難くめでたき様にて、まめまめしき御とぶらひもあり。

源氏
海松や 時ぞともなき かげに居て 何のあゆめも いかにわくらむ

心のあくがるるまでなむ。なほかくてはえ過ぐすまじきを、思ひ立ち給ひね。さりともうしろめたき事は、よも」と、書い給へり。


五十日の、使いを立てる。
源氏は、必ず、五日に、間違いなく、到着せよと、命令した。
使いは、五日に、到着した。
贈り物なども、またとないほどで、実用的なものも、差し上げた。

源氏
海松、いつも変わらない色の松の、陰にいたのでは、今日が五日と、如何にして、分かるのか。五十日、いか、の、祝いができるのか。

飛んでゆきたいほどの、気持ちです。姫が生まれた以上は、今まで通りに、してはいられない。矢張り、上京する決心をしてください。心細い思いは、させません、と、書いてある。

五十日を、いか、と読み、何のあやめも いかにわくらむ、と、歌う。
あやめは、五月五日の、菖蒲のことである。





入道、例の喜び泣きして居たり。かかる折は、生けるかひも作りいでたる、道理なりと見ゆ。ここにも、よろづ所せきまで思ひ設けたりけれど、この御使なくは、闇の夜にてこそ暮れぬべかりけれ。乳母も、この女君のあはれに思ふやうなるを語らひ人にて、世のなぐさめにしけり。



入道は、例のごとく、喜び泣きしていた。
このような、時には、生きていたかいがあると、泣くのも無理ないこと。
明石も、立派な、お祝いの準備をしていたが、源氏のお使いがなければ、闇夜の錦で、何の見栄えもなく、終わったことだろう。乳母も、明石が、感心するほどの人であり、よい話し相手にして、憂き世の慰めにしていた。




をさをさおとらぬ人も、類にふれて迎えとりてあらすれど、こよなくおとろへたるみ宮仕へ人などの、いはほの中たづぬるが落ちとまれるなどこそあれ、これこよなうこめき思ひあがれり。聞き所ある世の物語などして、大臣の君の御有様、世にかしづかれ給へる御おぼえの程も、女心地に任せて限りなく語り尽くせば、げにかく思し出づばかりの名残とどめたる身も、いとたけくやうやう思ひなりけり。





この、乳母に、負けない身分の、女房も、縁をたどって、京から、向かえて、付き添わせているが、それは、昔、宮使えした、者で、今は、すっかり老い朽ちて、出家でもしようかと思ったが、たまたま、ここに、住み着いたといった者に、過ぎない。
ところが、乳母は、世間ずれせず、気位も高い。
面白い世間話などをして、大臣の様子や、世間から、大切に思われている、名声を、女心に任せて、果てもなく、話し続ける。
それで、明石も、これほどに、思い出してくださる、形見の姫君を、生んだ我がことも、偉いものだと、次第に、思うようになってきた。



御文ももろともに見て、心の中に、「あはれ、かうこそ思ひの外にめでたき宿世はありけれ。憂きものはわが身こそありけれ」と、思ひ続けらるれど、源氏「乳母の事はいかに」など、こまかにとぶらはせ給へるもかたじけなく、何事もなぐさめけり。御返しには、

明石
数ならぬ み島がくれに 鳴く鶴を けふもいかにと 訪ふ人ぞなき
かずならぬ みしまがくれに なくたづを けふもいかにと とふひとぞなき

よろづに思う給へむすぼほる有様を、かくたまさかの御なぐさめにかけ侍る命の程もはかなくなむ。げに後やすく思う給へ置くわざもがも」と、まめやかに聞えたり。




乳母は、お手紙も、一緒に拝見して、心の中で、何と、これほど、意外な運のある方も、いるのだと、思う。不運なのは、私のなのだと、つい考えるが、源氏が、乳母は、どうしているか、などと、自分のことを親切に、尋ねて下されたのも、勿体なく、心の、憂さが、晴れたのである。
君への、ご返事は、

