つるぎたち もろはのときに あしふみて しなばしぬとて きみによりなむ
剣の鋭い諸刃を、足で踏んで死ぬとも、あなたに頼って生きます。
熱烈な、恋の告白である。
死ぬなら、死にますという、激しさ。
吾妹子に 恋ひし渡れば 剣刀 名の惜しけくも 思ひかねつも
わがもこに こひしわたれば つるぎたち なのおしけくも おもひかねつも
吾が妹子に、恋続けると、剣太刀の、名が惜しいことも、忘れるほどだ。
恋は、男の命の、剣さえも、忘れさせる。
良いことである。
平和だ。
戦争するより、恋を生きる方が、真っ当である。
朝月の 日向黄楊櫛 旧りぬれど 何しか君が 見れど飽かざらむ
あさつきの ひむかつげくし ふりぬれど なにしかきみが みれどあかざらむ
朝月の、日向の、黄楊櫛のように、古くはないが、どうして、あなたを、見飽きるということが、あろうか。
日向の、黄楊櫛は、珍重されて、古くなるまで、使用するのだ。
好きな人を、見れど飽きないというのは、いつの時代も、そうである。
ずっーと、あなたを、見詰めていたいのである。
里遠み 恋ひうらぶれぬ 真澄鏡 床の辺去らず 夢に見えこそ
さととおみ こひうらぶれぬ まそかがみ とこのへさらず いめにみえこそ
あなたの、里が遠いゆえに、恋心が、うらぶれる、つまり、萎えてしまう。
真澄鏡のように、いつも、床のべの、つまり、眠っている間に、姿を見せて欲しい。
逢えないことが、辛いのである。
恋が萎える、つまり、情熱を失うのではない。
その、情熱が、冷めるのが、怖いのである。
いつの時代も、遠くの恋人は、愛しいものだ。
それは、現代と、万葉時代の人も、変わらないのである。
真澄鏡 手に取り持ちて 朝な朝な 見れども君は 飽くこともなし
ますかがみ てにとりもちて あさなあさな みれどもきみは あくこともなし
真澄鏡を、手に取って、毎朝見るように、いつ見ても、あなたを、見飽きるということはない。
好きな相手を、見飽きるということは、恋が冷めてしまうということ。
夕されば 床の辺去らぬ 黄楊枕 何しかと汝は 主待ちがてに
ゆうされば とこのへさらぬ つげまくら いつしかなは ぬしまちがてに
夕方になると、床のべ、寝床を去らぬ、枕である。
いつまで、お前は、主を待ちかねているのか。
といいつつ、自分が、待つのである。
恋する者の、心は、今も、昔も、変わらないのである。