2010年01月06日

もののあわれ 466

松ばらの、ふかみどりなるに、花紅葉をこき散らしたると見ゆるうへのきぬの濃き薄き、数知らず。六位の中にも、蔵人は青色しるく見えて、かの賀茂の瑞垣うらみし右近のじもようもゆげひになりて、ことごとしげなる随身具したる蔵人なり。良清も同じすけにて、人よりことにもの思ひなき気色にて、おどろおどろしきあかぎぬ姿、いと清げなり。すべて見し人々ひきかへ花やかに、「何事思ふらむ」と見えてうち散りたるに、若やかなる上達部殿上人の、われもわれもと思ひいどみ、馬鞍などまで、飾りを整へ磨き給へるは、いみじき見物に、田舎人も思へり。




深緑の、松原を背景に、花や紅葉を、撒き散らしたように見える、濃淡様々な、着物を着た人たちが、数知れずいる。
六位の中でも、蔵人は、拝領の青色が、際立って見える。あの賀茂の社の、玉垣を恨む歌を詠んだ、右近の丞も、衛門尉になって、ものものしい、随身を引き連れた、蔵人である。
良清も同じ衛門の、佐になり、誰よりも、苦労なくみえて、仰々しい赤色の、着物が、なんとも、立派である。
明石で、知った人たちが、一人残らず、立派になり、何の心配もない様子で、あちこちに、散らばる中に、若々しい上達部や、殿上人が、われもわれもと、競い、馬や鞍まで、飾り整え、美しく装いたてているのは、大した見物と、田舎者も、思ったのである。




御車をはるかに見やれば、なかなか心やましくて、恋しき御かげをもえ見奉らず。河原の大臣の御列をまねびて、童随身を賜はり給ひける、いとをかしげに装束き、みづら結ひて、紫すそ濃の元結なまめかしう、たけ姿整ひうつくしげにて十人、様異に今めかしう見ゆ。




君の、御車を、遠くから見ると、童随身を頂いて、それが、たいそう美しい装束を着て、みずらを結い、紫の裾濃の元結も、優美に、背丈も揃い、可愛い姿で、十人、くっきりと、鮮やかに、見える。

みづら結い、とは、髪型のこと。



大殿腹の若君、限りなくかしづきたてて、馬添ひわらはの程、みな作り合わせて、様かへて装束きわけたり。雲居はるかにめでたく見ゆるにつけても、若君の数ならぬ様にてものし給ふを「いみじ」と思ふ。いよいよ御社のかたを拝み聞ゆ。




大殿腹の、若君は、限りなく大切に、扱われ、馬に付き添う、童は、他とは、変わった服装で、区別している。
雲居遥かに、めでたく
及びもつかないほど、立派に見えるにつけても、姫君が、取るに足らない有様であると、たまらないと、思う。
いよいよ、社の方を、拝み奉る。




国の守参りて、御まうけ、例の大臣などの参り給ふよりは、ことに世になく仕うまつりけむかし。いとはしたなければ、明石「立ちまじり、数ならぬ身のいささかの事せむに、神も見いれかずまへ給ふべきにもあらず。帰らむにも中空なり。今日は難波に舟さしとめて、祓へをだにせむ」とて漕ぎ渡り。




国の守、とは、津の守のことで、くにのかみ、と、読む。
カミという、言葉は、最初、このように、使われた。
その地域を、治める者を、守、カミと、呼ぶ。
そして、その、カミの語源がある。

国の守が、お側に来て、饗宴の仕度を、普通の大臣などが参拝されるより、ずっと立派にしたことでしょう。
作者の言葉である。
明石の人は、いたたまれない思いで、あの中に入り、取るに足りない私が、何かしても、神様も、目に留め、願ほどきをしたと、思えるはずもない。明石に帰ろうにも、中途半端である。今日は、難波に舟を止めて、祓いだけでもしょう、と漕いで行くのである。




君は夢にも知り給はず。夜ひと夜いろいろのせさせ給ふ。まことに、神のよろこび給ふべき事をしつくして、来し方の御願にもうち添へ、あり難きまで遊びののしり、明かし給ふ。惟光やうの人は、心のうちに、神の御徳をあはれにめでたしと思ふ。
あからさまに立ち出で給へるに侍ひて、聞えいでたり。

惟光
すみよしの まづこそものは 悲しけれ 神代のことを かけて思へば

「げに」と思し出でて、

源氏
あらかりし 浪のまよひに すみよしの 神をばかけて 忘れやはする

しるしありな」と宣ふも、いとめでたし。




君は、明石の人が、来ているなどと、そんなことは、夢にも知らない。
その夜は、一晩中、いろいろの神事をされる。まことに、神様が、喜びになるであろう、限りを尽くして、更に、今までの、御願いに、加えて、前例のないほどに、音楽を賑やかに、奏して、一夜を明かす。
惟光のように、須磨明石で、君と辛苦を共にした人は、心の中で、神の御徳を、しみじみと、ありがたいと、思う。
君が、出ていらしたので、御傍により、お耳に入れた。

惟光
住吉の岸で、松を見まして、何より、感慨無量でございます。昔のことを、忘れられません。
いかにも、と、昔を思い出して、

源氏
あの恐ろしかった、須磨の波風に苦労して。住吉の御神徳を忘れようか。いついつまでも、忘れない。

霊験があるな、と、仰るのも、たいそう、素晴らしい。


すみよしの まづこそものは
住吉の松を、まづ、にかけている。
神代のことを
須磨明石で、苦労した頃の意味を、かけている。

あはれにめでたし
しみじみと、嬉しいことである。
めでたし、に、あはれ、が、感嘆詞となる。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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