明石
取るに足らぬ、私の傍にいる、姫君を、お祝いの今日さえ、尋ねてくださる方は、おりません。

色々な、物思いに、塞いでおります、この身の上、このように、時々の、お手紙で、支えております、私の命は、果たして、いつまで、持ちますことか。何卒、姫については、心配のないように、計らってください、と、心から、申し上げた。


乳母が、手紙を一緒に拝して、あはれ、と、一言が出る。
これは、詠嘆である。
溜息である。

そして、憂きものは我が身こそありけれ、という。
しかし、源氏の手紙には、乳母は、どうしているか、との、書き込みを、見て、かたじけなく、思うのである。

あはれ、かたじけない、と、書いてもいい。
あはれ、には、あらゆる、使い方があるということだ。


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2010年01月03日

もののあわれ 463

うち返し見給ひつつ、源氏「あはれ」と長やかにひとりごち給ふを、女君しり目に見おこせて、紫の上「浦よりをちに漕ぐ舟の」と、しのびやかにひとりごちながめ給ふを、源氏「まことはかくまでとりなし給ふよ。こはただかばかりのあはれぞや。所の様など、うち思ひやる時々、来し方の事忘れ難きひとりごとを、ようこそ聞きすぐい給はね」など、うらみ聞え給ひて、上包ばかりを見せ奉らせ給ふ。テなどのいとゆえづきて、やむごとなき人苦しげなるを、「かかればなめり」と思す。





何度も、手紙をご覧になり、源氏は、あはれ、と、長く溜め息をつくのを、女君は、横目で、ご覧になり、浦より漕ぐ舟の、私は、放っておかれる、と、そっと、独り言を言い、沈み込む。
源氏は、本当に、これほど、邪推されるとは。これは、ただ、これだけのこと。明石の風景を思い出す時々、昔のことが、忘れ難いので、つい、独り言が出るのに、あなたは、聞き流してくれない、などと、恨み言をいう。
手紙の、表だけを、見せる。
筆跡などは、大変趣があり、身分のある人にも、引け目を感じそうなので、これほどゆえに、愛情が深いのだと、紫は、思う。

源氏の、あはれ、とは、嘆息である。
感嘆詞である。
思い極まり、あはれ、と言う。





かくこの御心とり給ふ程に、花散里をかれはて給ひぬるこそいとほしけれ。おほやけ事も繁く、所狭き御身に、思し憚るに添へても、めづらしく御目驚く事のなき程、思ひしづめ給ふなめり。
五月雨、つれづれなる頃、公私もの静かなるに、思しおこして渡り給へり。



このように、紫の、ご機嫌をとりつつ、花散里を、放っておいては、気の毒なことだと、政治も、忙しく、簡単に動けない身分であり、遠慮があるゆえに、見事なと、目を覚ますほどのことを、言わない限り、つい、そのままにしておかれると、思われる。
五月雨で、何も出来ないので、公私共に、暇になり、腰を上げて、お出かけになった。


作者の感想が、入り、実に、複雑な、文になっている。
物語の難しさは、誰のことなのかと、佇むところである。
突然、作者の解説が、入るのである。




よそながらも、明け暮れにつけて、よろづに思しやりとぶらひ聞え給ふを頼みにて、すぐい給ふ所なれば、今めかしう心にくき様に、そばみうらみ給ふべきならねば、心やすげなり。年頃に、いよいよ荒れまさり、すごげにておはす。女御の君に御物語聞え給ひて、西の妻戸には夜ふかして立ち寄り給へり。月おぼろにさし入りて、いとどえんなる御ふるまひ、尽きもせず見え給ふ。いとどつつましけれど、端近ううちながめ給ひけるさまながら、のどやかにてものし給ふけはひ、いとめやすし。水鶏のいと近う鳴きたるを、

花散里
水鶏だに おどろかさずは いかにして 荒れたる宿に 月をいれまし

と、いとなつかしう言ひ消ち給へるぞ、「とりどりに捨て難き世かな。かかるこそ、なかなか身も苦しけれ」と思す。

源氏
おしなべて たたく水鶏に おどろかば うはの空なる 月もこそいれ

うしろめたう」とは、なほ言に聞え給へど、あだあだしき筋など、疑はしき御心ばへにはあらず。年頃待ちすぐし聞え給へるも、さらにおろかには思されざりけり。「空ながめそ」と、頼め聞え給ひし折の事も宣ひ出でて、花散里「などて、類あらじと、いみじう物を思ひしづみけむ。憂き身からは、同じ嘆かしさにこそ」と、宣へるも、おいらかにらうたげなり。
例のいづこの御言の葉にかあらむ。つきせずぞ語らひなぐさめ聞え給ふ。



離れているが、明け暮れ、朝に夕に、何から何まで、心ある、お世話を頼りに、日を送る人である。
行かずにても、無愛想な顔をしたり、すねたり、恨んだりするはずものないこと、だから、安心である。
この何年間に、ますます、荒れが酷くなり、凄い雰囲気の、住まいである。
まず、女御の君と、お話されて、西側の戸口には、夜が更けるのを、待って、お立ち寄りになる。
月が、朧に差し込んで、君の姿が、いっそう、優美で、立ち居振る舞いの様子も、立派である。
それゆえ、花散里は、気が引ける。
端近くに座り、思いに耽る、その様子のまま、慌てず、騒ぎもしない様子は、まことに、難がない。
水鶏が、すぐ近くで、鳴いた。

花散里
水鶏でも、戸を叩いてくれませんでしたら、この荒れた宿に、月を、あなた様を、向かえることができましょう。

と、何事もなく、やさしく仰る様子。
源氏は、どの女も、皆、良いところがあり、それでかえって、私は苦労するのだと、思う。

源氏
いつでも、戸を叩く音で、開けていたら、思わぬ月も、変な人も、入ってくるでしょう。

気になります、と、仰るが、そのような、不実な、性格を、疑うような人ではない。
それどころか、須磨退去以来、ずっと、待ち続けてくれたことを、決して、いい加減に、思ってはいないのだ。
源氏は、空を眺めるな、と、約束された時の、ことなどの、お話ができて、花散里は、あの時は、どうして、ほかに、又とあるまいと、酷い嘆きをしたのでしょう。哀れな私には、どちらも、同じ嘆きでしたのに、と、仰る様子も、穏やかで、可愛らしい。
源氏は、例の通り、どこから、出てくるのか、やさしい言葉の限りを尽くして、慰めるのである。


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2010年01月04日

もののあわれ 454

かやうのついでにも、かの五節を思し忘れず、「また見てしがな」と心にかけ給へれど、いと難き事にてえまぎれ給はず。女、もの思ひ絶えぬを、親はよろづに思ひ言ふ事もあれど、世に経む事を思ひ絶えたり。




このついでに、あの五節、ごせち、を、忘れない。
もう一度、見たいものだと、いつも思うが、大変難しいことで、とても、お忍びで、行くことはできない。
親は、何かと、結婚のことを、持ちだすが、独身で、通す覚悟である。




「心やすき殿つくりしては、かやうの人集へても、思ふさまにかしづき給ふべき人も出でものし給はば、さる人の後見にも」と思す。かの院のつくりざま、なかなか見所多く、今めいたり。よしある受領などを選りて、あてあてにもよほし給ふ。




気兼ねのいらない、邸を作り、このような人を集めて、思うように、育てる子が、生まれたら、そういう人の、世話役にでも、と、思われる。
その邸の、つくりは、本邸のつくりよりも、見栄えが多く、華やかである。
良い受領などを、選んで、分担させて、急がせる。




尚侍の君、なほえ思ひ放ち聞え給はず。こりずまに立ちかへり、御心ばへもあれど、女は憂きにこり給ひて、昔のやうにもあひしらへ聞え給はず、なかなか所せう、さうざうしう、世の中思さる。



ないしのかみのきみ、を、今も思い切ることは、出来ない。
失敗に、懲りずに、昔通り、気持ちを見せるが、女は、苦しさに、耐えられず、昔のように、お相手にされないのである。
源氏は、かえって、窮屈を感じて、物足りなく、毎日を、思う。


こりずまに立ちかへり
こりずまに またもなき名は 立ちぬべし 人にくからぬ 世にし住まへば
古今集

世の中思さる、とは、二人の仲のことである。





院はのどやかに思しなりて、時々につけて、をかしき御遊びなど、好ましげにておはします。女御更衣、みな例のごと侍ひ給へど、東宮の御母女御のみぞ、とり立てて時めき給ふこともなく、尚侍の君の御おぼえにおし消たれ給へりしを、かくひき違へ、めでたき御さいはひにて、離れでて宮に添ひ奉り給へる。この大臣の御宿直所は昔の淑景舎なり。梨壺に東宮はおはしませば、近隣りの御心よせに、何事も聞えかよひて、宮を後見奉り給ふ。




院は、気軽になって、四季折々に、趣のある、遊びをされ、ご機嫌よくいらっしゃる。
女御や更衣は、御在位当時から、お仕えされているが、東宮の御母、承香殿女御だけは、特別、華やかな方でもなく、尚侍の君の、寵愛に消されていらした。今は、打って変わり、結構な幸せで、院の傍を離れて、東宮に、付き添っていらっしゃる。
源氏の大臣が、使用している、御部屋は、昔の、淑景舎である。
梨壺に、東宮がおられるので、隣同士であるから、何事につけても、話し合いして、東宮の、お世話も、される。




入道の后の宮、御位をまたあらため給ふべきならねば、太上天皇になずらへて、御封賜はらせ給ふ。院司どもなりて、さまことにいつくしう、御おこなひ功徳の事を、紫の御営にておはします。年頃世に憚りて、出で入りも難く、見奉り給はぬ嘆きをいぶせく思しげるに、思すさまにて、参りまかで給ふも、いとめでたければ、大后は、「憂きものは世なりけり」と思し嘆く。大臣は事に触れて、いと恥づかしげに仕まつり、心よせ聞え給ふも、なかなかいとほしげなるを、人も安からず聞えけり。





入道皇后の宮とは、藤壺のこと。
皇后の宮は、出家の身であり、位を、皇太后に改めるべきではないので、太上天皇、上皇に倣い、御封戸を頂戴した。
大勢の、事務官が、任命され、格段に立派であり、勤行や、功徳の仏事を常のこととして、行われる。
この、幾年、世間への、遠慮から、御所への出入りも、難しく、御子に逢えないという、嘆きを、辛く思っていた。
今は、心のままに、参内されるのは、まことに、結構な有様で、皇太后は、辛い成り行きと、嘆くのである。
源氏の、大臣は、何かにつけて、大后が、恥じ入られるほど、よく仕えており、好意を見せるので、かえって、具合が、悪いようである。
世間の人も、とやかくと、噂した。


皇太后とは、前帝の母である。
現在の帝の母は、藤壺である。そして、源氏の子でもある。

新しい東宮は、朱雀院の子である。


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2010年01月05日

もののあわれ 465

兵部卿の親王、年頃の御心ばへのつらく思はずにて、ただ世の聞えをのみ思しはばかり給ひし事を、大臣は憂きものに思しおきて、昔のようにも睦び聞え給はず。なべての世には、あまねくめでたき御心なれど、この御あたりは、なかなか情なき節もうちまぜ給ふを、入道の宮は、いとほしう本意なき事に見奉り給ふ。




兵部卿の親王は、ここ数年、変化の無い、意外な仕打ちを受けているが、ただ、世間の思惑ばかりを、気にしていらしたのを、大臣は、不快なここと、思い、以前のように、親しくすることがない。
世間一般には、誰にも、温情をかけるのだが、この宮に対しては、むしろ、無情な仕打ちもあり、入道の宮は、気の毒なこと、困ったことと、思っている。




世の中のこと、ただ半ばを分けて、太政大臣この大臣の御ままなり。権中納言の御女、その年の八月に参らせ給ふ。祖父殿いたちて、儀式などいとあらまほし。



天下の政治は、すべて、半分わけにして、太政大臣と、大臣の意のままである。
権中納言の姫を、その年の八月に、入内させる。おじいさまは、あれこれと、世話を焼き、儀式なども、まことに、非の打ち所が無い。


兵部卿の宮の君も、さやうに心ざしてかしづき給ふ名高きを、大臣は、人よりまさり給へ、としも思さずなむありける。いかがし給はむとすらむ。



兵部卿の宮の君も、入内させるつもりで、大切にしているとの、噂が高いが、大臣は、人に負けないようにと、別に思っているのではないか・・・
どうなさるつもりやら。

作者の言葉である。

当時の、貴族の女性は、入内という、帝の、后を目指すのである。
帝の、子を、産めば、最高の、栄誉である。




その秋、住吉に詣で給ふ。願どもはたし給ふべければ、いかめしき御ありきにて、世の中ゆすりて、上達部殿上人、われもわれもと仕うまつり給ふ。



その秋に、住吉に参拝される。
あれこれの、願いの叶った、お礼をされるはずである。
盛んな行列にて、世間中で、大評判である。
かんだちめ、てんじょうびと、が、我も我もと、競争するように、御供をされる。




折しも、かの明石の人、年ごとの例の事にて詣づるを、去年今年は、さはる事ありておこたりけるかしこまり、取り重ねて、思ひたちけり。船にてまうでたり。岸にさしつくる程見れば、ののしりて詣で給ふ人の気配、なぎさに満ちて、いつくしき神宝をもて続けたり。楽人十列など、装束をととのへ、かたちをえらびたり。




時も、丁度その時、あの明石の人は、毎年の例になっている、住吉詣でが、去年と、今年に、差し障りがあって、行けなかった、お詫びをかねて、思い立った。
船で、参拝した。
岸に船をつけて、ふっと、見ると、賑やかにお参りする、人の騒ぎで、海岸は、一杯である。素晴らしい、奉納品を、次から、次と、持ってゆく。十人の楽人などは、装束を整えて、顔つきの、すぐれた人を選んでいる。





「誰が詣で給へるぞ」と、問ふめれば、「内の大臣殿の御顔はたしに詣で給ふを、知らぬ人もありけり」とて、はかなき程の下衆だに、心地よげにうち笑ふ。げにあさましう、月日もこそあれ、なかなかこの御有様をはるかに見るも、身のほど、口惜しう覚ゆ。さすがにかけはなれ奉らぬ宿世ながら、かく口惜しききはの者だに、もの思ひなげにて仕うまつるを、色ふしに思ひたるに、「何の罪深き身にて、心にかけておぼつかなう思ひ聞えつつ、かかりける御響きをも知らで、立ちいでつらむ」など思ひつづくるに、いと悲しうて、人知れずしほたれけり。





どなたが、お参りなのですか、と、尋ねると、内大臣様が、御願い奉るに、お参りになるのを、知らない人もいるのだと、取るに足りない下人までもが、得意そうに笑うのである。
その通りで、呆れるほかはない。
他の月日があるのに、今日の日に来て、なまじ君のご様子を遠く見ると、もう、自分の身分が、情けなく思われる。
しかし、離れられない、御縁で、こんな卑しい身分の者まで、苦労一つないようで、御供するのが、光栄だと、思うのだが、どういう罪業の深い身で、常に、殿の事を気にかけて、お案じ申していながら、ご参拝の、噂も知らず、出掛けて来たのか、などと、考え続けると、たいそう悲しく、人知れず、涙に袖も、濡れるのであった。

平安期の、身分というものは、すでに、明確に、確定していた。
古代、その身分というものが、どのように、発展したのかは、また、書くことにするが、平安期の、身分は、すでに、推古天皇の頃に、明確にされていた。

それは、集落の、長から、はじまっている。
豪族というものが、現れて、次第に、明確になっていったと、思われる。

身分というものが、何か、差別的に感じるのだが、当時は、それが、秩序を整える方法でもあった。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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